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月に1回のペースでの講座が、今回だけは講師の都合で、半月の間隔でやってきた。今回のメインはカラヴァッジオだ。正式な名前はミケランジェロ・メリジ・ダ・カラヴァッジオ(1573-1610)というから16世紀に生まれて、晩年に17世紀となったバロック時代の代表的な画家である。ダ・カラヴァッジオというのは、「ミラノ近くのカラヴァッジオ村出身の」という意味で、彼の固有名詞ではないという。有名なミケランジェロと区別するために、カラヴァッジオと通称されているという。崇高、華やかなルネサンス美術からバロック美術へと移行した中で、作品は、「力強い写実描写」、宗教的な色彩の中でも「風俗的な表現」さらに、キアロスクーロ(伊)と呼ばれる明暗の効果を取り入れた作品であるという。最初に紹介されたのは、「マタイの召命」といわれる作品で、カラヴァッジオの出世作になった作品だという。右の方からさす光にスポットライトを当てられた形のマタイに、ローマ時代の名残の服装をしたイエスが指をさしている構図である。当時は民族的裏切り者と呼ばれた、ローマの手先としての取税人であるマタイをイエスが導くというものだ。当時のローマ中の人々がこの絵を見に行ったほどの話題作だったようだ。イエスは、マタイ伝(新約聖書)で罪人を招く(更正)ために云々とある。「善人なおもて、往生とぐ、いわんや悪人をや」という歎異抄第三章を思い出した。早速新約聖書のマタイを引いてみるとニュアンスは違うがだいたい同じような事がかかれている。ふと、イスラム教徒が日に5回お祈りをして、口承伝承で伝えられることを、キリスト教では、荘厳な宗教画を持って迫ると言うことかと感じた。カラヴァッジオ自身は大変なならず者だったようで、5回の逮捕歴があり、さらにテニスをしているときに諍いとなって、相手を刺し殺し、ローマから逃げ南イタリアを転々とし、最後に官憲に捕まり、釈放されてすぐ死んだとの説明があった。あの、三浦和義元社長が死んだことになぞらえて、警察のやることは・・・という話にまで発展した。当時からテニスなんてものがあったのかと調べてみると、「紀元前15世紀の壁画で球を打ち合う球技を行う人々の姿が描かれたものが発見されている。」とあり、ガットが張られたのは16世紀とあるから当時はもう相当に洗練された形になっていたのであろう。彼がローマの画家の、静物を描く専門的補助者として描いた静物は精緻で、艶がある一方、同時に描かれた枯れ葉に見られるように、盛者必衰の寓意性のある作品とされている。イエスが処刑されたとき十字架に釘でさされている姿はよく見るが、「聖ペテロの磔刑」ではペテロは逆さ吊りになっているという点が、苦痛死を表すとの説明があり、これが、ミケランジェロの同様の絵に影響を与え、「キリストの埋葬」では後の、ルーベンス、フラゴナール、ジェリコに影響を与えたと言われている。先ほどの殺人事件の逃亡中に描いた「聖母の死」は、どの作者の作品でも聖母マリアは崇高に描かれているにもかかわらず、あたかも聖母マリアが単なる近所のおばさんのように描かれていて、それ故に教会はこの作品を何度も受け取り拒否をしたというエピソードがあるようである。この後、ルーベンスを介して影響を受けた、ベラスケスの「女官たち」や、ムリリョ作の「ブドウとメロンを食べる少年たち」の紹介があった。ブドウも、メロンも当時のローマでは非常に安価であったと講師の経験談を交えた紹介があった。この生き生きした躍動感のあるムリリョの作品を連れは非常に気に入ったようであった。
2008.10.31
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「船場吉兆社長らが破産」という記事が日経新聞の片隅に載った。高級料亭の「船場吉兆」の社長と、あの「頭真っ白おばさん」だ。「人の食べ残し」、ではなく「人が手をつけずに残ったもの」を次のお客さんに出したあの事件だ。もっとも産地を偽装したり、やりたい放題をのれんの陰で指示していたのだが・・・。あろう事か、露見した記者会見では、息子を人形に見立てて、「頭が真っ白になって・・・」とマイクに声が拾われているのを知らずに、腹話術を使い、一貫して、出来心を演出しようとしたあのおばさんである。いい年をした息子もまた、その通りの言葉をはいているのを聞いたときには、どんな漫談や落語を聞いているよりは瞬間的には面白かった。最初の嘘が何だったか忘れたが(もっとも私は人が忘れる75日より早く忘れるようになってしまったから始末に悪い)、その程度のことは気にするな、と言うことか、お金持ちの連中は自分たちは老舗に通うステータスであるかのごとく「がんばりなさい!」とばかり、客はそれほど遠のかなかったようだ。しかし、それらの客たちも、「おまえ!そこまでやってるのか!!」という具合に見放してしまったようだ。物の値段や価値は、それを良いという人が良いと思うだけであって、端で見ていると、何であんな物がということになる。私個人的に言わせてもらえば、「船場吉兆」のような高級なところへは行ったこともないし、行くこともないので、そこでいかなる嘘がなされていようと全く関係ないのだが、ただ一点「人をだます」ということが蔓延すると言うことに怒りを感じているわけだ。世の中に、人をだまして自らが利を得るケースがいかに多いことか。「船場吉兆」のケースがどれほどの抑止力になるかというと、全くならないと思われるが、とりあえず、嘘をついたらこうなるのだよという例題としてはよかったのではないだろうか。ただ、こういったケースで、やり過ぎると破産するばかりでなく、丸裸になるということが示されると言うことは、なお、溜飲を下げるに意義があると思う。この手の嘘をついて、生きながらえられるのは、国会議員(それも世襲ならなおよい)くらいではないだろうか。「船場吉兆」のような所へは個人が自腹を切っていくようなケースは少ないだろうが、庶民とは言わないが、嘘をついて個人からちまちまと吸い上げたお金でふとろうなんて事を考えると、すぐに官憲のご用になってしまうということにしてもらわないと困る。飛行機会社から巨額の賄賂を取ったり、一億円を内ポケットに入れたまま死んだり、疲れたからやぁーめたというような事はあまり問題にならないのも困るのだが・・・。ホテルで飲むのは決して高くないとおっしゃるどこかの偉い人に、シャンベルタンやドン・ペリニヨンより美味しいと酒屋のアウトレットが言うような1000円程度のワインを詰め替えても、きっとうまいというのではないのだろうかと思ってしまう。
2008.10.30
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成人病(生活習慣病)に魅入られてから早何年が経つだろう。数値的に標準範囲を超えているものに、総コレステロール、血糖値、血圧がある。一頃は急性肝炎になったことで、肝機能の指標であるγーGTPやGOTという値が大きくなったことがあったが、今はかろうじて範囲内に収まっているようである。もっとも、標準値自身は、多少は変わるものらしい。これらの検査は血液を採取して行われる。そして、大概は、それから検査機関に出して、結果が判明するのは最短でも1週間はかかる。結果を聞かされるのはいつも1週間後と言うことになるので、すぐにわからないものかと思う。停年退職になってからは、強制的に体を動かすことがなくなってしまった。勤めている間は、通勤の行き帰り、満員電車などに揉まれることで、嫌でも若干の運動にはなっていたのだろう。それが今では、自分が決めて体を動かさない限り、全くといってよいほどだらだらとしていられる。そこで、止めていたゴルフを復活させ、練習を始めている。友人を介して先輩が幹事をされている月1回のコンペに参加させてもらっていることで、励みになる。初回に大叩きをしたために莫大なハンディをいただいて、そのおかげで3回目には優勝させてもらった。近々、高校時代の同期生の年1回(?)のコンペにも参加させてもらうことになった。もう一つは、連れと、70歳を優に超える姉とその友人の方との内輪のラウンドがある。それらを目標に、最近は連れを伴って、近所のゴルフ練習場に通っている。私が初めてクラブを振ったのは三十数年前だが、一寸やっては止め、一寸やっては止めが続き、我流でもあるために上達は全くしない。練習場に行っても、豪快にとばす周りの人を見て萎縮してしまう。最近は諦めの境地もあり、あまり気にならなくなったが、やはり隣でがんがんとばされると、心穏やかでなく、つい力んで変な方に球が飛んでいく。連れは始めたばかりなのだが、一切そういうことには気にならないらしく、下手な私のコーチを聞いて何となく様になっていく。今日などは、テイクバックをゆっくりして、腰をもう一段ひねると言うことや、頭を残すという点など、私よりスムーズにやってのける。男と女の差が無ければ早晩追い抜かれるのではないかと思うほどだ。練習場は平日の昼間なので、年寄り連中が多い。もっとも、私たちも年寄りなのだが・・・。今日は、ともに120球ずつを打って練習場を後にした。途中のうどん屋で昼食をとったが、このところ歩いていないことを思い出し、そこから約4kmの自宅まで歩くことにし、連れに車で先に帰ってもらうことにした。私の住んでいるところは、大阪府と京都府の府境で、今日の練習は京都府だったため、歩き始めたのは京都で、帰り着いたのが大阪という具合になった。歩き始めたときに、i-PODに録音しておいた桂枝雀の落語(三十石舟」を聞き始めて、帰り着いたときにやっと終わる程度だから、そんなに長くは歩いていないが、歩くことは良いことだと言い聞かせて、何となくノルマを果たした気分になった。
2008.10.29
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今日は全く書くことがない。といって、毎日書くことがあるわけでもないが。私にとって今日書くことがないという意味は、どこにも出かけなかったことからくる。一日中部屋の中で、本を読んだり新聞を読んだり時にテレビを見たりしていた。こういった瞬間瞬間も、各人各様に世界は動いている。過去があり、現在があって未来が想像できると言うこともあるが、物事は演繹的には起こらないと言うこともまた事実である。人口の問題について考えていた。日本における特殊出生率は2007年は1.34で、2005年に1.26と過去最低だった値から2年連続で上昇しているという。こういった後に、東京でのたらい回しの結果死亡した妊婦のニュースがあった。幸い私の住む町では、そのようなことは無さそうだが、でも東京の妊婦さんのように脳に出血がある場合はどうなるのかはわからない。これでは上向いた特殊出生率も鈍るのではないかと案じてしまう。何のために少子化担当相がいるのか、などと考えてしまう。人間の幸せを考えたら、身の丈にあった人口で良いのではないかと思うが、具合の悪いことに、私の少し後の団塊の世代では人口増バブルであり、その面倒を見なければならないというつけがあるから困るわけである。日本の人口が立ち枯れていく中、世界の人口はネズミではないからネズミ算的ではないが、2次、3次曲線的に増加している。過去100年間でこれだけ変わったというデーターの中で、世界の人口は1913年18億人程度だったのが、2007年には67億人だという。また、米国勢調査局の予想では、世界人口は2012年に70億人に到達するという。しかし、これもわからない、過去百年の増加状態を方眼紙にプロットすると、2100年には130億人との予想も出てくる。もちろん過去のデーターを見て推定するだけであるから将来はどのようなことになるのかわからない。私が死ぬときには世界の人口は85億人程度になっているかもしれない。最近かまびすしい世界の金融危機問題でも、1980年の日経平均株価は、7000円程度であったのが、1989年には3万9000円程度にまでなり、其の後つるべ落としでまた元の木阿弥になっている。偉い経済学者がたくさんおられるが、いったいこのようなことを誰が予想できたであろうか?ほとんどの会社の経営者は、「予想を遙かに超えた・・・」と前打ってこれからの対処について述べられている。経済学にノーベル賞がそぐわないわけがわかるような気がする。今や株に投資するというのは、八百長のない競馬にかけるようなものかもしれない。これもまた、のど元過ぎれば過去の1つのデーターとなってしまうのだろう。完全に経済をも統制してきた社会主義国家が市場経済を導入している一方、完全に市場に任せっきりの経済にも統制が必要と言うことであろうか?規制緩和が叫ばれるのは、しっかりした統制者(官僚や一部政治屋)がいないからではないか?などと考えてしまう。皆自分の幸せだけを考えているからかもしれない。
