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やっと今日で2月が終わる。 とても長かった。 ブルーの月だった。 何をしてもうまくいかなかった。 筋力、気力ともに落ちていてクライミングも思うようにできなかった。 これを改善しようとして、筋トレなどすると「するな」と言わんばかりに体のパーツが 故障するので結局何もできず悪循環の繰り返しだった。 しかし4回の土・日のうち3回をフリークライミング、スキー、雪山登山とアイスクライミ ングに出かけ、平日も1回フリークライミングにでかけ、それ以外の平日はすべて仕事に行 った。つまり休日は1回の土・日だけだったということになる。 例年この時期は冬季うつ病ぽくなり、あまり生き生きとした活動はできなかったことを思い 出せばかなり良いほうである。 問題はクライミングに出かけるたびに、どんどん自己イメージが低下してきたことである。 できない自分を何度も確かめに行ったようなものである。マイナスになるなら行かない方が まだよかったかも。 「成功は成功の中から生まれる」と外国のクライミングの本にも書いてあった。 明日からは弥生の3月、いよいよ春がくる。 陽の光も明るく照射時間も長くなり、それを浴びて私も元気になれそう。 明日からは気分一新して本来の自分に戻りたい。「成功は成功の中から生まれる」 明日はどんな成功があるだろう? 明日はまた八ヶ岳。
2008年02月29日
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お花のお稽古日である。 お稽古後に次の予定があったため、仕事が終わると先生のお宅に直行した。 もちろん誰も来てなくて、またまた先生を独り占めできた。 今日の花材は桃の花3本、黄色フリージア3本、白色マーガレット2本である。 桃の花はとても可愛いし、季節を感じさせるが、いつも花を活けている間にぼろぼろと 蕾がおちてしまい、自宅で活ける頃にはさびしい花付きになっている。 今日の桃の花は花の美しさはイマイチだが、花が落ちない種類だという。 桃の花を見せるためにフリージアとマーガレットを低くし、特にマーガレットの緑をうんと 下に配置して根元を締めた。 しかしまたしてもありきたりの作品になった。 新しい発想や自由な構成が全く湧いてこない。 マンネリズムもいいところである。 華展に行っていい作品を見たり、研究したりしないつけが正直に作品に反映している。 いつもの結論 「出席することに意義がある」
2008年02月28日
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マッターホルンの地図が届いた。 SWISSTOPO製で2万5千分の1の縮尺である。 グレー、ブルー、黄色、黄緑、緑などの薄い色の多色刷りで、印刷が大変精密である。 等高線が氷河はとてもゆったりと楕円形を描いているが、岩稜地帯は独特の描き込みが されていて、非常に高度感に溢れている。 単に地図というより一種の細密画である。 見ているだけでも地形の迫力を感じてしまう。唯一山麓の淡い黄緑色が安堵感を与え てくれる。 ドイツ語で表記されているので地名や山名がイマイチわからない。それはこれからの 楽しみにしておこう。 少し残念だったのは、私が登るのは一般ルートでヘルンリ稜であるが、この方面が 分割上十分に載っていなかったことである。実際にはガイドと登攀するので地図を 見ながらということは無いため、まあ良いとしよう。
2008年02月27日
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今日は雨の中、文京シビックホールまで出かけた。 アドベンチャーガイズ主催で「ヨーロッパアルプス名峰登頂を目指すために」という講座に 参加するためである。 10人くらいの参加者があった。会場が26階のスカイホールなので、ガラス窓の外には後 楽園を初めとして美しい夜景が手にとるように見える。 今回も近藤さんが、ヨーロッパの名峰つまりモンブラン、マッターホルン、アイガーについ て様々な説明をしてくれた。 今年マッターホルンとアイガーに登りたい私には大変興味深く、有効な内容だった。 ヨーロッパではスピード=安全という考えであることはモンブラン登頂の時から知ってはい たが、マッターホルンは別の面でもスピードが更に重要性を持つということがわかった。 それは、単に登るスピードを早くというだけでなく、水を飲む、行動食を食べる、アイゼン をぱっと装着する、作業性のよい手袋、どんな天気でも1枚のジャケットで対応するなど 様々な行動にすべて時間をかけないようにしないと競争に勝てないということらしい。 1日にたくさんの登山者が登るが、その先頭5組くらいしか山頂まで行けないとか。 登りと下りが同じルートなので人との戦いがあり、遠慮したり登り優先というようなことを せず、強引に行動する必要があるとのこと。 それに対してアイガーのミッテルレギ小屋には宿泊者は30人くらいしか泊まれないため登 る人が限定され、人と触れ合えるということだった。登攀レベルはアイガーの方が上だが人 が少なくルートもワンウエイで混みあわず、トラブルはないらしい。 たくさんの画像を見せながらの説明だったので、実際の岩壁や登攀している様子がよくわか り、イメージを膨らませることができた。 最後に装備の説明と実物の展示があった。やはり作業性のよい手袋が問題になる。 目標を具体的に把握できたため、マッターホルンが少し現実的になってきた。 しかし、課題山積ではないか。 今日の説明で「それはできる。大丈夫」と自信をもって言えることがあっただろうか。 何もない。 いつまでも高所登山の後遺症とか軟弱なことを言って甘えたり弱音をはいたりしないで、前 進しなきゃあという気持ちに少しなった。 3月からはがんばろう。
2008年02月26日
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ベートーベンのチェロソナタを聴いた。ヨーヨーマの演奏である。 この曲はベートーベンの器楽曲の中でも特に好きな曲である。 とりわけ第一楽章の出だしが理知的雰囲気で始まり、途中の第二主題が少しづつクレッシェ エンドしていく部分がのびやかですばらしい。 まるで木の芽がシューと伸びていく感じの清新さである。 ヨーヨーマの演奏は単に美しいという以上に心に迫る何かがあり音楽を聴く喜びを倍増して くれる。 山帰りで大体のところ気分はハイ、体は疲れているという翌日には、この曲は心のバランス を取り戻し、体をいたわるのにぴったりである。 朝からこの名曲を聴いて一日をスタートできるなんて、なんという幸せな日だろう。 今日は一日めげないで過ごせた。
