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へべれけに酔って、醜態を見せても、「彼は、普段、酒を飲まない」とかばう総理大臣。「総理がやれというから、続ける」と言う中川氏。中川氏は、普段から酒癖が悪く、「なんであんなのを大臣にしたのか」と人ごとのように言う、森元総理大臣。結局、大臣は辞めたものの、議員辞職はしないで今も給料をもらい続けている。政治家は、ずうずうしい。普通の会社に勤めている人間が、仕事時間に酔っ払って、醜態を見せたら、即刻、クビだ。中川氏に「酒を飲んでいるのか?」と聞かなかったマスコミは、中川氏を責めるばかりしないで、自らも、猛省しなければならない。こんな議員は、即刻、クビだ。写真は、大根のクビだ!■□■1月の書き残したネタ帳■□■*梅の古木*川戸*五個荘*日野*平凡な地名*古い地名*大根のクビ*日野の観光協会■□■2009.2月に見た映画■□■7■K-20怪人二十面相・伝■2.18■マンマ・ミーア!■2.49■英国王給仕人に乾杯!■2.7(0円)10■懺悔■2.7(0円)・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月27日*聖なる家 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.28
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琵琶湖湖畔の町、近江八幡で買ったお土産が、これ。♪レバーのようでレバーでなし、(ベン、ベン)マグロのようで、まぐろでなし、(ベン、ベン)レンガのようで、レンガでなし、(ベン、ベン)それは何かと訊ねたたら、、(ベン、ベン)こんにゃく、こんにゃく、こんにゃく・・・。 ■「赤こんにゃく」■こんにゃくといえば、普通ねずみ色とか白っぽい色だと思っていませんか?ところが、滋賀県の近江八幡では、こんにゃくといえば「赤」なんです。初めて見る方はちょっとびっくりなさるかもしれません。一見、まぐろやれんがのようにみえる、インパクトのある赤。とうがらしを想像させる赤色ですが、別に辛子が入っているわけではありません。食べてみると、ごく普通のこんにゃくです。スーパーや食料品店で、いつでも手に入ります。派手好みの武将・織田信長が、こんにゃくまで赤く染めさせたのが、近江八幡の赤こんにゃくの由来といわれています。へえ~~!!!■梅と雛と冬鳥の旅■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月27日*聖なる家 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.27
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「お父(おとう)が死んだ時は・・・」と私が子どもの頃、父が言った。父の父、私の祖父は、父母が結婚する、随分前に死んでいた。「お父(おとう)が死んだ時は、わしは、辛(つろう)て、半年ぐらい立ち直れなんだ。でも、お母(かあ)が死んだ時は、あんたらがいてくれたから・・・。」父から聞いた言葉の数々の中で、印象に残っている言葉のひとつである。私が生まれたことが、ちょっとでも意味があるのだと思った。父の悲しみを和らげることの出来る存在・・・。私は、必要とされて、この世に生まれたのだと。2002年の2月26日は、父の命日だ。そして、明日、27日は、私の誕生日。私から娘に、娘から孫へ・・・。連綿とつながる命を私たちは、送り続けている。人が死ぬことは、命をおくること。だから、私の中で父は今も、生きているのだ。■父の麦わら帽子■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月26日*父の麦わら帽子:目次*UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.26
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その素朴な愛らしいデザインが昭和59年、 平成4年、平成7年の年賀切手に採用されている人形を見つけた。■梅と鳥と雛の旅■の3日目は雛を見に五個荘と日野という町に行った。五個荘は、近江商人の町。その町で、気になる雛を見た。「小幡雛」と書いてあった。*小幡人形(おばたでこ)* 滋賀県唯一の伝統的な土人形で、約270年の歴史があります。色鮮やかな原色を使い、約500種類にもおよぶ土人形は、この地の風土が培った貴重な伝統郷土人形です。大きさは90cm~3cmの小さい物に至るまで、一点一点さまざまな表情をもち、美しい色彩が特徴です。