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下の娘、レイが来月の初めに2年間の予定でイギリスに行く。そのために、レイの荷物を運ぶなど、8月はバタバタと過ぎていった。*2日岡山の実家に軽自動車で小さな荷物を運ぶ。*19日、20日琵琶湖の湖畔の宿に泊まる。*27日レンタカーで軽トラを借り、引越し荷物を運ぶ。*29日うちの近所にある夫の実家にも荷物を預ける。*30日最終的な荷物を運ぶ。レイは古い小さな一軒家で一人暮らしをしていた。その上、趣味人で、小さいながら着物用の桐の箪笥を持つなど衣類が多い。この際、処分すればというのだけれど、どれも大好きな服ばかりなので処分できないのだそうだ。しかも、引越し業者に頼むと高くつくから自分で運ぶというので、私たち夫婦も手伝った。そんなレイに振り回されながらも、引越しでかいた汗を、スーパー銭湯で流すなど、けっこう楽しかった。引越しで頑張る夫も楽しそうに見えた。夫と私とレイ。引越し手伝いという名の日帰り旅行を2回したのだ。こうして8月は飛ぶように過ぎていった。■□■8月の書き残したネタ帳■□■*娘レイの引越し。*コメントのレス。*レイのイギリス私のイギリス■□■これまでのネタ帳■□■*カヌー体験*カワウ*小幡デコ*選挙と消費税*「ナラタージュ」*友人とメール:派遣*住宅政策*体調の不安*花に恨みはないけれど:桜だらけ*四国紀行*古いまち並みで思う、いらない飾り*高知城で知る危機管理*京都府・舞鶴市の倉庫郡*舞鶴引き上げ記念館*朝鮮帰国船事故*梅の古木*日野*平凡な地名*古い地名*大根のクビ*日野の観光協会*ホエール・ウオッチング*京都ネタ*高級ホテル(高級はくせになる。朝食)*孫と遊ぶ(百人一首、その後の「桃太郎」の妄想)*オバマ大統領誕生*今年の目標、去年の目標。*茨木のり子の詩「鶴」■□■2009.8月に見た映画■□■■そんな彼なら捨てちゃえば?■ココ・シャネル■色即ぜねれいしょん・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月31日*「竹八月」というけれど・・・。/阿久悠氏死去:青春時代 *・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.31
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うちの裏には、幅30センチほどの小さな庭がある。そこには、春になると、スカンポの目が出る。それが夏には、2m以上に成長して、日陰を作ってくれる。 ムカゴがなったりする。 初夏には、食べきれないほどの枇杷の実をつける。 そんな庭に今年は、何年ぶりかで、葡萄がなった。 今年の収穫は、たったこれだけだけど、来年こそはと期待してしまう。小さいけれど、ここはそんな庭なのだ。なのに、毎年、今の季節になると、庭のネットからはみ出した植物たちがバッサリと切られてしまう。うちの裏にある青空駐車場の持ち主が、庭師に以来して切らせている。春になるとすっぱい芽が出て、夏になると青々とした葉をつけるスカンポがバッサリ。冬になると赤い実を付け、鳥の餌になるピラカンサの枝がバッサリ。枇杷の枝がバッサリ。枇杷に絡まり成長していたイリオモテ朝顔も切られていた。落ち葉や鳥がつついて落ちた枇杷の実は、掃除をしているのに・・・。来年、もし葡萄がなったとしても、バッサリと切られるのではないだろうかと不安になる。鳥たちはピラカンサや枇杷や葡萄を楽しみにしているのに・・・。ここに止める車の出すCO2の一部をこの小さな庭の植物たちが吸収しているのに・・・。人間が他の生きものを寄せ付けないようなことをしている限り、地球の温暖化や砂漠化は防げないというのは大げさだろうか。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月29日*停電今昔 /大阪しぐれ:前の溝をさらえ!*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.29
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8月19日、20日、大人3人、幼児1人で■琵琶湖■に行ってきた。大阪から近江八幡までは、片道、1,720 円。往復すると3,440円になる。近江八幡駅から宿の国民休暇村までのバス代が片道、690円で合計4820円。大人3人で14460円になる。家から大阪までの運賃を入れると15000円は軽く越した。これが、車だと高速代、ガソリン代を入れても半額にも満たないのではないだろうか。そのうえ、休日だと高速1000円という大サービス!!民主党が公約に高速道路をタダにするという。高速道路の無料化はバラマキだとという自民党も休日や土日は、乗り放題の1000円、■新車買い替えには、減税■というバラマキようだ。