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昨年の7月、心配していたかえでの施設入所は、何とか無事にスタートを切った。それと同時に、私の鬱病の治療も始まった。治療といっても、簡単にいえば薬を飲んで寝ているだけ最初に受診した時に、一週間分の薬を処方してもらった。一週間後にまた受診する。眠れない日が続いていたので、抗鬱剤の眠気を誘う作用を利用して眠れるといいな、と思っていたけど、期待したわりには、ほとんど効果はなかった。2度目の診察の時、眠気が起こらず、相変わらず眠れないことを伝えたら、睡眠導入剤を処方された。それがなんと、かえでの飲んでいる レンドルミン という薬と同じものだったので、なんだか笑えてしまった入眠剤を飲み始めると、やわらかく自然な眠気が来て、久々に眠れるようになった。私が処方された抗鬱剤は、即効性ではなく、何日か飲んでいるとだんだん効いてくるものらしい。だから、飲んですぐにはこれといって変化はなかったけど、副作用のせいかなんとなくだるくて、一日中眠かった。眠れない日のことを思えば、まだいいかな?と思うことにした。私はすごく血圧が低くて、もともと朝は苦手。以前、献血をしに行った時、血圧が低すぎて採ってもらえなかったことがあった。採ってもらえないほど低いなんて・・・と思って、いくつなのか聞いたら、なんと上が 79 だと言われて、びっくりした!家に帰って父親にそれを話すと、高血圧の父は「オレは下がそれくらいだ」と言った。そんなわけで、とにかく朝は苦手な私。鬱病の症状に、午前中、特に朝に気分が沈む人が多いらしい。私も、苦手な朝がもっと苦手になった。それでもみんなの朝食を準備しなくてはいけないし、高校生はお弁当が要るし、朝はものすごく鬱状態が強かったけど、それだけは何とかしなくてはと思って、ギリギリに起きて、朝食とお弁当を作る。下の娘はいつも早起きなので、私より先に起きてお湯を沸かしてくれたり、洗面所やトイレのタオルを替えてくれたり、その後、私の部屋に来て「お母さん、起きれる?」と聞きにきてくれた。いつの間にか、下の娘が来てくれるのが目覚まし時計代わりになっていた。でも、どうしても起きられない時もあった。そんな時は、娘達は自分で卵焼きを作ったり、ご飯とふりかけ(我が家のお得意^_^;)で、朝食を済ませてくれた高校生の娘のお弁当が作れない時は、コンビニのや購買のにしてもらった。週に2~3日(半分くらい)は、そんな日があったと思う。でも、コンビニや購買で調達するのは可哀想だし、本人もやっぱり味気ないらしく、「おにぎりだけでもいいから」というので、本当にだけ作った時もあった。っていうか、娘が自分で作ればいいんだけど、私が出来ないのに、娘に言うのは申し訳なく思ってしまった。ここでも、私が子離れできなかったのかもしれない(T_T)かえでが入所したのが昨年の7月からなので、私のこんな生活も同じ時期から始まった。もうすぐ夏休みだから、そしたら早く起きなくてもいいし、お弁当も作らなくて済むから、と自分に言い聞かせるようにしていたような気がする。朝食の支度とお弁当がなんとかできると、私は少し食事をとって、洗濯機を回してまた布団にもぐって、ほとんど午前中は寝ていた洗濯物を干すのは、昼近くになってからが多かった。夏なので、強い日差しですぐに乾いてくれるのが幸いだった。とにかくだるくて、なにもやる気が起きなかった。いろいろ考えていると、訳もなく泣けることは相変わらず続いていたけど、もう考える事も面倒臭くなって、今まで眠れなかった分を取り戻すかのように眠り続けた。午前中は、とにかく何も出来ず、寝ているだけ。昼食くらいから何とか起き出して、午後からが私の活動時間になった。比較的、昼頃から夜にかけては、鬱状態が軽くなっていく。そんな時に肝心の夫はどうしていたか、というと・・・それでも夫なりに私のことを理解してくれたようで、私が夕食の支度が出来ない時(週に1~2回はあった)は、お弁当やお惣菜を買ってきてくれたり、娘たちを巻き込んで、一緒に簡単な料理を作ってくれたりした。食事のあとの洗い物もやってくれることがあった。今までほとんどやったことがない夫が、キッチンに立つこと自体、すごく珍しいことで、とてもありがたかった。私がいないと困るというのが、やっとわかったみたいだった。でも、洗い物をした後のキッチンは水浸し後始末のほうが大変だったんだけどね・・・その後 「オレがやってやった」 と恩着せがましい言葉がなければ、ほんとにいい夫なのになぁ(-_-;)それでも、ここまで変化した夫を褒めておこう。「ありがとね~」 と感謝の言葉(+_+)父も、知り合いのAさんの息子さんが鬱病で療養しているという話を聞いていたので、鬱病の人に「頑張れ」という励ますような言葉を言ってはいけない、と前から言っていた。私が鬱病になってしまったと話すと、「まあ、ゆっくり休めよ。 Aさんも、鬱病は必ず治るからって言ってたし、 のんびりすりゃいいさ」と言ってくれた。一番気がかりだったPTAの大きな3つの役員の仕事は、ほかの人に任せることが多くなり、はじめはすごく気にしていたのだけど、もうどうしようもないので、任せればいいや、と少しは開き直ることも出来るようになっていた。養護学校のPTAの仕事は、子供を送っていってそのまま先生と打ち合わせをすることが多かったけど、かえでは入所してるし、私は寝たきりだし、ほとんど副会長さんがやってくれて、電話やメールでいつも連絡を取って、お願いするような状態だった。先生も副会長さんもほかのお母さん達も、みんな温かくて本当に救われた子供会の役員も6年生の学年委員も、一緒にやっていた方が頑張ってくれて、心配しながらも、何とかなるもんだと思ったりもした。病院の先生も、「人に甘えたり任せたりする事も、あなたにとっては勉強です」とおっしゃったけど、私は今までそれがなかなか出来なかった。全部を自分でやろうとしていた。人に任せて、イライラしたり心配するなら、自分でやった方がいいと思っていた。そのほうが早いし、自分で納得できるから。家族や友達の温かい協力の中で、私は思いっきり甘えさせてもらった。でも、こんな図々しく何もやらずに寝ているだけでいいんだろうか?そんな思いも強くて、とても複雑な気持ちもあった。「性格はなかなか変えられないけど、考え方を変えることは出来る」そう言われることが多いけど、それもなかなか出来ない私は、自分の中で葛藤しながら、苦しむのだけど・・・
2006年08月31日
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東北地方は、すでに2学期が始まっているそうで、日本って縦に長いんだなぁと感じます。私の住んでいるところは、9月1日が2学期始業式なので、この8月最後の3日間は、どの子も宿題の追い込みなのだ~!そういう私だって、小中高の12年間、この時期は必死な部類だったので、子供のことはとやかく言えませんが・・・^_^;うちの娘達も、今日あたりから必死でございますわよ~~特に上の娘なんて、2学期早々にテストがあるから、なるべく遅く勉強した方が記憶に残ってて安心するし~、なんていう理由です(-_-;)オイオイそんな姉妹を横目で見ながら、養護学校っていうのは、その点はお気楽だよな~と鼻で笑うかえで(たしかに・・・)でも、宿題のシール貼りとか、ぬりえとか、カード合わせとか、やっぱり母子で最終日にまとめて頑張るのだ~!わはは暑くて長い夏休みもあとわずかになった日曜日、かえでと一緒にお菓子作りです今回は、チョコチップ入りマフィンを作りました。まじぇまじぇするパティシエかえでこんな感じにできました~ 溶かしバターをあとから入れるタイプのマフィンで、生地からゆるい感じだったので、チョコチップが沈んでしまった・・・しっとり美味しくいただきました。で、介護施設のお菓子作りも頼まれて、旅行のあとで疲れていたのだけど、今月は1日だけだったので、先月好評だった「オレンジムースケーキ」を作って届けました。そして、オレンジページ(私のお得意^_^;)に載っていた「ふるふるカラフルゼリー」で、ラストスパートをかける娘たちを応援しましょう~豆乳&リンゴのゼリー2種類のゼリーを別々に作って、りんごゼリーは固まってからフォークでくずして豆乳ゼリーの上にのせます。豆乳とりんご、両方お腹にも優しい感じで、クセのないさっぱりした味で、Goodでした旅行中の上げ膳据え膳の夢のような4日間から、また専業主婦生活に戻り、楽しかった思い出を生活の肥やしにしながら、ぼちぼちやっていこうと思います^^最近、今まで綴ってきたかえでと私の記録が更新されてないね~と、あるお友達からメッセージを頂きました(*^。^*)2学期からまた復活予定ですので、これからもよろしくお願いしますね~~えへへ
