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フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホは、1853年にオランダ南部のズンデルトで牧師の家に生まれました。 ”ゴッホ〈自画像〉紀行”(2014年11月 中央公論社刊 木下 長宏著)を読みました。 ゴッホが残した多くの自画像を分析し、カラー図版76点を使ってその作品世界を丹念に読み解こうとしています。 ゴッホは1869年から画商グーピル商会に勤め始め、ハーグ、ロンドン、パリで働きましたが、1876年に商会を解雇されました。 その後イギリスで教師として働いたりオランダのドルトレヒトの書店で働いたりするうちに、聖職者を志すようになりました。 1877年にアムステルダムで、神学部の受験勉強を始めましたが挫折しました。 1878年末以降、ベルギーの炭坑地帯ボリナージュ地方で伝道活動を行ううち、画家を目指すことを決意しました。 以降、オランダの エッテン(1881年4月-12月)、 ハーグ(1882年1月-1883年9月)、 ニューネン(1883年12月-1885年11月)、 ベルギーの アントウェルペン(1885年11月-1886年2月)と移り、弟テオドルスの援助を受けながら画作を続けました。 弟や友人らと交わした多くの手紙が残され、書簡集として出版されており、生活や考え方を知ることができます。 ゴッホは感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家です。 木下長宏さんは1939年滋賀県生まれ、同志社大学大学院文学研究科修了、京都芸術短期大学教授を経て、1998年から2005年まで横浜国立大学人間科学部教授を務めました。 ゴッホの絵で生前に売れたものは”赤い葡萄畑”1枚のみだったと言われていますが、他に売れた作品があるとする説もあるそうです。 死後、回顧展開催、書簡集や伝記出版などを通じて急速に知名度が上がるにつれ、市場での作品の評価も急騰しました。 ゴッホは37歳で自ら命を絶ち、画家人生はわずか10年あまりにすぎませんが、油絵約860点、水彩画約150点、素描約1030点、版画約10点を残しました。 手紙に描き込んだスケッチ約130点も合わせると、2,100枚以上の作品を残しました。 その10年間は大きく前期と後期の二つに分げることができます。 前期は1880年6月から1885年11月までのオランダ時代、後期は1885年11月から亡くなるまでの1990年7月までのフランス時代です。 1885年11月から1886年2月はベルギーのアントワープにいましたが、この時期はフランス時代の予備期と考えられます。 ゴッホが残した作品のうち、ゴッホが描いたと考えられる自画像は42点で、油彩と素描の胸像であり、図18では一枚の紙に複数の自画像を描いていて2点と数えます。 そのほか、”アニエール公園の風景””タラスコン街道を行く画家””レンブラント「ラザロの復活」模写の3点も自画像と考えられます。 自画像というのは、ふつう、鏡に映っている自分の顔や胸から上ぐらいの姿を、カンヴァスに描いた絵のことを指します。 油彩で描かれるものが多いですが、鉛筆や木炭、チョークで描いたものもたくさんあります。 自分の全身像を描いたり、他人に扮したりした自画像もあります。 そこで、鏡に映っている自画像は鏡像、胸から上を描いた肖像は胸像と呼び分けます。 ゴッホの自画像もほとんど鏡像で、胸像の形式をとっています。 ゴッホはある時期に集中して自画像と取組んでいます。 前半のオランダ時代には自画像を制作していません。 後半のフランス時代に自画像を制作しています。 その間、パリ時代の2年間に34点と集中し、アルル時代には6点、サンーレミ時代は4点と、減少していきます。 そして、南フランスでの最後の2ヵ月間は、141点もの油彩、ドローイング、エッチングを遺していますが、自画像は一点も制作していません。 ゴッホが自画像を描いたのは、画家人生の後半の33歳から37歳になるころまでの4年余りの間だけなのです。 