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新春の光をご覧になるにつけましても、春がお好きだったおん方をお思い出しになってはお心内が暗くなるばかりで、悲しさは一向に改まるべくもありません。二条院の御邸にはいつものように参賀の人々がお集まりになるのですが、御気分が悪いとお取り繕いになって対面なさらず、御簾の内にばかりおいでになります。ただ兵部卿の宮がおいでになりますと「客間ではなく、うちとけた居間で」と、ご対面になります。「我が宿は 花もてはやす人もなし 何にか春の たづね来つらん(我が家にはもう、春の花を愛でる人もございませんのに、どうして春が訪れ給うたのでございましょう)」宮は涙ぐみ給うて、「香をとめて 来つるかひなくおほかたの 花のたよりと いひやなすべき(紅梅の香りを求めて参りましたのにその甲斐もなく、通り一遍のご挨拶とおっしゃるのでしょうか)」。紅梅の下に歩出で給える宮のお姿はたいそう親しみ深く、『この人以外、ご一緒に花を愛でることのできる人はいないであろうな』とご覧になります。花はちらほらと咲きかけた、あるか無きかの風情あるうつくしさなのですけれども、管弦のお遊びもなく、この春はいつもとはちがったことが多いのです。紫の上に長い間お仕えしていた女房などは色の濃い喪服を着ながら、年が改まりましても悲しみは改め難く、嘆きを鎮める時もなく恋い慕い申し上げています。殿はおん方々のお部屋にとんとお渡りにならず、始終こちらにおいでになります。年ごろ本気でお心を掛けていらしたわけではないにしても、時々はお見捨てにはならない程度に目をかけていらした女房たちも、このような寂しい独り寝になりましてからは、反って他の者と同じようによそよそしくお扱いになられて、夜のおん宿直などにも御帳台あたりからお引き離しになっておいでになります。それでも物寂しさのままに、紫の上のことをお話しなさる折々もあります。俗世間に未練のない仏道修行の御志が深くなるにつけても、最後まで添い遂げられそうにもないような御方々とのことで恨んでいらしたご様子が時々おありになったのをお思い出しになって、『戯れの恋であれ、またやむを得ぬ事情があったにせよ、どうしてあんな悲しい目に合わせ申したのか。何事にも機転の利く御方であったから、私の心情をお見通しでいらしても、徹底して嫉妬なさることはなかったが、事の成り行きを不安に思いどんなに苦しまれたことか』とお可哀そうで、後悔なさることがお胸からあふれそうになります。今も近くにお仕えしている女房で当時の事情を知る者は、亡き御方のお気持ちをそれとなくお話し申し上げることもあります。
March 20, 2018
とうとう紫の上が物語から退場してしまった。この御法(みのり)の巻で私が感じたのは、明石女御が養母である紫の上の抑制した気持ちを汲み取ることのできない哀しさだった。血縁こそないが幼いころから身近で大切に養育されてきたのだし、女御自身実母よりも紫の上に愛着を感じているはずなのに、心のうちに押し込められた思いを洞察できていないことが残念だった。せめて花散里ほどの思いやりがあったならどんなに慰められたことか。しかし孤独を強いられるのがヒロインの命運なのかもしれない。紫の上が幼い三宮相手に、「おとなになり給ひなばここに住み給ひて、この対の前なる紅梅と桜とは、花の折々に心とゞめてもてあそび給へ。さるべからむ折は、仏にもたてまつり給へ」と話すところはいかにも哀れで印象的だ。小康を得た紫の上が脇息に寄りかかってお庭を見ていると、「かばかりの隙あるをも『いと嬉し』と思ひ聞こえ給へる御気色を見給ふも心苦しく、『つひに、いかにおぼし騒がん』と思ふにあはれなれば」とあるのも、実感がこもっていて共感できる場面だった。紫の上の死後、源氏はすっかり腑抜けになってしまったが、子息の夕霧がてきぱきと実務を処理するところはおもしろい。女性の気持ちを思いやるような恋愛には不器用だが、決め事にはきっちり対応できる無機質な人格なのだと思った。
March 18, 2018
薄墨と申し上げるよりは、今少し濃いめの喪服をお召しになります。世にあって幸運に恵まれ立派な人であっても、なぜか世間からは嫉まれることもあり、また高い身分を鼻にかけて迷惑をかける人もいるものですが、紫の上は不思議なほど多くの人々から好意を持たれ、ちょとしたことをなさっても世間から褒められ、奥ゆかしく、時に応じて気が利いて行き届き、世にも珍しいご性質の御方でいらっしゃいました。ですからあまり深い関係でない人であっても、風の音や虫の声につけて涙を落とさぬ者はありません。ましてほのかにお姿を拝見なすった人は、哀しみを慰めるすべもありません。長年睦まじくお世話し馴れた女房たちの中には残された命を恨み嘆いて尼になり、この世のほかの山住みなどを思い立つ者もありました。冷泉院の后の宮からも、しみじみとした御消息文が絶えずおありです。「枯れ果つる 野辺をうしとや亡き人の 秋に心をとゞめざりけむ(亡き御方は春がお好きでいらっしゃいましたが、それは草木が枯れ果ててしまう野辺をお嫌いでいらしたからかもしれませんわ)今になってそのお気持ちが分かるような気がいたします」とありますので、呆然としたお気持ちのなかでも何度も繰り返して読んでいらっしゃいます。『打てば響く感受性があって、風雅な方面の話し相手としてはこの宮だけがご存命でいらっしゃる』とお思いになりますと、少しは悲しみが紛れるような気がなさるにつけても涙でお袖の乾く暇もなく、お返事がようおできになりません。「のぼりにし 雲井ながらもかへりみよ 我秋はてぬ 常ならぬ世に(中宮の御位にお上りになったあなたさまも雲井からご覧になって、私の悲しみをお察しくださいませ。無常の世とはいえ、私はすっかりこの世に飽き飽きしてしまいました)」やっとお書きになりましても、上包みのままぼんやり眺めていらっしゃいます。御気分がすぐれず、我ながら魂が抜けてしまったようにお感じになることがたびたびですので、気を紛らわしに女房たちのいるお部屋にお出でになります。仏の御前にわずかの女房だけをお置きになり、心静かにお勤めをなさいます。「千年までももろともに」とお約束なさいましたのに、命に限りのある別れが、たいそう残念でなりません。されど紫の上に先立たれた今は、一つの蓮に生を託す極楽往生もこの世の雑念に惑わされぬようにひたすら後世安楽を願っていらっしゃいます。とはいえ、世間体のために出家を憚っていらっしゃるのは、いかにもつまらないことでした。追善供養のことなどもはかばかしくご指示なさいませんので、大将の君が引き受けてご奉仕なさいます。ご自身は『今日こそは』と、出家をお思い立ちになることが多いのですが、わけもなく月日が積もっていきますのを夢心地でお過ごしになります。明石中宮も束の間もお忘れになることがなく、思い慕っておいでになります。
March 14, 2018
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