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「結婚というシステムは(他の異性との性的行為は、ダメよ・・・)という契約だ」と、前に書いた。上野千鶴子氏の受け売りだが・・・真実だ。 2024-6-4 はんぺん世の中には、理不尽な不合理が、一杯ある。そして、間違った道徳や風俗習慣は、我々の日常に、思った以上に、大きな影響を及ぼす。「異議あり」と声を上げる事から、社会の改革が進むのだろう。 誰が、婚姻制度を頑なに維持しようとしているのか? 冷静な判断が求められている。人間は、動物の一員だ・・・これだけは、隠しようがない。 そして、種の存続にかかわる(性)の問題は、未来の人間社会にとっての、重要な研究課題だろう。小学生の高学年以後から、青春期にいたる過程では、フツフツと身体の奥底から湧き上がる(性欲)に、困惑し、うろたえた経験を、我々は持っているハズだ。 それは、加齢とともに変化しつつも、(枯れる)ことは無い。それの持つ意味合いは、確実に変化している。生殖から、解放?されたハズの我々が、こだわる(性)について、しっかりと考えていくべきだ。 皆さんは、どう思われるか? はんぺん (参考) 結婚は、誰のためのモノか? 今の道徳観、倫理観は、問われ続けるべき・・・ https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/202109020000/ 結婚という歪んだ契約に縛られて終える辛い人生。あなたも・・??? https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/202109040000/ 結婚とは「一瞬が永遠に続く」という妄想だ(上野千鶴子)https://toyokeizai.net/articles/-/133727 「つかず離れず婚」も選択肢。また、古希を超えた世代の生きがいを・・・https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/202106210000/ ――――――――――――――――――――――「おしどり夫婦」の真実…鳥は4割が浮気の子、人間は? 2015/4/11 産経新聞 仲のいい夫婦を「おしどり夫婦」と言うが、ほとんどの鳥が一夫一婦で、夫婦が協力して子供を育てる。実は、動物の世界では一夫多妻が一般的だ。 「遺伝子を増やしたものだけが生き残る」という進化の法則から考えると、何億もの精子を作るオスは、メス選びに時間を浪費しないで多くのメスに子供を作らせることが重要。 一方、少数の卵子しか作れないメスは、最も優れたオスの遺伝子を選ぶことが重要になる。一夫多妻は両者の要求に応える制度といえるだろう。 これに対し、多くの鳥が一夫一婦を選択しているのは、卵という超未熟児を生むためだ。その結果、鳥は空を飛ぶことができる軽い体を手に入れたが、長い子育てを援助する夫も必要になった。 そこでメスは子育てを手伝ってくれるオスを探さなくてはならない。人間も最近は育児を手伝ってくれるイクメンが人気と聞くが、選ぶポイントは優しさだろうか。 鳥のメスが考えるイクメンの条件は忍耐心。どうやって見分けるかというと、メスはオスが言い寄っても必ず逃げる。本当に嫌な時は飛び去るが、大体は歩いて逃げる。そして、最後まで追ってきたオスを忍耐心があるオスとして、メスは求愛を受け入れるのだ。 遺伝子増やすため熾烈な戦い 忍耐強く優しい夫と一緒になってめでたしめでたしと思われていたが、遺伝子親子鑑定で驚愕(きょうがく)の事実が明らかになった。鳥の子供の約4割が浮気の子だったのだ。つまり、いっしょに子育てをしていたイクメンのオスは、浮気相手の子を一生懸命育てていたことになる。 一夫一婦の鳥のメスも、優れたオスの遺伝子を求める本能は健在だ。だからこっそり浮気をする。夫はもちろん用心し、妻に言い寄るオスを追い払うが、オスはオスで浮気の相手を探す。それが鳥の世界だ。 ところで、鳥の中でもオシドリは実は一夫多妻で、一番きれいなオスだけが多くのメスを獲得する。夫婦でいるのは交尾の期間だけで、オスは子育てを手伝わない。また、一番になれないオスに相手はいない。 つまり、オシドリのオスはイクメンとはほど遠く、同じメスと一生を共にするわけでもなく、「おしどり夫婦」ではない。 一夫多妻の鳥の特徴はオスがきれいでメスが地味なこと。地味な姿は敵に見つからないための作戦で、きれいなオスは敵に見つかりやすくその寿命は短い。 それなのになぜ、メスはきれいなオスを選ぶのだろうか。それは、一番きれいなオスを選ぶことで自分の息子が一番になれば、息子が一気に遺伝子を増やしてくれるからだ。 息子の寿命が短くても、孫が多ければ母親の遺伝子は未来へと引き継がれる。気楽そうに見える鳥たちも、実は、遺伝子を増やすための熾烈(しれつ)な戦いをしているのだ。 (写真・文:東京大学名誉教授 唐木英明/構成:文化部 平沢裕子/SANKEI EXPRESS)
2024.06.04
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あと何年、生きるのだろうか? (はんぺん)あと何年、生きるのだろうか? 我々が去った後の社会は、どうなっていくのだろうか?日本は? 世界は? 11/2~16と 2週間ほど、家を空けた。その間、多くの出来事があったが、最大のモノは、総選挙だった。 前のブログにも書いたが、やはり自民・公明・維新の保守派の大勝利に終わった。リベラル派は、国民から見放されて、見る影も無いありさまだ。 国民の願いから離れた(反自民一辺倒)では、政権奪取などは、夢のまた夢でしかないだろう。斜陽の日本にあって、国民総体は、得体の知れない不安におびえているのではないか? 国民は、対立で熱く燃えるのでなく、与野党協力して、総力体制で、暮しと雇用に取り組んでほしいと願っているように、僕には見える。が、リベラルの人たちには、国民意識が、ようくわかっていないように思える。************************************中国の独裁体制をさらに強固にする共産党の6中全会が閉幕した。14億の習近平の中国は、世界破滅の目になるだろうと思う。多くの識者には見えるが、能天気なリベラルたちの目には見えない、(今そこにある危機)のことだ。 独裁国家においては、厳しい言論統制は、ますます強化されることはあっても、減ずることはあり得ない。習近平への権力集中はもちろんだ。異論を許さない社会が、世界標準になる日が、足音を立ててやってくるのだ。 今や、世界は、民主主義の国よりも、独裁主義、全体主義の国々のほうが、はるかに多いという事実を知らないリベラルたちが多いようだ。そのため、世界は逃げ出した難民であふれている・・・ベラルーシやシリヤだけでは無いのだ・・・ 全体主義、専制政治を束ねるのは、もちろん習近平だろう。中国共産党による威嚇、恫喝を身に染みて知っているのは、南シナ海周辺の弱小国だ。台湾・ベトナム・インドネシア・フイリッピンなど。 共産主義という思想が、一時期、リベラル知識人たちの多くを熱狂させたこともあったが、その行き着く先が、独裁国家、専制政治であったことを やがて多くの世界の人々が知ることとなった。 それが、物事の全てであったのだ。(地獄への道は、善意で敷き詰められて)いたのだから。リベラルたちは、自嘲的に語ることはあっても、もはや熱意は消え失せ、新しい社会を目指す意欲を失ったかのようだ・・・ 日本のリベラルの現実は、(今そこにある危機)にすら目を向けようとしない、体たらく!!! ということだ。彼らのHPを見ても、相変わらずの、昔の分析手法だが・・・おそらく、昔の活動家が、引っ張り出されるほど、新陳代謝できない組織に堕していると思われる・・・ いつまでも、古い人間が、組織を牛耳っている。 新しい人材が皆無なのだから・・・衰退していくしかない・・・ (反省する勇気)の無い人間には、進歩は、あり得ない・・・二枚舌、二重基準で、目の前の課題をスルーしようとするリベラルたちが多いが、これって間違いなく(確信犯)だろう。 その口も乾かないまま、彼らは、人々に(人権)(民主主義)(自由)を語りかけるのだから・・・開いた口が塞がらないのだ・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.11.18
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あるべき社会とは・・・両性の合意が全てだろうが!!! (はんぺん)好きなケーキ、好きな饅頭でも、食べ続けていると、しまいには飽きてしまう・・・たまに食べるから(おいしい)のだ・・・ 僕が好きで、よく聞く(第9シンフォニー)も、繰り返し聞き続けると感激も薄れて、最後には苦痛になるのではないか? 大事に思うワイフでも、(たまにではなく)毎日! 顔を合わせていれば、それが日常になれば、かってのトキメキは、いつかは薄れていくものだ。 世間では(不倫)とか(浮気)とかで、パッシングを受けるが、別の異性に魅かれていくこと自体が、僕は自然なことではないか・・・と考える。 東大教授の上野千鶴子氏は、「不倫の無い人生などは、考えられない・・・」と言っているが、正しいと思う。好きな時に、好きになった異性と付き合える社会が、理想社会、幸福社会だ・・・と断言できる次第だ。 (浮気)や(不倫)パッシングで、「性的に、お互いを拘束する」というルールで、縛り付け合うこと自体が、間違っている・・・と僕は思うが・・・ 異性間で、お互いを縛り付け合うことで、誰が利益を得ているのだろうか・・・??・ 不自然極まりない歪んだ人間社会を強いているのは誰で、どのような目的があるのか?? また、同性間での恋愛を禁じるルールを作り上げ、社会から排除することで、誰が、利益を得るのだろうか? 真子さんと小室圭さんが、お互いを好ましく思い、恋愛に発展していくことを喜ばない社会的圧力は、歪んだ日本社会そのものだ。 天皇制の差別社会を守ろうとする国体存続を願う支配層が、その大元(おおもと)だと思われるが、多くのマスコミは、意識するかしないかは別として、完全に(屈服)しているように、僕には見える。 (浮気)や(不倫)非難のパッシングは、真子さんの「皇族離脱」に対するパッシングと共通するものがある・・・ということだ。 被支配層(庶民)に対するパッシングと同時に、支配層(皇族など)にも、彼ら自身を守るルールがあり、破るものに対するパッシングがある・・・ということだろう・・・ 憲法24条1項が「婚姻は両性の合意のみに基いて成立する」と規定しているが、皇族という特権階級には、別のルールがある・・・というわけだ。日本の多くのマスコミが、その異常なルールを批判せず、というか(迎合)して(支配者でもないのに、自分自身を支配者と勘違いして)、間違った特権階級のルールを至上のモノとして、(小室パッシング)を行い、国民を洗脳している・・・ この結婚が、いつの日か? 破綻が訪れることがあれば、今のマスコミは(それ、見たことか・・)と、またまた騒ぎ立てることだろう・・・ そこで、あえて言いたい。結婚とは、所詮妥協の産物であり、トキメキが無くなり離婚に至ることがあっても、不自然どころか、きわめて自然な流れそのものだという事だ。 マスコミに洗脳されてはならない・・・マスコミのキャンペーンには、必ず(ウラ)があるということを忘れないでほしい。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.11.18
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時代から取り残される 進歩の無いリベラル 民主党の仙谷由人氏が、民主党政権の内閣官房長官の時に、2010年11月18日 参議院予算委員会で、自衛隊の事を「暴力装置」という表現をして、その後、撤回し謝罪したことがあった。 彼は、学生運動(フロント)時代、東大闘争での活動家でもあり、おそらくレーニンの「国家と革命」の学習会などで聞きかじって、記憶の底にあったのだろう・・・ 1917年に執筆された著書『国家と革命』の中でウラジーミル・レーニンは「暴力装置」という言葉を使っている。仙谷氏は、すぐに謝罪して、「実力組織」という言葉に訂正しているが、もともと、暴力(=ゲバルト)という言葉は、日本では、ネガティブの印象があるが、社会学的には、そんなことはないそうだ。 権力を維持するためには、リベラルであれ、コンサーバティブであれ、実力組織は、必要不可欠だ。法治国家では、(法による支配)が前提だから、法(ルール)を守らないなら、軍隊、警察、刑務所・・・などの実力組織(暴力装置)は、絶対に欠かせない・・・ リベラル政権であれ、治安対策は、(人権)との整合性の下、毅然と強力に確立するべきだ。しばしば現実性に欠けると非難される日本リベラルだが、(人権配慮)を錦の御旗に、現実から遊離する傾向が、これまで何度もあったように思える。 平和憲法守れ→第9条守れ→戦力放棄→自衛隊反対・・・などは、極端な誤りだった。「戦争の惨禍」(憲法前文)を(反省)するとして、(自衛権まで放棄)するという決定的な過ちを犯し、周辺の軍事大国(中国)や狂信国家(北朝鮮)を狂喜させてきたし、これは、今も続いている。 これは、まさに形而上学的な誤りと言うべきではないか? 「戦争の惨禍」を固定的、限定的にとらえ、その結果に至る(連関)の理解が欠落しているのだ。(自衛隊=暴力装置)も同じで、国家における実力組織の歴史(=流れ)を理解していく中での位置づけ無しに、そのものを否定するのは、まったく反弁証法的だ・・・違うだろうか??? 「事物とその概念による模写とを、本質的に、それらの連関、連鎖、運動、生成と消滅においてとらえる」(エンゲルス)弁証法からは、あり得ない・・と思う。 彼らには、戦争の全否定がすべての出発点・・・という誤った認識がある。戦争は、こちらから仕掛ける・・・ばかりではない。(敵と味方という具合に)相手があっての戦争であり、歴史を勉強すれば、攻める側と攻められる(=受けを強いられる)側が、必ずあっただろう・・・ということだ。 攻められた側は、どう対応すれば良いのか・・・??? 弁証法的には、これが、問題の核心だった。それを避け続けてきたのが、日本リベラルだった。 前に、何回も紹介したが、真摯に回答(?)した護憲学者がいた。再掲すると・・森嶋通夫(元ロンドン大学教授)だ。「不幸にして最悪の事態が起きれば、白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎えるより他ない。34年前に米軍を迎えたようにである。そしてソ連の支配下でも、私たちさえしっかりしていれば、日本に適合した社会主義経済を建設することは可能である。」 出典元:1979年3月9日『北海道新聞』より 当時は、まだ、(社会主義幻想)が、知的社会を席巻?していたかもしれない・・・が、それにしても、はっきりと言ったものだ。 しかし、現実世界は、どうなったのか? 森嶋氏の考えるように、ソ連や中国が日本に「政治的自決権」を認めてくれるなら結構なことだが、東ヨーロッパを自由の無い支配下に置いたソ連、人権弾圧・民族抹殺(ジェノサイド)をモンゴル・チベット・ウイグルで強行する中国・・・・そんな期待ができるとは・・・おめでたいというか・・・・ 選択肢は2つ・・・憲法を守るために、自衛隊を廃止するか、自衛隊を認めるため、憲法を変えるか・・・だ。結論は、出ているように、僕には思えるが・・・ ――――――――――――――――――――――――――――――――Don’t walk in front of me, I may not follow. Don’t walk behind me, I may not lead. Walk beside me and be my friend. by Albert Camus私の前を歩かないでください。私は付いていかないかもしれません。 私の後ろを歩かないでください。私は導かないかもしれません。 私の横を歩いて、私の友達でいてください。 アルベール・カミュ(フランスの小説家・劇作家)
2021.09.14
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結婚という歪んだ契約に縛られて終える辛い人生。あなたも・・??? (はんぺん) 元卓球選手の福原愛が、離婚した・・不倫した・・・と、マスコミで、叩かれていたが、これって、まったくおかしい・・・世間の常識が、間違っている・・・と思っている。 離婚も、不倫も、周りには、ゴロゴロある。たまたま、芸能人やアスリート、政治家などの有名人は、(出る杭)ということで、ボカスカ叩かれているが、そういう(ルール=良識?)を強いられているのは、被支配者の立場にある我々国民総体だ。 前にも書いたが、長所も短所も併せ持つのが(人間)という動物だ。長所に魅かれ、短所を避けたいと思うのは、自然だろう。結婚というシステムでは、相手の長所ばかりが目に付く中で、短所は見えにくいのが、真実だ。 理想的な結婚などというのは、言葉の遊びでしかなく、現実には、(結婚とは、妥協の産物だ・・)ということだ。その時点では、相手の長所が大きく見えて、反対に短所は、小さく見える・・・・そういう中で、(将来、やっていける!)と判断(妥協)して、結婚システムに組み込まれていく・・・・ しかし、結婚生活が続く中で、最初には、気にもならなかったような短所が、どんどん気になりだし・・・我慢できなくなってくることも・・・・しかし、結婚システムに組み込まれた以上、簡単に、抜け出すことは、大きな犠牲を伴う・・・ ということで、配偶者には、見つけられなかった長所(魅力)を持ち合わせている別の異性と出会うことで、別の可能性、別の人生を追求するに至る・・・それが、不倫であり、離婚という、新たなステージだろう。 世間では、(不倫などは、社会常識に反する)という、倫理観が一般的で、その同調圧力が、権力者の支配継続の強力な武器となっている・・・ 福原愛が、正体のバレた配偶者を見限り、離婚したり、別の魅力的な異性との恋愛感情を抱き、温め合う・・・というのは、極めて自然なものだ・・・・ 今回、東京五輪の卓球のテレビ報道番組で、福原愛がコメンテーターとして起用されたときに、多くのバッシングがあった・・・ことを知って、同調圧力を背景にした社会秩序=権力秩序の、本質を垣間見ることになったわけだ・・・ 好きになった相手と、合意の上で、親しく付き合える関係を求める自由・・・これは、「人権問題」では、無いだろうか?? これを、(不倫)というレッテルを張って、非難・罵倒する社会を変えていかなければ、住みにくい社会になっていくばかりだ・・・ 結婚というシステムに組み込まれて、不自由な一生を終えるのは、人間として悲しいことだと思うが・・・・皆さんは、どう思われるか?
