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1日に3人、「イライラするんです。」という方にお会いして、持ち時間が1時間から2時間あったら、いろんな違いがあることがわかります。聞いてみないと、わからないことです。深く深くさぐっていく作業の中で、話す側はいろいろなことに気付くようです。話してみないと、わからないことです。イライラしていても、怒ってる人ばかりではないのですよ。寂しかったり、戸惑っていたり、何年経っても払拭できないなにかのトラウマがあったり、いろいろです。人それぞれ、中身はいろいろなのですから、そのいろいろに合わせたレメディーのことを考えます。選択肢の幅がいろいろ、いいことです。しかし、その一方で、幅広い選択肢の中で迷子になるリスクもあったりします。植物、動物、鉱物の持つエネルギーを利用するというアイデアは、物理的な作用だけの利用よりも、守備範囲を広げてくれます。ですが、ここも諸刃の刃で、「私だけがわかる」とか「私だけが見える」的なところにはまる危険があります。霊感商法ではないのです。具体的な所見に基づいて、レメディーは選びます。迷子にならないために、明確さを心がけています。確かにエネルギーは目に見えませんが、目に見える所見をもとにレメディーを選び、それにそって経過を見ていきます。
2009.06.29
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父が癌と診断されたのと同じ時期に、ウチの職員さんのお姑さんも、末期がんと診断されました。時々「どっちが先かしらね。」と、不謹慎なことを言いつつ、現役のがん患者の身内として、いろんな話をします。先日、「ウチの親戚なんですけど・・・。」と打ち明けられた話に驚いたのですが、「癌に効く」という触れ込みの民間薬を、使っているのだそうです。1回分が4000円で、1日2回を1ヶ月。その後も毎日飲ませるのだそうです。「そういうの、どう思います?」と聞かれて、「多分、授業料・・・。」と返事をしました。たいがい効果はありません。高い授業料を払って、それを学ぶことになると思います。この手の話はよく聞きますが、そういうものに手を出してしまう心理も、わからなくはありません。基本、よかれと思ってこういうものを探します。でも本当によいかどうかは、別の話です。せめて、肝機能障害が出たら止めるとか、画像で小さくなってなかったら、その民間薬を使い続けることを、断念するぐらいの冷静さがあるといいのですが・・・。ウチも職員さんの所も、癌とわかってから3年が経ちます。標準的な治療以外、基本的にやらせていません。個人の体力によって、結果の分かれる部分ではありますが、3年、もっています。そもそも人が亡くなるのを見送ることは、あまり楽しいことではありません。ただでさえしんどいところに、苦労を追加しないように、患者も家族もがんばらないのが、よかったのかもしれません。1日生きていれば感謝です。数週間、数ヶ月なら御の字です。1年以上ならば、奇跡です。その日があると思っていないので、「あら、もうそんなになるの?」な毎日です。こういうことは、ハードルを下げておくと気が楽です。死ぬことを、ちゃんと覚悟すると、1日1日、1食1食が、大切な時間になります。苦労も喜びも、とこしえに続く時間ではないのです。この先も、ずっと一緒にいられるわけではないのです。その都度その都度、一つ一つ取り組む以外に、やることなんかないと思うと、いかがわしい癌ビジネスは、視界に入ってこないものです。
2009.06.26
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治療の「旬」について、考えることがあります。ホメオパシーの個人セッションは、特にその人自身の「旬」を問われる気がします。初めてお会いしてから、個人セッションにこぎつけるまで、数年経って「旬」を迎える方もいれば、お友達に聞いて、即「旬」を迎える方もいます。タイミングは、クライアントが決めたものが最も正しいといつも思います。ですから、必要以上に強くすすめたりしません。しかるべきタイミングを選ぶ自由を、大切にします。実際、そちらに乗っかった方が、安全確実だったりもします。レメディーのリピートをする際にも、「旬」を意識します。それが1ヵ月後なのか、3日後なのかクライアントの報告や、これまでの経過から予測される流れを元に決めます。状態によっては、レメディーを摂る回数を増やしたり、連絡を取る回数を増やします。病院勤務だった頃、具合の悪い患者さんの様子を、病棟に頻繁に見に行ったものです。医者は誰でもやることですが・・・。その頃も今も同じ気持ちですが、やってることも変わっていないようです。
2009.06.24
