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★今日のフォーカスチェンジ♪「幸福に生きる」か、「幸福に生きないか」私のこころ(と酒)の師匠であるあまちゆうとさん(故人)が、つねづね言っていたことば。それが、「どっちでもいい」でした。そしてそれは、私の人生の最大の指標になっています。なぜならば、どんな状況に直面したときでも、このひとことを言いさえすれば、すべて解決してしまうのです。「どっちでもいい」ええ、どっちでもいいのですから、何ひとつ問題にはならないのです。ただ、この「どっちでもいい」人生を生きていくためには、ちょっだけこつがあります。それは、そのことを、「自分で選んでいる」という自覚をもつことです。いえ、本当のことを言うと、「自分で選んでも」「誰かが選んでも」どっちでもいいのです。(笑)ただ、どちらかというと、自分で選んだほうが、人生は快適になります。他人が選んだほうが、人生が快適だというひとは、それでもかまわないのです。(そういう意味では、 どっちでもいいのです)そんなわけで、もしも、これだけは、「どっちでもよくない」ということがあるとするならば…。それは、「幸福に生きる」か、「幸福に生きないか」ではないかと思います。なぜならば、人間には、生存欲求というものがあるからです。生存欲求を満たすためには、生きていることに、幸福感をもてるということが、必要になります。「どっちでもいい」は、あくまでも、幸福な人生を生きていくために使う、考えかたなのです。ものごとの善悪について、私はあまり、明確な基準をもっていません。「人の道」というのも、本当にあるのかどうか、信じてはいない気がします。それらは、時代や環境などによって、たやすく変わってしまう可能性があるからです。だからこそ、あくまでも、そのひと自身の幸福感というものが、基本になると思うのです。感覚は、あくまでも個人のものだからです。仮に、それが変化しても、その変化そのものが、そのひとの感覚からはずれることはありません。さて、この幸福感。多くの場合、ひとりよりも、よりおおくのひととわかちあうほうが、幸福感は高まります。 もちろん、ちいさな幸福や、 ひとりだけの幸福のほうが いいというひとには、 それを選ぶ権利があります。ただし、注意すべきことは、「よりおおきな幸福」といったとき、しばしば、自分を除外するひとがいます。でも、「私さえがまんすれば」は、本当の意味で、幸福を選択したことにはなりません。まず第一に、自分自身の幸福感を優先してください。みんなが、自分の幸福を大切にすれば、結果的に、全員が、全員の幸福を大切にできるのですから。そして、もうひとつ。幸福感は、一瞬、一瞬、変化していくものであることを、知っておいてください。人生に、止まる時間がないように、幸福もまた、つねにかたちを変えつづけます。「これが、私の幸せ」と、しがみついた瞬間に、もう、それは、過去へと向かって、流れていくものになります。怖れずに、いま、この瞬間の幸福を感じてみてください。一瞬、一瞬、感じ尽くして、てばなしてください。てばなせば、また、あらたな幸福のかたちが、あなたの前にあらわれるでしょう。おしまいに、おさらいです。大切なことは、いつでも、あなた自身が選ぶということです。あなたが、あなたの人生を自分の意思で選ぶなら、そのとき、あなたの感情は、何があっても、あなた自身のものです。あなたの幸福も、あなた自身のものです。あなたの選択が、すべてを決めるのです。そのことを、けっして忘れてはなりません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1580号(2008年2月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.21
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★今日のフォーカスチェンジ♪「鈍感力」と、「かんちがい力」実は、私がこれまで、この人生を、何とか生きてくることができたのは、二つの大きなちからがあったからではないかと、思っています。その二つのちからとは…。「鈍感力」と、「かんちがい力」です。(^^ゞ子どものころ、私は、けっこう感受性が強いほうだったと思います。そのために、周囲とうまくいかず、ストレスを感じることも少なからずありました。それゆえに、発達したのが、「鈍感力」だと思います。私は、自分を守るために、自分のなかに閉じこもり、空想と想像と妄想の世界で遊ぶようになりました。同じ空間にありながら、私はしばしば、周囲とは、ちがうものを見、ちがうことを感じていたのです。そのために、周囲に何と言われているか、どう評価されているかは、私にとって、関心事ではありませんでした。自分の世界にこもってしまえば、そんなことは、まったく問題にならないのです。この「鈍感力」から、派生して生まれてきたのが、「かんちがい力」でした。何しろ、見えている土台がちがうので、そこから生じる思いも、当然、ちがってくるのです。中学に入ってからは、演劇をやれさえすれば、幸せでしたから、ますます、それは加速していきました。自分が幸せなので、きっと、まわりともうまくいっていると、かんちがいしていたのです。もっとも、高校を卒業したあと、たまたま、クラスメイトから言われたひとことがきっかけで、長い落とし穴に落ちることになるのですが…。それでも、この二つのちからがなかったら、私の人生は、おおきくちがっていたと思います。さて、子どものころは、無意識に使っていたちからを、最近では、意識的に使うことができるようになりました。めったにないことですが、他者との関係で、どうも、攻撃的な対応を受けていると感じるとき。私は、すっと、「鈍感力」を使います。そうです。気がつかないふりをするのです。いえ、もっと言うと、「鈍感力」を使った瞬間に、気がつかなくなってしまうのです。(笑)それでも、さらに、執拗に攻撃されたとき。(実際には、そんな体験は ない気がするのですが)(=鈍感力のせい???)さらに、「かんちがい力」を動員します。「かんちがい」ですから、どんなかんちがいをしてもいいのです。「ああ、いま、私は、 主演映画の、一番の 見せ場を演じている。 危機一髪の窮地を、 いかに抜け出すか、 これは、見ものだわ♪」「目の前にいるこのひとは、 人生の迷い子なのだわ。 きっと、前世の深い業を 背負って、私に、救いの 手をもとめているのだわ」「あら、出番を間違えた? 出直してこようっと♪」これ、頭で考えると、実は、ちょっと大変です。からだのレベルで言うと、ボールが飛んできたときに、すっと、かわせばいいということなんですね。どうしてもとらなくてはならないときには、いったんバウンドさせてとってもいいのです。「鈍感力」があると、「何がなんでも とらなくてはならない」と思う気持ちをゆるめることができます。「かんちがい力」があると、サッカーなのに、バスケットのルールを導入することもできます。両方併用すると、ほぼ、向かうところ敵なしです。(爆)要するに、どんな方法もあるということなんですよ。大切なのは、あなたが幸福に生きるということ。 真の幸福は、すべてのひとの 幸福とつながっていますから。そのためには、どんな手段を使ってもいいのです。このメルマガにしても、あなたが必要だと思える部分を、使ってくれればいいんです。さあ、何を、どう使います?あなたのお好み次第ですよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1579号(2008年2月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.21
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★今日のフォーカスチェンジ♪裁くという方法以外に「ゆるし」について語るとき、しばしば、かんちがいをしているひとがいる気がします。「ゆるすためには、 がまんしなければならない」あるいは、「ゆるすためには、(一定の)条件が必要だ」まず、前者についてですが、がまんは必要ありません。そして、がまんしなければならない状況があるのなら、即刻、逃げなさい!人生は魂の修行だという言いかたがあります。それはまちがいではありません。が…、たとえば、いま、天から、やりが降ってきたとして、頭にブスブスささりながら、同じことが言えますか?(^^ゞあなたが修行僧なら別ですが。(いや、たぶん修行僧でも…)言えません。(きっぱり)そういうときは、まず、安全な場所に避難するのです。避難してから、どうすべきかを、考えればいいのです。また、後者についてですが、「ゆるし」に条件をつけるということは、そこには、何らかの「裁き」を必要としていることを意味します。これはよい、これは悪いと、選別をするわけです。その選別(裁き)によって、善や悪を決めているのです。その選別(裁き)によって、「ゆるす」「ゆるさない」を決めているのです。けれども、「ゆるさない」という部分が存在するかぎり、真の「ゆるし」は存在しません。たとえていえば、りんごがいっこ、手もとにあったとして、「この部分はいたんでいるが、 この部分はいたんでいないから、 このりんごはいたんでいない」とは、言えないのと同じです。「ゆるし」は、まるごとであって、はじめて、「ゆるし」となるのです。どうか、気づいてくださいね。私たちが、「裁き」をおこなっているかぎり、真の「ゆるし」は、生まれないということを。言い換えるならば、あなたが、「裁き」を捨てたとき、そのあなた自身の内がわに、「ゆるし」は生まれるのです。今日のメッセージは、ちょっとわかりにくいものかもしれません。きっと、納得しないひとが、たくさんいることでしょう。(^^ゞでも、このメッセージにも、できれば、「いい・悪い」「正解・まちがい」という「裁き」をつけないでいただけるとうれしいです。そのかわり、静かに考えてみてほしいのです。「裁きを捨てないでいる ことは、私を幸福に してくれるだろうか」もうひとつ。「裁くという方法以外に、 幸福になるかたちは、 ないのだろうか」最後に、ひとこと、ヒントを。 (ヒントになるかなあ?)この地球に、かつて、天は、氷河期をもたらしましたが、それは、善でしたか? 悪でしたか?あなたが、天を裁くとしたら、どのように裁きますか?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1578号(2008年2月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.21
