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今日は家内が一足先に名古屋に戻るので、新横浜まで見送りに行きました。 で、いつものように町田でランチ。今日は食べログで割と評判のいいタイ料理の店に行ってみたのですが、うーん、それほどでもなかったかな・・・。 で、無事新横浜で新幹線に乗るのを見送ってから、私は再度町田に戻り、ディスクユニオンへ行って中古CD漁り。 そして今日の収穫は以下の5枚。○ウェス・モンゴメリー『夢のカリフォルニア』○オリバー・ネルソン『ブルースの真実』○チャールズ・ロイド『フォレスト・フラワー』○ビーチボーイズ『オール・サマー・ロング』○ビーチボーイズ『サマー・デイズ』 ま、どれも380円から680円くらいだったんですが、まあまあでしょ? やっぱ、ディスクユニオンってすごいね。名古屋・大須の中古CD屋さんとは大分質が違う。 そういうところで、地方は東京に負けるんだよな・・・。地方も頑張らないと。 とにかく、欲しかったCDのいくつかが手に入ってご機嫌でございます。
March 31, 2019
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毎年春休みにはいつも姉と家内とちょっとした街歩きをするんですけれども、今年は三軒茶屋を散策しようということになりまして。 で、まずは小田急線・豪徳寺駅で降り、そのまま世田谷線に乗ってもいいんですけど、それはつまらないので、とりあえず豪徳寺を目指して散策開始。 豪徳寺と言えば、招き猫。ということで、例の招き猫ちゃんがずらっと並んでいるところに行って写真とか撮ってみたりして。こうして見ると、やっぱ、バエるねえ・・・。 もちろん、豆サイズの招き猫も300円で買っちゃった。福を招いておくれ! で、豪徳寺の近くから世田谷線に乗って三軒茶屋へ。 で、ちょうどお昼になる頃だったので、『孤独のグルメ』で五郎さんが食べたという回転寿しの店でお寿司を食べ、そこからお散歩スタート。 名古屋の家も、実家も、どちらも新興住宅地にあるので、三軒茶屋みたいな昔からある商店街的なのって、結構、上がるんですよね。あ、ここに美味しそうなお惣菜やさんがある! とか、渋いケーキ屋がある! パン屋もある! みたいな。 で、あらかじめ予習しておいた雑貨屋さんとかに行ったり、三茶に多いコーヒーの店でコーヒーを飲んだり、古着屋さんを見たりして商店街散歩を楽しんだ我ら。特に家内は某セレクトショップでオランダのアウター・メーカー「Spoom」の春コートをご購入ということで、収穫大アリ。家から三茶まで1時間掛からないくらいですけれども、たまにこういう知らない街を歩くってのも面白いもんですな。 というわけで、恒例・春のお散歩大会は無事終了。14000歩も歩いて、気晴らしと同時に良い運動にもなったのでした。今日も、いい日だ。
March 30, 2019
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どうなってるの、懐かしい名前がどんどん鬼籍に入ってしまうじゃないですか。 まずショーケンですが、私はさすがにテンプターズ時代は知らないものの、『太陽に吠えろ』のマカロニ役、そして『傷だらけの天使』や『前略、おふくろ様』等々、俳優として我々世代からしたら憧れの人でした。 で、そんなショーケンが書いた自伝、『ショーケン』の素晴らしいこと! あれは印象的な本でした。 で、私はその『ショーケン』を読んで、えらく感動して、ショーケンはすごい、ショーケンはすごいと吹聴して回っていたまさにその頃に、本人に会ったんですよね。 いや、きちんと面会したということではなく、二子玉川の高島屋内のエレベータで、彼と乗り合わせたの。 でも、やはりオーラがありましたよ。よほど「『ショーケン』読みました!」って言いたかったですけど、そういうことを言える感じではなかった。 波瀾万丈の生涯ということですが、彼的には一本筋の通った生き方だったと思います。余人を持って得がたい、独特の雰囲気のあるいい俳優だった萩原さんのご冥福をお祈りします。合掌。ショーケン【中古】 それからもう一人、白石冬美さんも亡くなったんですよね・・・。 私にとって白石さんと言えば、故・野沢那智さんと組んだ「ナッチャコ・パック」でございます。 クラスの男子の大半が、深夜放送と言えばニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」を聴いていたのに対し、私は少数派のTBS「パックイン」派でありまして、中でもナッチャコのコンビは好きだった。野沢さんが時折アダルトな話題に振っても、それをかわすでもなく、まともに受けるでもなく、しかし場がしらけないように上手に扱う、あの感じが素晴らしかった。 声優さんもやられていたことからして当たり前ですが、深夜放送はやっぱり「声」ですからね。あの間違いようもない独特の声は、白石さんの強みだったと思います。 野沢那智さんが亡くなった時もショックでしたけれども、青春時代の深夜の友であった白石さんが亡くなられたことも、私にとっては大ショック。また一つ昭和が遠のくような気がしますなあ・・・。 ということで、あの懐かしいチャコさんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
March 30, 2019
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嵯峨景子さんの書かれた『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』なる本を読了しましたので、自分のための心覚えとして、その内容の大雑把な概略を記しておきましょう。自分のためですから、以下、かなり端折った、箇条書き的なものになってしまいますが、そこはご了承下さい。 そもそも「少女小説」というのは何かと言うと、もちろん「少女のための小説」ということになるわけだが、じゃあ「少女」ってのは何かということになる。嵯峨氏によれば、「少女」という概念は、1872年(明治5年)の学制開始の後、1886年の中学校令によって男女別学が決定的になったところから「少年」の対立概念として生まれたとのこと。つまり、日本において「少女」という存在は、日本では19世紀末頃に誕生したことになる。 その後1902の『少女界』の創刊によって「少女雑誌」なるものが登場し、以後、『少女世界』『少女の友』『少女画報』などが相次いで創刊されて一時代を築く。ちなみに、初期の少女雑誌に載っていた小説は、良妻賢母になるよう読者を導く類いの教訓譚であった。 ところが明治40年代に入ると、吉屋信子の『花物語が』『少女画報』に登場し、新たな少女像が提示されることになる。 その後、同性の間の思慕を描く「エス(=sister の略)」ものの流行などもあったが、第二次大戦後は男女間の交際がタブー視されなくなったため、そうした男女の交際を描く小説が登場する。これらは戦前の「少女小説」と区別すべく「ジュニア小説」という名称でカテゴライズされた。 そうしたジュニア小説の媒体として、1965年、集英社から「コバルト・ブックス」なるレーベルが起ち上げられ、他方、1966年には同社から『小説ジュニア』が創刊される。 ジュニア小説は、1969年頃から純愛路線を変更し、性描写も辞さないようになる。これはこの時代、ジュニア小説を書いていた作家たちの意向を反映したもので、従来のような少女小説の夢の世界ではなく、現実世界の中高生のリアルな世界を描くために必要とされた。つまり「文学」として成立するために必要な描写であった。その意味で、戦前までの少女小説と60年代以降のジュニア小説の間には、作家の意識の上で断絶があった。 またジュニア小説が性愛を描き始めた1970年代には、少女マンガの世界でも萩尾望都、大島弓子、竹宮恵子、山岸凉子といった「24年組」が活躍し、マンガの分学性が一気に高まるということもあって、本物の文学を志向したジュニア小説の方向性と同調した。 こうした中、1976年に「コバルト四天王」と呼ばれる氷室冴子、正本ノン、久美沙織、田中雅美、それに新井素子が相次いでデビュー。母体である『小説ジュニア』誌が主催する「新人賞」を獲ってデビューし、以後、コバルト文庫を作品発表の場として活躍し始めるというパターンが定着。 そしてこれら新人の活躍によって、母体である『小説ジュニア』の大御所執筆陣(富島健夫や佐伯千秋ら)の作品が古くさく感じられ、読者からの支持を受けられなくなるという状況に。 かくして1982年、『小説ジュニア』はその役割を終え、それに代わるものとして同年『Cobalt』が創刊される。 そしてこの誌名変更は、内容面の変化も内包しており、『コバルト』誌はジュニア小説ではなく、新しい概念としての「少女小説」の牙城となった。この新しい「少女小説」という概念は、吉屋信子ら戦前の「少女小説」の作家たちのスピリット(=女の子が何ものにも矯められずに生きられる世界を描くこと)を継承しつつ、女の子のための娯楽小説を書くというもので、ジュニア小説の方向性である「男女のリアルな恋愛を描く」とは異なるものであった。 1983年にはコバルト文庫の女子中高生の間での人気は定着しはじめ、1984年にはファンクラブも発足。作家と読者の交流の場を作ることで、その双方の結束が一層強められることに。 そしてこうした少女小説ブームを見た講談社が1987年、「講談社X文庫ティーンスハート」を創刊。コバルト文庫の追撃に入る。特に花井愛子はティーンズハート人気を支えた。 初期コバルト文庫とティーンズハートの違いを見ると、前者は母体の『コバルト』誌の新人賞などを使って新人を発掘し、自前の作家を揃えていく方針をとっていたのに対し、後者は編集者のコネなどを使ってその時々で旬のライターを連れてくる方針をとっていた。また前者は文学少女をターゲットにしていたのに対し、後者は日頃活字に接しない女子高生をターゲットにしていた。さらに前者は男性作家の作品も入れていたのに対し、後者は表向き、女性作家のみであったことなどが挙げられる。 コバルトとティーンズハートの人気をきっかけに、1989年頃から各社が少女マーケット向けの文庫叢書を次々と創刊。この年、少女小説ブームはピークを迎える。