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数字だけが飛び交う経済成長率だが、いったいどれほどの成長率が保てればいいのか、またマイナスになればどういう事になるのか茫洋として分からない。経済成長率の定義はGDP(国内総生産)の伸び率の事を言うとある。そこで、GDPとは何かと調べると、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額であるという。ここで付加価値という新しい言葉が出てくる。ではと、付加価値についてまた調べると、ウィキペディアでは、付加価値とは、ある「もの」が有している価値と、それを生み出す元となった「もの」の価値との差のことである。一般的に、何らかの「もの」を使って新しい「もの」を生み出すと、元々の「もの」より高価値な「もの」となる。このようにして高価値となることについて「価値が付加される」という意味合いで、「付加価値」と呼ばれる。とある。要するに、鉱山に眠っている鉱石を掘り出して精錬し鉄鋼にするのも付加価値を高める事になり、その鉄鋼から自動車などの鋼板を作るのも価値を付加するものの事だということだろう。要は今より何か価値の高いものができればそのものの持つ付加価値は高くなったという事と理解できる。働く人は皆付加価値を高める事を目指している訳だ。そこで、GDP(国内総生産)と言う事について調べると、原則として国内総生産には市場で取引された財やサービスの生産のみが計上される。このため、家事労働やボランティア活動などは国内総生産には計上されない。家事やボランティアは含まれないとある。では日本の主婦は経済活動には参加していない事になる。さらにまた、今期新たに生産されたのでない財(例:古美術品)の取引、最終財の原材料となる中間財の取引は算入されない。では政治家の活動はどうなのだろうか、付加価値を生んでいないから、成長に寄与していない事になる。また銀行などはどうなのだろう。人の預金を預かって、貸し出して、他人が付加価値を加えた事で利益を得るだけだから付加価値を高めているとはいえないのだろうか?勿論役人などは、何も価値を高めている事にはならないような気がするがどうなのだろう。学校の先生はその学生が成長して、付加価値を高めるまでの中間財になるから経済活動には参加していない事になるのだろうか?もしそうだとしたら経済成長率一点張りの考え方には大いに疑問がある。数日前中国の経済成長率の話が日経新聞に簡単に解説されていた。日本の経済成長率に対して昨年の中国は9%と高い数字を示し、今年は8%を目標に掲げているという。日本の成長率が2%を下回る中ですごい数字だと思っていた。中国では経済がおおむね1%伸びると90万人の仕事が新たに生み出される事になるという。都市部で働く人は年々800万人以上増えているのに対し、8%の成長では約700万人の雇用しか創出できないので厳しい数字だとの事だ。もう少し具体的な数字としては、2009年に就職を希望する人は1540万人で、それに農村部から都会に出稼ぎに来る人が500万人もいるのだそうだ。この2040万人から退職者1200万人を引いた数字が840万人という事らしい。従って8%の成長率は譲れない数字なのだと説明してある。ではいったい日本の場合はどうなのだろうか?わかりやすい説明が欲しいものだと思った。経済成長率が低い国(日本)から何故高い経済成長率の国(中国)へODAで援助しなければならないのかが少し分かったような気がするが、自動車の例ではないが、鋼材や原材料から核兵器などを作る事も付加価値を高めているとしたらとんでもない事である。日本経済が世界に占める割合が1997年の14%から2007年には8%に下がり、反対にこの間に中国は3%から6%に伸びているという。あと数年で、日本は中国に置いて行かれる事になる。麻生首相が盛んに経済大国2位を国際社会にアピールしているようだが、井の中の蛙が、ケロケロ泣いているだけではないかと不安になる。ダボス会議では、勿論役人の作った演説文ではあろうが、高邁な事を述べ立てている。(もっとも2兆円のばらまきの事には触れていないが)足下の危機について述べる事は少なく、何故世界に貢献できるといえるのだろうか、日本の現状から乖離した首相の演説は、後がない首相の遠吠えのように聞こえてならない。最後に首相は、フランスの哲学者アランは、「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」と引用していたが、その後には、「成り行きに任せる人間はみんなふさぎ込んでいるものだ。」と幸福論にはある。日本の国民は、早く解散して新生出発をしたいのにそれをしない首相にいらだっている事、そしてふさぎ込んでいる事を忘れて貰っては困る。
2009.01.31
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今日は昨日までの良いお天気が若干ぐずつき、しょぼしょぼと雨が降っていた。こんな時にはどこか雨の掛からぬ所にいるのが一番である。前から予定していた映画を観ようという事になり、連れ合いと出かけた。一駅向こうの高槻の映画館で「モーターサイクル・ダイアリーズ」という、アルゼンチン生まれで、キューバの革命指導者としてならしたチェ・ゲバラの青春時代を描いた映画であった。少し前、「チェ・28歳の革命」を見たが、この映画は、その前の彼が23歳のまだ医学生であった時代の物語だった。本名は「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ」と言うらしく「チェ」は本来、アルゼンチンのスペイン語で「やぁ」という砕けた挨拶のことらしい。ゲバラが初対面の相手にしばしば「やぁ。エルネスト・ゲバラだ」と挨拶していた事から、キューバ人達が「チェ」の発音を面白がり付けたあだ名だと紹介されている。しかし、映画では友人は、ゲバラの事を「フーセル」と呼んでいた。大学在学中の1951年にその年上の友人、アルベルト・グラナードとともにオートバイで南アメリカをまわる放浪旅行を思い立ち、中古のおんぼろバイクポンデローサ号を駆っての南米大陸縦断の旅を敢行した時の物語で、これによりチェ・ゲバラの革命への気持ちが醸成された下地を見て取ることができる優れた作品であった。ロバート・レッドフォードが製作の総指揮を執るこの映画は、貧しさや、差別、搾取に泣く民衆を見るたびに変わりゆくチェ・ゲバラの心境を、下手なナレーションで説明するのではなく、観客自身に思わせるあたりは素晴らしい演出だと連れ合いも感動して見ていたようである。主役の男優も、脇役の友人男優も名前は知らないが、それぞれに良い味を出していた。彼らは途中何の予約も当てもなく、しかもいつ壊れるか分からない中古オートバイに命を賭けるまさに冒険の旅は、周りの景色や過酷な山岳地帯の踏破など、それ自体でも見応えのあるものだった。まず、ブエノスアイレスの家族との別れから、荒涼としたアルゼンチンのパタゴニア平原のパンパの土道を横断して、チリのサンチャゴに到達する。それから北上し、ペルー、エクアドル、コロンビア、ヴェネズエラに至る、10000余kmの旅の途中で、銅鉱山で働き資本家に搾取される最下層の労働者の悲哀を見、差別視で隔離されるハンセン病の患者に会い、段々と南米の置かれている状況を体に染みこませていく事になる。彼が、南米には国境があるが、皆同じ言葉を話す同胞民族である事を訴えるシーンは、それを取り巻く人たちの顔とともに、この映画のハイライトのように感じた。友人とのやりとりや、途中で出会った美しい女性との束の間の恋が破れて傷心する様などを通じて、チェ・ゲバラの誠実さとひたむきな気持ちが良く表れていると感じた。私も、フィリピンでは12000kmを車で走った事があるが、そのときは勿論運転手も、地元のエンジニアもいて、泊まるところも貧しいけれど温水シャワー程度はあるものだったからとても比較にはならないが、立ち去る場所への郷愁と、新しく向かう場所への好奇心という点ではチェ・ゲバラ達が感じた数分の一の気持ちは理解できる気がした。冒険心、好奇心、誠実さなどこの映画から得るものは多い。もうすぐ「チェ・39歳の別れの手紙」が上映される。これもまた観たくなる映画である。2本目の007シリーズ「慰めの報酬」は今までの007シリーズとは段々とかけ離れていくような気がして、他の活劇ものとその内容も同じようになってきている感じがした。陸(車、オートバイ)、海(モーターボート)、空(飛行機)のチェーサーは、なかなかの迫力であるが、物語の顛末が今一つ読めないところがあった。こういったテンポの速い映画について行くにはもう歳をとってしまったのか、2本目で疲れて時々居眠りしていたので見落としたのかが分からなかった。時折居眠りをしていた時、横から連れ合いが肘で突ついてくれたので見落としたところはないと思うのだが・・・。雨の日に、映画館の深々としたシートに座っているのは気持ちがリラックスして良いものだと思った。
2009.01.30
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このコンペに参加させていただいてから既に6回を数える事になった。今回は定例開催地の高槻CCが途中の道が氷結する恐れがあるとの思惑から枚方CCで開催された。参加を仲介してくれた友人とは2回しか一緒に回れていない。彼は今闘病生活に入っているからだ。突然の発病に周囲も自分も驚いているようだが、あの健康そうなと言う位だった友がと思うと、人間いつ何があるか分からないという気になる。しかし、友人と同じ病気で同じ病院に入院していた方が82日間の集中治療の結果今回コンペに復帰参加されたのを聞いて、勇気づけられた。早速帰って、友人に激励のメールを打っておいた。今回は49回目の大会だそうで、最初は細々とやっていたが、段々と増えて今の陣容になったらしい。勿論私は全員が何人で、どういった人たちなのかは分からないのだけれど、先輩2人とその友人1人とが頼りの参加だ。その意味でも、友人に早く良くなって貰わないと私も困る。とはいうものの、参加毎に面子が少しずつ代わり、ラウンド中に話ながら進んでいくと終わった時には比較的気軽に声をかけられるようになっているから楽しいものだ。先輩2人が幹事を引き受け引っ張っておられるが、心の広い気配りの豊かな人たちなので、ごく自然に甘える結果になってしまう。今日も同じ組で昭和7年生まれの方とご一緒した。他の2人は、先輩とその大学の同期生と言う事で、私は勿論最年少だ。それもそのはず、私と友人がその会の参加者では最年少と聞いているので、誰と組んでも一番若いわけだ。前回同じ組だった81歳の方と同じく、77歳になろうかという方は、さすがにゴールドティーから打たれていたが、なかなか若々しい方で、「ホールインワンの祝儀袋を作って準備しているのだ」と言われるほどである。他の2人は勿論レギュラーティーからで、しかも悔しい事に殆ど私より良く飛ぶ。そんなとき、今更ながら、もう少し若い頃にレッスンでも受けておけば良かったかなと思う。相変わらずアプローチのミスが多い中、ティーショットの極端なスライスも少しずつ良くなってきたのは嬉しい。しかし、これも相変わらずなのだが、フェアウェイウッドでは、気負いすぎてトップしてしまう悪癖が今回も何度か出て、スコアは依然として伸びない。今回のグリーンも難しと言う事だったが、グリーンに乗るまでに打数が多い分ワンパットで入ったホールが5ホールもあった事には救われた。しかし上には上がいるもので、ワンパット9回という人もいたようだ。ここのショートホールは、179、198ヤードと極端に長いホールがあるので、ニアピンどころか、乗せる事も出来なかった。しかし、奇跡的にOBが無く、ボールをなくす事がなかったのは、コースが広いせいもあるが、自分の球が比較的真っ直ぐに飛んでいる証拠だと感じ、まずまずだった。でも距離がねえというホールが何回かあった。アウトはバンカーに3ー4回つかまって、そのうち1回は1度で脱出できなかったし、インでは、林の中に突っ込むケースもあり、矢張り一直線にグリーンへと向かう事は出来なかった。私の場合、コースバイコースの一々を覚える事が出来ないくらい、終了してからミスがどうだったのかを思い出す事が出来ないほどまともにいかないケースが多い。次回は50回の記念大会で商品を少し豪華にと言われていたので、是非参加して、おみやげを沢山持って帰りたいものだと思いながら帰宅の途についた。帰り際に、ゴルフとは別に、同様のメンバーの方々が続けておられる、「歩こう会」に参加させて貰う事になり、早速連れ合い共々参加の許可を頂いた。次回は京都鴨川縁を歩き京大内のレストランでフランス料理を食べるという事らしく、今から楽しみである。
2009.01.29
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初場所前の相撲総見の結果を尻目に、朝青龍があれよあれよと優勝してしまった。相撲協会、相撲解説者、相撲記者など相撲にあれこれコメントする人たちは「肩すかし」を食らったようなものだ。勝てば官軍で、あれ程こき下ろしていた人が、これほどまでに言動を変えなければならないのか?ますます相撲を通じての運命共同体そのものを露呈した。私が相撲に沸き立った頃は横綱はもう地位としての階級になっていたと思う。相撲は本来なら、大関が最高位であり、横綱はその中でも実力は勿論人品骨柄卑しからずと言う力士に与えられる相撲殿堂的な意味合いであったという。まあ、旧軍隊で言うと、大将が最高位であるが、元帥府に列せられるという人たちを後に元帥と称していたようなものだと解釈している。私自身の頭が固くなってしまったのか、どう見ても茶目っ気や、言いたい放題の朝青龍が人品骨柄卑しからずと言う事は当てはまらないと思っている。江戸の相撲文化十選(日経)に掲載されていたが、江戸の娯楽・風俗の三大対象は、「相撲」「歌舞伎」「吉原」だったという。今では「吉原」は京の舞妓に置き換わったのか本来の目的は禁止されてしまっていて、残るは「相撲」と「歌舞伎」になってしまった。また相撲取りは大名お抱えという身分的なものもあったり、風雅に通じる粋人もいたようである。現代の娯楽の対象は江戸のそれらと比べて格段に広がり、パチンコ、ゲームセンター、映画、ゴルフ、ボランティア(?)等々選択肢が多い。それ故に、相撲を待ちこがれる人口も減っているのだと思う。昔は、「一年を二十日で暮らすいい男」と言われたように、年に20日ほどの場所を勤めれば、後は「ごっつぉさん」で済んだ時代だったと聞く。江戸時代を知らないから何ともいえないが、私が知る力士名としては相撲四十八手を考案したとされる初代明石志賀之助、実質横綱初代と言われる4代目谷風梶之助、土俵入りの型に名を残した、不知火光右衛門と雲龍久吉、そして、型破りの強さだが、何故か横綱を張る事がなかった雷電爲右エ門等が伝説の力士としていたのを知っている。物心ついてからの最強力士と言えば、双葉山定次であろう。『荘子』にでてくる未だ木鷄たり得ずと、鍛えられた闘鶏が木彫りの鶏のように静かに闘志を内に秘めることを目標に相撲道に精進し、昭和屈指の大力士となったり本場所での通算69連勝、優勝12回、全勝8回などを記録したとある。今の年6場所制と違い年2場所での話だから、何の注釈も付けないで、歴代優勝回数を現在の力士と比較する事は出来ない。私が現実に相撲を取る姿を見たのは40代横綱の東富士位からであろう。その後の長身千代の山、あんこ型でユーモラスな鏡里、さほどの強烈なインパクトを感じなかった、吉葉山などがいる。その後は黄金時代の栃錦清隆と先代の若乃花幹士(勝治)の栃若時代である。この頃は私も相撲に没頭していたように思う。それからは胸毛ともじゃもじゃ眉毛の先代の朝潮太郎のあと、第二期黄金時代の柏戸剛と大鵬幸喜の白鵬時代だ。柔の大鵬、剛の柏戸が土俵でぶつかり合う様は何とも豪快であった。組み込んだら何時間でも動かないぞと言う位慎重な大鵬に対して直攻型の柏戸との取り組みは今では比肩することがないくらい大きな相撲だったように覚える。その後の栃ノ海以降には見るべき力士もいなく、私の中の相撲は消えていった。思えば、この大鵬は、日本人ではあるがウクライナ人との混血で、相撲界に外国の血を導入した最初だったのかも知れない。その後は小兵ながら速攻と上手投げを得意にした、史上最多の通算1045勝、53連勝など、数々の栄光を手にした史上有数・昭和最後の大横綱、千代の富士貢位のものであろう。その後の若ー貴時代も私には作られたものとしか写らず、それからは段々と外国人が多く参入するにつれて、相撲はオリンピックのようになり、ただ単に体が大きなからと言って、操り人形や電気仕掛けの人形のように立ってはすぐ負けたり、嫌々相撲を取っている様な日本人力士の姿を見るともう相撲もおしまいだなぁと感じてしまう。初場所の番付表の中入り後の外国人力士の数は何と36%で(外国人の内、モンゴル人は7割を超えている)、殆ど4人に一人は外国人で占められている。もう既にその兆候はあるが、軒を貸して母屋を取られながら、今更何が「国技」なのだろうかと私などはいぶかしく思う。ちなみに三役以上はほぼ半数が外国人であり、残りの日本人力士の最高勝ち星はやっと給金を直すと言われる8勝なのであり、3人は来場所確実に陥落すると言う事になっている。こんな状態では、「朝青龍は帰ってきました」と言われ、実際にすぐモンゴルに帰ってしまったように、朝青龍になめられ、思うがままにされるのは理の当然である。日本人がいかにハングリーでなくなったか、それほどまでに苦労をしなくても適当にやっていれば糊口をしのげるという考えなのだろうか、また、陰湿ないじめで自らが強くなれなかった事への復讐をするような部屋があるようでは相撲界に明日はないと思うのだが・・・。相撲で食っている人たちには悪いけれど、相撲をこんな風にしてしまったのはみんなあなたたちのせいでありますよ。私は関係はないけれど。