2021.09.04
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結婚というシステムは、(他の異性との性的行為は、ダメよ・・・)という契約だ。 上野千鶴子氏は、学者的に、結婚とは「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」と言った。そういう結婚システムって、相当無理があるのではないか? そういう、お互いを縛りあうことで、本来の人間的な(自由な)生き方が損なわれるという事だ。 そんなルールを、誰が必要としているのだろうか?? そういう(形にはまった)システムで社会の安定を図ろうとすれば、必ずどこかで破綻する・・・と、断言できる。 (参考)結婚とは「一瞬が永遠に続く」という妄想だhttps://toyokeizai.net/articles/-/133727「社会の安定装置」(高橋のぶ子)という考え方もあるが、そういう形でしか、(安定装置)が、作れない・・・と言うところに、(人間の限界)を感じるのは、僕だけだろうか・・・? (参考)永遠に恋愛感情、つまり恋のときめきが生き続けることはない「恋愛空間」高樹のぶ子(作家)https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201512290004/ 人類史的には、母系社会や一夫多妻婚(Polygyny)、一妻多夫婚(Polyandry)などなど、無数の婚姻システムが知られているが、一夫一婦制というシステムは、権力を持つ者たちの便利な統治システムだ・・・と思う。 オスとメスの(ツガイ)が、子孫を設ける・・・この(ツガイ)は、統治(管理)するのには、まことに都合がよい・・・というわけだ。 (ツガイ)成立の際しての「ルール」を決める。それは、道徳性、倫理性を持たされて、(ツガイ)を束縛することで、彼らに対する権力支配を容易にする・・・というわけだ。 文明の発達にも拘わらず、そういうシステムを採用するしか安定的な統治ができない・・・というのは、人類が遅れているというか、情けないことだと思っている。 (参考)「結婚の形態の歴史」http://u-b.jp/knowledge/bridal/yomi-konrei-3.html (参考)【第11回】地球上の家族の多様性https://www2.rikkyo.ac.jp/web/katsumiokuno/CA11.html かくて、マスメディアは、(たとえば)有名人たちの離婚、不倫などを、道徳性、倫理性を錦の御旗に押し立てて、バッシングして、メシの種にしている。他方、(仲の良い夫婦)を取り上げて、ほめそやし、(手本)として紹介している。 これって、権力者にとって、まことに都合が良いこと、間違いなし・・・ 本来、人間には、長所も短所もあるのが、普通だ。相手の長所に魅かれ好きになり(ツガイ)になるのは、ごく自然なことだが、その時には、相手の短所は、見えにくいし、普通は、誰でも自分の短所は、見せたくないモノだ。 (ツガイ)になって、一緒に暮らしてみて初めて、相手の短所も見せつけられることになるのだ。今の結婚システムを認める以上、(ツガイ)を維持するためには、あとから(見せられた短所)にも、寛容でなければならない・・・それができないなら、婚姻は破綻するし、離婚とか不倫に至るわけだろう。 婚姻システムを支える道徳観、倫理観を否定することなくして、すなわち新たな道徳観、倫理観を作り上げることなくして、自由で、生き生きとした人生を実現することはできない・・・と考える。 (事実婚)などの新たな(ツガイ)システムを構築することが、北欧を中心に一般化されつつあるようだが、世界で幸福度ランキングを見ても、1位, フィンランド. 2位, デンマーク, 3位, スイス, 4位, アイスランド, 5位, ノルウェー・・・・・ということで、示唆的ではないか・・・・ 長所・短所を併せ持つ個人同士が、出会えば、相手(複数)の長所にひかれ、(特定の唯一の異性に縛られることなく)好きになっていくのが、自然の流れだと思う。好きな異性や同性に対して、なんの懸念も無しに、(好きだ)と言える自由な恋愛制度が理想だ・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.09.02
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芸術は、洗脳だ・・・・・ (はんぺん) 僕は、軍歌が好きだ。インターなどの労働歌も好きだ。大人になる前の少年期には、軍歌に憧れた。自宅には、父の趣味のSP盤レコードが大量にあったし、よくSPのレコード針を阿倍野あたりに買いに走ったことを覚えている。 しばらくして、LPレコードが主流になり、受験戦争の中で、深夜、「星条旗よ永遠なれ」や「旧友」「ラデツキー行進曲」などを、よく聴いたものだ。 軍艦マーチや君が代行進曲などは、自分の精神を鼓舞してくれたように思う。聴いていて、感動して、よく涙が出た。 学生運動に関わりだしてからは、デモや集会で「インターナショナル」や「国際学連の歌」を星の数ほども歌うことになる。機動隊のジュラルミンの盾の壁の前で、歌いながら、感動して涙が、よく出た・・・・ 軍歌で感動した自分が、「インター」でも感動していた。これは、今でも変わらない・・・今でもユーチューブで、よく聴くが・・・・僕の場合、「君が代」は、好きになれないので・・・感動することはないが、「旧ソ連国歌」「中国国歌」「フランス国歌」の旋律には、心を動かされるし、今でも、感慨深く聴いている・・・・ (芸術は、扇動だ・・・)というのが、僕の結論だ。小説や絵画、音楽など、およそ人を感動させるものは、その人間の感性に訴える中で、ある種の(感動)を呼び起こす。 同じ曲を聴いても、その時の体調や気分によっては、(感動)できない事もあるが、それは、われわれ人間が、(動物)であるからだ・・・と思う。それを感性で受け入れることができないときは、(無味乾燥)なものに感じる。 ベートーベンの(第9)を聴いて、涙が出ることは多いが、それまでに寝不足が続いていたら、感動するどころか・・・眠り込んでしまう。 戦争は、それを利用して、国民を戦争に駆り立てる。総力戦で展開された第2次世界戦争では、大量の軍歌や従軍記などの翼賛記事、戦争画で、(好戦的国民が増産)された。好戦的な俳句や短歌、マスコミ記事が量産されて、好戦的、排外主義的雰囲気が、醸成されて・・・多くの国民が、洗脳され、戦争に動員された。 僕のオフクロは、(私たちは、軍国少女、軍国女学生だった)と言っていたが、多くの有名だった作家たちは、軍部に協力して、天皇制国家を、天皇制軍隊を賛美する記事を書くために、戦地に赴いた。 あの独裁者ヒットラーに熱狂する(ヒットラーユーゲント)やドイツ民衆の熱狂は、扇動で作り出されたものだが、このような狂気、熱狂で、人類の歴史が、作り出されてきたのではないか?? 毛沢東に涙を流す無数の紅衛兵たち、赤の広場でスターリンをたたえる旧ソ連民衆、金日成・正日・正恩に対する狂気、昭和天皇ヒロヒトに対する宮城での熱気・・・これらは、扇動の結果として造り出されたモノであるが、(理性を押しつぶす)感性に振り回された(人間=動物)の結果である。 これらの熱気は、我々の日常の中にも無数にあるようだ。あのビートルズに群がった(宣伝に踊らされた)若者たちと(ヒットラーユーゲント)と、いったい、どれだけの違いがあるのだろうか? そう、人間とは、所詮、多少、知性の有る(タチが悪い)動物の一員なのだ。皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2020.12.08
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2020年(令和2年)、強者が、弱者をますます追い詰めていく・・・ 2020-3-24 (はんぺん) 2020年(令和2年)は、新型コロナウイルス(武漢ウイルス)で、幕が開けた。昨年末には、予想もしなかったことが次々と起きて、今や世界中は大混乱で、東京五輪も風前の灯になりつつある。 今回のパンデミックで、世界経済も大混乱。コロナショックの直撃で、日経平均株価で言うと、今年になっての最高値が、1月17日の24,115.95円だったのが、3月19日には、16,358.19円まで下落した。きょう(3/24)の終値は、少しだけ、持ち直して、18,092.35 円(前日比+1,204.57円)ということだった。 なんと、2か月の間に、6,000円も暴落したわけで、アジア通貨危機やリーマンショック以上の激震だ。 個人投資家による(ろうばい売り)の連鎖の中で、投資のプロたちは、(おいしい)高配当株や成長株を、涙が出るほどの格安で、手にすることができた。 投資の世界では、(暴落は、絶好の買い相場だ)。投げ売りで、打ち捨てられた成長株を、こつこつと拾い上げていく投資家は、10年、20年、あるいは、もっと先を見ている。 ただし・・・投入する資金があることが前提だ。余裕資金が無ければ、せっかくの大チャンスを前にして、指をくわえて見ているしかない・・・・ かくして、経済格差は、ますます拡大の一途になる。持てる者と持たざる者が共存することは難しい。資本主義(帝国主義)の政府は、「持てる者」に(基本的に)支えられている。それゆえ、彼らの利益に(奉仕)することで、自分たちも(おこぼれ)にあずかれる。 課税方法も、「持てるもの」から、より多く徴収できる(累進課税)でなく、(消費税のような)一律課税(均等税)で、彼らは、「持てる者」に(寄り添う)のだ。 経済格差の進行の中で、多くの弱者が切り捨てられていく現実を、我々は、日々の(お茶の間)のニュースなどで、うんざりするほど知らされてきた。 昔、学生時代、向坂労農派の影響の強い社会主義協会や社青同の人たちが盛んに強調していた(窮乏化革命論)と言うのがあった。マルクスの窮乏化説に基づいたものらしい。 エンゲルスとの共著《共産党宣言》では、「封建社会の没落から生まれた近代ブルジョア社会は,さまざまな下層の中産階級をプロレタリアに転落せしめ,ブルジョアジーとプロレタリアートとの二大階級に全社会の階級対立をますます単純化していく。」ということで、資本主義経済の発展にともない不可避的に労働者階級の窮乏化がすすむという学説。 内容的には彼の学説の一面をなし,労働者階級の団結により資本主義を廃止して社会主義を実現しようとする運動の重要な論拠を示すものとみなされてきた。(世界大百科事典 第2版の解説から) この窮乏化の過程が進行するうちに,資本の集中と独占によって巨大化した生産機構そのもののなかで社会化され,また鍛えられ組織された労働者階級の反逆が高まり,やがて資本主義が粉砕されていく(資本論) ・・・らしい。これは、社会主義革命の事だろう。 資本主義(帝国主義)から、社会主義への移行は、歴史的必然である・・・史的唯物論では、そうなると、僕たちは教えられてきたが、歴史は、そう単純には進まなかった。しかし、当時の未熟な僕には、(社会主義への歴史的必然性)という言葉には、一種の魔法のような響きがあったのは、事実だ。 そう、全ては、社会主義に移行後は、(地上の楽園)が、実現するような・・・実際には、長い長い移行期間があるとも教えられたが・・・まさか、まさか? その過程で、1億人(共産主義黒書)もの非人間的な、凄惨な犠牲を伴うとは・・・誰が予想しえただろうか??? 資本主義の歴史を見れば、株価チャートだけ見てもわかるように、好況、不況、恐慌・・・などを繰り返してきた弱肉強食の歴史であり、決して(地上の楽園)などではない・・・ことは、確かだ。 (僕たちの消え去った後の)人類の未来は、どのような社会になるのか? 僕の関心事の一つだが・・・暗い情報ばかリが駆け巡るのが、なんとも恨めしく思える。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2020.03.30
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日本は、たびたび、「謝罪」している・・・・ (はんぺん) 韓国国民が、慰安婦問題や徴用工問題で、盛んに「お金はいらない、謝罪が欲しいだけ」と発言しているのを聞いて、いつも違和感を感じてきた。 彼らのいう「謝罪」とは、いったい、何を言うのだろうか? 歴代の首相や天皇が、謙虚に、何度も「謝罪」してきたが、韓国メディアは、正確に、報道してこなかったことは、良く知られている。 こんにち、マスコミの影響が世論を大きく左右するというのが、先進国の現状だ。 「謝罪」の事実について、知らされなかった以上、国民は、「謝罪が無い・・・」 「謝れ・・・」と叫ぶのは、自然の流れだろう。 しかし、一般国民は、知らされてこなかったのは、仕方がないとしても、少なくても韓国政界の上層部が、知らないハズは無い。それを隠して、国民の尻馬に乗って、「謝れ」「謝れ」と、反日を煽る彼らには、何かキナ臭いものがあるとしか思えない。 文ジェイン大統領は、「真摯な謝罪」を求めているというが、これまでの歴代の首相や天皇の「謝罪」は、(真摯では無かった)ということのようだ・・・・ それは、(初めに結論ありき)では、無いのか? 情緒政治を利用して、「反日」「反米」「反保守」へ・・・・は、韓国歴代の親北朝鮮政権(金大中-盧武鉉-文ジェイン)の最大目標だから、彼らの罪は、計り知れないほど大きいと言える。 以下の資料(ウィキペディアから)を、再掲する・・・ 1983年、日本の中曽根首相が韓国のマスコミに対し、「過去の歴史において 不幸な歴史があったのは事実であり、厳粛に受け止めなければならない」と謝罪した。 1984年、昭和天皇は訪日した全斗煥大統領に、「両国の間に不幸な過去が存在したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない」と過去に対し公式に謝罪した。 1990年、明仁天皇は、盧泰愚大統領が訪日した際、「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」と発言。 1990年5月、海部俊樹首相は、「私は、大統領閣下をお迎えしたこの機会に、過去の一時期,朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて謙虚に反省し、率直にお詫びの気持を申し述べたいと存じます。」と謝罪した。 1992年1月に宮沢首相は、「この間、朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて、ここに改めて、心からの反省の意とお詫びの気持ちを表明いたします。最近、いわゆる従軍慰安婦の問題が取り上げられていますが,私は、このようなことは実に心の痛むことであり,誠に申し訳なく思っております。」と謝罪した。 1992年、加藤紘一内閣官房長官は、「政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。」と謝罪した。 1993年、 河野洋平内閣官房長官は、「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」(河野談話) 1993年には細川首相が、「まずはこの場をかりて、過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる」と謝罪。 1993年9月24日には、細川護煕首相が、「私が侵略戦争、侵略行為という表現を用いましたのは、過去の我が国の行為が多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたとの同一の認識を率直に述べたものでございまして、改めて深い反省とおわびの気持ちを表明したものでございます。」と謝罪した。 1994年には村山首相が「従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。」と謝罪した。 1996年、橋本龍太郎首相は、「例えば創氏改名といったこと。我々が全く学校の教育の中では知ることのなかったことでありましたが、そうしたことがいかに多くのお国の方々の心を傷つけたかは想像に余りあるものがあります。また今、従軍慰安婦の問題に触れられましたが、私はこの問題ほど女性の名誉と尊厳を傷つけた 問題はないと思います。そして、心からおわびと反省の言葉を申し上げたいと思います」 と謝罪。 1996年 明仁天皇は、「このような密接な交流の歴史のある反面、一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております。」と発言。 1998年7月15日 - 橋本龍太郎首相は、「我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的な責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います」「我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います。」と謝罪。(オランダ王国のコック首相への書簡) 1998年に小渕首相は、金大中大統領との共同宣言で「我が国が過去の一時期、韓国国民に対し、植民地支配により多大な損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からお詫びする」と謝罪した。 2000年、山崎隆一郎外務報道官は、「本記事では、日本が第二次大戦中の行為について、中国に対して一度も謝罪をしていないと書かれているが、実際には日本は戦争中の行為について繰り返し謝罪を表明してきている。とりわけ、1995年8月に、村山総理(当時)が公式談話を発表し、日本が『植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました』と述べ、『痛切な反省の意』と『心からのお詫びの気持ち』を表明し、また、1998年に、小渕総理(当時)が、日本を公式訪問した江沢民主席に対して、村山談話を再確認している。」(“外務報道官談話2000年8月7日付ニューヨーク・タイムズ紙の記事に対する反論記事”) 2001年、小泉純一郎首相は、「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております…。」と謝罪した。 2001年には、小泉純一郎首相は、ソウル訪問時に、日本帝国主義時代に独立運動家などが投獄されていた西大門刑務所に行き、過去の歴史について謝罪した。 2002年9月17日 小泉純一郎首相は、「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。」と、謝罪した。 2003年8月15日 - 小泉純一郎首相は、「先の大戦において、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、ここに深い反省の念を新たにし、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。」と謝罪。 2005年4月22日 - 小泉純一郎首相は、「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。……」と謝罪した。 2005年8月15日 小泉純一郎首相は、「また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。…… 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。…… とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。」(いわゆる小泉談話) 2007年4月28日、安倍晋三首相は、「慰安婦の問題について昨日、議会においてもお話をしました。自分は、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいであります、20世紀は人権侵害の多かった世紀であり、21世紀が人権侵害のない素晴らしい世紀になるよう、日本としても貢献したいと考えています、と述べた。またこのような話を本日、ブッシュ大統領にも、お話しました」(日米首脳会談後の記者会見) 2010年8月10日 - 菅直人首相(民主党所属)は、「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」と謝罪している。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― いったい、どれだけ「謝罪」すれば良いものか・・・「心がこもっていない」 「真摯な謝罪でない」と、誰が判断するのだろうか???????? 韓国のメディアが、国民に、これらの「謝罪」を知らせない意図は、何か? キナ臭いものを感じるのは、僕だけだろうか・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 参考・・・・・・ ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙 拝啓 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民 基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際 し、私の気持ちを表明させていただきます。 いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊 厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改 めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しが たい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上 げます。 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりませ ん。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏 まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき 暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなけれ ばならないと考えております。 末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心か らお祈りしております。 敬具 平成13(2001)年 日本国内閣総理大臣 小泉純一郎
2020.01.03
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「戦争反対」に誰も異論は無いだろう。当たり前だ。しかし、世界の指導者が、皆が皆、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という日本の立場に理解してくれるとは限らない。 相手が、武力を使わないで、平和的に話し合いができるのであれば、理想的だが、戦争というものは、一人で生起するものではないからだ。 世界の指導者の中には、ヒトラーなどの狂犬たちが、これまでも、これからも少なからず出現するものだ。彼らにとっては、「平和憲法」「第9条」などは、(屁のツッパリ)にもならない・・・それが現実だ。 そのことに目を背けるリベラルたち(9条真理教)信者が、「自衛隊反対」「9条守れ」と叫び続けてきた。 以前、こう書いた・・・ 戦後の日本の安全と平和が、「平和憲法」と「第9条」に守られてきた・・・というリベラルたちの主張は、偽善であると言ってきた。 占領軍→在日米軍と警察予備隊→自衛隊の存在が、戦争の抑止力となり、日本は、戦争を強いられる事は無かった・・・というのが、真実だ。 以前に紹介した朝日読者の投稿文だ・・・ 国益追求や自国のイデオロギーの浸透を目指して、しのぎを削る国際社会では、たとえ相手が戦争放棄をうたう国でも、必要と考えれば武力侵攻をすることは、ありうることだと思います。(朝日新聞声欄 無職 S 直人 (和歌山県 68歳) サッチャー元英首相は言った・・・ 「確かに戦争は悪です。しかし、その戦争によってもっと巨大な悪をストップせねばならぬこともあります。もし連合国がヒットラーをストップしなかったら今頃世界はどうなっていましたか」 「平和は貴いものです。しかし、自由はもっと貴いのです。独裁の中での平和よりも混乱の中での自由の方がはるかに人間的であると私は思います。 その自由のシステムが存亡の危機にあるとき、自由を愛し、自由の恩恵に浴している人間は立ち上がらねばなりません」 日本のリベラルたちは、(自衛隊反対)(安保反対)(沖縄基地反対)・・・と、中国や北朝鮮などの共産党一党独裁国(=全体主義)が、泣いて喜びそうなスローガンで、(運動?)してきた・・・これは、無責任だ・・・・と、何回も言ってきたが・・・間違っているだろうか?? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 北朝鮮、兵器実験批判に反発して、安倍首相を「白痴」呼ばわり 2019年11月8日 AFP 発信地:ソウル 【11月8日 AFP】北朝鮮は7日、同国が先週実施した兵器実験を非難した安倍晋三首相を「白痴」で「ならず者」と糾弾し、安倍氏は決して北朝鮮に足を踏み入れることはないとけん制した。 北朝鮮は実験を行ったのは「超大型多連装ロケット砲」だったと主張しているが、日本政府は国連(UN)制裁に違反する弾道ミサイルの可能性が高いとの見解を示していた。 北朝鮮外務省の宋日昊(ソン・イルホ)大使は、国営の朝鮮中央通信が伝えた談話でこれに反発し、安倍氏に対する激しい個人攻撃を展開。 安倍氏を「白痴、ならず者」と呼び、多連装ロケット砲とミサイルの違いが分からない同氏は「奇形児」で「低能児」だとこき下ろした。 日本は拉致問題をめぐり北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との日朝首脳会談の開催を目指しているが、同大使は「安倍は永遠に、平壌の敷居をまたぐ夢さえ見てはならない」と述べた。 北朝鮮では、国営メディアが毎日のように旧日本軍による侵略行為を強く非難している。 金委員長はここ数年でドナルド・トランプ米大統領、中国の習近平国家主席、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と会談しているが、北朝鮮は日本との接触にほとんど関心を示していない。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「狂犬は棒で殴り殺せ」 北朝鮮が突如バイデン氏を猛烈非難 2019年11月15日 AFP 発信地:ソウル 【11月15日 AFP】北朝鮮国営の朝鮮中央通信(KCNA)は14日付の論評で、ジョー・バイデン前米副大統領を「狂犬」と呼び、「手遅れになる前に棒で殴り殺さねばならない」などと猛烈な非難を展開した。 北朝鮮が批判に容赦ない文言を用いるのはよく知られているが、今回バイデン氏に浴びせられた罵詈(ばり)雑言は過去の例に照らしても異例なほどすさまじい。 朝鮮中央通信(KCNA)は、バイデン氏が「またしてもわれわれの最高の尊厳を冒涜(ぼうとく)する妄言を吐いた」と不快感を表明。同氏を「認知症末期症状」と決めつけ、「今やあの世へ行く時が来たようだ」とこき下ろした。 また、米国人も「眠りから覚めないバイデン」と馬鹿にしているとやゆしているが、これはドナルド・トランプ米大統領がバイデン氏を攻撃する際、「スリーピー・ジョー」と呼ぶことを指しているとみられる。 さらにKCNAは、「バイデンのような狂犬を生かしておけば、より多くの人々が被害を受ける」「手遅れになる前に棒で殴り殺さねばならない」と主張。「これは米国にとっても得になるだろう」と結んでいる。 KCNAの英語版は、バイデン氏の名前の綴りを終始「Baiden」と誤って記載している。 なぜ北朝鮮が突然バイデン氏への怒りを爆発させたのかは不明。ただ、バイデン氏陣営は今週公開した2020年米大統領選へ向けたキャンペーン広告で、トランプ大統領の外交政策について「同盟国を脇に押しやって独裁者や暴君を称賛している」と批判。 動画では、シンガポールでの米朝首脳会談でトランプ氏と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が握手する写真が「暴君」のナレーションに重ねて表示される。 (c)AFP