2008年02月25日
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2月24日(日) 2日目である。主稜に行く日である。 朝6時「気温-20度、吹雪」という声が聞こえる。外からは強風が吹きすさぶ音。 昨夜の天気予報でも午前中は雪、午後は晴れとなっていた。今日は登山は赤岳も硫黄も主稜 も無理だろう。硫黄グループは行けるところまで行くのだろうか、7時半に出発した。 私たち主稜組はアイスクライミングということになった。 8時半すぎからアイスキャンデーに行く。キャンデーに昨日よりももっと雪やつららが 付いている。 今日は初めから少し長いルートである。 吹雪の中、ものすごい寒さでじっとしていられない。順番を待つ間、ぐるぐる歩く。 今日もロープワークとカラビナの扱いに時間がかかる。 他の皆さんは久しぶりと言うことであるが、とてもきれいに自然に登っている。 1本目は何とか終了したが、2本目であちこち詰まっていたら、何と氷柱の下から 「体を伸ばして立ち上がって、できるだけ高い所をめがけて打って」というYさんの声が するではないか。 来週はアイスクライミングのコンペがあるというのに、自分の練習もしないで私を 励ましにきてくれたのだ。 何だかここで「降ります」という訳にはいかないという気がしてがんばって何とか 終了点までたどり着いた。 最後のルートも今度は先生のアドバイスがどういうわけか優しく聞こえて心にしみ入り、 「がんばらなきゃ」という気になり、これも終了。 なりふりかまわぬ醜いクライミングだったが、昨日までの「降ります」を言わなかった だけでも私にしては進歩だ。 帰りの特急あずさ24号は強風のため遅れて到着。首都圏も風の影響で京葉線とか 運休した り遅れたりしていた。下界でこれだもの、八ヶ岳があの程度ですんだのは ましな方だと思った。 しかし私の晴れ女伝説もここで終わりか。 今回はとてもよい経験になった。晴れ女の名のとおり、八ヶ岳に入山したかなりの回数 のほとんどが晴れまたは曇り、昨年の2月だって、この間の12月だって晴れていた。 そのためひどい気象状況の冬山経験がなかった。 たとえ主稜に行けなくてもアイスクライミングが上手にできなくても、厳しい自然と 向き合ったこと、あの寒さと吹雪の中にいたことで耐寒訓練になったこと、分厚い グローブでするロープワークの難しさを経験して自宅練習の必要性を痛感したことなど、 学ぶことが多かった。
2008年02月24日
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2月23日から二日の予定で赤岳主稜めざして出発した。 美濃バス停から雪道を同行のFさん、Tさんと歩き始める。赤岳山荘を出たあたりから 雪が降り始め、堰堤広場を過ぎた頃には結構本格的な雪と強風になった。 樹林の中はまだしも吹きさらしの地形では雪煙が吹きつけ、顔がとても痛く凍傷にな るのではと心配しながら登った。とはいえ順調に赤岳鉱泉に2時頃到着した。 しかし、今日はこれで終わりと考えていた私たち三人は甘かった。 「アイスクライミングをしましよう。思ったほど寒くありませんよ」という天の声が するではないか。 観念してバラクラバを付け、アイスキャンデーに行く。 私はアイスはフリー以上に超できない。 大体あのアイスバイルというくぎ抜きの変形のような重いギアを両手に持って、重い靴 に更にアイゼンをつけて重量を増やして氷の柱を登るということ自体が前腕の力がなく 握力17と16の私にはとても困難にに思えるのだ。 今日はふぶきの中というおまけつきである。 さすがに人は少なかった。 分厚いグローブをはめた手で八の字結びやビレイをするため、結構な時間がかかる。 短いルート2本は何とか終了点までたどり着いたが、少し長いルート2本になると またしても最近の軟弱さが露呈。「降ります」を2回も言ってしまった。 手と足のバランスが悪く、足をしっかり置く体勢をつくれないままに動くので瞬く間 に腕の力を消耗しつくし、バイルから手が離れてしまったこともあった。だめだった。 気を取り直し、おいしい夕食を頂き、何人もの旧知に再会し、暖かいふとんで眠った。 しかし、外は一晩中ふぶきが吹き荒れていた。
2008年02月23日
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いつも不思議に感じていることがある。 様々な岩場のルートにつけられている名前についてである。 クライミングおよびルートの開拓をする皆さんが相当なユーモアの持ち主であることは そのルート名のつけ方をみるととてもよくわかる。 私が不思議に思うのはそのルートに曲名がルート名として付けられていることである。 例えば秩父の二子山弓状エリアには「ペトルーシュカ」「春の祭典」「火の鳥」という 名前のルートがある。 いずれもロシアの作曲家ストラビンスキー作曲のバレエ音楽である。 このルート名をつけたのは北山真編「日本100岩場2関東」によれば長嶋睦夫氏である。 どのルートも5.12b、5.11d、5.12a と私などには一生かかっても取り付き にもいけないような難度である。当然登ったこともなく、具体的にどんなルートなのかも 知らない。 しかしどうしてこれがストラビンスキーのバレエ音楽三部作と結びついているのか。 このルートのどこかにその曲や曲名を想像させる何かがあるのか。 または音楽やバレエとは何も関係ないが、長嶋氏がこれらの曲が好きでルート名にした のか。 この素朴な疑問に何か思い当たることがある方はぜひ教えてください。
2008年02月22日
