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日本の自己啓発本出版史を考える上で『菜根譚』をとりあえず読んでみようと思ったんですけど、大学の図書館に行ったらたまたま入試日程に伴う休館日で、仕方なく市立の図書館に行ったら、オリジナルの『菜根譚』は置いてなくて、菜根譚がらみの自己啓発本しかなかった。で、その中で齊藤孝さんの『図解 菜根譚』ってのを選んで借りてきた次第。 で、読んでみたと。 で、これによると、そもそも『菜根譚』というのは、明の時代の洪自誠という人が書いた随筆集・箴言集で、洪自誠がどういう人かは、あまりよく分かっていないのだと。で、『菜根譚』は、「菜根」なんて言葉が使われているけれども、野菜とは一切関係なく、ただそれこそ牛蒡の根っこみたいに、筋の多い野菜を噛めば噛むほどに滋味が出てくるがごとく、滋味深い本になるよう、この名をつけたということらしい。内容としては仏教・儒教・道教の「三教一致」の観点から処世訓を綴ったものなんですが、ウィキペディアによると、かえって中国では重んじられず、1822年、加賀藩の林蓀坡(そんば)という人が2巻本として刊行すると、日本の禅僧の間で仏典扱いで盛んに読まれるようになり、また実業家・政治家などの間でもよく読まれたのだそうで。本書によると新渡戸稲造の『自警録』の中にもこの本からの引用が多いのだとか(1)。ちなみにこれも本書によると江戸の儒学者・佐藤一斉の『言志四録』からの引用が多いのだそうで(2)、やっぱりこの辺りが幕末以後の日本の代表的な自己啓発本ということのようですな。 さて、本書は、まず齊藤さんが『菜根譚』より抜き出してきた格言的なものを載せ、それをもうちょい分かりやすい日本語に訳したものを載せ、それを発端に齊藤さんが(自分の身に引きつけて、ということらしいですが)自分なりの解釈というか、自分はこういう形でこの格言を生活に活かしています、的なことを綴っていると、まあ、そんな具合なわけ。 で、肝心な『菜根譚』の格言なんですけど、これがね、結構難しい。パッと見、何が書いてあるのかわからず、説明文を読んでようやく意味が分かるという感じ。 例えば冒頭のこれとか、どう? 「以て事に応じ物に接せば、身心何等の自在ぞ」って。意味分かる? 隣に付された解説文によると、「それぞれの状況で柔軟に対応するならば、なんと身も心も自由自在であることか」という意味なんだって。要するに、ケース・バイ・ケースでやれと。 で、ここから齊藤大先生の御託宣が始まるんですけど、これがまた妙チキリンなものでね! 先生曰く、小中学校の同窓会に行くと、見た目の変化こそあれ、人間の本質は変わらないことが分かる。で、家族というのは野生のぶつかり合う場所だから、喧嘩することもあるけど、結局、そこに戻っていく場所である。会社も同じで、会社によってそれぞれのルールがあるけれども、その会社に勤めている以上、そのルールにある程度従うことも必要であろう。それぞれ思うところはあろうけれども、勤め先の会社のルールに従っておけば、却って覚悟が定まり、自由になれますよと。 で、最後に結論として「自分の所属する組織のルールを、自分の内側にしっかり育てよう」と。 はぁぁ?? 何コレ? 同窓会の話と、家族が野生のぶつかり合いだという話と、会社に勤めたら会社のルールに従えという話と、どこがどうつながるの? でもって、「以て事に応じ物に接せば、身心何等の自在ぞ」という洪自誠の教えを、どう解釈すると「会社のルールに従え」という結論になるの??? 謎だよね! ま、とにかく、本書はこういう具合で、洪自誠の『菜根譚』が、齊藤大先生流に大胆に曲解されて、さらに難解なものとなっていくわけでございます。 だから、まあ、齊藤先生の解釈の部分はとりあえず放置しよう。 そこは放置して、『菜根譚』のオリジナルな部分だけ拾っていけばいいんですけど、今回、『菜根譚』なるものを初めて読んでみて思うんだけど、全般的に言って説教臭いね! 例えば「喜びに乗じて諾を軽くすべからず。酔いに因りて瞋を生ずべからず。快に乗じて事多くすべからず」とか。要するにいいことがあったからって安請け合いしたり、酔った勢いで怒ったり、調子に乗ってあれこれ手を出したりするな、ってことでしょ。 あるいは「一念にして鬼神の禁を犯し、一言にして天地の和を傷り、一事にして子孫の禍を醸す者有り」とか。たった一回の失言で、全てを台無しにする奴って居るよね、と。あ! これ、女性蔑視発言の森さんに聞かせたかったね! あるいは、「群議に因りて独見を阻むこと母れ、公儀を借りて私情を快くすること母れ」とか。みんなで寄ってたかって個人の意見を潰すな、世論の力を借りて自分の意見を通すなってことか。これ、今の日本社会全体が、耳の痛い話なんじゃないの? 「人の悪を攻むるときは、太だは厳なること母く」。人に説教するときは、あまり厳しくするなよと。 「悪を聞きては、就には悪むべからず。善を聞きては、急には親しむべからず」。悪い噂は鵜呑みにするな、良い噂もそのまま信用するな、と。 「人定まらば天に勝ち、志一ならは気を動かす」。人間が一旦本気だせば、運命も世論も変えられるよと。 「小人と仇讐することを休めよ」。バカな奴とは関わるなと。 とまあ、どれもごもっともなご説なんだけど、その一方どれも上から目線の説教ばっかで、私は嫌い、この本。『論語』は孔子の言行録だから、孔子の人間臭さが出ていてとても面白いと思うけど、『菜根譚』は単なる説教だから文学的にはつまらん。だけど、今でも通用するような説教だから、実業家とかは好きなんだろうね。 というわけで、『菜根譚』ってのが大体どういう方向性の本かっつーことはこれで分かった。後は講談社学芸文庫版をざっと読めば、見損なうことはないな。 それにしても、だよ。なんなのこの齊藤大先生の解説は。どーでもいいことをつらつらと。本書によると齊藤大先生、40代にして『声に出して読みたい日本語』を出したらこれが250万部くらいの大ベストセラーとなり、あとは飛ぶ鳥を落とすがごとしだそうですが、なるほど、一冊でもすごいベストセラー出すと、あとはどんなにつまらんことを書いていても、ひっきりなしに世間から声がかかるってことか。 それにしても、齊藤大先生、まあ、底抜けにぬるいお仕事をなさっておられますわ。「快に乗じて事多くすべからず」っていう『菜根譚』の教えはどうしたの? おっと、つい厳しいことを言ってしまった。「人の悪を攻むるときは、太だは厳なること母く」だった。 ということで、この本、とても人さまに推薦できるような本ではございませんが、『菜根譚』の凡そのところが分かったということで、自分的にはそれなりに役には立ったのでした。図解 菜根譚 バランスよければ憂いなし [ 齋藤 孝 ]
February 28, 2021
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以前、何かのテレビで、カルディで売っている「ギータ ジャルフレージ」なるものでカレーを作ると美味しい、というようなことを観たので、それ、買っておいたんですわ。で、今日、私自身、それを作ってみたと。これこれ! ↓ギータ ジャルフレージ で、作り方は超簡単! 何でもいいからお肉を炒め、それに付属のカレー粉をかけてさらに炒める。次に、瓶本体の中身を全投入して、10分ほど煮込むだけ。それで本格カレーが出来るというのだから、試してみない手はないでしょう。 実際、作るのはすっごく簡単でした。 で、お味はと言いますと・・・ うーん。旨い。と、思う。 あれ、なんだかちょっと自信なさげ? 実はですね、ちょっと失敗したところがありまして。 なんの肉でもいいというので、今日はポーク・カレーにしてみたんですが、その際、バラ肉を選んじゃったのね。 だもので、完成したものが、すこし油がきつかった。油ぎったカレーになっちゃったのよ。その点を除けば、かなり美味しいカレーだったと思います。 だから、この次にこれを使って作る時には、もうちょい脂身の少ない部位の肉を選択した方がいいかも。ベストはチキンか、あるいはエビのようなシー・フード系かな。 ということで、若干の留保付きになっちゃったんですけど、味自体は、通常の日本のカレー・ルーとはちょっと異なる、いかにも本格っぽいカレーの味がしますので、興味のある方は是非。ワタクシも次はこれを使ってシーフード・カレーにチャレンジしたいと思います。
February 27, 2021
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1月に受けた人間ドックの結果、腫瘍マーカーのシフラの値が悪くてですね・・・。 シフラの値が悪いってのは、要するに肺がんの疑いがあるっつーことですわな・・・。 で、その後、人間ドックを受けた病院で相談し、自宅近くのクリニックで精密検査受けてこいや、と言われたわけですよ。 で、まあ、大丈夫だろうなあとは思いつつ、やっぱりどこか、コワい思いがありまして。 で、論文が仕上がったこともあり、今日、思い切って紹介されたクリニックに行ってみたわけ。そこにはCTスキャンの設備があるのでね。 で、私は、今日はとりあえず先生と相談するだけで、CTスキャンを使った検査はまた後日、と言うことになるのかと思っていたわけよ。 そしたら、先生曰く、「じゃ、とりあえずCT撮って見ますか。ちょっと起動してくるので、待合室で待っててね」って。え、CTってそんな簡単なものなの? で、あれよあれよと機械の中に入れられ、あっという間に断層写真を撮られてしまったワタクシ。 で、ものの10分も経たないうちに再び診察室に招き入れられた私ですが、先生の診断によると・・・ 「ぜーんぜん大丈夫」とのこと。腫瘍のしの字も映ってないそうで。 やった~! 良かった~! ホッとした~!! ちょっと心配しましたけど、無事おとがめなし。超うれしい。 とはいえ、脂肪肝の傾向は依然としてあるので、食事を控えて運動して、3か月で3キロくらい痩せてくださいって指導されちゃった。 いいよ、いいよ。そのくらい、やりますとも! っつーことで、このひと月ほどの心配も吹き飛び、ウキウキの私なのであります。さーて、まだ当分死にそうもないし、これからガッツリ勉強するぜ!
