読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」 20
読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」 15
読書案内「BookCoverChallenge」2020・05 16
読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて 5
映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 5
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (81日目~90日目) コロナが蔓延し始めた2020年の5月に友達と始めた「ブックカヴァーチャレンジ」の備忘録です。当時、フェイスブック上とかで「7デイズ・7ブックカヴァーズ」というのが流行だったのですが、お調子者のわれわれは「100デイズ、100ブックカヴァーズ」に挑戦したのですが、コロナの流行が、何となく忘れられて、戦争とか、神戸や東北の震災とかと同じように、教科書の片隅に記載される歴史事象の一つであったかのような「空気」が蔓延し始めていて、その上、お正月早々、能登半島を大きな地震が襲い大勢の人が苦しんでいらっしゃる2024年の3月現在、ようやく97冊目にたどり着いて、ゴールを目前にしています。この投稿は2024年5月で、6年目に突入しましたが、まだゴールはしていません(笑)。 紹介してきた書物のライン・アップに、格別の意味があるわけではありませんが、ほぼ、6年にわたるコロナ社会の生活を映してきた鏡であったかもしれません。少なくとも、紹介に参加した5人のメンバーは確かに6年の歳月を生きてきたわけですし、できれば、その時間を忘れないための備忘録でもあるわけです。 それぞれの書名か表紙写真をクリックしていただければリンク先の記事にたどりつけると思います。no81(2022・02・10 K・S)フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」(高杉一郎訳・岩波書店)no82(2022・03・05 T・K)伊集院静「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」(講談社文庫)no83(2022・03・22 E・D)久住邦晴「奇跡の本屋を創りたい」(ミシマ社) no84(2022・04・08 T・S) 山下和美「天才柳澤教授の生活1~8」(講談社文庫)no85(2022・05・06・N・Y)なかにし礼「長崎ぶらぶら節」(文藝春秋)no86(2022・05・30・K・S)川端康成「雪国」(新潮文庫)no87(2022・06・30・T・K)ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引書 ルシア・ベルリン作品集」(岸本佐知子訳 講談社文庫)no88(2022・07・30・E・DE)チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(くぼたのぞみ訳 河出書房新社)no89(2023・08・31・T・S)嵐山光三郎「漂流怪人・きだみのる」(小学館文庫)no90(2022・10・28・N・Y)檀ふみ『父の縁側、私の書斎』(新潮社)追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.10
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (71日目~80日目) コロナが蔓延し始めた2020年の5月に友達と始めた「ブックカヴァーチャレンジ」の備忘録です。当時、フェイスブック上とかで「7デイズ・7ブックカヴァーズ」というのが流行だったのですが、お調子者のわれわれは「100デイズ、100ブックカヴァーズ」に挑戦したのですが、コロナの流行が、何となく忘れられて、戦争とか、神戸や東北の震災とかと同じように、教科書の片隅に記載される歴史事象の一つであったかのような「空気」が蔓延し始めていて、その上、お正月早々、能登半島を大きな地震が襲い大勢の人が苦しんでいらっしゃる2024年の3月現在、ようやく97冊目にたどり着いて、ゴールを目前にしています。 紹介してきた書物のライン・アップに、格別の意味があるわけではありませんが、ほぼ、5年にわたるコロナ社会の生活を映してきた鏡であったかもしれません。少なくとも、紹介に参加した5人のメンバーは確かに5年の歳月を生きてきたわけですし、できれば、その時間を忘れないための備忘録でもあるわけです。 それぞれの書名か表紙写真をクリックしていただければリンク先の記事にたどりつけると思います。no71(2021・06・21 N・Y) 馳星周「神の涙」(実業之日本社文庫)no72(2021・07・26 K・S) レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)no73(2021・08・14 T・K) 矢作俊彦『マンハッタン・オプⅠ・Ⅱ』角川文庫no74(2021・08・27 E・D)ジョセフィン・テイ『時の娘』小泉喜美子訳 早川書房no75(2021・09・04 T・S)田口俊樹「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」(本の雑誌社)no76(2021・09・21・N・Y)田中小実昌『ポロポロ』(中央公論社)no77(2021・10・21・T・K)川上弘美『神様』中央公論新社no78(2021・11・14・E・D)池内了『物理学と神』集英社新書no79(2021・12・21 T・S)幸田文「おとうと」(新潮文庫)no80(2022・01・12・N・Y)宮本常一「辺境を歩いた人々」(河出書房新社)追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.20
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (61日目~70日目) 下の一覧の書名か表紙写真をクリックしていただければ、元の掲載記事にたどり着けますので、よろしくお願いします。no61(2021・01・26 T・S)アゴタ・クリストフ「悪童日記」(早川書房)no62(2021・02・28 K・S)萩尾望都『ポーの一族』 小学館no63(2021・03・10 T・K)原作高森朝雄 ちばてつや『あしたのジョー』発行 日本テレビ 発売 読売新聞社 全11巻no64(2021・03・27 E・D)小林公二『アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ』講談社no65(2021・04・04 T・S)エーリヒ・ケストナー「飛ぶ教室」(新潮文庫)no66(2021・04・14 N・Y)兵庫県在日外国人教育研究協議会『高等学校における外国につながる生徒支援ハンドブック~すべての生徒が輝くために~』no67(2021・04・28 K・S)『USムービー・ホットサンド 2010年代アメリカ映画ガイド』(グッチーズ・フリースクール編:フィルムアート社)no68(2021・05・07 T・K)星野博美『のりたまと煙突』 (文春文庫)no69(2021・05・31 E・D) 庄野潤三『夕べの雲』(講談社文庫)no70(2021・06・07 T・S)色川武大「狂人日記」(福武文庫・講談社文芸文庫) 2020年5月に旧友3人組で始めて、開始早々5人組に増えて続けてきた100days 100bookcovers Challengeです。巷では、外出が思うようにできないコロナ騒ぎの中で「一週間で7冊」として流行っていたのを見て「100日で100冊」にしたら面白かろうという思いつきでしたが、60冊を超えたところで、1年、365日を越えてしまいました(笑)。 こうして備忘録にしないと、紹介した人自身が、何を紹介したのかわからない、忘れてしまった、という日数と冊数ですが、現在(2024年3月)98冊目に、ようやく到達して、一応ゴールが見えてきました(笑)。まあ、それにしても時がたつのは早いものです。大学生なら、入学して卒業してしまうまでかかっているのですから驚きです。 まあ、そういうことで、投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちでまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.07
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (51日目~60日目)no51(2020・11・18 T・S)山下洋輔「ドバラダ門」(新潮社)no52(2020・11・21 N・Y)樋口一葉『たけくらべ』川上未映子訳(「日本文学全集13」河出書房新社)no53(2020・11・28 K・S)鬼海弘雄『ぺるそな』(草思社)no54(2020・12・09 T・K)HARUTAKA NODERA(野寺治孝)『TOKYO BAY』発行トレヴィル・発売リブロポートno55(2020・12・18 E・D)写真・文 奈良原一高 文 塩野七生『ヴェネツィアの夜 奈良原一高写真集』岩波書店no56(2020・12・20 T・S)篠原勝之『骨風』文藝春秋社no57(2020・12・25 N・Y)辰巳芳子『あなたのために いのちを支えるスープ』(文化出版局)no58(2021・01・04 K・S)寺田寅彦『柿の種』岩波文庫no59(2021・01・15 T・K)村山斉『宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎』 幻冬舎新書no60(2021・01・23 E・D)アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』 福島正実訳 ハヤカワ文庫 今回は50日目から61日目の備忘録です。書名か本の写真をクリックしていただければ、掲載記事に行くと思います。 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (61日目~70日目)というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.02.16