フェリーなどは、休日1000円の影響で、人員を削減や運行の本数を減らしたところも多いという。バス、地下鉄、電車、フェリー・・・。公共交通をもっと安くする公約はないのか?車を買える人、車が運転できる人だけが得するっておかしい。そしてなによりも、地球温暖化防止という、地球的な規模の考え方が抜けている。地球温暖化を早め、もてる人のみにヤサシイ、公約なんかいらない!!●写真は瀬戸内海の島を結ぶフェリー。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月27日*地蔵盆*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.27
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先日、片道4時間かけて、実家に草取りに行った。暑い中を草や竹、伸びすぎた梅の木の枝を切る。父母が家を出て5年余り。村の人が家の庭や畑の管理をしていてくれた。けれど、今年は、親戚から電話が入った。「両隣が草取りをやってくれてるけど、これからどうするつもり?」故郷に行く時は、いつも、歩けなくなった父のため、私と妹が車椅子を押した。家に上がると、座れなくなった父を抱くように座った。父を守らなければ・・・という気持ちがあった。でも、それは、違ったんだよね、お父ちゃん。お父ちゃんがいたから、村の人たちは、家の草をとっていてくれたんだよね。お父ちゃんが私たちを守ってくれたんだよね。歩くことも、座ることもままならないお父ちゃんが・・・。この先、どうなるんだろう、この家や畑は・・・。一昨年の夏は、この畑の草を抜いていた父・・・。父のいない夏は、暑さだけが厳しく、私は、親にはぐれた幼子のように、心細くなった。父が死んで1年半、26日は父の月命日。~蝉時雨 父のいた夏 いない夏~ はるな■2003.08.26●2003年8月26日に書いたものを削除していました。 再度、アップします。●明日、2009年8月27日は岡山の家に行きます。 8月2日にも行ったのですが、なんと小さな家だったんだろうというのが感想です。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月26日*父の麦わら帽子:目次*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.26
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日本一大きな湖、琵琶湖には、いろんな「へぇ~~~!!」がある。■琵琶湖は、三重県生まれ。琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。このため伊賀地方は土質が農業に不適で、生計を立てるための特殊技能集団がやがて忍者を発生させた。 湖は次第に北へ移動し、比良山系によって止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。へぇ~~~!!へぇ~~~!!■琵琶湖は、世界で3番目に古い湖だ!へぇ~~~!!■琵琶湖という名前が定着したのは江戸時代になってからだ!!古代には、都から近い淡水の海として近淡海(ちかつあわうみ、単に淡海とも。古事記では「淡海の湖」(あふみのうみ)と記載)と呼ばれた。測量技術が発達し湖の形が琵琶に似ていることが判った江戸時代中期以降、琵琶湖という名称が定着した。へぇ~~~!!■琵琶湖は川だ!河川法上は一級水系「淀川水系」に属する一級河川であり、同法上の名称は「一級河川琵琶湖」である。へぇ~~~!! そんな、へえ~~が満載な琵琶湖に8月19日、20日と行ってきた。今回は、泳いだり、カヌーに乗ったり、遊覧船に乗ったりと琵琶湖を満喫した。写真は、夕日の琵琶湖。見えるのは、琵琶湖に浮かぶ人の住む島、沖島。下の写真は、比叡山から見た琵琶湖。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月25日*三尺流れて水清し/「くわばら、くわばら」*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.25
