全4件 (4件中 1-4件目)
1
「私たちの人生と復活」 甲斐慎一郎 コリント人への手紙、第二、1章8~11節 キリストの復活は、キリスト教の福音において最も大切で中心的なものです。しかし世の中においても、一般的な意味における復活や復興ということは、非常に重要なことではないでしょうか。それでキリストの復活および一般的な意味における復活を問わず、復活について考えてみましょう。 一、復活--それは人間本来の願望です キリストの復活はともかくとして、私たちは、一般的な意味における復活というものを切に求めているのではないでしょうか。 からだが常に健康で、若々しく、生き生きとしていることを願わない人がいるでしょうか。不老不死は人間の悲願です。科学、特に医学は、このために少しでも貢献しようとしているのであり、体育やスポーツも同じではないでしょうか。 また精神的にも生きる喜びや希望に満ちていることを願わない人がいるでしょうか。文明の発達や文化の向上は、このような心の願いの当然の結果であるということができます。 そして霊的な面において、清く正しく生きることが人の道であり、もしそこから逸脱していれば、更生しようとするのが人のあるべき姿ではないでしょうか。道徳や倫理また宗教は、このことを私たちに教えています。 このように人間は、肉体的にも精神的にもそして霊的にも、復活や復興また更生を切に求めているのです。 二、復活--それは正真正銘の事実です キリストが復活したというと、多くの人々は、「死んだ人間が生き返るはずがない」と一笑に付してしまいます。しかしルカの福音書の二四章には、キリストの復活が事実であることを証明する根拠が三つ記されています。 1.第一は、死体のない墓です この箇所には、三回も墓の中には主イエスのからだが見当たらなかったことが記されています(3、23、24節)。 2.第二は、キリストの顕現です この箇所には、エマオという村へ行く途中のふたりの弟子たち(15節)とシモン・ペテロ(34節)と十一使徒(36節)にキリストが現れたことが記されています。彼らは、よみがえられたキリストを目撃した証人なのです(48節)。 3.第三は、聖書の証言です この箇所には、三回も聖書という言葉が記されており(27、32、45節)、キリストは聖書の預言の通りに死んで復活されたことを私たちに教えています。 三、復活--それは起死回生の秘訣です パウロは、アジヤで非常に大きな苦しみに遭った時、「非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」と告白しています(第二コリント1章8、9節)。これは復活を信じる信仰です。 私たちのからだは、疲れたり、病気になったりすることがあります。しかし再び元気になったり、病気が治ったりすればよいのです。また様々な問題のために失望したり、落胆したり、挫折したりすることもあるでしょう。しかし再び立ち上がればよいのです。さらに信仰が死んだような状態になることがあるかも知れません。しかし再び生きた信仰を持てばよいのではないでしょうか。 キリストは、十字架の上で死なれましたが、よみがえられた方です。聖書は、「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです」と教えています(ローマ6章5節)。 キリストの死と復活を信じる人は、たとえ倒れても、打ちのめされても、また死んだようになっても、再び起き上がり、生き返ることができます。キリストの死と復活を信じる信仰は、私たちに起死回生の力を与え、私たちが苦しみに満ちた人生を歩んでいくために不可欠なものなのです。東京フリーメソジスト昭島キリスト教会
2011.04.25
コメント(0)
「悲しみの人」 甲斐慎一郎 イザヤ書、53章1~12節 預言者イザヤは、キリストが降誕される七百年も前に私たちの罪のために打たれ、苦しめられたメシヤについて預言しています。 一、私たちを愛するあまり悲しみの人、痛みを知る人となられたメシヤ(1~3節) まずイザヤは、メシヤについて「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた」と預言しています(3節)。この「悲しみの人」ということばは、「痛みを知る人」(欄外注)とも訳すことができます。パウロは、「私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです」と述べ、「私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります」と告白しています(ローマ9章3、2節)。 使徒パウロの心には、同胞を愛するあまり、大きな悲しみと絶えざる痛みがありました。預言者のイザヤは、私たちを愛するあまり、「悲しみの人」また「痛みを知る人」となられたメシヤについて預言しています(3節)。 「本当に愛するということは、悲しみを喜んで抱くことです。心をつくし、思いをつくし、力をつくして神を愛することは、人間の知りうるもっとも大きな悲しみに、あなたの心をさらけだすことです。......悲しみを避けようとするときには、愛することができなくなります。愛することを選ぶときには、いつでも多くの涙が流されることでしょう」(ヘンリー・ナーウェン『イエスとともに歩む』102頁)。私たちは、真の愛がこのようなものであることを知っているでしょうか。 