2006年08月29日
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しつこく、関西旅行記だす^_^;USJで楽しい2日間を過ごし、旅の4日目は帰路に着きます。さすがに運動不足の私は、身体がえらくて、最終日は朝からのんびりしました。遅めの朝食をとり、お土産や要らない荷物は、宅配便で自宅に送ります。昼前に、お世話になったkukuminnさんと、ドリカムハウスさんにメールをして、ホテルをあとにしました。せっかく大阪に来たんだから、道頓堀のくいだおれ人形とか、グリコを見なくっちゃね!というわけで、大阪駅から地下鉄でなんばまで行ってみました~関西は暑いと聞いていたけど、京都やUSJの暑さは、まだ我慢できました・・・しかしこの繁華街の暑さはいったいなんだ~~~っ!メチャクチャな暑さです!半端じゃないっ!電車に乗っている時は、車内の冷房が効きすぎて、身体が凍りつくくらいでもこれが外に出ると、冷えた身体が温まって、最初のうちはちょうどいいんだけど、だんだん毛穴がブワッと開いてくる感じ・・・日傘も役に立たないほど、強い日差しと気温で、倒れそうでしたで、観てきましたよ~くいだおれ人形ここも観光客?が多くて、写真を撮っている若者もたくさんいました^^続いて、グリコのネオン看板夜の方が良かったかも~?ランチはお好み焼き!と思っていたけど、朝食が遅くてお腹が空いてないのと、暑さに耐えられずに、大阪にさよならです~帰りは名古屋で途中下車。名古屋にある 『ジャンプショップ』 に寄りたいという夫と娘二人。この人たち、週間少年ジャンプが大好きで、毎週欠かさず買って読んでいる。去年も一度、ジャンプショップに行ってるのだけど、どうしても行きたいと、以前から旅行の最後に寄ることを計画していたのです。大阪にもジャンプショップがあるのだけど、ほかにも名古屋に用事があったので、それも兼ねて寄ってみましたその前に、遅めのランチ。旅の終わりは、名古屋名物・味噌カツ丼(これはヒレカツ)真ん中に温泉たまごがのっていて混ぜて食べると、赤味噌のしょっぱさがやわらかくなってこりゃ、うみゃ~だがね(ヘンな名古屋弁)そして、娘たちのお楽しみジャンプショップ中には、『ONEPIECE』のメリー号が・・・ どんな店かっていうと、ジャンプの漫画のキャラクターグッズとかを売ってる店です。私も実は『ONEPIECE』は大好きでして^_^;チョッパーのグッズを秘かにゲットもっと好きなのは『スラムダンク』なんだけど、大きなポスターがあっただけで、一番のお気に入りの『流川楓』がイマイチだった・・・(かえでのHNはここから来てたりする^^)そんなこんなで、楽しかった4日間の旅も終わりです。娘に「なにが一番良かった?」と聞いたら、「ジャンプショップ!」 だと(-_-;)かえでへのお土産は、これUSJで買ったスヌーピーのクッションとスパイダーマンのヨーヨーそして、大阪限定のプリッツ喜んで?クッションを抱きしめているかえで偶然にも着ていたTシャツがスヌーピーだった いろんな方々のお陰で、楽しい旅になりました。皆さんに感謝ですありがとうございましたm(__)m
2006年08月27日
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さて旅行記の続きです。8月23日前日の午後に、雷雨の中、大阪入りして、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの「トワイライト&デイ・パス」という1.5日券を使って、大阪2日目も、USJで遊びます夫は、待たずにアトラクションに入れるブックレット7を買うために、7時半頃からチケットブースに並んで、無事にゲットしてくれました^^私たち女性軍は、その間のんびりと朝食闘うのは男の仕事なのだ9時開園と同時に入場。まずは、ジュラシックパークのアトラクション。ブックレットでVIP待遇ですそりゃ余分にお金払ってるんだし、優遇されなくちゃね~このアトラクションは、最後に25mのスプラッシュダウンがあるそうで、臆病な娘2人は、この手のヤツが苦手なのだ!(って実は私も^_^;)並んでる時から、顔色が悪い・・・「大したことないって~」と夫が背中を押して、しぶしぶ乗ることに。濡れるのがつらいので、すでに昨日の雷雨で使った100均のカッパを着ます。大きな恐竜があちこちにいて、だんだんとクライマックスへ近づく私たち・・・最後に「きゃ~~~~~っ」とスプラッシュダウン!あぁ、怖かった私も苦手なんだけど、娘の手前、強気で頑張っちゃいました。「ね~、大したことなかったじゃん? 最後の落ちるとこが怖かっただけだったし~」と言うと、「最初から最後までギャーギャー叫んでたくせに、よく言うわ」と言われてしまった・・・わはは!そうだったかな?次々とVIP待遇でアトラクションをこなし、いよいよkukuminnさん、ドリカムハウスさんとの待ち合わせの11:30が近づいてきました。一応、化粧を直して、髪を整え、入り口ゲート付近へ行きます。ドキドキする~~どんな感じの人かしら?その前にちゃんと会えるかしら?そんなことを考えながらウロウロして、電話で「お~~い」と呼び合いながら、会うことが出来ました。イメージどおりのスレンダーで小粋な姐御肌という感じのkukuminnさん(褒めてるのよ)再入場のスタンプを押してもらって、一旦外へ出ます。家族とは別行動で、しばらくは私はフリー。「はじめまして~」と言っていると、ドリカムハウスさん登場。ドリカムさんもやっぱりイメージどおりで、小柄でちょっと控えめな感じ(私の印象はどうだったんだろう?ちょっと気になる・・・)三人で、すぐそばのお好み焼きのお店に入りました。さすが本場のお好み焼きですわ~。お店の人が焼いてくれて、3種類を3人でわけっこして食べました。kukuminnさんと私は昼から生ビール~暑いので、超うまかった。ブログで、家庭の事情はわかっているので、初めてなのに以前から知ってるような不思議な感覚。いろんな話をして、楽しい時間を過ごしました。ドリカムハウスさんが、たくさんの時間が取れないそうで、食事のあと帰ることになり、外に出て、写真をパチリ左から、ドリカムハウスさん、私、kukuminnさんです~~モザイクかけすぎで、わかんないけどこれくらいの方が美女3人ってわかるでしょ~お二人ともブログの雰囲気そのままで、文章、文体というのは、人柄も出るんだなぁと感じましたネットで知り合った方とこうしてお会いするのは、今回が初めてだったのだけど、ネットというだけで、すぐに「出会い系」に結び付けて考える人もあるので(って夫がそうなのだ!)