2019.11.17
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「ウソ」を反省しないリベラルたちに明日は無い!反論はあるだろうか?? 2019-9-25 (はんぺん) 6年前、新社会党の訪朝団が、北朝鮮を訪問して、その報告が、新社会党機関紙、「週刊・新社会」に掲載された。2013年11月19日付けの記事だ。 「北朝鮮の人民は、楽しく社会主義生活を楽しんでいる・・・無料の医療・教育・住宅は、生活に安心をもたらす」としている。 もう、この時期には、(うそつきの北朝鮮)は、多くの情報がもたらされる中で、多くの日本人が知っていたにもかかわらず・・・だ。高級幹部以上の特権階級にとっては、医療・教育・住宅は、確かに保障されているようだ。金王朝に忠誠を誓う彼らに取っては、確かに(地上の楽園)かもしれない。 (社会主義)と吠えるには、あまりにも極端な貧富の差、経済格差は、目を覆うばかりなのに、よくも平気で、独裁者を褒めたたえることができたものだ・・・ 僕は、新社会党員の友人に、この記事の切り抜きを突きつけて(これは、本当のことか?)と聞いてみた。さすがに、この友人は、即答できなかった。(一度、党中央に聞いてみる・・・)と言ったきり、その後、何の報告も無い!! これが、似非リベラルの真実の姿なのだから・・・あきれてしまう。今では、彼は出世して? 新社会党大阪の指導部の一員になっているようだ。 ネットと違って、いったん活字になったものは、削除することはできない・・・・良くも悪くもだ。いい加減な記事を書いて、国民を洗脳しないでほしいと願う。 社会主義が存在したころ、よく社会主義協会、社青同、労働大学などの訪ソ団、訪東独団が、組織され、バラ色の帰国報告が発表されたものだ。今では、歯の浮くような(社会主義の発展)(帝国主義を凌駕した)と、誉め言葉が羅列し、明日にでも、世界革命が起きるような妄想が、世界中に振りまかれたものだ。 自己批判は、きっちりされたのだろうか? 今の彼らを見ていると、(反省する勇気)を持てなかった彼らの転落、崩壊もむべなるかな・・・・と思う。 革新の(希望の星)であった美濃部革新東京都知事・・・自らを(社会主義者)だと言い切った彼は、在任中に、2回の北朝鮮訪問を終えて、(社会主義は、資本主義に勝った)と断言する。 (モノを見る目が無かった・・・)ということだが、新社会党も美濃部知事も、いったい何を見てきたのか?? ということだろう。 彼らの言動が、リベラルたちに、誤ったメッセージを発してしまったということだ。その罪は、限りなく大きいと言わざるを得ない。 こんな動画が、あった。参考に・・・平壌の高層ビルが本当に薄っぺらハリボテなのかグーグルアースでツアー組んでみた!https://www.youtube.com/watch?v=DztlUX-lzf4
2019.10.05
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はっきりさせておかなくてはならない・・・・・ 「捨て石」という表現は、適切ではないと思う・・・・日本のリベラルたちは、長い間、(地政学的な沖縄の宿命)について、見て見ぬふりをしてきた。 そして、犠牲にされた沖縄に同情と懺悔の気持ちを増幅させてきた。その結果、「沖縄米軍基地反対・即時撤去」というスローガンで、事足れり!としてきたのだろう。 それは、おかしいだろう・・・と、僕はブログで指摘している。 沖縄戦では、多くの県民が、無駄な死を強いられた。それは、戦争責任の問題として、僕は、強く意識する。 それと同時に、「沖縄の地政学的宿命」についても、強く意識する。前にこう書いた・・・ 沖縄の宿命、平和の無責任 (はんぺん)https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201708070003/ 敗戦必死の状況の中で、無能な戦争指導者たちによる終結の先延ばしのため、さらに多くの犠牲者が増えることになった・・・が、ヒロヒトをはじめとした戦争責任は、あいまいにされてしまう。 沖縄戦では、多くの県民が、無駄な死を強いられた。トップが無能である限り、市民の犠牲は、底知れない規模となる。そして、たいてい、指導者は、(責任逃れ)に終始する。 特攻兵たちに対して、「お前たちの後から、自分も必ず(行く)」とうそぶいた上官が、戦後も、ぬくぬくと生き続けた・・・それが、大日本帝国軍人の実態だった。 (本土を守るための「捨て石」にされ続けるのではないかという疑念と怒り)・・・これが、僕のいう「沖縄の地政学的宿命」がということだ。前に、こう書いた・・・「沖縄の地政学的宿命であり、耐え忍んでもらうしかないだろう。」 沖縄が今の位置に存在することが、問題のすべてだと思う。(清朝)と(島津藩)との狭間で、(攻めあがる米軍)と(帝国主義日本の軍隊)との狭間で、(共産中国)と(資本主義陣営)との狭間で、沖縄は苦闘してきたし、今後も苦闘することになる・・・それは、避けられない・・・ということだ。地政学的に、代替することの限界性は明らかだろう。もちろん、我々本土の人間には、できる限りの(支援)をする義務がある・・・ことは、言うまでもない。 (これまで沖縄が自ら提供した基地は一つもない。銃剣とブルドーザーで土地を奪っておきながら、また差し出せ、代替案を出せというのは理不尽だ。日本全体で負担してほしい―。)・・・「地政学的宿命」というのは、沖縄がそこに位置していることによる(運命)だ。基地を本土に肩代わりするには、限界がある。その限界というのは、(中国や北朝鮮などの)全体主義を封じ込めるための要(かなめ)の位置に無い本土での代替は、難しいということだ。 挑発と侵略・・・中国は、南シナ海(現在)で、ベトナムで(中越戦争)、朝鮮半島で(朝鮮戦争)で、繰り返してきた。今、東シナ海で、石油掘削などで、触手を伸ばしており、尖閣周辺にも領海侵犯を繰り返している。(沖縄も中国の領土だ・・・との主張があることはみなさん知っているね?) 日本全体で負担できるものとできないものがある・・・ということは、きちんと押さえておかなくては・・・正しい理解はできないと考える。 (今、沖縄のことは沖縄で決めようと保革のイデオロギーを超えた「オール沖縄」の流れができ)・・・・・安全保障の問題は、ローカルの民意での解決は、不可能ではないか? ローカルの利害が、日本全体の利害と衝突することは、これまでも何度もあったし、これからも、いくらでもあるだろう。悩ましいところだが、どちらを優先するかは、(日本全体の民意)に問うしかないように思える。ローカルの民意(地域エゴ)での判断が難しいのが、安全保障などの問題ではないか・・・ もちろん、充分な議論は、されるべきだ。ただ・・・以前、こう書いた。「民主主義は、全体主義には勝てないだろう・・・」議論を尽くすことが重要視されるために、結論を出せないこともあり、その間、全体主義国では、独裁者が(ツルの一声)で決定し、行動を起こす。 現実に、独裁国での素早い行動は、ヒトラーやソ連などの戦争や、南シナ海での中国の跋扈をみても明らかだろう。アメリカ軍が、フィリピンから引き上げると、素早く中国は動いたものだ。あれよあれよという間に、多くの小島に、軍事基地や飛行場を作って(実効支配)してしまった。もちろん、独裁者(周近平)が仕切ったわけだが、これが、民主主義国(たとえば日本)なら、こんな民意を無視した暴挙は、大問題になって・・・おそらく支持されないことだろう。やはり、ヒトラー、スターリン、習近平・・・かれら、独裁者を侮ってはならないと僕は思うのだ。 (保革のイデオロギーを超えた「オール沖縄」の流れ)というローカルの民意で、(国の将来に関わる)安全保障問題は、決められない・・・・というのが、僕の意見だ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――――沖縄戦終結70年。「捨て石」とし続けるのか(社説) 2015-6-23 中国新聞 沖縄戦で日本軍が組織的な戦闘を終えた日から、きょうで70年になる。太平洋戦争では国内最大の地上戦であり、わずか3カ月で日米双方の約20万人が命を失った。しかも、うち約9万4千人は沖縄の住民だった。 本土決戦を先延ばしにするための「捨て石作戦」とも呼ばれる。持久戦を強いられ、多くの住民が前線にさらされた。家族をも手にかけた「集団自決」の犠牲者は、少なくとも千人に上る。想像を絶する惨事を私たちは忘れてはなるまい。きょうの「慰霊の日」に無念の死を遂げた人々を悼みたい。 今なお、戦いの傷痕は癒えていない。日本軍や住民が逃げ込んだ洞窟「ガマ」の中からは、遺骨や遺品が掘り起こされている。老いた体験者の脳裏には、あの凄惨(せいさん)な光景がこびりつく。心的外傷後ストレス障害(PTSD)を引き起こし、いまだに眠れぬ夜が襲い掛かるという。 元ひめゆり学徒で、ひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長(86)も、当時の一部始終が目に焼き付く。「いっそ、殺してくれ」と負傷して苦しむ兵士を看護し、息絶えると死体をひきずって穴に放り込んだ。最後は自分たちもガマを追われ、銃弾が飛び交う山野をさまよう。島袋さんは切々と語る。「武器で国は守れるかもしれませんが、国民は守ってもらえない」 最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園できょう、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。翁長(おなが)雄志(たけし)知事は平和宣言で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する意向をあらためて示すとみられる。 もういいかげんにしてくれ―。そんな県民の思いを代弁するのだろう。沖縄戦は終わったのに、27年にわたって米国の統治下に置かれ、復帰から43年たった現在も「基地の島」から抜け出せない。 結局、本土を守るための「捨て石」にされ続けるのではないかという疑念と怒りが、70年を経た今も人々の胸から消えない。 民意を無視されていることも火に油を注ぐ。昨年は名護市長選、知事選、衆院選で全て辺野古移設反対派が勝った。しかし、政府は「辺野古が唯一の解決策」と繰り返すばかりで、基地用地埋め立てのボーリング調査を強行している。 追悼式に出席する安倍晋三首相は、翁長知事との会談を「公務のため」予定していないという。しかし、この日に沖縄の思いに耳を傾けずして、どうして対話が生まれるだろうか。 政府だけではなく、本土の私たちがどう考えるかもあらためて問われていよう。 翁長知事は、在日米軍基地の約74%が沖縄に集中している現実を、繰り返し訴えている。これまで沖縄が自ら提供した基地は一つもない。銃剣とブルドーザーで土地を奪っておきながら、また差し出せ、代替案を出せというのは理不尽だ。日本全体で負担してほしい―。 安全保障の負担を沖縄に押し付ける構図は、70年たっても変わっていない。このままでいいのだろうか。今、沖縄のことは沖縄で決めようと保革のイデオロギーを超えた「オール沖縄」の流れができ、「自己決定権」という言葉が注目を集めている。沖縄の民意をないがしろにする権利は、政府にも私たちにもない。 (2015年6月23日中国新聞朝刊掲載)
2019.09.30
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恥ずかしながら、僕も、この無責任な人間の一人だったことを、告白し、自己批判しなければならない・・・・ 要は、(偽物リベラル=2枚舌)の話なのである。 これだけ、いい加減な言説が、まかり通るいこと自体が、僕には、不思議で、不思議で仕方がない・・・・皆さんは、どうですか? 安部批判ばかりに、うつつを抜かしながら、北朝鮮や、中国の全体主義という、目の前の最大の脅威に対して、目をふさごうとする、そのいびつな思考を続ける新社会党やMDS(民主主義的社会主義運動)などに、僕は、脅威を覚えるのだ。 (この人たちの特徴。悪いのは全部米国。この思考回路は昔から一貫しています。この論理で北朝鮮の人権弾圧も米国の経済制裁のせいだと責任転嫁するんだから笑えません・・・) 悪いのは全部、安倍であり、アメリカ帝国主義だというパターンは、(一貫)している。何度も指摘してきたが、かれらの文書には、中国や北朝鮮の独裁批判が・・・まったくと言っていいほど出てこない!!! 彼らの文書を読んでいて、何か、別の世界に住んでいるような感覚に襲われる・・・これで、国民の支持を得ることなどは、ありえないだろう・・・と思うが・・・ 皆さんは、どうだろう。 (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 『韓国に自由と正義を!』と叫んだ人々は、北朝鮮にも同じ姿勢で対応すべきだ・・・アジアン・リポーターズ かつて韓国の軍事独裁(と左派が一方的に主張している)時代に、日本の人権派の皆さんは大変熱心に活動されておられました。 その一端を読み取れるのが『韓国に自由と正義を!―′81韓国民主化支援緊急世界大会 (1981年)』という著書。 色んな人の文章が載っていますが、編者である小田実氏の前書きがツッコミどころ満載で非常に笑えます。 『韓国に自由と正義を!―′81韓国民主化支援緊急世界大会 (1981年)』P1-5 はじめに 小田実 (簡単に言ってしまえば、「韓国民主化支援緊急世界大会」は、世界中の韓国民主化闘争の支援者たちが闘争の当事者たちとともに開いた「大会」だった。八一年五月一六日から一八日まで東京で開いた(一九日は、大衆集会で「大会」の成果を人々に伝えた。「大会」の事業として、一一日から二三日まで李應魯氏の絵画展、二〇日には尹伊桑、高橋悠治氏の音楽の演奏会が行われ、また、一二日から二五日までのあいだに、日本全国九ヵ所で成果報告の集会が開かれた)。日韓両国以外の二五ヵ国から「オブザーバー」を含めて五二名の参加者が来て、日韓両国の参加者とともに数えると五百余名が出席する大きな集会となった。文字通り「大会」と言ってよいものだろう。) 似たような大会が韓国でも開催されています。 しかし、韓国民主化運動に一生懸命活動されてた知識人たちはまず参加しない。 いやいや、不思議ですね。韓国の自由と正義のために闘っていた人たちこそ、北朝鮮の人権問題や脱北者と連携して、北朝鮮に自由と正義をもたらすよう頑張るべきなのにまずやらない。 意味が分からない。 (「大会」の目的は、およそ三つあった。一つは、まず、「呼びかけ」の一文の副題にあるように、韓国の現体制――全斗煥政権の実態をあきらかにすることだった。彼の「前任者」朴正煕政権の実態――それがどのようなひどい反民主主義の軍事独裁政権であったか、どんなふうに民主主義の実現を求める人びとの願いを踏みにじり、手ひどい人権弾圧の政治を行ったかは、すでに世界の誰の眼にもあきらかなことになっていた。) 「全斗煥政権の実態を明かにすること」を「金正恩政権の実態を明らかにすること」に置き換え、「朴正煕政権の実態・・・」のくだりを「金正日政権の実態」に置き換えればそのまま北朝鮮への文章としてそのまま通じます。 (しかし、朴政権以上の軍事独裁政権であると言われる全斗煥政権については、必ずしも実態があきらかにされていない――どころか、かえってそれが希望にみちあふれた民主主義的政権であるかのような宣伝が今強力に行われている。 あるいは、全斗煥政権は朴政権と違って「自主独立」の気概をもった民族主義的政権であるということになっていたりする。そしてまた、全斗煥政権は「南北統一」に向かって真剣に歩もうとする……。 三つともに実態とあまりにもかけ離れている。かけ離れているどころか、正反対だ。私たちは、まず、この実態をあきらかにしようとした。)・・・ 本当に笑えます。このセリフをそのまんま南北首脳会談後の南北融和ムードに対して言えば良いのに、なぜか言わない。 むしろ金正恩は結構良い奴論がはびこってます。 上述の文章を置き換えれば、金正恩政権は「自主独立の気概をもった民族主義的政権」で、「南北統一」に向かって真剣に歩もうとする、といった感じでしょうか。 金正恩政権の実態についても、数百人の幹部粛清と、高射砲で叔父を粉々にし、兄を暗殺し、サイバー空間で堂々と銀行強盗をするテロ集団なのに、プラグマティック(実利的)だとか、金正恩も馬鹿ではないとか、その手の評価が乱れ飛んでいます。 不思議なことに、全斗煥政権時に「その実態が知られていない」と批判していた人々が、上述のような金正恩擁護論を展開する。 もはや何かのコメディを見ている気になります。 (二つ目の目的は「呼びかけ」の一文の副題の第二番目のところにある。実態をあきらかにした上で、韓国民主化闘争に対して支援の叫びをあげ、彼らとのあいだに連帯をかたちづくることだった。「大会」に参加した人たちの国籍、民族、主義主張はさまざまだった。いわゆる「先進国」の人もいたし、第三世界の人もいた。それは「大会」に来た人には、人びとの皮膚の色の違いによってすぐ納得できたことだろうと思う。考え方の違いも、少し話してみれば判ったことかも知れない。 ただ、二つのことにおいて人びとは一致していたに違いない。一つは、まず、軍事独裁政権に対しての韓国の民衆の自由と正義の実現を求める闘いが、人間として当然の、まちがいのない行為であるということにおいての共通した認識だった。それから、その彼らの闘いを自分の問題として受けとめる世界の民衆の一人としての共感――そこでも人びとは同じであり、それゆえに彼らは韓国の民衆ともつながり、お互い同士もつながりあっていた。)・・・ 「実態をあきらかにした上で、韓国民主化闘争に対して支援の叫びをあげ、彼らとのあいだに連帯をかたちづくること」・・・ 良いこと言いますね。しかし、この人たちは北朝鮮に対しては同じ行動はまずしません。北の自由を求める脱北者たちと連帯すればいいのにそんな人はまぁいない。 「軍事独裁政権に対しての韓国の民衆の自由と正義の実現を求める闘いが、人間として当然の、まちがいのない行為であるということにおいての共通した認識」・・・・ 良いこと言いますね。しかし、この人たちは北朝鮮に対しては同じ行動はまずしません。自由と正義の実現が切実に必要なのは北朝鮮なのに、そのことには目を向けません。 北朝鮮政府に人権蹂躙の停止を核と並ぶ交渉案件にするのは「人間として当然の、間違いのない行為」だと思えるのですが、「ちゃんと金正恩言え!」という声はほとんど聞こえてきません。 この手の連中が人権を掲げてリベラルだと自称されても困惑するばかりです。 「その彼らの闘いを自分の問題として受けとめる世界の民衆の一人としての共感」するそうです。 良いこと言いますね。自分の問題として受け止め、共感するのであれば、脱北者支援なり、中国で人身売買される女性の人権のために何か行動してほしいのですが、この著書に登場する人たちがその手の行動や発言をするのはまずお目にかかりません。 やってることは日朝国交正常化と日朝友好。朴正煕政権や全斗煥政権相手に、日韓国交正常化や日韓友好を掲げて仲良くしようとすると、「それは独裁政権を支えて韓国国民の人権蹂躙に間接的に加担する行為だ!」と批判するのに、自分たちが北朝鮮に対して同じことをしている自覚はない。 衝撃の二重基準(ダブルスタンダード)です。 (三つ目の目的――全斗煥政権は、このところの「東西」の軍事緊張のなかにそのよりどころをおいている。その緊張をつくり出しているのは、どうあってもソビエトの脅威にかっこうな口実を見つけたアメリカ合州国の軍事力の増強と世界戦略の大きな展開だが(この世界戦略は、究極のところでアメリカ合州国を中心とした「西」側「先進国」の既得権、既得利権の維持、強化を目的とした第三世界戦略だ)、ここで息づいたのは全斗煥政権、あるいは、パキスタンのハク政権のような軍事独裁政権だ。 それが自分の利益にかなうものなら、どのような人権弾圧、反民主主義の政治にも眼をつむるというのがレーガン氏のやり口だが、そのレーガン氏のメガネにかなったのがまず全斗煥政権であったことは、彼が大統領就任後に最初に招いた外国の客が全斗煥氏であったことによく示されている。 アメリカ合州国の軍事力の増強、世界戦略の拡大、強化が軍事緊張をさらに増大させ、軍事緊張の増大が軍事力の増強、世界戦略の拡大、強化を促すという図はまさにイタチごっこだが、このイタチごっこで軍需の増加をテコとした経済はかつての繁栄を取り戻し、アメリカ合州国はかつての威信を取り戻す。)・・・ この人たちの特徴。悪いのは全部米国。この思考回路は昔から一貫しています。この論理で北朝鮮の人権弾圧も米国の経済制裁のせいだと責任転嫁するんだから笑えません。 米国のレーガン大統領を「自分の利益にかなうものなら、どのような人権弾圧、反民主主義の政治にも眼をつむるというのがレーガン氏のやり口」と批判していますが、同じ論理で中国の習近平を批判する声はまず聞こえない。 何年も大変素晴らしい勢いで軍事費を増強して軍拡を行っている中国や、自国民がどれだけ飢えようとも核兵器開発に大金を投じ続ける北朝鮮に対して、「緊張を作り出しているのは中国と北朝鮮だ」という批判はまずしない。 むしろ日本や米国、韓国が対抗して”しかたなく”国防費を増やそうとすると、「行きつくところは戦争だ」とか「戦前回帰だ」と言って、相手側の非は徹底無視。 ・・・・もう意味がわからない。 (そこらあたりがレーガン氏の思惑だとすれば、全斗煥氏の思惑も同じ程のイタチゴッコに基づくものだろう。彼の軍事独裁政権が強力な「同盟」国としてあることによって、朝鮮半島の軍事緊張は高まり、おかげで軍事独裁政権は心ゆくまで自らの政権の維持、強化をはかることができる。人権の弾圧など当然のことになって不思議はない。そして、結果として、軍事緊張はさらに高まり、さらにまた、それは軍事独裁政権の維持強化につながる。これはまさにイタチゴッコだ。)・・・・ 自分自身で核とミサイル発射で軍事的緊張を高め、その結果独裁体制を強化し、人権弾圧を当然のこととしてやり続けているのが北朝鮮なわけですが、全斗煥政権相手に独裁だと批判してきた人たちが、北朝鮮にはダンマリ。 ことごとくちゃぶ台返しされてきた、今までの六カ国協議などの対話路線と軍事威嚇の無限ループを「イタチゴッコ」と批判することもない。 (今の世界、まさにこのイタチゴッコの集積であるように思える。それは日本の軍事力増強、「安保体制」の拡大、強化を観ても判ることだろう。「西」側のイタチゴッコは「東」側のそれを招き、さらに大きくなって、世界全体のイタチゴッコを招く。それらイタチゴッコの集積のはてに、いったい何が待っているというのか。世界の破滅でなくてそれは何か。 この過程の中で世界全体が「軍事化」し「右傾化」しつつある。これは参加者すべてに共通した認識ではなかったかも知れない。ミッテラン社会党政権の出現を理由に。ヨーロッパからの参加者には、世界の「軍事化」「右傾化」への危惧の表明に対して自分はそうは思わないと言った人たちもいた。しかし、そうした人たちより、そんなふうな危惧を抱きながらこの「大会」にやって来た人の数は圧倒的に多かったように思える。 ことに、日本とアメリカ合州国という直接に全斗煥政権のうしろ楯となる政権をもつ二国の参加者に共通していたのはまさにその危惧だった。両国が今や強力に推進しつつある「軍事化」「右傾化」の政治路線が全斗煥政権を支えて韓国の民衆を苦しめることになるだけではない。それはいやおうなしに自分たち自身に立ちかえって来て、自分たち自身の上にのしかかってくる。そのことのありようのはてに世界戦争さえがある。こうした現状と未来の認識を共有するゆえに、「大会」のなかで日米両国の参加者のなかの有志はともに語りあって、これからの韓国の民主化にかかわっての、また、自分たち両国の民主主義にかかわっての行動の土台となる「日米共同宣言」まで出していた。 問題は、もちろん、日米両国の民衆だけにかかわることではない。世界の「軍事化」「右傾化」、戦争への道は、世界の民衆がともに手をとって何としてでも阻止しなければならないものだ。この「大会」をそのためのひとつの場としてあらしめたい――それは私自身をふくめて「大会」の組織者たちが願ったことだった。) 「日本の軍事力増強、「安保体制」の拡大、強化を観ても判る」、「世界全体が「軍事化」し「右傾化」しつつある」・・・ このセリフがいつも謎。北朝鮮ほどバリバリの右翼もいないと思えますし、世界全体の軍事化云々の前に、揺るぎない軍事最優先国家が北朝鮮です。しかし、常に悪いの日本であり米国であり、その二カ国にバックアップされる韓国保守政権。 文在寅政権の北の人権を無視した「体制の保証」や「平和共存」に「この政治路線が金正恩政権を支えて北朝鮮の民衆を苦しめることになる」とは誰も言わない。 81年に韓国民主化支援緊急世界大会に参加していた人々はどこの消えたのでしょうか? それら三つの目的の底に共通の基盤として「光州決起一周年」があった。 私は一九日の「大衆集会」の場で、これは現実的にも言えることだし、象徴的にも言えることだと前おきして、世界には、今、「光州決起」にかかわって二種類の人間がいると話した。ひとつが「光州決起」を忘れることができない、それがいやおうなしに自分に突き刺さってくる問題としてある人たちで、そういう人たちが「大会」に集まって来た人たちなら、もう一種類の人たちは全斗煥でありレーガン氏でありわが鈴木何某氏であるのだろう。すなわち、それらは「光州決起」を一日も早く忘れたい人たちだ。彼らは本当にそれがあたかもなかったことのようにして語る。そう語ることの上に彼らの政治を既成事実として急速にかたちづくろうとしている。 このセリフがそのままブーメランのように自分に返ってきているのに、北朝鮮への甘さは依然として維持する人々のなんと多いことか。 上述の文章をこれらの人たち用に置き換えれば、「ひとつが収容所で散っていった朝鮮同胞や北送同胞の無念を忘れることができない、それがいやおうなしに自分に突き刺さってくる問題としてある人たち」と言ったところでしょうか。 「もう一種類の人たちは全斗煥でありレーガン氏でありわが鈴木何某氏である」というセリフは、北の独裁体制維持に協力する韓国左派や中国共産党、ロシアなどに入れ替えられるでしょう。 (世界には、今、この二種類の人間がいて、むかいあっている。いや、一方は他方を全力をあげて押しつぶそうとしている。他方が黙っていていいのか。)・・・ これはまさに脱北者を黙らせようとする面々のことですね。南北融和に水を差すなと黙らせようとする文政権とその支持層。 自分たちがさんざん批判した相手と同じことを弱者に対してやるのが日韓リベラルの危険な傾向です。 (その黙っていられない他方の人びとが集まったのがこの「大会」――「韓国民主化支援緊急世界大会」だった。人びとの中には「先進国」の人間もあり、第三世界の人間もあったことはさきに書いた。別の分け方をしてみてもよい。韓国問題にこれまでかかわってきた人たちもいれば、自分の国の民主化、解放に懸命の努力をしてきた人たちもいた。既成の政党に属する人たちもいたし、そういう「正統」派の政治活動から離れて自分独自の運動を形成している人たちもいた。違いは千差万別。それは外国からの参加者の名簿にあきらかな通りだ。それにもかかわらず、共通していたこと――それはすでにこの小文の中で書いてきた。その共通していたことの上に、この「大会」は開かれた。)・・・・ 全斗煥政権を支えようとするレーガンや鈴木善幸に黙っていられない人々が集まって開催されたのが「韓国民主化支援緊急世界大会」なのなら、文在寅の融和路線が北の独裁体制維持に利用されることを恐れて黙っていられない人々が集まって開催されたのが「第15回北朝鮮自由週間開幕式」に集まった人々でしょう。 「韓国に自由と正義を!」と叫んできた人々こそが、こういった集まりに積極的に参加すべきはずが、やっていることは逆。 さんざん理想を追求して日本政府や韓国政府を突き上げてきたのに、北にはダンマリ。もうどうしようもない。 こういうとすぐ「じゃあ戦争になってもいいのか!」と極論を言って反論を封殺しようとします。本当にタチが悪い。 別に難しいことなど何もありません。核放棄に対する圧力と同じだけの情熱で収容所閉鎖や連座制・密告制といった圧政の停止を求めればよいだけ。韓国政府にやったことと同じことをやればいいんですよ。なぜやらないのか? 本物の独裁の前では、急に理想を引っ込めて「現実論」に逃げる。 こういう二重基準こそが、「リベラル=うさんくさい」と思われる根本原因です。 今からでも遅くない。これらの人びとにはあなた方が大事にしている「自由・人権・正義」を北朝鮮に求めてほしいと思います。 それにしても韓国民主化活動家たちの著書を読めば読むほど、なぜ北朝鮮には擁護的なのか理解不能です。 これが従北でなくて何なのか?と言いたくなります。 いい加減、このような姿勢は改めてほしいと願うばかりです。
