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あの3.11から8か月が過ぎました。 あの日から次々と届き始めた被害情報は、まるでひとつの時代の終わりを告げているかのようでした。 東京電力の福島第一原子力発電所が制御不能に陥っていると知ったとき、それは後戻りできない現実になりました。 ”3・11後 ニッポンの論点 ”(2011年9月 朝日新聞社刊 オピニオン編集部編)を読みました。 朝日新聞オピニオン面に掲載された識者80人が示す復興についての論考です。 途方もない天災と人災は、おびただしい犠牲者や避難民を出し、町々を破壊しただけではありません。 社会の仕組みや価値観も根底から揺さぶりました。 その揺れは今も収まってはいません。 政治は迷走を続けるばかりでした。 立ちすくんでいるわけにはいきません。 いったい何か起きたのかを理解し、これまでとは違う明日をどうやって築いていくか考えなければなりません。 新聞記者による識者80人からの聞き取りが行われました。 被災した町の首長、政治家や経済人、専門家、知識人、市民運動家など、記者たちは、現場、永田町、研究室、外国へとさまざまな場所に赴き、多くの人たちから多様な意見を集めました。 さまざまなテーマは、ほとんどが2、3人による対論の形式になっています。 それぞれの問題についての賛成、反対など、幅広い考え方を理解できます。 著者は次の通り。 青木正男、赤坂憲雄、浅野史郎、安住宣孝、アドナン・アミン、安斎育郎、飯尾 潤、五十嵐太郎、石原茂雄、井戸謙一、今井 一、岩崎夏海、梅澤高明、ウルリッヒ・ベック、江上 剛、大崎 洋、大野更紗、大野順二、岡 素之、荻原博子、加納時男、川北 稔、河田恵昭、岸良裕司、熊谷 賢、郷原信郎、古賀茂明、小松正之、近藤誠一、指田朝久、佐藤 仁、ジム・ロジャーズ、ジョン・ダワー、城山英明、新村卓実、関 満博、竹田恒泰、武田 徹、多田欣一、田中俊一、田中伸男、田中康雄、辻野晃一郎、寺島実郎、十市 勉、冨山和彦、中空麻奈、中谷 元、中村敦夫、中村信悟、中村時広、長屋信博、西村賢太、橋爪大三郎、八田達夫、馬場 有、林 直樹、林 泰弘、林 芳正、原田正純、ピエール・ガーソン、平尾誠二、平野光将、藤垣裕子、藤沢久美、藤本 孝、古田敦也、何 祚麻、細川護煕、前原誠司、松浦正敬、松尾葉子、松本 哉、麿 赤児、水島朝穂、武藤敏郎、村井嘉浩、山路 徹、除本理史、吉原 毅。第1章 震災と「社会」(再起、復興考、ほか)第2章 震災と「政治」(原発のある町から、原子力と民主主義、ほか)第3章 震災と「経済」(東電賠償、復興財源は、7ほか)第4章 震災と「科学」(脱原発、津波はまた来る、ほか)第5章 震災と「文化」(文化被災、原発とイデオロギー、ほか)
2011.11.29
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大震災で福島は大きな被害を受けました。 ”福島で生きる! ”(2011年8月 洋泉社刊 山本 一典著)を読みました。 福島原発から31キロの避難区域の震災から100日の記録です。 福島と出会って25年、定住して10年、第二の故郷を離れないそうです。 山本一典さんは、1959年北海道北見市生まれの田舎暮らしライターです。 1985年から田舎暮らしの取材を始め、1986年に福島県都路村、現在の田村市都路町と出会い、15年に及ぶ交流を経て2001年に一家で都路に移住しました。 耕作放棄地面積日本一という不名誉な記録も持つこの県で、少なくとも1000人単位の都会人が移住または一地域居住を始めているそうです。 中でも移住者が多いのは、阿武隈山系の国道399号線沿いで、この事故で名が広まった飯舘村、浪江町の津島と赤宇木地区、川俣町山本屋、田村市都路町、川内村などは、隠れた田舎暮らしの先進地でした。 著者はこの地で出舎暮らしの可能性を模索し、その楽しみ方を発信するだけでなく、ときには自らの体験から、田舎暮らしに甘い幻想を抱く都会人に警鐘を鳴らしたりしてきました。 この地は生活の場であると同時に、ライフワークを追求する場でもありました。 そこに起こった3.11の東日本大震災で、日本の福島は世界のフクシマになりました。 その代償として地震津波、原発事故、風評被害という4重苦を背負って、100日を過ぎました。 しかしまだ、どれ一つとして問題は解決していません。 