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「エイジングシートって、何!?」聞いたことが無い単語である。今回の新型コロナウイルスで、経済が停滞していることは明白である。その経済のホンの一部を助けることになるかもしれないモノのようだ。「コロナショックを乗り切れ!」という副題で番組を進めているのは、お馴染みの「ガイアの夜明け」であり、ここ最近の私のブログの常連になっている番組である。(笑)こういう番組は、長期に渡って取材をするわけで、今回の取材を始めたのも、去年の12月ぐらいからだった。そぅ‥まさかその数ヶ月後には、全世界を巻き込むことになるだろう新型コロナと関わってくるとは、全く考えていなかっただろう取材である。凄いよねぇ~、番組自体に持っているものが有るのか、それとも、不思議に必要な番組だと引き寄せてしまっているのか‥。或いはもっと違う別の力が働いていて、私たちに必要となるからだと与えられて、この時期の取材になったのか‥。エイジングシートというものは、賞味期限を延ばしてくれるシートである。その延ばしてくれる期限というのが、1~2週間と結構長い。凄くない?賞味期限がものすごぉ~く伸びるんだよ!外出を控えて欲しいと言っている今、外食産業の損害は大きい。お客様に来てもらえないから、当然売り上げが上がらないのだが、それと同時に仕入れた食品のロスにもなっていくので、被害は倍増する。フードイズムの跡部社長(44歳)は、熟成肉に革命を起こした人である。そぅ、本来は熟成肉ということがメインで、去年から取材していただろうと思う。勿論、賞味期限自体を延長させることになるそのシートは、食品廃棄というロスを格段に減らすことに繋がるわけで、無駄を減らすためにも活躍するアイテムには違いない。新型コロナウイルスがまだまだ続いている今、食品を扱う企業やお店にとって、食品を廃棄せざるを得ない今の自体は、死活問題にまで発展している。だから、せめて食品廃棄ロスを減らすことができるなら、どんなに有難いだろうか‥。跡部社長は、外食産業のお店にそのシートを持っていき、ロスになってしまうだろうその肉とか魚にシートを巻くことを提案。シートを巻いたモノと巻かないモノで、さばいたばかりの肉や魚と、食べ比べをしてもらい、その鮮度を保つ力を知ってもらう。すると、さばいたその時から鮮度は落ちていくはずの肉や魚が、その鮮度が全く落ちないどころか、旨味が増していくのである。熟成された‥というプラスアルファーが付いてきたのだ。これには企業側やお店側が、びっくりしている。廃棄ロスに繋がらなければ、新型コロナウイルスに対抗できるし、最悪の場合、廃業に繋がるかもしれない危機を回避できる。尚且つ、旨味が増すというプラスアルファまで付いてくる。そしてそうすることは、無駄な殺生に繋がらない。私はここでも一石三鳥以上の効果は有ると、声を大にして言いたい。熟成期間は、跡部社長が一つ一つの食材で実験をして答えを出している。全ての食材の熟成期間が一緒でないので、実験は必要である。元々は熟成肉ということで始めた事業だった。肉で成功するなら魚は出来ないだろうか?ということで、魚でも実験してみる‥跡部社長の挑戦だった。取材を最初に受けた時は、そういう方向性での取材だった。ところが今年に入って新型コロナウイルスが、私たちの生活を脅かすようになる。熟成もだが、まずは食品廃棄ロスを考えて、熟成期間の実験と、食品によってシートの大きさを変えることを最優先にした。この先に、このシートを家庭でも使えるようにと、跡部社長の夢は膨らんでいる。「ピンチをチャンスに‥」危機を乗り越えた先にチャンスが待っている。私たちもこの危機から色々学ぶことがある。日頃の自分の生活の有り方を考え直す良い機会だと思う。現に私も、習慣化されていた毎日の行動を考え直す良い機会になった。疑問を持たずに毎日生活していた様々な事柄が、自分の行動範囲等を考え直す良いきっかけになった。ある意味、考える時間を与えてもらった外出自粛措置に、感謝できる自分が居る。日常を見直す良いきっかけだと思っている。
