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今回の唐沢幕岩登山で打撲をした。23歳で登山を始めて以来、ほぼ47年間の長きに渡り無事故・無トラブル・怪我なしを誇ってきたのだが、ここにきて遂に登山に支障をきたす怪我をしてしまった。1日目に沢登りをしている時、河原の岩に乗せた足が滑って転倒し、右側臀部を岩にぶつけた。ぶつけたお尻の下に鈍痛があり、右足に重心をかけたり、踏ん張ったりすると繋がっている筋肉がキーンと痛む。重心をかける足をできるだけ左足にしつつ、痛みに耐えてどうにか大町の宿まで頑張った。岩に当たったお尻の部分に触ってみると大きく膨れ上がっているし、宿に着いて動きが無くなった分、一層傷みを強く感じ、歩くのも苦痛になってきた。これは困った、明日はどうなることかと不安になり、湿布を2枚患部に張り、ロキソニンを飲んだ。それでどうにか夜を過ごし、登攀当日になった。打撲の部分は晴れ上がったままだが、昨日よりは多少痛みが和らいだ気もする。再びロキソニンを飲んで大凹角に向かう。登攀中は登攀そのものが大変なので痛みを感じている余裕が無く、何とか行動できて目的を達した。大町の宿からの下りも痛みはあるものの激しい痛みではなかったので無事下山できた。でもスーパーアズサの座席に座る時、腫れた右側のお尻が痛くてまっすぐには座れなかった。帰宅した翌日から一層腫れてお尻が大きく膨らみ、鏡で見てみるとかなりの広さで紫色に内出血していたので整形外科を受診。ドクターは関節と骨をきちんとチェックしてそれらに異常がないことを告げ、打ち身だから湿布をして何もしなければそのうち自然に治りますと言って下さった。自分でもその診断通りに自己診断していたので納得して帰宅した。 今回なぜ転倒したのかを考えてみた。1.自分が70歳でという年齢で高齢化してきており、バランスが悪くなってきている。これは常日頃から自覚していることなのだが、山で現実となって出てきた。2.河原の岩は濡れているので滑りやすい。安定している岩かどうかの確認が甘かった。3.休憩を入れず登り続けるため、丁度転倒した時は糖分が切れる頃で集中力が欠け始めていた時間だった。休憩時間ではなくてもポケットにすぐ口に入る飴などを入れておいて糖分補給するべきだった。骨や筋肉に異常がない打撲でも痛みがあるといつものようには行動できないし、場合によっては登山そのものを中止せざるを得ない事態にもなるだろう。また痛い方をかばうため、全身のバランスも崩れてしまい、心身ともに悪い方へ向かってしまう。登山はできたがこれからの登山に警鐘を鳴らされた気がしている。
2017年09月30日
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大凹角ルートを無事登攀できて喜びに浸ったのもつかの間、今日の夕方5時から雨予報なのでのんびりとはしてられない。しばし燃料補充したらすぐ下降にかかる。ここの懸垂下降はリスクだらけなので気を引き締める。まず終了点から懸垂ポイントまでが灌木をかき分けて行くため非常に分かりにくかった。最初の懸垂下降はあの大岩壁の空中懸垂なので豪快極まりない。 大岩壁の懸垂下降大岩壁の次はブッシュの中の懸垂でこれが非常にやっかいだ。灌木にロープが引っかかって降りにくい上、ロープが木に絡まったりして回収するのに骨が折れる。今回は絡まりを避けて短くピッチ切ったりしたこともあって7回の懸垂で取付きに降り立った。 ブッシュ帯の懸垂下降草付きを再びトラバースして右稜のコルへ戻る。ここまで戻ると地面に足がついた感じがする。更に唐沢を下って大町の宿へ到着。下山に向けて行動食と飲み物をしっかり摂って気持ちをリセットし、野宿用品を撤収して下山開始。 右稜のコルから唐沢の急坂を下る サラバ大町の宿この頃から高い峰には白雲がかかり、雨の予感がする。少し藪漕ぎや草漕ぎをするとすぐ沢に降り立った。気がせくがここからは再び沢登りの下りバージョン、焦ってはことを仕損じる、滑らないよう慎重に下る。 唐沢の沢下り 後は下るだけでザバザバ水に入る途中の開けた所で唐沢幕岩の正面壁がよく見えた。大迫力で迫ってくる。ここから見ても草付きや樹木が壁を覆っているのがよくわかるが大洞穴ハングも暗く巨大な口を開けている。あのハングを越えて「唐沢の中心で愛を叫ぶ」という5.13グレードのルートを開拓した人たちの情熱は凄まじい。この岩壁で最も易しい大凹角ルートだけでも楽では無かった。 唐沢幕岩正面壁ここを過ぎると更に空模様が悪くなってきたのでひたすら下った。思いのほか長く、ワシの滝を巻いて下り、金時の滝まで登り返し、懸垂下降でガリーを下り、ガレ場を過ぎてもなおも道は続く。予報より1時間早く4時頃から雨が降り始めていた。 歩き続けてやっと堰堤までたどり着いた。この頃には雨がしっかり降ってきたので雨具を着る。雨に打たれ、水の中を渡り、滑る大きな流木越えてただひたすら下る。遅くとも5時半までに高瀬ダムに到着しないとタクシーを呼べないので私もガイドも一生懸命だったが、時間もギリギリになっていた。 雨に打たれながら丁度5時半に高瀬ダムに到着、ダメかもと思っていたらそこへ丁度タクシーが来て、便乗させてもらった。何と言うラッキー!!ああ、助かった。無事生還。参考タイム 大町の宿 14:30 高瀬ダム 17:30
2017年09月29日