February 26, 2021
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さてさて、年度末ってのは、秋口と同じで、論文提出シーズンでありましてね。ワタクシ、2種類の紀要の編集長をやっているもので、私のところに同僚の先生方からじゃんじゃん論文が投稿されてくる。 で、そういうのを整理したり、体裁を整えたりするものだから、見るともなく他の先生方の論文をチラ読みすることになるんですけど、まあ、同じ人文社会科学系であっても分野によっていろいろ違うんだよね! 例えば、社会科学系の先生方の論文の中に、「共著」ってのがある。 これがね、わたしら、文学畑の人間からすると、信じられないモノなわけよ。文学の論文で共著なんてないから。二人の人間が、一つの作品に対して完全に同じ見方をすることなんか、基本、ないからね。 私もこのジャンルで相当のベテランになってはきましたが、共著で文学の論文なんて書いたことない。だから、論文を二人で書くとか、想像もつかないわけ。 実際、どうやってんのかね? 前半はA先生、後半はB先生が書くとか、そういうことなの? でも、そうしたら文体が変わるからヘンテコなことになるよねえ? 基本A先生が書いて、B先生は相談役に徹するとか? でもしれはA先生の論文だよね、共著ではなく。わかんないわ~。今度聞いてみよう。 あとわかんないのは、アンケートやった結果をまとめました、的な論文ね。 例えば4年生の学生にアンケートとって、「あなたは就活、どんな風にしましたか?」「その際、大学にどんなサポートをしてほしかったですか?」みたいなこと聞いて、その結果をまとめて、「今後、大学はこういう風に就活生をサポートしたらいいのではないか」みたいに結論付ける、みたいな奴。 これさあ・・・アカデミックな論文なの? こんなの三日もあれば書けるじゃん? 一つの調査ではあるかも知れないけど、大学の先生がやることかね? でも、多いんだよね、社会科学系の論文にこういうの。 しかし、アレだよね、逆に社会科学系の人達からすると、文学論文、意味分からないわ~ってなるんだろうね。 そういや、先日、法学の先生と話をしていたら、「この前、加藤典洋の『敗戦後論』読んだけど、まったく根拠のない感想文で、実証的なところが一つもない。こんなの法学の学会で発表したら物笑いだよ。評論家って、こんなアホなことやってんの?」って言われたし。 うーむ、そう言われちゃうと、こちらも弱い・・・。 ま、目くそ鼻くその類なのかな。こんなことやってるから、「だから文系なんていらない」って言われちゃうんだろうな。 まあね、理科系の研究なら、コロナのワクチンも作れるわけだから。そっちに金かけろ、という意見も分からぬでもない・・・。 でもね、私は文学・文化の研究者として、自分では面白いと思っていることをやっているわけだから。それを、他人も面白いと思ってもらえるような論文を書くしかない。 さて、今年書いた2本の論文、どういう評価を受けるのか。「こんなアホなことやってんの?」だったら、かなわんなあ・・・。
February 25, 2021
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さあて、と。次、何しようかな? ずっと根を詰めてきた論文2本、仕上げちゃって、ようやく次のことを考えられるようになったワタクシ。来年度も最低2本の論文を書く予定なんですけど、そのテーマをね、そろそろ考えようかなと。 いや、テーマは決まっているの。既に。問題はどの順番で書いていくかってことでありまして。 で、2本のうちの1本は、「日本における自己啓発本出版史」にしようかな、なんて考えているところなんですわ。ま、日本人の自己啓発本研究者としては、アメリカのことばかりではなく、祖国のことも考えないとね。 で、思うんだけど、昔の日本って、仏教が中心になるじゃん? 仏教って、あんまり自己啓発本を生み出す下地にはならないような気がするんだよね。ほれ、仏教的には自己啓発って「煩悩」じゃん? むしろ避けるべき話題なわけよ。 もっとも近年になると、「歎異抄ブーム」ってのがあって、五木寛之なんかが盛んに歎異抄がどうだこうだって話をしだし、それが自己啓発的な話になっていく。しかし、仏教のように煩悩をそぎ落としていく系の思想が自己啓発になるってのは、日本独特の傾向でね。アメリカ的な観点からすると、マイナスのことを考えることは自己啓発にはならないんだけど、日本では立派に自己啓発になる。例えば、コンマリの片づけ法とか、断捨離とか。アメリカだと、プラスプラスで増やしていくことが自己啓発なんだから。 だから、仏教のことはまた別な観点から考えないといけないのであって、そうでない、普通の処世訓としての自己啓発思想としては、日本の場合だと、論語とか老子とか孫子とかさ、大陸方面からやってくるんじゃないかなと。菜根譚とかね。 あと、健康法としての養生訓とか。 で、そういうのが日本の古い自己啓発思想だったんだけど、それが明治以降、福沢諭吉と中村正直が英米の自己啓発思想を日本に取り入れ始めて、そこから英米タイプの自己啓発思想が日本に入ってくるようになったと。 で、今のところ明治以降の、英米型の自己啓発思想の伝来史については大分、情報通になっているので、この先必要なのは、それ以前の、論語・菜根譚・養生訓方面だよな・・・。 …と思って、そのあたりから読み始めようかなと思って、南米の大河のほとりに行ってみると、ちょっとビックリするようなことがありまして。 論語とか菜根譚とか養生訓とか、どの本を選んでもワタクシより一歩先に荒らしている人がいるのよ。斎藤孝って人ですけどね。3色ボールペンでおなじみの。それも、一つの本について何冊も解説本書いていたりするんだよね! ちょっと節操がなさすぎないか? その節操のないところもイヤなんだけど、なんか自分の行こうと思う道を、「妖怪・3色ボールペン」に先手を打って荒らされているようで、イヤだねえ・・・。 なんか急に、やる気が失せてきた。 とはいえ、私は私のアプローチでやるから、別にいいか・・・。 まあ、仕方がない。とりあえず、私も3色ボールペンを握って(握るのかい!)、とりあえず菜根譚あたりから読み始めようかな・・・。菜根譚 (岩波文庫 赤23-1) [ 今井 宇三郎 ]図解 菜根譚 バランスよければ憂いなし [ 齋藤 孝 ]【中古】1分間菜根譚 /SBクリエイティブ/齋藤孝(教育学) (新書)
February 24, 2021
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先月末に一応完成させた論文の下書きを、修正して修正して、100回くらい書き直して、ようやく、仕上がりました~。まあ、苦労しましたわ。 だって、これ、書き始めたのって昨年の夏休みだよ! 扱う範囲があまりにも広範なため、それを全部まとめて一方向に持って行くのに四苦八苦しちゃった。長さも結構あって、ページ数でいうと約60ページ。通常の論文のほぼ3倍だよね。参考文献も70冊以上あるんじゃね? それをまとめきったんだから、相当な力技よ。 とにかく60ページの中に、詰め込めるだけの情報を詰め込んだので、読む人が読んだら相当示唆的なのではないでしょうか。何しろエマソン、ソローから城山三郎まで、NASAからホール・フーズ・マーケットまで、ケーリー・グラントからアル・ゴアまで、いろんな人やモノが登場するからね。 で、最終的な結論としては、ラルフ・ウォルドー・エマソンは19世紀のヒッピーだった、というのだから、エマソン学会の人にめちゃくちゃ怒られそうっていう。 ま、とにかくさんざん苦労したものをついに書き上げて、今日は非常に気分がよろしい。ちょっと前に書き上げた別の論文と合わせて、今年度は勤勉に勉強したなって感じ。 これだけ勉強したんだから、ちょっとくらい遊びたいよね! 非常事態宣言下、不要不急の温泉旅行とか、行っちゃおうかな!