ゴッホが自画像を描こうとしたのには内的な理由があったようです。 自画像を集中的に制作するのは、絵画に対する取組み方と深く関わっているはずです。 その自画像を追いかけ考えていくことによって、ゴッホという画家の遺した作品へより近づくことができ、その絵の理解を深めることができるのではないでしょうか。 絵描きになろうとして絵を制作し始めてから、なぜ5年半ものあいだ、自画像に興味を示さなかったのでしょうか。 そして、その後の4年間に自画像を制作し、最後の2か月はなぜまったく自画像の筆を執らなかったのでしょうか。 自画像を一つ一つ見ていくと、これまで既成概念で塗り固められていた像とは異なる画家ゴッホの姿が立ち現れてくる、といいます。 それは、独特の画風が決して自分の意に反して狂気を背負ってしまった結果なのではありません。 一人の男が生を享けた時代社会を、自分か納得できるように生き抜いて、一心に人生を送ろうとした、その過程を映し出したものであることを教えてくれます。プロローグ ゴッホと自画像1 牧者への夢-自画像以前の時代 「一本の道」-画家になるまで/畑を耕すように描く-エッテン、ハーグ、ヌエネン2 自問する絵画-自画像の時代 鏡に映らない自己を描く-パリ/日本の僧侶のように-アルル3 弱者としての自覚-自画像以降の時代 遠くへのまなざし-サン・レミ・ド・プロヴァンス/背景の肖像画へ-オーヴェル・シュル・オワーズ)付 描かれたゴッホ エピローグ 自画像の人類史を駆け抜ける
2017.04.25
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忙しく働いているのに金銭的な余裕が感じられず、気が付くとスケジュールが埋まり自分の時間が減っていませんか。 いつの間にか付き合う人の多くが、仕事関係の人ばかりになっていませんか。 自分の暮らす部屋を眺めると、なぜ買ったのかよくわからない物がいくつも転がっていませんか。 いったいぜんたい、このままでいいのでしょうか。 ”何を捨て何を残すかで人生は決まる”(2016年4月 青春出版社刊 本田 直之著)を読みました。 自ら考え選択し幸せに自由に暮らしていくには人生を身軽にして持たない生き方が大事として、その考え方や手法を伝えています。 本田直之さんは1968年生まれ、明治大学商学部産業経営学科卒業、サンダーバード国際経営大学院経営学修士取得しました。 シティバンクなど3社の外資系企業を経てバックスグループの経営に参画し、同社で常務取締役としてジャスダック市場の株式上場を果たしました。 2004年にレバレッジコンサルティング株式会社を設立し代表取締役社長兼就任、日米のベンチャー企業への投資育成を行い、現在、8社の社外取締役・顧問を兼務しています。 経営術、個人ブランディング、ライフスタイル、読書術、時間術、思考法、人脈術、勉強法、MAC活用術、トレーニング、ハワイ本など、多岐にわたる著書があります。 韓国、台湾、中国で翻訳版も発売され、日本や海外で各種の講演も多数行っています。 経営者を中心としたトライアスロンチーム、Alapaを主宰し、ハワイ、東京に拠点を構え、仕事と遊びの垣根のないライフスタイルを送っています。 学校を出て、仕事を始め、充実していた目々のはずだったのが、ふと立ち止まった時に、何かが違うと感じていませんか。 仕事や人間関係を抱え込みすぎて息苦しくなっていませんか。 そんな違和感に悩まされたことはないでしょうか。 もしあるなら、自分らしく自由に生きることと、持たない生き方をお勧めするとのことです。 持たない生き方とは、持ち物を減らす断捨離やミニマリズム、シンプルライフなどといった暮らしのスタイルやノウハウではありません。 大事なのは、物を減らすことではなく、自分にとって必要なモノを見極め、それを選び取り、見た目ではない豊かさを手に入れることです。 そのために、自ら考え、選択し、幸せに、自由に暮らしていく生き方を提案します。 どう時間を使い自分を成長させ、どんな人と付き合いいかに働いて稼いでいけば、幸せを感じられる状態にたどり着けるのでしょうか。 