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昨日の結婚記念日は、まったく笑わせてもらいました・・・夫が覚えているかってことで、皆さんからも励まし?のコメントをいただき、ありがとうございました。覚えてなくても許してやろうと思っていたのですが(-_-;)ほんとに、こんなおバカなヤツがいるでしょうか・・・午後、私が買い物に出ている間に、早番の夫は帰宅したようで、「ビールがないから、買い物に出ているなら買ってきてくれ」とが来たので、「あいよ~」と返事をして切りました。ほんとは結婚記念日のことは黙っているつもりだったけど、絶対に覚えていないと確信していたので、「今日、何の日か知ってる?」と、私からしてみました。夫はメール不精、というか、メール嫌い、いやメールのやり方を知らない(本人はやり方を忘れたと言う)ので、私のメールを読んで、すぐに電話をかけてきました。「おぅ!知ってるよ」思い出してくれたか、やれやれ^^と思い、そのまま買い物をし、20年頑張った自分へのささやかなお祝いだ~と、小さなケーキを買って帰りました。ケーキはいつも自分で作っているけど、たまにはきれいにデコレーションされたお店のケーキも嬉しいしね夫もどこかへ出掛けていたようで、私のあとから帰ってきました。手ブラです思い出してお花のひとつくらい買いに行ったのかと思っていたけど、そんな気の利くような男ではありません・・・^_^;「私、ケーキ買ってきちゃった。でへへ~」と言うと、「おぅ!4●歳、誕生日おめでとう!」はぁ?(◎o◎)お口 あんぐり・・・これは想定外だった・・・かなり衝撃的な言葉だわ「私の誕生日、11月28日です。2ヶ月も早く歳を取らせないでね」そばにいた上の娘、すかさず、「あるあるやな」夕食のあと、ケーキを切りましょうと、箱から出してテーブルに置きました秋らしく、栗がたくさんのっているモンブラン4号サイズ(1,000円也)「わぁ~すご~い」「美味しそう」娘たちが嬉しそうに言います。このケーキを見たおじいちゃん「ん?こりゃあなんだ。ラーメンか?」(爆)なんか、うちの男性軍、笑わせてくれるわ・・・おまけにおじいちゃん、20周年だといっているのに、なぜか「18年だな」と言う。私本人が「20年だよ」と言っているのに、なぜか「そうか18年か、早いな」と勝手に言って納得気味最近、『心の病気』復活っぽかったので、沈みがちだったけど、久々に大笑いしました。やっぱり、泣いてるより笑ってる方がいいよね記念日なんて覚えていなくてもどうでもいいわって感じ。中味の問題ってことで^_^;
2006年09月29日
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ご承知のように、昨年7月から、かえでの身辺自立と、私の療養を目的として、かえでは施設に入所した。当初の予定では、入所は昨年いっぱい、または今年の3月の年度末までの予定だった。私自身もそれくらいになれば良くなっているだろうと思っていたけど、思うように絶好調にはならないし、関係の先生やスタッフの皆さんが、期限を決めちゃうと、そこまでに何とかしなくては・・・と私が焦ってしまうので、これからものんびりしていていいですよ~と言ってくださり、今のところ期限は決めずに、かえでも施設での生活が主になっているという状態。週末に帰宅することは、最初から変わってないけど、かえでのいない生活が長くなり、週末の帰宅は、かえではお客様のような感覚になっている部分もあったりする夕食にはかえでの好きなお料理を作ってあげたり、一緒にお菓子が作れるように、材料を準備しておいたり。また休日にはどこそこへ連れて行ってあげよう、と計画したり・・・かえでが普通に家で暮らしていたら、私もストレスを溜めながら、休日にはどうやって過ごそうか、と悩むだろう事も、たまに帰宅するのだから、一緒にいて楽しく過ごしたい、と思えるようになり、入所してから、ずいぶんと気持ちは楽になっていた。私にとっては、かえでが帰ってくる事は、楽しみでもある一方、かえでの調子しだいで、私の精神状態も変わるので、裏を返せば、週末帰宅が怖かったりもする下の娘は、かえでが帰ってくると、「おかえり~~^^ わぁ!また背が伸びたねぇ(って一週間じゃわからんってば^_^;) いいなぁ、こんな大きくなって。 かえでちゃん、かっこいいねぇ」そんなふうにいろいろ話しかけてくれて、一緒にお絵描きしたり、ピアノを弾いたりして遊んでくれる。162cmもある中学1年の妹が、170cmある中学3年の兄とお絵描きして遊ぶなんて・・・普通だったら考えられないけど、この二人はなんだかとても面白い^^こんな感じで、いつも週末を自宅で過ごし、日曜日の午後には、また施設の寮へ戻る。