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翌日9月27日この日までは雨が降らないという予報を信じて大凹角を登攀する。早朝3時50分起床、焚火を焚いてゆっくり支度し、5時30分いざ、出陣。大町の宿から急坂の唐沢を詰め、尾根に上がった所が右稜のコルで、ここで登攀用具を身に着ける。いつでも1個1個のギアを身に着けていく瞬間がドキドキワクワクして緊張感が心地よい。草付き帯をトラバースして岩場を一段上がった所が大凹角ルートの取付きである。一面の草が生えていてその隙間に岩が見える。 草が縦横無尽に生えている岩壁 1ピッチ 2ピッチ唐沢幕岩と他の岩場の違いは草付きが圧倒的に多いことである。小川山や瑞牆山のように純粋な技術的困難さはないが、露岩が少ないため、ルートを読みにくい、草が水を内包しているため、岩に染み出しだり濡れていることが多く、グレードが5.9と記されていてもとてもじゃないがそのレベルではなかった。全9ピッチ中、通常のクライミングができたのは1ピッチ程度であとはワイルドこの上なかった。あちこちにお助け紐やカラビナが打たれているのだが、古びていて一体何十年前の物?という感じなのだが、その安全性をイチイチ吟味している余裕もなく、43キロ位ならどうにか耐えてくれるだろうと思って、使える紐は使った。 6ピッチ目 右壁が濡れていてステミングが決まらず滑る大凹角ルートは正面壁のハング帯と右稜のリッジに挟まれた凹状岩壁を昇る手ルートなので足元はスラブで凹角が連続する。何とか6ピッチをこなすと大テラスに出る。ここからは灌木帯を直上して中央バンドまで登っていく。 中央バンドへの灌木帯この辺りまで来ると紅葉が広がっていて秋山らしい風情を感じた。 中央バンドから上部岩壁に取付くとこのルートの核心8,9ピッチが出てくる。8ピッチ目も苦労したが9ピッチ目がやはりハイライト、真っ暗な大チムニーが覆いかぶさってきた。チムニー昇りは1年前にはやっていたがそれ以降全くやってないので、態勢作りに時間がかかった。でも昔取った杵柄で何とかこなして明るい露岩に出て更に草付きルンゼをひと登りしてトラバースすると終了点だった。 真っ暗なチムニー どうやって登るの? やっと終了点に到着してホッ!!参考タイム 大町の宿 5:45 取付き6:15 6:30 登攀開始 終了点11:30
2017年09月28日
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大町の宿に到着したのが11時45分。それからすることがない。しなくちゃならないことがない!!これこそが人生における至福の時間だ。精一杯ぼんやりして無為に過ごそう。テレビもPCもなくスマホも入らないというのが良い。こんなに長時間暇になることはめったにない。焚火の枝を集めに行ったり、大木の葉の隙間から入る日の光と空を見つめたりしてしながら、Kガイドと本の話、映画の話で盛り上がった。夕方4時から焚火を始めた。焚火はどういうわけか心を温めてくれる。無心に橙色の炎を見ているだけで穏やかな気持ちになる。 今夜の夕食はKガイドお得意のガーリックライスと焼きそば。ラードをたっぷり使って炒めるからコクがあって美味しい。食後にはデザートのコーヒーゼリー。こんな山奥でコーヒーゼリーが食べられるなんて幸せ。何より上げ膳に据え膳、自分は食べるだけというのがまた贅沢この上ない。ワインを呑みながら緊張をほぐして眠りやすいようにする。6時過ぎに就寝。地面にマットを敷きその上でシュラフに入る。何と言う開放感!!。自然に包まれて寝るという感じだった。寒いのではないかと思い、ダウン上下にホッカイロ、もっと寒い時にはプラティパスにお湯を入れて抱いて寝ると用心してきたが、あまり寒くなくて快適に過ごせた。漆黒の闇にはならず灰色の空がずっと見えていた。岩小屋のせいか苔の匂いのようでもあり岩の匂いかもしれないような古色蒼然とした独特の匂いがした。
2017年09月27日
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9月26日松本6時出発。車で高瀬渓谷を七倉まで行く。居心地よさそうな七倉荘がある。そこから先は車両通行止めなのでタクシーに乗って高瀬ダム下まで入る。 七倉の駐車場 七倉荘 高瀬ダムはロックヒルダムだということを初めて知った。ロックヒルダムはダムの型式の一つで岩石や土砂を積み上げて建設されている。この高瀬ダムは堤高さでは日本一のダムだという。確かにダムの表面はごつごつした岩が続いている。 日本一の堤高を誇る高瀬ダムダムから唐沢に入り、最初の滝を右岸から巻き、沢に降り立つと奥に垂直のアルミはしごがかかる堰堤が見える。遠目で見るとちょっとビビるがしっかり固定されているので問題なく通過する。ここからはしばらく沢登りになる。このアプローチは実際には完全な沢登りなのだが、どの案内にも沢登りとは記されてない。沢靴で来てよかった。 堰堤にかかる垂直のはしごを登るすぐに最初の滝が登場しそれを右岸から巻き、さらに大木が横たわる沢を登ってて行くと金時の滝に出る。高さがある立派な滝である。」 金時の滝この滝は直登できないため、右側の脆く長く危なっかしいガリーを登っていく。足元が瓦礫が積み重なったガラガラなのでフィックスロープに捕まって真剣に登る。3ピッチほどもあるし上からの落石もあり、危険な場所だ。何とか上まで這い上がったら今度は泥の急坂を草に捕まりながら再び沢に降り立つ。 沢を詰めていくと正面に唐沢幕岩の正面壁が見える。巨大な壁のなかに黒っぽくこれまた巨大なハングが口を開けているのが見える。今回昇る大凹角は右端だ。 唐沢幕岩正面壁なおも沢登りして1時間ほど詰めるとワシの滝になった。ワシという名前のイメージとは違う慎ましい静かな滝だったので拍子抜けした。 ワシの滝この滝を左岸から越えてすぐ上の藪を直登し、右への踏み跡をたどっていくと噂に聞く大町の宿という岩小屋の到着した。 確かにこれだけ岩がハングしていると雨風は避けられる。更に右端には湧き水もあって至極便利だ。早速チェックイン。なあんだ、まだ12時前じゃないか。Kガイドと行くと休憩というものがほとんどないので早く着くが疲れる。今日はもうすることがない。ザックを置いて寛いだ。参考タイム 松本6:00→七倉7:15 7:30(タクシー)→高瀬ダム7:4 5 8:00→金時の滝9:00 →大町の宿11:40
2017年09月26日
