全30件 (30件中 1-30件目)
1
今日は、ちょいと気が早いような気もしますが、道場の忘年会がありまして。師範のA先生はじめ、9人の猛者が集まった次第。 道場の、ということもあるのですが、中にはホントの猛者もおりまして。ビールをピッチャーごと飲む的な。中ジョッキくらいだと、一度に立て続けに3杯、それを半永久的に繰り返すというね。 ま、それはともかく、今日の収穫は、A先生の結婚時のロマンス、そして兄弟弟子のOさんのロマンスを伺ったこと。10年一緒に稽古していながら、なかなかそういう話にはならないので、新鮮な驚きでございました。 あとね、今後のことを考えると、A先生が「皆伝師範」を取った時の話が面白かった。 うちの流派は、師範の上の位である「皆伝師範」を取る時、宗家から三大基柱という一種の漢詩的な文章の口伝を受けるのですが、この口伝を受けると、今まで稽古してきたことのすべての意味が分かると。 まあ、その話は噂として聞いてはいましたが、実際にそうなんだ、ということをA先生から伺って、俄然、興味が出て参りまして。 これはやっぱり、皆伝師範まで取らないとな。あと何年かかるか分からないですけれども。 とまあ、そんな感じで、改めての目標も出来たことですし、いい忘年会になりました。
November 30, 2019
コメント(0)
今、卒論指導の忙しい時期でありまして、ワタクシも四苦八苦・・・しているのですが、最近の四苦八苦は、昔の四苦八苦と大分質が異なります。 要するに、盗作ばっか。それも、本からの盗作ならまだしも、ネットからの盗作だからね・・・。 だから、「ん? 何だか文章が上手すぎる。怪しい」と思って、任意の一文をコピーしてネット検索をかけると、そのまんまどーんと、その一文を含む文章が出てくる。もう、すぐバレるじゃん。 そんな盗作論文をワタクシに提出して、添削してくれ、だなんて、あまりに虫が良すぎないか?? ここは日本なのか? 日本人のモラルは、ここまで墜ちたのか?? こんなに安易な盗作をしたら、すぐにバレるということすら理解できないほど、馬鹿になったのか?? もう、そんなのが重なると、学生が可愛くなくなるんだよね。一生懸命指導しようっていう気が無くなる。だって、指導教授のワタクシを騙そうとしたわけだからね。 あー、もう。こういう日が来るのか・・・。先生稼業も、あんまり長く続けると、いいことないな。 うちの学科、今年度を最後にお取り潰しになるんですけど、それで前は惜しいと思ったけど、もう今はどうでもいいや。こんな学生ばっかりなら、無くなった方がいいよ。
November 29, 2019
コメント(0)
今日、二コマ目の授業を終えてほよっと休憩していたら、研究室のドアをノックする音。どなた? そしたら、某アメリカ文学系出版社の旧知の編集者のMさんでした。あら、お珍しい。 まあ、どこの出版社も今は経営が大変らしく、Mさんのような編集者も、手すきの時には営業で全国を回られるのかな。今日もMさんから、来年度の教科書採用をお願いされ、カタログを渡されちゃった。ま、検討しておきます。 だけど、まあ、Mさんは編集者ですから。当然、雑談の中で、そういう話にもなる。 で、私が自作の教科書を大学出版会から出して、それで授業をしているという話をしたら、Mさんから「それ、どんな感じの教科書ですか?」と問われたので、手元にあった新品を一冊、進呈しておきました。 そしたら、Mさん、結構興味深げに手にしたそれを眺めまわしているので、「何だったら、Mさんのところから出版してくださいよ」とお願いすると、何やら可能性が無くはない様子。 およよ、これってもしかして・・・ワンチャンあるんじゃないの? 何せ今の私は仕事運絶好調ですからね。ひょっとして、「うちから改めて出版しませんか」的な打診があったりして・・・。 ま、そんな感じで、ちょっと手ごたえあり、って感じなんですけど、実は今日はもう一つ、いいことがありまして。 なんと、豊田市のソウルフードとも言うべき「松丈のコロッケ」を初めて食べたのでありまーす! まあ、「松丈のコロッケ」と言っても、普通の人は知らないでしょうなあ。私のように、愛知県にかれこれ四半世紀住んでいたって、つい最近まで知らなかったんだから。 でも、先日、某テレビを観ていたら、この松丈コロッケの話題が取り上げられていて、なんだかおいしそうだったので、通っている道場でその話をしたんですわ。 そしたら豊田市にお住まいの親しい兄弟弟子のOさんが、今日、私のためにわざわざ松丈コロッケを買ってきてくれまして。ひゃー、嬉しい!! Oさんありがとう~!! で、道場での稽古の後、家に帰って夜ご飯としてそのコロッケを食べてみた。すると・・・ うまーーーい! その辺のお肉屋さんとかで売っている普通のコロッケと比べて、ほんの少し甘みが強いんですわ。そしてほんのちょっと、カレー風味もある。その辺が、他のコロッケと違う松丈ならではの特徴なわけですな。初めて食べてみたけど、これは確かに旨い。 いやあ、Oさん、ご馳走様でした。ありがとうございます! 松丈のコロッケ、確かに堪能いたしました!
November 28, 2019
コメント(0)
今日は一日、共著担当分の校正作業に取り組んでおりました。 ところで、TVアニメの初代『ルパン三世』で、「罠にかかったルパン」の回、覚えておられます? あの回でルパンは星影銀子の策略にはまり、時限爆弾付の腕時計をはめられて、翌朝までに大金を用意しなければならない羽目に陥ると。 で、ルパンがどーしよう、どーしようと怯え悩んでいると、石川五右衛門が斬鉄剣を構えながらこう声をかける――「拙者が腕を切り落としてやろうか。なに、ひと思いにやれば、さほど血は出ない」。 このね、「ひと思いにやれば、さほど血は出ない」っていう五右衛門セリフ、これ、私が校正作業に臨む際の心得なのよ。 原稿なんてさ、書くとなったら一行一行、血の出る思いで書くわけですよ。だけど、それが校正の段階になると、編集の方から「3行多いので、どこか削って下さい」なんて言われてしまう。 そんなもん、削れるわけないだろっ! 余計なことなんて一行も書いたつもりはないんだから!! だけど、いざとなったらそんなこと言っている暇はない。とにかく3行なら3行、削らなくちゃ話が始まらないんだから。 そういう時、ワタクシは五右衛門のセリフを思い出すわけですよ。「ひと思いにやれば、さほど血は出ない」と。そこで、涙を呑んでバッサリ切る。 そうすると、確かに血は出ないんだなあ。無駄な行なんて一行もないと自分では思っていても、実はあるんだなあ。切っても血がでないところが。 というわけで、今日は五右衛門ばりに斬鉄剣を振り回し、己が身をバッサリやっていたと。 ま、とにかく締切までに何とか校正を終えることが出来ました。ここまで来たらもう、後は野となれ大和撫子って感じかな。
November 27, 2019
コメント(0)
今日は26日、クルマ雑誌『ENGINE』の発売日だ! がーん! どうしよ、どうしよ。買うべきか、買わざるべきか! 実はですね、ワタクシ、この雑誌が創刊された時から、多分、ほとんど一号の欠号もなく、買い続けているんだと思うんですわ。 なかなか、そういうのってないじゃないですか。だもので、つい、毎月、買ってしまうと。 もう、家の中はこの雑誌のバックナンバーで埋まっておりまして。このまま、この雑誌の山をふやしつづけていいのだろうかっていうね。疑問があるわけよ。 でまた、この雑誌が扱うクルマって、基本的に高級車が多いわけですよ。フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ、ベンツ・・・ってな具合で。あと、超高級時計の話題も多い。 若い時は、それでも「いつかそういうのを買ってやる」的な志で買っていたけれど、50代も後半となると、現実の方が追いついて来て、そんな高級車買うチャンスって、あるのか? 的な疑問も生じて参りまして。 だけど、一号の欠号もないとなるとなあ。ここで講読を止めてしまうのも何だか惜しいようで。 というわけで、今月も買っちゃったよ! 1100円も出して! あーあ。この雑誌を買い続けるかどうかの決定は、また一か月先に延びてしまった・・・。 で、一か月後には、また結論先延ばしで、結局また買うんだろうな・・・。 というわけで、この雑誌との腐れ縁、一体どこまで続くのやら。自分でもさっぱりわかりまへん!