明治期には数軒の家で製作されていましたが、いまでは細居源悟(ほそいげんご)さん(五個荘小幡町)ただ一人が、伝統を受け継ぎ製作を続けています。 3月5月の節句人形、信仰縁起もの、教訓に関するもの、十二支にちなむもの、風俗人形、などなど人形は、約500種類におよぶ。初代は、京都通いの飛脚をしていたが、度々の追いはぎ、恐喝に遭い、賠償金に困った。そこで、当時、盛んに作られていた、伏見人形を修得して、人形職人に転職した。中山道と伊勢とを結ぶ近道が分岐する交通の要衝でもあった小幡では、旅人の土産物として、需要が多かったのだ。写真の雛は、2年前に近江八幡市内で見たものだが、これももしかしたら小幡雛かもしれない。今では、小幡でこ後継者もいないままたった一軒が作っているのみ。なくなるには、あまりにもったいない人形だ。今回は、小幡には行けなかったけれど一度、人形を見に行きたいものだ。お問い合わせ先所在地: 東近江市五個荘小幡町 TEL: 0748-48-4075 見学の際は要連絡。■梅と雛と冬鳥の旅■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月25日*「秩父山中花のあとさき」*UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.25
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琵琶湖の野鳥センターで水鳥を見た後、米原市にある三島池にも冬鳥を見に行った。●規模 周囲:約780m、面積:3万9000平方メートル、水位:50cm前後 の三島池は、三島神社との関係が深く、昔から鳥獣や魚貝類が保護されてきた。 かつては、ここにヒシクイという鳥が飛来していた。「ヒシクイ」は名前の由来は、「ヒシの実」を食べるからだという。ヒシクイも、護岸の「整備」でヒシがなくなり、来なくなったという。県営ビジターセンターで話を聞くと、鳥インフルエンザや糞のため、付近の住民は、鳥を大事にするのに反対らしい。 三島池の周りは、舗装されていて、車でぐるりと回れる。舗装は、いたしかたない。車椅子の人もいるのだから。しかし、こんな場所まで車が入り込むのは、考え物だ。鳥インフルエンザだ、糞だと騒ぐが、その原因は、池や沼を埋め、鳥たちの住む場所を少なくしたから。人間のエゴが感じられて、憂鬱になる。■三島池■■こんなものいらない:二つの野鳥センター ■■梅と雛と冬鳥の旅 ■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月23日*雛は2月の風に・・・。*UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.23
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梅の次は鳥。2日目は、長浜の近くまで、琵琶湖に来る鳥を見に行った。ここには、ふたつの野鳥センターがある。それも、隣りあわせで・・・。■湖北野鳥センター■は、琵琶湖岸に多い水鳥の生態を学び、多くの人に野鳥に対して関心を持ってもらい、水鳥を保護することが目的で、1988年11月18日に開設されました。 ■琵琶湖水鳥・湿地センター■は、1993年に琵琶湖がラムサール条約・登録湿地となったことから水鳥の保護と湿地の保全推進を目的に1997年5月14日に開設されました。北海道のクッチャロ湖、厚岸湖・別寒辺牛湿原に次いで全国3番目の施設です。こんなに近くに、同じような施設が本当に必要なのだろうか?もし、*ラムサール条約*を本当に守ろうとするのなら、ここをもっと自然な場所にするべきだ。建物は、最小限にして、自然を残すことが、本当の意味での自然保護なのだ。土建屋と政治家の癒着臭がプンプンしているようなセンターだ。**「ラムサール条約」**イランの首都テヘランの北、カスピ海の近くに「ラムサール」という町があります。1971年に水鳥と湿地に関する国際会議が開かれ、「特に水鳥の生息地として国際的に大切な湿地に関する条約」が取り決められました。この条約は、町の名前をとって「ラムサール条約」と呼ばれています。■梅と雛と冬鳥の旅■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月22日*お粥(かい)さん*UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.22