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07年11月3日~4日 連休で特急あずさも結構混んでいたし、小川山の駐車場も車で一杯だった。 今日は駐車場から見える父岩に行くと聞いて胸が高鳴る。駐車場から見ると、ものす ごく高い岩がまっすぐに伸びている。 父岩は陽があたって明るく、颯爽としたすばらしい岩場だった。 初めに小川山ストーリーというルートに取り付いたところ、どういうわけか苦もなく 登れてしまった。 次に小川山ストリートというルートを登ったが、これもどういうわけかスイスイ登れ てしまって、自分でもどうして楽に登れたのだろうという感じ。 続いて隣のモラリストに取り付き、これもらくらく登れてしまった。各2回づつ合計 6本登って気持ちよく終了。 前回のあの苦労がうそみたいだった。 これはきっと先生から頂いたぴったりの靴のおかげである。 翌4日もすごく良い天気で、空のブルーにから松の黄色が映えて小川山の秋もたけな わという風情である。この日は水晶スラブに行った。 長いクラックと短いレイバックの練習を2本づつ練習してツイスト、あばたもえくぼ と登る。 その後は裏のひょっとこ岩に周り精神カンテに取り付く。第一核心までは早くいけた が、二つ目の核心にてこずった。下から先生が「体を右にふって左足は外側につっぱ って」とアドバイスして下さるが、右側にしっかりしたホールドを探せず滑べって不 安定な足になってしまう。 何度もトライしてやっとクリア。バランスが難しかった。 最後にツイストを登ってクールダウン。結局この日はクラック、レイバック、ツイス トを各2本、あばたもえくぼと精神カンテを1本づつで計9本登った。 またしても親指・人差し指・中指に小さな亀裂が入り、赤くなって血がにじみ痛い。 でも今日は自分なりに登れたという感触があり、苦痛に感じなかった。むしろ「血が にじむまで頑張った」と思いたかった。 私は身長141センチ、手も足も短く、標準の人が手を伸ばせば何なく届くホールド に20センチ足りない。 でも、今日は私でも頑張れば何とかできそうだという可能性を感じた日だった。 今年最後の小川山が終わった。
2008年02月21日
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翌10月21日 小川山の2日目。 真っ青な空が広がり、すばらしく気持ちがよい日であった。 雑木林を歩いて15分ほどでソラマメスラブという岩場に着いた。 今日は岩は乾いて明るいし、ルートもひどくないように思えて(というか自分の目が小 川山に慣れただけなのだが)、「逃げずにやってみよう」という気持ちになった。 「生木が倒れたよ」「三色すみれ」「甘食」というルートを2回ずつ登った。 今日も先生は私が取り付く前には必ず模範クライミングを見せて、ムーブやルートの 解説をして下さったので、とてもよく理解できた。前向きに取り組めた。 問題は私の履いている靴だった。履いてかかとに1センチほどの余裕がある。靴が大き すぎるということが判明。これじゃ全くダメでつま先をぴったりくっつけて痛いくらいで よいとのこと。皆さんの靴はまるでてん足のように小さい。 試しにYさんの靴を借りて登ったところ、ものすごくフリクションが効いて、岩から ずり落ちず小さなホールドにも立てた。「よし、ぴったりの靴を買おう」と決心。 また、みんなの間でクライミング用語が飛び交う。すべてがわからない。 無邪気に聞き、教えてもらうのはとても楽しかった。 「キョンて何ですか」「レイバックてどうすればいいの」「ランナウトって?」 「パンプツウて何ですか」 最後に下の方に移動し、北山 真が拓いたという岩場に行った。 すぐ登れた。5.8ということで楽だった。 全部で8本登った。前腕のパンプは無かったが、指先に縦のスジが付いて血がにじみ そうになり、赤く腫れてとても痛い。クライミングの洗礼を受けたのである。 でも、今日は自分でも頑張れば何とか登れそうだという見通しが持てた。 逃げて帰りたいと本気で思った昨日のことを思えば大きな前進といえる。 この日以降、私はクライミングにはまってしまったのである。
2008年02月20日
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07年10月20日 初めて小川山に行った。 川床を歩いてリバーサイドという岩場に着いた。前日の雨で濡れた灰色ののっぺりし た岩壁が木陰の下から陰険な表情で表れた。 私は思わず「こ、これを登るの?」と絶句。日和田の岩とはあまりに違いすぎる。 こんな岩はとうてい私には登れない。手を置くところも足を置くところも見つけられ ない。 もう帰りたいよー。本気でそう思った。 周囲の皆さんは中級者ばかりで、あれこれ楽しそうに会話しながら登っている。 私は9月19日に日和田で講習を受けてから岩は今日で3回目という超初心者で ある。日和田の岩しか見たことがない。 すっかり気後れしてしまった私は、今日は一日皆さんのクライミングを見せてもら おうという気持ちになって、目立たない所でじっと隠れて見ていた。 しかし、しかしその平和は長くは続かなかった。 しばらくすると「登らなきゃ上手にならない」というUさんの強い叱咤激励の声が 飛んできたではないか。 その説得力に押されてやむなくアウトオブバランスというルートに取り付いた。「レイバック」でということなのだが、そのレイバックというのが何なのかわか らない。 前腕の力が無いので体を上に上げることができず、ずるずると落ちるの繰り返しで、 どうにもできない。今思えば脚で登るということがわかっていなかったのだ。 岩は雨で濡れていてものすごく冷たく最後には指が凍えて感覚が無くなってし まった。下で見ているUさんやYさんのアドバイスを聞きながら登るのだが、その アドバイスどおりに体を動かせないのである。 自分の体重に苦しみながらひとり上を目指す、何という孤独な営みか。 ルートの途中で進退窮まり、絶対絶命の境地になっていた。 何とか終了点に着く。登れた。絶対無理と思っていたが、登れた。安堵した。 ここを2回登り、次は隣のブラックシープというもっと長いルートを登ることに なった。 一目見ただけで「ああ、これはもっとできない」と思うものの、逃げる場所も口実 もなく、チャレンジあるのみ。あと一息というところまでいくが、例のレイバック が決まらない。先生の指示で3回も練習させてもらったが、結局できないで終了。 苦難の一日が終わった。 この日の経験は9月19日に次いで絶対忘れられない二番目になった。
2008年02月19日
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私の故郷は四国の愛媛県である。漱石の「ぼっちゃん」や道後温泉で有名であるが、 俳人正岡子規の活動した地でもある。 その関係で愛媛県全体が非常に俳句が盛んで、道後温泉や松山駅前にはこの地を訪れた旅人 が興に応じて詠んだ俳句を入れるポストが設置されているほどである。 もちろん俳句を作る社会人の会は無数にあり、同人誌の発行も多い。中学・高校でも俳句の 創作活動は盛んであり、高校生の「俳句甲子園」なるものさえある。 私はいわゆる正統派の俳句が特に好きなわけではない。 しかし山頭火の自由律の俳句にはとても心惹かれる。山頭火が何度も愛媛県を訪れていたと いうことも親しみが湧く要因の一つとなっている。 家族を捨て、職を持たず、乞食のように歩きながら托鉢でかろうじて生を維持しつつ、俳 句を詠み続けた山頭火の句には、山や野を歩いて作られたものや、山を初めとする自然を題 材にしたものが圧倒的に多い。 そして生か死かぎりぎりのところで詠んだ歌はとても直裁で心に迫ってくる。 山頭火のようなすさまじい生き方は私にはとうていできない。 いやほとんどの人はできないだろう。 しかし時々彼の句が心に浮かび上がってくる日がある。 分け入っても 分け入っても 青い山 歩かない日はさびしい
