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めずらしく本日2本目。またまたお菓子の話で、本題のかえでの話がサッパリ進みませんね^_^;2日遅れの上の娘の誕生日ケーキを作りました。4月のかえでの誕生日の時には、普通のイチゴのケーキ同じ月の下の娘の誕生日には、イチゴのババロアケーキで、今日は、ココアスポンジのラズベリークリームのケーキです昨夜、ココア生地のスポンジを焼いておきました。ココアが入るので、泡立てた卵の気泡が消えてしまうらしく、プレーンな生地より、少しかためで低く焼けました。ココアスポンジ半分にスライスして、リキュール入りのシロップを塗りますキルシュワッサーを入れてみました。あぁ、いい香りラズベリージャムを裏漉しして、生クリームと合わせて泡立てて・・・ここにもキルシュを少しこれをスライスしたスポンジにのせて、冷凍のイチゴをのせました本当はラズベリーをはさみたかったんだけど、手に入らなかったので、イチゴで勘弁してね^^上にもう一枚のスポンジを重ねて、全体をデコレーションします特に飾りのないシンプルなケーキだわ~冷蔵庫でしばらく冷やして落ち着かせてカットして食べましたココアの苦味とキルシュの香り、そしてラズベリーの甘酸っぱさが、うまく合体?して、けっこう大人のケーキって感じで、新しい美味しさ17歳だから、これくらいがいいかな?娘も喜んでくれてよかった 今日も自己満足でした・・・
2006年07月31日
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先週、奮闘した介護施設の誕生会のお菓子の続きです。2日目は 『粒あんババロア』にしました。先月にも同じものを作って、けっこう好評だったので、同じものをリクエストいただきました。使い捨てセルクルを使って作るつもりが、35個の注文数に足りないので、小さな120ccくらいのカップを使ってみました。抹茶スポンジを焼きまして、1cmくらいにスライスこの手前にあるカット台は、ケーキを2cm厚さにスライスできるように私が作ったのよ~今回は1cmだから、少し上げ底にしてカット丸くくり抜いて、カップの底に敷きます刷毛でシロップをしみこませて・・・卵黄・牛乳・砂糖・ゼラチン・生クリーム等でババロアを作ります泡立てた生クリームに粒あんを入れて・・・↑この黒い物体があんこ。混ぜるとほんのり小豆色になるの~砂糖は控えめでも充分な甘さ抹茶スポンジを敷いたカップにババロアを流します冷蔵庫で2時間ほど冷やして固めて・・・(また冷蔵庫がギューギューパンパンだ~~!)トッピングは、先月と同じくやわらかめの甘納豆4種で、できあがり~(^o^)丿このカップが、お年寄りには食べやすかったようで、使い捨てセルクルの出番は、なくなりそうです。実は私、抹茶の味ってあまり好きではなくて、子供たちからリクエストされても、ほとんど作ったことがなかったんだけど、こうやって作ってみると、抹茶味もまあまあいいじゃないかと・・・母が食わず嫌いではいけませんね^^3日目は、『シフォンケーキ』プレーンのシフォンを焼いて 冷まして ↑ 私の誕生日に、 娘がプレゼントしてくれたマグカップ^^型からはずして・・・粒あん入りの生クリームが合います!切り方がヘン・・・今月は、3日間で90個作りました。少しずつヘソクリをためるのだ!娘の誕生日のケーキは、今日、これから作ります~~
2006年07月31日
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上の娘の高校受験。一次試験の合格発表の前夜のこと。かえでが、冬に定番の嘔吐下痢と発熱・・・夕食後、居間で大人しくゴロゴロしてると思ったら、いきなり夫の膝の上にゲロ! 大騒ぎだった熱が出てきて、布団に入って珍しく早く寝たんだけど、夜中にグズグズ言い出して、隣で寝ていた私の方へ寄ってくるかえで。そしたら、私の枕の上に、また大量のゲロ! ヒェ~~ッ!布団もパジャマもグシャグシャで、あの特有の臭いと戦いながら、泣きたい気分で片付けた。その間、かえではよほど具合が悪かったようで、すぐにゲロの上で眠ってしまった。グェ~~~ッ!私はほとんど眠れず、朝になってガンガン洗濯機を回して、昨夜の汚れ物を洗ったまったく、この臭いときたら、こっちまでゲロしたくなるわ・・・正午に合格発表があるので、授業は2時限で終わって、娘は早くも11時頃には帰宅した。娘「合格した人には、午後の1時から2時の間に 先生から電話が来るみたい。 そしたら、3時に学校へ合格証書を取りに行くんだって」母「そっかぁ、でも電話来ないよねぇ・・・2次に備えて勉強しなよ~ それとも、合格発表を見に行く?」娘「行くわけないじゃ~ん。受かってるわけないしぃ。 友達がね、担任のふりしてみんなに いたずら電話するとか言ってたっけ」母「わはは!私、引っかかっちゃうかもしれない。 オレオレ詐欺みたいじゃん^^ 合格証書取りに行ったら、 えっ?貴女のありませんよって言われて 恥掻いて帰ってくる?」そんなおバカな会話をしていたら、かえでがまたゲロしてしまい、熱も高くなってきた。あぁ、お風呂に入れてきれいにしてやりたい~!いくら蒸しタオルで拭いてやっても、あの臭いが取れずに、部屋の中は臭かった・・・熱があって眠ってしまったので、今のうちに買い物に行ってこようと思い、「何かあったら電話して」とおじいちゃんにかえでを頼んで、1時過ぎに急いで出掛けた。2次試験の願書の締め切りが迫っているため、願書に貼る収入証紙を買ってきてほしいと娘に言われたので、警察署によってそれも買わなくちゃその前に本屋さんへ寄って、オレンジページの発売日だし、ちょこっと立ち読み。かえでが大変だというのに、私も余裕だわ。眠っていてくれるから少しくらい大丈夫だよね本屋さんのレジでお金を払っていると、娘からの電話の着信音が鳴った。かえでがまたゲロしたのかもしれない!本屋さんで寄り道してるのがばれちゃう。早く帰らないと・・・慌てて電話に出て「どうした?かえでがゲロした?」と聞いた。娘「今ねぇ、先生から電話が来てね、 なんか合格しちゃったみたいなんだけど・・・」母「はぁ?うっそ~?マジ?いた電じゃない?」娘「だって、先生の声だったも~ん。 ねぇ収入証紙って買っちゃった?」母「まだ買ってない。 ごめん、本屋さんに寄ってた^_^;」娘「はぁ~?」母「す、す、すぐ帰るから!」マジですか?合格?ウソでしょ?だって6.8倍だよっ?ハンドルを握る手がブルブル震えた。涙がドードーと出てきた。急いで帰り着き、娘に問いただした。「ねぇーーーーっ!すごいじゃん!やったじゃん!」相変わらず大人しい娘。「ははは・・・ でもホントかなぁ?ホントだよねぇ」なぜか、こういう時にも落ち着いている。落ち着いているというか、O型のせいかな?他はみんなB型なので、ヘンにのんびりしているように見える。母「こういうのって『棚からぼた餅』っていうのかな?」娘「いや、これは『ひょうたんからコマ』でしょ。 『トンビが鷹を産んだ』とも言う・・・」母「違う!『脳ある鷹は爪を隠す』って~」娘「はぁ~?」とにかく良かった。ホッとした。そして嬉しかった。正直、二次試験だって危ないかも?と思っていただけに、この結果にはびっくりだった。娘は頑張って自分で結果を出した。かえでも、その夜には熱も下がって、ゲロもおさまり、みんな笑顔で合格を祝うことが出来た。数日後、合格祝いに好きな物食べに連れて行ってあげる、と言ったら「お寿司が食べたい」と言った。「お寿司ねぇ(高いなぁ^_^;) たまにはカウンターで注文して食べたいね。 よし行こうか!」「回るお寿司屋さんでいいよ」遠慮しなくてもいいのに。