2019.08.23
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「やってはいけないことを全部やったのが民主党」 2019-8-10 (はんぺん) (「悪夢のような民主党政権」に戻さないためにも、自民党を勝たせてください・・・) 参院選挙で、安倍首相が、街頭演説で、頻繁に用いたフレーズだ。これに対する批判も多いことは知っている。具体的に、民主党政権の(どの政策が、間違っていたのか)を、政治家であるならば、しっかり語るべきであった。 2009年夏の衆院選の結果、民主党は、絶対安定多数を超える308議席を確保して、政権交代をついに実現した。多くの国民の期待を集めた結果であったが、果たして、当の民主党のリーダーたちは、自分たちの責任の重大さを どこまで認識していたのか・・・・後になって、次々とボロが、はげ落ちていく。 3,000万票近く得た比例区の得票に、しっかり応えることは・・・ついぞ無かった。 (民主党政権が)経験不足であった・・・というのは、誰にでも、わかる。しかも、村山(自社さ政権)の時の阪神大震災、菅直人(民主党政権)時代に起きた東日本大震災・・・・と、偶然とはいえ、不幸なタイミングで、天災が発生した。リベラル側にとっては、不運な面もあった。 しかし、責任転嫁の出来ない失点を、何度も重ねたのも事実である。その原因は、政治家としての資質に見合うリーダーの不在に尽きる・・・・と僕は思っている。 尖閣諸島中国漁船衝突事件では、それが、露骨に表れて、国民の憤激を買ってしまった。原則のない政治に国民は、失望し、国民から見捨てられたのだ。 中国漁船衝突事件では逮捕した船長をあっさり釈放。なし崩しの「弱腰」に、多くの日本人は、びっくりしたし、呆れてしまった。 そもそも、民主党政権時代、海自艦艇は尖閣から112キロ内の海域に入ることを自制してきた・・・ということらしい。 そういう(配慮)が、平和願望とは反対に、緊張を高めてしまう原因にもなっている。 そう、何度も言うように、戦争や紛争は、独りで起きるものではない。相手があるから、起きるのであり・・・こちらが(平和憲法)を持っていようが、(武力を放棄)していようが、侵略しようとする相手側に、とっては、どうでも良いことなのだから。 「無防備都市宣言」運動というのがある。現実を無視した夢想・妄想の類(たぐい)だと思うが、能天気な(絶対的平和主義者)や(9条真理教)のリベラルたちにのみ、受け入れられる素地はあるようだ。 辞任直前の菅直人総理(当時)は、朝鮮学校の高校授業料の無償化適用について審査を再開するよう高木文部科学相(当時)に指示した・・・ 前に発信したが覚えておられるだろうか?あの美濃部革新都知事の悪夢がよみがえる・・・ (参考) 【朝鮮大学校 60年の闇(中)】美濃部亮吉都知事が「援護射撃」 慎重論押し切り学校認可 金日成氏への“手土産” 2016-5-7 産経新聞 https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201908120004/ 国民とに乖離が拡大する中で、凋落が顕著になっていった。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――― (参考) これは、民主党のホームページだ。2012年の総選挙で、大敗して下野したときのモノだ。民主党広報委員会がアップしている・・・ 「やってはいけないことを全部やったのが民主党」曽根泰教慶大教授を招き勉強会 2013年02月19日 民主党は19日、慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科の曽根泰教教授を招き、「民主党再生の課題」と題して党改革創生本部(本部長・海江田万里代表)の第2回勉強会を開いた。 曽根教授は2009年と12年の総選挙結果を比較して、民主党が2千万減らして大敗し、自民党が得票を減らしたものの地滑り的勝利を収めたことから、民主党を新聞に例えて「定期購読の固定客が少ない駅売りのスポーツ新聞や夕刊紙型の政党」だと分析、「自分の党に入れてくれた人、一度でもウェブサイトなどを訪れた人をしっかりつなぎ止めるデータベースマーケティングができていない」などと指摘した。 2009年マニフェストについては「成長経済が終わり、パイの分配どころか負担の分配が必要なときに、『バラマキ』型のマニフェストを掲げて一時的に票を稼いで政権交代を果たしたものの、やはり財源はなかった」「政権交代を果たしたら、まずマニフェスト政策を予算事項と法律事項に分けて、過去の政権の政策レビューも行い、利用可能な資源・財源がどれだけあるかを精査してから具体的な政策の実行に移るべきだった」などと述べた。 「2009年の総選挙の際に民主党が政権を取ったらやってはいけないことをずいぶんアドバイスしたつもりだが、それを全部やったのが民主党だった」と曽根教授は評価。「民主党は今回の総選挙で大負けしないで済む負け方の工夫の余地もあったが、それにも失敗した」と話を締めくくった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― (参考・・・・Weblio辞書から) https://www.weblio.jp/content/%E7%84%A1%E9%98%B2%E5%82%99%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%AE%A3%E8%A8%80 【無防備都市宣言】(むぼうびとしせんげん)・・・ ジュネーブ条約追加議定書で認められた戦時の降伏手続きの一つ。 正確には「無防備地区宣言」と呼ばれる。過疎地であろうと無人の荒野であろうと宣言は可能。 この宣言が行われた「無防備地域」は、相手国による占領が無条件で受け入れられる。 この宣言に反して無防備地域に軍備を置く事は、「虚偽の降伏」として戦争犯罪に問われる。 特定地域の戦災被害を避けたい場合や、防衛不可能と判断した地域を見捨てて撤退する場合に宣言される。 とはいえ、相手国側に罰則規定はなく、敵戦力が潜伏しているものと疑って攻撃を仕掛けても構わない。 また、この宣言で多少なりとも抑止されるのは都市・地域への直接的な攻撃のみである。 相手国が占領を行った時点で宣言は完了し、その後に当該地域へ軍事力を展開する事は制限しない。 また、無防備地域に対する敵の進駐を確認した後に奪還作戦を実行する事も制限しない。 総体的に言って、無防備都市宣言に戦争での流血量を減らす効果はない。一時的に戦力が温存されるのみである。 敵の戦力を温存させたまま領土を失うのであるから、最終的には味方により多くの苦難を強いるのみの結果になりやすい。 極端な話、たった数人規模の歩兵にすら無条件降伏する事になる。 しかも、占領された後に虐殺や略奪が起きたところで相手に抗議が受け入れられるはずはなく、助けを呼ぶ事もできない。 しかし、敵軍を無条件で受け入れると言う事はそういう事態が発生することを承知しているとみなされても仕方がない。 もちろん適切な戦略に基づいて行われた場合には例外もあるが、戦争において流血を企図しない戦略は有り得ない。
2019.08.19
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なんとピント外れなコメントだろう。あきれてしまった。 だいたい、共産党も含めた「リベラル」は、この程度のものかもしれない。 「憲法9条の精神に立って」と言っても、相手が、挑発してくるときに、見て見ぬ振りも無いだろうに! 万が一に備えた万全の体制を整えたうえで、そうならないように、何をするかを語るべきだった・・・違うだろうか? そう・・・訴えるべきは、(抑止力の万全の確保と、経済制裁の強化)だろう・・・・ こんな時に「憲法9条」を持ち出しても、北朝鮮にとっては、(屁のツッパリにもならない)ことは、火を見るよりも明らかだ!! 共産党は、いつから、こんな(過ち)を平気で言うようになったのか? こんな自称リベラルが、国民の生命とくらしを守ってくれるとは・・・思えない!? そもそも、「(米朝間の)平和プロセスが前進するよう、積極的にコミットしていくことが必要だ」 とは、どうすれば良いのだろうか? 何をせよと言いたいのだろうか? まったく、見えてこないし、教えてほしい。 僕は、それは、「経済制裁」しかない・・・と言ったきた。 「問題解決の道は対話と交渉の継続以外にない。いかなる軍事的挑発行為も厳しく自制すべきだ」 は、当たり前のことだ。 だから、戦争のならないように、「経済制裁」で、核ミサイル開発資金を枯渇させようと言っているのだが・・・これが、リベラルたちには、わからない・・・ 実利のある「対話と交渉の継続」のためには、経済制裁が最善の方法だろう。ほかに、どんな(知恵)が、あるのか?教えてほしいものだ・・・・ 先日の米朝交渉では、独裁者・金ジョンウンには、非核化を実施する様子が見られなかったがゆえに、さらに国連を挙げての一致した経済制裁により、軍資金を枯渇させることが、戦争回避のためにも、重要だと思うが・・・。 そもそも、日本に「憲法9条」が、有ろうと無かろうと、挑発し、攻め込もうとする側にとっては、どうでも良いことだ。 (諸国民の公正と信義)が、あるというなら、ともかく、現実認識では、あり得ない・・・ 違うだろうか? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 「9条の精神で」 北の飛翔体発射で共産・笠井氏 2019-5-10 産経新聞 共産党の笠井亮政策委員長は10日の記者会見で、北朝鮮が相次いで飛翔(ひしょう)体を発射したことについて、日本政府に対し「憲法9条の精神に立って、日朝平壌宣言を基礎に(米朝間の)平和プロセスが前進するよう、積極的にコミットしていくことが必要だ」と要求した。 「問題解決の道は対話と交渉の継続以外にない。いかなる軍事的挑発行為も厳しく自制すべきだ」とも述べた。
2019.05.11
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下記に引用したのは、典型的なリベラルの方のブログだ。戦争反対、反天皇制(たぶん)などで、僕と考え方が一致する。 社会主義とか資本主義・・・とかが、入ってこなくても、戦争は、誰も好まないし、繰り返してはならない・・・というのは、誰も否定のしようが無い・・・・ 問題なのは、戦争が如何に残酷であれ、凄惨なモノであれ、こちらの、そのような認識を許さない現実を前にしたときに、あなたなら、どうするのだろうか? ということだ。すべては、これに尽きる。 朝日や毎日の社説や記事などでは、多くの「戦争はイヤだ」「戦争の無い平和な世界を・・・」といったパターンの記載が多いが、僕は、ずっと違和感を感じ、言い続けてきた・・・これだけの記述で終わってしまって良いのだろうか? と。 こちらの願望(=戦争はイヤだ)を、相手(敵)が斟酌してくれて、平和的な話し合いなどで事態が推移すれば、これほど素晴らしい事は無い・・・これは、僕も断言できる。 問題は、そうでない場合・・・相手が、こちらの事情などを無視して、一方的に攻撃(=侵略)してくる場合、我々は、どうするべきなのか・・?という、古くから問われている状況に、リベラルたちは、答えることができなかったのだ。 悲しいことに、これが・・・永遠と続いている・・・・・ 以前に、こう書いた。 当たり前の意ことだが、戦争というものは、一人でするものではない。 相手が、必ずあるわけで、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」相手が、武力を使わないで、平和的に話し合いができるのであれば、まったく問題はない。 しかし、相手が、その話し合いを拒み続け武力を使って戦争行為を仕掛けてくる場合、どのように対処するのか・・・となると、 ①それでも、侵略されても武力的抵抗はしない。 ②自衛のための戦争行為で、抵抗する。 この2方法しかない。 非武装中立(昔の社会党)の立場は、①であろう。歴代自民党の立場は、②であろう。 今回の集団安保が出てきた背景は、東アジアの情勢(力関係)の変化だ。 50年~70年当時とは、様変わりの状況が、目の前にある。「見て見ぬ振り」をする一部のサヨクの人たちは、それを、認めようとしないが、 中国や北朝鮮は、「核弾頭」を保有し、急速に軍事力を強化し続けている。 両国とも軍事独裁国であり、(話のなかなか通じない)国であり、それらの変化が、東アジアの平和と安全にとっての不安定要因になっているという状況だ。 「話がなかなか通じない」相手を交渉(話し合い)の場につけさせて、平和的な話し合いをするためには、一定の力関係を背景にしてのみ(!)可能であるということだ。 核弾頭を保有しない日本が、日米同盟によって、抑止力を確保して、交渉(話し合い)に持ち込むことが、初めて可能になると思う。 これは、今でも有効だ。またこうも書いた。 「平和憲法」があるから、「第9条」があるから、戦後の日本は、戦争に巻き込まれないですんだ・・・・という認識は、間違いだと以前にも書いた。 一時、「この素晴らしい第9条を世界に広げよう」という(気持ちの良い)スローガンもあったが、現実世界の動きから見ると、「何を寝ぼけたことを・・・」となる。 (戦争反対)を100万回叫んでも、戦争は無くならない・・・何をすべきかを考えるべきだ・・・と言ってきた。「平和を勝ち取る」ために、何をすれば良いのか? 自衛権、自衛隊、安保法制・・・に正面から向き合わずして「平和」を語る事なかれ・・・ 自衛隊、安保体制は、重要な抑止力として、(残念ながら)絶対必要なものだ。 現実から、目を背けてはならない・・・といつも思う。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――― 残酷な戦場見ない改憲論は観念的(19日の日記) (1) 2018年09月19日 より良い明日をめざして(ブログ) 中央公論から「日本軍兵士」(中公新書)を出版した一橋大学大学院特任教授の吉田裕氏は、8月12日の「しんぶん赤旗」日曜版で、73年前の戦争がどのようなものだったのか、次のように語っています; 8月15日はアジア・太平洋戦争が終結した日です。今年で73年。日中戦争期を含む日本人の戦没者数は310万人に上りました。うち軍人・軍属は230万人。その一つ一つの「死の現場」について文献を読み解き、明らかにした吉田裕(ゆたか)・一橋大学大学院特任教授に、戦場の現実について聞きました。 <本吉真希記者> ――吉田さんは昨年末、『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)を出し、発行部数は14万部を超えました。 近年、日本軍を礼賛する本が目立ちます。 ”戦争”が消費の対象になることはこれまでもありました。1960年代の週刊少年漫画は戦記もので一色でした。その後、非現実的な「架空戦記」が小説やゲームでブームになりました。 ただ、少年漫画にはあまり人殺しの場面はないし、架空戦記には日本軍のレイプなど戦場の暗部を描くものもあるなど、単純ではありませんでした。 ところがいまの礼賛ものは、日本軍の賛美に終始しています。 全戦没者310万人のうち推定9割が戦争末期の44年以降、わずか1年間で亡くなっています。 『日本軍兵士』を読んで初めてその事実を知ったという反応がかなりあり、戦場体験が継承されていないのではないかとショックを受けました。 生身の人間が殺し殺される戦場の残酷さに目を向けなければ、自衛隊の海外派兵で何が起こり得るのかを想像する力は持てません。戦場の現実を前提にしないと、9条改憲をめぐる議論も非常に観念的になります。 俳人であり、元兵士の金子兜太さんが繰り返し強調した「死の現場」を直視する必要があります。 ◆戦争栄養失調症 ――戦場での日本軍兵士たちの死はどういうものだったのでしょう。 第一に、異常に多いのは戦病死者です。戦争が長期化するにしたがって増大しました。中国に駐屯したある歩兵連隊の部隊史を見ると、44年以降の戦病死者はこの時期の戦没者の73・5%にもなります。 その多くを占めるのが餓死です。 軍人・軍属の戦没者230万人のうち、栄養失調による餓死者と、栄養失調に伴う体力消耗の結果、マラリアなどに感染して病死した広義の餓死者の合計は61%=140万人に達すると推定されています。(藤原彰著『餓死した英霊たち』) 第二に、極度の痩せや食欲不振、貧血、慢性の下痢になる兵士が多発しました。それらは栄養不足や戦闘による心身の疲労など、戦場の過酷さに起因するものです。日中戦争初期から「戦争栄養失調症」として知られていました。 第三に、戦局の悪化に比例して精神病患者は増大しました。とくに44年は前年の倍以上に跳ね上かっています。 兵士の損耗を補充するため、日本の軍隊内には「弱兵」や「老兵」が急速に増えました。これに対し米軍の戦力は飛躍的に上がり、一方的な殺りくが展開されました。戦場そのものが凄惨(せいさん)になるにつれて、精神的に病む兵士が増えていくのです。 このような「戦争神経症」は日本でも近年、研究が進みつつあります。イラクやアフガニスタンから帰ってきた自衛隊員の自殺など、実際問題として対応せざるを得なくなっているからです。 ◆限界こえた戦線 ――戦闘以外の死を多数生んだ原因は何でしょう。 日本軍は国力の限界を超えて戦線を拡大し、その上、作戦至上主義で補給や衛生を一貫して軽視しました。 大量の餓死者を出した最大の原因は、制海・制空権の喪失によって日本軍の補給路が完全に寸断され、深刻な食糧不足が発生したからです。 他にも、輸送船の沈没に伴う海没死者は35万8千人に上りました。 過酷な行軍や絶望的な戦闘、厳しい軍隊内の私的制裁に生きる意志を失ったり、捕虜になることを恐れたりして自殺した兵士がかなりいました。 日本は傷病兵に関するジュネーブ条約を35年に公布し、傷病兵が捕虜になることを一度は容認しました。ところが41年に出された戦陣訓は、捕虜になることを事実上禁じました。その結果、自殺者が確実に増えました。 戦場では歯磨きをする余裕さえなく、虫歯を持つ将兵が増大しました。深刻な凍傷や水虫もまん延しました。水浸しの軍靴を履き続けたためです。 歩兵の場合は、体重の50%を超える装備を身につけて行軍しました。自分の体重に近い量を背負った兵士もいました。その負担がどれだけ過酷か、想像してほしい。 こうした日本軍の極端な人命軽視の体質が、多くの日本人の死者を生み、さらにはアジアの2千万人の命を犠牲にしたのです。 2018年8月12日・19日合併号「しんぶん赤旗」日曜版 31ページ「残酷な戦場見ない改憲論は観念的」から引用 この記事で、吉田裕氏は「戦争体験が継承されていないのではないかとショックを受けた」などと言ってますが、わが国の学識経験者として少し認識が不足ではないかと思います。 戦後の日本政府は概して戦争に対する反省が乏しく、共産党議員から「日中戦争は侵略戦争であったことを認めるか」と質問されて「いかなる戦争であったかは将来の歴史学者の判断に委ねる」などと誤魔化してきており、学校教育の歴史の授業なども「かつて戦争がありました」程度の話でさらりと過ぎてしまうような実態ですから、その程度の教育しか受けていない者が社会に出て、たまたま夏に靖国神社の脇を通りかかって「あれはアジアの植民地を解放する聖戦だった」などというデタラメの宣伝にコロリと騙されて「なるほど、そうだったのか」と、虚構の愛国心に絡め取られることになるわけです。 わが国政府も、外に向かっては「慰安婦の悲劇を二度と繰り返さないように、歴史研究や教育の場を通じて後世に伝えていきます」などと当然の態度表明をしてはいるものの、いまだ実現してはいません。吉田氏の著作がもっと多くの国民に読まれて、正しい歴史認識が普及することを祈るばかりです。
2018.09.22
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8月15日を迎えて・・・ 2018-8-15 (はんぺん) 「戦争反反対」「戦争はこりごり・・」という国民の体験談は貴重だ。戦争の実相を学ぶこと、戦争を理解するためには、大切にするべきだ・・・と言ってきた。 しかし、「戦争反対」=「非戦」「非武装中立」・・・・というのは、どうだろうか? これは、短絡的結論だと思うのだ。誤解を恐れずに言うと、正しくない。 なぜか? 何度も言うように、戦争には、必ず相手があるからだ。相手(=敵)の無い戦争などは、あり得ない。「戦争反対」は、こちら側の一方的な願望であり、相手の側が、それに正しく応じてくれれば、これほど、素晴らしい事は無い・・・が、悲しいことは、いつも、そうなるとは限らない。 民族主義やナショナリズム、排外主義に扇動されたに相手(敵)が、こちらの願望を無視して、攻め込んでくることが、これまで、いくらでもあった・・・というか、(歴史から学ぶ)ならば、そちらのほうが多かったということだ。 相手のある戦争について、相手の行為を考慮せずに、こちら側の一方的な(戦争反対という)願望だけで、(戦争反対→自衛隊反対→安保反対)という、間違いを、戦後リベラルたちは、犯してしまった。 日本社会党では、「非武装中立」という「方針!」が、国民の素直な反戦気分に支えられて、深い検証も無しに、長期間、継続されてきた。自衛権についてのあいまいな姿勢に終始せざるを得ず、(自衛権を認めると自衛隊を認めることになる)、激変する東アジア情勢に対応できないで、今に至る。 結果として、北朝鮮や、中国の先軍政治や覇権主義・軍国主義を前にして、「話し合いで・・・」「国連で・・・」というばかり。 リベラルの戦後の凋落は、安易に、国民の「戦争は、もうこりごり」という正しい反戦意識を、一面的に捉えて、正しい方針を提起できなかった・・・結果である。 「平和憲法」が、戦後、長きにわたって変わらなかったことが、「憲法」の「先進性」を示している・・・と誇る向きもあるが・・・そうだろうか? 「平和憲法」の限界性は、以前から指摘されている。社会が激変しているのに、憲法が変わらないこと自体が、「異常」なのではないか? 目まぐるしく変わる社会に対応して、「憲法」も変わるべきだ・・・と言う考え方が、むしろ自然ではないだろうか? 無理な考え方は、いつか破綻する。 それが、今、リベラルの凋落を結果しているように、僕には思えるのだ。 リベラルの集会やデモ行動から遠のいて久しい。「自衛隊反対」「安保反対」という無責任な方針は、受け入れられないからだ。 緊張する東アジア情勢の中では、残念なことだが、自衛隊や安保体制は、抑止力を確保するためには、絶対に必要だ。(ここまでは、東西冷戦構造の延長になるだろう。) 冷戦は、社会主義ソ連が墓穴を掘って?(社会主義・共産党独裁の必然的結果?)、(幸いにも)「崩壊」してくれた。 現行世界は、どうだろう・・・14億中国や、歯止めの効かない北朝鮮を前にして、軍事的パワーバランス(抑止力)を確保するために、今後、莫大な税金が使われることになる。 これは、東西冷戦と同じ構造で・・・人類は、一触即発の破滅的危機を迎える可能性があることは、確かだ。 そこで、50~60年前と同じ議論が繰り返されることになる・・・すなわち、非軍事を貫いて、専制国家の侵略を許し、彼らの(奴隷)に甘んじるか、果てしの無い軍備競争を続け、いつか?訪れるであろう第3次大戦(世界の破滅)を黙認するか? の選択だ。 僕には、わからない・・・僕たちの消え去った後の地球のことになるが・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.08.17
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「戦争と平和」の問題は、日本のリベラルには、荷が重すぎたのかもしれない。 2018-4-18 (はんぺん) 東京裁判が、(勝者の、勝者による、勝者のための裁判)であったことを ウヨク保守主義者たちが、しばしば指摘しているが、これは、一つの真実だろう。 ハンナ・アーレントは、国際法上に於ける「平和に対する罪」に明確な定義がないことを指摘し、ソ連によるカティンの森事件や、アメリカによる広島・長崎への原爆投下が裁かれないことを批判している。 「ヒロヒト昭和天皇」や「731部隊の人体実験」などの扱いを見ても、「連合軍司令官マッカーサーによる(勝者)による裁判」でも(!)あったことは、間違いない。 そもそも戦争終結の後に、実施される戦犯裁判で、「公平な裁判」を期待することは、まったく現実的ではないだろう。 「勝者による裁判」を受け入れること自体、仕方のないことだったのだ。 戦争責任については、様々な側面から考察されていて、多くの書物が著わされている。これからも 論争が続くだろう。 が、どんな理由をつけようとも、ウヨク達の一面的な自虐史観批判には、僕は与しない。あまりにも、偏見と独断、非科学的な見方をしている。 裁判と同じ時期に、抱き合わせのような形で進められた「新憲法」作成。その中で、日本国民は、軍国主義批判と平和主義、民主主義と人権保障の大切さを知ることになる。「天皇」条項などの不十分点を含みながらも、新憲法は、戦後日本の再興の出発点になったのは、総体として幸せな事だった。これは、間違いないと思う。 ただ、そこには、不幸の種を内包していたようだ。平和の尊さは言うまでもなく、戦争反対は、一般的には正しいが、「平和主義の絶対化=非武装の絶対化」に、はまり込んでしまったのが、戦後リベラルの大失敗だった。 結果としての「自衛権」の否定、非武装中立論だった。どんどん現実世界から遊離していく中、「反省する勇気」の無いリーダーが、顧みず、笛を吹いた。 「戦争と平和」の問題は、日本のリベラルには、荷が重すぎたのかもしれない。「平和は、与えられるものでは無い、自ら勝ち取るべきもの」というのは、正しいが、「勝ち取るために何をするべきなのか?」と言う段になると・・・そこで立ち止まってしまったように、僕には思える。 ただ「平和を」「平和を」と叫んで、デモや集会を繰り返す「運動」に、すり換えられていったように見えるのだ。僕的に言えば、60年安保闘争、70年安保や、全世界的なベトナム反戦運動などの大衆行動の一大高揚に幻惑されてしまったのでは、ないだろうか? 誤解の無いように・・・・ 大衆行動の意義を否定しているのではなく、より積極的に、果敢に展開することは、重要だと今でも思う。 しかし、時代は大きく変わった。兵器の破壊力は未曽有の発展を遂げた。モノの見方を大きく変える必要があった。にもかかわらず、「平和を」「平和を」と叫んで良し・・・とするリベラルに、国民の支持をつなぎとめることはできない。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.05.01