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (41日目~50日目)no41(2020・09・21 T・S)大岡昇平「成城だより」(文藝春秋社)no42(2020・09・27 N・Y)大川 渉・平岡海人・宮前 栄『下町酒場巡礼』(四谷ラウンド)no43(2020・10・05 K・S)千野栄一『ビールと古本のプラハ』(白水Uブックス)no44(2020・10・14 T・K)池谷裕二『怖いくらい通じるカタカナ英語の法則』(講談社ブルーバックス)no45(2020・10・25 E・D)阿部公彦他『ことばの危機―大学入試改革・教育政策を問う』(集英社新書)no46(2020・10・27 T・S)田村隆一「田村隆一詩集」(現代詩文庫・思潮社)no47(2020・11・03 N・Y)水村美苗『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)no48(2020・11・04 K・S)エミリ・ブロンテ『嵐が丘』(上・下) (河島弘美訳 岩波文庫)no49 (2020・11・12 T・K)小池昌代『屋上への誘惑』 光文社文庫no50(2020・11・17 E・D)奈良少年刑務所詩集 『世界はもっと美しくなる』(編集 寮美千子 ロクリン社) 今回は41日目から50日目の備忘録です。書名か本の写真をクリックしていただければ、掲載記事に行くと思います。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2024.02.01
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (31日目~40日目)「備忘録」でまとめ始めました。2020年の7月から8月あたり、30冊から40冊、少しづつスピードが落ち始めていますが、コロナは頑張っていました。 それぞれの書名か表紙写真をクリックすると投稿記事にリンクしています。no31(2020・07・19 T・S) 山村修「狐が選んだ入門書」ちくま新書)no32(2020・07・25 N・Y)ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』(みすず書房)no33(2020・07・29 K・S)吉田秋生『BANANA FISH』(小学館・全19巻)no34(2020・08・06 T・K)吉本ばなな『キッチン』福武書店no35(2020・08・14 E・D)安田登『異界を旅する能―ワキという存在』 ちくま文庫no36(2020・08・17 T・S)水原紫苑「桜は本当に美しいのか」(平凡社新書)no37 (2020・08・22 N・Y)阪上史子「大竹から戦争が見える」(広島女性学研究所)no38(2020・08・31 K・S)津原泰水『蘆屋家の崩壊』(ちくま文庫)no39(2020・09・10 T・K)別役実「けものづくし 真説・動物学体系」(平凡社ライブラリー)no40(2020・09・16 E・D)出久根達郎 『謎の女 幽蘭 -古本屋「芳雅堂」の探索帳よりー』(筑摩書房) 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2024.01.22
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (21日目~30日目) コロナ騒動の最中2020年の6月から7月、no21からno30の進行です。このあたりは順調です(笑) 書名か、本の写真をクリックしていただくと投稿原稿にたどり着きます。no21(2020・06・20 T・S)五味太郎「ときどきの少年」(新潮文庫)no22(2020・06・22 N・Y) 本橋英正『注文の多い料理店』(源流社)no23(2020・06・24 K・S) 町田康『猫にかまけて』(講談社)no24(2020・06・27 T・KOBAYASI)藤原伊織『ダックスフントのワープ』(集英社/文春文庫)no25(2020・06・29 E・D)シリン・パタノタイ『ドラゴン・パール』(田村志津枝訳 講談社)no26(2020・06・30 T・S)彭見明(ポン・ジェンミン)「山の郵便配達」(集英社文庫)no27(2020・07・02 N・Y)『愛の手紙~文学者の様々な愛のかたち~』日本近代文学館編 (青土社)no28(2020・07・05 K・S)ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』(福島正実訳 ハヤカワ文庫)no29(2020・07・09 T・K)水野和夫・大澤真幸『資本主義という謎 』(NHK出版新書)no30(2020・07・14 E・D)松尾匡『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』(PHP新書)ニコラス・フィリップソン『アダム・スミスとその時代』(訳永井大輔 白水社 )戸部良一他『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(中公文庫)山本七平『「空気」の研究』(文春文庫) はい、no30は複数の本が出てきましたので、それぞれクリックしてみてくださいね。 また、100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目)はこちらからどうぞ。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2024.01.16
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (11日目~20日目) no11から新しい仲間が加わりました。DFGUTIさん・YAMAMOTOさんのお二人です。総勢5人です。5人で100冊ですから、一人20冊です。半年もあればゴールするだろうと思っていましたが、コロナ騒動の行くへと同じで、ままなりませんでしたね(笑)。 書名か表紙の写真をクリックしていただくとリンク先に飛ぶことができます。no11 (2020・06・26 E・DEGUTI)日高敏隆「チョウはなぜ飛ぶか」(朝日出版社)no12 (2020・05・28 T・S)宮崎駿「風の谷のナウシカ(全7巻)」(アニメージュコミックス)no13(2020・05・30 K・S)田中美穂『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫) no14 (2020・06・01 T・K) 堀江敏幸『雪沼とその周辺』(新潮社)no15(2020・06・04 E・D)須賀敦子『ミラノ霧の風景』全集第一巻 河出書房新社no16(2020・06・05 T・S)ルイージ・マレルバ 「スーパーでかぶた」(松籟社)no17(2020・06・08 N・YAMAMOTO) 新田次郎「孤愁 SAUDADEサウダーデ」(文藝春秋)no18 (2020・06・12 K・S)小泉八雲『怪談』(平川祐弘:訳/河出書房新社)no19(2020・06・16 T・K) 藤原新也『風のフリュート』+『ディングルの入江』(集英社)no20(2020・06・18 E・D)ロバート・ウェストール『海辺の王国』坂崎麻子訳 徳間書店 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目)はこちらをクリックしてください。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2024.01.13
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100days100bookcovers no94 94日目 大江健三郎「晩年様式集イン・レイト・スタイル」(講談社文庫) DEGUTIさんの93日目は関川夏央・谷口ジロー「坊ちゃんの時代-凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」(双葉社・全5冊)でした。 明治を舞台に描いた昭和の作家といえば、やはり司馬遼太郎ということになりますが、実在の人物を調べつくしたうえで、例えば「竜馬がゆく」(文春文庫)のように、自分好みのヒーローとして描き、壮大で、ひょっとしたらインチキな(?)司馬史観のメンバーとしてライン・アップした面白さが持ち味ということでしょうか。 司馬遼太郎の史実に対して、仮定法で挑んで唖然とさせてくれたのが山田風太郎ですね。まあ、ぼくの勝手な見立てですが、もしも少年塩原金之助が樋口夏という少女と会っていたらというような、夢のような舞台をしつらえたのが山田風太郎の奇想の天才性で、「幻燈辻馬車」(ちくま文庫)以来の開化ものには、そういう場面があふれていて面白いわけですね。 だというのが、このマンガとの、それぞれ、共通しているところといえるのではないでしょうか。 つまり、この「坊ちゃんの時代」では、関川夏生が、司馬遼太郎的史実性を調べ尽くしたうえで、あるかもしれない場面を仮想し、そこに登場する人物たちに、谷口ジローが、いかにもリアルな表情を与えることで、ウソの壁を悠々と乗り越えて、山田風太郎的な奇想の世界をさもあった世界としてマンガ化した傑作といっていいのではないかと思うのですが、問題はバトンですね。(笑) つけ筋は「ウソとマコト」、あるいは「文豪」ということで、何とかご容赦いただきたいのですが、紹介するのは大江健三郎「晩年様式集イン・レイト・スタイル」(講談社文庫)です。 まあ、94日目です。あと2回、「今回はちょっと大物を!」と思っていたら、なんと、亡くなってしまうという事件(?)もあって、4月7日にバトンを受け取った時から決めていたようなものです。 実は、昨年の秋、偶然、手に取った「大江健三郎自選短篇」(岩波文庫)で「奇妙な仕事」から「飼育」という始まりの作品を読んだことで、ぼくにとっては40数年ぶりの大江ブームに火がついていまして、「雨の木を聴く女たち」(新潮文庫)、「新しい人よ眼ざめよ」(講談社文庫)、「河馬に嚙まれる」(講談社文庫)と、ヤメラレナイ、トマラナイ状態で、「静かな生活」(講談社)を読んでいる最中に彼の死が報じられるという事件がありました。 で、これまた、偶然ですが、4月のはじめに、4年ぶりの帰省の機会がありました。実家の本棚には、その昔、読み捨てるようにして送っていた「懐かしい年への手紙」(講談社)以降の大作単行本群が並んでいました。まあ、それが用事での帰省なのですが、片付けを促されている棚を眺めながら「死んじゃったんだから読みなおそうか。」 という気分になってしまったんですね。仕方がないので担いで電車に乗って帰って来て、「懐かしい年への手紙」(講談社)を読み始めたところにDEGUTIさんからのバトンでした。 で、100days100bookcoversでの紹介はどれにしようか迷ったのですが、「晩年様式集イン・レイト・スタイル」(講談社文庫)です。結果的に昭和、平成の文豪(この言い方あんまり似合わないけど)大江健三郎の最後の作品になった小説です。 もし、もう一度読んでみようかとお考えの方がいらっしゃるなら、今度はお終いから始めてみませんかというような気分の紹介です。初めての方には、少し難渋かもしれませんが、後期の大江得意の自作引用が山盛りなので、過去の作品についての興味を促す、呼び水的な働きも期待できるかなとも思いました。 