でも、今年の夏休み、ショートステイで寮に出入りする子供が多かったせいか、職員の対応が乱れて、おまけに一番頼りになるスタッフの一人が、7月末に辞めてしまったため、かなり大変な状況だったらしいその余波を受けて、かえでは9月中旬から少し荒れ模様入所する以前、すごく大きな声を出したり、自傷が激しくて、見ていても辛かったのだけど、今年に入って、だんだんと落ち着いてきたところだった。それが、最近また逆戻りの傾向にあって、私も一緒に、坂を転げ落ちるように調子悪くなっていた最近の鬱状態はこんなところから来ていた。でも、今度は一人で抱え込むのはやめよう、必ず夫に話して、一緒に対応してもらおう当たり前のことだけど、それが今まで出来なかった私は痛い目に遭った。少しは私も学習しなくてはね。夫に泣きながら、一人じゃ出来ないから、と言うと、だいぶ態度を変えてくれた(ような気がする^_^;)これからはもっと頼っていこう。言い換えればもっと上手に夫を使っていこう。そんなふうに思っている。そして、今日は結婚記念日。なんと20周年!なんだかんだ文句を言いながらも、よくここまでもったな~と思う。こないだ友達から「どっちが我慢強かったのかしらね」と言われた。夫も相当我慢する事はあったと思う。それはお互い様ね^^今は、20年前のときめきも何も、ほとんど、いや全くと言っていいほどないし~、早く「空気のような存在」になった方が、ストレス感じなくていいかもしれないけど、子供たちが成長して自立するまでは、もう少し頑張らなくちゃ・・・ 結婚20年は『 磁器婚式 』年代と共に値打ちが増す磁器のような夫婦ですって~~(+_+)ま、形だけでは値打ちは出ないけど、磁器のような夫婦っていう言葉は、なんとなく気に入ってしまった^^今さら遅いかもしれないけど、もう少し夫を調教して、良い家庭を作らないとね・・・20周年に寄せて(わはは^_^;)あ、たぶん夫は忘れてると思う・・・なんで、男って大事な日を忘れるの?
2006年09月28日
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毎年12月の第2日曜日に、かえでの通う養護学校の分校と、隣接する更生施設(かえでが入所してる施設)の合同のバザーがあります。かえでが小学部に入学した年、まだ私自身が息子の障害を認められなくて悲観していたけど、だんだんと前向きになり、ご近所や同級生などから、バザーで販売する品物を寄付してもらい、そのお礼に、松ぼっくりで作ったクリスマスツリーを、協力していただいた皆さんに渡したことがありました。(詳しくはこちら→『障害児を理解してもらおう』)それから毎年バザーは行われています。分校のメインは手作り品の販売。バザーといえば、どこもこんな感じかな?お母さんたちが、自分の得意とする班に分かれて、いろいろ作るのだけど、主には、ソーイング班とスィーツ班。ソーイング班のお母さんたちはすっごく器用で、エプロンや手さげ袋、ランチョンマット、巾着などなど、とてもきれいに作って販売します私はお裁縫が超苦手で、ミシンで雑巾を縫っていてもちょっとヤバイって感じミシンを使っていると「お母さん大丈夫~?」と娘に言われる・・・家庭科の時間は学校で縫わずに、家に帰ってきて母に作ってもらっていたくらいなので、私の所属するのはもちろんスィーツ班前日に養護学校の家庭科室を借りて、みんなでクッキーなどを作ります。私はもっと作りたいので、自宅で一人、特別班として一日中お菓子作り。昨年のバザーの時は、鬱病で療養中だったけど、少し調子が出てきた頃だったので、頑張っていろいろ作りました 上段左から、マドレーヌ、マフィン、カスタードプリン、下段は、アップルパイ、松の実のレモンバターケーキ、チーズケーキ本当はもう少し作りたかったけど、昨年はこれが限界でした良心的なお値段なので、もちろん即完売かえでの送迎も、PTAの仕事も、何もできなかった頃だったので、少しでもみんなの役に立ちたくて、頑張った甲斐があったなぁと嬉しく思ったものでした。このあとは、リバウンドで2日くらい寝込みましたが、充実感もいっぱいあったバザーでした。今年も12月にバザーが開催されます。私のお菓子の隠れファン?がいてくださるみたいで、「メイプルさんがお菓子とパンを出すって聞いたから」と言って、来てくださる方もいるんです。ずっと前は「メイプルさん、お店出すんだって~???」なんてとんでもないことを言う人も・・・それはデマだけど~~良かったら、皆さんも来てね~(無理だってば^_^;)実は、将来は障害のある子達と一緒に、お菓子やパンを作って販売する作業所を作れたらいいなぁって、思っています。