2008.10.28
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今、「黄金郷伝説」を読んでいる。書店に山のようにある書物の中から私が読みたいと思う本はなぜか限定されている。荒唐無稽なものや、実生活に関係ないものが多い。しかし、全くのフィクションや小説などはあまり得手としない。「黄金郷伝説」は南米に黄金を求めて当時のスペインやイギリスが派遣を競う歴史物語である。15世紀末から16世紀の大航海時代、南米に黄金郷(エルドラド)を求めて活躍する時代が書かれている。子供の頃に読んだ、ロビンソンクルーソーは先行するスペインの覇権下にある、南米オリノコ川にロビンソンクルーソーという架空の人物が何十年も生活していたと言うことを小説化し、イギリスがこの地に移植する正当性を書いた政治的意図の小説であったということなど初めて知った。日経新聞に「世界この先」というコラムに関連して、16世紀からの覇権国を表化している部分があった。16世紀は、ポルトガル・スペインが先行し、スペインの無敵艦隊の敗北から、17世紀に入り、オランダが台頭する。18世紀から19世紀にかけては大英帝国やナポレオンのフランス帝国が出現する。そして第一次世界大戦以降は、アメリカの独壇場になっているわけである。我々の人生はたかだか100年足らずである。そして私は20世紀の半ばに生まれ、アメリカ一辺倒の中に育ってきた。今や21世紀になり、覇権国アメリカの国威は揺れ始めている。破綻を来すとすれば経済問題であろうか?世界の通貨ドルが弱くなりつつある。冷戦終了後、各地で起こる民族紛争にアメリカは介入し続け、そのことごとくで失敗をしている。果たして21世紀から22世紀にかけてアメリカの覇権が続くのかどうか?かつて大英帝国が世界に版図を有する揺るぎない帝国といわれてきたが、今やかつての面影はない。しかし今アメリカに変わり得る覇権国家は存在しないと思われる。これを覆すとなると、世界が巻き込まれる核戦争でしかない。現に地球を破壊する核の力を持つ国は、お互いに抑止力といいながらこれを持ち続けている。私が生まれた頃は世界の人口も25億人程度だったが、今や66億人となっているし、世界の国も、60ヵ国位から今は192ヵ国までになっている。地球は知らず知らずに変わっている。この先地球が、宇宙がどうなるかはわからないが、私の生活はそんなことより、1ヶ月後、いや1週間後に何をするのかを考えているに過ぎない。出光が、10月27日から11月2日までのガソリン出荷価格をリットルあたり、7.4円下げるという。この期にガソリンを満タンにしよう!という具合だ。アダム・スミスの『諸国民の富』の中には「どの個人も、……広狭の利益を促進しようと意図してはいないし、自分たちがそれをどれだけ高めているのかも知らない。……誰もが自分の利得のみを考えているのであり、そうすることによって他の多くの場合と同様に、見えざる手に導かれて、自分の意図していない目的を促進しているのである」とある。まあ、個人個人は自分が作った正義に向かって進んでいると言うことなのだろうか。(平たく言えば自分勝手)せめて国の宰相や、責任ある立場の人は、もう少し広い立場で物事を考えて欲しいものである。私は、世の中の動きはどうであれ、せめて頭の中だけでも、宇宙の誕生からこの先の地球や宇宙がどのようになっていくのかを考える知的好奇心だけは持ち続けていたい気がする。
2008.10.27
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広島に住む82歳になる長姉が大阪の74歳の四姉と一緒に奥只見湖へのバスツアーに行くというので広島から大阪へ出てきた。ずいぶん久しく会っていないので、連れを伴って、服部緑地公園にあるレストランで昼食をとることにしていた。小雨が降っていたので、渋滞を恐れて、一区間だったが高速道路を利用したら、約束の時間よりずいぶん早く着いてしまった。服部緑地公園内のレストランはネット検索や人づてに聞いていたよりは落ち着いた感じのいいレストランだった。何でも食べるという姉たち二人と同じくお肉料理を選んだ。私は九人兄弟の末っ子で育ったから、長姉とは母親程度の年齢差もあり、その時初めて聞く気恥ずかしい気持ちになるような話もあったが、話はとりとめもなく、長姉が教えているお茶の話や、海外旅行の話など多岐にわたった。四姉とはこの間も伊勢志摩カントリーでゴルフを楽しんだばかりだし、近くまた同じメンバーでラウンドしようと言うことになっているほど、適当に行き来している。私の親ほども年齢差がある長姉だが、年齢を感じさせないほど元気がよく、記憶力もすばらしく、60代の時は元気でよかったと言いながら、まだツアーに参加する元気さを保っているのには敬服した。果たして、私があと20年経って目の前の姉のように元気でいられるかどうか考えてしまうほどだ。私の推定寿命は80歳前後としているけれど、姉の様子を見ている限りでは修正する必要があるかもしれない。考えていたよりもスムースにいろいろな話が出来たが、あっという間に時間が経って、レストランを引き上げ、四姉のマンションに二人を送り届けた。帰りに、若い友人女性が入院している病院へ見舞いに行った。手術の結果も良好で、明後日には退院の運びとなったようだ。手術の翌日から、食事がおいしく食べられて、病院食がおいしいというほど元気を回復していた。連れは停年となったが、同じ教員をしている現役のその若い友人女性は、日頃雑事に追われて考える期間がなかったので、この入院を自分を見つめ直すいい機会だと前向きにとらえていた。四人部屋だが、見舞った時点では彼女しかいなく、連れとの話も弾み長居をしてしまった。病院を辞して、雨は上がっていたが、道路は渋滞していたので、連れの案内で迂回路を通り、マンション近くのジャスコで夕食をとってから帰宅した。なにやら帰宅後連れの携帯に、夕方入院してきたお年寄りの女性が隣で大きないびきをかかれるので「寝られへん!」というメールが入っていたようだ。日曜にもかかわらず仕事に出かけていた(可哀想に土曜日も出勤だと言っていた)博士の姫が夕食にやってきたが、姫のためにと連れがなんと急遽冷凍室に入れていたビールが気がつけばかんかちこになっていて、結局その日の提供とは行かなかったようだ。
2008.10.26
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修理に出していたプリンターが帰ってきた。プリンター会社の修理コメントはしたたかである。『給紙の紙詰まりはなくスムースでした、念のためスプールを調整しました・・・。印字のかすれはなく、念のためヘッドをクリーニングしました。テスト状況は当社の他の製品と優位の差はありませんでした。』とまあ趣旨は上記の通りである。そして、「部品交換、調整・・・しました」と必要ないと言いながら部品を交換しているわけだ。大企業のしたたかさを感じる文面である。これを見る限りは、私が紙を何度も詰まらせたのは私の落ち度であり、印字がかすれていたのは、私の目がかすんでいたことになるわけである。送り返されて来た修理点検の結果のテストパターンは確かにかすれがなくなっている。魔法でも使ったのかと言いたくなるが、何しろ、念のためクリーニングしたのがよかったとは書いていないのだ。まあ、それはそれ、旧態に復したのだから言うことはないのだが、私には、プリンターを長時間使わないでいると、インクが固まり、ノズルが詰まる恐れがあるので、○○時間以上使わない状態で放置しないでくださいとかいうコメントが欲しかったと思っている。もしくは、使わないときには、ノズルをインクで詰まらせない方式に技術を高めてもらいたい。と感じるわけだ。これで何とか連れに頼まれた年賀状が印刷できると内心ほっとした。そういう意味では、こんなことも役に立っているのかと思うけれど、全くパソコンなり、プリンターなりに触ることなく過ごしてきたら、もっと豊かな感性を磨けたのかもしれないとも思う。しかし、機器が使えないからと言って「これ出来ないからやってくれない?」とむくつけき男が言っても、誰も手助けをしてくれなかっただろうから、ある程度やむを得ないことかもしれない。停年を過ぎ、これらの機器を使う必要が激減した今、何のためにあくせくしてきたのか意味がわからなくなる。人生とは所詮無駄の連続・積み重ねなのだろうか?謡や仕舞を趣味としている友がいる、また合唱に入れあげている友人夫妻がいる。私は、そういう友を今やっとうらやましく思う気持ちになっている。
2008.10.25
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最近つくづく電子機器の不具合にぶつかることが多い。電子機器にふれるのにも停年があるのか、単に私がぼけているのか、ふとどちらかわからなくなることがある。以前からそうであったのか年をとったから頭が回らなくなったのかがわからなくなるのである。私が最近パソコンを買い換えたのは一年少し前だ。それまでは何もかもうまくいっていたような気がするのに、このところ異変が続きすぎるのだ。そのとっかかりはソニーのPDAに始まるのかもしれない。私はどちらかというと新しいものを使うのが好きだ。でも今ではそんな自分の性格に嫌気がさしている。ソニーのPDAに関して言えば、私がそれを購入したきっかけは、ある件で弁護士と会っていると彼が次回の予定はどうしましょうといって、ソニーのPDA(クリエ)を出してきて、自分の予定をチェックし始めたことに始まる。私は、かねて欲しかったこともあり、店頭で、2-3種類のPDAを見比べながらその弁護士が使っていたソニーのPDAを購入した。(これが2005年の2月14日だ)私は意気揚々と、使い始めた。それから10日経たない2月23日の日経新聞にそのPDAの発売を中止する旨日経新聞紙に記事が掲載された。ソニーがPDAから撤退するというのだ。私には寝耳に水であった。おそらくそのような方針はずっと以前からあったものであろう、社内で最終決定し新聞発表がその日であっただけで、以前から撤退することがわかっていたのに私は、それを買わされたのだ。それでも有頂天に、自分の予定をぎっしりと買ったPDAに入力して、それを携えて、サウジアラビアに出張駐在した。パソコンと同期をとるそのPDAはビックリするほど長くややこしい充電用ケーブルがついていた。私の迂闊さも手伝って、充電するのを忘れて、バッテリーが切れブラックアウトしてしまったことがあった。そうすると書き込んでいた予定はもちろん、忘れてはいけないと入力していたメモや、あらゆる情報が消えてしまったのだ。充電してもそれらは復旧出来るものではなかった。発売中止がわかっていたものを店頭の品が売り切れるまで売るというソニーの態度に怒りを覚えるとともに、電源が切れたら入力データーが消えてしまうようなメモリーをなぜPDAに採用したのかも理解に苦しんだ。スーパーで言えば賞味期限の切れたものを売っているのと変わらないのではないかと感じた。また、サウジから帰って、それまでかまびすしく宣伝されていたWindows Vista搭載のパソコンを喜び勇んで購入した。初物は止めておけという忠告は、私の耳を素通りした。旧のWindows XPは処理速度もさることながら、HDDの容量が一杯になってきたからだ。さらにマイクロソフトの口車に乗って、XPがやがて廃止されると言うことに嫌気がさしたことも手伝っている。ところがどうだろ、使い始めて、いろいろな機能が付加されているのはわかるが、なぜか非常に使いにくくなっている。さらに、今まで使ってきたXP対応のソフトはVistaでは機能しないことも徐々にわかった。くだんのソニーのクリエもご多分に漏れなかった。ソニーに問い合わせると、「それはVistaには対応しておりません。」