February 23, 2021
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今、サバ缶がブームだっていうじゃない? ツナ缶より売れているとか。 でも、ワタクシ、それほどサバ缶が旨いなと思ったことなかったのよ。だから、いくら身体にいいとか言われても、そこまで食べたいと思ったことがなかったんですわ。 しかし! ついにサバ缶のおいしい食べ方を発見しました。 元となったのは某テレビでコウケンテツさんが紹介していた「トルコ風サバサンド」の作り方なんですけど、それを基本としながらも、最近では我が家流のやり方にアレンジしております。 で、その作り方ですけど、まずサバの水煮(サバの身だけ)をフライパンで焼きます。その際、カレー粉(適量)とヨーグルトをスプーン一杯くらい入れて一緒に炒めるわけ。 で、パンをトーストし、焼きあがったものにマヨネーズとマスタードを塗っておきます。 そして玉ねぎとキャベツをスライサーで適量スライス(千切り)し、そこに塩コショウとレモン汁を振っておきます。 あとは上で用意したサバの炒めたものと野菜をパンでサンドイッチし、一旦、ラップで包んでから、ラップごとナイフで真っ二つに。それで、トルコ風サバサンドの完成! とまあ、これが我が家のレシピなんですが、一応、コウケンテツさんのオリジナルレシピも紹介しておきます。コウケンテツさんのトルコ風サバサンドのレシピ これがね、実に旨いのよ。カレー風味とレモン汁によってサバの生臭さが完全になくなり、旨味だけが残るという感じ。適度にエスニック感もあって、ひょっとしたらコリアンダーとかをちょっと入れてもいいかもしれません。 ところで、我が家のように夫婦二人だけだと、サンドイッチだけではサバ缶ひと缶分を消費しきれないんです。そこで、半分ほど残ったサバは、翌日、今度は簡単なサバカレーにして食べきります。 で、超簡単サバ缶カレーの作り方はこんな感じ。 フライパンに油を敷いて玉ねぎを炒め、しんなりしたらカレー粉を投入。そこへ水を半カップ、トマトを一個、それにサバ缶の残りを投入。煮立ったら、塩としょうゆを適量入れ、蓋をして3~5分ほど煮る。以上。 これ簡単でしょ? でも、これまたサバとカレーの相性が良くて、とても美味しい簡単カレーになります。 っつーことで、我が家では最近、サバ缶ひと缶を、ランチ2回分にして使い切るという。ほんとに美味しく、使い切ることができます。これで二人分のランチ2回分ですから、値段的にも安いんじゃないかしら。マジで教授のおすすめ!です。
February 22, 2021
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『ゴッドファーザー』を30分刻みで4,5日かけて観終わって、あらためていい映画じゃのう~とつくづく感心していたら、今度はNHKのBSで『パート2』をやるというじゃないですか。これはもう、神様が「パート2も観なされ」と言っているんだなと思ったもので、そちらも観ちゃった。 もちろん『パート2』も私の大・大・大好きな映画で、名場面で誰が何を言うか、そらんじられるほどですけど、今回さらにもう一度観直して、感動を新たにしてしまったという。 もうさ、こんなすごい映画を2本も撮っちゃって、コッポラ監督は以後、何もしなくてもいいくらいだよね。『地獄の黙示録』とか、撮らなかったことにすればいいんじゃない? 『パート2』では、二代目を継いだマイケルが、どんどん孤独になっていく経緯が描かれるんだけど、一番最後の場面で、まだオヤジさんのヴィト・コルレオーネが元気だったころ、その誕生日のお祝いに家族が集まるシーンが回想される。真珠湾攻撃があった直後の話で、そこでマイケルが海兵隊に志願したことを報告するのよ。 で、他の家族のメンバーが啞然として、なんでそんなことしたんだとマイケルはなじられる。で、その話はまたあとで、ということになり、マイケル一人を残して他の家族は皆、帰宅したヴィトに誕生日のお祝いを言うために席を立つわけ。で、遠くの方から「ハッピー・バースデー」の歌声が聞こえる中、マイケル一人がテーブルに残っている姿が映し出される。 マイケルの孤独ってのが、今に始まったことじゃないってことが、この最後のシーンで描かれるわけよ。なんていう演出でしょう。痺れる、としか言いようがない。 まあ、凄い映画だよね・・・。 ちなみに、もし私がコルレオーネ・ファミリーに入るとしたら、断然、トム・ヘイゲンの立ち位置で入りたい。ゴッドファーザーの相談役ということで。もっとも、ヴィトが生きているうちは、という意味で、マイケルが頭を務めるコルレオーネ・ファミリーには入りたくないわ~。【中古】 ゴッドファーザー PARTII<デジタル・リストア版>(Blu−ray Disc) /アル・パチーノ,ロバート・デュヴァル,ダイアン・キートン,フランシス・フ 【中古】afb
February 21, 2021
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ひと月ほど前に出版されたばかりの画期的な英語教則本『裏ワザ流英語術』、アマゾン・レビューも付き始め、もちろん5点満点の高評価ばかり!これこれ! ↓基本12動詞で何でも言える裏ワザ流英語術 [ 尾崎俊介 ] とはいえ、その真価から言えば、まだまだ十分に社会的認知を受けているとは言い難い・・・。本来であれば、もっと注目を浴びるべきものなんすよ。 例えば、今、書店に行くと、こんな本が英語教則本として売れている。これでネイティブっぽ! ゲス女の英会話 [ YYYOKOOO ] これね、私もチラ読みしてみたんですが、書き方といい、内容といい、確かに読んでいて面白い。だから、こういう本が売れるのも理解できる。 しかし、この本の著者の英語マスターへの道のりってのは、なかなかに厳しいものがあるよ。 著者によると、英語学習最良の教材はアチラのドラマであると。だから、そういうドラマの中で自分の気に入る奴を死ぬほど繰り返し見て、すべてのセリフをそらんじられるくらいにする。それがまず大前提ね。 その上で、実際に自分が発音した英語を録音し、ドラマで俳優たちが発音しているのと比べながら、ほぼ同じレベルになるまで繰り返すと。そういう血のにじむような努力をして英語をマスターした著者が、その知見のごく一部を披歴した本、それが本書なわけ。 だから、この著者と同じだけの英語力を身につけたいなら、著者と同じだけの努力をしろ、ということだよね。 それ、やる? 膨大な時間かけて? 無理でしょ。 それにさ、いかに大量のドラマを視聴して、そこで出てくるセリフを丸覚えしたとしても、そのセリフはあなた自身が言いたいことではないでしょ。つまり、この本を読んでも、やっぱり自分の言いたいことは英語にできないってことじゃん。つまり、この本買っても、英語はマスターできないということだよね。 世に出ている英語教則本ってのは、基本、それ式よ。 だけど、↓ これは違うの。そういうのとは。基本12動詞で何でも言える裏ワザ流英語術 [ 尾崎俊介 ] 英語の何が不安って、「自分にはこれ、英語で言えるかな、それとも言えないかな?」という不安でしょ。言えるかもしれないし、言えないかもしれない。言えなかったら大恥だ、という不安。 だけど、本書が主張しているのは、「12動詞の使い方を、本書の指示通り学べば、言えない英語はなくなる」ということなのよ。使う動詞は12個だけ、しかもその使い方も「主語+動詞+形容詞+名詞+場所の特定」の順に並べるだけでいい、っていうんだから、読んだその日の内にマスターできる。 その日の内、だよ! 12動詞ですべての英会話が可能というのは、もう証明されていることなのね。ひょっとしたら言えないことがあるかも知れない、っていうことはないの。 だから、英語への向き合い方が変わってきます。「これ、英語で言えるかな、それとも言えないかな?」ではなく、「自分がこれを英語で言えることは既に決まっている。だから、どう言えばいいか、考えよう」という風になります。で、どう考えればいいかも本書の中に指示してあるので、あてずっぽうに考えなくてもいいの。決められた道筋通りに考えればいいの。 そういう本よ、この本は。だから画期的なんじゃない。 というわけで、英語に悩む多くの人々に言っちゃいますけど、この本買って読んで! そしたら、この本が従来の英語教則本とまったく違うシステムだ、ということが分かります。是非!基本12動詞で何でも言える裏ワザ流英語術 [ 尾崎俊介 ]