でも、そのほうが安上がりだしね。さっそく家族で行った(かえでがショートステイで留守の時・・・)でも娘が食べるのは、稲荷、玉子、かんぴょう巻き・・・ほんとうに親孝行ですわ高校の入学式に行くところの娘と私メガネをコンタクトに替えて、高校デビュー! 今日7月29日は、娘の誕生日17歳になりました。今週月曜日から、ストパーかけて一週間の合宿に行っているので、あいにくとお祝いしてあげられません。昨夜、5日ぶりにメールが来ました。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ やあo(・∀・)食べ物が思ってた以上に旨いおかげで胃が痛いあ、事件っぽいことで、一昨日までに男子が20人ほど女風呂覗いてたらしく、今、何か大変私はそんな気にしてないけど(・∀・)それではヽ(・∀・)ノ┌┛☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆なんか笑えた。元気そうで良かった。1日10時間勉強してるらしい監禁&拷問みたい・・・脳ミソ腐ってるかも?30日に帰ってきたら、手作りケーキでお祝いしてあげようでもって、高校野球の準決勝N高 vs S商たった今、0-1で負けてしまった残念・・・
2006年07月29日
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上の娘は、かえでより2歳上で、今は高校2年生。2年前の夏休み、高校受験を控えて、かえでの『ギュッ』に付き合ってくれていた。大人しくて、いつも控えめ(母親似ですわ)で、誰とでも公平に遊ぶし、決して悪口を言わない。一人でコツコツと真面目に積み上げるタイプで、ヒマさえあれば読書をしているこれまで書いてきたように、かえでが家にいる時は、本当に大変なことが続いていた我が家。勉強に関しては、友達が塾に行き始めても、本人が学校の授業形式の塾には行きたがらなかったし、夜の塾への送迎は、かえでがいると難しいものがあったので、週1回家庭教師をお願いしていた。でも、家庭教師だけでは入試の情報もあまり入らない。希望の高校に入れるレベルなのかどうかもわからないので、中3の夏休みに、進学塾の夏期講習に行かせた。夏期講習は朝からなので、お弁当を持って自転車で行けるし、雨の日には、かえでのドライブがてら送迎できる夏期講習で洗脳?された娘は、入塾したいと言い出し、かえでの事もあるのでいろいろ考えたけど、本人がその気なら、何とかしてあげようと思った。かえでがいるから受験に失敗した!なんてことになったら、可愛そう過ぎる。早速入塾の手続きをし、かえでのことはおじいちゃんや夫に任せて、2学期から、週2回19時~22時の授業の送迎をすることになった。時には、おじいちゃんが休肝日だと言って、晩酌しない日を作ってくれて、送迎をしてくれることもあった。夫は、仕事が一週間ずつの交替勤務なので、なかなか夜の送迎は頼めなかった。親は、お金を出すことと、勉強しやすい環境を作ってあげることしかできない・・・かえでが、「自閉症」と「知的障害」を持っているということで、家族も変な目で見られたくない。特に姉妹には肩身の狭い思いをさせたくない、という気持ちがすごくあった。親が頭悪いから、こういう子が生まれた、そういうふうに思われる事もイヤだった。見栄を張っていたのかもしれないけど、私はかえでが小学校に入る頃までは、人に知られることがイヤで、かえでの障害のことはとにかく隠していたかった。だから、派手なことをするのを避けていた。目立ちたくなかったから。まぁ、今はそうでもないけどね~娘2人に関しても、しっかり育てようという気持ちで頑張ってきた。ここで結果を出してほしいし、出させてやりたい。娘は塾に通うようになって、特に成績に変わった事もなかったけど、塾のない日も、かえでの大きな声を気にしながらも頑張っていた。かえでも夏休みの頃に比べると、だいぶ静かに過ごせるようになってはいたけど、もしあまりにも大変だったら、娘の受験が終わるまで、ショートステイでお泊りする寮に、短期入所させようか?ということも考えた。今まで頑張ってきたから、良い環境で受験させてあげたかった。でも、やっぱりかえでは家族だし、この環境が我が家そのものだし、それでダメなら、娘の実力もそこまでだったということ。いろいろと複雑な思いはあったけど、娘自身がそのままでいいと言った。年が明けて2月。いよいよ公立高校の入試の一次試験が始まった。市内の進学校であるN高に願書を出した。一次試験の募集は定員の20%で、駅から近いので、通学に便利という理由もあってか、倍率は、6.8倍だったこりゃ無理だ・・・塾でも2次試験に備えた勉強が中心だったし、一次試験は捨てて、2次に賭けよう!一次は気楽に、場を踏むと思って行っておいで~そんな感じで送り出した。帰宅した娘に「どうだった?」と聞いたら、「まあまあ。一応全部埋めてきた」とのこと。「あんたが全部埋めれたなら、他のみんなもそうだよねぇ~」なんて言って、一次試験は結果を待つことになった。発表は、1週間後。 果たして結果は・・・
2006年07月27日
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今月も、介護施設から頼まれた、お年寄りのお誕生会用のお菓子作り(先月はこちら)6月に作ったムース2種が美味しかったよ~と言ってもらえて、再びリクエストを頂き、今月も同じレシピで作ります。今月は3日間。1日に30個前後なので、それだけ利用しているお年寄りがいるということです。今日のオレンジムースケーキは、こないだはホールで作って切り分けたのですが、私は型を2つしか持ってないので、3ホール作るのには無理があって、けっこう大変(+_+)そこで今月は、一人分ずつの使い捨てセルクルで作ります。またまた冷蔵庫がいっぱいになってしまうのだけど、こういう時に冷蔵庫のお掃除が出来ちゃって、すっきりしました^^今日は全部で30個下にスポンジを敷いて、オレンジムースを流してムースが固まったら、オレンジゼリーを流して上にはミカンと白桃を 午後の2時にお届けして、1日目終了です。お年寄りの皆さんが、どんな顔で私の作ったお菓子を食べてくれているのでしょう?作ることに必死で、食べてくださる方の気持ちを考える余裕がなかったけど、良い誕生会になるといいなあと思います。明日は、粒あんババロア。これも先月と同じケーキだけど、下に敷くスポンジを抹茶スポンジにしようと思って、先ほど2台焼いておきました。また明日も頑張らんと~~
2006年07月25日
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今日は、私のつぶやきでございます ・・・スーパーで買ったサツマイモが、その辺に放置されていてため、芽が出てきました本当は、娘の好きな大学イモを作って、お弁当に入れてあげようと思っていたんだけど、私ってすぐ忘れて放置しちゃうんですねぇ芽が出ていない方の半分だけ使ったけど、残りは料理に使うにはちょっとねぇ・・・そこで、芽が出ているところを切って、水に浸けておいてみました6月26日横向きに放置されていたので、明るい方に向かって、芽が出ていました。切って水に浸したら、下向きになっちゃった~6月27日なんと次の日には、しっかり上を向いている!たくましいなぁ葉っぱもきれいに開いてきたしやっぱ、若いとツヤツヤしてますねぇ7月10日次々に新しい葉っぱが出てきて、グングン伸びてますお水はアルカリイオン水(贅沢なサツマイモ・・・)毎日換えてまっせ~7月24日今日はもうこんなになってます!ずいぶんカメラをひかないと全部が写らないくらいキッチンの窓際に置いてあるんだけど、風が吹き込んで、倒れてしまいましたで、何が言いたいかと言うと、 ここまで育てたサツマイモを、どうすればいいのでしょう?土に植え替えてあげれば、サツマイモができるの?そのまま捨てちゃうのは、なんだか可愛そうな気がして。どなたか、教えてください~~~大きなサツマイモが収穫できたら、スィートポテトを作りますんで~♪