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9月25日仕事を終えて松本へ。明日からの唐沢幕岩クライミングの為に前泊するのだ。お天気がはっきりしないのでどうするか迷ったがアプローチの26日は晴れ、登攀の27日は曇りのち雨30パーセント、下山の28日は雨という予報で何とか登攀できるのはないかという見通しで出かけることにした。これまで松本で前泊したことは何度もあり、その都度駅近くのビジネスホテルで泊まっていたが前回の赤木沢の時、ちょうど小沢征爾と斉藤記念オーケストラのコンサートがあった関係で、どこも宿が満杯、どうしても宿がとれず、止む無く泊まったのがホテルM松本というビジネス・カプセルホテルだった。そんな所で休めるかどうか不安だったが、行ってみたらかなり気に入った。コンパクトではあるが必要な物がすべて揃っている。特にアメニティが多種類で豊富、1年前に開業したばかりでなにもかもが新しく清潔、共有スペースが広く、大型テレビ、個人用テレビとパソコン、本などちょっと寛ぐには程よく整えられている。それに駅から3分で近いのも有難い。で気に入ってしまって今回もそこに泊まった。前回は朝食は6時からだったが、改善されて朝4時からになっていたので朝食も食べられた。朝4時からの朝食というのはめったになく、早立ちする登山者には大変有難い。 フロント 朝食
2017年09月25日
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小川山から帰る時は信濃川上駅から小海線に乗る。小さな駅舎にはこの駅で撮影された吉永小百合さんの大人の休日クラブの大きなパネルが飾られている。駅構内には二宮金次郎の銅像もある。頭の被り物が季節のよって変わるのだが今回は黄色のバンダナになっていた。駅舎の外には秋の花が咲き乱れていて、感じがよい。 遅い時間だったので乗客も少なく、のんびりと揺られていたらドシンという音と振動がして電車が急停車した。何だろうと思っていたら運転者さんが「鹿と衝突しました。安全を確認してきますのでお待ちください」と言って懐中電灯を持って出ていった。線路点検をしているのだろう、かなり長い間待たされた。やっと電車に戻ったら「線路に異常はありませんでした。お客様で怪我をされた方はいらっしゃいませんか?」と車内を見渡し、これも異常なしだったので発車した。小海線の駅はほとんどが無人駅で、この電車も運転手さん一人で運転も切符管理も安全管理もしているので、こういう時は時間がかかる。小淵沢からのスーパーアズサの乗り継ぎに間に合うか気がせいたが、アズサも遅れてきたので間に合った。それにしても鹿と電車の衝突なんてやはり日本一高い標高の山岳路線ならでのハプニングだ。
2017年09月24日
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9月23日小川山にクライミングに出かけた。朝7時発のスーパーあずさ1号は新宿駅から通路まで登山スタイルの乗客でごった返す激込みだった。先週は台風で山には行けなかったのでみんな同じ思いなのだろう。朝はかなり雨が降っていたが甲府を過ぎると青空も出て、小川山はガスっていたものの雨は降ってなかった。昨日までの雨でかなり濡れているので乾きやすいスラブ状岩壁で昇った。下部は濡れ濡れだったが、陽が当たる上部は乾いていた。きちんとしたフリークライミングは昨年8月以来なので、外岩で昇れるだろうかととても不安だったが、次第に慣れてきて何とか昇れてほっとした。最初は私たちだけ3人の貸し切りだったが、午後になると3パーティほど来て、岩壁はスダレ状態にロープが張られて大賑わいになった。最初はかわいい女(5.8)から肩慣らしして、小川山ショートストーリー(5.9)と続け、慣れた所で高い窓(5.10b)オーウェンのために祈りを(5.10c)を昇った。実はオーウェンは以前は垂直で被り気味の壁がどうやっても乗越せなくて苦労していたのだが、今回は私より少しだけ身長の高い同行のOさんから有効なアドバイスを頂いてあまり苦闘せずに昇れてすっかり嬉しくなった。模擬リードで昇ったり結び替えの方法を教えてもらったり、学ぶことが多く、有意義な一日だった。やはり乾いた岩が楽しい。
2017年09月23日
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9月22日今日は朝は陽が射していたし夕方6時から雨という予報だったのでマットや洗濯物を出して出勤したら、昼前から雨が降り始めて焦った。三人目の孫・結ちゃんからも敬老ハガキが届いた。彼女は今年度、姉兄の通所している保育所に入れず、一人だけ別の保育所にお世話になっているので、上の二人と同時に届かなかったのだ。どこの保育所でも同じ活動をさせていることがよく分かった。 結ちゃんのハガキ 叔父さんにホールドされてポーズ先日会った時より表情がしっかりしている。この子は誰に似ているのかわからなかったが、この写真を見ると父親に似ていると思った。
2017年09月22日
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9月21日今朝は湿度がぐんと下がって爽やかそのもの。この秋一番の気持ちよい朝に恵まれた。秋の気配が増してくる頃、必ず聴きたくなる曲がある。ブラームス作曲のクラリネット五重奏曲ロ短調だ。バイオリンで演奏される第一主題が著しく鮮烈で一度その旋律と和声を耳にしたら強く心を掴まれてしまう。弦楽器の哀愁を帯びつつもそれに流されない硬質の響きとクラリネットの膨らみのあるまろやかな音色が対照的で引き立てあいながら曲が進む。中でも1楽章と2楽章が大好きだ。この曲で秋の到来や過ぎ行く時の流れ・人生などをしみじみと感じる。これは私の個人的好みなのだが同じような感性の人が多いのだろうか、今日はNHKfm放送でもこの曲が流れていた。9月にこの曲の余韻に浸った後は10月を迎え、何事かに奔走して忙しく過ごす。この曲を再度聴きたくなるのは11月23日勤労感謝の日頃、正に晩秋だ。毎年一瞬の煌めきを残して沈む夕日の美しさをこの曲に感じている。今日は3度この曲を聴き、あの旋律とカール・ライスターのクラリネットの音色を堪能した。