と木で鼻をくくる返事であった。ソニーとしては、発売停止になったから、もうVistaに対応するように改良することをやる予定もないという。あの買い物は何だったのだろう?次に不具合になったのは、エプソンのプリンターだ。これはVistaに対応しているのだが、相性が悪いのか、うまく作動しなかった。初期不良で、それは早速新しいのを向こうから送ってくれ交換することが出来た。ところが使っていくうちに、インクが詰まったのか、色はうまく出なくなり、ヘッドのクリーニングを行ってもなぜかかすれてしまう。プリンターはパソコンと同時期に買ったもので、その異常に再び気づいたのが、購入後1年と一ヶ月を過ぎていた。すなわち、保証期間が過ぎているというのだ。有償で修理しますと言われ、気持ちが収まらず、何とか無償修理することを納得してもらった。(それは今日にも戻ってくるとのことだがまだ戻っては来ていない)今度は、携帯電話だ、携帯電話についた傷(内面と思われる)は何度かの交渉の末無償修理してもらえることになった。これにもずいぶん時間をとられた。思えば、電子機器がなければこんなことは起こらなかったわけだが、若い人は今の時代IT機器を使わないと仕事が出来ないところまで追い込まれているし、私もそれに必死にしがみついてきた。私の年齢でパソコン嫌いだといって触らない人はいる、「俺は今まで、キーボードーを触ったことはないよ、はっはっは!」といっていた彼は、確か偉くなって理事にまで昇進したと聞いた。仕事で書類を作成するのも皆部下がやってくれたようで、彼は命令をするだけで済んだからだ。また別の意味でもパソコンやIT機器に触れないで済む人種はいい。昔は、そんな人種をだめだなぁと思ったが、今は少し気持ちが変わってきている。予定表など紙に書いてメモしておけばいいし、大量の書類や、計算や、図表も書く必要がなくなった今では特にそう思う。そういえば、昔引いた広辞苑や、英和、和英大辞典なども今はほとんど引くこともなく書棚に眠っている。皆インターネットで間に合うからだ。インターネットは便利であるが、それとて仕事を辞めた今となっては、誰かにお願いしていれば済んでいくのだろう。しかし、若い頃から染みこんだ、電子機器依存体質はこれからも変わらないのだろうなぁと自分自身を嘲笑しながら日々が過ぎていく。といいながら、意味もなくこんなブログを書いている自分がいる・・・・。
2008.10.24
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日経新聞に小さな記事を見つけた。時の人、時の話題(技術)iPS細胞についてあの山中伸弥先生が講師をされる講演会らしきものがあると経済ガイドに小さく載っていた。連れに、行ってみないかというと、即座に行きたいとの返事、KRP(京都リサーチパーク)で参加費は2000円だとあり、問合先に早速連絡をしてみた。有名芸能人を追っかけるミーハー的な気持ちもあり、また日本が最先端を行く再生医療の何たるかを素人なりに知りたいという純粋な気持ちもあったからだ。電話の向こうでは、「これからビジネスの糸口を見つけたいという方たちを対象にしていますので・・・」とつれない返事。「じゃあ、年金暮らしの年寄りは、生の話を聞けないのですか?」と食い下がってみた。「では確認してみます」と電話の女性の声、「おいで下さっても結構です」と答えが返ってきた。会場に着いたときは一番乗りの感じで、前の方の席に陣取った。しばらくして、シンポジウムは始まったが、最初にお断りがあり、なんと山中先生は所用で参加が出来ないと言うことだった。今をときめく先生を間近に見損なった残念さはあるが、現在の日本の再生医療の先端技術を聞けるという気持ちがそれを薄めてくれた。その会は、「専門家との直接意見交換シンポジウム」と称されていて、司会の田畑先生の言では、意見交換会としたかったが、話題を提供する各講師(通常のパネラー)が15分間ずつ専門的立場からの現状を紹介すると言うこともあり、シンポジウムの名前も入れたと言うことであった。田畑先生の話題提供トーク(基調講演に当たる?)では1998年トムソン教授の発表したES細胞を皮切りに、日本で、iPS細胞の論文が発表されたとの紹介があり、この会はそういった学術成果をいかに応用して商売につなげるかと言うことを希求するのが目的である旨の説明だった。シンポジウムの内容をここにまとめるなどは私にはとても出来るものではないが、そのシンポジウムに予定されている4時間余は、あっという間に過ぎてしまった。ES細胞とは表裏一体の関係で、ES細胞が胚を使うという点が倫理上の問題を持っているのに対し、iPS細胞が受精卵やES細胞をまったく使用せずに分化万能細胞を単離培養することが可能となったという違いがやっと理解出来たことは私には大いに有意義であった。最後のまとめで、iPS細胞の世界における優位性についての質問に、答えが示されたが、断然優勢ではあるが、臨床に関しては、すでにアメリカでは胎児において施行されているが、日本は未だに規制があり行われていないなどの説明がありこういった問題に対する日本の対応がコンサーバティブであることを感じた。そういえば、韓国の教授がねつ造論文を書いたのも、この問題だったなと思い出した。いずれにせよ、iPS細胞・再生医療の問題はオールジャパンで考えなければいけないこと、すでに産ー学連携は進んでいるが、産ー産連携で事に当たる必要もあるとの示唆もあった。配られた資料では、皮膚や骨、角膜や血液細胞にはすでに応用されているが、これからは、膵臓(糖尿病)、心筋(心筋梗塞)、神経細胞(パーキンソン病)などへの適用が広がるとの見通しが述べられたことは大いに元気の出る気がした。以前の新聞記事で、ゲノムを全解読した「セレーラ・ジェノミクス社」の社長が、「ゲノムの解読は疫病の解明や治療薬の開発のほか、人類にとって計り知れない未知の可能性を開く。私たちが死ぬ前にガンによる死者をゼロに出来るかもしれない」とあったが、友人女性が、乳ガンと闘っている今、早期にゲノムの解析の応用と、iPS細胞による再生とが実用化されガンに悩む人が根絶されることを密かに願った。
2008.10.23
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パソコンを使い始めてもう何年になるだろう?最初は、シャープのMZ2000とかいうデスクトップ型の緑色のブラウン管で、BASICをカセットテープでロードして簡単な技術計算をしたのを覚えている。それからNEC98LTというこれはとんでもないパソコンで、ほとんど使い物にならなかったが、基本ソフト(OS)はもうMS-DOSになっていたかと思う、このとき使った、ワードプロセッサーは「テラ三世」というものだった。これはフロッピーディスクでいちいちロードして使っていた記憶がある。この頃、会社では沖電気のOKITAC8000?が少し入り、以降はIBM360がコンピューター室にでんと据えられて、人間様より行き届いた空調を施されていたのをうらやましく思ったものだ。それからパソコンが隆盛を極め始めたが、私はどういう訳か、ワープロは「一太郎」表計算は「ロータス123」を使って仕事をしていた。仲間も同じようだったと思う。当時のジャストシステムは、なかなか技術的にしっかりしていると思っていた。「一太郎」で作成した文書が今でもフロッピーにたくさん残っている。「ロータス123」もよく使ったが、いまやIBM傘下になってしまった。そこにマイクロソフト社が、ウインドウズを携えて参入してきたわけで、ユーザーインターフェースがアイコンになり革命的に使いやすくなったと思ったが、最初に出たWindows3.1は全く不評であり、すぐに消えてしまった。私は幸いWindows3.1は使わなかったが、Windows95からはWindows98そしてWindowsXPを使ってきた。センセーショナルなWindowsXPを私は快適に使ってきた。記憶は定かではないが、Windows98時代だったか、マイクロソフトの横暴で、パソコンには、「Word」と「Excle」が同梱されるようになり、私のような高齢域に入った者用にか、一時期パッケージとして「一太郎」「ロータス」型を選ぶことができるようになっていた。やがてそれもなくなり、いまやワープロは「Word」表計算は「Excel」という時代になってしまった。前置きが長くなったが、私もご多分に漏れず、「Word」と「Excle」を使うように強制されてしまった。しかし、ワープロにつきものの日本語変換ソフトは、日本人が作った一太郎用の「ATOK」が使いやすく、「Word」に付属する「IME」は使いにくいので、今でも「ATOK」を使い続けている。「ATOK」は歴史が古く優れた日本語変換ソフトであったが、時代が、Windows Vistaになったとたんに相前後して出された「ATOK2007」は全くの欠陥品と言わざるを得ない。私はそれまでの「ATOK」では「ATOK8」、「ATOK12」、「ATOK15」を使っていたが非常にスムースな変換をしてくれ、フラストレーションもなく実に快適であった。ところがVista対応版として出された「ATOK2007」は全く変換機能が稚拙な初期状態に戻ってしまった。これを私は買わされたわけだが、ジャストシステムは、この不具合を解消するためになんと改良版として「ATOK2008」を急遽出した。私には詳しいことはわからないが、「ATOK2007」はVista用に完全対応はできておらず、急遽開発途上のものをリリースしたものと考えている。例を示すと(これはジャストシステム自らパンフレットに記載している一部だが)「せいきゅうしょのしはらいにちじ」をATOK2007を使い連文で変換すると、請求書の市は来日時となり、これを新しくリリースされたATOK2008で変換すると請求書の支払い日時となるというのである。これを、ジャストシステムは、進化だと言って売りに出している訳である。ところが、これを私がWindowsXP時代に使っていた「ATOK15」で変換すると、正しく、請求書の支払い日時とでてくるのである。これは何を意味するのか、私は「ATOK2007」はVista用として間に合わせで世に出した半製品であると思っている。この点をジャストシステムのサポートセンターの偉い人に聞いても頑として譲らないのだ。なぜ、昔出来ていたものが、出来なくなり、また出来るようにしたのか、私には、粗悪品を先に売り、追いかけて改良品と銘打って、昔通りの製品を売り、二重に儲けている悪徳商法ではないかと思えてならない。よもや、長年愛用し続けてきたATOK(ジャストシステム)にこのような仕打ちを受けようとは・・・。船場吉兆や、果ては毒入り餃子をも思い出させるこのような商法を看過することは出来ないと思い、今「ATOK」(ジャストシステム)と決別すべき時かと真剣に考えている。もし同じようなことを経験された方がこれを見られたとき、これが私個人の問題なのか、同様の悩みを抱えられている人がおられるのかご意見が聞けたら幸いだと思っている。
2008.10.22