それを実行するのはものすごく大変なことで、今の私がこんな状態では、たぶん無理だろうし、もちろん夢で終わってしまうかもしれないけど・・・いつもお菓子を作りながら、この工程なら○○ちゃんにも出来そうだなぁ、とかかえでは、こういう仕事は向くかも?とか、いろいろ考えながら作っています。もう少し、心の湖が満たされたら、また夢を追いかけて、楽しく考えていきたいなぁ~あ、今日の午後UPした日記、やっぱり愚痴はやめときますわ^^勢いで書いてしまったもので・・・でも、時々は吐き出しますので、その時はよろしくです~^_^;コメントくださった皆さん、ごめんなさいねm(__)m
2006年09月26日
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今日は、かえでの通う養護学校の分校の運動会でした。お天気も良くて、朝は曇っていて涼しいくらいだったのにだんだんとお日様が出てきて、暑くて大変でした連絡帳では、徒競走などの練習も頑張っているとのことで、実際どんなもんかな?と、わくわくドキドキ中学部の鼓笛?で入場行進が始まりました♪かえでは、小太鼓をリズムに合わせて、トントンと叩いてました。中学部の中でも一番背が高くて、こういう時は探すのが簡単だわ^^ ↑ 中央にいる黒パンツがかえで 小さくて見えん徒競走では、スタート合図で勢いよく飛び出したわりには、途中で止まってしまって、歩き出すかえで(-_-;)競争する意味が全く解っていないので、一位になろうなんていう欲がないんです。何でも競争する時代に、貴重な空間がここにはあるなぁと、いつも養護学校の運動会ではホンワカした気分になりますで、また急に走り出して、2位でゴール。わはは!走りっぷりは、まことにカッコイイ!ええ男や~足も長いし、ちょっと前傾姿勢で、スマートに走るし競争する意味が解って本気を出したら、どれくらいのタイムが出るのかしら?これは永遠のナゾかも~?かえでの走る様子を見て、「いつのまにか、こんなに速く走れるようになったんだね」な~んて、ちょっとウルウルしてしまった母でした競争しない運動会なんて、普通に考えたら意味がないのかもしれないけど、もっと大切ないろんな意味がたくさん詰まってると思いません?他にもレクレーション種目などに出て、最後に綱引き。これには来賓の方々や家族も参加して、けっこう白熱します。私は虚弱?なので、夫と下の娘が代理で参加^^どっちが勝ったのか、よくわかんなかったけど、和やかな雰囲気で楽しかった。施設に入所している青年の人達の、輪投げの種目もありました。ここでも、かえでと同様に、輪投げの意味が解ってない人が多くて、どこに輪が入ると高得点か、なんて考えていないし、投げて落ちる前に、さっさと後ろを向いて戻ってしまう人もいるし・・・観客の皆さんは、それを見て笑うんですよでも、決して馬鹿にして笑うんではなく、養護学校の運動会に集まる人は、その障害の特性がわかって笑うので、その雰囲気が、私は好き下手な漫才やコントより、笑わせてくれるかもって感じ。養護学校っていうのは、地元の人たちはほとんどいないし、障害のある子を持っている家庭同士って感じで、お互いが分かり合えて励ましあえるという利点があります。でも今の私にとっては、実はそれが少し辛いものだったりする・・・というのは、他のお母さんたちが、障害のあるわが子を一生懸命育てようと頑張っている姿を見るにつけ、自分がダメ人間に思えてくるから・・・そんなわけで、ちょっと最近ナーバスになってしまっていて、更新が出来ませんでした^_^;まとまった時間が取れなかったこともあったんだけどね~^^今日一緒に行かなかった上の娘が、「かえではどうだった?」と聞いたので、「いつもどおり、笑わせてくれたよ」と言って、徒競走のこととか、青年さんの輪投げの話をしたら、「あるあるやな」「あるあるやで」「ほないくで」と言いながら、レギュラーの『あるある探検隊』をやっていた・・・先月の関西旅行から、関西弁が流行ってる我が家。これって、あるあるやな^^明日、かえでは代休なので、一緒にドライブとお散歩でもしてのんびりします。二人のデート場所・・・それはおばあちゃんのお墓参りなのだ~
2006年09月24日