もっとも後続の文庫の多くは短命に終わり、90年から91年にかけて消滅。92年頃にはブームは一旦落ち着く。 一方、ゲームのドラクエ人気に押され、80年代末頃から「ファンタジー小説」が大流行。1988年の角川スニーカー文庫、1991年の講談社X文庫ホワイトハート、及び集英社スーパーファンタジー文庫などはこの流れを追ったもの。コバルト文庫でもファンタジー系の作品が増えた。 もっともファンタジー文庫は中学生以下には難しく、低学年層の文庫離れがあったので、これに対処すべく、集英社では「コバルト・ピンキー文庫」を創設したりした。 また、ファンタジー小説人気と同じ頃、すなわち90年代初頭からもう一つ、「BL系」の人気も高まり出す。1992年『小説イマージュ』創刊、同年、角川ルビー文庫創刊など、BL小説のための媒体も用意されるようになった。 この流れを受け、1998年頃からコバルト文庫でもBLを扱うように。しかし、コバルト文庫の長年の愛読者層の一部はBL系を好まないため、結局、2006年頃からコバルト文庫内でBL系小説は姿を消して行く。 2000年代が近づき、コバルト文庫では『マリア様がみている』などの大ヒットがあるが、この頃、「ライトノベル」や「ケータイ小説」など、他ジャンルの小説が登場し、少女小説の牙城を切り崩して行く。 かくして2000年代に入って少女小説の読者であった中高生がラノベやケータイ小説に流れ、昔から少女小説を読んできた読者は年齢層が上がってしまった。そこで、少女小説はかつて主流の学園ものや少年主人公ものは少なくなり、いわゆる「姫嫁もの」、つまり小説の冒頭でヒロインがヒーローと政略結婚させられ、その後、次第に二人の間に本物の愛が芽生えて行く、といった筋書きの小説が流行するように。要するに、中高生の現実を描く学園ものではなく、OLが現実逃避するために読むロマンスが主流になっていく。無論、こういう読者はハッピーエンドの物語、安定した予定調和の物語を欲した。 このように少女小説の読者層も、在り方も変化して行く中で、2006年、コバルト文庫は創刊30周年を迎える一方、ティーンズハートの方は終刊することに。 2008年以降、姫嫁ものの中でも、特に「溺愛もの」が人気に。つまり、かつての学園ものによくあった広いんが大勢の男子から恋される「逆ハーレム」ではなく、一人の男性にとことん愛される、という系統の小説がもてはやされるようになる。この傾向は表紙絵にも顕われていて、ヒロインとその恋人の二人だけが表紙絵に描かれるパターンが増えた。 で、2009年以降は、この系統の中でも特に濃厚なラブシーンを描くもの(=TL、ティーンズラブ)も増えて来た。 2010年頃からは「ボカロ小説」や、ケータイ小説の進化形としての「ウェブ小説」なども人気に。 2016年、コバルト文庫は創刊40周年を迎えるが、母体雑誌『コバルト』は休刊。 このように、1966年以降の少女小説の世界、コバルト文庫の世界を見てくると、様々な紆余曲折があったわけだが、こうした少女小説の流れについて、久美沙織は次のように総括する: 少女小説は、そういう意味で、「別の世界」ある種の「居場所」を提供するものだったろうと私は思っています。自分が現実に暮らしている場所や時間とは違う世界。違うルールが適用される場所。よりしっくりくる、「ここが好き」と思える世界。安心して自分の「たましい」を置いておくことができる。素顔でも裸でも、恥ずかしがらずに生きていける。(274頁) 要は、時代によってこの「居場所」は変化して行き、それに伴って少女小説も変遷を繰り返したけれども、こういう居場所を必要としている読者いる限り、少女小説はどういう形であれ、存続していくであろう。・・・ま、こんな感じでしたかね・・・。 吉屋信子なんかの少女小説がジュニア小説に取って代わられ、そのジュニア小説が、新しい少女小説(コバルト文庫の源流)に取って代わられるという、その辺りの攻防の話は面白かったし、コバルト文庫とティーンズハートとの関係性の説明も面白かった。 私が専門(?)とするハーレクイン・ロマンスとコバルト文庫では読者層が違いますが、コバルト文庫も近年になって読者の年齢層が上がると、少しハーレクイン・ロマンスの読者層と重なってくるところがある、なんてことが分かったことも、私にとっては収穫アリだったかな。 もっとも「ボカロ小説」とか、おじさんには何のことやらさっぱり。今時の若い人の文学って、自分が若い時の文学とは大分違うなあ、なんてことも思わされましたねえ・・・。 ま、後半、多少瑣末な話が続いて若干退屈しましたけど、全体としていい勉強をさせていただきました。こういう日本の状況を勉強しておくと、ハーレクイン研究に役立つところがあるしね。コバルト文庫で辿る少女小説変遷史 [ 嵯峨 景子 ]
March 29, 2019
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渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 これ、先日家の近くの本屋さんの古書部門で見つけて100円で買って来たんですけど、なにせ200万部のベストセラーとなった自己啓発本ですからね。自己啓発本研究者としては読まざるをえないでしょうってことで。 ちなみに、この本を読んで知ったのですけれども、渡辺和子さんというのは「二・二六事件」で若い将校たちに惨殺された陸軍教育総監・渡辺錠太郎のお嬢さんなのね。ビックリ。 で、二・二六事件当日、和子さんは9歳だったそうですが、三十数名の将校たちが自宅に踏み込んできた時、とっさにお父さんが彼女のことを座卓の陰に隠してくれたんですと。で、その連中がお父さんに機関銃の銃弾を撃ち込んだ時も、間近でそれを見ていたと。 で、その時のことを回想して和子さんの曰く、父が死ぬ時、一人でなくて良かった、私がそばにいて良かったと。 うーん、すごい話ですな・・・。 で、長じた和子さんは、30歳の手前で修道会に入ったのですが、その後、修道会から修行のためにアメリカに行かされ、帰国したら今度は岡山のノートルダム清心女子大に派遣されたのですが、そこに派遣された直後に当時の学長さんが急逝されたもので、弱冠36歳にして同大学の学長になるという数奇な運命を負わされたんですと。 で、それまでその大学では二代続けて高齢の外国人が学長を務めていたもので、そこへもってきて36歳の小娘が新学長になったものだから、当然、いじめられるわけですよ。でもそこで彼女は頑張った。 まあ、それがいわば「置かれた場所で咲きなさい」っていうことの意味なんですな。運命によって不本意な役割を負わせられて苦しんでいた時に、ある人からこの言葉をかけてもらい、それで和子さんは立ち直ったんですと。だから、この言葉は和子さんにとっては非常に意味のある言葉だった。だから同じような苦しみを味わっている人たちを救うために、本に書いて人々に知らせようと。 いつも言いますが、自己啓発本っていうのは、内容がどうのというよりも、誰がそれを書いたかが重要なのね。だから、お父さんが惨殺されるのを間近で見るという経験をした後、若くして大学の学長になってしまって散々苦労した人が書いたものだから、この本には価値があるわけ。 そうじゃなかったら、うーん、まあ、本書の内容自体は、いわば「相田みつお的」な感じ? もちろん相田みつおはとってもいいことばっかり言っていると思いますけど、そうそういいことを言われると「またか」ってなるじゃん? そういう感じ。 もうちょっと具体的に言うと、例えば「人はありがたいものは両手で受け取るけれども、それだったら辛い試練だって神様から与えられた宿題だと思って大切に、両手で受け取りなさい」みたいな。 あるいは「人生、辛いことも一杯あるけれども、神様はその人に耐えられないほどの試練は絶対与えません」みたいな。 はたまた「苦しいことがあったら、「今、とても苦しい。だからもうちょっと生きてみる」という風に考えてごらんなさい」みたいな。 あるいは、「あなたがそこにいるだけで、その場の空気が明るくなる。あなたがそこにいるだけで、みんなの心がやすらぐ。そんなあなたに私もなりたい」みたいな。 ウソ、ウソ。最後の奴は相田みつおの詩ね。ま、傾向としては大体同じでしょ? 人間だもの。 とにかく、こういう相田みつお的な散文を小さな本にして952円で売ると200万部が売れる。幻冬舎の見城徹の思う壷だな・・・。 ま、日本人はこういうのが好きなんですな。 もちろん、悪い本じゃないですよ〜。悪いことは一つも書いてないですから。元気の無い時にこういう本を読んでちょっと元気になる。ビタミン剤みたいなもんです。体に良いものでこそあれ、悪いものではない。 ま、自己啓発本って、もともとビタミン剤みたいなもんですからね。そういう意味で、典型的なビタミン剤系自己啓発本とご紹介しておきましょう。【中古】置かれた場所で咲きなさい / 渡辺和子 / 幻冬舎
March 28, 2019
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今日は春休みで実家に戻って来ました〜。今日から1週間弱、こちらで過ごす予定。昔は大学の春休みと言えばそれこそ2ヶ月近くあったもんですが、今はねえ・・・。 ま、それはいいのですが、今日、新東名の清水サービス・エリアで休憩したのですが、それでビックリ。 何にビックリしたかと申しますと、初めてここを使ったから。 だってもう新東名が出来て何年よ。その間、散々東京・名古屋間を移動しているのに、清水サービスエリアに寄ったことがなかったって、すごくない? 静岡とか沼津とか足柄に寄ってしまうので、清水がちょうど盲点だったんですかね。 で、初めてなもので、物珍しくあれこれ見ちゃったんですけど、ここ、小さいながらもドンキがあるのね。ドンキがあるサービスエリアって,初めて見たなあ。面白いものが一杯あって、面白かった(変な日本語)。 あ、あともう一つ、その手前の浜松サービスエリアにも寄ったのですが、いつもそこの上島珈琲店で「コーヒー・あんぱん」を買うのを楽しみにしていたのに、それが売ってなかったこと。売り切れという意味ではなく、もう作らなくなったらしいんですな。 なんで〜? あれ、すごく美味しいのに。 通い慣れた新東名でも、色々と妙なことが起こるなと。 ま、とにかく無事、実家にたどり着いたのは何より。明日からしばらく東京からのお気楽日記、お楽しみに〜!