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NHKカルチャースクールの第一回目の講座が始まった。連れと共にバロック美術についての講座と、この講座との2種類を受講している。この講座も以前から続いているようで、今回からは若い講師に代わったそうである。講師は、アラビア語学科を出られてカイロ大に留学、シリアに駐在などの経験を持つアラビア文学を志向する人であるとの紹介であった。講座受講者は我々同様、新規に加入した人達を含め14名で、男性は私を含め3-4人であった。美術関係には女性が多いことを想定していたが、中東関係の講座に女性が多いことにまず驚かされた。第一回目の話は、講師自らの生い立ちを含め中東の地政学上の定義や日本から見た中東、更に世界史の中での中東と総括的な話が紹介された。イスラームという概念は曖昧だとしながらも、イスラーム王朝の没落と、西欧の大航海時代がほぼ一致して起こり、日本での学問的制度上はこれ以降の中東の歴史は、西欧の歴史に飲み込まれるようになってしまった。もっとも、中東という名の起こりは、イギリスを中心としたトルコまでの近東、中国、日本などの極東(遠東とは言わない)の狭間として、第二次世界大戦中に連合軍がカイロに基地を置きこの地域を中東と言ったことに始まるようだ。中東の地政学的な範囲も完全な一致を見ているわけでは無さそうであるが、西はモロッコ、モーリタニアから東はアフガニスタン、南は地中海沿岸のアフリカ、北はカザフスタンまでを含む広範囲な地域を指すようである。この範囲から世界の四大文明のメソポタミア文明と、エジプト文明が起こったことが紹介されが現代のエジプト人達のアイデンティティは、ルーツをそこに持って行きたいという気持ちと、現代の地中海文明に生きる気持ちとの葛藤が見られるという話は、興味深いものであった。具体的な例としては、日本の「エジプト何日間」とか「トルコ何日間」とかいう旅行会社の案内する史跡は古代のそれであり、地元住民の求めるものとは違っているというギャップが存在するとのことである。次回からは、少し各論に入るようであるが、中東即、紛争、石油などという現代日本人の短絡的感じ方に違った観点が提示されることを期待している。私は、サウジアラビア、バーレーン、カタール、そして今や近代国家となり世界の耳目を集めるUAEを知る機会があり、何冊かの本を読んで、なにがしかの知見を得たつもりであるが、系統だった視点での講義が、私の頭の整理になればよいと考えている。来月から上海へ行く手はずになっていたが、それがキャンセルになり、この講座を続けて聞くことが出来ると言うことは痛し痒しではあるが、予定をキャンセルしたゴルフへも参加が出来ることでもあるし、良かったと考えることにしよう。講義が終わって、術後の友人女性を病院に見舞ったが、元気そうな笑顔で迎えてくれたことにほっとしながら、帰途についた。
2008.10.21
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連れを通じて知り合った若い友人女性の乳ガンの手術に立ち会った。立ち会ったといっても、手術前に激励に行き、手術中無事を祈るという程度なのだが、友人女性を激励しなくてはとの連れの強い思いと、それを待つ患者である友人の不安感を慰撫するために病院に行くだけのことしかできないのだけれど・・・。友人女性はまだ若く、我々の子供といってもおかしくない年齢差があるものの、日頃から仲良くして貰っているとても可愛い人である。手術前に顔を見、話を聞く限りでは、とても快活で、笑顔をも見せていた。私も昔、胆石で腹を切ったときには、手術前夜は特に心配で、あれほど快活にしておられただろうかと思うほど、我々にはみじんも不安感を感じさせない振る舞いにけなげさを感じた。いよいよ手術に向かうと言うとき、記念に写真を撮って、ということで、連れと一緒の写真や、点滴を腕に刺したままの友人の写真を撮った。手術室に入ってからは、病院外で、手術の終わるのを待っていたが、その2時間余がとても長く感じられた。手術前にはその友人のご家族も来ておられて、手術後には手術中の話や結果の話をご家族とともに執刀医から丁寧に聞かせて貰った。手術が終わったらブログに載せるのだというその友人女性の頼みで、家族は摘出したガン細胞の部分の写真を撮っていた。さすがに私は、それを撮ることには抵抗を感じてただ見ていた。執刀医の話では摘出した細胞をこれから精査して、転移の有無や、抗ガン剤の投与などの今後の処置(方針)を決めるとのことだった。盲腸や胆石と違い、ガンの場合は、当該部署を摘出すると言うだけではおしまいにならないのがやっかいだ。我々を含め、友人女性の親御さん達老齢域に入った者達がまだ若い人を病院に見舞うと言うことが如何に変則的かという感じを強く感じた。私は手術後の友人を見ることは出来なかったが、連れの話では、手術中の麻酔が切れ始め、次の痛み止めを点滴している間に「痛いよう・・」という友人の声を聞いて思わず涙したようだ。私は、身体を切るのだから痛いのは当たり前だよと言いながらも、ガンの手術故に、まだこれが始まりに過ぎず、これから抗ガン剤投与などの処置が続くことを思うと何か胸にぐっと来るものがあった。とりあえず、手術は成功したと言うことで、我々二人は、付き添う家族に別れを告げて病院を後にした。何とかガンを克服して欲しい。がんばれ!という気持ちでいっぱいだ。
2008.10.20
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地球温暖化にCO2が大きく関わっているという世界の流れに、真っ向から反対する槌田氏の「CO2温暖化説は間違っている」という本を読んだ。今我々は、エコ、エコと叫び、出来るだけCO2を出さないようにじんわりと周りから締め付けられている。氏は、CO2が増加するから気温が上昇するのではなく、気温が上昇するからCO2が増えているのであると、世間でかまびすしく言われている報道とは全く別の立場を展開されている。「京都議定書」も意味のないことのように受け取れる内容である。石炭を石油に切り替えさせ、今や、原子力発電が不可避との印象を世に定着させるためのレトリックに近いというわけだ。データーと物理的意味を解説しながら、現在マスコミがあおり立てている温暖化説が、無意味であり無駄であることを理路整然と述べられている。化学や、物理に疎い私などは、その理論を自分のものにするまでには至らないが、今世間で言うCO2温暖化対策がなにやら空しい響きを与えたことは確かである。CO2温暖化説の根拠は、1964年に出された真鍋説に依っていると言うことだが、その説の間違いを名指しで批判されている。コンピューターシミュレーションによるこの説の入力自体、仮定自体が間違っているというものだ。私は、真鍋説の何たるかを知らないのでコメントできるわけではないが、どうやら、そこら当たりから真鍋説を信じた経済学者や政治家がその尻馬に乗り、CO2を排出するのを抑えなければ、地球は温暖化し、南極の氷は溶け、水位が上がり、ツバルのような島国が水没するのだという警鐘を世界各国が共有しているわけである。「京都議定書」を肝心の米国が批准していないのは、CO2削減をはじめから達成できないと言うことを知っている以上に、何か政治的な意図があるのではないかとの考え方も頭をよぎる。日本なども達成できそうもない目標値を掲げて、それが達成できなければ途上国の排出枠を買い取ってでも額面上は協定を守ると言うことのようだ。私などは単純だから、そんな小手先の小細工を行っても地球全体でCO2の排出は絶対的に増え続けると考えて、危機感を持ってマスコミや新聞報道を見ていた。槌田氏は、この辺の所をズバッと切り捨て、間違った根拠に立脚したいわゆる「エコファッショ」だと切り捨てられている。気温が上昇し、CO2が増えたのであり、CO2が増えたから気温が上昇したのではないという、因果関係の逆説は、かなりなインパクトがあるが、一旦走り出した「エコファッショ」は止めることは出来ず、槌田説は、取り上げられることもなく傍流を歩んでいるようである。地球にエネルギーを与え続けてくれているのは太陽であり、また火山のような地球自身の内部マントルの噴出などによって起こる現象が、地上のCO2量を決めるわけで、人間が排出するCO2の量で、地球が危機に陥ることはないというわけだ。クリーンな原子力発電、太陽光発電、風力発電を推進するのに好都合なように世界中の人を誘導しているという。原子力発電は安全であって、初めて意味をなすものであるし、またそれが安全でないと言うことは、チェルノブイリ、スリーマイル島で十分に実証されているではないか。日本でも美浜原発事故以外でもあらゆる原発基地で、人為的事故を含め、配管腐食等々の事故は日常茶飯事であり、想定地震を超える地震が来れば、日本中が一網打尽になる原発が闊歩するようになっている。太陽光発電や風力発電も現段階ではコストが掛かりすぎて、返って石油の消費を増やすことにもなるという。物理的意味を理解するには、私の頭は固くなりすぎているが、地球の部分的側面をとらえて、CO2→温暖化と早計に結論づけられて走る事への疑問を今後持ち続けなければと考えさせられる一冊であった。
2008.10.19
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このところ毎年訪れる丹波の黒豆を今年は3人で買い求めに行くことになった。いつもの4人組の内若い友人女性が入院すると言うことになって、今年は3人になってしまった。亀岡を抜け、丹波篠山に入った。町並みは見慣れた風景だ。城郭跡の公園を囲むように篠山市は小さなたたずまいである。明日は祭りでもあるのだろうか、御輿が街角においてあるいつもの道を、町外れくらいまで歩くと、そこには、小西のパン屋がある。ここの黒豆入りパンはおいしいとの評判であり、実際においしい。ただ、9時に発売開始して、正午頃には完売してしまうと言うほどの売れ行きだそうだ。入院待ちの友人女性にも頼まれたその黒豆入りパンを、いち早く求めるために最初にそのパン屋に向かった。連れは、家で待つ家族のためにもと黒豆入りパンを買い込んだ。そして、次の目的である生の丹波黒豆を買い求めた。街のメイン通りに沿って並ぶ店には、殆ど丹波の黒豆の幟が立てかけてある。どこで買っても同じようなものだろうが、なにやら、店のおばさんは、川北地区の黒豆は黒豆の中でも一段とおいしいという口上だった。なるほど、他の一般の黒豆に比べて、値段は3割方高い。試食をどうぞといって持ってくる茹でた黒豆はお腹が減っていたからかも知れないが確かにおいしいと感じる。せっかく来たのだからと、とりあえずその高い方(川北産)を買う。もっとも、川北地区というところがどこなのかは分からずじまいであったが・・・。別の店で一般の安い方も買って、食べ比べてみようと言うことになった。駐車していた物産展会場でおいしそうな焼き栗を売っていたので、それを頬張りながら、そろそろお腹も減ったので、友人男性がネットで調べてくれた、口コミのそば屋を訪れた。そのそば屋は「一会庵」という名前で、低く連なる丹波の山並みに囲まれた、田園風景の中にただ一軒のわら葺き屋根が目印だった。「一会庵」に着くとすでに人が並んでいる。聞くと11時頃から整理券を配り始め、その日に打った分が終了すると売り切れごめんだと言うことだった。並んで貰った順番券は6番で、それからまた小一時間待たされ、室内に通されてからまたしばらく待った。出てきた蕎麦は、通常のものより腰がありというか堅いくらいで、付け汁には、わさびやネギなど一切添えられていなかった。私には初めての体験だった、「そばがき」というものを頂いた。なにやらそば粉をこねる前に丸めて湯に通してかき集めるから「そばがき」だという。一方、我々が通常食べるざるそばなどは、「蕎麦切り」と言うらしい。おいしいと言えば、確かにおいしいが、私なら、10時半くらいから並んで、昼過ぎに食べられる蕎麦は如何においしくても一人では食べにこないだろうと思った。しかし、周りの景色と、ちょっとした散歩が、長い待ち時間を癒してくれた。食べ終えて、今田の兵庫陶芸美術館で開催されている「ウェッジ・ウッド展」の入場券を連れの教え子が送ってくれていたので覗いてみることにした。兵庫陶芸美術館は立ち杭焼きの窯元が並ぶ街道沿いに隣接していて、この日は、年に1回の立ち杭焼き祭りと重なっていたため、大変な混雑であった。世界最大級の陶磁器メーカーの一つであるウェッジ・ウッドだけあって、展示されている壺や食器は目を見張るものがあった。先日のジュエリー展で、カメオの作り方などを見せて貰っていただけに、カメオが彫られた壺の装飾は特に興味深く見ることが出来た。最後の締めくくりとして、今田の「ぬくもりの郷」の「こんだ薬師の温泉」に入って帰ることになった。ここの温泉も超満員で、嬉しいことに源泉掛け流しの湯が楽しめ、露天風呂も広くて快適な空間であった。汗を流し、良い気持ちで帰路についたが、途中で居眠りがついてしまい、往復とも運転をしてくれた友人に少し悪いことをしてしまった。おみやげの黒豆と、黒豆入りパンを家で待っていた友人女性に渡して帰宅の途についた。今頃は、絶好の行楽シーズンでもあり、帰りの道は非常な混みようで、友人の運転で巧みに迂回路を縦横に使って、渋滞のイライラも最小限で無事自宅に戻ることが出来た。自宅に帰って連れが早速ゆでてくれた、川北の豆と一般の豆を食べ比べたが、どう味わってもその違いを特筆することは出来なかった。(本当に旨いのかなぁ??)