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天地 はるな様お帰りなさい!先日、はるなさんに会って嬉しいオドロキ!いつもステキなんだけど、プラス、チャーミングになったような。やはり「恋の魔力」はスゴイ・・・。NYは偉大なり。「デリ」なんてめちゃオシャレ!実は私も学生の頃、芦屋で有名な「いかりスーパー」や「神戸大丸」でサンドイッチやデザートを買い込んで、神戸のポートアイランドの南公園で「ランチごっこ」をした懐かしい思い出があります。バケットやハム、チーズを入れて悦にいってました。海が埋め立てられてしまい、今となっては、そこからは海は望めないけれど、あの頃はちょっとリッチな気分でした。 夏休みが終わった公園は、人もまばらで秋の気配が漂っていました。わざわざランチ用に、かごを買ったんですよ。ははは。如何にも・・・というのじゃなくて、さりげないスタイルって難しい。大人の女を目指して背伸びしていた、お茶目なひとときでした。就職しても「神戸」にハマってました。数えきれないほどの思い出があります。お気に入りの場所やお店が沢山ありました。天王寺で友達と待ち合わせ、夕方の5時くらいから神戸へ車をとばし、お茶をしたり買い物をしたり・・・。インド料理や中華料理、夜景が見えるバーなどなど。よくもまあ、あんなに遊んだものです。あの頃の私はデカダンな生活に酔ってました。正直言って「神戸」は「ドラッグ」のようなものでした。でも「神戸」は私を優しく受け入れてくれました。ところがあの地震。私は呆然とするしかありませんでした。心のよりどころが一瞬のうちに崩れてしまったのです。もし、私が自然保護団体でみんなと出会わなかったらいつまでも嘆いてばかりいたでしょう。もちろん悲しい出来事がたくさんたくさんあったけど、前を向いて歩いて行こうと思えたのです。過去にしがみついていた手が離せました。振り出しに戻っただけ。また新しい思い出を作っていけばいいんじゃないかと思えるようになりました。私は大阪に住んでいるからこんなに簡単に割り切ってしまえるのだろうけど・・・。「自然」が私に生きる勇気を与えてくれたのです。閑話休題、草刈りのシーズン。先日、草刈りに行ってきました。草を刈る男のカッコいいこと。これだから「草刈り」はやめられまへんなのです。 浜辺 遥◆おしゃれ手紙◆◆「おしゃれ手紙」は以前、友人の浜辺 遥さんとの間で交わした公開手紙です。◆フリーページを移したものを整理するために、こちらに移動します。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月23日*大阪しぐれ:北国(ほっこく)の雷 /「◎日本ちょっと昔話◎」始まります!! *・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.23
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妖怪にご用かい?京都の嵐電は、夏になると、妖怪電車が走る。20日、孫や娘たちと一緒に行ってきた。5時台でまだ、明るいのに、妖怪かい?と思っていたら、やってきた電車は、窓をふさいで真っ暗に。ブラックライト照明の中には、怪しげな妖怪とすし詰めの乗客。♪ヒュルヒュル~~と不気味な音がする。子どもは、ヒステリックに泣き喚き、大人の私も怖かったくらい。孫は、必死で、見ないように目をつぶっていた。( ̄m ̄*)帰りも妖怪電車で帰ろうという私たち大人に対し、孫は必死で抵抗、普通の電車で帰った。妖怪に扮装した乗客もいるし、車内には約30種の妖怪紹介もあって、大人も楽しめる。■期間平成21年8月17日(月)~8月23日(日)までの7日間。■妖怪電車の運行時間17:25 四条大宮発→嵐山行き(17:47着)18:05 嵐山発→四条大宮行き(18:27着)18:42 四条大宮発→嵐山行き(19:04着)19:19 嵐山発→四条大宮行き(19:41着)19:47 四条大宮発→嵐山行き(20:09着)20:21 嵐山発→北野白梅町行き(20:42着)20:46 北野白梅町発→西院行き(21:12着)■運賃大人200円、子ども100円。妖怪に扮装した人は50円!!■妖怪川柳募集中!■妖怪にご用かい?■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月21日*昭和恋々:行水 /嵯峨野さやさや *・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.21
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今すぐスタート!地球に出来る30のこと:その13■トイレを節水型に変える。家の中でいちばん水使用量の多い場所はどこ?答えは「トイレ」。家庭内の約28%の割合をしめているという。そこで注目したいのが節水型トイレ。INAXでは「超節水ECOトイレ」シリーズを展開。1回の使用につき従来のトイレの約半分、6Lの水でしっかり洗浄することが可能に。2日間でなんと248L(お風呂1杯分以上)の節水ができる。***環境問題を意識した生活を送る、と考えるとなんだか難しそう。でも本当は、頭で考えるよりずっと簡単なことばかり。今すぐできる小さなアクションから地球を守ろう!