2006年07月24日
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かえでの手繋ぎ「ギュッ」は2学期が始まってからも続いた。学校から帰宅して、夕食の支度をしている間、下の娘がずっと手を繋いでいてくれた。面倒見がいいので、かえでも妹が好きだった。そのせいで、私の次に攻撃されやすかったけど、下の娘は上手に相手をしてくれた。それに比べて、夫はというと・・・(-_-;)手を繋いでいると、自分の事が全く出来なくなるので、なんとかえでの両手首をタオルで縛っていた!びっくりしたそうしてそんなひどいことをするの~?車の中で私に向かってきた時、前任のK先生が、膝の上に置いた手にタオルをかぶせて、手を出さないように教えてくれたことを、夫は自分なりに応用して考え付いたようだった。気持ちは解るけど、でもちょっとひどすぎない?すごくかえでが可愛そうになってしまった。不憫に思えた。痴呆の老人や、アルコール依存症の患者さんが、ベッドに縛られて身動きできなくなっているような感じだった。私がそれに対して、止めてほしいと言うと、夫は「オレがやることに文句があるのか」とは言わなかったけど、明らかに、面白くないという表情だったそこまで家族が追い詰められているくらい、かえでが帰宅してからは大変だった。夜、寝る時は私とずっと手を繋いで、寝かしつけていた。かえでは、以前おばあちゃんがよく歌ってくれていた歌を思い出して、歌の出だしをちょっと自分で歌って、私に歌ってほしいことを催促する。毎晩、何曲か歌った。カラオケで歌うことは、好きなんだけどねぇ・・・疲れて、一緒に横になっているとウトウトしてしまう。目を閉じると、不機嫌そうな表情に見えるのか、「オキテ」と言って起こされる。眠くて眠くて、またウトウトすると、だんだんかえでは機嫌が悪くなってきて、私に向かってくる。居眠りしているところをいきなり叩いてくるので、これはかなりきつかった。かえでが眠るまで、私が眠ることは出来なくて、夜が来るとうんざりしてきた。年齢が大きくなってきて、入眠剤もだんだん効かなくなっているような気がした。5年生だった下の娘は、国語の時間に『川柳』のことを勉強したそうで、『勉強』『行事』『友達』『家族』などのテーマがあり、自分で好きなテーマを選んで川柳を作ったらしい。娘は『家族』を選んで、詠んだ句。 うちの兄 自閉症で マジ大変 短い句の中に、普段の自分の思いがうまく入っているような気がして、笑えるやら切ないやら・・・担任の先生が話してくれた。「かえでくんのことを学校でも話してくれますよ。 『お兄ちゃん大変だから、私がいないと困っちゃうんだよ』って」そかそか先生に話すくらいだから、何となく大丈夫だなと思った。ちょっと安心したところで、私も一句 自閉症 笑えるネタで ブログ書く ・・・ って、笑えないよ~~~っ
2006年07月23日
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かえでは、6年生になった頃から「オーラップ」という精神安定剤を処方してもらって飲み始めた。この薬は、飲むとかえって興奮してしまう感じで、よけいに大変になってしまったので「ニューレプチル」という薬に替えてもらった。そしたらけっこう落ち着いてきた(ような気がする)。睡眠障害も出ていて、夜中に目を覚まして大きな声を出していたり、朝早くから起きだしたり、それも大変だったので「レンドルミン」という入眠剤も処方してもらっていた。薬は1か月分しか出ないので、毎月病院へ行っていたけど、毎月かえでを連れて行くのも大変で、見かねた先生が、かえでは連れてこなくても様子を話してくれればいいから、と私一人でもOKにしてくださった。夏休みなどには顔を見せに来てね、と言われていたので、中学生になった最初の夏休みにかえでを連れて行った。運転中に後ろから攻撃されることは、もう滅多になかったけど、たまたま夏休みで、下の娘が一緒に行ってくれると言うので、ヘルパー代わりに下の娘を連れて行った。後ろのシートでかえでと並んで座ってくれている。いつも下の娘はよく面倒を見てくれて、本当に助かっている。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆かえでを連れて病院へ来たのは半年ぶりくらいだった。その半年前の時は、待合室で順番を待っていることが出来なくて、どんどん診察室に入っていこうとするかえでを「まだよ~」と言って引き止めた。かえでにとって待つということは、本当に苦手で、見通しがつかないことなので、全然納得できずに、泣いて怒ってしまい、ちょっとパニック状態になったという事があった。しばらく泣いて大声を出していたので、周りの患者さんが振り返って見ていて、すごく体裁悪かった。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆病院へ着いて、いつものように精神科の待合室で三人で座って待っていた。かえでは半年前と変わらず、どんどん診察室へ入っていこうとする。半年前と同じように「まだよ~」と引き止める私・・・するとやっぱり少し泣いて怒ったけど、すぐに呼ばれて診察室に入り、20分ほどの診察。いつもなら、診察室にある玩具や箱庭の砂で遊んだりしているけど、かえでは、何となくいつもと様子が違った。「クムマ(車)」と何度も言って帰りたがる。診察室を出ると、下の娘の手を両手でギュッと握って、自分の方へ引き寄せるようにしながら歩いている。まるで、お化け屋敷に入ってドキドキしながら彼氏の手を握っておびえたように歩く若い娘?のように(例えがヘン)。帰りの車の中でも、帰宅してからも、それはずっと続いた。家族の誰かしらの手を握っていた。私がトイレに行こうとすれば、後追いまでして付いて来た。一体どうしたっていうんだろう?どうして急に、おびえたようになってしまったんだろう?さかのぼって考えると、病院の診察の頃からだった。たぶん、半年前に行った時のパニック状態がフラッシュバックしたようだった。ただでさえ時間の潰しようが無く、楽しくない夏休みがさらに最悪な状態になった。一日中リビングでエアコンをつけて、小さい子の昼寝用のような布団を敷いて、そこでかえでと私は、ゴロゴロして過ごした。夜寝る時も、一人で布団に入って眠れなくなり、隣で私がずっと手を握っていなければならなかった。ちょっと手を離すと「ギュッ」と言ってきた。手を繋いでいるのに「ギュッ」と言うこともあった。「ギュッ」というのは、「手をギュッと握っていてほしい」という、かえで語車に乗る時は、後ろから「ギュッ」と言って手繋ぎを要求してくる。私は右手でハンドルを持ち、左手を自分の肩の辺にあげて、かえでの両手を握り、片手運転をした。危険だけど、それしか方法が無い。死ぬ時は一緒だわ・・・ そんな思いで運転した。中3だった上の娘は、夏休みの夏期講習に1日おきに通い、その合間を縫って、学童保育所へお弁当を持ってボランティアに行き、さらにその合間を縫って、勉強とかえでの「ギュッ」に付き合ってくれた。私と姉妹の三人で、かえでの面倒をひたすら見ているという夏休みになってしまった。冷え性の私は、エアコンの効いている部屋にずっといると、体調が悪くなってしまう。