2008年02月18日
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高所登山の後遺症からはやく立ち直るために何ができるか。 アコンカグアに行くまではいろいろトレーニングをしていた。 目覚めるとまずベッドの中で腰伸ばし30回・足指グーパー20回・直腹筋100回、斜腹 筋左右各50回、背筋50回などをやって起床。 次に酢を入れた野菜ジュースを飲み、森林公園までウオーキング20分、公園出口からジョ ギングをその日の体調や時間によって20分から60分して、帰りに公園で筋トレ。 ここでは鉄棒ぶら下がりやスクワット、カーフレイズを繰り返し、最後にストレッチをして 歩いて帰宅というメニューだった。筋トレは毎日しないで超回復期間を考え、2,3日間を おいてやったりしていた。 ジョギングで持久力がついたような気がしたし、体はとても軽快だった。 しかし、アコンカグアから帰国後はまずベッドでの目覚め運動を始められなかった。 ベッドでぼうとしているだけで、体を動かせないのだ。 ウオーキングは何とかできたがジョギングは全くやる気になれず、ウオーキング60分に変 更。筋トレはもう問題外になっていた。 何とか気力・体力を早く回復させたい。 しかし筋力が落ちている身に無理はできない。 では何ができるかと考え、体に負担をかけないものということでヨーガの呼吸法を始めた。 クンバカ呼吸法である。 起床後、この呼吸法を変化をつけて100回練習し、それから外でウオーキング60分。 何とか早く気力を取り戻して、筋トレもジョギングもできるようになりたい。 そして軽々と岩を登りたい。かってあったという勢いとキレのある動きを取り戻したい。
2008年02月17日
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南米を始めて訪れた。 全日程23日のうち4日が往復の飛行機の中、15日が登山でテント生活、残り4日が都市 での滞在であった。 主に滞在したのはチリーのサンチャゴ、アルゼンチンのメンドーサである。 南半球で丁度夏にあたり、毎日決まったような晴れの天気が少なくとも23日は続いた。 気温は40度近いが、湿度が低いので苦にならず日中も歩けた。 日没が信じられないほど遅く、暗くなるのは夜の10時ごろだった。だから早く寝ようと 思っても外が明るく、陽が照っている状態ではとても眠れない。 安くておいしい牛肉・魚介類・それにワインが特産であり、人々はとても親切だった。 音楽とダンスが盛んで、レストランに入ると必ず生の音楽を演奏して回るエンタテイナ-が いて、雰囲気を盛り上げていた。夜遅くまで踊っている人々の姿も見た。 しかし時間の観念というものが無かった。しかしそれを咎めるという気分になれなかったの も不思議ではある。 ガイドが決められた時間通りに動けたことは少なかったし、極めつけはプラザデムーラスの BCから午前11時にムーラで下山するという予定が、実際にムーラが到着したのは午後の4 時というひどいこともあった。 気にいった街はアコンカグアの登山基地メンドーサである。街中に喬木がたくさんあり、濃 い緑陰を作り出している。その高い樹木は本当にオアシスで心を和ませてくれた。 サンチャゴでもメンドーサでも自分が異国に来ている異邦人という感覚はあまりなかった。 というのは街を行き交う人々は黒い髪、黒い瞳、皮膚の色は白くもなく黒くもなく、身長や 骨格も私たち日本人とあまり変わらなかったからである。 ただ顔はモンゴル系の私たちとは大きく異なっていてインカ系というか独特の顔立ちでとて も魅力的だった。 その顔立ちに接して滅びてしまったインカの人々の哀愁のようなものを感じたのは私だけだ ったろうか。 また、レストランの食事量が多いことにはびっくりだった。一人分の量が日本なら一家族分 くらいあった。 当然人々は太っている。中高年だけが太っているのではなく、若い人たちも太っているので ある。この国にダイエットという言葉は無いと思った。みんな屈託なく気持ちよさそうにせ り出したお腹で歩いている。メタボ意識なんかありそうにもない。 しかし、健康上の問題はないのか。標準体型の人を探すのが難しいほどだもの、無いはずは 無い。国の厚生省のような機関は国民の健康管理上の施策を打ち出さないのか。日本の教育 機関・医療機関等の健康指導の熱心なことと比較するとほんとにおおらかに感じる。 言語はスペイン語だ。英語はほとんど通じない。前回キリマンジェロに行った時、スワヒリ 語を全く勉強していかず、素朴でとてもよく働いてくれたガイドやポーターたちと現地の言 葉で交流できなかったのがとても悔やまれた。今回は少しスペイン語を学習していった。 これが大成功だった。こんにちわ、すみません、お願いしますなどほんの挨拶や日常会話の 基本中の基本だけしか言えないのだが、コミュニケーションがぐっと深まった。飲み物の言 葉をマスターしておいたのもレストランやテントでの食事の折にとても役にたった。 アメリカやヨーロッパにない親しみを感じた旅だった。
2008年02月16日
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昨日から心の中が一面ブルー一色に染められてしまった。 これ以上ブルーを濃くしたくなかったので、モーツアルトをたくさん聴いた。 弦楽五重奏曲ト短調、ピアノ協奏曲23番、24番、27番、弦楽四重奏曲第15番、オー ボエ協奏曲を選んだ。どの曲にも強く心を揺さぶられ、その場から動けなかった。 弦楽五重奏は彼の宿命の「ト短調」、胸を引き裂かれるような硬質で凝縮した旋律に心を 奪われた。弦楽四重奏のほうはそこまで硬質ではなく、情感豊かで美しかった。 協奏曲は混じり気のない明るさとその影のような部分が浮かんでは沈み、沈んでは浮かびあ がり、非常に陰影に満ちていた。そしてそれは絶え間なく流れ、また巡ってくる。これがモ ーツアルトの音楽の真髄だと思う。 それにしても彼だけがどうしてこんな深く美しく純粋な音楽をたくさん創作できたのか。 この美しさを感得すれば、これは神がモーツアルトを通じて表現した音楽としか思えず、同 業者ならサリエリならずとも嫉妬するだろう。 