「エル」より 節水型トイレをといっても、今あるのを捨てるのでは、エコにならない。それに、いくら半分になったからといっても、飲み水をトイレに使うのは、もったいない!節水トイレよりも、雨水を利用するように、出来ないものだろうか?現在、雨水利用の目的は、園芸用がほとんど。しかし雨水だけでなく、お風呂の残り湯や野菜を洗った水などを、取り入れるようにすれば、トイレの水として使えるのではないかといつも思っている。CO2を撒き散らす、車を「エコカー」などと減税にするよりも、こんなことに「エコ減税」してもらいたいものだ。■地球にできる30のこと■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月19日*竹八月*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.19
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■色即ぜねれいしょん:あらすじ■青春は、モヤモヤするほど、ドキドキする。1974年、京都。仏教系男子校に通う高校一年生の“僕”は、ボブ・ディランに憧れ作曲に燃えてはいても、平凡で退屈な毎日を送っていた。だが、「フリーセックスの島行かへん?」のひと言から、“僕”の夏休みは突如として煌き始める。同じ文科系の友達2人と訪れた島で、彼らを待っていたのは…。少年が成長する姿をユーモアたっぷりに描いた、みうらじゅんの半自伝的青春ストーリー。田口トモロヲがメガホンを取り、『アイデン&ティティ』のコンビが復活させた。 みうらじゅん原作、田口トモロヲ監督、出演、リリーフランキーって組み合わせがすごい。3人とも、クセがあって、ゆるキャラ。それに設定が、1974年の京都、悩める文科系高校生、ユースホステルの旅・・・。こんな設定で面白くないわけがない!!上映中、何回笑ったことか。2000人を越える人の中から選ばれた、主人公・ジュンを演じた渡辺大知がよかった。今時、こんなこが・・・と思わせるような、純粋な雰囲気。関西弁が完璧だし(神戸出身)、歌が歌えて、ギターも出来る(「黒猫チェルシー」というバンドだそうだ)。その上、現役の高校生。これ以上、ピッタリの人はいないだろうと思うくらい。隠岐島ユースの全共闘くずれもいい味をだしているし、ジュンのヒッピー風家庭教師もツボ。みうらじゅんのことは、「いとうせいこう」の友達で「仏像マニア」くらいしか知らないが、なんとなくいいなと思っていた。この映画を見て、仏像好きの原点は、ここにあったのか、なんて思ったりした。「マイブーム」という言葉を作ったのもみうらじゅんなのだそうだ。それにしても、みうらじゅんが京都出身なんて、初めて知った。京都には、面白い人が多いわー。( ̄▽ ̄)・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月18日*大阪しぐれ:八月のやり*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.18
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今すぐスタート!地球に出来る30のこと:その12■ライブハウスはグリーン電力使用のZeppへ。大きな音と明るい光、ライブハウスで使う電力っていったいどれくらい?全国に5ヶ所ある大型ライブハウス「Zepp」で1年間に使う電力は、なんと一般家庭の670軒分。でもエネルギーのムダ使いだからと、音楽を楽しむことはやめられない。そこで「Zepp」では、すべての電力を風車で作る自然エネルギーに切り替えたうえに、大量に捨てられるペットボトルを回収してドリンクストラップにリサイクルしている。***環境問題を意識した生活を送る、と考えるとなんだか難しそう。でも本当は、頭で考えるよりずっと簡単なことばかり。今すぐできる小さなアクションから地球を守ろう!「エル」より 明るい光と、強い音楽は、疲れると思う。なのに、なんでライブハウスに行くのか私には分からない。ライブハウスで電気を使うよりも、今の季節だと盆踊りに行って踊ればいいのにと思うのだが・・・。「Zepp」の発電は、風力だけれど、新たなライブハウスのエコ電力として、「足踏み」がある。ライブハウスの床を踏むと、発電する方式。踊れば(=踏む)踊るほど、発電できる。こういうライブハウスだと、踊るアホウに見るアホウ。同じアホなら、踊らにゃ損、損だ。■ZEPP■■地球にできる30のこと■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月17日*父の麦わら帽子:ふるさと遠く・・・/七日盆の髪洗い *・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.17