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神楽坂のセッションルームへ行く途中に、フラスコというレンタルスペースがあります。1週間か2週間ぐらいで、企画が変わるのですが、面白いものを見つけることができるので、時々ふらりと立ち寄ります。2週間ぐらい前に、「ひゃくてん!」という企画がありました。同じデザインのバッグを100個、いろんな布で作って売っていたそうです。「同じかたちのものを100個作り、100個を100人の手へ、ひとつがひとりと出会い、会場から外の世界へ飛び出して、日々状況が変化する」展示会でした。バッグを買った方は、もれなく記念撮影をし、買わなくても参加者の一員としてスタッフに話しかけられ、会期中に完売して、空っぽになったスペースも、表現の一環なのだそうです。ちなみに去年は、スカート100枚だったそうです。「100個のバッグが人を繋げる。そんな楽しいことはない。そんな嬉しいことはない。」そうです。100個バッグが並んでいるのも見たかったですが、こちらのメッセージに、心をわしづかみにされてしまいました。どんな仕事でも、それをきっかけに誰かと繋がることでもあるのです。礼儀を忘れずに、親しみを感じながら、大切に思いながら、人と繋がっていこうと思いました。私はバッグを購入していませんが、来年の100個が楽しみになっていたりします。
2009.06.22
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文具の寄付をしようと、実家の備品で使わないで埋もれていたものを集めていたら、あるわあるわ。大漁でした。父が亡くなったら、即、閉院の予定ですので、こうして少しずついろんなものを処分しています。今回の募集は、「ボールペンは赤か青。黒は現地であまり使いません。」とのことです。こういう細かいニーズに合わせるのは、とても大事なことです。イスラム教圏に衣服を送る際には、キャラクターもの、アニマルプリントはNGです。目があると、家に天使がこないと言い伝えられていて、現地では、キャラクターものを嫌がるそうです。アニマルプリントについては、「動物は、不浄」という考えだそうです。一般的な注意はここまでなのですが、個人的に追加した方がいいと考えるルールもあります。普段の生活でも、女性は肌を露出しないこととされていますので、セクシーないでたちの女性のプリントは、NGと考えた方がいいと思います。特定の国の国旗のプリントも、その時の社会情勢によっては、問題が生じるかもしれません。軍隊を連想させるような柄は、現地の人達にとって、どうなんでしょう。それを見て、子供は怖がったりしないか、などなど。いろんなことを考えます。日本の街中では「かわいい~。」「かっこいい。」が、他の国ではそうでないこともあります。救援物資なんだから、ありがたく受け取れではなく、相手の国の文化や宗教観、募集に至るまでの社会的背景を思いやるのは、人として最低限のマナーです。送る物は、現地の人々への贈り物という意識で、準備をしたいと思います。
2009.06.19
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前回の内容に、ちょっぴり補足します。使うレメディーが適切でないと、よい結果は得られません。本人の病状に、葛藤に、似ても似つかぬレメディーでは、反応が全くでないこともあります。ホメオパシーに関して、「効いた!治った!」を読む際には注意が必要です。チームというのは本当の話で、私の選んだレメディーが適切で父の足の痛みがとれても、毎日ヘルパーが乱暴に扱って、毎日父が腹を立てるようでは、このようなよい結果にはなりません。実際、何度も見てきたことなので、「ケアする側の接し方で治り方のプロセスが異なる」とさらっと書いてしまいましたが、こういうのって、今でもトンデモ扱いなのでしょうか?植物は声をかけて育てたものと、そうでないものとで育ち方が違うとか、メロンにモーツァルトを聞かせて栽培すると、味がよくなるとよく言いますが、人も同じなのです。生物に対する、基本的な作法だと思います。寝たきりだからとモノのように扱われ、声をかけられたり優しく扱われることが全くないのと、「ちょっとごめんね~。」といたわりながら、少しづつ関節を動かしてもらうのと、自分が寝たきりだったらどちらの扱いがいいか、あまり想像しなくてもわかることですが、自分や親が寝たきりになってから、身を持って知るというのも、検証の一つの方法かと思われます。
2009.06.17
