全16件 (16件中 1-16件目)
1

迷惑メール、について書きましたがより返事が届きました。info@*****.comのメールは楽天を通してのメールとは違うとのことです。楽天さんに濡れ衣を着せてしまいました。謹んでお詫び申し上げます。さて、「info……」が多いのは何故でしょう。こんにちはインフォシーク カスタマーサポートです。平素はインフォシークをご利用いただき、誠にありがとうございます。弊社ではメールアドレス等の個人情報の管理は、「インフォシーク利用規約」に基づき、外部へ開示されるは一切ございませんことをまず、ご案内申し上げます。メールアドレスの情報は一部の業者や団体による自動収集等で集めております。今回の件に関しましてもこのような方法でアドレスを収集したものと思われます誠に恐れ入りますが、該当のメールアドレスはご確認いただいておりますとおり、弊社インフォシーク(楽天)とは一切関係がないドメインです。厳密な対処をご希望の場合は、該当のメールのヘッダをご確認頂き、そこに記載されておりますメールの送信元サーバーを管理する団体にご相談頂かれるのが宜しいかと存じます。今後ともインフォシークを御愛顧頂くよう、よろしくお願いいたします。と言うことで、僕は某メールソフトのフィルター設定である程度までは自動削除するように設定していますが、最近は敵も巧妙になってきて、開くまでわからないものも多くなりましたね。一応、対策としては、●指定したアドレスやドメインからの受信拒否 ●指定したアドレスやドメインからのみの受信 ●差出人、件名等のみを受信し、不要なメールは全文を受信せずに削除。●あまりにも頻繁な場合は、英数字、記号を組み合わせて、複雑なアドレスに変更することも有効。(メールアドレスの文字数別に迷惑メール受信率を調査したところ、文字数が多いほど迷惑メールを受信する率が低いという結果が出ています。)16文字以上の長いアドレスに変更すると、迷惑メールが届きにくくなります。受信者の同意を得ずに送信する迷惑メールや広告宣伝のメールについては、「特定電子メールの送信の適正化等に関する法律」によって「表示義務や再送信禁止義務」などが定められています。これらの義務事項を守っていないメールは違法になり同法により、総務大臣は、送信者に対し必要な措置をとるべきことを命ずることが定められています。送信者が命令に従わない場合には、50万円以下の罰金に処せられます。なお、件名に「未承諾広告※」の表示のない広告メールや、本文中に氏名・住所等の記載のない広告メールを受信した場合には、「表示義務に違反するメール」に通知をすれば、当局が対処するというシステムもあります。迷惑メールに「受信拒否」とあるものもありますが、それを返信するのはまた危ないようです。惑メール送信業者が、収集したアドレスの実在確認を目的としているケースも多いといわれています。不用意に送信すると、これまで以上に迷惑メールが拡散してしまう場合もありますので、ご注意ください。知らぬ相手方からいきなり「情報料の請求」「入会金などの請求」として、一方的な内容のメールが送られてきた場合、身に覚えのない請求は無視する。あるいは、断固として断ることです。手に負えない強気の請求は僕にメールで相談してみてください。例文を差し上げます。曖昧な態度で請求に応じるような素振りを見せると二重、三重の被害に遭うことも考えられます。また、未成年者が親権者の同意のないままに有料コンテンツを利用して、情報提供業者から情報料も請求された場合は、親権者の同意のない契約として取り消すことが可能です。この請求が脅迫的に行われる場合には、犯罪として成立します。
2005.10.31
コメント(8)

よほど人生に絶望した破滅主義者以外は平和を望まない人はいないだろう。その平和をどのように守るかということで、憲法の果たしている役割は大きいということにも、よほどの変人奇人以外に異存のある人はいないだろう。ここから意見が分かれていくのは、「平和が大事だから=現憲法を守る」のか、「平和が大事だから=現憲法を改正」するかということだろう。この際、「場合によっては戦争もしたいから=憲法を変えたい」という意見は考慮から外す。そういう輩はイラクでもアフガンでも行って、傭兵か軍事警備会社にでも雇ってもらえばいい。かなりの確率でドンパチできるはずだ。誤解を恐れずにいうと、僕は(現憲法を変える必要があるとは思っていないが)改正してもいいと思っている。しかし条件がある。それは、憲法9条の精神を“解釈によってなし崩しできないように補強する”場合に限って、である。“専守防衛”のための自衛隊も、いつまでも不倫の子扱いでなく認知すればいい。憲法の下で必要な専守防衛を果たすなり、大地震など国際的災害の救援活動に出動できるようにすればいい。しかし「自衛軍」などと改名する必要はさらさらない。あるいは、これらは骨組みを変えなくても、補足条項で事足りるかも知れない。ところで、自民党の出した「新憲法草案」である。これは“国民を舐めきった案”だということが見え見えだ。先の選挙で、“国民世論は御しやすし”と見たのだろう。いつも他力本願で恐縮だが、憲法とは何かを秀さんの「自民党憲法改正草案批判」で読んで頂きたい。端的にいうと、憲法はときの政権の暴走を抑え主権在民を明示するものだ。ところが「草案」とやらは、そのなかから重要な部分をちゃっかりと抜いて、国民の義務だけを強調するというトンマな内容になっている。文章の読解力の弱い人には、草案を一読してみると「結構な文ではないか」と思わせる作文にはなっているが、よーく較べて読んでもらいたい。現憲法にあった「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」が消え、「全世界の国民がひとしく」共有する「平和的生存権」も「交戦権の放棄」も消え、「内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する」としている。また、(米国との)集団的自衛権もしやすくなっている。これでは、改正ではなく、改悪であるから変える必要はないだろう。平和の希求とは、どのような状態のことかと問われれば、人によって解釈が違うだろう。例えば、仮に他国から突然攻撃されたとして、防御したり反撃できる専守防衛体制をもつことに異存のある国民はまずいないだろう。しかし、遠くイラクやインド洋まで出かけ大盤振る舞いをしている、米国へのご機嫌取り的協力に対しては、多くの国民が批判の目を向けている。それは今まで、現憲法があるからゴマゴマと特措法などですり抜ける、という彼らなりの努力をしている。しかし、このトンマ草案通りに可決されたら、もうやりたい放題ではないか。これでは、野犬に羊の番をさせるようなもので、権力の暴走に対してなんの歯止めも効かなくなってしまう。もちろん、積極的に押しつけでない「自主憲法」をつくるべきだという人の比率も、少なくはないということは知っている。しかし、それらの人たちも“平和が大事”だと言っている。だったら、“現憲法の精神をより高める”「自主憲法」案を提出すべきではないだろうか。米国との二人三脚的な軍事協力を目指しているとしか思えない「自主憲法」では危なくてならない。今の憲法は「押しつけ憲法」だとするなら、押しつけ文言から、平和を維持するために必要な部分だけ抜いた、トンマな憲法草案はドブに捨てるべきだ。いや、環境を汚すから、燃えるゴミに出すべきだ。まてよ、ダイオキシンがでるかな…。 宮澤賢治については、多忙中につきしばらく待ってください。
2005.10.30
コメント(9)