題名が「オリエンタリズム」(平凡ライヴラリー)で有名なエドワード・サイードの遺作「On Late Style晩年のスタイル」(岩波書店)に由来していることは、大江自身が本書の中で繰り返し語っています。大江独特のディレッタンティズムが題名からも匂ってきて、めんどくさいのですが、内容は、案外、素直でした。 2013年の発表当時、78歳であった作家自身も自らの遺作としてこの作品を考えていたのだろうか、というのが読み始めたボクの疑問でしたが、実際に遺作となった「最後の仕事」なのですが新しい工夫(まあ、いつものことながら、これは少しめんどくさいのですが)に満ちた傑作だとボクは思いました。目次前口上として 9余震の続くなかで 12三人の女たちによる別の話(一) 22空の怪物が降りて来る 34三人の女たちによる別の話(二) 47アサが動き始める 57三人の女たちによる別の話(三) 88サンチョ・パンサの灰毛驢馬 97三人の女たちによる別の話(四) 114カタストロフィー委員会 121死んだ者らの影が色濃くなる 151「三人の女たち」がもう時はないと言い始める 174溺死者を出したプレイ・チキン 190魂たちの集まりに自殺者は加われるか? 219五十年ぶりの「森のフシギ」の音楽 258私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。310 どう紹介していいのかわからないので、とりあえず目次を載せてみました。それぞれの章の題名の後ろの数字はページ数ですが、たとえば第2章から繰り返し出ている「三人の女たち」というのは、ここまで大江の作品に繰り返し登場した「アサ」、「千樫」、「真木」で、アサは妹、千樫は妻、真木は娘です。この作品の特徴の一つは、その三人が、それぞれ、自らの言葉と文体で、自分たちが登場させられてきた作家の作品のウソを暴くという構成です。 二つ目の特徴は、一つ目の方法をとる限り当然の成り行きなのですが、作家の旧作が次々と引用され、参照されることです。その結果、たとえば、ギー兄さんと名付けられて彼の過去の作品では重要な役柄を担った人物の謎解きとか、「空の怪物アグイー」(新潮文庫)で登場した「アグイー」という怪物と、本書では「アカリ」と名付けられている長男との関係のリアルな描写とか、大江健三郎の小説世界の謎解きのようなエピソードが新しい語り手によって語られ、新たな物語が進行します。 後期の代表作が執筆された1990年当時の流行言葉に「脱構築」という哲学用語がありますが、この作品では作家大江健三郎が自ら作り出したウソの物語世界を「脱構築」しているかに見えるスリリングな展開なのですが、「個人的な体験」(新潮文庫)あたりから大江をとらえ続けてきたのは「死」への不安、あるいは「生」への懐疑という主題ではないかと、まあ、ボクは勝手に疑ってきたわけですが、それを「生き直し」の可能性という超積極的な主題へと一気に宙返りさせる結末へ、いかにつなげていくのかという真摯なあがきこそが、この作品のすごさといっていいと思います。 「この項つづく」とうそぶきながら、書き続けてきて後期高齢者の年齢に踏みこんだ作家の「最後の仕事」のテーマが「生き直し」だという驚きもさることながら、「私」ではなくて「私たち」という主語で語って見せる、まさに、戦後民主主義者の祈り を輝かせようとする、時代にあらがう力技に驚きをこえた何かに胸打たれるの、ボクの年齢のせいなのでしょうか。 とか、なんとか、なんだかわけのわからないことを書き連ねています、まあ、とりあえず印象に残ったところを抜き出してみますね。 パパはずっと以前、私に翻訳とペーパーバックの原書を合わせて「トムは真夜中の庭で」をくれた時、「もう時間がない」“Time no longer” という言葉を覚えておくようにと、いった。それから幾年もたって、この前行ったのと同じ意味でエリオットの一句も大切なんだ、やはり二つの組み合わせで覚えるといい、といった。「時間です どうぞお早くねがいます」“Hurry up please it`s time”と書いたカードを渡して…(P179) 「三人の女たちがもう時はないと言い始める」という章にある真木のセリフです。小説上では父親の圧制をやり返す罵声を発する 娘の発言の、かなり長いエピソードの一節として書かれているのですが、ボクの引用の理由は、ここに出てくるのが、このブックカバーチャレンジの81日目、SODEOKAさんによって紹介されたあの本だということです。どうです、ちょっと気になりませんか? 続けてもう一つ引用です。「いつも長江さんはチガウ言葉でいいます。私のいうことは、全然聞きません。そして私のいったのとチガウ言葉でいいます。それが、全然ダメです。真木ちゃんも、ママもそういっております。」 この小説ではアカリと名付けられている長男の言葉です。「個人的な体験」以来、大江作品の主題を担う人物として、登場し続けてきた長男はこの時50歳です。その長男が「長江さん」と呼びかけています。うまく言えませんが、決定的な発言が書き込まれている印象です。 というわけで、平成のノーベル文学賞作家の「最後の仕事」は、どんな結末を迎えるのか、ちょっと気になりませんか? 本書の最終章には、「詩」を断念したはずの作家の、100行を超える詩が記されています。第1連の冒頭と最終の2連を引用します。生まれてくること自体の暴力を乗り超えた、小さなものはまだ見えない目を 固くつむっている。初孫に 自分の似姿を見て近づける 顔の気配に、小さなものは泣き始める・・・・(中略)否定性の確立とは、なまなかな希望に対してはもとより、いかなる絶望にも同調せぬことだ・・・・ここにいる一歳の、無垢なるものは、すべてにおいて 新しく盛んに手探りしている私の中で母親の言葉が、はじめて 謎でなくなる。小さなものらに 老人は答えたい、私は生き直すことができない。しかし私たちは生き直すことができる。 これが、大江自身が小説の結末として残していった、彼の全作品の最後の言葉 です。できれば、それぞれの方が、それぞれ、手に取って確かめていただければいいなと思います。 それではYAMAMOTOさん、95日目よろしくね。SIMAKUMA・2023・04・23追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.01.10
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) 2020年の春にフェイスブックで始めたブックカバー・チャレンジ、100日で100冊の備忘録です。書名か本の写真をクリックしていたでれば記事が読めると思います。日付はフェイスブックに投稿した日です。no1 2020・05・11 (T・KOBAYASI)星野道夫「イニュニック アラスカの原野を旅する」(新潮社)no2 2020・05・12(T・SHIMADA) ロジェ・フリゾン=ロッシュ「結ばれたロープ」(石川美子訳:みすず書房)no3 2020・05・13 (K・SODEOKA)グレッグ・ジラード、イアン・ランボット『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々』(イースト・プレス)no4 2020・05・14(T・K)村上春樹「中国行きのスローボート」(中央公論社・中公文庫)no5 2010・05・15(T・S)レイモンド・カーヴァ―「頼むから静かにしてくれ」(中央公論社)no6 2020・05・16(K・S)ローレンス・ブロック「八百万の死にざま」(田口俊樹訳:ハヤカワ文庫)no7 2020・05・18 (T・K)ポール・オースター「幽霊たち」(訳:柴田元幸 新潮社)no8 2020・05・19 (T・S)いとうせいこう「想像ラジオ」(河出書房新社)no9 2020・05・22 (K・S)奥泉光『モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』(文春文庫)no10 2020・05・24(T・K)北村薫 『夜の蝉』(創元推理文庫) 以上で、始まりの10冊です。日付を見ていただくとわかりますが、2020年の5月11日(月)に始めて、5月24日(日)に10冊目です。快調ですね(笑)。で、いつまでこの会長が続くのでしょうね。 まあ、そのあたりが面白さなのですね。また覗いてくださいね。次は11冊から20冊ですよ。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2023.12.31
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100days100bookcovers no93 93日目関川夏央・谷口ジロー「坊ちゃんの時代-凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」(双葉社・全5冊) KOBAYASIさんの小田嶋隆の追悼レビューがアップされたとき、ちょっとびっくりしてしまいました。私もたまたま彼の著作を3冊、図書館で借りていたんです。実はその前のSODEOKAさんの『アイヌの世界に生きる』のときにも、偶然、石村博子著『ピリカ・チカッポ(美しい鳥)―知里幸恵と「アイヌ神謡集」』を読みかけていたこともあって、アップされる本と同じような本を手にしているという偶然が続いたことにまた驚いてしまいました。ただ、手元にあった本はほとんど読み終えないうちに図書館の返却期限がきてしまい、感想をあらためてコメントさせてもらおうと思っていたのに、できないままこんなに時間が経ってしまいました。すみません。 遅れに遅れた言い訳です。このところの体力不足対策にはウォーキングしかないかと、せっせと歩いているのですが、そのせいで毎日クタクタで、本を開いても5行も読まないうちに居眠りタイムになっています。 その上、この3月で仕事が終わって、職場から私物を引き上げてきたため、ますます散らかってしまった家の中の片付けもあって、このブックレビューに手を付けられずにいました。 小田嶋隆をKOBATASIさんが「異端」と評されたのを読んで、「異端といえばこれ」と思う好きな本があってぜひ紹介したいのですが、その本を再読しようと思っているだけで、やはり読めないまま、時が経ってしまいました。言い訳以上。 早くとりかからないと思いつつ机まわりだけでも片付けていたら、しまい込んでいた本に偶然行き当たりました。で、今回は偶然が重なって、「偶然出てきた本」と、かなり苦しい付け方にします。久しぶりに出てきた大事な本です。 関川夏央・谷口ジロー『坊ちゃんの時代-凛冽たり近代 なお生彩あり明治人』(双葉社) この漫画は有名で、このブックレビューの中でも何度か話題にも上がったのではないでしょうか。詳しくご存じだったり、敬愛されている方も多いと思い、何を今さらと思われれるかと、おそるおそる書いていくことにします。 この漫画を買ったのは、8年ほど前かと思います。