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「バカは死ななきゃ治らない」って、本当かも?? いつかブーメランのように民衆自身に突き刺さるハズ・・・・ 2023-5-7 はんぺん君主制は、人間の合理主義の正反対にあるいびつな制度だ。ヨーロッパだけでは無く、全世界に、未だにいびつな権威が、幅を利かしているのは、不幸としか言いようがない。 君臨すれども統治せず・・・・英の君主制では、そう宣言されたとあるが、それは、過去の凄惨な歴史を踏まえたもので、歴史的妥協の産物だということだ。 (不自然ながら)権威が必要とされた結果、(フランスのような民衆革命で)君主制を廃止して、完全な共和制に移行する機会を作ることは出来なかった。 問題は、未だに(正論)が、踏みつぶされていることだろう。国民が、為政者を選ぶという民主主義が、不完全なままに推移してきた。英国王室の(権威)は、事あるごとに、(持ち上げられ)、(開かれた皇室)の美名のもとに、存続している。 莫大な国富を合理的根拠もなく手中にしながら、陰に陽に(政治)への働きかけも怠らない・・・それが、英国王室のリアルなのだ!! これは、未だに非合理的な(宗教)が、存続・拡大さへするという、人類の悲劇と同じで、いつまでも(権威)が作られ、依存しなければ、安寧感を得られない人間の弱さを、象徴している。 日本の天皇制も、同じだ。この君主制をバックアップしてきた国粋主義勢力の存在だけではなく、この封建制度を 民衆支配に最大限活用してきた保守勢力、それをバックアップして、最大限の利益を得ようとてきた資本家勢力が、あった。 その結果、この2023年の現在でもなお、この非合理主義的諸制度は、英国でも、日本でも健在である。科学の発達した現代社会でも、生き延びる(非合理主義)は、いつかブーメランのように、人類に襲い掛かってくるように、僕には思われる・・・・ 皆さんは、どう思われるか? はんぺん――――――――――――――――――――――――――――――イギリスの君主制廃止求める団体代表が逮捕、戴冠式パレードルート近くで抗議 2023-5-6 BBC Newsイギリスの君主制廃止求める団体代表が逮捕、戴冠式パレードルート近くで抗議 英ロンドンのトラファルガー広場で6日朝、昨年9月に即位した国王チャールズ3世の戴冠式を前に君主制に反対する抗議行動があり、君主制廃止を求める団体の代表が逮捕された。 映像では、「私の王ではない」と書かれたTシャツを着たデモ参加者たちが、警察に逮捕されている様子が見える。その中に、君主制廃止を求める市民団体「リパブリック」のグレアム・スミス代表の姿もある。 スミス氏を含む6人は、トラファルガー広場の北側に複数のプラカードを運び込んだ際に逮捕された。リパブリックは、6人が警官から事情を聞かれている様子をとらえた画像をツイートした。 同団体は「平和的な抗議の権利が台無しだ」と投稿。警官は彼らを逮捕する理由を示さず、逮捕者の中にスミス氏がいることを認めたと付け加えた。 逮捕された1人のマット・ターンブル氏は、プラカードを支えるためのストラップが、何か別のものに「誤解された」と述べた。BBCはその後、ターンブル氏が手錠をかけられて連行されるのを目撃した。 ロンドン警視庁は、拘束した人数は明らかにしなかったが、戴冠式パレードの沿道で複数人を逮捕したと述べた。 イギリスでは今週、街灯やベンチといった街中の備品に物を固定しようとする行為を違法とする新たな法律が成立した。 ロンドン警視庁は3日、戴冠式の祝賀期間中の抗議行動に対して厳しく対応すると表明。わずかな違反行為も見逃さず「素早く対応」するため、デモ参加者はそのつもりでいるようにとくぎを刺していた。 ■平和的な抗議と リパブリックは、同団体の数百枚のプラカードが押収されたとし、「これが民主主義なのか」と疑問を示した。 「なぜ抗議しているのか、私たちに聞いてくる人もいる。戴冠式を機に君主制をめぐる議論を変え、この国には君主制を支持しない者もいるのだと示したいからだ」と、同団体はツイートしている。 君主制に反対する抗議行動はロンドン中心部のトラファルガー広場付近で行われている。参加者は増えつつあり、「私の王ではない」、「グレアム・スミスを解放しろ」と声をあげている。 抗議行動は戴冠式のパレードルート近くで手配された。沿道には6日午後の式典に先立ち、バッキンガム宮殿からウェストミンスター寺院へ向かう行列を見るために数千人が集まっている。 抗議行動に参加していた環境保護団体「ジャスト・ストップ・オイル」の関係者約13人が、バッキンガム宮殿前の広い道路「ザ・マル」で逮捕されたもよう。気候変動キャンペーン団体関係者の多くが手錠をかけられているのが目撃された。 石油製品の使用に反対する「ジャスト・ストップ・オイル」は、首相官邸のあるダウニング街でも同団体関係者5人が逮捕されたと発表した。 同団体の広報担当者は、「Tシャツと旗を掲げることだけ」を計画していたとし、「ディストピア的な悪夢」だと付け加えた。 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、今回の逮捕は「ロンドンではなく(ロシア)モスクワで見られるようなもの」だと指摘。 「戴冠式に平和的に抗議した人々が逮捕されたと報告されている。信じられないほど憂慮すべきことだ」と、人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のイギリス担当ディレクター、ヤスミン・アフメド氏は述べた。
2023.05.07
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能天気な平和主義者の(おかげ)で、日本人の(平和ボケ)は、限りなく深化していった・・・・ 2022-9-21 はんぺん アメリカの占領政策の大きな柱は、「日本軍国主義の牙を抜く!!」ことだった。その具体化が、日本国憲法の(戦争放棄)であり、(非武装)であった。 それを、知ってか知らずか? 「戦争は2度とごめんだ!」という素朴な国民感情を背景に、リベラルたちは、「憲法があれば、戦争せずに、やっていける・・・」と捻じ曲げたのだった・・・・ (戦後の日本が、戦争せずに済んだのは、憲法のおかげだ)と、今でも社民党や新社会党は選挙のたびに主張してきたのだ。 なんという事だろうか! 昔の僕も含めて、リベラルたちは、とてつもない大きな(罪作り)、巨大な(犯罪)に手を染めてしまったのだ・・・・・一度しか無い、自分の人生を、このような(過ち)の中に、身を置いたことに、僕は激しく後悔している。そして、残された余生を、いかに生きるべきか? いつも、そのことを考えている・・・・ 皆さんは、どう思われるか? はんぺん―――――――――――――――――――――――――天声人語(1965・8・15) 朝日新聞 戦争中、戦地の特派員から、よく、多数の戦死者、戦傷者の住所氏名が打電されてきた。新聞社への入電は公報よりも早い。地方のばあい、支局員は自転車に乗って、戦死者の家庭を回り、写真を借りる。まったくつらい仕事だった ▼昭和十三年だったか、長野支局員だった筆者は、戦死者の家をたずねて山の中の村に行った。傾いた農家だ。障子の破れから中をのぞくと、老母と娘がだまってひるめしを食べていた。食卓もなく、ボロボロのタタミの上に茶わんをおき、背中をかがめていた ▼娘は顔いろが悪く、老母はしらがだらけだった。働き手を戦争にとられた家らしい。この一家にどうして戦死と知らせられよう。考えこんでいると、人の気配を察して、老母が出てきた。しかたなくこう言った。「息子さんが負傷されたらしいんです。たいしたことはないと思いますが……」。一枚きりの写真を借りた ▼自転車に乗ろうとすると、老母はとつぜんに荷台をつかんで、必死のこえでさけんだ。「記者サ、おまえサなにかかくしているでねえか。セガレが死んだなら死んだと言うてくれヤ。天皇サマにあげたいのちだ。泣くこたァねえ、泣くもンじゃねえ……おら、泣きゃしねぇ」 ▼こう言いながら老母は泣き、まっさおな顔で、自転車をつかんではなさない。娘は地べたにすわりこんで、声をあげて泣いた。「いや、ケガです、ケガです」と言いながら、記者もなみだをこらえきれず、立ちすくんだ。じぶんにもいつ赤紙がくるか、重い足で、つぎの戦死者の家を捜して峠をこえたことを思い出す ▼あの老母と娘の号泣が耳の底に残る。そのころの支局員は悲しみの使者みたいなものだった。ひとり息子の戦死を知って気が狂い、勝ってくるぞと……と楽隊のまねをしてわめきながら、駅を歩きまわる母がいた。憲兵がつれて行っても、また駅にもどってきた ▼日本に戦争がなかった、このことだけで、この二十年は他のなにものにもかえられぬよい時代だ。この「戦後」が「戦前」にかわることは絶対にあってはならない。―――――――――――――――――――――――――――――昭和天皇の戦争責任論(ウイキペディア)東京裁判では昭和天皇が大日本帝国憲法の規定によって、大日本帝国陸軍および大日本帝国海軍の統帥権を有する国家元首、かつ大日本帝国陸海軍の最高指揮官(大元帥。軍の階級としては陸海軍大将)であったため、「侵略戦争」を指導した国際法違反を昭和天皇が犯したとする法的責任があったと指摘を受けた場合に、訴追対象になる可能性があった 一方、立憲君主制の下に日本国民に対する政治的、道徳的責任、すなわち国民国家に対する多大の人的・物的損害と領土失地などの敗戦責任を何らかの形で取るべきであったのではないかという議論があった。後者については秦によれば、昭和天皇は自らが退位することで責任を取る意思があったが、こちらも実現することはなかった。 その後、同盟国であった第一次世界大戦敗戦後のドイツにおける帝政崩壊とは相違して、占領政策を円滑に行うためのGHQ(SCAP、連合国軍最高司令官総司令部)の意図もあり、敗戦後も皇室は維持されることになった。 昭和天皇は1947年(昭和22年)5月3日の大日本帝国憲法改正による日本国憲法施行後も1989年(昭和64年)1月7日に崩御するまで第124代天皇として在位し続けた。 戦争責任を肯定する立場の主張戦争当時の日本では国家主権は天皇に帰属し、日本国内でも外国でも天皇は日本の元首であり最高権力者であると認識されていて、戦争を始めとするすべての政治的な決定は天皇の名のもとで下され、遂行されたという歴史的事実から、天皇に戦争責任があったとする主張がある。 極東国際軍事法廷(東京裁判)では天皇は起訴されなかったが、裁判長のウィリアム・ウェブは、個人的な意見として天皇の戦争責任を言及した。 一、天皇の権威は、天皇が戦争を終結された時、疑問の余地が無いほど証明されている。(略)一、天皇が裁判を免除された事は、国際軍事法廷が刑を宣告するに当たって、当然配慮すべきことだったと私は考える。一、天皇は常に周囲の進言に基づいて行動しなければならなかったという意見は、証拠に反するか、またかりにそうであっても天皇の責任は軽減されるものではない。一、私は天皇が処刑されるべきであったというのではない。これは私の管轄外であり、天皇が裁判を免れた事は、疑いも無く全ての連合国の最善の利益に基づいて決定されたのである[5]。 ウェブはこう述べて、天皇には戦争責任があるが、政治的配慮によって起訴されていない事を明らかにした[6]。 また、天皇自身も戦争責任を意識している節は各種証言や手記によって確認されている。ポツダム宣言受諾の際の1条件(国体護持)をめぐる回答や、(中曽根らの進言に沿って 戦後に退位を望む意向を示したことなど。
2022.09.21
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天皇制は、差別の根源だ・・・ 2022-1-27 (はんぺん)ウイキペディアで、(皇太子徳仁親王)で検索したら、経歴が・・・1960年(昭和35年)2月23日、東京都千代田区千代田の皇居・宮内庁病院にて降誕。・・・とあった。 おいおいおいおい・・・降誕って、なんだ?? 「誕生」だろうが・・・・なんで敬語使うんだ?????? 天から降ってきた?????? 「象徴」って、そんなに、身分が(上)なんかよ?? おかしいだろうが・・・・これって、人間みな平等の精神に反してるやんけ・・・日本国憲法の精神にも、大いに反してる・・・ 因みに、日本国憲法は、第14条で、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係に おいて、差別されない」ことを定めているやんけ・・・・ 戦前の天皇制の下で、国民は天皇の赤子(せきし=赤ん坊)であり、赤紙一枚で招集され、戦地に送られ、多くが飢え死にしている。それだけ、人間に命は軽く扱われたという事だが・・・・戦後になっても、(降誕!!!)だとよ。 グアム島の密林で発見された元日本兵横井庄一さん(下の記事)は、天皇制軍隊の犠牲になった国民の悲劇そのものだった。 ヒロヒト(昭和)が始めた先の戦争で、300万人の国民、2,000万人のアジア民衆が殺された。ヒロヒトの手は、血まみれだったということだ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――ある仕立職人の一生(天声人語) 2022年1月24日 朝日新聞「恥ずかしながら帰って参りました」。いまからちょうど半世紀前の流行語である。 1972年1月24日、グアム島の密林で発見された元日本兵横井庄一さんの帰国第一声は、高度成長下の人々を大いに驚かせた ▼当時56歳。当方まだ小学生だったが、伸びた髪とひげ、草木で編んだ服はいまなお忘れがたい。終戦を知らず、28年間もジャングルに身を潜めていたとの報道に驚嘆し、祖父を質問攻めにしたものだ (中略) ▼望まぬ注目と毀誉褒貶(きよほうへん)にさらされ、82歳で生涯を閉じたのは25年前の秋。若き仕立職人の一生をかくも狂わせた戦争のむごさを思う。
2022.01.27
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戦争犯罪の総元締めは、ヒロヒト(裕仁)だが、責任追及を免れて生き延びた。 遺族は決して忘れないこと!! 2022-1-26 (はんぺん)ヒロヒトの名のもとに開始されたアジア太平洋戦争で、多くの戦争犯罪が繰り返されてきたが、最終責任は、もちろんヒロヒト本人である。 ヒロヒトは、幸運にも(米ソ対立)を見越したGHQにより、東京裁判から外され、命拾いして生き延びたが・・・草葉の陰から恨み骨髄の思いを抱く多くの死者がいたことは、間違いがない。 戦前・戦中での徹底した皇民化教育で、多くの国民は洗脳されて「滅私奉公」「欲しがりません、勝つまでは」「尽忠報国」「鬼畜米英」「一億玉砕」「聖戦完遂」・・・など、戦時下では、国民に向けた 戦意高揚スローガンが乱舞した。 戦争の実相を知ることで、真実に目を開くことが出来る・・・以下、(バターン死の行進)の資料から・・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)――――――――――――――――――――――――――――(QUORA)戦闘中の兵士や戦闘員は、どうして悪びれずに戦争犯罪を犯すことができるようになるのでしょうか?(フォロー 米国弁護士、法学博士1月19日 Rem Ogaki) 犠牲者を人間と見ていないからですが、それには「訓練」の問題があります。 兵士は効果的になるには敵を人間視しない様に訓練しなければいけませんが、逆に「敵」を徹底的に国際法に基づいた定義を叩きこまないと、虐殺マシーンとなってしまいます。 (バターン死の行進)1941年12月8日、太平洋戦争開戦と同時にフィリピンに奇襲上陸を果たした日本軍は快進撃を続け、連戦連勝を続けていた。 日本軍の進撃を止める事が不可能と12月半ばに考えたマッカーサー将軍は米軍をバターン要塞に撤退させ、最後の抵抗を試みたが、4月9日には全軍が無条件降伏した。 日本軍はバターンで投降したアメリカ人・フィリピン人を内地の基地に移す事を計画していた。 しかし、日本軍指揮官の本間雅晴中将は推定3-4万人がバターンに籠っていると予測していたが、軍民合わせて8万人が投降した事に驚き、捕虜移動の為の用意が大幅に足りなかった事もあるが、それを遥かに超えた悲劇の幕開けであり、最低でも5千人以上フィリピン人、500人以上の米国人(高い推定では1万5千人の犠牲者)を出す「バターン死の行進」と呼ばれる事件であった。 本間中将はこの行進において捕虜大量虐殺を行う意向は無かったとする事は歴史家の均一な意見であり、大本営を含む日本軍上層部にも虐殺を命令したと言う事実は無い。 しかし、まず大本営参謀としてバターンに居た辻政信少佐が「米比軍投降者を一律に射殺すべしという大本営命令を伝達する」と言う嘘の命令を第65旅団に口頭で伝えて回り、なお、米軍と共に戦ったフィリピン人は白人との人種闘争における裏切り者であり、全員が処刑されるべしと言った。 松永梅一の後日談によると辻少佐の命令で350人~400人の米比兵がパティンガン川付近に連れられ、そこで全員が銃殺された。最終的に道中500-600人の捕虜を処刑させたと言う。 当然ながらに捕虜の無差別処刑は戦争犯罪である。 なお、米軍の生存者であるカーミット・レイ少尉の戦後の回想録によると~~~~~~~~~~~彼ら(日本軍兵)は我々を水田に押し込み、我々に乱暴な身体調査を始めた。我々は百人ほどいたのでかなり時間がかかった。ポケットは裏返しにされ、宝石類等の私物は取られ。