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元朝日新聞論説委員、現在信濃毎日新聞の主筆としてモノゴトの本質をズバリとつく「考」を連載中の中馬清福さんが、25日(土)に伊那市の「いなっせ」でPM6:00から講演をします。今回は、ことに青少年に夢と希望をもたせる、現代を生きるためのヒントが語られる予定です。近隣の方はぜひ、お出かけください。前売り入場券は800円です。必要な方は、僕のメールボックスに連絡をいただければ、当日会場でお渡しします。講演会のあと、ささやかに懇親会もする予定ですので、なるべく車は置いてきてください。車で来る人は飲まないこと!お知らせでした。
2006.11.23
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昨今、学校で起きているさまざまな問題が、あたかも現行の「教育基本法」によるものとのすり替えが政府主導によって行われています。高橋哲哉さんに聞いた番外編「教育基本法改定についての意見陳述 名古屋地方公聴会より)に詳しく述べられています。安倍首相は、「戦後体制(レジーム)からの脱却」という政権課題の柱の一つとして教育基本法改正を掲げ、「占領時代の残滓を払拭することが必要です。占領時代につくられた教育基本法、憲法をつくりかえていくこと、それは精神的にも占領を終わらせることになる」(『自由新報』05年1月4・11日号)などと主張しています。しかし、教育基本法があたかも占領軍の押し付けによって生まれたかのようなこの議論は、根拠のない偏見にすぎません。なぜ、根拠のないものかの理由についても、南原繁が1955年に書いた「日本における教育改革」(『南原繁著作集・第8巻』)という文章で示しています。ところで、安倍首相がさかんに言う、「戦後体制(レジーム)からの脱却」と言う言葉、ようするに、日本はアメリカの占領体制が続いているから、それを脱却しようということだという意味だと解釈してよいのでしょうか。だとすると、米軍基地の維持のために思いやり予算を献上したり、沖縄の米軍基地移転にともなう代替え地を提供したり、国際貢献という名目でアメリカのポチ役をつとめている現状をどのように解消するかということに、力を注ぐべきではないでしょうか。実質的な占領体制状態を放置したまま、国家にとって従順な人間を育てようということでは、どこに本当の意図があるのか疑われるのは当然です。また、それを喜んで受け入れようとする、無邪気な子犬のような国民の存在も理解に苦しむところです。日本が独自に日本国を守ろうという法整備をするというのなら、まず目の前にある占領体制をどのように解消するのかという方向をきちんと示してから、そうするためには何が必要かという提案をするのが筋ではないでしょうか。
2006.11.23
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以前にも小沢さちさんのことを紹介しました。駒ヶ根美術館の音楽ホールで行われた小沢さちさんのピアノ演奏会に行ってきました。すごいなー、またまた進化しているなーと感じた演奏会でした。彼女のテクニックについては、少女時代から定評がありましたから驚きはしませんが、表現力といおうか、曲を通じて演奏者としてのイメージを伝える力がますます強くなっていると感じました。昨夜はカメラを忘れて行ってしまい、写真を載せられないのが残念です。
2006.11.22
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当地で、臨時職員の司書として小学校で働いていた、42歳のバカ女・平澤真奈美(伊那市伊那部)が、虚偽の「自殺予告メール」を別の小学校に送ったとして逮捕されました。先に「自殺予告」のニュースが報じられたとき、こんな馬鹿なことが起きるのではないかと危惧しましたが、まさかこんな身近に起こるとは…。しかも、小学校に勤める42歳とは、虚偽だとは思いたくないから勝手に死ね、と言いたい気分です。近所の者としておわびします。真奈美ってどこかで聞いた名前だな。同一人物だとしたら、以前は心の病気だったはずだが…、いつ小学校に? さて、口直し、と。坂ロ家は越後・新潟県の大富豪の家系であった。しかし、祖父が米相場や銅山開発に手を出し、ことごとく失敗した。そして、若くして政治家への道を走った父・仁一郎が、坂ロ家の没落を一層決定的なものにした。安吾が誕生したとき、仁一郎は47歳だったが、莫大な財産はすでに跡形もなく消えていた。安吾と父との接触は、幼少時から淡白なものだった。