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大晦日と新年は、ことのほか寒いというが、職を失い、住む場所を失った人たちが、何万人もいるのに、政府が変わらないという不思議な日本。職を失い、希望を失った人が、通り魔などとなる不穏な世の中になったが、怒りをぶつけるところが、違うのではないか。今、人を刺してもなにも変わらない。政治が変わらないと・・・。2008年12月に書いた日記。今年、長年続いた自民党が選挙で大敗。民主党政権になった。みんなは、これで政治がよくなるだろうと思っただろう。しかし長年にわたり、自民党が無駄遣い続けたツケは、政権が変わったからといって、そう簡単には直らない。みんなが、政治に無関心だったということを心すべきだと思う。2010年がいい年になりますように・・・。◆2009年の私的3大ニュース◆★1月、親戚の結婚式で、初めてのハワイ&海外での挙式に出席。★9月、下の娘、レイがイギリスに留学。★年末に怪我で入院。■□■2009.12月に見た映画■□■■のだめカンタービレ最終楽章前篇■ジュリー&ジュリア■牛の鈴音■キャピタリズム■2009年・映画ベスト10+1■■リリィ、はちみつ色の秘密■ミルク■スラムドッグ$ミリオネア■マン・オン・ワイヤー■色即ぜねれいしょん(邦画)■空気人形(邦画)■パイレーツ・ロック■マイケル・ジャクソン THIS IS IT■ジュリー&ジュリア■牛の鈴音■キャピタリズムどうしても10本に絞りきれなかった。■□■書き残したネタ帳■□■*宮尾登美子「女の暦」■□■これまでのネタ帳■□■*梅田のカフェ*松本清張短編集*中之島エリア=ダイビル。*西船場エリア=山内ビル、リストランテ・サリーレ、船場ビル、江戸堀コダマビル、日本基督教団大阪教会、ダコタハウス、菅沢眼科クリニック、京町ビル、安田ビル、崎山ビル。*能登半島・羽咋(はくい)と松本清張「ゼロの焦点」*能登・七尾線*こんなものいらない:なぎさドライブウエイ*石川県の松:松くい虫・黒松の育ち方*消える砂浜(年間1m~1.5m)*アサリ採り*朝の散歩で見たものは:ごみ、貝、そして北から来るもの・・・。*娘レイの引越し。*カヌー体験*カワウ*小幡デコ*選挙と消費税*「ナラタージュ」*友人とメール:派遣*住宅政策*体調の不安*花に恨みはないけれど:桜だらけ*四国紀行*古いまち並みで思う、いらない飾り*高知城で知る危機管理*京都府・舞鶴市の倉庫郡*舞鶴引き上げ記念館*朝鮮帰国船事故*梅の古木*日野*平凡な地名*古い地名*大根のクビ*日野の観光協会*ホエール・ウオッチング*京都ネタ*高級ホテル(高級はくせになる。朝食)*孫と遊ぶ(百人一首、その後の「桃太郎」の妄想)*オバマ大統領誕生*今年の目標、去年の目標。*茨木のり子の詩「鶴」・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.31
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■2009年12月29日。仕事が終わった家に。5時半頃、スーにパー正月用品の買い物に。2軒目のスーパーに向かう途中で左折する時、車道から歩道に乗り換えようとして転倒。起き上がれないほどの痛み。無理をすれば起き上がれるかもしれないが、骨折をしていたらと考え、動かなかった。「救急車を呼びましょうか?」という通行人に「自分で呼べます、ありがとう」とズボンの左ポケットに入っていたケイタイを取り出し、連絡。その後、夫にも、「○●で倒れた。病院に行くから悪いけど、保険証を持ってきて・・・」と連絡。救急車と同時に夫も到着。夫も救急車に乗って行くことに。「救急車の後をバイクで来た方がいいんと違います?帰りのことがあるから・・・」と痛さをこらえながらも言うと、「一緒に来てもらった方がいいのでご主人も乗ってください」と却下された。「この近くの病院にして下さい」と頼むも「無理です」と却下。( ̄- ̄;)まあ、救急車に乗ってこんなことを言う人も珍しいのかもね。10分余りで着いた病院は、この地方では有名なところ。レントゲンを撮ってもらったが、骨に異常なしと言われた。