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東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな の歌で有名な、菅原道真公は、ことのほか梅が好きだったらしい。平安期に造られたという北野天満宮は全国各地に菅公をお祀りする天満宮や天神社の宗祀(中心的な神社)であり、約2万坪の境内に50種約2,000本(門内・梅苑各1,000本づつ)の縁の梅がある。2月25日は菅公の命日にあたり梅花祭が斎行され、当日は上七軒歌舞会協賛の野点茶会が三光門前西広場にて催される。 梅と共に、天満宮で目に付くのが牛。これは、菅原道真がうし年、うしの月、うしの日、うしの刻生まれだからという。そういえば、今年はうし年!■北野天満宮■HP■梅と雛と冬鳥の旅■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月21日*あそび唄:誘い唄*UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.21
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2月の花といえば、梅です。早咲きの梅の花を探すことを<探梅(たんばい)>といいます。今のうちに梅を見よう。「雛人形は2月の風にあてなければいけない」という言い伝えがある。町にかざってある、雛を見よう。 ■冬鳥を見に行く。寒いけれど、でも白鳥、鴨などの冬鳥たちの、寒いからこそいきいきしている姿をみるとうれしくなります。本格的な春が来て、鳥たちが北の国へ帰ってしまう前に、ぜひ。そんなわけで、梅と雛と水鳥を見に2月17日~19日、京都、滋賀県に行ってきました。・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月20日*地名は文化遺産 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.20
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*「いがわこみち 」*郡上八幡旧庁舎記念館の横にある鯉や川魚が泳ぐ豊かな用水です。 民家の裏手を流れ、夏になればスイカが冷やされオトリに使う鮎が篭に入れてあったりする光景も。洗濯場が3ヶ所あり近所のおばさんたちの社交の場でもあったりするのですが、最近はカメラなどを向けられるのを嫌がって、その数は昔と比べると減ったみたいです。でも川に魚がいる、川の水でものをすすぐ、なんてことは少し前まではごく当たりまえのことでしたが、それが名所のなるなんて少し哀しい気がしませんか? 「いがわのこみち」は、郡上八幡の目玉観光のひとつ。今時、こんな美しい用水があるのかと感動した。私が行った時にも、小学生の団体が来ていた。 洗い場組合員の名簿が書かれている板があり、 かつてはここで、洗濯が行われていたのだろう。 鯉がたくさんいて、下のような「掟」を書いた板があった。 「掟」1.この水路に空き缶、空き瓶、その他ごみ類の投げ込みを禁ず。2.この水路に生息する鯉を虐待、または捕獲することを禁ず。鯉は常盤地蔵尊の化身として庇護されており右の掟を犯した者、町内を挽き回しの上、討首獄門に処す。美濃国郡上藩代官 小径 清左衛門:::::::::::::単に水が流れているのではなく、そこで洗濯をし、鯉を飼い、組合を作って水を守る。あるべき、水の姿だ。・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月16日*父の麦わら帽子:今日は死ぬのにもってこいの日*UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.16
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郡上八幡には御用用水とよばれる清らかな用水が縦横に走っている。御用用水と平行して柳町を流れているのがこの「柳町用水」。生活に密着した小さな用水だ。水利用の仕組みは、各家々が持っている堰板をはめこんで水位を上げ、洗い物などをするというもの。 私が行った時は、用水の水で障子を洗っていた。かつては、どこででも見られた、懐かしい昭和の風景だ。 ■川のあるまち・郡上八幡■ ■信州・上高地■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月15日*「おみい」の語源 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.15