2009.01.28
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またまた、老域に掛かった私と連れ合いの二人と1世代近く年上の姉とその友人との4人で山岳コースに挑んだ。冬の寒い一日は、どんなになるだろうかと、週間天気予報などを参考に晴れの日を見込んで、姉の友人が申し込んでくれた。スタートは腰の辺りにカイロを貼り付けて準備万端で臨んだ。2-3日前には平地でも粉雪がぱらついたので、山の奥のコースではプレーする事が難しいだろうと気がかりであった。現に昨日はクローズしたのだと聞いて、今日の暖かさに感謝した。行くまでの道では明るい日差しが射して、外はとても暖かそうであった。そしてプレーが始まる頃にはこれが冬とは思われないほどのぽかぽか陽気になっていた。前にも書いたが、この山岳コースは、名うてのトリッキーなコースで、左右が崖になってOBだったり、ちょっとした谷越えや、変則的な池越えが待ち受けているちょっとやっかいなコースだ。姉の友人がずっと以前から会員になっているとかで姉たちの住まいからは比較的近い事もあって一緒に行き始めたのが縁である。行き始めた当初は整備もあまりされていなく、グリーンなどは無惨なところもあったが、回を追うごとに段々と整備されていき、安くて手軽な割には、まあまあ楽しめるという感じである。距離もかなり短く、パーも70となっている。私は例によって出足の一番で、左にOB右にOBと開始ホールからがたがただった。姉とその友人は年齢に比べて結構元気がよい。ティーショットはあまり飛ばないが、その分OBになる事も少ない。連れ合いも始めて行った頃に比べると、ティーショットが飛ぶ確率が多くなって、良い当たりの時は、姉たちをオーバードライブする事も珍しくはなくなった。また、フェアウェイウッドも、使えるが、これは時々良い当たりが出るものの、まだまだ落ち着いてやれば巧くなる余地を十分残している。私がずっと以前にゴルフを始めた頃は、ティーショットはもちろんの事、フェアウェイウッドは握るのさえ怖かった時があったけれど、それに比べ連れ合いは平気でかなり度胸が据わっているようである。通常年寄りゴルフは飛ばないけれど、グリーン周りが巧妙で、パターなどは得意とされている方が多いのが普通である。しかし初めて4ヶ月ほどしか経たない連れ合いは、アプローチやパターの感触はまだまだつかめていないようである。長年やっていても、パターを巧妙に使いこなすなどはそう簡単には出来ない永遠の課題であるが、ちょっとした感覚をつかむ事で彼女のスコアーは格段にアップ出来るであろうほど、まだまだ荒削りである。とは言いながら、4人の珍道中は、スタートしたが、今回は後ろから男性が2ボールで追いかけてくる順になっていた。シルバー集団は、行動の一つ一つがゆっくりしている上、自分の打った球がなかなか分からないなど、遅々と進まざるを得ない。いつも後に2人連れを待たせる格好になる。私は少々気になるが、姉の友人は全く意に介さない。とは言っても、日本のコースはお先にどうぞとパスさせる事が出来ない。カートが自動で、一旦コースに出ると軌道を外れて、前後入れ替える事が出来ないからやむを得ない。こちらはシルバーで4人、後ろはゴルフに慣れたらしい男性二人のようで待たせるのは道理である。私も気にはなるものの、この順番では当たり前の事だと開き直っていた。ハーフを終了してクラブハウスに帰ると、どうやら前後を入れ替えるという。まあ、その方が、気分的に楽なので、入れ替えに快く応じた。また、今日に限っては、これが冬かと思う位に暖かく、例によって私は帽子がぐっしょりなるほど汗をかいていたから、交代で上がりが遅くなる事で寒くならないであろう事も幸いだった。一つとして平坦で、真っ直ぐなコースはないし、フェアウェイも狭いので、いかにパー70のコースとはいえ、ここを攻略できれば、普通のコースでは気分がうんと楽になろうというものだ。私は、通常コースで100を切る事が望みだし、姉もその友人もゴルフはとても好きで、連れ合いもコースに出るたびに何か一つ二つ得る事があるようで、このシルバーチームも何とか続いて、結構楽しんで回れる。連れ合いは、今まで届かなかった打ち上げショートホールも届くようになったり、ちょっとした谷越えではいつも対岸に届かなかったのが届くようになったり、苦手のコースを攻め方を変えて大叩きをしなくなるなど、毎回何かを得ているようである。おそらくはこのコースに来る事が多くなるだろうが、何とか苦手のホールを克服したいと思うし、連れ合いがより一層上達するのを期待している。寒中に暖かさが味方してくれた楽しい一日であった。
2009.01.27
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今日は朝一番で、映画を見に行こうと言う事で出かけた。最近見た「チェ28歳の革命」と同じく、アルゼンチン生まれのキューバ革命家チェ・ゲバラの青春時代を描く映画だという。続く「チェ・38歳別れの手紙」の前に観ておこうとした映画で、前に観た「チェ28歳の革命」の映画の半券を持っていくとシニア割引では800円になるという。意気揚々と映画館の前まで行ったところが、その半券を持参するのを忘れていた事に気づいた。連れ合いと二人で400円も損をする(得しない?)のは勿体ないと、次の機会に来る事にしてその日は諦める事にした。本来なら映画を観てその帰りを一駅歩いて家に帰るつもりであったが、別の用事を済ませると残念ながら家路へとウォーキングを始めた。近くの国道沿いを避け、住宅街を抜けて、たんぼ道を通りながら、ちょっと寒いけれどすがすがしい空気の中を歩いた。こんな時連れ合いは手袋をしないという。手はいつも暖かで、外に出していても平気なのだという。「心が冷たいから手が温かいんだ」と憎まれ口を叩くと、「男はだらしないから手袋がいるのよ」と返してくる。ところが歩いてくる人、歩いてくる人、1人の例外を除いて皆手袋をしている。そんなものかと、やっと納得した?様であるが、何しろ連れ合いの手はそれほど温かい。体中に貼り付けるカイロは必要でも手だけは平気らしい。そんなくだらない事を話ながら、川の手前の住宅街に入っていった。当然住宅街が川に接するところでは、橋が架かっているか、川沿いに橋まで歩けるかと思ったが、川と阪急電車、JRに囲まれたなにやら袋小路のようになっていて、突き抜けて通る事が出来なかった。歩く事が目的だから、余分に歩けるのだから得をしたと思う事にして、一旦引き返し、国道沿いの橋を渡った。途中大型スーパーでロト6を買ってまた歩き始めた。(楽しみだ!)そこからは、西国街道に抜ける道を経由して、西国街道と合流した。私は何度か同じ道を歩いた事があるけれど、連れ合いは、車でしか通った事がないという。田中寺、畑山神社は遠くから見て、一乗寺だけは境内に入っていった。前にも書いた通り、この辺りの西国街道は日蓮宗が多いが、この一乗寺も日蓮宗だそうだ。最初は金仙寺と称したが、日親上人に帰依する際に一乗寺と名を改めたそうである。この日親上人は法華教を布教のため室町幕府に立正治国論を献上しようとしてとらえられ投獄の末、拷問を受け、果ては焼けた鍋を頭からかぶせられたにもかかわらず、信念を曲げる事がなかったという強者で、後に「鍋かぶり日親」とあがめられるようになったのだという。まぁ、このぐらいの根性がないと人にあがめられたり宗教を語る事は出来ないという事であろう。その日親上人の銅像が改築された本堂と同じく、境内に立っている。比較的広い境内には本堂と、日親上人との間には、高さ30mもある巨大なクスノキがそびえ立っている。この樹は、市の保護指定を受けているが、かつては弁慶の駒つなぎとして有名であったという。寒空に、境内はひっそりとしていたが、シーズンが良くなるとこの界隈はお参りする人たちが大勢通ると言う事らしい。そこを通り抜けて、梶原の一里塚があったというほこらの前を通り、今は民家の様になっている妙浄寺にも登ってみた。ここは、日進上人(日親とは違うのか??)が淀川の氾濫を避け移築したものらしい。なお、この辺りから、阪急の上牧駅ににかけては「神南備の森」として紀貫之の歌に出てくる名前にちなんで、「神内」(こうない)と呼ばれたらしい。日頃車で通りすぎるだけで、注意も払わなかったところにも由緒ある名残が感じられて、退屈しないウォーキングであった。今日の歩数は、14344歩だった。
2009.01.26
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高校時代の友人がボランティア参加をしている海外支援グループがあるというのでちょっと顔を出してみた。高槻の駅前にある交流センターの8階で、創立10周年記念の一環としての発表会だった。予断はあまりなく、たまたまゴルフで一緒になった時友人に趣味や日常生活をそれとなく聞いたのがきっかけだった。友人は、松下電器(現Panasonic)に入社して電気部門でラジオ製作に関係していたという寡黙な男である。今回のボランティアの他には西野式呼吸法を習いに大阪まで出かけているという。あの、由美かおるや奈美悦子を育てたという西野バレー団の先生らしい。彼がこのボランティアに参加したいきさつとその健康法としての西野式呼吸法を記念会誌に投稿していたので知ったが、単なる呼吸だけにわざわざという感じがするほど単純なものらしいが、私がそう思うだけかも知れない。呼吸法の紹介文面だけを見ると、呼吸だけの太極拳のような感じで、一方では座禅のようなものかも知れない。とりあえず、彼はこの「クスクス」という海外協力グループでパワーポイントによる紹介の部門を担当するボランティア活動をしているとの事だ。「クスクス」というのはパプアニューギニアやオーストラリア地域にに生息する尾の長い草食性のリスのような小動物の名前らしい。ボランティア自身の紹介には会則も書かれていないので、目的はハッキリしないが、10周年記念の記念誌から推測するに、高槻市に在住する外国人との交流と、それら外国人に日本語学習の支援をする事でこの会が始まったようである。スマトラ沖地震や四川地震への募金活動をしたり、花見や盆踊りなど多方面の活動を通じて日本の文化を知って貰うのと海外から来て高槻市に在住する各国の人の出身国紹介を聞くなどの国際交流の場になっているようである。私と連れ合いは、友人のパワーポイントだけを覗いてみる事にしていたので、10周年記念会のために高槻市のお偉方がスピーチする前にそそくさと退散させて貰った。ざわざわと始まった会は、最初の代表の挨拶の直後ロス・チャンカス(多分一人はプロか?)が出演するフォルクローレ演奏がエンターテイメントとしてあったのでそこまでを聴いて帰った。南米から来たというロス・チャンカスはどうやら南米の民族音楽という事らしいフォルクローレで使われる楽器のの紹介をしてくれた。その中で、フルートか尺八のようなケーナ、長短の竹の筒を斜めに2段組したサンポーニャ、ウクレレに似たチャランゴ等の楽器を使って、日本でもなじみの深い、「コンドルは飛んで行く」「コーヒールンバ」や初めて聴く「チュフリア」「ミ・ルダ」の4曲を聴かせてくれた。にわか仕立ての舞台で、音響効果も悪く(マイクのハウリングがひどく)これぞ素人ボランティアの姿かという感じのものであった。我々はそれの後、用があるのでそそくさと退席したが、ロビーは結構な賑わいであったし、プログラムによると、その後の来賓の挨拶は別として、ベトナム、オーストラリア、タイ、中国、インドネシア、韓国の各国から来た人たちのスピーチが日本語であり各国の歌などのパフォーマンスがあったようで、外国から来た人たちは結構楽しんでいるようだった。創立10周年記念誌に投稿された外国の人たちが、日本語で書いた寄稿文では、日本語の難しさや異国で暮らす大変さが書かれているもののしっかりと生活していこうとの意気込みなどが伺えて、短時間ながら、海外生活を経験した身には、その大変さが伺えた。他の友人にもボランティアに関わっているというのを聞くが、ボランティア活動の一環を垣間見る事が出来て良かったと感じた小一時間であった。また連れ合いも20年来の友人や元同僚の女性と偶然再会できて、ほんの少しの間であったが、来て良かったと感想を漏らしていた。
2009.01.25