February 20, 2021
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今、論文の最後の仕上げのようなことをしているんですけど、その段階に入ると「表記ゆれ」というのが気になるものでありまして。 たとえば「できる」と書くか、それとも「出来る」と書くか。あるいは、「気づく」と書くか、それとも「気付く」と書くか。長い論文とかだと、この種の表記ゆれがあちこちに出てくるもので、そういうのをどちらかに統一していく作業が必要になってくるわけ。 しかし・・・。 上のような例ですと、自分の好きなように、どちらかに統一すればいいんですけど、なかなか統一できない表記ゆれというのが存在するよの。 例えば「ジェイムズ」と「ジェームズ」の表記ゆれとかね。これ、どっちに統一したらいいんだろうね? もちろん、単純にどちらかに統一すればいい、という考え方もありましょう。だけど、そう簡単にはいかない事情もある。 例えば、作家のヘンリー・ジェイムズとか、哲学者のウィリアム・ジェイムズだったら、「ジェイムズ」でいいわけですよ。逆に、「ヘンリー・ジェームズ」とか「ウィリアム・ジェームズ」にしたら、なんかヘン、という感じがある。 だけど、「ジェイムズ・ディーン」はどう? 「ジェイムズ・ボンド」は? これはさ、どう考えても「ジェームズ・ディーン」「ジェームズ・ボンド」でしょう? というわけで、一つの文章の中に、ヘンリー・ジェイムズとジェームズ・ボンドが登場することはあり得るわけだ。だから、そう簡単には統一できないのよ・・・ ん? そうか、姓名のうち、名の方は「ジェームズ」にして、姓だったら「ジェイムズ」にすればいいのか? あ・・・解決した? そういう決まり? そうなの? 今、自分で発見しちゃったよ・・・。 じゃあ、いいや。そういう方針で統一すればいいんだ。 はい、終了~。
February 19, 2021
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今日のお昼は久しぶりに外食して、「新京」というお店でベトコン・ラーメンを食べてきました~! ベトコン・ラーメンというのは、名古屋地方独特のものかな? ベトナム戦争時、アメリカ軍に対抗した「ベトコン軍」にちなんだとも、あるいは「ベスト・コンディション」の略とも言われているこのラーメン、ポイントは「丸ごとニンニクたっぷり」というところで、食べれば風邪も疲れも吹っ飛ぶという。 ま、その分、食後のニンニク臭はすごいことになるわけですけれども・・・。 1年くらい前に初めてこの店で食べて、おいしかった記憶があるのですが、その後、行こう行こうと思いながらなかなか行けず、結局、ほぼ1年後になって2回目の見参。でも、今日もおいしかった! ここはベトコン・ラーメンにゲソ揚げとライスのついた「Bランチ」がおすすめよ! っつーことで、とりあえずニンニク充電は果たしたので、今日はこの後、大いに仕事に精を出すことにいたします。これこれ! ↓ベトコン・ラーメン 新京
February 18, 2021
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深夜、テッペンを回った頃にお茶を飲むのが我が家の習慣なんですが、その時、ちらっとテレビを見る。テレビで面白いのがなければ、ビデオなり、アマゾン・プライムなり、そういうのを見る。 で、このところずっと、『孤独のグルメ』をアマゾン・プライムでシーズン1の第1話から見ておりまして。 これがいいんだ。いいっていうか、罪深いというか。だって、深夜にお腹が空いてたまらなくなってくるんだもん。で、五郎さんが美味しそうに食べるご飯を見ながら、「明日は我々もアレを食べよう」などと家内と言い合ったりして。 ところが、そんな調子でこの番組を見ているうちに、ついにシーズン8の最終話まで見切ってしまった。さあ、もう見るものがないぞ・・・。 で、そんな絶望的な状況からの出来心から、アマゾン・プライムで『ゴッドファーザー』が見られることを発見。つい見始めてしまったという。 で、一昨日くらいから毎日30分くらいずつ、この映画を観ているんですけど、まあ、これが面白い。 実はこの映画は私のオールタイム・ベストの映画でね。もう何百回観たか数えられないほど。それでも、やっぱり面白いんだなあ。本当によくできた映画で。 しかし、そんなお気に入りの映画を、30分刻みで分割して観るなんてことは今までなかったのよ。 でも、そういう形で観ても、やっぱり面白いっていうか。 というのも、30分毎に、ちゃんとクライマックスがあるのよね。 最初の30分だと、例の馬のシーンが最後に来る。 で、次の30分だと、ドン・コルレオーネの病院のシーンが最後に来る。 つまり、30分置きに、すごいシーンが来るわけよ。いわば、30分毎に山場を持ってきているわけ。 うーん! すごい。今回そのことを発見して、あらためて感心しちゃった! さてさて、今日もこれから深夜の茶会なんですけど、今日は一体、どんなシーンが山場となるのか?? 今から楽しみです。これこれ! ↓ゴッドファーザー PART I <デジタル・リストア版> [Blu-ray]
February 18, 2021
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山口百恵さんの書いた『蒼い時』を読んじゃった。 この本が出たのは1980年・・・って、40年以上も前じゃないかっ! 当時の大ベストセラーですけど、それを今読むっていう。まあ、ベストセラーは原則として読まないことを自らに課しているワタクシの場合、こういうことは往々にしてよくあるんですけれども、それにしてもあれから40年以上も経ったのか・・・。 山口百恵さんと言えば花の中三トリオ。彼女が尋常ではない活躍をしていた時、私なんかはその活躍をすぐ後ろから眩しく観ていた世代。もっとも早くから洋楽ファンだった私としては、日本人の若い歌手なんてチャンチャラ、でしたけれども、それにしたって向こうは時代の寵児ですから、その動向が目に入らない日がないという。と、必然、私自身の多感な時期の思い出の端々に、山口百恵さんの姿が見切れるわけでありまして、そういう意味で、今の時点で振り返ると、とんでもなく懐かしい人ではある。 で、『蒼い時』ですよ。 これが出た当時のセンセーショナルな取り上げられ方からして、ティーンエイジャーだった私としては、そういう赤裸々なのは絶対読みたくないと思っていたんですけれども、今や立派に枯れかかって、「蒼い時」どころか「枯葉色の時」を迎えたおじさんとなった状況の中で、21歳にして既に芸能界の頂点を極め、さらにそこから引退しようとしている若い女性の様々な思いを読むと、これがね、なかなかいいのよ~。ちょうどいい生生しさ。 それにしても思うのは、山口百恵の優れた文章力ね。この本、「残間里江子プロデュース」となっているけど、どこまで残間氏の手が入っているのだろう? あれかな、矢沢永吉の『成りあがり』が、実際には糸井重里が書いているようなもんなのかな。 しかし、仮に残間氏の手が入っていたとしても、大筋のところでは他人には書けないようなことが書いてあるのであって、やはり山口百恵という人の考え方、感じ方がよく分かるという意味で、この本は山口百恵著と言い切っていいような気がする。それは『成りあがり』が、どこから見ても矢沢永吉の本であるのと同じ意味で。 文章力もそうですけど、まあ、すごい人ですよ、山口百恵という人は。芯が強いというか。芯が強いというのは、ただ鎧のように強いというのではなく、色々弱いところもあるのだけれども、そういう弱いところも明らかにしてなお自分を見失わないという感じ。当たり前な人間、平凡な人間の強さ、とでも言いましょうか。 その山口百恵が、三浦友和のことを「彼」って言うんだよね! 「彼」! なんか久しぶりに「彼」っていう言葉の重みを感じたぜ。 とにかく、今更ですけれども、若い世代の人ですとこの本を知らない、読んだことないという人も多いでしょうから、教授の熱烈おすすめ、と言っておきましょうかね。これこれ! ↓蒼い時 (集英社文庫) [ 山口百惠 ] ところで、こういう本を読むと、自分も糸井重里や残間里江子のようなことがしたくなる。 誰か、聞き書きして欲しい人、いない? こちとら、腕はあるよ! とはいえ、今、矢沢永吉や山口百恵みたいな人がいないよね・・・。
