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sakaimo0629

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2004.04.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
岩崎弥太郎は一世の英雄であるが、この人は勝つことのみを知って、
時には負けることも必要であるといふことを知らなかった。或は知って
いたかも知れぬが、さうするより仕方のない性質であった。然るに
弥之助は、器量に於て或は弥太郎に及ばないであらうが、この人は時に
負けて置くことも亦、必要だといふことを知っていた。
(「弥之助の兵法」=『実業之日本』大正四年二月一五日号所収)

最悪の状況

明治18(1885)年2月7日、「三菱」の創業者である岩崎弥太郎は、
52年の生涯を閉じた。


弟=弥之助がいなければ、おそらく「三菱」は空中分裂を引き起こし、
瓦解していたに違いない。

なにしろ、弥太郎はタイミングとして、最悪の時に亡くなっていた。

良くも悪くも「三菱」は、この創業者のハングリー精神、負けじ魂を
バックボーンに、強引なまでの積極的なワンマン経営で、短期日に伸びた
会社であった。

思いかえせば明治維新を挟んで、弥太郎は苦難のスタートを切っていた。

土佐藩の不良債権の処理と抱き合わせるように、わずか二隻の汽船を
与えられ、それまでの商才を頻りに、日本の海運業に乗り出したわけ
だが、「三菱」の急成長は一面、多くの敵を作ることになった。

弥太郎は幕末、独立して商人となったものの失敗した経過があり、以来、

に取り入り、佐賀の乱、台湾出兵、さらには西南戦争において、「三菱」は
政府側の軍需輸送を一手に引き受ける方向を選んだ。

しかし、薩長閥並立の明治政府にあって、一方の長州閥は何かと大久保に
対して批判的であり、長州閥に近い「三井」は、当然のことのように
「三菱」を敵対視した。


汽船総トン数の73パーセントを「三菱」は占めるまでになったのだから。

これに加えて、鉱山経営や海運業の関連である為替・海上保険・倉庫業に
も食欲に進出。「三菱」=弥太郎は"政商"と非難されながらも飛躍的な
伸展を遂げた。

ところが、弥太郎にとって最大・最強の後ろ盾であった大久保が、
明治11年5月に紀尾井坂で暗殺されるという予想外の事件が起きる。

大久保を失った弥太郎は、そのどこまでも力強く、荒っぼい性格が嫌われ、
大久保の死後、合流した薩長2大藩閥と「三井」―――すなわち、
国家そのものを敵にまわすことになる。

「三菱」への、露骨な政府の干渉がはじまった。農商務省(ときの卿は
薩摩の西郷従道・大輔=次官は長州の品川弥二郎)は「三菱」の営業を
海上輸送にのみ限定し、商品の売買を禁止する命令書をつきつける。

そこへさらに、「三井」が渋沢栄一、大倉喜八郎をも引き込み、政府出資の
「共同運輸会社」の創設に出た。これは明らかに、「三菱」つぶしが目的と
しか考えられなかった。

弥太郎はこの国家による一私企業の弾圧という、未曽有の"喧嘩"を買う。
これは、この男にしか出来なかったに相違ない。

「三菱」の存亡を賭けた戦い=「共同運輸会社」との競争は、運賃の
ダンピング、輸送時間の短縮などの表舞台と、相互に相手の株を買い占める
という裏方―――双方で激烈な駆け引きが展開された。

旗色は、どうみても弥太郎に不利であった。相手が強すぎたといってよい。
この押されぎみの戦局で、弥太郎は死去したことになる。

この時、彼の長男久弥は21歳でしかなかった。

敵は「三井」であり、さらに背後には藩閥政府がひかえていた。とても、
21歳の若者に戦えるものではない。それは弥之助にしても同様、と
人々は思った。

弥太郎を「磊落豪放の偉人」と称えた土佐出身の政治家・谷干城は、
弥之助のことを「温厚篤実の君子」と称した。誰しもが、「三菱」の
降参を思ったはずだ。

2年9カ月に及んだ競争は、結果的に双方の質の低下を招き、速力を競う
ことから、衝突事故も起きはじめていた。もし、このまま競争がつづけば、
資金力に勝る共同運輸が勝つに決まっており、「三菱」は崩壊を余儀なく
されたであろう。

さて、後継者弥之助は、この苦境でいかなる決断を下したのか。

「ひとまず、負けるしかあるまい」

経営者として現状をみれば、誰でもこの不毛な戦いからは手をひきたい、
と考えたことだろう。が、ここで弥之助はそれを口にはできなかった。

「やめる」

と一言いえば、「三菱」は瞬時にして団結心を失ったであろう。
なぜならば、従業員の大半は、創業社長弥太郎の弔い合戦のつもりで、
日々、戦っていた。

かつて西郷従道に国賊扱いされた時、弥太郎は机を叩いて言ったものだ。

「よろしい、政府がここまで三菱を追いつめるならば、全汽船を遠州灘に
並べて、焼き払い、潔く、わが社を滅亡せしめよう」

創業間もない「三菱」は、良くも悪くも弥太郎イズムで団結していた。
弥太郎が没して11日後、「三菱」 の社長となった弥之助は、就任に
際して集まった従業員に、胸をはって言った。