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郡上八幡は長良川の上流に位置し、奥美濃の山々から流れ出た吉田川、小駄良川など三つの川が合流するところにある。吉田川は、長良川最大の支流で市街地の中央を流れる川。宮が瀬橋からは川底の石が数えられるほど透きとおった水の流れと、緑の山の頂きにそびえる郡上八幡城が眺めらる。 ▲新橋から見た吉田川。▲新橋は夏になると渦巻く瀬めがけて子供たちが橋の上から飛び込むことで知られている。昔から新橋から飛びこむことは、郡上八幡に生まれた子供たちにとっては、ひとつの通過儀礼のようなものなの。最初は低い岩から飛びこみ、三角岩、サンリキ岩、学校橋、やがて新橋。 ▲川岸づたいに「宮が瀬こみち」という親水遊歩道▲があって、川風を頬にうけながらのんびり散策をするとこの町の人々の暮らしがいかに自然と一体となっているかが分かります。 ♪今夜会いましょ、宮が瀬橋で 月の出るころ、上がるころ (郡上節より)■去年11月11日から13日、長野県■に行って帰りに寄った郡上八幡。日本中、川のないまちはないけれど、本当の川のあるまちは少ない。郡上八幡は、数少ない、本当の川のあるまちだ。■郡上八幡市■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月14日*新歳時記:バレンタインデー *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.14
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先日、「秘密のケンミンSHOW」という番組で愛媛県名物のポンジュースの由来について紹介していた。愛媛を代表する飲み物「ポンジュース」(株式会社えひめ飲料)の「ポン」は、ニッポンの「ポン」とのこと。日本一のジュースになるようにという願いを込められているという。有名な「ポンジュース」のポンは、ニッポンのポンだったとはと、まず、ここでびっくりした。ジュースの名前を「ポン」にしようとした時、猛反対があったという。なぜなら、「ポン」は愛媛県の方言で「うんこ」という意味があるため、「ポンジュース」=「うんこジュース」になってしまうという。ところが、殿様の末裔で当時の愛媛県知事が「ポンジュース」は「ボンジュール」に似ていて良いという鶴の一声で「ポンジュース」に決ったそうだ。なるほど、カタカナでかけば似てるけど、「ポンジュース」は、Pではじまり、「ボンジュール」は、Bではじまる。どこが似てるんじゃ。 (ノ`Д´)ノ彡┻━┻番組を見ながらはたと思った。愛媛でも、うんこをポンというのかと・・・。なぜなら、私が幼児だった頃、父とその前の世代は、ウンチをポンを言っていた。「おなかが痛い」というと「ポンをせえ」と言われたものだ。「へんなれ、ぽんなれ・・・」。私が、小さい頃、おなかが痛いというと、父がそう言いながら、さすってくれた。大人になって分かったのだが、それは、「腹の中の悪いものは、屁や大便になって出て行け」というおまじないだったのだ。いまや死語となったポンという言葉は、当時、岡山のみならず、愛媛でも、使われていたというのfが今回の一番の驚きだった。■父の麦わら帽子:へんなれぽんなれ ■■秘密のケンミンSHOW■♪音が出ます。■おまけ■「へんなれ、ぽんなれ、おおばたけのこえなれ」「屁になれ、ポン(大便)になれ、大畑の肥になれ」・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月11日*如月の語源 /寒明(かんあけ)の雨 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.13
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石州瓦(せきしゅうがわら)の生産地は、島根県の中西部にあたる石見(いわみ)地方です。はるか昔、石見地方は「石見の国」と呼ばれており、それが石州瓦の名の由来となっています。 石州瓦の特徴といえば、なんといっても独特といわれる「赤瓦」です。江戸時代の中期、「来待石(きまちいし)」と呼ばれる雲州地方(現在の島根県八束郡)で採れる石から抽出する釉薬を使っていることが、石州瓦が赤い理由です。山陰地方では、石州瓦を使った赤い瓦屋根が連なる街並みがこの地方独特の情緒を醸しだしています。 ■石州瓦(せきしゅうがわら)■・・・・・・・・・・山陰地方を旅行していると、家々の瓦が揃って赤いのにビックリする。■去年の夏、世界遺産になった島根県の石見(いわみ)銀山に行った。■最近、建てられた家の屋根は、単なる赤色。しかし、年月のたった屋根は、単なる赤から濃い色の混ざった趣のある屋根になる。この屋根も、複雑な色になっている。家を建て替える時には、この瓦は取り替えられ、新しい瓦になるのだろう。その方が、一枚一枚丁寧にはがしすよりも簡単だし、お金もかからないから。古い瓦は、ごみとして、破棄される。もったいないことだ。なによりも、趣のある瓦屋根になるには、そうとうの年月がかかるのだ。・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月11日*初午(はつうま)*UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.11
