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我が家から眺めた今年最後の中央アルプスです。山頂付近は雪煙が舞っています。わが地方は今日も快晴でした。信州でもこのへんは雪が少ないのです。山荘付近は雪に埋もれていますが、生活圏はのどかな年の暮れです。今年叶わなかったことは、初夢で…。夢で叶わなかったことは、来年こそ…。皆さん、よいお年を!南アルプス方面の眺めです。およよ、これは悪夢です。
2005.12.31
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k-nanaさん デキレースじゃないです。女子フィギュアのトリノ選考ばかりは、きっこさんがおっしゃられてても、デキレースではないです。彼女たちの名誉のためにも、これだけは、信じていただきたいので、トラックバックを張りました。外から憶測するのは容易いんですけども、いくらスポンサーがついてたからって、全日本であの結果を出さなければ、あの3選手の選考はありえませんでした。失敗してても彼女たちが選ばれていたとしたら、それならデキレースといわれても仕方がありませんが、ちゃんと結果を出して、残ったんですから。こればっかりは、mskさんには信じてほしいんですけれど・・・。友加里ちゃんには五輪に出すには、ちょっと足りないところがやっぱりあるんです。「村主、荒川、安藤が代表に選ばれたって、さ」で、ポロッと「何となくデキレースで中野友加里ちゃん可愛そうでしたね。」と書いたわけですが、これは僕の主観的な印象であって具体的な根拠はありません。フィギアスケートという競技をみていつも感じることですが、あんな人間業とも思えない究極的な美しさを演じるには、どの選手も(もちろんコーチなど裏方も)才能にくわえ、人生を賭けてのすごい努力しているんだろうな、と思うわけです。それを考えると、採点のちょっとした風向きで天国と地獄ほどに振り分けられてしまうことの残酷さを感じてなりません。格闘技のように、勝ち負けが判定しやすい競技ならともかく、ことにフィギアは素人目には数字にし難いですよね。スピンなどの回転数だけならともかく、芸術点ともなると審判員の感情が入りやすい。本当に公平なジャッジなど可能だろうか。それができてしまうことに、僕などただただ驚き以外にないわけです。しかし、だから外から眺めているぶんには面白いともいえるわけですが…。今回のトリノオリンピック代表選考について、ブログのなかでさまざまな議論がされています。僕が興味をもって読んでいるブログでも意見が分かれていますが、それぞれ説得力を感じる意見でレベルの高さを感じます。それぞれ、なるほどと思うばかりで、僕にはいったいどこに真実があるのかはわかりません。オリンピックの選考会のたびにこのような問題がおこりますが、選手のためにもすっきりした基準ができないものかと思うのですが…。きっこのブログ「スポンサーが決める五輪代表(2005.12.27)」alex99さん「女子フィギュア トリノ五輪選考」k-nanaさん「全日本女子フリー1」~全日本女子フリー2 / トリノ代表決定k-nanaさん >みんな好き勝手言い過ぎ--ちょっとはぐらかすようなことを言ってしまいますが、ブログなどで書くことは公開日記であって、公式文書ではありません。日記である以上、本人の主観にもとづいて語っているわけで、極端な誹謗中傷でないかぎり許されるべきだと思うのです。ゴシップ週刊誌的に書くことも、学術書的に書くことも並列にあり、それをどのように咀嚼するかは読み手の自由であるべきです。正直にいうと、僕はフィギアの選考方法がどうであったかということは(社会的問題としては)あまり興味はなく、NHKで頑張った中野選手が入れなかったのは残念だったな、という程度のミーハー的あるいは野次馬的感情を書いたわけで、これによってどうこうなって欲しいというものではないわけです。きっこさん等の日記についても、k-nanaさんの日記についても、へぇ~そういう見方もあるんだという感想で、例えばこんどの構造計算偽造問題などへの視線とはまったくベツものとして考えています。フィギアが誰が代表になるかが、これだけ騒がれるということは反面から見ると、それだけ日本のレベルが高くなり、層が厚くなったということで喜ばしいことだと思います。若貴時代の相撲で、八百長疑惑が騒がれたりしましたが、今はほとんどゴシップが話題にならない。人気とは、そういうものではないでしょうか。
2005.12.30
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いささか自慢めくが、僕の住む伊那地方の山並みの風景は、日本はおろか世界的にみてもすぐれた光景だ。これは、僕が勝手に言っているのではなく、訪れた文学者や地質学者なども口々にいうことである。もちろん、地元への社交辞令的も含まれての言葉ではあろうが、僕も正真正銘そう思っている。ところが、ここに長く暮らしていながら「ここにはとりたてて自慢できるものは何もない」という人もまた少なくないのだ。そしてこともあろうに、首長クラスにも、そんな輩がいるのだから、うんざりしてしまう。口では辞令的に「故郷を誰よりも愛しています」とはいうが…。自慢できるものがない、という物言いには、暗に“都会的な施設”や“きちんと整備された公園”“有名な大企業や工場”などがない、ということを言っているのだろうが、いまだにそんなものを有り難がっている輩は、そっくり東京の夢の島にでも移住させてあげたい、などといったら過激すぎるだろうか。遠く古代や中世の頃、「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」の時代は、現代とくらべたら比較にならぬほど自然のなかに人々は暮らしていた。それであっても、故郷の空や海の蒼さ、緑の山並みに泡たつようなこころの想いを寄せて、和歌や長歌などに詠んでいる。