全32件 (32件中 1-32件目)
1
私たちはいくつになっても夢を語り、明るい未来の姿を描ける人間でありたい。夢を抱けない人に創造や成功がもたらされることはないし、人間的な成長もない。なぜなら、夢を描き、創意工夫を重ね、ひたむきに努力を重ねていくことを通じて、人格が磨かれていくからだ。その意味で、夢や思いというのは人生のジャンプ台といえよう。塾長は、折につけ「あふれるほどの夢を描け、そうすれば人生は大飛躍する」と説かれました。思いの力を知り、それを意識的に活用することの大切さを、再三実例を交えて説明されました。そして、この思いの力をうまく働かせて、人生や仕事で大きな成果を得るには、まず、その土台となる「大きな夢」を描くことが肝心だと言われるのです。合掌
2021/07/31
コメント(0)
一日のうち、最低限、一歩だけは前に出る。今日は昨日より一センチだけでも前に進む。また、前に進むだけでなく、今日の反省を踏まえ、明日は「一つの改良」「一つの工夫」をその一歩に必ず付加していく。そして、この一日ずつの目標達成と創意工夫を、雨が降ろうが、槍が降ろうが、何があっても、必ず毎日積み重ねていくことに全力を注ぐ。まず一カ月続け、次に一年続けてみる。さらには五年、十年と続けてみる。そうすれば、当初想像もしなかったような地点まで進んでいくことができる。今日一日を「生きる単位」として、その一日一日を精一杯生き、懸命に働くこと。そのような地道な足取りこそが、人生の王道にふさわしい歩み方なのだ。人生では、つねに迷うものです。真剣に仕事に取り組んでいればいるほど、その迷いも大きくなるのかもしれません。「自分は、なんでこんなことをしているのだろう」「何のためにこの仕事をするのか」真面目な人、一生懸命な人ほど、働くことの意味、仕事の目的などといった、根本的な問題で悩み、答えのない迷路に入ってしまうものです。このような迷いを解消するには、「先を見ることがいい」と一般的に言われます。つまり、目先のことにとらわれず、長期的視点に立って、自分の人生設計図を描き、今の自分の仕事を、長いスパンの中で位置づけるというやり方です。それが理に適った方法名もかもしれませんが、塾長は、それとは全く逆の方法を、このフィロソフィを説いておられます。あえて短期的な視点に立って、自分の仕事を位置づけようとされているのです。合掌
2021/07/30
コメント(0)
運命を縦糸、因果応報の法則を横糸として、私たちの人生という布は織られている。大事なのは、因果応報の法則の方が運命よりも若干強いということだ。そのため私たちは、善きことを思い、善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができる。人間とは運命に支配される一方で、自らの善思善行によって、運命を変えていける存在なのだ。塾長から教えられたことですが、人生には、それを大元で統御している「見えざる手、二つ」があると言われます。一つは「運命」です。人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれ、或いはそれに促されて人生を生きていきます。異論のある方もおられるでしょうが、塾長は、この運命の存在は、厳然たる事実であると言われます。では、人間は運命の前では、全く無力かというとそうではなく、もう一つの見えざる手があります。それが二つ目の「因果応報の法則」なのです。つまり、よいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。善因は善果を生み、悪因は悪果を生むという、原因と結果をまっすぐに結びつける単純明快な「掟」のことです。さらに大事なことは、この二つ目の「因果応報の法則」の方が、「運命」よりも若干強いということです。人生を律するこれらの二つの力の間にも力学があって、因果律の持つ力の方が運命の持つ力をわずかに上回っている。そのため私達は、持って生まれた運命でさえも―因果応報の法則を使うことで―変えていくことができるのです。合掌
2021/07/29
コメント(0)
人の上に立つ者には才覚より人格が問われる。人並みはずれた才覚の持ち主であればあるほど、その才におぼれないよう、つまり、余人にはない力が誤った方向へ使われないようコントロールするものが必要になる。それが徳であり、人格なのだ。人格というのは、大変難しい言葉ですが、その人の生きる姿勢、つまり哲学や思想、倫理観、さらに謙虚という徳も、その一つでありましょう。その人格がゆがんでいたり、邪(よこしま)なものであれば、いくら能力や熱意に恵まれていようが―いや恵まれていればいるほど―もたらされる結果の「負」の値は大きくなると言われるのです。特に、リーダーと言われる人には、才能よりも徳(人格)が求められます。中国・明代の思想家、呂新吾もその著書「呻吟語」の中で、明確にそのことを説いています。深沈厚重(しんちんこうじゅう)なるは、これ第一等の資質。磊落豪遊(らいらくごうゆう)なるは、これ第二等の資質、聡明才弁(そうめいさいべん)なるは、これ第三等の資質」(どっしりと落ち着いて深みのある人物、これが第一等の資質である。積極的で細事にこだわらない人物、これは第二等の資質である。頭が切れて弁の立つ人物、これは第三等の資質に過ぎない)この三つの資質はそれぞれ順に、人格、勇気、能力とも言い換えられるでしょう。つまり呂新吾は、人の上に立つ者はその三つの要素を兼ね備えていることが望ましいが・・・・・もしそこに序列をつけるなら、一が人格、二が勇気、三が能力であると述べているのです。合掌
2021/07/28
コメント(0)
