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来年になるが、17世紀の美術の講座の最後はフェルメールについてである。講座を前にフェルメールについて出版されている本を見かけたので2冊ほど読んだ。朽木ゆり子さんの「フェルメール全点踏破の旅」と小林頼子さんの「フェルメール」(謎めいた生涯と全作品)である。有吉玉青さんの「恋するフェルメール」は連れ合いが欲しいというので買ったが、まだ読んでいない。他にも多数出版されているようであるが、とてもフェルメールばかりを追いかけるわけにもいかないのでここらでお茶を濁している。これら三女史はフェルメールという一点で、その思いや感覚、鑑賞の方法などを解説している。最近東京でフェルメール展があって、姫は見たらしいがその内容はフェルメールの作品は8点しかなかったそうで、それでいて素晴らしいと感想を漏らしていた。そもそもこのフェルメールは43歳で早世したため、作品数は他の画家連中に比べて少ない。多くみても37点という事になっているらしいが、真偽のほどは分からない。私はこれらの中で、彼が生まれ育った街デルフトを描いた「デルフト眺望」が好きである。川を挟んで、デルフトの街を遠望したもので、小林頼子さんは当時の地図などと照らして、色々な面から考察をしておられるようだが、私自身は、そう深く読み込むつもりもないしまたそうしたところであまり意味が無いとも思っている。ただ、フェルメールが描いた時代のその場所が今も同じように残っているのかどうかの方に興味がある。日本の街は、都会は言うに及ばず、周辺の街も、半世紀も経てば、どこがどこか分からなくなってしまうからだ。フェルメールのもう一つの風景を描いた作品に「小路」がある。これがどこを描いたものであるかを400年近く経った今も探せるというか、探す気にさせるデルフトの街というのはどんなところかがまた興味のあるところである。デルフトの街を俯瞰する写真などでは、イタリアのミラノやフィレンツェのそれとよく似ている。赤い煉瓦の屋根で統一されたあの色調である。私などは中国地方の吹屋の町並みを見る思いがする。ベンガラで財をなし横溝正史の「八墓村」のロケに使われたと言うことで一躍有名になった広兼邸がある町である。日本でもこれらの町が300年近く昔のままで現存しているところはあるが、都市全体が、同じような景観を保つなどとは、日本ではとても考えられない。それ以外のフェルメールの作品は皆室内画ばかりである。二十歳そこそこの時代には、宗教的な絵を残しているが、それも2点ほどで、その他は、室内での実にありふれた生活の一こまを切り取ったような絵画ばかりである。そして主人公のほとんどは女性である。この女性の表情とか描き方には、勿論モデルが違うこともあるかも知れないが、様々な表現が見られることだ。そして作品に共通するのは、左から射す陽光である。あの、モノトーンなデンマークのハンマースホイの作品にも同じように陽光が取り入れられている。フェルメールに限らずバロック時代の画家は、ルネサンス以前の宗教一色から、すこしだけ脱却して、自らの意志で絵に取り組むようになったように思われる。より精緻に描く絵が、カメラに及ばないように、あるものを見えるままに描くことを止め始めた時代なのかも知れない。さらに宗教や寓話に基づいた絵画がもてはやされ、きらびやかな肖像画が高く売れ、それを生業にしていた時代がそうさせたのかも知れない。フェルメールの絵には小道具としてタペストリー、手紙、地球儀、楽器、酒などが多く出てくる。何の気なしに描かれたように見えるこれらの小物や、対象モデルの表情などを良くも独特の変化を持って描き続けられたものだとも思う。最近では、X-Rayで絵の中をのぞくことが出来るようで、最初に何を書いていたか、それが塗りつぶされてこうなったのだとか、実に絵画鑑賞というものを越えて、時代考証的な要素も加味されるようになった。私は「真珠の首飾りの少女」くらいしか知らなかったフェルメールが、どんな時代に生き、どういった作品を残したのかを知る機会が出来て面白く思った。かのヒトラーがユダヤを取り上げたレンブラントを敬遠し、フェルメールを賞賛したり、旧ソ連が絵画を略奪した等々、芸術と政治の接点をも教えられ興味深い。私は、中でも「牛乳を注ぐ女」が好きだが、この作品で初めて絵画の消失点なるものを知り、かつて連れ合いから教えられた遠近法の時と同様に驚きを感じた。
2008.11.30
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老人は置いて行かれる。と感じることがあった。ドラマを見ているときのこと、おなじみの殺人事件解決の物語だが、その中のセリフで、気持ちが変わると言う意味で、姫が「豹変したのだね」といった。そのときは明らかに悪い方に変わる場面だったので、私は、「豹変とは本来良い方に変わるときに使うもので、悪い方には使わないものだよ、調べてごらん」と言った。その裏付けというわけではないが、このブログを書く前に、他の気になる言葉と同じく念のため調べてみた。すると、 大辞泉(インターネット)では:<「易経」の「君子豹変す、小人は面を革(あらた)む」による語。豹の斑文がくっきりしているように、君子ははっきりと過ちを改めるという意から>人の態度や性行ががらりと変わること。本来は良いほうへ変わるのに用いたが、現在では、良くないほうへ変わる意味でいうことが多い。例「相手を見て態度を豹変させる」とあり、 大辞林(インターネット)では:「易経(革卦)」より。豹の毛が季節によって抜けかわり、斑紋も美しくなることから性質・主張などが急激に変化すること。例、「 君子は豹変す」また「態度が豹変する」であり、 〔補説〕 本来は良い方に変わることをいったが、現在ではむしろ悪い方に変わる意で用いる ついでに、滅多に開かない古い広辞苑(第二版)を見ると、大辞林の補説をのぞいて同じ意味がかかれている。言葉というものは、廃れたり、新しく追加されて、文化として根付くわけで、私はすでに置いて行かれていることになるわけだと悟った。私の年代から一世代若いくらいまでには共感を得られるかもしれないが、今ではもうはやらないのかもしれない。中国の儒教の流れをくむもので、孔子の流れをくむ儒家で理想的とされる人物像を「君子」といい、その君子の生き様を称したことから発するものだ。ちなみに、そのライバルとも言われる道教の「老子」では「聖人」と呼ぶらしい。いずれにしても中国に端を発するもので、道徳教育を中断した日本では、ほとんど今はその意味する源までは顧みられなくなっているのかもしれない。これからは、とにかく「人の態度や性行ががらりと変わる」という意味に使われることに対して、私自身心の内部での軋轢はあるものの、「本来は・・・」などとしたり顔で言うことはやめなければならないと思った。私などは戦士と呼ばれるかどうかは別にして、俗に「企業戦士」達の中で生きてきた。現在の日本の機構の根幹である、文治主義の官僚機構を生み出した世俗的な『儒教(孔孟思想)』で育ったわけである。孔子の「論語」を通読したりもした。「温故知新」と頭を柔らかくしなければダメだなと思う。しかし定年も過ぎ、統治されるままになった今では、無為自然の『道』を説く脱俗的な『道教(老荘思想)』を学ぶべきかもしれない。一般大衆の文化習俗に抗しあらがい努力するのではなく、これらを超越し?? 人間の欲望・知識・意志を否定的に認識して無為自然の道教を探求するべき時が来たのかもしれない。無為自然=何も行動しないことの道徳性、というものに慣れていかなければならない時期なのかも知れないと密かに思った。
2008.11.29
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12月早々4日間のグァム旅行に行くためドルを換金に出かけた。一週間ほど電車に乗っていないと久しぶりという感じになる。結構な割合で出かけているものだと思う。近くにドル換金の銀行がないので仕方なく梅田まで行くことになる。前回換金する銀行の前を通ったが、人が一杯で、何だこれはと思ってみたのに、今日は全く混んではいなかった。4日日間のグァム旅行と言っても行き帰りの日を含んでいるから実質は2泊ほどの小旅行である。寒いときに暑い海辺で泳ぐ?ことが出来るのが面白そうなと言うのと、往復の飛行機がエグゼクティブクラスだから楽しい?と言うようなささやかな旅行だ。ミクロネシアに属するグァム島は、サイパン島とごく近く、ちょうどマニラとグァムを結んだ線を底辺とした正三角形の頂点に大阪があるような位置関係である。太平洋の西の端の方にあるにもかかわらず、アメリカ合衆国に属する。すなわち渡米することになる訳だ。敗戦で沖縄が米軍に占領していたことから言えば当然なのかも知れない。従って米ドルが要ると言うことになる。旅行社も考えたもので、夜関西空港を出発し、次の日に丑三つ時を少し過ぎた真夜中にグァムに到着その日の朝には島内観光と休む暇を与えないという強硬なものだ。それでも海外旅行という気分を味わうことが出来るので、結構人気が高いようだ。それに昨今の円高のせいで、わずかなお金だがドル換金も少し有利で、海外旅行にはお得な時期なのであろう。私などは、アメリカという国に足を踏み入れたことが無く、初めての経験である。しかしグァムやサイパンへ行くのは決して渡米とは言わないようだ。あくまでもグァムに行くと言うだけである。ハワイでもそうだから、まぁ、旅行客にはアメリカという感じではないのかも知れない。私はフィリピンのボラカイが遠浅の綺麗な海であることを知っているのでそれと同緯度の太平洋の真ん中に浮かぶ島のビーチはきっと綺麗なところであろうと期待している。しかし案外日本人客が一寸休みを取って、夕方発ってすこしの滞在で帰るというのが頻繁に行われているような所だから、俗化されているのだろうなと想像したりもする。まぁ、旅行なんてものは行くまであれこれ考えるのが楽しいわけで、始まったら、すぐに終わってしまうものだ。夕方、友人が夕食に来るというので、早めに引き上げて帰ってきた。友人はいつもクラシックや、ジャズなどのCDを持ってきて聞かせてくれる。友人が来る日くらいは、喧噪のTVから離れて、静かな音楽を聴くことが出来る。とは言っても、話が興にいると、このBGMもかき消されることにはなるのだが。しばらくして、久しぶりに姫が来て、話が多岐にわたった。私も途中うとうとと昼寝をしていたおかげで、日頃は早々に寝込んでしまうのが、今日だけは長く目が冴えていた。
2008.11.28
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前回大量のハンディで優勝させて貰ったゴルフコンペがあった。前回のコンペが始まる少し前に上海での仕事の話があり、今回のコンペは出場できないと断った矢先、突如仕事がキャンセルとなり、再び参加をさせて貰った経緯がある。さらに、優勝スピーチで「連続優勝が出来ないのが残念です」と出来もしないことをネタにしたのも悪かった。昨日までの天気予報では、27日だけが曇り後雨が降ると言うことで、昼過ぎか、少なくとも夕刻には雨が降ると覚悟をしていた。朝6時半に車を走らせるときも、なにやらどんよりした感じで、気持ちも暗くなりそうだったが、ゴルフ場に着くと、私の友人の兄貴であり、高校時代のバスケットボールの先輩でもある懐かしい人に会うことが出来た。事前に組み合わせカードを貰っていて、我々高校時代のバスケットボール部の先輩と後輩の我々とが同じ組でスタートすることになっていたのだが、実際に顔を合わせると、お元気そうで、同期の弟とよく似ていることもあって、すぐに昔の会話が始められた。神奈川に住まわれていて、たまたま大阪に来る催しがあり、同窓のよしみで他の先輩にゴルフをしようと声をかけたところちょうどこのコンペで一緒にプレーしようということになったのだという。友人の弟の方は、夫婦共々合唱にはまりこんでいて、ゴルフをしないが、兄貴の方は、相当回数をこなされているらしい。私以外は、最低月に4回、週一ゴルフのラウンドを楽しんでおられるようだ。私のようにいったんゴルフを止めて、過去の成績も100を切る切らないのゴルフとは訳が違う。話の内容もアンダパーで回った(グロスでである)人などと一緒にプレーしたことなどが話題になるほどだから、その当たりは鋭い。インからのスタートだが、くじを引くと最後に打つことになり、結局最後まで、オナーをとることもなく実力の差は歴然としていた。スタートの打ち上げホールで右のラフに一人置いてきぼりになってラウンドが始まった。連れ合いからは、右肩が落ちないように、背中が曲がらないように、ボールを打ち出すスタンスに注意しろと3つのことを注意されて、それは考えていたのだが・・・。とにかく非力と言うよりは正確にボールを捕らえることが出来ていない。常にスライスボールとなったりして右に出るのと距離が出ない。当然他の3人とは遙かに置いて行かれるのだ。途中のだふり(ザックリ)、6回もの3パット、中には4パットもあり、途中素振りのつもりがクラブが球に当たって1打損などなど、上がってみればパーはたったの一回(バーディーチャンスでもあったが)きりだった。4打や5打はすぐにでも縮められそうだがとはいつも終わってからの自己反省だ。いつまで出来るかなぁと言いながらも、先輩達と肩を並べてゴルフが出来たことはとても楽しく、こういった交流は、ゴルフがあって初めて出来ることではないかとそれ自身は有り難いことだと思うが、自分のゴルフのふがいないのに自己嫌悪を感じた。愚痴ばかり言ってもしょうがないが、お天気が最後まで崩れないどころか後半の方が良くなってきたことは大変うれしかったし、帰りは遠来の先輩を最寄りの駅まで送るときに近況など話すことが出来て有意義な一日だった。来月はがんばろう!