多くの人が平手打ちをされていた。私は新約聖書を取られた。この盗難が行われた後、士官一人と2人の兵卒が近くの小屋の裏に連れていかれて、撃たれた。彼らは日本の紙幣や土産品を持っていた為、近くにいた仲間によると日本兵の死体を漁ったとみなされたらしい~~~~~~~~~~~と語った。 これは多くの米兵の生き残りが似た様な話を聞いたと伝えるエピソードであり、処刑が進められるに連れて、「日本の物を持っていたら殺される」と言う話が米兵に広まり、それらの物は捨てる兵が多く居た。 例え日本兵から遺品を奪ったとしても、それだけで捕虜を処刑する事は戦争犯罪である。 なお、多くの米兵は日本兵に「The Sun Treatment」(日光の措置)と呼ばれる様になった拷問に晒されたと言う証言が多数ある。日本軍は基本的に日中の行進をさけ、早朝や夕方の移動を行わせたが、多くの反抗的と見られた米兵は休んでいる炎天下の日中に水も与えられずに日差しの中に座らされ、「水をくれ」と言った兵士は射殺された。日差しを冴えぎる帽子やヘルメット等も奪われた。 これは国際法上「拷問」に値する行為であり、戦争犯罪である。 なお、道中捕虜たちは食料・水不足に悩まされ、多くの兵士がマラリア等を発病し、次々と倒れて行った。歩けないと言ったり、反抗的と見られた捕虜は容赦なく殴られ、蹴られ、立ち上がれないと言ったら銃剣で刺された兵士も多く居たと言う類の証言が多く残される。 行軍に参加した米衛生兵たちの証言によると、道中で日本軍は基本的に病気で倒れた捕虜に治療を行おうとせず、放置した。なので、捕虜の治療は米衛生兵が行ったが、治療器具の多くが奪われ、なお薬等は一切もらえなかったので行える措置が非常に限られていた。 捕虜の基本的医療措置は国際法上の義務であり、病人を放置する事は戦争犯罪である。 サン・フェルナンド市に到着した捕虜はそのままカパス行きの列車に詰め込まれ、1時間後のカパス市に送られた。その頃、地域の気温は43度を超え、非常に暑い日が続いていた。 その「死の貨物列車」と呼ばれた惨状をアルフ・ラーソン軍曹が伝えました: 「その列車は第一次世界大戦時代の貨物列車の6-7車両だった…灯りも窓も換気も無く、中はうだる様に暑かった…彼ら(日本軍)は我々のカンヅメの魚の様に詰め込み、あまりにも多くの人が押し込まれた為、人が座る事は出来なかった。彼らは扉を閉め切った。我々は気を失ったら、倒れる事も出来なかった。便所は無く、その場で立ったままさせられた。夏が近く、天候は暑く、湿度が高かく、地獄の様な環境だった。我々は早朝に車両に詰め込められ、出してもらえたのは夕方近くだった。車両の中で死人も出た。」 ラーソン軍曹の経験はほとんどの捕虜の証言と一致し、各列車の中で数人は死人が出たと言う。 数時間も換気、水、医療措置も無い貨物列車に詰め込み、死者を出すのは非人道的環境として国際法違反、戦争犯罪である。 食事も満足に支給されず、例えば生存者のジェームズ・ビシアーズ氏は「3日間の行進の間に与えられた食料は1杯の米だけだった。水は与えてもらえなかったので、道端の汚れた汚水を飲むしか無く、私は脱水症状の方が汚染した水よりマシと考えて、最大限水を飲まない様にした… 例外的に良心を見せてくれた日本兵も居た。一人の男が「腹が減ってないか」とジェスチャーしてきて、減ってると答えたら、イワシのカンヅメを渡してくれて上官に見つからない様にと合図してくれた。」と説明した。道中、脱水症状。疲労、病気、飢餓で倒れる捕虜は多くいたと語った。倒れた捕虜は放置され、仲間に担ぐ体力が残っていなければそのままジャングルで放置されて死に絶えた。 日本軍の一部では「日本兵と同じ量の食べ物と水を与えた」と言う主張があったが、連合軍の生存者はほぼ全員がそれは事実では無いと主張する。 (バターンの死の行進の生存者、ジェームズ・ビシーア氏)
2022.01.26
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(絞首刑)にされるべき天皇ヒロヒトは、東京裁判から外され、免罪された 2022-1-24 (はんぺん)国民は、天皇(ヒロヒトと読め)の赤子だった時代、国民の命は超軽かったのだ。赤紙1枚で、召集されて戦場に送られた。もちろん抵抗すれば(反逆)の罪で、捕まり投獄され、(拷問)などで厳しく罰せられた。 明治末期には,皇室=国民の宗家,天皇=国民の父,国民=天皇の赤子という家族国家観が成立した(家族制度)。そこでは君への忠と親への孝が一致するという日本道徳論が展開された。…(「世界大百科事典」コトバンク) 戦記物を読んでいて、無能な戦闘指揮官の話はヤマほどあるが、(上官の命令は、天皇の命令だ)ということで、(無能)に対する罰はスルーされていった・・・ (絶対国防圏)がサイパン陥落で破られた時点で、敗戦は誰が見ても明らかなのに、戦争指導者たちは戦争責任を回避すべく、戦争継続して日本国民の犠牲者をいたずらに増加させたのだ。 この時点で降伏していれば、南方諸島の玉砕、沖縄・ヒロシマ・ナガサキの犠牲者、本土空襲、特攻隊の犠牲・・・多くのアジア民衆の更なる犠牲・・・を出さなくて済んだという事だ。 すべては、ヒロヒト(天皇)をトップとした戦争指導者たちの無能の結果である。彼らの戦争責任は、東京裁判では、予想された(米ソ対決)を前に、極めて不十分にしか追及されなかった。(絞首刑)にされるべき天皇ヒロヒトは、東京裁判から外され、免罪され(国体=天皇制)は維持されたのだ。 歴史は、不合理の積み重ねでつくられているように僕には思える。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)――――――――――――――――――――――――――(天声人語)続・日米開戦80年 2021-12-8 朝日新聞 真珠湾といえば航空機による攻撃が思い浮かぶが、海中を進む特殊潜航艇5隻も参加した。 いずれも帰還はかなわず、戦死した乗組員は「九軍神」とたたえられた。艇は2人乗りだから10人のはずだが、残る1人のことは伏せられた ▼その人、酒巻和男さんは生き残って米軍の捕虜になっていた。搭乗した艇が計器の故障で自由にならず、攻撃され捕らえられた。 彼が戦後に書いた『捕虜第一号』には、収容所で死を望む姿がある。捕虜になるのは日本人の恥だと教え込まれていたからだ ▼撃ち殺してほしいと米兵に求めて押し問答になったが、やがて思い直す。「何の理由を以(もっ)て非国民と呼び、死ななければならないと言ひ得るのであらうか」。他の捕虜たちにもそう訴えた ▼軍隊は国家のために死をいとわない兵士を求めるものだが、日本軍は極端だった。戦陣訓で「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」としたのは死ぬまで戦わせるためだろう。 軍人勅諭には「死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ」の言葉があった ▼敗戦までの1年間を「絶望的抗戦期」と呼ぶことがあるという(吉田裕著『日本軍兵士』)。敗戦必至なのに日本軍はあくまで抗戦を続けた。個の命を軽んじた先に起きた悲劇が特攻であり、硫黄島の全滅、そして沖縄戦である ▼戦時下、朝日新聞はじめメディアは死をたたえ続けた。特殊潜航艇の戦死については「軍神九柱」「偉勲輝く」の見出しで、若者たちの顔写真を並べた。神格化と命の軽視は紙一重なのだと改めて思う。
2022.01.24
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天皇制=百害あって一利なし 2021-11-22 (はんぺん) 若い頃、テレビで、ヒロヒト(裕仁)が、国内各地を訪問(?)している映像が、何回も流されていた。「あっ、そう・・・」という主語も述語も無い無味乾燥で、気の抜けたような話し方に、これが日本の天皇か!と、呆れたことを思い出す。 一見気弱そうな人柄は、持って生まれた資質だろう。これに文句はつけないが・・・・、この軟弱さが、あのアジア太平洋戦争で、230万人の日本人、2,000万人のアジア民衆を殺戮する(張本人)と化したのは、まぎれも無い事実だ。 彼の名による(宣戦布告)で、多くの惨劇が生まれた。 南方では、補給の無い中で、多くの兵士が餓死した。中国大陸では、日本兵による残虐な暴虐が荒れ狂い、多くの民衆が殺戮された。本土では、ヒロシマ・ナガサキの惨劇を含め、多くの都市が空襲を受け、多くの国民が逃げまどい焼き殺された。 ヒロヒトは、その軟弱さゆえに、(戦争責任は好戦的な軍部にあり、彼は利用されただけ・・)という無理解が、はびこっているようだ。また、彼は、平和主義者だった・・・など美化する声もあると聞く・・・とんでもない、馬鹿げた暴論だろう!! 戦争宣言を成しうる立場にあるヒロヒトが、(たとえ強行軍部の圧力があったとはいえ)その宣言(宣戦布告)を成したこと自体、彼の超トップ級の戦争犯罪人(戦犯)であることを証明している。彼を免罪することは、あり得ない。 ヒットラーは自殺し、ムッソリーニは、民衆に吊るされた。ヒロヒトは、戦争犯罪人として、絞首刑に処されるのが、至極当然であった。 歴史のいたずらか? たまたま冷戦を見据えた米国の占領政策の変更で、東京裁判から、天皇訴追の流れが、もみ消され、生き永らえることになったのは、残念というしかない。 戦後、国体護持派は、自民党=保守グループとつるんで、政権維持に皇室を政治利用させる代わりに、(天皇制の現代化)を追求してきた。 そもそも、天皇制の世襲制度自体が、あり得ないと思われるが、この地球上には、まだまだ多くの(王制)が、残存していることを知れば、人間社会の愚かさに、ため息をつくばかりだ。 戦後、華々しく展開されてきたマスコミによる皇室キャンペーンで、(国民に寄り添う皇室)という(幻想)が、振りまかれてきた。僕の周りにも、洗脳されて、狂っている多くの人々がいる・・・ 人間とは、かくも扇動に弱いモノなのか・・・とあきれる次第だ。戦前・戦中は、ラジオと新聞で、戦意高揚に動員され、(天皇陛下バンザイ)と叫びながらの(バンザイ突撃)して(玉砕)・・・・そして、名誉の戦死と報道されて・・・(褒められる!) 戦後になってから、ヒロヒトは、自らの罪の深さを、おそらく(うすうす)感じていたのではないだろうか? しかし天皇制を守るために、自分にできることをやろうとしたのだと思う。 しかし、そもそも世襲制・天皇制は、「百害あって、一利なし」だ。 税金をつぎ込み、わけのわからない(公務)、必要のない(公務)で、存在させること自体、愚劣である。莫大な税金を利用して、皇族という特権階級を維持させるのではなく、彼らを庶民化させて、自ら労働する、生産する、生活する・・・ように、社会を変えていかねばならない・・・と、つくづく思う。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.11.22
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今、自分たちが生きていることは、「まさに偶然の重なりだ。・・・」と、何かで読んだことがある。永遠の生物の子孫存続の営みの中で、まさに(偶然)出現した・・・そして、必然的に、無の世界に消えていく。一度しか無い人生なので、精いっぱい、生き続けることだ 2020年9月時点での、日本の65歳以上の高齢化率は、28.7%という。3割近くが高齢者ということで、2位のイタリアの23.3%を大きく離している。 また、2019年の平均寿命は、男性81.41歳、女性87.45歳。これと1935年の男性46.92歳、女性49.63歳と比べれば、驚異的な伸びだ。(1935年=昭和10年、といえば・・・15年戦争とも呼ばれた、中国大陸侵略戦争の真っ最中で、翌年には、2.26事件が起こっている。) そして、2025年には、国民の5人に一人(20%)が75歳以上となり、 3割が65歳以上となるそうだ。 (偶然の重なり)の中で、誕生し、喜怒哀楽に囲まれて、送る人生・・・に思いを馳せる。 先の戦争では、10代後半の若者たちが、(特攻)などで、多く殺された。どんな思いで、殺されたのだろうか? 裕仁(ヒロヒト)を始めとした戦争指導者たちが、始めた戦争で、300万の日本人、2,000万のアジア民衆が殺されている。 若い頃は、人生なんて、自身で切り開いていくものだと思っていた。運命だからと諦めたり、他力本願的になるなんて、あり得ない・・・勧善懲悪の世界を夢見て、未来は希望にあふれていたモノだった。 あの戦争の時代に生まれていたら、どうだったのだろうか? 天皇制の弾圧と戦争賛美の総動員体制の中で、僕は、間違いなく洗脳されて(軍国少年)になり、(特攻)に志願させられていたのではないだろうか? (特攻)を志願させられた若者たちの隠された無念を思う。17~19歳の、未熟な操縦技術しか持たない若者たちのあげる戦果などは、ほとんど無に等しかっただろう。 1975年10月31日、日本記者クラブ主催の公式記者会見の席上、ヒロヒト(裕仁昭和)は、広島の原爆被災について聞かれ、「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては、気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」と他人事のように無神経な発言をして、非難された。 ヒロヒトの認識というのは、この程度のモノであったということだ。(そして当然のように被爆者団体から抗議を受た。) また戦争責任については、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」と戦争責任を 「言葉のアヤ」 と解し 「文学方面」 の問題と茶化したような不真面目で、しらを切った返答をした・・・・ 自分が引き起こした戦争の犠牲者に「気の毒だが、やむを得なかった」って、まるで第三者のようなコメント・・・何とお気楽なことだと唖然とするが、結局、この男には責任感も人としての情も欠如しているということが、よくわかる。 この権力者には、南方の島々で、何の補給も無く、(飢えと戦って!)餓死した多くの日本兵たちの惨状は、想像すらできなかったと思う。 南方諸島の玉砕戦で、軍に守られることなく、運命を共にした住民たちの惨状を知ることは無かっただろう・・・ 中国大陸に進行した日本軍が、(想定外の)国民党軍の抵抗で焦り、現地住民に対して、残虐非道な三光作戦(殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くす)を実行したことを知ることは無かったのだろう・・・ 広島・長崎では、多くの市民が一瞬で殺されたが、多くの主要都市でも米軍の空襲で多くの市民が逃げまどい、焼き殺されたり、傷害を負って、人生を不幸に至らしめたことの責任は、ヒロヒトをトップとした戦争指導者たちにあることは、誰も否定できない真実だ・・・ (特攻)に志願を強制されて、何の成果も挙げられず(無駄死に)していった16~19歳の若者たちは、今はもういない。戦争を生き延びた人たちも、今は90台で、次々と亡くなっている・・・運命とはそういうモノだ・・ということがよくわかる。 (偶然の重なり)の中で、この世に誕生し、喜怒哀楽に囲まれて、送る人生・・・に思いを馳せる。 毎年の8月15日の(敗戦記念日)には、いつも(歴史の真実)を噛みしめて、人間として生き方を(更新)したいものだ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.08.29
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無知と不勉強は、恐ろしいぞ・・・ヒロヒト(昭和)の戦争責任は、消え去ることは無い・・・ (はんぺん) 8月15日の敗戦記念日に向けた、マスメディアの(報道番組)には、毎年、注目してきた。戦争の現実を、思い知ることが大切だ。戦後生まれの僕たちにとっても、戦争の認識は、可能だ。そして知ることから始まり、後は(豊かな想像力)が、試されている・・・と思うわけだ。 無能で、卑劣な戦争指導者たち(大本営)により、膨大な犠牲を払うことになった、アジア太平洋戦争だが、そのトップが、軍の統帥権を保持していたヒロヒト(昭和)だった。 この男が、無能であったために、周りの職業軍人たちに(乗せられて!!??)日本国民は、無謀で悲惨な戦争の中に、放り込まれることになったわけだ。 天皇制は、北朝鮮と同じように(世襲制)をとる。歴史的に、多くのバカ天皇が、出現している。多くのバカ天皇が、周囲に操られて、利用されている。 今回の戦争では、ヒロヒトは、軍部の意向に逆らえなかった??? と言われている。 その結果、悲惨な結果(=敗戦)を招くことになった。300万人の日本人、2,000万人のアジア民衆が、殺された・・・ 戦争の大権を持ち、開戦詔書を発したヒロヒトの責任は、万死に値する。そのヒロヒトは、冷戦を見据えたアメリカの「戦後日本統治」に利用すべく、(生かされた!!!)。 ガダルカナルでは、多くの日本兵は、戦闘では無く、餓死(飢え死)で、亡くなっている。サイパンなどの南洋諸島では、現地住民も巻き込んで、玉砕を繰り返した。想像力に欠けたヒロヒトが、思い知ることの無い多くの惨状が、現実だった・・・・ヒロヒトの戦争責任は、限りなく大きい。 戦後、形を変えて、天皇制は、維持されている。皇室賛美の洗脳は、戦後75年経過しても、営々と続けられ、国民は盲目にされてきた。 やはり、人間は、いつまでも、バカであり続けるのだろうか・・・―――――――――――――――――――――――――――僕のブログに、アホが、コメントしてきた。不勉強の人間が、恥知らずな(意見?)を恥ずかしげもなく開陳する・・・こんなアホがいるから、人類は、いつまでも進歩しないわけだ・・・・古希を通りすぎたワレワレ団塊の消え去った後の日本の未来は、限りなく暗いと思うわけだ。 (以下、参考)――――――――――――――――――――――――――――Re:原爆投下の責任は、天皇ヒロヒトだったことを忘れるな!!(08/07) ひでや さん世界的にも長い歴史を持つ日本の天皇制はごく一部の歴史感で否定するなどナンセンスですなー世界は日本の天皇制に敬意を払っていますよー日本人も天皇制にプライドを持ってください。 (2021.08.15 23:54:35) Re[1]:原爆投下の責任は、天皇ヒロヒトだったことを忘れるな!!(08/07) h1212jp さんひでやさんへ何をとぼけたことを言ってるんですか? 不勉強もいいとこだ。どれだけの国民が、悲惨な死を遂げたか? 歴史をもっと知ることです。真実を知ることだ。中途半端な知識で、いい加減なことを主張するのは、恥ずかしいことです。サイパン陥落で、絶対国防圏は、崩されている、この時点で、戦争の帰趨(=日本の敗戦)は、誰が見てもあきらかだった。大本営に責任のあるヒロヒトが、その時点で敗戦を認めて入れば、沖縄、広島、長崎などで多くの国民が死なずに済んだわけだ・・・・もっと歴史の真実を勉強してから、意見を言うべきです。多くの国民を殺したヒロヒトに敬意を持つ・・・??? あんたはアホか??? (2021.08.16 04:14:16) 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.08.19