夢が大きければ大きいほど、その実現までの距離は遠いものになる。しかし、成就したときの姿や、そこへ至るプロセスを幾度もシミュレーションし、眼前に「見える」まで濃密にイメージしていると、実現への道筋がしだいに明らかに見えてくる。それとともに、そこへ一歩でも近づくためのさまざまなヒントが、何げない日常生活からも得られるようになっていく。いわゆる創造的な業績の源泉となるインスピレーションも、そのような夢を通じて強い願望を抱きつづけられる人にこそ与えられるものなのだ。塾長からは、「思い」の大切さは、くり返し、くり返し、学びました。どんな遠い夢も、思わないかぎり叶わないし、そうありたいと強く心が求めたものだけを私たちは、手に入れることができる。そのためには潜在意識にしみ込むまで、思って、思って、思い続ける・・・・・夢を語ることは、その行為の一つであり、実際に私達はそうすることによって、その大き過ぎる程の夢を現実のものにすることができます。何回も言われたことですが、リンゴが木から落ちるのを見た人は、沢山いますが、そこから万有引力の存在を見出したのは、全人類の中で、ニュートンだけなのです。その違いは、何にあるかと言えば、日頃の「問題意識」だけだと教わりました。合掌
2021/07/27
コメント(0)
感謝の心が幸福の呼び水なら、素直な心は進歩の親といえるかもしれない。自分の耳に痛いこともまっすぐな気持ちで聞き、改めるべきは明日といわず、今日からすぐに改める。そんな素直な心が私たちの能力を伸ばし、心の向上を促してくれる。稲盛塾長も、松下幸之助翁の、次の 「素直な心になりましょう」 から学ばれました。素直な心はあなたを強く正しく聡明にいたします。お互いが素直な心で人生を歩み、日々の活動を営んでいくところから、万物の王者としての偉大な人間の本質も現れ、共同生活の向上、一人ひとりのより豊かな幸せももたらせてくると思います。素直な心とは、何ものにもとらわれることなく、物事を真実を見る心です。私心、私利私欲にもとらわれず、ものごとのありのままを見、物事の実相を明らかに見る心です。そして、広い寛容な心、他に耳を傾ける態度にも通じる心です。お互いがこの素直な心になれば、物事の実相に従って、何が正しいか、何をなすべきかということを、正しく把握することもできるようになると思います。したがって、いっさいの物事がスムーズに運び、つねに和やかな明るい姿を保ちつつ、日に新たな好ましい成績を、生み出すといった姿も、もたらされてくるでしょう。もしも素直な心がなかったならば、それぞれがとらわれの心をもつために衆知も集まりにくいと思います。また感情や私心にとらわれて独善におちいりがちとなって、そこにさまざまのムダや非能率、争いの姿も生じさせることにもなりましょう。そこには物事の進歩向上もみられませんし、お互いに一人ひとりの幸せを損なうことにもなりかねません。ですからお互いにこの素直な心を養い高めてゆくことがきわめて大切です。そのためには、まずこの素直な心になることをつよく願うとともに、素直な心になるためのあらゆく工夫、実践を心がけ行ってゆくことが肝要だと思います。お互いに素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く聡明にし、よき社会をもたらし、一人ひとりの幸せを生み高めてゆくでありましょう。合掌
2021/07/26
コメント(0)
願望を成就させるためには、並に思ったのではダメだ。生半可なレベルではなく、強烈な願望として、寝ても覚めても四六時中そのことを思い続け、考え抜く。頭のてっぺんからつま先まで全身をその思いでいっぱいにして、切れば血の代わりに「思い」が流れるほどまでにひたむきに、強く一筋に思うこと。そのことが、物事を成就させる原動力となる。同じような能力を持ち、同じ程度の努力をして、一方は成功するが、一方は失敗に終わる。この違いはどこからくるのか。人は、その原因として、すぐに運やツキを持ち出したがりますが、要するに、願望の大きさ、高さ、深さ、熱さの差からきているのです。こういうと、あまりに楽観的過ぎると、首をかしげる人もいるかもしれません。しかし寝食も忘れて、思って、思って、思い抜くということは、そう簡単にできる行為ではありません。強い思いとすさまじい願望を持続させ、ついには潜在意識にまでしみ込ませるほどでなくてはいけないのです。企業経営でも、新規の事業展開や新製品開発などでは、頭で考えればたいてい、これは無理だろう、うまくいかないだろうと判断されることのほうが多いものです。しかしその「常識的な」判断ばかりに従っていたら、できるものもできなくなってしまう。本気で何か新しいことをなそうとするなら、まずは強烈な思い、願望をもつことが不可欠なのです。不可能を可能に変えるには、まず「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。それが人生においても、また経営においても目標を達成させる唯一の方法なのです。合掌
2021/07/25
コメント(0)

第32回夏季オリンピック東京大会が昨夜(23日夜)、開幕しました。東京新宿の国立競技場で行われました開会式は、五輪史上初めてのことらしいですが、無観客でした。 しかし、選手入場をTVで見ている限り、観客席には一杯の人がいるように見えました。世界的なコロナ感染問題で、いろんな議論がされましたが、私は開催されてよかったと思っています。 それは、幼少の頃からこの日のために、懸命に努力してきたアスリートが、世界中にいるからです。それらの人達に発表の場は必要と思います。しかし、開会式のTV放映を観るのは途中で辞めました。 回を追うごとにショー化が進み、今回は、「お国自慢」ごときが次々と繰り出され、夜空を彩る花火に、華やかなダンス、さらに有名なアーティスト達の絶唱。もっともっと簡素化すべきと思いました。 そんなことよりも、今回の東京オリンピックが、世界のアスリート達にとって、これまでの鍛錬の成果を、思う存分発揮できる場であって欲しいと思います。 それはさておき、このオリンピック開会式のお陰で、日本は4連休となり、私達夫婦は、昨日は両親が眠る神峯山寺へ墓参りでした。 ひんやりした山の空気、爽やか木陰で身も心も癒されました。 さすがこの炎天下、お墓には人影は見当たりませんでした。合掌