それに較べたら、ズタズタにされてしまったといって過言でない、この自然に対してまだ痛めつけ足りないとでもいうかの傲慢を許す社会がいつまで続くのだろうか。つい昨今も、僕は世界一の山並みと胸を張っていいたいこの山並みの山頂何キロにもわたって、100メートルもの風車と高圧線の鉄塔を、数十基建てるという計画が丸紅商社と地元首長たちのあいだで進行していたことが明るみになった。当然ながら、地元の山岳会や自然愛好会などが反対の声をあげているが、まだ地元民にはこの愚かな計画があまりピンとこないらしい。この風車は、高原山岳地帯の風を利用して、本格的な風力電力を得ようという計画で、これにより数万軒分の電力がまかなえるという。ここで成功したら、将来的にはクリーンエネルギーとして日本各地に計画を広げたいらしい。クリーンなエネルギーというが、数千、数万年にわたって人々のこころを慰撫し安らげてきたこの風景を台無しにする計画を、どうして看過できようか。計画者側の説明では、将来の化石燃料の枯渇や原発の限界を見越したエネルギーの開発が必要なのだそうだ。なるべく自然と違和感のない色彩や形にして、将来的には風車も含めて素晴らしい景色だといわれるようなものにしてゆきたい、ということだ。莫迦もやすみやすみ言えといいたい。電力が足りなくなるのなら余分に使わなければいいだけのことだ。国という集団は、人間のひとときの利便さを追い求めて、どれほど自然の営みを踏みにじってきたのだろうか。たとえば、かつては美しい白浜がつづいた日本の海岸線も現在ではみる影もなく無惨な姿に化している。霞ヶ浦や水郷の美しく生命に満ちた景色にどのようなしうちをしてきたのだろう。日本中から、自然の命を奪い尽くしてきている。人々はいつから、コンクリートと高圧線が張り巡らされた景色にこころの痛みを感じなくなってしまったのだろう。 しかし、都市近郊の人々の犠牲と較べたら、クリーンなエネルギーを生み出す瀟洒な風車などとるにたらないではないか、未来の人々のためには地域エゴはほどほどにすべきでは…、などとヘンに物わかりのいい有識者までいるが、こんな輩が人間を世界を少しずつ毒を盛るように破滅に導いているのだ。どんな屁理屈をこねても、こんな大規模なものを一旦建ててしまったら、半永久的にこの景観は元に戻らないことになる。そうして、この景色もかつての白浜の浜辺のように、歴史的遺物となってゆくしかあるまい。計画が本格化するようであれば、僕も風車を阻止するために立ち上がらざるを得ないのであろうが、あのドンキホーテの気持がとても共感できる今日この頃なのだ。(ああ、伝染してしまった…) 「日本風力発電協会」写真コンテスト「風車のある風景」より
2005.12.26
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というニュースとは関係ない日記です。何となくデキレースで中野友加里ちゃん可愛そうでしたね。さて、クリスマスはいまやお坊さんの家でも行われているのではないかという、ゲスの勘ぐりはさておいて、この西欧的習慣はバレンタインデーとともにすっかり日本に定着した行事になってしまった。さてお堅くいえば、クリスマスも資本主義も、キリスト教の世俗化から生まれたものである。僕はクリスチャンではないので正確な認識ではないかも知れないが、キリスト教の建前からいえば、金儲けや金貸し(銀行)のような営利事業は蔑むべきことだった。ましてや享楽的SEXなどとんでもはっぷんだったはずだ。だから、クリスチャンでないユダヤ人が金貸しで儲けるのを蔑み(妬み?)迫害の口実になり、究極はホローコーストの悲劇にも結びついていった。敬虔なクリスチャンは、働いて得たお金を教義に忠実に享楽的なものには使わず、事業の拡大に使い、事業で生産した商品の販路を求めて世界各地に進出した。これが資本主義の原点であるとともに、世界への進出が植民地獲得競争にもつながっていった。世界中に布教して、事業で生産した製品を売り、現地の資源を仕入れた(奪った)わけだ。キリスト教は、性に対してもことのほか禁欲的で、最初の女性であるイブはアダムをそそのかした淫らな人物ときめつけたわけだし、キリストを生んだのは、なんと処女だったとまで言い切ってしまったわけだ(ウソツキ)。だから、キリスト教の信者たちがあくまで神さまに忠実に、清く正しく過ごしてきたとすれば、事業を拡大しても儲けずに世界から慕われ、SEXは神さまの許す範囲でしかなかったから、人口は減少し、資本主義もキリスト教徒も絶え絶えになっているはずなのに、どうしてそうならなかったのでしょうか…という屁理屈はこのくらいにしよう。そのように、本音と建て前こそ表裏一体の人間そのものだから。実際に人間は禁欲的であればあるほど、反作用が働くものだ。昨今の風潮では、若者がクリスマスの夜に一人で過ごすのはよほどもてない人間であるかのようにはやしたてる。ホテルでふたりの夜を過ごすことが当然であるかのようにきめつけるから、モテナイ同志やけ酒をのみ、ホテルならぬ車の中で寂しい一晩を過ごし、風邪を引いて帰ってくるバカ息子までどこかにいたような…。バレンタインデーもキリスト教のなかから広まった風習(?)だが、いわば男女フリー交際のすすめみたいなもので、原始キリスト教の神さまたちは、きっと眉をひそめているに違いないと思うのだが、これも本音優先ということで―。以上、クリスマスをホテルで過ごした経験も、バレンタインデーには「義理」と大書きしたチョコしか貰ったことのない、ひねくれ男のクリスマス日記ということで、今日はお茶を濁しておこう。
2005.12.25
