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我が家のエアーポテト(宇宙芋)も順調に育っています。東南アジア原産のヤマノイモ科の植物なのです。うまく育てると赤ちゃんの頭くらいの巨大なムカゴがたくさんできます。それはまるで宙に浮いた隕石のよう・・・・・丸くはならずに角のある、本当に隕石のような形です。ムカゴが巨大に発達したものなのです。空中にじゃがいもが実っているようなイメージのため、英名ではair potato(エアーポテト)と呼ばれています。一番大きなものは、私の手の『グー』の形より大きくなってきました。後1ヶ月程度で収獲となるのでしょうか。どんな味がするのでしょうか!!??。
2009.09.30
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我が養蜂場へ向かう途中のご近所の方の農園で『ヘチマ』が大きく成長しているのに気がつきました。この『ヘチマ』の本来の名前は果実から繊維が得られることからついた糸瓜(いとうり)で、これが後に「とうり」と訛ったとのことです。「と」は『いろは歌』で「へ」と「ち」の間にあることから「へ ち間」の意で「へちま」と呼ばれるようになったのです。今でも「糸瓜」と書いて「へちま」とよむのだそうです。昔の人はこんな洒落た名前の付け方をしていたのですね。沖縄ではナーベーラーと呼ぶそうですが、一説によるとこれは"なべあらい(鍋洗い)"に由来するとのことです。子供の頃、祖母からヘチマタワシの作り方を教わった記憶があります。収穫した実を井戸の横の洗い場水槽にたっぷり水を貯め、へちまの実をこの水に漬けました。このままでは浮いてきますので、落としぶたの上に重石を乗せるなどして、へちま全体が水に浸かるようにしたのでした。1週間ほどするとへちまの皮・果肉が腐ってきます。腐ると共に腐敗臭がすごかったことを思い出します。腐敗臭がし始めたら、水を全て取り替え、その後もちょくちょく取り替えたのでした。また、水を換えるたびにへちまの皮・果肉の腐った部分を取り除きました。臭いが手に付いてこの臭いを消すのに石けんでしつこく手を洗った記憶があります。当時はゴム手袋がなかったのでしょうか?約3週間?経てば皮や果肉がなくなり、残った繊維を風通しのよい木の枝にぶら下げて乾かし、「ヘチマタワシ」を完成させたのです。漂白も何もしなくても白い綺麗なタワシが出来たのは感激でした。 ヘチマの花です。雄しべでしょうか。10センチ以上の大きな花です。そしてもう一つ。ヘチマから採れるヘチマ水は、天然化粧水として 昔から愛用されていたとのことですがこちらについては、未経験で知識が全くありません。子供の頃はもっぱら風呂では、この『ヘチマタワシ』で体を洗っていたのでした。そして台所でもこの『ヘチマタワシ』で母や兄姉が食器等を洗っていたのを思い出します。何故かその感触と肌触りがなつかしい『アラカンオジサン』です。
2009.09.29
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8月26日に種蒔きをした信州大ソバの花が既に満開を迎えています。ちょうど1ヶ月で満開を迎えるとはその成長速度に驚いているのです。腰を落として静かに見ていると、いろいろな蝶やいろいろな蜂、そして花アブなどがひっきりなしに飛び回っているのです。『ツバクロヒョウモン』と言う名の蝶も来ていました。この蝶の幼虫はパンジーの葉っぱを食べるため、この幼虫(赤と黒の模様の毛虫)を見かけた人も多いでしょう。雄の羽の表側はヒョウモンチョウ類に典型的な豹(ヒョウ)柄ですが、後の羽の外縁が黒く縁取られるので他種と区別できるのです。そして我がミツバチ達も羽音を立てながら花に戯れているのが確認できました。ソバの花には八個の蜜線があって、多量の蜜を分泌して高い香りを放つため、蜂がたかってくるのだそうです。これが「ソバの花は蜂の酒」といわれるゆえんなのです。そしてこのミツバチを狙ってキイロスズメバチやオオスズメバチも飛来しているのです。このスズメバチはソバの花には全く関心が無く、ミツバチや蝶を狙ってソバの花の廻りを周回しているのです。とりあえず、百均でバトミントンのラケットと虫取り用の網を購入してきました。一度キイロスズメバチを捕獲しようと網を向けましたが、敵の飛翔速度に我が手の反応が遅れているのでした。ソバ蜜は色が黒っぽく味も濃厚で、日本では淡白なハチミツが好まれるためにあまり一般的ではないようですが、中国やヨーロッパではソバ蜜の独特な風味が好まれているとのことです。真っ黒な色を持ち、味にも独特な苦味を含んでいますが、これを好む方もたくさんいるのだそうです。そのため、かの地ではソバの花を求めて養蜂家が旅をしているという話を養蜂の教科書で学んだのです。さらに、成分的に「ルチン」と言う物質を多く含み、これが心臓循環器系の疾患や高血圧で悩んでいる方には最適の甘みであると言われているようです。朝起きた後にスプーン等に2~3杯飲むと良いと書いてありました。 今年はこのソバ蜜を収穫するつもりはないのです。群勢が小さくなったミツバチ達の越冬用に一生懸命この蜜を貯めて欲しいと願っている素人養蜂家なのです。
2009.09.28