2021/07/24
コメント(0)
三毒(欲望、怒り、愚痴)を完全に消すことはできなくても、できるだけ欲を離れること、怒りを鎮めること、愚痴を抑えることに努める ― この方法に近道はない。たとえば、日々さまざまな事柄について判断を迫られる。そんなとき瞬間的に判断を下したことは、おおむね本能(三毒)から出てきた答えだ。相手に返答する前に、最初の判断をいったん保留して、「その思いには、おのれの三毒が働いていないか、私心が混じっていないか」と自問することが大切だ。すなわち私心を抑えることは、利他の心に近づくことであり、自分のことは後回しにして、世のため、人のために、尽くす利他の心が、生まれたとき、人間は、よりよく生きることができる。確かに私たち人間というものは、この三毒にとらわれて、日々、生活しているように思います。人よりもいい生活をしたい、早く出世したい。こういう物欲や名誉欲は、だれの心にもひそんでいます。それがかなわないと、なぜ思った通りにならないのかと怒り、返す刀で、それを手に入れた人に嫉妬を抱く ― たいていの人はこういう欲に、四六時中とらわれ、振り回されています。これは、子供や赤ん坊でも、さほど変わることがありません。孫たちを見ていると、一方を可愛がると、もう一方がすぐに嫉妬の素振りを見せます。すでに二、三歳で一人前の煩悩に毒されているのですむろん欲望や煩悩というのは、人間が生存していくためのエネルギーでもあり、それを一概に否定することはできません。しかしそれは同時に、人間を絶えず苦しめ、人生を台無しにする猛毒も有しているのです。したがって大事なのは、可能な限り「欲を離れる努力をする」ことです。それには、物事を理性で判断する習慣を、日頃から自分に課すことではないでしょうか。合掌
2021/07/23
コメント(0)
心を高めるということは、生まれたときよりも、少しでも美しい心になって死んでいくことだ。生まれたときよりは、死ぬときの魂のほうが、少しは進歩した、少しは心が磨かれた、という状態。それは、身勝手で感情的な自我が抑えられ、心に安らぎを覚え、やさしい思いやりの心がしだいに芽生え、わずかなりとも利他の心が生まれるというような状態だ。また、そのような美しい心へと、もって生まれた自分の心を変化させていくことこそが、われわれが生きる目的なのだ。バブル崩壊・AV不況、銀塩カメラ消滅等で、売上が2年で半減し経営というものを、一から勉強したいと思っている時、「心を高める、経営を伸ばす!」というタイトルが目に入りました。それが、盛和塾北大阪のキャッチフレーズです。心を高めれば、なぜ、経営が良くなるのか? 「心を高める」とは、どういうことをすればいいのか? 門をたたき、私は、正直に質問しました。結論は、盛和塾に入塾し、稲盛塾長の講話を聴き、その教えを学びなさいということで、渡された本が、「心を高める、経営を伸ばす―すばらしい人生を送るためにー」でした。それから、盛和塾第2回全国大会に夫婦同伴で参加し、稲盛塾長の講話というのは、経営の話しではなく、人間の業・カルマとは、利他の話しとか、まるで仏教のお坊さんの説教でした。しかし、1994年1月に入塾し、解散するまでの25年間、しっかりと学び続け、今のアクッテクが存在していると思います。合掌
2021/07/22
コメント(0)
この世界の、この宇宙のどこかに「知恵の蔵(真理の蔵)」ともいうべき場所があって、私たちは気がつかないうちに、その蔵に蓄えられた「知」を、新しい発想やひらめき、あるいは創造力としてそのつど引き出したり、汲み上げたりしている。では蔵の戸を開いて知恵を得るにはどうしたらよいのか。やはり燃えるような情熱を傾け、真摯に努力を重ねていくことしかない。そんな人に、神は行く先を照らすたいまつを与えるように、「知恵の蔵」から一筋の光明を授けてくれるのだ。智慧の蔵とは、塾長の造語ですが、宇宙の摂理、或いは創造主の叡智などといいかえてもいいかもしれません。いずれにせよ、その大いなる知は、人類を絶えず成長発展の方向へ誘導してくれているのです。しかし、近年。人間は進むべき方向を見失っているのではないか、或いは「知恵の蔵」から与えられた智慧の使い方を誤り、間違った方向に歩み始めているのではないかと危惧しています。その元凶はやはり、生きていくうえでの「哲学」を見失ってしまったことにあるのだと思います。つまり人間は、科学技術に立脚した高度な文明を築いて、豊かな生活を享受することに成功しました。しかしその結果、人間の精神や心の大切さを忘れてきてしまった。そのために、たとえば地球環境の破壊という、新たな問題を生み出してしまっているのです。たとえばフロンガスによるオゾン層の破壊、農薬や肥料による土壌や河川の汚染、二酸化炭素の増加による温暖化、さらにはダイオキシンなどの環境ホルモンによる生体への影響などにより、私たちの生存の場である地球環境、ひいては私たち人類の生存それ自体が脅威にさらされています。それは、本来生きとし生けるものを幸せに導くための「知」を、誤った方向に使ってしまったからです。人間は自らを進歩させてきた武器によって、いま自分たちを傷つけ、滅ぼそうとしているのです。いくら技術や知恵(能力)が高くても、また熱意を持っていたとしても、考え方―哲学、理念、思想―を高める努力を忘れているならば、この地球に多大な災厄をもたらす結果となるのです。合掌
2021/07/21
コメント(0)