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友人が大腸癌で昨日入院した。明日手術するそうだ。一昨日はワインとつまみ、昨夜は手みやげをぶら下げて訪ねてきて「もし、何かあったらたのむ」という。「だったら通帳と印鑑を全部持ってきて、オレに渡してから入院したらどうか」と言ったら、「借金なら全部やってもいい」という。身勝手なヤツだ。死ぬきなど始めからないくせに同情をひこうとする。最近は癌は手当さえ早ければ治る病気になっている。だから健康診断がかかせないというが、集団検診はあぶない。イーホームではないが、一度にたくさんの資料を処理しなくてはならないから、手抜き診断になることが多いとある医師から聞いた。検診を受けたからといって安心はできないのである。ところで、僕ははるか以前に疑われ胃カメラを飲んで以来検診を受けてない。タバコは吸わないし、百薬の長はちゃんと摂取しているし、食生活も性生活も健全そのもの、やましいところが“ほとんど”ないのだから、癌などになるはずがない。病気というように病は“気”によるところが多いと思う。僕の叔父は、20年ほど前に大腸癌の手術をしていらい、直腸もとって人工肛門、皮膚癌で顔面の半分と片目を削って5、6年、80歳を越えても元気に農作業に精をだしている。昔から自分が死ぬとしたら老衰で、癌などで死ぬわけがないと言い切っているから、どんなに大きな病気や手術をしても明るく生きている。たぶん、本人の言うとおり天寿をまっとうするまで生き延びることだろう。ところで友人だが、帰り際に、「ところで、オレが退院したらまた○○温泉にでもいかねえか」という。そういえば、この夏に温泉かたがた近くの小料理屋に連れていったことがある。その店は、俳人でもある女友だちがやっていて、友人は彼女がすっかり気に入ってしまったようだ。その後ひとりでこっそりと来たことがあると、その店の友だちから聞いている。ほらほら、癌で死ぬつもりなんかこれっぽっちもないくせに…。
2005.12.20
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「きっこの日記」、「きっこのブログ」いつも楽しく、ドキドキと日記を拝見させて貰っております。さて、この度の「構造計算偽造問題」における、大々スクープ大変ご苦労さまで、お疲れさまです。そして今日の日記では、事件当事者のひとりでもあるイーホームズ社長の藤田東吾氏からの実直な吐露メールなど、影の捜査本部なみのご活躍、喝采をおくるものです。この問題については建設業界のみににかかわらず、あるいは国のさまざまな仕組みにも共通する問題を抱えている可能性があります。そうした意味からも、単に時の話題的だけでない国民的関心事となっていますが、どこに真実があるのかいまひとつわかりにくい状態にありました。今日の日記で、なぜ「きっこの日記」で書かれていることがマスコミで報道できないでいるのかも理解できました。今後を期待したいと思います。この事件の背後には、日本の権力の文字通り巨悪の構造が横たわっております。しかし、巨悪は自分が巨悪だとは気付かない(あるいは、気付かないフリ)をしているものですが、ここに至っては、気付かぬフリで通るわけもなく、にわかに慌てだしている様子が、ようやく国民の眼にも見えだしてきました。と同時に少しの若干危惧することは、彼らが保身のため、見当違いの牙を剥くのではないかという懸念さえ感じてしまいます。考えすぎかも知れませんが、巨悪がバカな行動にでることを防御するにもっとも有効な手段は、知る情報を同時にマスコミなどと共通な情報としてしまうことだと思います。仮に情報の漏洩を抑えようにも、抑えようがない状態に置くことだと思います。たぶんきっこ様の周囲には、それとなく(ちゃんとした)ホワイトナイトが影のように控えておられることとは存じますが、老婆心ながら念には念をいれて警戒を怠ることなく、これからも一層の奮闘をご期待申し上げます。季節柄、ご自愛ください。
2005.12.19
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今日、午前中は地元CATVの新春番組で「川柳」を放映したいということで、その収録に出演した。昨日紹介した、まんが家の橋爪まんぷさんがで「旬」グループの句会の場に訪ねてきて、そこで詠まれた句をまんがに描くという趣向だ。で、まんぷさんが全体の司会、僕が句会の司会ということで3台のテレビカメラを前に収録されたのだが、さてどのようにテレビに映るのでしょうか。ここでの句会の趣向は全員席題といって、参加者がその場で「花」などの課題を出し、即興でつくり発表するというもの。もちろん普段はそのようにするのだが、ちょっと裏話をすると、テレビの前であまりみっともない作品がでても、と2日ほど前に題を決めて出演者には知らせてあった。即吟の自信がなかったら事前につくってくればいいと思ったからだ。今日の句会参加者は司会者を除くと6名。題は正月にふさわしい題ということで、「雪」「神」「酒」「年賀状」「犬」「餅」どうやら連絡が悪く、全員には題が伝わっていなかったようである。しかたなく、題の知らないひとにはその場でつくってもらった。これをぶっつけ本番という。ところがである。披講されていくと、ぶっつけ本番にできた作品がいいではないか。やはり、こういう短詩系は集中力がものをいう、ということをあらためて思わされた。どのような句ができたのかって? 入選句の句箋はテレビ局で持っていってしまったので、落選句のなかより、僕の選で1句づつ紹介しよう。 雪 やさしいかやさしくないか雪だるま 神 神さまがおねだりばかりして困る 酒 三日月にすがるか酒にすがるか年賀状 猫の掌に絵の具をつける年賀状 犬 父さんがだんだんポチに似てきたよ 餅 ふっくらと新婦も餅もおめでとう
2005.12.18