February 16, 2021
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林望先生の『定年後の作法』という本を読了しました。これこれ! ↓定年後の作法 (ちくま新書 1537) [ 林 望 ] 『イギリスはおいしい』でデビューされた林先生も、70歳を越えられ、そろそろ終活に入られた模様。残りの人生をいかに健康に、充実させて生きるか、膨大な蔵書の処分法を始め、この世を去るに当たってあらかじめ考えておかなくてはならない事々にどう対処するか、なんてことに思いを馳せつつ、自分としても心がけ、かつ、他人にも役立ちそうなことを披歴された本。 まだ辛うじて50代の私からすると、まだちょっと早いかとも思いつつ、しかし、一回り人生の先輩に当たる林先生の人生仕舞の方策を、ちらっと読んでおこうかなと思いまして。そういう意味で、面白い本でありました。 ところで、この本の中に、「定年を迎えて個/弧として生きる」ことを心掛けるべき年代に差し掛かったら、流行の本なんか追わずに、古典を読むべきだ、という一節がある。 で、その中で林先生が勧めていらっしゃる何冊かの本の中に、薄田泣菫の『茶話』というのがあった。 私は読書の方向性に偏りがあるもので、恥ずかしながら今まで薄田泣菫の書いたものを読んだことがないんですわ。 ところが林先生のお話しからすると、この薄田泣菫という人、英語が読めたようで、アチラの本からの引用がふんだんに含まれる『茶話』という暢気なエッセイ集があるとのこと。 で、本書には『茶話』からの引用もあるのですが、それを読むとこれがなかなか面白い。ということで、早速、アマゾンに注文をかけちゃった。 林先生は冨山房百科文庫の三巻本を勧めていらっしゃいますが、それ全部読むの大変そうだなと思い、とりあえず岩波文庫の方を買っちゃった。林先生、ごめんなさい。これこれ! ↓【中古】 茶話 岩波文庫/薄田泣菫【著】 【中古】afb ということで、今はこの本が到着するのを楽しみに待っている状態なのですけど、こうやって一冊の本を読んだことがきっかけとなって、それまで読んだことのない作家に手を伸ばす、なんてのも、読書の醍醐味ですな。 さて、明治時代に英文を読みこなしていたという意味で、私の大先輩に当たるお方であるわけですが、そんな泣菫先生は、私のお気に入りになるのか否か。興味津々というところでございます。
February 15, 2021
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昨夜の地震、ちょっと怖かったですね! 私は書斎で書き物をしていて最初気が付かなかったんですけれども、リビングの方から家内の「アレ? 地震?」という声がするので、ふと顔を上げると、確かにゆらーりと。 で、そこからさらにゆらーり、ゆらーりと来て、その揺れがなかなか収まらない。なんだか眩暈がしているようで、気味の悪いこと限りなし。 あー、この感覚! 10年前の東北の地震の時と同じじゃん! あの時も、ゆらーり、ゆらーりとサイクルの長い揺れが収まらず、不安になって思わず研究室から廊下へ飛び出したのでした。 で、すぐにテレビをつけると、案の定、福島の方で震度6強の地震とのこと。あー、やっぱり! でも、まあ、今回は前回ほどの被害が出なかったようで一安心。もっとも、それなりに被害を被った方々も居るのですから、良かったとは言えませんが。 しかし、地震はあるわ、台風は来るわ、大雨による土砂災害はあるわ、夏は暑いわ、冬は豪雪だわ、日本という国も、なかなか難儀な国ですのぅ・・・。
February 14, 2021
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大学は期末試験のシーズンでありまして、私も採点に追われているんですが、今回、私は自由英作文の課題を出しましてね。テーマは「コロナ禍での私の生活」。このテーマに沿って、それなりの長さの文を英語で書けと。 で、提出されたものを見ると、英語としてはなかなかよく書けているものがある。時には関心するほど高度な内容のことを、達意の英文で書いてくるものもあって、感心させられたり。ちなみに「12個の基本動詞だけを使って書け」という制約を課しているので、一般の英訳ソフトを使ってこの宿題をこなすことはできません。そこは、ちゃんと考えてあるのよ。 だけど・・・。 学生たちが異口同音に英語で訴えてくるのは、コロナで大学に行けず、つまらないと。しかも、なぜつまらないかというと、友達とつるめないからだと。 まあ、このクラスは1年生なので、せっかく受験を勝ち抜いて大学生になったのに、キャンパスにも通えず、同級生とも知り合いになれず、したがって友達もできず、入学前に大学生活について抱いていた夢の当てが外れたと、そう言って来るのが多いんですな。 でも、そういう文ばっかり読まされると、不思議な気がするんだよね。こいつら、大学に何しに来るつもりだったのか?と。 友達100人つくるつもりで来てるの? それはさあ、小学校1年生の話でしょ。大学なんてのは、勉強しに来ればいいのであって、別に同級生に会わんでもいいんだよ。たまたま同級生になっただけで、別にその人たちと付き合わなくちゃいけない義理なんて一つもないんだから。 コロナ禍なんてのは、勉強にはもってこいの環境じゃん。家に籠って勉強すればいいんだから。勉強して、勉強して、限界が来たら人のいないところに散歩でも行けばいいだけの話であって。 ましてや、同学年のライバルたちはモチベーション失ってるんでしょ? 今ここで頑張れば簡単に一頭地抜ける。まさにチャンスが向こうからネギしょってやって来たようなもんじゃないの。 ・・・って、どうして思わないのかな。普通に考えたら、今がチャンスだって分かるでしょうに。 とまあ、「友だちが作れなくてつまんない」という内容ばかりの英作文を読み上げながら、いい大人が何しているのかなと、いささか呆れているワタクシなのであります。
February 13, 2021
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名著『ことばと文化』で知られる慶應義塾大学名誉教授・鈴木孝夫先生が逝去されました。享年94。 鈴木先生は慶應で長く教鞭を執られた方ですが、英文科ではなく、言語文化研究所という附属研究所の御所属だったので、学生時代、私自身はその謦咳に接したことはありませんでした。 しかし、鈴木先生は私の恩師・大橋吉之輔先生とほぼ同年代であり、また慶應に勤められたのも同じくらいだったので、ラテン語の藤井昇先生も合せて、当時「三羽ガラス」と呼ばれたのだと、私は大橋先生から伺ったことがあります。 で、学内で色々と嫌なことがあると・・・つまり上の先生方からうるさいことを言われたりすると、三人で海まで(当時、三田のキャンパスを下れば、すぐ海辺だった)散歩していって、海に向かって「〇〇の馬鹿野郎~!」などと叫んでうっぷん晴らしをした、なんてこともあったそうで。 その大橋先生が亡くなられて早四半世紀。その一方、鈴木先生は矍鑠としてお元気で、つい最近まで旺盛な活動をされていた。そのお元気なご様子を寿ぎつつ、私の大橋先生も鈴木先生にようにご存命でお元気であられればよかったのになぁと、よく思ったものでございます。 で、2013年に私がとある本を出した時、その本の中に大橋先生のこともチラッと書いたんですな。すると鈴木先生もその本を読んで下さったらしく、ある日突然、私の自宅に鈴木先生からお電話があって、わーーーーっと一気呵成に感想を述べられた。まるで40歳近く年下の私のことを、はるか以前から知っていたかのように。 それにはビックリしましたが、鈴木孝夫先生というのは、直情径行と言いますか、「いい」と思ったら、まっしぐらに本人に向かって「いい」と言って下さるような、そういう素直さ・・・大先輩に向かってそういうことを言うのは失礼かもしれませんが、子供のような素直さがありました。 ま、私は鈴木先生のことをそれほど深く存じ上げているわけではないので、鈴木先生がどんな先生だったか、本当のところは分かりません。しかし、私個人としては、一度だけ直接お電話でお話をして、温かい言葉で励ましてくださった、その時のいい思い出だけが、鈴木先生の思い出として深く心に残っております。先生のご冥福をお祈りいたします。合掌。これこれ! ↓ことばと文化 (岩波新書) [ 鈴木孝夫 ] あと、今日はもう一人、ジャズ・ピアニストのチック・コリアが亡くなったんですよね・・・。 一度聞けばそれとわかる、特異なピアノ演奏で一時代を築いたピアニスト。一番好きなのは、やはり『Now He Sings, Now He Sobs』ですが、カモメのアルバムもまた、1970年代という妙に明るい時代のことを思い出させてくれるアルバムとして、忘れられないものでございます。一ファンとして、ご冥福をお祈りいたします。合掌。これこれ! ↓ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス [ チック・コリア ]リターン・トゥ・フォーエヴァー [ チック・コリア ]
