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親しい友人ということもあるが、まつり工房がかかわる太鼓演奏を聴くことが年に5、6回はある。しかし、何度聴いてもやはり入場料を払っての舞台は別格である。今回、「大太坊」の東京・浅草公演を聴きに出かけることにした。代表の北原永氏のはからいで、僕のところでやっている障害者就労支援施設「信州こころん」のメンバーを無料招待してくれるという。好意に甘えて、聴きに行きたいというメンバー6名と東京在住の文芸友だちを誘った。もちろん何から何まで甘えるつもりはない、僕は当日券3500円を買って会場に入った。タダ券で聴いたのでは、たとえ演奏ミスがあっても文句を言えないではないか。本気に聴くつもりであれば、正規の料金を払うべき、というのが僕の持論(しばしば緩むが…)。これは本などでも言える。よく著書を受贈されることがある。しかし、タダで貰った本というのは読んで感動した、良かったと思えたことは実に少ない。それなのに褒め言葉を連ねた礼状を書かなければならない。根が正直な(笑)僕にはそれはじつに辛い。だから、ものごとの魂に触れたかったら身銭を切るべきだ。(…と言いながら、何度もタダ聴きしているが…^^;)。と、回りくどい前口上になった。音楽音痴を自認する僕ではあるが、太鼓演奏についてだけは眼にも耳にもいささかの自信がある。プロ集団の演奏も含めて、40年以上聴いているから、年間5回と見積もっても200回以上は聴いていることになる。そして、「まつり工房」にも時折顔を出し、稽古場を覗くことがあるからその数はさらに加算される、といったら少しは信じてもらえるだろうか。「大太坊」は正確にはプロの太鼓チームではない。プロでないということは、プロ集団より落ちるかというと、それは違う。“演奏で飯を食っているわけではない”という意味でプロではないだけなのだ。現に、大太坊を指導する北原永(ひさし)は、和太鼓ファンなら知らぬ人のないプロチーム「鬼太鼓座」のスーパーバイザー(監督者、監修者)や日本太鼓協会の顧問としても招聘されている。北原は自分のことをあまり表に出したがらないのであえて書くが、友人としての彼は苦労人らしく、自分の信念に悖らないことであれば、何でも受けいれ許容してくれる懐の深さをもっている。僕も彼のお人好しぶりに人生の危機(?)に何度か助けられた。僕の行う催しには、小さなことでも二つ返事で出演してくれている。それは社会活動にもいえる。たとえば、昨年の3.11を受けての活動も会社ぐるみで行っているが、これまで20回、30回以上も被災地を訪れているのではないだろうか。被災地に支援物資をもって行くとともに若い社員をボランティア活動にあたらせる。現地の酒など物品を買ってきて振る舞う。昨年は演奏活動で得た資金400万円以上を義援金として出している。そのうえ、現地の太鼓チームには道具の提供や修理の支援もしている。賛助の演奏活動も何度となくこなしている。タレントなどの売名的な活動とは違って、彼はそういった活動をマスコミに流すこともしない。そして、今でもさまざまな形で続いている。この浅草公演を終えたその足で「大太坊」は会津若松の太鼓交流会に参加し、東北のチームを励ましに行っている、というように…。このように書いてくると、どこまでもお人好しの物好きな人物像が浮かぶことだろう。しかし、身近で見てきた実像の北原は実に実に非情な面ももっている。この非情さは、僕にはとても真似のできないことだが、学ぶべきことは多い。被災地でのボランティア活動も、彼にとっては舞台に必ず活かされるという確信があってやっているのだ。「大太坊」の浅草公演を観た友人も「心を振動させるものたち」として書いているが、生で観たものを感動させずにおかない魅力をもっているが、単なる演奏技術だけでは得られないさまざまな活動の下地があって、それらが成っている。「大太坊」のメンバーには太鼓演奏が上手で好きなだけでは入れない。