真剣になればなるほど、自分にとって大切なモノと、そうではないモノの違いを明確にする必要が生じます。 そして、いらないと思ったら世間の常識に反していてもスパッと手放すことです。 捨てる勇気を持ち実践すること、それができた時、人は、自分は自由に幸せに生きていると実感できます。 現実のわたしたちの暮らしを見回してみると、周囲には判断を鈍らせるノイズが溢れています。 あれも欲しいこれも欲しいといって物を手に入れた特に感じる一瞬の充足感を追い求めると、物欲には限りがないので欲望に引っ張られてしまうことになります。 物を追いかける暮らしには相応の経済力が必要で、物を買うためにたくさん稼ぎ、やりたくない仕事もすることになります。 稼いだらご褒美として使ってしまい欲しかった物が手元に残りますが、どこか満たされず次の欲しい物をみつけ欲望は際限なく広がっていきます。 欲望の対象がぼんやりと広がれば広がるほど、持たない生き方を実践するのは難しくなっていきます。 こうした罠から抜け出すためには、まず、当たり前とされてきた常識を疑うことです。 今の日本は物質的にほぼ何もかも揃った状態になっていて、ストレスフルな仕事や人間関係を続けたとしても、その先に幸福感々満足感はないのではないでしょうか。 これはいまでは、草食系と呼ばれる若者をはじめ、若い世代にとって当然の感覚になっているようです。 こうした縛りから逃れ、何かが違うという違和感から解放されるためには、いらないモノをあらかじめ決めておくことが重要です。 いるかいらないか、やるかやらないか、持つか持たないか、会うか会わないか、これらについてどう考えるかを、自分で考えて選択していくことです。 もし何を望んでいるか明確にわからないのなら、まずはやりたくないことだけを紙に書き出してみましょう。 その結果、物のないシンプルな暮らしをあなたが選び、実践しているなら、それも持たない生き方です。 逆に、これだけは集めると決めたコレクションを眺める時聞か幸せなら、それもまた持たない生き方と言えます。 何かを手に入れる時には、相応の努力や痛みが伴います。 どの道を試すにしろ、あなたが自分で決め、行勤しなければ始らりません。 不都合が生じた時も、受け止める覚悟が必要です。 生き方にまつわるあらゆる局面で、何を捨て何を残すかを、自分の価値観に照らしあわせて選択していくこと、この決断があなたの人生を形作っていくのです。第1章 「人生を縛る常識」を持たない第2章 「なくてもいい物」を持たない第3章 「必要以上のつながり」を持たない第4章 「やらなくていい仕事」を持たない第5章 「振り回されるほどのお金」を持たない
2017.04.17
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インターネットは、世界中にある複数のネットワークを相互に接続することで構築された巨大なネットワークです。 便利な機能として、 Webサービス、電子メール、映像/音楽の配信、情報の共有や公開、情報検索システム、オンラインショッピング、インターネット電話、離れた場所のコンピューターの遠隔操作などがあげられます。 いまやPC中心の時代からスマホ中心の時代に移行しつつあり、ネットは日常的なプラットフォームとなっています。 ”さようならインターネット まもなく消えるその「輪郭」について”(2016年10月 中央公論新社刊 家入 一真著)を読みました。 インターネットは、社会、経済、文化、時間、家、あらゆるものをつなぎ変化させましたが、いまその輪郭は消失し閉ざされつつあるといいます。 家入一真さんは1978年福岡生まれ、中学時代にいじめによる引きこもり、登校拒否を経て中退しました。 そして、画家を目指し油絵を学ぶも、親の交通事故など家庭の事情で断念し、22歳でpaperboy&co.を起業しました。 JASDAQ市場最年少で上場し、その後、退任し、40社ほどのスタートアップベンチャーへの投資を行いました。 そして、BASEやCAMPFIREの創業、都内で多数のカフェの立ち上げ、現代の駆け込み寺リバ邸の立ち上げなどをしています。 