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南日本造船の大在工場でタラップが落ち2名の死者を出す事故が起こった。なんだか人ごとではない気がする。南日本造船は私が勤めていた関連会社であり、今も友人達が関係している会社でもあるからだ。多分友人達は設計部門であるはずだから、この事故には直接関係ないとは思うものの心配である。大在工場は2008年5月に完成した新鋭工場のようである。完成間際の自動車運搬船にかけた作業員が使うタラップの落下という通常では考えられない事故である。(事故とは往々にしてそう言うものだが)大学の先生は、「メーカーは当然耐荷重を設定しているはずで、会社が一度に何人が乗れるか把握していないのは問題」と話して、安全に対する不備を指摘するごく当たり前の見解を書いていた。私も、造船の設計に関係していた後、建築鉄構部門で、一時製造関係を担当していて安全に関しては痛いほど教育や実践をしてきた。だが、今回の事故は作業員不注意とかによる事故ではないらしい。タラップは、自動車運搬船の船内で作業をするために船側部に明けられた工事用の孔と岸壁にタワーを建ててその岸壁のタワーとを結ぶ水平に使用する事を意図した作業用の通路であったようだ。段々と発表されるニュースの内容によると、造船業界の繁忙(かなりのタイムラグがある)のため、効率化と、コストダウンの命題に従っての、岸壁側タワーの省略を意図して、タラップを水平用から斜めに使用するように変えたという。このことは特に問題となる変更ではなく、何故最初からそういった使い方をしなかったのか疑問なくらいである。(斜めがだめならエスカレーターはあり得ない)タラップ等足場関係には耐荷荷重を書きそれを守るように厳重に指導するのは現場ではごく当たり前の事である。しかし、この事故は、これら現場サイドの教育や安全管理上の注意を行う以前の問題のようだ。通常こういった現場で使うタラップなどは現場から直接外注先に設計を依頼するのが通常のやり方であるが、これに設計部門が関係していたかどうかが大きな問題である。というのは、昨日公表された毎日新聞の内容では、 同社は下請け会社にタラップを発注する際「人を乗せた重さを含め4・5トン」と求めたことから、タラップの自重は約3トンと推測していたという。しかし24日の実況見分で、自重だけで約6トンあることが分かった。 同社によると、フックの製作はタラップ発注段階の「自重約3トン」という想定に基づき、同じ下請け会社に依頼した。しかし実際は、タラップの自重と渡っていた作業員で計8トン近くあったとみられ、事故当時フックには想定の2倍近い負荷がかかったとみられる。 大分労働局によると、フックは直径18ミリのボルト4本でタラップ先端に装着されていたが、海中などから回収されたボルトはすべて切れていた。専門家がボルトの破断面などを調べたところ、横方向からの強い力で起きる剪断破壊で切れたことが分かった。 24日の会見で同社の佐藤正美業務部長は「自重も検査していなかった」と述べた。大変なケアレスミスである。ここで計算をし直す事はしないが、通常設計荷重の2倍程度では破壊に至る事がないように安全率を4倍程度に取るのが安全に関わる部材の設計の仕方である。長さが27mと結構長いために、おそらくは作業員が移動中に揺れるための繰り返し疲労荷重も掛かったものと思われる。剪断破壊で切れているというのは当然の事で、ボルトに曲げ荷重がかかる事は一般に想定外であるし、そんな設計はしない。18mmの4本のボルトというのは感覚的には少ないように思われる。タラップ全体のあり姿は視覚的に強度十分であるかも知れないが、いずれにしろ両端部で8トンの荷重を理想的には半分ずつ持つ事になるが、片掛かりを考える事と、作業員が持っていた部材などを落とす事などによる衝撃、さらには前述の歩行などの揺れによる繰り返し荷重などを考慮して設計荷重として取るのが正しいやり方である。そう言った事を考える以前にタラップの自重を過小評価(計算間違い?)した事が大いに問題なのであろう。ボルトは完全に締め付けられていたのか?ボルトのような部材は、各個撃破的に1本ずつ切れていく事も考えられるからだ。私も造船時代に図面を見間違ってクレーン部材を折損してしまった時にその責任者であった事はフリーページに書いたとおりだが、こういった間違いをチェックできない状況(担当技師への信頼やまさかと思う事態)と言う事はある一面分からないわけではない。私の場合は、昼休み中で、人身事故に繋がらなかったのが不幸中の幸いであったが、その事件を境に不遇をかこった事を考えると、設計に直接タッチした人は別としても、今回の責任者の行く末を案じないわけにはいかない。造船では、ヒヤリハットが常にある、ハインリッヒの法則が常に叫ばれる。こういった大事故の陰には、多くの些細な事故や、事故寸前のどきっとする事があるのが目に浮かぶ。そのために専門の安全管理士を置いているはずなのだが、巨大な構造物を建造する場合には、どこでどのような想定外の事が起こるかも知れない、一見立派に出来た自動車運搬船がこのような人柱の上に出来ているのでない事を願いたいものだ。
2009.01.24
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高校時代の同窓生と一緒に武庫の台のパブリックコースをラウンドをした。一緒に回ったのは、高校時代特に親しかったと言うほどではなかったが、私と同じクラスの友人達だ。女性の同窓生は職場時代に知り合ったとかの女性どうし3人で回り、私の連れ合いは、紅一点私と友人2人の同じ組の4人で回った。今回のラウンドは、高校卒業以来ずっと続いている発起人九人で始めた九人会という流れを汲むプライベートコンペに去年初めて私が初参加させて貰った事に始まる。その新年会が今月10日にあったとき一人の友人がプライベートに回るからと私を誘ってくれたのが発展して、まだまだ始めたばかりという我が連れ合いをも強引に誘い込み一緒に回ることになった。我々二人にとって始めていく武庫の台は、福知山線道場からシャトルバスが出ているそうだが、我々は中国縦貫道の西宮北ICで降りて、北上した。道場駅の辺りからゴルフ場へは結構急な坂を登っていく山岳コースではあるが、コースそのものは山岳コースの割にはあまり起伏が無く、フェアウェイも比較的広くて圧迫感は無かった。兵庫県は日本で2番目にゴルフ場の多い県だ。1位は北海道で、これは面積が多いから当然として3位は千葉県だと聞いたことがある。図らずも私は、千葉と兵庫でゴルフをする巡り合わせになった。去年6月に連れ合いと旅した洞爺湖サミットがあったホテル・ウインザー洞爺のゴルフコースを回っていたら、日本のゴルフ場数上位3県でラウンドしていた事になったのだがと北海道のホテルから見た雄大なコースを思い出した。北海道は広く、千葉県は山のない県であるからゴルフ場の多いのもうなずけるが、何故兵庫県に160近くのゴルフ場があるのかと少し不思議である。ともあれ、7人が二手に分かれての単なるプライベートなラウンドだと思っていたら、今日は宝塚ホテルの謝恩オープンコンペと言う事で、そのコンペに自動的に組み込まれていた。昼食と、コンペ表彰時のバイキング料理がついていたが、4500円の参加費はちゃっかり取られていた。しかしながら、転んでもただでは起きないという事でもないが、コンペの表彰式では、ダブルペリア方式で上手な友人を差し置いて、飛び賞に当たり三田牛のすき焼き肉を獲得したのはラッキーだった。我々の組は、最終スタートであったので、後ろに追われる事もなくゆっくり出来たのはラッキーだった。たまたま今日は雨も降らず時折陽が射す比較的暖かで、スタート前は霧で30分遅れとなった。スタートホールでのティーショットもまずまずの出来だったが、やはり緊張感からか、考えられない4パットの苦い出足だった。連れ合いも、ティーショットは芯に当たっていた。去年9月に始めた事を考えると、なかなかの進歩である。特に3番のショートホールでは、崖を超える打ち下ろしのショートホールで、素人には圧迫感があったが、4人とも1オンを果たしたので気持ちが良かった。後は初めてのコースと言う事もあってか、OBが3回池ポチャが1回黄杭越えが1回となにやら無茶苦茶な感じだったが、終わってまずまずの気持ちになれたのは、当たり自身はそれほど悪くはなく、慣れないグリーンを読み切れなくパターに苦しんだだけだからかも知れない。連れ合いのゴルフも、フェアウェイにある時はまずまずだったが、随所にある比較的あごの高いバンカーに吸い寄せられる事が多く、それで力尽きたようで、後半はかなり疲れているようであった。さすがにティーショットやフェアウェイウッドは練習のかいが出ていたが、バンカーやパッティングになると感じがつかめず苦労していたようだ。とはいえ、この歳で、昨年九月から始めた割には、良く付いてきたという感じだった。中でも、ショートホール1オンの他に、インの16番で仲間の男性を抜いてボギーで上がったのはなかなかのものであった。武庫の台のコースは、アウトでは、霧の向こうに有馬富士と呼ばれている山も見え、インコースの10番だったかでは、コース左に三田の町が見下ろせる景色の良いコースだったのも気持ちよくプレーできた一つかも知れない。また、このコースは、何故かレディースティーのアドバンテージが大きいのも連れ合いにとっては良かったようだ。誘われた時にはあまり乗り気ではなかった連れ合いも、実際に身内だけで回るのとは違う緊張感もあって慣れないながらも結構楽しんでいたようであった。この歳になって、二人で一緒にラウンドできる事が出来るとは有り難い事だという気持ちになった。かつて冬にゴルフをした事がなかったが、それでも今日は友人が寒い寒いと連発する中私一人が汗をかいていた。4日後には、いつもの身内でラウンドする予定であり、その2日後には定例のコンペが予定されている。寒くなければいいのだが、と思いながらまだ元気でゴルフ場を歩ける事に感謝する気持ちになった。なるべくカートに乗らないで歩く事を心がけたが、万歩計では17500歩ほどであった。
2009.01.23
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17歳でプロの石川遼選手にマスターズへの出場招請があったという。アメリカ選手以外では、最年少出場記録を更新したのだという。通常は世界ランキング50位を下る選手には出場権がないところ、2008年度60位の石川プロに「特別招待枠」としての出場が与えられた。誰が付けたのか「はにかみ王子」は最早世界に互する選手に育とうとしている。主催のマスターズ委員会が、有望選手の発掘やゴルフの普及を目的に叶うと判断してのことだ。アマでありながら、しかも高校1年生で日本ツアーに優勝し、昨年度はプロになっても初優勝をしている。獲得賞金額も1億円を突破した。普通のサラリーマンの生涯年収の1/3~1/2をすでに稼ぎ出しているのだからすごい。とにもかくにも破天荒な選手である。あの優しい顔や、「はにかみ王子」と言われた笑顔から見てどこにそのようなパワーと闘志があるのか疑うほどだ。6歳の時から父親に誘われてクラブを握ったのだという。小学校選手権というのがあるのも初めて知ったが、石川はこれにも優勝、勿論中学選手権にも優勝経験しているほどのまさに双葉より芳しい選手である。テレビで見る限りの人当たりの柔らかさとはにかむような笑顔が、たくさんのファンを魅了し、彼が出場するツアーは、ギャラリーが鈴なりの盛況である。ポパイと言われた、倉本昌弘以来、アマチュアで日本のツアー優勝したのは2人目であるという。聞けば、身長も173cm、体重も68kgそれほど恵まれた体格であるとは思えないが、何故かプレー中は一回りも、二回りの大きく感じる。ゴルフに対する姿勢も度胸も並の選手とは違うように感じる。あの攻めるゴルフ、しかもリスクに対するリカバリーを考えてのマイナビABCチャンピオンシップだったか、18番ホールの池ポチャから脱出しての優勝は、まさに圧巻であった。彼の300ヤードを超えるドライバーショットは彼の持ち味でもあるし、誰でもが真似の出来るものではない。かつてゴルフ3兄弟の長兄であるジャンボ尾崎と呼ばれた、飛ばし屋が日本のプロツアーで連戦連勝をした頃を彷彿させるが、この石川の人なつっこさと初々しさには叶わない。ジャンボ尾崎は、尾崎一家を成すほどの大物ゴルファーであったが、何故か世界に出ると1勝もあげられなかった。石川遼はまだ高校生である、怖いもの知らずもあるだろうが、前向きな姿勢で、世界で羽ばたく選手になって欲しい。また彼自身の目標もタイーガー・ウッズに勝つとこれまた大きなターゲットである。日本には時々スポーツ界では世界に互する選手が出てくるが、どうにも政治の世界は三流以下であるのが嘆かわしい。おそらく政治をやる人間の目標に世界はないのではないか。(佐藤栄作首相のノーベル賞受賞は大いに眉唾物だと思っている)経済大国と言われたと麻生首相が引用しているが、それは決して政治家や官僚が成したことではなく、日本の働く人たちの汗と涙の結晶なのである。その繁栄を築き上げた先輩諸氏の苦労に報いるどころか、その上前をはねて良い目を見ながらなおかつ後期高齢者と名付けて迫害に近い仕打ちをするなど、あってはならないことだと思う。お祖父さんは偉かった、でもそれがために貴方が偉いのではないですよと声を大にして言いたい。とんだ愚痴話になったが、石川遼選手におめでとうと言いたいのと、これから世界にもっと羽ばたいて、日本の名前を挙げて欲しいと思う。どこかの英語のコマーシャルに出ているようだが、英語もぺらぺらのはにかみ王子が、はにかまずに世界の選手を尻目に優勝することを願っている。
2009.01.22
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アメリカ第44代大統領の就任式があった。丸1年、いや実質はもっと前から準備されていたであろうアメリカの大きなイベントの実りの日とでも言うべきであろうか。とにかく話題性の多い新大統領である。何故に再選されたか分からない共和党のブッシュ大統領8年の治世以来の民主党大統領であり、しかも黒人初と言うことである。その大統領が「Change」を抱えて登場したのであるから、アメリカは変わるであろう事は予測と期待ができる。これほど世界が混乱期にある時に大統領になったのは私が知りうる限りではオバマ大統領が始めてである。自国アメリカから端を発した世界経済恐慌は彼自身に刈り取って貰わなければならない。ケネディー大統領の時にも感じた高まりをもしのぐ就任式には200万人(一部報道では250万人)が参集したという。演壇で就任演説をする大統領から3kmも離れたところで聞いている人もいたようだ。何もそれくらいなら家でテレビを見た方がと思うが、矢張り臨場感をもち、その興奮を享受し、共有したいと言うことなのかも知れない。27歳のスピーチライターが書いたと言われる就任演説内容は、格調の高いものであり、且つ具体的なことまで言及した、ハッキリした方向性が打ち出された内容であった。「一部のものの強欲と無責任の結果」起こったことを「我々全員の失敗」と言ったのは、サブプライムローンのことか「家を失い、職はなくなり、ビジネスは崩壊した」と述べている。その結果が、世界中にまき散らした、放射能汚染のように世界中の経済を汚染していることまでは言及していない。しかし「アメリカよ、分かって欲しい。これらの試練は対処されるだろう」と語りかけている。そして、建国からの歴史が浅いものの、先人が決して平坦でない道を苦難を乗り越えて今日の偉大な国家を作り上げたのであると国民を鼓舞することを忘れてはいない。独立戦争からベトナム戦争までに流した血を経て今日のアメリカがあるという。アメリカは旅を続けているし、地球上でもっとも繁栄していると自画自賛し、アメリカ人の意識や、創意、生産性は依然高いし、それを正しく再生しなければならないと述べている。なすべき事は山のようにあり、インフラ、医療、エネルギー、教育などを具体的に項目を挙げている。そんなことをするのは無理だろうという人に対し、我々はやってきたし、陳腐な政治論議は最早通用せず、問題がイエスなら前進し、ノーならば終わると言うことを宣言している。今回の危機を市場に任せて野放しにしてきた反省を述べている。アメリカが世界の平和に寄与してきたことを暗に述べ、イラクから撤退し、アフガニスタンに軸足を移すことを明確に述べるとともに、核の脅威を減らすことにより安全を確保する気概を示している。テロに対峙する確固たる決意と、多民族、多宗教からなる合衆国こそが新しい平和に先駆けることをしなければならないこと述べ、イスラム世界に融和を語りかけ、貧困国に手をさしのべると述べている。海外に派兵されている兵士に感謝と勇気を与え、新しい時代に国民が何をなすべきかと言う点で原点に返る気持ちを喚起している。黒人差別の問題については、彼の父が60年前には入れなかった地元食堂に、今のその息子が、ここで演説をしているという事を述べてアメリカの自由と信条を要約している。そして、どんな嵐が来ようとも耐えて克服し、くじけず前進して自由という偉大な贈り物を運び次世代につなげようと演説を結んでいる。抽象的でわかりにくいところもあるが、具体的なことにも言及し、とにかく我々がやっていこうと呼びかける辺りは、格調の高いものを感じさせる。スピーチ能力と、プレゼンテーションの巧みさに関しては、我が国首相との比較することすら憚られる気持ちがした。その首相が感想を聞かれて、「世界経済1位と2位の国が巧く手を携えてやっていくことが出来ると感じた」などと言う辺りは、身の程も知らずという気持ちになるのは私だけだろうか?「Change」が必要なのはまさに今の我が国なのだ!選挙の洗礼さえ受ける自信もなく、嫌になったら交代すれば済むという我が国の首相のあり方は、議院内閣制、政党制に大きな警鐘を鳴らし続けていることに早く誰か教えてあげて欲しい。