苦難がずっと続くことはない。もちろん幸運のままであることもない。得意のときにはおごらず、失意のときにもくじけず、日々継続して懸命に働き続けることが何より大切だ。試練の中でも懸命に努力を続ける日々、それは成功の種を大事に育てているときなのだ。つらく苦しい時こそ、チャンスだと考えるべきです。なぜなら、苦難こそが人を育ててくれるからです。また一方、順風満帆のときこそ、かえって過ちを犯しやすいものです。たとえば、大成功を収めた経営者が、成功の美酒によって、傲慢に陥ることから過ちを犯し、それをきっかけに晩節を汚し、せっかく育ててきた会社も大きく傾かせてしまうということがよくあります。栄枯盛衰は世のならいとはいえ、そんな胸が痛くなるような悲劇が、今は当たり前のように転がっています。失敗や苦難に遭遇したときに、不平不満を並べ、世をすね、人を妬むことなく、その試練に耐えて、さらに努力を重ね、小さいながらも確かな成功を一つずつ引き寄せ、やがて逆行を順境に変えることができるのか。また、成功や幸運に遭遇したときにも、おごることなく、素直に感謝して、さらに努力を重ね、その成功を長く持続させることができるのか。苦難、成功いずれにしても、私たちは試されているのです。合掌
2021/07/20
コメント(0)
どのようにすぐれた能力も、それが産み出した成果も、私に属しながら私のものではない。才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や社会のために使う。 つまり、おのれの才を「公」に向けて使うことを第一義とし、「私」のために使うのは第二義とする。謙虚という美徳の本質はそこにある。 どのような分野であれ、すばらしい能力に恵まれ、傑出した才能を発揮している人は、「なぜその類まれな才能が、あなたに与えられたのか」ということを考える必要があります。 才能とは会社を成り立たせるために、天が与えてくれた資質だと考えるべきです。あなたでなければならないという必然性はないのです。 ならば、たぐいまれな才能を授かった者は、それを自分のためだけに使ってはならないはずです。 才能を誇り、傲慢に振る舞うことなく、持てる才能を、「世のため人のために」行使しようとする人間でなければなりません。 合掌
2021/07/19
コメント(0)
宇宙には、すべてをよくしていこう、進化発展させていこうという力の流れが存在している。それは、宇宙の意志といってもよいものだ。すべてに対して「よかれかし」という利他の心、愛の心を持ち、努力を重ねていけば、つまりこの宇宙の意志に合致するような心で努力をしていけば、その人の人生に成功と繁栄をもたらすことができる。私は、どちらかいうと熱心な仏教徒ですが、仏教には、「思念が業(ごう)をつくる」という教えがあります。業とはカルマともいい、現象を生み出す原因となるものです。つまり思ったことが原因となり、その結果が現実となって表れてくるのです。だから考える内容が大切で、その想念に悪いものを混ぜてはいけない、と説いているのです。このことは松下幸之助翁や土光敏夫翁をはじめ歴代の経営者だけでなく、積極思想を説いた哲学者である中村天風さんも、同様の理由から「決して悪い想念を描いてはいけない」と言っておられます。ですから、すべてに対して「よかれかし」という利他の心、愛の心をもち、努力を重ねていけば、宇宙の流れに乗って、すばらしい人生を送ることができる。それに対して、人を恨んだり憎んだり、自分だけが得をしようといった私利私欲の心をもつと、人生はどんどん悪くなっていくのです。宇宙を貫く意思は、愛と調和に満ちており、すべてのものに平等に働き、宇宙全体をよい方向に導き、成長発展させようとしている。このことは、宇宙物理学でいう「ビックバン・セオリー」からも十分説明できます。合掌
2021/07/18
コメント(0)
仕事において、「もう万策尽きた。ダメだ」とあきらめたくなるような局面に追い込まれても、それを終点とは考えず、むしろ第二のスタート地点と考える。そして、そこからさらに強い意志を持って、熱い情熱をかき立て、どんなことがあっても、とことんやり抜いていく ― そのような強靭な粘り強さが必要だ。このフィロソフィは、みなさんに、「何を語りかけている?」と思われますか・・・・・何か一つのことをやり始めたら、それを「成功するまでやり抜く」、その執念にも似た強い思い、また達成するまでやり続ける「継続する力」が、成功するための必須条件だということです。「もう無理だ!」と思った時点を終点とせず、仕事の再スタート地点と考え、成功を手にするまでは絶対にあきらめない粘り強さ。自分に限界を設けない、あくなき挑戦心・・・・・。それこそが、ピンチをチャンスに変え、失敗さえ成功に結び付けることを、可能とするということです。合掌
2021/07/17
コメント(0)
物質には、「可燃性」「不燃性」「自燃性」のものがある。同様に人間にも3つのタイプがある。何かを成し遂げようとするには、「自ら燃える人」でなければならない。自ら燃えるためには、自分のしていることを好きになると同時に、明確な目標を持つことが必要だ。「自燃性」の人とは、「人から言われたから仕事をする」「命令をされたから仕事をする」といったような人ではない。「言われる前に自分からやる」という、積極的な人こそが、「自燃性」の人であり、それは仕事を好きになった人である。私たち人間は、自分の思ったこと・自分の考えで、自分が決めたことしかしません。命令されてする仕事は、すべてやらされ仕事です。そこには、真心も熱意もなく、ただの形があるだけです。しかし、自分の意志で仕事をしよう、自分の役割と責任を意識し、これは自分がやらねばならいと思うような経営システムは、私は、考えればある程度のことは、できると信じています。合掌
2021/07/16
コメント(0)
人生や仕事においてどんな困難な山も、安易に妥協することなく、垂直に登り続けていくことが大切だ。強い意志を持って、一歩一歩地道な努力を日々継続する人は、いくら険しい道のりであろうとも、いつか必ず人生の頂点に立つことができるに違いない。人にはそれぞれ性格があり、普通の山道のように、迂回しながら行進し、余裕をもって登山する人もおれば、なにがなんでも、垂直登攀を目指す人に分かれると思います。私は創業当初から、受注がなければ仕事がないという100%受注生産を選び、日本を代表する大手企業のOEM商品を狙いました。そして、中小企業ではできない生産方式を学びました。フィルムカメラが消滅し、2年で売上が半減した時は、赤字であるのに高額のコンサルフィを払い、アメーバ経営の導入を決定しました。その時は、社員だけでなくステークホルダーからも反対されました。しかし、これまでの既成概念の通り、経営者が経営をするのでなく、この際、組織で、システムで、全員で経営する会社にしたいと考え、アメーバ経営しか考えられなかったのです。途中何回も、少しでも自分に妥協を許せば、そこで努力を継続することを断念し、皆と同調する自分が見て取れました。そんな時、自分を奮い立たせ、無謀を承知で、垂直登攀を目指し続けたのです。合掌
