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ブログのタイトルを、そのものズバリに変えてみた。こんなタイトルにするには畏れ多いとも思うのだが、もともとは「私が原文をどう読んだか」を記しているにすぎないのだから、これでいいや、と開き直ってみた。最近の情報には疎いのだが、昔、関西には有名な中医学の研究会があった。原書を訳しながらの勉強会で、邦訳したものを次々に上梓していくといった、高いレベルの画期的な研究会だった。当時私は三冊ほどの中医学書を訳しながら独学していたので、ぜひ入会したいと願い出たことがあった。R先生に御口添えしていただき、中国語を訳せることも強調したが、帰ってきたのは「一週間に二回の勉強会すべてに出席できるなら」という冷たいものだった。一か月に8回も北海道から関西まで往復するのは、資金的にも体力的にも無理なことで、私は泣く泣く諦めたことがある。もう20年も昔の話だ。しかし原書をもとにして勉強するという彼らの姿勢は、私にとって大きな励みになった。それがこの「私訳・源氏物語」にも通じるように思う。中医学でも古典文学でも、「本当はどう書かれているのだろう」という好奇心が、私をつき動かす原動力になっている。一方で、私にとって書くことは、自分が感じたことや考えたことの止められない表出であって、それ以外の気持ち(感動させたいとか自慢したいなど)はさらさらない。私自身の心のエントロピーが高まって書かずにはいられなくなり、言ってみれば崖から転がり落ちるような勢いで文章を書いているのだが、それでも読んでくださる方を意識しないということはない。読者を意識しない文章は自意識過剰で醜悪になってしまうからだ。とはいえ最近は毎日が気ぜわしく、私自身の易疲労に加えて(正直なところ)高齢化のため、恥ずかしながら言葉が出てこない。それが大きな悩みになっている。
September 15, 2018
お邸の内は急に人が少なくなり、静かになってしまいました。中姫君は大姫君といつもご一緒でしたので、たいそう寂しそうにしていらっしゃいます。宮の姫君もお二方と睦まじくしていらしって、夜などは一所にお寝みになり、さまざまのおん習い事やちょっとした音楽のお遊びの技能などは、宮の姫君を師のように思い申し上げて練習していらしたのでした。宮姫君はひどく物恥じをなさるお方で、母・北の方にさえ、なかなか差し向かいにならず、見苦しいほどの引っ込み思案でいらっしゃるのですが、気立てや物腰まで悪いわけではなく、愛嬌があって可愛らしいところは人より優れておいでになります。大納言は、大君の入内や中君の婿選びなど、ご自分の姫君の結婚ばかり急ぎますのを心苦しくお思いになって、「宮の姫君にふさわしいご縁談をお決めになって、私におっしゃってください。実子と同じようにお世話申しましょう」と、母君にも申されるのですが、「さようなことを考える様子は一向にございませぬゆえ、なまじの結婚は反ってお可哀そうかと存じます。姫のおん宿世にまかせまして、私が生きております限りはお世話申しましょう。私亡き後こそお気の毒で可哀そうに思いますが、その時は出家することによってでも何とか人に笑われずに一生をお過ごしになってほしいと願っております」など泣いたりしまして、ご性質の申し分ないことを申し上げます。大納言は父親として、御三方の姫君を分け隔てなくお世話していらっしゃるのですが、『宮の姫君のお姿を拝見したいもの』と、お人柄が気になりまして、「父親である私に逢わないようにしていらっしゃるのは、他人行儀ではありませんか」と恨み事を仰せになって、ひょっとしたら姫宮のお姿をお見せになる折もありはしまいかと覗き歩いていらっしゃるものの、ちらとさえ拝むことができません。「北の方がおいでにならぬ間は、私がかわりにお世話に参りますものを。母君と分け隔てなすって、私をよそよそしくお扱いになりますのは、情けないことでございます」と、姫宮の御簾の前で申し上げますと、ほのかにお返事なさるお声や気配などに気品があって可愛らしく、ご容姿やお顔が思いやられますのでしぜんに心が惹かれます。大納言は、『我が姫君たちは他人に引けを取るまいと自慢していたが、宮の姫君にはとてもかなわないのではあるまいか。このようなことがあるからこそ、内裏での宮仕えは厄介なのだ。娘たちは類なくうつくしいとは思うが、それに勝る人がいるのも確かなことだ』と、姫宮がどのようなご容貌なのか心配になるのでした。
September 1, 2018
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