だるくて疲れが取れなくて、身体がふやけたような感じが続いた。夏休みの終わりごろ、小学校の奉仕作業があり、夫にかえでを頼んで、久々にお日様の下で作業をした。近所の同じ歳の子を持っているお母さんと喋りながら、校庭の草刈りをしている時、「かえでが今、けっこう大変になっちゃって、 こんな時におばあちゃんが生きていてくれたらね~」なんて、話した。その近所の家の高校生のお兄ちゃんは、高校で先輩のリンチを受けてひどい目に遭い、先生の対応も悪くて、高校を中退したという話を聞いた。「障害が無くても、みんな大変な思いをしてやっているのよ」と言われた。私は、かえでに障害があることをすごく悲観していたけど、健常な子でも今はいろんなことが起こるご時勢だし、我が家だけが特別ではないのかもしれない。でも、障害を持って生まれてくるって、本当の不可抗力だし・・・つまり、はっきり言って、不登校とかいじめとか不良になっちゃうとかは、生まれてからの育て方とか環境とか、後になって原因があるものだと思う。どこの家でも、子供がいたら大変だということなんだけど、私は、かえでが手が掛かって大変な分、姉妹はまっすぐ育つよう、努力してきた。だから、普通の子がいる家庭では、もっと子育てに努力してもらいたいとすごく感じる。(って生意気でごめんなさい)夏休み中は、ショートステイ、レスパイトサービス、ホームヘルプサービス、学童保育等をふんだんに使って、家にいる間は、かえでの「ギュッ」に付き合い、なんとか夏休みも終わりを迎えた。長い夏休みだった。9月1日の朝、やっとかえでから開放されて、先生に引き渡す例の美人教師H先生は、かえでがフラッシュバックして怯えたようになった頃、電話を入れたんだけど、ずっとお留守で、なかなか連絡がつかなかった。代わりに、別の頼れる隣のクラスの先生と教頭先生が学童保育所やショートステイでの様子を覘きに行ってくれて、1週間位してからやっとH先生が電話をくれるという感じだった。たぶん、H先生もどうしていいのかわからなくて、戸惑っていたのだと思うけど、こんな困っているときにこそ、体当たりで熱意を見せてほしかった。さらにがっかり・・・同じ日、上の娘は、学校から帰ってきてすぐさま、「かえでは今日どうだった?無事に学校行けた?」と聞いてくれた。普段口数の少ない娘だけど、こうやって心配してくれて、本当に嬉しかった娘も大変だっただろうに、ありがたいなぁと思った。受験を控えているのに、負担をかけてしまって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
2006年07月21日
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かえでは、いよいよ中学生になった。仕事も辞めて一年ぶりくらいで養護学校への送迎をするようになり、毎朝、他のお母さん達とわいわい喋って、貴重な情報交換(というかただの世間話)に花が咲いた。自閉症のスペシャリストK先生とお別れし、新しい中学部の先生は、というと・・・それは普通の中学校から転任してきた、私より少し(いやだいぶ)若い女性の先生だった。3年間「交流研修」という形で、普通の小中学校から養護学校に転任してくる先生がいる。養護学校から普通の学校へ行く先生もいる。小学部のときにもそういう先生が担任になったことがあった。何しろ養護学校が初めてという先生なので、障害児、特に自閉症児の特性がほとんどわかっていない。親でさえ我が子を知るのにこれだけ時間が掛かっているというのに、障害のある子供とふれあう事も初めてなのだから、保護者が一から教えていかなくてはならない。「また、交流研修の先生だよ~」とかえでの同級生Tくんのお母さんと嘆いた・・・Tくんも自閉症で、かなりファンタジーで神経質なところがあり、担任が出張でいないだけで、混乱してすごく不安定になる。新任のH先生はすごく(いや私よりちょっと)美人だけど、声が甲高いのが災いして、Tくんのご機嫌を損ねた。Tくんは、こういう声に敏感なのだ!H先生が喋ると耳を塞いでしまう。でも、H先生はそれに気がつかない。Tくんのお母さんも、やっぱりそれをなかなか先生に言い出せない。「先生の声が甲高くて、うちの子、嫌がってるんです」なんてことは言い難いので、仕方なかったのだけど・・・言う事を聞いてくれないTくんに対して、H先生はさらに声を高めていった。あぁ、最悪の展開・・・1学期の早いうちに、Tくんは神経ピリピリになってしまい、全く食事を取らない状態になったほど。H先生がすごく熱心に頑張ってくれているのはとても嬉しいことだけど、どこかポイントがずれている感じ熱意が空回りしてしまって、どうにも子供たちが付いていけなくなっている。でも、これまでの交流研修の先生は、早くに自閉症の子供の気持ちを汲み取って、すぐに養護学校仕様のイケてる先生になっていってくれた。H先生にも期待しよう・・・家庭訪問の日。地図を見ても、よく解らないと言うH先生は、かえでを学校へ迎えにいった時に、ナビをしてください、と言って、私の車の後ろについてきた。私はかえでを別の学童保育所に送るため、H先生にも、一緒に学童保育所へ寄ってもらった。どんなところで放課後を過ごしているのか、前出のK先生もよくのぞきに来てくださったことがあったので、H先生にも見ていただきたいと思い、ちょうどいい機会になったなぁと、かえでを連れて保育所の中へ入っていった。あれっ?H先生は?振り返ると、H先生は車の中に乗って待っている。H先生、「あっ、私、ここで待ってますから~」えっ?見て行こうっていう気持ちには、ならないのかしら?「あの~、すぐそこなんですけど、良かったら見てみません?」と言うと、「そうですか・・・」と、仕方無さそうに車から降りてきた。そして、遠巻きに眺める程度で、興味はないようだった。がっかりしてしまった。あの熱意は、上辺だけだったのかな・・・空回りして当然のような気もした。学童のスタッフのかたが、H先生に気付き、「かえでくんの担任の先生ですか~?こんにちは~! 良かったね、かえでくん。先生が来てくれたね。 私達も担任の先生の顔を知っていたほうが何かと良いしね~」と言ってくださった。先行き不安な中学部は、更に不安を増して、始まっていった
2006年07月19日
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今日の午後、上の娘がストレートパーマをかけると言って、美容院へ行きました。私もそうだけど、娘ももともとストレートで、ほとんどクセがないのだけど、朝起きると、後ろの方が寝グセでクシャクシャになっているものだから、毎朝、私に「ブローして~」と言ってくるのです来週から、高校のサマーセミナーがあって、1週間の勉強合宿に参加するので、朝、寝グセがつかないように、ストパーをかけたいということで・・・まあ、あまり物をねだらないような大人しい娘なので、それくらいいいだろうと行かせました。行っている間におやつを作っておいてあげますあぁ、なんてやさしいお母さん(自分で言うなっ)昨日のいかぽんままさんのところで見かけたアールグレイとクリームのマフィンを思い出して、作ってみたくなったのだけど、あいにく紅茶もクリームもない・・・そーだ^^ ラム酒に漬けてあったミックスフルーツがあったな~(いつ漬けたんだっけ?)これを混ぜて作ろう。というわけで、サクサクっと作りました。暑い時って作るのが大変だけど、バターも卵もすぐに室温になってくれるから、作業がしやすくて、けっこういいですよね~見た目はごく普通・・・ドライフルーツを漬け込むとき、たっぷりとラム酒を使ったのだけど、時間が経って(経ちすぎて)、しっかりと全部フルーツに浸み込んでいて、出来上がったマフィンは、すっごくラム酒が効いていました下の娘が食べたら、 「なんかこれ、酔いそう~!」 って・・・私も食べてみたけど、これはまさに 『大人のお菓子』 でしたでも、ものすごくいい香りで、ラムレーズン大好きな私的には、ハマりそうな味美味しかったです上の娘が、美容院でお金が足りない~~~と言って電話をかけてきた・・・ストパーって普通のより高いのね。知らなかった娘の誕生月で30%OFFでも、18,000円だと!仕方ないけどさ~ホームベーカリーが買えちゃうじゃん・・・