仁一郎は政治活動には熱心だったが、家庭を振り返ることはなく、自分の休息の場という位置づけでしかなかったからだ。安吾は後年、父との思い出を綴った『石の思い』で、政治家だった父のスケールの小ささを軽蔑して書いている。母・アサは後妻で、36歳のときに安吾を産んだ。安吾の兄弟は多く、先妻の娘が3人、妾腹の養女が1人。そこへ5男4女を出産したのだ。安吾は下から2番目だったが、兄弟姉妹、奉公人、政治家の父の食客など、家にはいつも人があふれていたので、家庭での安吾は母の愛情に飢えて育った。安吾は健康で活動的だったため、あまり手をかけられなかったのだ。それどころか、腕白ぶりが家人からは「末恐ろしい」と毎日のように叱られて育った。小学校を優秀な成績で卒業した安吾は、新潟中学へ進学するが、そのころから極端に近視が進み、黒板の字も読めなくなり成績不振に陥った。追い打ちをかけて、坂口家にまつわる忌まわしい風評がたったのだ。父の政敵勢力があおったのだが、多感な安吾の動揺は激しく、怠学へ傾いてゆくのだった。晴れた日は砂浜の松林に寝転がり、日本海の自然に魂をゆだねた。雨の日は、学校近くのパン屋の2階で不良仲間とカルタに興じたという。結局、第2学年を落第する。一時は立ち直ろうとするが、坂ロ家のウワサが今度は、父が社長を務める新聞のライバル紙によって辛辣に報道されるなどして安吾の心も乱れ、さらに登校拒否がひどくなった。16歳の誕生日を翌月に控えた9月、安吾は“落伍者”のレツテルを貼られ故郷を去り、東京の中学に編入学する。その東京の中学は、全国からの中途退学者を集めたヨタモノ中学といわれていた学校だった。と、この後文学への道をたどるのだが、今日は眠いのでこのへんで…。
2006.11.21
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もう柿も寒そうです
2006.11.20
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紅葉しているんです、僕も…。
2006.11.19
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足早に今年も…。
2006.11.18
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落ち葉には落ち葉の意地が!
2006.11.17
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松坂獲得にに60億円、僕は数字に弱く指の本数より多い数は沢山としか言えないが、ちょっと電卓を叩いてみた。えーちょっとリッチに、月100万で生活するとして年間1200万円。これは高給取りの部類にはいるな。60億を1200万円で割ってみると……、えっウッソー、500年もこんな生活ができるの! 計算が違っているんだろうか? *昨夜、家に着いたらテレビが世界バレーのオランダ戦を映していた。試合内容は、日本もたくましく美しく、強くなったもんだと感心して見入ってしまった。少年時代に、鬼の大松に鍛えられた日紡貝塚がオリンピックで金メダルをとったときの選手たちもたくましかった。しかしどうみてもブサイクだったなー。それに比べ、栄養がいいのかとてもビジュアル軍団になって、今のバレーボール選手は容姿で選ぶのかと思うほどだ。日紡貝塚は、当時は珍しかった回転レシーブを駆使して金メダルを獲ったが、今は回転どころかスライディングで拾いまくっている。ことにあの小柄な竹下選手(159センチ)のスライディングでパスをあげるシーンはスローモーションでみると神業めていホントにすごい。ところで、試合前にアイドル歌手が歌ったり、観客に筒状の風船のようなものを持たせての「ニッポンチャチャチャ」あれは興ざめだな。あんなバカなことを誰が考えつくのだろう。外国でもあんな興ざめなセレモニーがあるのだろうか。スポーツはスポーツとしての技術をみせてこそ本物だと思うのにな。 *なんとしても政府与党は教育基本法を変えたかったんだな。あれだけ大胆にやらせ発言を仕組んで、「国を愛する態度を養う」子供たちをつくってどうするんだろう。ちなみに言っておくけれど僕だって「日本を愛している。ときには日の丸が美しいとも思う」。しかし、上から「愛せ」と強制させられたら、「愛したい」と思っていた心にバケツで水をかけられた気分になってしまう。しかもだ「国を愛する態度を養う」という言葉だ。態度だけなら見せかけだけでもできる。知事が変わったとたんに横柄になった県職幹部のようなものだ。これはたぶん、政府与党は日本嫌いのガキたちを増やしたいんではないのかな。もしかしたら阿部ジョンイルは日本転覆をたくらむ某国のまわしもの?