二、私たちを愛するあまり私たちの病と痛みと罪を負ってくださったメシヤ(4~10節) 次にイザヤは、メシヤについて「彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。......私たちのそむきの罪のために刺し通され......た」と預言しています(4~6節)。 メシヤは「悲しみの人」また「痛みを知る人」となられましたが、ただ心で悲しみ、痛みを知っているだけでなく、「私たちの病を負い、私たちの痛みをにな」い、「私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれ」て(4、5節)、「私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5章8節)。 「十字架上ですべての人々を彼のもとへと引き寄せられたイエスは、何百万の人々の死を背負われました。......悲しみを伴わない愛は決してありません。痛みを伴わない責任はなく、失う経験のない関わり、多くの死を伴わずに、いのちに『はい』と答えることはできません」(ヘンリー・ナーウェン『イエスとともに歩む』85、102頁)。私たちは、このような神の愛を知り、心から信じて、永遠のいのちを持つ経験をしたでしょうか。 三、私たちを愛するあまり激しい苦しみのあとを見て、満足されたメシヤ(10~12節) 最後にイザヤはメシヤについて「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する」と預言しています(11節)。それは、「彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら」、「多くの人を義と」するだけでなく、「彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる」からであると教えています(10、11節)。 聖書は、キリストは「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」と記しています(第一ペテロ2章24節)。 ヨハネは、カヤパがイエスを殺すための計画を立てた時、その年の大祭司であったので、聖霊に動かされて、「イエスが国民のために死のうとしておられること、また......散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言した」ことを述べています(ヨハネ11章51、52節)。 キリストは、私たちを愛するあまり激しい苦しみを受けられましたが、それによって多くの人が罪を離れ、義のために生きるようになるだけでなく、神の子たちが一つに集められ、主のみこころが成し遂げられるのです。東京フリーメソジスト昭島キリスト教会
2011.04.18
コメント(0)
「熱心党員シモン」 甲斐慎一郎 マタイの福音書、10章2~4節 十二使徒の中にシモンという名の人がふたりいます。ひとりはヨハネの子シモン、すなわちアンデレの兄弟で、筆頭の弟子であるペテロ、もうひとりは熱心党員シモンです。熱心党員シモンのことは、十二使徒の名簿にしか記されていません。 一、イエスの時代の熱心党の起源と創始者と特徴について 旧約聖書の終わりから新約聖書の始まりまでの期間は、神の啓示がなかったので、しばしば「沈黙の四百年」と呼ばれ、「旧新約聖書の中間時代」と言われてきました。 熱心党の起源は、中間時代の後半の紀元前二世紀の半ばに、祭司マッタティヤとその子ユダ・マッカバイオスが異教徒と戦ってユダヤの政治的および宗教的な独立を勝ち取ったことにあります。紀元六年の「人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしました」が(使徒5章37節)、このユダが熱心党の創始者です。ユダは、この反乱の時に死にましたが、その運動は熱心党員に引き継がれて行きました。 熱心党員は、「夜も昼も熱心に神に仕え」る熱心な人たちでしたが(同26章7節)、ローマ帝国の支配に真っ向から反対し、愛国心に燃えて祖国の独立と自由を勝ち取るためには手段を選ばず、暴力や破壊行為など、どのような過激なことも平気で行ったのです。 二、イエスの弟子になっただけでなく、十二使徒のひとりに選ばれたシモン(4節) 四福音書は、熱心党員シモンがイエスの弟子になった経緯について何も記していません。おそらくシモンは、イエスが貧しい者たち、病める人たち、苦しみ悩んでいる人々に愛の手を差し伸べることにおいても、偽善者たちを非難することにおいても、神の国を宣べ伝えることにおいても、熱心であることに心を奪われ、この人こそ「イスラエルのために国を再興してくださる」(同1章6節)メシヤであると確信し、弟子になったのでしょう。 シモンは、弟子としてイエスに従っていくうちに、主の熱心は「知識に基づ」いた健全で正しい熱心さで(ローマ10章2節)、「目的のためには手段を選ばない」という過激な熱心さは不健全でまちがっていることに気づき、心から悔い改めたことでしょう。もしシモンが弟子になってからも、ほかの熱心党員のように暴力や破壊行為も平気で行う人であったなら、十二使徒のひとりに選ばれることはなかったにちがいありません。なぜならイエスは、「ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられた」からです(マルコ3章13節)。 三、ほかの使徒たちと行動をともにし、福音を宣べ伝えて生涯を閉じたシモン イエスが熱心党員シモンを十二使徒のひとりに加えられたのは、キリスト者の歩みや生涯、そして教会の建設や福音の宣教には熱心さが不可欠であることを私たちに教えるためではないでしょうか。