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戦争(虐殺)の引き金を引いたのは、ヒロヒト(裕仁)だった。忘れるな!!! 2021-8-14 (はんぺん) 毎年、この時期(8月15日)になると、ヒロヒト(昭和)の天皇制軍隊が、アメリカなどの連合国に敗戦した事を受けた(平和キャンペーン)が、マスコミで、繰り返される。そのことは、歴史を噛みしめるためには、とても良いことだと思う。しかし、敗戦記念日(8/15)で、戦争が終結したのでは決してなかった。 多くの日本人も、アジア人も、このあとも相当長く、犠牲者を出している。引き上げ時にも、多くの人々は命を落としたし、シベリア抑留というソ連政府による、国際ルール(戦争終結時には捕虜は、速やかに帰国させる)違反の暴挙のため、多くの日本人が、北方の地での強制労働を強いられて、5万人もが亡くなっている。 そもそも、先の戦争(アジア太平洋戦争)で、亡くなった多くの軍人の60%(=140万人)が、戦闘では無く、飢え死にや病死だったという。これほどの悲惨な現実が、戦争の実態だった。 もちろん、大本営にたむろした戦争指導者たちは、ひたすら図上演習を繰り返して、(戦争ごっこ)をしていたのだろうが、(駒)にされた兵隊たちは、(哀れ)というしか、言葉が無い。 多くの国民は、(神国日本)で、洗脳されて、総動員体制に組み込まれた。多くの軍国少年、軍国少女が、工場などに戦時動員で狩りだされて、空襲で、焼き殺された。 戦争指導者たちは、そんな現実にも、見て見ぬ振りを決め込み、敗戦を認めようとしなかった。その戦争指導者たちのトップが、統帥権を持つヒロヒト(昭和)だった。 多くの怨念が渦巻く中で、戦争は敗戦により終結したが、無責任な戦争指導者たちの多くが生き延びて、一生を終えている(戦犯で処刑されたのは、一部)。 戦犯追及から免れた、その頂点が、ヒロヒトだった。最悪の戦争責任者の位置あったヒロヒトは、冷戦を前にした状況下で、アメリカの庇護の下生き延びて、一生を終えた。 戦争責任追及が、極めて弱かったのは、あの天皇制による(洗脳)が、いかに強力で、徹底したモノであったか・・・ということだろう。(敗戦のトップのヒロヒトが気の毒だ)(自分たち国民の不甲斐なさのため、負け戦になった)というわけだ。(1億総ざんげ)という言葉が、戦争責任をあいまいにしてしまった。 人間は、歴史から何を学ぶか・・・あの戦争で、多くの人間が殺し合った惨状の原因を作った天皇制が、いまだに、形を変えて、この日本で生き永らえている・・・その事実は、人間の未来を暗いものにしている。 (ヒロヒト天皇は、平和主義者だった)というバカげたことを言う人間が、増え続ける限り、日本の未来は暗い・・・というか、人類の未来は暗い・・・と思う。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.08.14
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原爆投下の責任は、天皇ヒロヒトだったことを忘れるな!! 敗戦の決断が遅れて・・・原爆、ソ連参戦を招いたことだ。 ヒロヒト(裕仁)の戦争責任は、限りなく大きいのだ・・・!!!! 2021-8-7 (はんぺん)8/6の深夜、NHKの報道番組(原爆投下)について、見入った。原爆投下の評価が、日米では、大きく異なっている・・・ということは、昔から知られている。 日本では、戦争の勝敗が決定的であった時点での非人道的兵器=原爆投下は、許されない・・・という(被害者意識一辺倒)のモノであったし、アメリカ側は、なかなか敗北を認めようとしない、天皇制政府に、早期終結を迫るためにも必要だった・・・というモノだった。 日本の全権を実質的には、陸海軍が掌握していた(天皇制日本)では、敗北を認める早期終戦は、見向きもされなかったし、陸軍指導者たちは、1億総玉砕を主張していた。一部の講和派は、中立条約を締結していたソ連(スターリン)を仲介とした(講和)に期待していたが、これも間抜けな認識で、当時のソ連指導者たちは、中立条約という国際ルールなど意に介せず、ヤルタ会談以後、日本侵略の準備に邁進していた・・・ 戦後の原水爆禁止運動は、(2度と繰り返しません)(ノーモア・ヒロシマ、ノーモア長崎)で、進められ、若い頃の僕は、なんの違和感も無かった。 しかし、ようく考えてみたら・・・・あの時、広島に、長崎に原爆が投下されなかったら、当時の日本は、1億総決起の総力戦に突入せざるをえない状況であったことが、当時の指導者たちによる戦後の発言で、明らかにされている。 (1億総玉砕)の結果は、考えるだけでも恐ろしい。多くの国土、社会、文化の破壊を伴うことだろう。そういう認識は、誰でも容易に考えられることだったが、戦後の平和運動、原水禁運動では・・・見て見ぬふりをされてしまったのだ。 戦争終結を早めるためにも原爆投下は必要だった、やむを得なかった・・・というのは、間違っていない。一方的な中立条約破棄による、ソ連軍の満州・千島に対する軍事行動を併せて、日本の絶対主義的天皇制に鉄槌を下せることになったが、終戦の決断は、この(原爆)と(ソ連参戦)が、決定的な(後押し)をすることになったのだ・・・ 被爆の惨状、多くの広島・長崎の人々の(むごたらしい惨禍)を報道で接するたびに、人類の(過ち)に、心が痛むが、その現実をもたらしたヒロヒト(天皇)については、戦後運動の中では、スルーされてきたのだ。 こんな(偽善)が、許されてはならない・・・と考える。よく宣伝されるのが、(天皇は平和主義者だった。東條英機(陸軍)に利用された)というモノだったが、何をバカなことを言うか!!! 1941年の開戦の詔勅を発したのは、ヒロヒト(裕仁)だった。多くの国民の死の原因を作ったのは、ヒロヒトだった。この男の手は、血にまみれていたのだ。 そんなウソに洗脳された戦後の日本人からは、天皇の戦争責任を徹底的に追及する声が上がらなかったのだ。 かくて、戦後日本の天皇制は、戦前とは(形を変えて)、我々の前に登場している。週刊誌を飾る皇室報道には、(親しまれる皇室)が、大々的に宣伝されて、洗脳が、続いている。 彼らなりの(国体)が、維持強化されている・・・というのが、今の日本ではないだろうか? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.08.07
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「陛下万歳」何度も、感想は異様?一体感? (ニュースQ3) 2019年11月12日
2019.12.27
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壮大な税金のムダ遣いだ。騙したのは天皇制。騙されたのは、国民。その陰で、天皇制利権が蠢く(うごめく) (はんぺん)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー大嘗祭とは?費用27億円の内訳は!内容、日程、場所、読み方など! 更新日:2019年6月22日 http://reserve111.com/archives/4827
2019.12.07
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不連続の連続。大嘗祭 2019-11-15
2019.11.18
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政府、結論ありきの大嘗祭。 憲法論争避け前例踏襲〔深層探訪〕 2019-11-16
2019.11.17
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平成より「静か」な大嘗祭、深まらぬ憲法議論。30年前はハンストも 2019-11-12
2019.11.16
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大嘗祭「一晩のため税金27億円」。東京駅前で反対集会 2019-11-14
2019.11.15
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皇室の(祝い事?)に、湯水のように、国民の税金が使われていることは、あまり報道されていない。皇室の行事を最大限、政治利用しようとする権力者(今は、政府自民党だろう)にとっては、あまり国民には知らせたくない事実だ。 大半のマスコミは、「菊タブー」に縛られている。権力から独立して、思想信条・表現の自由の先頭に立つべき使命を忘れ、権力に迎合している姿は、戦前回帰そのものではないだろうか・・・テレビでは、何度も「天皇陛下バンザイ・・・」が繰り返されたシーンが放映されていた。 国内では、貧富の格差拡大が、長年、指摘され続けてきたが、国民の不満は、(皇室賛美)の波の中に飲み込まれつつあるようだ。 前にこう書いた・・・アキヒトから、ナルヒトへの「代替わり」を、マスコミは、大騒ぎして「忠義踊り」を繰り返した。天皇制そのものが、民主主義とは、本来、相容れないモノであるが、オピニオンリーダーたるべき言論世界で、このような時代錯誤的な翼賛報道が横行し、歪んだ風潮を批判するどころか、迎合して反省の無い現状には、ほとほと、あきれてしまった。・・・と。 こうも書いた・・・もともと、天皇制を最大限、利用にしようとしたのは、その時々の権力者だ。OO幕府も、XX幕府も、天皇制を利用して、権威付けを図ったものだ。 現代においては、天皇制は、時代遅れで、戦後の民主制度とは、本来、相容れないものだったハズ。しかし、戦後、占領軍マッカーサーは、日本の占領統治に天皇制を利用した。そのおかげで、超一級戦犯のヒロヒトは、絞首刑を免れたのだ。・・・と。 皆さんは、どう思われるか? 2019-11-13記 (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――――皇位継承の関連費用は166億円。前回より3割増 2019-5-2 ニッポンドットコム今回の皇位継承(代替わり)にかかる費用は、166億円と見込まれている。これは、すでに執行された2018年度予算と、今後計上される20年度予算を含む金額で、関連行事・儀式が集中する19年度予算単独では、144億円となっている。 前回と比べて約3割の増加で、政府は、招待客や祝宴の回数を減らすなど削減にも努めたが、人件費や資材費の高騰により増額になったと説明している。 式典予算は内閣府36億円、宮内庁32億円 皇位継承に際しては、関連行事・儀式が多い。国事行為としての儀式や内閣行事だけでも、4月からの1年間で9件の実施を予定。これらを扱う内閣府が計上した皇位継承式典関係予算は、2018、19年度の合計が36憶円となっている。 主要な儀式は、平成の天皇陛下が最後に国民の代表に会われた退位礼正殿の儀(4月30日)や、新天皇陛下が臨まれた剣璽等承継の儀(5月1日)、即位礼正殿の儀(10月22日)などで、主に宮殿松の間で行われる。 このうち、即位の中心儀式となる即位礼正殿の儀には、19年度予算で10憶円が充てられている。即位礼正殿の儀では、新陛下が国内外に即位を宣言する際に、高御座と呼ばれる台に登壇する。これは京都御所に保管されており、解体して東京に運ぶ。新皇后さまが登壇する御帳台も同様で、予算にはこうした輸送・修理などの費用も含む。 儀式はこれら9件のほかにもあり、3月から11月までに43件が行われる予定。これらを計上した宮内庁の式典関係予算は、18、19年度で32憶円だ。 大嘗宮の設営に約24億円を想定:公費支出に疑問も このうち、一連の儀式の一つである大嘗祭にかかる経費が、その金額と出所に関して議論を呼んでいる。 大嘗祭は、天皇が即位した後、皇祖や天神地祇に新穀を初めてご自分で供え、国家と国民のために安寧と五穀豊穣を祈る儀式だ。今回は11月14日、15日に予定されている。 大嘗祭については準備や関連儀式の費用も含め、2019年度には18億6600万円が充てられる。他年度の必要経費も含めた全体の想定額は、27億1900万円(前回は22億4900万円)に上る。 大嘗祭では、皇居の東御苑に儀式を行うための大嘗宮を建築することになっていることから(儀式終了後は解体)、この設営関係費が大きい。全体想定額は23億9200万円となっている。 経費削減が図られてはいる。大嘗祭のハイライトとなる大嘗宮の儀や、これを終えた陛下がが参列者と白酒や肴を食する大饗の儀で、1回の参列者数を前回より300人減らして700人としたほか、回数を3回から2回にして規模を縮小させた。大嘗宮設営関係費については特に、主要三殿の屋根材を萱葺から板葺に変更するなどして、6億円程度を削減したという。 こうした大嘗祭の経費について、皇嗣となった秋篠宮さまが、「宗教色が強い」ことを理由に、公費から支出することに疑問を呈した。 2018年11月、53歳の誕生日を前にした記者会見で、秋篠宮さまは、「身の丈に合った儀式」にとどめる検討の必要性に触れ、内廷費といった天皇家のプライベート予算に相当する会計から支出すべきではないかとの考えを示された。また、こうしたご自分の意見に対し宮内庁長官らが「聞く耳を持たなかった」とも明かし、「非常に残念なことだった」と述べられた。 大嘗祭には前回も、皇室の公的活動に使われる公費「宮廷費」が使われ、政教分離の原則に反するとの批判が出た経緯がある。秋篠宮さまの発言は、このような批判がある中で前回を上回る額を再び公費から支出しようとする政府の方針に、批判的な見方を示した形だ。政治的な発言を控える皇室においては異例で、波紋を呼んだ。 御所などの改修進み、サポート体制も強化 代替わりで必要となるお金は、関連儀式・行事用にとどまらない。宮内庁がまとめた2019年度予算の皇室継承関係経費には、お住まいに関する支出、お支えする体制・環境整備に関する支出も含まれている。 お住まいについては、12億8400億円が計上されている。これは、新天皇ご一家が暮らす予定の御所や、秋篠宮邸などを改修する工事費が主な内容だ。 体制・環境整備に関しては、29億8000万円となっていて、お支えする職員の増員が主な内容。天皇、上皇、秋篠宮の各ご一家、ご夫妻を側で支える職員の合計は、現状の159人から191人になる。 新天皇ご一家の側近は東宮職から侍従職となり、56人から75人に増える。皇嗣・秋篠宮さまの側近は新しく皇嗣職となり、24人から51人と倍増される。一方で、上皇ご夫妻の側近は侍従職から新たな呼び名である上皇職となり、79人から65人に削減される。 文・益田 美樹 ――――――――――――――――――――――――――――――「大嘗祭」費用27億円余。前回比4.7億円増 2018年12月21日 NHK政治マガジン来年の皇太子さまの即位に伴う伝統儀式「大嘗祭」の費用の総額は、前回を4億7000万円上回る27億円余りになる見通しになりました。 政府の来年度予算案には、皇太子さまの即位に伴い来年11月に行われる「大嘗祭」に関係する宮内庁の予算が盛り込まれ、「大嘗祭」の費用は、今年度や再来年度分も合わせ総額で27億1000万円余りになる見通しになりました。 内訳を見ますと、中心的な儀式が行われる「大嘗宮(だいじょうきゅう)」の設営のため19億円余り、天皇が招待者をもてなす「大饗の儀」の費用として2億5000万円余りなどとなっています。 大嘗祭の費用をめぐっては、先月、秋篠宮さまが、儀式の宗教色を踏まえ、天皇の生活費にあたる予算の「内廷費」から支出されるべきだという考えを示されていますが、「内廷費」は、来年度予算案では、総額で3億2000万円余りです。 宮内庁は、「大嘗宮」の敷地面積を前回より縮小するなど、儀式の在り方に影響が出ない範囲で経費の抑制に努めましたが、人件費や物価が上昇していることなどから、「大嘗祭」の費用の総額は前回を4億7000万円上回る見通しだということです。 一方、宮内庁は、来年度予算案の説明に伴って、来年5月に皇位継承順位1位の「皇嗣」となる秋篠宮さまとそのご家族を支える「皇嗣職」の体制について発表しました。 「皇嗣職」は、トップに「皇嗣職大夫(だいぶ)」を置くことが決まっていますが、天皇皇后両陛下や皇太子ご一家の側近の侍従や女官にあたる役職の呼称について、性別にかかわらず「皇嗣職宮務官」に一本化し、その長を「皇嗣職宮務官長」とするということです。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――皇位継承の式典関係費160億円余で、 36億円余増に 2018年12月21日 NHK政治マガジン