November 26, 2019
コメント(0)
このブログでもしばしばこの話題を取り上げますが、私が贔屓にしているレストランは、必ず潰れると。 本当に本当に本当に不思議なんですけど、私が美味しい店だなあと思い、コスパもいいなあと思い、店のオーナーも感じがいいなあと思い、定期的に通ってその味を堪能している店ほど、なぜか潰れるんですわ。これまでに一体何軒の素晴らしいレストランを潰してきたかと思うと、マジで身も細る気がします。 我が家では給料日の前後に、給料日ランチ/ディナーと称して家内と外食することがよくあるのですが、今月はどこに行こうかという話になり、我が家の近くにあるお気に入りのイタリアンに行くことにし、定休日は何曜だったか確認しようとHPを開いたところ、なんとなんと、事情があって来年1月中旬に店を閉めるという趣旨の告知が書いてありまして。 いやあ、大ショック・・・。この店は我が家から歩いて行ける距離にあるので、クルマのことを考えずにワインが飲める店だったんですわ。それが潰れちゃうとなると、もう、お酒を飲めるレストランが家の近くに無くなってしまう。 でまた、ここの料理が旨くてね。パスタなんか、その絶妙の塩加減に毎回舌を巻きつつ、舌鼓を打っていたというのに。 で、さらに不思議なのは、同じ通りに中国料理の店があって、ここは我が家はあまり贔屓にしておらず、しかもパッと見、いつもあまり客が入ってなさそうな店なのに、なぜか潰れないのよ。なのに、味抜群、コスパ抜群、オーナーシェフの人柄抜群の店の方が潰れる。私が贔屓にしているばっかりに。 はあ・・・。申し訳ない。贔屓にして、申し訳ない! 来年1月半ばに店を閉めるとなると、あと何回、あの美味しいイタリアンを食べられるのか。とりあえず、明日の夜はここに行って、美味しいものを食べてこようと思います。今度ばかりは、パスタの塩加減が少しきつくなるかもね。私の涙のために・・・。
November 25, 2019
コメント(0)
ローマ法王フランシスコが来日しております。前回、法王が来日したのは38年前と言いますから、久しぶりですな。 ところで、38年前にヨハネ・パウロ二世が来日した時のこと、私は割とよく覚えているんですよね。 というのも、法王が来日するちょっと前、私は小田急線の車内に居たのですが、偶然、小学校2年生とか3年生とか、そのくらいの年齢の女の子二人が近くでおしゃべりをしているのが耳に入ってきまして。 多分、その子たちは、ミッション系の小学校の生徒だったんでしょうな。だから、法王来日のことを知っていて、それで「今度、バチカンのお父様がいらっしゃるのよ」「楽しみね」という会話をしていたと。 バチカンのお父様・・・。 きっと躾けの良い、良いご家庭のお子さんだったんでしょうな。その何とも優雅で上品な言葉遣いに、私も思わずそのかわいらしい女の子たちを二度見してしまったのでした。 さて、ヨハネ・パウロ2世同様、評判のよろしいフランシスコ現法王ですが、彼が率いるカトリック教は、今、東南アジア、アフリカ、中米諸国で信者数をどんどん伸ばしているのだとか。 ま、それはいいのですが、私のような自己啓発本研究者の立場から言わせていただくと、これはまたある意味、大変なことを意味しておりまして。 というのも、自己啓発本っていうのは、カトリック諸国ではまったく受けないのね。そういう種類の本は出ないし、出ても売れない。 なぜか。それは、カトリックに他力本願なところがあるからでーす。困った時はマリア様がやってきて知恵を授けてくれるから、let it be。それがカトリックというものであって、自己啓発本の思想的背景である「自助努力」という概念とはまったく相反するところがあるわけよ。 で、それを踏まえた上で、今、東南アジア、アフリカ、中米諸国でカトリックが勢力を伸ばしているということは・・・つまり、そういうことですよ。その辺の人たち、自助努力する気ないなと。いつまで経ってもACジャパンだなと。 これは、えらいことですよ・・・。むしろそれらの国々に本当に必要なのは、法王とかACジャパンじゃなくて、自己啓発本なんじゃないのかと。 『西国立志編』とかね、『学問のすゝめ』とか。あるいは『7つの習慣』とか。その辺を是非その国々の言葉に訳して、大量に送り込むってのはどうですかね。自助努力の気概が育てば、大分違うと思うのですが如何。
November 24, 2019
コメント(0)
寒かった昨日と比べ、今日は暖かかったですね! あまりいい天気だったので、午後、家内と買い物がてら散歩に出かけました。家の周りはまだまだ里山の自然が残っているところが多く、蜜柑がなっていたり、柿がなっていたり、川沿いの藪にはカラスウリの鮮やかなオレンジが点在していたりと、いい気分転換になりました。 さて、話は変りますが、先日、心理学の本を読んでいて、「健康な心の持ち主は『最悪』という事態にはならない」という趣旨のことを読みまして。つまり心が健康な人ってのは、たとえ自分が相当悪い状況に置かれても、「自分なんかまだマシだ。世の中にはもっと悲惨な目に遭っている人が沢山居るんだから」という風に相対的に考えて立ち直ろうとすると。決して、今の自分を「最悪」とは見なさないというわけですな。それが健康というものだと。 で、この考え方にちょっと近いかなと思うのですが、私の場合、「やりたくない仕事をやるコツ」が、この種の相対化なのね。 つまり、何かやりたくない仕事がある場合、それよりもっとやりたくない仕事を引受けると、その「もっとやりたくない仕事」がやりたくないばかりに、先の「やりたくない仕事」に一心に取り掛かれるというシステム。 で、今日、このシステムを導入するチャンス到来。 私は「卒論指導」が面倒臭くて仕方がないのですよ。だってすごく時間をとられるし、しかもその成果はゼミ生のものであって自分のものにはならない。自分のためにならないことに、すごく時間を取られるのが嫌なわけ。 ところが、最近、大昔に書いた自分の原稿の校正をする作業をやらなければならなくなりまして。で、ちょっと取り掛かったところ、これが思いの外面倒臭くてですね、すごく気が重いんですわ。しかも、締切はそんな遠くじゃないし。 で、嫌だな、嫌だなと思っていたところに、ゼミ生から「第1章を書き終わったので、添削をお願いします」というメールが来た。 おお! わたりに船! 校正作業を後回しにする口実が出来たじゃん! で、すっかり嬉しくなって、いつもなら嫌で仕方がない卒論指導に飛びついた次第。 ね。やりたくない仕事をやるには、もっとやりたくない仕事を引受ければいい。相対化よ、相対化。 というわけで、今日はこれから一心に、卒論の添削作業に邁進したいと思います。ラッキー!!