2006.11.16
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朝帰りして家を閉め出されたのでしょうか。草にとんぼがびしょぬれになっていましたが、生きているのでしょうか。 ……身につまされる光景です。
2006.11.15
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皆さんからコメントを頂きながら、ここ数日は同人誌作りに追われていて失礼をしました。ようやく製本所にまわし、一息となりましたので溜まった宿題をかたづけたいと思います。 が、今日は仕事中に気になっていた“無頼派”という言葉に憧れて、坂口安吾について少し触れてみたい。無頼派の作家といわれた坂口安吾だが、恥ずかしながら僕はあまり読んでない。それでも代表的なものは20歳台の頃に読んだが、それから倍以上生きてきて、いまはどのように感じるのだろうか。図書館に寄ったついでに代表作をちょっと捲ってみた。『白痴』場末の猥雑な一角に間借リしている映画演出家と、隣家の“白痴”の女房が、空襲下で織り成す奇妙な交流の物語だ。現在だけを生きねばならない戦争末期の極限状況を舞台に、絶対の孤独を描き、人間再生の可能性を問うという小説で、設定はかなリ観念的だが、今でも読みやすい。『堕落論』小説『白痴』と同時期に発表され、安吾を一躍有名にした記念的エッセイ。外部の規範にとらわれず、存在の愚劣さを引き受け、孤独の中で自己を見つめよとの主張は、今日も有効だと思う。「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。ましてや、政治家は堕落するから成り立つ職業だ。誰もが堕落を防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」という、かなり悲観的なものの見方をしているが、これは政治家だった自分の父親から学んだ反面教師ともいえる教訓だったのだろう。『二流の人』秀吉と家康に仕えた知将・黒田如水を主人公とする歴史小説。優れた知略をもって戦国の世に独自の道を進みながらも、2人の巨人と不運の前に、ついに“二流”に甘んじねばならなかった如水の生涯を書いている。安吾の歴史小説は、意外に良くて、『信長』もなかなかのできばえだ。戦後の時代小説から歴史小説へ至る出発点ともみなされている。『桜の森の満開の下』満開になったとき、その下を通る旅人はみな気がふれるという桜の森の近くに住み着いた1人の残忍な山賊が、8番目に奪った魔性の美女に翻弄されるという説話小説。孤独、欲望、愛憎、芸術など、さまざまな寓意が含まれている。などなどたくさんあるが、僕の知る限りではこのくらいに留まっている。時間がとれれば、安吾の生き様などを調べて記録してみたいと思う。
2006.11.14
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紅葉を眺めているうちに、雪がもうそこまで迫ってきました。信州の山は、もう冬に入りました。里もまもなくだな。
2006.11.13
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実をいうと僕は妻と車に同乗するのが好きではない。というより苦痛だといったほうがいいのかも知れない。僕が運転するときに、助手席にいて必ず1つや2つ、「人がいる、危ない!」とか「ちゃんと前を見て!」とか、運転態度をいちいち注意されるからだ。車を運転していて“他人に危険をおよぼす運転をしない”“事故を起こさないように運転に集中する”のは当然だ。そして、僕の場合はもうひとつ、目的地までなるべく短距離か短時間で行く方法を考えて走る。運転者として、基本通りに(時々は少しはルールからはみ出ても)走ることを心がけているのは当然だ。これは、基本的には誰でも同じだろう。違うのは、人によってスピードに対する感覚や、道の選択に好みがあるということだ。誰もが、自分の運転感覚で他人の運転を見てしまうことはあることだ。(自分より)スピードが早いとか、ブレーキを踏むタイミングが違うとか、私はこんな道は通らないとか、違和感を感じるのは当然なのだ。そんなに心配なら、いつでも自分で運転したらいい、とハンドルを投げ出したくなることがある。僕だって普段はひとりで運転できている。5年は更新しないでいい日本の免許証をもっている。運転するときぐらい自分の好きな道を走りたい。それにしても、僕の同乗者は「ああ恐かった」という。みんな運転がへたなのだ。というような身勝手なことを、ときどき思う今日この頃皆さんいかがお過ごしですか。なんて、誰かの口まねをするとまた顰蹙を買うかな。あくまで自省をこめて書いているのだが、人のアラばかり探していては穏やかな人生は望めないと思う。