最後にシューベルトの弦楽四重奏「死と乙女」を聴いた。 静謐な主題の次に出てくる第一変奏がいかにもシューベルトらしく大好きだ。 聴いているうちに「死と乙女」を何十回も聴いたり、ピアノを毎日8時間も練習していたあ の頃を思い出していた。 音楽だけを追求していれば今の苦しさを味わうことはなかっただろう。 私はどうしてこんなに変貌してしまったのか。 山はたくさんの生きる喜びと楽しみを与えてくれた。 でも今になってクライミングを始めたこと自体が間違ってはいないか。 どうして全く適性のない分野を選んでしまうのか。 私のこれまでの人生で適切な選択といえるものは果たしていくつあるだろう。 音楽だって今思えば最適な選択だったかどうか。 しかしそれらはその時々に私が情熱を傾けたものなのだ。 そう、情熱である。情熱が私を動かす根源的エネルギーなのだ。 私はいつも情熱に駆られて何かに向かってしまう。たとえそれに自分の適性が無くて も、その情熱を冷ますことは難しい。情熱を傾け惹かれるものは心の奥深くで無意識に 求めているものだから、理性で否定することができないのである。 その結果として、こうして苦しんでいる。苦しみながらもクライミングを捨てられ ない。私は矛盾に満ちた人間である。 いつしか音楽への情熱は私の中で奥深く内に潜み、私を支え生かしてきた。音楽が魂の 血となり肉となった。長年の間にそれは情熱を超越し、愛へと変容した。 山への情熱、音楽への愛。私は情熱と愛なしでは生きてはいけない。
2008年02月15日
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1月9日下山開始 この日の明け方はものすごい強風だった。山鳴りがするような恐ろしい風の音が聞こえ、風はテントの側面や上だけでなく、下からも吹き上げてきたため、テントごと吹き飛ばされるのではないかと恐怖を感じた。アタック日が今日でなくてよかった。強風に耐えながらテントを撤収し、11:40頃C2を出発した。1時間ほどでC1に着くと空気が濃くなり、少し楽になった。一休みしてがらがらの急斜面をBCに1000m下る。1000mは登るのも大変だが、下りも相当長い。最後に気を緩めて怪我をしないよう慎重に降りる。ついに2:30分BCに到着。安堵する。大きなピザが出され、みんなで祝杯を上げた。私もこの時だけは禁酒を解いた。ビールコップ1杯で見る見る間に酔いが回った。顔がまん丸にはれている。目の上が重く、まぶたがのしかかってくる。水不足のつけである。1月10日 いよいよ都市部までへの下山の日になった。オルコネス谷を歩き、パークレンジャーまで32kmのトレッキングである。来る時ムーラに乗ってきたのでやはりこの谷を歩かねば本当にアコンカグアに来た価値がないような気がしてNさん、kさんと私の女三人にガイドのナタニエルがついて9:45分に下山開始。帰りもムーラに乗って降りるという人たちはムーラが来るまでBCで待っていた。オルコネス谷のトレッキングは下り中心だったので、とても面白く楽しかった。荒涼とした山々の間を縫って赤い川が細く長く延々と伸びていた。その川に添ったり、渡ったりしながら下っていった。3:15分にコンフルエンシアに到着。ここで1時間の大休憩。4:15分に再びスタートし、一度も休憩せずパークレンジャーむけて歩く。標高がどんどん下がるにつれてあかちゃけた岩くずの谷から草原になり、草や花や湖がでてきて潤いのある景色になり、気分的にもほっとする。6:00にパークレンジャーに着きアジムット社の車でぺ二テンテスのホテルに到着。何日ぶりの入浴だろう。シャワーを浴び、顔を洗い、頭を洗い、着替えをした。やっと人間らしい姿になる。しかし鏡を見て仰天。水分不足の後遺症で顔がますますむくんで目が埋没している。顔がとても重い。二目とみられぬひどい顔になっている。ムーラ隊の帰着を待って全員でワインで「サルー」と祝杯を上げた。アコンカグアには6人中5人が登頂でき、全員が怪我も事故も無く元気に下山できた。これ以上の成功はあるまい。12:30頃までみんなで楽しく談笑した。山旅の終了である。
2008年02月14日
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昨夜の雨が上がって真っ青な空が広がる幕岩に行った。 山の中腹には紅梅が咲いている。少し風があるが、日差しは暖かい。 桃源郷の3ルートを2回ずつ、アリババのシャワーコロンを2回ずつ登った。 しかし、今日もとてもがっくりきた。 桃源郷のルートは昨秋登ったことがあり、今日登ったよりすいすいとまではいかなくとも もっと楽に登れていた。 今日同じルートを登ったが、あちこちで詰まった。10月の小川山の苦難を思い出した。 Yさんいわく「昨年の日和田より勢いが無く、動きにキレが無い」 打ちのめされた。 その頃の私に「勢い」や「キレ」があったというのも初めて聞く話であり、 自分にあるものはチャレンジ精神と柔軟性だけだと思っていた。 日和田といえばクライミング第1回目ではないか。それより悪くなっているということは この4ヶ月の努力は帳消しということになり、振り出しに戻ったということになる。 再びがっくりきた。 先生は高所登山の影響で体力が落ちているためで「3月の終わり頃には戻るでしょう」と慰 めて下さったが、とてもむなしかった。悲しかった。情なかった。 こんなに小さくて手も足も短い私がなぜクライミングなんかしているのか? どうしてする必要があるのか? 行き詰った時に出てくるいつもの根源的問いかけが頭をよぎった。 しかしこんなに後遺症がひどいとは予想しなかった。 しかしある本には5.13登れていた人が高所登山後は5.9しか登れないようになっていたと書 いてあったから、当然の結果なのか。 メンタル面でも意欲が湧かない、粘り強さがない、ファイトがない、集中力がないとか以前 とは違った低下をいろいろ感じていて、それもつらく思っていたのだった。 あーあ、何ということだ。 What shall I do ? Fabiel, Help me
2008年02月13日
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今日は火曜日でまたお花のお稽古日だった。雨が降ってとても寒かったが、仕事が終わってすぐに行ったのでまだ誰もきていなかった。先生を独り占めにして生けた。今日の花材はがくあじさい3本、サーモンピンクのカーネーション3本、アルストロメリア2本、レモンリーフ3本だった。がくあじさいが矯められないので、変化のないありきたりの構成になった。着想が湧かない。山やクライミングにばかり行って、勉強しないからだ。真剣に取り組まないからだ。平凡な作品で終わった。しかし「継続は力なり」を信じ、「休むよりはまし」と思って続けている。でも先生は「山にもいろいろ行ってるから、その伸び伸びとした気持ちが華にも反映して、とてもいいですよ。」と言って下さる。先生に感謝。