その下に、野球でいえば二軍、三軍に相当するチームがあり、さらに下には彼が全国で指導している何十というチームの裾野があり、そこから彼の眼鏡にかなった打ち手が掬い上げられる。そして、大太坊の姉妹チームで鍛えられたなかから選抜される。技量が落ちれば、直ちにチームから除外される。少し技術があって、容姿がいいというだけでは絶対に大太坊には入れてもらえない。大太坊の理解者にも「(大太坊と姉妹チームで)今聞きたい演奏者は誰か」などというアンケートが回され、あまり評価が低いと容赦なく降格させられる。それでも彼の元には、保育士や看護士など堅気の仕事を捨ててまで、大学を卒業しても企業の就職活動をせず、一途に馳せてくる若者がいる。憧れて来たというだけでチームには入れない。練習でも常に実力が試されている。だから日頃の練習でも、気合いの入り方が違ってくるのは当然ということなのだ。それだけではない、そうやって出来ているチームにしても安穏とさせてはおかない。北原はこれまでに、「むげん隗」「大太」などのチームを育て、太鼓競技会などで輝かしい成績を残してきた。しかし、日本一になったチームであっても、マンネリ感などが漂いだすと惜しげもなく解散させ、新しいメンバーによるチームを再創造させてきた。外に出してしまったら惜しい、何とかして残せないかと思う打ち手をこれまでも何人も見てきた。当然ながらそうして出ざるを得なかった人で、自らチームを造って高レベルな活動している人もいる。しかし、北原が再結成させたチームはさらにそれらを超えてゆく。そのように、和太鼓演奏ということに対しては、北原は妥協を許さない非情さを貫いてきている。だから、大太坊の演技は良くてあたりまえなのだ。余談ながら付け加えておくが、和太鼓に向かうときの非情さで名だたる打ち手を切り捨ててきた北原だが、彼の工房でやる「工房まつり」などには、かつて彼の元で活躍した人々も顔を見せる。私生活では、人情家の北原に戻っているのだ(と思う)。ということで、「大太坊」浅草公演は2日間で1000人を超える観衆を集めて行われた。演技も、演出もすばらしい出来であった。なかには眼を潤ませて聴いている人を見かけた。客観的にみても、人々の胸に響く演奏・演技だったといっていいだろう。太鼓演奏だけでなく、それぞれが思い入れを込めて演奏のなかに採り入れた舞踏の要素も眼を楽しませてくれた。ことに中森道子の「祭まんだら」の中で見せた手踊りは一見地味だが、僕には出雲の阿国の遊女歌舞伎を彷彿とさせるものと感じた。これは津軽伝統芸能の手踊り"津軽あいや節" の取材から採り入れたものと聞いているが、中森は手踊りを身につけるために、何度も名人のもとに通って教えを請うたというエピソードを聞いている。僕は、念のために手踊り名人として有名だというプロ歌手の踊る映像を何度か見ているが、まったくそれに劣らない。むしろ、わがものとしている点では中森の手踊りが見応えがあった。というように、和太鼓だけでなく、随所に舞踏などの趣向を凝らして目一杯に時間を楽しませる工夫が行き渡っていた。しかし、くどいようだが、はるはる東京まで足を運んで身銭を切って入場したからには否が応でも厳しい視線で見なければならないと舞台を凝視した。北原自身がブログで「現状、精一杯の大太坊をお見せすることが出来ましたが、この瞬間からまた次の課題が満載です。私達は進化を続けます。」と書いているように、進化の余地を残したと思える部分も数ヵ所あった。ここで重箱の隅をつつくようなことを披瀝してもしかたがないので、北原本人と会ったときにでも伝えるつもりだが、それとて芸事・芸術に絶対などということがないように、たぶんに僕の趣向による独りよがりのものかも知れない。大太坊は、この年内に岩手やニュウジーランドなど幾つかの公演が予定されているが、ひとまずはお疲れさま素晴らしい舞台をありがとうと言いたい。
2012.09.25