こういうきれいな出会いは大切にしたいと思いました。kukuminnさん、ドリカムハウスさん、会いに来てくださって、本当にありがとうございました。ドリカムハウスさんとお別れしたあと、kukuminnさんとUSJに戻り、一緒にモンスターライブ・ロックンロール・ショーを観ました。これは、私すごく気に入ってしまって、とにかく面白かったし、楽しかったし、出演モンスターの歌と踊りが、めちゃかっこよかった~特にドラキュラさんがイケメンで、ちょうど運よく?入れたのは、USJを知りつくしているkukuminnさんがいてくれたお陰です。その後、また一緒にお茶して、長女ちゃんの学童のお迎えの時間もあるそうなので、そこでお別れすることになりました。ほんとにほんとに、ありがとね、kukuminnさんkukuminnさんと別れて、家族と合流。まだ入ってないアトラクションへGO3Dのアトラクションが多くて、最後の方は気持ち悪くなってしもた・・・乗り物酔いの薬を飲まなあかんかったわ。あれ?kukuminnさんと喋っとったら、関西弁になってもうたわ最後は足を引きずるようにホテルに戻り、一旦シャワーを浴びて、今度は、たこ焼きミュージアムに繰り出しました。あちこちで食べ歩いていたので、あまりお腹も空いてへんかったけど、せっかく来たんだし、たこ焼きくらい食べなあかんしな。みんなで一皿ずつ食べて、また飲んで、プハァ~~ うまいわ~^^こうして、記念すべきUSJの1日は終わったのでした。さすがに、食い倒れ・生き倒れ~~
2006年08月25日
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今週の月曜日~木曜日まで(21~24日)、3泊4日で旅行に行かせて頂きました。かえでは、寮でお留守番していてくれたので、安心して行って来ることが出来ました。そして、家でお留守番をしていてくれたおじいちゃんにも、感謝です携帯からちょっと更新しましたが、それ以降、疲れてしまって出来なかったので、まとめて旅行記をUPしようと思います。まず1日目は、前回の日記に書いたように、京都です。昼前に到着して、清水寺を参拝真ん中のところが工事中でしたすでに、このあたりから暑さでへばってきた私・・・夫と娘二人は、私を置いてどんどん坂を下っていってしまいます。 待ってくれよ~~\(◎o◎)/その後、二条城や壬生寺、伏見稲荷などに行きました。二条城夫の希望で、本能寺にも行ったのだけど、大したことなくてスルーしました。あ、今、「本能寺」と打ったら誤変換して、「ほんの蛆(ウジ)」と出てしまったかわいそうな織田信長・・・こんな蛆で死んでしまったなんて~弱すぎるわ二日目の京都で迎えた朝は、私が携帯の充電をし忘れていたので、朝、慌てて充電!出発が1時間ほど遅れてしまって、夫が不機嫌になってる・・・急がねば~~~で、最初に行った先が、金閣寺。電車とバスを使って行ってみました。 う~~ん、やっぱりいいですね、金閣寺観光客もすごくて、国際色豊かですおみくじも、英語、ハングル語、中国語なのだ!金閣寺で時間が押してしまったので、急いで京都駅に行き、次の目的地、大阪(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に向かいますところが・・・この日(22日)の昼過ぎ、関西はものすごい雷雨京都を出る頃、なんかゴロゴロし出して、あっという間に大雨!大阪方面はまだ空も明るくて、降り出さないうちに、ホテルに行ってしまおうと、USJ近くの駅に降りると、なんと風も雨も強くなってきて、困ってしまった~と言いながらも、派手な可愛い電車をパチリユニバーサルシティ駅から、泊まるホテルまでは徒歩1分なんだけど、その1分が困るのだよ~~~仕方がないので、USJの水濡れアトラクション用に買っておいた、100均のカッパを着て、荷物を抱えて、ホテルに駆け込むメイプル一家・・・1分って意外と長いんですね~(走って2分はあったと思う)こんなところでカッパが役立つとは、笑えるような笑えない話でして^_^;まだまだ雷はピカピカ光り、雨も強いので、しばらく部屋で待機。夕方になって、急に天候も回復し、私以外の三人は元気にUSJに出掛けて行きました私は濡れた衣類を洗濯して、少し休憩(マジで身体がえらい)しばらく休んで、私も遅ればせながらUSJに行ってみました~おぉ~~~!にぎやかですぅすぐに合流して、早速アトラクションに挑戦最初に入ったのがこれスパイダーマンのアトラクション3Dのサングラスをかけて見るヤツで、前置きは長いけど、けっこう面白かった。娘はここのショップで売っているスパイダーマンのヨーヨーが気に入って友達のお土産にするそうで、5個くらい買ってましたそのほかにも、空いてるアトラクションに乗ったり、お土産を見たり・・・雷雨でびっくりだったけど、何とか楽しく過ごせました~では、いよいよ3日目の「kukuminnさん」「ドリカムハウスさん」との逢瀬?の模様は、次の日記でUPしたいと思います^^
2006年08月25日
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なんか更新がうまくできなかったみたいなので、 再度、投稿しますね。 しつこくてごめんなさい。 世間より一週間遅れの夏休みです(;^_^A 今朝8時に、京都に向けて出発。 暑~い京都を観光しました。 まずは清水寺。 おぉ!数十年前に来た修学旅行の再現って感じです。なんだか、懐かしい~(*^_^*) 清水の舞台は、なんと工事中( -_-) 茶髪の若いお兄ちゃんたちが、足場を組んだ周りで作業してました。 この暑さの中、ご苦労さま(;^_^A しかし、こんな暑くても観光客がメチャクチャ多い! んでもって、神社仏閣というのは、坂と階段と砂利道がやたら多くて、 普段、冷房の部屋でゴロゴロしてる私には、 かなりきつくて、非常に疲れました。 清水寺のあと、二条城、伏見稲荷などの修学旅行コースをまわり、 夫は大変ご満悦・・・ あちこちで、「いい試合だったねぇ」という会話に、 あっ、今日の甲子園の決勝再試合、 どうなったんだろう?と気にしながら、夕方ホテルに到着(^O^) 早稲田実業が勝ったんですねーー! できれば、両校優勝にさせてあげたかったくらい。 到着してすぐに大浴場へ~(*^_^*) 誰も入ってないのをいいことに、 潜水までして泳ぎまくる下の娘・・・( -_-) それから夕食♪ ビールの美味いこと! ハモ料理や、京都のおばんざい、などなど たくさんたいただきました。 食事の準備や片付けをしないで、ゆっくりできるって、 なんて幸せなのでしょう(*^_^*) マジで疲れたので、明日の大阪入りに備えて、 早めに休みます~(^O^)/ 京都は暑いけど、やっぱりいいですね~。 ほな、今日はこのへんで、さいなら(一応、京都弁^o^;)
2006年08月21日
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世間より一週間遅れの夏休みです(;^_^A 今朝8時に、京都に向けて出発。 暑~い京都を観光しました。 まずは清水寺。 おぉ!数十年前に来た修学旅行の再現って感じです。なんだか、懐かしい~(*^_^*) 清水の舞台は、なんと工事中( -_-) 茶髪の若いお兄ちゃんたちが、足場を組んだ周りで作業してました。 この暑さの中、ご苦労さま(;^_^A しかし、こんな暑くても観光客がメチャクチャ多い!んでもって、神社仏閣というのは、坂と階段と砂利道がやたら多くて、 普段、冷房の部屋でゴロゴロしてる私には、 かなりきつくて、非常に疲れました(>_
2006年08月21日