November 23, 2019
コメント(0)
![]()
城山三郎さんの書いた・・・というか、遺稿集ですな、これは・・・『そうか、もう君はいないのか』という本を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、私が最も読みそうもない種類の本なのですが、先週、父の蔵書を処分した時に、処分する方の本として振り分けたところにこの本があったので、ふと思い立って、取って置く方に戻したんです。というのも、晩年、父がこの本のことを何度か話題にしたことを思い出したもので。 で、つい、名古屋の自宅に持ち帰って読んでしまったのですが、そのタイトルからも窺われるように、これ、城山さんの、奥さんへの追悼記ですな。 いやあ、父らしいな。私の父は、なんというか、ちょっと安っぽい感傷癖がありまして、この種の感傷的な本が好きなんですわ。 で、その城山さんですが、名古屋のご出身で、大学は一橋ですけど、卒業後、地元愛知にある「愛知学芸大学」、今で言う「愛知教育大学」の商業科の教官となる。愛知教育大学? なんか、どこかで聞いたことのある名前ですけれども。 で、名古屋出身の人が地元の国立大学に就職した場合、どういうことが起こると思います? 縁談が引きも切らないんですって。名古屋って、質実剛健の土地柄ですから、安定の公務員、ましてや国立大学の若き教官なんていうと、もう、結婚相手としては百点満点なので、周りが放っておかないと。そのため、家にはお見合い写真が山積み。城山さんが名古屋の町を歩いていると、なぜかやたらと妙齢のお嬢さんに伏し目がちに挨拶をされる。なんで?と思うと、そのお嬢さんは、お嫁さん候補として城山さんのところに写真と釣り書きを送っていた大勢の女性のうちの一人だった、なんてことになるのだそうで。 ほう! 愛教大に赴任すると、そんなステキなことが起こる時代があったの?? それは寡聞にして知らなかったなあ・・・。 ま、それはともかく、そんな縁談が山と持ち込まれる中、城山さんはたまたま街の図書館で出会った少女と恋に落ちると。それが、『そうか、もう君はいないのか』の「君」であり、後に奥さんになる容子さんなわけ。なかなかロマンティックな恋愛結婚であります。 で、この容子さんというのは、何と言うか、屈託のない人で、夫の仕事に口も出さないし、不満も言わない、いい意味でほったらかしにしてくれるようないい奥さんだったようで、城山さんとずっと仲良くいられたんですな。 ところが、そんな容子さんは60代後半になってガンにかかり、そうと分かった時には余命数ヵ月という状態に。そこから亡くなるまでの短い時間は、その分、濃密な時間だったようで。 しかし、奥さんに先立たれた城山さんは、奥様との思い出の詰まった自宅に戻れず、それまで仕事場として使っていたマンションに居を移すほどの落ち込みぶりで。そして、奥さんの7回忌が済んだ後で、城山さんも亡くなると。だからこの本も書きかけの未完で、それを城山さんの死後、出版社の方で遺稿を整理し、この形に整えたのだとか。 ま、そんな感じですから、内容的には大分あっさりしたもので、容子さんの人となりを深く描いたものではないので、第三者としてはそこまで感動できず、ふーん、って感じ。 しかし、私としてはむしろ、この本を読んでいた父のことが思われますなあ。 私の父は死ぬのが嫌いな人で、150歳くらいまで生きたい・・・というか、出来れば永遠に生きていたい人でしたから、まさか自分が妻(私の母)より先に死ぬなんて思っていなかったんでしょうな。 だもので、父としては、この本を読んで「妻に先立たれる男の悲哀」を感傷的に予行演習したかったんじゃないかと。 父の性格として絶対そうだと思う。 だから、父はこの本を読んで結構感動していて、我々にも盛んにこの本の話を聞かせたんでしょうな。 ま、息子である私はまだいいけど、母はどういう思いでその話を聞いていたのか、っていうね。「あなた、私に先に死んでもらいたいんでしょ!」って思ったんじゃないの? 随分、失礼な話で。だけど、そういう失礼なところが私の父なのよ。父っぽいわ~。 きっと父は、先に逝った妻を偲んで「そうか、もう君はいないのか」なんて呟きたかったんだろうな。残念でした! ということで、城山先輩には申し訳ないけれども、この本、我が父のしょーもない、だけどちょっと可愛い、性格を偲ぶよすがになってしまったのでした。[ 翌日発送] そうか、もう君はいないのか 【中古】 著者 城山三郎 -730-31
November 22, 2019
コメント(0)
出版社より連絡があり、本日無事校了となった由。来月6日に見本が出来、13日には全国配本、そして15日に一斉発売とのこと。 いやあ、うれぴーねえ。今回は新書なので、部数も多いし、マジで全国の書店で売られるわけだし。ついに初めて万単位の売り上げになるかも! まずは書評がどうなるか。全国紙が果して取り上げてくれるか。そこが第一関門ですなあ。 15日には、とりあえず家の近くの行きつけの書店に行くだろうねえ。自著が平積みになっているのを、写真に撮っちゃうだろうねえ。 もし、誰か目の前で買ってくれる人がいたら、どうしよう。正体を明かすか?? サインしちゃうとか?! それはないだろうけれども、自分の本を誰かが買って行く瞬間って、一度、見てみたいなあ。 ま、そんなことも含め、当分、楽しみが続きます。この夏、ふーふー言って苦労した甲斐がありましたわ。
November 21, 2019
コメント(0)
通勤しながら、いつもながらの風景が秋らしい装いになったなあと。 しかし、秋の美しさってのは、一体何なんだろう。 まあ、春が美しいのは分かるじゃん? 新緑の、萌え出ずる美であり、もっと端的には花の美しさなんだから。これはもう、当たり前の美しさ。 一方、秋の紅葉の美しさというのは、朽ちる方だからね・・・。ダメになって、崩れ落ちていく様が美しいという感覚は、人間だけのものなのだろうか。枯れ落ち葉を、花と同じように愛でるというのは、一体どういう・・・。 でも、そんなこと考えなくても、やっぱりキレイはキレイなんだよな・・・。 動物は、秋がきれいだって思うんだろうか。それとも、人間だけなんだろうか。もし人間だけがそう思うなら、この世界は人間のためだけに装うのだろうか。それは一体なぜ? まあ、キレイならどうでもいいか。
November 20, 2019
コメント(0)
![]()
私は普段、あまり肌ケアなんかしない方ではあるのですが、さすがに冬場、乾燥する時期になると、洗面後に何かしっとりするものを付けたくなる。 で、毎年流行廃りがありまして、メンズ・ニベアを使った時もあり、アメリカで買ってきた「バーツ・ビーズ」の保湿クリームを使った時もあり、ってな感じなんですけど、今年はですね、「ウーノ」のパーフェクトなんちゃらというのを買ってみたと。これこれ! ↓ウーノ クリームパーフェクション 90g そうそう、「クリームパーフェクション」だった。 で、このところ朝の洗顔後、そして風呂上りにこれを付けているのですけど、これがね、割といいよ。 もちろん、しっとりするのもいいのですが、それに加えて、汗のテカリを抑えてくれるような気がする。冬って、寒いようで、暖房効き過ぎの部屋とかもあったりして、それなりにテカるじゃん? これを使うと、そういうのが無くなるような気がします。 あと、クリームパーフェクションといいながら、実際はジェルタイプなので、いつまでもべとべとしないところも好印象。べたべた系は嫌いなのよね~。 ということで、10年後に差をつけるべく、柄にもなく肌ケアに勤しんでいるワタクシなのであります。
November 20, 2019
コメント(0)
ひゃー、またまた名古屋での日常に戻って参りました。 さて、週末、実家で父の蔵書の処分をしてきたのですが、その際、処分をお願いした古本屋さんのSさんから面白い話を伺いまして。 その古本屋さんは、今は店舗を持たず、ネットでの販売を中心に、たまに古本市に出店するなどしていらっしゃるとのことだったのですが、前はちゃんとお店を持っていた。それも、ただの古本屋ではなく、洒落乙な「古本カフェ」を営んでいらしたというのです。 まあ、古本に関連するエッセイなどを読んでおりますと、古本とカフェのつながりというのは非常に強いわけでありまして、まず古本屋に行き、目指す古本をゲットして、その本を手にカフェに入り、熱いコーヒーをすすりながら買った古本のページを繰る・・・なんてのが古本愛好家の至福の時と、まあ、そういう風になっている。 だから、そんなエッセイを読みあさっていたら、つい、古本も売るカフェを開いたら、さぞお客さんが入るに違いないと。まあ、そう考えますわな。 で、Sさんもそんな風に皮算用して、古本カフェを開いてみた。 すると、どうなったと思います? 大失敗だったと。 Sさん曰く、古本とカフェの切っても切れない縁というのは、どうやら絵空事のようでありまして、実際のところ、古本を買いに来る人はコーヒーを飲まないし、コーヒーを飲みに来る人は古本を買わないと。 で、そうなると特にやっかいなのはコーヒーを飲みにくるお客さんだそうで、そういう人たちは1杯400円のコーヒーで3時間くらい粘ると。 で、ただ静かに粘っているならまだしも、よほど暇なのか、Sさんにやたらに話しかけてくるというのですな。で、Sさんとしても、そういうお客を無碍には扱えないので、つい応対してしまう。と、その間、3時間、Sさんは何の仕事も手に付かない。 ということで、こりゃアカン、と悟って、古本カフェを閉店したとのこと。「あれは大失敗でした」とSさんも自嘲気味に話していました。 ふうむ。なるほど。素人目にはいい考えのように見えても、実際にやってみると、なかなかそう上手くは行かないということなんですな・・・。 いや、いい勉強をさせてもらいました。ワタクシもね、そういうことを考えないでもないのよ。定年になったら、どっか避暑地かなんかにカフェ付きの家でも建てて、古本も置いて、週末と夏期だけオープンする古本カフェでもオープンしようかなとか。 それ、絶対やっちゃダメなんだ。 ・・・ということが分かった次第。 で、人生の落とし穴を一つ、クリアしたワタクシなのですが、それにしても、あの「買ったばかりの古本を手に熱いコーヒーをすする」っていう奴、あれは一体、何なんですかね? 古本系エッセイストの妄想??
