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俳句1万句の旅☆彡 ただ一人ながめる庭や3月尽 ☆彡 季語:3月尽(さんがつじん)陰暦の3月尽は行く春の名残りがこもるが、近来は陽暦の3月が終わることに使われている。
2007年03月31日
☆彡 ア メ リ カ の ホ ー ム レ ス ☆彡2007・4・1米国で公園や道路などで寝泊りしている路上生活者(ホームレス)は推計で75万4000人に上ることが、米住宅都市開発省が行った初の全米規模の調査でこのほどあきらかになった。厚生労働省が平成15年(2003年)に実施した調査によると、人口が米国の半分以下の日本のホームレスは約2万5300人。統計の取り方にもよるため単純比較はできないが、米国の数は日本の30倍に相当することになる。住宅都市開発省は、施設の拡充や住宅確保支援のほか、ホームレスの多くが患う精神障害やアルコール・麻薬中毒の治療など対策を強化する必要性を強調。2008年会計年度(2007年10月~2008年9月)予算で、支援事業に前年より約2億ドル多い16億ドル(約1900億円)を議会に要請している。 (産経新聞より)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~大阪のホームレスといえば、大阪城公園と天王寺公園付近に集中していると聞いたことがある。ホームレスといっても青いビニールシートなどのテントを張ってその中で暮らしている人たちのことで、路上で寝起きしている人たちとは違うのだが・・・はっきりした数は知らないが、たしかテントの数でいえば、800~1000はあるだろうということを聞いたことがある。今は、1000を超えているかも知れない?最近は、国際的なイベントなどにおいて大阪のイメージを悪くするという理由から府や市の方でホームレス対策への取り組みがはじまっているようです。
2007年03月31日
俳句1万句の旅☆彡 舞妓いし枝垂れ桜の花影に ☆彡 季語:枝垂桜(しだれざくら)エドヒガシの園芸品種で、細い枝が下垂しているのでこの名がある。
2007年03月30日
☆彡 タ カ ラ ヅ カ に 桜 咲 く ☆彡2007年3月30日45人、スターへ一歩。兵庫県宝塚市の宝塚音楽学校(小林公平校長)で3月30日、第95期生の合格発表があり、15~18歳の計45人が20倍近い難関を突破し、タカラジェンヌへの夢をつかんだ。午前11時、在校生が校舎横に合格番号を掲示すると一斉に「あったー、あったー」と歓声が上がり、涙を流す合格者が家族と抱き合う姿も。台湾出身の元プロ野球選手大豊泰昭さんの長女古荘祐子さん(15)も合格。「みんなから愛されるスターになりたい」と抱負を語った。サッカー元日本代表で湘南ベルマーレのヘッドコーチ浅野哲也さんの二女琴さん(16)も「大好きなことがかなった。本当にうれしい」と涙をぬぐった。合格者の出身地は18都府県で、東京が最多で11人、大阪7人、兵庫5人、神奈川4人など。3月にクラシックバレエと声楽、面接による入学試験を行い、海外も含め昨年より100人少ない863人が受験した。入学式は、2007年4月19日。宝塚歌劇団の舞台を目指し2年間レッスンを積む。
2007年03月30日
☆彡 風 呂 好 き 人 間 ☆彡なぜ僕は、風呂が好きなのだろう。・。・自宅でもしょっちゅう入るし、近くにある小さな銭湯には、2週間に1回は行っている。ボストンバックに風呂用具を入れて、歩いて10分”約1時間は、銭湯のお湯の中で過すのです。泡風呂・電気風呂・露天風呂・薬湯などゆっくりとバスタイムを楽しみます。そしてスーパー銭湯にも月1回は行く。家で風呂に入れば何も銭湯に行かなくてもいいじゃないかと思うでしょう。でも、銭湯が好きであれば行くのは当たり前””家の風呂では味わえない気持ちよさがあるから銭湯に行くのです。心と身体の癒しになり心が和むから行きます。
2007年03月30日
☆彡 ヘ ミ ン グ ウ ェ ー の 恋 文 ☆彡米ボストンのケネディ大統領図書館は2007年3月29日、米国のノーベル賞作家、ヘミングウェー(1899~1961年)が、ドイツ出身の往年の名女優、マレーネ・ディートリヒ(1901~1992年)に対し、情熱的な言葉で思いをつづっていた30通の手紙をメディア向けに公開した。同図書館やAP通信によると、二人は1934年、乗り合わせた船上で知り合った。30通の手紙は1949年以降に送られ、1950年の手紙には「 君はあまりにも美しい。(だから特別に)9フィート(約2.7メートル)大の旅券用の写真が必要になるだろう 」などと美貌をたたえる言葉が並べられていた。今回の手紙はディートリヒの娘が2003年、内容を2007年まで公開しないことを条件に、ヘミングウェーのコレクションで知られる同図書館に寄贈していた。
2007年03月30日
文楽へらへら日記☆彡 足 の 状 態 ☆彡足の状態はあまりよくない。今、へらへら日記を書いていても時々・・・くるぶしがチクッとする。桜が咲いたというのになぜ完治しないんだ。 足はいつ治る
2007年03月30日
俳句1万句の旅☆彡 旅人や桜たずさえ北帰行 ☆彡 季語:桜(さくら)
2007年03月29日