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えっと、来週の月曜日から、関西方面へ行きます。一応、家族旅行なのですが、かえでは施設の寮でお留守番で、娘2人を連れて行きます。本当なら、かえでも一緒に行って、いろんなことを体験させてあげたいのですが、「待つ」ことが苦手で、見通しが持てないことには興味を示さず、楽しめないことが多いし・・・というわけで、いつも、かえでのためにたくさん我慢してくれてる姉妹に、ちょっとしたプレゼント?です。21日(月)には、まず京都京都といったら、私の地方では中高生の修学旅行先です。私も中学と高校のときに行ったきりなので、ちょっと楽しみ・・・歴史物が好きな夫は、自分で行くところを勝手に決めていて、私たちはそれに付いて回る事になりそう・・・清水の舞台から飛び降りるつもりで、夫のご機嫌を取りながら、ブラブラしてきます。♪京都~ 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり~~♪ってな感じで、しっとりと一人で歩きたいもんですが・・・ わはは22~24日は大阪。主には、USJで遊びます~^^22日の午後から、1.5日券を購入したので、23日中はUSJかな?TDLは数回行ったことがあるんだけど、こちらは初挑戦。私みたいな性格だと、新しい所って下調べを充分にしないとすごく不安で・・・で、リンク先のお友達で、大阪のkukuminnさんがナビをしてくださることになりました~ほんと、感謝です。うまくお会いできるといいんだけど。大阪では、たこ焼きやお好み焼きなどなど、たくさん食べて、食い倒れてきますね~その前に、関西の夏は非常に暑いらしいので、こんな虚弱な私は、食い倒れる前に、生き倒れるかも・・・携帯から更新するのも、挑戦してみたいと思いますが、更新がなかったら、生き倒れたと思ってください。上の娘は 「生き倒れるって言葉がかっこいい」 と言ってます。アホ!そんなわけで、こんな3泊4日の長い旅行なんて、これが最初で最後になるだろうと思います。こっちの暑さもなかなかだけど、これっぽちでヒーヒー泣いている私を、関西の夏は優しく迎えてくれるでしょうか?とっても不安ですが、普段のいやなことは忘れて、自分なりに楽しんでくるつもりです。関西方面の皆様、メイプル一家を見掛けたら(ってわからないって)、よろしくお願いしますね~~(^o^)丿
2006年08月19日
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甲子園では熱闘が繰り広げられてますね。まさに夏ですマジで暑いです夫と娘達がPCを占拠してるし、私自身もなんだかんだ忙しくて、PCの前に座ることすら出来ない状態でした(>_<)早く、夏休み終わってくれ・・・というわけで、久々の更新です。娘が使っていないノートを広げて、かえでに絵を描かせていました。かえでは、小さい時から、よく にこにこぷん(古ッ!)のビデオを見ていたので、それに出てくるキャラクターの絵描き歌が好きでした。娘達がノートを広げると、真っ先にこの絵描き歌を自分で歌いながら、描き始めました。 じゃじゃ丸続いて、これも何かの絵描き歌で描いたふねそんでもって、これは かにで、わけわかんない絵を描いてたので、これは、上の娘に大ウケしてた。一応、なんかの絵描き歌?かなみんなに褒められて、ちょっと偉そうな男(-_-;)(この指は私^_^;)どんなもんじゃい!調子に乗って、上の娘が「これ真似して描いてみぃ」とヘンな言葉を教える・・・塗りつぶしてあるところは、自分の名前をひらがなで書いてたおねえちゃんに言われたら、どんなことでも真似しますよ~しかし「悪霊退散」って・・・それにしても、おねえちゃん字が下手すぎ姉↓どんなもんじゃい!って、いばるな~!
2006年08月16日
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この暑さの中、急に思い立ったようにお菓子やパンを作っています。今日は ココアロールケーキ!同じロールケーキ生地で、以前にも一度作ってるんですが、(→こちら)このシフォン風のふわふわな生地が忘れられなくて、上の娘の誕生日に作ったケーキの、ラズベリークリームを巻き込んでみました。ココアロールケーキ・ラズベリークリームほんとに、自画自賛、手前味噌で申し訳ないですが、これは美味かった~~~)^o^(ロールケーキのスポンジもふわふわだし、クリームとどっちを食べているか、わからなくなるくらい、柔らかでした。今日、施設見学で出かけたので、早めに出て、一緒に行く友達にこれを持っていきました。あまずっぱいラズベリークリームがたっぷり入って、美味しい!と言ってもらえて、とっても嬉しかった^^で、なんでこんなに喜んでいるかというと、実は最近、失敗作が多いもんだから・・・、やっとうまくできたって感じで嬉しかったんです。とても恥ずかしくて、笑っちゃうような話だけど、こないだは、小倉シフォンケーキを焼こうと思って、材料を準備して、作り始めたのね。順調に作っていたんだけど、生地を型に流して、予熱したオーブンに入れて、さぁ、これで35分くらいだな、と洗い物を始めました。使った道具をシンクに入れている時、「あれ?これなんだ~?」小さいボールに入った小麦粉があります。へっ? もしかして小麦粉入れ忘れたぁ~???オーブンを見ると、もう5分くらい経っている!うわぁ~・・・小麦粉なしのシフォンケーキって、どうなるんだろう\(◎o◎)/!仕方ないので、もうそのまま焼きあがるのを待つことに・・・取り出して、一応逆さにして見ました。あれ?案外いいかも?失敗は成功の元って言うし、これは新しい美味しさ発見!だったりして^^でも、小麦粉が入ってない小倉シフォンケーキは、無残にも型からドッペリと落ちてきて、形にならない小倉ケーキとして、下の娘とスプーンですくって食べてやりました。娘「美味しいじゃん。いいよ、こういうのも・・・」とても虚しい夏の午後でした・・・皆さん、お菓子を作るときは、材料をちゃんと確認してねそんなことするの、私くらいか~そんなわけで、今日のロールケーキは、超感激でした~
2006年08月11日
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かえでの入所は、7月4日(月)からとなった(昨年のこと)。かえでの通う養護学校の分校と、同じ敷地内にある更生施設に入所する。母が亡くなってから、週末は大変なことが多くて、頻繁にショートステイで利用している場所だし、登校するにも、寮から学校までは中庭を歩いて10秒という近さかえでにとっては、馴染み深い場所で、安心して任せることが出来る。入所の一番の目的の「添い寝をなくして、一人で寝ることが出来る」ように、寮のほうでも、職員の人たちが工夫してくれるはず。これまでも一時的に泊まったりはしていたけど、やっぱり眠るまで誰か傍についていてくれたようだった。夜中に夜勤の人が見回りに行くと、ちょうどかえでが起きていて、そのまま一緒に添い寝して寝かし付けてくれたこともあったらしい。申し訳ないなぁと思って、いつも迎えに行ったときは、ご迷惑を掛けました、と謝っていたけど、職員の方たちは、それが仕事だからいいのよ~と笑って言ってくださった。入所すると、一人一部屋、居室が与えられるので、部屋にあるタンスや押入れに自分の物を仕舞って、自分で布団を敷いたりたたんだり、自分で着替えの服を用意したり、洗濯に持っていったりして、家で生活するより、かなり自立できそうな感じ。入所といっても、ずっと施設には入りっぱなしではなく、週末には帰宅することになっている。