2006年07月17日
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私が会社を辞めると決まった3月上旬。さっそく、かえでと二人で車に乗れるように練習を始めたかえでの担任の自閉症のスペシャリストK先生も協力してくださった。まずは学校の帰りに一緒に車に乗って、どんな感じで車に乗っているか、様子を見てくれて、シートベルトをかえでが自分で締めるように練習させてくれたり、私に向かって手を出しそうになると、手を膝の上に置かせて、その手にタオルをかぶせて、手を出してはいけないことを教えさせてくれたりした。とにかく私の車には乗ろうとしないので、夫の3列シートの車の最後部に乗せて、自分でシートベルトをさせて、運転席の私に手が届かないようにすれば、物理的には問題ないけど、気持ちの上で、かえでが私と車に乗らないというこだわりを取りたかった。おじいちゃんは、自分が送迎していたものだから、仕事がなくなっちゃうのを恐れたのか、「送迎くらいオレがやる!」と言ってくれたけど、おじいちゃんには『ゴミ出し主任』という大きな仕事があるから、送迎はこれから私にやらせてほしいと、お願いした。それから少しの間、私は夫と車を交換して、かえでを一番後ろのシートに乗せて送迎した。それが慣れてくると、今度は真ん中のシートに座らせてみた。手が届くので、後ろから攻撃される危険もあったけど、シートベルトをさせて、タオルを手にかぶせて、何回か挑戦した。夫の車だったら、なんのこだわりもなく乗ってくれるようになった。そうやって、約1ヵ月練習して、とうとう中学部の入学式の日、私の車にも以前のように乗ることができた。普通なら、車ならなんだっていいじゃんって思うところ。これだけのことで、何日もかけて練習しなくちゃいけないなんて、全く時間の無駄のように思ったけど、これが、かえでと私の絆を深めてくれたと思うようにしたい。『北風と太陽』の北風のように、無理やり押さえつけて乗せることも、やろうと思えば出来たけど、やっぱり太陽のようにやさしく温めて、かえで自らが変わっていってくれるのは、見ていて嬉しかった。このあとは、誰の車にもおりこうさんに乗れるようになって、手を出してくることもほとんどなくなり、休日は、かえでとドライブできるのが嬉しく、買い物がてら時間を潰して、あちこち出掛けている。少しずつ問題行動を克服しながら、かえでは中学生になった。K先生は、卒業式の時にも、かえでが安定して式に出席できるように、いろいろと心配してくださった。4月には新しい職場に移ったにもかかわらず、入学式の心配までしてくれて、前夜にも電話をくれたり、本当にありがたかった。K先生は、まさに『太陽』のような先生だった。新任の先生はどんな感じだろう?良い先生だといいなぁ・・・そして、私はまたどこか働けるところはないか、三食昼寝付きの専業主婦をしながら、秘かに無料求人誌をながめる毎日になったあっ、でも昼寝はしてませんから~~
2006年07月16日
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かえでは、自傷とこだわりの中、6年生になった。4年生の時からずっと担任してくれているK先生(女性)が引き続き担任になって、すごく心強かった。K先生は、本当に自閉症のプロフェッショナルって感じで、私より一つ年下で、なんと同じ高校を卒業していた。娘さんがかえでと同じ歳で、うちの娘と同じピアノ教室に通っていて、なんだかすごく親近感があった。同じ母親同士でも、こうして信頼のおける教師という職について、フルに頑張っている女性もいるのだ。すごいなぁ~~、と同姓として憧れる一人だった。かえでは相変わらず私と二人きりでは車に乗ってくれなかった誰か一緒に乗る人がいればOKで、出かけるにも二人がかりで大変だったけど、父(かえでのおじいちゃん)が送迎をしてくれて、本当に助かった。私も用事がない限り、仕事にも頑張って行った。パート勤務なので、9時から15時まで働いて、買い物して帰って、かえでが帰宅する17時頃までに、家事をテキパキと済ませて、かえでに付き合えるようにした。その頃の私は、母を亡くした悲しみを味わう暇もないほど、とにかく忙しかった。気持ちの中では、今まで支えになってくれていた母が突然いなくなり、テーブルの足を一本もぎ取られたような感じで、その足りなくなった一本を、自分自身の余力で何とか埋めようとしていた。そうやって、気持ちを張り詰めていっぱいにして、バランスを取っていた。でも毎晩のように、洗い物をしている時や、ふとした時に、知らんまに涙がハラハラと流れていた。あまりにもめまぐるしい毎日で、母が死んだことの実感が全くないような感じがしていたけど、涙だけは、止まることなく流れ出てきた。こんなに泣いたら、水分が不足して脱水症状になるんじゃないかと思うくらい、涙はどんどん出てきたお陰様で、体重が何キロか減ったどうせならもっと痩せてやるぞ~!なんて思って、ダイエットの真似事をしたら、見る見るうちに5キロ減ってしまった。嬉しいような怖いような・・・会社のお局様が、私が痩せたことに嫉妬?して、「どうやって痩せたの?」としつこく聞いてきた。うるさかったので「恋をすると痩せますよ」と言ってやったら、「そっか~~」と、なぜか嬉しそうだった。まさか実行する気~???でも、痩せると胸がなくなっちゃうから、無理なダイエットは禁物ですよ~~大好きなパンやお菓子作りは、忙しくてあまり出来なかったけど、会社の若い女の子の誕生日にチーズケーキを焼いていってあげたり、休みの日に、パンをたくさん作って余ったら持っていったりしていた。家で大変なことはたくさんあったけど、仕事して紛らわして、また家で頑張るって感じで、悲しみを上回るくらい、充実した毎日だった。下の娘の小学校の役員もあった。私は広報部の平部員だったけど、気の合うメンバーばかりで、とても楽しく活動できた。夜の会合のときは、かえではショートステイでお泊まりを頼んで出掛けた。休日も何かと用事が多く、母が居た頃は、母にかえでを任せて用事を済ませていたけど、それができなくなってしまったので、どうしても以前よりショートステイやレスパイトの利用が増えて、金額もぐんと上がってしまったでも、かえでは休日にショートステイで出掛ける方が、家にいるより楽しそうだった。お互いのためになるショートステイで、本当に安心して任せられる第2の家庭という感じだった。かえでの小学校生活も卒業に近づいてきた3月。勤めていた会社の業績があまり良くなくて、パートの私は仕事がなくなってきてしまった切られるなら、一番立場の弱いパート社員からだろうと思った。たぶん辞めなくちゃいけないだろうな、と思っているところに「解雇」の話が来たわかってはいたけど、やっぱりショックだった(ToT)でも、かえでも中学部になるし、上の娘も中3になるので受験生だし、下の娘が何だかちょっと荒れ模様だったし、私も今度はしっかり育児に集中しようと思い、解雇を受け入れ、3月末の工期の終了に伴い(土木建築業の会社だったんですぅ^_^;)書類を完璧に仕上げて、公共工事の最終検査を終えて、会社を辞めることになった。