なぜなら万軍の主は熱心な神であり(イザヤ9章7節、ヨハネ2章17節)、また主は、なまぬるいことを何よりも嫌われる方だからです(黙示録3章15、16節)。 熱心党員シモンは国粋主義者ですから、使徒の仲間にローマ帝国の権力に屈服し、売国奴呼ばわりされている取税人マタイがいるのを知って驚いたことでしょう。これは、「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方で」あることを教えるためです(エペソ2章14、15節)。 その後、熱心党員シモンは、ほかの使徒たちと行動をともにしています。すなわち最後の晩餐の時には席に着き、復活し、昇天されたイエスを目の当たりにしただけでなく、五旬節の日に聖霊に満たされた時、不純な動機による熱心さが取り除かれ、御霊による愛の火に燃やされ、主の大宣教命令に従って地の果てにまで福音を宣べ伝えました。 シモンは、エジプト、ペルシャ、メソポタミヤに伝道したと伝えられています。伝説によると、ペルシャの町で、のこぎりで引かれて殉教の死を遂げたということです。拙著「使徒ヨハネの生涯」28「熱心党員シモン」より転載東京フリーメソジスト昭島キリスト教会
2011.04.13
コメント(0)
「アルパヨの子ヤコブ」 甲斐慎一郎 マタイの福音書、10章2~4節 イエスの周辺には、ヤコブという名前の人が三人いました。第一は、使徒ヨハネの兄弟で、ゼベダイの子ヤコブです。第二は、アルパヨの子ヤコブです。第三は、イエスの兄弟ヤコブです。アルパヨの子ヤコブのことは、十二使徒の名簿にしか記されていません。 一、イエスの弟子になっただけでなく、十二使徒のひとりに選ばれたヤコブ(3節) ヤコブの父の名はアルパヨで(3節、マルコ3章18節、ルカ6章15節、使徒1章13節)、母の名はマリヤ、兄弟の名はヨセフまたはヨセです(27章56節、マルコ15章40節)。 母のマリヤは、イエスが十字架につけられた時、遠くのほうから見ていた女性たちのひとりでした(マルコ15章40節)。彼女は、イエスに献身的に仕えていた大ぜいの女性たちのひとりではないでしょうか(ルカ8章3節)。ヤコブは、信仰の篤い母マリヤに育てられ、ゼベダイの家は、敬虔な家庭であったにちがいありません。 聖書は、「イエスは......弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた」と記しています(ルカ6章12、13節)。ですからアルパヨの子ヤコブが十二使徒のひとりに選ばれたのは、それ以前にイエスの弟子であり、しかもイエス「ご自身のお望みになる者たち」のひとりでもあったことを教えています(マルコ3章12節)。 二、大ヤコブと呼ばれたゼベダイの子ヤコブに対して、小ヤコブと呼ばれたアルパヨの子ヤコブ(マルコ15章40節) 十二使徒の中にはヤコブという名の人がふたりいたので、ゼベダイの子ヤコブを「大ヤコブ」、アルパヨの子ヤコブを「小ヤコブ」と呼んで区別しました(マルコ15章40節)。 ゼベダイの子ヤコブが「大ヤコブ」と呼ばれたのは、彼の兄弟ヨハネ、そしてペテロとともにイエスのそば近く仕える三人の側近のひとりであったからでしょう。ある人々は、アルパヨの子ヤコブが「小ヤコブ」と呼ばれたのは、ゼベダイの子ヤコブよりも年下であったか、あるいは小柄な人であったからであると言っています。 三、人の目には忘れられた使徒であったが、神の前に忠実に仕えて生涯を閉じたヤコブ 確かにアルパヨの子ヤコブは「小ヤコブ」と呼ばれるような小さい人物で、十二使徒の中では全く目立たない存在です。現に彼のことばは、新約聖書の中には何も記されていません。しかしヤコブは、ほかの使徒たちと行動をともにし、五旬節の日には聖霊に満たされ、イエスの大宣教命令に従って、地の果てにまで福音を宣べ伝えました。 イエスは、カナの婚礼において水をぶどう酒に変えるという奇蹟を行い、栄光を現されました(ヨハネ2章11節)。しかしその前に手伝いの者たちに水をくませています。この仕事は決して生易しいものではありません。これは陰の労苦であり、舞台裏です。何事も、それが完成するまでには、目に見えない働きというものがあり、舞台裏における周到な準備と陰の労苦がなければ、舞台の表において立派な芝居をすることはできません。 神のわざは、有名で偉大な人を通してのみ行われるのではありません。名の通った非凡な人物の陰に、数え切れないほど多くの無名の人たちの労苦があったことを忘れてはなりません。いやこの名もない無数の聖徒たちの隠れた働きがなければ、奇しい神のわざが成し遂げられることはなかったでしょう。 ヤコブの子ユダ(タダイ)とアルパヨの子ヤコブの「二人は『認められていない人たちの守護聖人』と呼ばれてきています。彼らは、幾世紀を通じて忠実に主にお仕えしてきた数え切れないほど多くの無名の人々を代表し、忘れ去られた弟子たちの大群を率いているのです」(レスリー・B・フリン著『十二使徒』194頁)。 一説によると、ヤコブはペルシャに伝道し、十字架につけられて殉教したと伝えられています。またほかの伝説によると、のこぎりでひき殺されて殉教したということです。拙著「使徒ヨハネの生涯」27「アルパヨの子ヤコブ」より転載東京フリーメソジスト昭島キリスト教会
2011.04.06
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1