基本的には、金曜日の夕方5時に迎えに行って帰宅、日曜日の夕方5時までに寮に戻る。二泊三日を自宅で過ごすことになる。でも家の都合などで、事前に申し出れば、自由に変えられる。7月4日着替えなど、生活に必要な物を揃えて、学校へ送っていったあと、そのまま施設へ寄って、大きな荷物を置いてきた。かえでに、朝からそんな大きな荷物を見せたら、「ニモチュ(荷物)?」「オヘヤ(お部屋)?」(これは泊まる時に宿泊用の荷物を持って施設の部屋に行くという、かえでのお泊まり用語)と言い出して、たぶん混乱してしまうので、下校時間に先生から写真カードで伝えてもらうようにした。とうとう、かえでの入所生活が始まった。心配していたほど混乱もなく、今までのショートステイの経験が生かされたのか、かえではすんなりと最初の月~金曜日までの5日間を、過ごすことができた。問題の添い寝に関しては、初日は職員の手を引いて添い寝を要求したらしいけど、ここで少し我慢させるように、外から鍵をかけて、ちょっと強制的に一人で寝ることを習慣付けてくれた。添い寝なしが、寮では出来ても、帰宅してから出来ないのでは意味がないので、かえでが帰宅する週末までに、簡単なリフォームと部屋の模様替えをした。教務主任の先生は、リフォームや模様替えが難しければ、現在寝ている場所を、ついたてやカーテンで仕切るだけでも、自閉症の子には、自分の落ち着く場所としてわかりやすくなるから、今日から添い寝はなしで、ここで一人で寝るよ、ということが伝えやすいかもしれない。とおっしゃった。それまで放っておいたけど、姉妹が「自室が欲しい」と言っている事もあり、ここは夫に頑張ってもらって、一緒に考えて、思い切って模様替えをした。姉妹が使っていた二段ベッドを分解して、一つをかえで用にした。ちょっと幼稚?と思ったけど、周りの枠をそのままにして、囲まれたベッドの中が自分の寝る場所であることがわかるようにしてみた。最初の週末、かえでが帰宅した。帰宅すれば、全くいつもと同じように、小さなスナック菓子を食べて、納豆を食べて、「ごはん」「おにく」「まじぇまじぇ」を連発しながら、私の傍でウロウロして、夕食の支度が終わるのを待っている。時々冷蔵庫を開けて、「プリン」「アイヒュ(アイス)」「ナメナメ(だめだめ)」と言っている^^(かわいい~親バカ)いよいよ、寝る時間になった。寝室の場所が変わったことは、大してびっくりはしていなかったけど、自分用のベッドが置いてあることを、不思議そうに眺めていた。「今夜は、ここで寝るよ~」そう言うと、おとなしくベッドに入ってくれた。よしよし!「じゃ、おやすみ」と言って、照明を消そうとすると、やっぱり「ギュッ」と言ってきた。「今夜から、かえでは一人で寝るんだよ。 おりこうさんに寝てくれる?」「ギュッ」「今日は『ギュッ』なし。一人で寝てみようね」「ギュッ」 ・・・・・・照明をマメ球にして、部屋を出た。ドアを閉めて、しばらくドアの外で様子を窺う。かえでは一人で「あ~~~~」といつもの大きな声を出したり、宇宙語で何か言っているでも、少ししたらベッドから出て、ドアに近づいてきた。ここで私も踏ん張らんと!ドアを開けようとするかえで。鍵がないので、開かないように外で押さえる私。なかなかヤツも力があるんで、か弱い私では押さえきれないくらい。ここで、かえでをなだめるような言葉をかけると、私がいることがわかってしまって、添い寝を要求して泣き叫ぶかも?と思い、鍵が掛かっているかのように、黙ってドアを押さえ続けた。諦めてベッドに戻った様子。でもまたすぐにドアのところに来る。私が見えない鍵の役をやり、また諦めてベッドに戻る。そういうことを4~5回繰り返したあと、かえでは今度こそ諦めて、ベッドに入って寝てくれた。一旦眠ったら、朝まで一人で熟睡だった。あ~、良かった。すごくホッとした。これを機に、かえではずっと一人で寝られるようになった私はそれまで、添い寝をすることがすごく苦痛だったにも関わらず、かえでが要求しているなら、応じてあげようか、とも思ってしまった。自分の知らないところで、勝手に入所させられて、やっと週末に帰宅したのに、ここでも厳しくされたら、かえでが可哀想だと思ってしまったでも、一時の感情に負けず、グッと気持ちを抑えたことは、私がかえでから子離れするきっかけになったように思う。可哀想だと思って、余分な手を掛けることが、親離れ子離れを妨げているのかもしれない。この際、私自身が全部背負い込まずに、子供たちを野放し?にしてみよう、と思った。神様がくれたせっかくのチャンスなんだし、休養しながら、自分の気持ちや考え方、これからの生きかたなどを、ゆっくり考えてみようと思った。とりあえず、入所とはじめての週末帰宅は、なんとか無事に終わった
2006年08月10日
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昨年の6月27日、かえでの月に一度の通院の日だった。毎月、私一人で病院に行き、かえでの様子を先生に少し話して、薬を処方してもらって帰る。前月に行った時にも、先生には、かえでがいろいろと大変なので、学校の先生から短期入所を勧められているという話をしていた。先生は、「それもひとつの選択ですよ。僕は入所してもいいんじゃないかと思うよ。」とおっしゃっていたけど、なんせ私が頑固なものだから、まだまだ頑張らないと、と思っていたし・・・でも6月には、もうそんなことを言っていられる状態ではなかった。というか、すでにその時には、ケア会議でかえでの入所が決まっていたものだから、先生に「7月4日から入所することになりました。 一応、身辺自立と添い寝なしで寝れるようにしたいと思うので・・・」と話す。話している途中で、思わず泣いてしまった。これまで約11年間、この先生にお世話になってきたけど、いつも私は元気だった。だから月に一回の約20分ほどの診察の時間、先生は元気な私しか見たことがなかったはず。でもその私が先生の前で急に泣き出したものだから、先生はすごくびっくりして、「お母さん、どうしました」と慌てていた。実は、ここ一ヶ月くらい、私、ヘンなんです・・・そう言うだけで精一杯だった。もう声が震えてしゃくりあげてしまって、喋ることもできなかった。自分で何とか気持ちを落ち着かせて、深呼吸しながらゆっくり話した。かえでのことが怖い。迎えの時間になると、すごく気分が悪くなってくる。何もかもやる気が起きない。食欲もなくて、眠れない。泣いてばかりいる。とにかくすごく憂鬱。毎日の生活自体が辛い。そんな症状を話した。先生は、静かに話を聞いてくれた。かえでの診察の話の時とは、表情が違った。これが、本当の精神科の先生の顔なのだ、と思った。「お母さんの症状は、もう典型的な鬱病の症状ですね」とおっしゃった。そう言われて、やっぱりそうかと、少し安心するような気持ちにもなった。これは、かえでと初めてこの病院に来て(初めての病院はこちら)、かえでが「自閉症です」とはっきり言われた時と、同じような気持ちだった。心の中を、湖にたとえた話をしてくださった湖というのは、普段は水がいっぱいになっているから、底の方は見えないけど、本当は底というのは、凸凹していて、いろんなものが沈んでいる。でも、この心の湖の水がだんだん減ってしまうと、だんだんと凸が表面に出てきてしまう。この凸というのが、かえでのことだったり、姉妹のことだったり、夫のことだったりするわけで、普段は水がいっぱいで気にならないことが、今は水が減って、凸が出てきてしまっているから、すごく敏感に感じてしまって、どんどん悪い方へ考えてしまう。 「今は、心の水を満タンに戻すことが大事です。 とにかく休んで、水を満タンにしましょう。」そんな話をしてくださり、すごく解りやすくて、納得できた。