社員の皆さんが 「辞めるなんて勿体無い」 と言ってくれて嬉しかった。お局様は 「惜しい人をなくすわね」 なんて言ってたけど、彼女なりの愛情表現?だと受け止めてよろしかったかしら(勝手に殺すなよ~)ちょうどその頃、学童保育所のスタッフで、かえでをとても可愛がってくれてたEさんが辞めてしまうことを聞いたまた、養護学校の自閉症のプロフェッショナルK先生も異動で転任することがわかったせっかく良い調子で来ていたのに、ここへきて仕事も先生も、私の周りのお気に入りの全てが無くなっていくようで、ものすごく落ち込んでしまった。約一年間、おじいちゃんが送迎をやってくれて、ずいぶん助かったけど、仕事を辞めて専業主婦に戻ったら、かえでの送迎くらいは出来るようにしたい。それもできない専業主婦なんて、ホントに情けないしね・・・かえでは、私と一緒に車に乗ってくれるだろうか?とにかく何とかして、出来るようにしなくては・・・ 会社を辞めるって決まってちょっと落ち込んでいた頃・・・養護学校のPTAで行った日帰りバス旅行の時のかえでと私ボケ具合がちょうどいいかな?K先生が撮ってくれましたこのあと、後ろに見える観覧車に、3回も乗りました(T_T)
2006年07月12日
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お菓子はよく作っているけど、パンを焼くのは久しぶり!(^^)!こないだから作ろうと思っていた 『ぱくぱく★しゅがーぼーるぱん』 リンクさせていただいている、shunさんや、いかぽんままさんのところでこのパンのことを見掛けてから、久々にパンを焼きたいなぁとは思っていたのだけど、なんだかんだと時間がなくて、なかなか取り掛かれなかった。パンは時間が掛かるし、フードプロセッサーを出して、材料を細かく量ったり、発酵させたり・・・私の中では、『パン=すぐにパッと思い立って作れるものではない』というふうになっていました。作るなら、時間があって、自分の気持ちに余裕があるときでないとダメだと思ってたんだけど、何かの占いに、「思いついたら即実行。自分の気持ちに素直に向き合うと吉」なんて書いてあった~すぐに本気にして、したがってしまう私・・・このパン、二次発酵がいらないというのが魅力的お手軽に出来そうな感じがするし、暑い時だから、手際よくやりたいしね^^思い立ったが吉日 昨日は特に用事もなくて、絶好のチャ~ンス早速、やってみました(^o^)丿うちはホームベーカリーがないので、フードプロセッサーで生地をこねます。ガタガタ、バタンバタンとすごい音^_^;一次発酵の後、小さく丸めて休ませます。これをまた半分にして、丸めて焼きます。焼きたてにバターとグラニュー糖を絡めてできあがり~^^たこ焼きみたいに小さくてかわいくて、ふんわりしてて、甘くて、美味しい♪ネーミングの通り『ぱくぱく』食べられちゃうパンです。たこ焼きサイズが50個できたけど、娘が半分くらいすごい勢いで食べまくっていました。お世話になっている英語の先生にお裾分けする分を、急いで取り分けて、あとはみんなで美味しくいただきました。パンはめんどくさいところもあるけど、やっぱり作る楽しみってあるよね~~^^また作っちゃおっとホームベーカリー、ほしいなあ・・・介護施設のお菓子作りを頑張って、ヘソクリ貯めて買っちゃおうかな~持っている方、どんなサイズのどんな機種がいいのか、いろいろ教えてくださいまし~
2006年07月11日
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母が亡くなって、一ヶ月くらいはバタバタしていた。仕事は辞めようか迷っていたけど、とりあえず続けられるところまで頑張ってみようと思って、10日ほどお休みを頂いたけど、またそれまでと同様に勤めることにした。自分がやらなくちゃ!っていう責任感で気が張っていたせいか、周りの人たちが気を遣ってくれるけど、「大丈夫だよ~」って感じで、私は以前より明るく張り切っていたような気がする。おばあちゃんが死んだ事も理解できないかえでは、そのことで泣くわけでもなく、普段と変わらなかった。相変わらずハサミでチラシ広告をチョキチョキしていたけど、ハサミをおでこにぶつける自傷はエスカレートしていた。ぶつけては泣いている。あまりにも切ないので 「もう止めようね」 と取り上げた。かえでも余程痛かったのか、すんなり私にハサミを手渡してくれて、それ以来ハサミを見つけると、どこかに隠してほしいという感じで、私にハサミを持ってくる。こうして 『ハサミで広告を切ること』 と 『ハサミをおでこにぶつける』 というこだわりは、ここで終止符を打った。やれやれと思ったのも束の間・・・納骨が済んで、そろそろ学校が冬休みになるという頃、今度は、おでこを壁や柱、家具などにゴンゴン当てるようになった下の娘は「"タンスにゴンゴン一年中~"だねぇ」なんて言っているので、私も笑っちゃったけど、これもエスカレートしていき、おでこにはコブができて、流血もして、かさぶたになると剥がして、という事を繰り返していた。ゴンゴンやっても痛くないように、おでこの傷に絆創膏を貼り、そのうえをバンダナで覆った。バンダナでは薄いので、100均で売っていたパイル生地のヘアバンドのかっこいいヤツをつけさせた。これで少しは当たっても大丈夫かな?という程度のものだったけど、直接ぶつけるよりマシだろうと思った。初めはイヤがって外そうとしていたけど、これが新たなこだわりになってしまい、つけているのが当たり前になると、朝から晩まで、寝る時にも取ろうとしなくなった。おでこの自傷に加え、次は手の甲を、自分で強く血が出るまで噛みつくようになった。これには、手袋で対処した何かで覆っていれば、噛むことはなかったけど、これもこだわりになってしまって、手を洗う時とお風呂以外は、ずっと手袋をしたままになってしまった。指先が使えないのも困るので、かえでのお気に入りは、指なし手袋だった。朝、学校へ行く時には、ランドセル、着替えのバッグ、ハンカチ、ソックス、ヘアバンド、手袋を身につけての登校だった。手の甲が噛めなくなったせいか、持っているハンカチや、トレーナーの首もとの部分などを噛んでいることも増えた。おばあちゃんのいない寂しさを上手く表現できないから、こうやって何かを噛んで紛らわしているように思えた。少しでも自分の気持ちを伝える手段を知っていたら、もう少し何とかなっていたようにも思うのだけど。私に向かってくる事も、以前と変わらずに、頻繁にあった。だんだんと車に乗っている時の攻撃が激しくなり、ついには私と二人で車に乗ることを嫌がるようになった。誰かほかの人が一緒にいれば、かえでも乗ってくれるのだけど、私と二人で乗ることはダメだった。朝、仕事に行く前に、かえでを養護学校へ送っていたので、それが出来なくなってしまい、おじいちゃん(私の実父)が送迎をしてくれるようになった。おじいちゃんと二人で乗ることには、全く抵抗が無いようで、私はおじいちゃんに負けたような気分だった。私、母親なのに、かえでに嫌われてしまった母親の資格なんてないんだ・・・そんなふうに思えてしまって、すごく悲しかった。でも父は、かえでの送迎という仕事ができたので、自分の出番とばかりに張り切って引き受けてくれた父には、かえでの送迎と、ゴミの日にゴミを出すことを頼んだ。今や父は、私よりゴミの分別に詳しい、我が家の『ゴミ出し主任』になっているそうやって、かえでは6年生になっていった。母の死から約4ヶ月の間に、かえではたくさんの自傷や新たなこだわりを作り出し、問題行動が増えてはいたけど、ハサミをやめたこと、偏食が治ってきたことなども嬉しい出来事で、本当にいろんなことが次々とあった頃だった。よくやっていたなぁ~なんて、今になって思ってるけどね私の人生の中で、一番フル回転してた時だったかもしれない・・・