November 18, 2019
コメント(0)
昨日、父の蔵書処分をしていたら、たまたま父の日記が、それも、私が生まれた年の日記が出てきまして。それで、私が生まれた日の記述を見たら、「妻、第二子(男)出産、ごくろうさんだった」などと書いてある。母は実家で私を産んだので、その時はまだ父は私を見ていないんですな。 それから日を追って見て行くと、3日後に「子供に会う」とあり、その翌日、「名前は若尊にする」などと書いてある。それから3ヶ月後くらいの日記には「若尊、初めて手をしゃぶる」とあり、5ヶ月目くらいの日記には「若尊、ビオスメール、オミオツケ、ブドウ及びメロンのジュースをよく飲む。脚をつっぱって立とうとする、なかなか活発である」と書いてある。 なかなか活発である、か・・・。 さてさて、その活発な男の子のワタクシですが、これが実際、なかなか活発でありまして。 来月の13日頃には、新著として新書が出るのですが、なんとなんと、近々、もう一冊、本が出るらしいのですよ。 出るらしいって、他人事みたいな言い方なのにはわけがありまして。こちらの本は私の単著ではなく、共著なんです。 で、私の担当分の原稿は、もう、それこそ2年前くらいに出してあって、その後、なんの音沙汰もなかったもんだから、私としては、きっと何か差し障りがあって、この企画はポシャったのだろうと思ってすっかり忘れていたんですわ。 そしたら、昨夜、家内と電話で話をしていたら、「そういえば◯◯書房から、校正ゲラが届いているよ」と言うので、一瞬、何のことか分からず、「校正ゲラ? ◯◯書房? 何ソレ??」みたいな感じだったんですけど、しばらくして「あーーーー、あれかーーー」と思い出した次第。 だから単著の他に共著も出る。これを「なかなか活発である」と言わずしてどうしますかって感じでしょ? ま、そんなわけで、期せずしてもう一冊、著書が出ることになり、なんとなく心楽しくなってきたワタクシ。よーし、今日はこれから名古屋に戻って、さっそく校正に取りかかりますか!
November 17, 2019
コメント(0)
ひゃー、蔵書を売るってのは、大変ですなあ・・・。 父の蔵書を処分するということで実家に戻っているわけですが、今日、業者の方に来てもらいまして、蔵書を売り払ったのですけれども・・・ もうね、買い取ってもらえたのは、蔵書のごくごく一部のみ。そうですね、段ボールにして3箱分くらいかな? 後は価値が付かないということで、引き取ってももらえなかったという・・・。 え¨ーーーーー。マジか・・・。せめて値段がつかないものでも、引き取ってはもらえるのかと思っていたのに・・・。 ということで、仕方がない。業者さんが残して行った価値の無い本は、全部、「もったいない本舗」行きでございます。 ま、実はこんなこともあろうかと、事前に「もったいない本舗」に段ボールを20箱分、送るように言っておいたのよね〜。 で、箱詰めしていったら、ほぼきっちり20箱分ありました。あと2箱あったら、全部処分できたのですが。まあ、仕方がない。 ま、これはもう本当に二束三文にしかならないんですけど、引き取ってくれるだけありがたい。 ところで、業者さんが引き取って行かなかったものの中に、上林暁とか笠信太郎とか福原麟太郎とかの個人全集がありまして、こういった個人全集なんてのは、もう、古本屋さんでも洟も引っかけないのかなと。 一方、「あ、これは持って行くんだ・・・」と思ったのは、講談社文芸文庫ね。あれは買う時の値段も高いけど、古本としても価値が残るらしいんですな。 というわけで、不本意なところもありながらの、蔵書処分のミッションはほぼ終了〜。 結局、父の蔵書で守ってあげられたのは、本箱2本分のみ。これは、父が本当に愛蔵していたのを知っていたので、さすがに売れなかった。 まあ、そんなもんかなあ・・・。 でも、ま、とにかくミッション終了で、少しホッとしました。
November 16, 2019
コメント(0)
何年前の話だったか、某国で40人近い犠牲者を出した列車の脱線事故があって、原因追及が始まる前に、事故を起こした列車を土に埋めちゃった、というニュースがありましたよね? 埋めてしまえばなかったことになるんじゃないかという、驚くほど短絡的な考え方に世界が仰天したという。 例の「桜を見る会」の件、安倍某がそそくさと来年の会を中止にしたというのは、何となく、この「列車埋めちゃえ事件」を思い起こさせるところがありますなあ・・・。こうなってくると、某国のことを笑えないね! さてさて、私は今、父の蔵書の処分のため、実家に戻っております。 父が亡くなってすぐの段階で、相当数の蔵書を処分したのですが、今回はその第2弾ということで、より価値の高い本を処分することになり、今回は業者さんを呼んで直接査定してもらうことにしました。ま、価値が高いと言ったって、処分するとなれば二束三文にはなってしまうのですが。 父が愛蔵した本を処分するというのは、しかし、心苦しいものですなあ・・・。 ところで、今日の夜ご飯は実家で食べるよと言っておいたところ、母が餃子を作ることにしたらしく。 ところが、久しぶりに作るので、その作り方を忘れてしまったようで。なんでハードルの高い料理を選んだのかねえ・・・。それで結局、私が大半、作ることになってしまった次第。 しかし、餃子なんか作ったことないし。餃子の種を皮に包むのだって慣れてないので一苦労。 で、焼くのだって、ほとんど初めてかも。 で、実際に自分で焼いてみて知ったのですが、焼き餃子といいながら、あれはほとんど蒸し餃子なんですね。料理としては、基本、蒸すことで火を入れている。で、水が完全に蒸発した段階で、少しだけ焼くから焼いた料理みたいに見えるんだなと。 まさか、この歳になって、焼き餃子の真実を知ることになるとは。人生何があるか分からないものでございます。 で、でき上がった餃子ですが・・・うーん、完成度はイマイチだったかな? やっぱり、最初から上手に焼けるほど、餃子作りも甘くはないと。 でも、まあ、とにかく、私に餃子を振る舞おうとしてくれた母の心意気だけおいしくいただいたことにしておきましょうかね。
November 15, 2019
コメント(0)
今日、同僚のN先生(女性)と話をしているうちに、彼女が塚ファンだということが判明しまして。 とはいえ、年季の入ったファンではなく、せいぜいここ数年、ファンになった、ファン歴の浅いファンとのこと。ちなみに、N先生の推しは愛知県出身で月組トップの珠城りょうさんなのだそうで。 で、塚ファンの何が楽しいかというと、自分の推している人が、段々出世してトップになるのを見守ることだそうで、Nさん的には自分の推していた珠城さんがついにトップに立ったということで、幸せの絶頂なのだとか。 反面、トップに立ったということは、珠城さんが宝塚に在籍できる時間も限られてくる。トップは3年前後で入れ替わるそうですのでね。だから、珠城さんがトップのうちは、出来るだけ時間を作って公演を見にいくのだとか。 というような話を聞いていて思ったのですが、ある意味、塚ファンというのは、大相撲ファンに似ているのかなと。つまり、新入幕あたりから目をつけていた力士が段々出世して横綱までなるのを見守るのが至福、的な。そして横綱になったらなったで、最高に嬉しい反面、もうあとは引退しかないという一抹の寂しさもある、的な。 あと、N先生によると宝塚のいいところは、かならずハッピー・エンドで終ることだと。 公演の題目が悲恋の場合もあるけれど、例えば『ロミオとジュリエット』とかで、ヒロインが死んで悲劇的な幕切れになるとしても、そのまま終わらず、その後で死んだ人も死ななかった人も、みーんなニコニコ笑顔で再登場して、派手なフィナーレをやるというのですな。つまり、「さっきのは演技、演技! 本当は死んでませーん! 皆さん、楽しんでくれましたか~!!」的なパフォーマンスをやると。そうやって、最終的には派手でご陽気な雰囲気にして、それで客を送ると。 この、最後の派手なパフォーマンスで、劇中の敵も味方もノーサイド状態にし、観客には幸せな気分になって帰ってもらう。この徹底したハッピー・エンドな方針が、エンターテインメントとしてたまらないと。 なるほど! その意味では、まさに宝塚にはハーレクイン・ロマンス的な側面もあるわけか・・・。 というわけで、宝塚ってのは、やっぱり娯楽として筋金入りのものなんだなと、いたく感心してしまったワタクシなのであります。女性ファンの心を掴んで放さないわけだ。納得。