2021/07/15
コメント(0)
私たちの人生は、さまざまな苦難から成り立っている。自分が望んだり、招いたりしたわけではないのに、思いもかけない苦難が次々に襲ってくる。そのような苦難や不幸に翻弄されるとき、私たちは自らの運命を恨み、つい打ちひしがれそうになってしまう。しかし、どんな苦難にも負けず、一心不乱に働くことだ。「働く」ことに、過酷な運命を克服し、人生を明るく希望あふれるものにしていく、素晴らしい力が秘められている。「働く」ということは、苦難や試練を克服し、運命を好転させてくれる、まさに「万病に効く薬」なのだ。人生とは、様々な苦難から成り立っているということは、まさに私の人生でした。生まれてすぐ母方の実家の養子となり、その実家が先の世界大戦で大空襲に合い、疎開中に外国人に乗っ取られるのです。その影響で戸籍喪失となり、12歳まで裁判が続きます。戸籍がないまま、義務教育ゆえに、小学・中学を卒業することができ、何とか京都府立福知山高校の入学前に、家庭裁判所の裁定により復籍します。その後、大学進学を実現しますが、またも大事件に巻き込まれ、1年少々で挫折します。しかし、その大学を卒業できなかったことが、独立するきっかけとなり、今の自分があります。これらを振り返ると、まさに苦難が私の人生を形づくりました。父親にも反抗し、一次は父子断絶状態になりますが、終末の20年間は同居し、息を引き取る瞬間まで看取ることができました。苦難が自分の人生に、幸せを持って来てくれました。働くことは「万病に効く薬」という意味がよく分かります。創業当初は、家庭のことはすべて家内に任せ、私は、ただ一つ、会社をよくすることに専念しました。合掌
2021/07/14
コメント(0)
「正道」とは、自分にとって正しいということではなく、天に恥じることのない、人間として正しい道という意味だ。謀略、策謀を用いたのでは、一時はうまくいくかもしれないが、決して長続きはしない。「人間として何が正しいか」というきわめてシンプルなポイントに判断基準をおき、それに従って正しいことを正しいままに貫いていく。つまり、嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ ・・・・・・そういう子どものころ親や先生から教わったような人間として守るべき当然のルール、人生を生きるうえで先験的に知っているような、「当たり前」の規範に従うことだ。そのように正しい道を踏み、誠を尽くしていくことが、長い目で見れば必ずよい結果につながる。企業経営だけでなく、国の内政も外交も、基本となるのは正道を踏むことです。策略をもって相手を貶めようとすれば、同じ仕打ちがこちらにも返ってきます。力をかさに着て我を通せば人の心は離れます。相手の顔色をうかがい迎合すれば信用は得られません。それは国と国との関係でも同じです。毅然とした態度で臨み、正道を踏むことによってこそ、本当の信頼関係を築くことができるのです。西郷隆盛がいう「正道」とは、我が国にとって正しい、また自分にとって正しいということではなく、天に恥じることのない、人間として正しい道という意味です。外交交渉は正道、天道を踏んで、勇気を持って交渉しなければならない。たとえ戦争になって国が倒れるかもしれないという危険性があっても、正道を推し進めて交渉事をすべきで、恐れおののいて節を曲げてはいけない。外国から理不尽なことを言われても、あくまでも道義を貫いて主張すべきは主張すればいい。西郷隆盛はこういっているのです。すぐ近くのお国と、何かこのような問題があるように思います。合掌
2021/07/13
コメント(0)
自分が置かれた厳しい環境をネガティブにとらえて、卑屈になり、恨みつらみを募らせていくのか。それとも、厳しい環境を、自分を伸ばしてくれる機会として、ポジティブに受け取るのか。いずれの道をとるのかによって、行き着くところが大きく異なってしまうのは、仕事も人生も同じことだ。創業当初(昭和47年)の日本企業は、戦後の経済復興が実を結び、急成長の結果、環境汚染や品質基準が大きく取り上げられ、一流メーカーが、挙ってデミング賞取得に大苦戦している状態でした。いきなり、世界一となった一眼レフカメラのシステムケースの受注からスタートした当社は、ものづくりの指導を受けた訳ですが、それは、町の小企業としては、不可能という程、厳しいものでした。OEM商品の生産中は、そのメーカーの品質管理の人が、付きっ切りで指導・監視されたのです。それでも、七転八倒・苦闘しながら、それに対応できたものですから、今のアクテックが存在しています。それからも、ISO9001品質管理、ISO環境マネジメントシステム、アメーバ経営、ソニーの生産革新へと進化していきます。いずれにしても、厳しさこそが、人を鍛え、会社を鍛えてくれます。合掌
2021/07/12
コメント(0)