2008.11.27
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アメリカから端を発した世界の不況がどこまで続くか分からない。○○○兆円の財政出動?だとか、借金はどうだとか、株価は下落のままで大損をしたとか、とにかくいい話が聞かれないこの頃である。死ぬまでにもう一回位何か良いことがあろうかと思ってみるが、考えてみれば、過去の社会・会社生活の中でもそんな場面は全くとは言わないまでもほとんど無かったと言っていい。それでも何とか今生きていることに感謝しなければならないと思うこの頃である。確かにバブル期と言われたときには、短い期間ではあったが、私も脂がのり、仕事も順調だったような気がする。そんなとき、ゼネコン各社は夢のような高層ビルのアイデアを各社こぞって打ち上げていた記憶がある。何しろ、頂上が雲の上に出るというとてつもない計画だったと記憶している。バベルの塔のようだなと思ったり、現実的には、地震の対策はどうなのだろうか、エレベーターで上がる時間はどれほどかかるのだろうか等々、楽しい、希有壮大な夢を見たものだった。勿論、現実にはそんなに高いビルを建設したわけではなく、各社とも技術レベルのコンペティションのようなものだったようだ。現在日本の最高層ビルは横浜ランドマークタワーでスカイガーデンの高さ273m、地上69階である。エレベーターも日本最高速の分速750mであり約40秒で最上階まで到着するというからすごいと思う。連れ合いと一緒に中層階のロイヤルパークホテルに1度泊まったことがあるが、残念ながら最上階の展望室とやらへは登ったことがない。仕事の関係で、近くのクィーンズスクエアの4つの白い高層ビルに足を踏み入れたときは、こんなところで仕事をしたらさぞかし良いアイデアも出るだろし、能率も上がるだろうなと思ったものだ。話は変わるが、現在ドバイでは、さらに高層の高さ819mの文字通り天をつくビルが竣工間近である。これだけでも度肝を抜かれるのに、さらに高さ1000mのビルをも計画中という。この話は見直されるのかどうかは分からないが、同じドバイに建設中の人工島に関しては、計画を見直す方向にあるという。日に200万バレルを産出する石油資源大国も世界の景気低迷には影響されると見える。ところが、またもや日本で清水建設が2025年までの未来都市構想を発表し、海上に浮体式の人口基盤を築き高さ1000mの逆円錐タワーを建造するという。そしてその中に4万人が居住するのだという。またまたバブル時の花火をぶちあげたようなものだが、この時代に逆行するというか、元気づけるというか、面白く記事を見たが出来上がる頃まで生きている保証は無いと感じた。
2008.11.26
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就職後間もなく始め、上達せず中休みしていて再開した下手の横好きのゴルフ、還暦を遙かに過ぎて始めたゴルフ、停年少し前から初めて十数年を経たゴルフの三人組が、山岳コースで山あり谷ありの一庫レイクサイドコースに挑んだ。と言っても初めてではない。今回は急にわき上がった話で、私が、27日にプライベートコンペがあるとか話しているうちに、じゃあ行こうかということになった。連れ合いは、前日まで少し風邪気味で静養をした方が良いとは思っていたが、始めたばかりのおもしろさと、山岳コースで周りの山の紅葉を見られるというので興味がわき、私は二日後のプライベートコンペの練習になるかとの思惑もあり、姉は年齢の割に足腰が達者な上にこれもスクールに通ったほどのゴルフ熱、急遽話がまとまった。朝は通常より早く姉の家に迎えに行きゴルフ場へと向かった。一庫ゴルフは、技術的には難しいが料金的には初心者用のコースで、姉が予約した時には、最終組を回ると言うことであった。早めに行って、身体を慣らさないと年齢が年齢なだけに危ないし、また腕も腕なので、ボールがどこに行くやら分からないということもあって、最終でスタートすると言うことで確認したはずだった。ところが、少し早めの9時頃着いて、素振りなりパットの練習をと思ったら、準備する係の人は、すぐにカートに我々のバッグを積んでいた。最終組のはずだったのだがと言っても、この時間では後が来ますからねと言うことだ。当たり前だ、だからバッグを遅く積めばいいのにと思ったが、もう積み終わっている。どうやら、予約とは関係なく、着いた順にバッグをカートに積むことにしているようだ。フロントとの連携は無視のようである。そしてそのカートは、自動運転で軌道を外れることは出来ない。要するに積まれたバッグの順番にオートメーションで出て行くしかないのである。こちらは素人に毛が生えた者ばかり、後から追いかけられるのが嫌で最終組と言ったのだが・・・。さらに山岳コース故にいったん山に登るともはや人力で往復することはかなわないし、軌道が決まっているので、カートの入れ替えも途中では出来ないシステムである。(アップダウンのきつい山岳コースだからやむを得ない面もあるが)そのように、やむを得ず出て行ったが、インスタートの登りのパー4を案の定がたがたで終わり、次のホールまでさんざんつづら折れを登り、11番ホールでティーショットを打った瞬間、クラブを前のホールに忘れてきたのを思い出した。カートを反転して帰ることも出来ず、山道を下りまた登った。こんな時ドバイのモンゴメリーゴルフ場をうらやましく思い出した。モンゴメリーでは、カートは手動運転で、引き返すことも可能だったからだ。私がドバイのゴルフ仲間とモンゴメリーでラウンドしていたときもクラブ2本を3ホールほど前に忘れてきたことを思い出した。どうも出だしのホールに多いようだ。モンゴメリーは、ドバイと言う名でも分かるように砂漠に作られたゴルフ場である。従って、一庫のようなきついアップダウンは勿論ない。だから自動(極めてゆっくりした動き)でなく手動運転を許しているのであろう。さらに、フェアウェイ内に立ち入ることも出来る。さすがにパー3や、グリーン周りにまではカートは入るなとは書かれているけれど、フェアウェーに入れることはボールを探す上でも結構便利なのである。私の場合もこのおかげで、3ホールほどバックして置き忘れたクラブを取り戻すことが出来た。山道を上り下りしたからだけではないが、この日のゴルフは絶不調で、他の二人の世話を焼く余裕も何もなかった。まして、山岳コース故に美しい山々が紅葉を始めていることなどほとんど眼中にはなかった。何度打っても谷に吸い込まれるボール、この辺にあるはずと探しても、落葉に隠れて探し出せないボール、かと思うと、同じように諦めて通過していった人がロストしたボールなどハプニングの連続である。ここでは絶対にボールをなくさないだろうとニューボールを使ってロストしてしまう(何でや?)ホールや、ここは谷越えで、無くなる危険が大きいと思って、拾ったロストボールで打つと案外良いショットで楽々谷を越えることなど、実力の伴わないゴルファーには、何ともやっかいなコースである。ましてや、ボールの行き先を追うと身体が早く開くので頭を残すよう意識して打ち出すと、どこに行くか分からないボールの行き先を追うことが出来ず見失ってしまうケースもある。パンフレットには、戦略的コースと唱ってあるし、確かに戦略的ではあるが、一歩間違えば、藪や、谷が待っているコースは、初心者には矢張り無理があると言わねばならない。前に同じメンバーで行った伊勢志摩カントリーは、値段の割には良いコースで、しかもフラットだから、ボールを失うことも少なく、楽しめたのだが・・・。概して、山岳コースの距離は短いが、フラットなコースの距離は長く設計されているようだ。従って巧い人が山岳コースを回るとスコアが良くなり、下手な人がフラットなコースを回るとゲームは楽しめてもスコアは良くはならないと言うこともあるのだろう。でも我々には、フラットなコースで楽しんでゴルフが出来る方がよいのかも知れない。モンゴメリーでは、距離が極端に長く、日本のバックティーで打っているような気がする。また、池越えも半端ではなく、大きな湖を越える位の感覚になってしまうのだ。そう言えば、何番ホールかの池越えパー3では必ず池に入れていたことを思い出した。今回の晩秋山岳コースは紅葉狩りを兼ねたと言うことで、他の二人は満足していたのだろうか?