2008.10.18
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連れと一緒にNHK文化センターの講座申し込みをしていたが、その第一回目の講座があったので出かけた。話の内容によると、どうもこの講座は前期からの続きであったようで、今回から新たな受講者は、我々2人のほかに4人ほどいた。講座名は「17世紀の美術ーバロックからフェルメールまで」である。講師は、あまり脱線をしない、淡々としたしゃべり方の人であった。ゴシックからルネッサンスを経てのバロック芸術はコロンブスの米大陸発見や大航海時代を経た時代背景から起こったと解き起こされた。講師は、コロンブスの米大陸発見は、米国の先住民族にとっては迷惑千万で、発見というのはヨーロッパ側の身勝手、不遜だといわれたがその通りであると思った。イタリアなど都市国家の市民が、ばくちや賭のごとく投資した植民地経営を経て、やがて財力に勝る王のみが、巨万の富を得、宮殿を飾るフレスコ画や宗教画の需要が高まったという。私が聴きたかったバロック時代の芸術家である、レンブラント、ルーベンス、ブリューゲル、ベラスケス、カラヴァッジオそして極めつけのフェルメールについては、次回以降の5回で話されることになっているという。いわばその他の人たちの一把ひとからげ的な画家の紹介であった。トレント公会議で、絵画に教会などの規制が強くなり、絵画の表現には独自性などは認められなかったようで、様式は画一化され、面白みはないものになったということである。宗教的色彩が強く、ギリシャ神話に立脚した想像上の神々をフレスコ画で教会の天井画として描かれたものなどが多く紹介された。アンニバーレ・カルラッチの「バッカスとアリアドネの行進」ではバッカスの手には葡萄酒の原料である葡萄の房が握られ、先導は、バッカスに従属的な虎が車を引きアリアドネを伴うというものであった。当時の王侯貴族は、長子継承で、次男以降は軍人、末の子当たりが僧職と相場が決まっていたようである。このように教会にも隠然たる影響力を持ち、教会の権威を高めるために神話と空想を交えた、天井画などが多く製作されたようだ。我々が訪れた、ヴェネチアのドゥカーレ宮殿の内部も紹介され、懐かしい想いで、印象を新たにした。バロック美術の特徴は、豪華、動的、装飾的、曲線的、イリュージョニスティック(幻覚的?)、効果過剰との特徴を持つとのことであった。アンドレア・ポッツォの「イグナチウス・ロヨラの栄光」や「フランシスコザビエルの栄光」新大陸布教(特に南米)にまつわり、イエズス会が財力にものを言わせる、豪華絢爛なものになっている。因みに、上智大学はイエズス会に所属した大学であるとの話であった。東京四谷の一等地に巨大なキャンパスを持っていることでもその財力の偉大さが知れると言うことである。最後に、建築家としても活躍した、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作になる「聖テレサの法悦」ではキリストの矢(実際は天使が持つ)によって胸を射貫かれ、法悦の表情を浮かべる聖テレサ(聖)と、それを離れたバルコニーで見る目撃者(観客)の一団(俗)を対比させて描かれており、一般市民に奇跡を信じさせようとでもする意図があるかのように見えた。講師はまた、バロック美術を例えて、デパートなどで売っている豪華絢爛のデコレーションケーキのようであって、案外、小さな工場で作る手作りケーキの方がおいしいのではないかという感想を漏らされていた。そして、個人的な意見として、バロック美術はいかに豪華絢爛であっても、魂を込めた一作一作のゴッホの絵には叶わないのではないかとも述べられた。次回からの画家達の話が楽しみである。
2008.10.17
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先輩達が幹事をされているゴルフコンペに参加をさせて貰って3回目になる。月1回のペースで、行われて来て、今日のコンペはすでに46回目だそうで、単純計算ではもう4年前から始められたようである。先輩達というのは、私が高校時代にバスケットボールをやっていた時に同じくバスケットボールで良くご指導を頂いた方達である。もちろん私が高校に入学したときにはすでに大学でプレーをされていたが、とにかくバスケットボール部の大先輩に当たる人達である。私は東京から大阪に越してきて、友人との接触もあまりなかったところ、高校時代のバスケットボールの名プレーヤーだった同期の友人にゴルフをやっている会を紹介して貰ったのがこの大会である。バスケットボールの後輩という関係もあった、快く入会を許されて、3ヶ月前に第44回目から参加させて貰っている。31名ほどが参加された参加第1回目の大会では、幹事の先輩と、同期の友人との中に入れて貰って、リラックスできると思ったのだが、自分でも嫌になるほど大たたきをして、何とブービー賞を頂く羽目になった。しょげ返る(?)私に、先輩も、友人も、「○○よ、ブービーなんて狙って出来るものではない。大いに喜べ!」と激励されたが、内心忸怩たるものがあった。しかし、ブービー賞に加え、ニアピン賞とバーディー賞も頂き賞品の量は人よりも多かったのが嬉しかった。そのとき、ダブルペリアで頂いた膨大なハンディキャップで、次回頑張れば優勝出来るぞと友人に励まされた。27名が参加された、次の45回目のコンペでは、スコアは11改善したものの、10位までがアンダーパーと言うことで、優勝などほど遠く、参加賞を頂いて、すごすごと帰ることになった。今回の第46回コンペに参加する前に、連れと、近所中の練習場で、特訓を重ね、昨日は、前にも書いたように伊勢志摩カントリークラブで内輪のラウンドをしてきた後だった。連れは、連日のラウンドは疲れるだろうといたわりの言葉をかけてくれたが、私は、かえって身体がほぐれて良い感じだと思っていた。46回目のコンペ(私の参加3回目)では、人数も減って25名の参加だったし、事前の練習の成果もあり、また膨大なハンディーの助け(これが一番大きい)もあって、見事(?)優勝の栄に浴した。自分でも、今まで100を切ることは数えるほどしかなかったのが、100を切ることが出来たのは、別の意味で嬉しいことであった。あの2回のOBが無かったら・・・とやはり「たら、れば」の反省が残るラウンドだった。当然、ハンディキャップは10ほど減じられたので、次回は上位に食い込むことさえ難しいだろう。思えば、最初に参加したときの大たたきが効を奏したことになったわけだ。(人間万事塞翁が馬?)残念なことに、次回は、仕事の関係で、昆山市(上海の近く)に3ヶ月間駐在する話が持ち上がっており、連続優勝(出来るわけがない!!)は逸してしまった。今回のコンペで、優勝できたことはもちろん、久々に100を切れたこと、また人並みのハンディーになったことが嬉しかった。
2008.10.16
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一昨日から、連れと一緒に姉の知人が持つ伊勢志摩の別荘に泊めて貰い、本日朝から伊勢志摩ロイヤルコースでゴルフを楽しんだ。一昨日は、出発時点から雨が降り、名神から京滋バイパス、新名神を経て伊勢自動車道を走行する間中、雨は止むこともなく降り続いた。途中の景色は、雨でかすんで殆ど見えなく、空は一面暗く、今日のゴルフも案じられる状態だった。伊勢志摩ロイヤルホテルの近くに知人の別荘はあった。別荘に着いたときにもまだ雨は降り続いていた。別荘は、伊勢志摩のスペイン村に近く、知人の話ではその近辺に「ひまわりの湯」という名の温泉があるという。温泉と聞いて、皆は色めき立った。もとより温泉大好き人間達である。食事前に早速行こうと車で向かった。温泉は、スペイン村の隣にあり、若干わかりにくかったが、ようやくたどり着いて、1時間の温泉浴を楽しんだ。露天風呂は、まだ残る雨で、少し水柱が立つほどだったが、屋根も付いていて、戸外での温泉浴は、爽快な気分にさせてくれた。十分に暖まって、別荘に帰り、しばし歓談をして、テレビによる天気予報で、何とか今日は雨が上がりそうだと言うことを確認して、就寝した。本日あけてみると、少し空は黒いものの雨はすっかり上がっていた。別荘から近くの伊勢志摩カントリークラブに出かけたが、従業員が来るのが遅く、門扉が開くのをしばらく待たねばならなかった。我々が最初のスタートだった。70過ぎの婦人が2人、60過ぎの我々が2人のロートルパーティーだった。スタート前から、お天気はぐんぐん良くなり、ホールが進むほどに、汗かきの私は、半身汗でぐっしょりとなった。アウトでは、後続の組にせっつかれる感じだったが、昼食をそそくさと済ませてインに入ってからは、割合とスムースに進むことが出来た。連れもついこの間ゴルフを始めて、今日が本格的デビュー戦であったが、集中的な練習の成果もあって、ナイスショットが随所に見られた。スコアーを正確につけられるまでには、もう少し実戦経験が必要であるが、確実に進歩の度合いが見えて、女性の中ではオナーを2,3度取るほどの出来であった。本人も、周りも、ハッピーな感じで18ホールをホールアウトすることが出来た。私は、コースの間中、皆の打球を追うことに忙しく、そのことに気を遣ったが、あまり疲れを感じることなく、帰りの行程も運転することが出来た。楽しいひとときを経験させて貰った、知人に感謝しながら、また行きましょうと言いながら別れた。昨日から、本日帰宅まで合計480kmの行程だった。
2008.10.15
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連れの知人が経営するジュエリーショップが関係する宝石販売会がホテル・リッツカールトンであった。連れは、毎年のようにそこでの受付を頼まれて眼の保養をかねて行っているという。今年も話が舞い込んで、出かけることになったが、私も、友人二人も同様に見に来るように誘われて出かけた。会場に着くと連れがにこやかに待っていた。会場出入り口はおろか、内部には、制服を着たガードマンが何人も配置されている物々しさの中に、なにやら華やいだ雰囲気を感じた。また、会場には石田純一コーナーもあり本人も来ていた。周りに溶け込んでいるというか、特に指さされ無ければ分からないような感じではあったが、友人達曰く、「同じような格好をしているけれど、何となく違うわね」ということだった。連れの話では、前に来た羽賀研二とは違って、偉ぶらない気さくな感じの人だと、なんだかこの期に印象を良くしたようである。おばさん連中は盛んに写真を一緒に撮る事をせがんでいて、それに嫌な顔一つしないで応じていた。両サイドの設けられたテーブル席ではソフトドリンクがサービスされてそれを頂いてからおもむろに会場を回り始めた。しかしその額を見て驚愕した、私はご多分に漏れず手元の字が読みづらい。値段表が、ぼやけるのだ。でもよくよく眼を澄ましてみると、やっぱり0が一つ多い。桁が違うのである。4,50万円などというのはまだ生やさしいものだ。何百万円という装飾品がいかにも無造作に置かれている。一月飲まず食わずで働いても小さなダイヤ1個すら買えない。連れは、眼の保養として見ればいいというし、それらの石から気を貰えばいいと言う。まあ、気ぐらいなら貰えるだろうと次々に回ってみた。高価な中にも特に高価な宝石はガラス箱に入っていた。最初に驚いたのは6000万円を超えるダイヤのネックレスだ。友人達と、うちのマンションを売っても到底手が出ないとか、マンションが2軒も買えるなぁとか驚きの連続だった。中には、宝石の名前も分からないが、8800万円の石が分厚い座布団の上に鎮座していた。あれを装飾品に仕立てるには、更にまた金が掛かるのか、そうすると、俺の生涯賃金より高くなるかもと友人がつぶやいた。そこまでは行かないだろうが、あの石一つと俺の人生はほぼ変わらないのかと思うと・・・・と友人は嘆息気味であった。そうして回っているうちに最後の島にやってくると、そこは、3万から10万円程度のものが多く陳列されていた。「安い!」と感じるように仕掛けてあるようだ。友人曰く、「高速道路から、一般道路へ降りた感じだ」。そこはほかの島と違って人だかりも多く、需要も多いようであった。友人は、一緒に行った彼女に感じの良いピアスをプレゼントした。彼女は、年齢も10歳は若く見える可愛い人で、そのピアスをひどく気に入っていた。また、以前に友人がその彼女にプレゼントしたネックレスとも良く調和して、更に可愛らしく見えた。連れも同じようなピアスを買った。これから耳に穴を開けるのだそうだ。連れのおかげで、招待者扱いとかで、全員、おみやげや御食事代を頂いて、その夢のような空間から出てきた。あーぁ、世の中にはああいった別世界が現実としてあるのだと言うことを実感すると共に、得難い経験をさせて貰った一日だった。
2008.10.14