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きょうもしっかりと、雪今、高遠美術館で橋爪まんぷさんのまんが展が開催されています。ほのぼのと楽しい4コマまんがの原画が彩色され、100点あまり展示され、訪れる人達の目を楽しませてくれています。ということで、まんぷさんの留守宅をねらって、みどり夫人とお茶を飲んできました。みどり夫人の写真は僕のリンクページでも紹介していますがカメラが趣味。それも動物写真には特別な才能を発揮します。僕らの山荘付近には、よく猿や熊がでます。植物は近づいても逃げないし、動きませんからカメラさえあれば簡単ですが、野生動物を写真にするのは相当むずかしいのです。僕なども、車のすぐ近くにいるので撮影しようと車を降りると、サッと遠くに散ってしまいます。カメラを構えようものなら、銃を向けられたかのように隠れてしまいます。ところが、みどり夫人の手にかかると、なんでこんな近くで、こんな表情を撮れるのかというような写真が撮れてしまうのです。今日はその様子を伺うことができました。まず第一に、頻繁に通って動物たちにみどり夫人の顔を知られているということが大きいのでしょう。猿は農作物を荒らしたりすると、民家から嫌われ、冬になると猟友会の人達に捕獲という名目で、増えすぎないように狙撃され個数を抑えられています。だから、人間を警戒してほどほどの距離以上には近寄りません。みどり夫人は現場に行ってもすぐに撮影しません。例えば、猿の群れの近くにしゃがみ込んで、何時間も猿たちに話しかけているのです。「モンちゃん、(猿に勝手につけた名前)寒くないかい、いま何を食べているの。」などと語らっていると、猿たちもかつて知った人なので、すぐ近くまで来て平気で身繕いなどしているといいます。それからは、いくらカメラを構えようと近づこうと平気でポーズをとってくれるといいます。そのような写真もそのうちに公開してくれることでしょう。いま、公開されている青サギの営巣の様子も、普通ではなかなか撮影できないものです。 この程度の写真でも、遠くから望遠で捕らえるのがやっとです
2005.12.17
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女性たちのブログが快調ですね。お薦めの、「きっこのブログ」、そして最近「おばけうさぎ」から改名した「銀魂うさぎさん」など、ちょっと男では書けない文体でサラリ、コテンパンと巨悪を切り捨てるさまは、以前人気テレビドラマにあった「必殺・仕置き人」のブロク版といった痛快さです。世評は、彼女たちにまかせて、僕はもうひとつ盛り上がらなかった宮澤賢治の、打ち切り版を書くとしましょう。賢治とチヱとはとうとう結ばれることなく自然に遠い存在になってしまった。翌年の七月七日、岩手日報社に森佐一を訪ねた賢治は、結婚の話がまた起こっているという。森荘已池の『宮沢賢治の肖像』から、賢治の言葉を抜き出してみる。「女学校を出て、幼稚園の保母か何かやって居たということです」「遺産が一万円とか何千円とか持っているということなのでしてね、いくらおちぶれても、金がそんなにあっては…。」「ずっと前に私と話があってから、どこにもいかないで居るというのです」「自分のところにくるなら、心中のかくごでこなければなりませんからね」「いつ亡びるか解らない私ですし、その女の人にしてからが、いつ病気が出るか知れたものではないでしょう」森はこのエピソードを、賢治が「私は結婚するかもしれません」と語ったという形で書き始めているが、森自身の七月七日の日記から書き写したという記述からは結婚に否定的な意味合いしか読み取れない。実際の話では、賢治の心がゆれていた。しかし、自分が結核にとりつかれていること、そのことで長くは生きられないことを薄々と感じていたのだろう。結婚ということにより、不幸な人をつくってしまうことを恐れていた。森はこのエピソードに続けて、賢治が和綴じの「春本」を出して見せ、性の話になったという。賢治はこのように本音を吐露している。「禁欲は、けっきょく何にもなりませんでしたよ、その大きな反動がきて病気になったのです」「何か大きないいことがあるという、功利的な考えからやったのですが、まるっきりムダでした」「草や木や自然を書くように、エロのことも書きたい」そして、その春本や商売や性の話などをする自分のことを自嘲気味に、「私も随分かわったでしょう、変節したでしょう」と呟いたという。僕は、賢治がようやく普通の人間として生きることの大切さに気付き、賢治本来の作家としての黎明が花開いたのがこの時期だったような気がする。人間は所詮聖人君子では生きられない、煩悩や性欲や功利心を世間体というコロモで包みながら生きている、そうした人間の弱さを自覚することによって、生きるということの矛盾や不条理を乗り越えてゆける。書ける。そのように気づきだした賢治であるが、病魔はいよいよ身体を浸食しはじめていた。昭和6年9月19日、鉱山技師として開発した商品の壁材料の見本を大トランクに持って上京した。途中、小牛田、仙台に立ち寄って、20日に上野に着いたが、その夜に発熱。襲い来る悪寒に、もはやこれまでの命と観念した賢治は、翌日遺香を父母宛にしたためた。27日に、最期にお父さんの声が聞きたくなった、と父政次郎に電話をかけた。驚いた父はあわてて帰郷の手配をした。病身を押して賢治は帰郷し、そのまま病の床についた。自宅での静養で一息ついた賢治は、11月3日、病床で手帳に〈雨ニモマケズ〉ではじまる独白を書きつらねた。昭和7年3月、賢治は「児童文学」第2号に棟方志功の挿絵で「グスコーブドリの伝記」を発表。また床にあって寝たり起きたりの生活の中で、憑かれたように詩や童話の推敲を重ねている。昭和8年9月17日からの花巻の祭礼があった。これを店先から見物している。このとき冷気にあたったのが悪かったのか、時限爆弾のスイッチが入ったのか、急に呼吸困難に陥り容態が急変した。21日、いったんは回復したかに見えたが、午前11時半、賢治は突然に「南無妙法蓮華経」と大声で唱和した。その声に驚き、家人が二階にあがると、喀血していた。父が「よくこれまで頑張った。何かやって欲しいことはないか、何でいってくれ」というと、「国訳妙法蓮華経」を1000部刊行し、知人にわけ与えてくれと言った。言い終えると、家人がもってきた水をおいしそうに飲み、そのまま絶命した。ときに午後1時30分、賢治37歳の生涯であった。23日、安浄寺で葬儀。会葬者は2000名を超えたという。「国訳妙法蓮華経」は遺言どおり、昭和9年6月5日発行された。 (終わり)