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再び早朝に今度は彼岸花の群生を見にドライブしてきました。場所は車で20分ほどの遠藤地区。群生が見られるのはこの地区の小出川両岸のうち、藤沢市遠藤の大黒橋から、茅ケ崎市と寒川町の境にある追出橋までの約三キロ。地元の農家の方が十年ほど前から、自然群生していたものを管理・植栽して増やしてきたとのことである。この場所を知ったのは、朝の通勤時間によく合う幼なじみからの情報である。大黒橋の近くには『小出川 彼岸花』の祭りの垂れ幕が設置されていました。朝日に輝く彼岸花です。見学していると田んぼにいたオジサンから声を掛けられました。 『何処から来られたのですか』と。答えると最近は多くの方に知れ渡り見学者が 増えて嬉しいと。祭りの関係者とのことであった。 以前はこの小出川の両岸は葦等のが群生し、雑草も伸び、粗大ごみが不法投棄 されるなど荒れていたが、これを刈り込み、整理し土手に日が当たり出すと この真っ赤な彼岸花の花が咲き出し、これを機に土手の管理と植栽を始めて 現在の彼岸花の群生に至ったとのことでした。 近くにはススキの群生も負けてはならじと、秋の中での自らの存在感を示して いました。 黄金色の稲と豊かな緑、そして彼岸花の赤は見事なコントラストを演出していました。 早朝の時間がゆっくり流れ、人も少なく、のんびりと土の感触を楽しみながら牧歌的な 里山の風景を眺めながら、早朝の秋を満喫することが出来たのでした。
2009.09.27
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4月の大型連休中に、ホームセンターで購入し、我が農園の片隅に 定植したパパイアの苗が大きく成長し、親指大の果実を2個付けています。パパイアの木は普通は雌雄異株と聞いていますので、購入したものは両性株に品種改良されたものと思われます。高さは150センチメートルほどに成長し。根本の樹径も10センチ弱に成長しました。本来の品種は5mもの高さになり、大きならないと実が成らないとのことです。雄花は直径2cm程で花びらの下が細いのです。そして雌花は直径4 cm程で花びらの下が太いのです。順調に大きく育ってくれれば良いのですが、パパイアを育てるのは初めての経験ですので。実が大きくなってきたら、落下せぬよう紐等で吊ることも必要なようです。トロピカルフルーツの代表的なもののひとつですので、このまま我が農園では寒さが厳しく越冬できなことが非常に残念です。
2009.09.26
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仕事で埼玉県まで行ってきました。湘南新宿ラインで赤羽まで行き、京浜東北線に乗り換え南浦和、南浦和でレンタカーを借りました。そして2カ所の現場まで。途中、面白い地名の交差点で赤信号で停止。信号の横の地名表示が『保』。これだけであれば見過ごしたかもしれませんがなんとその下に「かな」が『ほ』とふってあるのでした。ここの住所は「埼玉県 吉川市 保」、「さいたまけん よしかわし ほ」なのです。JR武蔵野線の吉川駅から中川沿いに走ったところにある交差点です。電柱にも地名表示が。こちらには「かな」はふってありませんんでしたが。たった一文字の地名は三重県津市があまりに有名ですが、交差点の地名表示が一文字で同時に「かな」が併記されているのを見たのは私にとっては初めてでした。残念ながらこの地名『保(ほ)』の由来については解りませんが。ところで漢字【保】は人が子どもを背負っていることから出来た漢字なのです。へんの「イ」は人、つくりの「呆」の部分が子どもです。保安や保全という熟語のように「たもつ」という意味になりますが、その根本的な"こころ"は、子どもを背負ってやすらかにまもってあげているという気持ちにあるのです。勿論インターネット情報ですが。この辺にこの地名の由来があるのかもしれませんが・・・・・・。このブログを読んで下さった方には、つまらないことなのかもしれませんが、こんな事におもしろさを感じ、デジカメを向けている『アラカンオジサン』がここにいるのです。
2009.09.25
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我が家の前の畑をやっているKさんから、昨日早朝『花オクラ』の花を10個以上もらいました。通常のオクラの花とは異なり直径20センチ近い大きな花なのです。『花オクラ』の実は私と同じく?実が太く短いのです。そしてこの実はまずくて食べられないとのことでした。この花は『トロロアオイ』とも呼ばれ原産地は中国、実がまずくて食べられないのでせめて花だけでも大きく立派に咲かせているのでしょうか。健気な花なのです。そして日に向かって黄色い風車の如き風情なのです。妻が頂いた花を綺麗に皿に並べて飾ってくれていました。この花びらを手で取ろうとすると、ナスの様に小さなトゲトゲが刺さってしまい痛いのでした。真中のめしべを抜き取り、花びらだけにしました。Kさんの話によると、生のまま花びらを細かく刻んでオカカとしょう油を入れて、グルグル粘りが出るまで混ぜて食べると美味しいとの事でしたが今回は軽く茹でわさび醤油と酢の物の2種でTRYしてみました。酢の物はポン酢が無かったのですし酢にリンゴジュースを混ぜてみました。食べる前に箸で混ぜてみるとネバネバが出現、まるで名の如く海草の『トロロコンブ』を食べているような感じでした。そして味は淡泊、オクラの味もし、僅かな甘みもあり、ビールのつまみに合うのでした。
2009.09.24