2020年03月29日
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ガイアの夜明けで、もう一人ゴミに立ち向かう人を取り上げていた。立ち向かっているゴミは、非常に問題になっているプラスチックゴミだ。取り上げた会社が、長野県千曲市にあるモキ製作所。ここの会長である茂木さん(76歳)が発明した機械というのが、生ゴミとプラスチックのパックゴミを、99.9%綺麗に分ける、破袋分別機という機械だ。例えば賞味期限切れの弁当を分別機にそのまま入れると、排出器からプラスチックゴミが出て、それとは別の下の皿には、粉砕された弁当の中身が出てくる。これによって、どちらもリサイクルできるようになるわけだ。生ゴミは堆肥としてリサイクルされるのである。粉々という言葉が、凄く合う粉砕ぶりである。1分間に600回転するというこの機械は、回転板だけで10以上の特許を取得している。生ゴミは柔らかいので下に落ち、プラスチックゴミは風圧で飛ばされる。なので、従業員は一人いれば大丈夫だということだ。このモキ製作所には、35人務めているようだが、小さな町工場なのに、売り上げは5億3千万円だというから驚く。茂木さんは24歳で創業したというやり手である。彼の得意の発明で、会社は売り上げを伸ばしてきた。最初に発明したのが「無煙薪ストーブ」と言って、煙りが全く出ないストーブだ。煙りが出るのは、500度で燃えているから‥。なのでその温度を800度にすると、煙りが出なくなると言う。「世の中に無いものを作って、社会貢献をする事を楽しみに発明してきた」これは、茂木会長の言葉である。社会貢献が根底にあって、しかもそれを楽しみながら発明している。勿論売れなければ会社自体が成り立たなくなるわけなので、当然売れる発明品である必要がある。この破袋分別機も、発明したのは1998年なのだが、今現在も進化を続けていた。新型の破袋分別機は、洗浄と脱水機能を追加したもので、汚れたプラスチックを綺麗なプラスチックに出来るものだった。なのでプラスチックのゴミが、すぐにも再生可能になるわけだ。プラスチックが海洋へ流出する量というのが、1位は中国で353万トン、2位はインドネシアになり129万トン、3位がフィリピンで75万トンだという。しかもこれは10年前の2010年調べというから、現在の流出量の数字がどうなっているか‥考えると恐ろしい。フィリピンは3位ではあるのが、その実情が悲惨である。河口付近は、想像を絶するゴミの量で、子供たちはそのゴミの上で遊んでいる状態である。茂木会長は、このフィリピンを新しい市場と考えて、有能な社員を派遣する。大きな機械は持っていけないので、小さな機械でその性能をアピール。当然洗浄や脱水機能は着いていない型になる。さてさて、上手くいくのだろうか?プラスチックゴミに、一度水を浸してから機械に入れるという、試行錯誤をしつつ、フィリピンの環境庁を巻き込んで、アピールすることに成功した。今後を見守らなければならないが、一歩前進というところだろう。今やプラスチックのゴミ問題は、世界規模の問題である。その問題を無くすためには、世界中で知恵を出し合う必要があるだろう。ストローとかゴミ袋とか、小さなことからでも前進するべきだと思う。海に流したプラスチックのゴミを魚が食べて、その魚を私たちが食べる。結局、自分たちが出したゴミが、自分たちの首を絞めることになるのだ。だからこそ、問題になっているゴミの原点を見直して、上手く循環できて、誰も被害に合わない道を模索するべきだと思う。ゴミ自体を出さないことが一番大事ではあるが、そういうわけにいかないのが、私たちの今の生活である。ならば、ゴミを徹底的にリサイクルをしたいものだ。ゴミは宝‥誰もがその言葉に納得できる環境に、変っていって欲しいものである。
2020年03月25日