☆彡 文 楽 の 時 代 ☆彡書くことは今を生きる人の楽しみの必須ツールである!!本を読むことと同じ楽しみといえるのではないか。それは、パソコンやケイタイ電話というものができ・・・世界的な規模のインターネットが普及したからそういうことが言えると思うのです。書くことは本来はアナログであって・・・ペンなどの筆記具で紙に書くというのがこれまでの書くという時代であったはずです。それが今はデジタルというものによって何もかもが新しく流動する変革の時代になってきました。書くという表現作法なども例外ではありません。そして今は、多くのにわか作家も誕生しています。ケイタイによって書きながら作家になることだって・・・パソコンやケイタイががなかったら、これほどまでに書くという人は誕生しなかったことでしょう。あなたの趣味はなんですか?ブログにて日記を書くのが趣味です。メールマガジンを発行しています。自分史を書いています。ケイタイで交換日記をやっています。そういう人が数多く誕生しています。年齢や肩書きや貧富に関係はありません。老いも若きも世代を越えて書くという楽しみを味わう人が多くなってきたのです。ますます書くことを通じて色んな方との交流ができるという考えられない時代に入ってきました。スカイプなどにより、音声により世界中の人との直接対話もできる。そんな時代にもなってきた。ケイタイの短いメールでも、それは書くことです。誰もが文章を書いて誰かととの意思の疎通をはかっている、そんな時代になりました。何かを書く”” 何かを表現して楽しむ””そういう人々がどんどん増えています。アナログ時代~デジタルの時代へ。・。・。・人間の暮らしはどこまで変化して行くのでしょう。書くという行為は、人をどれほど豊かにするのでしょう。ますます書いて楽しむ時代になりました。これからは、書くことによって文を楽しむ時代です。「 文を楽しむ文楽の時代 」といえます。
2007年03月29日
☆彡 地 震 か ら 学 ぶ こ と ☆彡まず、今回能登半島地震で被災された方々に対して心からお見舞い申し上げます。余震もあって安心して眠れない日々ですが、一日も早く復旧されることをお祈りします。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~地震というのはいつどこで起こっても不思議ではない!!そのために自分は、どんな準備をしているだろうか。・。・それを言われると、何も準備や対策をしていないことに気がつく。今、大地震が発生したら・・・海中電灯はどこだった?ラジオはどこにあった?携帯電話はどこだった?避難場所は?火災が起こったら?非難の際の携行品は?衣服は・食料は・金銭は?地震発生の時は、右往左往してどう行動していいかわからずにボーっとしているだけか?机の下に隠れるぐらいなのか?こんなことを考えたら全く地震などの災害に対して何も備えていないことに気がつく。遠い地域での地震発生だから・・・他人事のように思っているが、明日は近畿地方で大地震が起きるかも・・・それを感じてしっかりと地震対策を考えて行動マニュアルを作っておかなければならない。それが自分の命を守ることであり、幸せにつながる大切なことではなかろうか?凡人には凡人なりの非常事態対処法があるというものだ!!地震は忘れた頃にやってくる。そう思えば明日はわが身が被災者かも知れないのだからシッカリ最小限の対策はしておかなければならない。今、そのように思っています。
2007年03月28日
恋 の 予 感 なんとなく気になって・・・ いつもあの人のことでいっぱいになる 不思議なことではないと知っていても なぜか気になるのです だってーだってー あの人を好きになってしまったんですもの あの人のことを口にだすと 顔がほてるのです 夢でもいいのです ずっとずっとこの恋がロマンチックに おわってくれればー 本当ならもっといいのです
2007年03月28日
文楽へらへら日記☆彡 足 の 状 態 ☆彡なぜ足はよくならないのか?だいぶ暖かくなってきたのに・・・へらへら気分でいられると思ったのに。いまだにくるぶしが痛むときがある。アキレス・足のかかとが痛いときがある。3月28日、 喫茶店のマスターいわく。。。文楽さん”” そんなもんとちがうかあ~こういったのである。う~ん””完全に治るなんてないのかも””そんなことを感じさせられる一言だった。だが、いつかは完全に治るときが来る。僕はいま、それを信じているのだが。・。・。
2007年03月28日
スキンヘッド物語☆彡 散 髪 を し た ☆彡2007年3月28日。仕事の帰りにいつもの散髪屋さんに行った。椅子にすわるとすぐ「どうしますか?」と聞いたので・・・僕は、「スポーツ刈りで一番長いのでたのみます」といった。そして「ハサミでやってほしい””ハサミでやるといくら?」そう聞くと「顔剃り・シャンプーともで1900円ですが・・・」「それでたのむわ””」僕はそうこたえた。機械(バリカン)は、13ミリまででそれ以上の長さだとハサミの使用となるので、僕の頭は14ミリくらいだろうか。そこの散髪屋さんは、バリカンだと1700円だから・・・ハサミ散髪になると散髪代は200円高くなる””散髪は約30分で終わったけど、散髪中かなり眠った。6・7回は、頭が前に倒れていき、散髪屋さんがその都度額に手をやって真っ直ぐに頭を元にもどしている。それをやっているのはわかるのだが・・・僕は正気状態ではなく目は半眼状態であった。疲れているなあ~仕事疲れなのかブログ疲れなのか?とにかく疲れているということが散髪をしていてわかった。散髪が終わってやっと正気にもどった。終わってようやく元気がでた。散髪すると元気になるって本当です。やはり””気分一新””の感じがするである。散髪は、すがすがしくって気持ちのよいものだ。いつもそう思ってまたやる気がでるのであった。
2007年03月28日
☆彡 桜 酒 ・ 桜 茶 ☆彡今日は桜の日です。3×9=27のごろあわせ(咲く)大阪も開花宣言があったのですが、桜には健康的な効用もあるといわれています。満開になった桜を見ることによって生じる精神的なウキウキ感がどうもいろんな効用をもたらすようです。花見による効果作用といえるのでしょう。桜の花には殺菌力があるサクラニンや食欲を促すアミグダリン、ケラシアニンという物質に芳香成分のクマリンが含まれています。桜の花弁で、桜酒や桜茶をつくって飲むのも健康にいいかと思います。桜酒と桜茶の作り方は簡単です。桜酒は、花弁100グラムと同量の氷砂糖に焼酎1.8リットルを注ぎ、1ヶ月ほど熟成させるとできあがりです。桜茶は、花弁に塩を振りかけながら重ね、重石をしておくとできあがりです。桜酒には疲労回復・安眠効果があるし、桜茶には二日酔いに効果があります。桜酒で一杯というのもオツなものです。今年は、是非つくってみて下さいね。桜はバラ科の落葉高木で種類は、自生・栽培種あわせて300種類以上もあるそうです。桜の下には花の気が宿っています。桜の下で休みをとれば森林浴ならぬ「桜花見浴」の効果もあるかと思います。天気のよい日は誰にも遠慮することなく桜の下にゴザを敷いて「桜花見浴」といきますか””桜を見たり、桜の下で休んだりするだけで健康になれるのです””