2008年02月12日
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朝、ペンションの窓から外を見ると真っ青な空が広がり、木の隙間から白い峰が見えている。今日の日程をどうするか、即ちスキーに行くか別行動をするか考えてしまったが、あんなに山が美しく見えているのに、スキーなんか練習している場合ではないという気がしてきて、予定変更。栂池自然園の方へスノーシューハイクに行くことにした。ロープウエーに20分乗って栂の森山頂駅に着いた。そこから単独行動になり、スノーシューを背負って一人樹林帯に入る。結構急な斜面を少し登ると夏場は林道であろう広い道に出るという動きを何回かして高度を上げていった。なんという至福の時、白馬乗鞍から白銀の峰々が爺ヶ岳までくっきりと連なっている。「すばらしい」 思わず独り言を言ってしまう。この連峰にはひときわ愛着がある。数年前の夏の終わりに、休みをやりくりして女一人の単独行で栂池自然園から入り乗鞍、小蓮華と超え、白馬・杓子・白馬鑓・帰らずの剣・唐松・五竜・八峰キレット・鹿島槍・爺が岳と後立山連峰を縦走したのだ。帰らずの剣とか八峰キレットは何でもなかったが、この長丁場はその当時はなかなかの試練だった。特に白岳、五竜や鹿島槍の登りとかしんどかった記憶がある。冷池山荘前で休んでいる時、近くに見えた爺が岳も残暑が厳しく、喘いで登った気がする。でも予定通りの山行日程をこなして、扇沢に着いた時は体は疲れていたものの、精神は充実感で一杯だった。こうしてすべての峰々一つ一つを一生懸命歩いたので、どの山もが愛しい。それらがすべて見えるなんて、本当に嬉しかった。何か山を慈しみたいような、できれば胸に抱きたいような気持ちだった。遅くなってスキーの皆さんに心配をかけてはまずいので、途中で引き返したが、満足感で満たされていた。
2008年02月11日
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今日は場所を変更して白馬47というスキー場へ行った。たくさんのスキーヤー、ボーダーがゲレンデ狭しと縦横無尽に滑っていた。だが、この日はとても不本意な一日だった。自分から「教えてあげますから行きましょう」と誘ったインチキラクターが朝一番の私の滑りを見て、すぐに「体が硬いから危険です。すぐに帰りましょう」と言うではないか。朝、体が硬いのなんか当たり前でしょう。何言ってるんですか。昨日はあんなに誉めて持ち上げ、今日は1回しかすべらせないとは一体どういう指導なんでしょう。怒ってしまったが、通じない人とあれこれ議論するのも後をひくので、「そうですか」とブルー気味に言って、一人でペンションに帰った。全くインチキラクターと自称するが、その通りだ。指導に一貫性がない。宿に帰るとN大山岳部出身のオーナーがいて、山の話で盛り上がった。やはり山やは山や同士が良い。更に談話室にガストン・レビュファの「雪と岩」があるではないか。あまりにも貴重な本を見つけてむさぼり読んでしまう。また、「日本のクラシック」というアルパインの名著もあり、この2冊で3時間は楽しめた。良かった。久しぶりに寛いで本を読めた。
2008年02月10日
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以前知り合いからスキーに誘われ、断る理由を見つけられず、白馬三山や唐松・鹿島槍等、後立山の峰々を見るのもいいと考えて参加した。三連休で混むため夜中の12時に自宅を出発、朝の5時頃白馬に着いた。私を含めて女性3人、インストラクターの男性1名の4人である。はじめに栂池のスキー場に案内された。雪がたくさん降っていて、どこもかしこも雪景色。きれいだった。曇り空で山は全く何も見えなかった。初心者用のゲレンデでスキーの指導を受けた。乗り気ではないものの、スキーの魅力みたいなものを感じた。夜はペンションに泊まった。こじんまりしているがインテリア等とても趣味がよく、しゃれていて暖炉の中にはまきが赤々と燃えていた。また食事がたいそうおいしかった。太ることを心配しながらもおいしくて食べてしまった。しかしアルコール類は一切口にせず、禁酒を堅持した。女性3人で一部屋に泊まり、楽しい一夜を過ごした。
2008年02月09日
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08年1月8日 晴れ 山頂アタック Oさんがスタートを4時と勘違いして2:30分に起こされた。 朝食は日本から持参したレトルトのお結びにどら焼き1個、スープだった。やはりアタック 日にはおなかにたまるご飯をもっと食べたかったが、自分の準備不足でどうしようもない。 アタックの装備を確認し、テントの外にでたが、だれも出てこない。空は暗く、星が瞬いて いる。「いつまで待たせるの、足が冷えてしまうよー」と思っているうちに5時20分頃や っと他のメンバーがスタンバイし、ナタニエル先頭で出発した。 風はあまりなく、思ったほど冷え込んでもいなかった。なんというラッキーな日だ。私の晴 れ女のパワーは日本だけでなく、ここ南米でも遺憾なく発揮されたのである。 しかし足先がだんだん冷え込んでくる。星空を見ながらゆっくり登る。 しかしこのとき大失敗をしていた。キャメルバッグの吹き戻しをすっかり忘れていたのだ。 ふと気がつくともう凍ってしまっていて、どんなに力を入れて吸い込んでも水が出てこな い。どうしようもなく困惑したが、そんなことに悩んでいる暇もない。 しばらく行くとすぐにファビエルから「クランポン」という指示があり、アイゼンを装着す る。予想以上の雪である。 9時02分にインデペンデンシアについた。ここで小休止し、更に北側の非常に寒い斜面を 延々とトラバースする。このあたりは全く日があたらない地形にあり右側は大斜面になって いて、滑落すると何百メートル滑落するか検討もつかない。 アトラストレックの説明会に行った時、早川さんが滑落すると何百メートルも落ちて手も脚 もバラバラになってしまうと言ったのはこのあたりのことか。 しかしそんな怖さにいちいち浸ってもいられず、寒さに耐えながらジクジクと進む。 やっと斜面を抜けて尾根道に出た。長かったし、寒かった。 グランカナレータも全面雪で、地面は全く見えない。