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「ゴミを宝に変える!ニッポンの技術」というのを掲げて番組を作ったのは、「ガイアの夜明け」だった。いつもより時間を拡大して、幾つかの例題を出して進められた。最初に扱ったのは、「ゴミを価値あるものにする中小企業」だった。群馬県前橋市の「ナカダイ」という廃棄物の処理業者には、毎日60トンもの廃棄物が運ばれてくる。ところがここではその廃棄物の99%をリサイクルするというのだ。全国平均のリサイクル率というのが53%だというから、いかにこの数値が桁外れたものであるかが分かる。だいたいの業者が、廃棄物を分別しないまま粉砕してしまい、そのまま処理するという手法を取っているのだ。川崎市浮島処理センターでは、6,000トンのゴミを扱っているのだが、そこでの職員は、24時間体制でゴミの焼却を管理していた。焼却されたゴミは焼却灰となって、処分地へ埋め立てられる。その量というのが、年間4万6千トンにも及んでいる。埋め立てる場所というのが、海に高さ50メートルの壁を打ち込んで海の囲いを作り、そこへは灰を投入するというものだった。でも、ここも後35年で満杯となってしまうと言う。そう、このままゴミを減らさないでいくならば‥の年数である。ナカダイの社長は、今の時代を、「循環を前提とした会社の仕組みに変革しなければならない時代」であると話している。この会社では、女性が4割働いている。普通廃棄物を扱う会社で、現場に女性が働くところを見たことが無い。でもこの会社では、4割もの女性が現場に立っているのである。しっかりと分別するのは、女性のほうが適任だという考えからだ。その社長の言葉通り、運ばれてきた廃棄物を細かく分解して、それぞれのパーツを部品毎に分別していく女性たち。例えば、一つのエアコンが運ばれてきたら、ドライバー等を使い、アルミとか銅とかプラスチックとかの素材別へと、分解するのである。それによって99%のリサイクル率が生まれる。この会社の売り上げは、年間7億円だというから、まさにゴミは単なるゴミでなく、宝の山だという事になる。(オーッ!)そしてこの考えの元、ナカダイの社長は、「モノファクトリー」という会社名で、グループ会社を作った。ここでは廃棄物を再利用した商品の販売をしている。ここでの売り上げも、すでに2億円有るというから大したものである。社長は、美術大学の学生とタッグを組んでアイデアを貰う。例えばどう見ても廃棄物としか見えないもので、照明カバーを作り上げたりした。他に車のエアバックを、肩掛けのバッグに変身させるとか‥。美術大学の学生が、現場の廃棄物を手に取りながら、考えられるアイデアを絵にして、廃棄物が破棄されない道を作っていく。この社長はそうやって商品化したものを、アパレルの展示会へ出品する。色々な業種のバイヤーたちに、売り込んでいくのである。ある学生はビニール傘のビニールが無くなってしまった骨組みを手にする。もっと大切にすればいいのに‥という発想から商品化する。廃棄物の中に沢山の服があるのだが、この服‥ブランドものの服と傘の骨組みを合体させて商品にしたのである。これにより、廃棄されるしかなかった傘の骨組みと服が復活した。この展示会でのナカダイの展示物には、色々なバイヤーが立ち止まった。環境に良い上に商売になると思ったからである。日本では、傘の廃棄物がとても多い。というのも、とても安くて簡単に手に入るからである。それだけに扱いも雑で、落し物としてもトップクラスになる。(もっと傘を大事に扱って貰うには、どうしたらいいのだろう‥)そういった発想から出た商品なのである。傘の骨組みも使い古した服も、どちらも廃棄物である。両方が生かされれば、一石二鳥の結果になる。「いらないもの=ゴミという考えをなくしていきたい」と、廃棄物業者ナカダイの社長は、力強く語った。今の時代、単なるゴミの分別だけでなく、分別されたゴミの、もっと先を考えていくべきだと思った。
2020年03月21日