2005.12.15
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寒いなー>逮捕された塾のアルバイト講師で同志社大4年、萩野裕容疑者(23)は、塾では熱心な教えぶりで児童らに慕われていたという。 しかし近所の人の話によると、以前は家庭内で家族に暴力を働くこともあった。 自宅近くの住民らによると、萩野容疑者は1人っ子。子どものころからしばしば、 家庭で大きな声を出して騒ぎ、家族を困らせたこともあったらしい。(日刊スポーツ)京都・宇治の塾講師による小学生刺殺事件は、痛ましく衝撃的な事件ではあるけれど、現代社会のシステムのなかでは象徴的なできごとだったと思う。事件そのものの分析はこれからさまざまにされて、それぞれもっともな解釈がされてゆくことだろう。基本的には“よい子を育てるシステム”と現代社会システムの欠陥部分が如実にあらわれたできごとだと僕は考える。この事件の一報を聞いたときに直感的に予想でき犯人像は、“今どきのよい子”だ。窃盗事件で停学中だというが、成績は大学でも10番内に入るほど良かったという。そして、ひとりっ子で家庭内暴力常習。外では一見いい子。小学生を刺した原因は、報じられているほど単純なものではないかも知れないが、そこにいたる過程は至極単純だ。社会のなかで、人間として、何が大切で、何をすべきか、何をしてはいけないか、が理解できていない、あまりにも未熟児だったということだ。勉強や人間関係のマニュアル的スキルさえ身に付けば、後はグリコのおまけ、好き放題に育ってきたのだろう。受験や試験に役立つ暗記学習に全能力をつぎ込んだ結果、大人として社会に適応するべき判断力などが、極度に欠けていたことが、容易に想像できる。このようなことは他の現象に置き換えてみるとすぐに理解できる。例えばトマト。よく耕した土壌に苗を植え、窒素や水を充分に与えるとスクスクとときには人の背をはるかに超えるほど成長する。しかし、他の肥料とのバランスが悪いから、花付きが悪かったり、実が育たなかったり、つかなかったりもする。また、ハウスのなかで、すべての肥料や水を成長に合わせて、適度にあげると、木も大きく見た目の良い実もたくさんなる。これらのトマトは市場に出荷される。しかし、本当にうまいトマトはそんな木にはならない。肥料も水もおさえ、前年までは草の生えていた石ころだらけのような土地で、太陽をしっかり浴びたトマト。当然ながら木はあまり大きくならない。実も不揃い。しかし、確実に味の良いトマトができる。こうしたトマトは比較的病害虫にも強い。トマトだけでなくこのような性格をもつ作物は少なくない。しかし、不揃いであったり数が少なかったり、何より形の悪いものは市場で評価されないため店には出にくい。これは人間にもおおいにあてはまるのではないかと、僕は思っている。取捨選択の問題かもしれないが、自分の子どもだけはエリートに育てたい。偏ったシステムのなかで栄養分をたっぷり与えられて、一見スクスク育った子ども。これが一番あぶないと思っている。この事件の舞台は、そうした子どもたちを育てる塾で、そのように育ってきた“小とな”が、講師として塾の生徒に対して起こした事件ということで、象徴的なものだった。青少年たちがかかわる最近の事件のかなりの部分は、社会のニーズや価値観がつくりあげたシステムが生み出された、あるいはシステムの中途から落後したと思える人間によってひき起こされている。そして、事件を起こさないまでも、こんな人間は世の中にあふれるほどいる。これらを対処療法で治療したとしても、癌患者の腫瘍になった部分を切り取るだけのようなもので、根本的な治療にはならない。癌体質を改めてこそ、予防治療といえる。これは日本だけのことではないかも知れないが、社会的ニーズやシステムに従順に応えようとする社会的風潮がつづくがぎり、やはり“小とな”にしかなれない青少年の事件はつづく。こうした事件は、日本社会という身体全体への警鐘でもあろう。
2005.12.13
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雪だ、雪だ!伊藤七郎は岩手県水沢町で生まれ、豊かな農家の息子でありながら労農党に所属していた。当時、貧苦の果てにたどり着いたという青年たちより、家が豊かで海外留学などの教育機会に触れたゆえに、貧苦の底にあえぐ農民や庶民を救いたいという気持で社会主義政党に入ってゆく青年が多かったのかも知れない。賢治もまた労農党のシンパであり、かなり接近した時代があったが、最後には苦しむ人々を救うには理屈ではなくこころの問題だと、政党への限界を感じて、法華経の布教に執心したフシがある。それはともかく、伊藤七郎はドイツに留学したが、結核を得て帰国し、大島に渡り農芸学校の設立を目論んでいた。そんなことで、賢治にも学校設立につき相談したりという交友関係をもっていた。その伊藤七郎にはチヱという妹がいた。賢治はチエについて、トシと重なる思いがあったのかも知れない。水沢の七郎のところに訪ね、チエに会うのを密かな楽しみにしていた。七郎とともチヱが大島に渡っているときも相談に乗るという名目で、わさざわざ訪ねている。チヱもまた賢治のことを憎からずと思っていたようである。賢治の友人菊池武雄の証言によると、同女は、兄嫁ナホとともに、羅須地人協会に賢治を訪問している。この訪問は見合いの意図もあったといわれているが、東北人の奥ゆかしさか、歯切れの悪さか、双方とも単刀直入に結婚について切り出すことはなかった。賢治もまた、七郎を訪ねながら熱っぽく農業の話ばかりして、チヱのことなど振り返りもしないふうであった。伊藤チヱについて森荘已池は次のようにいう。「昭和六年(略)宮沢さんは私を、勤め先の岩手日報社に訪ねられ、その折(略)伊藤さんと結婚するかも知れませんといわれ、けれどもこの結婚は、世の中の結婚とは一寸ちがって、一旦からだをこわした私ですから、日常生活をいたわり合う、ほんとうに深い精神的なものが主になるでせう。―というような意味のことをいわれたのでした」(『宮沢賢治の肖像』)この大島に賢治が訪ねたときの様子を当のチヱは、森荘已池宛の手紙で次のようにいう。「あの人は御見受けいたしましたところ、普通人と御変りなく、明るく芯から楽しそうに兄と話して居られましたが、その御話の内容から良くは判りませんでしたけれど、何かしらとても巨きなものに憑かれてゐらっしやる御様子と、結婚などの問題は眼中に無いと、おぼろ気ながら気付かせられました」しかし賢治は「三原三部」でこの時の思いを次のように書いている。 南の海の 南の海の はげしい熱気とけむりのなかから ひらかぬまゝにさえざえ芳り つひにひらかず水にこぼれる 巨きな花の蕾があるとうとう賢治とチヱは結びつくことなく、やがて七郎も死ぬことにより、別々の人生へと歩みは分かれてゆくことになる。