冬に備えて、家の水道の凍りそうな場所や雨もりしそうな箇所を探すのはいいが、同じように厳しい目で人のアラや、自分自身のアラを探して、ブツブツいう人がいる(いや、僕のことだよ)。家のアラ探しは修繕するところを慎重に見定める作業だから、結構なことだ。しかし、これを人に応用すると孤立への道をたどるだけでなく、他人をいやな気分にして自分の気分も低下する。この癖がつくと、あらゆるものや人の欠点が目についてしかたがなくなる。そうなると人との関係はもちろん自分の人生への自信が薄れ、現状を肯定できなくなるような気がする。思うに、アラ探しは次のような経過でおきる。だれかと出会ったとき、最初は相手の容姿、性格、知性、ユーモアのセンスといったものに魅力を感じる。自分とはちがうその人の持ち味にひかれさえする。だがしばらくすると、その相手との違いが、小さなアラに感じ、おせっかいにもなんとか直してあげたいと思うようになる。「わかっていると思うけど、きみはどうも遅刻癖があるね」とか「あまりいい本を読んでないね」という具合だ。つまり、その相手の気にいらないところを指摘し、いつしか生き方や思想にまで口をはさみたくなるのだ。もちろん、たまには意見を言ったり、前向きの批判をしたり、相手のためになる助言をするのはいいと思う(でなければ、僕など人生をやってられない)。夫婦では、互いにアラ探しをされたと感じたことがない人はほとんどいないそうだが、僕はアラ探しを一切しない夫婦を知っている。生き方がとても前向きで、誰からも好かれて、常に異彩な人々が寄っている。その夫婦と会ったときには、ああ、こうあらねばとその時は思うのだが…。アラ探し。それは相手にとってみれば、よくぞ自分の欠点を指摘してくれたと感謝されることは僅かだろう。むしろ人格を否定されたと逆恨みされるのがいつものオチだ。自分のなかにこの癖が頭をもたげたときは、なるべく口を閉ざすことにしている。アラ探しをしている自分の人生がなんだか煤けてくるような気がするからだ。と、とりあえずは書いてはみる。…さて。
2006.11.10
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サークル活動仲間同志の結婚が来週に迫り、A青年や僕の息子は手づくり結婚式を盛り上げようと、4ヶ月も前から山荘の隅で灯籠御輿をつくっている。ことにA君は毎週のように通って、念入りに磨き塗装をして、素人にしてはなかなか立派なものが完成した。新しく結婚するカップルも打ち合わせに何度か訪れて、「お世話になります」と菓子折などを置いていった。「ほー、美人だし、なかなか気だての良さそうな娘じゃないか。」と僕が言うと、息子がなんとなく気まずい表情をした。A君がひきとるように「そーなんです。とても優しくていい娘ですからここに来たら歓迎してやってください」と朗らかに僕に言った。その夜、家に帰って晩酌をしていると息子が帰ってきた。「なんだ昼間は、せっかく友達を褒めてあげたのにヘンな顔をして…」と僕が言うと息子は、「結婚する人は、A君の元彼女だったんだよ。ある出来事があって別れたんだけれど…」という。息子の話によると、その彼女と付きあっているとき、A君の弟の自殺など、彼の家を揺るがす事件がつづき、とても自分の家庭環境に彼女を巻き込むわけにはいかないと、A君から別れを切り出したということだ。A君の家庭事情をよく知らない彼女は、一時はA君のことを恨み、A君もサークルを脱退し、やがて精神的に不安定になった彼はクスリを飲んで自分の手首を切るところまで行ってしまった。それから約2年、その彼女はサークル内のべつの先輩とつきあいはじめ、こころの傷も癒えはじめてきたA君も新しい仕事で再出発を始めていた。彼女が先輩と結婚すると決まってから、息子は「鍋パーティー」を主催して、A君と元彼女を呼んだ。双方にはお互いが来ることは伏せてあった。久しぶりに再会した二人は、はじめはギクシャクしていたが、やがてうち解けて話しをするようになり、最後には恋人同士時代の頃のような親しさで近況を語り合うことができるようになったとのことだ。しかし、すでに彼女は先輩と結婚することになって、日取りまで決まっていたから、よりが戻ることはない。息子は、結婚の実行委員会にA君も加わるように誘い、A君もそれを受けた。それ以後A君は、まるで自分が中心メンバーのように結婚するふたりのために汗を流していた。もう、A君はすっかり立ち直って、大人としての道を歩き出している。彼ならいずれきっと、素敵な彼女ができることだろう。 きのこも採れたし 馬刺しも切って、きのこパーティーとするか アマゴも焼こう では、みなさん 今日は、これまで…。
2006.11.08