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★今日のフォーカスチェンジ♪だって、主人公なのですから!よくとりあげられる有名なたとえがあります。子どもが、電車のなかで騒いでいます。一緒にいる、父親と思われる男のひとは、注意しようともしません。見かねて、まわりのひとりが言いました。「子どもが騒ぐので、 迷惑をしています」男のひとは、はっとして、こたえました。「気がつきませんでした。 実は、妻を亡くした ばかりなものでして…」その瞬間、まわりの反応は、一変しました。ここには、二つのものの見かたがあります。ひとつは、相手の境遇を知ることで、気持ちが変わることです。私たちは、いつでも、自分の枠組みのなかで、世界を見ています。ゆるせないと思っていたことが、見える位置が変わっただけで、納得できたりします。相手を「こうだ」と、決めつける前に、「本当にそうなのだろうか」という疑問をもつことは、とても健全なことなのです。もうひとつ、ここから学べることがあります。ひとの態度によって、自分の感情が左右されると、考えるとき、私たちは、主体である自分を放棄することになります。…あ、めずらしく、漢字をいっぱい使ってしまいました。(^^ゞ言い直します。ひとの態度によって、腹が立ったり傷ついたりすると考えるとき、私たちは、自分から主役の座を降りています。そうですよね?私たちは、本来、自分の人生の主人公なのです。主人公であり、脚本家であり、演出家でもあるのです。すべての物語は、主人公が、その人生をいかに魅力的に生きるか。そのために、用意されているのです。魅力的であるためには、順風満帆であっては、おもしろくなりません。ピンチがおとずれるかもしれません。ライバルが出現するかもしれません。その他、あらゆる困難が、降りかかってくるかもしれません。主人公は、それらを、果敢に乗り越えます。一時は、へこんだように見えたとしても、かならず乗り越えます。だって、主人公なのですから!そう思ったら、まわりのいやなこと、困ったこと、すべて、あなたが魅力的に生きるために用意された、すてきな小道具なんです。主人公であるあなたは、それらと、どんなふうにかかわりますか?その状況、その相手と、どのように対応しますか?どんなに感情が揺れても、それはかまいません。忘れてはいけないことは、それはプロセスに過ぎないということです。あなたが最高に輝く、ラストシーンにいたるための、途中の場面に過ぎないのです。観客が「おお!」と感嘆の声をあげるような、感動的な場面を、想像してみてください。それは、あなたにしかつくりだせないものです。あなただからこそ、生み出せる場面なのです。最高の俳優、最高の脚本家、最高の演出家として、あなたの人生を見直してみてください。脚本は、いつだって、書き直せるんですよ。なんだったら、アドリブだって、ありですからねっ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1577号(2008年2月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.21
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★今日のフォーカスチェンジ♪ひとは、いたみをとおして、つながりあえる思いもかけず、ひとを傷つけてしまった…。そのことによって、悩んでいるひとが、たくさんいます。「悩むのは、おやめなさい」つい、そう言いたくなります。だって、もしも、あなたが本当に、誰かを傷つけたのだとしても、あなたが悩むことで、傷つくひとが、さらに増えてしまいますから。ええ、まず、あなた自身が、誰かを傷つけたことで、すでに傷ついています。 傷ついていなければ、 そもそも悩んでは いないはずですから。そして、あなたが悩むと、あなたのまわりのひとが、あなたのことを思って、こころをいためます。あなたが、いつまでも悩んだままでいると、そのひとたちは、自分の無力さを感じて、ひそかに傷つきます。これはね、あなたを追いつめるために、書いているのではありませんよ。もしも、あなたが、本当に誰かを傷つけてしまったのだとしても、あなたのすべきことは、悩むことでも、傷つくことでもないということなんです。なぜならば、私たちは、生まれながらにして、誰かを傷つけずには、すまない存在だからです。私たちは、不完全のまま、この世に生まれてきます。不完全であるからには、意識できていないこと、自覚できていないことも、たくさんかかえています。だから、知らず知らず、どこかで、かならず、誰かを傷つけてしまうようにできているんです。ええ、かならずです。どんなに完璧に見えるひとであっても、です。誰かを傷つけないで生きるためには、ひとと、完全にかかわらないことしかありません。そして、そんなことは、生きているかぎり、不可能なのですから。私たちが、何よりもすべきことは、実は、誰かを傷つけてしまった自分を、ゆるすことなのです。そうすると、あなたは、いつか、誰かがあなたを傷つけたとしても、そのひとを、ゆるすことができます。だって、あのとき、一番ゆるせないと思っていた自分を、ゆるせたのですから、他人をゆるせないことなど、ありませんものね。そして、自分をゆるせたとき、私たちは、素直に、自分が傷つけてしまったひとと、向き合うことができるようになります。そのときには、どうぞ、その相手に、あなたのまっすぐな気持ちを伝えてください。きっと、傷は解消します。それがかなわないときには、天をとおして、そのひとに、愛と感謝を伝えましょう。無知だった自分に、気づきのチャンスをあたえてくださって、ありがとうございます、と。そして、あなたを傷つけたひとにたいしても、愛と感謝を伝えましょう。未熟だった自分が、成長するチャンスをあたえてくださって、ありがとうございます、と。ひとは、すべて、このような循環のなかに、生きているのです。ひとは、いたみをとおして、つながりあえるのです。そして、つながりあったとき、いたみは、もはや、誰かひとりがかかえているものではなくなります。ともにわかちあえるのです。深いいつくしみをもって。だから、どんな理由であれ、誰かを傷つけてしまったと思ったのなら、勇気をもって(!)自分をゆるしてください。ゆるすことによって、あたらしい循環へと、一歩を踏み出してください。それは、たぶん、世界の平和につながる一歩です。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1576号(2008年2月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.21
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★今日のフォーカスチェンジ♪自分を好きになると「自分を 好きになってください」これは、ある意味で、私があなたに伝えたい、究極のメッセージかもしれません。だって、これさえあれば、たいていのことは、クリアできちゃうのです。だから、手に入れないでいるのは、とっても、とっても、とっても、とーーっても!もったいないと思います。最近、気がついたのですが、自分を好きになるためには、完璧な自分にならないといけないと思っているひとが、多いらしいということです。ブー――――。好きと完璧とは、何の関係もありません!(爆)たとえば、私はかつて、実家で、猫を飼っていました。それはもう、めちゃくちゃわがままな猫でした。毎朝4時になると、きまって、「外に行きたい、戸を開けろ」と、要求するのです。眠ったふりをしていると、顔に、猫パンチをお見舞いされます。(おい)しかも、1時間後には帰ってきて、「とっとと、中に入れろ」と、これまた要求されます。放っておくと、どーんと、ガラス戸に体当たりしてきます。(おいおい)(ちなみに、メスですよ!)でも、私はこの猫が、本当に、好きでした。わがままであればあるほど、その生きざまを見るのが、楽しくてしかたないのです。自分も、同じですよ。わがままで、不完全で、穴ぼこだらけの自分を、そのまま愛してあげればいいのです。だって、それだけで、何が起きるかわからない、わくわくを、手に入れることができるのですから♪もうひとつ、気がついたのは、自分を好きになると、どうなるかということを、実は、知らないひとが多いのではないかということです。あああ、もったいないっ!あのね…。自分を好きになるとね…。ふっふっふ。なんでもOKになるんですよ♪(^○^)だって、好きなんですからね。好きなものを見ていると、いつまでも飽きないでしょ?好きなものといっしょにいると、それだけで幸せでしょ?自分を好きになると、この両方を、いっぺんに手に入れられるんですよ!ぞのままでHAPPYになれちゃうんですよ!もう、毎日が、楽しくて、しょうがなくなりますから!そして、私たちは、好きなものにたいしては、できるだけ、よくしてあげたいという気持ちがはたらきますよね。ええ、ますます、自分が楽しくなるような、うれしくなるような生きかたを選べるようになるんです。不完全な自分を責めたり、きらったりするのは、もう、やめにしませんか?不完全だからこそ、好きになってあげるのです。穴ぼこだらけだからこそ、おもしろがって、楽しんであげるんです。私が、あのわがままな猫を、いつまでも忘れないように。あなたにとっても、あなた自身が、忘れることのできない最高の存在になるんです。さあ、このことがわかったら、しのごの言わずに、とっとと、自分を好きになっちゃってください。はじめたもの勝ちですよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1575号(2008年2月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.21