November 15, 2019
コメント(0)
相変らず、新書本の校正作業をやっているのですけれども、やっぱりプロの校正さんってすごいね。まあ、こちらの日本語の誤りをズバズバと指摘して下さって・・・。 で、そのご指摘を受けると、いかに自分が言葉を知らないか、いかに自分の日本語が拙いか、思い知らされるという。 例えば、「戦争の火蓋が切って落とされる」なんて、ついうっかり書いちゃうじゃん? すると、「火蓋は切ることはあっても、落ちません」なんて書かれてしまう。「火蓋が切って落とされる」というのは、「火蓋を切る」と「幕が切って落とされる」を混同した誤用なんですな。まあ、言われれば「あ・・・そうか・・・」と思いますけど、つい、使ってしまいます・・よね?? あと、「間髪を置かずに」なんて書いていたのを、「間髪を容れずに」に直されていた時も、しまった~! と赤面してしまった・・・。 あと、「敷居の高い」ね。この言葉も、私はついうっかり「難度が高い」の意味で使っていたのを、「誤用です」と指摘されてしまった。そうでした、そうでした。 それから、キリスト教の堅い信仰、というつもりで、「堅信」という言葉を使ったら、これは儀式を指す言葉で、堅い信仰という意味にはならないと指摘されてしまった・・・。 あ、そうそう、それから「家紋に傷をつける」と書いてしまったのを、「家名に傷をつける」ではないか、と指摘されたのも恥ずかしかった・・・。 とまあ、一々挙げて行ったら切りがないほど、私の原稿は間違いだらけだったと。 もう、アレだね。勉強不足。もう人のことは言えません。 まあ、でも、こうやって恥ずかしい思いをすると、次は間違えないからね。いい勉強になったと言うべきでしょう。 それにしても、プロの校正さんってすごいな。ま、それが専門なんだから、当たり前かも知れないけれども。
November 13, 2019
コメント(0)
来月出る新書本の表紙案・帯案が出ました~! まあ、新書ですから、基本的なレイアウトは変らないのですが、しかし、自分の書いた本のタイトルと、何よりも自分の名前がそこにどーんと書いてあるわけですから、やっぱり感慨深いものがあります。 でまた、帯がね! これが、インパクトのある奴なのよ。帯だけでも、相当数のお客さんを惹きつけられるのではないかと。 でまた、当然、表紙には著者紹介がありますから、そこに、私が今までに出した本のタイトルがずらずらと載っている。この新書を読んで、私の書くものに興味を持ってくれた人が、さらに他の本を手に取ってくれるとしたら、いいよなあ・・・。 地元の本屋に私の本が新刊本として並んだら、勝手にサイン会やっちゃおうかな。 というわけで、モチベーション、上がりまくりよ。 この気合で一気に、再校の仕事、終わらせようっと!
November 12, 2019
コメント(0)
![]()
シェリー・E・テイラーが書いた『それでも人は、楽天的な方がいい』(原題:Positive Illusions, 1989)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 本書は大まじめな心理学の本なのですが、基本的な問いは割とシンプルで、「『健康な心』とは何か?」というものなんですな。 で、従来の心理学の見方ですと、健康な心というのは、要するに、現実を正しく、客観的に、しっかり把握している心のことを言うのだろうと思われていたんですな。で、この考え方は、例えばエリック・エリクソンとかエイブラハム・マズロー、カール・メニンジャー、エーリッヒ・フロムあたりまで、自明の理として受け容れられてきた。 それはもう自明なわけですよ。実際には泳げないのに、「自分は泳ぎが得意だ」という認識を持っている人がいたとしたら、その人は水に飛び込んで溺れるわけですから。泳げないのだったら、「自分は泳げない」という現実をしっかり把握する――これが健全な精神であると。 ところが、どうもそうではないのではないかという発見があったと。 つまりね、「正常な人間の思考にはバイアスやイリュージョンがある」ということが分かってきた。もっと簡単に言えば、客観的な事実を越えて、人間は自分のことをよりポジティヴに認識していると。 ここ、重要なんだけど、バイアスがあるとか、イリュージョンを抱いているというのは、現実を間違って認識している、ということではないのね。そうじゃなくて、一様に、ポジティヴな方向に振れた見方をしているっていうこと。 子供に顕著なんだけど、大抵の健全な子供は、「自分はクラスの中でヒーローだ」と思っているんですな。他の子供より、自分が何らかの点で優れているし、そう認められていると思っている。実際にはそうでなくても、そう思っていると。あるいは、皆が皆、そう思っているんですな。 でまた健全な人間というのは、良いことが起こると、それは自分のせいであって、必然だと思うんですな。逆に悪いことが起こると、それは偶然だと思う傾向がある。 で、このことをさらに厳密に言うと、健全な人間というのは、起こる物事に対して、それをコントロールする能力が自分にはある、という幻想・イリュージョンを抱いている。それを抱いている人こそが、健全な心・健康な心の持ち主であると見なすことが出来る――これが、現在の心理学の「健康な心」観なのだと。 例を挙げれば、ギャンブラーがサイコロを振る時、念力を込めるわけですよ。「1出ろ」とか「3出ろ」とか。そんなことを念じながらサイコロを振る。現実には、サイコロの目というのは、偶然に左右されるのだから、そんなこと念じたって意味ないんですよ。だけど、健全な人間はそうは思わない。念力を込めれば、自分でその偶然性をコントロールできると信じている。それが健全な心だと。 面白いねえ! 確かに、そういうところありますよね! だけど、こういう健全なイリュージョンと、病的な楽観主義は全然異なります。 健全なイリュージョンの持ち主は、そういうイリュージョンを持っていたとしても、現実を知ればそれを受け容れます。つまり、ちゃんと現実を把握しているわけ。サイコロで「1出ろ!」って念じて、結果1が出なくても、「そういうもんだろ」とちゃんと現実を受け容れる。 ところが病的な楽観主義者は、そういう外的な状況を受け容れません。物事がうまく行っていないのに、うまく行っていると信じてしまう。だから、現実を見間違っているので、その結果、非常に大きなトラブルに巻き込まれることになる。 だから、健全なイリュージョンと、病的な楽観主義は全然違うわけ。前者は現実に対処できるけど、後者は出来ない。 どうしてそうなるかというと、健全なイリュージョンってのは、自分自身に直接かかわることだけに起こるから。自分自身については、ポリアンナも真っ青ってくらいに好意的に捉えているんですな。でも、その他のことはかなり正確に現実を客観的に把握している。だから、全然問題ないわけ。 で、こういうイリュージョンを持っていることをもって健全と見なすわけは、それを持っていると、人間というのは、自分自身に満足して幸福になれるし、他人のことを思いやれるし、生産的な仕事に生きがいを感じられるし、厳しい環境の中でも成長しようと努力する原動力になるから。これらのことは、この自分に対するイリュージョンによってもたらされているところが多いわけよ。 特に「自分のことを好意的に捉えられる人間のみ、他人を思いやることができる」っていう発想は、1970年代にさかんに言われた概念で、その筆頭はカール・ロジャースだと。で、ロジャースによれば、自分に価値があると思っていると、他人にも価値があると思いがちだというのですな。つまり、自分を肯定的に捉えるという心の動きは、自己中心的になるのではなく、その逆に、他人に対する思いやりを育てると。 面白いねえ! でまた、自分を高く評価している人間は、難しい問題にも積極的に、かつ長い時間、取り組むというのですな。そうすると、当然、成果も出るわけで、イリュージョンを持っている人は、持っていない人に比べて、社会的な成功者になる確率が高くなる。 また健全なイリュージョンを持っている人は、自分のコントロール能力に自信がありますから、自ずと自分をコントロールする(律する)傾向も強くなる。つまり、「こういう人間になりたい」という強い意志を持って、その意志を押し通す力があると。それは、人間的な成長につながるわけね。 しかも、バーニー・シーゲルやノーマン・カズンズの著書からも窺えるように、この種の好意的な自己認識、自己のコントロール能力への信念は、その人の健康をも高めるというのですな。