2017年09月21日
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9月20日彼岸の入りだ。仕事から帰宅して久しぶりにウォーキングに出た。最近、生活の基本だったウォーキングがおろそかになっている。あちこちの山でハードな山行をした後はもうウォーキング出勤する元気がなくなって、車出勤してしまう。そうすると生活の中でウォーキングする時間を捻出せねばならず、結局機会が無くなってしまい、ズルズルと歩かない日が続いていた。今日は涼しかったので気持ちよく、いつものコースをのんびり歩いた。よそのお宅の庭や公園には夏の花も秋の花も沢山咲いていたが、新顔の花を写した。 秋海棠 紫式部 萩 ススキ 千日紅森林公園の池まで来ると錦鯉が泳いでいる。エサがもらえると思ったのか近づくと緋鯉がサーと集まってきた。残念ながらエサを持ってない。澄んだ水の中に背中の模様が美しい。 森林公園の錦鯉歩くとやはり気持ちが良いし、その後の仕事が意欲的にできる。基本に帰ろう。
2017年09月20日
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9月18日台風一過で真っ青な青空と暑さが戻ってきた。だが、小川山はキャンセルしているので出かける所がない。早い時間に晴天が確保されていればハイキングにも行けるのだが、明け方まで雨風が残っていたのでそこまで見極めることもできなかった。やむを得ず、遅まきながらも葛西のロックランズにクライミングのトレーニングに出かけた。到着した時間が午後3時前、ジム内はたくさんのクライマーでごった返していた。みんな同じ状況だったに違いない。今日は息子も同行できず、全くの一人参加で自動ビレイ機でやるしかない。自動ビレイ機で登れるルートは決められたほんのわずかなルートなのでつまらないが昇らないよりはましだ。しかし良いこともあった。敬老の日で料金が1080円だった!!。仲間内でリードしあっている人の波を縫って、一人自動ビレー機で黙々と昇った。ルート数が少ないので段階的グレードアップはできないのが辛い。 賑わうロックランズ室内をよく観察していたら、やはり一人で来ていて自動ビレー機で昇っている男性がいたので、声をかけ、お互いにビレーし合って何本か昇りたいルートが昇れて気持ちが明るくなった。その男性との体重差が30キロ以上あったので降ろす時、井戸のツルベのように自分が空中につられたりしてヤバかった。3時間ほど粘ってトレーニングした。
2017年09月19日
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敬老の日を前に孫たち二人から恒例の敬老絵ハガキが送られてきた。保育園での活動の一環としてやっていることなのだろうが、実際に届くとちょっと嬉しい。 左 翔くん 右 葵ちゃん翔くんはのは紙を切り抜いたりスタンプして花束にしたもの、葵ちゃんのは可愛い笑顔のおじいちゃん、おばあちゃんの貼り絵に字が沢山書いてある。葵は左利きなので字を書くのは何かと不便でハンディがあると思うが、もうこんなに字が書けるようになっている。左側から書き始めているが、これもやはり左利きのせいだろうね。判読するとおじいちゃん、おばあちゃん、いつもありがとう。いつもおしごとがんばってね。こうえんでまたあそぼうね。またおばあちゃんがなおったらまたあそぼうね。かみやまあおい と読めた。有難いことだ。何かプレゼントでも送ってやらなきゃ。
2017年09月18日
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9月17日本来なら今日・明日と小川山にクライミングに出かける予定だったが、台風接近のため中止。突然することが無くなってしまった。止む無く家中に掃除機をかけ、ワックスがけをし、雨が降っているにもかかわらず洗濯までした。息子は秋葉原の大会に参加、娘は苗場山ラビリンス参加のため、昨日より遠出していて結局、家にいるのは夫と私だけになった。突然の空白地帯出現!!子どもたちがいないとぽっかり穴があいたように張り合いがない。普段年を取った子どもがいて煩わしいこともあるが、二人ともいないとなるとさすがにこたえる。午前中は何とか家でスケジュール調整や検索などして時間つぶしをしたが、さすがに午後にはそれも限界、図書館に行った。図書館は空いていた。のんびり山と渓谷10月号を開いたら秋の紅葉特集をしていた。涸沢や南アルプスなど極め付きの紅葉名所の写真がふんだんに載っていて楽しかった。付録には全国山岳地帯のバス時刻表がついていたので、この号だけ買おうかと思った。けれど心の空白を満たすことはできず、しおしおと帰宅したのだった。台風のおかげで三連休が台無しだ。
2017年09月17日
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今年は彼岸花の当たり年のようだ。あちらにもこちらにも鮮烈な赤い色が広がっている。我が家の庭にすらいつの間にか例年より多く赤い塊ができている。埼玉県の日和田山山麓の高麗市の巾着田もさぞ真っ赤になってることだろうな。 盛大に咲き乱れる彼岸花 白は同じ花とは思えない清楚さで清らか 終わりかかっている我が家の彼岸花
2017年09月16日