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色々なイベントを自粛している今は、医療パニックにならない為。もし、初期段階の中国のように、爆発的に感染者が増えてしまっては、今の医療体制では立ちいかなくなるから‥。そうなんだよね~何かの現象が起こる裏には、表面だけの意味ではく、別の意味やもっと深い意味が有ったりする。「これ(起こってくる悪い現象)は、どういう意味なんだろう‥」目の前に起こってくる現象を、一旦静観して考えてみるということは、どんな時にも、必要なことだろうと思う。感情の動くままに行動したり、言語にしたりするのではなく、一旦冷静になる必要はある。「2020年の新型コロナウイルスって、なんだったんだろうね?」そんな風に、この騒ぎを軽く扱える日が、早く来るといいなぁ‥。サーズの時は日本に感染者が無かったから、日本人はこんな大規模な感染症の経験が、無いんだよね。あっ、戦時中‥第一次世界大戦の時にスペイン風邪が流行ったらしいが、まぁ私としては、名前を知っている程度。このスペイン風邪も、後にウイルスと判明したのだが、ウイルスと風邪の違いが分からなかった?ないしは、ウイルスという言葉自体がまだ無かった?でも、これも全世界で流行って、日本人も何十万人も死んでいるらしい。だけど戦時中ということなら、死者の数がスペイン風邪だけとは思えない。どちらとも、判別つかない人も居ただろう‥。やっぱり、新型ということと全世界に広がっているということで、どうしてもパニックになってしまうんだよね。昨日の16日月曜から、一部営業を再開したという話しも出ている。沖縄の水族館や大阪の通天閣等、換気をしっかり行ないつつの再開だ。どこも色々工夫して再開しているが、中止する時以上に、苦渋の選択だったと話している関係者も居た。だいたいの団体や企業が、3月一杯自粛しているから、そんな中で再開するのは、随分と勇気がいることだろうと思う。この新型コロナウイルスは、色々なところに波紋を与えている。日本の一部でなく、日本中だということが大きい。地震とか噴火とか台風とか‥自然災害は、ウイルスと違って、日本全国に災害が及ばない。ところがウイルスは、そういうわけにいかない。目に見えない形で蔓延してしまうので、タチが悪い。そうだ‥目に見えないのも、不安の材料の一つになるなぁ‥。対策とか支援の輪が広がるといいなぁ‥。日本人はこういう時に団結する、素晴らしい国民なんだから‥。どんな現象にも必ず意味が有る。起こった時は冷静な判断が出来ないから、その意味まで分からない。半年後に分かるかもしれないし、1年後に分かるかもしれない。もしかしたら数年後だったりする。災害が起こる度に、全世界の人たちが、日本人の冷静さを称賛してくれるじゃないか。それを思い出してこの状態を乗り切ろう‥一致団結して。前に進むことが肝心である。一歩の幅が少なくても、少しでも進んでいたいと思う。ストレスを溜めずに体力をつけて、自分の身を自分で守り、冷静な判断の元、しっかり前進していこうと思う。私はリラックスをして、数分間でもいいから、深呼吸を繰り返すことをお勧めしたい。酸素を体中に行き渡らせて、心と体のバランスを取りたいと思う。
2020年03月17日
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「しっかりゴシゴシ30秒」‥手洗いの話しである。健康番組とかに関係なく、テレビをつければ何処かのチャンネルで、ニュースキャスターが喋っている。手洗いの重要性は、毎日のように聞いている状態だ。マスクやうがいよりも大切なのが、入念な手洗いのようで、しかも30秒‥私には、結構長いと感じる時間である。最近私は家から出ないので、心配するまでもないのだが、出掛けたら、帰ってきての手洗いは大事である。木曜日に打ち合わせがあって、やむなく喫茶店に出かけたのだが、いつも一杯になっている駐車場に、車が半分位しか止まっていない。愛知県では朝のモーニングの時間ともなると、いつもだったら、下手をすると順番待ちになるところである。