最近、いわゆる「出会い系」の迷惑メールが急増しています。端から迷惑メールフィルターに移し、削除対象にしているものの毎日つぎつぎと新しいメールで送られてきます。そのほとんどが楽天サイトから流れ、使われているアドレスと思われます。いったいどうなってしまったのでしょうか、楽天!?冗談で「楽天広場」を出会い系サイトと呼んだことがあります。これは良い意味で言ったのであり、ここで知り合うことのできた友人は、リアルの付き合いのなかではでき得なかった人が多く、その意味では感謝しています。しかしです、求めもしないのに他人のメールボックスにベタベタと送りつけてくる“出会い系メール”には大迷惑しています。怪しいタイトルは読みもしないで削除することがありますが、ときには大事なメールも削除対象に混じってしまうことがあるのです。どのメールにも最後の方に「受取拒否」のメールがありますが、それをクリックすると、そこからアドレスを取得されて、またまたこの手のメールが増えるという悪循環です。メールアドレスを変えればいいのですが、仕事でも使っているので変更を告知する相手が多いので迷っています。楽天サイドで、このような悪質メールにアドレスを使われないような対策を講じていただきたいと思うのは、僕だけでしょうか?送られてくる内容の一部と、楽天を使っていると思われるアドレスを晒してみましょう。■は一応個人情報を配慮して僕がいれたものです。初めまして。■■■■と申します。このサイトに出資してるので特別に許可を頂き、募集します。◆割切った交際を求める年収1000万以上の女性との逆サポート交際をしてみませんか?◎入会金・会費等すべて女性負担、男性はまったく登録、紹介料金掛かりません。◎月1~2回(女性による、又は話し合いで)◎割切った関係、結婚前提、ビジネスパートナー、女性の目的も様々です。先ほど、お客様のアドに逆指名が入りました■■■■様。このセレブ女性です。月逆◎OKとの事ですが、月2回のデート、エッチ有りをご希望されてます。≪初めまして、■■子です。四十二歳の独身主義です。年齢には全く自信がありませんが、嘘嫌いなので、先に教えます。性格は会ったらすぐ分かると思います。体の関係も特に要求しません、お互いに気を許しあえる関係を作った上でそれもできたらと思っています。 余裕な一人暮らしをしていますので、すべての事は自由です。希望でしたら逆○助の事も一応考えてはいます、できれば金額を聞かせて欲しいです。長々と語るよりも会って話したいので、最初のメールで住所を教えて頂けますか?お願いします。≫お世話になっております、担当の■■子でございます(●^o^●)あなたに未返事の直のお誘い履歴が残っていますが、どうされますか?★メッセージ★「いきなりで申し訳ありません。■■子と申します(^^;お聞きになっていますでしょうか?お願いしたいことは、端的に言ってホリエモンです。私は歯科病院経営を行っているのですが、仕事が忙しく彼氏を作る時間もありません。オオボケは本当にご無沙汰で、もう5年はしていないと思います(-_-正直、したいです!でも、ホストなんかだとお金と時間がかかってしょうがありません(あと、少しニガテもありますが)。私としましては、割り切りで「1回いくら」というお話をさせていただきたいのです。私が一番求めていたことは、あなたの精力だけです。お願いする立場ながら申し訳ないのですが、私の願いを叶えていただければ、お礼します・・・・・・ご連絡をもらえるとうれしいです。それでは、お待ちしています。」 夫は海外、娘は旅行に泊りに行っています。 100%約束は守ります、知人の雑貨屋でたまに働いてます。 満足してもらえるように頑張ります。 夫は私の身体にもう飽きているか、 たまに日本に帰ってきても相手をしてくれません。 お金を払うので私の練習台になってくれませんか? ダメ元でお願いしていますができればお返事待ってます(^-^)info@yuhtdr.cominfo@fiidd.cominfo@zfbn.cominfo@bbgcv.cominfo@dhsgs.cominfo@erdde.cominfo_nearlove@yahoo.co.jpinfo@ozrl.cominfo@yetsg.cominfo@qnmj.cominfo@bgtjfi.cominfo@dyehd.cominfo@rujw.cominfo@abc-tz.com 勝手にスキモノと思われるのは 迷惑なんだよ、いい加減にしろ!
2005.10.29
コメント(14)