ここはかえって雪でよかったのかもし れない。アイゼンとストックで急斜面を登っていく。この頃になると、メンバーもそれぞれ の体力に合わせて登っており、バラバラになっていた。 胸突き八丁のような雪の急坂をずーと耐えて登っていくと、アコンカグア山頂がとがって見 えてきた。あそこまでだ。見えてからが遠い。 一歩一歩登ってついに山頂にでた。2時10分になっていた。およそ9時間かかって595 0mから6962mまで高度1012mを登ってきたことになる。 山頂は結構広く、何と雪は全く無かった。小さな可愛い十字架がある。360度の大展望が 広がる。すぐ右隣に雪を頂いた南壁がそそり立っている。すごい迫力である。 山頂にはHさんが既に登頂、次が私で次がKさんだった。 「不思議だね、エルプロモと同じ順番だ」とHさんが言うので「山なんてそんなものです よ」と答えた。 人間どこの山に登っても体力や精神力は同じだから、結局そうなってしまうのだろう。しか し今日、私は結構後ろからのんびりゆっくりダメージを受けないよう登ってきていたので、 この2番目という順番は不思議ではあった。 そうこうしているうちに他のメンバーも登ってきた。6人中5人が登頂できた。最後の一人 も頂上直下まで頑張ってきたのだが、最後に自分からリタイアしたということで、さぞ無念 だったことであろう。 山頂は風もなく、真っ青な空にアンデスの山々が延々と広がり、すばらしいの一言だった。 ここ何ヶ月かの努力が報われた。至福のひと時である。皆で写真をたくさん撮る。 山頂で30分ほど過ごし、下山開始。 高山病の症状は全くなかったが、キャメルバッグが凍ってしまったため、そこから水分補給 ができず、テルモスの500ccとファビエルから恵んでもらったジュース1口、紅茶一口 の水分しか口にしていないため、私の体内は決定的に水分不足になっているはずだった。今 後どんなに顔がむくんでくるか予測がついた。 下山も雪の斜面でストック2本を使いながら注意深く降りた。どんどん高度が下がり、少し ずつ空気が濃くなっていくのを感じた。 しかし下山もなかなか容易ではなく、時々休みつつもC2についたのは結局6時40分で4時 間を要した。
2008年02月08日
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08年1月6日 晴れ 今日からいよいよ頂上に向かって登っていく。本番である。 9:30に朝食を終え、キャメルバッグとテルモスに飲み物を詰め、シュラフ、カバー、ア イゼンをポーターに預け、11時にBCをスタートした。 今日も良い天気である。この時期この地方は天気がまるで判で押したように安定している。 火山礫のグズグズの道をゆっくり踏みしめて一歩一歩登る。時折5分、10分と休憩をいれ つつ、亀か蟻のように歩く。 途中でトップがファビエルからナタニエルに変わると微妙に安定感が崩れる。3m、5mと 距離があくが、私は追いかけなかった。エルプロモで痛い目にあっているからだ。 キャンプカナダまで3時間半、黄色いテントがたくさん並んでいた。そこからキャンプ アラスカをとおり、ニドデコンドレスの岩を見ながら上昇した。 一昨日この付近は雪道だったのに、雪が無くなっているので驚いた。茶色の地面が露出 している。たった二日でこんなに違っているなんて太陽エネルギーは偉大である。 苦しまないペースで歩いてC1ニドデコンドレスへ到着。さすが、2度目は楽だった。 今日のテントの相方はkさん、1級建築士の女性である。 お決まりの雪集めから始めて夕食を準備して食べ、早めに就寝。 1月7日 C1ニドデコンドレス(5400m)~C2キャンプベルリンへ(6950m)へ 今日はいよいよキャンプベルリンへ登る。高度が上がるのでどう体が反応するか気がかりで はある。9:頃朝食を済ませ、テント撤収、12時にC1をスタートする。ゆっくりゆっくり 雪の斜面を登っていく。 キャメルバッグから5分おきに水を補給しながら登り、2時10分にキャンプベルリンに 到着。あたり一面の雪で岩がところどころむき出しになっている。 マリアの像と十字架がある。高度障害の症状は無いが、さすがに5950m、人が長くいる 場所ではないことを実感する。 今日は諸般の事情でTRのOさんと同じテントで寝食を共にするという栄誉に恵まれ、 この登山の大先達と一緒にテントの設営から夕食までを共にする。 大船に乗った気分であり、随所に学ぶことがある。 明朝のスタートは5時である。アタックの準備を万全にし、湯たんぽ2個にホッカイロをい くつか張ってシュラフに入る。5950mの割にはそこそこ眠れた。
2008年02月07日
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08年1月4日 C1からBCへ 朝方ものすごい強風が吹き荒れ、テントから出られなかった。 仕事がたくさんあった。前夜の湯タンポの水を使ってお湯沸しから始めたが、風が コンロを吹き倒したり、マッチの火が風でなかなかつかないなど強風に作業を中断され ながら、卵雑炊、味噌汁、コーンスープを作って食べたが、あまり満足はしなかった。 10:30頃から馴化トレーニングでC2の途中およそ5600m位まで雪道を歩き、 その周辺を一周する。天気がよくてはるか遠くまでよく見えて気持ちがよい。 午後1:30頃からBCに下山開始。富士山の下りと同じでもうもうとものすごい砂埃をあ げながらザクザクと下った。ファビエルがガンガン飛ばして約2時間でBCに到着。 何だか火山礫ばかりでつまらなかった。早く歩いたため、途中で足がもつれて転倒した 人が二人いた。 BCは4300mだが、5400mのC1に比べると空気の濃さが全く違い、休めた。 同1月5日 今日は本番前の最後の休息日である。 初めてテントで一人で寝たら、とてもよく休めて、5時間連続で眠れた。10時に朝食の あとは一日休息。 テントの屋根にシュラフやカバーやウエアを干した。一日中太陽がサンサンと降り注ぎ、か なりの高温だが湿度が低いので苦痛ではない。テントの中で読書。 午後6時頃からTRのOさんが日本から持ってきたもちとあんこでお汁粉をつくってくれ た。とてもなつかしい味でおいしかった。 あとはすることも無くまた読書。平和にBCでの休日がすぎていった。
2008年02月06日
