まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.07.07
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さほど坂本龍一を熱心に聴いてきたわけでもないのに、


これで第4弾ですw

…前回からだいぶ時間が空きましたが。



…というのも、

例の松尾潔の日刊ゲンダイの記事に、
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/325603/4
またも「炭鉱のカナリア」なんて表現が出てきたからです。

まあ、松尾潔は、

そもそも音楽家ごときが「カナリア」であるはずがない!

ミュージシャンに、そんな能力はありませんw

なぜか晩年の坂本龍一が、
そんなことを口にしはじめたせいで、
湯川れい子までがそれに同調したりしてるのですが、

坂本龍一ともあろうものが、
そんな下らない幻想を本気で信じていたとしたら、
あまりに愚かじゃないの?と思っていたわけです。



一般的にいっても、
「音楽家が時代のカナリアだ」という考えは、


一部の馬鹿なミュージシャンが、
自分で勝手にそう錯覚しているだけの話。

歴史的に見れば、
社会の変化にもっとも敏感なのは文学者 であって、
けっして音楽家ではありません。

音楽は、芸術の諸分野のなかで、
社会の変化に対する反応がもっとも遅い。

これには必然性があります。



たとえば「文学のロマン派」は、
フランス革命が起こる前から存在していましたが、
「音楽のロマン派」が登場するのは、フランス革命の後です。

つまり、
文学者ははやくから革命の時代を予兆していたけれど、
音楽家たちは、
モーツァルトにせよ、ベートーヴェンにせよ、
革命が起こるまでロマン派の時代の到来に気づかなかった。
※ウィーンが辺鄙だったからってのもあるけど。

それと同じことは、
印象派やシュルレアリスムにも言えます。

音楽の印象派は、
美術の印象派よりも遅いし、
サイケデリック音楽も、
美術のシュルレアリスムに比べて、だいぶ遅い。



同じことはロックにも言えます。

アウトロー/アウトサイダーの表現は、
米国でいうなら1940年代の、
ビート文学やハリウッド映画の中に予兆されているし、
ヨーロッパの退廃主義や実存主義は19世紀から存在しています。

しかし、
音楽の世界でロックンロールが登場するのは、
せいぜい50年代の半ば。ここでも音楽がいちばん遅い!

日本でも、
無頼派の文学や東映・日活映画などが、
アウトローの表現を終戦直後から先取りしてましたが、
日本の学生たちが、
アウトロー気取りでフォークやロックをはじめたのは、
ようやく60年代も後半になってからのことです。

それにもかかわらず、
自分たちが「時代の先端」のように勘違いしていたのなら、
たんに滑稽というほかありませんw



文学者が時代の変化に敏感なのは必然です。

それは、人間の精神や感性そのものが、
時代の言語や観念に規定されているからです。
そのことに自覚的な文学者ほど、
社会の変化を必然的に予兆することになる。

それに対して、
音楽家というのは、往々にして、
自分自身の感性の構造に無自覚なのです。

だから、
「インスピレーションは空から降ってくる」だの、
「感性こそが言語に先立つ」だのと、
ファンタジックな勘違いをしてしまう。

つまり、無邪気な音楽家ほど、
自分の感性が時代の観念に規定されていることを、
なかなか自覚できないのです。

そのくせ「空からのインスピレーション」があれば、
自分たちこそが時代を先取りできると思い込む。



坂本龍一は、日本の音楽家の中では、
かなり「文学的」なほうだったと思うのですが、
それにもかかわらず、
《音楽の予知力》なんぞを本気で信じていたとしたら、
意外に迂闊だったんじゃないか、と思います。





ちなみに、
ジョン・レノンの「イマジン」という有名な曲があって、

なぜか、
日本の頭の悪いロック愛好家ほど、
この曲を「ジョンの妄想」だと言って馬鹿にするのだけど、

そもそも、
あの曲の内容はジョンの独創ではありません。

あれは、
いわば文学思想の翻案であって、一種のパクリです。
そのことが分かっていれば、
あの歌詞の内容を一概に「妄想」だとはいわない。



ジョンの「イマジン」の思想は、
おそらくカント哲学を根っこにしていて、
国連やEUや戦後の日本憲法の理念としても受け継がれてきた、
一種の文学的な予言なのです。

それが、
被爆国出身のオノ・ヨーコを介して、
ジョンのポップソングの形に翻案されたってこと。

その予言は、すくなくとも、
国連やEUの形で暫時的に実現してきているのだから、
たんにミュージシャンの気まぐれな「妄想」ではありません。



実際、
クラシックの分野であれ、ポピュラーの分野であれ、
欧米の優れた音楽家というのは、
けっこう文学に対する造詣があって、
作品の基礎を文学に置いている場合が多いと思います。

ジョン・レノンの場合も、
(ビートルズのやんちゃ時代はともかく)
ボブ・ディランやオノ・ヨーコの影響を受けて以降は、
それなりに文学的になっていったわけですよね。

それに対して、
日本のミュージシャンの多くは、
「感性こそが言語に先立つ!」と思い込んで、
本も読まずに、空からの啓示ばかりを後生大事にしている。

こうした点は、もっと欧米を見習うべきで、
根拠のない幻想に酔っている暇があったら、
もっと多くのことを文学から学ぶべきです。




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最終更新日  2023.07.08 04:18:09


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