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★今日のフォーカスチェンジ♪誰よりも、自由久しぶりに、空を飛び、海にもぐりました。え? スカイダイビングとスキューバダイビングをいっしょにやってきたのかって?いえいえ、ちがいます。夢のなかで、です。(^^ゞはい。実は、ときどき、空を飛ぶ夢と、海にもぐる夢を見るんです。夢のなかですから、どちらも、器具はいりません。この身ひとつで、軽々と、空の高みにのぼり、一瞬にして、深い海底にたどり着きます。今日は、まだらな雲海を突き抜けました。みぞれのような、質感のある冷たい感触が、私の肩から腕にかけて、すり抜けていきました。日は、雲の向こうに、隠れていましたが、それがまるで、後光がさしているようにも見え、とても荘厳な景色でした。そのまま、まっすぐに、海に落ちてみました。薄青くかすむ水平線のどこまでもなだらかな曲線が好きです。海面がぐんぐん近づいてくるときの、スピード感が好きです。もぐる瞬間の抵抗感はまったくありません。そのまま、海の泡に、身をまかせます。一瞬、目の前が白くにごって、やがて、ゆっくりと透明になるころには、深い蒼の世界が、目の前に広がっています。なぜ、空の夢、海の夢を見るのか、わかりません。でも、たしかなことは、その瞬間、私は誰よりも、自由でいることです。行きたいところに行き、飛びたいように飛び、思うようにならないことは、何ひとつありません。からだいっぱいに感じる、解放感や躍動感は、とても表現しきれません。私のからだがとらえるあらゆる感触は、もしかしたら、いつかどこかで見た、映像や写真の記憶かもしれません。でも、その瞬間には、まちがいなく、私の目をとおして、それを感じているのです。風を感じ、大気の冷たさや日ざしのぬくもりを、直接、感じているのです。おおきな海のふところに、やすらかに、身をゆだねているのです。そして、目が覚めると、私の感覚は、すっきりと、晴れわたっています。現実に「もどってきた」という感じではありません。私にとっては、あちらも「現実」、こちらも「現実」です。こちらの「現実」ではなかなかできない体験をあちらの「現実」で、遊んでくるという感じです。でもね。私にとっては、どちらがいいという感じはないんです。たしかに、空を飛ぶ爽快感や、海を自在に駆けめぐる奔放さは、あちらの「現実」ならではのものかもしれません。でも、こちらの「現実」は、こちらの「現実」として、楽しんでいるのです。自分で選んで決めたことに真剣に取り組んだり、困難を、一つひとつ、クリアしていったり。それもまた、とてもすてきな楽しみかたなのです。両方あるから、両方とも、より深く味わえるんですね。どんな自分にもなれる自分を楽しみながら。ひとりごとみたいな、今日のメッセージ。でも、あなたに何か伝われば、うれしいなと思います♪あなたを自由にしてくれる夢。あなたをより深いところにみちびいてくれる夢。もっていますか?もしも、もっていなくても、がっかりする必要はありません。まずは、こちらの「現実」を満たしてあげてください。気がついたら、もう一つの世界も、ちゃんと育っているはずですから!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1574号(2008年2月20日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪ひとは、挑戦しつづける生きものです「ひとは、挑戦しつづける 生きものです」ふっと、このことばが浮かんできたので、今日はこれを手がかりに書いてみたいと思います。私は、大きく分けて世の中には、二通りの生きかたをするひとが、いると思っています。それは、「できるかできないか」で判断して生きるひとたち。それから、「やりたいかやりたくないか」で判断して生きるひとたち。「できるかできないか」を判断基準にしてすると、「安全」だし、リスクを負うことが少ないので、「安心」かもしれません。でも、できないことには、いつまでも手を出せません。そして、この生きかたにも、リスクはあります。「できないこと」ばかりが、突然、目の前に立ちはだかったときです。どうすることもできず、立ち往生してしまうかもしれません。一方で、「やりたいやりたくない」を判断基準にしているひとは、ひんぱんにリスクを負います。(笑)当たり前ですが、世の中は、やりたいことばかりとはかぎらないからです。でも、大きな視点でやりたいことが見えていると、それも解決してしまいます。だって、目先にやりたくないことがあるとしても、それは、大きな意味で、やりたいことの一部に含まれてしまうのです。そしたら、それを、どう処理するのかを、考えていけばいいのです。 たとえば、ひとにまわすの だって、ひとつの方法です。実は、これ、逆の場合にも同じことがいえます。「できるできない」で生きているひとが、突然、「できないこと」に向き合ったら、「できないこと」のなかにある「できること」を探せばいいということなのです。ええ、かならずあります。うんとちいさなことかもしれませんが、絶対あります。そしたら、確実に、次の一歩に進むことができますから。いずれにしても、大切なのは、大局を見失わないことです。そして、どんなものごとのなかにも、可能性があることを知っておくということです。まちがいはありません。どちらでもかまわないのです。可能性を見る気持ちを、うしなわないことこそが、何よりも大切なのです。そして、可能性を見るならば、あとは、トライしてみるだけ!「ひとは、挑戦しつづける 生きものです」あらためて、このことばをかみしめています。この世の中に、二通りの生きかたをするひとが、いるのであれば、その両方に意味があるということです。あとは、それをどう活用するかということです。「やりたいこと」を基準にして生きると、当然、パワーが出てきます。新しいことに挑戦しつづけていくことも、この生きかたなら楽々です。でも、困難に出会ったとき、「できないこと」までがむしゃらにやるのは、エネルギーの無駄づかい。まず、その困難のなかの、「できること」に注目すれば、突破口をひらくことができるにちがいありません。突破口がひらけさえすれば、その先には、また、「できること」と、「やりたいこと」が、待っているはずですから!こうして見てみると、世の中には、「やりたいこと」と「できること」があるだけなのですね!そして、それは、「挑戦する気持ち」を持ちつづけることのなかから、生まれてくるのです。さあ、あなたは、今日、どんなことに「挑戦」してみたいと思いますか?ちいさなことだって、かまわないんですよ。ちいさなことの積み重ねで、おおきなことが成るのです。「挑戦しつづける」ことをとおして、どうぞ、次の一歩を踏み出してください。あなたの「挑戦」を応援します!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1573号(2008年2月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪ついていくだけでいいのです。ワークショップのなかで、しばしば、2人組の誘導ワークをやります。やりかたはいろいろですが、たとえばこんな方法があります。ひとりが、誘導するがわ。そのひとの手には、パワーがあって(あるということにして)もうひとりのひとは、その手に吸い寄せられていきます。そのひとが手を動かすと、相手も、その手に引き寄せられて動きます。相手が見ているのは、その手のゆくえだけ。どんな動きをしても、しっかりとついていきます。ワークをやっていると、みんなおもしろがって、かなり複雑な動きもします。速度を変えてみたり、しゃがんでみたり、ときには、わざと、ひととひとのあいだをくぐってみたり。でも、手に引き寄せられるひとは、けっして遅れをとりません。本当に、磁石がそこにあるのではないかというくらい、しっかりついていくのです。それも、楽しみながらね!このワークを見ながら、ふと思ったことがあります。ある意味、私たちは、こんなふうに生きればいいんじゃないかなあって。そう、引き寄せられる手とは、自分の夢であったり、目標であったりします。それをしっかり見つめます。よそ見なんかしないんです。そこに向かって、ただひたすら進めばいいんです。けれども、私たちは、ついつい、たくさんのよそ見をしまいます。このときのよそ見というのは、「うまくいかないんじゃ ないかなあ」という気持ちだったり、「こんな困難は、とても 超えられない」と思う気持ちだったりします。そんなこと、思う必要はないのに!ただ一心に、それだけを見つめていれば、まちがいなくついていけるのに!もちろん、人生は、いくらだって方向転換することができます。だから、これはちょっとちがったなあとか、別の何かが見つかった、というときは、当然、方向を変えていいんです。でも、そうではないなら、よそ見をするのを、やめてみませんか?ただただ、見つめるのです。ただただ、ついていくだけでいいのです。夢が、あなたをみちびいてくれます。どんな困難があっても、夢をしっかりと見つめれば見つめるほど、あなたは、それを困難とさえ思わずに、超えていけるでしょう。そう、楽しみながらね!今日は、あなたの目の前の、見えざる魔法の手を祝福します。さあ、スタートしますよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1572号(2008年2月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪あなたの本気を応援します。勉強会「学び舎21」がスタートして、まもなく1年になります。(※注/初出2008年2月)かめわざワークショップを定期開催(主催)するようになって、半年になります。おかげさまで、どちらも、毎回、うれしい反応をいただいています。でも、もしかしたら、一番喜んでいるのは、私かもしれません。伝えたいことを伝える場をもらった…という気がするのです。伝えたいこと…。それは、もちろん、ことばにすればいろいろあります。でも、1年やってきて、ようやくわかりました。私が一番伝えたいこと。それは、本気で生きるということ。何をするかは、問題じゃないのです。別に、天職とか、生きがいというものにめぐりあっていなくてもかまわないのです。そんなものはなくても、私たちは、一日一日を、一瞬一瞬を、精一杯生きることができるのです。なんであれ、こうして、生きて在る、今日一日のこの一瞬を、本気で生きることができたら、私たちは、「今日生きてよかった」といえるのです。本気で生きるって、どういうことかって?いつでも、目の前にあらわれてきたことを、受け止めることです。それに、いい・悪いをつけないで、向き合うってことです。最近、私は、自分から好んで、「火中の栗」をひろっているなあと、感じることがあります。 「火中の栗」の意味が わからないひとは、 辞書で調べましょう♪引き受ければ引き受けるほど、リスクも高まるし、やることも増えるのに、「やる」と宣言してしまうのです。