「亡兄の遺志を継ぎ、今までどおり海運を拡張していく」

心底では負けるしかない、と思いながらも、無条件降伏はできなかった。

顔には憂いの色を決して浮かべず、独り負け戦の落とし所を考える作業。
この時の弥之助の心中は、さぞや悲惨であったろう。

負けて勝つ

この時、「三菱」は政府から借り入れた汽船の購入代金など、63万円
(今日の31億5000万円相当) の借金を抱えていた。

弥之助はまず、これを一気に返済し、「共同運輸会社」との戦いを継続する
ことを前提に、社長以下の「三菱」の高級取りの月給を、1割ないし3割
減俸する処置をとった。

「まだ三菱は、つづけるつもりか……」

人々にはそう思わせながら、その一方で秘かに、そして必死に和解の方法を
さぐり、政府内の土佐藩出身者に働きかけ、ついには両者の合併を画策する。

弥之助の妻・早苗の父は、もと土佐藩の参政・後藤象二郎であった。彼は
この頃、在野にあったが、その発言力は土佐閥に依然、通用していたようだ。

弥之助は降伏文書ともいうべき、上申書も書いた。


両社合併の御廟議御決定相成り侯上は、たとひ三菱の旗號は倒れ、内外人に
対する名誉上実に忍ぶべからざるの事情これあるとも、国家の大計と公議の
如何によりては、弥之助等此の事業に従事すると否やとを論ぜず、勉めて
政府の御趣意を貫徹せしめ候様仕るべく、決して頑陋執拗、私心を主張し
以て我が国海運の全体をして、瓦解に到らしめ候様の儀は仕る間敷候。


幾度かの折衝を内々に積み重ね、明治18年8月15日、共同運輸会社の
臨時株主総会は開かれ、大荒れとなったものの、両社はここに合併をみ、
「日本郵船会社」が設立された。

社長は旧共同運輸の社長・森岡昌純(もと兵庫県令、農商務少輔)が
横すべりし、「三菱」からは管事の荘田平五郎が理事の一人に入った。

荘田は慶応義塾を出たインテリで、明治8年に「三菱」へ入社した人物。
大学卒業者採用の第一号であった。荘田の妻・田鶴は弥太郎の妹の長女で
あり、その立場は「三菱」の重鎮といってよかったろう。


この合併、結果として三菱が敗けたのか、といえばそうではなかった。
三菱出資500万円、共同運輸出資600万円でスタートした合併であった
ものが、同18年12月には「三菱」からの移籍組の吉川泰二郎が日本郵船
の社長となり、吉川の後任には同じく移籍組の近藤廉平がつづき、その他の
重役陣、中堅社員も、確実に「三菱」移籍組が多数を占めることとなる。


夫れ共同、三菱合併の事あるに当りて、余輩は既に三菱の勝利たることを
述べたり。何となれば、共同の株券は殆ど三菱の掌握にありて、而して理事
及び其他の役員は株金を以て廃置するを得べきものなればなり。(中略)
されば現今に至りては、旧共同運輸会社六百万円の身代は全く三菱のものと
なり、恰も熨斗を付けて恵与せられたるが如くなり。嗚呼、往日此六百万円
の資本は三菱の勁敵なりき。然るに今や悉く其の有となれり。鳴呼、誰れか
当今の天下を以て意の如くならずと云ふや。
(田口卯吉の評論『東京経済雑誌』所収)


最終的には弥之助が勝った。彼はその勝利を移籍した旧社員をも含め
586名と分かち合う。日本郵船会社の株券1万2200株、及び
6万2600円を分配したのである。

「萄くも三菱社員の末に列する者は、皆相当の資産を貯へざるものなきに
至れり」
 (坪谷善四郎著『内外豪商列傳』)

だが、「三菱」の従業員515名、船員千名余、船舶の大半は新会社に移り、
それまで"海運三菱"の名をほしいままにしてきた「三菱」は、陸へあがった
カッパのようになってしまった。

ときに、弥之助は35歳。

彼は儲かった日本郵船の株に安住することなく、新たに「三菱社」を興し、
"陸の三菱"への、180度の企業転換を企てる。

この時、「三菱」に残っていたものは、吉岡鉱山と付属の銅山(岡山県)、
千川水道会社(東京)、高島炭坑(長崎県)、長崎造船所(長崎県)、
第百十九国立銀行(東京)という5つの事業であった。

弥之助はこれらをもとに、"再興三菱"すなわち三菱財閥を形成していくこと
になる。

次回、「“三菱”を財閥にした二代目---岩崎弥之助---下」に続きます
(日経ベンチャー2004年10月号より)





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最終更新日  2004.04.10 05:33:29
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Re:「“三菱”を財閥にした二代目---岩崎弥之助---上」1/2(全2回)(04/07)  
kengushi2000  さん
三菱のお話面白いですね。
スケール大きすぎて実感できませんが、、、
次回の日記が楽しみです。 (2004.04.09 20:48:48)

Re[1]:「“三菱”を財閥にした二代目---岩崎弥之助---上」1/2(全2回)(04/07)  
sakaimo0629  さん
kengushi2000さん
>三菱のお話面白いですね。
>スケール大きすぎて実感できませんが、、、
>次回の日記が楽しみです。
-----
kengushi2000さん
こんばんは。
書き込みありがとうございます。
今日の24:00までには、第2回を書きたいと思います。
楽しみにしてくれる人がいてくれて、張り合いがあります。
それでは後ほど。
(2004.04.09 21:40:58)

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