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今日は秋分の日。先程の朝のTBSの番組で気象予報士の根本さんが『おはぎ』と『ぼたもち』の違いについて説明していましたので紹介します。司会者のみのもんたさんのツッコミに対する、根本さんの頭の回転の速さやあの笑顔が好きで毎朝この番組を視ているオジサンなのです。そもそも、「おはぎ」と「ぼたもち」の違いは・「ぼたもち」・・・・・春のお彼岸に食べるので、その時期の花である牡丹(ぼたん)に 見立てるから・「おはぎ」・・・・・・・秋のお彼岸に食べるので、その時期の花である萩(はぎ)に 見立てるからと。よって今日食べるのは『おはぎ』とのこと。我が家の『おはぎ』です。我が家にあった萩の花の描かれた取り皿に載せて食べたのでした。一方で、「ぼたもち」も「おはぎ」も春の豊かな実り、秋の収穫を感謝して神様にささげる食べ物として普及し、民間の風習ということもあって、地域などでさまざまな呼び方か存在しているとのことであった。前述の「季節の花から呼び名が違う」という説の他・「あんによる違い説」・・・・・小豆のあんをつけたものが「ぼたもち」、黄な粉をまぶした ものが「おはぎ」・「あんの状態による違い説」・・・・こしあんをつけたものが「ぼたもち」、つぶあんが 「おはぎ」。・「大きさによる違い説」・・・・・丸くて大きいものが「ぼたもち」、小ぶりで長めに作られた ものが「おはぎ」 いずれも牡丹と萩の花の形から。・「米の状態説」・・・・・完全に餅の状態までついたもの(皆殺し)をぼたもち、 ついた米の粒が残っているもの(半殺し)をおはぎ などの説が挙げられていた。いずれもどこかで聞いたような説だし、言われてみればそれぞれに説得力があり納得してしまうのだ。更に根本さんの説明は続きました。 それでは、夏と冬にはこの食べ物をどう呼ぶのかと。夏は「夜船」、冬は「北窓」と呼ぶとのこと。なぜ?か ぼたもちは、米を搗(つ)かずに練りつぶして作るため「搗き知らず」(搗く音が聞こえないため)と昔は呼んでいたと。そして夏は「搗(つ)き知らず」・「着き知らず」・「夜はいつ船が着いたかわからない」→「夜船」冬は「搗(つ)き知らず」・「月知らず」・「冬、月が見えないのは北の窓」→「北窓」 と。季節によって名前が変わるとは、やはり日本人は風流なのである!!!。 今日も朝から新しい知識を獲得したのだ。早起きは三文の得である。そして常に『棚からぼた餅』の幸運到来を期待し、『違いの解る』男になりたいと思いながら、『甘い』人間であることを自覚している『アラカンオジサン』なのである。
2009.09.23
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上野・国立科学博物館で開催中の「特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン」に行って来ました。黄金の都シカンとは今年の6月に旅行したペルーの北部、バタン・グランデを中心に栄えた、都市国家の1つなのです。そしてこのシカン文化はペルー北部沿岸で750年~1350年頃のプレ・インカ時代に栄えた考古文化なのです。 考古学者であり人類学博士の南イリノイ大学人類学科教授である島田泉氏により名づけられのです。「シカン」とは「月の神殿」を意味するのです。 都内の小学生の集団でしょうか子供達も見学に来ていました。今回の展示は、1991年に発見された、バタン・グランデのロロ神殿のすぐ脇の地下11メートルの墳墓からの出土品が主なのです。そしてなんとその殆ど全てが『金』製品なのです。更に特筆すべきはこの発掘はTBSが1990年からの3年間、調査費用をほぼ全額負担したのでした。その為に既にこの展示会について3回ほど既に放映されているのです。 特に印象に残ったのは、埋葬された王様の体が逆さに埋葬されていたことです。しかし、顔だけは、ちゃんと空に向かって頭がむけられていました。なんとなく想像がつくと思いますが、そうです・・首を切って、頭だけ上をむけているのです。どんな意味づけで、そういう埋葬の仕方なのかは、現在詳しくは解明されていないとの説明でした。そして最後に3Dシアターを体験。島田教授が挑んだシカン遺跡調査は実に30年、そしてカメラが捉えた20年の記録なのです。古代アンデス史を塗り替える歴史的瞬間の映像が最新技術を用いて立体化され、まるで発掘現場にいるような臨場感が味わえたのでした。また、CGで再現されたロロ神殿や墓室も立体映像としてよみがえり、埋蔵品や埋葬者が目の前にあらわれて来たのでした。過去の貴重な映像やCGを、自然な奥行き感で味わい多いに満足と興奮を覚えたのでした。出口に売店には、シカン文明を特徴づける儀式用のナイフが土産物として販売されていました。現在ではペルーの象徴とされているのです。そしてこの国立科学博物館の横にあるこの巨大なクジラ。クジラ類で最も大きい白長須鯨(シロナガ スクジラ)とのことです。大きなものでは、全長25~30mになるとか、、、。そして子どもたちの声が聞こえて来たのです。「うわー、大きいね!」 と。 今年は何故かペルーとその古代文明にはまっている『アラカンオジサン』なのです。
2009.09.23