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予断と偏見、「思い込み」が、人類を終末に導く・・・ 2018-3-30 (はんぺん) 前回、取り上げた元朝日新聞編集員の松井やより氏について、もう一度、考えてみたい。 僕は、彼女のことは、全く知らない。しかし、想像はできる!! 学生運動時代に、彼女のような「思い込み人間」を多く見てきたからだ。 彼らは、一様に「疑ってみる!」ことをしない。上部!から、注入されたことを信じ込む。それは、宗教的魔力で・・・まさに、「洗脳」の世界になる。 宣伝扇動で、「慰安婦は強制連行された」「日本軍は、残酷な加害者だ」・・・と刷り込まれたことについて、一瞬でも疑わない・・・そういう人間が、大量に量産されたのだ。かく言う僕自身が、そうであったのだ。 組織の中にいると、疑問があっても「見て見ぬ振り」をしてでも、組織の決定に従うべきだ・・・という考えが圧倒する。そこからは、自由なモノの考え方は停止する。 僕が、この新社会党の友人に何度も言ったことは、「一度組織を離れて、客観的に自分たちの運動を見つめる事、組織以外の様々な意見にも耳を傾ける努力をすること」が大切ではないか・・・と。その努力の中でこそ、初めて自分たちの運動の欠点、限界が見えてくるものだ・・・・と。 僕は、2度、組織と距離を置いて、客観的なものの見方を得る機会を得た。そして洗脳から逃れることができた。幸いと言うほかなかったのだ。 松井やより氏が、新聞記者と言う大きな影響力を持つ仕事に着きながら、(裏付け記事)でなく、「思い込み記事」を連発したのは、なぜか・・・・?? 予断と偏見、「思い込み」のもと、都合の悪い情報を自ら(みずから)拒否(放棄)して、都合の良い情報ばかりに目を奪われる・・・そう、戦後の進歩的リベラルが、陥ったのと、全く同じ過ちそのものであった。 それは、僕が、結党時に一時、支援したことのある新社会党の姿とオーバーラップしてくる。 新社会党は、旧社会党が解体された時に、左派(正義感溢れる真面目な党員が多いように感じた)の一部が結集して作られたが、「社会主義」に対する「思い込み」の激しいグループでもあった。慎重討議の要求を抑えて「社会主義綱領」を早々に作り上げてしまったのは、向坂派の強い意向があったのは間違いない。すでに、その時点から、限界は、見えていたということだろう。 北朝鮮の軍拡や人権問題をまったく批判しない、その教条的姿勢の故、次第に僕は、失望して、支援の手を控えることになっていく。 新社会党員で、僕の友人であるM氏をよく思い浮かべる。「疑ってみる!」ということをしない彼らは、(社会主義)と言う言葉に酔いしれて、宗教的信心の世界を浮遊しているようだった・・・ちょうど、あのオウム真理教のエリート幹部たちのように・・・「疑うこと」を拒否し続けているのだ・・・ ハンナ・アーレントは、「疑うことをしない」平凡な人間が、悪魔の所業をなしえた・・・として、アイヒマンを分析した。アイヒマンは、ナチに洗脳されたが、「疑うこと=最も困難で、人間的なこと」をネグレクトして、(楽な道)を選んだのだ。 僕は、新社会党の友人に・・・楽な道を拒否せよ・・・と言い続けてきた。 「自分たちの主張と「合う」情報に取り囲まれたら、楽で良いですよね。しかし、それでは、進歩がありませんよ。 自分たちだけで「運動」しているつもりになっても、進歩は、ありません。 新社会党の現状が、それを、ありありと示しています。 Mさんたちは、その活動の中で「兵隊」となることで、「楽な人生」を選択しているように思います。会議に出席したり、街頭でビラを蒔いたり、韓国に出かけたり・・・・肉体的には、しんどいかもしれないが、「楽ちん」な生活です。 「問題提起」されて、答えられないのは・・・辛いし、出来れば、避けたい・・・・しかし、それでは、自分がダメになる! それでは、自身の人生に後悔ばかりが残ることになります。」(Mさんへのメールだ) ・・・というわけだ。 松井やより氏は、僕とは同世代で・・・(かっての僕)でもあった。 僕は、松井やより氏を知らない・・・が、彼女の「運動」への「影響力」は、僕とは比べ物にならないぐらい大きなものであったことは、間違いないだろう。 彼女と僕の違いは、「疑がってみる」ことを真剣に追求したかどうか・・・だったように思える。予断と偏見、「思い込み」で、彼女は最後まで行動した・・・宗教家のように・・・だ。 その「ウソ」が、運動的にも、社会全体にも、大きな災厄をもたらしてしまった。 その悪影響は、今も続いているし、今後も続くことは容易に想像できる。 この事実の裏付けのない情報が、今も独り歩きして、戦争や難民などの地球的規模の不幸を作り出していることに・・・ある種の絶望感を抱かせる。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.04.07
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無責任・唯我独尊の人たちのこと 2018-2-26 (はんぺん) 思い出すのは、妻の父のこと。 岡山の田舎に育ち、貧困など様々な困難な生活を余儀なくされた。社会に疑問を感じた本人は、戦前、日本共産党に入党して無産運動で、がんばる。そして、彼は、89歳で亡くなるまで、共産党の忠実な党員としての人生を貫いた。 が・・・最初、お会いした時は、よく論争したものだ。彼は、岡山の片田舎に住んでいたので、情報源は限られている。それは、仕方ないこと。情報源は、赤旗と朝日新聞ぐらいで、党の決定が、上部機関から下りてくるだけで、現実の党内民主主義などは、問題にならなかったと思う。 何しろ、戦前の弾圧を経験していたので、(党組織は、天皇制絶対権力と闘う戦斗組織)の流れを引き継いでいたはずだ。党内で議論する以前の赤旗の学習活動(読み込み)だけでも、大変だったのではないだろうか? 限られた偏った情報の中で、活動している者にとっては、党外の人間と論争する経験も、あまりなかったようだし、自身の主張も赤旗の「焼き写し」にならざるを得ず、情報量の多い党外の人間に、論争で勝てるはずは無かった。 彼にとっては、ずいぶん悔しかったに違いない・・・と今は思う。仕方がないとはいえ、気の毒な思いをさせてしまったと、今は 僕も悔やんでいる。 彼が、多くの情報源を持てなかったのは、彼の責任ではない。生まれ育った狭い地域で、困難な生活を余儀なくされたという環境に規定された結果だから。 しかし、目の前に多くの情報が、ゴロゴロ転がっているのに、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」で、都合の悪い情報を、自分から遮断(拒否)する愚かな人々がいる。この人たちが、他人に害を及ぼさなければ、それはそれで良いだろう。自己責任ということで・・・。 しかし、この人達は、社会変革を目指して、ビラをまき、デモや集会を組織して、この社会の変革を目指して活動している。 それなのに、偏った情報、自分たちの都合の良い情報ばかりで、国民を引っ張っていこうというのだから、これはもう、無責任の極みだ。 多くの若者たちの人生をアヤマラセルことになるのだ。僕は、これを許せない! 我々の人生は、それほど多くは、残っていない。偽善に満ちた人生を送ってほしくないのだ。 「反省する勇気」の無い人たちに未来は無い。 妻の父が生きていたら、喉から手が出るほど欲しかった様々な情報を、彼らは、平気で放棄(拒否)するのだから・・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.03.01
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新春、新社会党の友人からの年賀状の内容だ!? 2018-1-31 (はんぺん)(私も学習を続けています・・・「矢野宏さんを招いて、森山浩行議員などと学習会」、「資本論入門学習会」、「憲法署名活動」「XX駅頭ビラまき」「働き方改革学習会」・・・) 違うんだなあ~「一生勉強の意気込みで、頑張りましょう」という僕の励ましの手紙に、この年賀状だ・・・・????僕が、盛んに(目を覚ませ! 勉強をしろ!)と言ってきたのに対して、彼なりに考えての年賀状だったようだが・・・・ 違う違う!! 僕の言っているのは・・・結論ありきの決まりきった学習(勉強)は、ダメだ・・・それは、(誤解を恐れずに言うと「洗脳」だ)ということ。 僕自身が、長年、このパターンで、やらされてきた・・・から良くわかる。 自身の主体性を錯覚して(=「自由だ」と錯覚して)「オレは闘っている!!」という自己満足の世界だ。初めに結論ありきの世界だ。もっと、いろんな角度から、多様な意見を聞く耳を持ってほしいのだが・・・なかなか分かってもらえない! もっと組織から離れて(=距離を置いて)、自身の勉強!をするべきだ・・・と言っているのだ。一方的に、偏った情報をガンガン叩き込まれたら、それは、もう洗脳以外の何物でもない。初めに結論ありき・・・では、学習には、ならない。 もちろん、この手の集会や、決起集会が、「学習的意味合いを持たないというのではない。しかし、この手のイベントには、運動を盛り上げる意図があるだろうし、大いにやってもらったら良い。内容には、僕は、異論はあるが、日本は、中国や北朝鮮のような独裁国ではないので、表現・思想・集会の自由は保障にされている。 日本のリベラルたちが、政権批判(権力批判?)を繰り返すのには、一面、道理があると思う。現政権が、必ずしも国民の生活に寄り添っているとは思えないからだ。しかし、(坊主憎ければ、袈裟まで憎い)という左翼小児病的言動は、いただけない・・・と思う。偏った見方から、間違った方針が生まれる。戦後のリベラルの停滞と後退は、都合の良い情報しか見ようとしなかった悪癖にあったと思う。とりわけ、安保や自衛隊についての認識の根本的誤りは、決定的だ!! そもそも、日本の憲法の成立に関する認識の誤りに端を発している。 (参考)自衛力は憲法9条と矛盾しないどころか、話し合い解決を実現するのに不可欠な力だ 2017-9-18 大阪大教授・坂元一哉 産経新聞https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201710220001/(参考)北朝鮮暴発寸前でも「憲法9条を守れ」という人たちがいる、 百田尚樹氏と護憲派の対論 2017-9-14 デイリー新潮https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201709220002/ 以前、新社会党の友人に、一度、組織を離れて、距離を置いて客観的なものの見方に徹して見れば・・・と忠告したことがある。とても、真面目風(?)な人物だったので・・・彼を救いたい気持ちで・・・ しかし、組織に留まる限り、彼の進歩発展は、あり得ないことがわかる。「オレは闘っている」と陶酔感の中・・・(韓国の民主労総のように、暴れまくるばかりの過激な行為は、許されないことは言うまでもない)が、この真面目な友人も、韓国の先進的労働運動を学ぶ?と称して、2回に渡って、韓国までのこのこと出かけて、この暴動に参加した。そして、機動隊の催涙弾を浴びて、目を真っ赤にしながら、「オレは闘った・・・」と陶酔感に酔いしれたのだ。 一歩引いて、角度・見かたを変えて検討することで、違う世界も見えてくるものだが・・・真面目な人間ほど、一途で・・・洗脳されやすいものらしい。 皆さんは、どう思われるか? 自分に関しては、「老前整理」「人生総括」という目標に向かって、自分なりの「勉強」が続くが・・・少しづつ真実に近づいてきているように感じる昨今だ。 自己批判の日々だが、自由学習のできる自分に幸せも感じる。残された時間は、限られているから、せいぜい精進したいと思う。 (はんぺん)
2018.01.31
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(河野氏は00年、北朝鮮に50万トンのコメ支援を決定した。)ことを、蓮池透氏は、今になって「評価」するというが・・・僕は間違っていると考える。 蓮池透氏は、「とにかく交渉のテーブルにつくこと」が最重要だと言われるが、そうだろうか? 2002年の日朝会談で独裁者・金正日が「拉致問題について謝罪したのは、北朝鮮を取り巻く状況が、偶然に有利に働いただけの事であって、そもそも、この「謝罪」そのものは、本来的には「ありえない」と見るべきではないのか? すなわち、日本の賠償金を得るための取引材料として使えるということで、「謝罪」をしたが、あまりにも日本国民に大きな衝撃を与えすぎて、失敗してしまっただけのことだ・・・・・ 本来「ありえない謝罪」であっただけに、今後は、新たな「謝罪」を北朝鮮から得ることは、極めて困難だ・・・・ということを、正しく認識すべきだろう 現実は、かくも厳しいのであって、そもそも北朝鮮は、核ミサイル開発を最優先することはあっても、拉致問題については、2002年の失敗に懲りて、まったく関心を持つこと自体が、あり得ない・・・と僕は見ている。 そのことを、安倍も(おそらく野党の面々も)、わかっているハズだ。拉致被害者家族に対して、解決できるかのような幻想を振りまくことではなく、正直に言うべきではないのか? 核ミサイル問題との兼ね合いで、「経済制裁」を解除することなどは、ありえないし、あってはならないことだから。 そもそも、拉致問題と核ミサイル問題とは、何の関係も無い。 金ジョンウン独裁者に対して、世界がタッグを組んで、経済制裁(平和的な圧力)を実施して、(核ミサイル開発の放棄こそが、唯一の平和的解決なのだということ知らしめる)ことが、喫緊の課題だ。 それとは、別に、人道的課題であり、国家的犯罪事件である拉致問題の解決は、粘り強い対話努力でしか、解決の方法は無いが、現在の北朝鮮の状況からすれば・・・先ほど示したように、可能性は極めて低いと言わざるを得ない。 政治家たるものは、時には公約実現が遠くなろうとも、真実を語るべきであり、 国政選挙の結果が全てだ・・・という姑息な言動は、必ず、後世の歴史審判の対象として、断罪されうるものだと思うが・・・どうだろう? 一党専制の強権的独裁者という厳しい現実を前にして、批判だけで済ませることができる野党も、一たび政権の座に着けば、何ができるのだろうか?? (2002年の小泉訪朝のように、安倍首相も訪朝して端緒を開くべきだ。何もできない安倍政権は、努力不足ではないか?)という声もあるようだが、最初に示したように、本来「ありえない謝罪」であっただけに、今後は、新たな「謝罪」を北朝鮮から得ることは、極めて困難だ・・・・ということを、正しく認識すべきだろう。 ぼくは、安倍首相を擁護する気はないが・・・安倍政権は、選挙結果を気にせず、率直に現状を語るべきで、幻想を振りまくべきではない・・・という僕の意見だが・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 拉致被害者家族、蓮池透さんに聞く。「最重要課題」一ミリも動かぬ安倍政権。政治家こそ「痛恨の極み」 毎日新聞2018年1月17日 東京夕刊 この人たちは、どれだけ辛抱を強いられるのか。北朝鮮による拉致被害者と、その家族である。「拉致問題は最重要課題」と繰り返す安倍晋三首相の再登板から5年。2002年に解放された蓮池薫さん(60)の兄で、政権批判を続ける透さん(63)に聞いた。【吉井理記】 イヤミのつもりではないが、調べてしまった。 安倍首相はこの5年間、「拉致問題は、安倍内閣の最重要課題であります」といったたぐいのセリフを、国会で何回繰り返してきたか、を。その数、実に40の本会議・委員会で計54回である。1年に10回以上、こんな発言を量産してきた計算だ。 「安倍さんの好きな言い回しで言えば、決まり文句のように『最重要課題』と繰り返しながら、一ミリも動いていない。昨年9月には拉致問題の解決を訴える集会(「今年中に全拉致被害者の救出を!国民大集会」)で『拉致問題に最優先で取り組む』と言っておきながら、1週間後には衆院解散を表明したのが安倍さんです。動くはずもない」 待ち合わせたのは、東京都内の高層ホテルのバー。遠く、窓越しに東京スカイツリーのまばゆいイルミネーションが望めるが、蓮池さんの声は沈んでいた。 昨年12月には拉致被害者の増元るみ子さん(64)=拉致当時24歳=の母、信子さんが愛娘の帰還を見ずして90歳で亡くなり、薫さんとともに解放された曽我ひとみさん(58)の夫チャールズ・ジェンキンスさんも77歳で世を去った。 「お二人が亡くなった時、菅義偉官房長官は『痛恨の極み』と述べた。何を言っているんだ。5年もたって、いや、北朝鮮が拉致を認めてから15年が過ぎている。時間を空費して、風化させて『痛恨の極み』と言う政治家こそ『痛恨の極み』です」 昨年は、小泉純一郎首相(当時)が訪朝して北朝鮮が拉致を認めてから15年の「節目」ということで、報道の量は多少増えた、とみる。そして年が明け、16年の今年である。核・ミサイル開発を巡り、米国との緊張が続き、拉致問題は日々のニュースに埋もれがちだ。 薫さんや曽我さんら5人は帰還したが、今も帰らない政府認定の拉致被害者は12人。「家族に節目なんてない。毎日、待ち続けている。次の『節目』は20年とでもいうつもりですか? いいかげんにしてください」 圧力で北朝鮮は折れない 「最重要課題」と繰り返しながら、なぜ「一ミリも」解決に向かわないのか。 「言うまでもなく、拉致問題の責任は北朝鮮にある。彼らの姿勢が最大の障害なのは当然だが、日本側のやり方も稚拙で、間違っています」 例えば、昨年のトランプ米大統領来日である。安倍首相ら日本側の働きかけで、トランプ氏と拉致被害者の横田めぐみさんの母、早紀江さんらの面会が実現した。「一部メディアは『米国が問題解決に動き出した』といったトーンで騒ぎましたが、考えてみてください。移民・難民ら少数者への排斥的・差別的発言を繰り返しているトランプ氏が、人権問題でもある拉致問題に、真剣に関わる気があるでしょうか。そもそも米国が関心を寄せる核・ミサイル問題はグローバルなテーマですが、拉致問題は日朝間のテーマです」 それなのに、日本政府は核・ミサイル問題と拉致問題をヒモ付けし、「包括的解決を目指す」立場を崩さない。安倍首相も「対話のための対話に意味はない」「必要なのは対話ではなく、圧力だ」(昨年9月20日、国連総会)と強調し、圧力一辺倒の路線を見直す兆しはない。 「実は、私は、河野洋平さんに謝りたいんですよ」 輝くスカイツリーを見やりながら、蓮池さんがぽつりと漏らした。蓮池さんら拉致被害者の家族が家族会を結成したのが1997年。99年に外相に就任した河野氏は00年、北朝鮮に50万トンのコメ支援を決定した。蓮池さんらは「北朝鮮を困窮させなければ問題は動かない」と猛反発し、一部の保守メディアや言論人も河野氏批判を繰り広げた。 「河野さんは『コメを与え、北朝鮮を対話のテーブルにつかせることが大事だ』という方針でした。今になって考えると、その通りだな、と」 コメ支援と並行して外務省が水面下で北朝鮮のキーパーソンと交渉を続け、小泉訪朝が実現したのは2年後だ。「日本が北朝鮮への経済制裁を始めたのは12年前です。何か動いたでしょうか。圧力で北朝鮮が折れる? 希望的観測もいいとこです」 拉致被害者を取り戻すためには、国のメンツや手段、まして希望的観測にとらわれている時間はもうない。 「例えば、繰り返し訪朝している参院議員のアントニオ猪木さんの『スポーツ外交』で対話のチャンネルを開く。北朝鮮も参加表明した平昌五輪は良い機会かもしれない。北朝鮮にパイプを持つ民間団体のネットワークを活用する。金正恩朝鮮労働党委員長と交流のある料理人・藤本健二さんの情報や人脈を生かす。小泉元首相ら訪朝経験のある政治家OBもいる。『一ミリ』でも動かすため、いろんな手があるはずです」 政府も外務省も、こうした動きを「二元外交」と批判するだけ、らしい。 読者は、首相が著書「新しい国へ」(13年)で、横田めぐみさんらを救えなかったのは、9条を持つ「現憲法のせい」という趣旨のことを記しているのをご存じだろうか。憲法で軍隊保持や徴兵制を定めてきた韓国では、いまだに数百人の拉致被害者が帰らないままであるにもかかわらず、である。蓮池さんの目には、首相が憲法改正といった政治目標を達成するため、北朝鮮の脅威をあおり、拉致問題を「政治利用」しているのではないか、と映っている。 弟の精神、今も自由じゃない 蓮池さんはインターネットなどで「売国奴」などとバッシングを浴びている。「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(15年、講談社)というタイトルの著書で、首相らを厳しく批判した際、国会で「北朝鮮の工作活動の一端」(中山恭子氏、16年1月19日、参院予算委での発言)と名指しされた。「『お前のところは弟が解放されたからいいじゃないか』と言う人もいます。弟は、確かに身体は自由になりました。でもいまだに帰れない被害者の存在を背負って生きている。精神的には決して自由じゃないんだ」 穏やかだった蓮池さんの語気が、荒くなった。「本当に弟を自由にするには、拉致問題を解決する以外にない。そして北朝鮮にきちんと補償させたい。そうでなければ、弟の人生は、一体何なのか。圧力だけでは解決しない。だからこそ、私は発言し、行動するんです」 安倍首相はこう言い続けてきた。「家族が自身の手で肉親を抱き締める日まで、私の使命は終わりません」(昨年12月5日の衆院本会議など第2次政権以降で21回発言)。こんな決まり文句は、もういらない。 ■人物略歴 はすいけ・とおる 1955年、新潟県生まれ。東京理科大卒。「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)事務局長などを歴任。家族会とは対北圧力などを巡って意見が相違し、2010年に退会。著書に「奪還 引き裂かれた二十四年」「拉致と日本人」(共著)など。
2018.01.29
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こんなところにも、「天皇ヒロヒトの戦争責任」が・・・・・ 2018-1-22 (はんぺん) 沖縄の首里城公園内にある首里城の正殿は、世界遺産に指定されている。 「荘厳な城門をいくつも通ると現れる正殿は、琉球王国最大の建造物です。 中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には 高い文化的・歴史的価値があるとされ、世界文化遺産に登録されました。」(首里城公園HPより) 戦前の沖縄は、京都、奈良につぎ、日本で3番目に国宝認定を受けた文化財が多かったそうだ。沖縄の文化財のほとんどが、450年近く栄えた琉球王国の拠点である首里に集中していた。(琉球王国は1429年に成立し、1879年に明治政府により強制的解体され、沖縄県として日本に編入されている。2018年現在でも、日本としての歴史は、まだ143年ほどしかない。) しかし、戦時中、この首里城に、日本軍、第32軍総司令部(正式には南西諸島守備軍)が、歴代国王の居城である首里城下に置かれたために、米軍による猛爆と日米の戦闘により、沖縄は文化財のほぼすべてを失ってしまった。 沖縄の歴史がつまった古都・首里は、沖縄の激戦場のなかで、もっとも激しい攻撃を受け、跡形もないほど破壊しつくされたのだ。 首里城の地下には、網の目のような地下壕が、無数に張り巡らされていて、1000人近くの日本の兵隊がいたそうだ。その司令部を狙った米軍の猛爆のため、「守礼の門」以外のほとんどの歴史的建造物は、廃墟と化した。今、我々が目にするものは、レプリカだという。 天皇ヒロヒトが、サイパン陥落(1944年6月)のあと、(国民の大切な多くの生命を守るために)すぐに降伏していたら・・・沖縄戦での尊い23万人の犠牲を出さなくて済んだものを・・・・このヒロヒトという男は、国民の命よりも、自らの地位を守ることを選んだのだ。 天皇ヒロヒトの戦争責任は、限りなく重い・・・そういい続けなければならないと思う。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.01.24
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自衛権を認めない・・・は、ありえない! 2018-1-9 (はんぺん) 「9条を守ろう」「自衛隊反対」(昔の社会党や共産党のスローガンでもあったが)のキャンペーンを見て、旧ソ連や中国は、 ほくそ笑んでいたのではないだろうか? 日本が(丸裸)になってくれれば、交渉などの対応も非常に楽になるのは、明らかだったから。 この同じスローガンに、今は、中国やロシアや北朝鮮・・・が、ほくそ笑んでいる!!! 何度も言うが、戦争には、必ず相手の存在がある。相手がいないのに戦争悲劇が、起こることはありえない。 相手のことをスルーして、いくら「平和」を叫んでも・・・それは、無責任だ・・・と僕は言ってきた。 現実を無視して幻想を振りまいていたリベラルたちは、まさに(井の中の蛙)だったわけだ。 国会での安保法制論議でも、「攻める?」はずの野党は、この相手の存在を一貫してスルーしてきたように思う。 これは、無責任の極みだ・・・と僕は言ってきた。 平和主義者が思い描く平和な日本。周辺国から見れば、それは、「常識」外の「ありえない」姿、考え方では、ないのか? 限定的な国力の中で(許される範囲でということだが)少しでも防衛力(自衛力)を高める・・・それが、世界の「常識」では、無いのだろうか? 自衛権を認めない勢力は、日本では、相手にされなくなった。一歩前進ではある。しかし、自衛権をしぶしぶ認め始めた彼らリベラルたちが、 第9条を押し出してくるのは、自己矛盾だ。第9条は「戦力の保持」を禁じているからだ。 そして・・・彼らは、「戦力無し」で如何に抑止力を確保するのか?という問いかけに答えられずに・・・煩悶することになる。 いつものパターンだ。そして、(運動)は、停滞し、委縮、後退していくことになる。 ここ何回かの衆参選挙で、リベラル派の社民党、共産党は、極少数派に転落してしまった。 こんな文章があった・・・阪神大震災の時のことだそうだ。 「もともと神戸地区は、反自衛隊雰囲気の強い街でした。防災訓練で担任の自衛隊が参加したこともありませんでした。 呼んでもらえなかったのです。その象徴的な出来事がありました。若い反戦・反自衛隊活動家グループが、ビラを配っていました。 情報収集のためいただくと「自衛隊は憲法違反です。自衛隊から ご飯をもらわずがんばりましょう!」と書かれていたのです。」 (池田整治氏の公式サイト) ・・・・確かに、神戸は、左派社会党(今の新社会党か)が強かったのは、知っていた。ははあん・・・そういうことだったのか・・・・・ 僕も、この阪神淡路大震災では、ボランティアとして、社青同の友人と一緒に、旭堂小南稜(当時、社会党参議院議員)の管轄していた? 現場事務所に出向いたことがある。今でも、時々、そのことを思い出す・・・