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百貨店がだんだんと変わっていく。高島屋と阪急・阪神が統合するという。最後に「へ」が付いているので、2011年までにということらしい。とりあえず株を持ち合うことにし、やがて統合だという。持株会社を作って云々とあるが、庶民にとってはわかりにくい形態である。一旦離れたものの昔から大阪に住んでいる私などは、百貨店は阪急(阪神もあったが)だと思っていた。それがいつの間にか阪急・阪神が合併したと言うことになっている。その持株会社の名前がH2Oホールディング(HD)であることを今回初めて知った。なにやら水の会社みたいな感じである。ところが、今も梅田に出て行くが、看板が変わったわけではなく、阪急は阪急、阪神は阪神のままである。どこがどう変わって、また何処にH2Oの文字があるのか分からない。関係ない話だが、阪神タイガースと、今は名前が変わっているが、阪急ブレーブス(オリックスブルーウエーブス)が頂上決戦(今はCS:クライマックスシリーズというらしい)をしたら、ファンはややこしいことになるのかな?と考えてしまう。まあ、野球と百貨店は関係ないし、更に電鉄と百貨店も関係ない事なのだろうが、私には分からない。今、阪急(当然阪急・阪神だろう)百貨店は、大きな店舗を現在の阪急百貨店の隣に建築中である。これが出来たら、高島屋・阪急・阪神も売り上げがうんと上がるだろうと素人ながら思う。売上高の数字上では、今回の統合でトップに躍り出ようという勢いだ。三越・伊勢丹もHD(ホールディング)になったし、大丸・松坂屋も(HD)で名前も、J・ホールディングというらしい。また、不祥事を起こしたそごうは、西武と統合しミレニアムリテイリングと呼ぶそうだ。しかもここは株式を上場していないというから話がややこしい上に、親玉はセブンイレブンらしい(セブンイレブンってコンビニじゃなかったのか?コンビニが百貨店を食っちゃったという訳か??)東京にいた時は、確か東武百貨店もあったはずだが、あれは単なるローカルなのだろうか?ローカル百貨店(百貨店というのかな?)なら、岡山在住時代には天満屋というのがあったな。米国の百貨店も80年代にM&A(合併・買収)で8グループになったという。1位のフェデレーションが2位のメイを買収してメーシーズが出来たという案配だ。日本でも、大手の首脳は、「遠くない将来には2グループくらいに集約されてもおかしくないと」言うことらしい。M&Aはどうあれ、庶民にとっては、行きやすい、品物がそろっている百貨店、そして時には値引きも出来る形態になってくれれば良いのにと思う。(百貨店は絶対まけないもんね)
2008.10.13
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姫がシンガポールに出張するので、連れと共に、関空行き高速道路のバス停留所まで送っていった。以前はマンションから近いところに停留所があったそうだが、途中で変わって、少し遠くなったと言うことだ。定刻を少し過ぎて高速バスは到着した。姫を送った後、連れを車で帰した後、私は歩いて帰宅することにした。高速バスの停留所から自宅までは道沿いで約3-4kmといったところだろうか。歩くのには丁度良い距離かも知れない。どうせ歩くのなら、車の通る道よりも通らない道の方が良いと考え、淀川河川敷沿いの土手道を選んだ。昨日は朝方雨が少し降った様で、土手の上の道もぬかるみが多かったが、歩けないほどではなかった。三々五々、ジョギングの人や、釣り竿を下げた人、犬を散歩させる人などと出くわした。直接車の通る道(西国街道)を引き返すよりはかなり遠回りになった様だ。以前にもここは何度か通ったことがある、その時は、未だ血糖値がそれほど高くはなかったが、今は目的意識がはっきりしている。血糖値を下げ、中性脂肪を減らすという命題だ。今回は、自慢のi-PODを聞きながら歩いたので、さほど距離を感じなかった。しかし、雨でぬかるんだ道と、少し増水した淀川(この辺りは、桂川、宇治川、木津川の三川が合流する微妙なところである)余り美しいとは言えない道路を足下に注意して歩くためイヤホンから聞こえる音はとぎれとぎれとなっていた。土手から河川敷に降りる道は、限られていて、一寸降り損ねたために、一定区間を国道沿いに歩かなければならなかった。片側2車線の4車線道路で、自分が運転をしているときはさほどに感じなかったが、歩いていると、脇を車が猛スピードで走る車はどうにも気持ちの良いものではなかった。特に大型トラックが通り過ぎると、引き込まれそうになってしまう。そんなところではi-PODも役には立たない。暫く歩いて、河川敷に降りることが出来た。薄いT-シャツには既に汗がにじんでいた。河川敷は、運動公園としても使われており、ゴルフのミニコースも造ってある。朝露を踏みながら、何組かのプレーヤーがゴルフを楽しんでいた。土手川には正規の遊歩道とゴルフコースは高いネットでカバーされているが、川沿いの道は、何も遮るものが無いという大らかなところだ。ティーショットの打球が自分に当たらないかと、冷や冷やしながら慎重に歩いた。コースの南端には、打ちっ放し場も作られていて、朝から、大勢が思い思いに練習をしていた。そんな大回りして、自宅に着くと、エステから帰宅した連れと同時帰着だった。今日も2時間程度歩いたことになる。これで一応三日は歩いた。後どうしても一日は歩かなければならない。というのが、三日坊主だと(真に私は坊主頭ではあるけれど)言われないためにだ。昼間はテレビで女子ゴルフを観て(連れは一生懸命観たらしいが、私はどうやら寝ていたらしい)暫くゆっくりしてから、映画でも観ようかという話になった。本日上映が始まった「宮廷画家ゴヤは見た」という映画を観に行くことになった。何と夕刻の上映はなく、夜の9時20分最終上映だそうで、昼の上映から何時間も間が開いていた。入場して分かったが、上映初日というのに、場内は、我々以外に5-6人いるか居ないかの閑散たるものだった。ゴヤは、1746年にスペインで生まれバロック派の師に付き画家として名声を得、宮廷画家とまでなったが、当時のスペインは、立憲主義 VS 絶対主義、自由派 VS 王政派、と不和と対立、圧制・暴力の暗い時代であり、ユダヤ教を廃する、異端審問所の凄まじき迄の暴挙の中にあった。そんな中で、ナポレオンのスペイン侵攻等でスペインの自由主義者弾圧を避けフランスに亡命して、1828年に82歳で亡くなった。亡命前にマドリード郊外に購入した「聾者の家」と通称される別荘で、サロンや食堂を飾るために描かれた今日「黒い絵」と通称される14枚の壁画群を含む彼の作品が、プロローグとエピローグに背景として流れるこの映画に、私は強烈な印象を受けた。
2008.10.12
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太郎(連れの息子の略称)は仕事でベトナム(たぶんハイホン)からフィリピン(マニラ)へ約10日間の出張に出かけた。太郎の息子(連れには孫)二人のうち、上の3歳半の子は、体操教室に通っているので、下の0歳の子守を言いつかる。最初のうちは、家で寝かせているだけで、体操教室が終わって母親が帰ってくるまでは静かに寝ていて手が掛からなかったようだった。しかし、先週は、寝かしておくと泣き出し、抱き上げると泣きやむというパターンだったらしい。ずっと抱いているのはつらいからと、私にも出動要請が掛かった。私の方は、血糖値が高いということで、歩くことを勧められ、一昨日歩き始めたばかりだ。従って、歩くのを止めるわけにも行かない。そこで、0歳の孫を手押し車(バギー)に乗せて散歩に連れ出すことにした。バギーに収まった0歳君にこにこと機嫌がよい。車通りの少ない道を選び、住宅街の道で、連れがバギーを押しているのをカメラに納めた。連れは「撮らないでくれ」という。「なぜ?」と聞くと、「こうしていると本当におばあちゃんになった気がするから」とのこと。「はっはっは!十分ばあちゃんだよ」というと機嫌が悪い。「まだ良いよ、孫が乗っていなくて白菜とか大根を積んで手押し車を押すようになると完全に誰が見てもおばあちゃんだから」などと軽口をたたきながら、太郎のマンションから随分遠くまで歩いた。当の0歳君は、歩き出してしばらくすると、すやすやと眠り込んでしまった。バギーは、日除けのために黒いカバーが掛かるようになっている。押している方から見ると、0歳君の顔は見えない。時々バギーを止めて、前に回って寝顔を確認する必要がある。バギーの先端にバックミラーでも付いていて、赤ちゃんの顔が見えるようになっていれば便利なのになぁと感じた。(これって、実用新案にならないかなぁ?)そんなことを考えながら、歩くこと(勿論休憩も入れて)約2時間、道行く人が微笑ましそうに覗き込んだり、顔見知りの人は「お孫さん?」と連れに声をかける。正に高齢出産ではなく、お孫さんとちゃんと映るらしい(当たり前!)子供(赤ちゃん)連れと、犬連れは、案外何処に行っても怪しまれない??なんてことを考えながら、3歳半児の体育教室から帰ってくるのをマンションで待ち受けていると、右の額に大きなたんこぶをこしらえてきていた。「泣いたのか?」と聞くと首を横に振る、精一杯の強がりだが、おそらく痛かったことだろう、泣いたに違いないが、「男の勲章だ!すぐ治るよ」と慰めてやるよ、分かってはいないだろうが、なにやら頷いた。
2008.10.11
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風が吹けば桶屋が儲かるという論理がある。これは昔誰からか教えられたことわざである。たまたまやってきた工学博士の姫にその論理を問うてみたが、いまいち明確な答えはなかった。ウィキペデアを引いてみるとすると、詳しく書いてある。江戸時代の浮世草子『世間学者気質(かたぎ)』が元らしく、それでは「桶」は「箱」になっていたという。また、弥次喜多道中の『東海道中膝栗毛』にもあるようだ。その展開は、1.大風で土ぼこりが立つ 2.土ぼこりが目に入って、盲人が増える 3.盲人は三味線を買う(当時、三味線は盲人が弾いた) 4.三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される 5.ネコが減ればネズミが増える 6.ネズミは箱を囓る 7.箱の需要が増え箱屋が儲かる という、ドミノ理論を含んでいるとある。カオス理論で「北京の蝶々」と言うのがあるが、「北京で蝶々がはばたくと、遠く離れた、ニューヨークでハリケーンを引き起こす。」と似ている。それはさておき、昨日は、一昨日医者から血液検査の結果を聞かされ、血糖値(だけに限らないのだが)その高さにしょげかえっていた。勿論若い頃は健康優良児の賞を受け、スポーツ選手であって、一時は医者から「食べ放題、飲み放題!」と太鼓判を押された身体なのだが、今は医者へ行くのが嫌いになった。ここ数年は、とにかく生活習慣病「成人病」の宝庫のような身体になってしまったからだ。自覚症状は無いので、軽い気持ちで医者に行くと、必ずしょげかえる結果を頂いてしまう。食べ過ぎ、飲み過ぎと、運動が足りないと言うことらしい。一念発起して、連れと一緒に散歩に出かけた。(少し前までは歩いていたのだが中断していた)。滝と紅葉が綺麗だという町内の山道をとりあえず目標に遊歩道を少し山道に入るコースを選んだ、連れの「日焼けは嫌だ」というのを押して午後2時に出発5時に帰るという結構長い結果になった。人里から離れて山に入り森林浴を楽しみながら、羊腸の小径を歩むこと1km位の所に最初の名所?「乙女の滝」があった。更に歩くと、自然型のダムが見えた。そこまでは、自宅から3-4kmの勘定になる。まだまだ先まで続いてるが、初日でもあるし、「この位にしとこう」と言うと、連れは一も二もなく賛成した。帰りの道が、ややくだり気味で身体は楽だが、連れの左脚の膝の部分が痛いという。いたわりながら、歩くうち、ふと前方になにやら小刻みにふるえるものを見た。まむしである、身体は小さいが、向こうを向いた頭部は、三角形になっていて威嚇するように盛んに尻尾を振動させている。やばい!と思って距離を保っていると、まむしは向こうの方に進み出した。そこで地面の石を拾い追い打つように投げたら、何とか、谷の方に滑り降りていった。注意しながらそこを脱兎のごとく走り抜けた。人里から山道に掛かる手前に、「まむしに注意」と赤で大書してあったのは誇大ではないのだと、改めて感じた。これは、「血糖値が上がると、まむしに出会う」といえるのだろうか?帰り道の田舎屋の庭に、緑の大きな柑橘類がいくつもたわわになっているのを見かけた。実に大きく、孫達の頭よりも大きい感じだ。「ザボンかタンカンか?」などと言いながら、鮎釣りの出来る渓流の道を通りながら、一路自宅に向かった。都合3時間ウォーキングとなったが、友人に話すと、「はじめから飛ばしすぎるより、1時間を3日続ける方が良いよ」とアドバイスされた。
2008.10.10