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見てきたような事と実際に見た事は、違います。直接人に触れて、汗を流して、聞いて、見たことに絶対の信頼を寄せています。そういう意味で、最近は日に2回来てくれるヘルパーさんが、師匠です。初期の床ずれの手入れには、ラップを上から貼るのがいいそうです。それも○レラップではなく、○ランラップがいいそうです。勉強になります。往々にして、寝たきりの時期は、どんどん床ずれは深くなる一方で・・・、というのを私は老人病院で目にしてきました。ところが、父の床ずれがよくなっています。足を動かすことが難しいので、毎日足浴はできません。蛋白質摂取量は、多くないです。足のやっかいな痛みに、ホメオパシーのレメディーを毎日使ってるぐらいですが、これがこの不可解な経過の要因なのかもしれません。処方する際は、「床ずれ」も所見に組み入れましたが、足の痛みにも床ずれにも効果がでているようです。この結果を見て、「すごいよ、ホメオパシー。」ではなく、真っ先にしたことは、ヘルパーさんにお礼を言うことでした。毎日、とても丁寧に父を扱ってくれます。痛いと言うので、少しずつゆっくりと足を動かしてくれます。家族以外と会話することは、父にとっていい影響があるようで、薬や食事の確認は信頼できませんが、普段の受け答えは、認知症ではなくなりました。精神―神経―免疫学的な効果で、床ずれの治り具合にも違いが出てくると思いますが、レメディーさえ与えておけばいつでもどこでもこの結果だとは、思っていません。父にとって居心地のいい環境である自宅で過ごし、家族の出入りが毎日あり、食べるものは妻の手料理で、ヘルパーが熱心に心をこめてケアしてくれるという条件が揃ってのことだと思います。患者さん自身も、治療家も、家族も、介護看護に携わる全ての人々が、1つのチームです。治療効果のよしあしは、治療家の個人技ではなく、チームワークの賜物です。
2009.06.15
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今朝、「電車の運転士が「睡眠時無呼吸症候群」による居眠りでオーバーラン」のニュースを見ました。睡眠時無呼吸症候群、・・・一般にはあまりなじみのなかった病名でした。前にも同じような事例があって、盛んな報道の成果で、世間に認知されるようになったのはいいのですが、当時「睡眠時無呼吸症候群」の専門クリニックが、大量にできたのには、驚きました。今でもあるんでしょうか。・・と、意地悪な見方をしてしまいます。私が古くさいのかもしれませんが、生き死にに関わることに、ブームみたいなものが、あっちゃいけないと思っています。「血液サラサラ」みたいなものです。「低インシュリンダイエット」、今でもやってる人、いるんでしょうか・・・です。「薬では問題が解決しない人々に、何をするか。」をテーマに、代替医療の探求が始まりましたが、基準にしていることがいくつかあります。長期間にわたって利用できるものか。症状が改善するだけでなく、日常を取り戻すことはできたのか。治療ツールは、一過性のブームで飛びつくものではなく、利用する側も、提供する側も、厳しい目で切磋琢磨して、育てていくものです。そうやって育てあげたものを、次の世代に手渡していく責任があると思っています
2009.06.12
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若い男子にモテます。・・・と言っても、カテゴリーはU-5です。(とほほ)そのうち、年齢層を上げていこうと思います。白衣を着ていてもモテますので、「予防接種のトラウマで、子供は白衣を怖がる」という俗説を、私は支持しません。数回会った事のある子は、親を振り切って猛ダッシュです。親が診察という場面で、親よりも前に立って、喧嘩で噛まれた傷を見せて、「痛いの~。」と切々と訴えてきた子もいました。ウチの事務員さんのお孫さん(1歳7ヶ月)は、階段に興味がありそうだったので、「上がってみる?」とそそのかしてみましたが、その場で拒否したくせに、数分後、私のサンダルの甲を指で引っ張って、「一緒に行こう♪」と誘っていました。他の生物なら、生まれてすぐに立って走るとか、泳ぐとか、植物にいたっては、「水と太陽さえあれば大丈夫さっ。」ですが、人間はそういうわけにいきません。生き残るのに、人を動かす必要があります。それぞれに違ったやり方があって、そこが大変興味深いところです。中には、人に動かされる人もいます。「いいと言われたから。」で、名前を変えたり、結婚相手を決めたり、恐ろしく高額な墓石を購入したり、いろいろあるようです。それがいいか悪いかは、自身で身を持って知ればいいことです。人は、人の中でいろんなことを感じ、学び、経験します。それをもとに変化することを、成長というのかもしれません。
2009.06.10