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養蜂の師匠から電話をいただきました。養蜂の師匠が借りておられる農園に農協の建物が来春に建設されるとのことで、この農園を返さなければならないとのこと。そして農作業小屋(私がサチアンと名付けました)を解体中との電話でした。そして壁の内装材として使っていたゴムシート(ベルトコンベヤーに使ったゴムシート)がいらないかと。早速解体現場に車で駆けつけました。そしてこのゴムシートは我が家の横の農園の通路に敷くのに丁度良いサイズだったのです。我が軽自動車(農耕用トラックに変身中)で自宅まで運び、これを通路に敷いてみました。今までは廃棄絨毯を切って敷いていましたが、時と共にボロボロになり、その隙間から雑草が生え、これを除去するのも農園の重要な作業になっていましたが、このゴムシートはかなり厚い為、劣化には時間がかかり、農園の維持管理が楽になりそうです。自宅フェンスや農園通路等の維持管理を今後の加齢と共に、如何に楽にしていくかを考え始めたアラカンオジサンなのです。
2009.09.22
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早朝、養蜂場のある農園に行ったところ、隣の義兄の畑にある栗の木から栗の実が4個ほど実が入ったまま落下していました。既に義兄も早朝農作業を実施中。この栗の実を頂けることになりました。素手で掴もうとしましたが、イガが痛くてなかなかうまく行きません。栗も動物には食べられてなるものかと完全武装しているのです。栗は『丹波栗』なのでしょうか。褐色味を帯び、色、艶にがすばらしく、重量感のある実が出てきました。丹波栗は、日本書紀にも記載される位、古い来歴をもつ食材で、 平安時代には、実際の栽培も始まっていたとのことです。各地の将軍や藩主は丹波栗をこぞって朝廷・幕府に献上、その粒がきわめて大きく、しかも美味であったことから、やがて日本中にその名を馳せ、おいしい栗の代名詞的存在になったtのでした。栗は、まさに、秋の食材の王様です。栗の主成分はもちろんデンプンですが、たんぱく質やビタミンB1、ビタミンCの含有量も多いとのこと。秋を実感しながら、昔ながらの栗拾いを早朝から楽しんだ『アラカン農夫』です。
2009.09.21
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我が家に来客があり、大庭にある中華料理屋に行ってきました。店の中の壁には、『福』の字を書いた菱形のものが逆さにぶら下がっていました。何故逆さなのか皆で議論しました。私の意見は『福』が天から降りてくるように と。 自宅に戻り、インターネットで調べてみました。中国語では逆さまに倒れるは「倒」、それから到着するは「到」両方とも発音は「ダォラ」で同じなので、入り口の近くとかに逆さまの福を貼り付けておくと、そこから福が入ってくると縁起を担いでいるのだそうです。ビールを呑みながら、ピータン、サザエの中華煮、エビのチリソース煮、アワビのと筍の煮もの、空心菜、牛肉とピーマンの細切り炒め、五目焼きそば・・・・・・仕上げに杏仁豆腐を楽しんできました。小さな店でしたが味は抜群の店なのでした。
2009.09.20
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8月26日に養蜂場のある畑に播いた信州蕎麦が花を付け出しました。小さな白い花で可憐な姿です。ソバの種を播いたのは、蕎麦を打とうと思ったのではないのです。ソバからは、蜜蜂の大好きなハチミツが採れるからなのです。真っ白なソバの花からミツバチが集めたハチミツは真っ黒な蜂蜜とのことです。この黒い色こそが、そば蜂蜜の特徴で鉄分が豊富に含まれているため黒い色になるのだそうです。このソバ蜜を食べて群勢を再度大きくして欲しいと願っている素人養蜂家なのです。
2009.09.19
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スズメバチの本格的な襲撃のシーズンが来ました。スズメバチによる襲撃を防ぎ、駆除し、ミツバチを守ってやらなければなりません。スズメバチは、熊蜂(クマバチ)とも呼ばれ、姿も大きく、人に大変怖がられている存在です。それは、西洋ミツバチにしてももっと怖い存在なのです。肉食の為、大切な我がミツバチを襲い、ものの1時間で群を失う可能性もあるのです。この為、先日粘着シートを購入し巣箱の上に拡げて置いておきました。一週間後に行ってみると、なんと『スズメバチ』ではなく本物の『スズメ』が粘着シートに2羽も捕獲されていたのでした。トンボも捕獲されていましたので、スズメはこれを捕まえる為に粘着シートに降りてしまったのでしょうか?目的のキイロスズメバチも1匹捕獲されていました。実は、生きているスズメバチを粘着シートで、はたいて数匹貼りつけて、巣箱の上に置いておくと、ススメバチが救助依頼の臭い?を出し、仲間を呼ぶとのことで、効率よく多くのスズメバチが貼り付きのだそうですが、このスズメバチを生け捕りするには勇気がいるのです。
2009.09.18