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木枯らし一号が吹いたという急いでもみじ湖に車を走らせた湖水は波立ち歩道を歩く人々は肩をすぼめて歩いていた木々はまだ輝いていた吹きつける風に紅葉をもぎとられながらすこしずつ冬支度をはじめている僕はカメラをとりだし閉じゆく秋のたたずまいを子細残さず見届けようとファインダーに映しだす 風にさらされた紅葉たちはカメラマンの先にいる女性モデルのようにてらいもなくいちまいいちまい身にまとった衣を捨ててゆく こんな日には詩のような人をさがして森や公園をたずね歩く一行で心をすくいあげてくれるいつくしみにみちてかがやいていて命があって歩いている詩のように人をもみじの一本いっぽんに訊ね歩いている 竜巻の犠牲になられた方々のご冥福を祈ります
2006.11.07
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このところ、いじめによる自殺などの報道が相次いでいる。それにともないマスコミやブログでも様々な角度からとりあげられている。僕は、いじめを受けたり、(自分の意識では)したという経験がないので、当事者としての気持ちでは書けない。ただ、いじめをしている子、受けている子の状況は何度か見てきている。その立場から感じていることを書いてみたい。僕の見た範囲では、両者にはある種の関連性を感じることが多かった。僕だけの思いこみかも知れないが、いじめる側のもっているもの、いじめを受ける側の陥りやすい空気というようなものだろうか。いじめの首謀者になる子は、家庭あるいは育つ過程でのトラウマを引き吊っている場合が多い。ことに父親が妻や子に暴力的な場合や、逆に全く放任主義で家庭内が閉鎖的な場合もなりやすい。いじめられる側は、団体のなかで目立つ子、特別に正義感が強かったり、優しすぎる子、そして肥満体質や知育の遅れた気味な子もいじめられる側に入りやすいような気がする。少年期の子どもたちは、ある面では潔癖性で正義感が強い反面、とても残酷にもなったりする。僕の少年期を思い出しても、残酷なことを平気でできた記憶がある。例えば、蛇や蛙の皮をはいで泳がせたり、ワナで野ウサギや小鳥を捕まえたりした。そのときの心境は可哀想という反面、不思議な高揚感もあったと思う。僕はド田舎の学校だったので、小中学生時代には集中的集団的イジメというものはなかった。高校時代になって都市部の子どもと混じるようになると、クラブ活動の中などでも散見した。先輩が後輩をいじめるというのは、社会教育としての一面もあってのことだから多少はしかたないとは思ったが、ユスリタカリの類、一人の男子を押さえつけてズボンを引き下ろすなどの悪戯もあった。そんなときの標的になるのは、たいがい同じタイプの子だったような気がする。比較的友達の少ない、勉強ができすぎたり、できなかったり、鈍くさく女の子にもモテないタイプだったろうか。それにしても、最近のように死を考えるほどのいじめまで発展した形は想像できない。相手が死にたくなるほどまで追いつめてしまうのは、もう犯罪と断じてもいい行為だ。しかし、いじめをいなすことが上手にできず、死によって一種の復習をとげようというケースはないのだろうか。あるとしたら、こんな子も育つ過程での何かの欠陥をもったためと認められるように思う。先頃、高校の校長をしている友人と、学校の隠蔽体質について話をしてみたが、最近のいじめは潜在化陰湿化して、(あったとしても)学校ではなかなか実態を掴みきれないとこぼしていた。また、一方的に学校に責任転嫁されることも多く、教師側がどうしても萎縮して守りに入ってしまうことがあるのではないか、とも話していた。このところポンボさんの日記で「いじめに関して」体験者として語る記事が連載されているので興味深く読んでいる。そして、今日の『長野日報』には、いじめを克服したある男の子の体験例が掲載されていたので紹介してみたい。 *その子は約半年間、クラスの友だちから、口を聞いてもらえなかった。掃除の時、母親が作ってくれたぞうきんをクラスのボス的存在の子に三階の窓から投げ捨てられ、腹を立て殴りかかったからだ。それまで親しくしていた友だちが、急によそよそしくなった。話しかけてもすぐ立ち去る。友だちは、勉強も運動もできるボスの指令に従っていた。集団の中で、人と話ができないことはつらい。さみしくて、何度もボスに謝ってしまおうと思った。しかし、体調が悪い時にぞうきんを縫ってくれた母を思い浮かべると、どうしてもできない。その子は決意した。友だちなんかいらない。だから自分から話しかけもしない。親にも先生にも言わない。一人だけで、ボスヘの徹底抗戦を貫こうと思った。登下校も休み時間も一人ぼっちだったが、話し合いの場ではボスと正反対のことを言った。スポーツでも、身を呈してボスの動きを止めた。そのうち楽しくなってきた。陰でボスの悪口を言いつつ従う友だちと違い、自分は堂々としていられる。そんな姿を見ていた友だちは半年後、その子の言い分をわかると言って一人、二人と話しかけるようになった。その子は孤独から解放され、同時に真の友を得た。各地で起きる子どもの自殺。今のいじめは複雑で陰湿で深刻だ。でも、いじめる側も一人だと弱いもの。今、いじめられている子どもたち。