同僚が持っていた文庫版を借りたのですが、これはしょっちゅう見たい、自分で持っとかなきゃと、アマゾンで即買いです。 Wikipediaによると、「1987年から1996年まで漫画アクション(双葉社)で連載され」、「第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞」を受賞していたらしいです。今回調べながら書いてみます。 全5巻、その構成(所持本の発行日付) 第一部 「坊ちゃん」の時代 1987年7月9日第1刷発行 1984年4月17日 第12刷発行・漱石の著作『坊ちゃん』の登場人物のモデルとなるような人物やできごとの実話を元にしたとする内容。第二部 秋の舞姫 1989年10月28日第1刷発行 1992年10月10日第4刷発行・森鴎外の『舞姫』を下敷きに、来日したエリスと長谷川辰之助(二葉亭四迷)が交流する。『普請中』など、鴎外の他の作品も取り入れている。第三部 かの蒼空(あをぞら)に 1992年1月12日第1刷発行 1997年10月22日第5刷発行・石川啄木の生涯第四部 明治流星群 1995年5月26日第1刷発行 1998年9月7日第7刷発行・大逆事件と称される事象とその後の処刑弾圧第五部 不機嫌亭漱石 1997年8月28日 1998年7月24日第5刷発行・漱石の修善寺の大患と生死の境を越えた夢 関川夏央といえば、『ソウルの練習問題』は、絶対読んどかなきゃというくらい有名になったので、当時、入手はしたのですが、まだ読まないままで、あきらめて、かなり以前に処分してしまいました。ほとんど読んだことがないと思っていたけれど、こんな形で出会っていたのかと今さら思いました。 『「坊ちゃん」の時代』を読んでて、司馬遼太郎を思い出すと思ったら、『司馬遼太郎の「かたち」』、『二葉亭四迷の明治四十一年』という著作で司馬遼太郎賞を受賞したらしい。 谷口 ジロー(男性、1947年8月14日 – 2017年2月11日)もとても高名な漫画家だが、日本以上に海外、特にフランスでの評価が高いとのこと。関川夏央ら漫画原作者と組み、青年向け漫画においてハードボイルドや動物もの、冒険、格闘、文芸、SFと多彩な分野の作品を手がける。TVでおなじみの『孤独のグルメ』の原作漫画もこの人だったんだあ。 第一部の関川夏央の「わたしたちは いかにして 『坊ちゃんの時代』を 創作することになったのか」より引用します。 「わたしはつねづね「坊ちゃん」ほど哀しい小説はないと考えていた。この作品が映像化されるとき、なぜこっけい味を主調に演出されるのか理解に苦しんでした。そしてそれらの作品はことごとくわたしの期待を裏切って娯楽とはいいがたかった。同時に、明治がおだやかで抒情的な時代であるという通俗的でとおりいっぺんな解釈にもうんざりしていた。 明治は激動の時代であった。明治人は現代人よりもある意味では多忙であったはずだ。明治末期に日本では近代の感性が形成され、それはいくつかの激震を経ても現代人のなかに抜きがたく残っている。われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。つまりわれわれはほとんど(その本質的な部分では少しも)新しくない。それを知らないのはただ不勉強のゆえである、というのがわたしの考えであり、見通しであった。また、ナショナリズム、徳目、人品、「恥を知る」など、本来日本文化の核心をなしていたはずの言葉を惜しみ、それらがまだ機能していた時代を描き出したいという強い欲望にもかられた。 そこでわたしは「坊ちゃん」を素材として選び、それがどのように発想され、構築され、制作されたかを虚構の土台として、国家と個人の目的が急速に乖離しはじめた明治末年を、そして悩みつつも毅然たる明治人を描こうと試みた。」 以上、引用です。 感想をおもいついたまま書いてみます。第一部の作り方が一番凝っているような気がする。漱石の周りの虚実ないまぜのできごとが『坊ちゃん』を構想させたようなつくりです。「堀紫郎」というの人物(青森斗南出身だが、親の代までは会津らしい)がラフカディオ・ハーンと知り合いで、漱石にハーン先生の話をするところもいいなあ。 二葉亭四迷の描き方も気にいりました。周囲が懸念するのにも関わらず、なぜかロシアに旅立ち、過酷な状況で体調を悪化させて帰国する船で亡くなった人。仕事とはいえ、なぜそこまで無理を押して渡露したのか。ここは、西木正明の『間諜二葉亭四迷』を思い浮かべた。 鴎外を追って渡日したエリーゼ・ヴィ―ゲルトと二葉亭四迷を絡ませた刃傷沙汰も愉快。 大逆事件と称される事象とその後の経緯は事件が事件だけに、ちょっと筆が進んでいないように思えた。私は個人的には以前から特に大石誠之助氏のことが気になっていたので、彼のことにも触れてはいるがもう少し欲しかった。 最後の第五部で、漱石が此岸と彼岸のよくわからない夢を見続けるが、ここは絵という漫画の強みがとても生きていると思った。 ほかに気になったのが、鳥、猫、犬がいい案配に描かれていること。煮詰まった時や、言葉にならない気持ちやらが伝わるような気がする。漱石に猫はまあ当然だけど、鴎外は犬、そういえば、樋口一葉が貧乏で飼えなくなったからと、二葉亭四迷に犬を譲るという場面もうまくはめたなあと思ったところ。 漱石以外の人物の周りは犬ばかりだったような。あとで、また確かめないと。でも、鴎外は猫を寄せ付けないような気がするのは私だけかしら。 とりとめなく思いついたままのブックレビューで、作品には申し訳ありませんが、これで終わります。関川夏央も谷口ジローもSIMAKUMAさんはすいぶん読まれているかと思います。どうかこのあとよろしくお願いいたします。E・DEGUTI・2023・04・07追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.12.27
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100days100bookcovers no92 92日目 小田嶋隆 その2 『災間の唄』小田嶋隆=著 武田砂鉄=撰 出版 (サイゾー CYZO) この書物、小田嶋隆が2011年6月から2020年8月までのtwitterにおけるツイートを掲載したもの。 [撰]となっているのは、文字通り、10年分の小田嶋隆のツイートから本書に掲載するツイートを選んだのが本人ではなく、武田砂鉄だということだ。ちなみに武田砂鉄も、小田嶋隆と同じようなコラムニストというかフリーライターである。 どうして本人が選ばなかったのかは、武田砂鉄の「序文」でも巻末に掲載された武田による小田嶋へのオンラインインタビューでも触れられていない。他者の目を通したほうが妙味があるという判断もあったのだろうが、体調のすぐれない小田嶋の事情もあったのではないかと思う。 そして巻末の小田嶋の「あとがき」にもあるように、これがおもしろいのだ、ほんとうに。往時から時間が経っていても。 ただ、万人向けではない。癖もあれば個性もある。それはむろんこの書物に限らない。コラムニストで万人向きということは、ふつうないだろうけれど。 各年毎に、その年に起きた「主な出来事」、その中からピックアップされた出来事やそれに対する小田嶋隆のツイートについての武田砂鉄の「解説」、最後に日付を付けた小田嶋隆のツイート、という構成で1セット。年によってページ数にはいくぶんばらつきはあるが、これが10年分繰り返されるのが本編。本編以外には、武田砂鉄の序文、先に触れたオンラインインタビュー、そして小田嶋隆のあとがき。 ちなみに「災間」の含意は説明不要だろうが、念のため。表立っては、2011年の東日本大震災と2020年の新型コロナウイルス感染症の蔓延に挟まれた期間、さらにいえばそこに含まれる、2012年から2020年まで続いた安倍内閣も、言ってみれば十分に「災難」だろう。小田嶋のツイートも安倍内閣に関するものが少なくない。 では、小田嶋のツイートをいくつか紹介してみる。とりあえず、最初の2年と最後の2年の4年から選んでみる。「/」の箇所は書籍ではツイッターのマークが付されていて、たぶん「文脈」の切れ目ぐらいの意味だろうが、実際のところは不明。2011年6.15 モラリストを自認する人々が政治に期待することは、「自分がどうありたいか」ではなくて、「隣人にどうあってほしいか」だったりする。彼らはそれが、「余計なお世話」だということを、決して理解しない。 7.10 「お花畑」という言葉をやたらと使いたがるのは、長いものに巻かれながら大人ぶっている人たちなのだろうな。/アタマの中にお花畑がある人を嘲笑する人のアタマの中にはたぶん肥溜めがある。/アタマの中に肥溜めを持つ者は、肥料がないと作物は育たないと思っている。が、そもそも花が咲かないと実はできない。/実を結ばない花の存在(つまり蜂を呼び寄せるに足る花の集合)が、実を結ぶ花の営為を支えている。8.12. レッドテールキャットフィッシュは、口に入り切らない獲物を丸呑みにしようとして窒息して死ぬことがあるということをディスカバリーチャンネルで学んだ。すべての生き物がいつも賢いわけではない。そう思うと生きる意欲がわいてくる。8.15. 「終戦の日」という言い方には、「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」のニュアンスがありますね。9.18 自慢と愚痴は控えて、非難や攻撃は自粛して、ほのめかしやひけらかしは抑制しようと決意したらつぶやくことはひとつもなくなってしまった。なので、全部解禁。ちなみにこれは愚痴気味の非難を含んだひけらかし。2012年2.11 放射能の恐怖について「被害の実態を科学的に伝えていない情報発信は控えるべきだ」という意見は一見もっともに見える。が、恐怖の核心は「よくわからない」ところにある。被害の実態も、科学的に確定するには数十年かかる。と、彼らの主張は事実上「50年黙ってろ」という話になる。2.14 新聞や雑誌の人たちは時々「ほら、ハンマー貸してやるからあいつの後頭部叩いて来いよ」みたいな仕事を寄越しますね。人権感覚が麻痺してるんだと思います。4.24 情報の受け手がメディアリテラシーを身に付けるべきであることは当然ですが、情報の送り手がこの言葉を強調するのは筋違いです。説教強盗ですよ。「あんたの戸締りが甘いから泥棒にはいられるんだ」って、泥棒に言われるのは心外です。5.22 ツイッターの間違った使い方を百個並べることはできるが、それを見たからといって正しい使い方がわかるわけではない。/ツイッターにうんざりするということは、人間にうんざりしていることで、つまりこの世界にうんざりしたということでもある。でも、そう思うとあの人たちの思うツボだからそう思わないことにしようと思う。/「オレはあんたを無視してるぞ」ということを伝えるための、単なる無言とは別次元の、より強力なメッセージを孕んだ言葉が案出されなければならない。8.19 重要だからこそ放置せねばならない問題がある。たとえば虫さされがそれだ。痒いからといって掻けばよけいに痒くなるし、掻き壊すと大事になる。ムヒを塗って無視。