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超久しぶりに押し花教室に行った。今日は前回作った金魚3匹を額絵に仕上げた。金魚の制作にものすごく苦労した割にはイマイチ可愛くないが、一応できたからいいやという心境だ。今回はまず金魚が泳ぐ水をパステルで作ることから始めた。ブルー系の色を用紙の上に化粧用スポンジで薄く延ばして濃淡をつけていく。水の輪も白く描いた。その用紙に金魚3匹を配置し、アジアンタムの水草を配置して図案は完成。 新しいパステル 高価なのに驚いた 金魚の泳ぐ水中を作る 裏面に乾燥剤と接着剤を張るそれから額絵にしたてるのにも手間がかかった。額絵の裏側に乾燥剤を置き、額の四隅に細い芯を接着し、更に専用糊をしっかり塗布していく。こんな簡単ことがなかなか上手にできず、糊が多すぎたり曲がったり少なすぎたり…。あ~あ。その後もいくつか細かな工程を済ませ、やっと完成した。 接着面の空気を抜く 完成
2017年09月15日
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沢の水が枯れ、ゴーロの道を詰めてひたすら登る。しばらく登るとはるか向こうに青空と白い雲をバックに稜線が見えてきた。やった!と心の中で一人叫ぶ。朝5時出発してずっと休憩なし、ほぼ5時間連続して登っているので、さすがに疲れてきたし、お腹もすいた。 ゴーロと灌木帯を克服すると一面の草原が広がった。陽の光を存分に浴びて明るい緑が輝いていた。まだ残っている花もあり、今まで花をじっくり見る心の余裕がなかったので、ここでやっと花を愛でた。映画のワンシーンのような美しく壮大な景色で、サウンドオブミュージックのマリアが歌を歌っていそうな風景だった。背後には黒部源流の山々が惜しげ無くその姿を見せてくれたので、気分も爽快、頑張って稜線まで登りつめた。 9月にまだ咲いていた花に癒された 北ノ股岳への快適な道北ノ股岳まで来てやっと休憩。予定通り10時だった。素早く飲んで食べて風景を見る。槍ヶ岳が雲の間から姿を見せて感激した。やはり北アルプスに来たからには盟主の鋭角三角形を見ないと今一つ物足りない。実に恵まれた!!。しかし、ここでものんびりすることはできず、太郎平まで2時間で下る必要がある。赤木沢を無事遡行して、あとは安全に帰えればいいだけだと気持ちも開放されて、頑張って歩いた。太郎平着12:00。さらに折立まで2時間半。最後の一頑張りだ。どんどん高度を下げてはるか下に有峰湖が見えてきた。でもまだまだ遠い。あの有峰湖の横の道路まで下らなきゃならない。長くてだんだん集中力に欠けてきたので、Kガイドがとても面白おかしい話を披露してくれ、飽きずに談笑しながら下山できた。 遠くに見える有峰湖こうして無事折立まで下山し、山旅は完結した。北アルプスの山、沢、釣りを存分に楽しめた2泊3日だった。ハードスケジュールだったので、いつもより余裕が無く肉体的にもしんどかったが、それにも耐えて登れたのが貴重な体験になった。参考タイム 兎平5:00 →黒部川・赤木沢遡行・北ノ股岳10:00 10:10→太郎平12:00 12:10 →折立14:40
2017年09月14日
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翌日朝3時起床、5時出発。昨日脱いで干しておいたタイツ、沢ウエア、沢シューズなどを身に着ける。全く乾いてないのでヒヤッとして寒いが、どうせすぐ水の中だからしばらくの我慢だ。 焚火にサヨナラして出発 朝はさすがに寒い!! 大岩を越える赤木沢と黒部川が合流する出合いまで下って、いよいよ赤木沢に入る。赤木沢は難しい所はなく初心者でも大丈夫、水は膝下と聞いていたが、膝下というのは標準身長の人の話で私にはもっと深い部分がけっこうあった。水流は黒部川ほどの勢いはなく、透明度が更にアップして陽の光にきらきら輝き、正に天下の美渓だった。しばらく歩くとすぐに美しい滝が次々に出現してきて、歓声をあげ続けた。 比較的短い滝が多かったので直接昇ったりしてどんどん高度を上げていった。寒さ対策に雨具の上着を着ているのだが、やはり寒い。動いているので体は冷えないが手がかじかんだ。なおも登り続けていくと正面に巨大な壁が行く手をふさぐように出てきて、その横に見事な滝がしぶきを上げている。大滝だ。 寒そうな顔してますね 正面壁と大滝この滝は直登できないため、右側から高巻きした。高度を上げると滝の落ち口をしっかり見ることができた。 大迫力の大滝を左に見て高巻きこの大滝を越えると、その後はかわいらしい滝が次々と現れ、川幅も狭くなり、両サイドには輝やく緑の灌木地帯や草原になり、源頭が近いことを感じさせた。 可愛い滝が連続
2017年09月13日
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兎平は近くを黒部川が音をたてて流れ、樹林帯側には灌木が茂っている比較的広い河原だった。川床に石がゴロゴロ散らばっているので、まず整地から始めた。大きな石を全部運んで平らな地面にしてタープを張った。 黒部川 奥の廊下の岩魚釣り風景 焚火をして体を温める タープの中はストックを2本繋ぎ合わせて心棒にしている。地面の上に1枚敷物を敷き、その上にマットを置いてシュラフで寝る。とてもシンプルな作りだがこの時期には十分だ。 次は焚火だ。渕の深い所で胸まで水に浸かった私の衣類は水浸しだったのでとりあえず濡れた衣類をすべて脱ぎ、持ってきた全ての乾いた衣類に着替えた。すごく寒くて寒くて震える位だったのでダウンを着た上に雨具を重ねて着、背中にホッカイロまで張った。スープを作ってもらって飲み、ワインも頂いて少し体が温まって落ち着いた所で串刺しにした岩魚を焚火の周りで焼いたのを頂いた。天然物で自分たちの手で釣り上げた岩魚の塩焼きは噛み応えがあってとても美味しかった。 焚火は人の体も心も温めてくれるKガイドと同行のTさんの3人で焚火を囲み、黒部川の流れる音に耳を澄ませた。不思議なくらい満ち足りた気持ちだった。空には月が昇り、人工物は何もなく、心から寛ぎ、至福の時が流れた。幸運なことにこの夜は冷え込まなかったので温かく眠れた。
2017年09月12日