宮澤賢治の生涯を追ってみると、何か不思議な因縁と結びついているように思う。賢治の生まれた年に入れ替わるように樋口一葉が24歳で亡くなっている。その後東京に出奔した賢治は、一葉の暮らしていた本郷・菊坂に生活している。6歳のときに賢治は赤痢に罹り父も感染しているが、この病気がのちの結核の伏線となったのではないかといわれている。この年の1月、八甲田山では青森歩兵第五連隊の200人以上の兵士が遭難死し、9月には正岡子規が亡くなっている。僕が幼年期でちょっと注目したのは明治37年、8歳のときのエピソードだ。この年の夏、ふるさとの豊沢川下流で川遊びをしていた近所の子ども2人が溺れ流された。1名は救助されたが、1名は行方不明になった。捜索は夜を徹して行われ、賢治はその捜索の様子を妹のトシの手をひいて見ていたと思われる。松明や灯りをもって捜索する様子が遠目には銀河のように見えたのではないだろうか、そして不安げに賢治の手を握りしめるトシのやわらかく小さな手のぬくもりが、幼い賢治の脳裏には哀しく美しい光景として焼き付いていたと想像できる。この記憶がもととなってのちに『銀河鉄道の夜』が生まれた、と推測したがいかがなものだろう。まさにこの出来事は、銀河鉄道に乗って天に消えてゆく少年という筋立てにふさわしいモチーフではないだろうか。宮澤賢治の文学を知っていても、あまり読んだことがないという人は多いように思う。童話といいながら、賢治の書く物語は高度のメタファーが含まれている。このメタファーを感じながら物語を理解しようとしたら、賢治の生い立ちや生活の年譜を追ってみると、見えてくるような気がする。作家が書く物語は、作家の脳内で組み立てられるわけだから、作家の実生活との関係で作品を解釈することに批判的な意見がある。ある意味でそれは正しい。恋愛小説を書く作家がいつも恋愛をして愛欲に埋没するような生活を送ると思ったらそれは間違いで、むしろ空っ風の吹くような精神状態のなかで書いているということもある。しかし、太宰治や壇一雄にみられるように、作家の実生活を知っていたほうが面白く作品を読めるというケースもまた少なくないのは事実だろう。石川啄木や夏目漱石の場合もそうだが、まさに宮澤賢治の作品に彼の人生観や宗教観がくっきりと反映されていて、作品を面白く読むには賢治の実生活を年表で追って、平行して読むのが正しい、とさえ僕は思う。またそのよう読むと、彼は巷間イメージされているように無口な堅物ではなく、人並みに人生を悩み、人並みに恋をして、学問については優秀だったけれどやることはドンクサイ、愛すべき人物だったことも見えてくる。
2005.10.25
コメント(0)

宮澤賢治のことを書くためには、彼の育った環境や時代考察などをしておかねばならないだろう。賢治は、明治29年8月27日に岩手県花巻川口町で、父・政次郎、母・イチの長男として生まれている。この花巻での宮沢一族は名門といっていい家柄で、ことに仏教心(浄土真宗)に篤い家庭だった。母方は地域財閥といってもいい存在であった。賢治は自分の家族を「財閥・社会的被告」などとも表現しているが、当時の花巻の人々が宮沢一族をどのように見ていたか、昭和10年に書かれた次の文章がよく表している。「宮沢先生一家及び御親戚は、最も天才的、秀才的人物の多いお家であります。花巻では「宮沢まき」と呼んでをります。「某々はとても出来るんだつて」と云ふと、「あたりまへさ、あの人ア宮沢まきだもの」と云ふ様な具合で、秀才イコール宮沢一家、宮沢一家イコール秀才と云ふ様な訳でした。要するに宮沢先生の一族は、精神的にも物質的にも、花巻を壟断する一大勢力であることは事実でせう」(「花巻・人と町のプロフィル」八重樫析美子)そのような環境の中で育った賢治が、なぜ、自分の家系を「財閥・社会的被告」などといい、およそ財閥とほどとおい生活を求めていったのかは、その頃の環境によるものと思われる。弟の静六がこのへんのところを書いている。「賢治の生まれた明治二十九年という年は、東北地方に種々の天災の多い年であった。それは雨や風や天候を心配し、あらゆる生物の幸福を祈って、善意を燃やしつづけた賢治の生涯が、容易ならぬ苦難に満ちた道であるのをも暗示しているような年であった。(略)賢治が日清戦争の直後に、この周期的に天災の訪れる三陸海岸に近い寒冷な土地に生まれたことと、彼が他人の災厄や不幸を常に自分自身のものと感じないでいられなかった善意に満ちた性格の持主であったこととは、実に彼の生涯と作品を決定する宿命であった。(略)幼ないころから私の見た兄は、特に中学生のころと晩年のころは表面陽気に見えながらも、実は何とも言えないほど哀しいものを内に持っていたと思うのである。父がときどき「賢治には前世に永い間、諸国をたった一人で巡礼して歩いた宿習があって、小さいときから大人になるまでどうしてもその癖がとれなかったものだ」としみじみ話したものだが、たしかにそのように見えるところがあった」(「兄賢治の生涯」宮沢清六)賢治の生まれた2年後に、賢治の人生、そして女性観に多大な影響を与えた妹のトシが生まれている。この妹を抜いては賢治の実像を語ることはできないだろう。ちなみに賢治兄弟は5人兄弟で、その後にシゲ、静六、クニがいる。後に賢治は「法華経・日蓮」にのめり込んでいるが、その下地になったのが伯母ヤギの存在である。ヤギは父の姉てであったが、離婚して家に帰ってきて、お経にかかわる文章を子守唄のように賢治に聞かせて、それを幼い賢治も正座して聞き、3歳の頃にはこれらの「経」を暗唱したという。そのためもあろうが、子どもの頃の賢治は親戚の間でもさかしい(賢い)ということで評判だったという。さて、賢治の人となりの環境説明はこのくらいにして、以後本筋に入ってゆこうとおもうが、身辺の忙しさが続いているので、あまり早急にはすすめないとおもうのでご了承願いたい。
2005.10.22
コメント(0)