リスクがあっても、手間が増えても、それを「やりたい」と思える自分がいるから。それをやることが、たぶん、広い意味で、だれかを応援することにつながると思えるから!だから、いつでも、本気でかかわります。本気でかかわればかかわるほど、困難がおおきくても、いいえ、おおきいほど、わくわくしてくるのです。だって、本気でかかわったときに、かえってくるもののおおきさを、私はもう知っているのですから! かならずしも、それが、 かたちに見えるもので なくてもね! そして、それをあなたに語ることができることを喜びます。ワークをとおして、あらたに還元することができることを喜びます。いま、さまざまな事情で、元気をなくしているあなたに。何かひとつでいいから、本気になって、かかわってごらんなさい。ひととかかわることが、しんどいときには、何かひとつの作業をていねいにやるだけでもかまいません。玄関のくつをそろえる。茶わんを洗う。トイレ掃除をする。そんなことだって、本気になってやれば、かならず、エネルギーになって返ってきますよ!そして、それでも、エネルギーが足りないと感じるひとは、私がおすそわけします!このメルマガをとおして、勉強会をとおして、ワークショップをとおして。どうぞ受け取ってください。あなたを応援します。あなたの本気を応援します。私の本気をかけて!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1571号(2008年2月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪死をみぢかに感じるとき10代のころから、身内、そして、みぢかな死と、向き合ってきたせいだろうか。 すでに亡くなった友人は、 軽く、10人を超えている。 たぶん、私の年齢では、 ほとんどのひとの場合は、 1人いるかいないかだろう。死は、いつも、私のみぢかにあるように思う。ときどき、ふと、私は、もしかしたら、もう、死ぬのかもしれないかと、思うことさえある。不謹慎かもしれないけれど、そんなふうに感じるのだ。むしょうに、過去のことが思い出される夜や、すべてのことがゆるせる、気持ちになるときに。そんなとき、かならず思う。「この瞬間に、死んでも、 悔いのない生きかたを 私はしているだろうか」たとえば、どんな仕事をしてきたか。 仕事というのは、 私の解釈では、 「神さまに『仕える』事」 私の場合は無宗教だから、 神さまとは、おおいなる 天の理みたいなもの。 私にとって、「仕事」は、 生きることそのものだ。やれることは、いつだって、精一杯やってきた。それらが無駄だったとは思わない。でも、ちいさい。世界にたいして、私という存在は、あまりにも、ちっぽけだ…。そんな自分の無力さを、感じながら、それでも、こんなふうにも思う。海でさえ、ひとしずく、ひとしずくの水滴が集まって、やがてあのような大きさとなる。私というひとしずくにも、何かの意味があるのではないか…と。死をみぢかに感じるとき。打ち寄せる波のように、いつでも、死は、私に問いを投げかける。オマエハ、ナニヲシタイノカ。オマエハ、ドウイキタイノカ。繰り返し、繰り返し、問いかける。死をみぢかに感じるとき。私も、こたえを押し返す。オノレノ、オモイノママニ。オノレノ、シンジルママニ。繰り返し、繰り返し、こたえつつける。生きるということは、死に近づくということだ。だから、死は、いつも私のかたわらにいて、私とともに呼吸する。死が投げかけるその問いのはざまに、私といういのちがある。その問いのかなたに、いのちが生きたあかしが見つかるかもしれない。ちっぽけなまま、生きていこう。ちっぽけさを愛して、生きていこう。やがて、彼岸に打ち上げられる日まで。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1570号(2008年2月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪たとえどれほど微力でも…。用事を済ませて、雪の残る坂道を歩きながら、ふと、空を見上げた。冬晴れの空の真っ青な色が、目に飛びこんできた。瞬間、涙がこみあげた。カミサマ、ドウカ、ヒトリデモ、オオクノヒトガ、コウフクニイキラレルヨウニ、ワタシヲ、オツカイクダサイ。ワタシハ、ナニモイリマセン。タダ、ソノコトダケガ、ワタシノ、イキルノゾミデス。唐突に、そんなことばが、胸のなかに湧き起こった。ああ、そのとおりだと、私のなかの、だれかが言った。私のなかで、ときどき、あふれだす思いの、源にいるだれかが、言った。「僕はもうあのさそりのように ほんとうに みんなの幸のためならば 僕のからだなんて 百ぺん灼いてもかまわない」 (ジョバンニ/『銀河鉄道の夜』)「お日さん、お日さん。 どうぞ私をあなたの所へ 連れてって下さい。 灼けて死んでもかまいません。 私のようなみにくいからだでも 灼けるときには 小さなひかりを出すでしょう」 (よだか/『よだかの星』)宮沢賢治の童話の一節が、不意に、胸によみがえる。それらのことばに、何度、涙してきただろう。ときに、ひとは、それを自己犠牲と呼ぶけれど、私は、そうは思わない。真実、自分がそのように生きたいと願うならば、それは、まことの、そのひとの生きかたなのだ。けれども、同時に、そのような生きかたに出会うたび、痛烈に私は思い知らされる。私という存在の、なんとちいさなこと。なんと無力なこと。涙があふれて止まらない。この世界をおおう不幸のおおきさに。どうすることもできない、自分のちいささに。自分のちからの足りなさに。それでも、やるしかない。自分にできることを、本当に、ちいさなことを、一つひとつ…。たとえどれほど微力でも…。そう思ったら、すこし前まで、まだ自分のなかに残っていた、執着が、ひとつ終わった。ああ、何もいらないのだ、と、思った。何かを手に入れるのではなく、何かを手ばなすために、私は、生まれてきたのだと、思った。それが、正しいのかどうか、はわからない。ただ、そう思ったら、また涙がこみあげてきた。かなしいのではなく、どうしようもなく、深いところから、ふるえ、あふれてくる思い…。もしも、魂がふるえるということばを使っていいのであれば、きっと、これがそうなのだといわずにはいられない。そんな気持ちが、いっぱいに満ちてくる。もう一度、祈ろう。神さま、どうか、一人でも、おおくのひとが、幸福に生きられるように、私を、おつかいください。私は、何もいりません。ただ、そのことだけが、私の、生きる望みです。ちいさくて、ちいさすぎて、ときどき、自分の無力さに、泣けてくるけれど、もう一度、選び直して、そして、生きていこう。いのちのかぎりに。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1569号(2008年2月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪前に進めてください。ことばワークのなかで、私が大好きなもののひとつに、こんなものがあります。 インプロ(即興演劇)の ワークのひとつです。円になって、すわります。何かタイトルを決めて、ひとり、1行ずつ、お話をつないでいきます。それだけのワークです。ただし、条件があります。「絶対に、お話を 停滞させない」こと。どんなに荒唐無稽でも、脱線してもかまわないので、お話を「前に進める」ことを、条件にします。たとえば、ひとりがこう言ったとします。「桃太郎が、『鬼が島に 鬼を退治に行く」と 言いました』次のひとがつなげます。「そこで、旅のしたくを することにしました」これは、「うーん、もう一歩」ええ、たしかに、まちがいではありません。でも、聴いているひとは、すでに、桃太郎が、鬼退治に行くことを知っているのです。旅のしたくをすることは、その情報のなかに、すでに含まれているのです。「もっと、話を、 前に進めてください」「では…」ちょっとためらいながら、そのひとが言い直します。「桃太郎は、鬼が島に着きました」これは、「OK」♪ストーリー的には、ちょっと飛びすぎですが、(笑)思い切って、前に進むという意味では、GOODです。 足りない部分は、あとで いくらでもつけ加える ことができますからね♪お話を進めるための条件は、もうひとつあります。「具体的に話すこと」たとえば、これは「イマイチ」。「宝物があるという話です」より「OK」なのは、こちら♪「金銀財宝が、倉いっぱいに、 ざっくざっくと 詰まっているのです」お話を前に進ませないのは、不安があるからです。「自分の言った1行で、 お話が変な方向に行って しまったらどうしよう」お話があいまいになるのは、やはり、不安があるからです。「こんなことを言ったら、 ばかにされるかもしれない。 笑われるかもしれない」だから、なるべく、歩みを小幅にするのです。だから、なるべく、お話をあいまいなままにするのです。もちろん、小幅な歩みかたで、少しずつ慣れていくという方法もあります。でも、小幅なら安全だと思ってしまった結果、さらなる踏みこみを避けてしまうひともいます。不安が根っこにあるかぎり、怖れは消えないからです。あいまいな立場をキープすることも結果は、同じことです。そして、ワークのときに起きてくる感覚は、現実の感覚と連結します。ワークで、前に進むことをためらうひとは、人生も、ためらいながら歩きます。あいまいな表現をするひとは、日常のなかでも、あいまいな表現をしています。小幅であいまいでいることで、わくわく、元気が出るのなら、もちろん問題ないのです。でも、おおくのひとは、不安を感じるから、それを選択しているだけなのです。本当に、自分のやりたい表現ではないのです。だから、ワークのなかで体験してみるのです。ワークなんですから、遊びといっしょ。現実の生活を生きるのに、何の支障もおきません♪でも、こころが変わります。ワークであれ現実であれ、こころが体験したことは、かならず、身につくのです。ワークで使える感覚は、かならず、現実でも生かせるようになるのです。ワークでなくても、日常でも、どうぞためしてみてください。いつもなら、そこで立ち止まっていることを、一歩だけ進めてみてください。感じたことを、いつもより、よりはっきりした表現であらわしてみてください。あなたのパワーがアップします!●追記そうそう、お話のタイトルも、具体的なほうが楽しくなります。一番ウケるのが、みぢかなひとを主人公にすること。学校でやるなら、「担任の先生」。「タイトルは、○○先生のヒミツ」言った瞬間、100%、歓声が起きます♪もちろん、内容は嘘八百でOK!