2008.11.25
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新聞雑誌に地球の温暖化についての記載がかまびすしい。そして温暖化は、人類が排出するCO2が原因であるという。果たして本当なのだろうか?我々素人は、学者が言うことを信じるしかないし、温暖化防止、すなわちCO2排出を抑えるために世界中の首脳が一堂に会するとあっては、信じないわけにはいかない。CO2が排出され、地球を温暖化するのは、CO2で囲まれた地球があたかも温室のビニールハウス内の状態になるのだろうかと考えてしまう。でも一方では、CO2は増え続けるだろう。そうすると厚い層になったCO2は地球を太陽光線から遮断して、太陽エネルギーを遮ることになり、逆に地球寒冷化するのではないだろうかとも考えてしまう。CO2の増加=地球温暖化の方程式が公理という点から発している今の議論は何となく腑に落ちない。腑に落ちない点というのは、気候変動枠組条約に基づき全世界が京都議定書なるものを決議したが、1.巨大なCO2排出国である肝心なアメリカが批准を拒否していると言うし、他にも署名はしたけれど、態度を保留している国もあるということ。2.排出権取引といって、排出量を排出枠内に抑えた国などの排出できる権利をその限度までの残りの排出量を、排出枠を超えて排出してしまった国が買い取ると言う形で排出枠を遵守したと見做すということ。3.とは言いながら、地球上のCO2は減るわけでなく、排出し続けるわけで、発展途上国も発展に伴って、2.の権利枠は少なくなることである。色々な数字しかも億トン単位の数字が記載されているので、私には何が何だか分からないし、巧く理解できていないかも知れないが、23日の日経新聞では、地球上の炭素貯留量(可能?)は化石燃料による排出が、年間72億トンに対し、貯留できるCO2量は、大気中では7600億トン、森林など植物が5000億トン、さらに土壌の表層部1メートルには何と2兆トンもあるという。これだけを見ると年間排出量72億トンを排出し続けても単純に450年は持つという計算になるのだが??同紙では、これは最近分かったことで日本はこれをポスト京都議定書に温暖化ガス削減として認めるように働きかけるという。なぜこういったことが英知を集めた会議を開催する前に分かっていなかったのであろうか?不思議でならない。元々地球温暖化をCO2排出を原因とすることに意見に反対の人がいる。「CO2温暖仮説は間違っている」という槌田氏などだ。CO2削減の真の意図は、(1)石炭使用制限、(2)代替エネルギー開発、(3)原子力発電の再開等と言う向きもあり、(1)の石炭使用制限は石油をも含んでいるのか、とにかく化石燃料を使わないでおこうという意図は、(3)の原子力発電を再開して行こうという政治的意図が感じられてならない。原子力エネルギーはたしかにCO2の排出が少ないという点でクリーン(この時点で、言葉の操作が行われている)であるが、原子力エネルギーが安全且つ無事に出来上がるとは思えなく、チェルノブイリや、スリーマイル島が、明日にでも再び起こってもおかしくはない状況なのである。新聞記事では小さく扱われているが、「○○原発の冷却水漏れ・・・、放射能の流出はない・・・」 と言う記事の何と多いことか。人間が作り、人間が扱うもので、安全の基準も人間が想定した基準であるから、権威が安全と言えば安全であるし、そんなことは素人には判断が付きかねるのである。(2)の代替エネルギー開発は結構なことであるし、化石燃料に頼っている部分を幾ばくかを解消することも出来るであろう。車もガソリンだけでなく、燃料電池で走るハイブリッド化が進められている。ガソリンに税をかけている今の税制はやがて、燃料電池の何に課税対象を持ってくるのであろうか?いろいろな立場、持ち場の人間サイドが言うことには色々な意見があるが、世界的コンセンサスを得ている地球温暖化すなわち排出CO2排出削減に現在異議を唱えることはなかなか難しい状況である。大いなる熱源である太陽光を、いかに取り入れるかと言うことが考えられているが、太陽の黒点が一つ増えたり減ったりしただけで、地球は震え上がったり、凍結するというような状態では、何をもがいてみても焼け石に水のような気がしてならない。
2008.11.24
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書店でJ.ストーズ・ホールの本を手に取った。目次を見て面白そうだと思った。今、世間ではナノテクノロジーが華やかなときである。副題に21世紀の産業革命と書かれているのも気を引くひとつだった。最初から結論を言うのも何だが、私には荒唐無稽で、何のことだかさっぱり分からないことが多かった。それだけでも成果があったというか、負け惜しみかも知れない。言い訳になるが、私は、この本で言うナノフューチャーが自然に語られ、フューチャーでない頃には存在しなくなっているか、どこかで生まれ変わって、ここに書かれていることを自然なこととして受け止めているかも知れない。グーテンベルクの活版印刷技術、ジェームズ・ワットの蒸気機関車などによる産業革命に対してナノテクノロジーは第二次産業革命ともてはやされてきたとある。コンピューター技術や、ロボット工学などを遙かに凌駕するものだからだというのである。私にとってミクロという仮想の延長でナノを最初に見た気がしたのは、スチーブン・ボイドやラクウェル・ウエルチなどが出演した映画「ミクロの決死圏」であった。勿論SF映画なのであるが、この本では、SFがあたかも近未来に現実化するであろうように、また一部進行中であるように書かれているのである。出てくる言葉も、インターネットのウィキペディアでは追いつかない内容も含まれている。はっきり言って、私が期待していた、現在のナノテクの延長線上で、理解できる範囲のことかと想像していたことを打ち破るものであった。その意味では本代が無駄になったかという気がしないでもない。しかし私は、こういった本が好きだ。手にとって数ページ読むとすぐに眠くなることもあれば、何ページも惹かれて読み込む箇所もある。どこかの首相が、漫画本に夢中になると言うほどではないかも知れないが、なにやら、そばに置いてまた読み直したい、また読み直さないと分からない、そして何度読んでも分からない本だと思う。自己複製という言葉が書いてあった。以前「自己組織化」(Self-Assembling)という言葉を姫の友人から聞いたことがあり、またその意味を尋ねたことがあった。自分自身で自分を作る事って何だろうかと全く分からなかった事を思い出す。「ナノテクノロジーがあれば、自分を整備・修復する能力など、自然界の生命が持つ優れた特性を住居や車や街に与えるような人工物が出来るに違いない。」・・・少なくとも25万年ほほ前、人類は最初の自己増殖テクノロジーをマスターした。などと書かれている。高度な論理操作やプログラムによっては、機械が機械を作り出すことも、また、かってにクローン人間なるものも増殖させる事も出来る理屈である。ナノテクノロジーでは、人間そっくりのロボット(アンドロイド)もたやすく作ることができる。そのアンドロイドに、バーチャル・リアリティをプログラムすれば、テレプレゼンス(遠隔地にいるような臨場感)を得られるという。海外旅行の必要はなくなるわけだ。などと短絡的に考えてしまう「半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する」というムーアの法則ではないが、これがますます加速し、ムーア・ダッシュの法則が達成され、ナノレベルでの集積回路が出来上がり、その結果のアンドロイドは、外見上も人間と全く同じ理屈になるわけだ。人間の細胞と同じ100兆程度の半導体の集積率を達成すればいいことになるわけで、それは死滅することもなく自己再生するようにプログラムおけばどんどん進化する訳だから・・・。などと考えると、将来が全く無味乾燥なことになってしまいそうである。(もっとも私のあずかり知らぬ所ではあるが)こんなことが一杯書いてあるのだが、戦争やテロの下りでは、バイオ兵器などへの言及もある一方、「現代の無人機では、空対地ミサイルを搭載し、建物や乗り物の攻撃に使われる。ナノ無人機なら、様々な針を仕込み、致死量、あるいは衰弱させたりただ苦痛を与えたりする量の毒ガスや生物兵器で、人間を攻撃できるだろう。」と恐ろしい顛末になることもナノテクノロジーの中で語られたり、想定されているのかと、「ミクロの決死圏」で、脳内出血を起こした要人の命を救う為、医療チームを乗せた潜航艇を縮小光線を用いて縮小し、要人の体内に注入する、という良いことずくめかと考えることの甘さを知らされた感がした。まぁ、何とも不可思議な読後感を与える本であった。
2008.11.23
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昨日から連れ合いが女性三人で近くの雄琴温泉に一泊で出かけた。NHKのカルチャーセンターへ出かけた後大阪駅から直行したのを見送ったのだが、その前に連れ合いが携帯電話を持ってくるのを忘れたらしい。人一倍携帯電話を使う割に、どこに入れたか分からなくなることが多い。今回もその口かなと私の携帯電話から呼んでみるが、音が全く聞こえないし、振動もしているふうではない。どうやら大阪へ行く前に車で姫を伊丹に送ったとき寒いと言ってジャンバー風なものを来ていて、梅田に出るときに車の中にそのジャンバーをおいて出かけたのでそのジャンバーの中に忘れたのだろうと言うことになった。毎日何回となくメールが入ったり電話を受けたりしているので、丸1日これがないとどんなことになるか分からない。私の携帯を使ってかかってきそうな所へあらかじめメールをしまくっていた。NHKの講座が終わり、連れ合いは雄琴温泉に出かけ、私は本屋などに寄って帰り、自宅の車を調べると矢張り携帯電話はあった。事前連絡をしていたせいか、問題になるようなメールは来ていなかったが、事前に打ったメールの問い合わせが入っていた。でも答えようがない。旅先の連れ合いから、固定電話で、私に電話があってそんな話をして、本日長岡京駅に迎えに行くことになった。これも固定電話で、今からホテルを出るという連絡があったので、急いで車を飛ばし長岡京駅に出向いた。長岡京駅は、東出口に村田製作所の本社ビルが建っていて、こじんまりしたロータリーがあるだけだ。私はそちら側に車を止めて待っていたがなかなか電車から降りてこない。西出口の方が賑やかそうなので、地下道を通って見に行ったけれど見あたらない。西出口もそのようだが、東出口には駐車するところはないので、仮の乗降場に車を止めて見回るのだから、おちおちしていられない。出迎えの車や待ち合わせの車、商品の上げ下ろしの商用車などが止まっているが、それも短時間のうちに出て行ってしまう。私も電車が着くたびに2階にある改札口に上がってみるがなかなか降りてこない。駐車違反が気になるので、長くは待っていられないのでまたロータリーに戻る、の繰り返しだ。50分以上が経過したがどうもおかしいと思っている矢先、公衆電話から、やっと連れ合いの声。「50分前から待っているのにどこにいるの?」とのこと。ようやく東出口である旨を伝えるとやっとの事で地下道を通って現れた。東出口がある事すら考えなかったという。そして、寒いから公衆電話ボックス内で風をよけていたという。それならば早く電話すればいいのにと思うが、私が運転中だと危ないからと電話をかけるのを逡巡していたらしい。携帯電話がないとこれほど不便なことがあるのかと、その時つくづく思った。私も知らず知らずのうちに現代社会に組み込まれているのを感じた瞬間だった。猫も杓子も、今や猿でも携帯電話を持とうかという時代、電話嫌いの私には到底考えられない時代になったものだと思った。
2008.11.22