2005.12.12
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友人のMさんがコカリナを習っている縁で、黒坂黒太郎コカリナコンサートに行って来た。コカリナという楽器は、木でつくったオカリナという意味だろうか、小鳥の声がそのまま音楽になったように澄んだ美しい音色だ。黒坂黒太郎さんのコカリナの音楽についてはある程度予想はしていたものの、やはりその美しさには引き込まれ、聴き惚れた。そして、それにもまして素晴らしかったのが共演した矢口周美さんの歌声。矢口周美さんはハープの奏者で歌手でもあるのだが、コカリナの音色以上に澄んだ声とでもいえるのだろうか、歌声が身体のすみずみに染みこんでくるようだった。その矢口周美さんというのは、黒坂黒太郎さんの奥さんだということだ。気になってネットで調べてみたら、なんとふたりで「まま母狂奏曲」(黒坂黒太郎・矢口周美著/講談社)という本も書いている。それによると、おふたりは再婚同志のカップルだということだ。それはともかくとしてコンサートに出かける前は、正直に言ってあまり期待していなかった。自分のなかで、ほぼこんなもんだろうというイメージができていたからだ。音の組み合わせのシンプルさは予想通りだった。コカリナ演奏もすばらしく、さすがプロといえる演奏だったが、予想を大きく超えてはいなかった。イメージした期待を、素晴らしく裏切ってくれた矢口周美さんの声だった。マイクを使わずにオートハープ(?)を弾きながら、客席の隅々まで(きっとそうだったはずだ)爽やかにとどく歌声というのは、天賦のものだろうか。鍛えられたものだろうか。すこし小柄で、ややポッチャリとした可愛いひとだ。黒坂ご夫妻には失礼な言い方かも知れないが、このふたりの演奏家が美男美女すぎないのもいい。見た目が良すぎると、雑念がはいって音楽をじっくりと聴きにくい。といっても近づいて拝見したわけではない、ホントウは間近では美男美女かも知れない。そうしてもう一人、ゲストで出演された原村のコカリナ製作者の安川誠さん。近所のオジサンという地味な風貌ながら、ギターを抱え歌い出したら、すべてを包み込むようなやわらかく暖かみのある歌声にこれまた堪能した。ここかに1時間ほどの原村というところにお住まいということで、いずれお訪ねしてみようと思う。ということで、2時間ほど、こころ洗われるひとときを過ごすことができた。チケットをくれたMさんありがとう。コンサートの合間の、Mさんたちの演奏もとても上手だったよ。そのあとの焼酎も黒なんとかとかいったな、おいしかった。久しぶりに朝まで残った。そうだ、来年はわが山小屋にでも呼んで星空コンサートでも企画しよう。みなさん来てね。カメラをもって行かなかったので、黒坂さんのHPよりコンサートのイメージを拝借
2005.12.10
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いよいよ国会が、14日に構造計算書を偽造した姉歯秀次元建築士、総合経営研究所の内河健、木村建設の木村盛好社長、らを証人喚問することを決めましたね。証人喚問は参考人招致と違って、証人が正当な理由もなく出頭しなかったり証言を拒んだりした場合に、刑事罰を科されますが、スネにキズもつ議員たちがちゃんと追求できるのか、どのように証言を求めるのか、みものです。 ことに「きっこの日記」で赤裸々に書かれているように、創価学会の身内ぐるみの犯行との色彩が強くなったこの事件を、公明党がどのように切り開こうとしているのか、口封じを目論むことがないのか、国民注視のもとに見守りたい。ということで、僕の日記は読まなくても、このところの「きっこの日記」からは目が離せないですよ。大正15年1月31日、思うところあって、宮澤賢治は4年余りを勤めた県立花巻農学校を退職する。この頃「農民芸術概論綱要」を書き、その冒頭でつぎのように書いている。おれたちはみな農民であるずゐぶん忙がしく仕事もつらいもっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい賢治は農学校教師の職を辞して、自ら農民の中に入っていく道を選択した。農学校での教え子、冨手一はいう。「先生はわたしたちにいつもいってました。学校を出たら家へ帰って百姓をやれ。なんどもなんどもいわれたのです。ところが学校をでるとたいていは技手になったり役所へつとめてしまう。それでは農村は立ち直れない、よくならないと先生は思われていたのです。そういう自分が俸給生活者である矛盾から、おれも百姓になるからおまえらもなってくれ、という強い態度を示されたのだと思います。」(堀尾青史『年譜宮沢賢治伝』)大正15年4月、賢治は、花巻の宮沢家の別宅を改装して、独居自炊の生活に入っている。賢治がなぜ教員をやめ、羅須地人協会活動に入ったのかについては、諸説がある。その大きな理由として、当時の東北地方の冷害に苦しむ農村の悲惨さというものがあったことが考えられる。賢治は、上根子に住む照井春蔵から江戸時代の凶作の記録を借りて読んでいたという。