死ぬことより、どんな形でもいいから、生きてやることを考えようじゃないか。ちょっと乱暴な意見かも知れないが、いじめにもきちんと立ち向かうことができれば、むしろ得難い社会勉強として立派に役だってゆくのではないかと思う。他人に対する思いやりの気持ちであったり、上司や社会での不条理に立ち向かう耐性であったり…。世の中の異彩といわれる人には、いじめを体験してきている人が少なくないと思う。体験を生かすためには、まず生きていなければだめだ。生きていれば、つらかったぶんを埋め合わせて余りある、幸せを感じるときが必ずおとずれるものだと断言したい。むしろ、いじめた側の記憶に心の傷としてのこり、自分の子どもにもまた同じ修羅を歩ませることになりはしないかという心配がある。
2006.11.06
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先日、ダークグレーの髪をしたいかにも上品なご婦人(こんな言い方はおかしいか?)が山荘を訪れた。僕と顔を見合わせるなり、互いに「あーー、懐かしいー」と言い合ってしまった。その人とは、もう20年も前にある友人を通して知り合い、何度か仕事を手伝って貰ったことのあるAさんだった。僕より年上ではあったがその頃は、まだ40歳になったかどうかという歳頃でそこにいるだけで色香が漂うような美人だった。ご主人は一回りも年上の人だったが、なかなか男前の人で、大手電機会社の下請け工場を経営していた。従業員は10人足らずだったが、当時のPCの主流だったメーカーの信頼も厚く、景気も良かった。会社の名刺や伝票などの印刷を出してくれていて、訪れると1時間もお茶のみ話につきあわされた。Aさんは本が好きで、当時の流行作家、吉行淳之介や宮本輝のことになると眼を輝かせて話し込んだ。宮本輝は僕も好きな作家だったので、話が合い『泥の河』『道頓堀川』『青が散る』『優駿』『花の降る午後』など作品のことを批評したり、語り合った。ご主人はそんな奥さんのことを「ウチのは、何かといえば本のことばっかりで、Mさんのくるのを楽しみにしているんですよ。迷惑だったら、ちゃんと言ってくださいね」とニコニコと、まるで妹か子どもを見るような眼差しでみていた。それがある日、突然暗転した。ご主人が工場で突然倒れ、そのまま逝ってしまったのだ。親会社の好況で受注に仕事が追いつかず、徹夜がつづいての過労死ともいえるものだった。それから、しばらくは残った従業員たちと続けたが、柱のいなくなった企業に仕事はだんだん先細ってゆき、一年あまりの格闘のすえ、工場はとうとう閉鎖した。その後は、どのように生計を立ててきたのかは知らなかった。ご主人のいなくなった未亡人という意識が働いて僕としてはAさんのところに行きにくかった。僕もまだ30代そこそこで邪気も、妻への遠慮もあった。あるいは意識しすぎだったのかも知れないが、Aさんが特別な美人でなければもっと違った対応だったのかも知れない。20年ぶりに見たAさんは、その頃の面影はあるもののすっかり落ち着いたご婦人になっていた。ご主人の亡くなってからの筆舌に尽くせぬ苦労などを、淡々と語って「子どもたちが支えてくれたから今があるの。でも、新聞にここのことが出ていて、MさんやT子(妻)さんのことが書いてあったから、もう懐かしくていてもたってもいられずに来たの」とも言った。翌日、ワゴン車を運転して子ども連れだったが、ジャニーズ系の若い男性が訪れた。「母がこちらに届けるようにと持ってきたのですが、貰っていただけますか?」と、荷物室を指さした。「あぁ、Aさんの…」どことなく顔立ちが似ていたから名乗る前にわかった。車の後ろには、座布団や揃いの食器がぎっしりと詰まっていた。遠慮なく頂いて、子どもたちに釣りをして貰っている間に、それとなくその後の様子を聞き出した。「母はMさんと話した本のことが楽しかったらしくて、いまでも僕らに話してくれますよ。父が早く死んだので随分苦労をして育ててくれたんです。再婚の話しもあったようですが、父のことがよっぽど好きだったのか全部断ったみたいです。本だけは良く読んでいて、読んでいる間は何もかも忘れて幸せになれるって、それに救われたって言ってました。だからMさんも恩人だって…」「そう、お母さんはエライ人だね。君たちをこんなに立派に育てて」と、思わず感情がこみ上げてしまうのを堪えた。僕は、Aさんが一番大変だった時代に自分勝手な理由で捨て置いて、すっかり忘れていたのに、Aさんは忘れずにこうして訪ねてきてくれる。もう、すっかり茶のみ友達のような歳だから、いつ訪ねてくれても心配されるようなことはない。ほどほどに年齢を重ね、ギラギラしたものが抜けてくると誰とでも気兼ねなく友情を暖め合うことができる。最近は、Aさんのように訪ねてくれる人がポツポツといて、黄昏どきの人生も悪くないなーと感じる、今日この頃だ。と、書いているところにポン友から電話があった。「おい、飲みに行くぞ! オレのおごりだから付き合え。なかなか感じのいいママがいて、気に入ってしまったんだ。」同じ年齢なのに、ヤツはまだギラギラ人生らしい…。