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NHKカルチャーセンターの講義第3回目を聴講した。今日はルーベンスについての講義だった。ルーベンスは今のベルギー、オランダに当たるフランドル地方にプロテスタントで法律家の父とカトリックの母の間に生まれた。その父は、オレンジ公ウィリアムスの妻の法律顧問をしていて不倫関係に陥り、逮捕後処刑されたという。そして、母は父の死後フランドル地方に帰ったといった前置きから始まった。彼自身も最初の妻に先立たれ、54歳の時に親子以上に年の離れた16歳の新妻を迎えて、しかも5人の子をなしたと言うから、かなり精力的で頑強な男のように思える。斜に構えた自画像を見る限りではそれほどでもないように思えるが、人は見かけによらぬと言うことか・・・。1600年と言うから、関ヶ原の戦いの時には、イタリアを訪れ、ルネッサンスに学び、宮廷画家にまで上り詰めたという、当時としてはきわめて恵まれた生活を送っていたようである。家系の良さも手伝ってか、彼自身の絵画が受けたためか、おそらくその両方だと思われるが、彼の活動は今で言うグローバルなものであり、当時フランドル地方を植民地下に置いたスペインとイギリスとの戦争で、調停役をし、両国からナイトの称号を受けるほどの人物であったと紹介された。そんな彼であるから、大きな工房を持ち、弟子を100人も抱えるほどの一大実業家(?)でもあったらしい。当時の弟子は14歳頃から入って20-21歳頃には一人前になるという感じの徒弟制度であった。従って、弟子は、それぞれ絵の具を作ったり、背景を専門としたり、人物を専門にすると言う具合で、ルーベンス自身は、小さなパレット画を書くと、それを弟子達がよってたかって大型の絵に仕上げるという、マスプロ制作であったようだ。ちょうど今で言うルイビトンのようなイメージクリエーターだとか、またはジョ-ジ・ルーカスの如き映画監督のようであったらしい。従って、作品は多いが作品に対する後世の評価はあまり高いものとはいえないようだ。当時のバロック美術のご多分に漏れず、彼の絵は、宗教画と、神話等からの寓話が多い。当時の絵画は、依頼主の注文を受けて制作するわけで、勢い、現代的な芸術とは質を異にしていて当然であろう。講義の中で、彼の絵の特徴や興味深かった点は、キリストが、精神的にだけではなく、肉体的にも重い存在であると言うことを絵画の中で表現しているという点だ。「十字架昇架」でも「十字架降架」でも、屈強な筋肉マンがこれを支えていることがこれを示している。また、身体のねじれを表現していることもバロックの特徴であるらしい。そう言えば、キリストの身体はねじれが入ったものになっている。ここで、「十字架降架」の説明で、若い頃テレビのアニメで見た「フランダースの犬」のネロとパトラッシュが、この絵を見たいと訪れて、この絵の前を前にして死んだと言うことを聞いて、得も言われぬ懐かしさと、人を動かす宗教のすごさを感じた。今一つは、彼自身が「落ちる」(落下)という点を表現していることだ。何故に落下が彼のテーマになったのかは分からないが、「アマゾンの戦い」や「最後の審判」に見られるように、前者のアマゾネスや後者の多くの一般人は、もつれ合い、ねじれあって降下して地獄に行くのである。しかし、その彼も晩年新しく妻をめとってからは、広大な別荘地に、おそらく広大な住居を構えたのであろう、その住居から、誰に依頼されたわけでもない自分自身が描きたかった絵を描いているから彼自身の絵画に対する変化が現れているように思われる。愛する2番目の妻エレーヌ・フールマンと彼らの間に出来た子供の絵を生き生きと描いているし、屋敷の部屋から眺めた広大な敷地の瞬時の残照を見事に捕らえた牧歌的な「日没の風景」などは、老いを迎える私などにとって見れば夢のような世界と写った。私がこの絵をこの場所(勿論自宅)でゆったりと時間をかけて(おそらく何日もかけて)自分自身で描いているとしたら・・・、垂涎の時の流れであろう。このようにして、17世紀バロック美術の絵画への光の導入や過度な装飾そして擬人化から、繊細さや軽妙さに写り、輝く色彩が導入されて絵画美術は印象派へと遷移していったのであろう。次回は、レンブラントである。最終のフェルメールまではまだ時間がある。ひとつの切り口で、美術の講義を受けることで、今まで茫洋としていた自分の中に体系立った美術史の流れが垣間見られるようで、楽しい講義である。
2008.11.21
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一休が「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいる。現代でも通じることであるが、門松と言うよりは誕生日の方が自分自身にとっては一里塚に思える。で、目出度くもあり、というのはどのくらいの歳までのことを言うのであろうか?一茶ではないが、私には、めでたさも中くらいなり、おらが誕生日というのが正直なところだ。正月が一里塚というのだから、いったい死ぬ(ゴール)までに何里歩くのだろうか?一里塚とは、元々は中国起源のものだそうで、旅行者の目印として道路の側に1里毎に設置した塚(土盛り)か標識を立てたものであるという。さらに、当時の中国での1里は4kmではなく約500mで計算していたらしい。高速道路の脇に、起点から○○kmと数字が書いてある里程標と同じ意味である。そうすると、一休禅師は、88歳まで生きたと言うから、いったい何里歩いたことになるのだろうかとふと考えた。昔の中国流に言うとたった88×500m=44kmしか歩いていないことになる。まじめに歩けば、10時間で歩ける距離である。今流に1里を4kmとしても88×4km=352kmであまりに短い。弥次喜多の東海道五十三次でも、1里塚は124もあったらしい。これだと約4km強ということになるが。とか考えると、人生なんて所詮短いものなのだと変な結論になってしまう。連れ合いはスキーを得意とし、若い頃にはスキーにのめり込んだようだ。しかし、もはやスキーをするには一寸無理な歳になってしまったと感じたのだろうか、それとも下手の横付きの私に合わせるつもりであろうか、最近はゴルフを始めるようになった。道具は、姉が使っていたものを譲り受けて、まず、ゴルフが自分に合うかどうかから見定めることになった。私の姉は私より10歳も年上であり、停年前後からゴルフを始めて、下手ながら今でもラウンドしている。これに刺激されて、まだできると踏んだのかも知れない。クラブが、古くて身体に合わないものもあり、自分にあったフェアウェーウッドが欲しいと買いに出かけて軽そうなのをとりあえず1本だけ購入した。そのとき私もちゃっかりゴルフウェアーを買って貰った。帰りの車の中、色々なゴルフコンペがあるが、「下手でも1番になる方が良いよね。」と言うことから、「鶏口牛後」という言葉を使った。連れは「鶏頭牛尾」ではないかという。そこで調べてみたが、「鶏口牛後」が正しいようである。出典は「史記-蘇秦伝」で中国の秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の7つの強国が覇を争っていた戦国時代、縦横家の蘇秦が燕王や韓王達に合従策を説いたときの言葉のようである。「寧為鶏口無為牛後」=「むしろ鶏口と為るも牛後と為る無かれ」から来ているものと思われる。十八史略では、牛後よりも鶏口を選んだ韓や他の5国は結局強大な秦に併呑されてしまったと言うことで、いい目を見たのは、上手く立ち回って宰相になれた蘇秦だけの様だが、蘇秦も最後は暗殺同様に命を落としてしまうと言うのだから、人生何が良くて、何が悪いのか終わってみないと分からない。まさに、「人間万事塞翁が馬」である。あるがままに生きよと言うことかも知れない。
2008.11.20
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明日(実はこれを書いている今日)は私の誕生日だ。昔から我が家には、誕生日を祝う風習など無かったから、特別何の感慨もあるわけではない。先日は高校の同期生の一部とゴルフコンペがあった。自分のことは棚に上げて、みんな歳をとったなぁと感じた。仲間と集まると言うことが分かっているから判別できるのであって、そうでなければ町中であってもおそらく気がつかないだろう。高校時代に言葉を交わした事がない人は特に分からない。噂に聞くと、何名かはすでに他界している。勿論寿命ではなく病気なのであろうが、もうそんなところに差し掛かってきたのかと誕生日を迎えるに当たって考えてしまう。新聞を見ていると、我々が若い時期には何事も右肩上がりと景気のいい話があった。それが少し前から、右肩上がりなどは過去の妄想のようになり、今では右肩下がりと言うより、断崖絶壁のように落下している。私が関係していた造船では昔から好況で笑いが止まらないなどと言うことはなかった。受注が落ち込んで過当競争を止めるために生産設備の削減が行われた時期があった。それでも間に合わないので、例のM&Aで各社の造船部門がスピンアウトされ、統合されていった。さらには人員削減で、かつて造船所内の道路は人で溢れていたこともあったが、その後は人影もまばらとなった。経営者が一番簡単にできる人員削減だ。何とも安易なことだ。勿論船台やドックに船の姿が無くなる時期もあった。人が少なくなったのは自動化、機械化のせいもあるが、要するにパイが小さくなり生産が落ち込み、人がいらなくなったのが原因だ。そのパイは、韓国が食べ始めたからで、今では中国が急追しパイをむさぼろうとしている。昔は、高付加価値と言われたコンテナ船やLPG、LNG船は日本の独壇場であったが、労働力の安いところで建造しようと、それら技術も韓国や、中国に付与してしまい、日本は苦しい立場に立たされている。オイルショックで、北海油田の掘削等に迫られ、私は石油掘削リグの設計に転向していったものの、OPECの動きで、中東からの原油が再び計画的に輸入できることとなり、石油掘削リグの建造はぱたりと止まってしまった。現在の業界の動きは分からないが、その後は高付加価値船であるTSL(テクノス-パーライナー:超高速貨物船)などに力点を移していったと聞く。鋼材で造るわけだから、鉄鉱石の値段に端を発し、製鉄会社の鋼板や、形鋼の値段に影響される。これらをベースに、いかに安く造るかにかかっているわけで、私が関係した頃の合い言葉はいつも「コストダウン」だった。船価は政治的な環境で決まるわけで、ひたすら出(いずる)を制するの精神で鍛えられた。それが昨日の新聞でも、造船の受注がピーク時から8割減じた(2割になった)との欄では、造船工業会長が、矢張り「コストを下げて利益を生み出すことが大切」と十年一日のごとく言っているのが目に付いた。労働集約型の造船のような職種ではこんな事しかないのかと自らの過去を振り返ってそう思う。外国人労働者を入れて、人件費を下げようとする方向にあるが、これも限度があるだろう。日本における造船業がいつまで続くか、過酷な労働条件で地道に働く人たちにとっては、先物の金融商品で巨額の損失を出すことなどとうてい考えられない世界である。金融機関やアメリカの自動車産業は、公的資金の投入が期待できるかも知れないが、ローカルな地位でしかない日本の造船業ではそう言ったことも望めず、第二第三勢力に駆逐されていく日もそう遠くないのではないだろうか。
2008.11.19
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NHKカルチャースクールの第二回目の講座があった。一昨日のゴルフ疲れをまだ引きずっているのか、なんだか身体がだるい。記憶力というか、自分のやったことを思い出せないという一寸危ない状態になっていた。講座を受けるに当たって、眠そうな私のために連れ合いがドリンク剤を買ってくれた。「眠眠打破」とか言うカフェインの入った眠気覚ましのドリンク剤で、今までに飲んだことがないものだった。すぐに効果が現れないのか、講座が始まった時はまだ眠かった。机は、移動式のタイプであり、どうやらその移動式の下のコロの部分のストッパーが効かなくなっていたためもあり、眠気のため何度かその机を前に押し、連れ合いが戻すと言うことが続いた。また、その間に、居眠りをする私を連れ合いが足でつついて起こすと言うこともあった。講義の内容は「中東の民族・宗教・言語」と言うテーマだった。「人種」という言葉は、19世紀にはやったものだが、今や疑問視され、特に中東では意味のない言葉になっているという話から始まった。その代わり、民族という概念が現れ、中東には次の三大民族が同居しているとの説明があった。1.アラブ人(これは3億人いると言うことである)2.トルコ民族(かっての強大国、オスマントルコの末裔)3.イラン民族(古くはペルシャとして栄えた民族である)である。他に、ユダヤ教を信仰するユダヤ人、国家を持たないクルド人、北アフリカのベルベル人などの紹介があった。いずれにしても、日本からは遠く離れた国々であり、講師がスライドで見せてくれた中東の人たちの顔は、白人に近い人から黒人に近い人まで種々雑多な顔つきをしていた。これに次に示す宗教が重なり合うわけである。1.イスラーム(中東にあっては大多数を占め、様々な分派を持つ)2.キリスト教3.ユダヤ教である。さらに、これらに、中東で使われる言語である、1.アラビア語2.ペルシャ語3.トルコ語が綾なすような世界であると言うことだ。たとえば、アラブ人でもあるエジプト人は、多面的な顔を持っていて、対イスラエルとか言うときはアラブ大同団結になるが、自国内では、ベドウィン(遊牧民)を見てアラブだと称したり(自分もアラブなのに)、自国で発祥した四大文明の流れをくむファラオ主義を前面に打ち出して、アラブの中でも特別な存在であることをアピールすることもあるという。これを講師は、アラブ世界のアラブ民族主義(カウミーヤ)と国民主義(ワタニーヤ)という形で整理されていた。最後に、宗教上の火種になるエルサレムの岩のドームを囲むように、イスラム教徒地区、ユダヤ教徒地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区の複雑な様子が推定される地図を見ながら、信仰の力は強く、理屈ではないものを感じるとともに、何故に、アフリカ起源の人類が、ここまで分化し、多様な形態と考えを持つに至ったのかを改めて感じた。細かくは異論があるが、大和民族単一国家で囲まれて育った日本人は、中途から離れた遠くにいて講義を聴くだけでは、その詳細を知るべくもなく、聖地メッカの守護者としてのサウジアラビア、ファラオ主義・アラブ主義・イスラームの渾然としたエジプト、パレスチナとイスラエルのユダヤ・アラブの相克、レバノンの宗教問題、イラクのスンニ・シーア派問題等々、どれひとつとっても、何時間もかかる講義を受けてもわかり得ないところであろう。アラブ諸国は、各種の同盟・連合を結んでいるが、一人トルコだけは、軸足をヨーロッパに置いていることまたEUに加盟したがっていることが地政学上もよく理解できた。講義後廊下で出会った講師に「今日は疲れましたかね、次回は実際にアラビア語を書いてみましょう」と言われ、やっぱり見つかっていたかと、居眠りしたことを悔やんだ。