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報告が遅れました。実は8月31日に富山に前泊し、太郎平小屋、薬師沢小屋に宿泊して赤木沢の沢登りをする計画でした。所が台風は接近するし悪天候だったのでこの案は中止。三日間暇になって困っていたところへ、甲斐駒ヶ岳黄蓮谷右股から転戦してきたKガイドに天候が回復してきたので赤木沢に行きませんかと声をかけて頂き、渡りに船とばかりに飛び入りで参加してきました。行程は大幅変更、小屋泊なしで野宿です。9月1日 自宅→松本→車で飛越トンネルまで移動、車中泊9月2日 飛越トンネル→折立→太郎平→薬師沢→黒部川→兎平で野宿9月3日 兎平→赤木沢遡行→北ノ股岳→太郎平→折立→松本9月2日 ゲートが開くのを待って朝一で出発したが、折立に到着したら駐車場はほぼ満杯。天気が回復傾向なので登山者が溢れていた。 折立で出発準備をする 沢山の登山者が行きかう折立登山口からはいきなりの急登が1時間程度続き、そのあとはなだらかな道や急登が入り混じる。ガスがかかって陽が照らず涼しくてよかった。久しぶりの日本の山でテント泊の装備を背負い、なかなか苦しかったが飛び入り参加させてもらっているので贅沢は言えない。耐えて5時間ほど上り詰めると突如、霧の中に建物のシルエットが見えてきた。太郎平小屋だ。 ちょっと一息ついて 木道の向こうに太郎平小屋小屋前で10分弱休んですぐ薬師沢に向かって出発。1日の行程が長いので全く余裕が無いのが厳しい。 薬師岳も姿を見せて北アルプスらしい風景が広がるそこからは熊笹の道をぐんぐん急降下して薬師沢をめざす。降りきった地点でベンチに座って一息。またすぐ出発。熊笹の中に木道が敷かれ、池塘もあって素敵な風景だったが、ゆっくり花を愛でる余裕はなく、どんどん高度を下げていく。 熊笹の中で一息ついて下りきる寸前で藪漕ぎをして薬師沢小屋前に出ず、直接黒部川に降り立った。清冽な流れの音が響いている。黒部川だ。 黒部川に降り立つそこからいよいよ沢登りが始まった。今回は折立から靴は既に渓流シューズで登ってきたので、沢スパッツと沢ソックスをつけて黒部川に入った。黒部川は透明度が抜群で水は澄み渡り、水底がはっきり見える浅い部分に淀みのある渕、鮮烈な水しぶきをあげてほとばしる奔流が入り混じって変化に富んでいた。ただただ素晴らしく、流れに見入りながらも初心者なので慎重に進んだ。 黒部川と赤木沢の出合い 水流の激しい所や深い所を頑張って越えて奥の廊下に到着。Kガイドの素晴らしい配慮でここで岩魚釣りをした。入れ食い状態で私でも2・3度釣り竿を投げ入れるとすぐ釣れた。3人で1匹つづ釣りあげて露営地まで運んだ。 黒部川奥の廊下で岩魚釣り…もう最高!!今日は奥の廊下の更に上流にある兎平で野宿することになっており、更にどんどん渡渉して兎平に到着した。午後の日は少し陰り始めていた。参考タイム 飛越トンネル5:45→7:15折立駐車場7:30→太郎平12:00 12:10→薬師沢14:20 →黒部川奥の廊下15:30 16:00→兎平16:20
2017年09月11日
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9月10日今日は歴史的(!!)な日になった。息子がクライミングをしたのだ。これまで息子にビレイを頼んでジムによく行った。せっかくジムに行くんだからクライミングしないかと数年間に渡り、何度も何度も誘ったがその度に「僕はいいよ」と断られて、私はいつも昇る人、息子はビレイだけする人と役割が二分していた。今日は武蔵藤沢のベースキャンプにトレーニングに付き合ってもらい、ダメ元で昇ってみないかと誘ったら、拒否しないでスムーズにクライミングを始めることができた。まさに歴史的記念日だ。私は昨年8月以来、憑き物が落ちたようにクライミングから遠ざかっていたため、ほとんど初心者と同じ、二人で一番易しい5.7から始めてゆっくり進めていった。5.7を6回、5.8を8回、5.9を6回とグレードを上げるのを慎重にした。昼までに易しいルートをほぼ20本ほど昇った。特に拒否反応はなく、手足が届く範囲だったので私よりは楽そうだった。 空いているベースキャンプ 親子でクライミング・ 夢に見た日が遂に来たランチで長休みして十分筋肉を休め、午後の部は5.9から開始。さすがに疲れてきたようでその先は私だけが昇り、彼にはビレイを頼んだ。私も久しぶりで5.10aってこんなに遠かったっけ?と思いながら焦らず体を慣らし、3時半にはクールダウンして終了。ものすごく有意義で嬉しい一日だった。 初昇り
2017年09月10日
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9月9日やっと晴れた土曜日、クライミングかハイキングに出かけたい所だが、先日の病院の検査で悪い所は無いと言われたものの、この所疲れ気味なので自重して家にいた。先週の赤木沢の遡行の時、黒部川で小さい私だけが首近くまで水の中に浸かり体の芯まで冷えてしまった。寒くて震え、焚火を抱くように接近した結果、ダウンがチリチリと焼けて白い中身が表面に飛び出してしまった。けっこうな広さなので今日はそこを修理した。と言ってもリペアシートをアイロンで接着するだけだ。 黒部川遡行 リペアシート インナーダウンは年代物なので以前に修理した跡もあり、つぎはぎだらけで見た目は悲惨だ。思い切って処分して新しいのを買ってもいいのだが、苦楽を共にしてきたこのダウンを満身創痍のままで捨ておくことができない。新しいのを買うにしても取り急ぎ傷の手当だけはしなくちゃ。ついでにレインパンツも傷ができている部分を修理し、上等なダウンもピンポイントでダウンがはみ出していたのでそれも修理した。 インナーダウン レインパンツ貧乏性というのかケチというのか節約家というのか、とにかく何でも使えるものは最後まで使うのが私の流儀なので無事修理ができてほっとした。
2017年09月09日