宮澤賢治と女性を語るとき、妹のトシを抜いて語るわけにはいかないだろう。賢治の目にかなう理想の女性は、妹のトシというフィルターを通して見ていたフシがあり、トシを凌駕する必要があった。ところが賢治にとっての不幸は、妹のトシは病弱ではあったが、ずばぬけた才媛であったこと、そのトシに重ねて女性のおもかげを求めたことであろう。儚げな才媛に惹かれること、それは男にとってはひとつのパターン的要素でもあるのだから…。一般的な賢治のイメージは、「雨ニモマケズ」に代表される、類い希なる詩人、童話作家、宗教・哲学・科学に通じた、マルチで真面目実直な人柄が浮かぶ。しかし、実際らは違った姿もみえる。彼の年表や、当時周辺にいて賢治と親交のあった人たちの書き残したものから実像に迫ってみたい。まずは、こんな証言から入りたい。大正10年1月下旬に家出のように上京した賢治は、国柱会理事高知尾智耀のすすめもあって、童話制作に熱中した。その頃のことを弟清六は次のようにいう。「本郷の菊坂町では、芋と豆腐と油揚げを毎日食べて、筆耕もやったし辻説教もやり、童話もうんと書いたという。1ヵ月に3千枚も書いたときには、原稿用紙から字が飛び出して、そこらあたりを飛びまわったもんだと話したこともある程だから、7ヵ月もそんなことをしている中には、原稿も随分増えたに相違ない」そんな賢治に妹トシの病の報が入り、ズックの大トランクいっぱいの童話の原稿を持って賢治は花巻に帰った。「さて、そのトランクを二人で、代りがわりにぶらさげて家へ帰ったとき、トシの病気もそれほどでなかったので、「今度はこんなものを書いて来たんじゃあ」と言いながら、そのトランクを開けたのだ。(略)「童児こさえる代りに書いたのだもや」などと言いながら、兄はそれをみんなに読んでくれたのだった」(『兄のトランク』より)しかし、帰郷後も童話を書きつづける賢治に対して、父は厳しい目を持っていた。妹シゲは父が賢治にいった言葉を次のように伝える。「文学をやりたいなら、本屋にいって、いまどういう本がよく売れているか、よっく調べるんだナ」(森荘已池『宮沢賢治の肖像』)結婚して子どもをつくるかわりに、童話を書いていたのだと兄弟に冗談めかして言っている。東京・本郷菊坂での生活は宗教活動とともにあったから、たぶんに禁欲的なものではあっただろう。しかし、禁欲的であろうとすればいっそう逆の欲望が頭をもたげることは想像できることである。その、大正10年8月中旬、賢治は稗貫郡立稗貫農学校の教師になっている。校長を含めて教師6人だけという小さな学校で、賢治はのびのびと教員生活をおくる。当時の同僚や生徒は次のように語る。(森荘已池『宮沢賢治の肖像』)「宮沢さんはダルマぐつで、生徒のお掃除した廊下を歩いたり、窓を越えて職員室に入ったりするので、校長は、君、それはいけないじやないか。と、とめるのです」(阿部繁)「宮沢さんは、春画の名作を、しょっちゅう持ってきました。それをみんなで鑑賞するわけですが、女性が足の指を伸ばしているのはおかしいというのは白藤さんで、宮沢さんとわたしとは、のばしているのがほんとうだ、白藤さんはあくまで曲っていなければ嘘だと頑張ります」(阿部繁)「(水田実習の時)先生はとみれば、草の上にひっくりかえったり、空に手を伸ばしてわァと叫んでみたり、パントマイムのような、劇のみぶりのようなダンスのようなものだったんでしょう。わたしたちは、それをみるのが面白くてしかたがなかった」(晴山亮一)「宮沢さんの授業は、教科書によらない実地の話だとか、一般文化の話、宗教、哲学など自由なものだったようです。物の見方について、概念的な見方をしてはいけない。新鮮で独自な見方、考え方を教えておりました」(自藤慈秀)と、証言では真面目で堅物のイメージとはかなり違った賢治像がみえてくる。女性、そして性に対する興味は人並みあるいはそれ以上にもっていたことが伺われる。このようなことを踏まえながら、書き進めてみたい。
2005.10.20
コメント(4)

いよいよ紅葉が…、きのこが…。先に書いた「小泉純一郎の靖国参拝」について、お二人からコメントを戴きました。○ジョンリーフッカーさん この問題は日本の背骨の部分であると思います。おいらはもっときちんと行くべきだと思います。どうやろうと反発はあるんですから○シャルドネ☆さん しかし、騙されたとはいえ選挙で小泉に多くの国民が白紙委任的なまでの投票行動をしたという現実がありますからねえ。当分好き放題をなさるんでしょう。どうせならば、伊勢神宮にでも参拝しておればいいものを、、、(笑)ケチな国家神道慕情で、しばらく突っ走るつもりなのね。僕は「靖国神社」の存在そのものにはあまり興味がありません。靖国神社本来の目的を拡大解釈して、戦争による直接の被害で亡くなった人たちでない、戦勝国が敗戦国を裁く裁判でA級戦犯として処刑された人、つまり「戦争犯罪人」たちを合祀しようがしまいが、それは形の問題でしかないと思っています。むしろ、そのことで「靖国神社」の根底として「大東亜戦争」を肯定しているということが、すっきりと示されたのではないかと。だったら、「大東亜戦争」を正しい戦争だったと考えている人たち、あるいはこれまで戦ってきた戦争で亡くなった英霊に特別な感謝を捧げたい人たちの拠り所として、いつでも参拝したらいい。それには反対しない、どうぞご自由に、と思っています。ただし、僕の生家の墓所にも戦争で亡くなった人の墓もあり、盆や彼岸には父母の墓を詣でたついでに花を手向けたりしますが、僕の場合は「靖国神社」という場に行かなくても、それで事足りると思っています。また、魂というもののとらえ方も人それぞれではないかと思っています。僕は魂は肉体が滅びたときに実在が消滅し、その死者に慈しみをもっている人のこころに別の形で移るものと思っています。慈しみが薄れるとともに無くなってゆくと。これに対して、いや、「戦死者は靖国に」と思っている人がいたとしても、その考え方に異議を唱えるつもりはありません。こころの持ち方だから、それこそ自由であるべきだと思っています。なぜ、小泉首相の「靖国参拝」に不快感をもつかというと、支持するしないは置いても彼は僕も含めた国民の代表であるわけです。広島や長崎、そして東京大空襲などで無差別に死んだ人たちのなかには、あの戦争で殺されなければならない理由がない人も一緒に殺されました。もちろん他国ではもっと殺されているでしょう。それは理不尽であっても、トップが戦いをはじめた以上巻き込まれざるを得なかったわけです。支持不支持を別にしてトップにすえた人間に運命を左右されてしまうわけです。小泉がいくら私人だといっても、それは常識では通らないことです。信仰の自由を主張したければ、首相を辞めて私人に戻ってすればいい。多くの国民がダメだと言っているものを、代表の顔をしてするべきではない、と思うからです。ジョンリーフッカーさんの「日本の背骨」という考え方も否定はしません。他国から指図されて、国の路線を変更するかのみっともない国であって欲しくない、というのは僕も同じです。だからこそ、自らの意志で「靖国」のついでにA級戦犯へのお参りはやめてもらいたい。どうしてもお参りしたければ、私人になるか、それら後ろ指を指されるものを排除してからにして欲しいのです。と、いうのは僕の考え方ですが秀さんの真理を求めて「靖国参拝問題の論理的思考の方法 」では、もっと論理的にわかりやすく書いておりますから、そちらをお読み下さい。もちろん、ベツの考え方があることは承知していますし、それを否定することはしません。僕は僕の考え方、他人は他人の考え方、とそれだけです。各新聞の社説にもこの問題が書かれていますので、代表的な新聞社の社説よりポイントになっている部分をつぎに抜粋引用してみました。■朝日 首相のたび重なる参拝の結果として、靖国神社の展示施設である遊就館に代表される歴史観は、海外にも紹介されるようになった。あの戦争を「自存自衛のための戦い」とし、今もそうした過去を正当化している。 そんな歴史観を持ち、A級戦犯の分祀(ぶんし)を拒んでいる神社に、首相が反対をものともせずに公然と参拝する。その映像はただちに世界に伝えられ、「歴史を反省しない国」というイメージが再生産されていく。 首相は国を代表する存在だ。その行動が政治的な意味を持つ時、いくら私的と釈明したところで通用しないだろう。 まして国内では、司法の判断や世論が分かれている。戦没者をどう弔うかという、国家にとって重要な課題で対立があるなら、一方の立場をとるのではなく、より多くの人が納得できるあり方を模索するのが政治指導者の役割ではないか。 (朝日社説より)■毎日 「反日」の高まりを抑えようと小泉首相は4月のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の演説で植民地支配と侵略の歴史について「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。8月15日には談話を発表し、この中で「ともに手を携えてこの地域の平和を維持し発展を目指す」と誓った。 にもかかわらず、今年もまた参拝である。中韓両国にとっては首相が「二枚舌」を使っているように見えるかもしれない。(社説より)■日経戦没者に感謝の誠をささげるのは大事なことである。靖国神社が純粋に戦没者を慰霊する施設であるなら、わたしたちも靖国参拝に反対はしない。しかし、靖国神社は戦死したわけでもないA級戦犯を合祀(ごうし)して「大東亜戦争肯定論」の立場をとっている。 国を代表する首相がこうした神社を参拝すれば、あの悲惨な敗戦のけじめがあいまいになり、諸外国との信頼関係を大きく損なうことになる。首相は戦後60年の8月15日に「歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」との談話を発表したばかりである。こうした談話も行動が伴わなければ空虚である。(社説より)■読売 小泉首相は今年6月に、新たな国立追悼施設の建設を検討すると表明した。しかし、その調査費は来年度予算に盛り込まれるか否かも未定だ。 今後どのような形で政府として戦没者を追悼して行くのか。首相は体系立ててきちんと説明する責任があるのではないだろうか。(社説より)■産経 中曽根康弘元首相は昭和六十年八月十五日、靖国神社を公式参拝したものの、中国が反対したため、翌年の公式参拝を断念した。小泉首相は何よりも国民との約束を重視したのである。 小泉首相は「今日は例大祭だし、一年に一回参拝するのはいいことだ。本来、心の問題で、外国政府がいけないとかいう問題ではない」と語った。 来年、小泉首相の後継者として、誰が次期首相に選ばれても、靖国参拝を継承してもらいたい。(「主張」より)これを読んだ限りでは「産経」以外はほぼ妥当なことを言っているように思います、僕には…。 宮澤賢治のことについては、もう少しおまちください。
2005.10.19
コメント(11)