領土問題も同じだよ。9.11 民主党による政権交代がもたらした最大の悲劇は、マニフェストが反古にされたことでも、政治家が官僚にねじふせられたことでもなく、自民党がネトウヨ野党に変貌したことです。10.17 ながいあいだ、自分は「やればできる男」だと思っていたのだが、最近になって気づいたのは、オレはどちらかといえば「できればやる男」だったということです。関係者のみなさん。おわびしますすんません。10.30 実生活でもネット上でも、われわれは思っていることの半分しか言葉にできないわけだが、別の見方をすれば、言えない半分を背負っているからこそ、言葉は重さを持っている。そういう意味で、言いたいことを全部言えてしまう環境の中から発せられる匿名の言葉を、私は、本当の言葉だと思わない。/口から外に出る言葉よりも、口に出せずにのみこんでしまった言葉の方がずっと切実だってことだよ。オレの未遂ツイートがどれほど豊穣であるのかについては、死後、誰かが発掘したうえで検証してくれ。たのむ。11.6 教育機関に課されている大切な役割のひとつに、子供を子供らしく過ごさせるということがあると思います。子供を改変可能な資源ないしは投資先であると考える無慈悲な人々の手から、子供たちの子供時代を防衛できるのは、実は学校だけだったりしますから。12.1 若い頃は、自分がおっさんになる頃には、お歳暮みたいな退嬰的な習慣は消滅すると思っていた。で、実際に50歳を超えてみると、同世代の多くが「義理を欠かない→気が利く→空気が読める→行く届いた」人間を目指していたりする。この国はあと二千年はかわらないだろうね。12.2 感謝と賞賛以外のツイートはしない決意を固めたんだけど、考えてみたら二つとも大嫌いだった。ってことは、ツイートするほどどんどん世間が狭くなるわけだけどこんなことでいいのかオレ。12.10 安倍さんのテレビCM見た。滑舌の悪さに驚愕。「日本を取り乱す」に聞こえるのは私が取り乱しているからなのか。それとも安倍さんが取り乱し気味だからなのか。それにしてもあれでOKを出した撮影監督は大丈夫な人間なんだろうか。12.28 若いヤツがシニシズムを振り回しているのを見ると微妙にイライラする。かといって、やたらと前向きな若者もそれはそれで腹が立つ。もしかして私は若い人たち全般が嫌いなのかもしれません。なんということでしょうか。2019年1.13 平成という時代は、結局のところ「笑いのわからないヤツ」だと思われることを誰もが死ぬほど恐れているどうにも不愉快な時代だった。オレは仏頂面のまま、まるで笑うことなくこの時代の終わりを迎えようと思っている。4.9 で、「視野の左上が見えないぞ」とつぶやいたところ、「すぐに検査を」「急いで病院へ」というありがたいアドバイスをいくつかいただいて、おかげで、脳梗塞を早期発見することができた。ツイッターと、素晴らしいフォロワーの皆さんと、クソリプに救われた一日だった。5.1 自身の賛否とは別に「皆が祝っていること」や「多数派が支持する決まり事」に逆らうことは、現状では常識外の逸脱と見なされる。私個人は、窮屈さを感じている。が、この社会で生まれ育った若い人たちは、逸脱者が登場しにくいこのレギュレーションを歓迎しているのかもそれない。/そういう意味では「場の空気をかき乱さないこと」を絶対の徳目とする人々が多数を占めたことが、平成という時代の一番の特徴だったのだと思う。令和の社会がどんなふうに展開することになるかはまだわからない。ただ、個人的には、平成の空気がよろ先鋭化する気がしている。5.11 結果には必ず原因があるはずだという因果律の考え方と自己責任論が結びつくと、病人には逃げ場がなくなる。「世界を動かしているものはなんだろう?」と問われた時、「偶然だよ」と答えた20歳の時のオレは賢かった。神がいないのであれば、偶然が腕をふるわなければならない。5.27 なんというのか「オレはすごいんだぞ」というセリフを聞かされて、「なるほどあの人はすごいんんだな」と思う日本人の比率が増えている。判断や評価の基準よりは、マナーの問題なのだろうな。6.2 様々な側面から総合的に判断して、日本のおばあさんたちは、日本のおじいさんたちに比べて10倍は上品だと思う。あるいはうちの國の社会には、男性が下品にふるまうことにインセンティブを与える何かが介在しているのかもしれない。6.11 この5年ほどの間に「政治的」という言葉は、もっぱら「反政府的」という意味でのみ使用され、解釈され、警戒され、忌避されるようになった。政権に対して親和的な態度は「政治的」とは見なされず、単に「公共的」な態度として扱われている。なんとも薄気味の悪い時代になったものだ。7.19 投票日が近づくと「いつになく真面目」なツイートをする人が増えるわけだが、問題は、それ以上に「なんでそんなに必死なんすか?」てな調子で「真剣な発言を嘲笑する」ツイートが多投されることだ。この30年ほど、うちの国を衰退にむかわせたのは、この「真面目さを笑う態度」だったと思っている。7.23 投票に行ったからといって、すぐに世の中が変わるわけじゃないというのは、たぶんおっしゃる通りだ。とはいえ、投票に行くことで、少なくとも、投票に行った人間の気持ちは変わる。ということはつまり、投票によって気持ちが入れ替わる人間が増えれば、世の中だって、多少は変わるんではなかろうか。8.3 他者の尊厳を踏みにじった歴史に直面することが、自国民の尊厳を踏みにじると考える人たちの自尊心は、他者の尊厳を踏みにじることによってしか防衛できない何かなんだろうか。/「アートに政治を持ち込むな」とか「音楽に政治を持ち込むな」てなことを言ってる人たちに言いたいのは、持ち込むとか持ち込まない以前に、あらゆる表現は、余儀なく政治的だということです。だって、人間が自由でありたいと願うこと自体が、すでにして政治的なわけだし。/自由が制限されている国家において「自由」は政治的な言葉になるし、「表現」が抑圧されている場所では、「表現」という行為そのものが政治的な意味を獲得せざるを得ない。/ということはつまり「音楽やアートの政治を持ち込むな」てなことを言っている人たちの真意は「オレたちの政治的主張にそぐわないアートや音楽は全力で弾圧するぞ」ということに過ぎないわけだよね。8.3 政治家は、選挙で選ばれたことを理由に批判を回避できるのではありません。むしろ選挙で選ばれているからこそ、批判に対して責任を負わなければなりません。8.4 挑戦したことでつまづいた人間に対して、挑むことすらしなかった人間が、つまづいたことの責任を問うている姿を傍観しながら、とてもいやな気持ちになっている。/表現の自由は、失敗した表現にかかわった人間を遠巻きに囲む群衆が嘲笑するその笑い声の中で、少しずつ失われて行くものなのだろうな。/「抗議と脅迫と非難と罵声でボロボロにされる覚悟をあらかじめ固めている人間だけが、自由な表現を貫く資格を持っている」ような社会が、仮に存在しているのだとしたら、その社会は、とてもじゃないけど表現の自由が保障されている社会とは言えないと思う。/「命がけで表現に取り組む者だけが、本当の表現の自由を手に入れられる」みたいなマッチョイズムが、心の底から大嫌いなので、「生半可な気持ちで原稿を書き飛ばしていたり、思いつきで絵を描いている人間にも等しく保障されているのが表現の自由ってやつなんだぜ」と言い張ることにしている。10.2 「自己責任」なる言葉の機能は「あらゆる他者の責任を免除する」ところにあって、実質的には「責任」という概念自体の無効化である。確かに、死の責任を死者に帰することが可能なら、貧困は貧者の、病気は病者の責任になるのだろうし、飢餓はパンの代わりにケーキを食べない人間の責任てな話になる。10.4 まわりくどい言い方でないと伝わらないことを理解しない人間は、たぶん端的に言われたことをろくに理解していない。10.25 自発的な意思や動作を含む活用語尾のすべてに「させていただく」を付加しているあなたはもしかして誰かの召使いなのか?11.29 「いつもニコニコしていること」を自分自身の心情として掲げるのは、個人の自由でもあるわけだし、好きにすれば良いと思う。ただ、他人にそれを求めることが、あからさまな抑圧だという程度のことは、できれば自覚してほしいと思っている。/「怒り」という感情を、理性の敗北ないしは欠如としか考えない人々は、怒りを表明している人間が何に対して憤っているのかまるで問題にしない。その代わりに彼らが選ぶ態度は、怒っている人間の狭量さや余裕のなさを憐れんだり嘲笑することで、結果として現体制を擁護することだったりする。12.15 迷ったときに立ち止まれる人はそんなに多くない。引き返すことのできる人間はさらに少ない。多くの日本人は、迷ったまま惰性で前に進んで、でもって、垂直落下する。2020年2.7 誰かの文章を読んで「何を言いたいのかわからない」という感想を言ってくる人は「文章は何か言いたいことがあるから書くものだ」という思い込みを持っているのだろうね。「この文章の主題はなにか」「作者は何を言いたかったのか」式の試験問題に解答し続けてきた人たちの読み方なのかな。/ 個人的には「主題なんかねえよ」というスタンスで書かれる文章がたくさんあるということを、ぜひ若い人たちに知ってほしいと思っています。3.12 マトモな社会人として穏当な社会生活を営んで行く上で一番大切なのは、たぶん、余計なことを言わないことだと思うのだが、コラムニストにとって最も不可欠な日常業務は、余計なことを言うことだったりする。なので、原稿を書く人間が真人間として他人と付き合うのは大変むずかしい。3.14 新型コロナウイルスがこれほど世間を萎縮させているのは、個々人が自己責任において感染を忌避しているからではなくて、「感染することで所属先に迷惑をかけること」を強烈に恐れているからだと思う。われわれは所属組織の巨大な看板を背負って生きてるヤドカリみたいな生き物なのだな。3.18 「類は友を呼ぶ」を、官邸用語に翻訳すると「適材適所」になる。これ豆知識な。4.8 生存が危ぶまれるレベルの貧困層であることを自ら証明できた人間だけが現金の給付を受けられる国があるのだとしたら、その国で医療サービスを享受できる患者は、自身が手遅れの重症であることを証明できた人間に限られるのだろうな。4.14 教養とは、一人で時間をツブすためのネタを自分のアタマの中にどれだけ蓄えているのかを示す指標でもある。その意味で、このたびの強制引きこもり期間は、わたくしども国民一人ひとりが、教養に試されている機会でもある……とかなんとか、こういう根拠のない与太を飛ばすのもまた教養の作用だぬ。5.15 断酒して25年になるが、かつてアルコール依存症であったことを告知して以来、「ある中」「脳萎縮」と中傷してくる人間が常に突撃してくる。ネットはあらゆるスティグマを永遠に固定する。私刑趣味者たちに攻撃の契機を与えてはならない。なので、現在闘病中なのだが、病名は絶対に明かさない。5.20 安倍と無知の政治。