サーバー事業やプラットフォーム事業、さらに都知事選まで、インターネットと共に人生を歩んできて、その世界に別れを告げ、やってくる未来の姿を考えています。 インターネットなんて、ハサミのようにあたりまえに存在するもので、わざわざ賞賛する価値があるような対象ではないと考える20歳の若者がいた、といいます。 しかし、著者にとってのインターネットは、10代半ばの引きこもりのさなかに光を与えてくれた大きな存在でした。 そこから紆余曲折を経て、インターネットにかかかる会社を設立し20代で上場を果たした後も、やはりインターネットを通じてたくさんの人とつながりました。 そして、飲食店やシェアハウスなどを手がけ、ネット選挙解禁後には、それをフル活用して都知事選を戦い、ネットとともにその人生を進んできました。 インターネットはやはり無限の可能性を秘めた世界であり、ときには見たことのないようなものを生み出してきました。 そして、ときには中央集権的な構造にとらわれていた、いろいろなものを私たちの手に取り戻してくれる、無条件に賞賛される存在でした。 しかし若者は、FacebookもTwitterも必要ない、LINEさえあればいい、というのです。 つながりたい人とだけちゃんとつながっていれば、それ以上は必要ないのです。 著者は20歳の時の経験から、インターネットの向こうには想像できないくらい大きな世界が広がっていて、つながり始めていました。 そして、その世界こそが、これからの時代、自己表現や発信の中心となるに違いないと強い興奮を覚えました。 現在、世界はさらに大きくつながり続け、結果として、目前の若者はむしろ小さな世界にこそ、大きな価値を見出していたのです。 著者は最近になって、そういった実際の姿が見えていない人だちとのつながりが、いったいどれだけの価値を持ちうるのか、どこかで疑問にも感じ始めていた、といいます。 つながりすぎたせいなのか、伝えたいと思ってもいないような人にまでメッセージは容易に届いてしまい、想定をしていないような反発をもらうことも増えました。 では、インターネットと私たちはどこへ向かうのでしょうか。 今現在あらためて考えてみれば、インターネット上だろうと、現実の世界で大きな声を持つ人がやはり発信力を持っています。 そして、行きすぎたつながりは、お互いを見張っているような居心地の悪さや炎上をどこかしこで引き起こすようになりました。 さらに、常時接続や無線回線が当然となり、スマートフォンの登場、そしてIoTの流れもあり、インターネットにつながっているかどうかを、自覚しなくなってしまいました。 その結果として、インターネットそのものの姿はほとんど見えなくなったのかもしれません。 そして見えなくなって、インターネットがその輪郭を失った今、弱い人たちやマイノリティにとって、逃げ場のない、むしろ息苦しい世界になりつつあると感じています。 これから起こる変化や可能性を否定するつもりはありませんが、インターネットと私たちにどんな未来がやってくるか、ということについては大いに関心があります。 インターネットと半生を歩んで見てきた景色、もしくは新しく見えてきた景色をここで整理し、その姿を浮かび上がらせてみたいといいます。 だから今こそ、消えかけたインターネットの輪郭を取り戻す旅へと出かけませんか。はじめに インターネットが「ハサミ」?/小さな世界の大きな価値/じゃあインターネットとぼくらはどこへ向かうんだろう前章 インターネットが消える前に インターネットという言葉の意味が変わった/無意識のネット接続/輪郭を失うことによるリスク/インターネットは最初に儀式を失った/そして「輪郭」を失ったインターネット第1章 やさしかったその世界─ユーザーからプラットフォーマーになるまで ぼくは確かにインターネットに救われた/やさしかった小さな世界/つながりたいことの可視化/「破壊の道具」や「逃げ込める先」としての期待/爆発し始めた自己表現/現実世界を侵食するインターネット/信じるに足る世界は確かに存在した第2章 さよならインターネット─その輪郭を喪失するまで「Web2・0」で決壊が始まった/ギークのためのインターネットの終わり/現実と同じ「つながり」をもたらすSNS/「Web2・0」の向こう側に姿を現したもの/即物的で現実的な期待の中で/ソーシャルゲームに参入しなかった理由第3章 