むしろ事態は深刻さを増しています。 そして、近い将来にやってくるであろうもう一つの敵、無関心とも戦わねばなりません。 どうして福島が、4重苦、5重苦の責めを負わなければならないのでしょうか。 私たちこれまでは、東京の企業や住民が電気を使うために場所を提供してきただけです。 自分たちが使う電気を、ここで発電してきたわけではありません。 国策という名のもとに、送電の権利すら東京に握られてきました。 浪江町の赤宇木地区はいまでも毎時20マイクロシーベルト前後なのに対し、避難した常葉町は毎時0.2マイクロシーベルト前後です。 単純に比較して100倍もの差があります。 そんな危険なところにどうして留まっているのか、いますぐ他県へ逃げろと考える都会人も多いでしょう。 しかし、現実は異なります。 現在、原発から21km地点と31km地点に住まいを持ち、市内二地域居住を実践中とのことです。 21km地点はさすがに人影が少ないものの、31km地点では空き家はほとんどありません。 阿武隈山系は地盤が強いため地震による被害はきわめて少なく、田んぼに水が張っていないことを除けば、昨年と同じ風景がここにあります。 移住者同士の交流やネットワークは、震災前よりも強固なものになっています。 本書は、震災から100日間にわたる原発周辺地域の様子と田舎暮らしを継続する仲間たちの動きを記録したものです。第1章 第二の故郷・都路との25年間(1986年~2011年3月10日)第2章 まさかの避難指示(3月11日~3月20日)第3章 「同心円」はおかしい!(3月21日~4月10日)第4章 二地域居住で長期戦へ(4月11日~5月1日)第5章 非日常が日常になる(5月2日~5月23日)第6章 それでも福島で生きる(5月24日~6月18日)
2011.11.22
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ギリシャ共和国は地中海文明のルーツの一つで、半島に加えエーゲ海を中心に存在するおよそ3,000もの島によって構成され、複数の文明の接点に位置しています。 面積は131,940km2(94位)、人口は2008年で11,161,000人(74位)、GDPは3,575億ドル(26位)、1人あたり30,534ドルとなっています。 ギリシャでは2009年10月に政権交代が行われましたが、パパンドレウ新政権下で、旧政権が行ってきた財政赤字の隠蔽が明らかになりました。 従来、ギリシャの財政赤字はGDPの4%程度と発表していましたが、実際は13%近くに膨らみ債務残高も国内総生産の113%にのぼっていました。 2010年1月に欧州委員会がギリシャの統計上の不備を指摘したことが報道され、ギリシャの財政状況の悪化が表面化しました。 政府は財政赤字を対GDP比2.8%以下にするなどとした3カ年財政健全化計画を閣議で発表しましたが、格付け会社はギリシャ国債の格付けを引き下げ、債務不履行の不安からギリシャ国債が暴落しました。 株価もその影響を受け、世界各国の平均株価が下落し、ユーロも多くの通貨との間で下落しました。 国内では、2月から断続的にストライキ、デモが行われました。 4月に欧州連合統計局が発表した財政赤字は、13%近くではなく13.6%であることが発表されました。 2011年7月に格付会社ムーディーズは、既に投機的等級にあるギリシャの格付けをさらに3段階引き下げて従来のCaa1をCaとしました。 9月に欧州委員会・IMF・ECBの3機関で構成される合同調査団が、デフォルト回避に必要な次回融資を受けるにふさわしいかを判断するため調査する見通しとなりました。 10月にギリシャ政府が財政赤字削減目標未達となる見通しを発表したため欧州金融市場は再び悪化し、ギリシャがデフォルトとなる可能性が高まりました。 欧州諸国は債務危機に対応するために、ギリシャ債務の民間投資家の損失負担を50%とし欧州金融安定ファシリティの融資能力を拡充するほか、2012年6月まで銀行の資本増強を決めました。 しかし、パパンドレウ首相が第2次支援策の受け入れについて国民投票を実施すると発言したため、金融市場は再び不安定化し内外での反発が強まりました。 そこで、メルケル、サルコジの独仏首脳がパパンドレウ首相に対し圧力をかけて事態収拾に動き、国民投票は撤回されました。 パパンドレウ内閣の信任投票で僅差ながらも信任されましたが、最大野党・新民主主義党のサマラス党首の会談がアテネの大統領府で行われ、両党による新政権を発足させることで合意しました。 そして、先日、ギリシャの新連立暫定政権の首相に、パパデモス前欧州中央銀行副総裁が就任することが決まりました。 ギリシャのほかスペインやポルトガルなどへ飛び火することも懸念されており、最近はイタリアやフランスも影響及ぶ恐れがありそうです。 これから、しばらく、ヨーロッパから目が話せません。