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どっぷり鬱病を経験した私は、以前とは考え方を少しずつ変えて、生活するようになった。私の体調の良し悪しは、お菓子が作れるかどうかで判断できる感じだった。今もそうだけど、お菓子を作りたい日は調子が良い日ということになっている。また、こないだの日記にも書いたように、布団が干せる日も調子が良い日この話を近所のママ友達に話したら、私の家の前を通った時、布団が干してある日はメールをくれることがある。「今日はご機嫌よろしいようで ランチにでも行きますか~?」まだ、3歩進んだかと思えば2歩下がるような感じで、ほんとにボチボチだけど、まあゆっくりやっていこうかな?と、やっと思えるようになった・・・(つもり^_^;)昨年の11月に書いていた日記より 11月21日(月) 晴れ時々曇りよいお天気。子供達が学校へ行って洗濯物干して、かえでが、M(下の娘)のシーツに鼻血を付けてしまったので洗って、ついでに私達の布団も干した。先週末は調子悪くてダメだったけど、今日は結構良くて、午前中あちこち掃除する。午前中はそれで終わってちょっと疲れてしまった。夜、片付けが終わって、毎年恒例のAちゃん(友達の娘さん)の誕生日のケーキを作ろうかと思って、材料の準備をする。(ホントは13日が誕生日だったけど、1週間遅れてしまった^_^;)親戚の伯母さんから電話が来て、いろいろ話す。私の声が前より元気になったと言われた。ほんとに最近調子良くなったと思う。前みたいに午前中寝てることもないし・・・夜8時半頃からやっとケーキを作り始める。でも前に作った通りにやって、大丈夫のはずだったんだけど今ひとつ膨らみが悪かった。明日はチョコレートババロアを作って完成させよう。11月22日(火) 晴れ時々曇り 母の命日(3年)母が亡くなって今日で3年。昨夜はそれを考えていたせいか、入眠剤飲んでたのにあんまり眠れなかった。3年前の今日、病院で夜を明かしたんだっけなぁとか、今頃はもう手術終わってたんだよな~とかいろいろ考えてた。 (母の話はこちら)。仏壇にお線香を上げて、手を合わせたら鼻の奥がツ~ンとして、目がウルウルしてきた。今日は風が少し強かったので、布団干しはやめた。今日も朝は起きれなくて辛かったけど、R(上の娘)のお弁当を作って、それから洗濯物干して、Aちゃんのケーキの続きを作る。お父さん(夫)が起きてきて「この頃調子良さそうだね」と言った。でもまた落ち込む時があると思うから、油断しない方が良いかもね。昨日買ったお肉を味噌だれに漬け込んでグリルで焼こうと思って、早速漬け込んでみた。こんな面倒な料理を作るなんて最近では珍しい。ほんとにお菓子も料理もだんだん作ることが苦にならなくなってきた感じで嬉しい。夕方、ケーキを箱に入れて、Aちゃんちに持っていく。ホールで作ると味見が出来ないので、美味しいかどうか心配。スポンジもいつもより硬かったし・・・喜んでくれるといいけど^^11月23日(水) 晴れ時々曇り 勤労感謝の日今日はお休みです。お父さんは仕事。ご苦労様。今朝は5時半頃から目が覚めていたけど、ずっと布団の中でウトウトしていて、起きたのは8時半過ぎてからだった。相変わらず目覚めが悪い。M(下の娘)は7時前には起きて自分で目玉焼きを作ってパンを食べたらしい。急にアップルパイを作りたくなったので、紅玉を6個と冷凍パイシートを買ってきた。今夜はビーフシチューにしようと思って、肉を早めに煮込んでおいて、それから林檎を煮た。キャラメリーゼ(キャラメル風味の煮方?)にしてみたんだけど、出来上がったら苦味と酸味が混じったような味で、イマイチだった。普通に煮ればよかったかも?でもほんとにお菓子も料理もやる気が出てきたと思う。うつ状態になることが少なくなってきた。今までただのズルをしてるつもりでいたけど、あれはほんとに病気だったんだ と思えるようになった。このまま良くなってくれればいいなあ。こんな感じで、少しずつ体調が良くなってきていた。自分でもその頃のことはあまり良く覚えてないんだけど、日記をつけていたことは、自分がどれくらい良くなってきているか知る上では、かなり有効だったと思う。もちろん手書きではなくて、夜寝る前に、PCのメモ帳に打ち込んでいただけだけど。気持ちの不安定さを、こうやって日記で落ち着かせていた感じまたそろそろアップルパイの季節になってきましたね早く美味しい紅玉が出回らないかなぁ作るのが楽しみ~~
2006年09月18日