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たびたびこのブログでも紹介している大太坊の浅草公演があり、ひさしぶりのおのぼりさんとして出かけてきた。当初は3名ほどで参加の予定であったが、代表の北原永氏の好意もあって、当事業所の利用者6名と東京で合流する1名を同行しての太鼓演奏に便乗したスカイツリーと浅草見物。ホントに田舎者だなーと思うでしょう。実は浅草見物は僕の遠謀深慮(というほどではないが…)が半分あった。もう40年近くも昔、浅草はぼくの良き遊び場。カメラを抱えてストリップ劇場などがある小さな小路を歩き回った。余談だが、ストリップ劇場といえばフランス座、そしてロック座。当時は舞踊中心の上品なストリップと幕間の爆笑コントを売り物にしていた。カメラマンにも理解があり、僕もあるカメラ雑誌の手引きで撮影に参加させてもらったことがある。コントを演じていた芸人たちは、例えば、渥美清、東八郎、萩本欽一、 坂上二郎、ビートたけしなどなど、いわゆる浅草芸人としていずれも大スターとなった。無名時代の井上ひさしも劇場座付き作者として、照明係など雑用をこなしながら、コント台本を担当していた。というように、浅草は庶民文化の混沌曼荼羅、ご存じ江戸の吉原からつづく猥雑な店や寄席や芝居小屋など芸能文化、浅草寺をとりまく商家からいかがわしい小店などが所狭しと軒をならべる伝統あるカウス都市。その浅草と墨田区を隔てる河が隅田川。そこから見る正面には新たな観光名所となったスカイツリーが新しい東京のシンボルとして燦然と屹立している。引率した彼らがそのスカイツリーに感嘆の声をあげているときに、僕はひたすら反対側のビルのくぼみなどを物色していた。土曜日の昼間にもかかわらず、いた。薄汚れた毛布にくるまりコンクリートの上に転がっている50歳ほどの男。その周辺には早朝にあさってきたであろう食品タッパーや缶詰、生活用品?が雑然と置かれている。そう、僕はホームレスの方と会いに行ったのだ。僕が関わる障害者のなかには、ほんのささいなイサカイでたちまちブチキレて自暴自棄状態に陥ってしまう者がいる(小さな島のとりあいで、何千何億という命を巻き込む戦争も厭わないという勇ましいレベルからすれば可愛いものだが…)。その彼らを教育するときの選択肢のたとえに、ホームレスとしての生活がある。しかし、片田舎にいるとホームレスという方々と出会える機会はほとんどない。そこで、ホームレスという状態を彼らに実感して貰うために、スカイツリーを餌に引率したという具合。浅草・隅田公園付近はよく知られたホームレスの方々が暮らしやすい名所となっていた。昨今は、東京都の福祉政策が向上したのか、追い立て政策が功を奏したのか、このへんで見かける数はめっきり少なくなったようだ。しかしそれでも筋金入り?^^;の方々がいる。できればお話でもできれば、そのまま信州でホームレスとしてのコーチ(笑)にお迎えしても、と思ったのだがガードは固かった。僕が近づき、語りかけようとしたらクルリと寝返り背を向けられてしまった。彼にとってカメラを抱え、得体の知れない(笑)連中を引き連れた僕は胡散臭いタイプだったのだろうか。ともあれ、利用者諸君にホームレス生活のひとつの姿を知ってもらうことができた。それを、惨めで辛い生活として見るのか、自由で解放的な生活と感じるのかは、それぞれの心持ちひとつだ。ということで、ひとつの目的を果たした僕は太鼓公演の行われる浅草公会堂へと向かった。途中で昼食を摂ったのだが、浅草界隈の食堂での物価の安さに驚いた。東京は恐るべきデフレのなかにいる。ということで、太鼓公演については後で書くとしてとりあえずここでお読みくだされ。
2012.09.23