5.22 維新の支持者あたりによくあるのは「欲望が存在する」ということと「欲望を全面的に肯定すべきだ」ということをいとも簡単に結びつけてしまう「本音第一主義」論法で、これによると、「欲望は誰にでもある」→「欲望がある以上それを否定すべきではない」→「欲望は全面肯定されるべきだ」になる。/彼らの態度は「偏見」「差別」についても同様で、「人間である以上誰であれ多かれ少なかれ偏見や差別意識を持っている」というあたりまえな観察を、いきなり「誰もが持っている差別や偏見を直視して、それを否定すべきではない」→「差別や偏見に沿った社会を作るべきだ」てな話になる。5.29 「素直」であることと「無批判」であることの区別がついていない大人がたくさんいることを知ったのが今日の収穫でした。「気づき」という気持ちの悪い言葉を使わなかった私をほめてください。7.23 たとえば自動車修理工が「新品を買っても100万円しない軽自動車を、200万円かけて修理するのは無駄だよね?」と言うのは、まだ許せるのだとして、仮にも医療にかかわる人間が「ほうっておいても5年で死ぬ人間の命を何百万円かけて延命する意味がありますか?」と言うのを許してはいけないと思うよ。8.4 イソジン・ゼアズ・ノー・ヘブン。8.5 一緒に都々逸を嗜んだ友人は、先週の金曜日に死んでしまった。これは笑いごとではない。もちろん、ジョークでもないしネタでもない。オレが受けとめきれてないだけで、正真正銘の現実だよ。8.28 ひとつ言えるのは、病気をネタに誰かを非難する態度と、病気を理由に批判を封じようとする姿勢は、いずれも、卑劣さにおいて選ぶところがないということかな。/これからしばらくの間、私達は、礼儀正しく別れの言葉を伝えることと、罪を免責するのは別のことだということを、しっかり肝に銘じておかないといけないと思っている。8.29 ごぞんじなかったらお教えしてさしあげておきますが、コラムニストの主要な業務のひとつはバカなものをバカにすることです。もちろんバカな人たちを怒らせるリスクは覚悟の上です。おわかりいただけましたか? 数えてみたら丁度50ツイート。いくぶん多すぎたかもしれない。読んでいるうちに絞れなくなってしまった。 ご存知のとおり、twitterには1ツイートにつき140字という制限があり、それもあってツイートではなかなかまとまった説明がしにくく(「連続ツイート」という方法もあるが)、説明不足になる部分もある。それを小田嶋が逆に利用した部分もあるだろうが、やはりいくぶん舌足らずになっているところもある。実際、巻末のオンラインインタビューで、「140文字っていうのは、不親切に断言する時にちょうどいい文字数で」と言っていたりする。また、コラムを書く際にツイートを「創作メモみたいな役割」として利用することがある等も。 さらに、小田嶋は巻末の、選者である武田砂鉄とのオンライン対談で、『ピックアップしてもらったからでしょうけど、「なんだ、読み物として成立してるじゃないか」って自分で思いましたけどね。』と言い、「ただし、これ日常を見ているのとは違う景色だと思いますよ。」とも言う。 つまり、個々のツイートには、ツイートされた具体的なタイミングや状況(世間・社会の状況、あるいはtwitterでの状況、さらにいえば小田嶋のタイムラインに現れた状況)や小田嶋自身の感情や思惑があったわけだが、それがこうしてピックアップされた並べられるとわからなくなるということだ。これは他の「コラム」にもある程度あてはまるが、twitterではそうした「生もの」感が一層強いということである。 だから、書籍にまとめられたツイートは、素材は同じでも環境がまったく異なるということを理解しておく必要がある。 でも、やっぱりおもしろい。おもしろいだけでなく、改めて昨今のSNSや引いては「世間」の様々な「傾向」や「問題」について考えるきっかけを与えてくれる。 記事を書いてから、改めて何度か触れた巻末のオンラインインタビュー30ページを読み直してみたら、こちらもおもしろい。いくつか書き加えたくなったが、また長くなるのでやめておく。twitterのツイートはむろんコラムニストの仕事としてに文筆活動とは性格が異なる。そちらに興味がある向きには、とりあえず先述した中で『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」2015-2019』(日経BP)をお薦めしておく。 Webでなら、こちらである程度読める。 https://business.nikkei.com/article/life/20081022/174784/ そしてこちらが小田嶋隆のtwitterアカウント。 https://twitter.com/tako_ashi 小田嶋の死後、ミシマ社から出た「遺稿集」は『コラムの向こう側』(未読)という。これは小田嶋自身の提案で決まったタイトルだと版元の三島社長自ら語っている。 「向こう側」にはおそらくいくつかの意味が含められている。その中には、自らの立ち位置の表明という意味も含まれていたのではないかと思う。 何だか、まとまらないというか、「おもしろい」としか言っていない、ほぼ引用しただけの記事になってしまった。しかし、惜しい人を亡くしてしまったものだと改めて思う。では、次回、DEGUTIさん、お願いいたします。2023・02・06・T・KOBAYASI追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.07.11
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100days100bookcovers no92 92日目 小田嶋隆 その1『超・反知性主義』(日経BP)『ザ、コラム』(晶文社)『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」2015-2019』(日経BP)『災間の唄』(サイゾー)『東京四次元紀行』(イースト・プレス) 大変遅くなりました。 小田嶋隆が、2022年6月24日に亡くなった。 いつかここでも紹介しようかと思っていたのだが、妙な言い方になるが間に合わなかった。間に合わなかったが、今回紹介することにする。 実は、SODEOKAさんの「本」が決まるまえから、次は小田嶋隆と決めていた。一応何とかしてこじつけるが、こじつけ方に相当無理があっても、今回は笑ってご容赦いただきたい。 ただ、「アイヌ」や「家族」に直接関連することはたぶんないだろう。小田嶋隆がそういったテーマの文章は書いたことはあるだろうが、それだけの話だ。 思いついたのは「異端」ということだろうか。「アイヌ」はあくまで「大和」民族にとって「異端」だったわけで、「アイヌ」にとっては「大和」が「異端」である。 そして小田嶋隆の「コラム」もおそらく周囲にとっては「異端」だったはずだ。という曖昧な接点だが、今回はこれでいく。 たぶん最初に出会ったのは、雑誌シティロードのコラムだったと思う。 シティロードが休刊という名の廃刊になってからは、どこで読んでいたのかいなかったのかは記憶にない。 最初の肩書はコンピューター関連の記事を書く「テクニカルライター」で、当時たくさん出ていたコンピュータ関連の雑誌でも記事を読んでいた気がする。 著作で最初に入手したのはたぶん『安全太郎の夜』(河出書房新社)だったと思う。その後、文庫化されたデビュー作『わが心はICにあらず』(光文社文庫)も手に取ることになった。 ちなみに最近誰かがどこかで指摘していてようやく気がついたのだが、『わが心はICにあらず』は高橋和巳のあの著作のもじりだった(高橋和巳については、私が中学か高校のころに4つ上の兄が読んでいたので名前は知っているが、私自身はいまだに未読)。 それから徐々に、様々な媒体で執筆をするようになり、著作も増えていった。十年ほど前に、新刊を買うのをほぼ止めるまでは、「出ると買う」作家だった。 さらに付け加えると、私が、内田樹を読み始めたのが、たしか2000年前後で、その内田樹がたまたま小田嶋隆のファンで影響を受けていると書いているのを読んで、驚きつつ妙に嬉しくなったのを覚えている。 政府の思考停止でふざけた政策、政府高官のろくでなしの発言、世間の軽薄な風潮やエセ文化人のいい加減な記述、発言等に対して、辛辣な、しかし諧謔やユーモア、駄洒落を交えて批判する一方で、内省的な部分も少なからず含まれるその文体は、他では経験したことがないものだった。 twitterでフォローするようになってからは、ツイートに目と通すのが日々のルーティンになっていたので、この数年病気がちで入退院を繰り返していたのは知っていた。 が、病名も伏せられていたし、正直それほど悪いとは思っていなかった。2019年に患ったらしい脳梗塞のことを知ったのもだいぶ後になってからのことだった。だから突然の訃報はほんとうにショックだった。後から考えると、入退院を繰り返すというだけで、ただの病気ではなかったと気づくのだが。 それから近作を読んでいなかったのを「反省」して、例によってブックオフで何冊か手に入れて読んだ。当時、新刊として出たばかりの初の小説集『東京四次元紀行』(イースト・プレス)は新刊書店で買った。探して見つからなければ図書館に行っただろうけど、何だかやはり手元に置いておきたかった。 今回読んだのは、都合5冊。『超・反知性主義』(日経BP)、『ザ、コラム』(晶文社)、『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」2015-2019』(日経BP)、『災間の唄』(サイゾー)、『東京四次元紀行』(イースト・プレス)。 これだけまとめて書籍で小田嶋隆の文章を読むのは久しぶりだった。もちろん、シティロードの頃とは多少文体も書く内容も変わっているはずだが、日頃からTwitterやネットのコラムででなじんでいるせいか、やはり小田嶋隆は小田嶋隆だった。みな、おもしろかった。その中で、最も記憶に残ったのは『災間の唄』である。(この記事は2023年2月6日、100days100bookcovers no92として、友人のT・KOBAYASIくんによってFBに投稿されたものですが、以下、どんどん続きますのでその2に続きます。)追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.06.26