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ものすごく久しぶりに岳友のエーデルワイスさんとランチした。場所はケチな私たちにしては珍しく新宿駅南口の高島屋のレストラン。この辺りバスタができたりしてひと昔前とは様変わりしている。私がこの夏パキスタンに行ったのを知って話を聞きたいということではあったが、彼女は30数年前にパキスタンを訪ねている。その時代はまだカラコルムハイウエーが舗装されてなくて(!!)埃だらけ、おまけに車にエアコンもなかったというからまさに地獄の移動だっただろう。中国側から入り、4700m近いクンジュラブ峠を越えてパキスタンに入国、フンザで2泊したのを始め、あちこち観光しながらK2近くまで行ったとのこと。独立後40年程度の新しい国だから何もかもが未整備な状態で現在のパキスタンより一層ワイルドかつ危険を孕んでいたと思う。崖崩れによる通行止めなど日常的だったに違いない。登山はしなかったいうことで、氷河・湖・高山植物や山の様子などを話して、新旧パキスタンの情報交換と近況報告で大いに盛り上がった。30年前も今もあまり変わってないように思った。美味しいランチを頂きながら、お互い構えずありのままの自分をさらけ出して楽しく過ごせた。 上品な前菜 パスタ この肉料理が柔らかくとっても美味しかった コーヒーとデザート
2017年09月08日
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実は8月末頃から何となく左脇腹に鈍痛を感じていた。鈍い痛みなので日常生活に支障はなく、おまけに北アルプスの奥地まで沢登りにまで出かけていたりした。でも、今週に入っても鈍痛が収まらないので今日9月7日は仕事も休み、天気は雨ということで遠出もおっくうだから病院に行った。気楽に安心料という発想で出かけたのだが、すごく時間がかかった上、大事状態だった。検査があるとは思っていたが、検尿、血液検査、胸部レントゲン、腹部レントゲン、点滴、CT撮影をしなければならず、特に点滴に90分以上かかったのがしんどかった。何のために点滴するのか説明もなく、看護師に聞いても納得のいく説明もなくて無暗に疲れた。すべての検査結果を見て、ドクターは「特に気になる所はありません」。じゃ、何でこの鈍痛は起こってるのだろうと思ったものの、この年になって悪い所が無いなんて素晴らしいことだと思い、それ以上追及はしなかった。痛み止めを少しもらって帰宅した。朝8時ころ受付し終了したのは2時前、診療代6660円に薬代250円。高い安心料を払った。
2017年09月07日
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何かの作業をする時ほとんどの場合、無音ではなく音楽を聴きながらする。(例えばこのブログを書いたり本を読んだりする時など。)その日の気分で聴きたい曲が決定していればよいがどの曲を聴こうかと迷った時、最終的に選ぶのはシューマンの「子どもの情景」・「クライスレリアーナ」などのピアノ曲、またはベートーベンの「チェロソナタ第3番」になってしまう。どちらの曲とも最初はその曲に刺激を受けたり陶酔したりしているのだが、曲が進行するにつれて曲を聴くことから離れてその時の作業のほうに集中してしまう。いつもいつも同じ結果になる。とても不思議に思う。シューマンの演奏はウラディミール・ホロビッツ、チェロソナタの演奏はヨーヨー・マで当代きっての名演奏家であり、彼らの演奏の中でも名演の定評あるCDであるから演奏が拙い訳ではない。特にベートーベンのチェロソナタ第1楽章第2テーマは未来永劫の彼方から密やかに聴こえてくるような感じで何度聴いてもゾクゾクし陶酔してしまう。 それだけの名演なのにそのうち曲から離れて自分の世界に没頭してしまい、音楽を忘れてしまう。この曲または彼らの演奏に集中力を高める効果があるということだろうか。更に何度聴いても聴いても飽きることがない。名演中の名演かつ普遍的力を持つ演奏だと思う。
2017年09月06日
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9月5日、私の仕事場所は校舎の中枢部をはるか離れた辺境の地にある。そのため中庭を横切る渡り廊下を歩いていくだが、今朝中庭の低い枝に蝉の抜け殻が2匹連続しているのを見つけた。もう9月だし2匹が連なっているのも珍しい。近づいて葉っぱを見るとこれ以外にも二か所の葉裏に抜け殻を見つけた。こんな小さな枝から4匹も抜け出したことになる。この土地はよほど栄養が豊かなのだろうか。殻はかなりしっかりしているので遅く脱皮したのだろうな。 この蝉の抜け殻はキチン質(海老やかにの殻などの主成分)で出来ていて食べられるという。毒は全くなく幼虫や成虫も食べられ、揚げるなど色々調理して食べる人もいるらしい。また蝉退と呼ばれる漢方薬として利用されていて効能は痒みや咽痛・発熱に効くそうだ。マンガの話でドラえもんのジャイアンがジャイアンシチューを作る際イチゴジャムや大福なんかといっしょに具材として用いてると書いてあった!!。ホンマかいな。
2017年09月05日
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遊んだ話ばかり書いているうちにもう9月も4日、激動の夏は残暑もないまま過ぎ去り、今日から後期の仕事開始。朝起きたら雨が降っていて寒く秋の到来を感じた。家事のルーティンをかたずけ、服装を整え、メークをして(!!)出勤した。久しぶりに見る学校は特段の変化もなく、落ち着いていた。まず自室の環境整備から始めた。机や椅子などを水拭きしてピカピカにし、水道管を5分間位水を流しっぱなしにして溜水を捨てた。来談者を迎える用意はできたが、結局今日は誰も来ず、開店休業だった。 パキスタンで出会った子供たち みんな顔立ちがよい 自分たちが写った写真を見ている