それがすんなりと入っていけて、席に着ける。(みんな、本当に出歩くのを止めているんだなぁ‥)自分のことを振り返れば当然の結果なのだが、改めて車の止まっている台数を見ると、現実なんだと思った。私は、各文化センターのホームページを毎日チェックしている。するとついに今週木曜日に、中日文化センターが2週間中止体制から、3月一杯の中止に切り替えた。そして毎日文化センターは、来週からジャンル別で開講か否かを決めた。私のやっているヨガ‥スポーツ関係全般は、3月末まで中止のようである。う~ん、そうかぁ‥。名古屋は、新型コロナウイルスの感染者が多いからなぁ‥。そうなると、NHKも今は19日まで中止としているが、今後はこれも3月一杯に延長する可能性が高いなぁ‥。会社に行っていないし、移動するのを自粛するよう言われていると、情報はテレビとかパソコンからしか無い。なんとも不安定な状態である。新型コロナウイルスは、今や世界中の問題だからなぁ‥。アメリカのトランプさんは、無責任な発言だし、中国は自分の国から発祥しているというのに、それも忘れたかのような発言をしている。全く、一体どうなっているというんだろうね。経済も立ちいかない状態になってしまっているし、どうしてこんな風になっちゃったんだろうね?‥悲しいなぁ。感染症の権威ある人たちが、落ち着いて対処しようと言っているのに、どうしてそれをきちんと受け止められないのだろうか?先行きが見えないと、人間は不安の塊になってしまう。つくづく人間って、変化に弱い人間なんだと思った。しかもその変化が、誰もが体験したことが無い事柄ともなると、一種のパニックに陥ってしまう。経済という観点からすると、想定している事態はあるはずなんだが、その規模が各企業範囲のことでなく、しかも日本だけの問題でないわけで、世界という規模で起こってきてしまった。そうなると、それに対応する引き出しが全く無いわけで、一企業では収まらない状態‥。日本政府がドタバタしているのだから、企業単位では太刀打ちできない。JRの稼働率が半減しているし、外国人の観光客が頭打ちである。そうすると、色々なところに影響があるわけで、お土産を作っている工場が、あちこち稼働していない有り様である。打撃を受ける業種があれば、一方で飛躍する業種も有る。運送業が50倍忙しいって、どういうこと?みんな出歩かないから、スマホで注文する‥からのようだった。この自粛ジャパンで、折角来た外国人観光客は何処に行くのだろうか?何処も閉館していて、普通の観光が出来ない外国人たち‥。日本の良さをお知らせできないね。(泣)中国は逆に今、感染者が少なくなっているというが、それでもまだ市民は外出は出来ない状態で、あろうことか、そんな住民の食糧を、ゴミ収集車で届けるという映像が、ニュースで流れた。怖っ!ゴミを運んだその車で、人が食べる物を無造作に運ぶ。衝撃的な映像だった。中国人に生まれなくて良かった~と、つくづく思う。そして日本も、あれほどスーパーだけは盛況だったのに、今は備蓄が結構出来ているのか、こちらもお客が半減していた。日常がどんどん非日常に移行している。早く活気ある日常に、戻って欲しいものだと、心底思うのだった。
2020年03月14日
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「免疫力のピークって、早過ぎない?」どうやら思春期から20歳頃までがピークのようで、40代になるともう50%しか無いというから‥恐ろしい。「しかも、70代は10%しかないんだって!」うそでしょ?‥私はあと実質5年と数ヶ月なんだけど‥(トホホッ)まぁレイキをやっているから、そこまで心配してないけどね。免疫力が低下していることは、色々なことに関係している。今回のコロナウイルスのような感染症も、かかり易くなってしまう。「池上彰の緊急生放送、新型コロナ大疑問SP」を見ていて、この免疫力の話しが出た。結局免疫力の低下している高齢者が、重症化してしまうからだ。 