2006年07月10日
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なんだか、最近はバタバタと時間が過ぎていくことが多くて、PCもまともに開くことが出来ません(>_<)日中は、これでも用事がいろいろとあって、夜になると夫や娘がPCを使っているので、私が使えないのです(T_T)皆さんのブログにも行けない事が多くて、ごめんなさい・・・実はね、夫とケンカしました~~!(ムカ~~ッ) ケンカって言っても、私が一方的にゴチャゴチャと言われたんだけど。「はいはい、私が悪うございました。申し訳ございませんm(__)m」別に私が悪いわけじゃないけど、こういう時は波風立てないように、先に謝っておく方が、あとがよろしいのです頭にきたので、意地になって家の中の掃除をしたりこれでもかというくらいに、夕食を豪勢にしてみたり・・・豪勢って言っても、もちろん予算の許す範囲で、私の力量に適った料理ですがそんなわけで、ストレスも少し発散しながら、また時間のあるときに、ゆっくりブログ巡りをしようと思います。では、のほほ~んと、つまんない画像をUPしちゃいます~かえでが3年生の時の運動会。開会式で、「はじめの言葉」をいう係りになって、朝礼台に乗って、マイクを向けられたら、パクッと咥えてしまった・・・ 「はじめましょう」って練習したのに~~~でも本人はとっても満足そうでした これも3年生の時の「学習発表会」アンパンマンの劇で、かえでは「名犬チーズ」の役私が作ったチーズの顔の帽子をかぶって、熱演中なぜか「おうまのおやこ」を歌っているところマイクを咥えずに、ちゃんと歌えました^^宇宙人は、かなりマイクがお好きなようです
2006年07月08日
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同居していた私の実母は狭心症があり、時々心臓の発作を起こしていた。月に一度は通院し、発作の時の薬(ニトロ)をいつも携帯していた。発作が起きるといっても、軽いものが多くて、来たな~と思うとすぐにニトロを舌の下へ入れて静かにしていると、だんだん良くなってくるようだった。毎年秋になると発作が増えていたので、寒くなってくる季節は怖かった。万が一のことを考えるのが辛かったけど、そういう時にすぐに困るのがかえでなので、もし母が急に倒れたら・・・死んでしまったら・・・お葬式の時はどうすればいいんだろう。真っ先にそれを考えなくてはいけない。そのために3年生の時から、お泊りの練習をしておこうと、かえでの通っている養護学校に隣接した更生施設(入寮制の施設)で、年に数回のショートステイのお泊りをさせてもらった。その年の母は、いつもの秋より調子が良くて、発作もほとんどないし、母の兄弟で旅行に行ったり、家事もけっこうやってくれたりしていて、私も母にお願いして仕事に行くことも多かった。仕事先の上司のWさん(トルシエ監督似のオジサン^^)は、「あんまりお母さんを甘やかさないで、ある程度仕事をしてもらった方が、 お母さんも張り合いがあっていいんじゃない?」なんて言ってくれて、それもそうだなと思ったりしたくらい、母は元気だった。でもある日の夕方、母は急に息苦しさと背中の激痛を訴えて、倒れこんだ。いつもの発作と違うみたいだった。とりあえずニトロを入れたけど痛みは治まらないようで、かなり苦しんでいた。たまたま私は用事があって仕事を休んで、午後は家の中の掃除をしていた。ドキドキしながら「救急車呼ぶ?」と聞くと、苦しそうに頷いた。父に電話をしてもらう。でもこういう時って、男はホントに役に立たない。「救急車って何番だ?」とか言ってる。「はぁ?」って感じ(-_-;)待っている時間が長かった。かえではそのままショートステイで泊まれるか、施設に電話をする。「係りの者がいないのでわからないんですが」と頼りない返事だった。午後の4時。私が一緒に救急車に乗り込みながら、施設の事務職員に「緊急なので、今夜泊めてください!」と切羽詰った声を出したせいか、「折り返し連絡入れますので」とむこうも慌てていた。こういう緊急な時のために今まで練習したのに!そう、ついにこの日が来たのだった。母は、病院に着いてすぐ検査をしてもらうと、動脈の血管が解離しているらしかった。私もよくわからなかったけど、石原祐次郎と同じ病気だと言われた。血管の壁の内側がはがれているので、その部分の血管を取り替える手術が必要らしい。ここの病院ではそういう大きな手術が出来ないので、違う病院に行くしかないという。すぐに手配されて、救急車で搬送されることになった。また私が一緒に乗り込んだ。父は自分の車で追いかける。高速道路に入ると、途中事故渋滞!救急車は路側帯を思い切り走っていった。母はずっと苦しそうだったけど、意識はあった。眉間にシワをよせていた。「もうすぐだからね」と声を掛けると、「うんうん」と言った。もしかしてこれが最後になるかもしれないと思うと、たまらなかった。覚悟していなくては・・・母の手を握り締め、こみ上げて来るのもをグッと飲み込んだ。とにかく、かえでのことはショートステイや学校の先生に任せよう。娘達のことは、夫に任せよう。今は母のことだけを考えよう。いろんなことが頭の中でいっぱいになっていたけど、私がしっかりしなくちゃ!押し寄せてくる恐怖と、責任感とで、複雑な思いだった。夜の7時に手術が始まった。父と私は、手術の詳しい説明を受けた。助かる確率は30%だと言った。大きな手術だから、助かっても後遺症が残る可能性もある。時間も7~10時間はかかるだろうとのこと。ただでさえ体力が無い母のことだから、助かる可能性はもっと低いだろうと思った。諦めてはいけないけど、気休めの手術のような気がした。待合室のような小さな部屋で、父と二人で手術が終わるのを待っていた。約束の7時間が過ぎても、何の連絡もなく、だんだんと最悪の事態を考えるようになっていた。まだ助かるかもしれないのに、もし今日亡くなったら、お葬式はいつになるんだろう。友引が入ったら延びるなぁ。かえではいつまでショートステイを頼めばいいんだろう。それより家の中の片付けはどうしようか。洗濯物がたたんでなかったけど、娘達がやってくれるだろうか?そんなことをボ~ッと考えていた。12時間近くたって、やっと看護師さんが来た。手術室の前に行くと、先生が説明してくれて、「いろいろと手は尽くしましたが、もう・・・」 というようなことを言った。ドラマのワンシーンのようだった。「そうですか。ありがとうございました」と父が頭を下げた。私が泣き崩れた。看護師さんが私の背中を擦ってくれて、あぁ、看護師さんってやさしいんだな~なんてどこか冷静だった。施設に電話を入れて、母が亡くなったので、とりあえず葬儀が終わるまでかえでを泊まらせてほしいとお願いした。かえでは、一泊しかしたことがないから、連泊させることにすごく不安があった。一泊したら帰れると思っているだろうな。今日、学校が終わって学童保育に行って、時間になったら私が迎えに来ると思っているだろうな。でも来ないとわかったら、不安定になって泣いて怒るだろうな。夜には落ち着いて眠ってくれるかしら?ただでさえ暴走しているような時期だったので、これ以上不安定にさせたくないけど仕方がない。ごめんね、かえで。おばあちゃん、死んじゃったよ・・・あんな大好きなおばあちゃんなのに、もう会えないんだよ。かえでは、もうおばあちゃんに触れる事も話すことも出来なくなっちゃったんだよ。おばあちゃんとお別れくらいさせてあげたいな。