動物にしても、植物にしても必死に一生懸命生きていかなければ、生き残れない。しかし、人間だけは「誰にも負けない努力」とか、「一生懸命生きる」ということを言えば、何か特別なことのように感じている。成功するために、一生懸命に働かなければならないのではなく、生きていくために、「誰にも負けない努力」で働くこと、それが自然の摂理なのだ。私たちは、この「誰にも負けない努力」をするということは、特別なことだとつい考えがちです。際限のない努力をするということを、自分たちだけに課せられた、思い命題のように考えてしまうのです。しかし、決してそうではありません。自然界を見れば、どんな動物でも植物でも、一生懸命生きていないものはありません。人間だけが、よこしまなことを考え、楽をすることを願うのです。春先に、家の近所を散歩した時のことです。城跡の石垣の隙間に草が顔を出していました。「あんなところに植物が生えるのかな」と思い、のぞいて見ると、石と石の間にほんのわずかだけ土があり、そこから草が春の息吹を精一杯吸い、芽を出していました。その後、数週間の短い春の内に、その草は太陽の光を一杯に受け、花を咲かせ、実をつけるでしょう。そうしなければ、やがて夏、石垣は灼熱の太陽に照らされ、すさまじい熱さで、枯れてしまうからです。暑い夏がくる前に精一杯に生き抜き、子孫を残す準備をして枯れていくわけです。それは、アスファルト道路の割れ目から顔を出す、名も知らない雑草たちも同様です。水気さえない炎熱地獄のような環境の中で、さまざまな草がもがき合いながら、必死に生きようとしています。それぞれの草が他の草よりも少しでも多く太陽の光を受け、もっと大きくなろうとして、精一杯葉を広げ、茎を伸ばすことを競っています。相手を負かすために一生懸命生きているのではありません。自分自身が生きていくことに一生懸命になるように、自然はもともとできているのです。必死に生きていない植物など、絶対にありません。努力しない草は生存し得ないのです。合掌
2021/07/11
コメント(0)
到達すべき目標とは、つねに自分の力の二割増し、三割増しのところにおいたものとする。そのようにして、未来の目標に向けて、誰にも負けない努力を惜しみなく注ぎ込む。そんな自らの「能力を未来進行形で考える」姿勢こそが、高く大きな目標を達成していくために、もっとも大切なことだ。私たちは、現在の自分の能力で考えて、「できる」「できない」をすぐに判断してしまいますが、そうではありません。人間の能力は、未来に向けて必ず成長し、進歩していくものなのです。実際にみなさんの今の仕事は、数年前には、「とても自分にはできそうもない」と思われた仕事であったのではないでしょうか。しかし今では、それがいとも簡単にできるようになっています。人間というのは、すべての点において進歩するように、神様がつくってくれたものーそう考えるべきです。「私は勉強もしていませんので、知識も技術もありません。だからできません」というのではなく、「私は勉強もせず、知識も技術もありませんが、しかし、やる気はありますから、必ず来年にはできるようになります」と考え、そして、今、この瞬間から、勉強をし、知識を獲得し、技術を修得すれば、未来には秘められた能力を開花させ、素晴らしい成長を遂げていけるはずです。人生をあきらめ、今のままで一生を終わろうなどと思っている若い人は少ないでしょう。しかし、難しい課題を前にすると、ほとんどの人がつい「できません」と言ってしまいがちです。絶対に「できない」と言ってはなりません。難しい課題を前にしたら、まずは自分の無限の可能性を信じることが先決です。「今はできないかもしれないが、努力をすればきっとできるはずだ」と、まずは自分の可能性を信じ、次に必要となる能力をいかに伸ばしていくかを、具体的に考え尽くしていかなければなりません。それこそが、明るい未来へと続く扉を掛けることになるのです。合掌
2021/07/10
コメント(0)
「よく生きる」ためには、「よく働くこと」がもっとも大切なことだ。 働くことの最大の目的は、労働に従事する私たち自身の心を錬磨し、人間性を高めることにある。 つまり、ただひたむきに、目の前の自分のなすべき仕事に打ち込み、精魂を込めて働く。そのことで、私たちは自らの内面を耕し、深く厚みのある人格をつくり上げることができる。 「働くことが、人をつくる」―すなわち日々の仕事にしっかりと励むことによって、自己を確立し、人間的な完成に近づいていく。そのような例は、古今東西を問わず、枚挙にいとまがありません。 世の偉人伝をひもとくと、必ずそのような事実に行き当たります。功成り名を遂げた誰もが、例外なく、努力を惜しまず、辛苦を重ねながら、自分のなすべき仕事に没頭しています。 そして、その果てしのない努力を通じて、偉大な功績を成し遂げるとともに、素晴らしい人間性をもまたわがものとしているのです。 自分に与えられた仕事に、全身全霊を打ち込み取り組む。 それこそが、自分に与えられた命を、全うすることになるのです。 合掌
2021/07/09
コメント(0)
人間は好きな仕事ならば、どんな苦労も厭わない。そして、どんな苦労も厭わず、努力を続けることができれば、たいていのことは成功する。つまり、自分の仕事を好きになるということ ― この一言で人生は決まってしまうと言って過言ではない。いい仕事をするためには、一心不乱に脇目もふらずに仕事に打ち込み、心と身体ごと、仕事を好きになってしまうのだ。いわば仕事と「心中」するくらいの深い愛情を持って働いていくと、人は皆、幸福をつかむことができるのだ。充実した人生を送るには、「好きな仕事するか」「仕事を好きになるか」のどちらかしかないのです。しかし、好きな仕事を自分の仕事にできるという人は、「千に一人も」「万に一人」もいるものではありません。また、希望する会社に入社することができたとしても、希望する職場に配属され、希望する仕事に就ける人など、ほとんどいないはずです。大半の人は、人生の門出を「好きでもない仕事」に就くことから、スタートすることになるのではないでしょうか。しかし問題は、多くの人が、その「好きでもない仕事」に不承不承、従事し続けていることです。与えられた仕事に不平不満を持ち続け、愚痴や文句ばかりを言っている。それでは、すばらしい可能性を秘めた人生を、あたらムダにしているようなものです。何としても、仕事を好きにならなければなりません。「与えられた仕事」を、まるで自分の天職とさえ思えるような、そういう心境にしていくことが大切なのです。「仕事をやらされている」という意識を払拭できないうちは、働く「苦しみ」を逃れることはできません。自分の好きな仕事を求めるよりも、与えられた仕事を好きになることです。自分の好きな仕事を求めるのは、「青い鳥」を探しているようなものです。そんな幻想を追うよりも、目の前の仕事を好きになるのです。好きになれば、どんな苦労も厭わず、努力を努力と思わず、仕事に打ち込めるようになる。仕事に打ち込めれば、おのずと力がついてくる。力がつけば、必ずそれなりの成果が生まれる。成果が出れば、周囲から評価される。評価されれば、さらに仕事が好きになる。こうして好循環が始まるのです。まずは、自分の強い意志で仕事を好きになる。他に方法はありません。そうすることで人生は実り豊かなものになっていくのです。合掌