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我が家の玄関横の庭地に白い曼珠沙華(シロバナマンジュシャゲ)の花が咲いています。別名 彼岸花。彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来するのだ。この花は生長の仕方が独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、花茎が葉のない状態で地上に突出し、その先端に5~7個前後の花がつく。開花後、長さ30~50センチの線形の細い葉を放射状に出すが、翌春になると葉は枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。よって花と葉を同時に見ることはできないのだ。葉のあるときには花はなく、花のときには葉がない。 このことから、韓国ではこの花を「サンチョ(相思華)」と呼ぶのだという。 「花は葉を思い、葉は花を思う」という意味からなのである。私が子供の頃は、田んぼの畦道や土手に、この花が群生し真っ赤に咲いていたのを多くみかけたが、これはノネズミが畦道や土手に穴を開けるのを、彼岸花の毒性のある球根を植えることで防ぐ、という説と、彼岸花の根茎は強いため、田んぼの畦部分に植えて畦の構造を強くするため、などの説があるのだ。 最近はめっきり見かけなくなってしまったが、これは農薬の影響であろうか、それとも,自宅に持ち帰り家の庭に植えて楽しんでいるのか定かではない。 山口百恵が歌う『曼珠沙華』。私が会社に入り数年後に流行った歌と記憶している。 曼珠沙華 恋する女は~ 曼珠沙華 罪作り白い花さえ 真っ赤に染める~ 秋が来てこの花を見るたびに、この曲を思い出す『アラカンオジサン』が ここにいる。
2009.09.17
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ミツバチの巣を襲い、J1群を壊滅させた『スムシ』退治の作業を蜂友のEさんと先週土曜日に行いました。師匠や妻の情報に基づき、ドライアイスによる殺菌操作を行いました。まずは巣箱の内検、依然としてスムシの襲撃が続いています。今回は3群ともスムシにやられていそうな巣枠は全て採りだし、襲撃を受けた部分のハニカム部を切り落としました。ひどいものは全てのハニカム部を切り落とし、巣枠の鉄線のみを残しました。そしてこれらを自宅に持ち帰り、まずは巣枠に残っている蜜を採取しました。さすがに、このハチミツは食用にするには抵抗がありますので、今回絞ったものは越冬用のミツバチの餌にすることとしました。それでも3L程のハチミツを収獲出来ました。色もかなり濃いものが採取出来ました。ドライアイスはオンライン購入、発泡スチロールの箱もホームセンターで急遽購入。ドライアイス、発泡スチロール箱も生まれて初めての購入でした。そして、ハチミツを絞った後の巣礎枠をこの発泡スチロールに入れ、ここにドライアイスを投入し蓋を閉めたのです。妻の調査情報による『神奈川県畜産情報』は下記の如くのことでした。スムシを発生させた空巣脾を一定時間(〇・五、一、二、四及び六時間)冷凍庫で冷凍(マイナス二〇℃)処理後、常温保管。巣脾の被害を肉眼的に確認。また、冷凍処理によるスムシの幼虫及び卵への直接影響についても確認。さらに、巣脾(巣枠)の冷凍処理による劣化の有無についても併せて調査。結果:空巣脾は4時間以上の冷凍処理でスムシの被害は進行せず。〇・五時間の冷凍感作で幼虫は死滅するが、卵は抵抗性が考えられた。また、冷凍処理した巣脾(巣枠)には劣化は認められず、使用が可能 とのこと。よってドライアイスにより巣礎枠の温度を-20℃程度まで下げ、4時間以上放置し、ハニカムの中に未だ残っているスムシの卵や幼虫を死滅させるのです。ドライアイス使用は酸欠状態を作る為と思っていましたが、またまた勉強させられました。群勢が拡大した時に追加できるよう、事前に購入し自宅に保管しておいた新しい巣礎枠もスムシに同様にやられてしまっていました。今週末はこの巣礎枠の整備作業が待っています。鉄線のみの裸になってしまった巣枠が多量に出来ましたので、この冬には来春に備えてこの巣枠に巣礎(薄い蝋板の上に、働蜂房と房壁の一部を規則正しく両面にプレスしたもの)を購入し、これを貼り付ける作業も待っているのです。下記写真は、購入した巣礎枠の写真です。そしてこの姿がこの冬の作業完成の姿なのです。その準備の為に、残っている蝋を熱水で、妻が一つ一つ綺麗に洗ってくれました。既に妻も蜂友に仲間入りしてくれているのです。
2009.09.16
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養蜂場の畑で栽培していた『ハバネロ』の一部を収獲しました。この『ハバネロ』の種は昨年、養蜂の師匠から頂いたもので、これを種蒔きし、育てたものです。ハバネロの熟す前の実は緑色ですが、熟すると様々な色に変わるのです。そして最も一般的なのはこのオレンジ色のものなのです。以前は世界で一番辛いトウガラシでしたが、現在ではハバネロよりも遥かに辛いトウガラシが存在する事がわかっており、2006年12月にエスビー食品が開発した品種「SBカプマックス」が、そして2007年2月にはインド・バングラデシュ産のシネンセ種の一つブート・ジョロキアが世界一辛いトウガラシとしてギネスブックに認定されたとのことです。唐辛子の辛さを示すスコヴィル値が 1,041,427 に達すると言われています。ちなみにピーマンが 0、タバスコが 1,500 ~ 2,500、鷹の爪が 40,000 ~ 50,000 だそうですから、ブート・ジョロキアの桁外れの辛さが分かるのです。よってこのハバネロは現在は第3位の辛さと言うことでしょうか。ハバネロは単に猛烈に辛いだけでなく、柑橘系のフルーティーな香りがあるのです。日本では東ハトが「暴君ハバネロ」を2004年に発売して以来、激辛スナックブームが起こり、急激に知名度が上がったと師匠から昨年教えていただきました。この実は激烈な刺激性をもっており飛沫したハバネロの汁が眼の周辺、鼻、耳、皮膚の弱い部分等に付着した場合はすぐに洗い流す必要があるとのことです。しばらく放置した場合、火傷のように爛れる場合があるので注意が必要が必要との情報ですが・・・・。よって『菜種危険物』?なのです。妻の職場の友人にこのトウガラシを昨年差し上げたのですが、これのオリーブ油漬けをスパゲティーにタバスコの代わりにかけて食べたところ美味であったとのことで、今年も楽しみにされているとのことで、妻が職場に持って行ったのでした。そしてこの辛い唐辛子を育てている私は、辛口の人間なのかと思いをはせている『アラカンオジサン』なのです。