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理論物理の分野でノーベル賞が日本人三氏に贈られることになった。三十数年前の理論が今公知されたと言うことらしい。ノーベル賞は、普通論文提出し、10年くらい後に評価され受賞に結びつくらしいがそれにしても長い待機期間だったことだろう。南部先生などは、87歳と私の想定外の年齢である。小林先生は同年代、益川先生は届く範囲の先輩という感じだ。南部氏の受賞対象「自発的対称性の破れ」は1960年に発表されたものらしい。氏が40歳前の時だ。小林・益川両氏も1960年代の研究「CP対称性の破れ」が受賞の対象だという。宇宙の誕生については、私も少なからず関心があるものの、自分の頭では、そのことをイメージすら出来ない。約140億年前ビックバンで誕生したという。(じゃあその前はどんなだったのと考え込んでしまう)南部氏は、宇宙誕生の基礎単位粒子(クオーク)が光速で動き回るのを鈍らせる仕組みでクオークが質量を持ったと、説明にあるが、質量のないクオークとは一体何なのだろうと考える。そんな事を理論(紙と鉛筆、時には消しゴムを使って)考えられたというのだ。物質の元になる粒子と、性質が正反対の反粒子があるという。小林、益川両氏はこの粒子と、反粒子が同数?でないことを証明されてということらしい。また、現在クオークには3種類あると言うことになっているが、それが6種類あるという仮説を立て、筑波の直径3kmの加速器でその存在を証明したという。ここに書いたのは、私自身の理解(といっても内容ではなく、どういうものかという概念だけだが)を少しだけ整理したいだけで、少々間違っていたとしても何の不都合もないわけだ。毎日新聞で取り上げられた各氏のエピソードが人間的で私にも理解できる。南部氏は、子供の頃、父親が買ってくれた科学雑誌「子供の科学」が好きで科学を志すようになったと言うこと、そして、湯川秀樹氏に刺激を受けて研究に没頭したと言うことだ。ここで、子供に対する親の行動がキーであり、優れた師に付くことがまたキーであり、没頭できるという精神力もキーであると思う。体育は苦手でも、大学に飛び級で入学するほどの天才だからということがもっとも大きなキーであることには違いなさそうだが・・・。益川氏は英語が苦手で今もってパスポートを持っておられないという、純国産の学者だ。このたびの授賞式出席が初渡航というのも珍しいことだと思う。そこは良くバランスが取れたもので、奥様は英語が堪能でおられるようだ。氏の論文の英文タイプを依頼したのがご結婚のきっかけだとあった。また子供の頃は国語(文系科目)が苦手で、算数と国語の点数を足して2で割るとクラスの中頃の成績であったという。小林氏は、人類初の人工衛星スプートニクを夜明けに起きて眺めたというピュアーな好奇心が発端かなと回想されている。また家庭では、数独パズルをしたり、たまにウォーキングしたりするふつーーーのお父さんのようである。マッサージがお好きなようで、奥様にいつもしてもらっているのだそうだが、奥様は、受賞を機会に指圧の指にもう少し力を入れてあげようかと思うという微笑ましい言葉が載っていた。日本人としてノーベル賞受賞を喜ぶ気持ちは同じだが、更に、海洋生物学者の下村脩さんにもノーベル化学賞が授与されるという報道がなされている。久し振りに気持ちの良い記事が新聞紙面を飾ってくれた。嬉しいことです。
2008.10.09
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昨日の朝刊には、ほぼ全面に、またまた不吉な「NY株1万ドル割れ」という文字が躍っていた。更に夕刊には、「日経平均1万円割れ」(世界株安止まらず)という文字が同じように1面を占めていた。米国がくしゃみをすると日本が風邪を引くといった感じで、米国相場の後を追うように日本の株も下がってしまった。経済・金融音痴の私にはどうなっているのか、どうなるのかが全く分からない。ただ、1年前に日経平均が1万7000円程度であったことを考えると、じりじり安くなっていることは感じたが、やがて反発すると思っていたのだが。ところがここに来て、ニューヨークにつられるように1万円を割ってしまった。経済通や、評論家は、その都度解説を加えるが、私などには、一行役に立っていないし、肝心の投資信託の会社でもどうにもならないといった具合の、魔物である。そんな暗い話の中、夕刻の号外で、ノーベル物理学賞が日本の3氏(南部氏、小林氏、益川氏)に授与されると言うことになった。内容は当然分からないのだが、南部氏はこの理論をもう、50年ばかり前に発表していたと言うから驚きである。(氏はすでに頭脳流出で海外におられる)日本のノーベル賞受賞者を振り返ると、受賞していないのは経済学賞だけである。(経済学はノーベル賞の対象にはふさわしくないという意見もあるそうだが)気分の集合の結果(?)である株価を見通せないのは、ノーベル経済学賞に匹敵する経済学者が日本には居ないということではないだろうけれど、どんな後付理論もむなしく感じるのは今回の世界同時株安ではないだろうか。円相場にしろ、株価にしろ、結局は競馬や競輪と同じ事ではないのか?と思いたくなる。
2008.10.08
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昨日は、孫(赤ちゃん)の頭にたんこぶ(できもの?)が出来ているとかで、連れは、上の孫の守と共に赤ちゃんを病院へ送ると言って出かけた。病院へ行ったのか取りやめたのかはっきりしないまま、連れは帰ってきた。よく見ると頭の斜め後ろが、赤く少し腫れている。赤ちゃんは自ら痛いとか痒いとかを表現できないから大人が見守ってやらなければならないには当然なのだが、耐えきれない痛みがあったりすると、大声で泣くという独特の表現方法で訴えるわけで、そういう風でもなかった。痛くてつらそうな兆候もないし、素人判断でも問題はないように感じられた。結局問題はないだろうとの判断で、病院にまでは行かなかったそうである。そんな孫の守を終えて、ゴルフの打ちっ放しに行くことになった。自宅の近くにはゴルフの練習場はないがちょっと車で走ると、沢山の練習場が散らばっている。その何処へも行ってみたが、料金体系は皆違っている。通常は、コインをもらって、1コインいくらプラス、練習場の使用料という体系が一般的である。その1コインが、平日の3時までなら85球、3時過ぎると70球、土日は65球と差をつけた場所があるかと思えば、プリペイドカードを買って、それを機械に差し込んでボールを出して行うものと、時間を限って打ち放題で、自動的に次から次へとティーに乗ったボールが出てくるものなど様々である。当然綺麗な練習場では入場料が500円するところもあるが、汚くても300円は通常取っているようである。そんな中、平日で1時間ならうち放題で1200円(使用料込み)という所があるので行ってみると、何と3時間すると、打ち放題で男性1800円、女性1500円というのがあった。前に1時間打ち続けて、200球程度であったので、少し物足りない気がして、割安の3時間コースをお願いして入場した。そこは入場料を込みだと言うから有利である。もらったカード板を機械に差し込んで使う方式で、正常なら打った数が表示さえるので、1球当たりの単価が計算できて、他の練習場との比較が出来るのだが、その日の打席は連れのも私のもカウンターが表示されないものだった。こんな練習場では、アプローチショットの練習をするのにはもってこいである。次から次へと出てくる球をひたすら打ち続けることが出来るからだ。一般の練習場で、アプローチの練習をすると、数ヤードでも1球は1球で、ドライバーや、ミドルアイアンなどの練習球が減ってしまい何となく損な気持ちがするものだが、ここは時間内ならどれだけショートアイアンで、ちょんちょんと打っても気兼ねがないのが良い。勿論本コースへ出れば、アプローチショットは重要で、これをマスターすることはスコアアップに繋がるのだが、練習場では勢いドライバーやミドルアイアンを打つ方を選んでしまう。そんなこんなで、最初は3時間も打ち続けれれるだろうかと思っていた連れだが、それほどの休憩もなく知らぬ間に時間が経っていた。惜しむらくは何球打ったのかが分からないことだった。それと、打ち放題ということで、ややもすると、ちゃんとした間を取らず、とにかく打つという結果になることだ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるという結果となって、練習が練習にならなくなってしまう恐れがあることだ。連れは早撃ちで、私の1.5倍位の早さで撃っているので、その日は結構な球数を打ったのではないかと思いながら、気がつけば周りに誰もいないという状態になっていた。果たして、得したのかなぁ??
2008.10.07
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日経新聞の片隅に小さな記事が載っていた。「ドバイに新タワー 高さ1キロ超計画 世界一を更新」である。何?と疑う、現在建設中で、もうまもなく竣工予定のビルがすでにある。「ブルジュ・アル・ドバイ」がそれで、完成高さは公表されていないらしいが、頂部のタワーを入れると818mになると言われている。(私も見たが、異様な高さである)そのビルが完成するまでにもう、1キロを超える高さの建造物の計画があると言うのだから驚きだ。驚いたものの、ドバイと言うところはそう言うところだ。現在、世界で二番目に高いビルは台湾の「台北101」(約509メートル)だそうであるが、それを眼下に見ること2倍にもなるというのだから、想像しろと言っても無理であろう。第一、その高さを聞いただけで、高所恐怖症の人なら、足がすくんでしまうのではないだろうか?ドバイといえば、まだまだいろいろな話題がある。変形するビルの話が以前に紹介された。イタリアの建築家が、モスクワやニューヨークでも計画しているというものだそうで、すでにドバイでの建設は決定しているとのこと。ホテルニューオータニなどで、展望デッキ(レストラン)が回るというものはあったが、それがどの階も回転するのだと考えたらいいようだ。それこそ蛇のようにうねるわけだ。高さは420mだそうだが、外から見ればきっと、天をつくドリルのような感じになるのだろう。一体、中に住む人はどんな風に感じるのだろう?これも想像できない。また、海上では、50階に相当する高さの噴水が計画されているとも言う。高い噴水なら、サウジアラビアにもあった。しかしドバイでの計画を見ると、広範囲に噴水を上げる計画なのだそうだ。ちょうど、琵琶湖花火が水(たぶん着色するのか?)に変わると考えたらいいのかも知れない。都市計画といえば、我々非ムスリムは入ることは出来ないが、サウジのメッカにも広大な計画があるらしいことは、サウジ駐在の時にも聞いたし、その青写真も見せてもらった。2010年の上海万博に向けて、人型の建物が海岸縁に建てるという計画もあるらしい。残念ながら高さの紹介は見つけられなかったが、人という字の両足の部分が、海と陸とにまたがるという広大なものらしい。そう言えば、私が、サウジやドバイに駐在した頃月に一回バーレーンに出国していたが、そのとき建設中だった二棟の世界貿易ビルはすでに完成し、高さ240mの棟の間をわたして3段の風力発電装置(風車)が設置されている完成写真を見て驚いた。世の中には奇をてらう(?)人たちが沢山いるものだと感心した。最初のドバイの途方もない建造物の計画でふと思うのだが、古代メソポタミアのバビロンに建てかけたバベルの塔のように、雲を突き破り、天に届こうとする人間を諫めて、神が人間達をいろいろな言語に分けてお互い通しが協力しなくするようにしたという寓話(神話?)を思い出す。これ以上協力しなくなったら人間社会はどうなるのだろうか?そう言えば、バブルの頃は、日本のゼネコン大手の各社とも雲を突き破る、天空都市なる巨大建造物を計画していた(夢のような話と思っていた)時期があったが、ドバイは今オイルマネーのバブル絶頂期である。何を考え、何を造ってもおかしくないのだろうけれど、いつかバベルの塔の二の舞にならねば良いのだがと考えてしまう。
2008.10.06
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久しぶりに土曜日も日曜日も特にすることはなく、ぶらぶらとしていた。日曜日は久しぶりに日本女子オープンのプレーをテレビ観戦した。まれに見るデッドヒートであったが、互いのミスはありながらも、韓国の李知姫が優勝した。藍ちゃんこと宮里や貫禄の不動の追い込みで、あわや逆転優勝かと思わせたが、互いのティーショットミスを、李は2ndで見事リカバーし、宮里はカバーしきれず、不動は脱落した。一時は李、宮里、李(もう一人)、不動と4人がトップになるなど大混戦だったが、グリーンを確実にとらえる李の素晴らしい猛チャージで、結局賞金2800万円をものにした。日本のサラリーマンの平均年収450万円弱(女性だと300万円弱)だから、何と3日で、6倍強(女性だから、9倍強)を稼いだことになる。要するに、9年分の年収を3日にして稼いだ勘定になるわけだ。実に時給12000円という値だ。別の見方をすれば、通算4アンダーの284でホールアウトしたのだから、1球約10万円という事になる。ドライビングで、300ヤード近く飛ばすのも、また数センチに寄ったパターをチョンと入れるのも一球である。まさに、Driver is a show. Patter is money.である。また、コースの形状によっては、闇雲に飛ばすのが良いわけではない。いわゆるコースマネージメントというものが必要だ。これらのことを克服し、大ギャラリーの前で、弱冠29歳や23歳が戦うわけである。それを大の大人がぞろぞろと後をついて回り、一打ごとに「オー」と歓声を上げるわけだ。18ホールをついて回ることは疲れるだろうし、テレビで見ている方が情報が沢山はいるので、良さそうなものだが、何故か大観衆を集めたようだ。最近はどのスポーツをとっても、日本人は後塵をなめるケースが多い。ハングリーでないということもあるかも知れないが、日本人は体質的に争いを(例え競技であっても)好まない人種かも知れない。そんなことをしているうちに、太郎一家と、姫が夕食にやってきた。太郎一家の子(いわゆる孫)2人を伴ってだ。家の中が一瞬にして賑やかになり、小さな嬌声が響き渡る。上の孫は、4歳が近い、藍ちゃんのように4歳からゴルフを始めたら、・・・などと一瞬頭をよぎった。その孫の手には、スーパーカーのおもちゃのモデルが握られており、リュックの中には恐竜や動物のおもちゃがいっぱい詰まっていた。