2021/07/08
コメント(0)
われわれ人間は、生きていく中で、常に判断を迫られる。特に、経営者は、些細な問題であっても、判断をひとつ間違えれば、会社の存続にかかわってくる。 その時、人は往々にして損得を、基準に判断して誤ってしまう。私は、人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことか、という正不正、善悪を判断基準にしてきた。 経営も、人間が人間を相手に行う営みなのだから、そこですべきこと、あるいはしてはならないことも、人間としてのプリミティブな規範にはずれたものではないはずだ。 人生も経営も、人間を律する道徳や倫理に則して行われるべきだし、また、その原理原則に従えば、大きな間違いをしなくて済む。 稲盛塾長から習ったことで、一番ド真剣に語られたことは、「私たち人間が、生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか?」と、問いかけられた時のように思います。 「この世へ、何をしに来たのか?」と問われたら、私は迷いもてらいもなく、生まれた時より少しでもましな人間になる、即ちわずかなりとも、美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます。 俗世間に生き、様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、うまずたゆまず一生懸命生きていく。 そのプロセスそのものを磨き砂として、おのれの人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきた時よりも高い次元の魂を持って去っていく。 塾長は、「このことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです」ということでした。 合掌
2021/07/07
コメント(0)
仕事の中に、ささやかなことに喜びを感じ、感動する心を持って、素直に生きていく。その感動から湧き上がってくるエネルギーを糧に、懸命に働く ― それこそが長丁場の人生を強く生きていく、最良の方法だ。仕事に打ち込むためには、「仕事を好きになる」「仕事を楽しむ」とは言っても、あたかも修行僧が荒行をするかのような、苦しいことばかりでは、長続きするはずがありません。やはり、仕事の中に喜びを見出すことも必要です。周囲から頼りにされたり、成果を人から誉められたりすると、率直に感激し、それを糧として、さらに仕事に打ち込んでいくことです。30年近く、障がい者の就労支援をしていますと、彼等にも必ず、彼等でないとできないことがあります。それとなくそれを誉めると、彼らは、喜んで仕事に取り組んでくれます。そんなことから、当社はアメーバ経営を実践し、日々、予定・目標があるにもかかわらず、彼らは、思わぬ長期就労が実現しています。合掌
2021/07/06
コメント(0)
人生では、ときに失敗してしまうことがあるが、けっしてクヨクヨと感性的な悩みをしてはならない。 「覆水盆(ふくすいぼん)に返らず」。「なんであんなことをしたのだろう、あんなことをしなければよかった」と、いつまでも悩んでみたところで詮(せん)ないことだ。 失敗した原因をよく考え、反省はしなければならない。しかし、十分に反省したのであれば、後は忘れてしまうことだ。 次の新しい目標に向かって、明るく希望を持って、行動を起こしていけばいいのだ。 失敗をしたら、反省をし、そして新しい行動へと移る ― そのような人は、たとえどんな窮地に陥ろうとも、後には必ず成功を遂げていくことができる。 先週の28日(月曜日)も、同じ「感性的な悩みはしない」を書いていますが、ものごとに失敗はつきもの、まず、失敗しても悔やむことがないくらい、全身全霊を傾けて取り組むこと。 それでも失敗したら、今度は発想を変え、新しい思いを抱き、新しい行動に移っていくことです。とにかく、ネガティブな感性的な悩みはせず、常に、ポジティブであることが大切です。合掌
2021/07/05
コメント(0)
反省ある毎日を送る人生では、心を高めていこうとしても、言うは易く行うは難しで、実践することはけっして簡単ではない。よほどの聖人君子でなければ、善い考え、善い行いを貫けるものではない。大事なことは、善きことを思い、善きことをしようと努めながらも、もし悪いことを思い、悪いことをしてしまったなら、謙虚に反省をすることだ。今日、自分がやったことを素直に反省し、明日からやり直そうと心に誓う。そんな反省のある毎日を送ってこそ、私たちは仕事において失敗を回避できるだけでなく、人生において心を高めていくことができる。 一昨日も書きましたように、「欲望」「怒り」「愚痴」の三毒を、まったくゼロにすることは不可能ならば、せめて、定期的に反省する機会を設ける必要があると思います。 悲しいかな、人間とはいくら善いことを思い、善いことを行おうと思ってもついつい至らぬことをしてしまうものです。余程の聖人君子でなければ、善い考え、善い行いを貫けるものではありません。 そのためには、一日が終われば、その日の行動を振り返り、反省することが必要なように思います。 合掌