2006.11.04
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1秀さんの今日の日記の〈宮台氏の「左翼の嘘」という発言の意味〉で、「全て」の在日朝鮮人が強制連行で連れてこられたというのは嘘であって、強制連行による人も「存在した」のは確かだが、大部分は自ら日本へ来た人ばかりだったというものだった。という事実は、特段新しいものではなく僕も以前から知っていた。在日の知人が何人もいるので、幾人かに日本渡来のルーツを聞いてみたが、むしろ(祖父などが)強制連行によるものだという人は少なく、出稼ぎのつもりで来たり、仕事斡旋の紹介で来たり、中には密入国だったという人も少なくなかった。では、自己責任で来たのだから日本国政府が彼らに何らの配慮をする必要はないかというと、そうでもない。強制連行も実際にあったし、強制されなくても騙されて連れてこられた人々も少なくなかったからである。これらは、日本から外国への棄民の歴史の裏返しのようなものだろう。戦時体制で若い男手が足りなくなったとき、政府主導で、ダム建設など土木事業の労働者として、日本に併合していた朝鮮半島から多量の(労働者)を募集して連れてきた。また、女工などとして若い女性も募集した。これらの人々の多くが実際の現場で体験したのは、(募集時の説明からは)予想だにできなかった過酷な労働や低賃金だったという。若い女性のなかには高給をエサに軍の接待役つまり慰安婦に流れた人もいたことだろう。密入国については、夢を抱いて家族ごと当時の宗主国日本に来たが、生活の厳しさから朝鮮に戻ったものの、朝鮮戦争などでもっとひどい状態だったので、また家族のいる日本に戻ったり、朝鮮戦争の混乱から逃れてきた人もいるようだ。当時は李承晩政権で日本との国交がなかったため、漁船などに紛れての密入国しか日本に来るすべがなかったためである。いずれにしても、日本が朝鮮併合をした時期には多数の朝鮮人が渡来して、在日として生活をはじめたのだと思う。という経過はあるが、これを“すべて強制連行によるものである”としたら事実誤認もはなはだしいということになろう。中国での「南京大虐殺」についても発表された数の食い違いから、虐殺の真偽にまで及んでいるが、問題は数の問題というより、戦争による悲劇を繰り返さないというシンボルとして、これらの事件が語られるべきではないだろうか。もちろん、ヒロシマ・ナガサキ、東京始め各地の大空襲についても同じ事だ。ことに政治的話題になると、どちら側から見ているかによって、判断が極端に異なることがある。それについて語ってみたい。以前、ある弁護士事務所で偶然に夫婦の離婚調停の場に出くわしたことがある。子どもの親権をめぐって、両親が泣きわめきながら相手をなじり罵倒し合っていて、ふたりの間でオロオロとベソをかく子どもが可愛そうでならなかった。少なくとも、この子どもができた時点では互いに愛し合って、アバタもエクボの状態だったに違いない。弁護士は、そんなふたりをやるだけやらしたあと、淡々と法律論に則って財産分与や親権を調整し、けして安くない弁護士費用を請求していた。傍らでそれとなく見ていた僕は、弁護士とはなにか火事場泥棒のようだなーとも感じたのだが、冷静公平に裁く人がいてこそまとまる話しだから、しかたがない。>脱ダムの言説も、現実には全てが抽象論とぴったり重なって正しくなるのではなく、現実の条件によっては脱ダムが間違っていると言えるところもあるのだと思います。しかし、それでもなお総合的に判断すれば、欠点やマイナスを計算に入れても脱ダムの方向が正しいと言えるのだと思います。>問題は、議論においてそのような丁寧さを常に保って展開出来たかと言うところです。脱ダムに反対する勢力、反田中の議員たちの議論は、そのような丁寧さはかけらも感じられないのですが、だからといってこちらもそれに見合ったようなずさんな論理で対応すれば破綻する恐れがあると思います。丁寧な論理の展開が出来ていたかは検証する価値のあることではないかと思います。丁寧な論理の展開でもなお反対する人がいたら、その反対の根拠がそれほど根深いのはなぜかということを考えてみたいものです。秀さんは、「脱ダム」に関しても、情緒的に賛否を語るのではなく、丁寧な論議を重ねて納得したうえで決めてゆくべきだという、慎重論をのべている。僕も、それには賛成だ。初めから片側に足を置いて語っては、どんな正論であっても正しく聞いてもらえないだろうからだ。離婚調停の夫婦のようなもので、片方が聞く耳をもたないうちはどんな理屈も通らない。そういったことで、左右あるいは賛否の片側というポジションに固執したまま意見を述べあっても、結果的に嘘または誇大表現でなじりあう、というところまで行くしかないだろう。だっこして、そしてここをクリックして!