2007年03月27日
片 思 い 二人でコーヒー飲みながら 会話をし 自然に 二人は友達・・・えっ恋人 そうなるともっともっといいのです でもーこの恋も多分・・・ 片思いで終わるでしょう そうなることが・・・ とても 悲しいの
2007年03月27日
☆彡 歌 舞 伎 パ リ 公 演 ☆彡2007年3月26日夜(現地時間)パリオペラ座歌舞伎公演の関連イベントとしてパリ市内の国立映画館シネマテックで市川團十郎、市川海老蔵とオペラ座バレエ団のブリジット・ルフェーブル芸術監督らによる対談が行われた。歌舞伎独自の芸術性など話は盛り上がり、團十郎が「歌舞伎を演じるのに大切なのは気と精神性。市川家では神が降りるようなつもりで舞台をつとめている」と述べると、場内を埋めた聴衆から感嘆の声が上がった。イベントではまず、市川團十郎家の歴史や芸の継承を描いたドキュメンタリー映像などが上映され、続いて團十郎らが、観客から質問を受ける形で対談が進行。今後の歌舞伎の方向性を質問された海老蔵は、「スピーディーさとゆったりした時間の流れの両面が大事。僕もいまに生きるエンターテイメント性を持ちつつ、スピードのある舞台を作ってゆきたい」。また團十郎は歌舞伎の世界無形遺産の認定について「歌舞伎はいま日本で大変盛ん。世界無形遺産になったことをいい形で海外にもっと発信してゆきたい」と述べた。今回のオペラ座公演を招聘(しょうへい)したルフェーブル芸術監督が「舞台を見て改めて、歌舞伎とは人生のすべてをかけて向上してゆく素晴らしい芸術だと感じた」と話すと、大きな拍手がわき起こった。
2007年03月27日
♪ 桜 が 咲 い た ♪2007年3月27日。大阪と奈良に桜が開花したと大阪管区気象台が3月27日、発表した。大阪は、気象庁の発表より2日遅れとなったが、平年より3日早く去年より1日早い開花となった。ソメイヨシノは開花してから1週間で見ごろを迎えるが今週は暖かい日が続くといい、早ければ今週末にも満開になると予想されている。昨日3月26日には初蝶を見たし、今日3月27日は春の雷がなった。(ゴロゴロと1回だけ。。。)雨は時雨のごとく止んだり降ったり・・・暖かくなったから裸足でも平気でいられるようになってきた。
2007年03月27日
俳句1万句の旅☆彡 春雷や本を読みてはまた閉じて ☆彡 季語:春雷(しゅんらい)立春が過ぎて鳴る雷。夏の雷のような激しさはない。
2007年03月27日
☆彡 桜 始 開 ☆彡2007年3月26日(旧2月8日)上弦の月です。今日は、桜始開(さくらはじめてひらく)といい、桜の花が開きはじめる頃だそうです。大阪もまだちらちらと咲いたくらいでしょうか。今日のような暖かい日が続くとあっというまに花開くことでしょう。花見・花見で浮かれ気分になるのももうすぐだ。桜よりアンズの花の方が咲くのは早い。ユキヤナギも満開だが風が吹くと白い花を道路に散らせている。シモクレンは満開、ボケの花も開いた。ツツジの花芽も小さくつきはじめている。いよいよ蝶も飛び交う春が来たようだ。 春風の花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり 西 行
2007年03月26日
☆彡 有 馬 温 泉 の 芸 者 さ ん ☆彡兵庫県の神戸の近くに「六甲山」という有名な山がある。その山系に、これまた関西では有名な「有馬温泉」がある。白くぬった顔にあでやかな紅を筆で引く。座敷に上がる直前の、一番身の引き締まる瞬間だ。関西の奥座敷として名高い有馬温泉(神戸市北区)には古都、京都にもひけをとらない芸者衆がいる。約20人の芸者らを率いる「有馬検番」で置屋を運営し、自らも芸者の倖梅(こうばい)さん(71)。ピンと伸びた背筋に宿る凛としたたたずまいは、日本最古の温泉街を彩ってきたという自負と誇りを感じさせる。不況による接待の減少やスーパー銭湯の台頭など、年々押し寄せる時代変革の波は、伝統を誇る名湯にも押し寄せている。芸者の仕事も、質量ともに以前に比べて落ちたと倖梅さんは憂えている。だが「有馬には芸者は不可欠」と力説する。有馬川にかかる太閤橋を渡り、座敷に急ぐ芸者の姿は有馬の四季を鮮やかに演出する。「チントンシャン」つややかな三味線の音が湯の香漂う有馬の小道から聞こえてきた。「よーい湯(とう)、よい湯」江戸時代から続く有馬温泉の入初式(いりぞめしき)威勢のいいかけ声で新年の訪れを告げるこの行事には、とりわけ芸者の存在が欠かせない。芸者衆が安土桃山時代の芸者、湯女(ゆな)にふんして温泉からくみ上げたばかりの初湯をさます””湯もみ””を行って初めて、その年の有馬の湯が開かれる。湯女の姿を見ようと毎年、大勢の観光客が訪れる。倖梅さんが「有馬に芸者は不可欠」という理由のひとつだ。昭和25年、15軒の置屋が一つにまとまって芸者の事務所「有馬検番」が作られた。最盛期には約150人の芸者が籍を置いていたが、今では15軒あった置屋も4軒に、芸者は20人弱になった。湯村、城崎、福原などの検番が廃止される中、有馬検番は兵庫県内で唯一残っている。「最近は、お座敷遊びになじみの薄い人が増え、コンパニオンと芸者の区別があいまいになった」と嘆く倖梅さん。時代の流れには逆らえないが「流れを逆手にとりたい」と息巻く。「芸者は座敷で成長する。座敷で教えられることはたくさんあった」と言う倖梅さんが先日出たある座敷でのこと。