帰ってと言われたが、痛くて帰れないというと「先生、痛み止めの座薬を入れましょうか?」看護師。「そうして下さい」と若い医師。「念のために腰にコルセットもしましょうか?」と看護師。「そうして下さい」と若い医師。痛み止めの座薬を入れたまま、待つこと約1時間。痛みはなくならず、看護師の言うままになる若い医師の見立て違いだったらと不安にかられる。そこで、「痛い、痛い。前と違う所が痛くなってます」と騒いだ。若い医師の先輩と思われる医師がやってきて、「3日間の経過入院しましょう」と言ってくれた。騒いでよかった。これで、3日は安静に出来る。そのうち、痛みも取れるだろう。■12月30日再度、レントゲン。すると、第2腰椎が圧迫骨折を判明。入院3日から7日に格上げ??ベッドを起こすのも60度以上は禁止、トイレもままならぬ絶対安静となった。★折れぬれば、治るものとは知りながら、なお恨めしき、年末の怪我元歌明けぬれば暮るるものとはしりながら、なお恨めしき朝ぼらけかな■というわけで、ブログのアップができなかった。このブログは私の日記の代わりでもあるので記載しておく。 続きは、またの機会に・・・。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.30
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■キャピタリズム~マネーは踊る~:あらすじ■♪音が出ます!僕らのお金はどこに行ったのか?2008年9月15日、リーマン・ブラザーズの経営破綻は大規模な金融危機を引き起こし、世界経済は100年に一度と言われる同時大不況に陥った。アメリカでは住宅市場の大暴落と企業や銀行の倒産で、自宅や職を失う人々が続出。本作を撮影中だったムーア監督は、$マークのついた大袋を手にウォール街へと突入して行く。『ボウリング・フォー・コロンバイン』のマイケル・ムーア監督が、キャピタリズム(資本主義)支配下の経済問題に迫るドキュメンタリー。巨大企業が利益を追求すると、世界にどのような影響が出るのかを検証する。デビュー作『ロジャー&ミー』で元GM(ゼネラル・モーターズ)会長に突撃取材を敢行したムーア監督が、GMが破綻した20年後の今、生活を支配する経済をテーマに選択。原点に立ち返ったムーア監督の覚悟と怒りが熱く伝わる。 アメリカは、いつ頃からおかしくなり始めたのか。その対策として、どんな政治家が選ばれたのか・・・。金融危機で家を失った人々が追い出される様子を克明に写すなど、今のアメリカが置かれている弱者をこれでもかと写しだす。お金を返せとニュークークの金融街でマイクで訴え、庶民が失ったお金を返せとデモンストレーションする。経済という目に見えない難しい問題をマイケル・ムーアは分かりやすく説明する。分かりやすくというか、エンターテイメントにしてしまう。エンターテイメントにすることで多くの人に知ってもらうのだ。そして、知った人が怒り出すのをマイケル・ムーアは待っているのだろう。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.28
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■牛の鈴音:あらすじ■♪音が出ます!その老いぼれ牛は、お爺さんと一緒に30年も働き続けた。79歳になる農夫のチェ爺さんには30年もともに働いてきた牛がいる。牛の寿命は15年ほどなのに、この牛は40年も生きている。今では誰もが耕作機械を使うのに、頑固なお爺さんは牛と働きつづける。牛が食べる草が毒になるからと畑に農薬をまくこともしない。そんなお爺さんに長年連れ添ってきたお婆さんは不平不満がつきない。しかしある日かかりつけの獣医がこの牛はそろそろ寿命だ。今年の冬は越せないだろうと告げる。 ヨロヨロとよろけながら荷車を引く年老いた牛と、足が悪く、持病を持ちながら懸命に田畑を耕し、牛の世話をするお爺さん。そのお爺さんに「牛には草を刈ってやるのに、私には何もしてくれないと愚痴を言いながら、お爺さんの病気を心配するお婆さん。事件もなにも起こらず、そんな、場面が続くのに、なぜかこの映画は、美しい。 年をとると老後の生きがいを考えたり、年金の心配をするのが年寄りと思っている。