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突然、変な話ですが・・・上の娘が高校に入学する時、何冊かの辞書を購入したんだけど、一冊だけでもけっこう重いし、かさばる。それを毎日何冊もかばんに詰め込んで、自転車の前のかごに入れて通学するのは大変!危険でもあるしね入学の時のしおりに、「辞書は○○書店にて、指定のものを購入してください。 自分で辞書を引いて覚えることが大切なので、 電子辞書は好ましくありません。」というようなことが書かれていたので、あえて電子辞書は買わずにいたんです。でも、フタを開けてみれば、かなりの子が電子辞書を使っているそうな・・・これ一台で、何冊分もの辞書が入っているから、全然かさばらないし、重くないで、遅ればせながら、娘も欲しがるようになりまして。誕生日(7月29日^_^;)のプレゼントも、これといって特にあげてなかったので、だいぶ過ぎてしまったけど、プレゼント代わりに買ってあげようということになり、昨日の夕方、一緒に見に行ってきました。家電の大型量販店は、たくさんの種類が置いてあって、どれも試せるように、通電してあるので、娘もさっそくどれにしようかと、電源を入れて、さわり始めました。一般生活用、学生用、英語用、など、いろいろ用途に合わせてあるのですねぇ。私もいろいろ見て回ります。「どれがいい?決まった?」と娘に聞くと、娘は一台の電子辞書で、言葉を打ち込んで、お試し中。ふと、覗き込むと、 『 う ○ こ 』 って打ち込んでるんですよー(-_-)でもって、広辞苑はちゃ~んと丁寧に、その語句の意味を出してくれます う ○ - こ(幼児語。ウンはいきむ声、コは接尾語)大便。うんち。「ほほう、う○こってそういう意味があるんだ~」なんて感心してしまったけど、よくよく見ると、娘は何台かある電子辞書すべてに「う○こ」と入力していました。「ちょっと、やめてよ~」と言ったら、「同じ言葉を入力して、どれがいいか試してるじゃん どれも同じ意味だね^^わはは! あ~、履歴が消せなくなっちゃった~~」「・・・・・」そんなわけで、その中でも音声の出るものに決定!英語のネイティブな発音が聴けるという、リスニング機能が充実してるものです。あいにく在庫がなくて、現品限りだったので、かなり値引きしてもらって、収納ケースと、修正テープみたいな形の『チェックテープ』という蛍光ペン代わりみたいなものも、サービスしてもらいました。チェックテープとやらを真剣に見る娘・・・大丈夫かよ・・・
2006年09月13日
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全く健康で何ともない時は、○時までにこれを片付けて、○時にはここへ行って・・・とテキパキやれたものだったけど、鬱病になってから、それが全然出来なくなってしまった。またまた昨年の話で申し訳ないです・・・鬱病で療養していた時、朝は全然ダメだけど、夜には少し調子が良くなるので、「明日の朝は早く洗濯物干しちゃって、その後は布団も干して、あちこち掃除もしたいな」と計画を立ててしまう。秋の長雨が続き、明日はやっと晴れそうだという日だった。でも実際に朝になると、鬱々になっていてやる気が起きず、前の晩に考えていた計画を実行できないせっかく晴れて布団を干そうと思っていたのに、調子が出てくる頃にはもう昼を過ぎている。午前中、ゴロゴロと横になりながら、いろいろ考える。布団を干したい。でもやりたくない。やろうって思ってたのに・・・ほんとはやりたかったのに・・・パッと起きて、テキパキやろうと思えばやれたんじゃない?私ってずるいだけなのかな?こんなグズグズしてるから、もうこんな時間になっちゃったよ・・・あぁ、情けない。布団どころか洗濯物もまだ半分しか干してないじゃん・・・ダメな私。今日も午前中が無駄に終わってしまう(-_-;)その日は病院に行く日だった。予約は11時半。ご近所の家は、みんな布団が干してある。どこの奥さんも、こんな秋の晴れ間を惜しむように、あちこち掃除して布団も干すんだよね。でも私にはそれが出来なかった。「私って家事が何にも出来ない(T_T)」そんなことを考えながら運転していたら、泣けてきてしまってひどく落ち込んだことがあった。診察の時、2週間の様子を先生に話す。「私・・・布団が干せないんです。 昨日の夜は、明日の朝やろうって思ってたのに、 今朝になったらやる気が出なくて・・・ どこの家も干してあるのに、 私だけ出来なくて・・・(ワ~~ン)」そう言って先生の前で泣いたこともあった。今思うとバカみたいな笑える話だけど、この時はマジで悲しかった。先生は、「今日布団が干せなくても、どうかなるわけではないから^_^; 明日も晴れるかもしれないし、ダメなら明後日だってあるしね」と言ってくださった。小さな子供に、丁寧に話すような感じだった。気持ちの浮き沈みが激しくて、泣いたり笑ったり、怒ったり落ち込んだり・・・だから、前もって計画を立てておくことをやめるようにした。