現実的に、死んでしまったおばあちゃんに会ってお別れすることは無理だった。かえでが混乱することは目に見えているし、私ももう気持ちがいっぱいで、それどころではなかった。夫も泣いていた。自分の親ではないけど、母が亡くなって、一緒に泣いてくれたことは、嬉しかった。その2日後、バタバタと葬儀がおわり、3日間寝ていなかったせいか、さすがに疲れて爆睡してしまった。かえでのことを考える余裕もなかった。お通夜の時に、ショートステイの受け入れ担当の先生が来て下さって、かえでは元気に落ち着いて過ごしているから大丈夫です、と言ってくださったので、それで安心していられたのだと思う。周りの人達の心遣いがありがたかった。葬儀の翌日、4泊5日のショートステイを無事に過ごしてかえでが帰宅した。白と黒の幕が掛かっている部屋や、きらきらする祭壇や、おばあちゃんの遺影を見て、不思議そうな顔をしていたけど、ひととおり眺めたあとは、普段どおりに、小さいスナック菓子と納豆を食べて、祭壇の前で、広告をハサミでチョキチョキして、宇宙との交信の儀式をしながら、宇宙の言葉をゴニョゴニョと言っていた。何だかホッとしてしまった。かえでには、人の死を普通に理解することさえ出来ない。それがかえって良かったように思った。おばあちゃんがいないのは、旅行か何かで留守にしているだけくらいに思っているようだった。この先どうなるかわからないけど、とりあえずこのまま落ち着いて過ごしてくれればありがたい。私の中では一件落着って感じで、これまでの私の人生の中での最大のイベントが終わった。
2006年07月06日
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4年生の頃から始まったかえでの第2の暴走は、私に向かってくることが多かったけど、殴る・叩くこと以外に、顔をつねってきたり、かなり大きな声で、尻上がりの調子で「あ~~~~~っ」と言ったり、とにかく人前ではやらないでほしいと思うようなことが、増えてきていた大きな声を出すことは、すごく恥ずかしかった。どこにいても大きな声を出しているので、外に出た時は、周りの人が振り返り、変な目で見る。買い物をしている時は、慌ててレジで支払いを済ませて、さっさと帰らなくてはならなかった小さい頃は、まだ良かった。どんなヘンなことをしても、「小さいから」という理由でごまかせる部分もあった。でも小学校の高学年にもなって、手をつないで歩いたり、おかしな仕草や言葉を発しているのは、もうごまかすことも、許されることも少なくなってきてしまった。どこへ行っても、肩身の狭い思いをして「すみません」と謝りながら、人目を気にしてかえでを連れ出すことに、私はとても苦痛を感じて疲れてしまっていた。ハサミで広告(折り込みチラシ)を切ることも好きになった。もともとけっこう器用なところがあって、始めはハサミがうまく使えるようにと思って練習させていたんだけど、だんだんエスカレートして、何でもかんでも切り刻んでしまうようになった。姉妹の大事なノートやプリント、お便りなどは、その辺に放ってあったら最後!人間シュレッダーかえでによって、ハムスターの巣材のようになってしまうそして、そのハサミの親指を入れるところを、自分のおでこにコツンと当てることがこだわりになった。チョキチョキと切りながら、時々コツンとおでこに持っていく。それもやっぱりエスカレートして、『コツン』が『ゴツン』になり、『ゴンッ』になり、『ゴンゴン』『ガツン』というふうに、だんだん自傷がひどくなっていった。尖っている刃の部分をぶつけるわけではなくて、丸い柄の部分を当てるんだけど、自分でおでこに当てておいて、痛くてワーワー泣くこともあった。自傷というのは痛くても自分では止められない行為のようだった。自傷って、自分の存在が見えなく(わからなく)なっている時に、自分に刺激を与えているのだと聞いたことがある。それが理由の全てではないだろうけど、大きな声を出す事も、自己刺激なのかもしれない。ハサミを隠しておいて、忘れさせようと思った事もあった。でも、帰宅するとすぐに 「ハヒャミ」 と宇宙訛りの言葉で要求する。「今日はハサミはないの」と言うと、怒り出す。そちらの方が大変なので、どうしても負けてしまって、ハサミが登場する。なんでも、こういうところが私の弱いところで、ついついかえでに流されてしまって、ちゃんと療育になっていない。あとで思うと、もっと私がガンとして気持ちを徹底させていれば、こうなってなかったんだろうな~ということがたくさんあるハサミを手に入れたかえでは、いつものように嬉しそうに広告を切り始める。それも決まった場所でしか切らない。そこは和室なので、畳がすごく傷んでしまった。切り刻んだ紙切れが、畳の縁の間に入り込んでしまうし、毎日の掃除も大変だった。畳の表替えをしてもらってからは、小さいビニールプールを用意して、この中でなら切っても良い、ということにした。家で床屋さんをやる時に使うケープに、切った髪の毛が散らばらないようにする縁がついているのがあるでしょ?あんな感じで、紙切れがすぐに捨てられたらいいな~と思って、考えたものだった。これはけっこううまくいって、水なしプールは、チョキチョキ用となった私にしては、ナイスアイディアこの特技を、何かに活かすことが出来たら?と思ったこともあった。キャンプに行った時にお会いした、切り絵の上田豊彦さんのように・・・あのお母さんのように、子供を大らかに包み込んで見ていってあげたい、な~んていう気持ちは、正直なところ、あまりなかった。それより、疲れて果ててしまった私には、問題行動をやめさせることしか頭に浮かばなかった。当時(かえでが5年生の時)、手書きでつけていた日記。(平成14年)8月1日(木)今朝から家の前で道路工事が始まった。アスファルトを切る音がすごくて、かえでが泣いて怒ってしまって大変だった。ご機嫌直しにM(下の娘)も連れてドライブに出る。途中、缶ジュースを買ったまでは良かったけど、その後急に運転中に私に向かってきて、Mが必死で止めてくれたけど、どうしようもなくて車を停めて、落ち着くまで待っていた。今度はMにまで向かっていくので、慌てて止めさせたけど、もうどうしていいのかわかんない。帰りの車の中で、かえでを殺して私も死のうと思った。でもそんなことはやっぱり出来ないけど、それくらい考えてしまった。帰ってきてハサミでチョキチョキしてたら、だいぶ静かになった。これが一番好きなことなのかもしれない。すごく辛くて担任に電話をしたら留守だった。誰か私達を助けてください。そして、早く道路工事が終わってほしい。いつまでやるんだろう?まったく毎日超暑い!夏休みもまだ始まったばかりだけど、早く2学期になってほしい!養護学校に長期休暇はいらんわ!あぁ~、こういう日があったなぁ。このあと、担任が電話をくれて、私が泣きながら、「私、このままではかえでを殺しちゃうかもしれない」なんて言ったもんだから、担任が慌てちゃって、今度は副担任が電話をくれて、「メイプルさん、へんなことを考えないでください! すぐに行きますから!」と言って、本当に来てくださったということもあった。先生、ごめんなさいね、驚かせてしまって・・・でも、それくらい切羽詰っていたということかな。今では、辛いけど少し笑って思い出せるようになった。まぁ、そういう現在も、似たようなもんだけどね・・・ 小学校3年生の時のかえで養・聾・盲学校の県の体育祭に参加した時の写真大玉ころがしに出る順番を待っているらしい「すでに戦う男の顔です」先生の書いてくれたコメントが印象的だった
2006年07月04日
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