(堀尾青史・同書)賢治が組織した羅須地人協会では、オーケストラをつくり音楽活動をしながら農村文化の創造を目指した。農村の文化レベルをあげることによって、悲惨な現状から農民を解放できるのではないかと考えたのであろう。一種の社会主義思想であったが、直接政治にかかわる活動をしたという記録はない。しかしこの活動について、社会主義思想を広めるためのものではないかとの疑いがかけられて、賢治は警察によって事情聴取を受けている。賢治が、当時の農民たちの窮状にこころを痛め、労農党(日本共産党系の政党)に心情を寄せていた記録はあるが、賢治自身が直接的に政治活動の前面に立ったことはない。むしろ、人々の生活に添ったかたちで運動をすすめようとしていたフシがうかがえる。そのことについて地人協会の会員の一人だった伊藤克己は次のようにいう。私達は毎週火曜日の夜集って(オーケストラの)練習を続けたのである。林の中の一軒家で崖の上にある先生の家の周囲には松や杉や栗の木やいろくの雑木が生えて、時々夜鳥が羽ばたいたり窓に突きあたったりして吾々を驚かしたものである。第一ヴァイオリンは私で、第二ヴァイオリンは清さん(伊藤清一)と(高橋)慶吾さんで、フルートは(伊藤)忠一さん、クラリネットは(伊藤)与蔵さん、先生はオルガンとセロをやりながら教へてくれたのである。練習に疲れると皆んな膝を突合はせて地質学や肥料の話をしたり、劇の話をしたり、ラスキンの話をしたりした。賢治にとって地質学や肥料の話こそ本題であった。当時の農民は、作物に適切な肥料を与えるという、科学的農業にあまりに無頓着だったからである。また、土曜日の晩には近所の子供を集めて童話を聞かせていた。しかし、独居自炊の生活の中で、開墾から始めるような厳しい畑仕事を続け、賢治は何度も発熱して倒れたりしている。この賢治にこころを寄せ、しばしば世話を買って出た小学校の女教師だった高瀬露だった。賢治の家にあがりこみ、病気で伏せている賢治の身の回りの世話をしたりしている。高瀬は、賢治の食事をつくり、衣類の洗濯まで買って出ている。高瀬がなんとか自分と賢治の関係をみんなに周知させようとしているのに、賢治は地人協会の多忙を理由に高瀬を突き放している。このエピソードは、関登久也の『賢治随間』中の座談会「先生を語る」に詳しく語られている。 みんなで二階で話していると、彼女は手料理のカレーライスを運びはじめた。賢治は困惑した。賢治は「この方は小学校の先生です」とみんなに紹介し、カレーをすすめたが、自分は「私にはかまわないで下さい。私には食べる資格はありません」といい、食べようとしない。女性は不満をあらわにして、階下に下り、オルガンをひきだした。賢治は堪えかねて階下に下り、「やめて下さい。みんな昼間は働いているのですから」とたしなめたが、音は止まらなかった。二階にもどった賢治は、めったにあらわしたことのない不快な怒りを表情や動作をあらわしていた」として、高橋慶吾は「先生はあの人の来ないようにするためにずいぶん苦労をされた。門口に不在と書いた札をたてたり、顔に灰を塗って出たこともある。そして(高瀬に)自分を癩病だといっていた」という。昭和六年に書かれた「雨ニモマケズ手帳」の中に、10月24日付の次の文語詩がある。聖女のさましてちかづけるものたくらみすべてならずとていまわが像に釘うつとも乞ひて弟子の礼とれるいま名の故に足をもてわれに土をば送るともわがとり来しはだゞひとすじのみちなれや賢治に振られたかたちになった高瀬は、賢治を中傷する噂を流したという話もあって、クリスチャンである彼女を「聖女のさまして」と表現した。賢治に想いを寄せる高瀬について、友人たちは微笑ましくもみていたのだが、ところが、この頃の賢治はまだ妹・トシへの呪縛が解けてはいなかったのかも知れない。また、熱心な法華経信者であった賢治に対して、高瀬露がこれも熱心なクリスチャンであったことが、受け入れなかった理由であったのかも知れない。
2005.12.08
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alex99さんの「不眠症カフェ」の今日の日記「構造計算書偽造事件の裏側?」に、「きっこの日記」が紹介されている。するどい、これだけこの事件の深層・背面を簡潔に暴いて(?)いる文章ははじめて読んだ。僕の日記は読まなくてもいいけれど、「きっこの日記」は国民必読の日記だよ。それにしても、嫌な事件がつづく。記憶に生々しい奈良市の事件、そして広島、栃木…。栃木の今市には親しい文芸仲間がいて、子どもたちの福祉にかかわる仕事をしている。さぞかし心を痛めていることだろう。といっていたら、なんと僕の住む信州の諏訪市でも小学生が行方不明…。性犯罪、それも幼児に対して凶行に及ぶ心理は、とても常人の感情でははかりかねるが、予想できることは、この種の犯罪予備軍はゴマンといて、類似事件はこれからも起こり続けるだろうということだ。広島の事件で捕まったペルー人の自供ではないが、これはもう病気だから犯罪予備軍は捕まるリスクを自覚するか、目の前にチャンスさえあれば凶行におよぶか、まことに森の中に羊を放つような社会になってしまったともいえるのか…。どうすれば防げるだろうか、性犯罪者の再犯率は他の犯罪と較べて非常に高いといわれている。たとえば、ちょっと乱暴だが犯罪者は動物にするように去勢したらどうかとか、犯罪者の情報公開して、その周囲の人達が監視するというような案が本気に語られてもいるが、もうひとつ実効性に欠けると思うし、どの程度でその刑罰に処すのかというような判断はとても難しいと思う。問題の根っこを摘む処方として考えられるもののひとつは、犯罪予備軍をつくらない社会環境、これはきれい事だけではダメだと思う。野放しだった児童ポルノなど、書籍やAVはだいぶ排除されてきたと思うが、ネットで探そうと思えばその手の刺激は簡単に手に入る。むしろ彼らが、鬱々とした世界に入らずにすむように、どうどうと(?)利用できる“いかがわしい場所”がある程度配置されていても、いいかもしれない。