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■ココ・シャネル:あらすじ■私は流行をつくっているのではない。スタイルをつくっているの。1954年、パリ。空白の15年を経て、復帰コレクションを用意したココ・シャネル(シャーリー・マクレーン)のオートクチュール店にはたくさんの評論家や顧客が詰めかけていた。しかし、コレクションは不評に終わり、落胆するココと、ビジネス・パートナーのマルク・ボウシエ(マルコム・マクダウェル)。ココは、孤児からお針子となり、デザイナーとしての地位を築いた日々を回想する――。ファッションへの野心と燃えるような愛を貫き生きた、世界で最も有名なデザイナー、ココ・シャネルの伝説の物語。空白に15年を経たシャネルを大女優、シャーリー・マクレーンが、若き日のシャネルをバーボラ・ボブローヴァが演じる。およそ70着もの衣裳とヴィンテージの宝石、バッグが物語を彩る。 シャネルというブランドには、全く興味がないがしかし、ココ・シャネルの生き方というのは、興味があった。女性が足首を隠すようなスカートしかはけなかった時代に、スカート丈を短くしたココ。馬に乗るにもスカートをはき、横座りしていた時代にズボンをはいたココ。ネックレスの留め金を前にして使ったココ。彼女は、服装の革命家なのだ。30代の頃から雑誌を処分する時、美しいものだけは切りぬいて、スクラップブックを作っている。美しい住まいや家具や雑貨、庭そして美しいアクセサリーや服・・・。それぞれ、まとめて今でも時々ながめている。その中の一枚に衿元に白いレースをあしらったブラウスに衿のない黒い上着と黒いスカートを着た女性のものがある。アクセサリーは、真珠のネックレスをじゃらじゃらと。シンプルで豪華。「『シャネルスタイル』にまとめてみました」というスタイリストのコメントが頭に残っている。これが「シャネルスタイル」かとその時思ったけれども、その後も、シャネルの服には興味はなかった。ただ、いつか、あんな格好がしてみたいと漠然と思っていた。それは今も続いている。「流行は色褪せるが、スタイルは不変なの」ココ・シャネル・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月15日*「菊次郎とさき」:戦争の跡 /ヨウネンコウ *・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.15
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十一日早朝の地震で東名高速は静岡県・牧之原市の上り線で路肩が崩落し、上下線の一部で通行止めとなった。現場は、道路が建設される以前は谷になっていて、路面の高さまで土を入れたといい、今回の地震で、脆弱(ぜいじゃく)な盛り土部分が崩落した格好だ。私もここを何回か通っているのでテレビで見ても、こんなところに補強しても、また地震が来たら・・・と思うとぞっとする。昔、岡山には、「なめすじ」といわれる地名があったという。 田原(岡山の地名)には、昔から「なわめすじ」とか「なめすじ」といわれる所があります。その「なめすじ」にあたる場所に家などの建物を建てると、罰があたって、その家はとんでもない災難に合うという言い伝えが残っています。「なめすじ」とは、慶長年間(1596-1614)に行われた検地。いわゆる、太閤検地の際の「なわめすじ」(縄で計ったからこう呼ばれた=はるな注)だといわれています。また、「なめすじ」とは、山の滑らかで滑りやすい場所「ずり」の延長線上で危険なため、建物を建てるとよくないとか、田畑の耕作に向かないという意味にも使われています。「わが町 和気」より、抜粋。 危険性を考えて、家を建てるに土地には、不向きは場所というのをひとことでいったのが「なめすじ」という言葉だ。今回の崩落現場には、幸い車はいなかったようだ。しかし、近いうちに必ず来るといわれている東海大地震。高速道路、土日1000円で乗り放題で国民の機嫌をとっているが、安心して通れる道路をつくる方が本当のサービスだと思う。もう一度、「なめすじ」という感覚をもって、鉄道、道路、橋などを見直して欲しい。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月13日*民具:飯そうけ(しょうけ)/キリバン!!*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.13