それまでも、美容院へ行きたいな~とか、歯医者にも行って歯のお掃除や検査も定期的にしたいし~という気持ちはあるのに、予約の電話を入れることが出来ない。電話をするのが面倒だったりする。なんとか予約の電話を入れても、その日の朝になると、行きたくなくなってしまってキャンセルする。そんなことがずっと続いていた。でも、計画を立てなければ、その日に悩むこともないし、とにかく、その時の気分で、その日のやりたいことを決めるようにした。そうすることで、かなり気持ちが楽になった。前もって神経を使う必要は全くないんだ。もっとお気楽に考えよう^^友達のFさんの就職活動を手伝いながら、私も勤められるような仕事先はないかな?と秘かに新聞広告の求人案内や、ハローワークのHPを探すことがあったかえでが入所しているんなら、私が一人で家でボケ~っとしているなんてまずいんじゃないか?世間体を考えて、働こうか?と思った事もある。かえでが入所したのは、私の健康上の理由もあったのに、かえでが居ないならその間に私も仕事に出たいなんて、履き違えた考えだったかもしれない。子供を入所させて、自分が働きに出るんだったら、家で子供の面倒を見ろ、と周りに言われそう通院し始めた頃、一人で家にいて何もしていないのは申し訳ないから、働きに出たい、と先生に言ったことがあったんだけど、先生は、「新しいことを始めるというのは、 すごくストレスが溜まることです。 あなたは、そういうストレスのために 心が乾いてしまったのだから、 とにかく安静にしていてください!」と怒られてしまった。「じゃあ、動物を飼って癒されたい」みたいなことを言ったら、「動物の世話は大変ですよ。 癒される前に、たぶんその世話自体がストレスになる」と諭された。先生の仰ることはもちろん解る。でも、何もかも取り上げられてしまったようで、ちょっと悲しかった。その後、Fさんは無事に就職が決まり、約3ヶ月のプーちゃん生活に別れを告げて、新しい会社に元気にお勤めを始めた。少しは私もFさんの力になれたんだろうか?いつもFさんを頼って私は甘えていたけど、迷惑じゃなかっただろうか?またまた取り残されたような気持ちと、羨ましい気持ちではあったけど、素直にFさんの就職を祝ってあげた。そのあたり(11月頃)から、私もやっと暗いトンネルから抜け出せる何かきっかけのようなものが見つかった感じで、以前のように、少しずつお菓子作りを始められるようになっていった・・・復帰第1号は、これカスタードプリンでした長女 「お母さん、よく作れたねぇ。頑張ったじゃん^^」次女 「もうお菓子作ってくれないかと思ってた^^」と、2人は交互に言いました・・・
2006年09月11日
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昨年の秋、私は相変わらず鬱状態が続き、精神的に不安定な大波小波に揉まれながら、それでも少しずつ家事をしながら、ぐうたらと過ごしていた。気分的にはあまり変わってなかった。だるいし、やる気は起きないし、イライラするし・・仲良しの友達のFさんが、フルタイムで勤めていた会社を辞め、その頃、就職活動をしていた。朝、時々メールや電話をくれて、塞ぎ込んでいる私をよく連れ出してくれた。朝は調子が悪くて寝ていることが多かった私を、Fさんはマメに携帯で私を起こしてくれたお互いにヒマだったので、一緒にランチをしたり、ドライブに行ったりした。外に出ることも億劫になっていた私だったけど、お陰で楽しい時間が過ごせた川や海にドライブに行くこともあった。でも、広い水面を見ていると、何だか吸い込まれそうになる「ここに飛び込んだら、冷たいかなぁ」とか「楽に死ねるだろうか」とかそんなことばかり考えている。ふと気がついてハッと我に返ると、恐ろしくて後退りする事もあった。「死にたい」と思ってしまう時って、残される家族のことだとか、周りのことなんて全く考えていない。ただ、自分が楽になりたいとしか思えないんだろうな。自分が弱くて逃げているだけなのかもしれないけど・・・鬱病の人が、必ず考える 死にたい という気持ち。実は私も、当時すごく思っていた。鬱状態が強くて起きられないくらいの時は、「死にたい」という気持ちはあっても、具体的に何も考えられないし、出来なかった。でも、少し具合が良くなって動けるようになると、実際に行動を起こしてしまう人もあるらしい。だから、具合が良くなってきた頃の方が、要注意らしい。私もそんな感じだったのかもしれない・・・まぁ、具体的に行動を起こせるほど勇気もなかったし、そこまで深刻ではなかったのかもしれないけどね。うまく言葉で言えないけど、やっぱり心が普通ではなかったんだろうと思う。睡眠時間はたっぷり取れるようになって、身体は充分に休めることが出来ていたのに、気持ちはいつも焦っていた。