2008.11.18
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2008年も後1カ月余になってしまった。この一年を振り返るにはまだ早いが、今年の漢字は何だろうかとふと考えてしまった。2007年の漢字は「偽」だった。そう言えば、私も禿げているが、一列に並んで頭を下げる禿頭を何度も見た記憶がある。しかしそれがどういう事だったのかは、もう忘れてしまっているものが多く、あれ程騒ぎ、問題としたものがもう記憶の外の方に行ってしまっているのだ。人の噂も75日というか、次から次へと新しい問題だ出てくると言ったところだろうか?遠くは「雪印牛肉偽装事件」などがあったから、去年に始まったことではない。いったい偽装して闇に葬られているものがどれほどあるのかだと言うことだ。闇に葬られて嘘のつき得になっているものがどれほどいるかと言うことが問題だろうと思う。偽装事件等を振り返ってみると、時系列はめちゃくちゃだが、「中国の餃子事件」、「日本ハム牛肉偽装事件 」、「ハンナン牛肉偽装 」、「ミートホープ牛肉偽装事件」、「豪州産を国産と偽装事件」、「飛騨牛偽装事件」、「ミスタードーナツの肉まん偽装事件」、「不二家が賞味期限切れのシュークリーム事件」、「ほっかほっか亭の消費期限切れのサラダ販売事件」、「ロイヤルホスト消費期限切れ食パン使用事件」、「石屋製菓の’白い恋人’賞味期限改ざん事件」、「赤福の製造日・消費期限不正表示事件」、「比内地鶏廃鶏使用偽装事件」、「船場吉兆偽装事件」、「博多辛子明太子の偽装表示事件」、「マクドナルド賞味期限切れ食材使用事件」、「かき氷シロップ偽装 事件」、「JR東海駅弁偽装事件」、「一色産うなぎ産地偽装事件」、「下関のフグ産地偽装」、「ブラジル産鶏肉を産地偽装事件」、「三笠フーズ事故米転売事件」、「丸大食品メラミン混入事件」、「伊藤ハム商品回収事件」とこれら食品偽装事件とは性格を異にする「耐震強度偽装事件」が思い出される。ここに、安全における「ハインリッヒの法則」を適用することは出来ないかもしれないが、上記の偽装事件が、日本で行われた偽装事件の全てだとは思われない。「ハインリッヒの法則」は1人の致命的重傷者(死者)が出たときには、29人の軽傷者があり、その下には300の「ヒヤリハット」があるというものだ。事件当事者で捕まったどこかの社長は「どこもやっている事」と平然と答えている。賞味期限が切れたからと言ってすぐに食べられ無くなるわけでもなく、すぐに味が変わるものでもない。スーパーの閉店間際に行くと、売れ残った食品に、「○○円引き」とかのシールを貼っているのをよく見かける。またそれを狙って買う人たちもいる位だ。ここで言いたいのは「嘘をつくな!」と言うことだ。勿体ないとの「船場吉兆」など、そう思ったら、従業員に訳を話して、安く持ち帰らせれば済むではないか?それを、「客が食べ残したものではない」、「箸をつけなかった、いわば新しいものだ」との言い訳は、いかにも不遜である。同じような食感のものを、ブランド名と、その雰囲気で商売していた(どこで食べてもそれほど差が無くても)割りには、提供側にその意識が欠乏していたと言わざるを得ない。外国産を国産と偽るのは明らかに詐欺である。逆に言えば、国産に重きを置きすぎているのではないか?外国でステーキを頼むと、ゾウのわらじのような大きさの固い肉が出てくるという。日本人は、繊細に成りすぎているというか、世界の中にあっては、食に繊細な民族といえるからだろうか?中でも特に困るのは、廃肉の比内鶏や、毒入り餃子などである。これはある意味殺人ないし傷害罪か、その未遂罪である。他とは断じて区別されなければならない。系統は違うが、「耐震強度偽装事件」は論外である。食べ物にあたって腹痛を起こすのとは訳が違う。一歩間違えば死に直面するという重大なことであり、その影響範囲も大きい。そんなマンションで安眠して過ごすわけにはいかない。私個人としては、技術屋が嘘をついたということが腹立たしい限りで、「姉歯」はすでに技術屋ではないと思っている。販売したヒューザーの社長などは未だに無罪だと主張しているという。一審の懲役3年(執行猶予5年)でも軽すぎるのにと感じているのに・・・。この手合いには、執行猶予は無罪に等しいと考えてしまう。今年こそ良い「漢字」と考えてみたが、紙面を賑わすのは、不景気なことばかり、案外去年選に漏れた「乱」かもしれない。
2008.11.17
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昨日まで良い天気で、週間予報で今日が雨だとは、昨夜眠りにつくまで信じられなかった。気象予報士くらい楽な商売はないなぁと常日頃思っていたし、今日も外れてくれるだろうと内心は願っていた。ところがこんな時に限って予報が当たるのである。何とも中途半端だが、朝早く起きてアスファルトの水たまりに雨滴がぽつぽつするのを恨めしく眺めた。何はともあれ、今日は、新しく参加を許された、高校同期生のゴルフコンペである。最初は、九人で始まったとかで「九人会」との名称だが、それから暫時人数が増えていき、今回のコンペは137回目だという。厳選してきた会員も今では20人を超えているとのことだった。今日の新参者は私で、参加者は、身体を故障した者が出たとかで、今日は14人だった。朝クラブハウスで、出会った顔は、2-3人をのぞいて卒業以来40数年ぶりの顔合わせである。しかし、事前に渡されたメンバー表から大体の顔は卒業アルバムでチェックしてきたこともあって分かった。中に、女性が二人入っていて、一人は同期生で、一人は同期生の奥さんだったがこの二人はなかなか上手で、グロスでも置き去りにされてしまった。私の組は、同期生の中でも卒業時に同じクラスの仲間4人だった。午前中しとしと降る雨で、ぬれながらのティーショットは、昨日あれ程練習したにもかかわらず、しめった音しか聞かれず。出だしでダブルを叩いてしまったことで、其の後は、快音はついに聞かれなかった。同級生は皆旨く、一人が時折ミスをしたり、OBを出したりで、調子を狂わせていたが、後の二人は、調子が悪いと良いながらも、飛ばすときはきちっと飛ばすし、ここというときには、しっかり乗せてくるなど、なかなかついて行くのが精一杯の腕前だった。同じ組でハンディーが最小の同期生は、私のティーショットが飛ばないのは、体重が右足に残っているからだとさりげなく教えてくれた。そのことは、何となく理解できても身体がどうにも巧く動かないのだ。最後まで快音は聞かれなかったが、名手二人に数ヤード置いてきぼりにされながらも、何とかついて回った感じだ。一度などは、数ヤードを残しただけなのに、ザックリを繰り返し、あげくはバンカーにまで入れて、それまでのナイスショットを水泡に帰してしまったこともあった。それもこれも含めて、初めてのコースで、久しぶりに会う連中とのプレーは難しくもあり、楽しくもありであった。結果は、メーカーになってしまったが、次回は何とかしようと残念さをかみしめた。優勝は、女性がさらい、この日の商品は、「卵」で、なんと、108個の卵を持って帰ることになったようだ。昼過ぎからやっと晴れ間が出てきて、終わる前には日が差してまぶしいと感じるまでに天候は回復していた。成績は悪く、一寸小さくなっていたが、旧来の知己と話が出来たことはとても有意義であった。
2008.11.16
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やたらと略語、それも英語の略語が多いので何のことかよく分からない。CDSもそうだ。日本語にすると、クレジット・デフォルト・スワップと言うらしい。そう言われても何のことか全く分からない。そこで、インターネットでその項目を追ってみる。すると、クレジットデリバティブの一種で、債権を直接移転することなく信用リスクのみを移転できる取引である。最も取引が盛んなクレジットデリバティブのひとつ。頭文字をとって CDS と呼ばれることが多い。銀行の自己資本比率を高める対策の一環として利用されるケースも多い。と解説がある、ここでさらにより一層分からなくなる。では、クレジットデリバティブとはなんぞや、何でこれが銀行の自己資本比率を高める対策になるのか、である。さらに、Sの意味、スワップとは?単純には「交換」ではないか。従って素人には全く何のことか分からない。でもこれが金融危機を深めた「落とし穴」であるという。株価が落ち込み、円高になり、ドルが不安定(安く)なり、あらゆることの「落とし穴」がこれらしい。そも、クレジットは「信用」である。デフォルトとは「債務不履行」と辞書には載っている。では、デリバティブとは、これもウィキペディアでは、伝統的な金融取引(借入、預金、債券売買、外国為替、株式売買等)や実物商品・債権取引の相場変動によるリスクを回避するために開発された金融商品の総称である。要するに派生した金融商品と言うことらしい。で、これを、日本語直訳で並べると、CDSは、信用・債務不履行・交換と言うことになる。これを聞いて、何のことか分かるのはどれほどの人がいるのだろうか?経済学者は勿論、経済学を納めた人は皆分かるのだろうか?ちなみに2002年3月20日刷りの「やさしい日経用語辞典」には載っていない。新しい言葉なのだろうか?平たく言うと、B社がA社の株を買う場合、今回のようにA社の株価ががた落ちになった時、その損失をを引っかぶらないように、B社C社に保険料を支払って、C社がこれを担保すると言うことのようである。民間の生命や、損害保険のように、もしものことがあったときに保険料を支払っておいて、生じた損害を補填すると言うのに似ている。(合ってるのかなぁ?)そこで、世界130以上の国・地域で事業を展開し、約106,000人の従業員を有しているAIG自身がきな臭くなったから「落とし穴」なのであるらしい。こういった信用を担保する会社が、どんどんたこ足のように伸びていくと、全く収拾が付かなくなるような気がする。どだい、そんな商売(保険屋のでっかい代物か?)が大手を振ってまかり通る世の中が恐ろしい気がする。とにもかくにも、私のような経済音痴には、いったいどうなるのやらと、ただただオロオロするばかりである。
2008.11.15
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現在上野の国立西洋美術館で「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展が開催中であるらしい。日経新聞の文化欄に「静ひつの美」として成蹊大の千足教授がコラムを書かれている。この欄は、ちょうど何回にもわたって特集されている、「十選」の欄であったから、10回は続くものと期待していたが、どうもそうではなく、5回で終わりとなっていた。従って、ここではハンマースホイの作品も5点の紹介にとどまっている。どうやら東京の展覧会には90点の作品が集められているという。「19世紀末デンマークを代表する画家ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)は、コペンハーゲン美術アカデミーで学んだ後、「自由展」と呼ばれる分離派に参加、アカデミーとは一線を画する活動によって生前にヨーロッパで高い評価を得た。」と紹介にある。彼の生きた時代は、連れ合いに教えられて、その魅力に私自身が入り込んでいった「印象派」の時代である。ハンマースホイは、デンマーク生まれで、北欧の域を出なかったのであろう、全くのモノトーンの絵しか残していないようだ。ゴーギャンが、タヒチに惹かれ、鮮烈な色彩を駆使したり、ゴッホが南フランスのまばゆい光に誘われたのとは全く対照的なまさに「静ひつの美」である。北欧のノルウェーには、あの「叫び」で有名なムンクがいる。千足氏の紹介によれば、近年このハンマースホイも欧米での評価は高まっているという。ハンマースホイは日照時間の少ない、雪に閉ざされる時間の長い北欧そのものを描き続けている。「雪のクレスチャンスボー宮殿」などは、雪舟の水墨画の西洋版のようだ。人っ子一人いない雪の宮殿は、物音ひとつ感じさせないまさに静の世界である。彼は42歳頃から背中の痛みを感じだし、50歳の時、喉頭ガンを患ったとかであまり健康的な体ではなかったように思われる。そのせいかどうか、彼の作品は室内を描いた作品が多く、特徴のひとつとして、女性(おおむね彼の妻イーダと思われる)が背中を向けている姿の作品が多い。また、室内は閉塞的でなく、どの部屋も開け放され、向こうの部屋を書くことによって遠近感と絵の広がりを現している。オランダに近いこともあってか、ハンマースホイは、フェルメールの影響を受けていると言われている。それは「ストランゲーゼ25番地」や「居間に射す陽光III、ストランゲーゼ30番地」さらに「陽光習作」に見られる光の取り入れ方をさすのであろう。彼は自画像らしきものは描いていないようであるが、ウフィツィ美術館の自画像コレクションのために自画像を依頼されたとある。千足氏が紹介する「二人の人物像」では妻イーダと向かい合うハンマースホイが描かれているようだが、これが自画像なのであろうか?また「休息」と題された、背中を向けた女性が描かれた作品は「オルセー美術館」所蔵というが、私が連れ合いと訪れたときにはとてもその存在に気づかなかった。西洋美術史を深く学んでない身では、通り一遍の西洋美術史では紹介されていないハンマースホイを今回初めて知ったのだからしょうがないともいえる。しかし、私個人として、これらの作品の多くが心を打つかと問われるとそれほどでもないと思うが、心のどこかで何かほかに見られないものを感じ惹かれるものがあるのは確かだ。