February 12, 2021
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義兄からもらったフォルクスワーゲン・ポロ。車検が近かったので、今日、フォルクスワーゲンのディーラーに行って、車検を取ってきました。バッテリーの寿命が尽きかけていたということで、その交換代も含め、車検代は計22万円也。まあ、22万円で中古のポロを買ったと思えば、安いものでございます。 ま、先日の陸運局でのナンバープレート交換に始まって、今回の車検取得で、ようやくこのクルマも正式に我が家に嫁入り・・・いや、ポロはどちらかというと元気な男の子という感じのクルマだから、婿入りかな?・・・という感じになります。 で、そんな感慨を抱きながら家からディーラーまでの道のりを往復していたわけですけど、なかなかいいクルマですな。特に動力性能に関しては、超滑らかでパワーもあってとてもいい。燃費もそこそこ良さそうだしね。 ところで、そのディーラーですが、フォルクスワーゲン専門店ではありますが、系列から言うとネッツ・トヨタ系なのかな? そのせいもあって、客対応が完全にトヨタっぽい。ということはつまり、下へも置かぬ、という充実のサービスぶり。車検整備のためにしばらく時間があるということで、ディーラー・マンが話し相手になってくれたり、試乗を勧められたり。 ということで、ついお言葉に甘えてフォルクスワーゲンのコンパクトSUV、「T-ロック」に試乗することに。 乗ったのは2リッターのディーゼル車。今「T-ロック」の搭載エンジンはこれ一本なのだそうで。 で、乗ってみたところ、車両感覚的には今私が乗っているルノー・キャプチャーに近いこともあって、実に乗りやすい。いいクルマです。ただ、ディーゼルエンジンは、静止した状態からの走り出しで、ややもっさりするかなと。スピードに乗ってしまえば、別に問題はないんですけど、最初のひと踏みでサーっと走り出してくれないのが、ちょっともどかしいかも…。その点では、1.2リッターのポロの方がよほどスムーズですからね。 でも、フォルクスワーゲンのクルマってのは、クオリティが高いのは間違いないな。 とまあ、今日はそんな感じで、終日クルマと係わる一日となったのでした。
February 11, 2021
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ひゃー、ようやく論文一個、書きあがりました。 先日、終わったようなことを書きましたが、あれからまた推敲して推敲して、100回くらい書き直してようやくっていう。でも、もう提出しちゃったから、後はもう一つの論文の方に集中すればいい。 ま、それはいいのですが。 今回、提出した論文は、もちろん、私が書いているんだから、アメリカ文学に関する論文なわけですが、それが掲載される媒体は、文学プロパーの媒体ではないのね。 ないどころか、教育科学系の雑誌なので、全然違う。 で、私以外の、教育科学畑の研究者さんたちの論文をチラ見するんですけど、まあ、これが文学論文とはまったく趣が違う。だから、そんな中に私の論文が入ると、まあ、場違いったらありゃしない。 私からすると、教育科学畑の論文って、超つまらないのね。だって、事実の報告だけなんだもん。こういう指導をしたら、学生たちの反応はこうでした、っていう。それ読んだからって、「なるほどぉ!!!」とはならない。 でも、向こうから言わせたら、私の論文には事実がないじゃないか、ってことになるんだろうね。だから、教育科学畑の人たちから見たら、私の論文は超つまらなく思えるのでしょう。 まあ、双方で相手側のことを「つまんねえな!」って言っているんだから、世話ないですわな。 でもさあ・・・。教育系の論文はつまんないわ~。アンケート調査とかの集計ばっかりなんだもん。 つまり、同じ人文系とはいえ、畑が違うと作物も違うと。そういうことですな。 でも、まあ、仕方がない。とりあえず彼らからは「何コレ?」って思われながらも、私は私で自分の信じる道を行くしかない。自分のことだけ考えて、前に進もうっと。
February 10, 2021
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人間ドックの腫瘍マーカーの数値があまり良くなかったもので、今日は人間ドックを受診した当の病院に行ってお医者さんと面談して参りました。 ま、結果から言うと、それほど心配ないとは思うが、とりあえず近くのクリニックでCTスキャンくらい撮って置いた方がいいんじゃね? ということだったので、そうすることに。 面談している先生の感じも、さほど切迫している感じはなかったので、多分、大丈夫かな・・・。 しかし、腫瘍マーカーの数値が悪いと言われた時は、やっぱりちょっと心配になりましたよ。私は100歳まで生きたい方なので、こんな道半ばで死ぬわけにはいかんし。 とはいえ、私も長年自己啓発本の研究をしている身。こういう時こそ、自己啓発思想で、死の恐怖を乗り越えなければ! と、思って読んだのが、マルクス・アウレーリウスの『自省録』。これ、前に読んで非常に感銘を受けたもので、今こそ再読しようかなと。 で、読んでみたら、これがね、やっぱりいいのよ。すごくいい。 特に死に直面した時に読むと、とってもいい! マルクス・アウレーリウスは、もちろん、古代ローマ帝国の皇帝なわけですが、その絶大なる権力者にして、こういう覚悟で生きていたのかと。そのことだけでも感銘深い。 でね、マルクス曰く(友達呼ばわりで申し訳ないけど)、お前の体を構成している原子にとって、お前が死のうが何の不都合もないと。ただ元の原子に戻って宇宙に帰っていくだけだと。それと同じで、お前も死のうが生きようがおんなじだという気で、日々生きろと。 そもそもこの世というのは、繰り返しなので、100年生きようが200年生きようが、同じ風景を見るだけなのであって、今死のうが、50年後に死のうが、はたまた100年後に死のうが、まったく同じ。 しかも、人間ってのは、この瞬間しか生きていないので、死ぬというのは誰にとっても今この瞬間を失うだけだと。そう考えたら、早死にする人も、長生きする人も、失うものは同じなのであって、長生きしたから得したとか、そんなことは一つもないと。 それに、宇宙というのは、神がうまいこと回しているんだから、お前がいつ死のうが、それも全部計算済みであると。そういう定めなんだから、ただ受け入れるだけでいいんだと。だから、死ぬ直前まで平常心で普通に暮らせと。 ま、そういうことをクールにおっしゃるわけですよ、皇帝は。 なるほどね~って思うじゃない? そうかそうか。そう言われればそうだよね。これ読んだら、もう私も死ぬ覚悟が出来ました。 ということで、マルクス・アウレーリウスの『自省録』、改めて教授のおすすめ!です。ひょっとして、今まで読んだ数多の自己啓発本で、これが最高・最良かも。これこれ! ↓自省録改版 (岩波文庫) [ マルクス・アウレリウス・アントニヌス ]
February 9, 2021