March 27, 2019
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昨日『ブラック・クランズマン』を観たと書きましたが、あれって舞台がコロラド・スプリングスなので、「コロラド・スプリングスってどこにあるんだっけ?」と思い、あれこれググっているうちに、コロラド州のかつての州知事、ラルフ・ローレンス・カーのことに行き当たりまして。これこれ! ↓ラルフ・ローレンス・カー まあ、詳しくは上のリンクからウィキペディアに飛んで、カーの生涯のことを読んでいただければと思うのですけれども、スゴイ人じゃない? 第2次大戦中、アメリカ在住の日系人は「敵性外国人」として強制収容の憂き目に遭うのですけれども、ドイツ系移民が強制収容されることはなかったのですから、これは黄色人種への人種差別の結果であったことは明らか。 ところが、コロラド州知事ラルフ・ローレンス・カーは、こうした連邦政府の方針や州の人々の総意に反対して、一貫して日系人擁護の立場を崩さなかったと。 そして真珠湾攻撃のすぐ後ですら、ラジオで次のように発言し、日系米人への不当な怒りをおさめるよう、呼びかけていたんですと:コロラド州民のみなさん、冷静に賢明な市民として振るまおうではありませんか。アメリカが人種の坩堝であるという事を思い出してください。アメリカに対する忠誠心を、その人の祖父が生まれた場所で計る事は出来ません。もとをたどれば、我々全てのアメリカ人は国境の向こう側からやってきたのではありませんか。 そして、強制移住が始まった後も、現在、日本語を話す人達は皆、大変つらい立場にある。我々はアメリカのシステムを守るために、そして国境を越えた同胞関係を維持するために、力を合わせなければならない。(中略)もし我々がこれらの人々(日系人)に人道的親切や理解を与えなかったら、彼らの権利章典の保護を拒否したら、公聴会や不品行の告訴なしに48州のいずれにも住む権利を与えなかったら、我々はアメリカのシステム自体をつぶしていることになる。もし戦争におけるコロラド州の役目が日系人10万人を受け入れることであるなら、コロラドは彼らの面倒を見る。・・・と発言してくれた。 そして、いよいよ実際に日系人収容者がコロラドにやって来た時、彼らをボコボコにしようと暴徒が集まってきたのを察知したカーは、わざわざ飛行機で現地に飛んで体を張って暴力を止め、彼ら(日系人)に危害を与えるのなら、私に与えなさい。小さな町で育った私は、人種差別による恥辱や不名誉を知り、それを軽蔑するようになった。なぜならそれ(そのような行為)は、幸せ(な生活)を脅かすものだからだ、あなたの幸せ、あなたの幸せ、そしてあなたの幸せを。 何たる勇気! 何たる正義! この人のことを英雄と云わずして誰を英雄といいましょうや。 で、こうした一貫した日系人擁護(それは日系人に対する贔屓ではなく、アメリカの大義を守るための言動であったわけですが)のために反感を買い、上院議員になる希望と政治生命そのものを断たれたというのですから、もう、何と言ったらよいか・・・。 でね、私が問題だと思うのは、私を含め、日本人の大半がラルフ・ローレンス・カーのことを知らないってことです。 恩人じゃないの、日本人からしたら。カーのことに無知というのは、恩知らずの所業ですよ。世界史の教科書にちゃんと書きなさい。 ユダヤ人は、今でも杉原千畝の恩を忘れていないじゃないの。だったら日本人だって、日系アメリカ人のことを体を張って、自身の政治生命を断たれてまで守った男のことを忘れていいはずがない。そう思いません? さあ、日本人よ、大恩人ラルフ・ローレンス・カーのことを讃えよう!!日系人を救った政治家ラルフ・カー 信念のコロラド州知事 [ アダム・シュレイガー ]
March 26, 2019
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スパイク・リーの新作、この間のアカデミー賞で「脚色賞」を獲った『ブラック・クランズマン』を観てきました。(ネタバレ注意) これもまた「実話を元にした」系の奴ですけど、黒人の新人刑事が、黒人(人種)差別主義者団体のKKKに潜入捜査に入るという奇想天外のストーリーと聞いて、これは面白そうだと楽しみに観に行った次第。 が! うーむ・・・。 ちょっと期待外れだったか・・・? 奇想天外でユーモラスだと思ったのはその設定だけで、実際に潜入するのは白人の刑事で、その白人の刑事も実はユダヤ系なので、白人ではあってもKKKから差別される側になる。つまり、黒人の刑事とユダヤ人の刑事が協力して卑劣な人種差別団体をぶっ潰しに行くという話なんですな。だから、実際の映画もユーモラスというよりはガチな感じ。特に最後の方なんて実際に最近アメリカで起こった人種差別テロのドキュメンタリー映像みたいなのが挿入されていて、スパイク・リー監督の言わんとすることを直接的な形で伝えてしまっている。 だったら、映画にする必要ないじゃん、っていうね。だったら、そのままドキュメンタリーにすればいいのに。 私としては、同じく人種差別問題を取り上げるにしても、映画でやるのだったら、ストレートに主張を提示するのではなく、もっとうまいことドラマに昇華させて欲しかったなと。だって、この映画の描き方では、KKKは単純で邪悪な馬鹿、トランプも単純で邪悪な馬鹿、と言っているだけだもんね。悪い奴は100%悪い奴、と言っているだけで、深みもなにもあったもんじゃない。 でも、まあ、この辺がスパイク・リーの限界かな。彼の映画って、いつも期待を微妙に下回るんだよな・・・。 というわけで、この映画に関しては「教授のおすすめ」はなーしーよ。 むしろ、映画の帰りに立ち寄った「カラス」という喫茶店のコーヒーと、小倉サンドの味を褒めておきましょうかね。この店、『孤独のグルメ』で五朗さんも立ち寄ったらしいよ。
March 25, 2019
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サリンジャーにまつわる連載、現在、第1回目が既に市場に出ていて、2回目は既に校了、3回目原稿も入稿済みなんですけど、第4回、第5回、第6回(=最終回)分の原稿も書き上げちゃった。上手いことまとめ上げられたので自分としては大満足。 ちなみにこの連載が載っている雑誌、少年ジャンプのごとく「読者アンケート」の用紙が入っていて、「新連載の中でどれが一番面白かったですか?」的な質問項目があるんだよね。 これ、他の執筆者に負けたくないなあ! 特に東大の某有名教授には負けたくない。読者に「1番面白かったのは釈迦楽教授の連載」って言わせたい。 っていうか、負ける気がしないけどね! さて、今日3月24日は我ら夫婦の結婚記念日。今回で21回目かな? 早いねえ・・・。あとちょっとで銀婚式じゃん。 ま、それはともかく、今日は二人しておめかしして、某フランス料理店でディナーと洒落込みました。昨年、結婚20周年記念でお揃いで買ったティファニーの「イースト・ウェスト」を着用してね。 というわけで、仕事は一つ片付いたし、美味しいディナーで記念日を祝うことも出来たし、いい一日となったのでした。
March 24, 2019
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新聞を読んでいたら、AMラジオがFM化されるというニュースが目に飛び込んできましたけど、それはちょっとどうなのかあ・・・。 もちろん、サウンド的にはFMの方がずっといいのは分かるのですが、AMのあのザラザラした手触りの電波、あれはあれでいいんだけどなあと。 思春期の頃、夜、AMの深夜放送とか聞いている時、チューニングがちょっと甘いと中国のラジオか韓国のラジオか、とにかく外国語の放送が混信して聞こえてくることがある。AM波ってのは案外遠くまで飛ぶので、近隣の国の電波なら日本まで届いてしまうのでしょうな。 だけど、そういう混信している感じが、いいのよ。AMっぽくて。 なんか、電波がとおーーーくから旅してきて、ようやく耳もとのラジオのところまで届いたって感じがするじゃん? 今、自分は「パックイン」を聞いているけれども、どこかよその国では、その国の若者が、同じ時刻に深夜放送を聞いているのかな、なんて思うじゃん? そこにある種の連帯感が生まれるじゃん? それがいいんだよ! FM化されて、なんの雑音もないクリアな音質のAMラジオ、聞きたいか? そこにラジオに対する愛は、あるんか? ま、ワタクシ自身、最近AM放送なんか全然聞いてないので、発言権ないかも知れないけれども。 でもさ、今人気再燃のクイーンの「ラジオ・ガガ」って曲だって、「ガガ」ってのは雑音のことだぜ。ラジオと雑音は切り離せないもんなんだよ。 もちろん、FM化はサウンドの問題だけではなく、AMラジオ難聴地域対策の一環ということは知っておりますが、FMにはFMの良さってのがあって、でもそれはAMの良さとは違うんだ、ってことを、誰か一人くらい言わないといかんのじゃないかと。 また昭和の音が一つ、消えちゃうのかねえ・・・。
March 23, 2019
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今日は所属大学で卒業式&修了式があり、今年度面倒を見たゼミ生たちと院生の巣立ちを見守って参りました。 まあ、毎年思うことですが、出会いは別れの始まりと申しましょうか、縁あって出会ったゼミ生たちや院生が、ある時間が過ぎたところで私から離れていってしまうというのは、なんとも理不尽な気がするのですけれども、それが定めでもあって、受け容れがたいが受け容れざるを得ない的な、複雑な思いを抱かされます。 こういう思いを断ち切るためには、もう寝るしかないんだよね。一晩寝れば、すべては夢の中の出来事っていう。 まあ、何でもそうなんだよな。過去はすべて夢だよ。現実なのは、いま、ここだけだ。だから、いま、ここを生きるしかない。 そう思って、もう寝ることにします。グーグー。
March 23, 2019
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深見東州大先生のベストセラー『強運』、まあこれも自己啓発本の一種かなと思い、読んでしまったわけでありまして、そのことはこのブログにも書きました。 で、この本の中に運気をアップする謎の呪文のことが書かれていて、ホントかな?と思いながらも、その呪文を唱えていたわけですよ。親兄弟からも狂気の沙汰と思われつつ。昨年末の話ね。 そしたら、今年に入ってからもう絶好調じゃないの。雑誌連載は始まるし、別な雑誌に書いたものも、もうすぐ刊行されるし。 で、なんかこのところツイているなあと思っていた矢先。またもいいお話をいただきまして。 まあ、あんまり詳しい話は書けませんが、某出版社から新書執筆の打診ですよ。ついに新書キターーー! 断る理由がない。やるでしょ、当然。 ま、予定外のことで、今年の研究計画に若干の影響は出ますが、そこはそれ、どうとでもやりくりできる。それより、こっちのチャンスの方が大きいからね。これが好評であれば、さらに他からもお話をいただけるかもしれないし。 やった~! 深見先生、ありがとう! 信じる者は救われる!! ということで俄然、忙しくなってきますが、依頼された原稿は、どんなものであれ最善を尽くすという自分のモットーに従い、いい本を書こうと気合を入れているところなのであります。
March 21, 2019