ふだんは引っ込み思案な子でも、かなり大胆なことをしゃべってくれますよ。(笑)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1568号(2008年2月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪こころをそそぐということ。学生のころ、私は、4歳の男の子のベビーシッター兼ホームキーパーのアルバイトをやっていました。マンションの一室だったので、遊ぶといっても、あまり走ったり騒いだりはできません。ですから、よく絵本を読んだり、お話を聴かせたりしていました。その子も、とてもお話の好きな子だったのです。けれども、読む絵本にはかぎりがあります。手もとのある本は、あっという間に読み終わってしまいましたし、図書館は近くにはありませんでした。それでも、その子は、「もっともっと」と、お話をせがみます。それも、食後の時間だけでなく、お風呂に入っているあいだも、寝かしつけるあいだも、「お話、して」と言うのです。私は、あやふやな記憶をたどりながら自分の知っているお話を、話せるかぎり話しました。しまいには、自分が演じた劇のストーリーまで話しました。 たぶん、理解はできなかった と思います。(笑)とうとう、すべて話し尽くしてしまい、なお、「お話、聞かせて」と言われたとき。苦肉の策で(笑)、「じゃあ、○○君(その子)を 主人公にした話をつくろう」と、提案したのです。子どもはすぐにノッてきて、さっそく、2人で、お話をつくりはじめました。私が適当に話をすると、その子が、それにつけ足します。内容は、実に他愛ないものばかりです。でも、主人公が本人だけに、どんな他愛のない内容でも、けっこうおもしろがってくれるのです。 (これは、おトクです♪)あるとき、2人が共通して好きなまんがのことが、話題になりました。そこで、そのまんがの世界に、その子が、入っていくお話をつくりました。物語のなかで、まんがの登場人物たちと出会い、交流するのです。ちょっとナンセンスなファンタジーまんがでしたから、そこからつくるお話も、当然、はちゃめちゃな内容になりました。お話をつなげては、2人で、げらげら笑いました。あんまり楽しかったので、それを文字に起こして、文章にしてみました。そして、いきさつを書いた手紙を添えて、まんがの作者にも送ってみました。 今にして思えば大胆な…。汗うれしいことに、はがきで返事が来ました。「楽しく読みました。 うちの奥さんも、 おもしろいと言ってました」そんな内容だったと記憶しています。お母さんにも見せて、みんなで喜びました。あれから、長い時間が経ちました。振り返って思います。あのとき、大切だったのは、「いっしょに世界を共有する」そのことだったんだなあと。別に、お話の内容は、なんでもよかったのです。私が、その子のために、一所懸命考えて、そして、その子にたいして語ること。それがすべてだったんです。世の中には、すばらしい教材があふれています。それらを利用するのもまちがいではありません。でも、子どもにとっては、みぢかなおとなの、まごころをこめたひとことのほうが、ずっと意味をもつ気がするのです。ええ、内容のことなんか、まったく心配いりません。なんだったら、宇宙語(でたらめ語)でも大丈夫な気がします。(笑)こころをそそぐということ。子どもにたいしてだけでなく、おとな同士だって、とても大切なことじゃないかなあ。今日は、あなたの大切なひとにたいして、いつもより、すこしだけ、まっすぐに、まなざしを向けてみませんか?忘れていた何かを思い出せるかもしれませんよ。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1567号(2008年2月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪はっ、やきいも!学生のころ、私は、4歳の男の子のベビーシッター兼ホームキーパーのアルバイトをやっていました。母子家庭で、仕事のため、お母さんの帰宅は、いつも遅いのでした。私の仕事は、その男の子と、いっしょに、ごはんを食べて、いっしょに、遊んで、いっしょに、お風呂に入って、絵本を読むか、お話をして、寝かしつけることでした。夜9時がお休みの時間でしたが、たまに、お母さんが、早く帰ってこれる日があります。そんなとき、子どもは大喜び。お休み時間を延長して、その日あったことを、お母さんに、夢中で報告するのです。ある冬の寒い日のことでした。家の中で遊んでいると、やきいもやさんの笛の音が、外から聴こえました。「やきいもやさんだ!」2人で顔を見合わせました。「食べたい?」「うん、食べたい!」「早く行かないと、 遠くに行っちゃう!」2人で、マンションの階段を駆け下りて、やきいもやさんを追いかけました。その夜、お母さんが、いつもより早く帰宅したのです。「あら、やきいも?」テーブルの上のやきいもの残りを見て、お母さんが言います。 もちろん、 お母さんのために 残しておいたのです。子どもは、にこにこうなずいて、私に言います。「かめちゃん、 さっきの、やろう!」「いいよ。 どっちをやりたい?」「やきいもやさん!」さっそく、子どもが、屋台を引くまねをしながら、歩いてみせます。「やきいも~、 やきいもはいらんかね~」「はっ、やきいも! 早く行かないと、 遠くに行っちゃう!」私が、スローモーションで、おおげさに手足を振りながら、やきいもやさんを追いかけます。 ここは演技のテクニック♪ スピード感のある行動は、 スローモーションでやると、 とってもおもしろくなります。「待ってくれえ~」スローモーションで走って、追いついて、やきいもやさんにタッチ! ここで、もとのスピードに もどります♪「ぜいぜい。はあはあ。 や、やきいも、くださいっ」子どもは、にこにこ笑いながら、架空のやきいもを手渡して、「はい、○○円です」そう、ことばではなく、お芝居で、お母さんに報告をしちゃったのです。ほんの1分足らずの表現ですが、お母さんは大喜び。子どもも、もちろん大喜び。「ねえねえ、かめちゃん、 もう一回やろうよ」「よし、わかった。 はっ、やきいも! 待ってくれええええ~」結局、その日は、再現フィルムを、4、5回やりました。(笑)ね? ことばでのコミュニケーションもすてきだけれど、こんなふうに、からだで表現すると、伝わるものが、もっとたくさんになりますよ。ここでも、ポイントは、上手・下手を言わないこと。どんなにちいさな表現でも、全部、「すてきだね」って、みとめてあげること。そしたら、自然に、おおきな表現だって、できるようになっていきます。夜でなくてもかまいません。たとえば、お休みの日など、この一週間を振り返って、家族で、再現フィルムごっこなんてのは、いかがですか?きっと、家族のきずなも強まりますよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1566号(2008年2月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪再現ごっこ私のワークは、最少3人から、最大だと、100人以上が参加できます。ちなみに、過去最多人数は、190人。中学校の学年特別授業でした。ただし、参加人数によって、やるワークの内容が変わります。人数がおおい場合は、こころのきめ細かな揺れを扱うワークはなかなかできません。集団のパワーが生かせる、からだワークが中心になります。少人数の場合は、そのメンバーの状態にもよりますが、比較的、メンタルな部分も扱うワークをやることもあります。いずれにしても、集まったひと次第で変わります。ある中学校の支援学級でワークをやったときのことです。4人の生徒と、担任の先生2人、私を入れての6人ワークでした。このときは、「自分の体験を語る」ワークから入りました。自分が体験したことのうち、とくに印象的だったことを語ってもらうのです。ある子が、クラスで行った宿泊研修の話をしてくれました。みんなで、山にのぼったこと、食事をしたことなど、楽しそうに話してくれます。今度は、それを、その場のみんなで再現してみます。友だちの役になったり、宿舎の職員さんの役になったりして、もう一度、その時間を再現するわけです。みんな、とても楽しんで、いろいろな場面を語りあい、何度も何度も再現ごっこをして、その日のワークは終わりました。後日、先生から手紙が来ました。あの再現ごっこが、いまでもつづいているのだと。そして、ともすれば、引っ込み思案になりがちだった子どもたちが、最近は、積極的に、自分を表現できるようになってきたと。このことは、私にもいくつかの気づきをあたえてくれました。やったことは単純なことです。でも、考えてみたら、子どもたちは、ふだん、自分を振り返る時間をもつことができません。再現ごっこは、そんな時間を、子どもたちに提供したのです。そして、その再現ごっこを、ひとりではなく、いっしょの仲間が協力してくれること。このことが、何よりも楽しかったのでしょう。私たちは、いつだって、だれかと、何かを共有したいと願っているのです。それ以来、おとなにたいしても、この再現ごっこは、大切なワークのひとつになりました。そう、自分を振り返る時間をもてずにいるのは、子どもたちだけではないのです。いいえ、むしろ、おとなのほうが、より必要としているかもしれません。大切なことは、再現したことに、いい・悪いをつけないことです。吟味もしません。分析もしません。ただ、体験し、味わうだけ。それでいいんです。あとは、そのひとのなかで、勝手に、何かが動き出します。あの子どもたちが、語ることによって、再現することによって、表現する喜びを見いだしていったように。その動き出すものを信頼して、ただ、その瞬間を、楽しめばいいだけなのです。もしも、あなたに、お子さんがいらっしゃるなら、ときには、こんなワークを遊びとして、やってみるのもいいかもしれません。子どもたちの時間をいっしょに体験することで、子どもたちのあなたへのまなざしが、変わるかもしれません。子どもたちの体験をまるごと受け止めることで、あなたのなかにも、何かの気づきが生まれるかもしれません。生きてきたすべてを受け入れて、生きてきたすべてにマルをあげる。そんな時間と体験を、大切にしあえたら、私たちは、もっともっと、楽に生きられるようになると思いませんか?気づいたあなたから、はじめてください。ええ、あなたなりのどんなかたちでもいいのですから。