しかし、お爺さんに老後の生きがいなど心配はない。彼は生きることは、働くことだ。そしてその働くことが喜びでもある。牛を買いに来た人にも、頑として売らない。現金を得ようと、牛を市場に連れて行くが、ここでも売れない。売れば、お金が入って来るし、第一、牛の世話からも解放される。しかし売らないのだ。お爺さんにとって、牛は、単なる役にたつ家畜以上に家族のような存在になってきたのかもしれない。だから、お爺さんは、弱った牛にタンポポを薬として食べさせる。牛が食べる草は、無農薬でなければならないと畑に農薬をまかない。 車の走る中をトボトボと行く荷車。農薬散布の横で畑の草をとる。この映画は、崩れそうな古民家に似ていると思った。古くて、使い勝手が悪そうな今にも崩れ落ちそうな古い農家。けれどもそれは、美しい。今では忘れ去られた人々の暮らしがそこにあるからだ。「牛の鈴音」は、そんな、忘れ去られようとしている韓国の農村を映した詩のような映画だ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.27
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「ワシは、子どもの頃から、口が達者で『口上(こうじょう)でこ』ゆう、あだ名じゃった。」一昨年、故郷の祭に行く車の中で突然、父が言った。「えっ、『口上でこ』?初めて聞くわ、その話」と私と妹は声を揃えて言った。「口上」とは、~とざい、とーざい、・・・~ではじまる、歌舞伎などの口上。「でこ」とは、人形のこと。人形浄瑠璃の人形使いの事を、母などは、「でこ廻し」と言っていた。「立て板に水」のごとく、喋る父は、子どもの頃からだったんだなと、父と母、それに、妹と私は、笑った。その「口上でこ」が今度は、自慢をはじめた。「ワシは、竹箒を作るのが、上手じゃった。」父は、いつも、あっけらかんと、自慢する。あまりに無邪気に自慢をするので、聞く方も、それが楽しくなってくる。「そうそう、上手じゃった」父と一緒に、後部座席にいる母も会話に入ってくる。「いつじゃったか、○○ちゃん(妹)、が小さい時、子供用の小さい、竹箒を作ったな。」「そうそう、作ったな、子供用の竹箒・・・」と老夫婦が思い出にふける。父と母は同じ老人ホームに入っているが階が違う。妹は、その老人ホームから車で20分くらいの所に住んでいる。私は、妹の家から、電車で2時間ほど離れた所に住んでいる。離れ離れに、暮らす私たちにとって、故郷へ向かう車の中は、つかの間の懐かしい茶の間。父が生きていたら、またこんな会話を交わしながら正月を過ごすために行ったであろう、故郷。故郷が遠のいていく・・・。父が死んだ2002年2月26日から、私には故郷と呼べる地はなくなった。~故郷とは生地にあらず「家族」という花ことば持つ花咲くところ~ 俵 万智■2003.12.26●削除していたものを再度、アップします。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.26
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「本当の理由は、2つある。1個は、僕、昔漫才してたでしょう。でも、8年間しかしてないんです、僕。漫才というもんを勉強させてもろうてそっから出て今の自分があるのになんか漫才を踏み台にしたような感じを自分の中で申し訳ないところがあるんですよ。だからいつかどっかで漫才というものに対して恩返しをしないとアカンと。ただあと一個はですね、「辞めさせな、アカンな」と思ってね、沢山。準決勝に行かん奴は辞めなさいと。漫才師になる人間には、3つの人間がいるんですよ。1つ目は、才能のある人間。この人、幸せになれます。次が才能のないのに気づいて辞めていく人間。この人も次の人生で幸せです。一番不幸なのが才能のない事に気づかずいつまでもやってる奴。結構、多いんです。こいつらを何とか辞めさせてやらんと次の人生不幸になると。だからね、10年と決めてるのもそうなんですよ。10年やって準決勝残らなかったら辞めなさいよというのが僕の本当の意味のメッセージなんです」 上の言葉は、大会委員長・島田紳助の言葉、「深イイ~~~!!」