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以前知人に「トリュフ塩」をお土産にいただきまして。 で、しばらく温存していたのですが、先日、家内が思い立ってプレーン・オムレツを焼き、それをトリュフ塩で味付けしてみた。すると・・・ うまーーーい! 旨いわ、コレ! オムレツに入れたバターの風味とも相まって、トリュフの香りが俄然、食欲を増すと言いましょうか。 ふうむ、なるほどね。トリュフ塩ってのは、こういう感じで使えばいいわけか。 で、今日は今日で、トマトをですね、ドレッシングではなくトリュフ塩をかけて食べてみたと。すると・・・ うまーーーい! まあ、トマトなんてものは、塩ふって食べれば旨いに決まっているわけですけれども、そこにふわっとトリュフの香りがすると、これまた普通のトマトが高級料理になるという。 こうなってくると、トリュフ塩というのは、ある意味万能の調味料なのではないかとすら思えてくる。 例えば、冷奴にかけてみたら? とか、TKGの時に醤油の代わりにトリュフ塩を入れてみたら? とか、はたまたアボカドにかけてみたら? とか、どんどん使い道が広がりそうな気がする。 というわけで、このところ急にトリュフ塩ブームが訪れている我が家なのであります。 コレコレ! ↓サマートリュフ入りゲランド塩 60g ジュリアーノタルトゥーフィ[トリュフ塩]
March 20, 2019
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本年度アカデミー賞作品賞を獲った『グリーンブック』を観てきました。 まだ黒人に対する人種差別の厳しかったアメリカ1960年代、ニューヨークのトップ・ピアニストであったドン・シャーリーが、自分のトリオを引き連れ、人種差別のとりわけ厳しいアメリカ南部に敢えてツアーに出た際、運転手兼用心棒として雇ったイタリア系白人のトニー・リップとの道中のドタバタと、その間に芽生えた友情を描いたもの。例によって実話の映画化でございます。 で、私は実話を元にした映画ってものには厳しいのですけれども、この映画はね、結構いいです。観る価値ありますねえ。 事実上、ハイソな黒人天才ピアニストドンを演じたマハーシャラ・アリと、イタリア系用心棒を演じたヴィゴ・モーテンセンの二人芝居になるわけですけれども、その双方がいいのよ。特にヴィゴ。これが実に名演技でね。最初は、当時のアメリカ人全般と同じくらい、黒人に対してなんとはなしの偏見・蔑視を抱いているんだけれども、給料が良いという理由だけでその黒人の「ボス」の下で運転手を務めているうちに、ドンのピアニストとしての腕、そして行く先々で差別を受けながら、それに雄々しく耐えているドンの姿に打たれるところがあって、次第次第に彼のことを理解していく一方、ドンの方でも段々トニーの開けっぴろげな性格の魅力に惹かれていって、両者の間に友情と呼べるものが育っていく。その両者の変化がすごくいい。 とにかく、観終わった後の印象というか、胸に残るものがとってもすがすがしいのよね~。人間のドラマを観たなっていう。ハッピーエンドだしね。 ということで、今回のアカデミー賞受賞作、良かったです。少なくとも、昨年の半魚人映画なんかよりずっといい。あれも、良く考えてみると、偏見を抱かれ、差別される半魚人と人間の間の友情っていうか、愛情の話で、テーマ的にはかぶるんだけど。 結局、アレだね。今はトランプ政権だから。民主党よりのハリウッドは、トランプ政権の在り方に反対して、わざとこういうテーマを選んでいるんだろうね。 それ言っちゃうと、なんとなく興醒めになっちゃうけど、でもそういうことは置いておいて、とにかく『グリーンブック』、一見の価値あり! 教授のおすすめ!です。ついでにドン・シャーリーのCDとかも買っちゃおうかな。輸入盤 DON SHIRLEY / SOLOS/WITH 2 BASSES [2CD]
March 19, 2019
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先日、風呂の給湯器を直した際、工事の人から「ちょっとシャワーの出が弱いですね」とご指摘を受けまして。 でも、それは今ついているシャワーヘッドが古く、昔風に穴の大きいものが付いているせいなので、その辺のホームセンターで細かい穴の付いているシャワーヘッドを買ってきて交換すれば、顕著に改善されますよと。 ま、専門家にそう言われちゃうと、やっぱり交換したくなってくるじゃないですか。 というわけで、本日、家の近くのホームセンターに行ってシャワーヘッドを買って参りました。お値段にして2500円也。 で、家に帰ってから早速取り付けてみた。 そしたら交換も実に簡単で、ただ単に元のシャワーヘッドをひねってはずし、附属品のアダプターを介して新しいシャワーヘッドをねじりいれるだけ。素人でもあっという間に交換完了! で、水を出してみると・・・ ひゃー! 今までのが何だったの?というくらい、勢いよく水が噴出するじゃないの! しかも、勢いはいいのだけれども、肌当たりはまろやかという。どうしてそういう二律背反的なことが成立するのか分かりませんが、とにかく、勢いよく、しかもまろやかという、まさに理想的なシャワー状態。 これがたったの2500円! 2500円出すだけで、快適さ倍増!! やらなきゃ損だよね! ということで、急に思い立ってのDIY大成功ということで、大満足の我が家なのであります。カクダイ 【356-900-W】 KAKUDAI リラックスシャワー//ホワイト ★
March 18, 2019
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今日は高校時代以来の親友Nが北海道から来るということで、夕食を共にしてきました。 Nは北海道大学の認知言語学の教授さんですけど、明日、名古屋の中京大学で講演をすることになっているとのこと。ホテルも大学側が用意してくれたとのことで、なかなか豪勢なもの。私と違って、偉くなる人は扱われ方が違うねぇ・・・。 ま、それはともかく、前に会ったのは5年ほど前、北海道で学会があった時に私が会いに行った時以来ですから、それなりにしばらくぶり。前は北海道でごちそうになったので、今日は名古屋名物ひつまぶしでごちそうしてやろうというね。 で、その後、コメダ珈琲店に場所を移して長々とだべってきたのですけど、この前北海道で地震があって、道内広域で停電になった時の話が出て、電気はおろか、マンション上階では水も出ないので、こうなったら仕方がない、円山公園にある公共の水飲み場まで顔を洗いに行こうかという寸前で回復したとのこと。結構大変だったんですな。 その他、互いの勤務先大学の話、研究の話、定年後どうするか、といった話等々、話題は百出。Nも定年後は、東京の実家に戻るということでしたので、そしたらまた一緒に遊ぼうということになったのですが、そこまで来てはたと、二人の間に案外、共通する趣味がないということが判明。 私はクルマ好きですが、Nはペーパードライバー。私は音楽好きですが、Nは落語好き。私が柔術をやりますが、Nは運動系はあまりやらない。私は田舎暮らしがしたい方ですが、Nは興味なし。うーん、どうしたもんか。 で、あれこれ探った揚句、キャッチボールならやってもいいとNが折れたので、じゃあ、そこから始めようということになった次第。65歳のおっさん(おじいさん?)二人が、キャッチボール・・・。絵にな・・・らないよね。 まあでも、お互い健康で定年を迎えられればオンの字だよね。 ということで、またいつかどこかで会おうと約して別れてきたのでございます。
March 17, 2019
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姪っ子から連絡があり、19日にフランス行きが決まったと。 姪っ子のご主人がフランスはパリに転勤することになったので、くっついて行くことになったのですが、予定では5年程向こうに滞在するとのこと。 姪っ子は英語力が抜群で、別に留学もしてないのに外資系の会社に入り、英語で切った張ったの交渉をしていますので、フランス語だってあっという間に習得するでしょうし、うらやましい限り。 で、聞くと姪夫婦が住むアパルトマンはパリの中でも高級住宅地にあるらしく、エッフェル塔まで徒歩10分なのだとか。ふうむ、ますますうらやましい・・・。 何を隠そう、私も大学時代は第二外国語がフランス語で、結構、得意だったのよ。もう、今は全然ダメだけどね。 だけど、姪っ子がいるうちに、一度、パリを訪れるというのはアリなのではないかと。今年とか来年ではなく、姪っ子が現地に慣れ、フランス語にも堪能になったであろう3年目くらいに。 パリかあ・・・。やっぱ、秋かな。 それを目標に、サビ付いてしまったフランス語、少し復習してみようかしら。
March 17, 2019
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今日は今年度最後の教授会があって、そこで大学院改革のことが話し合われたのですが、文科省の強い要請で、うちの大学院も通常の修士課程、すなわち学問を深める場所としての修士課程が廃止になり、いわゆる専門職(教職)大学院、つまり学校の先生が現場ですぐに使えるノウハウを教える場所にするということになってしまったという。 だからこれからは大学院の授業ってのは、おそよ授業らしからぬもの、例えば教え方のノウハウばっかりを伝授するものとなり、やたらに実習に行くようなものになるらしい。そしてそれを教える側も、研究者じゃなくて、かつて学校の校長さんだった人とか、県の教育委員会のお偉いさんとか、そういう人を連れてきてことに当らせることになるらしい。 もう、そうなったらうちは大学じゃなくなるよね。専門学校だ。 愚考するに、教育者こそ、本当は研究者がならなくちゃいけないんじゃないかと思うわけよ。ノウハウじゃなくて、学問に対する愛だよ、愛。 とまあ、日本の教育が文科省によって目の前でどんどん劣化させられていくその現状を見るに忍びなく、私は耳をふさいで会議の間中、読書に熱中していたのでございます。 読んでいたのは林望先生の『リンボウ先生の日本の恋歌』という本。先日、ブックオフで108円でゲットした奴。 本書の中でリンボウ先生は、古来この国に親しまれてきた恋の歌について云々しているのですが、対象となるのは林先生のご専門である国文学のそれ、つまり万葉集とかそういう和歌はもちろん、それだけでなく、連歌であったり、佐藤春夫とか北原白秋とか田中冬二などの詩人の歌であったり、果ては永六輔とか荒井由美の流行歌に至るまで、およそ林先生のお眼鏡にかなったものであればジャンルを問わず分析・紹介されている。 和歌とか連歌など、説明してもらわないとその良さが素人には分からないものもありますが、そこはそれ、リンボウ先生の巧みな話術によってうまいこと説明されますので、ご心配なく。とにかく、日本という国は、昔から恋の歌の伝統があったんだなあということがすんなりと納得できる仕組みになっております。明治時代、男女7歳にして席を同じゅうせず的な概念が持ち込まれるまでは、この国には今よりももっと自由な愛の描写が歌として楽しまれてきたんだなと。 で、そんなお話をふん、ふんと頷きながら読んでいたのですけれども、その中で「林あまり」さんという方の詩が紹介されている部分で、ちょっとビックリ。 私は寡聞にして知らなかったのですが、林あまりさんという詩人のこと、皆さんご存じ? これがね、大胆なまでにエロティックな歌を詠まれる方で、私も教授会の真っ最中にあって、ちょっと頬を赤らめてしまいました。例えばこんな歌・・・○舌でなぞる形も味もあなたは知らない わたしにはこんなになつかしいのに○限りある男が限りない女に書き残したがる 性のピリオド とかなんとか・・・。ひゃー! で、後で調べたんですけど、林あまりさんというのは、私とまったく同年の生れなのね。ただ向こうは1月生まれだから、学年でいうと私より一つ上か。ということは俵万智さんと同学年のはずで、実際、この二人は和歌界での異端というか、新興勢力として並び称されてきたのだそうで。なるほどね。 本を読めばそれだけ色々なことが分かりますな。 ま、これからの大学院教育では、本なんか読んでいる暇はないけどね! やたらに実習に行ったり、教育委員会に対する色目の使い方とか、沢山習わないといけないからね!!