さて、ここでコロナにかかっている実際の数字を教えてもらったのだが、それによると今現在世界で105,265人が感染しているという事だ。生放送なので、3月8日現在の数字として、この番組では出していたことになる。その内、死者が3,514人となると、3%強が死ぬということになるけど‥思っていたより多いような‥。ただね、まぁこれもコロナ発祥の中国人の死者が、どれ位の人数か?ということが、大きく左右する話しだと思っている。専門家の話しによると、感染者の内の死者が、マーズでは30%、サーズで10%、インフルエンザで0.1%だというから、この多く見積もった3%も、滅茶苦茶高い数字ではないことになる。ところで、マーズって何?サーズのことはは聞いたことがあるんだけど‥。マーズは置いといて‥サーズは、当時日本では感染者が居なかったので、あまり関係の無いことだったけど、名前だけは私でも憶えがある。サーズのことも番組内では話していた。サーズも発祥は中国で、32の国や地域に感染していった。死者は774人‥2002年11月の話しである。この時WHOは、翌年の7月に終息宣言をした。結局8ヶ月もかかってしまったのだが、では何をもって終息とするのか。日本はサーズによる感染者が居なかったので、終息宣言をすることを、一度もしたことがなかった‥なので分からない。余談だが、マーズのほうはサウジアラビアで始まって、しかも現在も続いている病気だというから、驚いてしまう。この番組を見て良かったなぁ‥と思う点は、回復者の話しを取り上げていたことである。感染者と死者の話しは毎日嫌と言うほど聞くが、回復した人の話しを聞くことが無い。ここでの回復者の話しは、武漢市の医師だった。「最初は咳と発熱、喉の違和感‥ここでウイルス性の風邪だと思った。入院して2~3日目からは、熱が41度‥高熱は続いた。数日後には呼吸が苦しくなり酸素マスク着用。解熱剤と霧化治療をする」霧化治療というのは、薬を霧状にして吸入する治療らしいが、解熱剤とこの霧化治療で回復に向かったと言われた。武漢の医師である彼の言葉なのだが、「慌てず落ち着いて自分の免疫力を高めていけば、新型コロナウイルスに打ち勝つことが出来る」と力強い言葉を頂いた。いくら免疫力が衰えているからといって、手をこまねくのは間違いだ。筋肉だって、衰えていくといっても頑張ればその衰えを止める事ができる。いや増やすことだって出来るのだ。同じことが、全てのことに通じる。知力を高めることも出来るし、新しい技術を身に付けることも出来る。ストレスを減らすことも、考え方を変えることで確実減らせるし、免疫力を高めることも、日常生活を見直すことで出来ることである。どんなことでも諦める対象にはならないのである。最後の池上彰さんのメッセージは、小学校から大学まで一斉休校したイタリアの校長先生の話しだった。ボルタ高校の校長先生が、学校のホームページで、全校生徒へメッセージを載せていた。1630年にイタリアミラノを襲ったペストの流行を描いた小説を、引き合いに出してのメッセージだった。その小説では、当時起こった人々の疑心暗鬼から引き起こされる、醜い人間が起こした様々な行為‥感染者を吊し上げたり、バカげたデマに振り回されたり、生活必需品を買いあさったり‥。16世紀から17世紀にかけてのこの状態と現代とでは、状況が違う。今は、確かに進歩し続けている医療があるのだから、私たちの一番大切な社会と人間性を守っていこう‥と文面は力強い。「合理的な思考をしていこう。では皆さん、学校で待ってます!」とメッセージは締め括っていた。自粛されたために、私も運動や学びを通じての仲間に会えていない。会う時は、しっかり自己管理をして、自分で出来る限りのことをして、笑顔で会いたいと思っている。
2020年03月10日