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100days100bookcovers no91 91日目茅辺かのう「アイヌの世界に生きる」(ちくま文庫) 前回、YAMAMOTOさんからのご紹介が檀ふみの『父の縁側、私の書斎』でしたので、当初、檀一雄つながりで、若い頃によく読んだ坂口安吾にしようかと考えたのですが、ふと、全然関係ない方向へ行ってみようかな、と思い立ちました。 9月に交わした句友との会話に端を発して『ゴールデンカムイ』にはまり、以来、アイヌへの興味が強まっているのですが、先日、散歩の途中にふらっと入った書店で、たまたま見つけた本がありました。むずかしい研究書や資料の類いはもう読む根気がなくなっているのですが、この本は、日本人として生まれながらアイヌのコタンで育った女性への聞き取りで構成されていて、とても面白く読めたので、今回はこれを紹介したいと思います。 『父の縁側、私の書斎』との連関ワードを探すならば「家族」でしょうか。でも、本書に描かれているのは、血縁ではない「家族」のありようです。『アイヌの世界に生きる』(茅辺かのう著、ちくま文庫)。 本書は、アイヌの世界で生きてきた「トキさん」を茅辺かのうが訪ね、1973年におこなった聞き取りをまとめたものです。数奇な運命のなかで誠実に生きてきたトキさんの人生は波乱に満ちたものでしたが、そのことについて書く前に、まず、著者の茅辺かのうに少し触れたいと思います。私はまったく知らない人だったのですが、彼女の人生もまた、波乱に富んだものでした。 1924年に京都に生まれた茅辺かのうは、東京女子大学を経て京都大学文学部に入学しますが、1年で中退してしまいます。すぐに上京し、編集者をしながら労働運動に携わるのですが、1962年、今度は東京を引き払って北海道へ渡り、網走の水産加工工場で働き始めます。東京での労働運動から突然北海道の労働者に転身したいきさつは、本書の中でこのように書かれています。「……このまま惰性に流されて生きたくないと思い始めた私は、今の生活を変え、生産の現場で働いてみようと決心した。 東京を離れることを考えたのはこのころであり、北海道で働こうと思ったのは、その自然を知りたかったからだった。ただの行きずりではなく、実際にその土地の生産的な仕事に就き、自分の生活をもったうえで季節を感じたいと思った。」 1964年に帯広から阿寒湖を訪れたときに、アイヌの観光土産品店を手伝ったことからアイヌ民族への思いが深まり、1965年には本格的に移住してアイヌコタンの近くで生活するようになります。そうした生活の中で、「アイヌの言葉や生活を伝えておきたい」という思いを抱いていたトキさんと知り合い、本書が生まれました。茅辺かのうは1973年に京都へ戻りますが、その後「思想の科学研究会」などに参加し、『階級を選びなおす』などの著書を残して、2007年に亡くなっています。 さて、いよいよトキさんです。トキさんは1906年に福島県の農村で生まれて間もなく、母親に抱かれて北海道へ渡りました。母の夫は先に入植して準備を整えていたのですが、じつはトキさんは、母の夫が北海道へ渡ったあと、母と近所の神主の間にできた不義の子でした。母の夫である義理の父は、それでもいいから一緒に来るようにとふたりを呼び寄せます。現代では考えられない大らかさですが、ひとりでも多く女手が欲しいという生活上の必要があったのかもしれません。が、トキさん以外にも3人の異父兄がおり、貧しく、母親の目はとうていトキさんに届きませんでした。トキさんは子守りを嫌がった異父兄のひとりに川へ投げ込まれますが、手前の藪に引っかかり、大怪我を負いながらなんとか一命を取り留めます。 その噂を聞きつけたひとりのアイヌ女性が、トキさんを引き取りたいとやってきました。やがて、ネウサルモンというこの女性がトキさんの養母となり、アイヌ社会の中で育てます。養母はトキさんの利発さに早くから気づき、トキさんにアイヌの生活や伝統、言葉、儀式などを教えました。 その頃、政府はアイヌ民族に対する同化政策を進めていて、アイヌ人たちは住み慣れたコタンを離れ、土地を与えられて農業を始めていました。が、もともと自然物を採取して生活していたアイヌには土地を私有する意識が薄く、養母も農業になじめなかったので、長ずるにつれ、トキさんが畑仕事に精を出すようになります。小学校にも通うようになりましたが、厳然と差別があった日本人との混合学級になじめず、すぐにやめてしまって、文字が読めないまま大人になりました。 トキさんは、成長した彼女を取り戻しにやってきた実母や親戚たちから逃れるように、17歳でアイヌの青年と結婚します。結婚後は家族も増え、充実した人生になっていきますが、書くとどんどん長くなりますので、ここから先は本書に直接あたっていただきたいと思います。 茅辺かのうは聞き取りの際にトキさん宅に何週間か滞在し、共に生活をしていますが、聞き取りの合間に記されている毎日の生活のルーティンもとても興味深く、トキさんの地道な人となりをよく伝えています。いまは住宅も暖房も進化しているでしょうが、50年前の冬の北海道の寒さ、厳しさは並大抵ではなく、それが手に取るように伝わってきます。前夜、寝る前にやっておかなくてはならないこと、そうしないと翌朝さまざまなものが凍ってしまい、午前中は仕事にならないこと、食料の保存法のこと、食事のこと。 生活は小さな煩雑な作業の積み重ねであり、手を抜いたら些末なところから崩れてきて、身体にも影響を及ぼす。トキさんの暮らしぶりを読んでいると、そんな当たり前を忘れていることに気づきます。けれどもまたトキさんは、晩年になってからテレビ番組で文字を覚え、読めるようになっていたり、教育がないために何もできなかった自分の人生を省みて、娘たちが独り立ちできるように、きちんと教育を受けさせています。毎日の生活を繰り返しているだけではなく、前を向く力が強い人なのです。 そして何よりトキさんは、自分を育ててくれた血の繋がらない養母を敬愛し、感謝の念を持ち続けました。その気持ちの強さが、アイヌの生活や文化、言葉を何とか後世に伝えたいという行動に繋がっていったのだと思います。トキさんの語り口からは、そのときそのときの状況を受け入れながらも流されず、前を向き続けてきた人間としての力が伝わってきて、読者を明るい気持ちにしてくれるのです。 本書では「アイヌ語の世界」という項目を立てて、アイヌ語にも言及しています。生活と強く結びついているアイヌ語の成り立ちに着目していて、「アイヌ語辞典」という役割は比較的希薄なのですが、言葉を通してアイヌの文化に触れることができます。 例えば、「神」を表す「カムイ」という言葉は動物にも使われるのですが、名前に「カムイ」とつく動物は当然信仰や儀式と深い関係があり、それがつくかつかないかで、その動物とアイヌの結びつきの種類が分かります。自然の色を抽象的に表現したり、顔料をつくったりする必要がなかったことから、色彩を表す言葉が極端に少ないことや、自然と深く関わり採集する生活だったので、気候や自然の呼び名も、五感と結びついたものが多いことなどもうかがえます。 トキさんが聞き取りのあとしばらくして農業を辞め、商売を始めるらしい、と最後に書かれた本文を読み終えたあと、本田優子氏の「解説」で、読者は本文では語られなかったことを知らされます。「トキさん」というのが仮名で、本名は澤井トメノさんだということ、そしてトメノさんは、1980年代以降にアイヌ語辞典や教本を監修し、アイヌ民話の書籍を著し、平成9年にアイヌ文化賞を受賞している人物だということを。 おそらくトキさんは、茅辺かのうの聞き書きを受けたあと、アイヌ文化の伝承に強い使命を見いだし、それが人生の最晩年の短い間に結実したのではないでしょうか。『アイヌの世界に生きる』に描写されたトキさんの好奇心、向上心、頑固さと柔軟性を併せ持つ人となりを思うと、それが自然にうなづけるのです。そして本書に描かれたトキさんの人物像には、茅辺かのうの人生観もまた、大きく反映されていることを感じます。本書は、ふたりの女性の生きざまの結晶のような書物でもあるのです。 それではKOBAYASIさん、お願い致します。2022・12・17・K・SODEOKA追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.05.31
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100days100bookcovers no90(90日目)檀ふみ『父の縁側、私の書斎』(新潮社) この本にしようかな…と最終的に決めたものの、まだふらふらと気持ちは定まりません。定まらないまま書いていこうと思います。 いや~、シマクマさんが紹介して下さった嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』は、びっくり仰天の内容でした。まず、きだ怪人のハテンコウな行状はすごかった!そして、きだみのるもすごいけれども、嵐山光三郎にも脱帽した。きだみのるの人間としてのすごさ、文学者としての深さ、食への執着…。それらを描写する嵐山光三郎もすごい! 編集者と作家の関係が実に面白いわけです。今まで作家や作品しか目を向けていなかったかも?すぐれた作品が生まれるには、よき編集者の存在があるからなのだろうと思い至りました。仕事上の関係を遥かに超えた(と勝手に感じるほどの)きだみのると嵐山光三郎の人間同士のつながりは、とりわけ『子育てごっこ』というインチキ作品で批判されたきだみのる、スキャンダルにさらされた娘について、作品をもって見事に反論しました。ようやった!人間とはかくありたし! と嵐山光三郎にもぞっこんとなりました。(笑) 編集者と作家との関係、嵐山光三郎…と、次に選んだのは『温泉旅行記』(ちくま文庫)と『ローカル線温泉旅』(講談社現代文庫)。 テンポよく日本中の行ってみたい温泉や美味しい料理や地酒が紹介され、私のツボにはまりました。ああ、私も味わいのある秘湯に行きたい~。 ただ、本の内容はそれだけではないのです。あちこちに旅をすると嵐山光三郎と縁のある作家が登場するわけです。文士オンパレード!作家たちのプライベートが紹介され“ちむどんどん”しました。私の好きなローカル線の旅もよかったです。たくさんある嵐山光三郎の本の中から、いかにも私が選びそうな本ですね。お恥ずかしい。 「編集者」をキーワードに、嵐山光三郎のような編集者は他にいないかな…と少し探したのですが、彼が編集者としてかかわった多くの魅力的な作家の中から檀一雄が気になってきたのです。怪人きだみのるではありませんが、小説家で料理もする、世界を放浪し、女性関係もいろいろあり…、特に日中戦争のあと、軍務終了なるも帰国せず、そのまま満州を旅するなんて、きだみのるのモロッコ行きと重なります。私の大好きなポルトガルのサンタクルスや晩年を過ごした福岡の能古島(のこのじま)など、行ってみたい所も気になります。そこでどんな暮らしをしたのでしょうか。「最後の無頼派」といわれた彼自身、さらに交流が深かった太宰や安居にも関心が広がります。 そこで檀一雄と檀ふみの本を2冊ずつ借り、まだ読み終わっていないものもありますが、父、檀一雄の能古島の家である月壺洞(げっどう)、練馬区石神井(しゃくじい)の家など、住まいを通して父の思い出や家族の日常などを綴ったエッセイ『父の縁側、私の書斎』を選びました。 冒頭にはこうあります。「引越しらしい引越しをしたことがない」と、父は遺作となった『火宅の人』に書いている。「生涯何十回となく引越したろうが、いつも手ぶらで、ノソノソと新しい家にもぐりこんでいっただけである」「まるで、その部屋をガラクタで埋めて、埋め終わるとハイそれまでよ、とまた新しい無染の環境に向かって走り出して行くかのようだ」 ここのくだりに行き当たったとき、ハラリと一枚、目からウロコが落ちるような思いがした。