精神的なものによって、体の健康って、相当左右されるもので。 ところで、自己のコントロール能力に自信がある健全な人間にとって脅威となるのは、「偶然不幸になった人」の存在です。なぜなら、誰もが偶然事故にあったり病気になったりするのであれば、自分の身にもそれが降りかからないとも限らない。それはつまり、そういうものは自分のコントロールの出来ない領域の出来事であるということになってしまって、それは自分の存在を根底から揺るがすようなショッキングな認識になってしまうから。 だから、偶然災難に遭った人が身近にいると、それに何らかの理由を付けようとする。 夜道で暴漢に襲われた隣人が居たとしたら、「そんな、夜、外をほっつき歩いているから、そういうことになるんだ」と考える。自分は自分の行動をきちんと律することが出来るから、自分は不幸な隣人のような目に遭うはずがない、と考えたくなるわけ。 でも、そんな健全なイリュージョン保持者ですら、偶然、不幸に遭うことはある。例えば、ガンになるとかね。 でもね、そんな時でもイリュージョンは発揮されます。 どう発揮されるかというと、「もっと悪いことが降りかかったかも知れないのに、この程度で済んだ自分はラッキーだ」と考えるわけ。 「ガンはガンでも、自分は初期の段階で見つけられた。ステージ4で見つかった誰かさんと比べれば、自分は超ラッキーだ」と考える。そうやって、「もっとひどい状態」を想定し、それと比べれば自分はなんて幸運なんだと考える。それが健全な心の動きであると。 だからね、健全な心の持ち主には、「最悪」という事態は、事実上、存在しないわけ。常に、それ以下が想定されるのだから。ステージ4のガンで余命いくばくもない、という最悪の事態になっても、本人にとっては、それは最悪ではないんですな。「自分はもう70年生きたからいい。隣りのベッドの娘さんは、若いのにステージ4なんだから自分よりもっと可哀想だ」とこうなるわけ。常に、もっとひどい状態があるのだから、最悪ということは存在しないわけ。 逆に、イリュージョンを失った状態が、要するに「鬱」なわけですな。 というわけで、あまり意識されていないけれども、実はこの自分についてのポジティヴな偏向が、いかに人間を幸福にしているか、それがないといかに人間は不幸になってしまうか、ということが言えるわけですよ。 ま、そんなことが本書には書いてあるわけでございます。 面白いね! そして、世界一鬱になりそうもない男、この不肖・釈迦楽がなぜ幸せなのかも、本書によって解き明かされた次第。私は天性のイリュージョニストだったんだ! というわけで、幸福心理学のこの本、ある意味、自己啓発思想のバックグラウンドを科学的に解き明かした本であると言えるのではないかと。教授のおすすめ!と言っておきましょう。それでも人は、楽天的な方がいい ポジティブ・マインドと自己説得の心理学 [ シェリー・E.テイラー ]
November 11, 2019
コメント(0)
今日は所属する武道会で昇段試験と合同稽古があり、これに参加してきました。 今日は昇段する人が2名、一人は初段、一人は三段だったのですが、師範のA先生に「釈迦楽さん、受けをやってもらえます?」と頼まれてしまったので、そのお役目を引き受けることに。昇段試験を受ける方は、それぞれ座り技三種、立ち技三種を披露することになっており、つまり私は12種の技をそれぞれ右と左、合計24回連続で投げられたり極められたりするわけ。結構、きつかったです。特に昇段試験の場合は、試験を受けられている方が気持よく技を掛けられるように、受ける側はいつも以上に派手に投げられますからね・・・。 で、その後、合同稽古に入ったのですが、今日は他の道場から師範の先生がお二人見えていたので、両先生にとっくりと技を習うことが出来て超ラッキー! 特に苦手の二段・打込捕に関して、また少しヒントがもらえたような感じなので、今後の稽古に活かしたいなと。 で、帰宅してからは、今度は新書本の再校ゲラの校正。筋肉痛の身体に鞭打って頑張っております。 まあ、今日の稽古は「仕事」とは言えませんが、今週末もなかなか忙しかった・・・。のんびりした週末を過せるのは、当分先かな・・・。
November 10, 2019
コメント(0)
スポーツマンって、負けた時にこそその人の真価が出るわけで、いかに良き敗者、 good looser になるかが重要だと思うのですが、その点で言うと、プロボクサーって、比較的往生際の悪い人が多いですよね・・・。特に外国人の。 先日の井上戦で敗者となったドネア選手ですが、負けた当初は井上を讃えたりして、good looser ぶりを発揮したかと思いきや、後になって「ダウンしたのは作戦だった」とか、「第9ラウンドでカタをつけておくべきだった」とか、グダグダ言い出した。やっぱりな、って感じです。そんなこと言っていると御里が知れるから、止めときなさいって。 あと、井上選手の弟も、タイトル戦で負けた後、「ポイントでは勝っていると思っていた」とかウダウダ言っていたようで。そんなわけないだろうっ!! 誰が見たってお前さんの圧敗だよっ!! 一方的に殴られていたじゃないかっ! さて、話は変りまして、今日も今日とて、卒論指導で日が暮れました。 しかし、アレだね。もう、最近の学生の文章力のひどいことってないな。 一体、日本はどうなっているんですかね。こんなに急激に学力って落ちるのかな。もう、何を書いているのかすら、判別できないほどのものだよ。てにをはの使い方すらまともに出来てないし、能動・受動の区別もついてない。「これによって新しい制度が作りました」なんて書いてくるからね。 あと、文章を書く基本として、「パラグラフの冒頭は字下げする」というルールすら知らない子が多すぎる。こんなの、小学生で習うことなんじゃないの? わしは小学1年生の時に習って、以後50年間、踏襲しているよ。 そんなのを添削していると、こちらの頭までおかしくなってくる。もう、嫌・・・。
November 9, 2019
コメント(1)
![]()
学会シンポジウムの仕事が終って、さあ、少しは気が楽になったかな・・・と思いきや、やっぱりそういうことにはならないのね。相変らず、次から次へと仕事が降ってくる。 当面、大変なのは卒論指導。何しろ今年は例年より多い6人ものゼミ生の面倒を見なくてはならないので、この時期から既に大車輪。まあ、大変です。 で、それだけでも結構「かかりきり案件」なんですけど、今日、新書本の再校ゲラが届きまして。大手出版社ともなると、初校と再校の校正者が違うので、別な視点から疑問点・修正すべき点を指摘してくる。というわけで、こちらにも対処せざるを得ず。辛いわ~。 で、そんな辛い状況を少しでも緩和すべく、音楽をかけながらの作業になるのですが、BGMは当然、今ワタクシのお気に入りのスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンのアルバムになります。 で、このところ『暴動』というアルバムをヘビーローテで聴いているのですが、なかなか面白くて。 特に10曲目の「Spaced Cowboy」という曲はすごく面白い。ファンクなのに、ヨーデルなんだよ?! それってすごくない? ヨーデル・ファンクって・・・。長い長いご陽気な前奏の後、いきなりヨーデルが出てきた時には、面白すぎて愕然としましたが。これこれ! ↓Spaced Cowboy でまた、面白いなと思ったのは、アルバム・タイトルにもなっている「暴動」という曲ね。 だって、アルバムが『暴動』なんだから、当然、タイトル曲の「暴動」がどんな曲なのか、興味津々になるじゃない? ところがね、実際には、「暴動」という曲は存在しないの。 すごくない? 『暴動』というアルバムの6曲目、レコードで言えばA面最後の曲。それが存在しないっていうんだから。 ものの本によると、スライは「暴動なんて起きて欲しくないから」という理由で、タイトルだけつけて曲を収録しなかった(もともと作らなかった?)んですと。 斬新だねえ。いつか私も空白章のある本を書いてみたい。目次にもちゃんと章のタイトルを載せておきながら、実際にはその章は存在しない、なんて風にしてみたいものです。この章は、読者の皆さんが勝手に想像して、なんてね。 まあ、スライ・ストーンという男、どこまで得体が知れないことやら。面白いなあ。【中古】 暴動 /スライ&ザ・ファミリー・ストーン 【中古】afb