2008.11.14
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前日のゴルフラウンドが絶不調であったので、来る日曜日の同窓会コンペでどうなることかと心配になってきた。それをおもん計ってか、連れ合いはいつも通う練習場に行こうという。本人は、膝が痛く、且つ肋骨が痛いというので見ているだけにすると言う。まず持って、整形外科に行ってみてもらうことを皮切りに、やり残していたことなどをすべく家を出た。近くの総合病院で待つこと1時間余、出てきた連れ合いは、整形外科は予約がいると断られ、内科で湿布薬の処方箋をもらうだけですごすごと帰ってきた。私は怖いと思うが、連れ合いは平気な鍼の奨励書?も書いてくれないという。病院では5分間診療とかを言われだし、必要もないことを長々と各患者に聞き始めたので、一段と診療時間が長くなってきたという。行政の指導という者は、こういったものかと考えてしまった。掛けなくても言い相手にまで必要以上に時間をかけ、本当に見てもらいたい相手は時間足らずか、または長々と待たすことになる。そもそも私などは、病院の陰気なところで待っているだけで、なんだか病気を貰ってしまうような気がして、病院に行くのが嫌いだ。それに、自分で分からない病気を医者が初診で分かる確率は3割程度だと思っているからなおのこと医者へ行くのが億劫になる。なんだかんだで、湿布薬をもらってもう昼が来ていた。これも医薬分業とかで、薬局でまた時間がかかる。思いの外遅くなったのでゴルフの練習場へ向かう途中の回転寿司で軽く食事をする。日本人の考えた絶妙なファストフードである回転寿司は、注文に関係なく旨そうな寿司がくるくるとコンベアー上を回ってくる。食べたければどれを取っても良いし、特別に食べたいものがあると、マイクを通して注文も出来るという日本人ならではの発想の店である。近所?の人たちや、紅葉を見に出かけてきた人たちで、結構一杯で、出口の待合い椅子には人があふれていた。ゴルフの練習場では、昨日の影響を引きずって、何度かシャンクをする。あーもう直らないと思っていたが、持ってきた携帯カメラで撮って貰って、何と自分のイメージとは違うアドレスに愕然となる。少し写真を参考にして直していくうちになんとか元に戻った感じがしたものの、なかなか理想的なフォームにはならない。しかしこんなものであろうと120球で切り上げた。帰って、連れ合いのフォームを写真に撮ったものと比べて、優雅さの点では全く見劣りがする自分の姿に筑波山のガマの様な心境になってしまった。せっかく遠くまで来たからと、その近くのしゃれた花屋さんで、花や鉢を購入して帰った。その帰り、思い出したように連れ合いは、鍼の施術師の所に入って、10分程度鍼治療を受けてやっと我が家に帰った。
2008.11.13
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連れ合いと、姉と私の3人でゴルフに出かけた。先週行ったときわ台ゴルフと同じ経営者で、隣接する一庫ゴルフ場だ。連れあいとここに行くのは2度目になる。私は3度目だ。最初に出かけたのは姉と2人で、行く前にトリッキーなコースと聞いていたが、そのときはプレーに精一杯で振り返ってみて、確かにトリッキーだと感じたものだ。しかし、先週のときわ台に比べると、ここがそれほど変なコースとは思えなくなるのが不思議だ。この日は、前日までと違って、雲一つ無い好天に恵まれた。そのせいだろうか、平日にもかかわらず、プレーを楽しみに来た人たちが多い。紅葉し始めた山中を歩くたびに、連れ合いは、きれいな景色に感心する声を発する。コースは、トリッキーなだけ山間の風景は美しいものがある。私は、いつもそうだが、景色を楽しむゆとりがない。自分のボールの行き先、2人の女性のボールのゆくえ、後方から追いかけるように迫る2人連れの男女の組、それらのことに心を奪われてただけでもないが、ドライバーが全く快音を発しない有様だった。トリッキーといわれるだけに、コースの上下変化も、多く、またドッグレッグも一般のコースに比べ遙かに多い。要するに正確なショットを要求される。そこに心を奪われると、萎縮するわけではないが、なぜかボールが白杭の外に飛んで出てしまう。フェアウェイと呼ばれるゾーンも狭く且つアンジュレーションが多い。前方のプレーヤーの影が見えないことも多く、後ろの組からはプレー中に2度も打ち込まれてしまった。私も、もう大丈夫だろうと打った球のそばから前のプレーをする人が現れたときには驚いた。そんな調子で、スコアーは?と言うところまではいかない。週末には高校時代の同窓生で成るゴルフコンペに初めてエントリーさせてもらうことになっているのにどうしたものかと悩んでしまう。元々、懐かしい顔ぶれに会うと言うことが一番なのだけれど、下手に気を遣わせてはいけないとそこそこのスコアであがることを考えるからだ。今でこそ、ティーグラウンドに立って「OBはしないか?」「チョロをしないか」などと悩むことはなくなったが(実際にはOBすることはあるものの)矢張りマイナス思考ゴルフの癖は今もって直らない。ゴルフ練習場の片隅で、友人同士であろうか、巧い方が、手取り足取り教えている風景を見かけるが、私にはそんな経験がないので、自分がどんな格好で打っているのかが分からなく、ボールが変な方向に飛んでもどこを直せばいいのかがつかめないつらさがある。こんな時、連れ合いが、「普段と違って、こんな風になっているよ」と言ってくれるのが、我が身を振り返る唯一のアドバイスになる。自分も理屈では分かっているし、常日頃連れ合いに言っていることなのだが、いざ我が身になると出来なくなってしまう。矢張り「言うとやるとでは大きな違いがある」ということだ。
2008.11.12
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友人に無料券を一枚もらっていたので、連れ合いと一緒に映画を観に出かけた。「イーグルアイ」という題名しか分からず、これにしようと入った。もし気持ちが悪かったら出てもいいなという軽い気持ちだった。ところが始まってすぐに、アフガンとも思える村の葬儀の列にテロリストと覚しき人物が混じっているとアメリカのセキュリティーシステムが捕らえた所から物語は展開していく。非常に発達したコンピューターのセキュリティーシステムが、葬儀に参加しているその凶悪?テロリストと覚しき人物を偵察小型機で追尾し、生体認識を開始する。コンピューターは30%の確率から50%の確率までその人物を本人らしいと判断を下すが、この程度の曖昧さでは攻撃して村人を巻き込むことは避けるべきと判断を下す。国防長官は、攻撃に消極的だったが、一部攻撃すべきとの声があり、最終的に判断を大統領に仰ぐと、この大統領は曖昧を承知でそのテロリストを野放しにする方がより被害が大きいと攻撃命令にゴーサインを出す。この大統領、後から顔写真が出るが、セオドアルーズベルトに似た風貌であるが、私にはブッシュ大統領と写った。そしてミサイルは発射され村人共々そのテロリストと覚しき人物は抹殺されるところから映画は始まった。あまりに早い展開と、あまりに荒唐無稽な話に、アクションとしては面白いが、その必然性に多々疑問を感じながらも面白く見入ってしまった。物語の落ちは、素晴らしい防衛システムも、それが下す判断を間違えると、国家を危うくする恐れのある分子(この場合、大統領以下10数名の閣僚)であろうとも抹殺すべしとそのシステムが、主人公たちを使って遠隔操作で抹殺させようとするというものであった。如何なる者といえども、国を危うくするものは取り除かなければならないという趣旨のことがアメリカの憲法にあるらしい。この映画の論点は、この憲法の趣旨に基づき作られた防衛システムにより、一大統領であっても間違いを犯すと殺されるという筋立てが現在のアメリカの裏側を象徴する政治面をも取り入れたことになっていることであろう。もっとも勝手に踊らされた、ヒーローとヒロインがこれを未然に防ぎ、最後はハッピーエンドになるのだが、普通の人間なら、とっくの昔に死んでいるであろうアクション場面が幾度もあり、それでも生きているというのが漫画チックでおもしろさを倍増させていた。そしてこの映画の制作者は、愚かしい人間の判断の誤りが罪もない人を巻き込んで殺戮する愚を犯すと言うことを警告したかったのではないだろうかと感じながら映画を観終えた。久しぶりに眠気が来なかった映画だった。
2008.11.11
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定額給付金でかまびすしい。朝日新聞の調査では、20代で、必要と不必要が半々だが若干不必要と回答している方が多いらしい。30代以上はすべての世代で6割以上、50代では75%が不必要と答えている。なにやら自民党の内部でも不必要だと答える議員が多いとか。60代の年金生活者の私でも、こんなやり方ではとても承伏できない。我々は政府に涙金をお恵みしてもらうために税金を払っているわけではない。麻生総理は、吉田茂の孫だという。吉田茂は戦後の名宰相といわれたが「ばかやろー解散」で終わってしまった。その吉田茂は当時の東大南原総長に対して「曲学阿世の徒」と非難した。「阿世」とは「世間に 阿 ( おもね ) る」ということである。こんなことをしでかしては、おじい様から、「阿世の徒」と叱咤されないのだろうか?元々このお坊ちゃま宰相は、秋葉原でおたくを気取り、どこかのスーパーでは庶民風を装いながら高級ホテルで飲食するのを「高いとは思わないし、スタイルを変えることはしない」と仰る。漫画本が好きだと公言するような底の浅い坊ちゃん宰相の考えることだと思った。「阿世」:まさにポピュリズムであるが、今時の国民はそんなことではだまされませんよとアンケート結果は述べている。誰だったか忘れたが、これは、選挙目当てに国民を買収している行為だとして告発することも考えているということを聞いた。そんなことにでもなれば面白いのにと、半ばやけっぱちに思うことがある。このようなばらまきをして、景気が上向くと本当に思っているのだろうか?ふるさと創生だと言って失敗し、その教訓も生かせず、同じ轍を踏む。全く学習能力がないのではないのだろうか?ここに来て、内閣支持率が不支持率を下回った。当然という気がするどの内閣もそうだが、出だし良い良い、中途でがくりというパターンである。前々首相は「やぁーめた」、前首相は「不作為」、今回は「思い上がり?」か3年後に消費税を上げるのは、一人頭1万6千円でお茶を濁すことと等価ではない。官僚の天下り、渡り鳥で生涯何億円もの退職金を取るような制度を改革してからにして欲しい。毛並みはこれ以上望めない位に良いが、やることはあまりにも小さい。当然自分は給付金を辞退するのでしょうが、そんなことは何の役にも立ちません。日に数台しか通らない道路建設、緊急病院に指定されていながら救急患者を受け付けない病院、年金の不明瞭さ、まだまだ沢山やることはある。そのために景気浮揚をというにしてはあまりに小手先のごまかしに過ぎない。書いていくうちにだんだん腹立たしくなった。アメリカの大統領選挙の、あのばかばかしさはどうかと思うが、一国の宰相を国民が直接選べないものかと考えてしまう。議院内閣制だからといって、有名タレントや、政治の素人を数に抱き込んでの多数党から選ばれた宰相は根がふらふらしているとしか言いようがない。
2008.11.10