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今すぐスタート!地球に出来る30のこと:その11■飲み物はカートカンを選んで!木を伐ってはいけないと思っていたけれど、すでに人間の手の入っている「人工林」では、苗木を植え、育て、木を伐って使うことで森の循環が守られる。もちろん、熱帯雨林のような天然の森林を伐採することは自然破壊になるから、どんな森の木を使っているか知ることが大切。紙に間伐材を含む国産材を30%以上使ったカートカンを選べば、地球温暖化の原因となる二酸化炭素を吸収するうえに、日本の森を守ることにつながる。***環境問題を意識した生活を送る、と考えるとなんだか難しそう。でも本当は、頭で考えるよりずっと簡単なことばかり。今すぐできる小さなアクションから地球を守ろう!「エル」より異議あり!!カートカンを使うと環境にいいという「エル」の提案に異議あり!!まず、どうやって国産材と確かめるのだろう?どうやって間伐材使用と確かめられるのだろう?国産材30%というけれど後の70%はどこから伐ってくるのか?「人間の手の入った森」=人工林の木は使ってもいいというけれど、世界中ほとんど、人間が手を入れている。カートカンも「使い捨て」だと思う。使い捨ての代名詞のような割り箸。江戸時代にも割り箸はあった。その割り箸は何回も使われたという。最初は、高級料理店。その割り箸を洗って、上を削って乾かしたものは、大衆食堂に行った。そこで使った後、もう一度、洗って乾かし、漆を塗って使ったという。その箸が折れれば、火をたくために利用したのだろう。私はカートカンよりも瓶がいい。醤油もみりんも酢もソースも何回も洗って使う瓶を使用している。先日、サーモンの瓶詰を買ったら、その瓶も返却し再利用するようになっていた。日本には、古くから一升瓶という素晴らしいものがあった。人工林の木だから伐ってもいいといわずに、人工林を元の植生の森に返せないものだろうか。■地球にできる30のこと■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月11日*迎え盆 /トリビアの井戸:淡路島 *・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.11
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■そんな彼なら捨てちゃえば?★あらすじ■出会いから1週間、彼から電話が来ない・・・。その男は単に「あなたに興味がない」のだ。いつも自分が空周りして、一向に運命の相手に出会えないジジ(ジニファー・グッドウィン)、同棲して7年になるのに結婚する気のないニール(ベン・アフレック)と、本音を隠しているけど本当は結婚したいベス(ジェニファー・アニストン)。幸せな結婚をしたものの、いまや家のリフォームに夢中なジャニーン(ジェニファー・コネリー)と魅力的なアンナ(スカーレット・ヨハンソン)と浮気する夫・ベン(ブラッドリー・クーパー)。メリーランド州ボルチモアを舞台に、20~30代の男女が織りなす恋愛ドラマの交錯を描いていく。お互いの心を読もうとする男と女は、例外はないという恋愛のルールを前にしても、自分だけは相手にとって“例外”と信じて疑わない――。あなたの彼にあてはまるものにチェックを付けて下さい。□電話をくれない。□どこかに行こうと誘ってこない。□家族・友達に紹介してくれない。□部屋に行った事がない。□週末に会えない。連絡もとれない。□酔った時だけ会いたがる。□彼女・奥さんがいる。□結婚しない。■結果■1つでも当てはまるあなた↓ 彼はあなたに気がありません。(チラシより)女の子が、「彼が電話をくれない、どこかに行こうと誘ってこない」と女友達に嘆いたとする。すると女友達は、「忙しいからじゃない?」と慰める。彼の家族や友達に紹介してくれないと嘆くと、「彼はシャイな人だから・・・」と慰める。しかし、その男は単に「あなたに興味がない」のだ。原題もズバリ「He's Just Not That into You」で、「そんな彼なら捨てちゃえば?」となる。世の中、「そんな彼なら捨てちゃえば?」と思うような男を捨てずにいる女性がなんと多いことか。最近、覚せい剤を使用したとマスコミを騒がせている、押尾学や酒井法子の夫。押尾学は、仕事もぱっとせず、女性関係は、いろいろあったようだ。酒井法子の夫にしても、自称プロサーファーといっているらしいが、本当の仕事はなんだったんだろう。その上、覚せい剤を使用し、酒井法子の夫は、妻にまで覚せい剤使用を進めていたなんて、とんでもない男達だ。そんな彼なら捨てちゃえば?だ。いつも自分が空周りして、一向に運命の相手に出会えないジジって、なんだかmisonoににている。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月9日*トリビアの井戸:七夕 /「竹八月」というけれど・・・。*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.09