女性が大勢いる社員旅行で、昔ながらの踊りやゲームをすると「こんなに楽しいのは初めて」と多くの女性が笑顔を浮かべてくれた。お昼に女性を対象にしたお座敷は設けられないだろうかーー。近隣のホテルと、新しい企画が進行中だ。「粋な客が減ったのなら仕掛けていくだけのこと」お座敷の粋な遊びは誇るべき日本文化。有馬からその火は消さない。衰えない」攻めの姿勢が日本の名湯を支えている。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ここからは、余談ですが・・・僕がはじめて芸者さんを知ったのは有馬温泉でした。23・4歳の頃、仕事場の仲のよい同僚5人と有馬温泉でたしか、一泊二日の忘年会だったと思うのですが・・・ひなびた旅館でボタン鍋(猪鍋)を食べたとき同僚のだれかが「芸者さん呼ぼう」と言い出して・・・来てくれたのは、着物を着たおばあさん””歳は60歳くらいだったでしょうか?三味線を奏でながら、都都逸や有馬に伝わる古い歌をうたってくれたのを思い出します。ぼたん鍋を食べたのもはじめてだった。ぼたん鍋とはこんな味なのかと思った。忘れられない若き頃の有馬温泉での宿泊””でした。
2007年03月26日
蝶の日記☆彡 初 蝶 を 見 た 記 念 日 ☆彡2007年3月26日、14:30分頃に初蝶をみた。あまり暖かいので上着を脱いで仕事をした。そして外に出たところ、なんと一匹の蝶が・・・ヒラヒラと舞っているではないか””高く1.5メートルくらいのところを飛んだり、地面すれすれを飛んだりとこの世に生まれたことを楽しんでいるような舞い方であった。おおぅ 初蝶ではないかと僕はうれしくなってじっと見たのですが、おやおやこの蝶は、ヒラヒラと舞うのはよいが、止まるのはいつも地べたでした。うむぅ 翅をべたっと地面に広げて止まるのですぅ・。・。たしか蝶が止まる時は、翅を広げず左右の翅を合わせてとまるというのが蝶ではなかったのか?白と黒の縞模様からすれば蝶だと思うし、翅をべたっと広げるのは蛾のような気もするし・・・そう思いながら約10分くらい見つめていた。蝶だと思うのだけど、どうも紋白蝶のような・・・これが春の蝶だあ~というような蝶ではない。唱歌のちょうちょ・ちょうちょ・菜の葉のとまれのちょうちょ・ではないから初蝶といってももうひとつすっきりしない気持ちだった。蛾ではないのか。・。・。それも昼に飛ぶ蛾。。。?あとで蝶の図鑑で調べてみよう。
2007年03月26日
俳句1万句の旅☆彡 想い出の温もりうれし春炬燵 ☆彡 季語:春炬燵(はるごたつ)春になっても冷え込むことがあるので、しまわず残してある炬燵。
2007年03月26日
ノ ー ト さ ん ノートさん 今までいろいろ書かせていただきまして あなたのおかげで・・・・・ありがとう あなたのおかげで思い出として残る かずかずの日々を書かせていただき ほんとうに ありがとう むだ使いしたこともありました きたない字で書いたこともありました だけど・・・それも思い出に残ると思うのです ノートさん あなたとは長いつき合いですネ 私がエンピツをもち字を書くようになってから・・・ というもの ずっと今でも・・・ ノートさん どこにに行ってもあなたことは ぜったい忘れません これからも使わせて下さいネ そして・・・ 大切に使います 今までのことは許して下さいネ 白い白いノートさんんへ。・。・。・
2007年03月26日
俳句1万句の旅☆彡 群れ飛びて雀あつまる春田かな ☆彡 季語:春田(はるた)まだ苗を植えつけていない田。刈り取ったままの田。
2007年03月25日
☆彡 團 十 郎 に 「 ブ ラ ボ ー !」 ☆彡市川團十郎のにらみにパリの人々は息をのんだー。史上はじめてとなるパリ・オペラ座での歌舞伎公演は、2007年3月23日夜(現地時間)、初日を迎えた。シャガールの幻想的な天井画に、シャンデリアがまばゆいオペラ座場内は歌舞伎仕様に。西洋と日本が見事にマッチした劇空間で、團十郎の弁慶、海老蔵の富樫、市川亀治郎の義経による「勧進帳」が上演された。「 口上 」では、フランス語であいさつ。團十郎は「 憧れのガルニエ(オペラ座)で歌舞伎ができて大変光栄です 」。何度もカーテンコールが繰り返され、「 ブラボー 」の歓声が響き渡った。
2007年03月25日
☆彡 托 鉢 の ド イ ツ 人 ☆彡ドイツ人修業僧が毎日托鉢をしている。身長2メートルのドイツ人修業僧、マルクス・ザピオンさん(40)が大阪市北区梅田かいわいを中心に連日托鉢に取り組んでいる。街を行き交う人々から飛び出した笠姿の頭がひときわ目を引き、多くの人々から寄付を募っている。ザピオンさんはドイツのベルリン出身。母国のテレビで見た兵庫県美方郡新温泉町のドイツ人住職の禅寺、安泰寺に感銘を受けた。その直後に一念発起し、仕事をやめて2005年10月に来日して参禅した。禅宗寺院では台所は神聖であり、重要とされる場所。元コックのザピオンさんは「禅も料理も心。調理の仕事をするにあたって良い修練になるはず」と僧門に入った理由を話す。入門と同時に日本名「大心」をもらって托鉢を開始した。一日6時間以上従事し、「足は痛いし最初はしんどかった」。しかし、お経を唱え続け、寄付をしてくれる人の対応にふれることですべての人々に「ハート・トゥ・ハート」で接することができ、さまざまな人に対して等しく感謝の心を持てるようになったという。笠をかぶり、けさを着た外国人の姿は街中の注目の的。なかでも、32センチの足にあわせて作ったわらじは「必ずじろじろ見られる」。ザピオンさんは今年2007年5月に帰国して、ドイツで友人と「禅」をテーマにしたレストランの開店を計画している。今の課題は「エゴ(煩悩)を捨てること」と、きょうもどこかの街角で「般若心経」を唱えている。
2007年03月25日
愛 に な る な ん て なんの気なしに かわした言葉 それが やがて 愛になるなんて だれも だれも わかってくれない
2007年03月25日