March 16, 2019
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先週の金曜日に自宅の給湯器がイカレて以来、金・土・日・月・火・水と、連続6日間に亘って深夜のスーパー銭湯に通い続けた我ら夫婦ですが、今日、新しい給湯器の設置がなされたことによって、ついにスーパー銭湯通いに終止符が打たれたのであります。 いやあ、ホッとしました。まあ、たまに行くならいいのかも知れませんが、必要に迫られて通うスーパー銭湯ってのは、やっぱり面倒臭いものでありまして。 だけど、面倒だ面倒だといいながら、これだけ通うと、なんとなくスーパー銭湯が身近になってくると言いましょうか。もう、最後の方になってくると慣れたもので、お決まりの靴箱とか、お決まりのロッカーとか、そういうのまで決まって来て、段々、「ここも我が家の風呂」的な感じになってきたという。 ところで、この話を同僚にしますと、案外、スーパー銭湯に行ったことがない、という人が多いことに気がつきます。私自身、ついこの間までそうだったわけですが、温泉に旅行するなら別、家に風呂があるのに、わざわざ家の近所のスーパー銭湯に行くこたぁないでしょ、という人が多い。 一方、スーパー銭湯に行きつけているらしい人は、ここをこよなく愛しているんですよね。それは、実際に行ってみればよく分かる。 スーパー銭湯の愛用者たちを観察しておりますと、男湯の場合ですと、大学生とか、せいぜい社会人2年目、3年目といった若い人が圧倒的に多い。そういう連中が3人とか4人、連れ立って入っているんですな。 で、そういう連中が風呂の中で話していることを、聞くともなく聞いていると、自分の将来像を語っていることが多い。 例えば、会社に勤め始めて2、3年が経ち、何となく仕事の要領が分かってしまったあたりで、さて、このままこの会社に居続けるべきなのか、あるいは現在の会社に対する不満を考えると、いっそ転職を考えた方がいいのか。あるいは、いっそ自分で起業した方がいいのか。そんなことを互いに話し合ったりしているんですな。 そういう話ってのは、喫茶店でするには重すぎる。かといって酒の席でやると冷静ではいられない。となると、スーパー銭湯で、という感じになるのではないでしょうかね。とりわけ銭湯だとお互い裸ですから、まさに腹を割った話もできると。 とまあ、スーパー銭湯ってのはどういう場所なのか、なんとなく分かってきたような気がしましたねえ・・・。 でもね、やっぱりこの歳になると、家の風呂が一番だよ! 今日はゆっくり自宅の風呂を味わうことにしましょうかね。
March 14, 2019
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昨年11月に依頼を受けてから、ずっと取り組んできたサリンジャー連載ですが、ついに本日、第1回目の連載が掲載された4月号が出版社から送られてきました~! 校正作業の中で見てはいたものの、実際の誌面に掲載されている自分の文章を目にするのはまた格別。いやあ、嬉しいねえ。これから半年間、毎月、連載が載るわけかぁ。 で、嬉しい嬉しいと思っていたら、たまたま今日、別な雑誌に掲載予定の拙稿の初校が送られて参りまして。 こちらはちょうど昨年の今頃、原稿依頼があり、やはり数カ月かけて準備して昨年の8月末に原稿提出してあったもの。その後、何の音沙汰もなかったので、アレレ、まさか没になったとか?と心配していたのですが、ちゃんと生きておりました。 ちなみにこちらは『書物學』という雑誌の次の号に掲載される予定。初校の誌面を見ると、図像たっぷりの楽しい誌面になっていて、これもとても嬉しい。明日から校正作業、頑張らなくちゃ。 で、一週間後の20日には科の紀要に載せた原稿が形になるし、さらに大学の紀要向けに書いた原稿も近々刊行される予定。いやあ、昨年、一生懸命仕事した成果が、次々と形になってくるじゃないの。 ちなみに、科と大学の紀要に載せた原稿は次の本の、またサリンジャー連載と『書物學』の文章は、次の次の本の一部になる予定。著書2冊分の原稿がどんどんたまって行く。いいね、いいね。 なんか、張り合いが出てきたなあ! おーし、頑張るぞ!!
March 13, 2019
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自己啓発本の研究をしていると、ラルフ・ウォルドー・エマソンの引用というのはやたらに出てくるんですが、エマソンの弟子のヘンリー・デヴィッド・ソローとなると、めったに引用されることがないんです。 ソローは、人里をちょいと離れ、ウォールデン湖のほとりに方丈の庵を結んで2年ほどそこで暮らした経験を元にしたエッセイ『森の生活』で知られる人でありまして、いわばヒッピーの元祖。アメリカ1960年代のビート・ジェネレーションからすれば、「遠いアニキ」に当る人で、そういう意味では現代的な意味のある人ではあるのですが、こと自己啓発本の世界に限ると、あまり引用される人ではない。 で、なんでかな~、って思ってはいたんですわ。 だけど、最近、とあるソローについての入門書的な本を読んでいて「ははーん」と思ったのですけれども、その本によると、ソローの文章というのは、レトリックがすごいと。 つまり、表面的に言っていること(=書いていること)と、その意味するところが異なることが多いらしいんですな。 例えば、『森の生活』の中のある章で、ソローは豆の栽培の話をやたらに書いているところがある。 ところが、どうもこの豆の栽培というのは、もちろん現実にソローが豆を栽培した事実もあるのだろうけれども、それ以上に文章を書くこと、文を後世に残すことの比喩になっているというのですな。「culture」というのは、「文化」を意味すると同時に「耕作」を表すのであって、畑を耕すことと、文を紡ぐことは同意であると。 だけど、「ははーん、ソローの奴、豆だ豆だと言っているけれど、これは豆の事だけではなくて、文章を書くということを比喩的に言っているんだな」と感得するためには、文脈の中からそういう背後の意味を読み取らないといかん、ということですわな。 つまり、ソローの文章というのは、単文としては意味をなさない・・・というか、単文が示す意味は、本来の意味の一部でしかない、と言いましょうか。 で、そこまで行ったら、ソローの文章がなぜ後世の自己啓発本に引用されないのか、という理由は明らかだよね。だって、文脈とらないと意味が分からない文章を引用したって、意味ないもん。 ところが、エマソンの場合は逆なのよ。 エマソンは、文脈で読むと何を言っているのか、さっぱり分からない人なのね。 だけど、その文脈からどれでもいい、単文を一つだけ取り出してくる。すると、その単文が、実に味わい深い、意味深な文章になっていて、しかも実に分かり易いわけ。 だから、エマソンは引用されまくるんですな。 だから師弟関係にあるアメリカ文学の重鎮二人ですけど、文章から見るとこの二人は対照的なのであって、その対照さゆえに、エマソンは引用される、ソローは引用されない、という差が生まれたと。 どう、この見立て? まあ、とりあえず今の所はそんな風に理解しておいたらいいんじゃないかと、私は私に言い聞かせているところなのでございます。
March 13, 2019
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今日は某老人ホームに入居している先輩同僚H先生のお見舞いに、アニキことK教授と行ってきました。 で、行ってみて知ったのですが、H先生、先週の木曜くらいから体調を崩され、今日の午前中まで別の病院に入院されていたとのこと。まあ、今日お見かけした先生はお元気そうだったので一安心しましたが、歳を取ると色々な予期せぬことが起こることでございます。 ところで、H先生が入居されているはす向かいに、今年100歳になられたK老人という方がおられまして。H先生とは親しい仲。 で、このK老人がとても100歳とは思えぬほどの偉丈夫でありまして、肌艶もよく、矍鑠としていて、頭の回転、記憶力ともまったく衰えを感じさせない。 この方、どうも地元の大物らしく、かつては笹川良一さんなどとも親しくしておられたとのこと。それを伺って、私はK老人が笹川さんの世話になっていたのかと思っていたら、話は逆で、K老人が笹川さんのためにひと肌脱ぎ、中部7県をとりまとめて笹川さんを支持するよう仕向けたのですって。だから、笹川さんの方からK老人のところに挨拶に来るのだとか。 フィクサー笹川の、さらに上の人だったのね。 で、そんなK老人の話が面白いものだから、今日もKさんから色々話を伺ったのですが、その中で、私が一つKさんに質問をしてみた。「100年間生きてきて、『こいつは偉いなあ、こいつはスゴイ人間だなあ』と思った人物はいましたか?」と。 すると、K老人、すぐさま「政治家の中に偉いと思った奴はおらんなあ」と。ただ川島正次郎は、戦後、骨を折った人だったと言っておられました。 だけど、その後がすごいよ。 K老人曰く、「やっぱり、一番偉いと思うのは、おふくろだな」と。 戦争中、K老人を含む9人の子供を育てあげた母親が、100年生きてきた中で思う一番偉い人だったと。 おおっ! 男一匹、100年生きて思うことって、それかっ!! 私はK老人の言葉に、胸をつかれる思いをしたのでありました、とさ。
March 12, 2019
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今日は恒例、「忘卒論会」を開催してきました。まあ、卒論を終えた我がゼミ生たちをねぎらって私が食事に連れてってやる、という会なのですが。 久しぶりに顔を合わせた今年度のゼミ生たちですが、それぞれ春休みを満喫してきたようで、特に女の子たち二人は、ドイツ、フランス、スイスを回るヨーロッパ旅行をしてきたとのこと。何か美味しいものあった?と尋ねると、スイス・ユングフラウの見える場所で食べたチーズ料理が抜群だったとのこと。ふうむ、やはりスイス・チーズというのは旨いものらしい・・・。 で、大学4年間で面白かった授業のこと、色々な先生の噂、様々な恋バナ等々、大いに盛り上がって、あっという間の2時間が過ぎたのでありました。 こいつらに次に会うのは、卒業式と謝恩会ですが、縁あって1年間つき合ったゼミ生ともそれでお別れ。まあ、結婚するとか転職するとか、人生の転機が訪れたら連絡してくれよと言っておきましたが、やっぱり手元を離れていくというのはちょっと寂しいものでありまして。 ま、それが先生稼業ですけれどもね・・・。
March 10, 2019
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昨日の夕方、突然、自宅の給湯システムがいきなり壊れまして。 でまたタイミングが悪くて、壊れていることに気がついたのが夕方の5時半。慌ててガス会社に電話をしようと思ったものの、平日5時で受け付け終了。ということは、要するに月曜日まで風呂を含めてお湯が使えないということになる。 しかも、月曜日に電話したところで、それは修理の日にちを予約するだけのことで、その日のうちに使えるようになるわけじゃなし。つまり・・・ つまり、当分は銭湯に通わなくてはならないってことですな。 うっそ~! で、調べたら、我が家の近くには3つ、スーパー銭湯があることが判明。仕方ない、それのどれかに行くか。 ということで、昨夜、『カメ止め』を見てから(=すごく面白かった!!)、夜の11時ちょい過ぎくらいに家を出て、11時半くらいにスーパー銭湯に到着したと思いなせえ。 ま、夜中の1時まで受け付けの、夜中の2時まで営業とは聞いていましたが、ほとんど真夜中ですよ。さぞ閑散としているんだろうなと思っていたわけ。すると・・・ 広大な駐車場、満杯やん! 何コレ? どうなってるの? で、施設に入ってみると、まあ、小さな子供からおじいさんおばあさんまで、老若男女でごった返しているじゃないの。えー、スーパー銭湯って、こんな感じ? まあ、私はスーパー銭湯ってところには生まれて初めて行ったので、最初は勝手が分からず、まごまごしてしまいましたが、とにかく受付を済ませて中に入り、家内と分かれて男湯へ。 そしたら、中も沢山の人よ。ビックリ。 で、ここは洗い場と風呂場が別なシステムらしいので、とりあえず洗い場で体を洗い、露天風呂に浸かって一息。どうせ家内は遅いだろうなと思って、自分的には大分長風呂をして出たという次第。もっとも、やっぱり少し待たされましたけどね。 で、料金は二人で1200円なり。たまたまやっていたクジで、100円引き券と半額券をゲットしたので、明日は二人で800円で済みそうです。 まあ、とにかく、給湯器が直るまでは、毎日ここに通うことになるのか? なるんだろうなあ。昭和か! 南こうせつの神田川か! 小さな石鹸カタカタ鳴るんか! つらうぃーわー!