2018.01.09
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「嫌韓本」「嫌中本」のすすめ 2018-1-1 (はんぺん) かなり前から、国内には、いわゆる「嫌韓本」、「嫌中本」が多く出版されていて、話題になっていた。 中国や韓国国内での過激な反日行動や反日宣伝などが、報道されるたびに、それに反発するように日本国内での出版も加速されてきたようだが、僕は、以前から毛嫌いせず、機会があれば 目を通すようにしている。 読みながら・・・おそらく「リベラル」と言われている人たちは、手にすることはないだろうな・・・と思いながら。 「嫌韓本」、「嫌中本」すべてを否定的に見るのは、間違いだ。内容が偏っていることもあるかも知れないが、正しい部分も多く含まれているから、買って読む人が多くいるのだろう。 全否定してしまうのは、愚かなことだ。 昔のサヨクの人たちは、単純に、「保守反動」か「革新リベラル」か、 「善」か「悪」か・・・というオール・ォア・ナッシングの発想が一般的だった。 学生運動時代、革新政党活動時代には、「産経」「読売」は、体制側のブル新(ブルジョワ新聞)だと毛嫌いしていたものだ・・・何と愚かな、心の狭い人間だったのだろう・・・自己反省しきりだ。 今では、朝日(購読)、毎日(親戚からゲット)、産経(友人から古紙を有料でゲット)は、必ず目を通す。(現役時代は、赤旗や公明新聞、自由新報も、欠かさず目を通していたが、今は、ネットで見ている。) 日本は、思想信条、表現や出版の自由な、恵まれた国である。そのことは、現在の中国や北朝鮮と比べれば明らかだろう。旧ソ連や東欧では、多くの秘密警察員が密告を奨励し、民衆監視を続けていたのだ。 物事をいろんな角度から見直すこと、できるだけ多くの意見に耳を傾けることが、社会主義社会では許されなかった。今の日本では、それができる。 出来るのに、自分から「都合の悪い情報」に耳を傾けることを拒む人たちがいる。「嫌韓本」、「嫌中本」を拒否する人たちも、同じだ。 実際に、これらの本を読んでいて・・・まったく「損」は無い。知らなかったことも、たくさんあった。「リベラル」にとって、都合の悪い事柄も含まれる。 「ここは、おかしい」「これは、間違っている」と思う個所も、あった。そういう「意見」や「異見」に目を通すことが、「勉強」だと思う。自身の「更新」につながるのだ。 社会主義の崩壊で、それまで知らされなかった「不都合な真実」が、次々と明るみに出されていった。「社会主義」を信じていた多くの人々が、「だまされていた」ことに気づき、運動から離れていった。 「共産主義黒書」では、1億人が、犠牲になったということだ。「社会主義犯罪」の犠牲が、ヒトラー(ファシズム)による犠牲を、はるかに上回ったという、驚愕の事実を前にして、深く首を垂れると同時に、その原因を深く考察してきた。皆さんの意見も知りたいものだ。 僕が、多少とも関係のあった 新社会党、社会主義協会、社民党、MDS(民主主義的社会主義運動)、アサート・・・などの関係者の皆さんには、是非とも、「嫌韓本」、「嫌中本」をお勧めしたい。 あなたたちの曇りぬいた目が、少しでも晴れることを祈るばかりだ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.01.01
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「スターリンは正しいと信じ」「毛沢東を父のように慕い」ながら、多くの民衆が、虫けらのように殺されていった。独裁者たちを称賛しながら・・・「自分は無実だ」と訴えながらの銃殺処刑は・・・無念の死以外の何物でもなかった・・・ そういう「社会主義の現実」から、我々は、いったい何を学んできたのだろうか? ナチズムや天皇制絶対主義などのファシズムをはるかに、上回る惨劇は、戦後も、この地球上で繰り返されたのだ・・・その歴史的事実を反省することなく、まさに居直るかのように、今また、「新しい社会主義」を掲げて、「民主主義」「人権平和」を叫んで、「運動」「闘い」が、繰り返されている。 有名な西ドイツのワイツゼッカー元大統領は、「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目になる。過去の罪を心に刻まなければ和解の道はない」の名言を残しているが、これが名言となることは、悲しいことだと思う。 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 「Everyone says I love you !」(ブログ)から この1985年のワイツゼッカー演説は、ドイツと同じように歴史問題を抱える日本の戦争責任を巡る議論に大きな影響を与えました。 ワイツゼッカー演説から10年後の1995年8月15日に、当時の村山富市首相が戦後50年談話として朝鮮・台湾の植民地支配と中国侵略などアジア太平洋戦争の歴史について、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」として、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ち」を表明しています。 また、そのさらに10年後の戦後60年にあたる2005年には、当時の小泉純一郎首相も「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の文言を盛り込んだ村山談話を踏襲した談話を発表しました・・・・ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 人類は、何度、反省すれば、目覚めるのだろうか? (戦争犯罪)と(社会主義犯罪)は、何度も繰り返されてきたし、今も繰り返されている・・・・それが、現実だ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2017.11.20
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これは、面白いし・・・うなづける。間違っていない。 確かに、戦後72年、日本には、ずーっと軍隊(抑止力)は、あったんだ。 (平和憲法のおかげで、戦争は無かった)というのは、ウソだった! 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 日本は、平和憲法を守ったことはなかった 2015-7-7 武田邦彦(中部大学) 戦後70年。日本が平和で過ごしてきた原因の一つに「平和憲法」があることは間違いない。ほぼ国民のすべてが知っているほど憲法九条は有名で、少し極端ではあるが、なにしろ「戦争はしない」ということを明言している。 軍隊は持ってはいけない、陸海空軍はダメ、交戦権も認めないというのだから、世界にもまれだし、そんなことがこの世界で現実に憲法として存在するのかというほどある意味で奇妙な条文だ。 でも、この条文が効いて平和が保たれたという人が多い。私も一部はそう思う が、やや自己満足が入っているような気がする。 日本が平和憲法を守ってきたからどの国からも侵略されなかったのではなく、「集団的自衛権」を発揮したからではないかと思う。 サンフランシスコ平和条約で日本が独立しても、日本には世界一強力なアメリカ軍が駐留していた。すぐ始まった朝鮮戦争ではさまざまな途中経過はあったけれど、結局朝鮮半島の半ば(38度線)で止まり、日本には引き続きアメリカ軍が駐留した。 つまり日本は「軍隊が無い状態」ではなく、「日本軍はいないが、アメリカ軍はいる」という状態だったのだから、日本は一度も「平和憲法の状態」ではなかった。憲法が制定されて以来、日本人は一度も憲法を守ったことがない。 「アメリカ軍が無理矢理、駐留していたからだ」というのは間違いだ。日本社会党などの一部の政党は「アメリカ軍、でていけ」と言ったが、日本人の大多数が支持した自民党は終始一貫、アメリカ軍の駐留を認め、さらに日米安保条約を保持した。 つまり、日本人は「憲法を守らない」ということを70年間、世界に向けて発信して、日本流の「本音と建て前」を使い分けていただけとも言える。 長く平和運動をしてきた社会党系の代議士にあるとき、「軍隊がなくて、どういう方法で守るのですか。他国の軍隊が日本に入ってきたら、どういう方法で防ぐのですか? それとも皆殺しになってもあきらめるのですか?」と聞いたら、答えは返ってこなかった。つまり、社会党支持者も含めて日本人全体が二重人格だったという厳しい見方もできる。 「それ以外に方法がなかった」というのが正解だろう。平和憲法は守る、でもそれでは他国からの脅威に対抗することはできない、だから矛盾した状態をそのまま認めるのが良いという高度な判断が日本社会にあった。 私たちは平和憲法で日本を守ってきたのではなく、集団的自衛権を行使して日本を守ったという事実を認めた方が良い。 そしてこの判断は結果的に正しかったのだから、やましい気持ちを持たずに正面から認めることによって次の政策を決めることができる。 (平成27年7月4日)
2017.11.05
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総選挙結果を見て思う 2017-10-28 (はんぺん) きょう、10/28退院した。今回の入院は、10/20~10/28と9日間だった。最初は、10日間以上になるかも・・・と言われていたのだが・・・。 今年になって、4回入院して、4回目の退院だ。 この間、情報発信はできなかったが、ブログの更新は、数年前に「予約更新機能」が追加されたので、途切れることはなかった。便利になったモノだ! 入院中の、10/22(日)が、総選挙の投開票日だったので、僕は、病室(個室)で23:30ごろまで、テレビを観ていた。翌日の新聞は「自民大勝、希望失速、立憲躍進・・・」とあった。 今回の結果を見ていて、なるほど・・・と思った。近年のリベラルの退潮は、下げ止まるところを知らず・・・と言う感じだから・・・・。 総得票数(比例)だけを見ると、自民党は1,850万票で「そんなに伸びていない!!」得票率も33㌫前後だ。「希望」と「立憲」の得票数を合わせると、約2,070万票と 自民党を上まわっている。 新聞(朝日)は、「野党分裂(が)、自民(を)後押し」とあった。獲得議席から見て、小選挙区で自民党は、48%の得票率で、75%の議席を、比例区では、33%の得票率で、37.5㌫の議席を得ている。野党分裂が獲得議席に大きな影響があるのは、小選挙区制度の常だ。 しかし、この朝日新聞の10/23夕刊の「改憲賛成派、当選者の8割」の見出しが、もっとも注目すべきところだ。何度も発信してきたが、今回の選挙では、改憲派の台頭は際立っている。自民は言うに及ばず、希望、維新、公明まで、改憲容認で、立憲も改憲を全否定していない。(もともと枝野氏の持論は、自衛隊は合憲(=専守防衛)!で、憲法論議は前向きの方向だ) リベラルの退潮になぜこだわるのか? それは、憲法をめぐる国民の判断が変化(改憲容認)しているからだ。 今回の選挙、「護憲」で憲法改正反対は、社民党と共産党だけで、社民党+共産党の合計議席数は、わずか12だ。総議席465の2.6%(約40分の1)ということ。 この2党の極めて偏った(間違った)情勢分析と政策では、むべなるかな・・・と思う。「日本国憲法」や「自衛権」、「安保体制」に対する歪んだ評価・・・それの必然的結果だと思うのである。 前に(多くの矛盾をはらんだ)「日本国憲法」の絶対化からくる「護憲」運動は、リベラルの停滞、後退の最大要因だと書いた。どう考えても、この「護憲」運動には、無理がある。 戦後の革新勢力は、あの戦争以後から今日まで、戦争体験世代や戦後民主主義の申し子世代に支えられて、一定の支持を勝ち取ることができたが、そのこと自体が果たして良かったのか悪かったのか??考えてみるべきだろう。 あの「平和憲法」が、リベラルの運動を狭い枠の中に閉じ込めてしまい、委縮させてしまったのではないか・・・・そういう問題意識が(僕には)ある。 憲法の9条の内容は、あまりにも「理想主義的?!」で、現実味が無い。その「理想主義」に幻惑されて、「平和ボケ」症候群に陥ってしまったことに、運動の側は、誰も気づかなかったように思う。 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」は、あの悲惨な戦争体験(被害体験、加害体験)を踏まえた「希望」「願望」であり極めて正しいものだ。 しかし、その後に続く、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という「決意」「宣言」は、世界の人類の歴史から見て、明らかに間違っている。 (悲惨な戦争体験を繰り返さない)という正しい戦争経験が、勢い余って「非戦宣言」となっているからだ。 自民党保守勢力から、「自衛権まで放棄したものではない」「仕掛けられたら守る(=防衛)までは、国際常識として認められれるべきだ」という正しい批判を生むことになる。この自衛権という(当たり前の)主張に対しても、旧社会党の中にはずいぶん抵抗があったことを思い出す。(僕も、その一員だった。) この「間違い」が、そのあとの「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」という決定的な「間違い」に続いていく。 この憲法が作成された時期を考えると、占領下でマッカーサーの主導のもとに、2度と日本が戦争できないように・・・と作りあげられたものが、戦争で散々な目にあった国民の反戦(厭戦)気分と相まって、国民多数にとっては、希望の星のように見えたというのが実際のところではないだろうか? この「大きな間違い」が、現憲法に内包されていたことは、戦後の革新運動の大きな足かせとなっていく。戦争体験世代や、戦後民主主義申し子世代が健在である間は、護憲運動も一定の力を示すことができた。 しかし、今や、そういう世代が、どんどん消えていく中で、未来を担う若者たちは、世界常識、国際常識という現代的価値観で物事を考えるようになっていく。「自衛権の否定」「抑止力の否定」は、自衛隊や安保体制の否定で、現代常識では、あり得ないのだ。 それはそうだろう・・・・日本のリベラルたちが一時、信頼を寄せていたソ連や中国などの社会主義大国では、堂々と巨大な軍隊を持ち周辺国を威嚇していたのだから・・・!!! 北朝鮮の核ミサイルについても、現実性に乏しい「対話を・・・」「国連で・・・」と言い続けるだけで、現実を見ようとしない無責任なリベラルたちが、国民から見放されつつある現状! 自衛隊や安保体制による抑止力を認めることができない彼らに未来が語れるとは、(僕は)思えない。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2017.10.28
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今回の総選挙を考える 2017-10-13 (はんぺん) 今回の選挙は、安保法制推進から改憲を目指す安倍政権と 一極集中に歯止めをかけようとする野党の対決と言う図式だ。 前にお知らせしたように、すでに国会内では、改憲勢力は、過半数をはるかに超えている。国会での発議自体は、可能である。 戦後、70年以上が経過し、日本は、大きな曲がり角に立っていると思う。この70年間で、日本を取り巻く状況は、大きく変化した。 この変化に、対応できるかどうかは、将来の日本の針路、ひいては、世界の平和と安定に大きく影響することは明らかだ。 この70年間の日本の政局は、全体としてみれば、「護憲平和勢力」の後退という印象が残る。 なぜ、こうなったのか?? 考えてみた。皆さんの考えを お聞きしたい。 その原因は、(進歩勢力)と言われた人たちの「保守的」姿勢に尽きると、僕は思っている。 「平和憲法を守る」という(護憲)と言う言葉から象徴されるように、常に「守り」の姿勢が今日まで、続いている。 そこには、現状打破、自己改革、止揚(アウフヘーベン)の発想は無かった。 自己革新が停止していた。過去の「遺産の食いつぶし」が続いた・・・これが、長期低落の根本的な原因だと思う。 戦後、保守政権による軍隊の復活(警察予備隊)が、戦争体験(反戦平和意識)をバックにした「護憲運動=平和憲法守れ」につながった。 その流れが、今まで変化することなく(一貫して)続いているのだ。 共産党が、よく「自分たちは一貫して・・・」と自慢するが、一貫することは、自慢することでも何でもない。 むいろ一貫すること自体は、「不自然ではないか?」と僕は、以前から言ってきた。 ぼくの大学の先輩から「長い人生の中で思想が変わるのは、それを進歩というか変節と呼ぶかはともかく、やむをえないことです」とのメールをいただいたが、ぼくは、それに対しては、状況の変化に応じた対応の変化こそが、自然な姿であると思っている。 戦後の(一貫した護憲の流れ)が、戦後の進歩勢力の停滞と後退の主因ではないか? どうしても、そう思えてならない。 僕が、ある問題に関して、リベラルの動きを批判した時に、僕の高校時代の友人(彼は今、社民党大阪の指導部に入っている)から、(今、そういうことを言うと、自民党政権を利することになるから言うべきではない!)と言われたことを思い出す。 自分たちの問題行動に対する批判に耳を貸さず、自己改革を封印してしまう・・・その体質が、運動全体を劣化させていったのではないか? (一貫した護憲運動)が絶対化され、時代の変化、とりわけ大きな変化が進行した東アジアでの対応に、取り残されていったと思う。 社会党でいえば、石橋政嗣氏の「非武装中立」というドグマに縛られていった。 社会党員時代には、自衛権を頭から否定することができない(いらだたしさ)を、僕は、よく感じていたものだ。 道理に合わないことについて、見て見ぬ振りをしてきたのだ。自己批判しきり・・・だ。 自衛権を公に認めると「自衛隊の存在」を肯定することになる。 「軍隊は暴力装置」「反体制運動、自国民の抑圧が本性」という偏った認識からは、「見て見ぬ振り」をするか、居直るしかない。 「見て見ぬ振り」は、出来ないことは無いが、「居直る」には、あまりにも無理があった。 その結果として、運動は理論的にも、現実の運動でも、萎縮、後退が続いた。 自衛権は、国際的にも、人間的にも、肯定されるべきだ。(無抵抗主義、絶対平和主義、降伏主義は、一つの考え方ではあるが、僕は、評価しない。) したがって、自衛隊は、抑止力として、必要不可欠の存在であって、認められるべきである。憲法9条に照らしては、違憲であるとの批判がある以上は、憲法を改正して、自衛隊の位置づけを明確にすることが必要だ・・・これが、ぼくの意見だ。 リベラルの立場からは、立憲民主党の枝野氏は、(合憲だから、憲法改正の必要無し、自衛隊存続容認)、社民党・共産党は、(違憲だから、自衛隊は、廃止=プロセスは異なる)という。 こういう自衛権の発動も含めた安保法制論議は、一昨年あたりから、国会で行われてきたが、「すれ違い」ばかりで、大いなる違和感を感じる・・・と、以前、ぼくが発信したのを覚えておられるだろうか? そう、野党側の質問の中身には、(日本が戦争に巻き込まれる・・・)という立場からの質問が目立つ一方、中国・北朝鮮という不安定要因についての議論を避けているフシが目立ったのだ。 逆に、(目の前にある危機)を強調する安倍首相の答弁には、国民が否定できない(抑止力の効果)を前面に押し出すことによる(攻め)の姿勢が印象に残っている。 これは、マスコミの論調にも共通して言えることでもあった。 「戦争しない国に」「戦争は嫌だ」「平和を守れ」・・・・戦後の安易な反戦意識にのみ依拠した(保守的)な報道は、過去の遺産の食いつぶし・・・絶対平和主義による自滅的様相を感じたものだ。 国民の反戦意識自体は、極めて正しいし、大切に受け継いでいきながら、目も前にある危機を避けることなく正面から向き合い、 戦争を避ける具体的な手立てをめぐって、論争すべきであった。 野党は、その危機(北朝鮮・中国)を語ることを避けてしまったのである。 自衛権を認める以上、自衛隊の存続・維持無しに、抑止力はありえないのだから、僕に言わせれば、「自衛隊の廃止」などは、論外で、無責任も良いところだ。 また、「合憲」だというのは、これまでの自民党政権による。「解釈改憲」そのものだが、戦後70年以上も経過して、現状に合わない問題を無理やり、現状に合わせるのは、限界だと判断するのが、自然だろう。 国会内では、改憲勢力は、過半数をはるかに超えているが、それとは、無関係に東アジアの平和と安定を維持するための努力は、喫緊の課題だと思う。 Jアラートに不快感を表明して、安倍批判の材料にしようとする新社会党の姑息なキャンペーンを思い出し、あらためて人類の愚かさに、思いを馳せた。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2017.10.14
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〇〇〇〇先輩へ 2017-9-20 (はんぺん) お元気ですか。(はんぺん)です。 僕のほうは、相変わらず、しつこく発信を続けています。 自分にとっても、良い勉強になりますが、そもそも、かなり以前から、この情報発信を始めたのは、前にも、お渡ししたコピーにも書いたように、我々の世代の「過ち」の反省からです。 今だから言えますが、我々の若かった時代、当時の社会主義は、厚い(鉄のカーテン)で、情報が閉ざされていました。 (社会主義にとって都合の良い)情報ばかりが伝えられて・・・その制限された情報の中で「判断」を迫られたのでした。 それで、我々は、大きな過ちを繰り返しました。 (社会主義は、こうであってほしい!こうであるべきだ!)という「願望」のもと、社会主義を好意的に善意で解釈してきたのです。 その反省から、今の「運動家」たちには、同じ間違いを繰り返してほしくない・・・という思いから、様々な情報を、ネットから探して、コピペして、時には自分の意見も加えて、発信しているのです。 昔と違って、今は、ネットなどを利用すれば(その気になれば)、いくらでも知らなかった情報が手に入ります。そのすべてが正しいとは限らない。それを取捨選択して(ぼくの裁量で)発信しています。 その情報を、どう評価するかは、受取人の皆さんの判断・・・ということになります。 少なくても、情報を目にする機会が増えたこと自体が、一歩前進だと思うのです。 同時に、皆さんの意見も知りたいし、自分もさらに、勉強したいと希望しています。 今回、最近の発信分の一部をお送りします。時間を作っていただいて、目を通していただき、不十分な自分の意見についての〇〇先輩のご意見なども、聞かせていただけたら、うれしいです。 また、一度、お茶の時間でも作っていただき、お話ししたいと希望しています。 我々が、この地球上に存在する時間は、限られていますし、消え去るのは、そんなに遠くないと、思います。 後悔の無いように、最善を尽くして、人生を全うしたく思います。 (はんぺん)
2017.09.27
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不誠実極まる新社会党を想う・・・ 2017-9-9 (はんぺん) 「新社会大阪NO,134」が、送られてきた。情報提供という意味では、とても良いことだ。言うまでもないが、僕たちが学生の頃は、情報は、極めて限られていた。この種の情報は、大歓迎だ。 昔の東(社会主義体制)は、「鉄のカーテン」のため、都合の悪い情報は、全くと言ってもよいほど伝わってこなかった。社会主義にとって、都合の良い情報ばかりが持ち込まれ、その限られた情報の中で、僕たちは「判断」を迫られた。 そのおかげで、大きく判断を間違えた。志賀義雄たちや、向坂逸郎たちは、そういう偏った情報を信じ込み、若者たちを「指導」した。そう、間違った情報を周りに垂れ流してしまい、取り返しのつかない災難を拡大してしまった。 彼らの「指導=扇動?」に惑わされて、多くの若者たちが、道を誤った。 社会主義ソ連や東欧が崩壊して、それまで隠されてきた「不都合な真実」が、白日の下に晒された。その間違いに、衝撃を受けた多くの若者たちが、「運動」から遠ざかって行った。 そういう人間を、ぼくは、何人も知っている。裏切られた思いで自殺した人(社青同の人だった)もいた。「僕の人生を 青春を返せ・・・」という思いの(真面目な元青年)が多かった。社会主義の崩壊を受けて、多くの(リベラルたち?)の運動は、総崩れになっていった。 新社会党という政党は、日本社会党が、解体(1996年1月)された後、3つに分裂した中の一つ(1996年1月結党)だが、社会党左派の流れを引き継いでいる。それまでの社会党内のシビアな左右対立の中で、社会党員だった僕は、この党の「原則的」姿勢に共感して、サポーターとして支援した経過がある。(今では、苦い思い出になっているが・・・) ソ連崩壊後も、きちんとした総括ができずに、いまだに「社会主義社会実現」を掲げて活動するという、時代錯誤的な政党に成り果てている。 「北朝鮮」を持ち上げた長い時期があった。今は、さすがに正面から賛美することなどできるはずもなく、一応、形だけは「批判」してる。 今回の「新社会党大阪」誌を読んで、そのでたらめさに、あらためて呆れてしまった。 ふつう冊子の第一面は、巻頭言よろしく、その組織の主題(主張)が明示されるものだ。第一面を読めば、そのグループの「おおよそ」が分かる。 今回のNO、134の表紙には・・・「8/29の朝、異変が起こりました。早朝の北朝鮮によるミサイル発射の報道のため、夏休み恒例のラジオ体操が、(何のコメントも無くカットされた)のです。」というのだ。 「ミサイル以上に不気味だったのは、「今はラジオ体操しているどころではない」と言わんばかりの番組編成のあり方です。有事にでもなれば、放送もこうなるのかと思わされました」とあった。 これを読んで、僕は思った。 もし、新社会党が政権を取っていたら、どう対応するのだろうか? 番組放送は、どうなるのだろうか? ということ。 北朝鮮がミサイル発射しようが、核実験を繰り返そうが・・・・・それらを無視して、そのままラジオ体操を続けるのだろうか?? ということだ。 彼らが、政権をと執ることはあり得ないだろうし、執ってもらっては困ると思う。そういう政党に国の危機管理で任せるわけにはわけにはいかないからだ・・・・とつくづく思う。 皆さんは、どう思われるか? 続けて、彼らの情勢認識を描いている。「アメリカという窓から世界を見ると「北の脅威」と見えるのでしょうが、ヨーロッパやアジアの窓から見ると、むしろアメリカのほうが脅威なのではないでしょうか。」・・・・そうだろうか? 新社会党のこの認識こそ、僕には「脅威」に見えるのだが。 国連の安保理決議を何度も踏みにじって、核ミサイル実験を強行してきた北朝鮮の蛮行には、見て見ぬ振りをしながら、アメリカの脅威を強調する彼らの国際認識そのものが、僕には理解不能なのだが・・・ 皆さんは、どう思われるか? 10年以上も前、「新社会党大阪」の中心メンバーのひとり(今では、大阪のトップらしい)が、当時、僕に「北朝鮮も悪いが、アメリカ帝国主義は、もっと悪い・・・・」とメールしてきた・・・この認識が、そのまま、今回の「巻頭言」に繰り返されているのだ。 ということは、この党は、この数十年の間、何の進歩も無く、首尾一貫して、今日に至っているということだ。何ということだろう!! ため息が出る・・・ さらに、「こちら日本では、あまり報道されていませんが、目前でされる軍事演習は 脅威に違いありません。いわば、警告の威嚇射撃的要素をもった行動とも言えます」とある。 この言い方は、北朝鮮の発言と全く同じだ。(米韓合同演習があるから、防衛上核ミサイル開発をする・・・)というものだが、果たしてそうか? この言い訳には無理がある。そもそも、核ミサイル開発は、「国連の安保理決議違反であり、それが、何度も繰り返されてきた。 そのことと、軍事演習とを対等に扱う(見る)こと自体、間違っている。過去の核ミサイル実験では、北朝鮮は、様々な言い逃れをしてきた・・・「人工衛星だから平和利用だ・・・」とか。そして、新社会党のぼくの友人は、「あれは、人工衛星だから、ミサイルではない」と強弁したのである。 今回は、それが、たまたま「米韓軍事演習に引っかけただけ」のことに過ぎない。 すなわち理由は、いくらでも、つけられるということだ。 今回の「巻頭言」は、まるまる、北朝鮮の主張を採用して、(米韓軍事演習があるから、仕方なく核ミサイル実験がある・・・)という結論にもっていこうとする・・・ぼくには、とても理解不能、不誠実な考え方だと思う。 この間違った主張に従えば・・・(米韓軍事演習をやめれば、北朝鮮は核ミサイル開発を止める)という「取引」になるだろう。(もちろん、それで北朝鮮は、核ミサイル開発をやめるはずがないのだが・・・・) この間のいくつかのテレビ番組では、この流れに持ち込もうとする日本の「リベラル派」たちの主張が展開されているように思える。それが、あたかも、唯一の「公平な解決」だと・・・・ それは、違うんじゃないか・・・・・? 米韓軍事演習は、米韓2国間の取り決めで、実施を決定したもので、国際法上、何の疑念も発生させることが無い合法的なものである。 すなわち、(良いか悪いかの判断は別にして)自国の防衛上、必要であると判断して、合法的に自分たち(米国や韓国)が決定したものであり、だれからも 非難されるべきものではない・・・ということの認識だ。 それを、挑発だと決めつけるのは、北朝鮮の主張そのものである。何度も言うが、北朝鮮は、その時、その時で、いくらでも蛮行に対する言い訳(理由付け)を出してきた。それに乗せられて、北朝鮮の主張を繰り返そうとしているのが、日本のリベラルたちであり、この新社会党の巻頭言ではないのか! 「核兵器禁止条約に反対しながら、朝鮮の核開発にモノを言っても説得力はありません」という記述には、北朝鮮の国連決議違反を非難しない新社会党の無原則、核ミサイル実験に対するが、暗黙の容認が、見て取れるのは、僕だけだろうか? 僕が、不思議で仕方が無いのが、このような彼らが、「安保反対」「自衛隊反対」を言いながら、それなら平和実現のために何をするのかと問えば、「話し合いで・・・・」「国連で・・・」と言うのだ。 国連決議に繰り返し違反してきた北朝鮮に見て見ぬ振りをしながら、その解決を「国連で・・・」というのは、本当に、国民を馬鹿にしているとしか思えないのだが・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2017.09.13