春 宵 会 の 女 花の便りもそこかしこ京の町も華やぎて ねねの住む道ねねの道ゆけば山荘京大和 「 春宵会へようおこしやす 」 いつもやさしき京ことば 提灯もって石段を登ればそこは春宵会の灯に お座敷きあれば人はみな誰を待ちたる夢の夜 「 こんばんは よろしゅうに 」 芸妓・舞妓が襖をあけて両手をついてごあいさつ 今からはじまる祇園甲部の京舞でごゆるりと 京の雅を楽しんでおくれやす 金銀屏風衝立に赤い扇の舞妓さんー 扇きんきら舞妓をどりをはじめたる 優雅に舞えばみんなうっとり春の夜 花の簪だらりの帯が「 今宵一刻値千金 」 三味の音色に祇園小唄がはじまって 深紅絨毯衝立に金の扇の芸妓さんー 祇園芸妓の名人をどりはじめたる 恋のときめき白襟光る「 春宵一刻値千金 」 芸妓舞妓は京舞終えて襟に小さな名刺をかざし 一人ひとりに会釈のお酒 ついでまわれば 春の夜窓に月星さえて ああ美しきひとときよ 今宵ひととき春宵会は ああ~「 値千金 」
2007年03月25日
俳句1万句の旅☆彡 春しぐれ鞄のなかにチョコレート ☆彡 季語:春時雨(はるしぐれ)春に降る、時雨のように降ったりやんだりする通り雨
2007年03月24日
俳句1万句の旅☆彡 竣工のビルの谷間に彼岸ざくら ☆彡 季語:彼岸桜(ひがんざくら)春の彼岸の頃、他の桜にさきがけて咲く。花はやや小さく一重咲の淡紅色である。
2007年03月24日
俳句1万句の旅☆彡 木肌より屑こぼれるや春椎茸 ☆彡 季語:春椎茸(はるしいたけ)椎茸は四季を通じて採れるが、秋に最もよく生育し、春はこれに次ぐ。
2007年03月23日
春 が 来 た 男 春が来た あの山こえて故郷の桜のつぼみ花ひらき 夢まぼろしのわが胸に春がきたよと思うとき いとうれしきや美しき蝶もひらひら舞う日には 思えば母の懐に飛んでいきたいあたたかさ 夢よりさめて今宵また春の憂いに何想う 星ふる里で父母に抱かれ月を見たるとき うさぎの影絵恐ろしく母の乳房に隠れたり 春が来た あの日あの時故郷の花につつまれ眠るとき 恋する乙女訪ねきて春がきたよと告げるとき いとうれしきやあらたまの萌ゆる若草青々と 遠き思い出うるわしく百花繚乱咲き誇り 今日も心の故郷へ 旅にさすらう人あれば 元気に暮らせ叫ぶとき こだまとなれる人声は 春や出船の銅鑼の音友のやさしさ身にしみん
2007年03月23日
☆彡 北 野 を ど り・古 都 に 春 ☆彡京都最古の花街・上七軒(京都市上京区)の歌舞練場で2007年3月22日、古都に春の訪れを告げる恒例の「北野をどり」の衣装合わせがあり、舞妓や芸妓約20人が華やかな着物姿を披露。真剣な表情でパンフレット用の写真撮影に臨んだ。北野をどりは2007年の今年で55回目。3部構成で、縁結びの神社をめぐる恋物語の舞踊劇「ゑにしの宮」、京都の四季を表現する舞踊「色はにほへど」と続き、舞妓や芸妓約20人が総出演する「上七軒夜曲」で締めくくる。北野をどりは2007年4月15日から4月25日まで。茶券付きで4300円。問い合わせは上七軒歌舞会。電話:075-461-0200
2007年03月23日
俳句1万句の旅☆彡 もうすぐや白鳥帰る羽づくろい ☆彡 季語:白鳥帰る(はくちょうかえる)白鳥は11月初め樺太やシベリア地方から渡ってきて翌年3月には帰ってゆく。
2007年03月23日
俳句1万句の旅☆彡 手をつけて水の温むを喜べり ☆彡 季語:水温む(みずぬるむ)春になって日ざしが暖かくなり、気温が上昇すると、沼や池などの水もぬるんでくる。
2007年03月23日
☆彡 城 山 三 郎 さ ん 逝 く ☆彡2007年3月22日経済小説の第一人者で「小説日本銀行」や「毎日が日曜日」で知られ、組織と個人のあり方を問い続けた作家、城山三郎(本名・杉浦英一)氏が22日午前6時50分、間質性肺炎のため、神奈川県内の病院で死去した。79歳だった。名古屋市出身、東京商科大(現・一橋大)卒。1959(昭和34)年に直木賞を受賞した「総会屋錦城」で経済小説のジャンルを開拓。「辛酸」「雄気堂々」など、政治経済の動きにからむ人間の内面を照射した作品を相次いで発表した。また「落日燃ゆ」「指揮官たちの特攻」など戦争を題材にした作品や、「もうきみには頼まない」や「粗にして野だが卑ではない」などの伝記も多数。カナダの実業家、キングスレイ・ウォード「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」の翻訳はベストセラーになった。経済小説のパイオニアとして活躍した城山三郎さん””組織の中で生きる人間の苦悩を描き続け、一徹に生きる人物を愛したが、城山さん自身、不正を憎み、まっすぐに筋を通す人柄だった。城山文学の原点は、戦争体験にあるといわれる。志願して海軍特別幹部練習生となり、終戦を迎えた。軍国少年だったが、上官が新兵をいじめるなどの組織悪に失望。そして国家の大儀がもろくも崩れ去るありさまを目のあたりにした。この体験は直接「大儀の末」(1959年)として小説になったが、城山さんの目は、リーダーのあり方に向ってゆく。吉川英治文学賞と毎日出版文化賞を受賞した「落日燃ゆ」(1974年)では、A級戦犯として唯一文官で処刑された元首相、広田弘毅の生涯を、国策に反対しながらも自らの責任を引き受けた人物として描いた。また「辛酸」では足尾鉱毒事件で鉱毒防止に奮闘した田中正造を主人公に、正義と信念のありかたを描き、財界人から国鉄総裁となった石田礼助の生涯を描いた「祖にして野だが卑ではない」では、明治人の一徹さと海外生活で学んだ合理精神を前面に出した。高度成長期に長く経団連会長を務めた石坂泰三を描いた「もう、きみには頼まない」(菊池寛賞)は、田中角栄首相の金権体質を嫌う気骨あふれる石坂の姿が印象的だ。国家統制につながる動きには生涯を通して異を唱え、2003年に成立した個人情報保護法の審議過程では敢然と反対の論陣を張った。勉強家で政財界に知己が多い一方で、”絶対に形の崩れない男”ともいわれた。
2007年03月22日