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原油の値段ほど分かりにくいものはない。・WTI(ニューヨークマーカンタイル取引所で取引)・DD原油(産油国または国営石油会社と消費国石油会社との原油取引)・原油バスケット価格(石油輸出国機構(OPEC)が原油の需給バランスをみるための指標として公表する価格)・ドバイ原油(中東のアラブ首長国連邦(UAE)を構成する7首長国の1つであるドバイで産出される原油)・北海プレント(欧州ではロンドンで取引される)・GG原油(政府間取引原油」で産油国と消費国の政府間協定によって取引される原油)等々いろいろな指標・値段がある。ドバイ原油は1バレル140ドルを超えたときもあったが、今は60ドルそこそこだという。WTIはドバイ原油に比べ1バレル当たり約5ドル程度高めであるが、そのWTIも1997年頃まではたったの20ドルであったのだから、このところの値上がりと値下がりは、我々一般人にとってはとても想像が付かない。これらオイルの元締めがOPECであるが、中でもドバイはそのオイルマネーを元に、巨大なプロジェクトを組んできた。ここに来て、原油の値下がりと2030年には当初予想より1割方低くなるという長期需要との見方もあり、ドバイの大型プロジェクトに曇りが出てくることが予想される。アメリカのサブプライムローンに端を発した世界金融危機が新聞紙上で取りざたされているが、どうなるかと言うことについては、百人百様で、結局はどうなるか分からない。今世界の3割のクレーンがドバイに集まっているとの新聞記事であるが、少し前のドバイは、どれもこれも建設中の建物ばかりだったし、これから作ろうとするプロジェクト(たとえばジュベール・アリ空港)の整地のためか、戦争に出くわしたようにブルドーザーが砂塵をあげていた。海上には、海上都市建設のためにドレッジャーが土を海中に投じているのが見て取れた。今はそれも止まっているという情報もあるとのこと。ドバイ自身にはあまり石油は出て無く、アブダビなどの方が産出量は多い。ドバイは、箱物を作り、巨大開発事業を行うことによって世界の金を集めて世界の金融の中心地になろうとしている。ついこの間も、まだ出来上がっていない(出来上がれば世界一高いビルになる)ビルを越える高さ1000mのビル建造の話もあるいったいこの先ドバイはどうなっていくのだろうか?人ごとながら気になるところである。
2008.11.08
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昨日、アメリカ合衆国の第44代大統領として初めて黒人の血が混じった新大統領が勝利宣言した。アメリカと言うところは不可解であり、また開放的なものを持っていると改めて感じた。第16代大統領のリンカーンが奴隷を解放すると南北戦争を起こしてやっと奴隷の身から解放した黒人をあまたの犠牲を経て今、アメリカの頂点に立てたわけである。この間、1世紀半の大事業達成である。マケイン氏は、古き時代の日本の自民党を思い出す。オバマ氏との一騎打ちになる以前は、大統領選はあたかもヒラリー・クリントン氏との一騎打ちで、勝てばそのまま大統領かと思わせていたが、ヒラリー氏が負けを認めてから、やっとアメリカには二大政党があるのだと言うことが分かるほどに共和党マケイン氏の影は薄かった。もしヒラリー氏が勝っていても、アメリカ史上初の女性大統領であったわけで、いずれにしてもアメリカは新しい時代に踏み込んだといえよう。しかし、アメリカが一極支配の覇権国家である時代は終わろうとしている。アメリカの威信が大きく揺らぐ事項が次々に出てきている。オバマ新大統領が、これらの事柄をいかに処理していくかにかかっているだろうが世界の趨勢を正しく見て判断を願いたい。だが、失政のひとつでもあったら、それ見たことかと叩きつぶされるような気がしてならない。昔、本の題名は忘れたが、黒人大統領が誕生する小説を読んだことがある。その本では、大統領と副大統領が乗る飛行機が墜落し、継承権第3位の下院議長だったディルマンが大統領を継ぐことになったというものだった。その黒人大統領は、幾多の苦難を負うのだが、何とか職責を全うし、良き大統領の世評を勝ち得たと記憶には残っている。今度は、請われてなった大統領である、純粋な黒人ではなく、正確には「クレオール」と呼ぶべきなのだろうか?白人青年たちの多くが投票しているところを見ると、混血に対する偏見は徐々に無くなっているのだろうか。おそらくは、150年前の南北戦争時代の精神構造を引きずっている人たちもいるであろう。「白も黒もない、我々は合衆国だ」というオバマ氏のかけ声がどのようにアメリカを導くのか期待したい。「CHANGE」「WE CAN」とのキャッチフレーズを聞くと、昔会社で、「変わる!」と唱えながら、自らは変わりたくなかった上司のことを思い出す。そんなかけ声倒れにならないように望みたい。ただ、イラクの戦場を単にアフガンに移すだけのことにならないように、また拉致被害者を悼むと口では唱えながら意に介さぬブッシュのように、何事につけても日本を軽視する大統領になって欲しくはない。ケニアの血はすなわち人類発祥の血、やがてモンゴリアンの血にもつながっているというから、白人至上主義には向かわないであろうことが、グローバルな時代にふさわしい気がする。
2008.11.07
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今日は姫が大きめの車がいるというので、連れあいの車を貸すことになり、姫の車が大学に置いてあるのでその入れ替えのためもあって、朝連れ合いと一緒に姫の大学まで同行した。姫が飲み会などで車を置いて帰らなければならないような時にはこういったことは何回かある。姫の車は小型のBMWであり、ハンドルこそ右だが、何かとパーツの配置が違う。一番困るのは、ワイパーのレバーが左側だと言うことだ。連れあいの車とは逆なので、左右に曲がるときにはとっさにワイパーが作動すると言うことになる。往きは高速道路を使うが、帰りは一般道路を帰るのがいつもの要領だ。姫を送ってから、静かなところでモーニングをしようといろいろ考えているうち洛西に入った。レトロな1960年代の曲を流す「メロディー」というレストランに入り、11時からというのを無理にモーニングセットを作ってもらった。壁中にナンバープレートや、「風と共に去りぬ」「プレスリー」「コニー・フランシス」と我が青春時代に血道を上げた思い出の品が飾ってあった。途中花屋に立ち寄りプランター用にと幾鉢かかかわいい鉢植えを買い、その時点でスーパー銭湯に行かないかと言うことになって、近くの「やまとの湯」に向かった。まさに自由気ままである。町中の温泉ではあるが、日の高いうちに温泉にはいることはあまり経験が無く、小原庄助さんを地でいく感じになった。まあ、朝寝でもなく朝酒をするわけではないから、全くの庄助さんではないわけだが、そんな庄助さんは結構いるものである。勿論私のように停年を過ぎた連中がいるのは当たり前のことだが、日がな一日温泉を楽しむ人たちも多いらしい。中には、結構若い人もいるのに驚いたが、彼らは木曜日が定休日のどこかに勤めているのであろうと考えることにした。1時間余の入浴時間中に、露天風呂で燦々と照りつける太陽の下寝湯に浸かっている気分はまさにこれぞ極楽かという気分であった。また、サウナと水風呂を3回通り交代交代に入り、汗を一杯かいた。気持ちよくあがると、そこには、本日のみ無料というマッサージ器のセールスマン君がその器具の宣伝をかねて使うように勧めてくれた。寝転がって、背中、首と足のふくらはぎなどをほぐす、結構優れものであった。セールスマン君は、太郎の中学時代の同級生のようであった。とても高そうなその器具だったが、購入する人も案外いるらしく、あれ程の大きな器具を・・・、さぞかし大きな部屋に済んでいるのだろうな、と思ってしまった。其の後、時間が順遅れの昼食を食べ、買い物などをして帰ると、結構な時間になっていた。ほんわかした体のぬくもりと、マッサージ器のほぐしが、体に残る心地よいけだるさだった。夜遅く姫が車を交換に来たときは私は寝込んでしまっていたが、気がついて起きてみると、写真がスライドショーをする電動写真立てを誕生日プレゼントとして持ってきてセットしてくれていた。すっきりしたデザインの贈り物で詳細な使い方はマニュアルを読めば出来るようだが、どんな写真をどういう順番で流すのか、来客に応じた組み合わせなど考えることが楽しそうなものだった。
2008.11.06
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ゴルフのラウンドに出かけた。メンバーは74、73歳と連れ合いと私の63歳の4人組である。私以外は皆女性で、お世辞にもうまいとはいえないカルテットである。しかし、このカルテットでは少し前に伊勢志摩カントリーでラウンドをしたことがあるので、今回も楽しみにしていた。ところが、今回のときわ台カントリーは、まさしくカントリーであり、さらに急峻な山岳コースであった。最近カートを導入したそうで、その前はリフトやベルトコンベアで上る完全歩きのコースだったということだ。1年位前に訪れたという、74,73の二人は、様変わりしている感じを受けたという。アウトスタートはいきなり大きな谷越えである。勿論女性のティーは池越えにしつらえてあった。出足はよかったものの、だんだんと調子がおかしくなっていった、3ホール目からは、池に入ったりOBしたりで、得点を勘定する気にならなくなってすでにテンションは切れてしまった。そんなホールは、連れ合いの実戦コーチを主に、年寄り型のボールのゆくえを追いかけることに終始した。何しろ距離は飛ばないので、着地点は当然わかると思われるボールでも、一々ここですよと言わなければ見えないほど視力も弱っているということのようだ。私は目は悪くはないけれど、何しろ勘が悪いので、ティーグラウンドで見ていた様子と、コースを迂回して遠く山間を抜けるカートで落下地点と覚しきところに着いた感じとでは違うので苦労した。極端な打ち下ろしのミドルホールでは、アイアン禁止と書いてあった。何故か分からないままアイアンで打った。しかし、夕日の逆光で、行く先は見えず、暫定球の行く先を見ていて貰い、地上についてやっと、第一球がセーフと分かる場面もあった。 何しろお姉様方はいつも「私のボールはどこ?」と聞かれる。9番ホールでは、打ち先がわからず、隣のグリーンが見える18番ホールに打ち下ろしてしまい、カートで移動して初めて林に挟まれた狭い空間の先にフェアウェーがあることを知り、これまた戻るに戻れず、困ってしまった。よくトリッキーなコースといわれるコースはあるが、ここはトリッキーではなくまさにトリックコースだった。アウトを終わってクラブハウスにカートで運ばれていくと、「時間がかかりすぎているので後半はがんばってください」と言われる始末だった。昼ご飯もそこそこに、インのスタートホールに向かったが、これが何と、山岳の頂点に向かうほど、カートがぐんぐん上に向かって延々何分か登っていった。後半は何とかスコアをつける余裕が出てきたが、狭いフェアウェーに手こずり、右手はバンクで受けていても、狭いフェアウェーの左手はすぐ崖でOBとまさに1ホールとしてまともなホールはなかった。打ち下ろしのショートホールでは、グリーンを外すと右は崖で、かろうじて打てるところからグリーンにオンして少しこぼれて、やれやれパーは無理かと思って向こう側に行くとそこはすでにコンクリートのカート道へ続くコンクリートがあってどうやらそこを転々と、どこまでか転がっていったのであろうどこを探してもボールは見つからなかった。アウトは後続(3人組)に追いかけられるようで嫌な感じだったが、インはどうやら最終であったようで、ゆっくりは打てたが、帰ってみると時間的にはアウトのそれに変わらない位の時間がかかってしまった。コースもいろいろであるが、やはり安いコースはダメだなぁと思いながら消化不良の気持ちで家路についた。
2008.11.05
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今日は何やかやと一日中外に出ていた。月に一度通っている診療所で、いつもの薬を貰いに朝一番に出かけた。明日は年寄りばかりでのゴルフのラウンドが待っているので、少し練習するつもりで、その診療所の近くのゴルフ練習場に出かけたが、駐車場には車が一台も止まっていない。なんだか定休日のようであった。いったんやる気になっている練習だから、どこでも良いからやろうと言うことになったが、その前に、定休日のゴルフ練習場の近くの百貨店で用事を済ませようと言うことになり立ち寄った。そこで連れ合いが会員としてためていた得点を換金したついでに、そのお金で、前から欲しかった本を買ってもらった。それから踵を返すように弱った愛犬をケアするためにいったん帰って、今度は百貨店とは反対方向のゴルフ練習場に出かけた。しばらくクラブを握っていなかったので、私も連れ合いもうまく飛ばすことが出来ない。120球ずつ打って、なんだかフラストレーションをためたまま終わることになった。隣ではベテランそうな男性が知人をコーチしている。そのベテランはというと、手本に飛ばすドライバーは、遙かに遠く飛び、いったいどこが違うのだろうかと、その一瞬のスウィングにしばし見とれてしまった。元々私のゴルフは我流であり、人のふりを見て何とかやってきたけれど、自分が頭に描いているスウィングが出来ているかどうかは自分自身ではわからないままである。その私がコーチしてるのだから連れ合いのスウィングをどう直すかと言うことはこれまた至難の業である。連れ合いは案外と楽観主義で、「明日のラウンドで悪いよりも今日悪い方が良いわね」と気楽なものだった。練習の後、せっかくここまで来ているのだから、毎年のように乳ガンの検診を受けている病院に行こうと言うことになり、病院は夕方5時半からしか開かないので、それまではその病院に向かう途上のスーパー銭湯(温泉)で汗を流すことになった。そのスーパー銭湯に併設された店で安い下着とタオルを入手し、遅い昼食をそこでとって、時間調整をすることになった。一時間余の温泉で、ゆったりと昼風呂を楽しんだ後、くだんのマンモグラフィーを受けるための病院に行った。近くに駐車場がないので、車の中で待ったいたが、何か変なことを言われないか、悪いものが見つからないかと、待つ身はいろいろ考えてしまった。一時間も経ったろうか?連れ合いが出てきて、特に悪性のものは見られないという言葉を聞いたときは、やはりほっとした。今日一日は、3,4日分をいっぺんにこなすほどの多忙な一日だったが、可もなく不可もなくというところで、これからの日々はこのように過ぎていくのかと、なんだか凝縮した一日を振り返りながら車で帰途についた。