2009.01.21
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NHK大阪文化センターの表記講座も4回目となった。今回主題は「預言者とムハンマド」だった。前回配り忘れたというアラビア言語の難しさの例を示す講師のプリント1枚が追加で配られた。それは、アラビア語の文語:正則語(フスハーという)と口語:民衆語(アーンミーヤと言う)では全く違うと言うことの例だった。イメージは、どうやら官庁などで使うのはフスハーで、お笑い番組などはアーンミーヤという感じかも知れない。あの蛇が卵を放り上げ、子連れで歩くような形のアラビア語を学ぶだけでも大変なのに、それにフスハーとアーンミーアという二つの言葉があるなどとは、それを聞いただけで怖じ気づいてしまうのに、講師はそれを理解し、読み書きが出来ると言うことは驚異である。前回質問をした内容で、文化面においても昔繁栄していたアラビアが、ヨーロッパ諸国に何故後れを取ったかという疑問についての講師の見解が簡単に述べられた。12C のプレールネサンス時代で、オスマントルコが興る前頃からアラビア文化がヨーロッパに伝わり、ギリシャ語も大翻訳されてシリア語になる中、ヨーロッパではルネサンスが興り、人間中心の考え方が興ったことが大きな要因ではないかという。キリスト教は聖書を外から眺め、その合理性について分析を許したが、イスラム教は、コーランというものは神の言葉であり、神をあくまで不可侵として、その合理的分析を怠ったためではないかと言うことであった。具体的には、イスラムでは当初乗り物に車輪がなかったとか、女性の地位向上がなされていないとか、自由の観念が未発達だと言うことがあり、なんと言っても識字率の低さが大きな要因であったというのが例に挙げられた。アラビア語名の中で、「ムハンマド」は人気ナンバー1の名前で全アラブ人の六分の一を占めるほどであるという。人口的には、大阪のど真ん中で「ムハンマド」と呼ぶと、全員が俺のことかと言うほどであるらしい。イブラヒームというテロリストもいたが、この名が4位、サウジ時代私の運転手を務めてくれた2名の内、サウジ人ハッサンは5位、スーダン人フセインは8位、サウジの現国王アブドッラーは7位という具合に10位まででそのほとんどの人の名前をカバーできるという。ムハンマドの説明で、彼は預言者の一人で、最終の預言者だという。預言と予言は意味が違い、予言:未来を予測する。預言:神の言葉を伝える。との意味で、イスラムでは神の啓示を受けた(直接声を聞いた)預言者は1説には12400人もいるという。その中でも神から使わされた者は使徒と呼ばれ、これも200~313人いるという。その中での5大使徒が、ムハンマド(マホメット)、イブラヒーム(アブラハム)、ムーサ(モーゼ)、イーサ(イエス)、ヌーフ(ノア)であり、その中でもムハンマドは最後に神に使わされた使徒の打ち止めで、全てはムハンマドに依れと言うことになったらしい。サウジアラビアの国旗は、刀の上に描かれたアラビア語に、・イラーハ イッ ラッアラー(神はアラーを除いて他にいない)・ムハマダン ラッスール ラー(ムハマドは神の使徒である)と書かれているらしい。ムスリムは必ずこれを唱えるという。サラーの呼びかけの歌にもこの言葉を唱えているのを思い出す。ムハンマドは神でなく、神格化(イエスが神であるというような)はしないがあらゆる誤謬を犯さない理想的な人間であると教えられ、ムハンマドのやった行為を(靴はどちらから履くとかなど)についてもムハンマドの行ったとおりに生活していれば間違いないとされるそんな人間(最早神と同じだが・・・)と教えられているとのことである。それに対して、西洋からのムハンマドへのアプローチは、ダンテの神曲に書かれたようなホラー的なものや、歪曲した風刺画などで世界中に伝搬され、ゆがんだムスリムひいてはアラブ諸国を間違った方向に喧伝されているようである。これについては、ムハンマドをたたえる側のサミー・ユースフの歌や、風刺画にかみついた、シャアーバーンの「堪忍袋の緒が切れた」などの歌が歌われたようであるが、後者は過激故にすぐ発禁になったようである。最後に、スーフィズムというイスラム教の神秘主義哲学についてのさわりの講義があったが、イスラムの行き着くところは、ムハンマドに導かれ、最後はアラーだと言うことであり、それほど簡単に理解できるものではないことを改めて認識させられた。12億人以上と日本の人口の約10倍もいるムスリムがどういう価値感を持ち、日常生活をしているかを知ることは、中東での出来事や紛争等をよりよく理解するためには必須のことのように思われる。次回はコーランとハーディーズ(伝承)についてと予定されている。
2009.01.20
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連れ合いが観たいという映画があるというのでつきあった。なにやら、イギリス映画らしいが、題目を聞いて、何とも気乗りのしない麗しの姉妹愛か、恋愛のもつれの映画かとあまり乗り気にはなれなかった。予断無く付き合ったのだが、夜の8時興業と遅くに行ったせいもあるのか、小型映画館は我々二人だけの貸し切りである。とにかく大型映画の画面をテレビでも見るように二人で独占できた。この時点でも、内容は分からなかったが、見終わって、これが、イギリス帝国のヘンリー8世の時代のものであることが分かった。ブーリン家というのはあまり由緒のない家系のようで、姉妹の父や、叔父は子供を金持ち貴族や王家に嫁がせることで出世しようと考えているようなやからである。そのブーリン家の姉妹の長女がアン、次女がメアリーという仲の良い姉妹であった。その長女アンがヘンリー8世の最初の王妃キャサリンの侍女となっていたが、ヘンリー8世に見初められ、求婚された。ヘンリー8世とキャサリンとの間には王女メアリーしか子がなく、男子の王位継承者を切望していたヘンリー8世はローマ教皇庁にキャサリンとの「離婚許可」を求めた。と言う風に歴史上はすんなりいったようになっている。ここで、ローマ教皇と断絶し、イギリス国教会が出来たのだという。このヘンリー8世はイングランド王室史上最高のインテリであるとされ、ラテン語、スペイン語、フランス語を理解し、舞踏、馬上槍試合などスポーツにおいても優れた才能を発揮したうえ、音楽にも造詣が深く、ヘンリー8世作曲とされる楽譜が現存しているなど、文化史にもその名を残している優秀な国王であったとは歴史書物に書かれている。ところが、この王はキャサリン、アン、を含めて6人の王妃(正式)を次々と変えたとある。その2番目の王妃アンが、初代のキャサリン王妃を追い出し、果ては自分自身もロンドン塔の処刑台で首を落とされるまでを描いている。簡単なストーリーは、ある日王が、ブーリン家を足場に狩りをすべく一晩泊まった時に、アンがそこに取り入る予定が、王の落馬で、たまたま妹のメアリーが看病しメアリーに魅せられ、愛人として宮廷入りしたメアリーが男児をもうけるのだが周囲の策謀によって王から隔離されることになり次第にヘンリー王の心はメアリーから離れていった。このときブーリン家の一族は何とか王の気持ちを自分たち一族につなぎ止めるために不都合があって、フランスに出されていたアンを王に取り入らせて、再びブーリン家の危機を救うためと呼び戻す。手練手管でヘンリー王を籠絡し、子供をもうけるが、出来た子供は女児であった。その後流産するなど、男児がもうけられないとなるや、またヘンリー王の不興を買い、それを取り戻すべく、兄との姦通を試みてまで男児をもうけようとする。この時代はかくも権力に固執するのかと思うほどだが、一旦王の不興を買うと、一族が抹殺されるというのは、日本の戦国時代も同じ感じだ。このように、結婚から2年後、不義密通を行ったとして、アンは反逆罪に問われ、加えて姦通、兄との姦通(これについては無実らしいが)及び魔術という罪で死刑判決を受け、ロンドン塔にて斬首刑に処せられた。これによりブーリン家は子からひ孫に至る3代とも滅亡させられた訳であるが、アンに頼まれ、妹メアリーによって育てられた、アンの子供であるエリザベスが今のイギリスのエリザベス2世女王の数代前のエリザベス1世であるという内容であった。いずれの世も、世の東西を見ても、家柄、血筋が物を言う世の中であるが、その頂点の人物の意向次第では、如何様にもなると言うことを如実に示した映画であった。今の日本も家柄血筋が政治を司っているが、民百姓の意見を聞かないというのはいつの時代も同じ事なのだろうか?付き合いだと思ってついていった映画だったが、最後まで息の抜けない成り行きと、姉妹愛、凄まじいまでの権謀術数、王権の巨大さなどが凝縮された内容は2時間近くを長く感じさせない面白いものだった。
2009.01.19
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中・東欧諸国の石油・ガスのほとんどはロシアに頼っているという。それを知っていて、ロシアは、真綿で首を絞めるごとく、厳冬の今、中・東欧諸国へのガスの供給をストップさせている。ロシアの意図はウクライナ政権が親欧米路線を取っているからだという。このウクライナに嫌がらせをして、ロシアの威光を示そうというのがねらいのようである。ロシア側は、ウクライナが料金を払わないからだと言い、ウクライナは払っていると言う。ロシアは供給はしているが、その中からウクライナが不正にガスを抜き取っているためにその他の国にガスが届かないのだとも言う。新聞報道を見る限りではウクライナの言い分が正しいように思われる。もしウクライナが抜き取りをしていたり、料金を払っていないなら、国際監視団が入ればすぐに分かることだと思うのだが、おそらくはロシアはそれを許さないだろう。スロバキア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、リトアニア等はガス消費の100%をロシアに依存している。その他、ブルガリア、ウクライナ、チェコ、ハンガリー、ポーランドも50%以上100%近くをロシアに依存しているという。これは最早、嫌がらせを通り過ぎた非人道的な行為である。まさに戦争と同じで、鉄砲や爆撃では死なないが、凍死と言うことも考えられる。まだこのことによる死者の話は聞いたことがないけれど、各国は備蓄を行っているはずで、それによりまかなっているとしか思えない。ここにごり押しロシアの陰湿な国家体質が読める。これに対して中・東欧諸国はロシア以外からのエネルギー導入に力を注ぎ始めた。以前から建設中のトルコ周りの「ナブコパイプライン」の建設を急ぐというもの、北欧からのガス供給網を整備しようというものがあると言うが、どれも喫緊の対策とはならないようである。そこで、ブルガリア、スロバキア、リトアニア等は、停止中の原発を再稼働したり、閉鎖予定を先延ばししたりすることを考えているという。これらは旧ソ連製の原発であろうし、それが休止していたことから分かるように、日本では美浜原発3号機を直ちに再稼働させるようなものだ。急ぐあまりに大事故に繋がらなければよいのだが。旧ソ連(ウクライナ)のチェルノブイリの原発事故は当事国以外ではもう風化してしまったのだろうか。スリーマイル島の事故も然り、インドのカパルカム原発の事故も20年から30年経っている。日本では余部鉄橋事故、日航機事故(御巣鷹)もチェルノブイリに相前後して起こっている。近くは西日本の列車事故、阪神淡路大震災など天災や、事故は止めどなく起こっているが、人間はそれらのことを忘れることがたやすくできるようだ。ブルガリア、スロバキア、リトアニア等の人々も、これら危険(多分)な原発を再稼働することは欲していないだろうが、それこそ背に腹は代えられないと言うところだろう。日本も、エネルギーのほとんどは輸入に頼っているし、そのほとんどは中東からである、何かの異変でこれら供給が止まった時のことを考えると、恐ろしい結果になるだろう。ついでながら食糧の自給率の40%以下であり、これら、他国の善意?に頼ることがいかに危険であるかを示すものである。
2009.01.18
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久しぶりに映画を見に行った。この月末にかけて見たい映画が沢山リリースされるようだ。チェ・ゲバラについては、キューバの革命家で、フィデル・カストロの盟友という位しか知らなかった。そのカストロの事が、映画を見に行く日に新聞で小さく報じられていた。「カストロ前議長動静途絶1ヶ月」である。チェ・ゲバラは39歳の若さで処刑されているが、カストロとは1つ違いだから、生きていれば81歳になる勘定だ。明治維新の英傑にしろ、事をなし、名を残した人は概して短命である。その短命も、自らの理想のうちに散っていった人が多い。若くして死ぬことがすなわち英雄であると言うことではないことは当然であるが、若く華々しい時に鮮烈に記憶に残ることをなした人が人々の心に残るのは世の常である。チェ・ゲバラは、キューバ革命で知られているが、実はアルゼンチンの生まれだという。映画は2部作となっていて前編の「チェ・28歳の革命」はキューバ革命をなし終えたところで終わっている。チェ・ゲバラが国連で演説をしたことも映画の中に取り込まれている。これはYou cubeの中にも肉声が残されている。勿論映画での字幕スーパーを通してしかその意味は、私には分からないが、国連での国同士のやりとりが、かなり緊迫したものとして描かれている。「1950年代のキューバは米国の属国同然で、土地、電話、電力、鉄道すべての利権がアメリカ資本の手に渡り、首都ハバナはマフィアが横行する無法の歓楽街となっていた。しかもキューバ政府の要人は独裁者バティスタ将軍を筆頭に米国にゴマをする者ばかり。巨額の黒い金が支配層間で動いていた。そのバティスタ軍事政権を打倒する為に、カストロは武装した同志82人と祖国に戻ろうとしていた。情熱的に巨悪と立ち向かうカストロの生き方に感銘を受けたゲバラは、軍医として彼らに同行することを決意し、1956年12月、キューバへの密航船に同乗した。」とある。軍事政権でないだけで、巨額の黒い金など、どこかの国にも一部当てはまるような内容だと思った。キューバの革命は、イデオロギー的な共産国家を目指した訳ではないが、その後ソ連につけ込まれることから、キューバ危機を招き、世間的には、あまり良い印象を持たれていないような気がするが、それもこれもアメリカ従属の国から見るからではないだろうか。時あたかもアメリカの政権交代が行われようとしている。世界中がオバマ新大統領に期待をかけているようであるが、世界がよりよく住みやすく変革されることをただ祈るだけである。利権や、既得権を死守して、ほんの些細な改革さえ反古にするような現麻生政権には、チェ・ゲバラのような高邁な革命家でなくても改革は達成できると思われるが、何故この国にはそのような単純なことが出来ないのだろうか?チェ・ゲバラが実は日本に来て、広島を隠密裏に訪問していたという話があった。そのとき原爆ドーム訪問後に、彼は通訳にこう言ったそうだ。「日本はこんなにひどい事をされたのに、アメリカの言いなりになっているのか」。チェ・ゲバラが不可思議に思うことがこの日本では沢山起こっている。しかし、日本には彼のような人物は最早現れないのだろうか?