しかし、島田紳助をほめてばかりもいられない。2002年から2008年まで審査員をつとめていた大竹まことが今回は降板。その代わりに、そのまんま東が入った。原因は、数か月前にさかのぼる。島田紳助がある番組収録中に切れたのだそうだ。切れた相手は東京03で、大竹まことの息子が東京03の所属する事務所に勤めていて、災難にあったのだそうだ。島田紳助のお笑い才能は認めるが、これまでにも、度々、事件を起こしている。性格は直らないだろうから、また事件を起こしそうな気がする。早めに引退した方がいいのではないだろうか?出場者が地味だから、誰がどんなネタで戦ったかというよりも、そのまんま東の存在が気になった。今年の出場者。★パンクブーブー2009年度の優勝組。まったく知らなかった。★笑い飯新鮮味に欠ける。★ナイツこの中で、唯一、うまかった。★ハライチ芸人の華がないし、知らない。2001年から2004年まで出場していないのは、なぜだ。芸人で売れようと思えば、自信があれば、出るはず。★東京ダイナマイト地味だし面白くない。★モンスターエンジン彼らも2001年から2006年まで出場さえしていない。★南海キャンディーズこの組も、出たり出なかったり。南海キャンディーズのどこがいいのかわからん。★ハリセンボン漫才がヘタすぎ。★ノンスタイル敗者復活からはノンスタイル。彼らは、抜群の面白さだった。しかし、去年のような必死さは伝わらなかった。来年は絶対に頑張って欲しい。10年未満の芸歴で面白いのは、ノンスタイルしかいないから。ちなみに2001年は、以下の人たちがファイナリストだった。アメリカザリガニ/おぎやはぎ/麒麟(きりん)/キングコング/チュートリアル/DonDokoDon/中川家/ハリガネロック/フットボールアワー/ますだおかだ今年がいかに小粒だったかと思う。■M1グランプリ■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.25
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■ジュリー&ジュリア:あらすじ■♪音が出ます。50年の時を超え、2つの人生がキッチンで出遭った。食べることが大好きなパリ在住のアメリカ人ジュリアは、名門料理学校で習得した誰でも簡単に作れる家庭料理の本を出版し、本は大ベストセラーとなる。50年後のニューヨーク、作家になる夢をあきらめたOLのジュリーは、憧れのジュリアのレシピに挑戦し、それら全てをブログに綴ることを思いつく。実在の料理研究家ジュリア・チャイルドと、ジュリアに憧れる現代のOLジュリー。50年の時を隔てた2人の女性を「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」のノーラ・エフロン監督が描いた人間ドラマ。 アメリカの食卓に大革命を起こした伝説の料理家、ジュリアに■マンマ・ミーア!■のメリル・ストリープ。50年後のさえないOLに■魔法にかけられて■のエイミー・アダムス。「ユー・ガット・メール」のノーラ・エフロンが監督とくれば面白くないわけがない。ジュリアは身長185センチ、かん高い声と陽気で大らかなキャラクターが大人気だったという実在の人物。ジュリア役のメリル・ストリープは、この役でだいぶ肥ったのだのだと思う。そして、映画が終われば、また痩せるのだろうな。役者ってすごい!かたや、ジュリーも実在するのだそうだ。30歳のさえないOL、ジュリーは料理が大好き。なにをやっても続かないので、1年間という期間つきでブログを始める。テーマはもちろん、料理。しかも、ジュリアの料理だ。 料理ブログというのは、私もよく見るし、参考にしている。■野菜のごはん■も参考にしているサイト。このサイトの庄司いづみさんも、日本版ジュリー?ジュリアは、食べることも好きだけれど、作ることも大好きで、作った料理でよく人をもてなす。バレンタインデーの食事会などは、招待された人もみんな、胸に大きなハートをつけて楽しそうだった。そんな時、ジュリアは、かん高い声で「ボナペティ!」と言う。ボナペティとはフランスで ”どうぞ召し上がれ!素敵な言い方だと思う。日本では、召し上がれというのはあまり使わないが、「いただきます!」「ごちそうさま」という。