November 8, 2019
コメント(0)
WBSS決勝戦、井上対ドネア戦、ヒリつく試合でした。 いやあ、今回も井上が圧勝するのかと思ったら、とんでもない、むしろドネアの方が井上を圧倒ですよ。これはもう負けだなと、あの井上でも負けることがあるんだと。 ドネアの思った以上に重いパンチに苦しめられ、井上は早い段階で右目の上を切り、鼻血も出し、いつもの「傷一つ負うことない」試合運びとは大違い。特に右目は、単に瞼を切っただけじゃなく、焦点が合わなくなったような感じすら疑われるほど。網膜剥離、大丈夫ですかねえ・・・。 でまた、攻め込まれている焦りもあったのか、井上のパンチは相手の顔面を狙った上滑りのパンチばかりになってしまい、いつものようなコンパクトなボディー打ちがまったく見られない。いつもなら、ボディー先行で攻めるのが井上のパターンなのに。 11ラウンドにようやくボディーを当ててダウンを奪ったから良かったものの、あのまま行ってたら、ダウンさせられるか、良くて判定で大差で負けるか、どっちかだったんじゃないでしょうか。テレビの解説陣はいつものように日本人選手贔屓の解説で、まるで井上がリードしているようなことを言ってましたが、客観的には、あのダウンがあるまでドネアの方が相当ポイントは上だったでしょう。 まあ、あれほど弱々しい井上の姿は見たことがなかったですな。見たことがないというか、見たくなかった。 まあ、薄氷を踏むような勝利。ストレスのたまる試合でした。それだけドネアが強かったということであり、世界のトップのトップのレベルとはこういうものだ、ということなんでしょうけれども。 勝って良かったけれど、3ラウンドKOを予想していただけに、もやもやの残る試合でありました。でもまあ、とにかく、井上選手はよく踏ん張った。おめでとうございます。そして、ゆっくり休んで下さい。
November 7, 2019
コメント(0)
今日は勤務先大学で「夜回り先生」こと水谷修さんの講演会があるというので、個人的にはそれほど興味があったわけでもないのですが、どんなもんかな?程度の感じで聴きに行ってきました。 講演時間は1時間半ほどだったのですが、まあ、すごいマシンガントークで。話の中で適宜、会場の聴衆に質問したり、その答えを受けて話を広げたり、一瞬たりとも聴衆の注目を逸らさないといった感じ。まさに百戦錬磨の講演ぶりで、プロだねえ、って感じでした。 で、夜回りで有名になった水谷先生ですが、最初はごく普通の高校の先生だったそうで、それが、ある出来事がきっかけで定時制高校の先生になることを決意されたんですと。ところが今とは違って当時の定時制は、要するに不良の巣窟で、一般の高校には進学できないワルどもの掃き溜めみたいなところだったと。 しかし、この不良どもだって生まれた時からワルだったはずはない。環境によってこうならざるを得なかったのだと考え、なんとか更生させる手はないものかと格闘する一方、同じような境遇の子供たちを社会の悪から救おうと、夜回りを始める。 偉いなと思ったのは、これほど有名になった今もなお、水谷先生は全国各地で夜回りをされているということ。名古屋でも夜回りされているそうで、名古屋駅太閤口あたりから始めて、錦、栄と歩き、夜の世界に囚われている中高生に声をかけているんですって。でまた、そういうことをしていると、コワい人達に絡まれることも多く、指を潰されたり、腹を刺されたりもするとのこと。 でもそうやって先生は、多くの若者を救ってきた。とはいえ、そういう活動に従事すればするほど、救えなかった若者の数も増えていくわけで、そういう喜びと悲しみの狭間で、先生は活動されていると。 で、今ではそういう活動に加え、スタッフを雇って「死にたい」とか「リストカットした」とか言ってくる子たちの悩み相談のためのホットラインを24時間、365日、開放しているのだとか。 で、そういう不良になったり、夜の世界に身を落とした子たちと接していると、それだけドラマチックなことも多くて、親からの心無い一言で不良になり、体を売り、エイズになり、死んでいった娘さんとか、そういう子とも否応なくかかわることになる。ま、先生はそういう哀しい運命を辿った子のことを講演で語ることを仕事にして、一人でも多くの子に、同じ轍を踏まないよう、指導しているのだとか。 その他、心を病んでいる子への具体的な対処法として、昼の光の中で体を使わせるようにすることがいかに効果的か、なんてこともおっしゃっておられましたなあ。あと、リストカットなんかする娘さんに、「そんなことしちゃダメ!」と止めるのは逆効果だ、なんてこともおっしゃっておられました。リストカットするのは、理由があるからやっているので、その原因を探り、その根元から改善しないとダメなので、リストカットする子は、それをすることでようやく生きているんだから、それを止めたらホントに自殺しちゃうそうで。要は「リストカットはSOSのメッセージ」として受取るべきなんですな。 まあ、とにかく経験豊富で、色々な具体的なことを実体験としてご存じですから、面白いですよ。普通の、研究者の話とは、面白さの点で天と地というか。 で、私としては、さすがプロの講演者だなあと、ひたすらその講演の腕前に感心していたんですけど、講演の司会をしていた私の同僚の先生は、先のエイズで死んだ教え子の話がツボにはまったのか、感極まって言葉に詰まり、しばし講演終了後の司会が出来なかったのにはちょっとビックリ・・・。ナイーヴだねえ! 水谷先生はこの話、多分、千回くらいしていると思うよ・・・。 ま、それはともかく、こういう先生が一人でもいるってことは、先生を必要としている子どもたちが居る限り、素晴らしいことだと思うし、またこういう先生が一人しかいないってことは、日本の教育制度がどこかおかしいのだろうなと思いましたね・・・。
November 6, 2019
コメント(0)
![]()
人気コメディエンヌ、エイミー・シューマーが主演した『アイ・フィール・プリティ』という映画を観ました。 ぽっちゃり体型で、ルックス的にも十人並というか、それがコンプレックスで、同じような感じのイケてない系女子二人とばかりつるんでいるレネーが、ある時、頭を打った衝撃で、自分が見違えるような美女に変身してしまったと思い込んでしまう。これが発端でありまして。 で、何しろ自分はスーパー美女になったと確信しているレネーですから、今までの彼女とは打って変って、すごい自信たっぷりになってしまうんですな。で、その自信によって、何事にも積極的に打って出るようになったおかげで、一流コスメ会社のビルの受付(レネーからしたら花形の職業)の地位も獲得。さらに「かつてはイケてない女子だった」経験から、コスメ会社のビジネス上の盲点を次々と指摘し、それが上層部に受け容れられてまたたく間に、創業一族の現若社長の右腕になってしまうという。しかもその過程で、イーサンという、すごく素朴でナイーブな男性とも知り合い、二人はいい仲に。とまあ、人生がどんどん好転していくのですが、その反面、あまりにも自信満々、かつ出世をしてしまったために、かつては親友だった「イケてない仲間」の女友達から総スカンを食らったりもする。 ところが、そんなレネーは、またまたある出来事から、再び頭を強打。魔法が解けて、元のイケてない自分に戻ってしまうんですな。(実際には何も変わっていないのだけど) それで、レネーは再び自信喪失。会社にも行けなくなり、イーサンにも一方的に別れを告げてしまう。 しかし、そうしたドタバタの中から、ルックスは抜群な女性にもそれぞれ悩みもあり、コンプレックスがあるということに気づき、悩んでいるのは自分だけではない、ということを理解するわけ。誰もが皆、自分に自信を失い、悩んでいるんだと。 だったら、そんな悩みはバカバカしいではないかと、レネーは気付くわけ。誰もがそんなコンプレックスなど気にせず、今の自分を押し通せばいいではないかと。 かくして、再び立ち上がったレネーは、一世一代の賭けに打って出る。さて、その首尾やいかに?! ・・・というようなお話し。 まあ、軽いコメディ映画なんですけど、自己啓発的観点から言うと、面白い映画だったかなと。つまり、傍目から見ればまったく変わっていないレネーなのに、本人に自信があると、世界が彼女に対してまったく別な顔を見せるというところが、自己啓発思想的な主張になっているわけよ。世界は変えられないけど、自分は変えられる。そして自分が変わると、なぜか世界が変わってしまうという。 実際、そうなのかも知れないよね。 ということで、自己啓発映画『アイ・フィール・プリティ』、教授のおすすめ! ということでひとつ。「アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング」DVD [DVD]