宮澤賢治ファンはとても多い。その多くは、賢治の文学を愛するというだけでなく、賢治の生き方まるごと愛しているのだと思う。僕の高校時代の恩師のひとりに寺沢先生という人がいる。宮澤賢治に傾倒していて、地元の農業高校の校長を辞めた後、自ら山間地の畑を耕しながら地域の人たちをリードし、農産物の生産組合をたちあげ軌道にのせるなど、賢治のできなかったことを補うように、賢治の唱えていたエコロジカルで無理のない農業を実践している。もう90歳近くになるが、いつお会いしても矍鑠としていて、つくづくと感心してしまう。そのように宮澤賢治は、単に作家という文学的脚光以上に、精神的・哲学的側面からも広い支持を受けている。ここだけの話だが、僕も一度くらい宮澤賢治を書いてみたいという気持をずっと抱いていた。僕にとって“書く”ということは、学ぶことなのだ。“論”を書こうとしたら、嫌でも調べたり学ばなければならない。何故かというと、いままで僕が“人として素敵だな”と思う人たちの多くが宮澤賢治に傾倒しているのだから、その因果関係を探るうえでも関心を持たざるを得ないのだ。しかし、宮澤賢治については研究グループや熱烈なマニアも多く、詳細に調べられている。たとえばネットで検索してみたらなんと4万6千8百件もヒットするではないか。そのどれも僕などの賢治への知識をはるかに凌駕している。そのなかであえて“賢治論”を書こうとどんなに頑張ってみても、すぐに底割れして、中途半端な笑いぐさになってしまうだろう。そこで、僕はみなさんがあまり触れていない、賢治の“愛”について書いてみようと思う。題して、「宮澤賢治、その愛」ということで、今日のところは予告まで。
2005.10.18
コメント(4)

私人だと強調していうから、僕も首相とは書かないが、あの赤穂家の浅野内匠頭を連想するね。浅野の刃傷沙汰からはじまる事件を「忠臣蔵」という日本人好みのストーリになっているが、冷静に考えてみてほしい。例え、少々カンに障ることがあったとしても、殿中で刃傷沙汰をおこせば家臣や国元の人々にどんな迷惑を及ぼすか、ということを胆の底に置いてじっと自重するのが君主として当然の姿勢だった。それを自分のメンツとその場の気分で、後先を考えずにカッカと行動して、自分も国も破滅への道をあゆませた。現代に起きた出来事だったら、これは“馬鹿リーダーとそれに殉ずるテロ集団”そのものとしか言えないのだが、現代とは違った価値観をもつ時代だから、美談に仕立てることができたのだろう。しかし、“忠義”とか“滅私奉公”というような当時の道徳観も、実は徳川幕府にとって都合良い社会を創り上げるうえで、大いに役立て利用してきた価値観だ。それがつい近年までつづいてきたのだから、徳川教育もすごいといえばすごい。それにいまだ涙を流して感激できる人たちもすごい。さすが今度の“靖国参拝”については、小泉内閣を支持した人たちも半分以上が“好ましくない”としているようだが、これとて日中間の経済的影響とか、外圧に配慮しての言葉であって、なぜ“良くない”か、の本質を捉えてのことばではないだろう。のど元過ぎれば、忘れてしまえる程度のことだから、首相に甘くみられてしまうのだろう。それにしてもこの現代になっても、参拝を“よくやった”という人たちも4割近くいるという。まあ、この人たちはいざとなったら小泉氏と一緒に心中でも何でもしてくれ、としか僕には言えないな。鬱陶しい人たちだ。と、ちょっと過激だから、これには反論もあるだろうけれど、もうこんな単純な道理でさえわからないレベルの人種とは論争する気もおきない。それでもというなら、諭してならあげるけれど…。まあ、理解もできないだろうな~。この問題については、楽天でもさまざまな人が書いて、共感できるところが多いが、ことにsowonさんの意見がとても明快だから、ぜひ読んで欲しい。
2005.10.18
コメント(7)