また、大人たち全体が、ひとり歩きの子どもたちに、それとなく関心を配れるような社会づくりも必要かもしれない。いたるところに防犯カメラをつけるという発想では、気休め程度の解決にしかならないだろう。経費のムダだ。いずれにしても、一朝一夕にはいかないだろうが、社会環境の裾野から変えてゆかなかったら、これからも事件は続発してゆくことだろう。ある友人が、これからは「家と学校間の子ども送迎」というビジネスが成り立つかも知れない。と冗談とも本気ともつかないことを言っていたが、こうなってほしくない。このような事件が起こったからといって、日本中の小学生を車で送り迎えするようなことだけはしてほしくない。登下校の間の道草が、どれほど子どもたちが社会への適応力をつけるために貴重な機会になっているか考えてみて欲しい。当然社会のなかには、犯罪予備軍が大勢いる。極論すれば、彼らから身を守るための訓練にもなっている。そして、実際に性犯罪がおきる確率は子どもたち全体からすればごくごくわずかなものだ。こんな人間のクズたちのために、子ども達の大切な学びの機会をとりあげてはならない、と僕は思う。
2005.12.05
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ときとして宮澤賢治は、神さまほどに慕われ、根強いファンをもつことは前にも書いた。なぜ僕が、その賢治の俗の部分とも考えられる「性」についてしっこく書き続けるかというと、僕は、賢治の「性」こそ、賢治の作品を読み解く根源ではないかと考えたからだ。「性」は「死」と対極にもあるようで、実は深く関わっている、と思う。人間のエロティックな欲望をつかさどる元は「性」だが、エロティシズムは単なる性の欲望とは違う。人間のなかに湧き起こる固有の幻想を根にもつのであろう。それは、人間が「死の意識」を持っていることに深くかかわる。エロティックなものに対する人間の“わくわくする”気持ちは、じつは「死の不安を乗り越えよう」とする本質にあるのではないだろうか。おそらく人間以外のほとんどの動物は、ただ本能的にインプットされた怯えや不安を持つだけで、はっきりしたかたちでは死の不安を持ってはいない。しかし、ほとんどの人間はつねにどこかに死への虞を抱いているものだ。そうした意味で、人間の人間たるゆえんは「死」という観念にあると思う。「性」の根本は生殖に根ざすのはいうまでもないが、新しい生命が生まれるときの「性」と、希望やよろこびが生まれるときの性も存在するはずだ。そうしたものが根底があるから、性をもっとも意識するとき、すなわち愛し合うときにこそ“生きる”という実感を強くもつのではないだろうか。トシの死をみるまでもなく、賢治もまた「死」という影との闘いにあり、常に意識のなかにあったはずだ。このように人にとっても「死の意識」は「性への意識」とつながる。そして、人間特有の「エロティックな欲望」は、その内からわきでる幻想により湧き出るのである。賢治はしばしば強い幻想にとらわれていたという。この湧きいずる幻想こそ、賢治がつぎつぎと生み出した作品の資元であったと、僕は考える。賢治は、エロティックな欲望に襲われるたびに、ペンをもちわきでる幻想を書き殴ったという。これが賢治の非凡なところであった、ともいえる。昭和4年、この夏(推定)頃から、小学校の教員をしていた高瀬露という女性が、しばしば賢治のもとに訪れ、身の回りの世話などしたがるようになった。
2005.12.02
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大正11年、賢治26歳の時に最愛の妹・トシが死んだ。その後、数年にわたりトシへの愛惜をうたった挽歌をつくっている。 青森挽歌こんなやみよののはらのなかをゆくときは客車のまどはみんな水族館の窓になる (乾いたでんしんばしらの列が せはしく遷ってゐるらしいきしやは銀河系の珊珊レンズ 巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)りんごのなかをはしつてゐる(略)けれどもとし子の死んだことならばいまわたくしがそれを夢でないと考へてあたらしくぎくつとしなければならないほどのあんまりひどいげんじつなのだ感ずることのあまり新鮮にすぎるときそれをがいねん化することはきちがひにならないための生物体の一つの自衛作用だけれどもいつでもまもつてばかりゐてはいけないほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのちあらたにどんなからだを得どんな感官をかんじただらうなんべんこれをかんがへたことか賢治は夜汽車の中で、トシことを考え続けた。トシへの想いは自分にとって何だったのだろうか。自分の恋情とトシへの愛情はべつのものだったはずだ。彼の心に去来する複雑な思いはいつしか、彼の宗教観ともぶつかりあいながらうねってゆく。賢治の中にある男としての自然な欲望は、トシを思うときには考えてはならない堕落形態としての「恋愛」という認識となっていった。賢治の希求するものは「けがれたねがひ」であると彼のなかの理知が教える。賢治はその命題の可逆性によって「恋愛」を「宗教情操」へと高めようと必死なのであり、ゆえに宗教に救いをもとめていった。トシが既に無上道にあり、けっして手の届かない世界にいるのだと自己を説得し得た時、彼の「けがれたねがひ」は浄化され、ひとりの男としての理性に目覚めていった。ここにおいて、彼のうちにある自己規定としての「修羅」は「菩薩」とほとんど同義なのである。自己の煩悩という生の欲望を修羅と規定し、その煩悩という存在の汚濁にまみれて生きつつ、なおかつすべての生を愛おしきものとして置き換えようとする、宮澤賢治の形が形成されていったのであろう。その後、朴念仏な賢治の近くにも女性の影があらわれる。
2005.12.01
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