2009.01.17
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NHK大阪文化センターの17世紀美術の第5回目の講座があった。今日はあまり名前を知らなかった、ライスダールというオランダの画家についての講義だった。この画家の作品はさほど多くはないようである。まずルネサンス以降に風景画が確立したという事に驚いた。そう言えば、これまでの講義の中のフレスコ画や壁画、宗教画の中には風景らしきものは描かれていないことを思い出した。ルネサンスでは幅広いジャンルにおいて広がりがあったのに、絵画においては、旧態を踏襲していたようである。中世の画家のほとんどは、フレスコ画や宗教的壁画とかを描いていたが、ルネサンスが終わる頃、やがて、背景となる風景を絵画の中に取り入れ始めた。我々は近代・現代の芸術感が自然に身についている。現代の風景画も、自分の感性と目で見ることによりその手法や、風景から受ける感動を表現し評価するようになってきたが、風景を取りれたはじめた頃の画家達は、ビザンティン美術の流れを汲む、伝統を重んじる手法や格調高いものをまねると言うことが芸術家として志向するところであった。宗教画を中心に置き、遠景にそれとなく風景を取り入れるという、いわば消極的な、脇役の働きを持つものだった。14世紀のジョットーの描くスクロヴェーニ礼拝堂の壁画「エジプトへの逃避」に見られる背景画の山はまさにビザンティン美術の描き方を踏襲したものである。風景を描く視点も高い位置から遠くを臨むという上からの目線のものが多かったが、やがて、宗教画たる主人公の部分が小さく扱われるようになり、空気の存在を意識する描画方法となり、視点も画家の目線からのものが現れだした。アントネッロ・ダ・タッシーナの「磔刑」では宗教画の中に風景を取り込みたいという意図が現れている。だがそれは、キリストのゴルゴダの丘における磔場面と、宗教上意味のある地方のガリラヤ湖を重ね合わせたような、少し強引な形で現れ始めた様に思われた。ゴルゴダという意味が「しゃれこうべ」という意味であることを知ったのも新鮮な驚きであった。ジョルジョーネの「羊飼いの礼拝で」では矢張りビザンティン美術の影響を受けているものの、遠くの山を薄青く描く空気遠近法なるものを取り入れるなどの工夫が見られる。コンラート・ヴィッツの「奇跡の漁り」では画家の描きたいレマン湖とモンブランを描きながらも、主題はキリスト教の絵物語を描いたものになっている。パルティーニとマティウスの「聖アントニウスの誘惑」では、段々と風景画に広がりが見られ、それ以上に絵画が二人の合作であると言うことに少し驚きを覚えた。カルラッチの「エジプトへの逃亡」ではどんどん風景画が大きく中心に描かれていくようになり主役である、キリスト、マリア、ヨハネの姿は配しているもののその大きさは風景に比べ小さな扱いとなり、風景画そのものがみずみずしく描かれ、細かい描写がなされるようになった。風景画に斜めの線を多用することにより、見るものの目線を遠くの方に導くと言った、遠近法も取り入れられるようになっていった。クロード・ロランの「シバの女王の船出」ではあこがれの古代地中海をモチーフに、古代ローマの建物を大胆に配しながら、ジグザクに描かれた構図から奥行きの深い絵画を、風景画として描き出している。このようにローマ時代の廃墟を絵の中に取り込むことにより、ドラマチックな歴史観や栄枯盛衰、盛者必滅的な人生観を表現し、やがて絵画に精神的な高まりを加えていくことになる。ルーベンスの描く「畑仕事の帰り」では都会が都会らしくなるにつれ、人生のオン(都会)とオフ(田舎)の切り替えをするようになる、自然を求めて田舎への回帰、安らぎを求めることとなり、風景画としての美術が定着していったようである。この絵では自らの領地で働く農民達の仕事を終えて満足げに家路に帰る姿が広大な農園の中に描かれ田舎こそ人間性を取り戻せる対象であると言う流れを感じさせるものである。ライスダールにいたって、風景画の完成を見るようになるが、矢張り、この時点でも絵画の端には、物事が神により支配されているという寓意を絵画の中心に据えているがその扱いは段々と小さくなっていく。やがて風景画に空間の広がりが現れ、ライスダールの叔父の描く空には、雲が活き活きと描かれるようになった。そして、ウィレム・ファン・デ・フェルデの「号砲一発」で海洋画の勇壮さが描かれ、ヘイデンの「アムステルダムのヘーレンフラハト」では近代に通じる絵画の様式を備えてきたようである。さて次回はこのシリーズ最終のフェルメールである。
2009.01.16
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冬の寒いときに聞く暗いニュースは心まで寒くする。最近のいわゆる三面記事にほんのりとするような記事は全くと言っていいほど載っていない。代理によるミュンヒハウゼン症候群という名前を付けられている今回の母親が子供に腐った水や水道水を混入させて殺したという事件は何とも痛ましい。嘘をついてでも自分に注目させるという病癖のことらしいが、自分の子供の点滴に汚水を混ぜるとどうなるかは分かっているはずであり、その経過をじっと見ているという状態を想像するだけでなにやら鬼神の仕業としか思えない気がする。五人の子供を持つこの母親の4人までそのような手段で死に至らしめたという報道に、何とも暗いという気持ちを通り越して凍り付くような気がした。子供にとって母親はもっとも信頼できる対象であるはずなのに、どこにすがったらいいのか、そんな気持ちになる。代理によるミュンヒハウゼン症候群なるものはイギリスで2例報告されているという。その内容はどういうものであったのか興味深い。世の中には虐待という考えられない子供への仕打ちがあるのは幾度となくニュースで伝えられるが、今回のようなことは初めてである。一気に感情が爆発してと言うことではなく、徐々に我が子を目の前で死んでいくのを見ているときの心境はどんなものなのだろうか?おそらく、この病名を盾にまた弁護士が付いて減刑になったり、精神疾患で無罪となるかも知れない。全く外見上は普通の女が、実は鬼神であるというのが背筋をぞっとさせる。同時に目に飛び込んだのが中央大学の教授殺人事件である。大学と言うところは、比較的人の出入りが自由であり、小中学校などのように厳しくはないし、それぞれの授業時間が違っている関係で、いつも人通りがあると言うこともあってか、犯人は苦もなく学内に侵入できたのであろう。教授がトイレに入ったわずかな瞬間に犯人はナイフで教授を刺し殺したと有り、それも背中から十数カ所も刺して逃走したという。やがて逮捕されるであろうが、大学構内に自由にはいることがまた問題となり、規制の動きが出てくることが予想される。どこに行くのも自分以外は誰も信用できなくなり、人の親切にまで、相手の真意はどこにあるのかなどの猜疑心が生まれるような世の中にだんだんとなっていくようである。冬の寒い時期に聞く悲惨な事件は、寒さを一層助長する。
2009.01.15
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商船会社が船を造るのを手控えるという。日本郵船は老朽化した自動車運搬船20隻を2010年度末までに廃棄するし、車の輸出不振が続けばさらに10隻の廃棄も視野に入れているという。商船三井では船舶の増強を見直して150隻ほど下方修正するという。昨年10月に海運会社の経常利益が最高と出ていたことからするとあまりにも急速な変化である。とは言っても、利益を上げたのは資源輸送船の方で、今回の廃船対象は自動車運搬船の方であるから話は別なのだが、いずれにせよ海運会社が船を造らないと言えば造船会社は、まともにその波を受けることになる。その昔造船を志していた者にとっては、ちょっと心痛む記事である。最近は、造船学科などと言う名前では学生が集まらなくなったという。どうやら名前は、船舶海洋工学科という風になったらしい。看板を付け替えて中身は一緒と言うことなのだろうか。***最近日経新聞に「イスラム世界との絆」と称する記事が連載されている。イスラム世界と言っても色々な国があるが、どうやらサウジアラビアの記事が多いので、その辺りが中心になっているようだ。かの国の風習なりは矢張りアラビア語を読み書きできるようになる位突っ込まないとなかなか難しいかも知れない。なんと言っても、プラント会社が先行進出しているが、かの国は見渡す限りの砂漠地帯だけに開発するのにも多大のお金が掛かる。住友化学は、100兆円もの巨大プロジェクトをサウジアラムコと合弁で取り組んでいるという。世界的な不況という中で、へーぇ、こんなプロジェクトもあるのだとただただ感心した。そのサウジアラムコも、この世界不況で原油供給を10-15%削減するという。このことが100兆円のプロジェクトにどんな影響を及ぼしているのか知りたいところだ。このところ橋本副大臣と、山本参院議員の女性二人がサウジやトルコを訪問し、サウジ国王との5分の会見が20分にまで延長とさも有意義に語られているが、4倍にも延長されたという方が良いのか、でも、たった20分で何の話が出来るというのだろうか?女子の総合大学がやっと出来たと言うことがニュースになるほど、サウジやイスラム圏での女性蔑視は甚だしい。細やかな視点を持つ女性議員らの経験がそう簡単に生かせるほどかの国は甘くはないというか、日本はもう少しイスラム圏のことなど勉強すべきだと感じた。***これも日経新聞。昔は子育てというか女性が出産するときに、小さく産んで大きく育てると言うことが言われ、そのことが良しとされていたが、どうも最近はそうではないという研究結果が出ているという。出産時の低体重が、将来の健康状態だけでなく、経済状態にも悪影響を及ぼす可能性が高いと言うことらしい。一概には低体重=貧困とはいえないかも知れないが、貧困により低体重の子供を産みまたそれが連鎖することで、ますます貧困と不健康を招くというものである。いずれにせよ、多くの意見や多くの情報が、我々の周りに飛び交っているが、俗に世間で良く言われると言うことに100%重心を置くことが正しいのかどうかは常に自分自身が考える習慣を付けなければならないと感じた。
2009.01.14
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アメリカ新大統領の就任式まであと1週間となった。黒人の流れを汲む大統領がアメリカに誕生するかも知れないと言われ初めて、足かけ3年が経っているが、長い間かけて醸成された新大統領に期待される案件は多い。大統領選挙期間中に戦う相手は本来の共和党ではなく、同じ民主党のヒラリー・クリントンであった。どちらが大統領になってもアメリカ史上初の大統領になると言うことだ。方やは黒人として初、方やは女性として初である。日本人的感覚からは、他国にも女性の元首がいる世の中だから、女性大統領の方が可能性が高いかに思われた。だが、黒人大統領が誕生する。一部白人にとっては青天の霹靂のようなものかも知れない。人種が混在するアメリカにおいても、黒人の割合は1割強だという。合衆国と言われるだけあって、そのアフリカ系の人たちの人口比率は国の3位だという。その何割の人が元奴隷としてアメリカに連れてこられたのかは知らないが、アメリカ合衆国が出来て以来、ずっと虐げられた民族がその頂点を極めるなどとは、いつの時点で考えられただろうか。オバマ新大統領自身の父親はケニア出身で、奴隷として連れてこられた黒人のル-ツを持つわけではないと言う。かつて、暗殺されたキング牧師が「I have a dream」と言っていたことが現実になったわけである。変革(Change)をスローガンに「Yes We Can!」と簡潔な言葉で、民衆の想像力をかき立てる心理的な手法は、各々の人の心に、各々が感じる変革を期待させ、増大させる、もっとも多弁な言葉になっているのかも知れない。世襲でもないだろうし、親の威を借りただけではないだろうが、現ブッシュ大統領は、我々日本人にとっては日本流二世大統領である。アメリカが、何故ブッシュ大統領を選んだのはか、今となっては謎のような気がする。石油会社をバックにして出てきた大統領がとった従来のアメリカスタイルの政策は、9.11事件をきっかけに世界中に戦争をまき散らしたという結果に終わった。大量破壊兵器を有するとされたイラクのフセイン大統領を捕捉した辺りまでは、よくぞ「悪の枢軸国家」を倒してくれたものだと喝采に似たものがあったが、結局それも虚構だと分かるや、やることなすことが無為無策のように写った。ブッシズムと言われるほどに、迷言癖があるほどに軽々しい性格のようであり、高学歴にもかかわらず治世の面ではクエスチョンマークが付くとされていた。ここら当たりは、麻生首相を彷彿させるのかも知れないが、まあ、似たり寄ったりと言うところかも知れない。ところがここからが、アメリカと日本の違うところと言うべきかも知れないし、大統領制と、議院内閣制の違いと言うことかも知れない。全く予想外の大統領候補が現れ、丸1年かけて、その人格や人となりを観察して今回の黒人大統領を選んだわけである。勿論半数近い反対者もいるだろうが、とにかく国民の意思で選んだ大統領であるし、すぐさま選挙期間中の敵であった人物を実質上のナンバー2に置くという事をやってのけた。政権が変わると、事務方も総入れ替えとなるアメリカでは、日本のような、腐れ縁や、官僚主導型の政治は持ち込む余地が少ない。単なるお飾りの二世議員では、やっていけない仕組みになっている。今霞ヶ関をぶっ壊せという声が出始めているが、明治以来醸成されたこの国の体制を変えることは至難の業であろう。とてもアメリカのように、「Yes We Can!」とはいえない気がする。もうすでに始まっている新政策が、軌道に乗り、アメリカ初の世界不況を克服し、テロに対しての有効な手段と世界平和のために是非とも力を発揮して欲しいものである。