2011.11.15
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作家になるための条件とは何でしょうか。 ”作家の条件 ”(2004年4月 講談社刊 森村 誠一著)を読みました。 小説界のトップランナーが明かす作家になるための条件を中心に、多岐のテーマにわたって、新聞、雑誌等に発表した文章を集めたエッセイ集です。 中心は、最初の作家になるための条件のエッセイです。 作家になる3つの方法、短編と長編の組み立て方の違い、トリックを思いつく訓練、ベストセラーは結果にすぎないなどについて語られた小説家を目指す人へのメッセージとなっています。 森村誠一さんは、1933年埼玉県熊谷市生まれ、青山学院大学卒業、9年余のホテルマン生活を経て、1969年に江戸川乱歩賞、1973年に日本推理作家協会賞、2011年に吉川英治文学賞、2004年に日本ミステリー文学大賞を受賞し、精力的な執筆活動を行なっています。 大学卒業時点は、就職不況時代であったため、本人の希望しなかった大阪のホテルに就職し重役の娘と結婚しましたが、後にホテルニューオータニに転職しました。 ホテルマン時代の自分の個性を徹底的に消す職場環境を、鉄筋の畜舎と感じたといいます。 内容は、文芸論、交友録、美術論、政治論、人生論、趣味等、多岐のテーマにわたっています。 数年前、作家志望の人口は500万人と推定されましたが、かなりいいかげんな数のようです。 ですが作家予備軍が多いことは確かです。 日本の場合、日本語が読み書きできれば、だれでも自分の人生という小説は書けます。 ですが、小説が日記と異なるところは、読者の存在です。 読者なき 小説は、小説とは言えません。 小説に限らず、すべての創作物は受取り手がいて、初めて成立します。 それも少数ではなく、ある程度ませんとまった 受取り手に支持されて成立する分野です。 生存のための条件が満たされると、人間は自分が社会において認められていることの証明を求めるようになります。 社会における存在の証明ですから、社会、すなわち受取り手が認めてくれなければ意味がありません。 創作物は作品の共有者が多ければ多いほど価値を増すという性質を持っています。 これを書かなければ生まれてきた意味がないというほどおもいつめて書いたものが作品として結晶し読者に支持され、その副産物として名声や収入が得られれば、作家冥利、これに尽きると言えるでしょう。 利益を目的とするビジネスと異なり、まず表現欲ありきが作家志望の主流と言えましょう。 小説を書くための鉄則はありません。 だれがなにをどのように書こうと自由です。 一方で、作品本位から新刊中心主義、売上げ至上主義に移行した今日では、書店に置かれる書物のライフサイクルが速くなっています。 どんなに内容のよい本で も、売れる見込みのない本は書店の店頭に置かれることもなく、開梱されないまま、出版元に返送されることもあるといいます。 書店と出版社に求められるものは作品の質ではなく、読者の数です。 読者は、人生いかに生くべきかという重い命題から、娯楽、時間潰しまで、読者の好みや、生活環境、精神の状態などによってさまざまです。 ですが、一貫して求められるものは、面白さです。 一口に面白さと言っても種類があります。 一般から遊離せず、また文芸と通俗の間に一線を画すものは、作者の志であるとおもわれます。 読者に迎合した、読者の背丈以下の作品は、通俗に堕します。 読者の背丈以上、あるいは読者に対抗する作品は、読者との間に知的葛藤を生じて、読者の背丈や、知的面積を引き延ばします。 作者の志と独りよがりを混同すると、読者から遊離してしまいます。 志は作者それぞれによって異なりますが、志のある作品は風格があり、香りが高いです。 志なき作品は下品であり、臭気を放ちます。 ですが、志が重すぎるとエンターテインメント性を圧迫します。 