March 9, 2019
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ニュースでプロレスラーのザ・デストロイヤーさんが亡くなられたことを知りました。享年88。 私が生まれた年にデビューした伝説のプロレスラーですが、私が明けても暮れてもプロレスに夢中になっていた10歳当時は彼もキャリアの絶頂におりまして。マスクマンとして、ミル・マスカラスと人気を二分するような位置におりましたねえ。 もっとも、メキシカンで小柄、空中殺法を得意とするマスカラスとは異なり、WWAのチャンピオンだったデストロイヤーは、当時のプロレスの主流を行くような戦いぶり。「手四つ」か「ロックアップ」で試合が始まり、ヘッドロックなどを含めた地味な主導権争いがらみがあり、その後、審判から見えないところでの反則技もお約束で織り込みながら、次第にロープに飛ばしてからの打撃技やモンキー・フリップ、さらにボディ・スラムやバックドロップのような大技へと移行していき、両者フラフラの状態から最終的に必殺技の「足四の字固め」を決めるという。これを黄金期のプロレスといわずして・・・というような試合運びに、我々ファンは魅了されたのでした。 とりわけ、必殺技の「足四の字固め」。他にこの技を使う人がほとんどいなかった当時、まさに代名詞でしたねえ・・・。そう簡単には決まらない技ですが、足が四の字に組まれてしまえば100%デストロイヤーが勝つという意味で、真の必殺技。素晴らしかった。 私の世代、男の子たちは誰もがこの技をやりたがってねえ。デストロイヤーの四の字固めは、数あるプロレス技の中でも猪木のコブラツイストと並んで子供に大うけの技で、学校でも校庭のどこかでは、誰かが誰かにこの技をかけ、皆でそれを囲んで大いに盛り上がったもんですよ。プロレス少年だった私も、皆に見本を見せて、大いに尊敬されたものでございます。 デストロイヤーの位置付けとしては、一応、ヒールではあるのですが、その後に出たブッチャーとかタイガー・ジェット・シンなどとは異なって、愛嬌のある反則技をちょこっと使うだけで、それも試合を盛り上げるためのものですから、私は好きだった。もっともその後、日本のテレビ番組に出て、「ゴッド姐ちゃん」こと和田アキ子あたりとふざけるようになったのは、あまり評価しませんでしたが。私としては、彼はあくまで「覆面の魔王」でしたからね。その威厳を保って欲しかった。 デストロイヤーは日本で特に人気があり、本人も親日家で、2020の東京オリンピックには是非もう一度、日本を訪れたいと言っていただけに、その夢がかなわず、残念なことでございます。 でも、あの鮮やかな必殺技、「足四の字固め」は、私をはじめオールド・ファンの心には今なおしっかりと記憶されているはず。人柄も含め、バランスのとれたいいレスラーでした。「覆面の魔王」のご冥福を、心からお祈りいたします。合掌。
March 8, 2019
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このところ、単なるノスタルジーから子供の時に見た『ウルトラセブン』を見ているのですけど、本チャンの他に何度も再放送を見ているはずなのに不思議なほどにストーリーを忘れていて、えー、こんな風だっけ?!的な驚きを味わっております。 で、子供の時には『ウルトラセブン』の脚本と演出は凝っているなあ、と随分感心していた覚えがあったのですが、今、改めて見直すと、案外、脚本がボロボロだなと。こんな子供だましの番組だったっけ? で、変だ変だと思いながら、「第8話」を見た。有名なメトロン星人の出る奴。ダンとメトロン星人がちゃぶ台を挟んで話し合いをする有名なエピソードの回。 そしたら、これが素晴らしかったの。脚本も演出も、カメラも良かった。これだよ、これこれ。『ウルトラセブン』はこれじゃなきゃ! って思って調べたら、この回の監督は実相寺昭雄だったの。 で、あ、そうかと思って、やはり実相寺昭雄が監督した第43話、「第四惑星の悪夢」を見たら、やはり素晴らしかった。ロボットが人間を支配しているというストーリーの奴。 つまり、私が『ウルトラセブン』は素晴らしい、と子供心に思っていたのは、実相寺監督の回ばっかりだったんですな。 ちなみに、『ウルトラマン』でハヤタ隊員がベータ・カプセルと間違ってカレー・スプーンで変身しようとする印象的な回も実相寺監督のもの。天才じゃん、実相寺。 昔から通は実相寺はスゴイと言っていましたが、その意味が私にもようやく分かりました。大分遅いよね・・・。 『ウルトラセブン』で実相寺監督が担当した回がもう一回あって、それは第45話の「円盤が来た」という奴。それはまだ観ていないのですが、是非是非見なければ! あと、ついでにアンヌ隊員の書いた本も読んじゃおうかなと、チラッと思っている今日この頃。セブンセブンセブン アンヌ再び… (小学館文庫) [ ひし美ゆり子 ]
March 8, 2019
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昨日読み始めた『アンのゆりかご』、結局、読み終わっちゃった。結構面白かった。 まあ、まず基本的に村岡花子の英語や英文学に対する情熱ってのがすごくて、そこから発して、日本に家族で楽しめる家庭文学が欠損しているということに気付き、翻訳という仕事を通じて、その「ないもの」を存在させることに尽力したということなんだけれども、その過程では道ならぬ恋もあり、戦争もあり、子供を失くすという経験もあり。女性が男性と同じ立場で良い家庭を築けるように、という当たり前のことを実現するために、公的な仕事もこなす一方、あまりの多忙さゆえにオリジナルの作品を書くという夢はある程度断念せざるを得ず、といった後悔もあり。所詮、誰の人生だって一筋縄では行かないものだけれども、村岡花子さんも、一筋縄に行かない人生の中で精一杯、自分の得意を活かして、仕事したんだなあ、って思います。 で、読みながら思ったんだけど、文学作品の価値ってのは何なのかなと。 村岡花子が愛した『赤毛のアン』シリーズ。おそらく、学問的な意味での英文学史的には、あまり価値のないものと思われているんだろうなと思うわけですよ。せいぜい児童文学として取り上げられはするだろうけれども、しょせん、「おんなこども向け」(失礼!)のものとして、下に見られていると思う。 だけど、プリンス・エドワード島の風物とか、そこで暮らす少女アンの多感な胸の内の思いへの共感とか、そういうものが、外国(日本)の少女たちの心すら、どれほど浮き立たせたかということを考えれば、それを文学の力と云わずして何と言う、って思うわけですよ。ましてや特高などに検挙されることを怖れながらもこの本の翻訳を続け、いつの日か平和な時代が再び訪れた時に、その翻訳を出版することが出来たらと夢見ることで戦時中の厳しい時期を乗り切った村岡花子のことを思えば、この本に文学的価値なしなどと言うことはとてもできなかろうなと。 子供の頃、3歳年上の姉の書棚に、『アン』シリーズが何冊か並んでいるのを見た記憶があり、それゆえに、というべきか、これは男の私が読んではいけない本なんだと思いこんで、今日に至るまで読んだことがないのですけれども、ここはいっちょう、奮起して読んでみようかな、『赤毛のアン』。 50代半ばのおっさんが、『赤毛のアン』・・・。 だけど、案外、分からないよ。意外にはまったりして。「今年の夏休みは、プリンス・エドワード島に行こう!」とか言い出したりして。 あ、あと、『赤毛のアン』というタイトルについて面白いエピソードが書いてあって、原題の『Anne of Green Gables』をどう訳すかというので、村岡花子自身は『窓辺に倚る少女』にするつもりだったので、出版社の三笠書房の編集者だった小池喜孝が『赤毛のアン』という案を出してきた時には一顧だにせず一蹴したのだけれども、後で娘のみどりが『赤毛のアン』の方が絶対にいいと言い張ったので、花子が「これは若い人に向けた本なのだから、若い人のセンスを信頼しよう」と考えを翻し、自説を捨てて小池の案を採用したのだとか。確かに『赤毛のアン』の方が、スッキリしてますよね。 ま、そんなこんなで、この本、色々考えさせられたのでありました。
March 6, 2019