2019.11.14
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歴史は繰り返す・・・戦後の天皇制を、今の時代に合うように変質させながら、その本質は変わらない・・・またまた、形を変えた(国体)が、忍び寄ってきた。 「過去から学べない者は、過ちを繰り返す」--。米国の哲学者、ジョージ・サンタヤーナの言葉だが、先の戦争では、日本人は、莫大な犠牲を払ったにもかかわらず、歴史から、学べなかった・・・戦争責任をあいまいにして、ヒロヒト(裕仁)の戦争責任を免罪してしまったのだ・・・ 今こそ、真剣に歴史の「過ち」に向き合うべきだのだ・・・(はんぺん)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「天皇陛下万歳」連呼。「戦前っぽくて怖かった」の声も 2019-11-11 天皇陛下の即位を祝う9日の「国民祭典」の祝賀式典で、「天皇陛下万歳」の唱和が繰り返された。天皇、皇后両陛下が会場を出た後も続き、少なくとも16回。万歳三唱ならぬ、万歳「四十八唱」に令和の人々は何を思うのか。 ■国民祭典の最後に 皇居前広場に約3万人が集まった式典の締めくくりが万歳だった。伊吹文明元衆院議長が「世界の平和を願い」などと前置きし、「天皇陛下万歳」と声を張り上げ、参加者も唱和。アイドルグループ「嵐」の5人も両手を上げた。 その後も運営側の掛け声で、会場は「天皇、皇后両陛下万歳」「天皇陛下万歳」の連呼に包まれた。両陛下も手に持ったちょうちんを上下に揺らした。 式典はテレビ中継され、SNS上では万歳をめぐる投稿が相次いだ。「エンドレス万歳が怖い」「しつこいな」。若い兵士が「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった戦時に触れ、「不気味さしか感じない」との批判もあった。 一方で、「敬愛と祝意を伝えたいんだから、いいじゃない」「一体感を得た」などの肯定的な意見も。 ■始まりは明治22年 国民祭典の主催は、伊吹氏が会長を務める「奉祝議員連盟」と、経団連など民間団体でつくる「奉祝委員会」など。委員会には改憲をめざす保守系団体「日本会議」も参加。広報担当者は「お祝いの自然な気持ちとして」と万歳の連呼を説明する。 両陛下が姿を見せる前、祭典では実在が証明されていない初代神武天皇の「即位」から2600年以上が経過したかのような説明や、古事記の日本創造神話を紹介する時間もあった。 そんな祭典の最後を飾った「万歳」。始まりは、1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布の日にさかのぼる。明治天皇の馬車に向かって万歳したのが最初だったとされている。 首相を務めた若槻礼次郎が書いた「明治・大正・昭和政界秘史―古風庵回顧録―」によると、それまでは天皇を歓呼する言葉がなく丁寧にお辞儀するばかりだったが、尊敬や親愛の感情を表現しようと、大学教授らが考えた言葉が「万歳」だったという。 先月22日にあった「即位礼正殿(せいでん)の儀」は国の行事。安倍晋三首相の万歳三唱に参列者が続いたが、「天皇陛下、万歳」の前に「御即位を祝し」と付け加えた。国民主権の現憲法下で初の代替わりとなった平成の儀式を踏襲した。 ■「権威高める思い」 万歳が続き、SNSでは両陛下が「困るのでは」という投稿もあった。現場で見た原武史・放送大教授(日本政治思想史)は「参加者は直接かスクリーンを通じて天皇皇后の表情がよく見えているはずなのに、二人の受け止めを考えず万歳を続ける様子が異様だった」。 河西秀哉・名古屋大学大学院准教授(歴史学)は「戦前のように天皇の権威を高めたいという保守派の思いが、長い時間の万歳に表れている」と分析する。 祭典に人気アーティストを参加させ、皇室に興味がない層も取り込む狙いがあるとみる。「『万歳』という言葉はかつて、天皇崇拝や軍国主義を進めるための方策だった。そのことを考えてほしい」(中田絢子、佐藤恵子)
2019.11.13
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皇室翼賛キャンペーンが、浮かれたように展開されている。歯が浮くような(お世辞)(お褒め)言葉が、乱れ飛んでいる・・・この状況を、なんとも感じなくなっていくのは、恐ろしいことだと思う。 そもそも世襲制度自体が、現代には似合わない。 あの金ファミリー(金日成=金正日=金正恩)を見てもわかるように、民衆にとっては、災難ばかりが押し付けられてきた。 日本でも、アホなヒロヒトが、自分の名前で、米英に宣戦布告している。300万以上の国民、2,000万人いじょうのアジア民衆が殺された。まさに(疫病神)だ。 騙された日本人(臣民と言った)は、「一億総ざんげ」で、天皇の戦争責任をうやむやにされ・・・またぞろ(天皇陛下バンザイ)を叫びだした。 ちょうちん持ちのマスコミの責任は、大きい。戦前のマスコミも、翼賛報道に明け暮れた。歴史は、繰り返すのか・・・と思うと、暗い未来を想像するだけだ。 何が「令和」だろう・・・呆れてしまう。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) (注) これは、以前に、このブログでアップしたものである。―――――――――――――――――――――――――――――――――天皇制にとっては、不都合な事実?? (再記) 2018-1-5 (はんぺん)皇族たちの趣味は、「高尚」でなければならないのか? 昔からの僕の疑問だ。 植物学者(ヒロヒト)、魚類学者(アキヒト)と学者ばやり。趣味は、「高尚な?」バイオリン、ピアノ、クラッシック音楽、バードウオッチング、テニス 山登りなどなど・・ これって、おかしくない。 皇室の「品位」を保つため?そんなに格好をつけて、特権階級を維持したいのか? もっと、泥臭い研究をする「学者」がいてもいいと思う・・・・例えば、「痔疾」に関する研究とか、「性差」や「性病」に関する研究とか、「部落差別」「障害者差別」に関する研究とか・・・そういう現社会にとって、より有益な研究をしてほしいと僕は思うのだが・・・・おそらく、周辺から「まった!」がかかるんだろうな・・・・「品位が落ちる・・・」「高尚でない・・・」ということで。 テニスや山登りのような個人スポーツは許されても、サッカーやバスケや野球などのチームプレーは、させてもらえないんだろう・・・ バイオリンやピアノは、許されても、エレキやフラダンス、ジャズダンスなどでは、「品位」を保持出来ないのだろう・・・。 我々の貴重な税金を使って、もっと我々に「貢献」してもらっても罰は当たらないだろうに・・・・・ 話は変わるが、皇室には、世間からは隠したいことが、いっぱいあるようだ。 昭和天皇ヒロヒトの妻、皇太后(香淳皇后)は、昭和60年代頃には認知症の症状が出ていて、公式行事などに顔を出すことは少なくなったが、宮内庁は「老人特有の病気」とごまかしていた。 ・・・やがてアルツハイマーということが分かってしまう。隠したかったのだろうけれど、隠しきれなかったようだった。 「お上(ヒロヒト=昭和天皇)に会いたい」と言って夜泣きをしたり、車椅子で徘徊したり、自分の子供(アキヒト)や常陸宮の御所に夜中に電話をしたりしていたという・・・事実があった。 夫である昭和天皇ヒロヒトの死去(1989年)の後は、症状がさらに重くなり、皇室のメンツ? 体裁? から、全く世間からは隔離状態となってしまったようだ。痴呆症が進行して人前に出せる状態では、なくなったということだ。 皇室のメンツや世間体って、いったいなんだ???? そもそも公務って、なんだ??? 前からの大いなる僕の疑問だ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2019.11.12
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これは、(即位パレード)前日(11/9)の配信記事だ。今年は、皇室関連のニュースが続いた。アキヒトの退位、ナルヒトの即位など・・・ 敗戦後、ヒロヒトが、「人間宣言」をして、「国民の象徴?」となってから、天皇制は、一時、影を潜めたが、ぬらりくらり・・・と復活してきた。 マスコミには、「菊タブー」「鶴タブー」「荊タブー」など、批判や毒のある風刺に対する自己規制など、多くのタブーが存在している。 「鶴タブー」は、創価学会に対する批判を控える・・・というもので、学会に逆らうと、集中的な非難にさらされ、広告収入にも大きな損失がある・・・と言うものだった。(鶴タブーという名称は創価学会がかつて講として属していた日蓮正宗の紋が鶴であることに由来している) 「荊タブー」は、差別撲滅の先頭に立ってきた(部落解放同盟)の(差別糾弾)を警戒して、未解放部落関係の報道記事を控えよう・・・というものだろう。(荊=いばら)は部落解放同盟の団体旗である荊冠旗に由来する。 「菊タブー」は、言うまでも無く、戦前から続く天皇制に由来する。封建的遺制でもあり、敗戦により、ヒロヒト(昭和天皇)の戦争犯罪が、白日の下に証明されたにもかかわらず、戦後統治に天皇制をフル利用しようとしたGHQのマッカーサーの政策で、救われた幸運なヒロヒト天皇制だった。 天皇制を維持しようとする国体護持派?は、この機会に、「開かれた皇室」を宣伝して、国民の関心をつなぎ、天皇制の復活強化に邁進してきた。 マスコミは、自分たちの使命を忘れて? 「開かれた皇室」の旗振り役となってきたのだ。女性週刊誌などは、「皇室関連記事」を多用して、(敬語付きで)国民の関心を煽ってきた。 その効果は、この紹介記事にもあるように、NHKの、1988年の調査では、天皇に対して「尊敬の念をもっている」人、「好感をもっている」人の問いかけに対して、「特に何とも感じていない」人が47%いたのに、今回の2018年の最新版では、天皇に対して「尊敬の念をもっている」人は41%、「好感をもっている」人は36%。つまりは、合計77%の人々が天皇に親しみを感じているとし、「特に何とも感じていない」人は、22%に激減していることから、明らかだ。 彼らの戦後の長きにわたる(洗脳工作)が、一定の成果に結実したということだろう。 天皇制は、歴史上、多くの時の権力者によって、政治利用されてきた。平安、室町、安土桃山、江戸・・・それぞれの時代の将軍たちは、名目上の天皇の権威を利用しながら、天下に号令を発したものだ。時の天皇が(ぼんくら)であればあるほど、利用しやすかったことは、明らかだ。多くの(ぼんくら)天皇が、生まれ変わったことだろうが、歴史に何の影響もなかったのだから・・・ 江戸幕府が倒れて、日本が鎖国を解き、一体化するために、天皇制は前面に登場した。富国強兵の掛け声の下、天皇が中央集権の絶対政治を推進し、多くの国民が戦争に巻き込まれていく・・・ 今回の即位パレードが、「開かれた皇室」の一つの節目になるだろうと思われるが、世界を見渡しても、今や(王制)が、民意を無視して政治を行う時代ではなく、英国のように、かろうじて(寄り添う)しか、生き残りの道は無い・・・というのが、現実だ。 将来(僕たちが、亡くなった後ということだが) この地球上からは、(王制=天皇制)と(原発)は、無くなるだろうことは、間違いない・・・と予言できる。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――――――明日は天皇即位祝賀パレード。見どころとともに「天皇に親しみを感じる人が増えた理由」を小林よしのり氏が解説! 2019-11-9 週刊SPA! 明日は天皇即位祝賀パレード。見どころとともに「天皇に親しみを感じる人が増えた理由」を小林よしのり氏が解説! 明日、11月10日は天皇陛下の即位を記念するパレード「祝賀御列の儀」が行われる。周知の通り、このパレードは10月22日の「即位礼正殿の儀」のあとに行われる予定だったが、台風19号への対応が優先され延期されていた。 天皇陛下の即位にまつわる儀式は5月1日の「剣璽等承継の儀」から始まり、11月14日から15日にかけて行われる「大嘗祭」、そして来年4月19日の「立皇嗣の礼」へと続いていく。 NHKが5年ごとに行っている「『日本人の意識』調査」の2018年の最新版によれば、天皇に対して「尊敬の念をもっている」人は41%、「好感をもっている」人は36%。つまりは、合計77%の人々が天皇に親しみを感じている時代が到来しているということだ。だが、1988年の調査では「特に何とも感じていない」人が47%いた(2018年調査では22%)。 この時代の変化を『天皇論』や『ゴーマニズム宣言 2nd Season』などの著作で、皇室や皇統問題に言及してきた漫画家の小林よしのり氏はこのように分析している。 「まず、4月1日からの『令和フィーバー』を振り返ると、今回ほど新元号がお祭り騒ぎで喜ばれ、そして新天皇の即位が注目されたことはないでしょう。これはやはり、上皇陛下の生前退位という思いが叶ったからこそです。このように上皇陛下は平成の時代に合った、ご自分なりのやり方で好意と尊敬を集めてこられました。今上陛下も、また平成の時代とは違う令和の時代にあった、ご自分なりのやり方で、新たな天皇像を作り上げていかれると思います」 天皇陛下は即位後の5月4日に一般参賀を行ない、14万1130人もの人々が皇居を訪れた。明日はパレードなので街頭には数多くの人々が集まると予想されるが、果たしてどんな「令和」流のものになるのだろうか? パレードの予定とともに、注目すべきポイントを見てみよう。 まず、開始は午後3時。皇居を背に46台の車列が出発し、両陛下の現在の居所となる赤坂御所まで約30分間、およそ4.6㎞の道を進んでゆく。 使用する「御料車」は平成では外車のロールスロイスだったが、今回は国産のセンチュリーに。この日のために設計・製造されたオープンカーとのことで、自動車ファンも要注目かもしれない。 また、「車列全体が視認できる直線区間」が2か所含まれていることも、今回のパレードのコースが選ばれた最大の理由だ。 まず一つ目は、出発地点からほど近い皇居前広場付近。こちらは視界をさえぎるものがほぼなく、一番見やすい場所だとされている。 そして、2か所目はコースの終盤だ。元赤坂・豊川稲荷を過ぎ、赤坂御用地に面する赤坂警察署前から赤坂御用地南門の前を通り抜け、青山一丁目駅までを進む約1.3km続く青山通りの直線が見どころスポットになるだろう。 ちなみに、上皇陛下が当時、天皇陛下に即位された際に行われた平成2年(1990年)の祝賀パレードでは約11万7000人が沿道に詰めかけた。今回はさらなる混雑も予想されるが、観覧は沿道に設置されたブース内に限定されているので要注意だ。早いところでは午前8時から持ち物検査が開始され、自撮り棒、三脚など持ち込みが禁止されているものも多い。警察は荷物を預かってはくれないので、詳細は警視庁ホームページ内の「即位の礼に伴う警備」でご確認を! さて、この令和になってからの祝賀ムードを見ると、はるか昔のことに思えてしまうが、譲位前には「今の天皇(上皇陛下)は立派すぎた」「皇太子殿下(当時)が新しい天皇になったら今までのように天皇制が支持されるかどうかわからない」という人々がいた。だが、小林氏はこれを「歴史を知らぬ者の言」と喝破する。 「上皇陛下も皇太子時代には昭和天皇と比較されて『戦後民主主義育ちで頼りない』『公よりも家庭を大事にする“マイホーム皇太子”だ』などと散々言われてきました。さらには、昭和天皇も皇太子時代には『大帝』『聖帝』と称された明治天皇との比較で批判され、『眼鏡をかけた姿がひ弱に見える』などと言われてきたんです」 なるほど、口さがないことを言う人々はいつの時代にもいるということか。 「そして、今上陛下は皇后陛下にプロポーズしたときに『雅子さんのことは僕が一生、全力でお守りしますから』と誓ったことに対し、自称保守派は『公の存在である皇太子がプライベートなことに“全力”とは何事か!』と非難しました。でも、この非難が完全に間違いだったことはもう明らかですよね? 公のことを言うのであれば、皇太子に自分の妃を守る覚悟がなければ皇統は続かないし、繰り返しますが、新たな時代に合ったご自分のやり方で新たな天皇のあり方を作られていかれるでしょう。伝統というのは因習ではありません。大事なのは形式ではなく、伝統のエートス(魂)です」 明日のパレードもまた、新たな時代の到来を実感する機会になることは間違いない。 取材・文/『週刊SPA!』編集部 日刊SPA!