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浜辺 遥様I love NY.私はニューヨークが好きです。別に今日は「ノバの日」ではありません。6月下旬の1週間、NYに行ってきました。我が愛する緑地との仲を引き裂かれたセンチメンタルジャーニーなのです。そして私はNYに恋したのです。「どうしてNY?」と行く前に友人のルリさんに聞かれた私は「都市と自然の共存、古さと新しさの共栄、貧もありゃ富もある、いろんな人種が、いろんな目的でやってくる街だから・・・。」とNY観光局の回し者のようにスラスラと答えたのですが、実際行ってみて、わけの分からない魅力にとりつかれました。「恋の鉄人」、遥さんには、この気持ち分かっていただけることと思います。 NYには、1980年にも行ったのですが、その頃は治安が悪く、名物のらくがきいっぱいの地下鉄には乗っては行けないと言われていた時代。それにもかかわらず、私は一人で乗車。昼間というのに車両には私を入れて2名。「死ぬほど怖い目にあいたい症候群」の私も次の駅で飛び降りた記憶があります。今回は地下鉄OK!片手に地図を持った観光客だらけ。安心して地下鉄でいろんな所に行きました。NYで写真展をする友人にとバラの花束を抱いて歩いたり、時差ボケと天然ボケの頭で友人のホテルに電話して「ヒスパニック」に間違われ、スペイン語でまくしたてられたり、「のみの市」で値切ったりミュージカル「美女と野獣」を観たり・・・。失敗さえも楽しく、同行の娘と毎日、笑ってばかりの5日間でした。いっぱいあった楽しさの最後にセントラルパークのことを・・・。公園とはなんぞやという講座を受けたり、本を読んだり、環境保護運動のなかで公園については、ちょっとうるさい私。大富豪もビンボー人もいるNY。でもセントラルパークは公平に緑のやすらぎを与えてくれます。人間ばかりではなく、リスや小鳥にまでも…。そこで人々は散歩したり、日光浴や、ローラースケート、スポーツ・・・。いろんな楽しみ方ができます。バードウオッチングや野草を食べるツワーもあって、NYに住んでいたら、幸せだろうなと、羨ましいのなんのって・・・。私はといえばデリ(お総菜やさん)で仕入れた食べ物を持って早朝のセントラルパークへ。ジョギングする人を見たり、小鳥やリス、それに緑の樹々に囲まれて貧しくも贅沢な朝食を楽しみました。「『ティファニーで朝食を』なんてもう古い。これからは『セントラルパークで朝食を』よ」と、おしゃれ~に決めたのでした(どこがじゃ)。 天地 はるな 追伸 おみやげに買ったのは、スーパーモデル御用達、MACの口紅。 どこまでも、ミーハー親子・・・。◆おしゃれ手紙◆◆「おしゃれ手紙」は以前、友人の浜辺 遥さんとの間で交わした公開手紙です。◆フリーページを移したものを整理するために、こちらに移動します。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月7日*父の麦わら帽子:ふるさと遠く/七夕*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.07
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琵琶湖は大きい。だからいろいろな魚や貝、植物、鳥などが暮らしている。近畿地方で暮らす私たちの飲み水を供給してくれる。そして、なんと琵琶湖には人の住む島がある!!その島の名は沖島(おきしま)。世界の淡水湖に浮かぶ島で、人が住んでいると言うのは珍しいのだそうだ。以前から、行きたかった私は、さっそく、「国民休暇村・近江八幡」のツアーを利用して行った。沖島は、琵琶湖に浮かぶ島で一番大きな島。東西約2.5Km、南北約1Kmの細長い島で人口は約500人とのこと。源氏の落武者伝説があるが、それよりも、もっと前、万葉の時代から人が住んでいたという。かつては、島民は、漁業や石材を生業として暮らしてきた。ツアーの船長は、この地方出身者で、沖島に着くまでにも時々、船を止めて説明をしてくれた。沖島の港に船が着くと、漁業会館があり、島の主婦が炊いた琵琶湖の魚を売っていた。「国民休暇村・近江八幡」の従業員の人2人の案内で島を廻る。島内の郵便局、奥津島神社 、西福寺(蓮如上人の真筆が2つある。虎斑の名号・正信偈) を廻った。島には店はないが民宿が2軒ある。保育園もある。近江八幡市立沖島小学校 は、木造二階建て。5年前は、100人いた小学生も今は、6人しかない。道が狭いのと島が小さいので車は一台もないそうだ。その代わり、一家に一艘の船を持ち、自転車(3輪)があちらこちらにあって、島の足となっている。消防車の代わりは、船。火事が起きれば、この船で消すし、急病人が出たら、この船で本土(?)に渡るのだそうだ。港から民家の立ち並ぶ細い道を通り西福寺を通り過ぎと、そこは、「せと裏」という島の西側に。ここからは、比良山系が見える。