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■懺悔:あらすじ■♪音が出ます。私は見た。なすすべもなく・・・。架空の地方都市で長く市長として権力を振るっていた男・ヴァルラムの死から物語が始まる。その死亡記事を見つめる女性・ケテヴァン。両親をヴァルラムに粛清され、人生を狂わされた彼女の回想を通して、彼女の家族や市民がたどった苦難の道のりが、力強く幻想的に描かれる。ソビエト連邦解体につながるペレストロイカの象徴となった伝説的映画が、20年の時を経て日本にて公開。・・・・・・・・・・旧ソビエト連邦の厳格な検閲の下、グルジア共和国で製作された映画。1984年に完成。1986年に公開された。見るものに、スターリン書記長による大粛清を想起させる内容は、その時代を真正面から批判した映画として、全世界の注目を集めた。その後、ソビエト全土でも公開され、その社会的な反響は1991年のソビエト連邦解体にもつながるペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)の象徴となった。チラシより抜粋。20年以上前に作られた映画が、やっと日本で公開された。上映してたのは、良心の映画館「ナナゲイ」こと「第七芸術劇場」。罪もない夫を奪われた妻や父母を殺された娘・・・。それをなすすべもなく、見ていなければならなかった市民。人類が、再び大きな過ちを犯さないために忘れてはならない事実がある。日本人も、過去の戦争を忘れたがる。しかし、「過去を記憶できない者は、その過去を繰り返す運命を背負わされている」。ジョージ・サンタヤーナ(哲学者)・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月10日*火を焚く音/昭和恋々:下駄 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.10
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■英国王給仕人に乾杯!:あらすじ■小は大より美しい・・・。小さな国の給仕人が生きぬいた愛と笑いの20世紀チェコ現代史小柄な青年ヤンがホテル王を夢見て、まずは給仕の仕事に就く。やがて彼はプラハの“ホテル・パリ”に雇われ、自分よりも小さなドイツ人女性リーザと恋に落ちるが、ヒトラーの侵攻で波乱の運命をたどることに。チェコの名匠イジー・メンツェルが久々に発表した最新作。とあるホテル給仕人の奇妙な人生を通して、東欧の小国チェコがたどった激動の現代史を浮き彫りにする。チェコって、かわいい雑貨などで知られているが、本当のところどんな国なのか知らなかった。第2次世界大戦の頃には、ヒットラーのドイツに占領されていた。チェコ人にとって、ドイツ人は、憎き仇。ドイツ人少女がホテルの食堂に来て、テーブルに座ろうとすると「予約」の札を出す。違うテーブルに座ろうとすると、またもや「予約」の札を出す。ドイツ語を話す客には、「ドイツ語は分かりません」と相手にしない。などなど、抵抗をする。主人公は、チェコ人だけれど、ドイツの少女を助けたのが縁で、結婚することになる。チェコ人は、スラブ民族、ドイツ人は、アーリア人種。ドイツ人が他の民族と結婚するためにはテストが必要だったりする。ユダヤ人の迫害など、とても悲劇な話もあるのだけれど、思わず笑ってしまう。この辺りが、不謹慎といわれたりするところだ。ホテルの料理が素晴らしい。眼福、眼福。白いハイソックスをはいているのは、ドイツ人というのが決まりなんだそうだけど、はじめて知ったわ。歴史には悲しみがある。悲しみには笑いがある。笑いには愛がある。・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月8日*貧乏人は餅を、金持ちは芋を・・・ *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.09
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41.関西弁では「12(じゅうに)」の次は「13(じゅうそう)」と言います。「大阪Tips50」より。このネタの元になったのが「十三(じゅうそう)」という町。十三(じゅうそう)は、大阪府大阪市淀川区にある地名。 地名の由来は、旧摂津国西成郡の南端を一条とし、北へ順次数えると十三条の場所に当たるという条里制に基づく説[や、昔ここにあった淀川の渡しが、摂津国において上流から13番目だった説など、諸説存在する。この十三の駅からすぐの商店街の中にある小さな映画館「ナナゲイ」に7日行ってきた。