2019.11.11
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恩赦「不合理」と反対した法務省。実施揺るがない官邸は 2019-10-19
2019.11.07
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即位の儀式。課題残した議論なき踏襲(社説) 2019-10-23 京都新聞
2019.10.27
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(インタビュー)大元帥たる昭和天皇 歴史学者・吉田裕さん 2019年8月7日 朝日新聞 アジア・太平洋戦争の戦場の実態を克明に描き、20万部のベストセラーになった「日本軍兵士」。その著者で、近現代の天皇制研究でも知られる吉田裕さんは「天皇の軍隊」の実像を読み解く数少ない研究者だ。 大元帥たる昭和天皇は、あの戦争とどう関わり、どこまで兵士の窮状を知っていたのか。沖縄戦や特攻をどう考えていたのか。 ――「日本軍兵士」には、食糧不足や劣悪な装備など、日本軍の過酷な実態が書かれています。 「軍隊の問題を自身に置き換えて考えられるように、『心と身体』に重きを置きました。体重の半分の装具を背負い、飢えや病気、心の病に苦しむ兵隊の姿から、戦争の現実を知ってほしかった」 ――そうした戦場の現実を昭和天皇は知っていたのでしょうか。 「かなり把握していたと思います。1943年9月には侍従武官長に、将兵を飢餓に陥らせるのは耐えがたい、『補給につき遺憾なからしむる如(ごと)く命ずべし』と言っています。ただ、最後まで日本軍の戦力を過信していたので、実情よりは楽観的だったとはいえるかもしれません」 ――実際の戦況をどの程度把握していたのですか。 「どこでどの軍艦が沈んだかなど、日本軍が受けた被害については、ほぼ確実に把握していました。ただ、石油の備蓄量などは数字を改ざんして上奏されていたとも言われ、100%正確に知っていたかは疑問も残ります」 「一方で、敵に与えた損害は、誇大に報告されがちでした。台湾沖航空戦などが典型ですが、パイロットからの報告を精査せずに積み上げていったので、11隻もの航空母艦を沈めたことになっていました。実態とかけ離れた戦果が天皇のもとに情報として集められ、敵も苦しいはずだという楽観が生まれてしまいました」 ――「まだ戦える」と思ってしまったわけですか。 「45年2月に元首相の近衛文麿が戦争の終結を上奏したときに、天皇は『もう一度戦果を挙げてからでないとむずかしい』と答えています。その時点でも、まだ戦果を挙げられると信じていたんですね。米軍に打撃を与えて、できるだけ有利な条件で講和に持ち込むという『一撃講和論』をずっと支持していました。そのために戦争終結がずるずると遅れてしまった面はあると思います」 「沖縄戦でも、当初は、特攻作戦がうまくいっていると誤認していたようです。天皇が戦争をあきらめるのは45年5月ごろです。ドイツの降伏と、沖縄がもう持ちこたえられないとわかって、ようやく終戦を決意したのです」 ――沖縄戦に、どの程度具体的に関わっていたのでしょうか。 「沖縄戦では、陸軍と海軍では当初の作戦方針に違いがありました。海軍は沖縄で最後の決戦をしようとしたのですが、陸軍は本土決戦を主張し、沖縄はその『捨て石』と見なしていました。持久戦にして米軍に損失を強い、本土決戦に備えようとしたのです」 「天皇は海軍を支持しました。陸軍は持久戦に備え陣地に立てこもる戦略をとろうとしましたが、天皇は出撃して決戦するように促しました。沖縄戦の場合は、天皇は海軍の側に立って、作戦に介入していたといえます」 ――天皇が作戦方針の決定にも関わっていたわけですか。 「歴史学者の山田朗さんが、どの作戦の際に天皇がどんな発言をして、どう影響を及ぼしたかを詳しく研究していますが、かなり主体的に関わっています。天皇が発する最高の統帥命令を、陸軍は『大陸命』、海軍は『大海令』といいますが、戦後の占領期、大陸命や大海令の存在は占領軍に秘匿されました。隠さなければいけなかったという事実が、天皇が作戦に関与していたことを証明しています」 ――戦争末期の特攻作戦についてはどうだったのでしょうか。 「陸軍の場合、正式な特攻部隊はつくられませんでした。部隊編成は天皇の大権ですが、特攻のような『非常の戦法』を天皇が裁可すると『徳が汚れる』という判断が陸軍にはあったんです。だから既存の部隊に、必要な機材と人員を増加配備して出撃させました」 「一方、海軍の場合は特攻専門部隊が編成されました。『回天』や『桜花』の部隊がそうです。編成を裁可している以上、特攻が天皇の意思に背いて行われたとは言えません。45年1月には本土決戦用の陸海軍共同の作戦計画を裁可していますが、その中に特攻が含まれています。作戦としても特攻を認めているわけです」 ――参謀本部や軍令部の幕僚たちは、天皇の意思に全面的に従っていたのでしょうか。 「基本的には、参謀本部や軍令部がつくった作戦計画の大綱を天皇が見て、承認するという形でしたが、作戦に問題があると天皇が考えた場合には、意思を表示しています。天皇の積極的な意思表示があった場合には、幕僚たちも作戦を変えざるをえませんでした」 「ガダルカナル島の戦闘が激化していた時期に、陸軍の航空部隊を増援に出すよう海軍が強く要望しました。陸軍の飛行機は洋上飛行には不向きなので、陸軍側は抵抗します。しかし天皇は、繰り返し航空部隊を出すように言い、陸軍も結局は従っています」 ――明治天皇や大正天皇と比較すると、昭和天皇は特に統帥に関与していたとは言えるのですか。 「大正天皇は若いときから病気がちで、大きな戦争もなかったので、統帥権の発動者として行動することはほとんどありませんでした。明治天皇は、様々なかたちで戦争や作戦に関わりましたが、伊藤博文を始め、幕末の動乱をくぐり抜けてきた元勲たちが天皇を支えていました。彼らは作戦に介入して、戦争指導をするだけの力を持っていたんです。昭和期になると、伊藤のような人はいなくなった。天皇が文字通り軍を統帥することになり、制度の欠陥が露呈してしまいました」 ――天皇と軍隊をめぐる制度の欠陥とは何だったのでしょう。 「明治憲法体制では、あらゆる国家機関が天皇に直属していました。国務大臣も個別に天皇を補佐するシステムで、総理大臣も他の大臣と横並びの存在でしかありませんでした。内閣の外側に統帥部があり、それと並列して軍司令官や連合艦隊司令長官がいる状態です。普通の国なら参謀総長の下に軍司令官が置かれるのですが、明治憲法体制での参謀総長や軍令部総長は、基本的には天皇の命令を伝えるだけの存在で、自分では命令できません」 「昭和天皇は、国務については輔弼(ほひつ)の大臣を重んじるが、統帥については自分が最高責任者だと考えていたという証言があります。すべてを天皇に上げて、裁可を得なくてはならず、戦況の急な変化に対応できない。総力戦の時代には通用しないシステムでした」 ――天皇の役割も含めて、旧日本軍がどんな組織で、どう動いていたのかは、あまり知られてこなかったように思います。 「日本の近現代史研究では、長い間、軍事史が空白でした。戦後の近現代歴史学を最初に担った世代は、ほとんどが軍隊経験があり、戦争や軍隊にはもう関わりたくないという気持ちがあったと思います」 「日本の伝統的な歴史学の考え方では、50年経ていないものは研究対象にならないとされていました。当事者がまだ生きているから利害関係があり、客観的に見ることができないからという理由です。もうひとつ大きいのは、情報公開が遅れていたことです。僕が卒業論文を書いたのは77年ですが、当時、旧防衛庁の防衛研修所戦史室には、所蔵資料の目録さえなかった。存在そのものが伏せられていた資料も多かったんです」 ――遅れた間に、当事者はどんどん死んでいきますから、研究自体も難しくなりますね。 「あの戦争について、外交史、政治史、経済史などの研究はかなり進みましたが、最後の空白地帯が戦史です。軍隊や戦場そのものを歴史分析の対象にする。それが『日本軍兵士』で一番書きたかったことなんです。天皇と戦争のかかわりもその一部です」 ――「日本軍兵士」があれだけ読まれたのはなぜでしょう。 「読者の感想を見ると、ブラック企業など、いまの問題に引きつけて読んでいる人も多いようです。バブル時代のCMで『24時間戦えますか』というのがありましたけれど、疲労の激しいパイロットに覚醒剤を打って出撃させる発想と、基本的には変わってないですよね」 ――戦史の空白を埋めていく上で、重要なことは何でしょうか。 「非売品や私家版で出された部隊史、兵士の回想録や日記の復刻などの資料の散逸が一番心配ですね。私家版だと納本義務がないので、国会図書館にないものも多い。活字になっていない日記やメモなども多く残されているはずなのですが、本人が亡くなると処分されてしまいます。戦争体験の記録を国が収集して、保存する仕組みをつくるべきだと思います」(聞き手 シニアエディター・尾沢智史) * よしだゆたか 1954年生まれ。専門は日本近現代史。一橋大学特任教授。著書に「昭和天皇の終戦史」など。6月から東京大空襲・戦災資料センター館長。
2019.08.15
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右派もリベラル派も、天皇を担ごうと争っている状況に 2019-3-13
2019.06.05
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代替わり「憲法違反の宗教儀式だ」。天皇制反対の講演会 2019-5-2
2019.06.02
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アキヒトから、ナルヒトへの「代替わり」を、マスコミは、大騒ぎして「忠義踊り」を繰り返した。 天皇制そのものが、民主主義とは、本来、相容れないモノであるが、オピニオンリーダーたるべき言論世界で、このような時代錯誤的な翼賛報道が横行し、歪んだ風潮を批判するどころか、迎合して反省の無い現状には、ほとほと、あきれてしまった。 本当に騒いでいるのは、(真の国家主義者)たちの、ごく一部だが、それに便乗した翼賛報道が、一見、全国を席巻しているかのように見えるが・・・恐ろしいのは、これが、「令和時代の標準」として、作り変えられることだろう。 言うべきことを、しっかりと言えていない・・・・というリベラルたちの委縮と停滞が止まらないように見えるのは・・・僕だけか? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――――天皇代替わりに敬語使用を考える 「菊タブー」を減らしていくために 2019-5-23
2019.05.30
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いろんな意見があって良い。発信できる自由があるのは、北朝鮮や中国などの全体主義国、共産主義国とは、決定的に違う。 かの国では、反対意見は、拘束、抑圧の対象となる。自由、人権は、権力者の言いなりになり、個人の人生は、大きな制約を受ける。強制収容所・拷問・公開銃殺は、歴史的に厳然たる事実として、認定され、大いなる非難を受けてきた。 この意見に、僕は、少し違和感もあるが、この民主主義社会では、異物としての王制(天皇制も含めた封建的遺物)は、本来、原則として相容れないという点では、間違いなく正しい。 この王制を利用するのは、歴史を総括して明らかなように、権力者(今の時代は、安倍政権だろう)と彼らに洗脳され、浮かれ切った国民たちだ。 皇室バンザイキャンペーンで、扇動され、洗脳され、バカ騒ぎに飲み込まれた、不幸な国民たち。 歴史を冷静に学べば、これぐらいのことは、本来、誰でもわかる。 (前掲したが)再記するが、注目しておかねばならないのは、次の文書である。 ⦅1947年に不敬罪が廃され、新憲法下で制度として言論の自由が保障されているのに、わが国には、いまだ「菊タブー」、つまり天皇制を自由に表現できない現実がある。反日というレッテルを張っての攻撃、脅しが言論機関を震え上がらせてきたのだ。 天皇や皇族の扱い方を巡っては、記事や小説、映画、政治家の発言が度々攻撃にさらされ、時に殺傷事件まで発生した。関西では、32年前の5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃される事件が起こった。「反日分子の処刑」を訴える「赤報隊」に猟銃で撃たれ、小尻知博記者が殺害された。⦆(石丸次郎氏) 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 「感情」で社会築けぬ。 新刊で「天皇制の断念」を主張 2019-5-18
2019.05.29
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天皇制をめぐる問題だが、反天皇制という僕の立場からすると、ある意味、どうでも良いことで、別に秋篠宮の立場を擁護するつもりも無いが・・・これも、権力闘争だ。 天皇を中心とした皇族の面々と、天皇制(皇族)を利用して権威付けを狙う、時の権力との葛藤という事になるのだろう!!??? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 悠仁親王の“机に刃物”でもやまない秋篠宮バッシング! 事件まで“秋篠宮のせい”にする攻撃 2019.04.27 LITERA(リテラ)
2019.05.27
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ヒロヒトの多くの不幸を生み出した(戦争責任)が、不問にされて、結局、その生涯を無事?!終えてしまったのは、1963年1月だったか・・・ 戦争罹災者たちにとっては、許せない事実だったが、連合軍司令部(GHQ)の、戦後統治(天皇を利用して)の方針に、救われたのだった。 本来、餓死した多くの国民・兵隊たちにとっては、ヒロヒトは、(八つ裂きにしてやりたい)恨み骨髄の存在だったハズだ。 歴史は・・・(悪い奴が生き残る)・・・これが、現実だ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 「天皇陛下、万歳」で、始まった集団自決。母の命を奪い号泣 2019-4-27
2019.05.25
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秋篠宮が“宗教色”を指摘した「大嘗祭」に秘密の儀式が! 新天皇が寝座のある部屋に一晩こもり… 2018.12.03 LITERA(リテラ) 秋篠宮文仁親王(以下、秋篠宮)が、来年行われる大嘗祭について、「宗教色が強いものを国費でまかなうことが適当かどうか」などと公に疑義を呈したことが、大きな波紋を広げている。 大嘗祭は、代替わりした天皇が初めて行う「一世一度」の新嘗祭であり、皇位継承にまつわる主要儀式だ。今の明仁天皇が1990年11月に行った際には、経費総額約25億円、終われば即座に撤去される儀式用施設「大嘗宮」の建設だけで14億円以上が使われた。 当時の政府は、大嘗祭について「宗教上の儀式としての性格」を否定できないとしながらも「公的性格がある」という二枚舌を使って、皇室の私的な費用である「内廷費」からではなく、宮内庁管理の公費である「宮廷費」を投じた。 来年に予定される大嘗祭についても、安倍政権は宮廷費からの支出を今年4月から閣議決定していたのだが、今回、秋篠宮はその決定に真っ向から反対を表明したわけである。 誕生日に際した記者会見で、記者から「即位の行事や儀式についてのお考えを」と尋ねられた秋篠宮は、「国事行為で行われるものについて、私が何かを言うことができるかというと、なかなかそういうものではない」と前置きしたうえで、「一方、皇室の行事として行われるものについては、ある程度私の考えというものもあってもよいのではないかと思っています」とし、大嘗祭についてこう私見を述べた。 「大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成の時の大嘗祭の時にもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、そのころはうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、その時を踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています」 「今回もそうなわけですけれども、宗教行事と憲法との関係はどうなのかという時に、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。ただ、それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は、私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば(よいと思う)」 実は、秋篠宮が大嘗祭について〈「皇室祭祀に公費を支出することは避けるべきではないか」との懸念を宮内庁幹部に伝えられている〉ことは、すでに毎日新聞が8月25日付朝刊ですっぱ抜いていた。しかし、それでも皇族が記者会見という場で、ここまで政府決定と異なる意見を直接的に述べたのは、異例中の異例と言わざるを得ない。 しかも、秋篠宮は「そのことは宮内庁長官などには、かなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」とまで踏み込んだのだ。 いかに「政教分離問題」を懸念しているかがわかるが、秋篠宮は日頃から代替わり関連の儀式について、天皇・皇后とたびたび話し合いの場を設けているとされる。今回の発言が秋篠宮だけの意見であるとは思えない。 事実、秋篠宮は会見のなかで「身の丈にあった」という言葉を用いて儀式簡略化への希望をにじませたが、これは、2016年の今上天皇による「生前退位」に関するビデオメッセージともリンクする。今上天皇は崩御にまつわる「殯(もがり)の行事」を例に、「行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」と述べていた。 殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。その棺を安置する場所をも指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(「もがりのみや」、『万葉集』では「あらきのみや」)という。