☆彡 村 上 春 樹 渾 身 の 完 訳 ☆彡チャンドラー代表作「 ロング・グットバイ 」米ハードボイルド小説の巨匠、レイモンド・チャンドラー(1888~1959年)の代表作「ロング・グッドバイ」を作家の村上春樹さんが翻訳し、今月早川書房から出版した。この作品は1958(昭和33)年に同社から出版された故清水俊二さんの名訳「長い別れ」がよく知られているが、今回の村上版は細部まで丁寧に訳されており、ほぼ半世紀を経て、”完訳版”が日本に登場した形だ。「 ロング・グッドバイ 」はチヤンドラーが1953年に発表。私立探偵フィリップ・マーロウが登場する長篇第6作で、ミステリーファン以外にも愛されてきた傑作だ。清水訳の「 長いお別れ 」は、現在までに110万部のロングセラーとなっている。村上さんは小説執筆の傍ら、数多くの翻訳も手がけてきた。昨年秋にはスコット・フィッツジェラルドの代表作「グレート・ギャツビー」の新訳を出し、ベストセラーに。「ロング・グッドバイ」も発売1週間で11刷約15万部という異例の売れ行きを示している。「 訳者あとがき 」で村上さんは、清水さんの仕事を「 細かいことにそれほど拘泥しない、大人(だいじん)の風格ある翻訳 」とたたえた上で、『完訳版』というべきか、いちおう細かいところまでくまなく訳され、現代の感覚(近いもの)で洗い直された『 ロング・グットバイ 』が清水訳と並行するかたちで存在していいはずだし、また存在すべきであろう 」と再訳の意義を述べている。清水訳は名訳の誉れ高く、大勢のファンを獲得してきたが、実は省略された部分があり、一部の愛好家は不満があったといわれる。村上訳の初稿は昨春に上がったが、通常は1、2回で終了する推敲作業が、村上さんによって今年1月まで7、8回にわたって行われるなど、正確を期したという。早川書房の千田宏之編集部長兼ミステリマガジン編集長は「 清水さんは映画字幕で有名な方で、エッセンスをうまく抽出してセリフも映画のようにびっしっと決まっている。村上さんの翻訳は一字一句を大切にし、しかも翻訳小説であることを意識させないほど読みやすい 」と説明する。また村上さんは今回、中編小説にも匹敵する原稿用紙90枚分もの「 訳者あとがき 」を執筆し、本作とチャンドラーの素晴らしさを熱い思いで解説している。ハードボイルドの傑作として長く印象づけられてきた本作だが、村上さんはそのことに一切触れず、「 『 準古典小説 』とでも呼ぶべき域に達している 」と位置づけ、フィッツジェラルドとの比較文学論を展開するなど非常に興味深い読み物になっている。文学評論家の西上心太さんは「 清水訳は格調高く流麗で良かったが、それに勝るとも劣らない巧みな翻訳だ。原文を省略せず、きちんとすべてを訳したことで物語の筋が際立ち、読んで分かりやすい 」と、その魅力を語っている。「 ロング・グッドバイ 」はチヤンドラーが1953年に発表。私立探偵フィリップ・マーロウが登場する長篇第6作で、ミステリーファン以外にも愛されてきた傑作だ。清水訳の「 長いお別れ 」は、現在までに110万部のロングセラーとなっている。村上さんは小説執筆の傍ら、数多くの翻訳も手がけてきた。昨年秋にはスコット・フィッツジェラルドの代表作「グレート・ギャツビー」の新訳を出し、ベストセラーに。「ロング・グッドバイ」も発売1週間で11刷約15万部という異例の売れ行きを示している。「 訳者あとがき 」で村上さんは、清水さんの仕事を「 細かいことにそれほど拘泥しない、大人(だいじん)の風格ある翻訳 」とたたえた上で、『完訳版』というべきか、いちおう細かいところまでくまなく訳され、現代の感覚(近いもの)で洗い直された『 ロング・グットバイ 』が清水訳と並行するかたちで存在していいはずだし、また存在すべきであろう 」と再訳の意義を述べている。清水訳は名訳の誉れ高く、大勢のファンを獲得してきたが、実は省略された部分があり、一部の愛好家は不満があったといわれる。村上訳の初稿は昨春に上がったが、通常は1、2回で終了する推敲作業が、村上さんによって今年1月まで7、8回にわたって行われるなど、正確を期したという。早川書房の千田宏之編集部長兼ミステリマガジン編集長は「 清水さんは映画字幕で有名な方で、エッセンスをうまく抽出してセリフも映画のようにびっしっと決まっている。村上さんの翻訳は一字一句を大切にし、しかも翻訳小説であることを意識させないほど読みやすい 」と説明する。また村上さんは今回、中編小説にも匹敵する原稿用紙90枚分もの「 訳者あとがき 」を執筆し、本作とチャンドラーの素晴らしさを熱い思いで解説している。ハードボイルドの傑作として長く印象づけられてきた本作だが、村上さんはそのことに一切触れず、「 『 準古典小説 』とでも呼ぶべき域に達している 」と位置づけ、フィッツジェラルドとの比較文学論を展開するなど非常に興味深い読み物になっている。文学評論家の西上心太さんは「 清水訳は格調高く流麗で良かったが、それに勝るとも劣らない巧みな翻訳だ。原文を省略せず、きちんとすべてを訳したことで物語の筋が際立ち、読んで分かりやすい 」と、その魅力を語っている。
2007年03月22日
☆彡 柿 色 の 夕 日 を 見 た 日 ☆彡今日仕事を終えて帰る前に真っ赤な夕日を見た時は17時15分頃だった。おおう なんと真正面に大きな満月の夕日が沈んでいくその色は真っ赤というよりも柿色に輝く光りで言葉も失うほどだった。この世のものとはとても思えないような真ん丸い鮮やかな火の色だった。その後、部屋にもどり鞄をさげて帰る頃見上げれば夕暮れの空に薄青いかすみに包まれた夕日を見た。・。・おおう なんとあの柿色の夕日が今度は真正面に色あせて沈んでいく時は、17時45分ごろだったほんのひと時の夢のような柿色の燃えるような夕日と数分後のかすんだ色の夕日。この二つの落差に不思議さを感じながら帰路についた。柿色に輝く夕日は誰のための輝き””ひょっとして私にくれた輝きだったのか?