2017年09月04日
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フンザからはっきりと美しくそびえる山の代表は高貴な女性の小指になぞらえられるレディス・フィンガー、フンザピーク、ウルタル1峰2峰だろう。これらの山は日本人に縁がある山で、ウルタル2峰は長谷川恒夫、(最近では佐藤裕介さんもウルタル2峰に挑み敗退・天才的クライマーも寄せ付けない困難な山!)レディス・フィンガーは山野井泰史夫妻の登攀で知られている。長谷川恒夫はアルプス三大北壁冬季単独登攀を世界で初めて成し遂げたクライマーで、トレランのハセツネコースなどでも親しまれている。1991年にウルタル2峰で雪崩に巻き込まれ遭難死した。遺体はフンザ渓谷内のベースキャンプ近くに埋葬され、バルチット城の下にハセガワメモリアルスクールがある。彼の遺志を継ぎ、妻や友人支援者の尽力によって建てられた学校である。レベルの高い教育で知られているという。 ハセガワメモリアルスクール 彼の肖像画 校章一方、1995年に山野泰史、長尾(後に山野井)妙子、中垣大作の3人は未踏のレディース・フィンガー正面ウォールを攻略して登頂に成功。水分を途中で補給できず、非常に困難な登攀になり、12日間を要した。8日分の食料しか用意してなかったのに12日間もかかったため、まるで断食のように痩せてしまったと言うことで初登攀したルートに「ラマダン」と名前をつけた。後にも先にもレディ・フィンガーを登ったのは日本人のこの3人だけだ。 レディス・フィンガー オクラのように尖っているため、別名ブブリモティン 逆さになって写真を撮る山野井 写真 山野井泰史「1枚の写真から」より引用パキスタンの山奥まで来て、日本人の活躍を耳にするのは非常に嬉しかったし、誇りにも感じた。中国は自国の利益を考えて道路を作るが、日本人はその国のことを考えて学校や病院を作る。あちこちで「チャイニーズ?」と聞かれたので「ノー、ジャパニーズ」と答えると途端に表情が明るくなってどこに行ったの、何日間いるの?とかものすごくフレンドリーになって交流ができた。私たち日本人って世界に誇れる民族なんだ、もっと胸を張ろうと実感した。
2017年09月03日
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パキスタンに行って最も惨めで辛かったことは現地食が合わなかった結果、起こった下痢である。パキスタンに入国してから徐々にお腹の具合が緩くなり始めた。過去に同じツアーに参加した友人は1日5回下痢で専用車の最後部座席に横になって縦方向のゆすりを避けたと言っていた。最も酷かったのは帰りのバンコク空港だ。イスラマバードで最後の現地食を少し食べて出発、トランジットでバンコクに着き、搭乗ゲートまで長い距離を早足で歩いた。これが災いした。段々催してきて危険を感じたのでトイレに入ったが、既に6人位が並んでいた。もう限界になっていたお腹は肛門の括約筋を絞めてもダメで少しづつお漏らし状態になった。ああ。もう駄目と絶望的になり、パンツの中にまで下痢便が漏れ出している不快さが感じられた。やっと順番が来てトイレに入ったが、もうパンティ・パンツともに下痢便が付着しで目を覆いたい惨状だった。フライト時間は迫ってくるし、着替えの下着もズボンも持ってないし、バンコクのトイレだからウオッシュレットでお湯が出るなんてこともない。「ええい、落ち着け、前にも同じようなことがあったではないか」と自分をクールダウンし、まず下痢便をふき取ることから開始。水様便なので何度も何度もペーパーで拭いて処理。次はパンティとパンツを脱いで便をトイレのタンクの中で振り洗いし落とした。 香辛料の強いカレー料理が連日続いた何度も何度も振り洗いして便はもう付着してないはずだったが、何だか臭う。フライト時間が迫ってくる。不潔な匂いを漂わせながらトイレから出て搭乗口に駆け付け、機内へ。座席の上にタオルを敷いてその上に座った。機内でも度々トイレに入ってその後の状態をチェック、幸いにもそれで収まったようでさらなる惨事は起こらなかったが匂いはずっと残っていて自宅まで続き、周辺にいる皆さんに申し訳なかった。もうイヤ!!パキスタンに行って次に登りたい山の目星をつけてきたが、山に入る前に現地食でこんなに苦労するならこの方面に入ることは困難な気がした。
2017年09月03日
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カラコルムハイウエー(KHH)を北上してギルギットの手前でギルギット川から離れ、フンザ川沿いに走っていく。しばらくするとオールドシルクが見れる地点に出た。そこには茶褐色の急峻な山の斜面に動物一匹がやっと通れる程度の細い道というより踏み跡が鋭角的に続いている。 説明版KHHはパキスタンおよび中国政府により建設され、建設開始から20年が経過した1978年に完成した。多くのパキスタン人および中国人労働者が、建設中の地滑りや転落事故で死亡した。KHHは古代のシルクロードをなぞっていて中国とパキスタンにとって、経済 ・軍事面でとても重要な現代のシルクロードとも言える大動脈である。古の昔、三蔵法師も 歩いたというオールドシルクロードに胸がジーンとなった。かなり高い位置にあるから細い道を踏み外して川に転落したり怪我したりということもあっただろうな。 オールドシルクロードシルクロードというと平山郁夫画伯のラクダが月夜の砂漠を歩いているようなロマンティックなイメージだけど、実際は過酷な山岳ロードだ。以前シルクロードを旅した時にもトルファン当たり(?)でオールドシルクロードを見たことがあったが、川の対岸に並行して伸びる細い道だった。パキスタンのオールドシルクロードはとても急峻だったので印象に強く残った。
2017年09月01日
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