輪郭が失われた世界─まだそこは信頼に足るものだったのか 終わりの始まり/クラウドファンディングという光/輪郭が溶けたことによるポジティブな側面/「個人」の再発見/政治とインターネット/そして余る「時間」/インターネットの輪郭をつかまえる第4章 インターネットは「社会」の何を変えたか インターネットは何を変えて、変えなかったのか社会 インターネットの世界はむしろ縮小している/祭りの場すら閉ざされる/インターネットに怯える人々/警備員だらけの相互監視社会/パノプティコン化したインターネット/シェア、フラット、フリー文化 あふれる表現者と不足する鑑賞者/無理強いされた表現としての「批評」/「欲しがらない名無しさん」から「欲しがる名無しさん」へ/かつての「匿名性」は奥ゆかしさをもたらしてくれた/目出し帽を被る覚悟経済 インターネットがポジティブな変化をもたらした分野/激減したコミュニケーション・コストがもたらしたこと/進む「CtoC」と「シェア」/コピーできるものにお金は集まらない/お金に生まれた新しい価値/善意も炎上する第5章 インターネットは「私たち」の何を変えたか時間 誰もが別の時間を歩み始めた/細切れになった時間/常に「オン」の弊害空間 不幸な伝言ゲームが蔓延した/あえて伝言ゲームをしたがる人たちの登場/サードプレイスの登場人 人の価値はポイントで決まる/「装置」になりたい人/人は「概念」にもなれる/あなたの友達はネットが選ぶ/変わる家族の意味第6章 ぼくらはインターネットの輪郭を取り戻せるのだろうか インターネットの輪郭を取り戻すということ/分断された世界の外へ向かおう/エクスターネット的/Six degrees の外に行こう/世界を強制的に変えてみよう/書店に行こう/プラットフォーマーになろう
2017.04.09
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語の由来を語源または語原といいますが、語の意味、発音、表記は時と共にしばしば変わるため、語源がいつも明らかとは限りません。 また、言語の起源を考えることにも繋がるため、すべての語源を明らかにすることは難しいです。 ”ぷらり日本全国「語源遺産」の旅”(2013年3月 中央公論社刊 わぐりたかし著)を読みました。 ふだん何気なく使っている言葉が誕生したと言われる土地100カ所以上を旅して歩き、言葉の歴史や物語をつづった17話です。 わぐりたかしさんは1961年東京・広尾生まれ、桐蔭学園高等学校を卒業し、東北大学法学部法律科を中退しました。 そして、慶應義塾大学文学部通信教育課程を卒業し、大阪府立大学大学院経済学研究科博士前期課程を修了しました。 学生時代に、”アメリカ横断ウルトラクイズ”で放送作家デビューしました。 その後、ディレクターやプロデューサーも兼務しながら、幅広いジャンルで数々のヒット番組を生みだし、企画・構成・演出・プロデュースに携わりました。 世界でただ一人の語源ハンターとして、さまざまな言葉が誕生した由来の地たる語源遺産を訪ね、新聞のコラムなどに執筆しています。 べっぴんさんといえば、2017年度上半期放送のNHK連続テレビ小説のタイトルです。 “ベっぴん”の語源遺産を訪ねる旅のテーマソングは、植村花菜の大ヒットナンバー”トイレの神様”しかありません。 トイレには、それはそれはキレイな女神様がいるんやで、だから毎日キレイにしたら、女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで。 この曲のおかげで、“ベっぴん”という懐かしい言葉が現代によみがえりました。 べっぴんの語源遺産は、東海道五十三次の古田宿にかつてあった一軒の割烹店にあります。 べっぴんという言葉が大流行したのは、このお店に由来しているとのことです。 情報の出元は、明治22年に創刊された日本初の月刊グラフィックマガジン”風俗画報”です。 風俗画報は、江戸時代の風俗の考証や、東京の新風俗、地方風俗を主に紹介していて、貴重な史料となっています。 