でも、今だって仕事をしているわけでもないし、どうやって休んで満タンにすればいいのですか?これ以上休んでいたら、怠けてると思われる・・・「鬱病の治療には休養が一番です。そしてお薬を使うんです。」怪我をしたとか、どこかが痛いとか、そういうことなら薬も効くだろうけど、こんな気分が落ち込んでいるような、目に見えないことに対して、どういう薬を使うのだろう?薬を飲んで治るの?と不思議に思った。「そういう精神的な症状に効く薬がちゃんとあるんです。 薬を飲んで3週間くらいで、大抵は気分がだんだん 良くなって来ますからね。 でも、水が満タンになる前に無理をしてしまうと、 前よりもっとひどくなる場合がある。 この際、かえでくんや家族のためにも、 しっかり治療した方がいいですよ。」この病院までは、車で1時間くらい掛かるので、2週間おきに通院するのは大変だから、私の家から近い、Oクリニックを紹介してくださるとのこと。「僕の名前を言ってもらえば、O先生はすぐわかるから」と言って、簡単に紹介状を書いてくださった。かえでを連れて、初めてこの病院を訪れた時、「精神科」というだけで、いやな気持ちになっていたけど、今は、自分がその精神科に掛かることになってしまったのだ。でも、もうそんなことを言ってはいられなかったし、先生のお話を聞いて、早く治療したいと思った。先生は帰る私を心配して、次の患者さんが待っているのに、病院の玄関まで見送ってくださった。「お母さん、気をつけてね。 もし、O先生と相性があわなかったら、 僕が責任持って診ますから。 かえでくんとお母さんとのお付き合いも長いしね。 とにかくゆっくり休んでくださいね」胸がいっぱいになって、泣きながら帰った。泣きながら高速を運転するのは、怖かったけど夫は早番で、15時過ぎに帰宅していた。私は、先生に言われたことをどうやって夫に話そうか、うまい言葉が出なくて、また泣いていた。疲れて居間のソファにドッと倒れこむようにして、伏せて泣いた。最近の私の様子があまりにもおかしいので、夫も痺れを切らしたように、「なんでそんなにいつも機嫌が悪いんだよ? オレはどうすりゃいいんだよ、一体!」と怒るように言った。私は、先生の話をそのまま夫に話した。「で、病院へ行ってこようと思う。 紹介状も書いてもらったから、Oクリニックへ電話してみる」夫はその時、PCでゲームをして遊んでいた私に怒るより、ネットで鬱病のことを調べて、どうしたらいいか考えてくれてもいいじゃん!そう思って、それとなく言うと、夫なりに調べていたようだった。6月30日。初めてOクリニックへ行くこれまでの経緯を話し出すと、また泣いてしまった。涙腺が全壊してしまって、涙はどんどん出てきた。こらえようと思うと、しゃくりあげてしまう。まるで小さい子供のように・・・ヒクヒクしちゃって、止まらなくなってしまう。O先生は、かえでのこともよく解ってくださって、話をしっかり聞いてくださった。そして、「今までよく頑張りましたね。 もう頑張らなくてもいいですから、少し休憩しましょう。」と仰った。それだけで嬉しかった。薬は、抗鬱剤のパキシルとメイラックス、そして抗不安薬のコンスタンが処方された。眠れないことが辛かったけど、抗鬱剤は、眠くなる作用があるので、寝る前に飲めば、眠れるようになるとのこと。とにかく、夜はぐっすり眠りたかった。眠れずに悶々と考えて泣くことは、もうたくさんだった。診察を終えて、気分が少し楽になったような、でもこれからのことを考えると、また落ち込むような、不安定な気持ちで家に帰った。家族に、自分の症状やこれからの治療のことを、私の口から話しても、信用してもらえないんじゃないか?と思ったけど、薬を飲んでいるなら信じてもらえるだろう。私は決して怠けているわけではない・・・先生から言われた言葉を、自分に言い聞かせるようにした。かえでの、施設への入所もすぐ目の前に迫っていた。その準備をすることさえ億劫だったけど、なんとかそれくらいは母親としてやってあげなくては・・・そう思って、入所に必要なものを買いに行ったり、荷物をまとめたりした。当のかえでは、相変わらずだったけど、家を離れて入所することに気がつかないというのは、ありがたいような気持ちだった
2006年08月09日
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昨年、6月中旬に、かえでのケア会議が開かれた。これは、養護学校での特別支援教育の一環として、個々に応じた支援をするための会議。どんな子でも、お願いすれば開いてくれるし、お願いしなくても先生が必要だと感じれば開かれる。うちの場合は、先生が必要と感じたようだった。担任、教務主任、そして支援センター、学童保育、市の福祉課、児童相談所、いつも利用する更生施設から、それぞれ関係者、夫と私の、約10名ほどが集まって、かえでのこれからのことについて、話し合いが持たれた。現状を整理してまとめたものを、担任が用意してくれて、それに沿って、私や夫が今のかえでの様子や家の中のことを、話せる範囲で話す。話をしている途中で、何度も涙が出そうになって、ハンカチを膝の上で握り締めていた。この時の話し合いで、かえでの身辺自立と、私自身の休養を目的とした施設への短期入所が決まった。でも私自身、精神的にこんなに辛くなっているにもかかわらず、かえでを預けるのはすごく心配だった。入所して私と離れたら、かえでの不安がもっと強まるかもしれない。もっと問題行動がひどくなったらどうしよう、と思っていた。かえでの身辺自立というのは、 まず、一人で寝ることが出来る。 (手を握って添い寝しなくても、一人で寝られる。添い寝だけでかなり私が消耗してしまう) 一人で入浴が出来る。 (誰かが一緒に入って洗ってあげていたので、夫がいない時だと同姓介助が出来ず、 私や下の娘が手伝っていた。身体も大きくなってきて、異性の介助はふさわしくない)主には、そういうところを目的とした、有期限有目的の短期入所ということだった。伸るか反るか、賭けみたいな感じだったけど、少しの間だけ、お願いしてみようという気持ちになった。施設の職員の方からも、「責任持って対応しますから、安心してください」と力強い言葉をもらって、嬉しかった。ショートステイの時は、あくまでも一時預かりという範囲なので、担当者もその時々で変わるけど、入所になると、ケース担当が個別に付いてくださるそうで、いろんな面で安心できそうな感じだった。ここでいつまでも、私がゴチャゴチャとゴネていても仕方ないので、思い切って入所を受け入れて、7月上旬から、さっそくお願いすることになった。私の精神状態は、あまり良くなくて、泣いていることが多く、いつも目が赤くなっていた。娘達も、すごく心配してくれていたけど、私の前ではわざとふざけて、笑わそうとしてくれていた。私の気持ちが上向きにならない日が多くて、食事の時も、何となく暗い雰囲気で、こういうのって気まずいなぁ、と思っていたけど、どうしようもなかった。友達に、私の症状を話した時、友達が言った。「私のお茶の先生もそうだったの。 外に出て、みんなと一緒に話している時はすごく明るいのに、 家に帰って一人になると、すごく泣けてしまって、 周りの人から変だと思われて、受診することを勧められたんだって。 そしたら、鬱病だったの。でも病院へ通ったらすごく良くなったよ。 メイプルさんも一度行ってみたら?」自分でも、鬱病じゃないか?と思って、いろいろ調べたりしてはいたけど、その時、鬱病という言葉を、ほかの人から初めて言われて、その病気がとても身近に感じた。鬱病って言ったら、有名人でいうと高島忠夫さんとか小川宏さんとか竹脇無我さんとかがなっている。私よりもっとひどい症状で、自殺未遂したり、入院も必要だったりして、克服するまでに何年も掛かる大変な病気だと思っていた。