2007年03月22日
☆彡 雀 始 め て 巣 く う ☆彡2007年3月22日(旧2月4日)今日は、雀始巣(すずめはじめてすくう)といい、スズメが巣づくりを始めるころだそうです。アンズの花が咲くとメジロがきて蜜をすう。ユキヤナギ・ヒイラギナンテン・アセビ・トサミズキの花は今が見どころですが紅梅は色褪せてしまった。スズメはあまり見かけないが、そろそろ藁をくわえるのを見るのもまもなくであろうか。
2007年03月22日
☆彡 深 夜 風 呂 ☆彡22日、午前1時過ぎから風呂に入った。深夜に風呂に入るなんてどうしたの?そういわれたら答えましょう。実は、風呂は10時ごろに入れるように沸かしていたんやけども、日記を書いていて風呂に入るのも忘れていてねっ。(笑)それで1時過ぎに入りました。深夜に入る風呂もいいですよ。今からぐっすり眠ります。 (-_-)zzz
2007年03月22日
☆彡 与 謝 野 晶 子・春 が 来 た ☆彡 春が来た。 せまい庭にも日があたり、 張物板(はりものいた)の紅絹(もみ)のきれ、 立つ陽炎も身をそそる。 春が来た。 亜鉛(とたん)の屋根に、ちよちよと、 妻に焦がれてまんまろな ふくら雀もよい形。 春が来た。 遠い旅路の良人(をっと)から 使いにきたか、見にきたか、 わたしを泣かせに唯(ただ)来たか。 春が来た。 朝の汁(スウプ)にきりきざむ 蕗のとうにも春が来た、 青いうれしい春が来た。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この詩は、誰の詩でしょう? 有名な歌人・与謝野晶子の詩です。 「春が来た」という詩篇ですが唱歌とは全く違う・・・ 明治時代の一家族の風景が浮かびます。 張物板とか紅絹にそれを感じるし・・・ とたんの屋根や良人と書いて「をっと」 汁をスープじゃなく「スウプ」と読ませる。 それらにもその当時の時代を感じます。 5・7・5調の詩は、歌人ゆえの調べでしょう。
2007年03月21日
☆彡 田辺聖子さん講演、文学学校の思い出 ☆彡2007年3月20日、田辺さんは、大阪市北区・区民センターで行われた「大阪文学学校創立50周年記念祭」で講演した。田辺さんは講演の中で、大阪文学学校の思い出を次のように話した。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~大阪・梅田新道の金物会社で働いて7年ばかりたったころ、大阪文学学校の広告を見て、入学した。昭和30年(1955年)27歳だった。文学学校は大変な熱気で、20代後半から30代前半の人が多かった。担任は、足立巻一さんだった。詩人らしい、はにかんだ笑い方が印象的だった。軍服にゲートル、兵隊の靴という姿で文章の添削をしてくれた。校長の小野十三郎さんを見て、人間にはオーラがあると発見した。優しく、あったかくて、混じりっ気のない純情。そういうオーラだった。児童文学者の小川隆太郎さんはよく子どもの詩を教えてくれた。「 ぽかんと見てんと、ちゃんと心のカメラに写して、それを書かないかんよ 」という小川さんの言葉を、今も覚えている。夢を見させてくれる小説を読むのが好きな文学少女だった私が、狭い自分の世界では会えなかったたくさんのタイプの人に会った。一緒に飲みに行き、腕を組んで、「雪の白樺並木・・・」と歌った。こうした経験を通して、新たな夢を見ることができた。文学校は刺激的で、楽しい所だった。
2007年03月21日
☆彡 大 阪 文 学 学 校 、 創 立 5 0 周 年 ☆彡2007年3月、大阪文学学校事務局から、入学案内が送られて来た。 A4サイズの封筒の中に同校の機関誌「 樹林 」が入っていた。「樹林」は、1963年創刊され、現在約千数百部を誇る月間文芸誌です。「樹林」のページをめくると、2004年3月20日に行われた同校創立50周年記念祭のことが掲載されていた。どういうことが書かれていたか掲載します。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~市民の文芸活動を支えてきた大阪文学学校(大阪市中央区)の創立50周年記念祭がこのほど、同市北区民センターで開かれた。卒業生で作家の田辺聖子さんの記念講演のほか、詩と音楽の共演などで、半世紀の歩みを祝った。詩人の故小野十三郎さんらを中心に1954年3月20日に開講した「 大阪詩の教室 」を引継ぎ、同年7月5日に開校。初代校長を小野さんが務めた。職場や地域で生活記録や詩を書く運動が広がる中で誕生した同校は、文章で自らを表現したいという市民の思いにこたえてきた。卒業生は1万人を超え、芥川賞作家の田辺さんや玄月さん、詩のH氏賞の青木はるみさんら多くの才能を世に送り出した。現在、会社員や主婦、学生ら約550人が在籍している。同校を運営する大阪文学協会代表理事の高畠寛さんは、作品を書き、いろいろな人に読んでもらい、批評しあう伝統は50年間変わっていないと強調。「書くことで自分とは何かを探したり、時代への批判精神を養ったりする場であり続けたい」とあいさつした。「私の文学人生」と題して講演した田辺さんは「年齢も職業も様々な人と出会い、初めて聞く話にたくさん接することができたた。 文学学校に行ったのは正解だった 」と在学当時を振り返った。さらに、文学を書く上で大切な心構えを紹介。「 詩歌、映画など、好きなものを心の中にいっぱい集めてほしい 」「 源氏物語など古典を読み比べたり、深く読んだりしてほしい」と述べた。この後、校長の長谷川龍生さん、詩人の金時鐘さんらが、音楽集団ソシエテ・コントル・レタのピアノ演奏とともに、自作の詩を朗読した。2冊の記念出版もあった。50年の軌跡をたどった「いま、文学の森へ」(大阪文学学校など発行・本体2000円)と、作家河野多恵子さんや黒井千次さんらの同校での講演をまとめた「 小説の生まれる場所 」(編集工房ノア・本体2200円)が出版された。 問い合わせは、同校へ。 06-6768-6195
2007年03月21日