書きたいことが山積していたはずなのに、忘却の彼方に流れてしまいました。昨日は、新潟の十日町に行って来ました。尊敬する川柳人の西郷かの女さんの主宰する「十日町川柳研究社」の50周年記念川柳大会があったからです。ちなみに僕も投句の部の選者のひとりとして招待されていました。十日町と言えば、昨年10月の中越地震では大被害を被った場所です。一年たった今ではあまりその傷痕は感じられませんでしたが、被害状況を写したパネルにはその惨状が記録されていました。パキスタンとインド国境のカシミール地方でも大地震があり、その被害状況が報道されていますが、たぶん1年たってもこんなにきれいには建て直すことはできないでしょう。新潟の復興状況をみるとその彼我の差を感じずにはおられません。さて、川柳大会はとても和やかで、僕にとっては意義深いものになりました。一度お会いしたいと思っていた人と何人も会うことができました。そういえば、先日ここで返事を書いたSさんも遠くから参加しており、お目にかかることができました。つぎつぎに話しかけてくる人たちと話していたもので、ゆっくりお話しすることができず、またの機会ということで…。帰りにマリージョーさんの店で夕食でも食べて、と思ったのですがちょっと遅かったのですでに閉店しておりました。残念!彼女の日記に、今日の上野千鶴子さんの「老人介護」の提言についてが書いてあったけれど、これについては僕も同感ですね。夏に産まれたうさぎクンたちがたちまち大きくなってきました。ミネラル水を与えていますが、一羽の欠損もなく、元気に飛び回っています。それぞれいまは、1.5~2リットルのペットボトルくらいの大きさでしょうか。さしずめペットウサギの大きさとでもいいましょうか。ところで、まだ小さくて子どもができる状態ではないのに、もう性衝動があるようです。後ろからべつのウサギの上に乗ろうとする、マセガキがいるのです。そろそろ部屋をわける時期がきたようです。これ以上、ウサギの子どもが増えても養っていけませんからね。このウサギくんたちは、山荘の敷地のなかの小屋に棲む予定で準備をすすめています。ところで、飼育されている多くのうさぎはうさぎ科のアナウサギ類です。アナウサギ属のヨーロッパアナウサギが起源とされ、現在は世界中に分布しています。といっても、現在は経済動物(実験・薬品用)のほか、ペットにするための改良がすすみ、さまざまな種類のウサギに分類されています。19世紀までうさぎはげっし目に分類されて いましたが、その後、研究が進み、うさぎ目として新たな分類が行われました。アナウサギは、8月から1月頃まであまり繁殖をしません。日照時間や性ホルモンの関係があると言われています。野生種の場合、この時期は生きていくだけで精一杯ですから、出産育児をしないような仕組になっているのだと思われます。春から夏にかけては、当然発情をすることになります。この時期に油断すると雌は、立て続けに出産、育児を繰り返し、短期間の間にたくさんの子供を作るのです。うさぎも縄張りをします。臭いつけ行動です。ペットうさぎの場合、雌は発情すると自分のケージの中をとても守ろうとするのに対し、牡は縄張りを拡大して行こうとします。ちなみに、性に季節変化同様に、縄張り行動にもそれは当てはまるようで、発情しない秋から冬の時期には縄張りは緩くなるようで、うさぎ同士の争いも少なくなりました。 牡は生後3ヶ月くらいから性に目覚めるようです。飼い主や、近くの仲間に前脚を巻き付け、腰を動かすような行動にでます。これは犬のマウンティングとに似ています。僕に抱きついてくるのですが、「オイオイ、こちとらはオトコだよ。相手が違うんじゃないの…」といっても、聞こえないよいですね。雌は牡より遅れて発情するようです。発情しているかどうか調べる方法がありますが、文章に書くとちょっとどぎつくなるのでやめますが、そう、想像通りです。とにかく発情すると、一見不機嫌そうになります。部屋をいじられるのも嫌い、ときには「ぶーぶー」等と鼻をならして抗議します。そのくせ、しめしあわせたかのように雌雄で夜中に脱走して、つくってしまうことがあります。一度は、それをやられてしまいました。
2005.10.17
コメント(2)