病床で父がこの本を書き上げてから、私がきちんと読み通すまで、じつに二十五年の月日が流れていた。その四半世紀のあいだに、どうやら私は、父を石神井の家にがんじがらめにしばりつけてしまっていたらしい。父は私にとって、生きているときはもちろん、死んでからも石神井の主だった。思い出のなかにはいつも、食堂の大テーブルの指定席にどっかりと腰をおろし、ビールを飲み、煙草を吸い、料理をし、『刑事コロンボ』を見、ときに子供たちに訓戒を垂れている父がいる。「新しい環境を、その都度自分の流儀で埋め尽くし、埋め終わると同時に別の天地に遁走したくなる(『火宅の人』)」 と檀ふみが紹介しているように、娘が父と一緒に過ごしたのは二十年ほどで、その間の半分ほどは家に帰らず、残りの半分もどれほど家におちついていたか、とある。これを読むまで私はもっと家族をないがしろにしていたのではないかと勝手に想像していたので、逆に私はある程度父と娘が一緒に住んでいたことにびっくりした。妻は、娘たち子どもは、どれほど身勝手な父を恨んでいたのだろうと。 晩年暮らした福岡の能古島は、体の具合が悪く、空気のいいところで静養した方がいいと知り合いの別荘を借りることになった。「月壺洞(げっこどう)」と名付けた、見晴らしのいいその家に檀ふみが父を尋ねて行ったのはただの一度。ほどなく入院し、口述筆記で『火宅の人』を完成させた。父と母は病床で力を合わせたわけだ。自分好みに仕上げた能古島の家で、夜景を眺めながら、あるいは月の光を浴びながら、招いた友人を手作りの料理でもてなし、秘蔵のウィスキーやブランデーを飲みたかったであろうと、父を偲ぶ箇所があるが、住まいが親子をつなぐ場所になっていると、ほっこりした。この島は福岡市の中心からフェリーに乗って10分ほどで着くらしい。一度ゆっくり尋ねてみたいものだ。 東京都練馬区の石神井の家は「瓦全亭(がぜんてい)」(瓦全とは大したこともせずに生き長らえることとか。)と命名され、緑深い、森と水の美しい景勝地として知られたところだったらしい。この家には坂口安吾一家が間借りしていた時期もあった。広い敷地に離れもあり、父の書斎や食堂、子ども部屋や両親の寝室、こどもたちの寝室など、間取りのスケッチを見ると日常の風景(妄想だけれど)が目に浮かぶようだ。年の離れた兄太郎(嵐山光三郎の本によく登場する)や病室の次郎兄についても書かれている。ほんのひとコマだけれども檀一雄の一面に触れることができたように思う。 この本は「モダンリビング」という雑誌に連載されたもので、家の普請や住まい方、住人の思い出など、住まいを主人公にした一冊だった。家に少なからぬ関心を持つ私にとって、檀一雄と家族と一緒に「月壺洞」や「瓦全亭」に訪問させてもらったような至福の本だった。 その後、檀一雄自身の作品もと、『花筐』『白雲悠々』などが収められた檀一雄作品選(講談社文芸文庫)も読んだ。 リツ子の臨終の場面を描いた『終わりの火』も収録されている。また、『太宰と安居』(沖積舎)は、檀一雄が盟友太宰治と坂口安吾について求められるままに書き散らした文章をまとめたもので、これもつまみ読みをした。文豪はさすが、みな偉大です。 まとまりのない紹介になってしまいましたが、以上90回目を終わります。お待たせしました。SODEOKAさん、バトンをお渡ししますので、よろしくお願いいたします。2022・10・28・N・YAMAMOTO追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.05.06
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100days100bookcovers no89(89日目)嵐山光三郎「漂流怪人・きだみのる」(小学館文庫) シマクマ君に回ってきた、ブックカバー・チャレンジ89日目は嵐山光三郎「漂流怪人・きだみのる」(小学館文庫)です。 イラストレータの南伸坊が、腰巻の文章を引用しながらこんな解説を書いている本です。「きだみのるはファーブル「昆虫記」の訳者で、戦中「モロッコ紀行」を書いたブライ派の学者である。雑誌「世界」に連載した「気違い部落周遊紀行」はベストセラーになり、映画化され、大ヒット。嵐山は雑誌「太陽」の編集部員であった28歳のとき、きだみのる(75歳)と、謎の美少女ミミくん(7歳)と一緒に取材で各地をまわった。フランス趣味と知識人への嫌悪。反国家、反警察、反左翼、反文壇で女好き。果てることのない食い意地。人間のさまざまな欲望がからみあった冒険者。きだ怪人のハテンコウな行状に隠された謎とはなにか。」(本書腰巻) 28歳の青年が、75歳の怪人と運命的に出会う。そしてそこに少年のような7歳の少女。これは「きだみのる」の評伝であり、しかも嵐山光三郎の青春記でもある。「嵐山は73歳になった」と、嵐山さんは書いている。 きだみのるは、名著をものした学者にして、すこぶる魅力的な怪人だが、私はその名著を未読である。 いま猛烈に、きだみのるの本を読んでみたいと思っている。 まちがいなくこの本は嵐山光三郎の最高傑作である。(P281) どうです?面白そうでしょ。まず著者の嵐山光三郎ですが、怪しい探検隊の椎名誠が流行っていたころ、ともに「昭和軽薄体」と呼ばれて登場した人だったと思いますが、ぼく自身は「素人包丁記」(講談社文庫)とか「文人悪食」(新潮文庫)とかの、「くいしんぼ」エッセとか、「温泉」エッセイでお世話になってきた人です。伝記(?)では「桃仙人小説 深沢七郎」 (中公文庫)、「 悪党芭蕉」(新潮文庫)とかが評判になりました。 もともとは平凡社の「太陽」という名雑誌の編集長だった方です。平凡社といえば百科事典です。で、「百科事典の巨人」林達夫というとんでもないインテリが思い浮かんでくるのですが、先日、一緒に本読み会をやっている、ほぼ同世代の本好きの方に名前を言ったところ「誰、それ?」という返答だったわけで、この記事をお読みになっている方にも、今や、あんまりピンと来ない名前なのかもしれませんね。 今回、紹介している本の中で主人公であるきだみのるが山田吉彦という本名で「ファーブル昆虫記(全10巻)」(岩波文庫)を訳していますが、その昆虫記で、共訳者といて名前が出てくるのが林達夫です。中公文庫に「共産主義的人間」という小冊子ですが、名著が、たぶん、今でもあります。 まあ、話は戻って、その嵐山光三郎の最新作が「漂流怪人・きだみのる」(小学館文庫)です。 紹介ついでに「きだみのる」についてですが、ぼくはファーブル昆虫記の訳者で本名山田吉彦の方は 中学生のころから知っていましたが、「気違い部落周游紀行」 (冨山房百科文庫)の人だということを知ったのは、ずっと後のことです。 実は、先だって、YAMAMOTOさんが「土佐源氏」の宮本常一を話題になさったときに読み直そうと思いついた人でした。で、元あった棚から取り出したのはいいのですが、それをどこに置いたのかわからなくなって、さがしていて見つけたのが嵐山光三郎のこっちの本というわけでした。 きだみのるの「気違い部落周游紀行」 (冨山房百科文庫)は敗戦直後の八王子の山村のルポルタージュで、1948年の第2回毎日出版文化賞受賞作です。戦後すぐの、ニッポンの村社会を描いた名著です。 1957年、渋谷実が監督で、松竹で映画化していて伊藤雄之助とか淡島千景が出ていて、大ヒットしたそうです。 著者のきだみのるは、戦前、ソルボンヌでマルセル・モースに学んだフランス帰りですが、帰りに立ち寄ったモロッコについて、後に、岩波新書で「モロッコ」として再刊されている「モロッコ紀行」(日光書院)という本を出したのが社会学者としてデビュー作で、日中戦争の最中のことです。 宮本常一が柳田民俗学の異端だったとしたら、きだみのるは戦後の社会学、文化人類学の異端といっていいかもしれません。戦後社会を「漂流した」怪人物です。 本書は、上に引用した南伸坊の解説にある通り、1970年代、「太陽」の若き編集者として「きだみのる」と仕事をした嵐山光三郎の「思い出の記」です。 きだみのると彼の幼い娘を巡るスキャンダルについても、彼ら親子を利用して「子育てごっこ」というインチキ作品で一世を風靡した直木賞作家、三好某のスキャンダルとともに暴露されています。 いろんな、意味で、読みごたえというか、暇つぶしに最適というか、面白さ満載です。 DEGUTIさんの88日目はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(くぼたのぞみ訳 河出書房新社)、アフリカの女流文学でした。いや、アメリカ文学でもあるかもです。何しろ、アメリカ、カナダの英語の短編小説に与えられる「オー・ヘンリー賞」受賞作家ですしね。バトンをいただいたのは2022年の7月の末でした。 作家の西加奈子が、KOBAYASI君が紹介したルシア・ベルリンの翻訳者岸本さちことのラジオ番組の中で紹介していたというのが、まあ、いわゆる付け筋のようですが、「なるほどなあ、そういう繋がりでお読みになっていらっしゃるのか。」 と、まあ、皆さんの紹介を読みながら、いつものことではあるのですが、今回も感心することしきりで、「じゃあ、ぼくも読んでみようかな…」 というわけで、早速、借り込んできた「半分のぼった黄色い太陽」(くぼたのぞみ訳 河出書房新社)とか「アメリカーナ」(くぼたのぞみ訳 河出書房新社)とかをパラパラしながらそのあまりの分厚さにちょっとたじろぎました。両方とも2段組みで500ページを超えるのです。「こりゃ、すぐに読むのは無理やな(笑)。じゃあ、89日目は何にしようかな?」 で、89日目の付け筋ですが「半分のぼった黄色い太陽」をラジオ番組で紹介していたという西加奈子という作家は1977年、父の任地イランで生まれた人で、いったん帰国しながら、小学生時代にはエジプトに渡り、帰国後、通天閣の街を描いた「通天閣」(ちくま文庫)で織田作之助賞をとって登場したのが2007年です。 その後、イランやアフリカの暮らし(?)をネタにして書いた「サラバ」(小学館文庫)で直木賞作家になった人ですね。まあ、云ってしまえば「アフリカから帰ってきた女」 というわけで、ぼくのこじつけですが、本書の主人公きだみのるは「アフリカから帰ってきた男」 というわけです。ハハハ、こじつけです。嵐山さんが帰ってきたわけではありません。で、いいわけですが、コロナから帰ってきたシマクマ君は、少々不調でして、文章の脈絡が整理できていません。なにを書いているのか、実は、よく分からないのです(笑) まあ、そういうわけで、とりあえず、バトンをお渡ししたい一心の紹介でした。YAMAMOTOさん、よろしくね。(笑)(2023・08・31・SIMAKUMAくん)追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.05.01
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