戦国時代には琵琶湖水運の重要拠点としてここに関所が設置されていた。ここを通過する船は陸上の関所と同様に関銭を徴収される代わりに沖島の住民によって航行の安全が保証されていた。石材を切り出す仕事があった時代は、1000人の人が住んでいたという沖島。紫式部は、琵琶湖畔の小高い山の上に建つ石山寺で『源氏物語』を執筆したと伝えられている。その部屋から遠く、琵琶湖に浮かぶ沖島を眺めて詠んだのかもしれない歌がある。*おいつ島* 守りの神やいますらん波もさわがぬ わらわえの浦 紫式部そんな歴史がある島も今、ひっそり琵琶湖に浮かんでいる。**おいつ島**沖島のこと。*************沖島上陸証明書*************あなたは休暇村近江八幡の「沖島クルージング」に参加し、日本の淡水に浮かぶ中で唯一、人の住む「沖島」に上陸したことをここに証明いたします。2009年7月22日国民休暇村近江八幡■沖ノ島■「国民休暇村・近江八幡」からのツアーで行くと、ガイド付。■上の写真は、「国民休暇村・近江八幡」の浜からみた沖島。■滋賀県の旅■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月5日*サルビア歳時記:8月の季語/雨の名前:洗車雨(せんしゃう) *・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.05
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■残暑見舞いのおたよりを出そう。暑中お見舞いは、ふつう7月7日の小暑から8月8日の立秋までに出すたより。もし出しそびれてしまったら、残暑見舞いのたよりを出しましょう。まだまだ暑いなか、1枚の涼しさを。■料理に、薬味を使う。しょうが、わさび、しそ、みょうがなど、どれも今の季節にいちばん美味しいもの。かつ、暑さに負けて食べる気がおこらないときの手助けもしてくれます。■「新豆腐」を食する。そうそう、冷たくてのどごしの良い冷奴も夏の食卓にはぴったりです。その年の新大豆で作るのが、新豆腐。8月も終わりごろから売り出されます。「サルビア歳時記」木村衣有子ミョウガを食べるともの忘れをするというがそれは、次のような話からだ。むかし釈尊の弟子に周梨槃特(しゅうりはんどく)という聖者があって、生まれつきもの覚えが悪く、しかももの忘れするくせがあった。自分の名前すら忘れることがあるので、首から名札をかけていたそうである。悟りをひらくまで人一倍の苦行をつんで世を去ったが、この聖者の墓地にはえた植物がみょうがであったという。「山菜歳時記」 by柳原 敏雄*****■サルビア歳時記:1月の三箇条■■サルビア歳時記:7月の三箇条■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月3日*よーじ屋の名前の由来/遊び唄:さよならサンカク・・・*・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.03
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最近、不景気を理由に花火大会をしないところが増えているそうだ。そんななかで、今年も派手にやっているのがPLの花火。関西人ならだれでも「PLの花火」は知っている。私は大阪に暮らして30数年たつが、PLの花火を見に行ったのははじめて。電車が混むからだ。今年も、大阪のはずれの小さな町、富田林市の2万発の花火見物に集まった人は、12万5000人あまり。初代教祖である御木徳一は晩年、「自分が死んでもこの教えが世に広まるのであれば、死ぬことは世界平和のためになるから、死んだら嘆いたりせずに花火を打ち上げて祝ってくれ」と常々話していた。徳一が死亡した後、息子であり二代教祖でもある徳近はその遺志を継ぎ、1953年、徳一と自身の故郷でもある愛媛県松山市での教祖祭で、初めて花火を打ち上げる。以後、教祖祭は大阪府富田林市の大本庁において行われるようになり、1963年には名称を「PL花火芸術」と定める。これを契機に花火はより華やかになり、関西地方では夏の風物詩として定着した。その規模日本一で「裸の大将」として有名な山下清画伯もこの花火を書いた絵を残しているほど。この日は曇ったり、雨がぱらついたりの天気。なのに始まる前には、雨が上がった。そういえば、PLの花火の日が雨だったということは、30数年間聞いたことがない。それにしても、夏の風物詩、花火がなくなるなんて悲しい世の中だ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月1日*八朔(はっさく) *・・・・・・・・・・・・・・
2009.08.01
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