(ウイキペディアから) 大嘗祭で秘密の儀式が行われる部屋に寝座=ベットが そう考えると、秋篠宮が述べた、“大嘗祭へ莫大な血税が投じられることは憲法の政教分離違反の恐れがある”との指摘は、天皇の意思でもあるということだろう。そして、この指摘は至極まっとうなものである。 大嘗祭の実相は、単なる「豊作を祝う農耕儀礼」ではなく、明らかな「宗教儀式」だ。明治時代、天皇神格化と国家神道を徹底するために旧皇室典範と登極令をつくり、それまで国民の知らないところでこじんまりと行われていた宗教的な皇室祭祀を大々的に執り行うようになった。 いや、それだけではない。大嘗祭では、現代を生きる皇族が違和感を抱くのが当然と思えるような、霊的、性的な意味合いをもつ“秘密の儀式=秘儀”の存在が取りざたされてきた。 大嘗祭は、新たな天皇が皇祖神とされる天照大神(アマテラスオオミカミ)らに穀物を供え、新天皇自らも口にすることで豊穣と国民の安寧を祈る儀式と説明され、半年以上前から、当日にかけて、多岐にわたる儀礼が執り行われる。だが、そのなかに具体的な内容がまったく明かされていない儀式がある。 それは、本祭の夜、新天皇が大嘗宮の悠紀殿および主基殿に籠ってなされる儀式だ。一般参列者はもちろん報道関係も完全にシャットアウトされたなか、天皇は11月22日夕方から翌23日未明まで、ふたつの殿の内陣に合計8時間にわたって引きこもる。 このとき、新天皇は供えた新稲をアマテラスと一緒に食す〈共食〉の儀を行うと説明されているが、この共食の儀は、悠紀殿と主基殿で二度繰り返されることを除けば、毎年の新嘗祭と同じだ。しかし、それではどうして大嘗祭が特別な皇位継承儀礼であるかの説明がつかない。. そして着目されたのが、内陣の構造だ。両殿内部には天皇と神の席がしつらえられており、ここで対座して〈共食〉をすることになっている。ところが、これが中心儀礼の割には部屋全体から見ると片隅に追いやられており、内陣の中心・大部分を占めるのは八重畳(やえだたみ)の寝座、つまりベットなのだ。そしてこのベットを使って〈秘儀〉が行われている、というのが最も有力な説として浮上してきたのである。 言っておくが、こうした寝座を使った秘儀の存在は、都市伝説として語られているわけではない。神道や歴史学の分野でも本格的に議論されてきたものだ。その先鞭をつけたのが、民俗学の権威で、戦前は国家神道の強化にも多大な影響を与えた折口信夫である。 折口信夫が指摘した「前天皇との同衾」「性の解放」の儀式の存在 折口は大嘗祭がおこなわれた昭和3年の前後にかけて、自身の天皇論と大嘗祭に関する論考を積み上げていった。それらのテーマを総合的にまとめたのが、昭和5年に発表された「大嘗祭の本義」である。 折口はそのなかで、寝具を天孫降臨神話で瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)がくるまって地上に降り立ったとされる「真床覆衾(マドコオフスマ)」に見立て、天皇が布団にくるまる儀式の存在を唱えた。そして、これに不可欠な要素として持ち出したのが「天皇霊」という概念だ。 折口によれば、〈天子様の御身体は、魂の容れ物〉であり、天皇はその魂(「天皇霊」)を受け入れることで完全な天皇として「復活」する。すなわち折口は、天皇の権威をほかならぬ「万世一系」の「血筋」ではなく、「肉体を入れ替えて復活をとげる霊魂」という超越的存在の継承によって説明しようとしたのだ。 折口は「真床覆衾」「天皇霊」に付随して、「先帝同衾」という説も唱えている。これは前天皇の亡骸と新天皇の肉体というふたつの〈御身体〉を〈一つの衾で覆うて〉、復活のための儀式を行ったというものだ。 折口によれば、古代には生死を明確にする意識がなく、平安期でも生死がはっきりしなかったので、「天皇霊」が前の身体に戻るか別の身体に移るかを確認する必要があった。そのための「同衾」だという。. 折口の説はその後、発展されるかたちで、さまざまな論考を生み出した。その一つが「聖婚儀礼」だ。あけすけにいえば、大嘗祭の夜、天皇による性交渉が行われるという説である。大嘗宮の悠紀・主基両殿に入ることが許される人間は極めて限られる。その内構造は大きく二つにわかれており、御座と神座がある内陣(「室」という)には、天皇以外に「采女(うねめ)」という身の回りの世話をする女官の代表ひとりしか入れない。日本史学者の岡田精司氏らは、この采女を性交渉の相手と見た。地方豪族から貢上された采女と「聖婚」することで服従を誓わせる儀礼があったのでないかと推定したのである。 また、折口は、悠紀・主基両殿以外での性的な儀式の存在を指摘している。大嘗祭において、天皇は悠紀・主基両殿に籠る前に、廻立殿という併設の殿舎で「大忌の御湯」「小忌の御湯」と呼ばれる二度の沐浴=聖水儀礼を行うことで「穢れ」を払うという。 史料によれば、この沐浴時に天皇は「天羽衣」を着用したというのだが、折口は〈元来、褌即、下紐は、物忌みの為のものである〉などとして、なんと、天羽衣とフンドシを結びつけた。そして〈物忌みの褌を締めて居る間〉は〈神秘たる霊力をして発散させぬ為〉の〈極端なる禁欲生活〉だとし、その〈解放の時〉が〈性の解放〉であると見立て、こう続けている。.〈天子様の場合には此湯の中の行事の、一切の御用をつとめるのが、処女である。天の羽衣をおぬがせ申し上げるのが、処女の為事なのである。そして羽衣をおとりのけさると、ほんとうの霊力を具へた、尊いお方となる。解放されて、初めて、神格が生じるのである。〉(「大嘗祭の本義」) ちなみに、御所には「内掌典」と呼ばれる処女の巫女がおり、その内掌典がこの「大忌の御湯」「小忌の御湯」に立ち会うとされてきた(実際、昭和天皇の代には、本当に若い頃からずっと俗世界と関係を絶った4人の女性が御所に住んでいたが、その後、交代制になった)。 平成の大嘗祭でも秘密のうちに執り行われた主紀殿、悠紀殿の儀 しかも、ここで指摘しておかなければならないのは、かくも異様な儀式の存在を述べた折口の説を当時、当局が容認していたという事実だ。前述したように、折口が前後に天皇論・大嘗祭論を展開した昭和3年は、大嘗祭の実施年であったと同時に、治安維持法の最高刑が死刑へ改められた年であり、「三・一五事件」と呼ばれる共産党への大弾圧も行われた。 ところが、折口の説は取締の対象とならなかっただけではなく、当時、国家神道推進の中心人物によって堂々と紹介されてもいる。近代神道の創始者であり、内務省神社局考証課長でもあった宮地直二が東大の神道講座で「天皇霊」論を講義したのである。. もちろん、大嘗祭に、折口らの主張する秘儀があったとしても、途中からは、実際に性的行為や前天皇との同衾が行われていたわけではなく、模擬儀礼として行われているだけという可能性が高い。 また、民主主義下で初めて行われた平成の大嘗祭では、海外メディアが秘儀をめぐる報道を繰り広げたことを政府が憂慮。わざわざ宮内庁が事前に会見で「(大嘗祭に)特別な秘儀はなく、特別な御告文にもそのような思想はない」と否定した(ただし、折口が性的儀式の存在を指摘した「大忌の御湯」「小忌の御湯」の儀については、会見で具体的内容について質問がとんだものの、宮内庁は説明を拒否している)。 しかし、その平成の大嘗祭にしても、大正や昭和の大嘗祭とまったく同じように、長時間、徹底して秘密裏に執り行われたことは事実だ。 大嘗祭を取材した元朝日新聞皇室担当記者でジャーナリストの岩井克己氏は、当時のことを〈午後五時過ぎから午後九時過ぎまで約四時間にわたって天皇の悠紀殿の儀が行われたが、殿内での天皇の「秘儀」はもちろん、廻廊を歩む姿も諸役の動きも全く見えない。奏されたという神楽歌など楽部の奏楽もほとんど聞こえず、ただひたすらじっと座って寒さを我慢しただけで終わった〉と振り返っている(「選択」2014年1月号)。. 今回の秋篠宮の指摘は、「政教分離」違反への懸念はもちろん、こうした平成の大嘗祭を体験した明仁天皇の思いを代弁したという部分もあるのではないだろうか。 皇室を軽視する安倍政権と、日本国憲法を尊重する皇族というパラドクス それにしても、今回の秋篠宮発言で浮き彫りになったのは、日本の民主主義がいかに後退しているか、ということだ。 平成の代替わりの際には、皇室儀式に莫大な国費を投じることに対して反対運動が起こり、批判する報道も相次いだ。憲法20条などが定める「政教分離」に違反するとして違憲訴訟が各地で相次ぎ、1995年には原告の訴えこそ棄却されたものの大阪高裁が「政教分離規定違反の疑いを一概に否定できない」と指摘している。. ところが、今回の今上天皇から皇太子徳仁親王への代替わり儀式については、そういった反対はほとんど出てきていなかった。大手紙やNHK・民放などのマスコミも、大嘗祭などに際する儀式について、公費を投じる政府の決定やその内容を批判しようという姿勢は皆無だった。 その結果、儀式を執り行う主体である皇族から「政教分離に反しているのではないか」という疑義が呈される事態になってしまったのである。 しかも、この秋篠宮の非常にまっとうな指摘を受けて、政府が方針を変えるかというと、そういうことはまったくないようだ。秋篠宮の意向を無視して、宮廷費で大嘗祭を強行しようとしているのはもちろん、官邸幹部は裏で秋篠宮を激しく批判しているといわれる。 宮内庁はきょう、「(秋篠宮の)宮内庁宮内庁への叱責と受け止めている」という奇妙な言い方で謝罪したが、官邸は秋篠宮をコントロールできなかったとして、宮内庁幹部の更迭を検討し始めたとの情報も漏れ伝わって来た。 そして、ネットでは、安倍支持者から「閣議決定に従わないだと? 何様のつもりだよ」「どうやら皇族に反日パヨクが混じっていたようだ」などと、秋篠宮を攻撃する声が出てくる始末だ。 安倍政権が右傾化のために皇室を政治利用してきたにもかかわらず、実際は歴代のどの政権よりも皇室を軽視していること、今の右派が右翼思想の源泉である皇室よりも安倍首相を奉るようになってしまったこと、そして、メディアや野党の後退の結果、皇室がこの国でもっとも日本国憲法を尊重する存在となってしまったこと などについては、これまで何度も指摘してきたが、この倒錯した状況はこれからさらにエスカレートしていくことになるだろう。 (エンジョウトオル)
2019.05.25
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天皇制を廃止して、本当の民主主義国家に変身させねばならない・・・これは、リベラルの使命だ。(はんぺん)日本の天皇制は、長い歴史がある。天皇家は、もちろん権力闘争の狭間で生き残ってきた豪族の生き残りだ。うまく歴史の中で立ち回ってきたことで、(存続)してきたが、この現代社会では、(差別の根源)になることはあっても、プラス要因は何もない。 しかし、この天皇制は、時の権力者にとっては、(錦の御旗)として、長年、利用されてきた。天皇家にとっても、それは利益(存続)になるから、大歓迎だったろう・・・・ かくて日本国は、天皇家を維持するために、国民の税金を莫大に使ってきたが、この天皇制を廃止して、これを国民の社会福祉に回すことで、どれだけの命と暮らしを守ることができただろうか!!! ヒロヒト(裕仁)は、アジア太平洋戦争を開始した軍のトップだった(統帥権)。この男のおかげで、多くの(日本人も含めた)アジアの民衆の命と財産が奪われ、貴重な歴史遺産が(もくず)と消えた。 ヒロヒトの戦争責任は、ヒットラーやムッソリーニ並みに大きなものがあったが、連合軍(GHQ)の都合(冷戦)の結果、追求を免れ、天皇制が存続することになってしまった。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)――――――――――――――――――――――――――――――――――新天皇が一般参賀の“お言葉”で憲法違反の儀式「剣璽等承継の儀」に言及! 復活する国家神道の神話 2019-5-5 LITERA(リテラ) 5月4日、即位した天皇と皇后の一般参賀がおこなわれ、徳仁天皇が国民に向けてこんな「お言葉」を述べた。 「このたび剣璽(けんじ)等承継の儀、及び即位後朝見の儀を終えて、今日このように皆さんからお祝いいただくことをうれしく思い、深く感謝いたします。ここに皆さんの健康と幸せを祈るとともに、我が国が諸外国と手を携えて世界の平和を求めつつ、一層の発展を遂げることを心から願っております」 新天皇は5月1日、「即位後朝見の儀」でも「お言葉」を述べたが、本サイトは、明仁上皇が天皇即位の際に「皆さんとともに日本国憲法を守り」と語ったのに比べると、護憲的な姿勢が弱くなっていると指摘。背景に、安倍政権の圧力があったのではないかと分析した。. しかし、今回の一般参賀のお言葉はさらに後退したものになった。それは、日本国憲法に一切触れなかったことだけでなく、天皇自らが「剣璽等承継の儀」という憲法違反の儀式を終えたことを国民に報告したからだ。 「剣璽等承継の儀」は皇位継承者(皇嗣)が即位する際に皇位継承の証として剣と璽(勾玉)、国璽(国の印)、御璽(天皇の印)を受け継ぎ、新天皇となる儀式で、国事行為として行われる。 しかし、この儀式は戦前の「登極令」にあった「剣璽渡御の儀」を再現したもの。これが宗教行為であることは、その剣と璽の由来を見れば明らかだ。剣である天叢雲剣、璽である八尺瓊勾玉は、八咫鏡とあわせて「三種の神器」として古事記に登場する。 天照大神(アマテラスオオミカミ)から瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に授けられたという神話に基づく、戦前の国家神道のベースになった極めて宗教的な品物なのだ。 また、この「剣璽等承継の儀」で、高御座に立つ天皇の構図は記紀にいう「天孫降臨」に見立てたものともいわれている。 実際、昭和から平成の代替わりでは、大嘗祭だけでなく、この剣璽等承継の儀も、憲法の政教分離の原則に違反しているのではないかという批判が起きた。 そして、明仁上皇は1990年11月に行われた「即位の礼」後の一般参賀で「お言葉」を述べたが、このとき、口にしたのは宗教色の弱い「即位礼正殿の儀」のことだけで、他の儀式については「関連する諸行事」としか語らなかった。 ところが、今回、新天皇は「剣璽等承継の儀」を終えたことを堂々と国民に報告したのだ。そんなところから、今回も戦前回帰を目指す安倍政権が介入して、「お言葉」にあえて、国家神道の儀式を入れさせたのではないかといわれている。 毎日新聞の伊藤智永編集委員が、4月に出した著書『「平成の天皇」論』(講談社現代新書)で、明仁天皇の「生前退位のおことば」をめぐって、安倍首相が事前検閲を指示、日本会議系として知られる衛藤晟一首相補佐官が“万世一系の神話的イメージ”を維持するために、天皇皇后の考えた文章を削除したことを暴露していたが、同じようなことが起きた可能性はおおいにあるだろう。 NHKは天照大神を「皇室の祖先」と神話を事実として報道 いずれにしても、明仁天皇の時代は、安倍政権の戦前回帰圧力に抗して憲法や戦後民主主義を守る存在だったのが、徳仁天皇の代になって、戦前の国家神道を認めるような行動に踏み出してしまった。これは由々しき事態と言っていいだろう。 しかも、暗澹とさせられるのは、マスコミや国民の反応だ。改めて言っておくが、日本国憲法は主権在民を定め、天皇は「象徴」として「国民の総意」に基づいている。ところが、皇位継承にあたり、明らかに「万世一系の天皇をいただく世界無比の神国」なる戦前の国家神道的価値観を再生しようとする宗教儀式が国事行為として、巨額の国費を投じて行われている。 にもかかわらず、マスコミはまったくそのことを批判しようとしない。それどころか、この間の儀式を「お祭り」として煽り、日本を狂気の戦争に駆り立てた神話を喧伝してきた。 たとえば、NHKは4月18日の天皇・皇后の伊勢神宮参拝を放送した際、「天皇皇后両陛下は今月30日の天皇陛下の退位を前に皇室の祖先をまつる伊勢神宮に参拝する儀式に臨まれました」「内宮は皇室の祖先の天照大神が祀られています」などと、架空のキャラクターを実在の先祖とし、「伊勢神宮に祀られている」という明治期に国民支配のために作られたフィクションを事実として報道する始末だった。 最近、「しょこたん」こと中川翔子が、Twitterに〈西暦は2019年だけど日本の起源で数えると2679年なんだって!〉などと、まるっきりフィクションの「皇紀」を鵜呑みにした投稿をして物議をかもしたが、こうした状況が続けば、天皇を神格化するために二重に作られた神話を史実と信じ込む若い人たちはこれからもどんどん増えていくだろう。 その先にあるのが全体主義と排外主義に支配された狂った時代の再来でない、と誰が言い切れるだろうか。 (宮島みつや)
2019.05.20
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2012年時点での数字だ。それから、もちろん、さらに増額されていることは、間違いない。 一方で、生活保護キチキチの生活をしている底辺層が、拡大している。 先日の高円宮家の次女典子(26)が、出雲大社権宮司の千家国麿(41)と結婚し皇族の身分を離れるについて、国から、一時金として1億675万円が支給されたという。 もちろん、これは、すべて、国民の税金から・・・・!!! 紀宮の場合は、この一時金が、1億5250万円支給だったそうだ。 それも合わせて、持参金は、3億円だったとか・・・ 無税という特権も・・・一般国民だったら、半額の贈与税がきっちり取られるが・・・・ 怒りを通り越して・・・笑ってしまう・・・・そういう特権階級が、楽しく暮らせる国が、日本だということ。 一方では、現在、路上生活者は約7500人といわれ、生活保護の受給者も160万世帯、216万人を数え、生活保護を受けられなくて餓死した母子もいた。(データは古い。今はもっと増えているハズ!!) 格差拡大の中で、富裕層が 天皇制を、国民支配の道具の一つとして利用する仕組みは、戦後、まったく変わっていない。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ---------------------------------------------------------------------- 宮内庁の予算約170億円。 天皇家のプライベート予算約3億円 2012.02.13 NEWSポストセブン
2019.05.18