2009.09.15
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2週間前には1~2分咲きであった『ヒマワリ畑』へ早朝に再びドライブしてきました。今回も早朝の為、ヒマワリ畑横の空き地の駐車場には車は一台もなく、見学者は誰一人もいませんでしたが、ヒマワリはほぼ満開状態でした。みんな同じ方向を向いて私と朝日を迎えていました、同じ種類のヒマワリ種が一面に咲いていました。大型のひまわりで花の径は約30センチメートル程度あるでしょうか。そして花の中央部を接写してみました。見事な幾何学的模様はフラクタルの世界を想像させるのでした。そして後ろ姿を撮ってみました。そして黄色い花粉が花の下の葉の上に積もっていました。我が蜜蜂がここまで飛んでこれたら良いのにと感じながら見つめていました。早朝の黄色い世界を堪能してきました。
2009.09.13
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我が農園で今年始めてTRYしている宇宙芋(エアーポテト)もだいぶそのムカゴを大きくしています。扁平ですがげんこつ大になったでしょうか。色もやや茶色く変色し巨大なムカゴらしくなってきました。見方によってはカボチャの子供が空中にぶら下がっているように見えます。その横では数個のピンポン球の大きさのムカゴたちが後を追いかけています。既に九州の友人から来年用にこのムカゴの予約が入っています。まだまだ大きくなりそうな隕石が我が農園にぶら下がっているのです。
2009.09.12
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我が農園の片隅で『コルチカム』がピンクの花を開いています。この『コルチカム』は夏の間は休眠していて、秋のかすかな冷気を感じて目を覚まし、花茎をニョキニョキと伸ばして咲いてしまいます。開花には土も水も必要ないのです。よって、育てるといっても、何もしなくて良いのです。机の上に転がしておくとこの時期に突然花の咲く丈夫な植物なのです。今年は掘り忘れてしまいましたので、畑の片隅で咲いているのです。そして玄関の前では『ムラサキシキブ』がかわいい実を付けています。正確には『コムラサキ』と呼ぶようですが。根に近い方から順に実を付けていきます。元々は『ムラサキシキミ』と名づけられていたそうです。シキミとは、「たくさん実がなる」という意味があるそうで、「紫色の身をたくさんつける」ことから、『ムラサキシキミ』となったそうです。その後、ご存じの「源氏物語」の作者で平安時代、才媛の美女と言われた「紫式部」に紫色の実の清楚な美しさを重ね、『ムラサキシキブ』という名になったといわれています。平安時代の雅の世界に思いを馳せながら『ムラサキシキブ』を見てみると、また違った趣を感じることが出来るのです。 そしてもう一つ、洒落た名前の花『シオン(紫苑)』です。名前の如く薄紫色の花をたくさん咲かせる背の高い植物です。この時期、紫の花に囲まれている我が家です。
2009.09.11
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今日 9月10日は『下水道の日』。仕事柄気になる日なのです。この『下水道の日』は、1961年(昭和36年)、著しく遅れているわが国の下水道の全国的な普及(当時の普及率: 6 %)を図る必要があることから、このアピールを全国的に展開するため、当時の下水道を所管していた建設省(現在の国土交通省)、厚生省(現在は環境省に所管変更)が協議して「全国下水道促進デー」として始まったのでした。また、9月10日と定められたのは、下水道の大きな役割の一つである「雨水の排除」を念頭に、台風シーズンである210日を過ぎた220日(立春から数えて)が適当であるとされたことによるものとのことです。 それから約40年が経過し、日本における近代下水道の基である旧下水道法が制定された1900年(明治33年)から100年を迎え、その記念行事が行われたこと、また、2001年(平成13年)が21世紀のスタートの年にあたることなどから、近年の下水道に対する認識の高まりもあり、この際、より親しみのある名称として『下水道の日』に変更されることになったものです。(国交省HPより抜粋)我が国の今年春時点での下水道普及率は72.7% (下水道利用人口/総人口)となっています。因みに神奈川県の普及率は95.5%、そして我が藤沢市の普及率は94.2%です。神奈川県内の人口の大きな市の中では、やや我が藤沢市は普及率が低くなっているのです。我が家は市街化調整区域にあるため、公共下水道は来ていないわけですが、30年前に我が家を建築する際に、亡き父が市と交渉し、近所の方々で費用を出し合い私設下水道を100m程の長さで設置し、公共下水道への接続の許可をもらったのでした。よって未だに私設下水道ですので、大地震等で私設下水道管が破損した場合は、私設下水道組合員の費用で復旧しなければならないのです。この施設下水道を市に移管できればと考えているのですが・・・・・・。 最近は地球規模の環境問題への関心が高まり、資源の有効利用、リサイクルとして下水道の役割が大きく認識されてきたのは、この仕事に携わる人間としては嬉しいかぎりです。