山荘づくりの仲間たちとお手紙嬉しく拝見しました。このサイトを読んでくださっているとのことで、ここにご返事を書きます。もちろん、これはSさんと直接関係のない人も読むわけですが、特別に隠し立てしなければならない内容ではないし、むしろおなじ文芸を志している人に一緒に読んで貰いたい事を書こうと思いますので、公開の形にすることをお許しください。Sさんも看破されているように、僕はよく言えばファジー、あり体に言えばいい加減な人間です。僕のことを“勁い人"と誤解されているようですが、世間体でいえば恥じらいが少ないということかも知れません。お手紙によると、ご主人とは長年にわたって映画運動に打ち込んでおられたのですか。本にあった『こむぎいろの天使』は、後藤俊夫監督の作品で、ふるさとシネマとして地蜂と少年たちの生活をモチーフに当市付近を舞台に作られました。わが「旬」に所属しているHMさんが、映画制作のアシスタント兼事務局として八面六臂の働きをしたから、僕も親しみをもって紹介しているところです。映画の裏話などのことも彼女が書いて、出版されています。したがって、本に出ていた映画は、30年も前の映画ではなく、つい最近の作品です。たぶんSさんの仕事の原点となったという映画は、1978年頃の後藤監督の初めての作品『こむぎいろの天使―雀と少年』ではないでしょうか。あるいは『イタズ』か『オーロラの下で』などかも知れません。いずれにしても、自然と動物を主役にした映画たちですね。ご存じかも知れませんが、後藤監督は「アクターズゼミナール伊那塾」という、子どもたちの表現力や人間性を高めるために当地でNPOを運営したり、最近では山間地に伝わる「田舎歌舞伎」をモチーフにした映画を制作中です。そして、HMさんもそれらをお手伝いしています。Sさんが、川柳のことを大切に一生懸命とりくんでおられること、文面からほとばしるように伝わり、ちょっと眩しく拝読しました。一つのことに一心に取り組むことは美しい。しかしです、それが必ずしも正解ばかりではないと、ひねくれ者の僕は常々思っています。よく“学者バカ"という言葉がありますが、一つの真理に飛び抜けて詳しい知識や能力を発揮する人が、専門外のことではごく簡単なことでも無知であったり、社会性に欠けている、ということはあまたあることです。一種言葉のパズルでもある川柳文芸ですが、ある普遍性は持たなければなりません。それには、川柳しか語らない、川柳にしか能力がないということでは良くも悪くも「川柳バカ」として、ごくマニアックな評価しか与えられないでしょう。マニアックな評価だけでは開かれた文芸となり得ません。と同時に、文芸の普遍性とは、万人にひとしく理解して貰うことではありません。最低限、ひとりの熱烈な理解者、あるいは“感じてくれる人”を作品にもつことだと思います。勿論、そのためには言葉の能力を精一杯ひき出し、駆使し、自分の伝えたい人に、いかに感じてもらえるかを努力しなければなりません。その結果を、理解できない人にまで媚びることはない。自分の才能を感じることのできた、“才能ある読者”を得てゆけばいいのです。したがって、言語理解の弱い人にまで、自分の作品を読んで貰えないことを悩むことはないし、自分に向けて発していない作品に対して、無理に感じたフリをする必要もない。あるがままの自分の作品を書き、自分の感じるままに作品を読み、楽しむ、ということでいいのではないでしょうか。文芸人として異端視されることの自覚があるとのこと、結構ではありませんか、慶ぶべきことです。僕も、地元では異端児扱いされていますが、少しも恥じておりません。凡人ほど、才能を異端という名で理解の外に置きたがるものです。そうして、誰かの作品を下敷きに見よう見まねで似たよう作品を書いて、名の知れた(だけの)選者に選ばれたといっては満足しているというのが凡のパターンです。ところが、作品のいのちはそれだけで終わっています。そんなところまで自ら降りることはありません。本当に必要なことは、その後、作品がどのように生きてゆくかではないでしょうか。文芸における異端は、むしろ誇りをもつべきことです。朴(ほお)の木が好きだとのこと、朴は日本では古来より楽器や下駄に使われてきましたね。大きな葉っぱはおにぎりを包んだり、朴葉味噌など用途の広い植物です。また、朴訥とか純朴とも使われるように、飾り気のない自然な性格を表すことにも使われています。北の風土で、ご主人とともに厳しいなかでも文化運動に精を出されているご様子、まさに寄り添う朴の木のようでもありましょう。Sさんの作品は、朴の木のように風土や作者を感じさせてくれるところがあります。これからも元気に力をあわせて、良い映画の普及、そして良い作品づくりに励んでください。まだ毎朝、楽しませてくれます庭に咲く朝顔の原種実際は小さい花です
2005.10.12
コメント(11)

我が家の玄関先に、二種類の朝顔が生えている。一本は赤紫色の大きな花、もう一本は青味かかった小さな花、これは日本在来の原種だということだ。朝顔は夏の花の代表のように語られることが多いが、花を見るたび秋の花だと思う。今頃になっても、あきることもなく毎日楽しませてくれる。秋の季語に「あさがお」があるが、これは別種だということだ。ちなみに「あさがお」という名はさまざまな植物に冠されている。広辞苑によると、 キキョウの古名。〈新撰字鏡7〉 ムクゲの別称。〈名義抄〉 ヒルガオの別称。 カゲロウ(蜉蝣)の古名。ということだ。信州もいよいよ木々が色づきだした。森の奧に行くと黄色い木々のトンネルができている。最近はすっかり山暮らしが多くなって、植物との対話することに心の安らぎを覚えるようになった。紅葉の山道を歩いていて、ふっと黄色い花の路の記憶が甦った。黄色の記憶にはいつも仄暗さを伴うのだが、その路の記憶だけは不思議に明るかった。風の通り道なのか、花々はいつもうれしげに揺れていた。9月のとある夕方、そこに行ってみた。人々から忘れられたかのように、ひどくひっそりとしていた。落葉松林の間道で、萩や桔梗などの花々は無心に咲いていた。とつぜん風が立ち、視線の先に今まで気付かなかった黄色い花々がいっせいに揺れた。はじめはニツコウキスゲなのかと思った。それにニッコウキスゲともすこし色が違う。昼間は何度か通ったのに気づかなかったのに、夕方こんなに咲いているとは…。図鑑を調べて謎がとけた。花の名は夕すげ、ユリ科に属し、夕方開花し翌朝凋むという。夕すげってこの花か、哀しい名だなと思った。林道の斜面からキョトソとこちらを見ている花があると思うと、風に揺れ、おいでおいでをしているかの花もあった。翌朝には凋んでしまうのに、不思議にどの花もみんな楽しげだった。そしてすっかりと秋が来た。あんなに咲いていた花もほとんど枯れかけていた。今年は、もうこの花ともお別れかと思った。風が立ち、立ち止まると足元の草ヤブのなかに咲き残った花が、ぽつんとひとつこちらを見送っていた。十月、花の面影を探して芒の原を歩いてみた。あすこにもここにも花たちはけなげに咲いていたなと思った。何かいっぱい考えることがあるような気がした。なぜ花たちはあんなに喜々としていたのか。それともあれは、地表に降り立った数千、数億年の中で一つの種がつかんだ叡智だったのだろうか。一日でいえば夕方、一年でいえば秋、自分の生き方のなかでも、あの花のような咲き方をできたらと思った。夕暮れてなお楽しく…。とつぜんの野分が芒の原を音をたてて渡って行った。風の去った向こうに、原罪のような三日月がうす暗く浮かんで見えた。
2005.10.10
コメント(12)