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NKKは、最近、(安倍寄り)になっていると、よく言われるが、これは、完全なミス。公共放送としては、許されないことは、言うまでもない。 語り伝えに過ぎないのだから・・・神話、神話です。 (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 神話か史実か。 NHK「皇室の祖先の天照大神」ミス認め釈明 2019-5-9
2019.05.09
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日本の寂しい天皇制反対派。 改元に沸く国内で縮小 2019-5-3
2019.05.08
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元号について 2019-5-6 (はんぺん) 運転免許証の有効期限の表記は、元号から 「元号と西暦の併記」に変えられたのは、時代の流れということだが、実際には、その不自由さ、不便さにある。グローバリズムの深化する現代にあって、日本だけが、我が道を行くことは、(可能なのだが・・・馬鹿にされるだけ)ということだ。 4回ほど国際免許証を取ったことがあるが、表記は西暦表記であり、元号は、どこにも記載されていない・・・・当たり前だ。そんなものは、海外では、(まったく相手にされない)のだ。 (元号を使用しているのは世界で日本だけ)・・・と変な自慢は、国際的には、まったく通用しないということだ。 元号は、「天皇が空間だけでなく時間まで支配する」という思想であると言われる(正しい)。 この意味するところは、我々が、生年月日や時代の表記に元号を使用することを意味する。 このことで、日常的にも、海外との貿易取引でも、多大な不都合が生じていることは、ご存知の通り。他国では、ありえない不便さを、耐えてきた日本の商社マンたちには、ご苦労!としか、言いようがない。 が、それだけでなく、生まれてくる我が子の名前にも、意外なほどに元号が使われている。元号によって、日本人の生活全体が、大きな影響を受けているということだ。それを、好ましいと思うか、どうかは、その人の価値観により異なる。 僕の診たては、(陰に陽に、天皇制の呪縛に絡めとられている)というものだ。 (参考)週刊新潮2019年5月6日 掲載 「元号」は日本人の名前にどう影響を与えたか 大正元年生まれの男の子1位は“正一” https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190506-00561234-shincho-soci&p=1 (前略) 「子供の命名の歴史を辿ろう。「明治安田生命 子供の名前調査」によると、明治45・大正元(1912)年生まれの男の子の名前で最も多いのは「正一」。説明するまでもないだろうが、大正1年を意味する。2位は「清」だったが、3位は「正雄」。以下、4位「正」、5位「茂」と続いた。多くの親が新しい元号を子供の名前に使った。 出来すぎた話のようだが、大正2(1913)年のトップは「正二」。以下、2位「茂」、3位「正雄」、4位「正」、5位「清」と続いた。元号の命名への強い影響は改元の年だけでは終わらなかったのである。 大正3(1914)年はというと、1位は「正三」。ここまでくると、当時の命名は元号と不可分の関係にあったとすら思える。2位は「清」だったものの、3位は「正雄」で4位は「三郎」、5位「正」だった。大正3年を思わせる名前が上位に集中した。 一方、女の子の場合、明治45・大正元年はトップこそ「千代」だったが、4位に「正子」がランクイン。大正2年には「正子」がトップに立つ。 昭和に移ろう。大正15・昭和元(1926)年の男の子の1位は「清」で、新元号を使った名前はベスト10入りすらしていない。もっとも、これは昭和元年が12月25日からの僅か1週間しかなかったために違いない。 次の昭和2(1927)年は1位が「昭二」。昭和2年を表していた。2位は「昭」で、3位は「和夫」。以下、4位「清」、5位「昭一」。上位5位までのうち4つに、「昭和」のうちの一文字が使われたのである。続く昭和3(1928)年は「昭三」「茂」「昭」「清」「勇」の順だった。 ちなみに、日中戦争が勃発した昭和12(1937)年のころからは戦争に関係する命名が目立つようになる。昭和を使った名前は同年の男子ベスト10から消え、代わりに「勇」が2位に入った。国家総動員法が公布された昭和13(1938)年の男子トップは「勝」だ。 そして、昭和14(1939)年から同16(1941)年までは再び「勇」がトップに。昭和17(1942)年から終戦の昭和20(1945)年までは「勝」が4年連続でトップだった 当時、戦争の勝利は多くの日本人の切実な願いだったのだろう。また、我が子が戦死を遂げないことを祈っての「勇」「勝」だったのかもしれない。 一方で平和を願う思いもまた強かったのか、女子の場合は昭和18年から昭和20年まで3年連続で「和子」がトップだった。昭和のうち一文字が使われた名前でもあるため、そもそも戦前の女子によく付けられた名前で、大正15・昭和元年から昭和20年までの間に17回もトップになっている。命名には時代が表れる。」 (後略) ただし、「1989年1月7日からの平成は、価値観の多様化が進んだためか、元号と直結する命名は激減した。」とのことだ。
2019.05.07
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軍国主義に利用された万葉集。「庶民」強調の政府に異論 2019-4-16 田渕紫織 朝日新聞
2019.05.06
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どのチャンネルも、(天皇の代替わり)持ち上げ報道一色で、不愉快極まる。 同じように思っている人も、きっと多いだろうが、そういう意見は、マスコミは、歓迎しないし、取り上げられることも無い。 そもそも、マスコミは、この(マスコミねた)が、国民の関心を集めるだろうという判断で、国を挙げて、後押ししようとしている。 (マスコミがこれだけ大騒ぎしなければ、天皇の代替わりなどどれだけの人が関心を持つだろうか?)とブロガーが言うのは、正しい。 よく、マスコミの影響力が、以前にもまして、大きくなりすぎつつある・・・といわれる。(2020年のオリンピックでも、マスコミの支援が無ければ、盛り上がらないだろうし、マスコミ抜きで、オリンピックは成立しないと思う) この間のマスコミの果たす役割は、本当に、「このブロガーが言うように、戦前の翼賛報道そのものだ。戦前顔負けの(国民洗脳工作)で、(開かれた皇室)が、前面に・・・ よく、リベラルたちが、「いつか来た道・・・」という言い方をするが・・・そうでははない。今の保守反動は、もっと巧妙に、宣伝扇動で、「国民を洗脳している。 戦前の天皇は、「神」であり、近寄りがたい存在として、マツラレテいた。今の天皇制では、そんなギラギラした(君臨)の仕方は、ありえない。 あくまでも、ソフトに、牙を隠して、(国民に寄りそう?)形で、存在感を主張する。そう、今風の(皇室)に、変貌させてきた・・・と言うことだろう。 皇室=天皇制を存続するためには、そういう(演出)は、欠かせないということだ。 阪神淡路や東日本の被災地や多くの犠牲を出した沖縄訪問では、何よりも、(象徴)としてのPR活動が、最優先にされたと思う。国民の多大な犠牲は、皇室にとっては、格好の宣伝チャンスになる。この好機を生かさない手は無い・・・ということだ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――気気色悪い天皇制翼賛報道 2019-4-30
2019.05.01
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必要無い「象徴天皇」。税金の無駄遣い! 2019-4-4 (はんぺん) 高校の時の友人が、自分のブログに、よく「天ちゃん」「天ちゃん」という言葉を使っていた。もちろん、天皇ヒロヒトのことを指している。 よく「せんたく屋ケンちゃん」「隣のみっちゃん」というような感覚だ。もちろん親しみを込めて、使ったのではない。イヤミもあり、皮肉っぽい表現だが、「(象徴)って、なんぼのもんかい!」 ということだった。 (彼も、僕と同じで、天皇制には、大反対の考えを持っている。) 戦前なら、(不敬罪)は間違いないところで、弾圧の対象になっただろう。 ぼくは、ブログでは、天皇のことは、単に「ヒロヒト」「アキヒト」と書いている。片かなを使うのは、読者にも、わかりやすいからだが、もちろん敬称を付けるなんて、とんでもない!! そんなことをすれば、明確に(差別)だ。憲法の精神から言って、差別をしてはならない。天皇も国民も、同等の存在だ。当たり前の話。 これも、戦前だったら、「不敬罪」で逮捕、拷問されることだろう。(なんと畏れ多い・・・)というわけだ。 それにしても、マスコミの天皇キャンペーンは、ひどすぎる。どうして、子どもにまで(敬語)を使っているのには、呆れてしまう。 たまたま天皇家に生まれたというだけで、社会貢献の実績も無い個人を、なぜ、ここまで、持ち上げるのか??? これが、(民主主義国・日本)の現実だ! 反民主的天皇制を理解するには、これで十分だろう。 戦前と戦後は違う? ・・・そんなことは無い。 敗戦によって、天皇の統治の仕方が、大幅に変わったのは確かだ。戦争責任を免れるために、英国のように「君臨すれども統治せず」に見習ったのか、「政治には口を出さない」というような、流れになった。 しかし、特権階級としての天皇一族は、厳然として存在している。国民の上に君臨している。アキヒトが、インタビューで、何度も、「象徴としての在り方に心を使っていきたい」・・・というような発言をしているが、この発言は、自分が(憲法的に)国民の(象徴)であり、(一般国民と同等ではない)ということを宣言していることになる。 以前、莫大な皇室費用について、ブログで紹介したことがある。景気の後退で、多くの国民の生活が窮迫しているときに、なんと贅沢な・・・と考えるのは、僕だけだろうか? 特権階級とは、そういうモノだ。
2019.04.07
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元号の存在そのものが、反民主的<天皇制>を下支えするものである以上、元号制度は、有害無益なモノであり、破棄されねばならないと考える。 (自由・民主主義・人権)という共通の価値観を根底から、否定する<天皇制>は、認められるべきではない・・・という立場から見て、当然、元号も、認められるべきではない・・・というのが、正しい。これが、原則的立場だと思うが・・・ 「使用強制に反対」とか「国民自身の選択にゆだねられるべき」というのは、中途半端な表現だ。はっきり、NOを突きつける勇気を持ってほしいと思う。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 日本共産党が、元号の使用強制に反対の声明「西暦か元号か、国民自身の選択にゆだねられるべき」 2019-4-1
2019.04.01
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基本的に正しいと思う。昔、ヒロヒト(昭和天皇)の死去に伴う「大喪の礼」というのがあった。 その時、元号の話題が取りざたされた時、僕たち有志で「元号」についての勉強会を何度もしたことがある。 元号によって、(皇帝は、人のみならず、時間までも支配する)というのは、正しい。 無意識のうちに、日本人は、時間の流れを(元号)で表現してきた。 もともと、天皇制を最大限、利用にしようとしたのは、その時々の権力者だ。OO幕府も、XX幕府も、天皇制を利用して、権威付けを図ったものだ。 現代においては、天皇制は、時代遅れで、戦後の民主制度とは、本来、相容れないものだったハズ。 しかし、戦後、占領軍マッカーサーは、日本の占領統治に天皇制を利用した。 そのおかげで、超一級戦犯のヒロヒトは、絞首刑を免れたのだ。 そのため、存在してはならない非合理的な(天皇制)が、この21世紀にまで存在している。そもそも、神道は、一宗教に過ぎない。 おどろおどろしく、存在する様(さま)は、異様であり、そこらあたりの新興宗教と何ら変わらない代物だ。 しかし、地球を俯瞰(ふかん)すれば、イスラム教、キリスト教、仏教をはじめとして、無数の宗教が、存在している。 ぼくのような無神論者も、増えている?だろうが、人類の圧倒的多数は、どこかの宗教に属しているようだ・・・ これって、(人間の弱さの表れ)なんだろうな。あのオウム真理教でも高学歴の若者が多く入信していたようだ。 歴史上、多くの宗教戦争が勃発し、(救い)を求めた信者同士が、殺しあう悲惨な歴史を 人類は、延々と繰り返したものだ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)――――――――――――――――――――――――――――――― 元号について 2019-3-19
2019.03.25
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不愉快で腹立たしいアキヒトの誕生日 2018-12-24 (はんぺん) どこのテレビチャンネルをひねっても、敬語尽くしの礼賛報道には、つくづく呆れてしまう。それにしても、「みんな右へ倣え」では、おかしいだろう!!! 日頃、不正を憎み(?)、権力批判、政府批判(?)を、叫んでいるような ワイドショーなども、一様に「翼賛報道」だ・・・ちょっと怖くなる・・・・ みんな天皇制に洗脳されてしまったのか・・・??? もともと、天皇制は 封建制度の遺物だ。 世界中に、残存している「王制」の一つに過ぎない。 身分制度自体が、この文明社会には、まったく、不必要なモノだ。 それを、ことさら持ち上げて、「開かれた皇室」を宣伝すること自体、僕には不愉快に映る。端的に言えば・・・封建制度は、廃止して、大統領制にすれば・・・非常にスッキリする。 そう、天皇は、世襲制で非合理的だが、大統領は、国民投票で選ばれる民主的制度を前提としているからだ。(運用の仕方は別問題だが) 特に、アキヒトの父親のヒロヒトは、日本人300万人、アジア民衆2,000万人殺戮の原因を作った「戦争犯罪人」だ。 ヒロヒトの名前で、1941年12月8日に、英米に対して宣戦が布告された。 多くの内外の民衆の惨禍の責任を問われるべき、第一級の戦犯であることは間違いない。この男が、どういうわけか?「絞首刑」を免れるラッキーな人間になってしまった・・・これが、歴史の不合理で、面白いところだ。 歴史の「いたずら」で、ヒロヒトが、戦犯容疑を(外された)のは、冷戦の開始など、様々な理由がある。アメリカは、日本占領政策で、天皇制を活用しようとした。 その結果、アキヒトが、東京裁判に引きずり出されることは無かった・・・!!! もとろん、これは、(正義の道)から、外れている。 戦後、(象徴)天皇制を支える側は、必死の思いで、「国体」の維持のために奔走した。「開かれた皇室」を売り物にするために、民間から皇太子妃を招いたり・・・ それと、並行して、大々的な「親しみやすい皇室」キャンペーンが、執拗に繰り返された。「洗脳工作」である・・・そして、今の日本がある。 憲法第一章は、「天皇」の条文だ。戦後日本が、「王制」を引き続いて採用するという宣言だが、為政者(統治者)は、政権維持のためには(何でも利用する!) 戦後日本の支配者は、資本家階級(ブルジョワジー)だが、彼らは、「天皇制」という封建制度を、アメリカ占領軍以上に、格好の、強力な武器として、利用して、今日にいたる・・・ (万世一系)神話が戦後も、密かに受け継がれている。 戦後の日本の歴史は、マスコミなどの「菊タブー」で、天皇の戦争責任を後景に退かせる一方、「開かれた皇室」キャンペーンで、国民を洗脳する歴史でもあった。 「反省する勇気」に欠けるリベラルたちの凋落が著しい。 「平和」「民主主義」「人権」というリベラルたちの具体的中身は、戦後の護憲運動の高揚期には、「反戦」「反自衛隊」「反米軍基地」などが、リベラリストのメルクマールとして、声高に叫ばれた。 僕も、そう考えていたが、大きな間違いだったと今では思う。(それらは、彼らの凋落の原因だった・・・) 「平和」「民主主義」「人権」・・・の中で、今の日本の真のリベラリストの具体的なメルクマールは、「反天皇制」であり、「反原発」だと 僕は考えている。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.12.25
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この記者会見(動画)を観ていると(誰でも思うんだろうが)ヒロヒトは、かなり、知能が低い「バカ」に見える。まともに話をする能力も無いのに、無理に言葉を発しようとするので、程度の低さがバレバレ・・・ こんな無能な(独裁者)が、宣戦布告をして、数百万、数千万の民衆の殺戮を始めたのか・・・と思うと・・・ため息ばかりが出る。 「天皇は、軍部に操られた・・・」「天皇は、もともと平和主義者だ・・・」とバカなことを言うマスコミや知識人もいるらしいが、そもそも、こんなボンクラ(ヒロヒト)を頭に付けねばならなかった「天皇制システム」を押し付けられた、国民自身が「不幸の極み」だったということだ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 原子爆弾と昭和天皇裕仁氏 2013-8-6 わたしの意見(ブログ)から
2018.12.01