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「なんで足が痛いの?」‥えーっと、えーっと、運動していないし‥。と朝起きて一瞬思うけど、すぐに考えるのを止めてしまう。でも、立ったり座ったりすると足全体に鈍い痛みがくるので、また考えるのだけど‥。そんなことを2,3回していて思い出した。「あっ、昨日思いっきり一日中草取りしていたんだった!」いつもと違う慣れない動きを、丸一日していたのだ。朝方に軽く雨が降った。というか、流されてきた雨だったのだ。風が強かったので、斜めに雨が飛んできた。(今日は晴れだって言ってたのにぃ‥)とガッカリするが、さほど気になる雨ではない。でも洗濯には適さないよなぁ‥、と考える。暫くは家の中で色々片付けをしているのだが、合間に外に出たりしていると、次第に雨が飛んでこなくなった。すると、私の頭の中では(これは良い塩梅だ)と考える。草取りは少し湿り気が有った後で行なうと、滅茶苦茶スムーズに草が取れるからである。これが沢山雨が降った後になると、簡単に草が抜けるけれど、手とか服とかが汚れてしまう。だから、チョッとした湿り気程度が、一番適しているのである。それで、家の片付けから外作業に切り替えた。勿論完全防備をして、水分補給もしっかり出来るように、万全な体制で始めたのである。私は何かやり始めると、途中で終わらない。草取りに至っては、特にその傾向にある。だって目の前には次々と草が現れるのだから、次々に取ろうという気持ちで、終わりが見えなくなってしまうのだ。会社に行っている時は、そんな気持ちにもセーブが掛かった。万全でない体調で、仕事をするわけにはいかないからだ。でも今は‥そんなことを気にする必要が無い。だけど気にしなくてはいけないことが‥歳を取ったということだ。体は自分が思っているより、疲労してしまっている。でも、昨日はそんなことも忘れて草取りに夢中になってしまった。それもこれも、運動不足だからである。新型コロナウイルスが原因で、私が行っている全ての施設から、中止連絡がきてしまった。最初は毎日文化センターからだった。2月下旬に「3月の第一週を中止します」という内容だった。次にNHK文化センターで、やっぱり1週間休むというものだった。これはもしかして?と思って中日文化センターのホームページに行くと、中日は2週間の休みを出していた。中日文化センターは、第三金曜日だけが私と関係しているので、電話は無いのだと思う。3月1日に電話が有ったのは、大治スポーツクラブからだった。ここで私は「バレトン」をやっている。スポーツクラブからは、いきなり明日から1ヶ月間、開催している全てのスポーツを中止とするという内容だった。やはり町営だから、国の影響を受けやすいのだろうねぇ‥。だからといって、次の日から1ヶ月の中止。次の日の月曜がバレトンの日だったから、あまりにも急過ぎるという印象を持ってしまったのだが、これも致し方ないのだろう。残るは、公民館で行なっているヨガとオカリナだったが、どちらも1ヶ月の中止を相次いで言ってきた。公民館を使っているので、これもきっと町の意向なんだろうと思う。そして、1週間と言っていた毎日とNHKの文化センターも、2週間の中止に切り替わってしまった。というわけで、私の日常は一遍した。通常動くだけの、最小限の動きしか出来なくなってしまったのである。一番の遠出が、歩いて10分のスーパーとなってしまった。運動不足に陥ってしまった。しかも運動嫌いな私は、積極的に家で運動をしない。それで夢中になって草取りをしたのだが、結果、次の日に疲労がやってくる‥疲労が押し寄せてきてしまった。なので、今日は動かないと決めた。家の中から一歩も出ない‥きっと歩数計も最低の値を示すだろうね。新型コロナウイルス‥なんとか早く終息してくれないかなぁ‥。
2020年03月07日