みんな、 『のんびりやってね』 とか 『ぼちぼちやろうよ』 という言葉をかけてくれる。でも、初めはそういう言葉が素直に聞けなかった。私がのんびり休んでいる間に、世の中はどんどん先に進んでいってしまって、私一人が取り残される・・・そんなふうに思っていたこともあった。だから ゆっくりしてね と言われると、「私を置いて、自分だけ先に行こうとしているんだ」なんて、ひがんだりもした。Fさんは、特に鬱病のことをどうこう言うわけではなかった。大して私の話をじっくり聞くわけでもなく、普通の世間話をする方が多かった。でも、たまに私が焦っているように見える時は、「神様が、少し休みなさいって時間をくれたんだから、 焦らないでゆっくり休めばいいんじゃない? せっかくの休みを有効に使わないと、勿体無いよ^^」とさりげなく支えてくれていた近所の仲良しの奥さんも、10年位前に私と同じように心の病気になったことがあったそうで、私の事を聞いて、わざわざメールをくれたことがあった。「療養って言っても、長い人生のうちのほんの僅かな時間だから、 周りは気にしないで、ゆっくりしましょう」いつも言われる言葉と一緒なのに、不思議と彼女達の言葉は、すんなり自分の中に入ってきて、だんだんと心から休めるようになった。神様がくれた休暇かぁ・・・『ロンバケ』みたいだな、と思った。相変わらず、調子が悪い時はゴロゴロと寝ていたので、夫も娘たちも、私が寝ている時は、「うつ?」なんて言って、そっとしておいてくれた。かえでの帰宅する週末が近づくと、少し動悸が激しくなったり、鬱状態がひどくなることもあった。でも、家族の協力で、何とか乗り切れていた。かえでの帰宅に合わせて、かえでの好きなオムライスを作った時のこと。上の娘が手伝ってくれて、出来上がったオムライスに、ケチャップをかけてくれる。ケチャップで、絵や字を描いている。 (^o^)(+_+)(T_T) 可愛く描いていると思ったら、私のオムライスに、 う つ と描いていた・・・
2006年09月09日
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えっと、重い日記が続いたので、久々にパンの話題でも・・・折り込みシート(ショコラシート)というものを初めて購入したんです。賞味期限が短いようで、早めに作りたいと思い、2日連続で挑戦してみました。折り込み方がよくわからないので、クロワッサンを作るときみたいに、シートを包んで、冷蔵庫で生地を冷やしながら、伸ばして三つ折をして~を繰り返し、ジャ~~ン!なんか、ちょっとグロテスク?・・・これは、1.5斤の食パン型で編み込むように成型して焼きました^^チョコレートの甘くていい香りが、いっぱいに広がりますぅ切ったところ実は自分で作ってびっくりしてしまったこんなにうまくチョコの層ができるとは~!生地ももっちりふんわりしっとりで、う~~ん、美味しい~!なんか買ったのみたいだよーーーあ~~ん しあわせ上の娘は、毎朝、必ずご飯と味噌汁(和食党^^♪)なんだけど、これを見て「明日の朝、これ食べていっていい?」と言うんです^^嬉しくなってしまったわ~~そして、また今日は同じくショコラシートを使ってパン作り(って、このシートしか買ってないので^_^;)今日は、昨日と同じ生地で、半分を編み込んで成型して、パウンド型で焼いてみました。こんな感じで、二次発酵 で、焼いたら、こうなりました~ 断面もなかなかきれいでしょ?残り半分の生地は、細長く切ってウルトラC級のひねり?を。これがまるで生きているように、ひねってもひねっても、元に戻ろうとしてくる。端っこをちょっときつめに押さえつけて二次発酵! 焼き上がり~~(*^^)v 今日のパンもやわらかくて、すご~く良かった♪(自画自賛)娘には「え?またこれ?」と言われてしまったけど・・・^_^;私は、つまみ食い試食が多すぎて、お腹がいっぱいだよ・・・(T_T)紀子様が親王さまをご出産されましたね^^おめでとうございます実は、うちの下の娘がロイヤルな名前(一体どんな名前よ^m^)でして、皇室のことは、なんか他人事とは思えないような・・・皇位継承の問題もあるようですが、お誕生は素直に喜ばしいことです。私も3人を帝王切開で産んだので、紀子様も今頃は麻酔が切れて痛いだろうな~なんて思っております。でも、今日は一日中この番組ばかりで、さすがにちょっと飽きたなぁ・・・
2006年09月06日