2009.01.13
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「危機を超えて」という日経新聞の最終稿で「貧困国支援、先進国も利益」というコロンビア大学のジェフリー・サックス教授の記事があった。冒頭現在の世界的金融危機が直接最貧国には及ばなかったが、と書きだしていた。それはそうだ、原油価格が上がろうが、株式が下がろうが、金回りが良かろうが悪かろうがそれらと一切関わりなく生活している人たちには直接は波及しないのは当然であろう。直接には関係ないかも知れないが、全く関係ないというわけにはいかないのは当然で、ボクシングのボディーブローのようなものであろう。この影響を和らげる努力を富める国はすべきであると書いていた。富める国の危機は次の4点で貧しい国を苦しめると分析していた。 1.貿易 貧しい国の農業生産物の輸出を買わなくなるか値段が下がることによる打撃2.出稼ぎ労働者の本国送金 東南アジアの国々やアフリカの人たちは、海外に出てほとんどの金を本国に送り家族の生活を支えている人が多い。これが少なくなる事による影響3.貧しい新興都市への投資の減少による影響4.ODAの減少 日本を含め、フランス、イタリアなどの援助額が縮小されているという。2015年までの国連ミレニアム開発目標8つの項目の第一番目に極度の貧困と飢餓の撲滅目標が挙げられ、その内容は1.1日1ドル未満で生活する人口比率を半減させる。2.飢餓に苦しむ人口の割合を半減させる。と言うことである。円高で計算して良いのか、分からないが1日100円で生活する人口を撲滅ではなく半分にしようというのである。それ以前に食べられない人たちをこれも半分以下にしようではないかと言うことなのである。私はすぐアフリカを想像してしまうが、東南アジアや南米にも当てはまる国があるのであろう。先進国はODAのGNP比率を0.7%に引き上げることを約束しているが、経済大国順にその割合は低下しているという。アメリカが0.16%、日本はちょっと上の0.17%なのだそうだ。なるほど絶対額は先進国(米、日)が勝っているのは当然であるが、率はこのように低いのである。驚くことに、日本のODAの中で、対中国ODAは、1979年に開始され、これまでに有償資金協力(円借款)を約3兆2079億円、無償資金協力を1472億円、技術協力を1505億円、総額約3兆円以上のODAを実施してきたと言うことである。共産国家である中国の富の偏積のすごさは大方の知るところであるが、いつまでも日本の犠牲になったと言うことを盾に金をせびり取るより、自国の富の再配分を最優先して考えるべきではないかと思う。腐敗と汚職の中国に何故巨額のODAを続けなければならないのか、理解に苦しむ。中国はその金を持って(直接ではないが)アフリカや、南米に資源外交のODAまがいのことを行っているわけである。やり方が強引だから、顰蹙を買っているところもあるが、全くなりふり構わぬやり方を平気で行っている。日本が、派遣難民を救うために海外にODAを依頼すると相手はどう思うだろうか?2兆円もばらまく金があり、一晩に何万円ものワインを空けて、「結構安いんじゃない」とか言っている連中にもばらまいていると知ったら、噴飯ものであろう。主要国のODAの率を示すグラフが掲載されていたが、北欧諸国やベネルクス国の率が断然多いことに気づく。高負担でも、老後の生活の心配がないことで、他国を思いやると言う心の安心と余裕が生まれることになっている証ではないだろうか?どこかの国のように、とりあえず一人に1万2千円やるから、使い道は後で考えるとして、3年後には消費税を上げるよと言うのでは、誰も止めろと言いたくなるであろう。かつてジンバブウェで橋梁6橋のドネーションに関わったものとしては、現在のかの国の国としての体をなしていない様を見ると、政治の貧困がかくも国の進路を誤らせるのかを痛切に感じてしまう。日本の国はかの国のように独裁と言わないが、地位に恋々とする様は大同小異のように思われる。(まさかこれを地位にこいこいとは読まないだろうな??) 麻生内閣は歴史上最低だったかつての森内閣の支持率の下限を塗り替えようとの勢いである。その森内閣の不人気理由は、「期待がもてない」「リーダーシップがない」「首相を信頼できない」「印象が悪い」と言うことらしいが、全く同じ理由が今の麻生内閣にもいえる。一国の総理にしてこのようなことを言わなければならないほど日本には人材がいないのであろうか?一人頭1万2千円の一過性のばらまきで景気が回復すると思っているようであればお先真っ暗であり、なにをか況やであるし、これが国民を救うODAと言うのなら、もう少し違う道があるのではないかと考えるのが自然ではないのだろうか?
2009.01.12
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最近はやたらとタクシー強盗が多い。新聞の社会面にはほとんど良いことが書いていないので、最近は素通りすることが多いが、テレビを見ていると、ニュース番組でタクシー強盗が頻発しているという。それも地名は私が住んでいる近くだからまさかと思うものの、こうした犯罪がごく身近に起こっていることが伺え、他人事ではないという気がする。その昔は、タクシーに乗ってもろくに口をきかない運転手や、行き先を知らないにわか運転手が問題になったことがあるが、こうも立て続けに襲われ、命を奪われる様になったのは、そうそう頻発した記憶はない。外国などでは、むしろ運転手に襲われると言ったことや、料金をぼったくられるという事を良く聞くので、タクシーには乗りたくないという潜在的な意識がある。今問題になっている運転手と乗客の間を仕切るアクリル板がない車が多いと聞く。あのアクリル板は宣伝のためで、運転手保護の意味であのアクリル板を見たことはなかったが、そう言われてみると、あれがあると無いとでは、こういった凶悪事件が起こる度合いが違うようにも思える。外国ではこういったアクリル板では足りなくて、金属製のパイプで仕切りをしているところもある。日本のタクシーは、愛想の点ではいろいろあるようだが、安全性という意味では世界に誇れるものがあったと思うけれど、それはお客から見た意見であって、決して運転手からの見方ではなかった。多人数が乗る電車などでは、そう頻繁には起こりえないことも、1対1の密室ではついその気になるのかも知れない。まして、売上金という現金がそこにあることは明白なので、その気になれば、結構手っ取り早いと思うのかも知れない。私など、昔たまにタクシーを使うときなど、こちらから話しかけるようにし、運転手の善し悪しを査定していたけれど、今は逆で、運転手側から話しかけて安全な客か否かを判断しているという。世の中変われば変わるものである。何もかも政治のせいとはいえないかも知れないけれど、人生に勝ち負け論議を巻き起こし、勝った者が弱者をいたわるという風潮は、この日本には残念ながら無いようである。タクシーには出来るだけ乗らないようにしているし、近い距離は歩くことにしているが、たまに乗ったタクシーの運転手の話が面白いこともまた事実である。こんなご時世になって、運転手がこちらを査定しているのかと考えたら、ますます乗りたくない気持ちになるし、運転手の側からも、こんな物騒な仕事は嫌だと思う人が出て来るかも知れない。「ここは禁煙です」というアナウンスに、「そうだたばこがあったな」と条件反射的にタバコを取り出すと言うことも聞いたことがあるが、「そうだ手っ取り早いタクシー強盗があるじゃないか」という事にならねば良いのだがと思う。
2009.01.11
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高校時代の同窓生が集まる新年会に参加した。元々はゴルフの有志が9人で始めたという会だとかで、その日は奥さん連中も同伴してくる仲間もあり総勢は27名だという事だった。私もつれ合いとともに参加した。我々はまだ老人という域には達していないが、今年分類上は老人の仲間にはいる。病気で欠席の者、体の調子が悪い者もいたりで、そろそろ皆どこか痛みかけていることを知る。誰もがなにがしかの生活習慣病のキャリアである感じだ。彼は一時どうにもならない状態だったそうだとか、大手術で、骨を切って胸を開いたため体をねじるのを禁止されているという者もいて、結構バラエティーに富んでいる。私も血圧が高めで、血糖値が高く、高脂血症の云々と平常の状態ではない。それでもまだ自覚症状がないことを良いことに、ゴルフを一緒にさせて貰っている。あんたは誰だっけ??と言うとどうやら中学時代からの友人で、そう言われてみればそうだなと懐かしかった。同窓会の会場はこれも同窓生が経営する料理屋で行われた。その主人なる男は、高校時代のはつらつとした顔が白髪交じりの親父の顔になっていた。学年全体の同窓会もあるらしいが、私は参加したことがない。こういったプライベートな集まりには別に派閥というわけではないだろうが、各々の会ごとに集まる顔ぶれが違っている。中には、昔の私のように顔を出さないのもいる。会えば懐かしいかも知れないが、同窓生だと言うだけで、高校時代にあまり話したことがないという連中もいる。連れ合いに引っ張り出された形での参加だが、たまに集まり、別にこれと言った決まった話題でもなく話しているうちに予定の時間は過ぎてしまった。3月末のゴルフでの再会を約して、三々五々帰路についた。
2009.01.10
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朝方の雨空も午後には薄日が射してきた。3日前からウォーキングを再開したが、別に定期的でもない。それこそ三日坊主にもならないところを連れ合いに「今日は歩きに行かないの?」と言われた。12日の成人式を控えて、連れ合いの声がかすれて巧く発生できない状態が続いている。そんな状態だから、家にいた方が良いかと思っていたが、「私も歩く」と言ったので、腰を上げることになった。とにかく1万歩歩くと言うことを目標に、西国街道を今度は京都に向かって歩くことにした。西国街道と言っても、現状は国道171号線のバイパス(どちらがバイパスなのか分からないが)として使われており、結構車の往来が多い。そんなこともあって、今は住宅街になっていたり田んぼのままの脇道を通っていくことにした。正式なウォーキングコースではないので、いつも車に出会うことを気にしなければいけないくらい車社会になってしまったのを感じる。車では通れない道をたどるのも色々な発見があって結構楽しいものである。そこに住んでいるとそこの良さが分からなくなると言うこともあるが、先頃JRの島本駅が出来たところに大楠公父子決別の像が建っている。JR島本駅が出来るまでは、それほど手入れはされていなかったが、今は少し見られるようになっている。ここを通るたびに四十数年前に連れ合いとここに来たことを思い出す。当時周りは田んぼばかりだったような気がするのだが・・・。出来るだけ車が少ない道をと、西国街道よりもさらに山側の生活道路を歩いた。古いたたずまいの家もあれば、企業の進出や、新しく出来たマンション群などがある中をJRの線路に沿ってしばらく歩くとサントリーの山崎工場が見える。その前を通ると蒸留器のオブジェが道路に沿っておいてある。ここを入っていくと、友人が勤める施設があり、途中に現在は素戔鳴命などを祀る椎尾神社がある。今回はそれらを横目に見て、連れ合いの孫がこの4月から通う幼稚園の横を通って、JRの山崎駅までたどり着いた。丁度山崎駅を越えたところで5000歩になるというので、近くの宝積時まで足を伸ばすことにした。地図上では山崎駅からは京都府乙訓郡に入ったことになり、2府にまたがるウォーキングということになる。宝積寺へは急な坂道を登らなければならないが、何度か車でも来たこともあるが、その胸突き八丁の坂を登り切った。宝積寺を迂回するようにして、天王山への登山道があるが、それを横目に、アサヒビールの大山崎山荘美術館を回り込むようにして再び山崎駅まで降りてきた。そこからは、西国街道を通り帰途についた。山崎駅のすぐ傍に、山崎の関の跡といわれる関守神を祀る、今は寂れた関大明神社の横の道を通るとそこら当たりが摂津の国と山城の国の国境になる。道路沿いには所々古い家並みが残っているが、新しい建物もまばらに見える。最近までここのおまんじゅうが美味しかったのよと連れ合いが説明して呉れる家も、今はなりを潜めるように閉じられていた。車が来れば、二人並んでは通れない道幅を、昔は参勤交代の大名行列が通ったと言うから、驚きでもある。昔の人間は概して小さかったとしても、それこそ道一杯になって通ったことであろう。今は住宅街になっている道をくねくねと帰ったときには万歩計の数は1万1千歩を少し超えていた。語らいながらのウォーキングは時間を忘れさせ結構楽しく、快い疲労が残ったが、さて連れ合いの方はどうなのだろうか?