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「議論はいらない、実行あるのみ」この言葉は、亡くなった中村哲医師の言葉である。中村さんは去年の12月にアフガニスタンで銃撃され死亡した。背筋もピンとした、まだまだ元気な73歳だった。この人の話しは、世界で活躍する日本人として、色々な番組が忘れていた頃に、取り上げていたと思う。ノーベル平和賞候補にも、上がっていた人だ。亡くなった時のニュースも聞いたが、見た番組ともその場では一致しなかったし、いままで見た番組も、きちんと座って見てはいない。私の得意とする(笑)「何々しながら見る」やり方だった。これらの、とぎれとぎれの記憶を一つにしてくれたのは、「世界一受けたい授業」だった。えっ?医者なんだよね!?‥なんで井戸掘りを??医者なのに、しかも50歳を過ぎてから、全くの素人が井戸掘りをする。これは、彼が行き付いた答えだったのだ。それは‥飢えや渇きは、薬では治せないということ‥。薬より大切なものがあると、中村医師は気づくのだった。「殆どの病気は、十分な食べ物と清潔な飲料水があればかからない」飢えや渇きは、薬では治せないというものだった。37歳でパキスタンに渡った中村医師は、ハンセン病に取り組んでいた。その時もただ病気を治すのではなく、病気にならないためにはどうすれば良いかを考えて、予防措置をすることにしたのだ。ハンセン病は慢性の感染症である。足裏の感覚がマヒすると、小さな傷に気付かず重症化してしまい、最悪、足を切断しなければならないのだ。だから裸足であることが問題だと捉え、予防措置として、病院内にサンダル工房を併設した。廃棄物であるタイヤのゴムを利用して、サンダルを作らせたのだ。日本から吐き古したサンダルを取り寄せるのではなく、現地で現地の人が現地のモノで作ることに、彼は拘った。自分たちで出来ることは、自分たちでさせる。そうすることで自立できるし、技術は後世にも引き継がれるからだ。これによってハンセン病になる患者は、大幅に激減した。しかし2000年の夏、干ばつによって壊滅的な打撃を受けたアフガニスタンは、綺麗な飲み水が手に入らなかった。中村医師は、この頃パキスタンやアフガニスタンに診療所を作り、国を行き来していたのである。そこで、井戸掘りなのである、医者にも関わらず‥。井戸掘りも現場で率先して、掘った地下に何度も降りている。そうやって40日目‥地下を掘ること40メートル。ついに地下水が出たのである。それに続いて最初の1年間で、600本も井戸を掘ったという。飲み水はこれで確保できた、それはそれで良かったのだが‥。住民は砂漠化されている場所で、食べるものも仕事も無い。だから、生きていけなかったのだ。それを感じた中村医師は、「100の診療所より、1本の用水路が必要」であると悟る。ということで、次に着手したのが、近くの川から水を引っ張ってくることだった。何度も言うが、彼は医者であり土木関係の仕事をしている人でない。全くの独学で、日本の用水路作りを本から学ぶ。今の方法ではなく、あくまで現地で賄える材料で作る。だから昔の日本人が築いてきた用水路作りが、お手本なのだ。「議論はいらない、実行あるのみ」と言って、2003年3月に工事を開始する。中村医師は、自ら重機を操っていた。争いごとの多くは貧困から始まっている。だからこそ、農民としての仕事が出来る環境作りが必要なわけで、そのためには水が欠かせないということだ。「水があれば農業が出来る。そうすれば平和に暮らせる。もう難民をやらなくてもいいんだ」用水路を作る現地の人たちの目は、輝いていた。1年で用水路を1500メートル作り、その3年後には13キロまで伸ばすことが出来た。更にその2年後には、25キロまで伸びた。砂漠が水で潤い、緑で一杯になったのである。他にも中村医師は、イスラム教徒の彼らのために礼拝所を作り、子供たちのために学校も作った。本当に医者なの?聞けば聞くほど驚いてしまう。彼が去年銃撃戦で撃たれた後、その棺はアフガニスタンの大統領が担いだ。国全体で、彼の死を追悼したのである。彼をそこまで突き動かしたものは何だろう?無償の愛‥という一言で済ませることなどできようか?縁もゆかりも無い遠い異国の地に生涯を捧げ、そしてまだまだ成し遂げたいことがあっただろうに、無念の一生を閉じてしまった‥、中村哲医師に黙祷。
2020年03月03日
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