2009.09.10
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先週末のミツバチの内検にて、春先は最大の群勢を誇っていたJ1群は『スムシ』の来襲に会い、女王蜂も逃げだし、消滅してしまいました。『スムシ』の被害がこれほど早く拡散するとは全くの想定外。ダニやスズメバチの被害のみに気を獲られていましたが、『スムシ』の被害をもっと認識すべきでした。しかし養蜂1年生(いや半年生)には良い勉強になりました。夏前とは群勢が全く逆転し、今やE群が最も元気なのです。この女王蜂の産卵を多いに期待したいものです。今年のハチミツの採取は諦め、この週末には、取り出した巣枠の蜜を絞り、越冬用のハチミツとしたいと思っています。そして巣枠の保存法についても師匠のご指導を仰ぎたいと思っている素人養蜂家なのです。
2009.09.09
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里芋の試し堀をしてみました。今年も石川早生、タケノコイモ、赤芽(セレベス)、八頭の4種を植え付けました。今回は石川早生の試し堀。幹の太そうなものを4株ほど堀上げてみました。数はかなり着いていましたがまだまだ成長不足でしたが・・・。煮っ転がし、けんちん汁で初物をいただきました。隣の畑のSさんから、南京豆もいただきました。早速茹でピーでビールのつまみに。早秋の収穫物を楽しんでいる農園主です。
2009.09.08
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週末を利用して冬野菜の定植、種蒔きを行いました。1週間前に義兄が大型トラクターで耕してくれた場所です。セルポットの種蒔きしておいた、白菜、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーと今年も他品種少量です(と言っても我が家のみでは食べきれませんが)。白菜の苗の定植です。セルポットで2本に仕上げました。この後成長を見て1本に仕立てるのです。紫カリフラワーをホームセンターから4本購入し植え付けました。この色のカリフラワーは初めてのTRYです。昨年はオレンジ色に挑戦しました。苗の定植後に、大根、ほうれん草他の冬野菜の種蒔きも行いました。そして苗床を防鳥網で覆いました。これをやらないと野鳩、カラスが突いて引き抜いてしまうのです。決して食べる訳ではないのですが。我が農園も西側は菜園、東側はミツバチの為の花園に変身しつつあります。既に手前にはミツバチ用に『密に播きすぎた』信州そばが芽を出しています。そして隣の空き地には、菜の花、レンゲをミツバチ用に種蒔きする予定なのです。
2009.09.07
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我が家の庭先の酔芙蓉が花を付けています。生命力の旺盛な木です。年末に根本から伐採しても翌春には勢いよく新芽が出てくるのです。この酔芙蓉はもちろん芙蓉の園芸品種で,朝には純白の清楚な花を咲かせます。午後になるとだんだんピンクにかわり,夕方から夜にかけてさらに赤くなり,翌朝にはしぼんでしまいます。このさまを,酒飲みの顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることにたとえて,「酔う芙蓉」ということからつけられた名前です。下の写真は午後 1 時頃に撮影したので,そろそろ酔いが回ってきた頃の花です。そして午後4時過ぎには赤く染まっていました。花言葉は『しとやかな恋人』、『繊細美』とのこと。毎年この花を見ると石川さゆりの『風の恋盆歌』を思い出すのです。蚊帳の中から 花を見る 咲いてはかない 酔芙蓉 若い日の 美しい 私を抱いて ほしかった しのび逢う恋 風の盆 そして昨日咲いた花は、すでに萎み触れば落ちてしまいそうなのです。何故かこの花が好きな、そして昼間からこの花を見つめながら、何故か?顔を赤く染めて いるアラカンオジサンなのです。
2009.09.06
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仕事で佐賀に行ってきました。長年お世話になっているお客様の工場がある伊万里まで脚を伸ばしてきました。伊万里駅です。昔はJRと松浦鉄道はレールが繋がっていましたが、駅周辺の再開発事業により駅本屋も分断され独立したのです。2つの駅舎はペデストリアンデッキで繋がっていて、もちろんエレベーターもあります。しかし、両駅を隔てる道路には横断歩道はないため、乗り換え客や交通弱者には不評のようです。 何十回もこの地を訪れ、昔の駅舎を知っているものにとっては隔絶の間のある風景なのです。伊万里も都会に変化しつつあるのです。そして、昔数ヶ月に渡り泊まったあの懐かしき?部屋割りの民宿はいまどうなっているのでしょうか?あの民宿のオバサンは今も健在なのでしょうか。あのエコーのような声が懐かしく思い出されたのでした。そして街中の大きな橋のたもとには伊万里焼の大きな壺が。この街の橋のたもとにはこのような大きな壺や伊万里焼の作品が観光客を出迎えているのです。