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私の寝たきり生活はしばらく続いた。特に昨年の7~8月の2ヶ月間は、前回の日記に書いたような生活だった。8月の夏休み期間中も、かえでは寮で生活して、週末に帰宅するようにしてもらっていたので、例年のように、ショートステイやレスパイトサービス、学童保育に申し込んだり、調整してもらったりする事もなく、地域支援コーディネーターの人にお任せだった。というか、私自身、そういうことが出来る状態ではなかったので、お任せするしかなかったのだけど。当のかえでは、週末に帰宅すれば普段と同様に過ごし、平日は、学童保育に行ったり、ショートステイで過ごしたりしていた。何も入ってない日は、施設の社会支援部の利用者さんたちと一緒に作業をして過ごす。社会支援部の作業では、不要になった封筒の糊付けした部分を解体して、再生紙としてリサイクルに出す仕事や、空き缶を潰してそれをトラックで運搬する作業に一緒に入って、ドライブがてらお出掛けしたり、そんなことをやっていたらしい。作業には集中して取り組める職人気質のかえでは、けっこう重宝されていたみたいで、その前年の夏休みに「ギュッ」と言って、家族ごとがんじがらめになっていたことを思えば、施設で生活する事も悪いことではないのかもしれない。少し前に比べると、かえでもだいぶ落ち着いたような感じだった。帰宅した時も、添い寝しないで寝てくれることは、本当に助かっていた。私は2週間ごとに、Oクリニックに通院し、2週間の様子を話し、また薬を出してもらっていた。最初に病院へ行った時は、泣いてばかりいて、先生も少し困ったような感じではあったけど、通院も回数を重ねるたびに、泣く事は減り、自分でも落ち着いてきてるのかな?と思ったりした。かえでの主治医が「3週間くらいで症状が楽になるから」と仰っていたけど、憂鬱な落ち込んだ気分そのものは、あまり変わらないように感じた。というか、だるくてやる気が起きなくて、以前よりひどくなってるんじゃない?って感じもした鬱病というものを知らなかった頃は、気のせいだと思って吹き飛ばすことも出来たのに、知ってしまってからは、不思議な能力を持ってしまったかのように、人の気持ちを今まで以上に先回りして考えてしまったり、擦れ違う人がみんな、私を見てヒソヒソ話しているかのように感じたり、とにかく敏感になってしまった。カラカラに渇き切っていた心の湖の水は、全くと言っていいほど戻ってはいないようだった。それが薬を飲んで、3週間くらいでまた鈍感?になるんだろうか・・・私は一生、こんな能力?を持ったまま、生きて行くことになるのだろうか?だったら、ONE-PIECEに出てくるルフィみたいに、ゴムゴムの実でも食べて、ゴム人間になって、手がビヨ~~ンって伸びるような能力があったほうがいいなぁ、なんて考えたり・・・(アホ)約2ヶ月近く、パキシル、メイラックス、コンスタンの3種類の薬を飲み、少し落ち着いたかな?というところで、メイラックスはやめることになった。このメイラックスというのが、けっこう眠気が来る薬だったのか、これをやめたら、午前中に寝てばかりいることはだいぶ減ってきた。相変わらず、不思議な能力?を発揮しながら、行事の多い2学期が始まった。行事が多いということは、PTA役員の仕事も多いということ。鬱気分をごまかしながら、のろのろと学校へ行くことは、すごくいやだった。私は、それまでも人混みがもともと苦手だったんだろうけど、そういう気持ちにフタをして、どこかで自分に言い聞かせながら、人混みに出て行っていた。でももう、そういう気持ちにフタをすることが出来なくなっていた。特に参観会とか、講演会とか、会議みたいな打ち合わせとか、そういうのがすごく辛かったどうしても行かなくてはならない時は、無理に誰かに連れ出してもらうように、あらかじめ友達に電話をして、迎えに来てもらったりもした。行ってしまえば何とかなるんだけど、行くまでの気持ちが、浮いたり沈んだりして、自分でコントロールすることがすごく難しかった。誰でも、多かれ少なかれ、こんなふうに気持ちが揺れ動くことってあると思う。私も今までだってそういうことは何度もあったし、それが普通だと思っていた。でも、それがすっごく敏感に感じて心に圧し掛かってくるのは、尋常ではなかった。これも、不思議な能力のお陰?かもしれない。こんなヘンテコで敏感な能力は要らないから、ルフィのゴムゴム人間みたいな能力がほしいそれよりも、ロビンのようにハナハナの実を食べて、手がいっぱい出てくる方がいいなぁ・・・そうすれば、家事が一気に片付くし。でも、やる気がなかったら、それも使えないか・・・
2006年09月04日
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