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近頃のマスクに限ったことでなく、花粉症の季節になると、マスクやゴーグルや、空気清浄機、花粉を落とすスプレーまで、関連グッズが百花繚乱状態になることに、私は違和感を感じています。他にも「開運グッズ」とか、「疲労回復効果をうたったサプリメント」とか、いろんなグッズがありますが、モノはモノであって、コレさえあれば安心とか、絶対を約束するものではありません。最近、「疲労回復サプリメント」で、肝機能障害の方に会いましたが、その信心深さときたら「ひょっとして、脳みそ洗ってもらった?」ぐらいの頑固さで、説得に軽く苦労しました。町の薬局でも「多少肝臓悪くなったって、ずっと飲んでいいんだよ~。体にいいんだから。」とか、わけのわからんことを言うので困ります。改正薬事法で、いろんなところで薬が売られることになって、こういう事例が増えないといいのですが・・・。モノはモノであって、主役はそれを使う本人です。「これさえあれば。」で、あとは何もしなくて大丈夫なわけではありません。それを手にした人の使い方で、モノは単なるグッズにも、問題解決のためのツールにもなります。モノが主で、人がそれに従うみたいなスタンスは、本末転倒です。
2009.06.08
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今年は、4月になっても季節性インフルエンザの方がいました。同時進行で、高熱の出る風邪も流行っていたので、38℃を超える患者さんには、インフルエンザかそうでないのかを区別するために、インフルエンザ検査をしたものです。その後、新型インフルエンザの騒動が始まりました。品薄と言われたマスクに関しては、普段より高い値段で「売ります」というFAXが、数件ありました。いい大人が、「テレビでやってるから、インフルエンザ怖くて~。」なんてこともありました。実際のウイルスよりも、テレビの影響の方が大きかったようです。今も風邪の患者さんにお会いしますが、あまり高熱は出ません。桜前線のように、北上するのかと思って見ていましたが、今の所、東北での感染例はないようです。まもなく梅雨入りしますが、湿気に弱いと言われているインフルエンザウイルスは、どうなるのでしょうね。その都度、状況に合わせて考えます。そして、目の前のことに、ひとつひとつ取り組みます。
2009.06.05
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自然療法至上主義の、病院や薬を使っちゃいけないと言って聞かない、了見の狭さが怖いです。心筋梗塞に、前置胎盤に、複雑骨折に、それで対処できるとでも?寝言は、寝て言いましょう。実はそれと同じぐらい、医者のパーツしか診ない視野の狭さにも迷惑しています。父の足に床ずれがあるので、皮膚科に診せるのですが、やっかいな膝の痛みがあって、思うように足浴をさせられません。・・・ということを知らないで、書いてよこしたのでしょう。「痛がっても毎日足浴を。」だそうです。どんどん進行して悪化しているわけでも、不潔さで感染があるわけでもないのですがね、毎日足浴だそうです。皮膚には必要なことかもしれませんが、動かすことが容易でない膝の痛みを、どこまで理解しているのでしょうか。むきになって美しい肌を目指しても、あまり意味のない時期なのですが、皮膚しか診ていないと、こういう言い方になるのでしょう。ああ、めんどくさい。・・・と、ついついこちらの心が狭くなりますが、どうやって足浴させるか、これから考えます。
2009.06.03
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昨日のランチは、近為東京大丸店でした。和食、最高です。京都に行きたいのですが、今は我慢です。なので、小さく逃避です。実際は逃げ切れないのですが、逃避の効用ってあると思います。子供の頃に見た地獄の想像図で、血の池地獄がありました。(今思うとすごいですね。それこそ見てきたようなことです。まだ死んでないのに、地獄の想像図って・・・。)日常は、あれにチャプチャプ浮かんでるみたいなもんです。ちょっと息継ぎして、「はい。休憩終わり!」とか言われて、鬼に責められながら、また頭まで沈んで・・・。逃避は、「ちょっと息継ぎ」みたいなものです。小さく逃避した後は、また過酷な日常に戻っていくのですが、娑婆の何が素敵って、地獄が永遠じゃないことです。それに、地獄極楽胸三寸です。血の池地獄に浸かりっぱなしでなく、出たり入ったりできるのです。胸三寸で。・・・というわけで、ささやかな極楽を求めて、今度の週末はどこに逃げようか思案中です。今は我慢と書きましたが、セッションの予約を入れない日を作れば、京都に行けない事はないよな・・・とか。
2009.06.01
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