これも素敵な言葉だ。ところで、「ごちそうさま」の返事はなんという?関西の年配の人は「よろしゅうおあがり」と言う。最近はなかなか聞くことがないが、夫の母親が言っていて、いいなと思い私も「ごちそうさま」と言われたら「ようしゅうおあがり」と答えることにしている。食べることは、生きること。美味しいものを食べる喜び、美味しいと言ってもらえる喜び。料理は人を幸せにする。料理は楽しいと思わずにはいられない。皆さんも、美味しい料理を「ボナペティ!」・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.23
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■のだめカンタービレ:あらすじ■この冬、映画館がコンサートホールに変わる。プラティニ国際音楽コンクールでの優勝後、千秋(玉木宏)はルー・マルレ・オーケストラの常任指揮者に。早速オケの偵察に行く千秋だったが、まったくやる気の感じられない団員たちの態度を目の当たりにし、がく然としてしまう。一方、のだめ(上野樹里)はコンセルヴァトワール(音楽学校)の進級試験を控え、練習に励む毎日を送っていたが……。 原作はクラシック音楽をテーマとした二ノ宮知子作の漫画『のだめカンタービレ』。今回は千秋(玉木宏)が活躍する前篇。夫はテレビはまったく見ていなかったけれど、クラシックファンというので見に行ったらしい。音楽が好きな人には、また違う楽しみ方ができるんだろうな。千秋とのだめが初めて会った頃から知っているので、二人の成長していく姿をほほえましくみている。今回は、ヨーロッパが舞台というので、すごくきれい。内容は、初めて会った頃の話が一番好きだけれど。のだめの部屋の再現やイラストの公開などの「のだめカンタービレ♪ワールド」が来年神戸である。 「のだめカンタービレ♪ワールド」♪日時♪2010年2月4日~9日10:00~19:30(20:00閉場)、最終日/~16:30(17:00閉場) ※会期中無休 ♪開催場所♪ 神戸市 大丸ミュージアムKOBE(大丸神戸店9階) ♪料金♪ 一般600円、大高生400円、中学生以下無料 ♪主催 ♪読売新聞社 ♪お問い合わせ先♪ 大丸神戸店 078-331-8121・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.21
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11月15日過ぎパソコンの画面が急に暗くなって消えた。買いかえ、ネットに接続するまでに約1ヵ月かかった。いろんな問題点があったからだ。その問題点をメモしておこう。■問題点その1■電気店が遠い。自転車に乗って行くことはできるとしても、買ってかえるのは、無理。そこで車。最近の大手家電店は、広い店舗や駐車場を必要とするために、郊外にある。私のように車に乗れない人間にとって本当に不便だ。■問題点その2■買い替えるか修理してもらうか。5年近く使ったパソコンはノート型のXP。ネットに繋がるのに結構時間がかかる。修理をするにしても5万円以上かかるそうだ。その上、直る保証はないと言われて、買ったのが、新機種「windows7」。本体、5年間のウィルス対策費、保証費、その他もろもろ含めて20万円以上。■問題点その3■ネットに繋がらない。持って帰って、やってみたがインターネットもメールもできない。電気店やプロバイダーなどに電話してもダメ。やっとその道のプロに来てもらった繋がった。もちろん有料。●車でないとお店にいけない。●専門用語が難解だ。●値段が高い。(私の場合、全て含めると20万は軽く超えている)●気軽に修理をしてくれたりメンテナンスをしてくれるところがない。普段、何気なく使っていたPCだが、まだまだハードルが高いことを思い知った。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.19