2009.01.09
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NHKの国会中継で、衆院の予算委員会の様子が放映されていた。番組表では9時から6時まで中約1時間の違う番組を挟む以外ぶっ通しの番組である。何度か短時間見ることはあったが、今日は比較的長く見ていた。裏番組が面白くないのと、民放を朝から見続けると、何回も同じ事をやるので、いい加減飽きが来てしまうということもある。予算委員会の質疑も自民党の質問は、政府をよいしょするだけのものが多いので見ていても面白くない。今日はたまたま民主党の質問の時間から見ることになった。菅直人氏の突っ込みはいつもながら、なかなか面白いと感じて、見ていたが、中継を終わるといったい何を話していたか忘れてしまった。次の仙谷由人氏の質問は歯切れが良く内容も唸らすものがあった。氏は4点ほどに的を絞って質問をしていたが、最後の論点は忘れてしまった。1.2兆円ばらまき問題2.「渡り」の問題(公務員の天下りを何度も繰り返す渡り鳥という意味)3.年金記録の問題やりとりの詳細な内容はおそらく新聞にも載るだろうが、彼の論点は、弁護士らしく、法的な根拠を突く鋭いものだった。如何せん受ける裸の王様首相(後の逢坂誠二氏の比喩)は蛙の面に小便的で何とも心許ない。このやりとりは、下手なドラマや、一発ギャグのお笑い番組よりも面白い。面白く思ったポイントは、2兆円のばらまきに対しては、何ら法的な根拠がないという点だった。仙谷氏は如何なる法的根拠によるものなのかを聞いたのだが、首相以下、まともに答えられる者はなく、予算が通ればそれで良いという中川財務省の答弁に、では、予算さえ通れば法律は要らないではないか、との反論にその後の答えはなかった。まずばらまきありきという感が否めない。首相は、呉れるというなら貰うという人が80%以上いるという。ただそれだけが根拠である。新聞紙上では愚策であるとの意見があるのを知っているかに対しては、無視である。誰だって、呉れるというもので、要らぬと言うものはいないだろう。ご自分はと言うと、決まらないと貰うか貰わないかはいえないという。前に答弁したように、あれだけの資産があって貰うと、「さもしい」と言うことになりかねないから様子を見るのだろうか?首相にとっては、1万2千円程度は、赤坂の酒代にもならないから、貰わないと言っても良さそうなものだが、裏の駆け引きはよく分からない。次に面白く迫力があったのは、「渡り」の問題である。これについては、離党覚悟の造反議員の渡辺喜美前行革相が内閣に宛てたこのままで良いのかという手紙を手にしての追求だった。行革で決まった法では、「渡り」を許してはならないとなっているが、いつの間にか政令で、企業の特別の要求があれば認めるという文が入っているというのだ。(官僚が法律にない条文を勝手に入れ込んだというものだ)人事監視委員会の委員が決まらないから、首相がやむなくこれを行うのだという言い訳に、仙谷氏は法律で決めておきながら、これを政令で変えて良いのか、と言う点が主眼であった。こういう事をしているから、官僚になめられるのだと小気味よい。私自身も、こういうのが骨抜きかと言うことを感じたが、今回は法律ではなく、政令でこれを行っているという点が、官僚国家と言われる所以であると感じた。首相の答弁はまるで当を得ない。今までなし崩しであったのはノーチェックの首相の意向で決まっていたので、これを第三者機関を設けて委任するという趣旨を委員がいないからと言ってまた首相権限に戻して良いのかと言う指摘であった。法制局長だかの、言い訳に、52歳頃からの勧奨退職云々があり、停年を60までにすると人件費がかさみ・・・とか全く行革会議で決めた以外の古めかしい理屈を述べ立てるだけの政府側答弁に、仙谷氏は、天をも恐れぬ不届きな所業で、これでは旧陸軍の暴走にも等しいと手厳しい。政令は国会で審議したことがないし、そもそも法律に劣後の政令をまかり通らせるのは憲法に違反するというものであった。仙谷氏の要求で委員長から、内閣の統一見解を明日までにまとめるようにという宿題を貰っていた。レイムダックとなったお粗末な内閣ではあるが、これほどまでに醜悪な委員会答弁を聞いたことが無く、矢張り一度政権を自民党から切り離さないと、自民ー官僚の腐れ縁は断ち切れないと感じた委員会質疑であった。
2009.01.08
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昨年11月から途絶えていたウォーキングを久しぶりにした。生活習慣病の予備軍と言われるたびに、ウォーキングが有効だと聞くからもあるが、NHKの番組で歩く時の方法の番組や、他の地域のウォーキングサークルなどの紹介をしていたこともあるからだ。もう一つは、最近万歩計を買ったこともあり、医者から1万歩は歩いた方が良いと言われたことも重なって、1万歩とはいったいどのくらいなのかを実際に計ってみようとの気持ちもあったからだ。連れ合いに頼まれた買い物もあるし、ちょっと遠回りしてみようと目星を国道171号線添いのジャスコに絞った。国道を歩くのは、排気ガスを吸うので極力避けた。幸いここら当たりは、旧西国街道が平行して通っているのでそちらの道を通ることにした。この西国街道は昔ながらの道であり、車を想定していないため細い道であるが、それでも国道の抜け道として車の往来は結構多い。排気ガスで苦しくなると言うほどではないが、何しろ狭いので、車に引っかけられないかを心配しながら歩かなくてはならない。日頃自分たちも車で通っているだけに文句は言えない。出来るだけ車が通らないようにと田んぼのあぜ道のような所を通ったりして、ジャスコに着いたが5000歩には少し足りなかった。このまま帰ったのでは1万歩はいかないので、さらに少し足を伸ばして、万歩計が5000歩を越えるところまで歩いた。名神高速道路の脇道に沿っていると、春日神社があった。詳しいいわれは忘れたが、菅原道真を祀っていると説明書きにはあった。菅原道真が九州の大宰府に赴く途中立ち寄った縁から、のちに当社に合祀されたといわれるらしい。他にも日蓮宗の封じ寺である田中寺とか本殿の横に大きなクスノキがある畑山神社を通り、熱した鍋をかけられる拷問に耐えたことで、鍋かぶり上人と呼ばれた日親上人を祀る一乗寺等があった。一乗寺では日親上人の銅像がにらみつけるように私を見下ろす横にはここもまた大きなクスノキがあって、樹齢は800年だとか書かれていた。ここには、今は車の数は少ないが、おそらく正月3が日には賑わったのであろう駐車場がかなり広く取ってあった。さらにマンションに近づくと、淀川沿いから水害を逃れてここに落ち着かれたという「水あがりの地蔵さん」の地蔵堂が建っていた。今は砂埃に汚れたほこらの中にあるらしいが、ここは西国街道の一里塚でもあったらしい。そのほか、日蓮宗関係の寺が多く存在した。教育委員会の掲げる説明版だけでは、なかなか理解できるわけでもなく、また時代の違う建物がどのような背景であったかを通りすがりだけではなかなか分からない。汗ばむ頃、やっとマンション近くのスーパーにたどり着き、買い物を済ませて家にたどり着いたときには、余分な道を歩いたこともあって1万2千歩になっていた。寒いときに歩くためには手袋がいることを痛感した。また、時折仲良く歩いている同年代?の夫婦連れなどに出くわし、寒い中でも家に閉じこもってばかりでない人たちもいるのだと思いながら束の間のウォーキングを楽しんだ。1万歩というのは矢張り意気込みを持って歩かないと達成できない距離であることが自覚されたが、久しぶりに歩いたせいもあってか、帰ってから疲れが出て、早めに寝ることになってしまった。
2009.01.07
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去年12月27日、イスラエルがパレスチナの自治区ガザを空爆してから10日以上が経過した。民間人を含む死者はどんどん増え続け640人を数えるまでになっているという。ガザ地区はエジプトに隣接した地中海沿岸の小さな区域で、戦闘がなければおそらくは、風光明媚な良いところであろうと想像する。事の起こりの源は、モーゼに率いられたユダヤ人がエジプトから追われるように現イスラエルの地に移住したことから始まる。パレスチナの語源は紀元前13世紀頃この土地に住み着いたペリシテ人の土地という意味であるという。一方、旧約聖書によればパレスチナの地は神がイスラエルの民に与えた約束の地であると説かれ、「イスラエルの地 」と呼ばれ、紀元前10世紀にイスラエル王国が建設されたとある。と言うことは、原住民であるパレスチナ人を無視して神がユダヤの民にここが約束の地だと勝手に(神は偉大だから勝手にと言う言葉は当たらない?)イスラエルの土地を与えたのだと言うことになる。その後の紆余曲折は、世界中の耳目を集め、未だに解決されていない。34世紀にわたる結果起こったことであるから、各国が収集に乗り出してはいるが、収まるはずもない。アラブ諸国は一斉反発、米国は黙認、ロシアやEU諸国が調停に乗り出すと言う構図になっている。こんな事も新聞では報じられるが、日本の関与は全くない。考えてみれば、北朝鮮拉致被害者を返してくれるように世界中にお願いしているが、中東で起こったことに関しては、全く我関せずであるし、米国追従の姿勢なのであろう。パレスチナのテリトリーは、イスラエルとの関係だけではなく、大国の思惑(調停)で何度も変わっている。ガザはその一区域であり、400平方キロに150万人が住む過密地帯である。パレスチナのヨルダン川西岸であるアッバス議長に率いられるファタハの言うことを聞かない地方自治区(?)ガザのハマスがイスラエルへのロケット弾の攻撃をしたことが今回の空爆を引き起こしたという。ハマス=テロ集団という構図から、アメリカはイスラエルの空爆を容認しているわけだ。アメリカの独特の正義感であろう。イラクへの空爆以降の失敗の学習は何ら感じられない。最早レイムダックとなったブッシュ大統領はなすすべもないわけで、次期大統領のオバマ氏に託されるわけだろうが、どうも引き続きイスラエル容認の方向らしい。人口密度で言うと、1平方キロメートルに3600人は住んでいる計算になるが、山も有り谷もあるだろうから、実際の人口密度はもっと過密であろう。そんなところに空爆をすると言うことは当然民間人も犠牲になるわけで、どちらがテロでどちらが正義なのか分からない。ロケット砲による攻撃はテロで、テロはダメだが空爆は良いと言うことなのか、どこで線引きが出来るのか分からない。日本としては、過去何らの関わりも持ってこなかったが、国連における安全保障理事国入りをしたいのなら、国際的になすべき事をもっとグローバルに考えなければならないのではないか?日本も世界も不景気で、他所のもめ事に割く余裕はなく足下のことに追われているのが現状であるが、中東の歴史にあまり関心を持たない日本が、世界で貢献できるのは経済面だけなのだろうか?とにかく攻撃される側もする側も正月は関係ないだろうが、この空爆と地上攻撃は、2年越しのものとなり、イスラエルの言い分ではハマス撃滅まで攻撃は止めないと言っている。果たしてハマスを、ハマスだけを撃滅することなど出来るのだろうか?石油や天然ガスだけを輸入する遠い国とは言わず、日本ももっと中東問題に目を向けなければならないと思う。黒い服(アバヤ)を来たおびえる女性住民の写真を見ると、心が痛む。早くこの戦闘が終結して欲しいと願っている。
2009.01.06
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正月も5日になるとそろそろ世間が動き出す。とは言っても全く新しいことが始まるわけではなくほとんどが旧年の延長を走るわけだが、確実に違うことは働く者、働かない者それぞれ1つ年を取ると言うことだろう。年を取り、経験を積んだ中に決意を新たにして今年を何とかしようとする行動が始まったと言うべきかも知れない。仕事をリタイヤした人たちから来る年賀状には、健やかで静かに余生を楽しむことが伺える文面が増えた。ウィークデイにオフィス街を歩くことはなくなったので、現在のサラリーマンがどんな様子で働いているのかとんと疎くなった。色々な世間があるのだろうが、一人の人間がそうそう多様な人生を経験できるわけではない。私は、幸か不幸か大きく4種類の業界を垣間見させて貰った。一つは自分が大学で学んだ造船業界という道である。この中では、研究所という雰囲気も味わった。二つ目は鉄骨業界である。三つ目は橋梁関係である。鋼橋の製造を少しと、PCコンクリート橋の関係だ。最後はプラント関係の鉄骨である。それぞれの内容は、フリーページに書いたとおりであるが、PC橋といえども、ポストテンション材を緊張するという点で、いずれも鉄に関係しているものだった。研究所では売れるものはできないかと立体駐車場の開発などにも携わったことがあったが、先行企業に勝てないという理由ですぐに沙汰止みとなった。海中ロボットの試験的開発に関係したときには、すでに技術屋ではなかったが、制御や油圧の仕事を傍観することが出来た。鉄骨業界に関係したときは、この仕事で終わるかと思ったが、そうは簡単にいかず、バブルがはじけて解散になり、鋼橋関係に一時身を置いた。そこからが、造船屋として出発した、私の特異な経験になるのだろう。コンサルタント会社への出向でフィリピンへ、またその延長でジンバブウェへのPC橋6橋のODAドネーションでアフリカを経験した。今そのジンバブウェが大変なことになっているが、そのときともに働いてくれた、現地スタッフはどうしているのだろうか?海外生活と言っても開発途上国での生活は当時馴染めないこともあり、国内に帰ってからは、仕事が無く、ISO関係のJABに9ヶ月ほど身を置いたが、これも馴染めなかった。物造りと言うことに直接関係していないことが私を乗り気にさせなかったのかも知れない。その後は、PC橋梁のポストテンション材の緊張具を売る仕事についた。仕事の内容は、まずまず面白いものだったが、別な意味で嫌気がさし、早めのリタイア組となった。内心忸怩たるものを感じながら1年ほど経つと、昔の友人の紹介で、再び海外での勤務のチャンスを得た。プラント関係の鉄骨生産管理というものだった。この仕事で、サウジアラビアやバーレーン、中国、UAE(ドバイ)、カタール等を経験できたことは振り返ると楽しかった。何のことはない、一つところで出世できないだけのことで、オムニバス人生になってしまった訳だが、それはそれで自分の人生だと受け入れないといけないと思っている。一連の仕事を終えて、世間(世界)の動きをより客観的に見られるようになったが、世の中のこと全てが因果関係で結ばれており、日本国内だけで考えていてはいけないと言うことが良く理解できるようになった。造船時代の顧客には海外の船主もいて、接触も多かったが、それは単なるお客という対象でしかなかった訳で、あらゆるものが、世界の動き無くしては語れないことが遅まきながらよく分かった。これ以降、世の中に何の波紋も起こすことは出来ないだろうけれど、流れに身を任すような気持ちにだけはならないようにいつも心構えを鼓舞していきたいと思う。新年が始まり、世間の人とは少し違った、私の人生がまた新しいページに新しいことを書き込んでいく事になった。