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学生に英語を書かせる試験を課すと、そのあまりの出来なさ加減に仰天させられるんですけど、中でも多い間違いが、be動詞と本動詞をごっちゃにする・・・というよりは、一つの文の中にbe動詞と本動詞を並べるという間違いでありまして。 まあ、多いのよ、それ。私からしたら信じられないわけ。だってさ、基本的に一つの文に動詞は一つよ。なんで二つの動詞を一つの文にぶち込むわけ?? で、実家に帰った時、たまたま話題がその話になって、「最近の学生は、こんなだよ」ってな話をしたんですわ。すると、姉がこんなことを言い出した。 姉曰く、多分、be動詞と本動詞を混ぜる学生たちは、be動詞を助詞だと思っているのだろうと。 ん? どゆこと? 以下、姉の説明の繰り返しなんですけど、例えば「私は学生です」を英語にすると「 I am a student.」になる。逆に言えば、「I am a student.」は、日本語では「私は学生です」となる。 そうなると、「I」 が「私」で、「a student」が「学生」なんだから、「am」は「は」に相当する。で、日本語の「〇〇は」の「は」は助詞だから、「am」は助詞、つまりbe動詞は助詞であると。そのように、お馬鹿な学生たちは考えるではなかろうかと。 で、be動詞が助詞であるとすると、「私はペンを持っている」を英語にすると、そう、「I have a pen.」ではなく、「I am have a pen.」となる。 おおおーーーー! そうそう、このパターン! be動詞と本動詞が並置される奴! 私の長年の疑問がついに解けた~! なるほどね! 今時の学生はbe動詞のことを助詞だと思っているんだ! わかった~!! じゃねえよ! be動詞は助詞じゃねえんだよっ!! いやあ。謎は解けたけど、なんでそんな初歩的な誤解が、中学校3年間、高校3年間、合せて6年間もの間、修正されないままなのは何故なのか、という新たな謎が生まれたのでした。 もうさ、大学受験の英語に関しては、巷で色々議論されていますが、そんなことよりも、中学校か高校か、どの時点でもいいから、 「be 動詞は助詞じゃないから!」 ってことを、誰か教えてやってくれ!
February 8, 2021
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小学校時代の恩師のお墓参りのために実家に戻っております。 先生が亡くなって39年、毎年2月の第1日曜日にお墓参りをすると決め、今年で39回目。私は39回とも皆出席。 いつも同級生が四、五人ほど集まるのですが、今年はさすがにコロナ禍中とあって参加者は私だけ。39回の墓参で私だけ、というのは今回が初めてかな? でも、一人で墓参するというのも、なかなかいいもんでしたよ。 いつもは友人たちが一緒なので、一通りお墓参りをしてしまったら後はもう近所のレストランで昼食会となってしまって、むしろそちらの方が中心になってしまうのですが、今回は何しろ私一人ですから、いつまででも居たいだけお墓の前に居られる。だから、今日は結構長々とお墓の中の先生とおしゃべりしてきました。 先生が53歳で亡くなった時、私はまだ18歳で、その時まで私は先生と大人の話をしたことがなかった。ただただ仰ぎ見るばかりでね。もうちょっと長生きしていてくれたら、もう少し自分の考えとかも先生にお伝え出来たのでしょうけれども。あるいは仕事の話とかね。 でも今日は一人だったし、周りに誰もいなかったので、恥ずかしげもなく声に出して墓の中の先生としゃべってきました。いい時間でした。 明日はまた名古屋で仕事があるので、今日はこれから実家で夕飯を食ってから名古屋に帰ります。
February 7, 2021
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元愛知教育大学学長・田原賢一先生がご逝去されました。享年81。 田原先生は現在の国立大学法人が、まだ国立大学だった頃の最後の愛知教育大学の学長でした。 当時の国立大学なんてのは、実にこの、ノンビリしたものでありまして。大学の仕事なんて毎年、ほとんど変わらないルーティーン・ワークばかり。要は何もしなくても毎年決まった額の・・・ということはつまりふんだんな・・・予算がもらえて、十年一日の運営をしていれば良かったので、学長の仕事も楽だったと思います。 楽な分、事務仕事に長けていなくても学長が務まったんですな。当時の学長の仕事というのは、要するに大学の顔になるということだけ。だからアカデミックな業績のある、そして人格面でも優れた学者が、教授会の推薦で学長に選ばれていた。田原賢一先生は、そういう時代の最後の学長でありました。 実際、田原先生は、数学者として立派な業績をお持ちで、しかし、決して偉ぶることもなく、会議で声を荒らげることもなく、まるで古き良き日本の田舎の人望ある村長さんみたいな感じで、鷹揚にニコニコされているような学長さんでした。 ただ、当時は学内の決まり事はすべて教授会での厳しい議を経てから決まっていたので、毎月の教授会での討論は実に激しいもので、8時間、9時間ぶっ通しの議論もざら、学内派閥や学科同士の権力争いの場ともなり、その討論のかじ取りを任されている学長は、なかなか大変だったと思います。 それでも、すべては教授会決定で決まっていましたから、決まったことに関しては「議論はし尽くした」というところがあり、誰もが納得して従っていた。その意味で実に実に民主的な運営がなされていたと言えましょう。 しかし、大学法人になってからは、文科省の指示で教授会が完全に形骸化し、学長は教授会の議を経なくてもなんでも決められるようになったので、ものごとは勝手に上の方からのお達しで決められることになってしまった。教授たちは大学運営そのものに興味を失い、大学がどうなろうと知ったことではない、という感じ。運命共同体であるという意識も無くなり、愛校心も無くなりました。教授会も、年に数回程度、形式的に行われるだけで、実態は上からの報告会に過ぎず、議論というものは一切なされないようになりました。 今、東大や筑波大、さらには旭川医科大などで、学長をめぐる様々な問題が生じていますが、これらもすべて同根の問題であります。 国立大学がダメになったのは、すべて法人化のせい。今後、日本の国立大はどんどんレベルが下がると思いますが、それも全部、法人化のせい。それが分かっているのに、誰も元に戻そうとしないところに、この国の限界が良く表れております。森さんを辞任させられないのと一緒。 まあ、そんな愚痴はおくとしましょう。 とにかく、田原賢一先生は、国立大が国立大であった頃の最後の学長として、立派に大学の顔を務められた。 ちなみに、田原先生は決して大酒飲みではありませんでしたが、熱い紅茶に一滴、風味付けにほんの一滴だけウイスキーを入れたウイスキー・ティーがお好きで、学長室を訪れる人がいると、たまにそれを振る舞って下さったものでございます。いい時代でした。 学長の任期を全うされ、引退されてからは、郷里の兵庫県にお戻りになられたようで、「丹波の黒豆で有名なところなんだよ」と伺ったことがありますが、晩年はそういうところで、ノンビリと穏やかな日々を過ごされたのでしょうか。 まだ国立大学が国立大学らしかった時代の最後の学長として、田原先生の優しい笑顔を思い出しながら、ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
February 6, 2021
