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日出づる国と日暮るる処(著者:宮崎市定|出版社:中公文庫) 日本と中国の関係を随筆風に書いたものを集めてある。 最初の刊行は1943年。戦争中である。「留唐外史」 円仁は知っていたが、円載は知らなかった。今日の価値観から一方的に評価するのではなく、どういう時代に生きたどういう人間だったのか、ということを明らかにしようとしている。「倭寇の本質と日本の南進」 倭寇が一方的な侵略ではなく、実は貿易の一形態でもあったということは、10年ぐらい前から言われるようになったのかと思ったら、何のことはない、こんなに前から指摘されていたのだ。 それでも、一度定まった図式というのは崩れないものなのだ。「江戸におけるシナ趣味」 別段、中国文化の需要のあり方を語る、というような固いものではなく、むしろ、江戸時代の成金の趣味の悪さを語っている。「雷を天神ということ」 天神は雷という意味ではなかったのに、なぜ天神=雷となってきたのか。 国内の資料だけでなく、中国との関連から見ている。「パリで刊行された北京版の日本小説その他」 北京で刊行されたということになっているインチキ日本小説の紹介。 著者がパリ留学中に手に入れたもの。こういうものをでっち上げる人々がいる、ということが面白い。「中国の開国と日本」 これは文化論であり、日本と中国はどう違うか、ということを「開国」という事件を通して論じている。 戦争中の著作ということもあり、日本を持ち上げ、中国を貶めようとしているような言辞も見られるのだが、全体としては冷静で、理性的に、真実を見極めようとしている。 仮名遣いは現代仮名遣いに直してあり、文章も平易で読みやすいが、ところどころ、見慣れぬ漢字が出てくる。「廉で」(かどで)「渝らざる」(かわらざる)はしばらく読みを考えてしまった。
2000.05.31
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物語江戸の事件史(著者:加太こうじ|出版社:中公文庫) 家康の江戸入り以来、明治になったすぐの時までの大きな事件あれこれを取り上げ、江戸の実像に迫ろうとした本。 一つ一つの項目は短いが、年代順に並べてあり、つぼを押さえていてわかりやすい。それでいて、独自の視点で物事をとらえている。 曾祖父は彰義隊に入ってしに、井伊直弼が襲われたときに、最後までかごのそばにいて切り時にした人物も一族だったという。 とうぜんそのせいもあって、幕府に同情的である。鉄道や大型船の建造など、幕府が始めたことを明治政府がそのまま受け継いで自分の手柄のようにしているのを面白からず思っているようだが、感情的ではない。 気になった点。 十二支に動物を当てるのは、日本人が勝手に始めたことのように書いてある(p78)が、これはすでに後漢の『論衡』にあるはず。 浅野長矩が吉良に斬りつけたときに言ったことはが、「このあいだの遺恨、おぼえたか」だという。(p91) 昨年放送された「元禄綾乱」でもそう言っていたが、これは「この間の」で「このかんの」ではないだろうか。その方が武士の言葉としては自然のように思えるが。 「中国語の歌詞の終わりに、不開=フォーカイという言葉があったこところから法界節とよばれた」(p181)。開はカイだが、不をフォーというのはいつごろのどこの発音によるのだろう。今の普通話ならプウだ。 印象に残った所。 「幕府の貿易独占計画に反対するのが、薩摩その他の西国雄藩で、どうせ通商をするのなら、こちらにも、もうけさせろと割りこもうとしたがうまくいかない。そこで外人は追払え、攘夷だというかたちで虚勢を張って幕府へのいやがらせをする」(p216) これには感心させられた。これは著者の推測である。しかし、こう考えれば、尊皇攘夷を旗印にしていた連中が、明治になったとたん通商・交流を盛んにした理由がよく分かる。
2000.05.11
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