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沖縄の宿命、平和の無責任 (はんぺん) 8/5、藤井寺のパープルホールで、「平和展」が、あったので覗いてみた。 沖縄戦中心の展示で、「平和の大切さ」を訴える趣旨と理解した。 新婦人の会や民主商工会の皆さんたちは、ご苦労様・・・と言いたい。 しかし、少なからず違和感を覚えたのも事実だった。 「もう戦争はしてはならない」という声は、万民共通の目標だろう。異存のある人は、おそらく いないだろうと思う。 しかし、現実は、なかなか、そうはならない。戦後70年以上経過したが、この間、世界では、戦火の絶えることは無かった。 沖縄の(地政学的宿命)というものを、よく考える。450年続いた琉球王朝は、明や清、日本の幕府とのはざまにあって、常に厳しい現実に直面したことは、容易に想像できる。 太平洋戦争でも、沖縄は、米軍の日本本土攻略の重要拠点だった。 今また、沖縄は、覇権主義的攻勢をかける共産党一党独裁の中国に対する、「要(かなめ)」の位置にある。 平和な常夏の楽園である、ハワイやポリネシア諸島の島々と決定的に違うのは、宿命ともいうべき、地政学上の位置にある。 中国では、以前から「尖閣・沖縄は、中国のモノだ」と叫ぶ勢力が隠然とうごめいているのも、沖縄の存在がいかに大きなものであるか・・・ということの証明だ。沖縄の米軍基地の存在は、大洋進出をもくろむ中国にとっては、(目の上のたん瘤)なのである。 学生運動以後、長い間、「安保反対」「自衛隊反対」「沖縄基地反対」を、当たり前のごとく、何の疑問もなく、信じ込んできたが、状況を客観視する中で、その あまりにも大きすぎる矛盾に気づかされてきた。 そう、安保が無くなると、どうなるか? 平和が続くのか? 自衛隊が無くなると、誰が、自身を守るのか? 沖縄の基地が無くなると、東アジアの平和と安定を誰が保障するのか? そういった疑問に、誰も正面から答えられないのだ!!! これは、「無責任そのもの」では、ないか・・・・と。 アメリカを中心とした「資本主義体制」が、素晴らしい・・・というのではない。それよりも、冷戦時代の社会主義独裁体制の凄惨さが、あまりにも際立っていたがゆえに、何よりも平和と安定を最優先するべきではないか?という問題意識なのだ。 沖縄戦では、激烈なる地上戦が闘われ、多くの地元住民も巻き込まれて、殺された。そういった事実は、後世に長く語り継がれて、戦争回避の重要性を自分たちのモノとしなければならない。 そういう意味で、今回の「平和展」は、意味あるイベントだと思う。 しかし、「平和が大切」「戦争反対」を叫ぶだけで、平和を勝ち取ることができないのも現実だ。先に述べたように、多くの民衆が「戦争するな」「平和を守れ」と叫び続けてきたにもかかわらず、地球上では、戦火の絶えることは無かった。 いかにして、戦争回避し、平和的話し合いで解決を目指すことができるのか?その答えが、まったく示されていない。そういう意味で、このイベントは、平和を訴えるという一定の意義はあるが、決定的な不十分さを孕んでいる。 付け加えて、疑問に思っていることを、受付のスタッフに質問してみた。(沖縄戦を中心に展示されているが、ヒロシマ・ナガサキと絡めて考えると、核実験を繰り返す北朝鮮に対する抗議も、重要だと思った)。 ・・・受付の人に、「原爆反対は、賛成だが、北朝鮮の核実験やミサイル発射実験も 当面の課題だと思う。この時期には、それをスルーするのは、おかしいと思う。沖縄やヒロシマ・ナガサキは出てくるのに、北朝鮮は、どうして出てこないの?」と聞いた。 女性スタッフは、「私たちも、北朝鮮の核やミサイルには反対ですが・・・どうしたらよいか?困っています」と答える。 「今は、北朝鮮を外すということは、考えにくい。多くの世界中の人々が心配しているのではないか?」 スタッフの困った顔を眺めながら・・・こんな誰でも思いつく簡単な疑問を考えること無しに、イベントに取り組んでいるのは、はたして、いかがなものだろうか? 「人間は考える葦である」と言われるが、誰かに命令されてしか、動けないとしたら、そういうイベントは、どうなのだろうか? 協賛団体に、民主商工会、新婦人の会、生活と健康を守る会、いずみ市民生協などなどが入っているが、反核を叫びながら、誰一人、北朝鮮の核実験やミサイル発射(ICBM)のことを考えなかったとは・・・信じられない。 ちょうど、受付に「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」という署名用紙がおいてあったので、1枚もらったうえで、さらに、どうして、「北朝鮮の連続した核実験・ミサイル発射反対署名」の用紙も、置かないのか?と聞いたら、「私たちも、わかりませんので、上に伝えます・・・」と答える。 上から命令されなくては動けない団体ばかりなのか? 政党でなく、民主団体=大衆団体なんだから、良いと思ったら、すぐに実行に移すことができるのが大衆団体の良いところなのだが・・・・どうなってるんだろう・・・・ はっきり言って、ピンボケなのだ。ぼくが違和感を感じたというのは、そういうことだ。これは、日本のリベラル全体に言えることだ。 新社会党大阪府本部発行の「新社会大阪」を見ても、ヒロシマ・ナガサキは、出てきても、北朝鮮の核・ミサイル批判は出てこない。こんな二枚舌は、通用しない。社民党も同じことだろう。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2017.08.07
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鉄のカーテンがあった・・・ 2017-2-23 (はんぺん) 今の若者たちには「鉄のカーテン」という言葉を知っているものは少ないと思う。僕たちの世代では、良く知られた言葉だった。 「ベルリンの壁」などは、その典型だった。チャーチルが、使い始めたこの言葉は、社会主義の秘密性、非民主性を指摘した適切な表現だったが、一方、帝国主義の側からの様々な攻撃から社会主義体制を守るためとして、日本のリベラル陣営の側からは、ほとんど批判的な論調は無かったように記憶している。 日本のリベラルは、従って、ソ連や東欧、北朝鮮などの真実の情報をほとんど正確に得ることができず、「善意」と「願望」で、「解釈」「分析」せざるを得なかった。 その結果が、大きな禍根を残すことになった。「ソ連や東欧の社会主義の順調な発展」は、社会主義協会などが、繰り返し、繰り返し、我々に「報告」してくれたし、日本共産党は「北朝鮮は地上の楽園」と宣伝して、「在日の(北朝鮮への)帰国運動」を扇動してくれた。 「鉄のカーテン」が、「社会主義の弱さの現れ」であったことに何故、我々は、もっと早く気づくことができなかったのだろうか?今でも、このことを考えると、悔しく、無念な思いがする。 日本のリベラルたちは、間違った情報を後生大事に信じ込み、何の疑いもなく、「運動」に邁進してきたわけだ。しかし、真実は、いつか化けの皮が剥がされる。20世紀の終わりに、社会主義が「崩壊」して、初めて、真実の一部が、明らかになった。 世界中のリベラル、とりわけ、日本のリベラルは、徹底的に打ち砕かれた。 今や、この地球上には、社会主義勢力は、消えた。中国共産党という特権階級が支配する「帝国主義的中華帝国」や、朝鮮労働党という、これまた特権階級が独裁的支配する「先軍政治専制国家」のみが存在する。 日本のリベラルが、何故、間違った認識のもと、間違った判断をして、「社会主義」「共産主義」にだまされたのか? その問いを真剣に考えて、反省している様子が、ぼくの周りには、余りにも見えてこないのが、僕にとっては、大きな不満だ。 そんな、いい加減な人生を送ってほしくない! 「社会主義」「共産主義」に、だまされた最も大きな原因は、「鉄のカーテン」の陰に、「真実の情報」が隠され続けてきたことだ・・・これは、間違いがない。 「真実」が隠されてきただけでなく、「ウソ」が、「発表」されてきた。 「社会主義」が「ねつ造」され続けてきたわけだ。ソ連邦による各種の「成果」がねつ造されて発表され、「偉大なソ連邦」が内外に宣伝された。社会主義協会などは、それを真に受けて、日本に持ち帰って、「堂々と」報告するだけでなく、それを宣伝扇動して、間違った認識で大衆を組織していく。彼らの誤りは、二重にも、三重にも、繰り返され・・・その罪は大きいと思う。 社会主義の崩壊後、彼らが大衆に、どのような自己批判を、表立って発表したのか?ぼくは、いまだに、それを知らない。都合の悪いことは、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」で、やり過ごしてきたのではないか? 社会主義協会の中で、大きな反省の議論が行われたことは、知っている。その一部の文書は、手元にある。かなりの運動家が、協会を離れたし、組織分裂もあったし、組織も凋落している。きちんとした反省のできない組織は、誠実さを疑われて、最後には消滅するしかないと思う。 ぼくは、「真実の情報」が我々に隠され、「偽の情報」が捏造されたことが、今の状況を結果したのだという認識のもと、今現在、得られる可能な情報を、できるだけ、多くの皆さんに提供し、共有し合い、議論し合えることが大切だと思い、(自身の向上も兼ねて)、情報発信している。 これらの情報が、各人の認識の一部に加えられ、より正確な内外情勢認識に寄与できれば、少しでも「偏向した運動」が是正されうる可能性があるのではないか?と思う現在である。 「運動」からは、一定の距離を置いて、再勉強中の今、ちょうど老後の第2の人生の大きな目標でもあるわけだ。
2017.02.23
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昔のメールを読み返して・・・ 2017-1-27 (はんぺん) 昔と言っても、2015年12月だから、1年ちょっと前のモノだ。 新社会党の友人・MIさんに宛てたモノだ。 今でも、すこぶる価値があると思っている。 皆さんは、どう思われるか? ――――――――――――――――――――――――――――――― (前文、省略) しかし、都合の悪い情報を避ける・・・というのでは、新社会党大阪幹部のMAさんと同じですね。 彼は、自分にとって、都合の悪い情報を見たくないようでした。 (そのくせ、反論のメールが無かった・・・・MIさんも、そうでしたね) 自分たちの主張に沿った「情報」に取り囲まれたら、楽で良いですよね。しかし、それでは、進歩がありませんよ。 「対立物の統一(止揚)」でしょうか? 反対意見があって、初めて議論が起こり、問題点があぶり出されます。 自分たちだけで「運動」しているつもりになっても、進歩は、ありません。 新社会党の現状が、それを、ありありと示しています。 以前、「どうして、産経新聞などの、体制迎合的な記事ばかりを紹介(情報発信)するんですか?」と質問を受けた事がありました。 当たり前のことです・・・「リベラル?な活動」をしている人たちは、MIさんも含めて、体制批判的な「朝日新聞」や自分たちの「機関紙」などを読むことはあっても、自分たちを批判した新聞や本は読まないでしょうから、それを補うために資料を選んでいるのですから・・・当然、そうなるでしょう。 ぼくが、提供している資料、あるいは、僕の主張(意見)については、MIさんたちの主張と異なる部分が多いと思う。 そういう問題提起を、真摯に受け止めて、しっかり前を向いて、議論していくことが、今の新社会党には必要だと思ってきました。 ところが、そういう姿勢が、欠落している結果として、今の現状があると思います。 (議論して何か行動や実践につながるのならやる気も起こります)・・・行動や実践は、慎重さが必要だと思います。がむしゃらにやって、あとで後悔することは、この歳になっては、避けたい。いつまでも後悔できない人たちは・・・・別格ですが・・・ 今も思うに、土井たか子氏が、「北朝鮮が拉致などするはずがない」と言い切って、結果として、実際に拉致された日本人たちが見捨てられました。思い込みと偏見の目で、運動を見ていたら、大失敗をする良い例です。後悔、先に絶たずですね。 また、当時弁護士だった福島瑞穂氏は、慰安婦聞き取り調査に際して、彼女たちに証言のねつ造を「指導」しました。いまだに、この件については、彼女は、説明責任を果たさず、求められても会見をしようとはしません。彼女の心の内を知りたいと思います。自己批判の無い中で、人権を叫んでも、誰もついてきません。 昔の運動家は、「俺は、(運動)をやってる!」と、よく自己満足していました。 本当に、真剣に考えたのでなく、「長いモノに巻かれる」ことで、「逃避」していたに過ぎないのです。 今回のMIさんからの「韓国遠征」のメールを読んでいても、「自分は、(運動)をやってるよ」という自己満足の「報告」でした。それは、ぼくに言わせれば、(組織に振り回されている)としか見えません。 MIさんの「やる気も起こりません」とか「気持ちが萎えてしまします」と言うのは、本当の「怒り」が無いからですよ。 ぼくは、学生運動以来、社会主義から、拉致問題に至るまで、多くの「嘘」を聞かされてきて、「怒っています!」 その「怒り」が、本物であれば、「萎えるはずがない」「やる気が起こるハズ」なんですよ・・・・・ 自分から、「真実」を求めて、真相解明のために 立ち上がるハズです。 その「怒り」が、MAさん達に欠けている・・・・だから、ぼくの「資料」をわずらわしく感じる・・・・都合の悪い結論は「見ざる」「言わざる」「聞かざる」で、済まそうとするのです。 よく、僕が言うのは、「(社会主義協会)の向坂逸郎」「(日本の声)の志賀義雄」たちの大きすぎる誤りです。 彼らの指導を受けた多くの青年たちが、道を踏み外して、大きな(取り返しのつかない)迷路に迷い込んでいる。 新社会党という組織の一員として、任務配置があるのは、わかりますが(ぼくも長年、組織活動の経験があるから) MIさんたちは、その活動の中で「兵隊」となることで、「楽な人生」を選択しているように思います。 会議に出席したり、街頭でビラを蒔いたり、韓国に出かけたり・・・・肉体的には、しんどいかもしれないが、「楽ちん」な生活です。自己満足の世界です。 「問題提起」されて、答えられないのは・・・辛いし、出来れば、避けたい・・・・しかし、それでは、自身の人生に後悔ばかりが残ることになります。 とにかく、(忙しくて、議論できません)というのは、MIさんらしくない、と思い残念です。 老婆心から言わせてもらえれば、今後とも、出来るだけ、左右の情報を分け隔てなく(予断と偏見なく)目にしてほしい。 そして、人生総括を、マメに進めていく年代に至っていることを、自覚する必要があると思います。 (一部加筆訂正)
2017.01.27
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思うつくままに 久しぶりに、一部修正して再記する 2017-1-5 (はんぺん)日本共産党・・・・「民主連合政府の樹立は、国民多数の支持にもとづき、独占資本主義と対米従属の体制を代表する支配勢力の妨害や抵抗を打ち破るたたかいを通じて達成・・・」これは、共産党の綱領の一節だ。 しかし今から45年前、1970年当時、共産党は、「70年代の遅くない時期に、民主連合政府を作ります」と宣伝していた。あれから45年が経つ。彼らは、どう総括・反省しているのだろうか? 日本共産党は、よく、一貫して・・・がんばってきましたと言う。「⦅国民が主人公⦆を一貫した信条として活動してきた政党」とか・・・しかし、現実には、多くの大衆運動を分裂させてきた前科を持つ。国民目線ではなく、党利党略で、運動を引き回してきた・・・・唯我独尊と言われてきた共産党。 なぜ事実に反して「一貫して」いなければならないのだろうか? これは、どう考えても不自然ではないか? そもそも、個人にしろ、組織にしろ、「一貫する事」が、正しいのだろうか? 周囲の状況や条件が変われば、「変わる」ことがあって、当たり前ではないだろうか? 皆さんは、どう思われるか? 人間は、周囲の環境に大きな影響を受けるし、また環境に働きかけることができる。環境とは、人間関係も含めた周りの社会状況だ。 僕で言うなら、1960~1980年代、「安保反対」「自衛隊反対」「平和憲法守れ」というスタンスで、自分なりに運動に関わってきた。しかし、その間、世界は大きく変わっていく。冷戦は、社会主義の惨敗により終結したが、共産党(労働党)一党独裁による、新たな不安定要因(中国・北朝鮮)があらわれた。急激な軍拡のもと、核ミサイルを開発し、周辺国を武力で威嚇している。 この世界情勢の大きな変貌は、1970年代前後とは、また違った危機の到来だ。核の破壊力による新たな脅威は、昔とは、比較にならないほどの緊張感を醸成している。平和的な話し合い解決を追求するために、どうすれば良いのか?考えなければならない。 「平和憲法」のもと、自衛隊の無い(「絶対平和主義者」は、自衛隊の廃止を求めている!)、丸腰の日本が、挑発国、威嚇国を相手に、それが、可能だろうか?という現実的な問題がある。 戦争は、相手のあることが必要条件だが、相手は、日本が「平和憲法」を持っていようが、軍隊(自衛隊)が無かろうと、関係なく、仕掛けてくることを、我々は、歴史から学んだはずだ。 「絶対平和主義者」は、そのことに目をつぶり、ひたすら、「お経」のごとく、「平和的に話し合いを」「国連に働きかけて・・・」と繰り返す。僕に言わせれば、無責任の極みだ。 というわけで、僕は、「自衛隊は、絶対必要」「集団安保も、絶対必要」・・・・・それらは中国や北朝鮮に対する抑止力になり得ていると考えるようになった。それにかわる、決定的な抑止力は、見当たらない。それがあれば、だれか僕に教えてほしいと何度も言ってきたが・・・だれも沈黙する。 「一貫する」ことが、正しいのではない。状況の変化を正しく見極めて、それに応じた判断がされるべきで、それを「変節」「転向」と批判されようとも、恐れることは無いのだ。 僕のある知人が、ぼくに「長い人生の中で思想が変わるのは、それを進歩というか変節と呼ぶかはともかく、やむをえないことです。」と書いてきた。「やむを得ない」のではなくて、そういう変化そのものが、正当だと思うのだ。 「変わらず、終始一貫」していることのほうが、不自然だと僕は思う。なぜなら、周囲の社会状況が、どんどん変わっていくのに、自分だけが、それに影響されることなく変わらないというのだから・・・誰が考えても無理がある。この共産党の「終始一貫」に無理があるのと同じだ。 皆さんは、どう思われるか? 旧社会党・・・僕が25年近く、在籍した、左右あわせもった不思議な党。社民政党の限界をいつも感じながら、保守勢力・自民党の対抗勢力として、国民目線の革新政権担当を期待して、その解体まで、党員として活動してきたが、自分的には、かなりの消耗感が残った。 共産党の「唯我独尊」「終始一貫」に違和感を感じた良心的な活動家たちの受け皿として、いくらかの活動家の結集を見たが、党を利用しようとする労組などの影響力が大きくて、選挙も含めて、労組無しでは何事もできない組織に終始した。 この組織の「護憲」のスローガンは、周囲の状況の変化についていけずに、オウムのように「平和を守れ」「自衛隊反対」「安保反対」を繰り返して、自己改革できなかった。 土井委員長先頭に、「拉致などありえない」とうそぶき、事実に正面から向き合おうとしなかった。古い社会主義感覚から脱皮できなかったということで、結末は、明らかであった。 社民党・・・日本社会党の欠点を指摘しながら、克服できなかったため、その存在感を低下させ、凋落の一途は、自然の流れだ。 村山内閣の自衛隊容認、安保容認は、当時の日本社会党を大きく揺さぶることになったが、それを理解できない党内状況があったということで、その間違った流れを、社民党が引き継いで、今日に至っているということだ。 福島瑞穂さんを先頭に、「平和政策」「慰安婦問題」の誤りで、大きなダメージを 今でも我々は、受けている。拉致事件に正面から向き合おうとせず、「拉致は無い」と言い続け、朝鮮労働党に意のままに操られた「哀れな党」となり、凋落・消滅の道を歩んでいる。真剣に勉強してこなかったツケが自身の首を絞めることになった。 民主党・・・僕の友人(故人)が、日本のこえ(日本共産党)の党員で、共産党の在り方に異議を唱え、共産党を除名されたのだが、たまたま羽曳野市に住んでおられた関係で、地元の学習会で長年、ご一緒させていただいた。この方が、すごく新生・民主党に期待されていたことが、強く印象に残っている。 それまで信奉していた社会主義ソ連政権が政変によって自壊し、ドミノ式に社会主義体制自体が崩壊していく中で、彼なりの「総括」の結果だったのだろう。左右あわせもった民主党が、一枚岩的なこれまでの社会主義的な「闘う」組織でなく、市民運動にも幅広く門戸を開いた社会民主主義的な新しい時代の運動体という、彼なりのイメージが、ベースにあったのだともう。しかし、現実は、彼の思い通りにはならず、政治経験の乏しい民主党の迷走ぶりには、かなり落胆していた。 この党の欠点は、いうまでもなく「政策の誤り」と「組織不在」ということだと思う。「平和政策の過ち」は、我々国民に取り返しのつかないダメージをもたらした。これは、共産党・社民党と同じで・・・繰り返さない。 「組織不在」については、労組依存だった旧社会党・社民党と同じ。中核になる強い組織無しに、市民運動と連帯できないし、運動は、作れない。 「シールズ」を持ち上げる向きもあるが、基本的に、昔の「ベ平連」「全共闘」の焼き直しで、「解散」することはあっても、持続型の運動にはなり得ない。 こう書くと、すぐ「シールズを否定している」とバカなことを言う、輩がいる。そうでは無くて、シールズに結集した若者たちと長期戦で運動を作る連帯が、求められていることを言いたいのだ。国会質問で、民主党は、シールズの活動を利用することはあっても、運動自体に直接、どれだけ関わったのだろうか? 疑問の残るところだ。それが、一番、問われているということだ。 以上、思いつくままに・・・雑文で失敬。皆さんの考えも、お聞きしたいと思う。
2017.01.05
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思いつくままに・・・・ (はんぺん) 拉致という行為が、一般的な犯罪であることについては言うまでもない。北朝鮮による一連の拉致は、金正日という国家の指導者が、直接に命じたという信じがたい事実であるがゆえに、「国家的犯罪」といわれる所以だ。 彼は、日本だけでなく、多くの国から、部下に命じて、多くの国民の拉致を指示した。先日、皆さんに紹介した映画「将軍様、あなたのために映画を撮ります」は、ほんの一例に過ぎない。 この「国家的犯罪」について「拉致は、デマだ」と取り合わなかったのが、土井たか子(社会党)であり、「朝日新聞」や「世界」や「週刊金曜日」などの、(日本のリベラル)だった。 どうして、こんな誤りを犯したのか? 第一に情報不足があった。社会主義は、(鉄のカーテン)に閉ざされ、多くの内部矛盾が、隠されてきた。(それが、今の僕の情報提供の理由のひとつでもあるが)限られた情報をもとに、予断と偏見で、世界を「分析」せざるを得なかったのは・・・ある意味、わかる。 予断と偏見の下、「臭い物に蓋」をして、新社会党のように「見て見ぬ振り」をしてきたことの結果が、今の無残な姿である。 しかし、拉致問題に関しては、多くの拉致の痕跡が、何度も確認されているのに、朝日新聞や世界は、「黙殺」し、「拉致はデマだ」という論調で押し通そうとしている。活字になったものは、証拠として残っているので・・・これは、隠しようが無いのだ。 1980年代、1990年代の事実関係の記録が、多く出版されているが、読み進めていくと・・・思わずため息が出てしまう。どうして、真実が報道されなかったのか? 予断と偏見、狂信的な社会主義盲信の結果として、黙殺されていったのか? これは、あまりにも、ひどすぎる!!! よく、「報道の自由」「教育の中立」などと一般的に言われることの中身が、あまりにも、真実から、かけ離れている場合に、その影響をモロに受けることになる我々は、なすすべが無いようだ。 これは、(リベラルによる洗脳)以外の何物でもない・・・と思う。 皆さんは、どう思われるか?