でも最近では、近所にも鬱病で療養している人がいたり、ストレス社会だから、鬱病自体は珍しくないし、ほかにもパニック障害や似たような精神疾患も多い。更に、ネットで検索して調べてみた。たいてい、そういったHPには『鬱病チェックリスト』というものがあって、自分で調べることが出来る。どこでチェックしてみても、私は軽~中度の鬱病に当てはまった。いろいろ調べてみると、毎日の些細なストレスでも、鬱病になっていくということが書いてあった。そして、私は鬱になりやすい性格なんだ、ということが初めてわかった。年に数回、親しい友達での飲み会があって、その時もたしか4人くらいで飲みに行った。気分は下降気味だったけど、行ったら楽しくなれるんじゃないかと思い、なんとか気持ちを奮い起こして出掛けてみた。前出の友達の話のように、私も出掛けてしまえばみんなで明るく話せるし、その時は楽しく過ごせる。でも、楽しく飲んでいたのだけど、何気ない友達の言葉が妙に気になったのをきっかけに、蓋をしていた現実の苦しい気持ちが、急にあふれ出てきて、私は、みんなの前で泣き出してしまった楽しい雰囲気を壊してしまって、申し訳ないという気持ちと、この切ない気持ちをわかってほしいという気持ちとで、もうぐちゃぐちゃだったその2日後、毎月一回通っているかえでの病院の日だった。主治医は、もう10年近くお世話になっている精神科の先生だし、かえでのことだけでなく、私のことも相談してみようと思った・・・
2006年08月06日
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暗い日記が続いてしまったので、ここらでちょっと休憩して・・・最近またパンを焼くことが楽しくなってきてしまいました^^名付けて 焼きたい病子供が小さい頃は、パン教室にも通ったし、毎日のようにパンを焼いていた私。プルマンも、メロンパンも、コロネも、クロワッサンも、ブリオッシュも、イングリッシュマフィンも、何でもかんでも焼いていた時もあったのですよ、これでも・・・なんで、作らなくなっちゃったかというと、フードプロセッサーをすぐに出せないところに仕舞い込んでいたから、と気がつきました!一旦片付けると、もう出したくないというヘンな所に入れてしまっていたので、パン作りはすごく面倒臭く感じてました。こないだ、思い切って作った『ぱくぱくしゅがーぼーるぱん』。これを2回続けて焼きました。その後、フープロを片付けるのがめんどくさくて、その辺に出しっぱなしにしてあって、そうすると、今度はすぐ使えるから、また作りたくなってしまった・・・そんな単純な話でございます。というわけで、まずは 胚芽パンこれは一昨日焼いたもの。ちょうど100均で、アルミの大きめのパウンド型(使い捨て)を見つけて、これで焼いてみよっかな、と思い購入。ほんとは、1.5斤の食パン型も2つ持ってるんだけど、これも奥深く収納してあって、出すのがめんどくさいので・・・^^じゃ~~ん!(ってほどでもないけど^_^;)胚芽パン切ったとこ小麦胚芽の少量パックがなくて、250g入りのを買っちゃったこれからもジャンジャン胚芽入りのパンを焼きたいな~続きまして、昨夜は たこ焼きパン と ベーコンマヨパンたこ焼きパン以前、パン屋さんでこんな感じのたこ焼きがのっているパンを買ったらすごく美味しくて、作ってみたいな~と思っていたのです生協の冷凍たこ焼きを使いましたソースとマヨで味付けベーコンマヨパン先日、夫が社員旅行で行った先でソーセージやベーコンを大量に買ってきてくれたので何とかして消費しようと、パンに巻き込みました夫曰く 「オレが買ってきてやった」さようでございますねお陰で美味しく焼けましたわ(-_-;)昨夜は、夕食が済んで、急に作りたくなって、ガタガタやり出したもんだから、暑さで頭がヘンになったかと思われたようです。それもあるかも・・・今日はちょっと休憩して、明日は何を焼こうかな~と考えてます。パンの香りで、ちょっと幸せな気分
2006年08月04日
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私の精神状態がヘンだと思い始めたのは、昨年の5月から6月になる頃だった。5月は、それでもまだお菓子を作る事も楽しみで、ストレスはお菓子作りで発散していたところもあった。イライラする事も増えてきて、前回の日記に書いたようにこれはやっぱり更年期?と思っていたけど、更年期だなんて言うと、すごく歳を取ったような感じで、なんだかそれも辛かった。かえでは、帰宅してから夜寝るまで、私に向かってくることが頻繁にあって、気が休まらない。ある日の日記・・・今朝なんて、いつもの時間に起こしに行ったらけっこうすんなり起きてきて、調子良さそうだと思ったとたんいきなり私のところに来て、私を突き飛ばした!びっくりしたけど、それより怖い感じですごくイヤだった・・・毎日こんなに一生懸命やっているのに、なんで?!って感じでほんとに頭にきた。朝食は、おじいちゃんと一緒に食べてもらったけど、参っちゃうなぁ・・・学校へ行く時は静かに行けた。そのままPTAのベルマークの整理で、会議室を借りて11人でやる。11時半ころまでやって終わる。やっている時に、みんなでわいわい喋っていたけどちっとも楽しくなくて、あまり笑えなかった。なんだかイライラするので、午後はカスタードプリンを作った。とてもうまくできてよかった。私の楽しみって、これくらいしかないって感じ・・・でも作りながら泣いていた。頭の中が、いろんなことで飽和状態になってる。明日は良い日になるといいな・・・ 今日、これを読んでいたら、あの頃の苦しかった気持ちがよみがえってきて、切なくなった。かえでが帰宅してからの『ギュッ』は、夫に任せていると、かえでの機嫌が悪くなった。手を握っていても、片方の空いた手で漫画を読んでいて、まったく身が入ってないという感じ。夫は、交替勤務をしていて、一週間毎に早番と遅番の勤務になる。早番のときは、帰りが早いので、帰宅後のかえでの面倒を見てもらえるのだけど、夫が居ると、かえってかえでが不機嫌になるので、遅番の時の方がなんとなく私も嬉しかった。 亭主元気で留守がいいなんて言ったら怒られるけど、子供の扱い方を全く知らないオヤジは、こっちの手間が増えるばかりで、正直邪魔だった夫がかえでの面倒を見てくれることを、ありがたいと思うどころか、それさえがイライラの原因になった。「そういうやり方じゃなくて・・・」などと言おうものなら、今度は夫の機嫌が悪くなる。その頃、こうやって夫に意見したら、次の日は、かえでが大変なのに全く知らん顔をされたこともあった。夫さえも、こちらが気を使わなくてはならない面倒なガキのようだったそして、同居している私の父も・・・父はかえでの事も心配してくれて、よくやってくれていたけど、やっぱりうちの男たちは、育児に関しては役に立たないことが多く、ほんとに見ているだけで、イライラさせられた。その2年半まえに母が亡くなって、父が落ち込んでしまわないように、私も気を遣ってきた。元来、女の方が長生きするようにできているわけで、夫に先立たれた女は、夫亡き後も逞しく生きていくけど、妻を亡くした男って、そのあとを追って1~2年で亡くなる人も多いと聞く。そんなことになっては困るので、心配して気を遣っていたのだけど。元々、仕事一筋の父だったので、家の中のことは無関心だった。季節の変わり目の衣替えなど、母が全てやっていたことを私がやらなくてはいけなかった。子供が一人増えたような感じだった。はじめは私も父のことを思い、張り切ってやっていたけど、だんだん大変になってきて今は、ほとんどほったらかしだけどね^^家に居ると、うんざりする事がたくさんあって、外に出た時は、もう家に帰るのがイヤだった。