その第72号に元祖べっぴんの逸話が載っているといいます。 それはこんな話です。 古田宿にあった織清という割烹店が、江戸で評判となっていた鰻の蒲焼きを、自分の店の新しいメニューに取り入れようと考えました。 そして、職人を江戸からスカウトしてきて、安価で提供することにしました。 その売り出しの際、織清の主人が友人に相談しました。 店の前をいく通行人の目をくぎ付けにするような、気の利いた宣伝文句を看板代わりに掲げたいと思うのだが、何かないものだろうか。 すると友人は、しばし思案に耽っていたかと思うと、やおら筆をとり、頗別品、と漢字三文字をしたためたといいます。 作戦がズバリ的中し、鰻の蒲焼きは大ヒットとなり、頗別品は織清の記名物となりました。 この噂と評判は、たちまち東西に知れ渡りました。 このように面白い語源遺産を巡る旅は、楽しすぎてやみつきになるということです。 おまけに、旅をすればするほど日本が好きになります。 日本語が愛おしくなってくるのです。 大げさでもなんでもなく、日本に生まれてきてよかったなとさえ思うそうです。 語源を、机上のウンチクや雑学のたぐいだと思い込んでいるとしたら、大間違いです。 インターネットや雑学本を拾い読みして、知ったつもりになっていると、それこそもったいないとのことです。 いっしょに語源遺産の旅に出よう、と思わず誘いたくなるそうです。 語源は生きています。 各地にひっそりと息づいていると言ってもいいです。 日本全国の語源遺産を旅すれば、それを実感することができるでしょう。 普段、なにげなく使っている言葉が生まれた舞台はどこなのか、その背景にはいったいどんな物語が秘められているのか。 あたかも言葉のミステリーに挑戦する探偵にでもなったかのように現地を旅して、秘密のベールを一枚一枚、楽しみながら丁寧にめくっていきます。 するとそこには、驚くような出会いや発見のよろこびが待っています。 言葉の出来となった神話や伝承を発掘して楽しみ、言葉の奥深くに眠っている歴史や物語に出会い、ゆかりの海や川、野山を歩きます。 まつわる事物や人物、祭事や遺跡、神社仏閣などを訪ね、自分の目で見て、自分自身で体験しながら、地元の方々とじっくりゆっくりコミュニケーションをとります。 のんびりまったり、よもやま話をします。 そうすることによって、語源は単なるウンチクや雑学をはるかに超えて、この国に生きてきた、そして生きている人々の生活や心情に思いを馳せる魔法の鍵となります。 土地土地で出会う言葉の物語は、時には人生を振り返らせ、日々の生活を見直すきっかけになることすらあります。 心温まる希望や驚きに満ちあふれたストーリーもあれば、涙にむせぶ悲劇に出会うこともあります。 なかにはとびっきり美味しい話もあります。 気がつくと、日本を再発見する旅をしているのだなと、つくづく思うそうです。 本書は、厳選した十ヒの言葉、十七の旅にご案内します。1.べっぴん-「べっぴん」は、鰻の蒲焼きだった2.やぶ医者-語源の地で、ホンモノの「やぶ医者」とご対面!3.十八番(おはこ)-発見!團十郎もびっくり「十八番」の「お箱」4.トロ-名付け親は、三井物産の係長、安達一雄さん!5.タニマチ-大阪・谷町筋で、元祖タニマチの外科医を発見!6.春一番-島に刻まれた「ハルイチ」の悲劇とは7.折紙付き-鑑定家のルーツ、本阿弥家で語源大スクープ!8.太鼓判-太鼓判の直径は、わずか一・五センチだった\\!9.金に糸目を付けない-破格の八百円で「糸目」をゲット!10.ぎょっとする-由来となった「虎」の背中をこすってみると...11.ろれつが回らない-京都・大原は「ろれつ」のふるさとたった!12.銀ブラ-元祖「銀ブラ」には、正しい道順があった!13.感謝感激-足かけ二年の大旅行で「神の宿る島」ヘ!14.うんたらかんたら-それは、宇宙と交信する呪文だった!15.濡れ衣-悲しくも切ない二つの「濡れ衣物語」16.しっぺ返し-特別公開、これが「しっぺ」だ!17.完璧-古代史の謎…完璧の語源「玉璧」ってナニ?!
2017.04.05
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