2008.11.04
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友人が停年を期してやり始めた、謡と仕舞の発表会があるというので、大阪能楽会館に出かけた。最初は、仕舞が何で、謡が何なのかは全くわからなかったので、行ってみようとは思わなかったが、夏に暑気払いで集まった同窓生の集まりで見せてもらった友人の羽織袴の装束で舞う写真に興味がわき、「無料なら行ってみたいな」と冗談ぽく言って頼んでいた所、今日がその発表会であることを忘れず案内をくれたものだ。友人は案内状の同封とともに、添え書きで(無料です!)と書いてあったのには笑ってしまった。友人とは中学、高校が同じ同窓生で、氏の病気休学以来疎遠になっていたところ、最近連れ合いを紹介するということで、旧交を温める機会があり、それ以来時折顔を合わしている。仕舞が、「能の一部を素で舞うこと。能における略式上演形態の一種」であることを知り、そう言えば、狂言もそれに似ていて、私が中学の学芸会で友人ら三人と演じた「ぶす」を思い出した。そのときは確か紙で作った羽織であったかと記憶するが、今回は当然のことながら立派な羽織袴装束で現れた友人を観て、なにやら凛々しいものを感じた。残念ながら下調べを怠ったがために、彼の素謡である「巻絹」と仕舞である「敦盛」の詳細を知らなかった故に、独特の節回しの素謡などは全く意味をつかむことは出来なかった。かろうじて「敦盛」は、かの一ノ谷の合戦にて、親ほども年齢の離れた熊谷次郎直実に討ち取られ、その平家一門が衰退した其の後を舞っているのであろうことは、雰囲気で伝わってきた。それにしても、能舞台の詳細や名称を帰ってから調べるといった有様で、正面の座席で、白州の階(きざはし)近くの相撲で言うかぶりつきで舞台を見せてもらいながら、他の人の謡の間は居眠りが付くほどに退屈であった。出演する人の所作を観察していろいろなことを学んだけれど、「何事にも先達はあらま欲しきこと」と吉田兼好が言ったことをなるほどと思いだした。それにしても、膝付近で叩く横鼓の甲高い音、肩で叩く鼓の何ともいえぬ音色、唯一の管楽器である横笛、時折ならすばちの太鼓、奏者の放つ掛け合いの声、これらにあわせて男どもが歌う地唄?の絶妙の掛け合いは素晴らしかった。そして腹の底から絞り出した声を朗々と音曲にする様など、日頃全く日本の文化芸術に触れることのない身にとっては、有意義な一日であった。
2008.11.03
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航空幕僚長であった田母神氏の論文を読んでみた。関西で人気の「たかじん・・」で招請していたが、国会招致を受けたとのことで、出演は延期されることになったという。さすがにコメンテーターの三宅氏は、早速コピーを手に読んでおおむね理解できるといっている。勿論部分的に疑問の点があるといい、田母神氏が番組出演したときに議論されるだろう。一方の田島女史は読んだとは言いながら、全く箸にも棒にもかからない言い方で、全面否定している。誰かがしゃべろうとすると、すぐ横やりを入れてしゃべらなくさせようとの意図がある感じだ。この人の話はいつも不快だ。男はいつも女を虐げ、それも集団がよってたかって女性を虐げてているのだという。今の世の中、全体的には女性の進出が妨げられている部分があると言うことは認識している。しかし、個人ベースではむしろ逆転していることがあることを全く知らないのである。現に、人の話に品もなく横やりを入れることを容認するのはその故である。話はそれたが、田母神氏の意図は、自衛隊員を鼓舞する意味があったのはもちろんであるが、意図的に国民の前に問題を提示したことになる。防衛大臣は論文を見てか見ていないのかはっきりしないが、即座に空幕長を更迭し、穏便に辞めさせようとしている。核の脅威もあるだろうが、大きな市場である中国と仲良くするために、再三の謝罪要求をされ、過分なまでのODAをしながら、正しくものをいえず、ついに村山氏首相の時に全面的にごめんなさいといってしまった。時の首相が包括的に謝ったのだから、これは日本国民全体の総意になる。この総意に反するから田母神氏の言い分はおかしく更迭に値するというのである。私は、歴史の当事者でもなく、教科書以外それほど近代歴史を学んだわけではないけれど、太平洋戦争はアメリカの策略で開戦させられたということは以前から感じていた。さらに、欧米人(白人)の黒人は言うに及ばず、黄色人種蔑視の気持ちがそう簡単に変わるとは思えない。サウジアラビアにいたとき、日露戦争に勝ったと言うことだけで、日本人がどれほどすごく、尊敬できる人種であるかというのを身をもって聞いたことがある。いつも侵略と、やりたい放題のロシアに勝ったという点が信じられないというのだ。今でも、ブッシュ大統領は、拉致問題に理解を示すポーズをとりながら結局は、「核」大事の一点で与しやすい日本人の最大関心事である拉致は捨て置かれてしまっている。かの田島女史にして「何で日本独自で解決しないのか??」という言を聞くとまさに噴飯ものである。今でもだめなものをどうやって解決すると言うつもりなのか。私は軍隊を増強して、戦争をしろというのでは決してない。戦争は益無く、悲惨な結果を招くだけだ。ただ、弱小であれば食い物にされこけにされることだけは歴史が物語っている。日本が満州国を繁栄させたとする田母神氏の言い分はもう少し詳細を知りたいと思った。軍部の一部が、許せない横暴をしていたことは教えられて知っている。だが、残念ながらおそらくどの国の軍隊も有事の場合は同じであろう。負けた国が悪いとされるのは世の常識である。第二次世界大戦の終了間際、日本が負けると分かって大挙日本の北方領土を何の歴史的根拠もなくかすめ取ったソ連はいったいどうなるのか。田島女史は、軽々に自衛隊を解体すべきだというが、その後はどうするつもりなのだろうか?丸腰で、安全を請いまくるのか、それとも日本国民全員が「ガンジー主義」で叩かれても殺されても「平和が好き!」と言い続けよというのだろうか?私は、俗に「人になめられる」すなわち「軽く見られる」のは嫌いである。そうなる位なら、孤高を保つ何かの手段を執りたいと思う。誰かを当てにしても、最後まで親身になってくれる国はどこにもないということだと思う。
2008.11.02
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今日は特別な予定もなく、一日中家で過ごした。読書で手に取った本は、やたらと難しく、全く頭に入らぬ代物だが、買った以上は、字数を拾うぐらいでも読み終えないとと、数ページを読んだ。今月は3回ゴルフをする機会がある。連れ合いも一緒にプレイする伊勢志摩で回った同じメンバーとのラウンドもある。よみうりテレビに「たかじん・・・・」を観ているうちテレビでゴルフの日本ツアー「マイナビABCツアー」戦が始まった。すでにベテランの域に入った、深掘が首位でスタートをし、これをあの「はにかみ王子」こと石川遼選手と広田選手が追う形で始まった。人気という物はすごいものである、景気も然りだが、全て「気」という物は恐ろしい力を持っている。集まった1万人を超える人間が全て石川選手のファンばかりではないだろうが、それら多くの人の「気」を自分自身に取り入れて、17歳の彼は見事プロ初めての優勝をさらってしまった。英雄という言葉があるが、まさにその名にふさわしい内容であり、その内に込めたパワーを感じた。相手の深堀はプロの選手会長をしたベテランである。それを物ともせずというか、淡々と優勝に向け我慢のゴルフをしながら、優勝までこぎ着け、感極まって涙を流すシーンはとても感動的だった。これが、制服をだらしなく着、何を考えているかわからない高校生(勿論全てではないが)と同じ年だとはとても思われない何か神秘的な「気」が宿っていると感じた。優勝後のインタビューを受ける態度も言葉も堂に入ったもので、万を超す観衆の前で堂々と答える様は、風格さえも感じた。先を行く深掘りを捕らえてから、16番では8mを越えるパットをあれよあれよというまにカップに沈めてからは、18番ホールで、2位の深堀と2打差あり、その深掘りがトラブルショットをしたにもかかわらず、手堅く勝つという安易な方法に頼らず、池越えを果敢にねらい、池に転がり込んだ球をウォーターショットで見事にリカバリーをするなど彼のとにかく若さを感じる前へ前への気迫はたいしたものだった。さらに18番グリーン上では、さすが深堀、見事なバーディーを決めた。ここで、石川は、これも手堅く勝つつもりなら、自分のバーディーパットをとにかくカップに寄せることを考える(自分ならそうするだろうなぁと言うこと)をせず、果敢にカップインを狙って少しオーバーさせてしまった。プロなら入って当然の返しのパットであろうが、彼自身も自分のゴルフで一番しびれたというパットを、見た感じ難なく沈め、優勝をさらってしまった。彼は300ヤードを超えるドライーバー力に加え、小技でも随所にすばらしいものを見せるまさに天才プレーヤーである。現在は獲得賞金こそ深堀の1/10にしかならないが、我々サラリーマンだった者から比べれば、想像を絶するものであり、それが、試合が終わると単なる?高校生に戻るのかと考えると、なにやら、異次元の世界から来て、やることをやって帰って行くシンデレラボーイのような気がしながらテレビ画面を観ていた。
2008.11.02
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久しぶりに映画を見に行った。前評判の高かった?中国映画に日本2人名?が参加出演している「赤壁の戦い」(レッドクリフ)だ。最近の映画館は、平日しか行かなかったこともあってか、閑散としていてこれでやっていけるのかと心配するほどであったが、今日の映画は封切り初日で、しかも三連休初日の土曜日で、また映画の日だとかで、老人?に限らず誰でも1000円で観られるとあってか、比較的広い場内は満席であった。赤壁の戦いは、中国の後漢時代(三国時代前)の揚子江岸、赤壁(現在の湖北省)において曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いを描いたものである。例の魏・呉・蜀の「三国志」の劉備玄徳が関係しているというので個人的にも興味があった。もっとも私が読み始めて中途で頓挫している吉川英治の「三国志」は、まだ読み上げていないがこれを機に読み終えてしまう動機付けになることを期待した。中国の歴史は非常に難しい。日本人が日本史を語るよりはおそらく人口分だけ10倍は難しいのではないか。「赤壁の戦い」は後漢朝が衰退し、世が乱れ、反政府の農民連合による「黄巾の乱」が鎮圧される中、地方豪族の反農民対策で自衛力を高めた一人で、「治世の能臣、乱世の姦雄」と呼ばれた曹操が孫権と後漢の皇帝を傀儡とする中で戦った、歴史的事実をクローズアップした歴史映画であるが、Part 1はその前哨戦までを描いており、実際の「赤壁の戦い」はPart2でどうぞというあたりは、何とも憎らしい限りである。このとき、孫権が同盟していた劉備の軍師である諸葛孔明と赤壁に群がる曹操の軍船団を観ながら、「もし我々(孫権と劉備)が袂を分かつようなことがあれば・・・。」という下りは、後の三国時代の到来を連想させるに十分なものであった。かくして、曹操の「魏」、孫権の「呉」、劉備の「蜀」と三国が分立して立ち三国時代となって、私が読んでいる三国志につながることになる。いずれにしても、正統は「漢」であり、日本でも実権を握って「将軍=征夷大将軍」の位の授与を形式的に宮中に求めたと同じ事が中国でも行われていた。これらのことは、中東におけるウマイヤ朝や、アッバース朝にその正統性を求めたアラブ諸国の形態にも似たところがあるのは実に興味深い。勿論日本では、天皇家が、その正統性の証になっているが、その昔は、天から降臨したとあやふやであり、(人間になったのはつい最近である)功成り、名を遂げ、たとえ大金持ちになっても、人間最後は適当に系図を作って自らの出生を正当化することを求めるのは、世界中共通の認識であるということなのだろう。
2008.11.01
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