ここ伊万里市は 「やきものとフルーツの里」 に代表される産業観光的要素が強く、伝統ある伊万里焼をはじめ、肥前陶器の積み出し港として繁栄した伊万里津の歴史や文化、あるいは、本市の特産品の伊万里牛や伊万里梨、車エビなど、他の地域にはない特色ある優れた観光資源を数多く有しているのです。さすがにやきものの街「伊万里」。街なかというか駅前に、磁器でできたモニュメントが飾ってありました。その名を伊万里色絵婦人立像(いまりいろえふじんりつぞう)というのです。説明板によると、片手で着物の褄を軽く持ち上げ、優雅に歩きだそうとする女性の立ち姿は、寛文期(17世紀後半)の風俗画を特徴づける美人画の様式とのこと。 それが、古伊万里のモチーフになり、美人像の様式として定型化したのでした。 そして大村湾の夕焼けです。まだ少し明るすぎましたが、風のない大村湾が薄赤く染まっていました。お客様お二人に久しぶりにお会いし夕食を共にさせていただき、我は農園や養蜂の話、そして納入させていただいたプラントやその折の我が社の関係者の思い出話でもりあがり、若さを取り戻させていただいた伊万里なのでした。この地そしてこのお客様は、我が環境の仕事の原点であることを、再認識し帰路に。
2009.09.05
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我が家の南面にあった柘植の生け垣をアルミフェンスに替える工事が完了しました。我が家は周囲の畑より50センチメーター程盛り土をし、その上に立っていますがこの盛り土を維持するブロック3段積の擁壁が、柘植の木の根の力?により、倒れ始めて来たのでした。生け垣も良いのですが、年何回かの整枝や消毒に手間が掛かっていたのも事実です。そして妻の助言もあり、今後の加齢により作業のしんどさも考え、決心したのでした。ご近所の方から勿体ないとのご意見も頂きましたが・・・・。柘植の木の伐採直後の姿です。擁壁を撤去し整地しました。 土間コンと立ち上げ配筋の状態です。擁壁用のコンクリートを打設しました。漸く工事完了です。
2009.09.03
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仕事で東京郊外にある大規模浄水場に行ってきました。このH浄水場の現在の施設能力は126.5万m3/日。給水地区は東京郊外はもちろん、新宿、豊島区等多くの23区にも送水している東京都の重要な浄水場なのです。北門には1000TONのユニ-クな形をした高架水槽が。このタイプはラジアルコーン形と称するらしい。水槽下部の形状に特徴がありまるでUFOの如し。この浄水場では、浄水処理の最終工程である『砂濾過池』での異物混入を防ぐために、この『砂濾過池』に蓋をする『覆蓋』を設置しています。それに伴い、覆蓋上部を利用して太陽光発電設備を設置し、自然エネルギーを積極利用しているのです。太陽電池モジュール7056枚、敷設面積9011m2、公称最大出力1270KWとのことでした。事務所入り口には東京都水道局のキャラクター『水滴くん』が出迎えてくれました。そして2016年東京オリンピック招致活動の旗。この浄水場には太陽光発電以外にも、小型の風力発電装置が事務所屋上に1基。やはりこの場所は風力発電には向かないのでしょう。そして帰りにもう一つの太陽光発電設備を発見。これが最初の導入施設なのでしょうか?東京駅、浄水場と太陽光発電は着実に普及が始まっていることを実感でき満足しながら帰路に向かった私発電所長でした。
2009.09.02
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我が家の8月の太陽光発電実績です。発電量は634KWHとなりました。昨年の8月発電量は627KWHでしたので、昨年とほぼ同じ発電量となりました。先月7月は昨年比を大幅に下回りましたが、今年の8月は気温の上昇が昨年に較べて低かったことも幸いしたと考えています。売電量は447kwh(昨年429KWH)とこれも昨年を上回りました。 ところで、以前の報道で、東京駅の我が東海道線のホーム(9・10番線ホーム)に太陽光発電を設置するとの記事が出ていました。全面積は3000平方メートル。出力は390キロワット。東京駅の二酸化炭素排出量・消費電力の0.3%に相当するという。なお発電した電力は駅内の照明や空調などに利用するとのこと。下の写真の青い部分がソーラーパネルなのです。 (http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/07/2010_4.htmlより)スケジュール的には設計を2009年初頭までに終え、その後施工。2010年半ば頃に使用を開始する。費用は約11億円(現状の概算値)。今回発表されたのは一部ホームのみの太陽光発電ユニット導入だが、今後今件の実績や太陽光発電そのものの技術開発動向を注視しながら、他ホームへの拡大も検討するという。以前から私は、JRの駅や線路上は太陽光発電に最適であると考えていました。特に線路上は、トンネル以外は上空に太陽光を遮るものは殆どありませんし、発電した電気を回収することは極めて容易なのではないでしょうか。電車通過時の振動に対する対策のみを考慮すれば良いのです。角度こそ傾斜させられませんが、面積は無限に?あるのでは。何年かすればこの様な太陽光発電設備が色々な会社線でスタートするのではないかと考えている発電所所長なのです。
2009.09.01
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