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天地 はるな様はるなさんは「スイカ」を見ると「シゲさん」を思い出されるのですね。私も「わらび餅」を食べると今は亡き祖父を思い出すのです。ころんころんのわらび餅じゃなくて、のたーっとした、ぺらぺらのわらび餅をご存知ですか?白いわらび餅の中に、どぎつい悪趣味の「いかにもぴんくー」という、わらび餅が混ざっているものなのですが、祖父は亡くなる前に何故かあの「ぺらぺらのわらび餅」が食べたいと言っていたそうです。結局、食べてあの世に行ったのかどうかは分りませんが、スーパーなんかで見かけると、いつも思い出してしまうのです。以前、雑誌に「最後に何を食べて死にたいか」というテーマで著名人にインタビューしていた記事を読んだのですが「味噌汁にご飯」という方が多かったように思います。その時、私も真剣に考えたのですが、結局、これが食べたいという答えは出てきませんでした。忙しいとついつい、手抜きをするのですが「食べること」って大事ですよね。最近「命は食」という言葉をTVで聞き(「思いっきりテレビ」ではありません)、ほんまにその通りだわーと感心していたのですが、食べる食材はもちろんだけども、食べる環境も大切だと思うのです。今日はこの色で揃えようとか箸置きを小枝にしてみようとか、ちょっとした心がけで「ゆとり」が出てくると思うのです。一緒に食べる人が、そんなことに無関心だったら、これまた虚しいんですけどね。ま、そんなことはおいておいて、はるなさんチの食器の使い方、好きです。「いかにもアンティークです」と気取ってないところが素敵。私は、アンティークのものは、ほとんど持ってません。というのも、飾り棚なんかに飾って「どこどこの、なになに~」扱いするのってなんだか抵抗があったのです。でも、はるなさんのような使い方ならいいなぁ。実は、私も食器に狂っていた時がありまして、いろいろと買い集めました。でも、阪神大震災があって割れた食器を見て、なんだか物欲にまみれた自分が虚しくなって、処分したものも沢山あるのですが、やっぱり食器が大好き。以前は、形とか色で選んでいたところが多かったのですが、最近は「食べ物」が美味しく見えるかどうかを考えて購入するようになってきました。とは言っても、まだまだ食器を使いこなすことは出来ないのですが・・・。はるなさんのように「さりげなく」を目指している私なのだー。 浜辺 遥HOME◆おしゃれ手紙TOP◆◎◎◎◎◎◎12月19日、PCがやっと復活。約1ヵ月間、パソコンのない生活だった。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・b
2009.12.15
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■年賀状は早めに書く。クリスマス前までに投函すれば、ちゃんと元旦に届きます。宛名とひとことのメッセージはぜひ、手書きで。■来年の日記を用意する。12月の季語に「新日記」というのもあるのです。1年のあいだきちんとつけた日記を見返すと、それはそのままあなたの歳時記になっているはず。貴重な記録です。■あらためて、大掃除。セーターやマフラーから落ちた毛が集まったほこり、寒くってつい掃除がおろそかになっている水まわりなど、この機械に一気にきれいにしてしまいましょう。「サルビア歳時記」 木村衣有子 昨年は、11月から書き始めて早々と書き終わった年賀状。これだけは、あせる。年賀状、忘年会に正月を迎えるための料理や掃除、その上、いつもより仕事の量が多くて毎年のことながら焦る。でも、この焦りこそが年の瀬と開き直っている。しかし、どんなに忙しくても、日記だけはつけたい。私は、このブログが日記代わり。時々、読み返すと、当時、自分が苦しんでいた病気なども懐かしく思い出す。ブログはどうもという人も、日記は是非、オススメです。■サルビア歳時記■は、■木村衣有子■というタグから入れます。◎◎◎◎◎◎12月19日、PCがやっと復活。約1ヵ月間、パソコンのない生活だった。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月19日*「オリヲン座からの招待状」に見る昭和*・・・・・・・・・・・・・・
2009.12.01
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