昨日はしっかり山が湿ってくれて、きのこの菌が動き出したことだろう。これで明日晴れれば、一斉に茸山になるかもしれない。実は、明後日の土曜日には友人たちときのこ狩りに行く。名人が何人かいるので、毎年、必ず松茸や黒かわ、しめじなどが収穫される。夕方から、その茸で宴会だ。先ほどまで山荘にいた。山荘付近の敷地には、中央アルプスの伏流水が湧き出ているところがあるとは以前にも書いたが、その水を水槽に導入して、そこから水道をひくという工事をしていたのだ。いささか難儀したが、とうとう完成。山荘の水道からは、中央アルプスの延命水と同じ水がでることになった。バンザイ!蛇口からほとばしる水をコップに汲み、ひとりで乾杯。うまい、労働の成果が込められていると思うと、より旨い。山荘の庭に出てみると、懐かしい暗闇だ。こんなに暗い夜は当地でもあまりない。空を見上げたら、星が、星が、星が、真ん中にひときわ大きく光っているのは火星らしい。そうか、火星がこんなに近いのか。天体望遠鏡が欲しくなった。むだづかい、叱られるかな。
2005.10.06
コメント(6)

山荘も、そろそろ外観も考えなければならないところまできた。そんなおり、息子(二男)が「友だちに協力させて垣根づくりでも手伝おうか」と言ってきた。「それはありがたい頼むよ」と言ってからしばらくして、山荘の現場。アルバイトに来ている女性の子ども(5歳)を連れて、現場で水道工事をしていた。山荘の周囲には大きなクリの木があり、落ちたクリが散乱している。女の子は一所懸命小さな手でクリ拾いをしている、これが助かるのだ。落ちたクリをそのままにしておくと、猿や熊などの動物を招くことになってしまう。女の子は石やクリでいつまでも遊んでいる。この子は、幼児期に実の父親に折檻のような暴力を受けたことがあり、大人の男に対してなつかないところがあるのだ、と母親が語っていた。僕には平気のようだから、僕には男らしさを感じないのかも知れない。そうしているうちに息子が車でやってきた。隣席に誰か乗っている。友だちとは彼女のことであった。「力仕事は男たちがくるけれど、今日は計測だけだから…」と言いわけをしながら言った。その娘は見覚えがあった。以前にも家に連れてきた彼女だ。つきあっているらしい。その娘に、5歳の子はすぐになついた。息子が仕事の段取りをしているあいだに、キャッキャといいながら連れてきた彼女と遊んでいる。汗をかいて仕事をしたあと、妻がいれたお茶を飲みながら山荘の中でひと休みをした。妻が、彼女にいろいろ家庭のことなど聞きだしている。まあ、いずれ家族になるかも知れない相手だから、そういうこともあるだろう。「そう、お父さんはもう亡くなっているの。お母さんひとりで大変ね。ウチ母子家庭のようなものだから、よくわかる、よくわかる」などと勝手なことを言っている。息子が言いにくそうに語りだした。「実は、このAちゃんの家には障害者がふたりもいるんだ」聞くところによると、娘は姉弟の長女で下の兄弟ふたりに障害があるということだ。「う~ん、そうか。それは大変だ…」と言って、ちょっと言葉がとぎれた。障害を生んだ理由はなんだろう、もし、この彼女が息子と結婚することになって、ふたりのあいだに子どもができたら、血をひくことはないだろうか。などと、親としてはちょっと心配になった。だからといって、息子の選んだ相手にケチをつけるようなことは言いたくない。だいいち、とてもその彼女をみる範囲では、とても気配りのできるよい娘なのだ。まあ、いろいろ案じてもしかたがない。運命の神がいるとしたら、悪いようにはしないだろう。間合いをはかるように妻が口を開いた。「大丈夫よ、ウチにも障害をもつお父さんがいるけれど、何とかなっているから!」「ンッ、障害をもつお父さん……………。」それって、もしかしたらオレのことか。ちがいねぇ。さて、それにしても……。
2005.10.04
コメント(10)

リンク先で紹介されていた(すみません、うっかりどなたのサイトだったか忘れてしまいました)“幻の国歌”「われら愛す」のことについて、僕も本を取り寄せて読んでみました。本にはCDがついておりますから、曲も聴けます。この歌は昭和28年にサントリーの前身の壽屋が「国民歌」を提唱し、全国から募集したものです。作詞は、山田耕筰やサトウハチロー、西条八十、佐藤春夫、三好達治ほか三名が審査員をつとめ、作曲は、堀内敬三、山田耕筰、古関裕而ほか三名という豪華メンバーが審査員をつとめて選ばれています。とても良い曲ですが、ちょっと注目したのは、その歌詞にある「みすずかる信濃のやまべ」です。なぜ、国民歌に「信濃」がでてくるのでしょう。ちょっと時間がないので、この歌のことについては日をあらためて書こうと思います。ちなみにわが長野県には「信濃の国」という歌があって、何か行事があると歌われています。成人した長野県人でこの歌をまったく歌えない人は、たぶんニセモノでしょう。それほど、どこででも愛唱されています。その県歌「信濃の国」と何らかの関わりがあるのでしょうか、調べることができたらここで報告したいと思います。
2005.10.02
コメント(9)

リンク先で紹介されていた(すみません、うっかりどなたのサイトだったか忘れてしまいました)“幻の国家”「われら愛す」のことについて、僕も本を取り寄せて読んでみました。本にはCDがついておりますから、曲も聴けます。この歌は昭和28年にサントリーの前身の壽屋が「国民歌」を提唱し、全国から募集したものです。作詞は、山田耕筰やサトウハチロー、西条八十、佐藤春夫、三好達治ほか三名が審査員をつとめ、作曲は、堀内敬三、山田耕筰、古関裕而ほか三名という豪華メンバーが審査員をつとめて選ばれています。とても良い曲ですが、ちょっと注目したのは、その歌詞にある「みすずかる信濃のやまべ」です。なぜ、国民歌に「信濃」がでてくるのでしょう。ちょっと時間がないので、この歌のことについては日をあらためて書こうと思います。ちなみにわが長野県には「信濃の国」という歌があって、何か行事があると歌われています。成人した長野県人でこの歌をまったく歌えない人は、たぶんニセモノでしょう。それほど、どこででも愛唱されています。その県歌「信濃の国」と何らかの関わりがあるのでしょうか、調べることができたらここで報告したいと思います。
2005.10.02
コメント(6)
全16件 (16件中 1-16件目)
1
![]()

![]()