November 5, 2019
コメント(0)
![]()
自動翻訳機「ポケトーク」を買ってみたんですけど、実際に使ってみて、その完成度の高さときたら、もう、ビックリよ。 これが数十万円する機械だというのなら、私も別に驚きゃーしませんが、わずか3万円だからね。でまた、設定も実に簡単。箱を開けてから使い始めるまで3分くらいしかかからない。使い方も1分でマスターできる。 で、試みに何か日本語を言うと、一瞬にして、相当高いレベルの英語に直しちゃう。ほんと、ビックリする。 でまた、逆に英語で何か言うと、一瞬にして日本語に直してくれる。だから、これが一台あれば、双方向の会話が成り立つわけよ。 しかも、英語だけじゃなくて、フランス語だろうとチェコ語だろうと中国語だろうと、数十カ国語の翻訳機として使えるというのだから、もう、語学の勉強なんかまったく必要なくなるじゃん。これだけで、相手がどんな国の人だろうと、双方向で会話ができるんだから。 いやあ・・・。もう、絶句するくらいの完成度だよ。こんな凄いものが、既に実現しているなんて、想像してなかったなあ。 これ、日本国民であれば、一台買って損はないと思う。マジで。英会話学校なんかにお金払うくらいだったら、これで完璧に自習できるよ。 マジ、目ん玉が飛び出るくらいの驚き。科学技術って、すごいわ。 とにかく、ポケトーク、買ってみなはれ。ほんと、ビックリするよ。すごいわ、コレ!!!!【長期保証付】ソースネクスト POCKETALK W(ポケトークW) WiFiモデル ホワイト W1PWW
November 4, 2019
コメント(0)
今日11月3日は、我ら夫婦の結婚式記念日! ひゃー、もうあれから20年経ったのか! ということで、今日はお昼を外食することに。向かったのは、名古屋市美術館の近くにある某有名中国料理店。 で、割とお高めのコースを取ったのですが・・・ うーん。普通? まあ、不味くはないですが、値段に見合うほどの味ではなかったかな・・・。 でも、まあ、お祝いのメインは食事ではなく、20年間仲良く楽しく過して来たこと自体ですから、別にいいです。愉快に二人で食事ができれば。 で、店を出てから、まだ日が高かったので、例によって大須までお散歩。今日はさすがに日曜日ということもあって、タピオカの店とか、大行列の大賑わいでしたね。 だけど、我々の目当ては、そういうところじゃないの。我らが目指すのは中古CD・レコード店よ。バナナ・レコードとか、グレイテスト・ヒッツとか、そのあたりを流しまして。 で、私はスライ&ザ・ファミリー・ストーンのアルバムを3枚(大体どれも680円くらい)と、プリンスの『パープル・メドレー』(380円)をゲットして大満足。家内も2枚ほど買ってましたね。 何も結婚記念日に中古CD・レコード屋に行かなくても良さそうなもんですけど、まあ、それが釈迦楽家流ということで。 その他、大須ベーカリーで栗のデニッシュみたいなの(これ、すごく美味しいのよ!)を買ったり、中近東の食料品店でバスマチ・ライスを買ったり、カノン・コーヒーで一服したりして、記念日の午後を楽しんだのでした。今日も、いい日だ!
November 3, 2019
コメント(0)
今日、魚雷さんのブログ「文壇高円寺」を読んでいたら、三重県のうどんチェーン「歌行燈」の話題が出ておりまして。 で、その名前を読んだら、ぐわーんと思い出が湧き起ってきましてね。 歌行燈、桑名が中心のうどんチェーンなのかな? だけど東京にも何店かあって、その一つが新宿は伊勢丹会館の中にある。私が歌行燈のうどんを初めて食べたのもここでした。 で、なんで食べたかというと、大学・大学院時代の恩師・大橋吉之輔先生に連れてきてもらったんですな。 大学院の頃、私は大橋先生の秘書みたいでしたからねえ。年柄年中一緒に居た。で、食事も先生ととることが多かったのですが、それでよく先生に色々な店に連れて行ってもらったもんです。その一つが、ここでね。大橋先生は、他の同僚の先生方ともここでよく食べられたとのこと。 で、初めて歌行燈のうどんを食べた時、すごく美味しくて、感動したことをよく覚えております。私は蕎麦通の方で、若い頃はうどんにそれほど興味が無かったのですが、ここのうどんは素直に美味しいと思いました。 ここはいわゆる釜揚うどんで、桶でお湯に浸かった状態のうどんが出てくる。それを特製のつけ汁につけて食べるのですが、そのつけ汁がすごく独特の味で、ちょっと他で食べたことがない。これが旨くてね。で、添えられた天ぷらもすごく美味しい。 で、ご飯も付いてくるのですが、脇にアサリの佃煮が付いていて、これをご飯にのっけて、出汁をかけてお茶漬けにして食べるんですが、これがまたうどんに負けず劣らず旨いわけ。桑名発祥の店だから、貝ものが旨いわけよ。 だから、大橋先生に連れていってもらう店の中でも、歌行燈は、私の中ではかなり上位のお店でね。先生が「おい、今日は歌行燈行くか?」なんて言ってくれると、「はい、はい~!」ってなもんで。 で、その後、聖跡桜ヶ丘に京王デパートが出来た時、そこに歌行燈が入ったんですな。それを知ってからは、私も父と母を連れて、よくそこを訪れたものでした。私が大学院の頃ですから、まだ父も母も若くてね。二人共、おいしい、おいしいと喜んでくれたもんですわ。 あれから30年が経って、大橋先生はとっくに亡くなり、父も亡くなり。聖蹟桜ヶ丘にあった歌行燈も閉店になり・・・。思えば、寂しいものでございます。 でも、まだ伊勢丹会館の中には、歌行燈の店は残っているらしいですから、今度、新宿に行った時にでも、行ってみようかな。
November 2, 2019
コメント(0)
![]()
最近、「カレーパンせんべい」っていうのを食べたんだけど、これがめちゃくちゃ旨い。これこれ! ↓カレーパンせんべい(2枚*10袋入*3個セット) 「カレーせんべい」っていうのは、比較的、どこにもあるけれど、「カレーパンせんべい」となると、ちょっと斬新じゃない? 実際、食べてみると、本当に「あ、これカレーパンだ」ってなるのよ。教授の熱烈おすすめ!です。 さてさて、話は変りまして、大学入試における英語民間試験導入が延期されたとのこと。 この制度、文科省がゴリゴリ押して、もう少しで実現というところまで来て、萩生田某の「身の丈発言」でぽしゃるという。いかにも日本的なオチが付いた感じですが。 まあ、延期されて良かったとは思うけれど、本当なら延期じゃなくて、廃案にした方がいいですわなあ。 大体、国立大学の入試を、英語という教科に限って民間に託すっていうこと自体、変な話でありまして。普通の人が普通に考えたら、「ん? それおかしくない?」って思うよね? それに、英語の入試だけ何種類もあって、異なる試験のどれを受けてもいいなんて、公平性の観点から言っておかしくない? しかも裕福な受験生、都会に住む受験生の方が圧倒的に有利っていうのも、とても公平とは思えない。 託された民間団体としては、50万人の受験生が何度も受けることになるから儲かって儲かって仕方がないので万々歳でしょうけど、その儲かる団体の代表が、この制度導入を論ずる検討委員会に入っているのもおかしいよね・・・。そういうの、「癒着」っていうのじゃないの? もう、何から何までおかしなことばっかりだよ! そんなおかしな制度が、平然と、着々と、実行に移されようとしていたってんだからね。どうかしている。 ついでに言うと、英語以外の他の教科でも、記述式の設問を導入するというけれど、それ、誰が採点するんだよ。人間が採点することになるだろうけれど、それでどうやって公平性を担保できるの? できるわけないじゃん。だからマークシート方式でこれまでやってきたというのに。 普通に考えて、できるわけないってことが、どうして識者の会議でゴーサインが出るんだろう? 文科も、そのお抱え識者連も、どうかしているんじゃない? どうかしている人達の決めた、どうかしている制度が、どうかしている大臣のどうかしている発言でぽしゃるという。 こういうのを、「目出度い」って言うんだろうな・・・。
November 1, 2019
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1