96席と映画館としては小さいけれど、他の映画館は、決してやらないような映画をやるので有名な映画館だ。2月7日現在、「いのちの作法」「懺悔」、「フツーの仕事がしたい」の3本が上映されているがいずれも、問題作ばかり。そして、大阪では、「ナナゲイ」のみという作品だ。ところで「ナナゲイ」というのは、通称。正式には「第七芸術劇場」という。ところで、みなさまは「第七藝術」という言葉をご存知ですか?名づけ親はイタリアのR・カニュード(1879~1923)。映画はその最初期、大衆娯楽でしかなく、「芸術」としては認められていなかったのです。そこで彼は、音楽・舞踏・文学という「時間の芸術」と、建築・絵画・彫刻の「空間の芸術」をつなぐ「第7番目の芸術」として、“映画”を定義づけたのですこの「ナナゲイ」、1999年5月末より休館していたが、2002年7月、地元の支援を受けて再オープンいた。採算よりも、中身で上映する映画を選ぶ「ナナゲイ」は十三の、大阪の誇りだ。■おまけ■映画を見に行ったのは、7日だったがナナゲイにちなんだわけではない。■第七芸術劇場■HP■大阪市淀川区十三本町1-7-27サンポードシティ6F■TEL:06-6302-2073/FAX:06-6302-8820■阪急梅田駅から電車で5分「十三」駅西口下車、徒歩3分・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月7日*父の麦わら帽子:今日は死ぬのにもってこいの日/言葉の謎!「さぶい」と「さむい」 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.07
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■マンマ・ミーア!:あらすじ■♪音が出ます!エーゲ海に浮かぶギリシャの小島を舞台に、20歳の花嫁ソフィの結婚式前日から24時間を描いた物語。小さなリゾート・ホテルを営む母ドナと2人暮らしで、父親を知らずに育ったソフィは、内緒でドナの日記を読み、父親の可能性のある昔の恋人3人に招待状を出す。人気グループ、ABBAの曲を全編にちりばめ、世界的ヒットを記録したミュージカルを映画化。結婚式を控えた女性が、顔すら知らぬ父親を招待しようとしたことから起きる騒動を描く。1999年初演のヒットミュージカル「マンマ・ミーア!」の映画化。劇団四季の舞台を見に行こうと、娘を誘ったら、もう見たと言われ、いまだに舞台を見たことのないミュージカルだ。映画が始まる前から、ABBAのナンバーが流れていて、後ろに人が小声で歌っていた。それくらいABBAのヒットナンバーが楽しくて、踊りたくなる。タイトルの「マンマ・ミーア!」とは、「私のお母さん」だが、「Oh, My God!」と同じ驚きの言葉。そのとうり、驚きの結末になる。映画は1月30日に始まったので2月1日に行ったら、満員。やむなく、2月4日にしたが、レディースデーで、1回待った。ABBAをなつかしがる世代も若い人にも受ける、久しぶりの大ヒット映画だ。■劇団四季「マンマ・ミーア!」■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月5日*恵方巻き/サルビア歳時記:2月の季語 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.05
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白沙村荘(はくさそんそう)は知らなくても、「哲学の道」は、日本の道100選にも選ばれている散歩道である。特に両岸に植えられた桜はみごとで春の「哲学の道」は、桜の名所としても知られている。その桜は「関雪桜(かんせつざくら)」よばれている。近くに居を構えた日本画家・橋本関雪の夫人が大正年間、京都市に苗木を寄贈したのに始まる。その橋本関雪が住んだ屋敷が白沙村荘。その白沙村荘に友人と行ったのは、1月20日。国の名勝に指定されている庭園部分は2600坪あまり。関雪がこの土地を手にいてた時、一面の水田だった。したがって、土も木も石もすべて運んだものだ。石の置き場所を決めたのも、関雪、本人。「石も木も呼吸している。それを見た瞬間、その呼吸さえぴったりすれば、すぐどこに据えるかという判断がつくべきである。これは私の信条である。ひとつの物象を見た刹那、これを描こう、そう感じた時、すでに絵は出来ているのである。石を据え、木を植えるのも同じ理合いでなければならぬ。」橋本関雪遺稿より抜粋。「離合反復常なき人事にあって、一木一石は私の唯一の伴侶であったとも言える。」自然は裏切らないもんね・・・。それにしても、総敷地面積3400坪という、今時、考えられないような規模の家に、びっくりした。■白沙村荘HP■■アクセスJR京都駅(烏丸七条)から 駅ビル前バス停から 京都市バス5系統/17系統/100系統に乗車40分、銀閣寺前/銀閣寺道バス停下車 徒歩3分 ■開館 10:00~17:00まで・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月3日*ほんに今夜は節分か。 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.03