2008.10.05
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「ちきゅう」が3年前に竣工している。我々の住む地球の内部にあるマントルを採取し状況を知るためだという。この間講演があった同じJAMSTEC(海洋研究開発機構)の別部門が行っている。「ちきゅう」の性能は海面から海底(最深4000mとある)を通り抜け更に7000mの地球のマントルまで到達し、マントルを採取して分析するというものだ。この前の講演は、深海6500という潜水艇で海の底を調べて生態を明らかにしようというものだったが、今回は、地殻の底のマントルまでストロー(勿論鋼製のパイプ)をつっこんで吸い取ろうというものだ。この「ちきゅう」船体は、私が在籍した造船所で作られた。(もっとも私が居なくなってからの話だが)私が在籍した部署で設計され、製造されたと言うことで、何故か親近感がわく。船体と一言で言うけれど、それは船殻と艤装に別れていて、私は船殻に関係していたから、地球掘削という点では船体外観上、特にこれといった変化がある部分に直接関わりはなくそれら機材と関係する部分の船体構造を作るのが仕事だった。私は、一般商船の設計を手がけた後、海洋構造物(半没水船)の船殻を担当したことがあるが、そのときには海底に眠る原油の掘削という意味で、最大深度6000mまでの原油を掘り出す能力のリグ(石油掘削船)を設計したことがあった。「ちきゅう」はマントルまでだから、海の最深部4000mとその底の堆積物、地殻を通り越した更に7000mということで、海面からは11000mまでも掘り進むことになるわけだ。「ちきゅう」の船上高く櫓があるが、ここで、数十mの掘削用兼サンプル採取用パイプを継ぎ足し、継ぎ足し、作業を行っていくのは同じ事だと思う。ちなみに、地球の半径は極地、赤道の違いはあるが、ほぼ、6350kmだから、まだまだ地球の表面でしかないわけで、(人間の顔で言えば、皮膚を通り越してやっと顔の骨に達するくらいか)完全とは言わないがなにがしかの知見を得られるであろうし、特に地震の予知に関して、精度良くタイムリーに行われる期待があるという。マントルのどの部分を分析すればどのように予知に繋がるのかなど、私には分からないが、とにかくそんなことが精度良くできれば有り難いことだ。地球上の天気予報でも、あれだけの気象予報士さんが、合うときは合うが、間違う時も同じように間違うというのもおかしな話だと思っているが、今回の予知が出来ても、普遍的なものになるのはどれほどの時間が掛かるのだろうか?そんなことを思いながら、今「ちきゅう」は何処でどんな作業をしているのかぼんやりと考えてしまった。
2008.10.04
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人材登録している会社から、上海近くでの仕事があるがどうかとの電話打診があった。ドバイでの仕事が終わってすでに1年以上が経つ。それ以後は、国内での仕事の打診はあったが、双方の意向が折り合わず流れてしまい、その後は年齢も年齢だから、ここらで打ち止めと内心は決めていた。出来ることなら、連れを伴っての海外生活をしてみたかった。勿論私の行ける可能性のあるのは、砂漠地帯か、劣悪環境の所しかない。連れは、海外といえば、ロンドン、パリ、ローマといった文化レベルの高いところを想像してしているのだろうけれど・・・。中国と聞いて、昨今の毒入り餃子事件に始まりメラミン入り・・などの不祥事で、食は大丈夫か?また大気汚染は大丈夫か?という疑問が一番に頭をよぎる。先頃終わった北京のオリンピックは中国側に言わせれば大成功だったということだろう。私も中国の人と何人か喋ったり仕事をしたりした経験があるが、それらの人の日本語は実に流ちょうで、顔つきを見てもとっさには中国人とは分からない。ついこの間も、パソコンショップのアドバイザー代行という人の名刺が「王」さんだったので、国籍を問うとやはり中国の人だった。日本人の頼りない応対に比べて実に如才ない受け答えだった。ちなみに中国人の名前で多いのは「李・王・張」さんであり、その3つの姓の人口たるや2.7億人いるとあった。数年前の話だが、この傾向は変わっていないだろう。日本人の人口の2倍の人が、この姓であるわけだ。王さん姓は中国人姓の7.4%だそうだから、日本人の殆どが王さんという勘定になるほどなのだそうだ。江沢民時代から、中国の動きが大きくうねり始め世界の耳目を集めるどころか、世界に冠たる国になろうとしている。この間も、有人宇宙船「神舟7号」を成功させ、ロシア、米国に次ぐ有人宇宙大国になったばかりだ。三峡ダム建設、南水北調、西電東送、西気東輸、新幹線・・・の巨大プロジェクトをどんどん実施し、東岸地帯はますます栄えていく一方、ウィグル地区の住民が言うように西は、東の石油タンクでしかないとか、北京オリンピック前から顕在化したチベット独立の問題等々、問題は山のようにあるが、がむしゃらに進む中国。そんな中国は巨大なマーケットであり、安い労働力の提供元であると、日本企業や、世界各国が狙っている。まあ、これからは中国無しには語れなくなるであろう。しかし、私が福州で接した人々は、心の優しい人々で、実に素朴であった。彼らは上海はおろか、北京などに入ったこともなく、漢民族であるのか(たぶんそうだろうが)どうかも分からない。中国人は日本人の45倍嘘つきであるというのが私の個人的意見だ。なぜならば、白髪三千丈(中国人)と針小棒大(日本人)という言葉で分かるように、白髪三千丈(中国人)=3000×3.03m=9090mを約2mで割ると=4545倍針小棒大(日本人)=3m(=300cm)を3cmで割ると=100倍∴中国人は日本人よりも=45倍嘘つきである。という他愛ないものであるが、南京問題にも関係するこの数字は仇やおろそかには出来ないと思っている。話は随分それてしまったが、死ぬまでには一度、上海とやらを見てみたい気もしている。何しろ今、ドバイを除けば、2010年万博に向かい、厚化粧中の上海の裏面はどうなのかを知りたい気がするからだ。
2008.10.03
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一昨日に引き続き今日も一日芸術鑑賞デーとなった。連れと共に、通い慣れた、京都市立美術館に「パリの百年展」を鑑賞に出かけた。館内の右手の一階がその会場となっていた。入館するや、エッフェル塔の下部の模型が作られており、その下には、パリの市街と、主な美術館の入った地図が配されていた。壁には、印象派画家達の年譜が書き込まれていた。出展された作品では、よく知る作家の名前は少なかった。ローマもそうだが、パリは一日にしてならずということが、展示紹介されているパリの昔の写真から容易に分かった。1889年の万国博覧会でエッフェル塔がパリのランドマークになるまでに、すでに3回の万国博覧会が開かれていることも知った。そのたびにパリの街はより良く変貌し、それ以降、現在までも数回国際規模の博覧会がパリで行われている。あいにく私は、「ノートルダム・ド・パリ」を知らないので、エスメラルダの名前は知らなかった。鐘突男のカシモドの名前は聞いたことがある。ノートルダムのせむし男の名前だけは知っていた。それに関する数枚の絵画が展示されていた。芸術家(絵画・小説・彫刻家)などが、互いに交流し合い、それそれがそれぞれに影響を及ぼして、印象派の芸術は洗練されてきたのであろう。ヴィクトル・ユゴーを描いたエメ・モローの作品には厳粛さを感じたが、ルノアールの描いた「ボニエール婦人の肖像」は、私が抱いていたルノワールの作品としては何か物足りなさを感じた。ギュスターヴ・モローの作品は、制作途上という作品が多かったが、小作品の「レダ」は何かしら神秘的で、モローらしさを感じた。後は、ロダンとブールデルの彫刻の競演であった。一時期ロダンの弟子になったというブールデルであるが、ブールデルの「アポロンの首」で師のロダンから、「君は私を超えた」と言わしめたという。ロダンのすばらしさは今更書くこともないが、ブールデルの力強い作品は、惹きつけるものがある。「三人の女の群像または三美神」も素晴らしかった。連れが気に入っていた、セザンヌの「聖アントローヌの誘惑」は、額と言い、背景の茶色の壁ともマッチせず、絵の良さを削いでいると美術館側の配置について、酷評していた。パリの変遷、印象派や当時の芸術家の交わりなどを知ることが出来て有意義であったが、全般的には期待したほどではなく、満足度も半ばというところで市立美術館を後にした。適当に入った昼食の店は、単品での注文は出来ず、みんなセット物であるという。あわててそこを出て、別の場所で食事を済ませてから、またバスで京都駅に帰った。伊勢丹の7階にある「京都えき美術館」でピサロ展をやっている。伊勢丹案内の小冊子にピサロ展の招待状が刷り込まれていた。そんな関係で、たいしたことはないだろうと、まあ、京都に来たついでに観ておこうという気持ちだったが、入ってみて、期待は良い方に裏切られた。ピサロと交友のあったいろいろな画家の作品と混載して展示されていた中に、一昨日の「コロー」の作品もあった。ドービニーの作品も、お互いに?影響し合った作品であることを思わせ、ルノアールとは思えない感じの作品も展示されていた。ピサロは8人子供をもうけたが、そのうちの5人までが画家となり、孫娘まで同じ職業を選んだそうである。ピサロ自身(カミーユという)の作品で、連れは「窓からの眺め」を素晴らしいと愛でていた。点描写は、シスレー当たりからの影響か、点描写の中に補色をちりばめた手法は構図も良くのどかな農場風景を見事に描いていた。長男であるリュシアン・ピサロは渡英し、発作を起こして倒れたとき、カミーユピサロが看病に出かけて滞在中に描いたというカミーユ・ピサロの最後の絵となった「バース・ロード」は未完成といいながら構図も素晴らしかった。展示室の後半には、リュシアン・ピサロの作品が展示されていたが、親父からの影響をもろに受けた、親父に負けないくらいに色彩感覚、構図共に良い作品が多かった。私は、カラー作品ではないが、たった一点だったが、クールベによる「石割の少年」が何故か気になる作品であった。連れと二人で、「パリの百年展」よりこっちの方が良かったかも知れないねなどと話ながら帰途についた。
2008.10.02
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9月30日の夕刊に、久しぶりにほぼ一面ぶち抜きで黒字白抜きの記事が載った。不吉な記事、NY株777ドル安である。サブプライムローンとやらが端緒であることが述べられている。米国政府が、どこを見放し、どこを救済したかについてもいろいろな識者が解説をしてくれている。しかし私のような経済音痴には、どれが正しくどれが間違っているという以前に、そのメカニズムを理解できないで居る。1987年のブラックマンデーの時のダウ式株価は508ドル下がっていたと言うが、パーセンテージは約22%、今回は約7%だから、云々とある。日経平均株価も、580円安となった。こっちの方が、我々には直接響く。なけなしの投資信託の株式も連動して下がるからだ。しかし何故か、世間ではあまり騒がない。ここで言う世間とは、地域社会や、友達づきあいの中ではということである。経済は経世済民、景気は気(気分)から変わると言うから、とても人知の及ぶところではない感じがする。自由主義経済は、政府が干渉しないという建前であるが、今回は強力な発動があった。いわゆる公的資金(税金)投入だ。かつて米国は1930年代にニューディールで、政府がある程度経済へ関与する社会民主主義的な政策へと転換して不況を乗り切っている。一方、中国、ロシアなどの共産・社会主義圏では、逆に統制経済での限界から、市場経済導入を行っている。双方がかみ合う、何か最適点があるように思うのは、工学を学んだ者の単純な発想に過ぎないのか?もっともニューディールは、続いて起こる第二次世界大戦の軍需で立ち直ったのであり、それそのものの効果があったわけではないとの見方もあるらしい。こんな時、麻生首相が誕生した。所信表明演説は、誰が起稿したのかは知れないが、総花的に問題点だけは述べられていると思う。しかし必ず、野党の党首のコメントは、冷ややかで、評価をしないものばかりだ。実質GDPは下がり、消費者物価指数はうなぎ登り、少子高齢化、各種の汚職、役人の怠慢等々への具体的言及には全くかける。(精神論は首相が変わる度に同じだからだ)・・・ひょっとして、首相所信表明演説担当部署が総理府かどこかにあって、特定の人が書いているのではないかと思うほどだ。とにかく短命に終わるか、祖父の吉田茂のような大宰相になるかは未知数だが、当面の総選挙で我々の民意を告げる必要がある。私は、特に民主党がどうとかと言う気がないが、ただ、現在、もっとも弊害となっている、既得権益を守らんがための与党と各方面(官公庁)の癒着を断ち切るにはこのたびの選挙は大きな意味を持っていると考えている。「自民党をぶっ壊す!」から、「既得権益をぶっつぶす!」という選挙になって欲しい。世界経済の動向に対しては、国民の安心のためと称して何兆円もの公的資金を発動できるのに、身近な生活困窮者にお金が回らないのは何故なのだろう??いつも感じる疑問である。
2008.10.01
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