2021/07/04
コメント(0)
反省ある毎日を送る人生では、心を高めていこうとしても、言うは易く行うは難しで、実践することはけっして簡単ではない。よほどの聖人君子でなければ、善い考え、善い行いを貫けるものではない。大事なことは、善きことを思い、善きことをしようと努めながらも、もし悪いことを思い、悪いことをしてしまったなら、謙虚に反省をすることだ。今日、自分がやったことを素直に反省し、明日からやり直そうと心に誓う。そんな反省のある毎日を送ってこそ、私たちは仕事において失敗を回避できるだけでなく、人生において心を高めていくことができる。 一昨日も書きましたように、「欲望」「怒り」「愚痴」の三毒を、まったくゼロにすることは不可能ならば、せめて、定期的に反省する機会を設ける必要があると思います。 悲しいかな、人間とはいくら善いことを思い、善いことを行おうと思ってもついつい至らぬことをしてしまうものです。余程の聖人君子でなければ、善い考え、善い行いを貫けるものではありません。 そのためには、一日が終われば、その日の行動を振り返り、反省することが必要なように思います。 合掌
2021/07/04
コメント(0)
ひたむきに自分の仕事に打ち込み、精魂込めて、倦(う)まず、たゆまず、努力を重ねていく。それがそのまま人格錬磨のための「修行」となって、私たちの心を磨き、人間を成長させる。そして、そのように「心を高める」ことを通じてこそ、人生を深く値打ちのあるものにできる。人が易きにつき、奢り高ぶるようになってしまい勝ちなのは、人間が煩悩に満ちた生き物であるからです。そのような人間が、心を高めていこうとするときに大切なのが、悪しき心を抑えることです。人間の煩悩は、百八つもあると言われています。なかでも「欲望」「怒り」「愚痴」の三つは、卑しい心、つまり人間を苦しめる煩悩の最たるもので、心にからみついて離れず、取り払おうとしてもなかなか拭い去ることはできません。お釈迦様は、この三つを「三毒」と呼ばれ、人間を誤った行動に導く諸悪の根源だとされています。いわゆる「貪・瞋・痴(とんじんち)」と言われるものです。「人より多くの金銭を手にしたい」「人よりも高く評価されたい」―このような「欲望」は誰の心にも潜んでいて、それが叶わないとなると、人は「怒り」を覚え、・・・「なぜ思った通りにならないのか」と、「愚痴」や「不平不満」をこぼすようになる。人間とは、常にこの三毒に振り回されて生きている、因果な生き物なのです。生きていくうえで、この三毒を全くゼロにすることは不可能なことです。なぜなら、三毒は、肉体を持った人間が生きていくためにはどうしても必要な心だからです。人間が生き物として生きていく上で必要だからだと、自然が本能として与えてくれたものなのです。たとえば、自分という存在を守り、維持していくためには、食欲をはじめとする「欲望」や、自分を攻撃する者への「怒り」、さらには自分が思うような状態でないことに対する「不満」などを払拭することはできません。しかし、それが過剰になってはいけないのです。だからこそ、三毒を完全に除去できないまでも、まずはその毒素を薄めるように努めていかなければならないのです。そのための唯一無二の方法と言っていいのが、一生懸命に「働くこと」なのです。合掌
2021/07/03
コメント(0)
本日は一月一日から数えて百八十三日目となり、一年三百六十五日でいうと、丁度一年の真ん中の日にあたります。 四十代半ばのTさんは、男性の平均寿命がおよそ八十一歳であることを知り、人生の折り返し地点にきたことを実感しました。そこで、これまでの人生を振り返ってみました。 <多くの人のお陰で今の自分があること。自分が誰かに何かをしたことよりも、してもらったことのほうが圧倒的に多い人生ではないか>と思い至りました。 そして、<後半の人生は受けた恩を返していこう。様々な人の役に立つ人間になろう>と決意を新たにしたのです。 これを機に、一年の中間地点となる日が来る度、年始に掲げた目標を思い返して、自分ができていない点を反省し、改めて身を引き締めるTさんです。 一年や年度の中間地点など、区切りのいい日に自身を振り返る機会を持ち、掲げた目標がどこまで達成できているか見直したいものです。 実は、これは今朝の「職場の教養」の一節です。まさに、今の自分の心境を言われているようで、思わず紹介したくなりました。今朝のフィロソフィは明日に延期です。 合掌
2021/07/02
コメント(0)
昨日は、ブログアップを忘れていました。一年に何回かこんなことがあります。継続が大切だといっても、それが「同じことをくり返す」ことであってはならない。継続と反復は違う。昨日と同じことを漫然と繰り返すのではなく、今日より明日、明日より明後日と、少しずつでいいから、かならず改良や改善をつけ加えていくこと。そうした「創意工夫する心」が成功へ近づくスピードを加速させていく。新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性をまっすぐ信じることができる人です。可能性とはつまり「未来の能力」のこと。現在の能力で、できる、できないを判断してしまっては、新しいことや困難なことは、いつまでたってもやり遂げられません。自分の可能性を信じて、現在の能力水準よりも、高いハードルを自分に課し、その目標を未来の一点で、達成すべく全力を傾ける。その時に必要なのは、つねに「思い」の火を絶やさずに燃やし続けるということです。それが成功や成就につながり、またそうすることで、私たちの能力というのは、伸びていくものなのです。「人間の能力は無限だ!」いっけん無理だと思える高い目標にもひるまず情熱を傾け、ひたむきな努力研鑽を惜しまない。そのことが私たちの能力を、自分自身もビックリするほど伸長させる。まだ発揮されていない力が眠っていると信じるべきなのです。合掌
2021/07/02
コメント(0)
全32件 (32件中 1-32件目)
1