このまま、一人でどこかに行っちゃおうか?なんて考えた事もあった。H先生からの提案の、かえでを有期限有目的で短期入所させてはどうか?という話も、今の私には必要かもしれない。でもかえでは大丈夫かしら?可哀想だよね、預けることって。かえでだって、自分の家を離れたら、よけいに自傷や不安が強くなってしまうかも。そしたら、もっと大変になるかもしれない。それに、それに・・・入所させることって、育児放棄って思われない?・・・「あんなしっかり者のメイプルさんが~?」って思われる。養護学校に来ている子の中には、もっと大変な障害のある子だってたくさんいて、それなのにそのお母さん達は、みんな明るく頑張っている・・・だから、私だけそんなことはできない。「とりあえずケア会議を開いて、関係している人たちで、 かえでくんとご家族の今後について話し合いましょう」とH先生は仰った。その頃の私は、食欲が落ちて、食べられない。食べないから便秘をする。体重が減る。やる気が起きない。家事をしたくない。動くことが億劫。肩凝りがひどい。朝、起きられない。もともと低血圧なので朝は苦手だけど、更にひどくなった。眠れない。寝つきが悪く、眠っても眠りが浅くてすぐに目が覚める。特に明け方4時頃からは目が覚めて、身体はだるくて動けないのに眠れない。買い物に行っても、何を買って良いかわからない。献立を考えられない。味がわからない。これは、食事を作る時、味がよくわからなくてたくさん醤油を入れすぎてしまって夫に「味覚がヘンじゃない?」と言われて、気がついたことだった。夕方4時過ぎ、かえでの迎えの時間が近づくと、ものすごく憂鬱になった。そして、些細なことがすごく気になる。特にPTA役員の関係で、しっかりやっていないと思われそうで、ほかの人が話しているところを見ると、自分のことを言われているんじゃないかと思ったりした。友達に送ったメールに、すぐ返信が来ないと、嫌われたんじゃないかと思ったり・・・普段、そんなに気にならないことでも、妙に敏感になった。とにかくすぐに涙が出てくるし、気分はいつもどん底になっていた。それでもやることはやらないと、家族が困る。役員の仕事もやらなくちゃいけない。人に頼ったり甘えたりすることが下手な私は、どんどん自分の首を絞めていった。ケア会議を開けば、私は救われるんだろうか?もう、自分で判断する気力もなかった。6月中旬には、もうお菓子を作ることさえ、やる気が起きなかった。私に出来ることは、泣くことだけだった・・・
2006年08月03日
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昨年度、上の娘が無事に高校に入学かえでは中2、下の娘は小6年に進級した。子供が三人いて、それぞれ違う学校に通っていたら、用事もかなり多くて、新年度には、いつも母はパニック状態・・・学校からのお便りとか、めちゃくちゃたくさんあって、何がなんだかわからなくなってしまう。しかもこの年は、PTA関係の役員が3つ重なってしまったかえでが通う養護学校の分校のPTA会長。これはもう順番だから仕方ない。でも、人数が少ない分校と言っても、会長職はかなりプレッシャーだった。それから下の娘の子供会の役員。これも娘が6年生なので、避けては通れない仕事だった。そんでもって、6年生の学年委員・・・この年から広報発行も兼ねることになっている。これはくじ引きで当たってしまった養護学校のPTA会長や子供会の役員があるので、勘弁してほしいという直訴も虚しく却下され、あみだくじの最後を引いたら、まったく福もなく、めでたく大当たりほかのくじ運はめちゃくちゃ悪い。悪すぎるくらいなのに、なんでこういうくじ運はいいんだろう。くじ運が悪いから、当たっちゃうんだよねクスン・・・これで、大きな役を3つも引き受けることになってしまった。この年度は、いつもよりかなり大変な始まりになった。私は、これまでもいろんな役員をやってきたけど、引き受けたからにはしっかりやろうと思って、自分なりに完璧にできるように頑張ってきた。だから、ほかの人から見れば「メイプルさんに任せておけば大丈夫だよね~」という感覚だったかもしれない。みんなの期待を裏切らないように、とにかくしっかりやらなくては、という思いがあった。自分の事を犠牲にしても、みんなに迷惑を掛けないようにしたかった。手を抜いてはいけない。そんなふうにして、これまでに私は自分の中にヘンなプライドを作ってきてしまった。かえでは、相変わらず大変な毎日だった。『ギュッ』も続いていたし、寝るときも添い寝をして、眠るまで一緒にいなくてはいけなかったし、こっちが眠っちゃうといきなり叩いてくる。私の顔色をよく見ている事も変わらなくて、不機嫌そうな顔をしたり、きつい口調になるとすぐに向かってくる。美人教師H先生は、持ち上がりでそのまま担任。隣のクラスの頼りになる先生は、小学部に異動になってしまったので、もう頼ることはできなかった。4~5月は、子供も新しい環境に慣れるまでにかなり神経を使っている。上の娘の高校生活についても、親として初めてのことも多く、毎朝のお弁当から始まって、歯の矯正とか、めがねからコンタクトにしたりとか、野球の応援練習(けっこう厳しい)とか、勉強のこととか、いろんなことが心配だった。本人も口には出さなかったけど、大変な様子は手に取るようにわかった。そのため、下の娘は野放し状態だったm(__)m元気に頑張ってくれていることは救いだった。でも多感な時期だけに、新年度はやっぱりナーバスになっているようだった。夫は、その1~2年前から仕事が忙しくなって、土日の休みのうち、どちらかは休日出勤で、育児に関しては、これまで同様に期待はできなかったし、してもいなかった。休日出勤して、私が働けない分、稼いでもらったほうがいいかも?って感じもあった5月上旬、養護学校のPTA総会が終わり、新年度の慌しさが一段落した。この頃から、私はまた涙がポロポロと出てきてしまう症状が始まった。何でもないのに泣けてくるのは、母が亡くなったあと、しばらく続いていたけど、もう大丈夫だと思っていただけに、どうしてだろう?と思っていた。かえでに添い寝しながら「私たちにはもう未来はないんだろうな・・・」と考えたり、自分の思い通りにならない出来事も多くて、イライラしたり、かなり悲観的になったり、悪い方へ悪い方へと自ら思いを動かしていた。どうしていいものかわからず、私がしっかりしなくては、もっと頑張らなくては、とさらに気持ちを追い込んでいった。イライラするのは更年期が近づいているからだよ、と友達にも言われて、そうだよなぁ、もうそういう歳なんだろうなぁ、とあまり納得したくない理由を、無理やり噛み砕いて飲み込もうとしていた。H先生は「お母さん大丈夫ですか?」と心配してくれて、あまり大変なら、かえでをショートステイか短期入所で預かってもらってはどうか?と提案してくれた。かえでを施設に入所させることは、上の娘の受験の時にも少し考えたけど、それを乗り越えたんだから、もう必要ないと思っていたし、不必要に子供を預けるなんて出来るわけがなかった。かえでが、こんなに不安で毎日手繋ぎを求めてくるような状態なのに、私から引き離したら、どんなことになるだろう?大変だけど、これは私の仕事だし、かえでの母親としてやらなくちゃならないこと。そして、私みたいな完璧な人間に、この先生はなんてことを言うんだろう・・・そんなふうにも思った。でも、自分でも気がつかないところで、私の精神状態はどんどん悪くなっていた・・・
2006年08月02日
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