現役の作家であるためには、常に作品を生みつづけなければなりません。 膨大な作品を積み重ねようと、またどんな名作、傑作を発表しても、書くことをやめた瞬間から、本質的に作家ではなくなります。 作品が残っていても、それは作家が残っていることではありません。 年間500人近く誕生する作家の中で、生き残っていくのは3人ないし5人と言われていますが、一時、洛陽の紙価を高めた 作家が、突然消えてしまうことも珍しくありません。 今日の作家は、単に机の前に座っている持久力だけではなく、年月の風化に耐える継続力が求められます。 作家の武器は文章であり、文体です。 文体は作者の文章のスタイルであり、個性です。 作家独特の誤字・誤用も文体の一部になる。作者名を隠しても、作者 が当てられるような文章が文体です。 作家が言葉を失うことは、武器なき軍と同じです。 文化の原点は、まず言葉であり、人間の間にコミュニケーションが生じて社会が形成されてきました。 言語を守ることは、作家の重大な責任です。第1章 作家の醍醐味第2章 芸術を堪能する第3章 芳醇なる邂逅第4章 日々を満喫する第5章 年月の味わい
2011.11.08
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クルーズは客船に乗って、様々な港に寄港し世界を回る旅です。 豪華客船で世界一周というイメージもありますが、クールズは身近な旅になってきています。 ”船旅の愉しみ クルーズ入門 ”(2005年8月 青春出版社刊 米山 公啓著)を読みました。 時間と遊び人々と出会う客船でめぐる優雅な世界の船旅の船上での楽しみ、予約から乗船までクルーズ航海記などを紹介しています。 米山公啓さんは、1952年山梨県生まれ、医学博士、専門は神経内科で、臨床医として多くの患者の治療に当たりながらエッセイ、ミステリー、実用書などの執筆を行い、年間1ケ月以上は世界中の船に乗ってクルーズ取材を続けているそうです。 クルーズには、ワールドクルーズとショートクルーズがあります。 ワールドクルーズは世界一周をしている船のことで、アジア、ハワイ、オセアニア、ニュージーランド、中東・アフリカ、地中海、北欧、北米・アラスカ、カリブ海、南米、南極などのクルーズがあります。 海外のクルーズ船は非常に数が多く、船会社もたくさんあります。 大型船は乗客数1,000人以上、中型船は500人から1,000人、小型船は500人以下です。 カジュアル船は1泊70ドルから300ドル、高級船は1泊150ドルから600ドル、超高級船は1泊400ドルから20,000ドルです。 90日ほどかけて世界を一周するワールドクルーズの場合、安い部屋だと150万円、スイートだと1500万円くらいの料金設定が平均的です。 日本船では、飛鳥、にっぽん丸、ぱしふぃっくびいなす、ピースボート、ふじ丸が紹介されています。 日本船のスタンダードの部屋では、夫婦で乗船して1人350万円程度です。 ショートクルーズは、数日から10日程度の期間のものです。 ショートクルーズなら、料金も数10万円程度からとやや現実的です。 長期間のクルーズに参加する前に、ショートクルーズをためすことで、港や停泊中の過ごし方など船上での時間の過ごし方や必要なものがわかってきます。 船内にはカジノやシアター、図書館などの施設が、また、船外では寄港する街をバスなどで案内してくれる寄港地ツアーなどがあります。 船上の愉しみは、ダンス、食事、寄港地ツアー、エンターテインメント、カジノ、習い事、運動、図書室、パーティ、船内見学ツアー、フォトショップ、船内店舗、プールサイド、映画館などです。 旅行中に退屈することはなさそうです。 船に乗るときの必需品や注意点、さらには、乗船記まで幅広く紹介されています。 初心者はやはり日本の船がいいようです。 日本船は日本語が中心で、乗務員の接客態度が良く、行き届いたサービスと一流地上レストラン並みの繊細な料理が楽しめます。 しかし、何といっても、クルーズでの究極のぜいたくは、何もしないで、のんびりした時間を満喫し、船旅だけを楽しむことのようです。1章 クルーズとは2章 日本の客船と世界の客船3章 船上での愉しみ4章 予約から乗船まで5章 海外クルーズコース6章 クルーズ航海記付章 クルーズの疑問に答える
2011.11.01
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