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1565号(2008年2月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪ノールール、ノープログラム。「休むひまなく、 次から次へと動いて、 頭を使うひまが ありませんでした」「ゆったりのんびりした 時間を過ごして、 こころもからだも ほぐれました」「自分の生きたい方向が はっきりしてきました」「無心になって、 子どもみたいに遊びました」これ、すべて、私のワークショップの感想です。 まるで正反対の感想みたいですが、まちがいなく私のワークショップの感想です。ノールール、ノープログラムで、ワークショップをやるようになって、もう、数年になります。ええ。ノールールとは、そこで起きてくることを、すべて受け入れるということ。 あ、いのちに危険が及ぶ 場合は別ですが。(ないって)ノープログラムとは、事前に一切の予定を決めないということ。ワークショップのはじまりは、その日、参加されたかたのからだから伝わってくることを感じること。集まったかたがたがかもし出す場の空気を感じること。すると、次の瞬間にやるべきことが見えてきます。その瞬間、瞬間の積み重ねで、ワークが進んでいきます。それでOKなのです。以前の私は、2時間なら2時間ぶん、1日なら、1日ぶん、時間が余らないように、参加者があきないように、たくさんの事前準備をしていったものです。完璧に準備をしないと、ワークが成立しないと思っていたからです。実際、そういう時期もたしかに必要ではあったのです。でも、いまはちがいます。ワークがはじまると、私自身が、ワークに参加する一員なのです。私も楽しみ、私も遊び、私もいっしょに笑います。そして、そのほうが、はるかにワークの中身が充実することにも気がついてきました。私がやっているのは、参加者のかたが発している思いの糸を見つけて、結びをほどいたり、つむぎあわせたりすることなのかもしれません。すべては、参加者のかたのなかにあり、私は、ほんのちょっとお手伝いをするだけ。ただ、いっしょに楽しんで、そこに起きてくることを共有するだけでいいのです。そして、これって、実は、ワークのなかだけのことではないような気がします。何もかも自分でやらなければならないと、思いこみすぎているとき、私たちは、たくさんの荷物をしょいこみます。その荷物につぶされそうになって、ますますストレスをためこみます。そんなときは、いったん、荷物をおろして、まわりを見てみればいいのです。ともに生きている、この地上の仲間たちを。あるいは、空や風や光や虹を、感じてみればいいのです。そんなにたくさんがんばらなくても、わかちあえることがあることに、気づくはずです。自分ひとりでしょっていたと思っていた荷物も、別の角度から、支えていてくれるだれかがいることに、気づくはずです。手をはなしたぶんだけ、お楽しみが増えます。だって、何が起きてくるか、わからなくなりますから。何が起きてくるかわからない、わくわくを共有できますから。ノールール、ノープログラム。あなたの日常のなかにも取り入れてみませんか?あなたの日常が、確実に、パワーアップしますよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1564号(2008年2月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪わくわくして、待っていてください。以前、けっこうお気に入りでやっていたワークがあります。「幸せ・不幸せ」ゲームといいます。円になって、すわります。1人1行ずつ、文をつくって、みんなで、お話をつくっていきます。ルールがあって、1人目のひとは、かならず、「幸せなことに」ということばから、お話をつくります。2人目のひとは、かならず、「でも、不幸せなことに」ということばから、はじめます。これを交互に繰り返していくのです。ですから、お話の主人公は、とっても幸せな目にあったかと思うと、すぐに不幸せなできごとに遭遇します。めちゃくちゃ不幸せな思いをしたあとに、ものすごい幸せがやってきます。当然のごとく、波瀾万丈なドラマができあがるわけです♪このゲームが、実に楽しいのです。幸せな1行を考えているときは、もちろん、とてもわくわくします。でも、不幸せな1行を考えているときも、楽しいのです。どうしてかって?だって、次には、絶対に幸せがやってくるのですから、安心して、「不幸せ」なできごとをつくってしまってかまわないのです。むしろ、不幸せなできごとがおおきければおおきいほど、次の「幸せ」はおおきいものになります。(ですよね?)だから、「不幸せ」な1行を考えるひとは、もう、楽しくてたまらなくなります。(笑)もちろん、お話のおしまいは、「幸せなことに」でしめくくります。だから、どんな物語も、絶対にハッピーエンド♪これって、実際の人生も同じことじゃないかなと思いました。「不幸せ」なできごとに目を向けているひとは、自分のことを、不幸せだと感じます。でも、私たちが「不幸せ」を感じるためには、その前に、「幸せ」な体験がなければなりません。そうです。生まれてからずーーーっと、不幸せだったというひとは、それ以外の状態を知らないのですから、それが「不幸せ」であることに、気づかないはずなんです。だから、いま、自分が不幸せだと感じているひとは、とても幸せなひとです。あなたは、人生のなかで、幸せな体験をしてきたひとなのです。だとしたら、その体験を思い出すだけで、自分の内かわに、幸せな感覚を呼び戻すことができるのですから!そして、もしも本当に、生まれてからずーーーっと、不幸せなひとがいたとしても。そのひとは、それが、不幸せであることを知らないのですから、ある意味で、幸せなのです。そう考えたら、私たちは、本当は、幸せ以外の人生を送ることができないようにできているんですね。(笑)結局のところ、こたえは、いつものところに行き着きます。幸せも不幸せも、自分が選んでいるんだって。幸せなひとは、不幸せなできごとさえも楽しむことができます。次に幸せがやってくると、信じているから!いいえ、信じることさえ必要ないかもしれません。人生って、もともとそんなふうにできているんです。そのことに気づきさえすればよかったんです。あなたは、いま、幸せですか?それとも不幸せですか?もしも、不幸せなら、次にやってくる幸せを、わくわくして待っていてくださいね。もしも、幸せなら、次にやってくる不幸せは、もっともっとおおきな幸せの前ぶれです。やっぱり、わくわくして待っていてください。…あれ?ということは、幸せも不幸せも、すべて、「わくわく」でできていたんですね。これ、お気楽な今日の結論です♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1563号(2008年2月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪「おみくじ読み」こメルマガの読者さんのなかには、「おみくじ読み」をしているかたがいらっしゃいます。ええ、毎号を順番に読むのではなく、メールボックスのなかから、タイトルを見ずに、どれかひとつを、直感で選んで読むのだそうです。それが不思議と、その日の自分にぴったりのものが当たるのだそうです。(^^ゞ結果の真偽はともかく、私は、それって、なかなか、おもしろい読みかただなあと思っています。それは見かたを変えると、「何が来ても、自分には 受け入れる用意がある」ということでもあるからです。世の中には、さまざまな占いがあふれています。私は、それらを否定するつもりはありません。けれども、しばしば、その結果に翻弄されて、かえって迷いを深めてしまうひとがいるのも事実です。結局のところ、ひとは、自分が信じたものしか、受け入れられないようにできているのです。その「自分」とは、表面にあらわれている意識ではなく、深いところに隠れている自分です。たとえば、そこに「怖れ」があると、ひとは、ラッキーなことがあっても、それを見ないふりをします。一歩を踏み出せば、もう次の場面が待っているのに、わざわざ問題をつくって、そこに行けないようにしてしまったりさえします。(自分自身、そうとは、 気づかないうちにね!)「おみくじ読み」をする読者さんは、その日の自分が何を必要としているかを、自分で選んでいるのです。深いところの自分が、それを知っていることを信頼しているということもできます。また、何が出てきても、OKにできる自分を信頼しているともいえます。もちろん、順番に読んでいただくこともうれしいことです。どのように読むかは、そのひとの選択ですから、どちらでもかまわないのです。(あるいは、別の方法でも!)大切なことは、私たちが、すべてを自分で選べることを知っている、ということなんですね。どんな状況が目の前にあらわれても、それを引き受けて生きることのできる自分がいることを知っているということなんですね。今日は、ここからはちょっと応用編です。一日のはじめに、どんなことでもいいので、ひとつ、「これをやる」と、決めてみてください。ええ、今日一日だけでかまいません。そして、できるだけ、ちいさことからはじめるほうが、効果的です。そしたら、今日一日だけは、それを実行してみるのです。「決めた」「選んだ」「実行した」その体験を、その感覚を、毎日いっこずつ繰り返して、味わってみてほしいのです。ポイントは、うまくできなかったときに、自分を責めないこと。それは、まったくエネルギーのあがらない方法ですから。別に、できなかったことが人生の大勢に影響するわけではありません。「どんまい、どんまい」と、気軽に、再トライすればいいだけなんです。さあ、今日は、何からはじめてみますか?「おみくじ読み」からはじめてみるのもいいですね。…え? 先に言ってくれ。今日のぶんをもう読んじゃった、ですって?それは、失礼シマシタ!(^^ゞ--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1562号(2008年2月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪自分を使いこなしましょ♪実は、私は、こう見えてもけっこうシャイな性格です。 この話を、気質にからめて ミクシィの日記に書いたら、 総ツッコミを受けましたが。(爆)子どものときも、よく人見知りをしていました。また、長いあいだ、私は「オチコミの大王」でもありました。自慢ですが、三か月くらい平気で落ちこんでいました。落ちこみが進むと、ひとに会うのがおっくうになり、部屋に閉じこもりきりになります。