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紀要論文も入稿しちゃったし、ここ数日、妙に閑なので、仕事とあまり関係のない本を読み漁っているのですが、その中の一つが村岡恵理さんの書かれた『アンのゆりかご』という本。『赤毛のアン』の翻訳者として知られる村岡花子大先生の伝記でございます。 まだ最初のところしか読んでないのでアレですけど、村岡花子が出た東洋英和女学校というのは、カナダの宣教団体が作った学校なのね。だから、カナダの物語である「アン」なんだ、と思って妙に納得。 まあ、要するに明治期にカナダから宣教師たちが日本に布教にやってきてみたらば、日本の女子教育がまるでなってないということを発見、これじゃいかんってんで、女学校作っちまえということになって、それで東洋英和、静岡英和、山梨英和の三校が出来たと。 で、本書にはその東洋英和の当時の校舎の写真が掲載されているんだけれども、これがまたえらく立派な、驚くような校舎なのよ。まあ、金はカナダのメソジスト派の団体が出したのだろうけれども、実際に建てたのは日本の大工なんでしょうから、日本の大工の腕も凄いよね。自分たちでは建てたこともないような洋風の建造物を建てろと言われたら、へーい、って言って建てちゃうんだから。 しかし、アメリカとかヨーロッパじゃなくて、カナダっていうところがね。興味惹かれるねえ・・・。 だって、日本に暮していて、あんまりカナダの影響って感じないと思わない? 「アメリカナイズ」っていう言葉はあるけれど、「カナディアナイズ」って言葉を日本で使うことってあまりないじゃん? だけど、実は秘かに影響を受けていることもあると。 あとね、私が村岡花子に興味を持つのは、この人、『パレアナ』を翻訳しているってこと。『パレアナ』って、少女の物語だけど、実は自己啓発本なのね。物事を何でもポジティヴに解釈することで、苦境を脱するという意味での自己啓発本。それを訳しているのがこの人だから。 ま、そんなこんなで、色々面白いなと思いながら、英文学研究の先達、村岡花子大先生の伝記を読んでいると。そんな感じ。【新品】【本】アンのゆりかご 村岡花子の生涯 村岡恵理/著
March 6, 2019
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今日は午前中に家の近くのスタバで出版社にお勤めのMさんと会い、私が編集を担当している科の紀要の原稿をお渡しして入稿を済ませました。あとは二週間後の完成を待つばかり。これで今年の紀要関係の仕事も一段落というところ。 で、打合わせはすぐに終り、Mさんもこの時期は稼ぎ時でお忙しいので、すぐに別れて、私は一人、スタバ近くにある三洋堂書店の古本部に直行。何冊かの古本をゲットしたのですが、その中の一冊が佐伯泰英さんの書かれた『惜櫟荘だより』という本。まったくの美本が200円なので、これはお買い得でした。 この本、数年前にちょっと話題になった本ですが、その時にはゆとりがなくてやり過してしまった。でも、今日は一仕事終わって心に余裕がありますからね。つい、買っちゃった。 ところで、「惜櫟荘」って、何かご存じ? これね、熱海にある、岩波茂雄(岩波書店創立者)の別荘なの。 まあ、普通の人は知らないですわなあ。 だけど、私は子供の頃から知っているの。なぜなら、岩波書店の大番頭、小林勇が書いた『惜櫟荘主人』という本を、小学校6年生の時に読んだから。惜櫟荘主人ー一つの岩波茂雄伝ー 一本の櫟を惜しみ家を建てる位置を変えた人 【中古】 岩波書店の社長の伝記を小学生が読むとはこれいかに? っていう感じですけど、6年生の時の担任の先生だった山本茂久先生が、この本を読まれて面白く感じられたのか、ホームルームの時に我々にお話しして下さったんですな。で、そのお話しに感化された私は、大人向けの値段の高い本でしたけれども親に頼んでこの本を買ってもらい、読んだと。だから小学校6年生の時に、私は「せきれきそう」の何たるかを熟知していたわけ。早熟だねえ。 だけど、惜櫟荘がその後どうなったのか、なんてことは当然、知らないまま今日に至るわけで、今回、この本を読んで、そうだったの~ってビックリ。 ま、要するに、岩波茂雄が死に、小林勇も死んだ後、この惜櫟荘も放置されてしまったんですな。で、岩波書店もいよいよこれを手放すことにしたと。 ところが、そうなるちょっと前に、まさにこの惜櫟荘を見下ろす場所に、時代劇作家の佐伯さんが執筆用の別宅を購入されていたんですな。で、自分の家の下に立つこの文化財とも言うべき岩波の別荘が取り壊されてしまうということを聞きつけた佐伯さんは、思い切ってこれを譲り受け、しかるべく修復しようと考えるわけ。 というわけで本書『惜櫟荘だより』は、佐伯さんが偶然、この岩波の別荘に出くわしてしまってから、その修繕に取り掛かり、それを仕上げるまでの経過を書きつづったもの、ということになります。 何しろ凝り性の岩波茂雄が自分の好みと美意識を注ぎ込み、吉田五十八という名建築家に依頼して建てた別荘ですから、修繕するといってもたやすいことではない。何しろ使われている建材からして今となってはなかなか手に入らないものばかりなので、それらを傷つけないように慎重にバラして、基礎工事をやり直して、その上に元通り全部組み上げるとなると、腕のある大工さんじゃないと出来ないし、時間もお金も相当かかる。それを、佐伯さんはやってしまうわけね。しかし、実際にやってみると、吉田五十八という建築家がどれほどの創意工夫をして岩波茂雄の好みを実現しようとしたか、その名人芸が少しずつ分かってくる。本書はには、そういう歴史的建造物の修繕にまつわる様々な発見と理解が綴られております。 が、それは本書の一面であって、もう一面ではこの修繕になぜか関わることになってしまった佐伯さんの、過去と現在のことが色々と語られているのであって、佐伯さんの人生と、惜櫟荘の修繕が同時進行的に語られる形になっているんですな。で、その佐伯さんの人生というのも相当に面白いんです。 日芸を出て一旦は映画制作に関わった佐伯さんですが、その後カメラマンとなってスペインの闘牛を取材しにスペインに行ったり、当時スペインに滞在していた作家の堀田善衛夫妻の専属運転手になったりしていた時期がある。そういう時期の思い出もなかなか面白い。あと、英文学者の永川玲二とか詩人の田村隆一、画家の磯江毅、あるいは俳優の児玉清とか、そういう佐伯さんと交流のあった人々の思い出話も、それぞれ印象的。 また、1999年に時代もの作家、とりわけ文庫書き下ろし専門の作家に転じてからの佐伯さんの作家としての活動も面白くて、とにかく15年間に170冊もの時代小説を書いたというのですからすさまじい。しかもシリーズものなんかだと累計1300万部も売れたというのですから、収入もものすごいものでありましょう。 まあ、そうじゃなくちゃ、惜櫟荘の修繕なんてできませんわなあ。 ってなわけで、佐伯さん自身の言を借りて言えば「(岩波茂雄が岩波文庫の売り上げで建てた)惜櫟荘を、文庫で稼いだ自分が修繕する」という数奇な出来事の記録として、この本、なかなか面白かったです。そういう方面に興味がある方には、おすすめ、と言っておきましょうかね。【店内全品5倍】惜櫟荘だより/佐伯泰英【3000円以上送料無料】
March 4, 2019
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先日、大須にある渋い喫茶店「モカ」でいただいた「バターコーヒー」なるものが妙に気になっておりまして。 以前、実家近くの相模大野にある神戸系の喫茶店「ダンケ」で飲んだ「バターブレンドコーヒー」も美味しかったのだけど、それは、焙煎の時にバターを加えるものであったと記憶しておりまして、今回「モカ」で飲んだバターコーヒーとはちょっと違うような気がする。 「モカ」で飲んだのは、コーヒーの表面に細かい油性の泡の膜がかかっていて、クリームを入れなくても白濁している感じなんですな。あれは・・・多分、コーヒーを淹れてから、バターを加えて撹拌するのではないだろうか・・・。 と思って調べたら、今、巷では結構有名なのね、バターコーヒーって。なにやら、飲むとお腹が空かないので、ダイエットにいいのだそうで。 というわけで、今日、自分で作ってみたわけさ。ま、簡単にコーヒーにひとかけのバターを入れて溶かして飲んでみたと。すると・・・ うーん、普通? やっぱり入れたバターの量が少なかったか。もっとガバっと塊を入れてもいいのかもね。 でもさ、コーヒーにクリームを入れて飲むのは普通じゃない? だとしたら、コーヒーと乳製品との相性はいいということになる。ならば、コーヒーにバターを入れるというのは、基本的に間違いであるはずがないよね。 ということで、次回はもっと大胆にバターを入れて飲んでみようかなと、まあ、そんなことをたくらんでいるわけですよ。 それにしても、今回、久々に昭和の喫茶店らしい喫茶店でコーヒーを飲んでみて、改めて喫茶店文化ってのはいいものだなと。 スタバとか、そういうおされなカフェもいいけれど、日本風の、年季の入った座り心地のいいソファ椅子に腰かけて、暗めで渋いしつらえの店内を見回しながら、厚めでやけに旨いトーストかなんかいただきながら、ちょっと見、ロイヤル・コペンハーゲンに見えるけれども実は「ニッコー」のコーヒーカップで賞味するコーヒーを飲むってのも、いいもんじゃないすか。バイトじゃなくて、マスターのいる、そういう店でね。 っていうか、私自身、そういう店をやってみたいという不埒な願望もあったり、なかったり。 居抜きで、そういう渋い店を受け継ぐ、的な。 ジャズもかけちゃうよ、的な。 夢よ、夢。単なる。だけど、論文一本書き終わったんだから、そういう夢で遊んだっていいじゃない?