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尖閣国有化に端を発した中国での「反日暴動」。ここぞとばかりに右傾化論者たちばかりか、一部の人たちが危機を煽っています。なかには「あるいは戦争もやむなし」などと危ないことを言う人まで…。小さな島だからどうでもよい、などとはいくらノーテンキの僕でも思ってはいません。しかし、戦争をしてまで取りあいをしなければならないなどというバカげたことも思いません。あくまでねばり強く政治的対応で対処してゆくべきです。日本としては、もっと目立たない方法で実効支配を深めてゆくということでしょう。ただ一歩離れて言うと、領有権という問題は、現在では一方の国の主張だけが絶対の正義ということはありません。たとえばパレスチナなど、一方的に占領され勝手に他国に隷属させられるような屈辱を味わっているわけです。だから、尖閣や竹島も“力”で…、というのはばかげたことです。ではどうしたらいいか。決定的な矛の収めかたなどありません。しかし、どの国のメンツも保ちつつ、どこも損をしないという方法になら近づけるはずです。どうしたらそれができるか、ということは為政者でない一庶民のぼくが語ってもせんないこと。少なくとも、冷静に相手の国の事情を分析して、冷静に対応してゆくことが結果的にどの国にとっても利益につながると思います。というときに、中国通の西端真矢さんという女性が、現在の「反日暴動」に走る中国事情を解説しています。とても冷静で、すぐれた文章なので、関心のある方は下をクリックしてぜひお読み下さい。中国・反日デモ暴徒化の背景と、日中関係の今後~~最も基礎から解説!
2012.09.21
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あるネット友ただちとのオフ会は「諏訪の花火見物」。男3人、女3人で落ち合ったホテル。そこから車で焼肉店に移動。ひたすら飲み食い、鋭気を養い、暗闇せまる湖畔へと移動した。ふつう男女が落ちあい、焼肉屋に行くということは、その男女はすでに“深い仲”であるというのが相場であるが、我々には残念ながら…、いや当然ながらそんなことはあり得ない。しかし、ここのSNSで出会ったばかりに命を落とした男もいるらしい。木嶋○○○という女の手料理に招かれたばかりに…。ということで、そんなこととは関係なく花火を堪能したのだが、その前座として湖上につくられた舞台で御諏訪太鼓の演奏が行われた。実はその前夜に伊那の高原でやはり花火と競演する「熱響太鼓まつり」が行われ、伊那地方の太鼓連たちの中身の濃い演奏を見たばかりだったので、その違いを興味深く聴くことができた。湖畔沿いの観覧席は少し肌寒いと思っていたら、その直後からパラパラと雨が降り出した。慌てて座席に敷いていたブルーシートにくるまり、花火のあがる時間を待った。互いのほのかな熱で暖め合い(?)ながら待つうちに湖上の島がキラキラ煌々とひかり、花火が始まった。するとそれまでの雨は嘘のように収まり、夜空につぎつぎと大きな華がひらき散ってはひらき…、まばゆい競演が始まった。花火はなぜか生死を思わせる。大きくひらき…やがて散ってゆく。網膜には少しの残像がのこるがやがてそれも消えてゆく。ぼんやりと花火を見つめながら、そういえば北野武の映画に「HANABI」というのがあったな、と思い出した。僕は映画は暴力シーンが多くてあまり好きになれないのだが、ハリウッド映画の描く暴力と北野映画の描く暴力には少し違いがある。ハリウッドばかりではなく日本の時代劇でも、たとえば主人公が銃で人が撃ったり殴ったりしても、そこに『痛み』はあまり感じさせられない。人が死んで、殴って痛くないはずがない。その点、北野映画は暴力シーンは多いが、その主人公も自らの暴力によって大いに傷つく。たしか「HANABI」の主人公も良心の呵責に耐えきれず、最後には自死で終わった(ような気がする)。そういった意味で、彼の映画は死んでも痛みを伴なわないハリウッド映画や、日本の時代劇などとは一線を画している、ともいえる。などと考えながら過ごしているうちに湖上水平線いっぱいに半円に大きな花火がふたつ並んで開いた。どうやらこれでお終いらしい。予想どおりといおうか、予想以上といおうか見事な花火を堪能して花火は終了した。その後は、ホテル近くの居酒屋で燃え残った者たちによる、乾杯の花火があがったのはいうまでもない。
2012.09.03
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