そのうち、電話にも出られなくなります。食事もしたくなくなります。昼間から、ずうっと横になっていたりします。で、いいかげん、落ちこみの底をさまよったあと、ようやくフッカツしてくるといった調子でした。こんな私ですが、中学校で演劇と出会ったあたりから、もう一つの自分が顔を出すようになります。人前で表現することを楽しみ、自分のやりたいことを思う存分にやる自分です。この二つの性質(気質)は、交互にあらわれては、私を動かし、ときに混乱させたりもしてきました。そして、最近ようやく、このことなる感覚とのつきあいかたがわかってきました。どんなふうにつきあうのかって?簡単です。そうある自分を、みとめてしまえばいいのです。たとえば、先日、あるセミナーに参加したときのことです。少人数のセミナーで、ほとんどのひとは、顔見知りのようでした。とたんに、引っ込み思案の私が、顔を出しました。積極的に、ひとに話しかけることなど、とてもできません。(笑)でも、それもOKです。「ああ、こちらの私が、 いま、いるんだな」即座にみとめてしまいます。しかも、この状態でセミナーを受けると、それはそれで、おもしろさもあるのです。自分が前に出ないぶん、全体の雰囲気がよく見えます。こういうタイプの参加者がいるときの、講師の対応はどうだろうかと、ひそかにチェックまでしてしまいます。 スミマセン。 いやな参加者ですね。(笑)無理に、積極的にふるまう必要はないのです。そうではない自分がいることもわかっていて、いまは、こちらの自分を選択しているのです。必要があれば、切り替えることだってできるのです。ひとは、さまざまな自分を、自分のなかにもっています。積極的なひとが、365日24時間、あらゆることに積極的かというと、そんなことはありません。(それだと ちょっとアブないです)(笑)逆に、ふだんは自信なさげなひとが、あることに関しては、自信満々にふるまうこともけっして珍しくはありません。ね? 人間って、そういうものなんです。ただ、使い慣れている自分、あまり使わない自分がいるだけのことなのです。そして、おおくのひとは、そのことに気づかずにいるだけなのです。自分を使いこなしましょ♪あなたは、どんなあなたを生きてもいい。でも、せっかくなら、快適な自分を生きましょう。いまがどんな状態であっても、いま、そうある自分をみとめてあげるんですよ。「ああ、いまは、こういう 自分を体験してるんだ」って。そしたら、次は、別の自分を体験してもいいんです。そういうふうに、自分に許可をあげるんです。あなたのなかには、すべてがあります。ただ、いままで、使ってこなかっただけ。どうぞ楽しんで体験してみてください。たぶん、一生あきません。(笑)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1561号(2008年2月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪百円玉、二つ吊り革につかまり、ぼーっと電車に乗っていると、不意に声をかけられました。「百円玉、二つ、 貸してくれない?」振り向くと、初老に近いと思われる男性が、そこに立っていました。風体は、きれい…とは言いがたいものでしたが、さりとて、みすぼらしいほどでもありません。中肉中背、やや小柄。そのひとが、また繰り返して言いました。「百円玉、二つ、 貸してくれない?」理由を言おうともせず、ただそれだけを言うのです。こびるようすはありません。狡猾な雰囲気もありません。まるで、「そこのティッシュ、 とってくれない?」とでもいうくらいの何気なさです。「寸借詐欺かなあ」という思いが、頭をかすめました。だって、ここで200円ばかりを貸したからといって、このひとがあとから、返しに来るとは思えません。もちろん、住所だって名乗りもしないのです。でも、なぜか、不思議とにくめない雰囲気をただよわせているのです。見ていると、なんだか、「まっ、いいか」と、思えてきました。「百円玉」が1枚しかなかったら、どうするのかなあ。「十円玉」20枚でも、受け取るのだろうか。「五百円玉」だったら、受け取らないのだろうか。おばかなことを考えながら、お財布をあけると、百円玉2枚は、たまたま、ちゃんとありました。渡すと、そのひとは、にこにこと笑って、頭を下げました。そして、「ありがとう」を三回言いました。「ありがとう、ありがとう、 ありがとう」その言いかたがなんともいえず絶妙でした。卑屈でもなく、おあいそっぽくもなく、まるで、歌うようなかろやかさが、そこにはあったのです。なんだか、一瞬の芸を見ているようでさえありました。「芸にはらったと思えば、 まっ、いいか」あらためて思いました。もしかしたら、私もまた共演者にさせられていたのかもしれません。だって、こんなようすを、はたから見ていたら、「観客」のみなさんは、さまざまな思いをめぐらせたでしょうから。(笑)ふと見ると、そのひとは、隣の車両へと、ひょこひょこと歩いていくところでした。照れくさいのか、はたまた、あらたな共演者をもとめて、移動していったのか。それはもはやわかりません。いろいろな生きかたがあるなあ…。そんな気持ちになりました。どんな生きかただって、生きるつもりになればできるんだよね…。そんな思いもわきました。もしも、どこかで、「百円玉、二つ」と言って、声をかけてくる男性に出会ったなら…。その瞬間芸を見るために、お金をはらってみるのも方法かもしれません。歌うような「ありがとう」を三回聴くことができます。ええ、ただそれだけのことですけれど…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1560号(2008年2月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪顔の筋肉、動きますか?子どもたちの劇の練習のなかで、準備体操で、よく、「顔の百面相」をやります。はい。「顔の百面相」です。目や鼻や口など、顔のパーツを、思いっきり、右がわに寄せてみます。ええ、もちろん、本当に移動しちゃったら、ホラーになっちゃいますから、あくまでも、気分♪それでも、目は右の寄り目になるし、口も右がわに「イー」で、それらに引っぱられて、何となく、全体が右よりに見えちゃうものです。次に、同じく、左寄せ。次に、上に上げて、下に下げて、まん中に寄せて、全部広げて。ぐるっとまわして、1クール。それから、顔のあちこちを指でつまんで刺激して、最後は、両手ではさんで、もみもみします。何のためにやるかというと、表情をゆたかに表現できるようにするためです。筋肉って、使わないと、かたまっちゃうんです。かたまっちゃうと、動かなくなっちゃいます。わざと、ぶすーっと不機嫌そうな顔にして、「こーんな感じのひと、 見たことない?」と、聴いてみました。「あー、いるいる!」と、声があがります。 自分の学校の先生に いたもようです。(笑)「こういうひとはね、 この状態で、顔の筋肉が かたまっちゃってるから、 笑おうとしても、 口がちょっと動くくらい。 気持ちを表現できにくく なっちゃうの。 みんながお芝居をやるとき、 表情がなかったら、 お客さんにも、気持ちが 伝わりにくくなるよね。 だから、顔の筋肉を 動かす練習をして、 いつでもやわらかく 使えるようにしておくの」そんなふうに説明しました。さて、でも、この表情筋。役者さんでなくたって、必要なものですよね!顔の筋肉、動きますか?やってみてください。右寄せ、左寄せ、上げて、下げて、集めて、広げて、はい、ぐるり♪ここで、ほっぺたがだるくなったり、痛くなったりしたひとは、要注意!表情筋、かたまりかけてます!いまのうちに、しっかりお手入れしておかないと、取り返しのつかないことになりますよ~♪ なんだか、エステサロンの お誘いみたい?(笑)とくに、男のひと!「そんな恥ずかしいこと、 できないよ」なんて思ってませんか?ちっ、ちっ。いまや、男のひとだって、顔の手入れに気を使う時代。お手入れは、顔の表面だけでなく、筋肉までしっかりとね♪さあ、もう一度。右寄せ、左寄せ、上げて、下げて、集めて、広げて、はい、ぐるり♪そして、やわらかくしなやかになった表情で、今日一日を過ごしてみませんか?きっと、人間関係だって、変わってくるはずですよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1559号(2008年2月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪この地上の銀河のなかに。最近、ごぶさたしてるけど、私のお気に入りのひとつは、ナイトフライト。そう、夜の飛行機に乗るのが、大好きなんです。だって、上空から見える地上が、まるで光の粒をばらまいたみたいで、とってもきれいなんです。その光の粒の一つひとつに、いのちがあるんだなあって思うだけで、ふっと、ためいきが出てきます。おそらく、一生会うこともないひとが、ほとんどです。でも、そのすべてのひとが、いま、この瞬間、それぞれの、かけがえのないいのちを生きている…。そう思うだけで、じーんとなって、涙が出てきてしまうのです。地上にいるときの私たちは、自分以外のこと・もの・ひとにたいして、さまざまな思いをいだきます。、うれしい感情もありますが、かなしい感情もあります。怒りもあれば、ときには、うらみや、ねたみも、生まれるかもしれません。でも、空の上から見下ろしたとき、そこにあるのは、ただただ、光、光だけなんです。私たちは、本当は光のなかにあるのに、光そのものを生きているのに、そのことを忘れてしまっているんです。忘れてしまって、光ではないことを、たくさん選んでしまっているんです。もしよかったら、ちょっとイメージしてみていただけませんか?あなたのからだが、すうっと軽くなり、気がついたら、そこは、空の高み。あたりはもう闇のなかで、見下ろせば、無数の光の粒が散らばります。それはさながら、地上に広がる銀河系。このまばゆい光のなかに、あなたは何を見ますか?あるいは、何を見たいですか?あなたの思いひとつです。あなたの思いが、世界を変えるんです。どうぞ、もう一度、この問いをこころにかけてみてください。あなたは、この世界に何を見ますか?この地上の銀河のなかに。そうして、あなたが思いをめぐらすとき、きっと、地上でも、空を見上げるひとがいるでしょう。そのひとは、きっと、頭上にひろがるたくさんの光の粒を見るでしょう。そのとき、あなたは、その光のなかにいます。あなた自身が光です。空にも、地上にも、あまねくひろがる銀河のなかに、私たちは生きています。