☆彡 春 分 の 日 ☆彡2007年3月21日(水)、今日は、春分の日でした。彼岸の中日。陰陽(昼夜)の気入れ換わり、この日を境に昼が徐々に長くなる。古代中国では「龍天に登る」と説かれた。暑さ寒さも彼岸までとよく言われます。暑さ寒さの分かれ道ですね。寒さが衰えて暖かい日が訪れる分岐点。今日は暖かい1日でしたとテレビニュースが伝えていたが、夜19:00頃外に出てみるとけっこう寒かったです。そしてなんと空を見上げると見事な三日月””その横には大きな宝石のように光る星がひとつ。見とれてしばしの間、立ち止まりました。いいなあ~この光景””そう心でつぶやいた。春分の日の夜ってとてもすばらしかったです。また、深夜に外に出てみたくなりました。春分の日の三日月をもう一度・・・
2007年03月21日
俳句1万句の旅☆彡 雁帰る己が頭の上をゆく ☆彡 季語:帰る雁(かえるかり)雁は秋分の頃に寒地より来て、春分の頃に帰るといわれている。
2007年03月21日
俳句1万句の旅☆彡 旅人に風やわらかや春分の日 ☆彡 季語:春分の日(しゅんぶんのひ)24節気の一つ。太陽の中心が春分点に達し、昼夜の長さがほぼ等しくなる。彼岸の中日にあたる。
2007年03月21日
居 合 道 の 女 人生に卒業はない!! 武道を極めることも同じである 道は人が踏まなければ目的地には到達しない 扉を開けて入るとそこは神聖な居合道場だった エィッ”” シュッ シュッ シュッ シュッー 居合道着をつけた女5人が練習をしている 毎週土曜の夜6時からはじまる練習だそうだ 普段は優しい女性たちだが剣を持つと女侍に・・・ その前に正座をしてじっと見つめる女がひとり 無双直伝英信流の道場「美剣館」の女館長である この道に入って30年やっと範士の称号を允可され このたび美剣館道場の館長に就任しました 居合道の歴史は古くて室町幕府成立の頃です その始祖は林崎甚助源重信といいます 女が居合道などと決して思わないで下さい 近頃のリバイバルブームにのって女性たちに 今静かなブームになっているのです 少しお話をしましょうか・・・ 「居合道入門(加茂治作著)」によれば・・・ 居合とは日本刀を用いて心身を鍛錬する 体育であり刀の操法です 居合の居は体の居る所心の居る所ということで 立っても居歩いても居走っても居であります 無念夢想も心の居であり恐怖も喜怒哀楽も 居である すなわち「居」とは心身の実在を指しているんです 「合」とは来れば迎え去れば送り打てば響き呼べば 答えるという臨機応変当意即妙の働きをいいます 抜刀施術の業そのものはいわゆる体用の用であって その体は心気そのものです それを練り上げ居合わせることが居合修業の眼目です だからたえず己の心胆を練って心を磨き心に勝って 形に負け事を未然に防ぐ修養が大切です 練習を終えた女剣士たちが館長のまわりに集まった お腹がすいては戦はできぬとおにぎりを食べ おいしいお茶を飲みながら和気藹々と団欒”” 館長の話は難しいが熱心に聴いている5人の剣士 「居合とは人に斬られず人斬らず己を責めて平らかの道」 刀は抜かないのが理想であって斬らないのが至極である 武士の武は戈(ほこ)を止めるという意味であって 居合の第一義の真髄はそこにあるのです 居合にかかける熱意がひしひしと伝わってくる 居合道の師範としての風格がただよう女館長”” 日本刀からも学ぶことがたくさんあります 「切羽がつまる」とか「鎬をけずる」といいますが 刀の名称からでた言葉なんですよ”” 長い話になりましたねぇー ではこれで・・・ さあ~みんな今日の納めの美剣をやりましょう 白い上下の居合道着をつけた館長以下の 刀法の練習がはじまった シュッ シュッ シュッ シュッ シュッ エイッ”” 道場に六つ美剣の太刀風が響きわたった 最後の練習が終わった時は0時をまわっていた 今夜は道場に布団を敷いて全員宿泊しますわ 今からシャワーを浴びて眠るだけです”” 5人の女はみんな清楚な美剣士だった
2007年03月20日
俳句1万句の旅☆彡 銀河越え鳥は帰るよ宙の旅 ☆彡 季語:鳥帰る(とりかえる)秋に日本に渡来した渡り鳥は、春になると北方の繁殖地に帰っていく。
2007年03月20日
死 を 書 く 女 朝の陽射しが窓から差し込むと 美しい女は生に目覚める ああ~また今日も生きていた そう思うと自然に微笑がこぼれた 女はまた死を書くことができるのか 死人に口なしというでしょう 生ある内に死に向う私のことを書きます ブラックコーヒーにほんのちょっぴり シュガーをいれながら死について考える 私が書いているのは詩ではありません 書いているのは死についてです それは死ぬための日記なんですよ 毎日今日は死ぬために何をしたか それを書き出してから7年がたちました その日記には死を見つめながらの私の 歳月がしたためられています 不治の病に犯された私は余命3年といわれ・・・ それ以来死ぬために日記を書いてきたのです 明日は死ぬかも知れない明日は立てないかも そう思うと1日1日が1分1秒が大事な時間です 命ある限り健やかに幸せに生きたかったのに 不治の病をいただくなんて信じられないです 限りある命でも命は命だから最後まで生きる”” 死に向う私の魂が死の日記を書かせるのです 死に向き合うことは生きる力になります そういって女はまた死について考えている そして死の日記に次のように書いた 「 生きることは死ぬためにある 」 「 生きるも死ぬも私の人生なのだ 」 「 明日生きているならそれは生きがい 」 「 明日死んでしまってもそれは生きがい 」 そう書くと女は窓外に咲く花を見ながら 「 花の命は短くて・・・死して花咲く天国へ 」 そういって今日の日記を書き終えた 死に向う魂が日記を書かせている 死を見つめながら生きる女だった
2007年03月20日
俳句1万句の旅☆彡 モザイクの町に鳩飛ぶ彼岸かな ☆彡 季語:彼岸(ひがん)春分の日を「お中日」とした前後3日間ずつの7日間をいう。
2007年03月20日
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