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何とも過激な発言のように見えるが・・・間違ってはいない。 300万の国民が、戦争の中で死んでいった。兵隊の多くは、戦って死んだのではない・・・餓死だ!! 兵站を軽視した(無能な戦争指導者たち)のおかげだ・・・ 2000万とも言われるアジアの民衆も犠牲になった。 ヒロヒトの戦争責任は、計り知れないほど巨大なものだ。ヒトラーは自殺した、ムッソリーニは、民衆に殺された。ただ一人、ヒロヒトだけが、アメリカの占領政策のおかげ(天皇を利用しての戦後日本統治)で、絞首刑を免れた・・・どこまでも悪運の強い男だった。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――――――「人間のクズ」 というべき昭和天皇 裕仁。 しかし、そんなことよりもっと重要なことがあります。 2014-8-30 わたしの意見(ブログ)からブログの趣旨:日本を愛する国民として、「菊タブー」や「菊のカーテン」に臆せず、天皇の問題を中心に意見を述べます。 なお記事中、天皇・皇族の肖像にバツ印を付すことがありますが、記事の文意の強調と趣旨の明確化が目的であり、それ以外の目的は有しません。 1947年12月、敗戦後初めて被爆地広島に入った時の天皇裕仁。 何の痛痒も感じない能天気な無責任ボンクラおやじにしか見えません。実際、後年そのような発言をして顰蹙を買っています。 昭和天皇裕仁(ひろひと)は、日本史上最も軽蔑に値する人間だと幼い頃から考えていて、その思いは今もまったく変わりません。 以下のことは、これまで何度も書いていますが、どれほど書いても書きつくせるということはないでしょう。 1975年10月31日、日本記者クラブ主催の公式記者会見の席上、天皇裕仁は、広島の原爆被災についてきかれ、「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」と他人事のように無神経な発言をして物議を醸す。 そして当然のように被爆者団体から抗議を受けました。 また戦争責任については、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」と戦争責任を 「言葉のアヤ」 と解し 「文学方面」 の問題と茶化したような不真面目でしらを切った返答をして、記者に呆れられています。 裕仁の記者会見時の映像(抜粋): → https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A&NR=1 (Youtube版) → http://www.nicovideo.jp/watch/sm23125825 (ニコニコ動画版) なお、記者会見全記録など詳細は 「原子爆弾と昭和天皇裕仁氏」(2013. 8. 6.) をご覧ください。→ http://ameblo.jp/hirai-h/entry-11587135933.html この記者会見からも分かるとおり、まさに昭和天皇裕仁は、百田尚樹の言葉を借りて、「人間のクズ」というべきでしょう。 この裕仁という男は、死んで25年余り経た今なお責任を追及すべき対象であることは、これまで何度も述べた通りです。 江戸時代、一般民衆には忘れ去られていた天皇が、大日本帝国憲法(明治憲法)によって突如、統治権の総攬者となり、国民は全て天皇の臣民とされ、現人神として崇めることを強要されました。そして日本陸海軍が天皇の直属に位置づけられました(後にこれが大問題を生みます → 統帥権干犯問題等 )。 ただし天皇の地位はかなり名目的なものだったのも事実で、実際には天皇を取り巻く組織が輔弼(ほひつ)する形をとっていました。要は天皇は無能ボンクラでも務まったのです。(事実、大正天皇は脳の障害により実務に支障があったものの、政治は何ら支障なく運営されました。) 要は、政権や軍の中枢が天皇の権威を盾に、自らの意に沿った国家運営をなしたと見るべきです。本当のワル(実力者)は天皇に心酔などしていません。利用することを考えたのです。 裕仁の息子現天皇明仁(あきひと)も、どう見ても凡庸無能の域を出ません。 さらにその長男で次期天皇候補の皇太子徳仁(なるひと)も、それに輪をかけたボンクラであることは誰の目にも明らかでしょう。 しかし実は、このように天皇・皇族個人を「人間のクズ」や「ボンクラ」と罵ることは、天皇一族など大した存在ではないという実態の認識を広めることに役立つのみで、それ以上の意義はさほどありません。 むしろ本当に重要なのは、戦前・戦中の天皇制がどのような経過をたどり、どのような影響を与えたかを、「菊タブー」を恐れず、しっかり見つめ批判することです。真に警戒すべきは、天皇を利用し権勢を振るおうと企む者たちですから。
2018.11.25
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僕たちが良く使う「民主主義」の、もっとも反対の極にあるのが「天皇制」だろう。現在の「人、皆、平等」という社会には、本来、全くなじまない・・・それが、戦後も、引き継がれてきたことの不合理さを 僕は、よく考える。 特定の一族が、国民と距離を置いた「上位」の存在として、持ち上げられる・・・そんな社会は、(戦後民主主義)とは、相容れないにもかかわらず・・だ。「支配」は、していない・・・と言いつつ、莫大な国民の税金を費消し、特権階級を形成していることの理不尽さを 強く糾弾したい・・・・ (利用できるものは、何でも利用しようとした)戦後の保守政権は、「天皇制」を フルに利用して、自分たちの政権を維持し続けた。 中学生時代、通学の電車の中で、多くの女性たちが、皇室記事を満載している「女性週刊誌」を読んでいたのを、覚えているが・・・あれは、今になって思うに、まさに、国民と皇室の距離を近づけて、(=親しみやすい皇室で、天皇制に対する批判を和らげる)・・・洗脳記事だったことが、今になって、良くわかる。 国民の関心を、昔の(神としての絶対主義天皇)から、(親近感の持てる皇室)へ、洗脳工作され続けた結果が、今の日本の姿だろう。 昭和天皇(ヒロヒト)の戦争責任は、彼が死んでも消えることは無い・・・多くの国民が辛酸を嘗めさせられた・・・しかし、戦前、戦中世代が、どんどん死に絶えていく中で、戦争の記憶の風化が進んでいる。 我々の親の世代の戦争体験を大切に守りながら、それを、天皇ヒロヒトの戦争責任の問題としつこく結び付けていく意義は大きいだろう。 今でも、「天皇は、平和主義者だ」などという、ばかげた主張をする学者やマスコミが一部存在するが、白を黒という類(たぐい)の暴言だと断言できる。天皇の「戦争責任」は、果てしなく大きいのだ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――戦友の生きた証し、私は焼いた。91歳が告白する「罪」 2018-8-13 国吉美香、木村司 朝日新聞 1945年夏、日本海に面した京都・宮津湾近く。油まみれの軍服を着た一人の少年が風呂敷を担いで歩いていた。人目に付かない丘まで来ると、穴を掘って書類を投げ入れた。そして、マッチで火を放った。 パチパチ、パチパチ。書類は音を立てて燃え、熱気が顔に迫った。「お前はまだ軍に協力しているのか」。少年は、戦友の声を聞いた気がした。 公文書廃棄、73年前も 敗戦の霞が関に何日も炎と煙が 当時18歳の少年だった西崎信夫さんは91歳になったいま、東京都西東京市に一人で暮らす。居間の壁には、魚雷の射手として乗り組んだ駆逐艦「雪風(ゆきかぜ)」の絵が掛けられている。左太ももには銃撃の痕が残る。 赤紙配った、みんな死んでしもうた 軍に背き守った秘密 「戦友たちに悪いことをしてしまった」。焼いた日のことを、そう言った。 15歳で海軍特別年少兵に志願。43年から雪風に乗り、44年のマリアナ沖、レイテ沖の海戦を経て、45年4月には戦艦「大和」とともに沖縄特攻に出撃した。 東シナ海で、米軍の爆撃や魚雷を受けた大和が真っ二つに割れるのを目撃した。雪風から海面に投げ入れた縄を2人がつかんだが、西崎さんは重さに耐えきれず、1人をたたき落とした。この場面は戦後、何度も夢に見た。 京都で敗戦を迎え、そこで上官の水雷長に命じられた。「軍の機密を焼却しろ。1人でやれ」 乗員数百人の部隊遍歴、人事評価を記した調査表、暗号の解読書……。「人秘」「軍秘」と書かれた書類を半日かけて燃やし、灰も土の中に埋めた。 「罪」の重さを自覚したのは70代半ばを過ぎ、戦争体験を人前で話してから。あのとき偶然見つけて抜き取った自身の記録を、戦後初めて読み返した。「俺は頑張って生きていたんだな」という思いがわいたが、次第にいたたまれなくなった。「燃やした公文書は、戦友たちの命の集積。戦争の真実を正確に伝えられなければ、海に沈んだ仲間たちが浮かばれない」 戦後73年。雪風の乗組員で生きているのは数人だけになった。西崎さんは「業を背負ったもの」として、生きている限り体験を伝えていこうと考えている。(国吉美香、木村司)
2018.11.23
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天皇制にとっては、不都合な事実?? (はんぺん) 2018-1-5 皇族たちの趣味は、「高尚」でなければならないのか? 昔からの僕の疑問だ。 植物学者(ヒロヒト)、魚類学者(アキヒト)と学者ばやり。 趣味は、「高尚な?」バイオリン、ピアノ、クラッシック音楽、バードウオッチング、テニス 山登りなどなど・・ これって、おかしくない。 皇室の「品位」を保つため?そんなに格好をつけて、特権階級を維持したいのか? もっと、泥臭い研究をする「学者」がいてもいいと思う。例えば、「痔疾」に関する研究とか、「性差」に関する研究とか、「部落差別」「障害者差別」に関する研究とか・・・そういう現社会にとって、より有益な研究をしてほしいと僕は思うのだが・・・・おそらく、周辺から「まった!」がかかるんだろうな・・・・「品位が落ちる・・・」「高尚でない・・・」ということで。 テニスや山登りのような個人スポーツは許されても、サッカーやバスケや野球などのチームプレーは、させてもらえないんだろう・・・ バイオリンやピアノは、許されても、エレキやフラダンス、ジャズダンスなどでは、「品位」を保持出来ないのだろう・・・。 我々の貴重な税金を使って、もっと我々に「貢献」してもらっても罰は当たらないだろうに・・・・・ 話は変わるが、皇室には、世間からは隠したいことが、いっぱいあるようだ。 昭和天皇ヒロヒトの妻、皇太后(香淳皇后)は、昭和60年代頃には認知症の症状が出ていて、公式行事などに顔を出すことは少なくなったが、宮内庁は「老人特有の病気」とごまかしていた。 ・・・やがてアルツハイマーということが分かってしまう。隠したかったのだろうけれど、隠しきれなかったようだった。 「お上(昭和天皇ヒロヒト)に会いたい」と言って夜泣きをしたり、車椅子で徘徊したり、自分の子供(アキヒト)や常陸宮の御所に夜中に電話をしたりしていたという・・・事実があった。 夫である昭和天皇ヒロヒトの死去(1989年)の後は、症状がさらに重くなり、皇室のメンツ? 体裁? から、全く世間からは隔離状態となってしまったようだ。痴呆症が進行して人前に出せる状態では、なくなったということだ。 皇室のメンツや世間体って、いったいなんだ???? そもそも公務って、なんだ??? 前からの大いなる僕の疑問だ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.01.05
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許されない「上から目線」 2018-1-2 (はんぺん) 例年の皇居の一般参賀には、まったく興味は無かったが、NHKニュースを観ていて思うのだが・・・・なんで、天皇アキヒトは、「新年おめでとう」という、上から目線なんだろう。 なんで「新年おめでとうございます」と、ていねいに言えないのだろうか?? 「天皇って、馬鹿じゃないの?」と思わず思ってしまう。(国民の象徴)だと、国民よりも「偉い」のか??? 周りの関係者は、なんで注意しないのだろうか?・・・・・・と考えるのは、僕ぐらいのモノか・・・ 「伝統の皇室」を売りに、莫大な皇室費用を、国民の税金から、もらっていて、この上から目線は、不愉快極まりない。しかも それを当たり前のごとく考えるように「洗脳」されている国民を見ていて・・・相変わらず、日本は変わらないなあ・・・と思う。 天皇ヒロヒトは、戦争責任を逃れて、87歳まで、生きた。天皇の戦争責任については、前に書いたとおりだ。 (参考) 天皇制を考える 2017-6-9 (はんぺん) https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201706090002/ そもそも (人間はみな平等)というのなら、封建制度の残滓である天皇制制度は、おかしいだろう。 戦後、天皇ヒロヒトの戦争責任が免罪されたのは、彼に戦争責任が無かったということではないはずだ。 アメリカ軍が、(日本の戦後統治にあたって、天皇を利用したほうが都合が良い)という判断がベースにあった・・・実に歪んだ歴史があるからだ。 実際に、(人間みな平等)という民主主義的な視点からは、(憲法・第1章天皇)は、明らかに間違っている。 にもかかわらず、戦前からの「強烈な洗脳状態」を脱しきれなかった戦後の日本国民は、無抵抗に、無批判に、アメリカ占領軍・GHQの押しつけを・・・易々と受け入れただけの事である。 そういう意味で、日本国憲法の限界性については、間違いの無いようにしたいものだ。 基本的に、(憲法・第1章天皇)は、廃止されるべきだ。皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.01.02
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生理的に嫌だと思う人は、基本的に「天皇制反対」だと思うし、それは、僕も同じだが、他人に自分の主張を訴えるときに、この言葉は、無いだろう。 学生時代は、(何でもできる)という思い上がりがあったと思うし、(何でも言える」という錯覚もあった。 講演会でも、著書の中でも、常に受け取る立場に納得のいく説明が必要だ。 生理的に嫌だという表現の中に、2者択一の単純さが、垣間見える。 オール・オア・ナッシングの世界だ。ことは、そう単純ではない。 70年代安保の時代、セクト間の論争の中に、こういう2者択一の議論が横行していたように記憶している。物事の単純化やレッテル張りは、わかりやすいので、相手をやり込めるのに都合良く用いられるが、真摯に誠実に議論をする態度ではないし、生産的ではない(消耗戦になる)。 辻本清美さんには、かって、あの北朝鮮による拉致事件がクローズアップされて マスコミなどで、北朝鮮の無法ぶりが糾弾されたときに、「日本も戦前には、朝鮮半島を植民地にして、ひどいことをしてきた。その謝罪は、まだ終わっていない」と まったく関係のない事柄を持ち出して、実質、北朝鮮非難を避ける立場を鮮明にしたことで有名だった。 もとより、拉致問題と朝鮮併合とは、独自の問題であり、関連性はまったくないのだが、無理やり関連させて、(北も悪いが、日本も多くの悪いことをしてきた)というのだから、どう考えても無理がある。 どうも日本のリベラルの中には、リーダーとしての資質に欠ける、思い込みや偏見に基づいた唯我独尊的な態度や主張が、往々にして見られるのは残念。 慰安婦問題や、韓国併合などの実態についても、わかっているフリをせず、真摯な再検証をするべきだろう。 福島瑞穂氏(前社民党党首)が、弁護士時代に韓国に渡り、慰安婦たちに「ねつ造証言指導」をしたことについて、いまだに一切の説明・弁解が無いのは、不自然を通り越して、不信疑惑の域に達している。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「辻元清美さんは皇室を『生理的に嫌だ。同じ空気を吸いたくない』と書いた」日本維新の会・足立康史氏が攻撃 2017.6.8 産経デジタル
2017.06.12
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天皇制を考える 2017-6-9 (はんぺん) 以前から、何回か、天皇制について取り上げてきたように、僕は、基本的に天皇制は、国民にとって「百害あって一利なし」だと思っている。 この民主主義の時代に、上下関係のある階級制度が存在すること自体が、不合理だ。したがって、憲法第1章の「天皇」も、人類の未来には、 そぐわないと思える。この第1章は、廃止されねばならない。 天皇の「犯罪的役割」は、各方面から何度も語られてきた。そう、あの太平洋戦争での「ヒロヒト」の果たした役割だ。 (彼にとって)幸か不幸か、彼は、多くの日本国民の命を左右できる立場に置かれていた。 そして、太平洋戦争の帰趨は少なくとも1944年7月に「絶対国防圏と目されたサイパンの陥落でおおよそ決まっていたのに なぜ、その戦争の終結までに1年以上もかかってしまったか!!! そのことで多くの人命が失われた。これを天皇の責任以外の何物でもない!! 強がりを言う大本営の参謀達を押さえつけ(=時間稼ぎせず)、半年前(昭和20年2月迄)に降伏していれば、フィリピン、硫黄島、沖縄で 50万の兵士は助かり、悲惨な世界戦史上な尤も愚劣な特攻(死者約1万人)もせずに済み、本土爆撃(死者20万人)、原爆投下(死者10万人)、 ソ連参戦による満州、朝鮮、樺太、千島列島の占領(ソ連軍に抑留後の死者約8万人)も受けずに済んだ。 つまり日本は半年早く負けて(降伏して)いたら約100万人ちかくの国民は助かったはずである。 天皇の「戦争責任」は、果てしなく大きいのだ。今でも、「天皇は、平和主義者だ」などという、ばかげた主張をする学者やマスコミが 存在するが、白を黒という類(たぐい)の暴言だと断言できる。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2017.06.09
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昭和天皇「蒋介石支持を」=国連代表権問題、佐藤首相に促す-日米文書で判明 2015-7-30 時事ドットコム
2015.08.03
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本来、最悪の戦犯であったはずの、昭和天皇が、戦犯から外された背景は、様々な理由が明らかにされてきている。この資料も、その一つである。残酷な戦争の犠牲にされた多くの国民・東アジアの民衆にとっては、もっとも許すことのできなかった天皇が、悪運強く!!処罰されなかった事については、戦後生まれの僕にとっても(歴史を正面から見据えてみると)理解不能である。 この「けじめ」をつけられなかったことが、後の戦後補償問題などにつながっていくものと思われる。 (はんぺん)--------------------------------------------------------------------------戦犯リストから消えた「天皇」=米国追随と共産化防止―蒋介石が早期決定・中国 2015-8-2
2015.08.03
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