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不適切発言で今をときめく森さんという人、あの人は・・・一体、何? 一応、発言を撤回して謝罪したとはいえ、あの発言は彼の本音でしょ。それは今も変わりないはず。みんなから「謝れ、謝れ」と言われるから謝って見せただけで、本心では「なんで謝らなきゃいかんの?」って思っているだろうし。 今でも彼は彼の全盛期だった(であろう)昭和の時代の感性で相変わらず生きているのであって、その感性の中では「女なんてお茶汲みやらせときゃいい」のままなんだろうね。そういうもんだろって。その後時代は変わったんだ、ってことにはおそらく気づいていない。 本人が分かってないんだから、そりゃ辞任はしないでしょ。だから、周りが詰め腹切らせなきゃいけない。さっさとそうすればいい。 だけど、それはそうとして、じゃあ何で彼は今の地位にいるのかっていうね。そこが分からないのよ、ワタクシには。 確かに首相経験者ではある。しかし、その時だって無能で、失言ばかりで、すぐに支持率落ちて辞めさせられたわけでしょ? なんの功績もないばかりか、迷惑かけただけっていう。 だからそのまま野に置いて腐らせておけばいいものを、なんか知らないけど、特にスポーツ系の分野でやたらに長に持ち上げられるじゃないの。 それはなぜ? 失点は多いけど、人柄が魅力的で・・・というのならわかる。森さんがトップだから、物事がうまく回るというのなら、わかる。 しかし、傍から見ていて人柄の点で彼にそんなに魅力があるか? たとえば田中角栄さんが人たらしだったというのは、いろいろなエピソードからわかるでしょ。だけど、森氏がすごい人情家だとか、こんないいことをしたとか、そんなエピソード聞いたことない。 それに、彼がそれほど有能かというと、とてもそんな風には見えない。悪いけど。 なら、なぜ長に持ち上げるのよ? 誰が持ち上げているの? 彼が長になっているメリットって、あるの? あるのなら、それは何? そこが分からないんだよな・・・。なんであんな過去の人を、オリンピックのような重要なイベントの責任者にしちゃうの? ほんと、ああいう人はさっさと引退させてほしいわ。
February 5, 2021
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『月刊みすず』の1・2月合併号は毎年「アンケート特集」で、大勢の識者に、前年に読んだ印象的な本を挙げてもらうという企画を組みます。で、私も期待に満ちて買っちゃった! 期待に満ちて、というのは、誰か私の書いた本を挙げてくれないかなと期待したから。 実は、今まで自分が本を出した時には、必ず何人かがこのアンケートで面白かった本として挙げてくれていたんですわ。で、今回も当然、誰かは挙げてくれるだろうなと。 すると・・・ ない・・・。ない・・・。こんなに沢山読書好きの人が揃っていて、誰一人として私の本を挙げてくれなかったっていう・・・。 ウソでしょ! マジかよ。自分で言うのもなんだけど、いい本だったのに。 ふーん。そうか。 しかし、アレだね。人に理解され、評価されるってのは、ホントに難しいもんだね。いい仕事すりゃ、ひとりでにそうなるってもんじゃないんだから。 はあ~。残念。 でもさ、今回のアンケートの答えを見ていて思うんだけど、「ほう、これは面白そうな本だな」と思う本が一冊もなかったね。むしろ、つまらなそうな本ばっかり挙げているなという印象が強かった。 専門家の人たちが、それぞれの分野の小難しそうな本ばっかり挙げているので、他の分野の人間からすると、全然興味を惹かれないんだよね。このアンケートの答え見て、「知らなかったけど、こんな面白そうな本があったのか~」ってなった本が一冊もないんだもん。一冊もだよ。これって、どうなの。私が悪いの? 私以外の人はこのアンケート見て、「あー、これも面白そうだ、これも面白そうだ。すぐに注文しなきゃ」って思うの? 以前は、私だってそういう風になったことがありますけど、今年の結果に関しては、そういうのが一つもなかったわ。 どうなんだろう。他の読書好きの意見が聞いてみたいな。今年の『月刊みすず』アンケート、どう?って。
February 4, 2021
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私の馴染みの・・・というか、贔屓にしている飲食店というのは、なぜか片端から潰れていくんですけど、また一軒、潰しちゃった。「鈴波」というお店の中部国際空港(セントレア)店なんですが。 鈴波というのは、お魚の粕漬のお店で、これがまあ旨いのなんのって。これを食べたら、他の粕漬が食べられなくなるくらい旨いのよ。 で、その鈴波がセントレア空港に出店していて、私は海外に出張する度に、ここに寄るのを楽しみにしていたわけ。 行きに寄る時は、「ああ、これからしばらく、旨い日本食が食べられなくなるんだなあ・・・」という感慨と共に「最後の晩餐」的な感じで食べるし、帰りに寄る時は、アメリカでの食事に飽き、和食に飢えている、その飢えを癒すためにここに寄って、そのあまりの旨さに落涙しながら食べたわけですよ。 だから私にとって鈴波のセントレア店は必要欠くべからざるお店だったわけ。それが・・・。 まあ、これもコロナの影響なんでしょうなあ。セントレア空港は今、開店休業状態だというし。 どうなんだろう、今回の閉店は、永久的なものなのか、それともコロナ禍だけの話であって、これが過ぎればまた復活するものなのか・・・。そうであってほしいけど。 コロナの奴~!
February 3, 2021
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今日は・・・節分? なのかな? 節分は2月3日、と体に染みついているので、今日が節分と言われてもイマイチ、ピンと来ませんが、まあみんなが節分だというから節分なんでしょう。 で、そうなれば恵方巻ですよ。 まあ、関東で育った私からすると、節分の日に恵方巻を食べるなんて習慣はありませんでしたが、食べてみれば美味しいので、このところ素直に喜んで食べております。南南東の方を向いて、パクリと。 だけど、あれだね。ついつい、豪華海鮮〇種類! みたいなのに惹かれてそういうのを買っちゃったりしますけど、太巻きってのは、やっぱりバランスが重要で、そんなに海鮮系の具がどっさり入ったものより、適当に干瓢とか、シイタケの煮たのとか、キュウリとか、そういうのが適宜入っていた方が旨いね。 で、あとは豆撒きか。 豆撒きと言えば、死んだ父が好きでね。絶対にいい加減にはしなかった。むしろ、豆撒きをするご家庭が減ってきたのを残念がっていた風がありました。だから、ことさらに大きな声で「鬼は外、鬼は外! 福は内、福は内、福は内!」と撒いていたもんですわ。福は内の方を一回多く言うのが父流でね。 だから、その伝統は私が引き継いで、今日もこれからやるんだ、豆撒き。今年ばかりは、「コロナ外!」かな。
February 2, 2021
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仕事の都合で、立花隆の『臨死体験』という本を読んでいるのですが、これがなかなか進まない。ずんずん読み進められないんですわ。これこれ! ↓臨死体験 上/立花隆【1000円以上送料無料】臨死体験 下/立花隆【1000円以上送料無料】 立花隆って・・・結局、どうなんですかね? 私が読んで割と面白いと思ったのは、『宇宙からの帰還』ね。だけど、それ以前の田中角栄研究とか、共産党研究ものとか、そういうのは興味もないから読んだことない。 で、近年では、「俺なんてこんなに沢山本読んだもんね」ということを自慢する本を次々と出していて、そういうのもチラッと買って読んだけれど、ふーん、沢山読んでエライね、という感想しか言えなかったという。これこれ! ↓【中古】 ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論 /立花隆(著者) 【中古】afb ま、確かに、沢山本を読むんでしょう、この人は。だけど、情報を得るためだけの読書って感じだし、『臨死体験』という本についても、情報はあるけど何にも味わいがない、って感じのシロモノで、つまんないんだよね! 他のことならいざ知らず、臨死体験というテーマは人の生き死にのことじゃん? それを、猛烈に文献読んで調べました、人にもインタビューしました、ってだけの感じで書かれてもねえ。 で、思うのだけど、立花隆って、結局、どうなんだろうね。死んだ後、評価される人なのか、それとも速攻忘れられる人なのか。 なんとなく、〇者のような気がしない? ま、人のことはいいけどね。 だけど、とにかく、この本がなかなか進まないのは、私の仕事の都合からしてとても都合が悪い。どうしようかな。後回しにしようかな。後回しにしたら、一生読まなそうだから、とりあえず無理にでも読むかな。 どうすりゃ、いいの? 誰か立花隆の読み方、教えて~!
February 1, 2021
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