2009.01.05
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ロシアがウクライナを始め、自国の言うことを聞かない国々に対して天然ガスの供給を停止するなどの嫌がらせをし始めている。ロシアは原油の埋蔵量も世界7位で、生産量はサウジアラビアに次いで2位だという。天然ガスの埋蔵量は世界一で、4割近くがロシア内に埋蔵されているというデータがある。つい最近何かともめていたサハリンプロジェクトが動き出し対日輸出が始まりそうである。そんな中、ロシアの言うことを聞かず親欧米路線をとる国に対してロシアは嫌がらせを始めた。対象は、東欧諸国と呼ばれる元ソ連圏の国々であるが、今回はウクライナに照準が当たっている。ウクライナへは、天然ガスの値段で5倍以上の値上げを迫ると言うことをやったかと思えば今度は供給停止だという。EU諸国もガスは四分の一をロシアに依存し、依存分の八割はウクライナを経由していると言うから、問題が大きい。これはもう親欧米路線を取るウクライナに関する露骨な挑戦(嫌がらせ)である。つい先頃は南オセチア州問題でグルジアに軍事介入をしたばかりである。自国の不利益、自国の言うことを聞かない国々に対しての露骨な対応は、旧ソ連体質のままで陰湿である。その昔第二次世界大戦の終了間際に中立条約を一方的に破り満州に侵攻してきたことを思い出す。日本は事実上無通告でソ連の攻撃を受けたのである。道義も、倫理もこの国には通じない。最近ようやく民主化されてきたかと思った矢先、メドべージェフという傀儡大統領を操るプーチン首相は、大統領の任期を4年から6年に延期させ、メドベージェフ大統領の後、2期12年務めるという野望を持っていると観測される。任期を満了するのは72,3歳になるだろう。独裁もここまで来ればどこかの国と同じというか、旧ソ連の体制へとまた戻ってしまう恐れもないではない。資源がある以上、新しいエネルギーを見つけ出さない以上、持てる国がこのような横暴をし出すともっとも忌むべき事態が起こらないとも限らない。日本は幸いサハリン以外はLNGをロシアに依存する度合いが少ないのだが、去年インドネシアが値段を50%アップしないと長期契約をしないと言ってきたことを思い出す。まさにウクライナの例はこの上を行くものである。持たざる国日本やウクライナなどの国は、言いなりでこれを受けるしかないのか?遠い国ウクライナのことではあるが、日本海を挟んで隣国ロシアのやっていることに嫌悪感を感じる。
2009.01.04
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昨日今日と年賀状がちらほら配達された。例年通り出す枚数が減ったので、来る年賀状の数も少ない。年一回の消息を知らせるはがきでもあるから、添え書きされているとなんだか安心する。ただ、最後に会ってから何年も経過していると、書くことがないのも事実だ。そんな年賀状を見ると、今年は丑年なので牛の絵柄をあしらったものが圧倒的に多い。世界は百年に一度とか五十年に一度かという経済危機の状態だと、前FRB議長のグリーンスパン氏が言ったという。氏は1987年のブラックマンデーを克服したということから、レーガンーブッシュ(父)-クリントンーブッシュ(子)と4代の大統領の下でアメリカの中央銀行の議長を務めた「金融の神様」とか「マエストロ」と呼ばれる経済学者である。一口に4代の大統領と言うけれど、19年間の長きにわたって議長を務めたわけで、日本の総理大臣はその間に11人も変わっているし、日銀総裁も6人変わっている。その人の口から漏れた言葉が一人歩きをし出して、皆百年に一度の経済危機と言ってマスコミなどもはやし立てている。私も経済には疎いから、百年に一度の経済危機なのだと思いこまされている。どうやって抜ける出るのかより、いつまで続くのかが叫ばれているようである。経済学では、長期経済循環には、コンドラチェフの波と言うのが50年周期にやって来るという。産業革命から、鉄道敷設、そして電気、自動車の発展という産業の革命的なことで起こる長期の波のことらしい。それよりひどいのならいったいどんなことでこの不況が救えるのだろうか。ITの革命もすでに折り込み済みとなっているとすると、後に残るのはどういったことだろか?(ナノテク、再生医療、環境投資・・・??)この不況は、実体が伴わない、金融工学とかが生み出した金融派生商品が作り出したものであるという。ニクソンが金とドルを交換しないとしてから、紙幣(紙切れ)を信奉してきたわけだが、そのうち、有りもしないカネを想定してその取引を行ったり、それにまつわる危険を回避するための保険が生じたりして、そして結局みんな倒れてしまったのであろう。私たちが勤めていたときのように、製造業では今またコストを切り詰めてと言うことが盛んに言われている。これは永遠の課題のような気がする。こんな基本的なことを一生懸命やっている傍らで、お金を転がして儲けるというギャンブルに近いものが大手を振ってまかり通るようになったのがそもそもの原因ではないのだろうか?古い新聞記事を読んでいると、太陽黒点説なるものがあるのを知った。太陽の黒点数の変動と気候要素との相関を指摘したもので、太陽からの放射エネルギーの変動による気候要素の変動が経済に影響するというものらしいが、その中に設備投資率と太陽黒点数の相関関係をグラフにした記事があった。太陽の黒点数が増えたときには設備投資率が上がっているのである。そのグラフによると太陽の黒点は11年ごとに増えたり減ったりしていて、奇しくも、景気循環の一種で約10年周期の循環とされるジュグラーの波説に似通っている。ちなみに、そのグラフによると、1992年頃が黒点のピークになっている。その後のデータがないので分からないが、過去のデーターを外挿すると、2002年、2012年がピークとなるであろう(気象台に確かめた方が良い)という事になりあと3年は景気回復にかかると言うことになるが・・・? そんなに掛かるのか!静かな正月に一人いて考えてもしょうがないことを考えてしまう。テレビに出てくる占いのおばさんよりはましな根拠かなと思ってはいるのだが。
2009.01.03
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太郎夫婦が買い物に行くと言って、連れ合いの孫を一人預かることになった。その孫は一人で親から離れていることにあまり抵抗感がないようだ。その点はやりやすい。ではと、3人で初詣に出かけることにした。毎年恒例の城南宮に車のお払いをかねて出かけた。外に出ると矢張り冬、風も少しあってブルブルと来る。今年4歳になるその孫は、さすがに元気よく、デニムのズボンの下にパンツ一枚でも寒いとは言わない。正月を少し外すと、車のお払いも1台だけということもあるが、この日は次々にやってくるので、10台位ずつまとめてお祓いを受けることになる。神主代行のような人が、名前とその車のナンバーと何人が対象かとの必要事項を書いたメモ帳を束ねて持ち、神様に「・・・道の行き交いの安全を大阪○○の△△、・・・・」と言う風に間にそのメモを読み込みながら「かしこみかしこみ申す~~」となるわけである。神に願い事をするときの神主は正座しつつ平伏するのである。これを見て、モスリムのアッラーに祈る風景やチベット地区の道にひれ伏すテレビの内容を思い出した。神に祈るときは、どの宗教も同じなのかなとふと考えた。初穂料というものを供えるわけであるが、昔は刈り取った稲穂を供えたのが始まりのようであり、これがいつしかお金に替わったと言うことらしい。しかもあらかじめ相場が決まっているというのもちゃっかりしている。神様は、事の重大さ別に縁起物の値段を決め、その多寡によって願いを叶えると言うことでもないだろうにと思うけれど、あらかじめこのお守りはいくらと相場が決まっている。神社ごとに違う場合もあるが、大体同じで、これもカルテルかと思ってしまう。お賽銭は個人の自由であり、賽銭箱の中にはいると誰がどれだけ投げ入れたかは分からないけれど、神様はちゃんとチェックしているのだろうか?ある神社のHPに「本来は神饌(お供え物)を「祈念・感謝の気持ち」としてお供えしておりましたが、いつしか「紙幣」を供えるようになりました。決してご祈祷を奉仕する神職に対しての報酬とお考えにならない様お願いを申し上げます。」とあった。では、そのお金はどこに行ってしまうのだろうか??とても神様総取りというわけでもないだろうに、あえて赤字でことわってあったのはどういうことだろう。参拝には、長蛇の列が続き、「右の方が空いていますよ」と案内の人が怒鳴っている。神様も、一々願い事を聞き分けることは出来ないのではないかと思うほどだ。参拝の正式方法は、神前に進み、お賽銭箱にお賽銭を入れ、鈴を鳴らしてから「二拝二拍手一拝」するのだそうで、すなわち、1.深いお辞儀を二回繰り返す、2.両手を胸の高さで合わせ、肩幅程度に両手を開いて、拍手を二回打つ。3.両手をきちんと合わせながら心を込めて祈る。4.両手をおろし、最後にもう一度深いお辞儀をする。と言うことであるらしいが、あの詰めかけた雑踏ともいえる参拝客の中では悠長に(と言うか心を込めて)祈るわけにもいかない雰囲気であった。また鈴を鳴らすのは、「神様が横を向いていたり、寝ているとまずいので、鈴を鳴らしてこちらに注意を向けてから、お金を入れる」と言う説もあり、それでは、鈴が5つも釣り下がっている城南宮では神様がどちらを向いてくれているのか、疑わしいなと感じたりもした。と言うようなことを考えながら、お祈りをすませた。このとき友人達の病気平癒をあわせて祈ったが、神様が聞き届けてくれることを切に願っている。
2009.01.02
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2009年の幕が開いた。部屋にいてご来光を見ようかと思っていたが東の空は雲に覆われていたのでぼんやりと新春を迎えた。紅白歌合戦が終わり、そのまま静寂な各地の「行く年来る年」を見るのが好きだ。喧噪が一瞬にして静寂になるときのある種荘厳さが良いのかも知れない。年末から体を動かすことが無く食べるばかりなので、自覚的にも太ったような気がする。せっかく体重計を置いてあるのに、現実を見るのが怖いのか最近はとんと乗ったことがない。去年の正月は、仕事が完全に終わったと言う気持ちからか、脱力感で、正月を迎えたという気持ちが希薄だったようだが、今年は良い感じの滑り出しのようだ。久しぶりに音信していなかったモザンビークの友人にメールをするとすぐに返事が返ってきた。4橋の橋の内1橋しかうまくいっていないと言うが、持ち前の楽天的考え方は健在のようである。馬好きの彼も有馬記念には勝てなかったようだ。この友人を思い出したのは他でもない、十年ほど前に一緒に働いたモザンビークの隣国ジンバブウェの状況がますますひどくなっている記事を再び見かけたからだ。Asahi Newsの記事は「ジンバブエ崩壊の危機 インフレ、年率2億3100万% アフリカ南部のジンバブエが、崩壊の瀬戸際に立たされている。驚異的なインフレにコレラの大流行、飢えの広がり。だが、5期目に入ったムガベ大統領(84)は独裁色を強めるばかりだ。かつて「アフリカの穀物庫」と呼ばれた豊かな農業国は、今や「失敗国家」に数えられる。」と言う内容だった。13年前その友人と6橋の橋を架けに行った国で、その頃はまだ白人農園主が黒人労働者を使い、一般の後進アフリカ諸国と内容はあまり変わっていなかった。貧しいなりに生活は成り立っていたかのように思えた。しかし、ムガベ大統領が白人を追い出し、黒人民族主義が台頭かと思わせたが、ムガベ大統領の独裁が強まり、「2000年には白人大農場を強制収用し、元軍人など農業知識がない黒人にも再配分したことで生産性が低下した。」事なども相まって、国民の生活は疲弊しきってしまっているようだ。まるで、アフリカの北朝鮮のような感じである。アメリカやイギリスも、ムガベ大統領の退陣を迫っているが、簡単には辞めさせられないようだ。記事はまた、「朝、パン1斤15億ジンバブエドル(Zドル)が夕方には25億Zドルになるという(闇両替のレートは1米ドルが15億Zドル) 今年7月に年率2億3100万%の物価上昇を記録。中央銀行が8月、通貨の「0」を10個取る切り下げをしたが、超インフレは止まらない。政府にはより高額の紙幣を刷るしか策はなく、今の最高額紙幣は100億Zドル。それも米ドル換算するとわずか10ドル前後だ。 」と言うことなのだそうだ。隣国モザンビークも貧しい国だが、そこまで悪化はしていないようだ。圧政に苦しむ北朝鮮や、現に年末年始に関係なく(と言うか隙を突いた)イスラエルのガザ攻撃とそれに対するハマスの反撃など、経済的世界恐慌にもまして悲惨な状況が世界のどこかで起こっている。日本でも今年をどう乗り切るか寒空にふるえる人たちもいる一方、穏やかな新年を迎え、初詣で何をお願いしようかとする人たちもいる。過去を振り返り、行く末を評論する人たちばかりが増え、実際には、この国はどうなっていくのだろうと思うと、手放しでは新年を祝えない気持ちになってしまう。しかし、今年こそはいい年に転換して欲しいと心から願う。
2009.01.01
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