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今日は火曜日でお花のお稽古日であった。 今日の花材は木苺の枝3本、赤いチューリップ3本、菜花2本で三種類。 菜花という花材がいかにも房総半島という感じである。木苺の緑とチューリップの 赤は鮮やかだったが、菜花の黄色はまだ蕾も固く、葉っぱの緑色だけだった。 木苺の枝つきや自然の曲がりをできるだけ生かして構成し、その空間にチューリップを 散らし、足元を菜花で締めた。結構様になってすぐに完成。 先生からの直しもあまり無く、良いコメントを頂いて終了。 たまにはうまく生けられることもある。
2008年02月05日
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08年1月3日 高度馴化のためにニドデコンドレスまで登った。 朝食は8:30だったが、その後シュラフを預けたりキャメルバッグに水を入れたりして 結局出発したのは10:35分だった。 キャメルバッグに水2リットル、サーモスに甘い紅茶500cが今日の水分である。 今日はガイドのナタニエルが体調が悪く、アシスタントガイドのファビエルがリーダーで先 頭を歩いた。 とても適切なペース配分で、休憩込みで約6時間、午後4時45分頃、5400mのC1 ニドデコンドレスまで全員が快調に登れた。 高度障害になった人はいなかった。 C1に着くとすぐにテント設営をし、雪集めに行って水つくりから始めた。今日のテントは Nさんと一緒でとても話が弾んだ。 雪をコッヘルに詰め込んで、ガスをつけて水にし、更にお湯にし、ラーメンを作りスープを 作りお茶を飲む。更に湯たんぽ用にお湯を沸かす。 アルゼンチンはいつまでたっても陽が沈ます、この日の日没は夜10時だった。はるか遠く の山々と空が広大にオレンジ色に染まり、輝いていた。すばらしく荘厳だった。 日没後はさすが5400mだけあって、どんどん寒さが厳しくなり、ペットボトルとナルゲ ンボトルの計2本の湯たんぽ、張るホッカイロを体に2ヶ所、足用のそれを足裏に張って寝 たところ、快適に眠れた。
2008年02月04日
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今日は朝から雪が降って驚いた。天気予報通りではあるが、こんなにしっかり雪が積もるとは予想していなかった。幸か不幸か交通網は乱れてなかったので、総武線・小田急線・南武線を乗り継いで初めて中野島という所にあるパンプ2に出かけた。パンプ2は施設の中がどこも清潔で快適だった。ルートが長く、今まで行ったジムより難しそうに見えた。ストレッチを入念にしてやさしいルートから始めた。Tさんはリードでとてもきれいに登ってさすがである。私は昨日の低空飛行のムードをひきずって体がきびきびと動かず、イマイチだった。先生に足の向きと手の関係についてその都度ご指導頂くが、体がついていかない。忍耐強い先生もさすがにあきれて(?)いつもよりアドバイスの声が大きかったように感じたのは、私のひがみか。見ていてわかったのはこのジムはグレードの高い人ばかりが来ているということである。ほとんどの人がリードでハングした壁をぐいぐい登っていく。体もクライマーらしくスリムでパワーウエイトレシオ19くらいの人ばかりだ。ムーブもまるで本で見たようにかっこよく決まっている。そんな中で私だけが恥ずかしくもトップロープで練習していた。午後の最後にやっと先生の指導して下さっている動きができるようになり、自分でも納得できて気持ちよく終了。でも今日はいいこともあった。「われわれはいかに石にかじりついてきたか」というフリークライミングの歴史のような本があり、それがとても面白くて何度も読んでいたのであるが、その作者の菊池敏之さんとお会いして話すことができたのである。その本が私にたくさんの著名なクライマーの名前と有名な岩場やルートを教えてくれたのである。初めてお会いしたのに、何度も読んだせいか何かなつかしい気がした。
2008年02月03日
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今日は久しぶりに湯河原の幕山にクライミングに出かけた。 昨年の12月16日を最後にアコンカグアに出かけ、帰国しても体調が整わず休養していた ため、およそ1ヶ月半ぶりのクライミングである。足の親指の調子が悪いので、岩を登れる かとても不安であった。 幕岩は落石事故があり、クライミング禁止になっているエリアもあって、特定のエリアに集 中してクライマーが集まり混んでいた。 今日は先生とTさんと私の3人である。天気は曇り空であったが、そこそこ陽が当たる時も あり、思ったほど寒くなくてよかった。 はじめにシンデレラフェースのシンデレラを2回登り、それから少し下がってマコロンラ ンドのマゾおけさとかその周辺を何本か登った。 最後にアリババというルートに取り付いたが、あともう少しというところで 手が届かず足も立ち込めず不甲斐なくも「降ります」と諦めてしまった。 今日はモティベーションもあがらず、何より12月にはあった粘り強さが全く無くなって いて自分でも情けなかった。しかし高所登山のあとは筋肉が減ってしまうというし、今日の ところはリハビリだからと自分にいいきかせるしかなかった。以前なら「くやしい」とか言 ってエモーショナルになっていたが、今日はその「悔しい」という気持ちすらも湧かない。 あせらず少しづつ体力を取り戻して、春頃には自分なりに納得のいくクライミングができる ようになりたい。
2008年02月02日
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08年1月3日アコンカグア3日目 今日は休息日である。何とうれしい日だろう。 9時半にゆったりと朝食を取り、11時から再びメディカルチェックがある。今回は女医さ んでなかなか素敵な女性である。問診のあと、各種測定と肺の聴診があったがすべてOKだ った。彼女いわく「Your lunge is very clean 」 当然です。タバコを吸ったことは全くないのですから。 その後皆で対岸のホテルを見学に出かけた。炎天下氷河を超え、だらだら坂を上り詰めて 約30分、立派なホテルがあった。中に入って見ると卓球台があり、各国の旗の寄せ書きが 莫大に飾ってあった。私たちのAD社(アドベンチャー ガイズ)もあった。 再びBCに戻ると、テント設営やガス器具の使用法の講習があった。テント生活というのは 本当に不自由である。めんどくさがりやの私には山に登ること意外にこんな住の部分で力を 奪い取られてしまうのは苦痛以外の何物でもない。が、これも登山のうち、しかたがない。 明日は高度馴化訓練でここからニドデコンドレスまで1000mの上昇である。
2008年02月01日
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