2016.11.03
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またまた、考えてみた 2016-9-6 (はんぺん) これは、産経新聞2016-6-11の記事である。 「沖縄県・尖閣諸島周辺で「開戦の危機」が、にわかに高まっている。中国海軍のフリゲート艦が、接続水域に侵入するなど挑発行為をエスカレートさせたのだ。中国海軍が初の艦艇派遣に踏み切ったことで、自衛隊や米軍との軍事衝突も現実味を帯びてきた。東アジアで軍事的覇権を強める「赤い帝国」と激突した場合、どうなるのか。 「緊張を一方的に高める行為で、深刻に懸念している」「わが国の領土、領海、領空を断固として守り抜くために毅然と対処していく」中谷元(げん)防衛相は9日、中国のフリゲート艦による接続水域内への侵入について、厳しい口調でこう言い切った。」 皆さんは、どう思われたか? 戦争には、だれでも(フツーは)反対だ。しかし、歴史は、好むと好まざるとにかかわらず、いきなり戦闘行為に突入することが何度もあったことを示している。 (仕掛けられた戦争)に、どう対応するべきなのだろうか? 多くの「平和主義者」は、見て見ぬ振りをしてきた。「今そこにある危機」を考えたくないというのは、無責任だ。 災害大国日本では、災害予防訓練が大切にされ、頻繁に実施されている。なのに、なぜ戦争という非常時に、目をつぶってしまうのか? 抑止力としての自衛隊、集団安保法制などの必要性をウヨクの側が、盛んに強調している日本で、サヨクやリベラルたちは、なぜ黙して語らない??? 特にリベラル知識人?たちの、荒廃は、ひどい。彼らは、「お経」のように、「戦争反対」「平和を守れ」と繰り返すのみ・・・思考停止というわけだ。こんなことは子供でも言える。無責任の極みだと、僕は言い続けてきた。 過去に、リベラルから、ささやかながらコメントがあったことを 僕は皆さんに紹介した・・・覚えておられるだろうか? 再記してみる・・・・護憲派の森嶋教授の主張だ。 月刊『文藝春秋』(1979年7月号)に掲載された「新『新軍備計画』」の一説で、 森嶋教授は、・・・・ 「万が一にもソ連が攻めてきた時には自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない。徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂うたソ連軍が殺到して惨澹たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える。 日本中さえ分裂しなければ、また一部の日本人が残りの日本人を拷問、酷使、虐待しなければ、ソ連圏の中に日本が落ちたとしても、立派な社会ーたとえば関氏〔関嘉彦早大客員教授〕が信奉する社会民主主義の社会ーを、完全にとはいえなくても少くとも曲りなりに、建設することは可能である。」・・・・・・・・ 無抵抗平和主義、無条件全面降伏は、たしかに、一つの選択肢ということではある。しかしサヨクやリベラルの一部には、これは同意できないという人士も多いだろう・・・その人たちは、どうするべきだと思うのか?見えてこない。 「自衛隊反対」「戦争反対」を叫び続けるばかりの彼らには、それは、考えたくない事態であり、説明したくない(出来ない)事態なのだろう。 皆さんは、どう思われるか? 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」 (日本国憲法前文)できるのか否か? 普通に考えれば、きれいごとが通用するほど、現実は甘くないのは、確かだ。 「平和を愛する諸国民の公正と信義」が信頼できないとなれば、選択肢は、無条件全面降伏か、自衛権行使で戦う(戦争)しかない。他に、手段は無い。平和的解決には、その時点では、もう手遅れなのだから・・・どうだろう。 ヒトラーだけでなく、習近平や金正恩たち独裁者は、民主主義的手続き抜きに、素早く「決断」できる。民主主義国では、何を決定するにも、相当の時間がかかるのが常だ。 したがって、そういう緊急事態に備えることは、民主主義国では、ごく当然の流れではないのか? サヨクやリベラルの人たちに、言いたい。もっと、この問題に積極的に関わり、大いに発言してほしい・・・と。 日本が(独裁国でなく)民主主義国であるからこそ、大いなる議論の渦を巻き起こせるはずだから・・・ 「危機を煽っている」と言われることがある。そうではない。 政治を志す者たち、社会平和を目指す者たちであれば、避けて通ることができないはずだと言いたいのだ。避けて通る人たちに対しては、(無責任だ!)としか言えない。 これは、妄想ではなく、(今そこにある危機)として、認識できなければ、新社会党のように「自衛隊反対」「安保反対」と「お経」のように繰り返して済ませることができる。都合の悪い議論は「見ざる」「聞かざる」「言わざる」で、やり過ごそうとする。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2016.09.06
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2016参院選が、終わって 2016-7-11 (はんぺん) 今回の参院選を見ていて、気のついたことがあった。10代、20代、30代という若い年代層が圧倒的に、保守・自民党に投票したことだ。60代の僕から見ると、これは、驚きに値する。 自民党が、彼らの40%以上の支持を得たということは、「リベラル」陣営が、如何に、彼らの説得に失敗したか・・・ということだ。 僕たちが若かったころ、「若者は革新的、高齢者は保守的」というのが、一般的な認識だった。今は、そう単純ではない。 (就職氷河期とか、ブラック企業とか・・・もっとも虐げられてきた)はずの若年層(彼らをそういう苦しい事態に追い込んだのは自民党!)が、保守政権側に取り込まれたことについては、いろいろな原因があるだろう。 選挙は、民主主義の一つの手段では、あるが、必ずしも「正しい」選択をするとは限らないということ。それは、ヒトラー政権を、合法的選挙で成立させたワイマール共和国や、今回の英国の国民投票で、よくわかる。 若者たちは、結局、自分で自分の首を絞めていることに、最後まで気付くことは無かった・・・という悲しい現実がある。「派遣法」は、「非正規」の増大を容認し、ブラック企業を助長した。既成の「リベラル」は、なぜ、これに、適切に切り込めなかったのか? 未来は、若者たちの手の中にある。その若者たちが、保守勢力に絡み取られている現実は、日本の将来を 暗いものにしている。 「憲法死守」「戦争法反対」が、争点になり得なかったのは、必然だったようだ。国民の関心事は、ズバリ「生活不安」であり、その内容は、「老後不安」「就職不安」「景気不安」「増税不安」だったように思う。 「アベノミクス」に対する適切な批判とも、オーバーラップするべき、「不安」解決策=適切な政策についての訴えに、もっと重点が置かれるべきでは無かったか? 国民の中には、「民主党政権」時代の、負の遺産が、今なを払拭しきれていないのが、現実だろう。 最後に、いつも僕が強調するのは、「戦争法案反対」「平和憲法守れ」という、ピンボケのスローガンだ。あまりにも無責任な状況認識は、国民を説得するには、致命的だと思う。 世論調査で「憲法改正反対」が、「賛成」を上回っているという情報が、一方で報道されている。これは、国民の素直な「平和希求」意識ということで、間違ってはいない。 同時に、国民の命と暮らしに責任を持つ政治家は、「今、そこにある危機」についての正しい状況認識を隠さず、説明するべきだと思う。北朝鮮や中国などの全体主義国に対する、正当な抑止力としての集団安保体制や自衛隊の存在の重要性について、堂々と臆することなく、提案し、議論を巻き起こすべきだろう。 いつまでも、一国平和主義を振りかざしている時代では無いだろう。核ミサイル開発などで、大量殺りく兵器は、(不幸にも)格段に進歩した。先軍政治の北朝鮮や脅威的軍拡を進める中国一党独裁に対して、「黙して語らず」の「リベラル」には、政権を任せるには、あまりにもリスクが大きいように思う。 皆さんは、どう、思われるか? (はんぺん)
2016.07.11
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参院選挙が、真っ最中である。 先日(6/29)、期日前投票に行ってきた。大阪選挙区は、渡辺(共)に、比例区は、社民党に投票した。 もともと、社民党や共産党の、安保政策には、強烈な違和感があった。簡単に言えば、「無責任の極み!」ということだ。 「平和を守れ」「戦争は、嫌だ」と叫んでいれば、事足れり・・・とするのは、僕に言わせれば、選挙民を馬鹿にしているとしか思えない。いかにして日本を守るのか?という問いに答えていない。 「話し合いを・・」「国連に訴えて・・・」では、現実味に欠ける。国際感覚はゼロと言われても、文句は言えまい。 それでは、なぜ、渡辺(共)や社民党に投票したのか? それは、単純に「一極集中」は、好ましくないと思ったからだ。そういう考え方をする有権者もいて良いと思う。 社民党や共産党に、政権担当能力があるとは、まったく思っていない・・・というか、「それは、まずいんじゃないか・・・」とさえ思う。 ただ、民主主義社会では、批判勢力の存在の意義は、大きい。一党独裁の共産国、北朝鮮や中国の実態を見れば、それは、明らかだ。これらの国では、反政府デモすら、出来ないし、強行すれば、たちまち、血の雨が降る。逮捕・拷問・強制収容所などが待っている。 それに比べれば、日本の平和と自由、民主主義は、天国だとも思える。 ともすれば、息を吸うように、これを当然のこととして、錯覚してしまいがちになることを恐れる。 社民党や共産党(民進党も?)は、その視点が欠けているように感じることがある。批判ばかりでは、社会的存在感は期待できない。国民の信頼を得ることもできないし、いつまでたっても、選挙には、勝てないだろう。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2016.07.03
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「慰霊の日」に思う 2016-6-23 (はんぺん) 沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」の式典を、テレビ中継で見た。 沖縄戦での死者は、日米合わせて20数万と言われている。多くの県民が、犠牲になった。「戦争は、許すまじ」「平和が第一」という声は、正しいと思う。そのうえ、沖縄では、戦後も、広大な米軍基地がおかれ、本土復帰まで、米軍施政下にあって苦難の連続であった。県民の命と生活は、脅かされて、復帰後も、今日まで、厳しい状況は、変わっていない。 同じ日本人として、県民の置かれている困難な状況には、無念な気持ちは、理解できるし、県民の負担の軽減を もっと進めるべきだと、つくづく思う。 しかし、今日の翁長沖縄県知事の「平和宣言」を聞いていて、何か、スポッと抜け落ちているものがある・・・と感じた。(6.23)が、沖縄戦終結の区切りの日であり、「平和希求」「戦争反対」の声が上がるのは、理解できる。また、4月28日に起きた、沖縄うるま市女性暴行殺人事件にたいする県民の激しい怒りも、当然のことだ。 にもかかわらず、こういう場では、沖縄の地政学的な重要性と、同時に 抑止力としての在日米軍の存在自体の重要性が、語られていない。 昨年の夏の国会での、集団安保法制論戦と全く同じだ。「戦争はイヤだ、平和が良い」・・・当たり前だろう。誰でも殺し合いは、嫌に決まっている。そして、次のことも真実だ。つまり、戦争は、一人ではできないということ。相手があっての戦争だ 戦争を好まない我々が、話し合いの出来ない狂信的な独裁者から、脅迫と恫喝をかけられ、実力行使されたら、どう対応するのだろうか? 自己中の中国や北朝鮮は、相手のことなどは、考えてくれない・・・・・「平和憲法」があろうが、「戦争放棄の第9条」があろうが、「無防備都市宣言」をしようが、何の力にもならないことは、南シナ海や東シナ海の現状をみれば、一目瞭然だ。 これは、歴史的にも、みても明らかだ。ソ連社会主義が、日ソ中立条約を一方的に破棄して攻め込んだこと、北朝鮮社会主義(労働党)が、ソ連や中共と結託して、南に攻め込んだこと、ナチスが、ブレストリトフスク(独露)を一方的に無視して、ポーランド領内に攻め込んだこと・・・そういった多くの事例は、軍事力の強大さをバックにした、スターリン・金日成・ヒトラーたち独裁者のとった行動だ。 歴史は、繰り返さないという保証はないのである。というか、これが、人類の歴史そのものだと思う。日本のリベラルの大きな欠点は、歴史の真実に正面から向き合おうとしないこと。自らの頭の中で、幻想・妄想の中に生きていることでは無いか?現実離れしているから、説得力が無い。 平和憲法は、彼我の力関係、特殊な状況の中で成立したもので、当然、連合国軍の中心のアメリカの思惑も入っている。しかし、戦争の最大の被害者だった日本国民にとっては、「反戦平和的な」極めて、適切な、好ましい内容だったので、今日まで受け継がれてきた。そういう風に解釈すべきだと思う。 したがって、平和憲法を絶対化することは、誤りだ。日本を取り巻く東アジア情勢は、第2次大戦直後と比べて、大きく変化した。人類が手にする兵器の殺傷能力は、比べものにならないほど巨大化している。 そういう中で、人類の歴史から得た教訓を踏まえながら、今日、この憲法を考えると、正の部分と負の部分があるのは、当然だ。 一方的に攻撃されたら、その時どうするのか? ということで、絶対平和主義では、国民を納得させられないのは、明らか。 極東の緊張関係を打開するための平和的な話し合いを実現するため、一定の国力を背景に持つことの必然性は、常識的には、わかる。 しかし、軍事力の増強が、莫大な国費を必要とするだろうし、昔の冷戦のように、際限のない軍拡が、3次大戦の引き金を引かぬ保証はない。 そういう意味で、人類の未来は、限りなく暗いと言わざるをえない。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2016.06.24
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今、老前整理ということで、手持ちの膨大な資料を整理していると、また、古い資料が出てきた。1997年7月8日付のモノ。書いたのは,ボク!疑問の多い新社会党に対する「意見書」だ。この文書を送った日付に注目してほしい。1997年といえば、独裁政治の結果としての数年前からの異常な食糧難で、数百万人が、餓死するという事態の中で、世界中からの食糧支援が、叫ばれ、日本でも、人道主義の立場からの取り組みが、行われたときに、その「内実」が問題になった。特に、「金正日は、苦難の行軍の時、300万人以上の人民らが飢えて死ぬ時も、日本人の料理人を雇い、最高のご馳走を食べながら『500万人が死んでも良い。核心群衆300万人と軍隊さえあれば、社会主義を保てる』と言った」という宣伝が行われたように、この食糧支援は、軍隊と核心層(独裁支持者)たちに配給され、独裁体制を強化するのではないか???という疑問だった。これは、疑問の多い新社会党に対するぼくの「意見書」だ。その全文を下記に示す。------------------------------------------------------------------------東京都中央区八丁堀4-3-7 三建ビル八丁堀6F新社会党中央本部御中 前略、新社会党を支持し、新社会党を応援している、元日本社会党員です。「週刊新社会」1997年7月8日付の第2面の党広島県本部の記事について、疑問が残ります。 人道主義、人命優先という立場での食糧支援に反対するものではありませんが、救援食料が、本当に民衆の口に入るのかどうかが、保証されていません。北朝鮮という国が「社会主義」の名のもとに、金正日の独裁国家であり、軍事(軍隊)の抑圧の下に、北朝鮮民衆が、極めて困難な生活を余儀なくさせられていることは、すでに各種の報告で明らかにされています。国内には、網の目のようにスパイ網(監視の目)が張りめぐらされ、職業選択や移動の自由、言論の自由もない、抑圧下の状況が、(北では)一般的です。今回の食糧援助が、「朝鮮総連経由で北朝鮮に」というのが、とても気になります。北朝鮮当局が、その「カンパ」を、果たして民衆の食糧確保のために 使うかどうかの保証は、全くありません。これまでの、北朝鮮当局のやり方から想像すると、北朝鮮の上級幹部の私腹を肥やす以外には、考えられないと思います。せめて、現物の食料品を赤十字の監視員の下に、民衆の手に直接手渡すようなやり方が、追求されて良いのではないですか。今回の新社会党のやり方は、あまりにも軽率で、善意ではあるが、「お人好し」とバカにされかねないような、「誤り」であったと私は、思っています。北朝鮮という国が、社会主義とは、ほど遠い独裁国家であることーーその現実を直視する勇気を持ってください。 (住所) (はんぺん)--------------------------------------------------------------------朝鮮総連は、朝鮮労働党の完全な傘下にあって、1960年代の帰国運動の中心になったり、や日本人拉致事件に大きく関わった。在日に奉仕するのではなく、朝鮮労働党や金一家に奉仕する、反民主的団体であることは、今では、明らかにされているが、当時は、この団体に、まだ幻想を持つ人々が、いたということ・・・その代表格が、この「新社会党」であったということだ。この党は、最近でも、自らの機関紙(2013-11-19)で、「北朝鮮では、人民は、楽しく生活を謳歌している」と報道している。この時代錯誤的な彼らが、1994~1997年当時の「北の困難な行軍」時に果たした犯罪的な役割を この「意見書」は、指摘したと思う。彼らの果たした役割は、結局、独裁体制の強化以外の何物でもない。すなわち、彼らの行為は、「善意」から出たとはいえ、結果的に、独裁体制の延命に手を差し伸べてきたということではないのか!まさに、「地獄への道は、善意で敷き詰められている」のだ。新社会党は、いまだに、都合の悪いことについては、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」で押し通せると考えているようで、その凋落には、歯止めがかからない。皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2015.12.28
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XXXさんへ 2015-12-4 (はんぺん)です・・・ メールを読んで、少し考えてみました。僕は、12月で66歳になります。糖尿病の身ですから、生きられて、あと5年?10年?・・・・・自分の人生、その時その時で、しっかりやってきたつもりですが、悔いの残る部分も多くある。まあ、みんな そうなんでしょう。 人生の終わりが見え始めたからこそ、自分い素直になれるのかな?とも思います。自己批判すること、誤りは、誤りと素直に認めていけるのかも。 運動のの渦中にある人は、自身の正当化に汲々としているようですね。たいへんな無理がある。心の安らぐヒマが無いのでしょうか?次から次へと「闘争スケジュール」が、彼らを縛り付けていく。冷静に疑問を出し合う場が、あるのだろうか???? 組織の中では、少数派になることを恐れ、多数派に肩入れしてしまい・・・・モヤモヤした気分で自身をごまかし「闘った」という自己満足に浸り、自身を慰める・・・・こんな生活を、新社会党の人たちも含めて多くの活動家の人生だったような気がしますね。 かなり前ですが、新社会党(大阪)のMAさんに宛てたメールの中で、「あなたたちの50年、60年の人生は、いったい何だったんでしょうか?」と問いかけたことがあった。 特に彼らは、あまりにも、自己批判なしの活動を長年続けてきたものだから、誠実さに欠けることがおびただしい!北朝鮮に対する「見ざる・聞かざる・言わざる」・・・・の結果ですね。 都合の悪いことから、逃げてはだめだと思います。とことん、組織の中で話し合ってほしいものですね。(日本の労働運動や政治活動の論評をしうる能力や責任が私にあるとは思えません。)とありましたが、個人ではできなくても、組織の中では可能ですし、またどんどんしていかねばならないと思いますね。 組織の方針を決めるための討議が、どれだけ行われているか? それに、どんどん参加していくべきでしょうね。 XXXさん自身が・・・・ 朝鮮総連が、相も変わらず、朝鮮労働党の下部組織としてしか機能できないのは、内部の民主主義が無く、独裁が、まかり通ているからです。 そのため、総連から、組織員が、ボロボロと脱落。組織は衰退の一途ですね。 新社会党も、そうならないように 党内民主主義の保障の上にたって、活発な議論を展開し、一日も早く脱皮(党改革)されることを ぼくは、期待しますね。 何度も言いますが、「能力や責任」は、組織の中で、集団的に解決してほしいですね。なぜなら、あなたたちは、街頭でビラをまき、集会やデモを呼びかけているだけの責任が、充分にあるからですよ。 (民主主義とは自分と価値観の違う人の意見を受け止めるところから始まると思います。)あなたのこの言葉は好きです。北朝鮮や旧社会主義国では、違う意見、違う価値観を持つだけで、「反革命」と断罪され、抹殺されていったのです。 同時に、この「始まります」が、大切だと思う。意見を受け止めることは、「認める=肯定する」ことでは、ありませんよ。「議論が 始まります」と言うことなんです。 まあ、そんなことを考えていました。思いつくままで、すみません。 (はんぺん)
2015.12.04
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情報、見ました。連絡、ありがとうございます。今、ぼくは、この問題に、関心は、あるのですが、勉強不足です。戦争に反対・・・・は、当たり前ですが、戦争は、一人ではできません。相手のあることであり、平和的な話し合いで解決できれば、良いのですが・・・現実はそんなに甘くは無いでしょう。そういう切迫した状況に、備えることも、大切です。「憲法9条守れ」、「戦争はイヤだ」は、単なる願望であって、国際的には、通用しないと思います。それは、池田さんの批判しておられた「一国平和主義」であり、ぼくも、これを批判する立場をとっています。一国平和主義が、批判され始めたのは、核兵器の拡散によって、戦争の質が変化したからです。1950~1970年代と、2015年の今日とでは、東アジアの状況は、大きく変わっています。そのことの、情勢認識が、必要です。昔の社会党の、(反安保、反自衛隊)という立場を、現在、政策として掲げるのは、間違っていると思う。亡くなった池田さんと同じで、安保条約は、必要ではないか・・・・と ぼくは、考えています。これまで、こちらから、お送りしたメールの中でも、少しづつ明らかにしてきました。また、ゆっくり、話し合いたいですね。付け加えていえば、反原発の立場は、変わっていません。また、進歩的と、反動的を分けるメルクマールは、反天皇制だと考えています。ぼくの立場は、反天皇制ですが、日の丸・君が代についての取り組みは、一考を要すると思っています。また、ゆっくり、話をしましょう。情報、また、送ってください。 (はんぺん)2015-7-14記
2015.07.14
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石橋を叩いて・・・・おずおずと進みたい・・・・ (はんぺん)------------------------------------------------------------------------2002年9月に訪朝した小泉首相に、金正日は、「拉致」の事実を、謝罪した。卑怯にも「一部妄動分子の仕業」と責任逃れをしながら・・・・・・・・・「5人生存、7人死亡、二人不明」という「ウソ」で・・・・日本の国民は、激高した。 今回、北朝鮮のナンバー2だったといわれる張成沢(チャンソンテク)氏が、公開で銃殺刑にされたと報じられている。北朝鮮の報道機関は、最高指導者に挑戦する者は、「たとえ血を分けた肉親でも、ためらわず銃口を突きつける」として、親族の処刑を正当化しているそうだ。この銃殺されたナンバー2は、金正日体制の下で、自ら、粛清する側にたって、辣腕をふるったという「実績」がある。 このような、「血で血を洗う」凄惨な地獄絵に対して、社会主義を標榜する、「革新?」の側の人たちは、どう考えているのだろうか?今、述べたこの2件の事実は、まったく無関係なものでは、ない。 これらの事実は、(金帝国)の本質を、みごとに暴き出しているように思える。「社会主義」、「人民」の名に隠れた、金一家による強権独裁、ファシズム。 すでに、「社会主義」の「威信?」は、地に落ちている。にも関わらず、いまだに「社会主義」を 持ち上げる人たちがいる。 つい先日の11月19 日付けの週刊「新社会」(新社会党機関紙)の記事を見て、またまた、驚いた。(新社会党訪朝団報告)のことである。報告者は、向こうの訪問コースを見せられた挙句、「無料の医療・教育・住宅は、生活に安心をもたらすと実感した」という。 人々は、遊園地やコンサートなどで、「ゆったりと過ごし」「どこも満員の盛況で人々は、楽しんでいた」とある。北朝鮮の限定された宣伝コースを見せられて、あたかも、それが、かの国の全てであるかの「報告」は、偽善に満ち溢れた悪意が感じられる。地方の窮状は、こんなニセ報告を読むまでも無く、かなり詳細に、日本でも伝えられている。この「報告」に違和感を感じるのは、僕だけなのだろうか?このことを、新社会党の若手指導部(?)の人たちに、聞きたいものだ。 昔の労働大学や、社青同の「活動家」たちの訪ソ報告、訪東独報告と同じで、偏見に満ち溢れた唯我独尊の偏向は、未だに是正されることが無い。 一言で言えば、自身の言葉で語ることが出来ない、考えることが出来ない、小児病的な姿勢である。 「社会主義」は、こうあって欲しい、こうあるべきだ・・・・という図式から、脱け出せない彼らは、相手の都合の良い「実情」を見せられて、相手の都合の良い「報告」をする。相手の手のひらで踊らされている姿は、なんとも哀れで、醜くさえある。 この党の「信じられない時代錯誤」・・・・は、いつまで、続くのだろうか?
2015.06.01
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