2006.11.02
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先日、何気なく新聞の訃報覧を見ていて「オッ!」と眼が釘付けになった。「小林■■氏(65)葬儀は…」つい3日ほど前に、友人とその父親を車に乗せて山荘まで来てくれた人だったからだ。ある大型店に勤めていた。とてつもないお人好しだが、10年ほど前に詐欺的商法にかかり全財産を巻き上げられた上、家族にも去られて寂しく一人暮らしをしていた。しかし、その後はまじめに働き、囲碁を趣味にもっていた。ボランティアに精を出し、障害者を車で送り迎えしたり、囲碁仲間を食事に誘ってご馳走したり、あまり交流のない僕も囲碁の相手をしただけで先生扱いされ、レストランでご馳走になったことがある。いつでもニコニコと、お年寄りの世話をしている姿をみると、ご自身の生活の影などまったく感じさせなかった。死因は脳溢血で、自宅で倒れているのが翌日発見された。65歳という年齢は、そういうこともありうる歳かとも思うが、それにしても数日前まで元気だったので、ただ驚いた。この1ヶ月ほど前にも、文芸友達のご主人が癌で死んでいるが、やはり、同年齢だった。その人は画家として油の乗りきっていて、半年ほど前まで精力的に創作活動にとりくんでいた。「どことなく疲れやすくなった」と体調の不調を訴えて、病院で検査を受けたときにはもう手遅れの状態だった。それでも、よもや死ぬなどとは本人も予想していなかったと思う。死は詐欺師のようなもので、普段は遠くにいるとみせかけ、ある日突然ピッタリと寄り添っていたりする。シャルドネ。さん>わたしは、msk222さんの「大スクープ」という感覚>に反応したのでね。事件の目盛りは自分には、まだまだ>スケールが小さすぎて、昨今われわれに迫っている>事態の深刻さからすると、綱引きレベルの話にしか>感じられない、と言いたいわけです。>(2006/10/20 09:16:42 PM)> http://plaza.rakuten.co.jp/msk222/diary/200610200003/ #comment>------------------------>説明しなくてもわかっていただけますね。-----僕の日記に、シャルドネさんからはこまめに突っ込みをいただく。あの皮相的な文体からくるイメージとはやや違って、数々の修羅場をくぐり抜けてきた、たぶんまじめで繊細な人なんだろうと思う。僕が、その日の思いつきで書いているだけのチャランポランな記事にいただく、鋭いご指摘からさえ、現代に対してのとても強い危機意識を感じさせる。人の死が、実は明日の自分のことかも知れないということは、誰にもあり得ることだ。しかし、現実にそのことと直面するまでは、家族はもちろん本人も他人事として日々やり過ごしている。実際、誰もが自覚症状がなければ、その直前まではのほほんと他人事として訃報覧などを眺めているのだろう。そしてそのくらいのほうが、幸せなんだろうと思う。この社会、ことに日本にも実際には明日にでも危機的状況が訪れるかも知れない。いや、現に、ちょっとした紛争国の死者の数より多い自殺者をだす日本は眼に映らない内戦状態に等しいのかも知れない、とさえ思う。活断層の上に建つ原発事故、首都直下型地震、突然変異で謎のウィルスが蔓延するかも知れない。みんな、明日起きても不思議ではない出来事だ。そして、オゾンホールや地球温暖化による環境異変も、我々の予測以上に深刻な状況なのかも知れない。しかし、身に切迫する事態に至るまでは大多数の日本人は、いや僕も、日常のささいな不満をブツクサとつぶやきながらも、太平楽の美しき日本がひっくり返ることなどあるまいと安心しきって、日々を過ごしていくのだろう。もちろん、誰もがいつ訪れるかもわからない恐怖に怯えながら暮らすより、その日がきたらその日、できたら自分の生きているあいだがやり過ごせればいいと、それまではのほほんと日々を過ごしていくわけだ。そんなわけで、目先の枯れ葉を追う犬コロのように、たいして毒にもクスリにもならない話題を書いたり、ちょっと気になる他人事に大げさに反応してみているわけだ。しかし、僕はそれでも何にも感じない生き方はしたくないと思っている。他人が、どんなばかばかしい出来事と思っても、自分で感じることごとにはこれからも反応してゆくことだろう。そんなんで、シャルドネさんの抱いている危機意識の、部分部分は感じながらも、僕は僕の近視眼的話題で、それでもときには悪夢にうなされながらも、この日記をつづけてゆこうと思うのであります。ああ、今はこんなこと書いているヒマないんだよね。ホント…。
2006.11.01
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