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■K-20怪人二十面相・伝:あらすじ■♪音が出ます。舞台は架空都市<帝都>。19世紀から続く華族制度により、極端な格差社会が生まれ、帝都の富の9割がごく一部の特権階級“華族”に集中していた。そんな中、富裕層のみをターゲットとし、次々と美術品や骨董品を魔法のような手口で盗んでしまう<怪人二十面相>通称“K-20”が出現し、世間を騒がせていた。サーカスの曲芸師・遠藤平吉(金城武)はある日、サーカスを見に来ていた紳士から、羽柴財閥の令嬢・羽柴葉子(松たか子)と名探偵・明智小五郎(仲村トオル)の結納の儀に潜入し、写真を撮ってきてほしいとの依頼を受ける。報酬につられ了解した平吉だが、それは二十面相の罠だった。『ALWAYS 三丁目の夕日』のスタッフが贈る、かつてないアクション・エンターテイメント。「怪人二十面相」と言えば、江戸川乱歩の名作。この「K-20怪人二十面相・伝」は、その「怪人二十面相」を元にした、北村想の小説『完全版 怪人二十面相・伝』が原作。太平洋戦争がなかったという設定の1949年が時代となっている。しかし、扉の模様や、テーブルランプの形など、アールデコの匂いがプンプンして、1920年代という方があっている。その上、○○公爵だの婚約式だのと時代がかっていて、どうみても大正時代だ。内容は、ハラハラドキドキで飽きさせない。金城武は、サーカスの団員、遠藤平吉にピッタリだし、仲村トオルの明智小五郎も似合っている。映画の中には、極端な格差社会が描かれている。主演の松たか子は、華族の令嬢だが、金城演じる遠藤平吉に言われ、今の世の中は間違っていると気づく。現代と重ねあわさずにはいられない。小林少年が平気でピストルを持っていたり、ピンチの平吉をヘリコプターに乗って助けにくる華族令嬢。そんな場面も「ありえない」とは思わず、「面白い」と思ってしまう。2時間があっという間のエンターテイメントとして上級の映画だった。・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月2日*年越しのお化け/イワシの頭も信心から *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.02
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■冬鳥を見に行く。寒いけれど、でも白鳥、鴨などの冬鳥たちの、寒いからこそいきいきしている姿をみるとうれしくなります。本格的な春が来て、鳥たちが北の国へ帰ってしまう前に、ぜひ。■バレンタインデーにはちゃんと参加する。あの人にもこの人にも、ではなく、スタンダードな美味しいのを少しだけ、意中の男子に。子供だましな行事、と冷めた目で見ないで、参加してみるのもまた一興。■あ、風邪かも、と思ったら、こうして治す。すりおろしたしょうがとつぶした梅干を湯のみに入れて、熱い番茶をそそぎます。そしてしょうゆをたらします。茶葉を商う店で教わった、風邪のひきはじめに効く飲み物です。「サルビア歳時記」木村衣有子 ■冬鳥を見ようと、双眼鏡を持っているが、最近使っていない。 真冬のまったく餌のない時期をのぞいて、野鳥にをむやみに餌をやってはいけないのだそうだ。■バレンタインデーは、パス。しかし、今年はハワイのチョコレートが残っているので、みんなに配ろう。バレンタインデーは、しないけれど、節分は、しっかいと。豆を撒かない代わりに、豆ご飯。巻き寿司は、海苔屋の作戦とは知っていても、作って食べる。■私はめったに風邪をひかない。しかし、ハワイでは最後の日、寒気がして、半袖の皆を尻目にジャンバーを着ていた。一人で先に帰ったので、妹にもらった、「熱サマシート」を額に貼って、その上から帽子を被り飛行機に乗った。帰って翌日は、仕事。その次は、東京から来た友人と京都。その次は孫。そして仕事・・・。いつの間には治っていた。私の場合、緊張感が薬らしい。■1月の三箇条■■2月の季語■・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月30日*トリビアの井戸:コナモン文化 *UP・・・・・・・・・・・・・
2009.02.01
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