私たちは、すべて光です。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1558号(2008年2月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪脚本を書くということ今年(2008年)も、横浜市で中学校創作劇発表会がおこなわれます。それに併設して、同じく市内の中学生を対象にした創作脚本コンテストがおこなわれます。その審査員を、最初の年からつとめています。今年、届けられた脚本の数は51編になりました。過去最高の数です。寄せられた1編1編を、ていねいに読ませてもらいます。そして、全員に、コメントを返します。 1人3分程度ですが、 音声で吹きこんだものを、 CDにしてわたしています。正直言って、作品のレベルはさまざまです。でも、どの作品からも、表現したいという思いが、伝わってきます。以前に、こんなことがありました。ある学校から届けられた何本もの脚本のなかに、脚本のかたちになっていないものがありました。物語のあらすじだけが、書かれていたのです。「これでは、コメントの 返しようがないなあ」しかたがないので、顧問の先生にお電話をしました。先生が、電話の向こうで、明るくお返事されました。「部活全員で書こうって、 盛り上がったんですよ」 (だから束で届いたのか…) 実は、その子は、 知的ハンデをもつ子です。 でも、みんなが出すなら 自分も出したいと言って、 一所懸命書いてきたんです」 (そうだったのか…。じーん) かめおかさんなら、きっと、 対応してくれるだろうと 思いまして。ははははは」 (ははははは…って、おい!)ええ、もちろんちゃんとコメントは返しましたとも。また、あるときは、屈折した感情の葛藤を感じさせるような作品にも行き当たりました。やはり気になって電話すると、顧問の先生が、こんなふうに話されました。「この子は、クラスのなかに、 なかなか溶けこめないで いる子なんです。 でも、書くことによって、 自分の内がわを 見つめ直しているんだと 思います」私も、思いをこめて、コメントを返しました。詩や小説とちがって、脚本を書くには、独特のむずかしさがあります。舞台では、つねに、全体が見えているということです。部分だけを切り取って見せることはできません。だから、主人公だけでなく、すべての登場人物が、きちんとまるごと描かれる必要があるのです。そのまるごとである存在と存在が、出会うところに、ドラマが生まれるのです。もちろん、すべての作品がそのように書けているわけではありません。(私自身の作品も含めて)でも、少なくとも、書く過程においては、それを考えずには、脚本にはならないのです。だから、脚本を書くということは、それぞれにことなる人間を考える作業であり、人生を考える作業だということなのです。10代の多感な時代に、そんな作業に取り組むことは、きっと、生きるうえで、何らかの意味をもつだろうと。そんなふうに、私は思っているのです。そのお手伝いと、ほんの少しのはげましになりたいと、こうして関わっているのです。子どもたちばかりではありません。すべてのひとが、自分のこころにたいしてそんなふうに、ていねいに思いを馳せることができたなら…。そして、自分以外のひとにも同じく、思いを寄せることができたなら…。たぶん、この世界は、もうすこし変わるだろうと思うのです。そのためにできることを、自分にできるかたちで、一つひとつ、やっていくことが、大切なのだろうと。たくさんの思いを載せた51編の作品を前に、いま、そんなことを思っているのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1557号(2008年2月3日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪あなたの生きかたに照らして最近、あまり聴かなくなりましたね、このことば。「ばちがあたる」おとなのかたならば、子どものころによく、言われたことばではないでしょうか。あらためて見直してみて、「いいことばだなあ」と思います。 あ、知らないかたのために、 「ばちがあたる」とは、 「神仏が人間の悪行を罰して、 その懲らしめ、償いとして 苦しみを与えること」デス。 --国語大辞典(小学館)より これって、ある意味、人智を超えたものへの畏敬の念が存在していた時代のことばですよね。だって、仮に、何か悪い行為をして、「ばちがあたった」ような結果になったとしても、それを立証することはだれにもできないんです。そうですよね?どろどろどろ~んって、閻魔大王さんがあらわれて、「おまえに、ばちをあたえる」バチーン! とかいう現場を目撃したひと、いないですね? あ、どさくさにまぎれて、 寒いギャグを…スミマセン。だから、それがばちかどうかは、本当にはだれにもわからないのです。でも、かつてはみんな、そう信じていたのです。どんな悪ガキ(失礼)でも、「ばちがあたるよ」って言われたら、すっと、それをやめたんです。「ばちがあたる」ということばのおかげで、私たちは、長いあいだ、ひととしての生きかたを真摯に見つめることができていたのです。ところで、「悪いおこない」とは一体、何なのでしょうか。時代によって、国によって、環境によって、ひとによって、それって、基準の変わるものではないでしょうか?だとしたら、この現代に、あえて定義するならば、それは、「自分のこころにそむくこと」ではないかと思うのです。ええ、これは、あくまでも私自身にとっての定義です。 そして本質的には、 絶対的な「正しさ」も 「悪」もないと思っては いますけれども。定義づけは、一人ひとりちがってかまわないと思います。でも、よかったら、今日は、私の解釈におつきあいください。あなたが、あなたの生きかたに照らして、「これは悪だ」と思うこと。 「あなたの 生きかたに照らして」 ここがポイントです。 けっして、世間とか、 常識とか、権威とかに 照らしてはいけません。 そう思ったときに、想像してみてください。閻魔大王さんでもお釈迦さまでも、だれでもお好みのかたを登場させ、そのかたに、バチを打っていただくのです。バチーーーーン! すみません。重ねがさね。 でも、思わずハマって しまいましたので。(^^ゞそのバチの音で、あなたは目覚めるのです。「ああ、私は、自分の 生きかたにそぐわない 道を選ぼうとしていた」と。そしたら、あらためて考え直せばいいのです。ちがう道をえらび直せばいいのです。あるいは、「これは、本来であれば、 自分の生きかたに そぐわないけれど、 いま、私は、私の判断で、 これを選ぶ」もしも、あなたが、そのように決めたのなら、それは、もう「悪」ではありません。だって、そのように自覚して選ぶあなたの生きかたが、そこにはっきりと、示されたのですから。ね?現代版「ばちがあたる」。なかなかいいとは思いませんか?バチの音をつくって、ネット上で売り出したら、案外ヒットするかもしれませんよ♪ (しないって!)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1556号(2008年2月2日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.08
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★今日のフォーカスチェンジ♪19歳だったあなたが19歳だったあなたが、もう一度、同じ年を繰り返しても、まだ追いつけないくらいの年月を、私は生きてしまいました。19歳だったあなたの、まあたらしい遺影は、いまも、私の目の奥に焼きついているけれど、きっと、あの遺影も、いまは、すっかり色あせていることでしょう。いつのまにか、そんな年月が過ぎてしまいました。今日、ふと、あなたのことを思い出して、同時に、あなたのことを忘れて生きている自分に気がついて、ほんの少しうしろめたさを感じながら、でも、あんなかなしみも、忘れてしまえるほどに、ひとは生きていくちからをもっているのだなあと、そんなふうにも思ったのです。10代のころから、なぜか、ひとの死に接する機会がおおかった私です。妹、祖父、そして、友人たち。そのなかでも、あなたの死は、私のこころに、ひときわ強烈な印象を残していきました。ひとが、今日、生きていることは、奇跡なのだと。生きていることが当たり前だと、思っているのは、ただの錯覚なのだと。それを教えてくれたのが、あなたの死…だったから。先日、あるかたから、こんなことを言われました。「頭ではわかってるけど、 どうしても実感できない。 つい、また明日もあると 思ってしまう」それはね。ある意味、幸福なことなのです。私は、10代のときに、ひとは、必ず死ぬ、ということを、実感してしまったのです。そのときから、「たぶん、明日も生きている」ということが、信じられなくなってしまったのです。だからといって、毎日、おびえて生きているわけではありませんが、こころの深いところに、どうすることもできないかなしみが、横たわっているのを、知っています。そのかなしみとともに、生きることが、私にとって、生きるということなのです。よく言われることばですが、今日という一日は、今日を生きられなかった誰かが、生きたかった一日です。実感はできないとしても、せめて、そのことに思いをやってみませんか。明日死ぬかもしれないと実感できないということは、明日も生きられると、漠然と信じられるということでもあるのですから、その明日という一日を、(そして今日という一日を)自分にとって、最高のものとして、あたえてください。誰のためでもない、自分自身のために。…。19歳だったあなたの、変わることのない、笑顔を、今日、久しぶりに思い出しました。19歳だったあなたが、もう一度、同じ年を繰り返しても、まだ追いつけないくらいの年月を、生きてしまった私が、本当に、あなたにたいして、恥ずかしくない生きかたをしてきたのかどうか…。今日は、しずかに、振り返ってみたいと思います。そして、明日があるかもしれないことを信じて、今日を、そして、明日を、真剣に生きてみようと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」第1555号より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2011.09.05
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