March 3, 2019
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鈴木良雄さんの書かれた『人生が変わる 55のジャズ名盤入門』という本を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 授業で「アメリカ・ロック史」なんて講義を担当したもので、このところずっとロックの方に気が向いておりまして、ジャズの方が大分お留守になっていたんですわ。それで大須あたりの中古CD屋さんなんかに行っても、ジャズ方面で何を買えばいいのか、その辺りの勘が鈍ってしまいましてね。で、これじゃいかんというので、ちょっと前に仕入れておいたこの本を引っぱり出し、改めて読んでみたという次第。 寡聞にして知らなかったのですが、この本の著者である鈴木良雄さんというのは、ヴァイオリンの指導法として名高い「スズキ・メソード」を考案した鈴木鎮一さんの甥御さんなんですってね。早稲田のジャズ研を出てプロのミュージシャンとなり、ニューヨークに渡ってアート・ブレイキーのバンドに在籍して腕を磨いたベーシストだそうですから、これは本格的。 で、この本は、そんな鈴木さんがジャズ仲間50人にアンケートをとって、ジャズ初心者に薦めるアルバムを20枚挙げてもらい、それらを総計して上からベスト55を決め、その55枚のアルバムについて鈴木さんがコメントすると、そういう作りになっているんです。 だから、ここに挙がっているジャズのアルバムは、確かにどれをとってもいいモノばかりだし、逆に、通好みの穿ったものはほぼない。実際、55枚のうち、50枚くらいは私自身、既に持っているものでした。 だから、そういう意味では「そんなの知ってるよ」的なモノばかりなんですが、そういう有名なアルバムに対しての鈴木良雄さんのコメントがものすごく面白くて、それがこの本と魅力的なものにしているんですな。 ジャズ評論家というのは沢山いるんだけれども、そういう凡百の評論家と鈴木さんが違うところは、鈴木さんが本場の、超一流のジャズマンたちを直接知っているばかりか、彼らと一緒に演奏をしたことがある、というところ。これに尽きる。 例えば、鈴木さんはピアニストのマル・ウォルドロンのアルバムを評価しつつ、彼の演奏は古い、というのですが、それはマル・ウォルドロン本人と一緒に演奏した経験があり、マルが本来ベースが奏でるべき音をピアノで弾いてしまうため、すごくセッションがしにくい、という実体験を元に言っているわけ。そういうのは、評論家がひっくりかえったって言えない発言ですよね。そういうところが実に面白い。マイルス・デイヴィスが部屋に入ってきた途端、あまりのオーラに他のプレーヤーたちが露骨に緊張し、部屋の空気が一変してしまう。それを肌身で感じたことがある人のマイルス評って、読みたいじゃないですか。 チェット・ベイカーと演奏したら、当時クスリ漬けだったチェットがあまりにも暗く、雑談もしないので、セッションもあまりうまく行かず、ありゃ、音楽のセンスはあっても人間としてダメだ、ジャズは音楽の才能と人格と、両方ないと、なんてコメントを読むと、ふうむ、そうなのか~と思うし。ジョー・ヘンダーソンは優しい人で、鈴木さんが盲腸の手術をした時も、復帰直後に「大丈夫か?」と気遣ってくれたとか。そういう話を聞くと、ヘンダーソン、いい奴じゃないか!と思う。そういう逸話がこの本にはたーくさん出てきて、読んでいて面白くて仕方がない。 あと、ジャズマンの中でも、演奏に長けた人、作曲や編曲のセンスのある人など、それぞれ特徴があるわけですが、そういう特徴を踏まえた中で、どの人がどのくらいすごいのか。その辺の鈴木さんの判断がものすごく勉強になるわけ。例えば、マッコイ・タイナーみたいなピアニストって、自分としてはそこそこいいように思えるけれど、マイルスが使わなかった所を見ると、あまり良くないのかしら? なんて思っていたんですけど、鈴木さんが「あれはすごい」と言うのを聞けば、これからは安心して「マッコイはいいピアニストなんだ」と思っていられる。そういうところもあります。 それから鈴木さんがロン・カーターからベースの個人レッスンを受けた、という話の中で、ロンのようにベースを弾くにはどうすればいいかを研究した結果、鈴木さんの導き出した結論というのがものすごく面白かった。鈴木さん曰く: あるとき、真理を見つけたんです。そして、今もそうやって弾いています。生徒にもずいぶん教えているんだけど、誰も完全には習得できない(笑)。要するに、力を抜くということなんですよ。筋肉でぐっと弾いてもいい音はしないので、ボールを投げるようにスナップを効かせる、ということなんです。力を抜いて弦を重力にまかせて引っ張ってもらうような。それは別にジャズのピチカートのベースだけでなく、全部のあらゆる楽器に言えることなんです。「脱力すること」が大事。ところが、口で言うのは簡単なんだけど、脱力するって難しいんですよ。歩いている時、腕や手に力を入れていないでしょう。それと同じ状態です。脱力するとすごく手自体が重いので、その重みで弾けばいいんです。それで弾くってことは、力が全然入らずに弾けるということなんです。弾く瞬間だけスナップを効かせるというのかな。習得してしまえばいくら長く弾いていても疲れないんですよ。(74-75頁) これね、まさに八光流柔術の極意とまったく同じ。私なんかも、この脱力を10年勉強して、まだ全然習得できませんから。手の重みだけで技を掛けるということの難しさ。それが、楽器演奏すべてに言えることだと知って、まさに目からウロコでしたね。 あと、鈴木さんはボーカルもののジャズ・アルバムが苦手であったり、フリー・ジャズがあまりお好きでなかったり、その辺の好みも私とまったく同じ。そういうアルバムの価値は認めるけれども、個人的にはイマイチ苦手、というのをはっきりおっしゃられるので、そこも実に共感できる。 そういうことも含め、この本、私としてはすっごく面白かったんですわ。この手の本の中で一番面白かったかも。 ってなわけで、この本、教授の熱烈おすすめ!です。ジャズ好きの方、これからジャズを聴いてみようかなという方、是非この本を道しるべとして手に取られてはいかがでしょうか。人生が変わる55のジャズ名盤入門 (竹書房新書) [ 鈴木良雄 ]
March 2, 2019
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このところ掛かりきっていた論文を脱稿したので、今日は少し遊ぼうということになり、ランチを外食することに。 向かったのは四谷にある「アンピオフューメ」というお店。税込2,000円のランチ、美味しくいただきました。 で、そのまま帰宅しても良かったのですが、ここまで来たら大須まであと10分じゃん、ということになり、先週に引き続き、またも大須に行ってしまったという。今、我が家は大須ブームなもので。 で、今週は大須唯一の古本屋さんに行ってみようということになり、まずは「古本や 飛猫横丁」に向います。 で、行ってみると、これがまた小さなお店で、看板を見ると一応、営業中のようですが、シャッターが半分閉まっているし、店主もいない。あれれ、やってるのかなあ? でも、営業時間ではあるはずだし、一応ドアも開くので、入ってみようと、とりあえず中へ。 で、驚愕ですよ。 何に驚愕するかというと、その圧倒的に良質な品ぞろえに。ほんとに小さな店なのに、置いてある本は一流どころばっか。本好きならよだれが出そうな本ばっかりじゃないの。文学・演劇・美術・建築方面に興味があるムキには、もう、天国ですわ。 でまた、値付けが素晴らしい。一言で言って、安い! 「この本であれば、1500円くらいかな・・・」と思って値段を見ると、300円だったりするのよ。 で、この店で恩師・大橋吉之輔先生のお訳しになった『ジョヴァンニの部屋』の白水社版2種、ソフトカバーとハードカバーの二冊を600円でゲット。今まで「Uブックス版」しか持ってなかったもので、これで全部そろっちゃった。 でも、店主がいないので、電話をかけてみたら、「すぐ降りて行きます」というのでしばらく待っていると、およそ商売気のないおじさんが来てくれて、無事、お金を払うことができました。 でも、おじさん、私の買い物を見て「アメリカ文学がお好きなんですか?」と言うので、「ええ、まあ。実はこの本の訳者の大橋先生が私の先生なんです」と言うと、おじさんは「ああ、この人は色々訳しておられますね」と。 つまり、大橋先生の訳業を知っているわけよ。やっぱり、これだけの品揃えの店を作り上げているんだから、ただモンじゃないな。 ということで、飛猫横丁、久々に私を唸らせた古本屋さんだったのでした。絶対、また来ようっと。 で、その後、中古レコード屋さんの「greatest hits」でまたまたビーチボーイズのCDほか何枚か買ってから、銀ブラならぬ大須ブラをし、「大須ベーカリー」でパンを買ったり、「キュームタルト」でタルトを買ったり、渋い喫茶店「モカ」でバターコーヒーとあんトースト(どちらも絶品!)をいただいたりしてから帰路についた次第。 ちなみに、帰りに「百老亭」で餃子でも買って帰ろうと思ったのですが、残念ながら、閉店しておりました。ここ、たしか池波正太郎の行きつけの店だったと記憶するのですが、ついにその味を知ることが出来なかった・・・。残念。 ま、それにしても大須、面白いなあ。まだまだ行ってみたい店が沢山あるので、当分は楽しめそうです。Beach Boys ビーチボーイズ / Beach Boys Today + 2 【SHM-CD】
March 1, 2019
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1月の半ばから書き始めた論文、ようやく脱稿しました。10日で書いて、一か月かけて推敲って感じ。この推敲作業が時間掛かるのよね~。一体、何回書き直すことか。「こんなに書き直すの?」って妻が知ったら、妻は私のために泣くでしょう。何十回目の書き直しをした今日ですら、まだ数カ所、直したからね。 まあ、でも、とにかく、終わった。 一方、サリンジャー連載の方も第一回目の掲載誌が3月半ばの発売。第二回目の分の原稿も既に提出し、来週には校正刷りが出る予定。こちらはもう第三回目まで既に書いてある。今週末は、第四回目のための原稿書きをする予定。既に内容の割り振りは熟考済みで、第四回目と第六回目分の下調べはもう終っているけれど、第五回目の原稿を書くためには、まだ後千ページ分くらいの資料を読まなくてはならない。これがちょっと骨かな。 結構、働いているよね~。誰かご褒美下さい。 旅行とか行きたいな。雪見温泉とか。もう遅いか。 でも温泉行きたい。まじで計画しちゃおうかな・・・。
March 1, 2019
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