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夕べは素晴らしいコンサートを聴いてきた。「交響曲第5番」といえば、昔はベートーヴェンの曲を連想したが、いまはマーラーの曲を指すようになった。それほど演奏頻度が高く、また人気も高い。つまり、かつてはベートーヴェンの交響曲第5番をどれだけ深く演奏できるかが指揮者の尺度だったが、いまはマーラーの交響曲第5番が指揮者の実力や音楽性を判断する「グローバル・スタンダード」になった。そう考えるなら、マイケル・ティルソン・トーマスこそ現存する最高の指揮者のひとり、少なくとも「トップ10」に入ると考えていいと思う。1990年から2000年までPMFの芸術監督をつとめたトーマスを聴くのは9年ぶり。バーンスタインの横で育ちのよいお坊ちゃんという風情を漂わせていた46歳のトーマスも、気がついてみれば65歳。2000年にPMFオーケストラを指揮したショスタコーヴィチの「交響曲第11番」も超のつく名演だったが、今回の演奏は以前とは格が違った。どこまでも自然で優しく、すべての音が生まれたばかりのようにみずみずしく響き、マーラーの複雑なスコアからきわめて立体的な音楽を引き出していた。実は、トーマスは好きな指揮者ではなかった。近・現代作品では冴えた演奏をするものの、コンピュータ・グラフィクスのような人工くささがあった。彼が指揮するとオーケストラがブラスバンドみたいな音色になるのも疑問だった。たしかに、65歳の今も、カリフォルニアのセレブらしく、どろどろした怨念とか、暗い情念とか、陰のある響きとか、そういうものを彼の音楽(作曲家でもある彼の作品も含めて)から聴くことはない。だから、同じマーラーでも2番とか6番はどうなのだろうとは思う。しかし、この5番では彼の持っている資質がすべてプラスに働く。カリフォルニアの太陽に照らされたかのような、スコアの細部まで目に見えるような明晰さは聞き慣れたこの曲のあちこちに隠された仕掛けを「発見」する喜びを堪能させてくれたし、力みがとれ、決して煽ることなく音楽そのものに語らせるような演奏は、聞き慣れたこの曲が、たった今作曲され、そのインクが乾いていないかのように、つまりこの世に生まれたばかりのように聞こえたのだ。トーマスがこの9年の「不在」の間に獲得した巨匠性は、曲が始まってすぐわかった。第一楽章、トランペットの陰鬱なファンファーレが終わり、小休止ののち、弦楽合奏が前拍で始まる第一主題を奏でる。その付点音符の二つの音を、さりげなく、しかし許容されるぎりぎり限度までいっぱいにゆっくりと歌わせたのである。これはたいへんなことが起きる。そう直観したが、その通りになった。特に素晴らしかったのは第4楽章のアダージェット。こんなに上品で気高く純粋な「アダージェット」は、録音を含めて過去に例がない。長いフレージング、一瞬の弛緩もない盛り上がり、しかし節度を保ったクライマックス・・・その指揮姿は、同じロシア系ユダヤ人だったバーンスタインが乗り移ったかのようで、ほとんどオカルトの世界に達していた。前半に演奏されたのはトーマスのブラスアンサンブル曲「ストリートダンス」。陰のない独特の明るい叙情が魅力的な曲で、CDではよさはわからなかったが、実演では非常にチャーミングに聞こえた。きっと、野外で演奏したらもっと魅力的に響く曲なのだろうと思う。PMFOメンバーの実力は年によって若干のぶれがある。今年は木管がいまいちな反面、金管に優れた奏者が多く、特にこのマーラーの5番でソロを吹いたトランペットの女性奏者はソリストとして立っていける実力の持ち主。ホルンのトップも素晴らしかった。このレベルになると、ベルリン・フィルやウィーン・フィルのトップと遜色ないか、ひょっとすると凌駕している。マーラーは対抗配置による演奏。10年以上前にマーラーの交響曲第1番をやったときは通常配置だった。飽くことのない作品研究の成果が演奏にも反映されていたと思う。ブラボー、トーマス。ずいぶん待たされたが、待った甲斐はあった。ウィーン・フィル定期常連メンバーへの登用は-ウィーン・フィル首脳がバカでなければだが-火を見るより明らかだ。
July 26, 2009
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PMFオーケストラは、会期中に3つのプログラムによるコンサートを行う。今年は、かつて芸術監督だったエッシェンバッハとティルソン・トーマスがそれぞれマーラーの交響曲第2番と交響曲第5番を指揮した。もうひとつのプログラムを任されたのが、中国の若手女性指揮者シャン・ザン。全く未知の指揮者で、経歴等も不明だが、大指揮者の素質十分。若いころの小澤征爾を思わせる指揮ぶりで、若々しく昇り調子の音楽家を聴く喜びに浸ることのできた一夜だった。前半はアンドレ・ワッツを迎えてベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。ワッツを聴くのは2回目だが、この人がステージに出てくるととたんに雰囲気がゴージャスになる。トーマスにもそういうところがあるが、華がある、というよりアメリカという国の底力を感じさせるような威厳を感じさせる。演奏の印象も同じで、いかめしさのまったくない、さりとて流れすぎることもない堂々としたベートーヴェンが繰り広げられていく。今回はワッツのソロ・リサイタルは行かなかったが、やはり行っておけばよかったかな、と思いながら聴いた。オーケストラは少し堅さが感じられた。交通整理はよく行き届いていたものの、協奏曲の演奏には不慣れなためか、安全さに気をとられて小さくまとまってしまうところが、特に木管のソロ・パートなどに散見された。とはいえ、ワッツの巨匠性豊かなピアノに位負けしていなかったのはさすが。後半はラヴェルのラ・ヴァルスとストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」。「ラ・ヴァルス」は、2008年12月札響定期での高関健指揮による超名演が記憶に新しい。熱せられた鉄塊がある温度に達すると黄金色に輝くが、この曲をレナード・バーンスタインに直接教わったという高関の演奏はまさにそのような輝きを発していた。シャン・ザンの演奏はそれに比べるとクールで意外に淡白。中国の演奏家は独特の粘りのある大陸的な演奏をすることが多いが、東洋的にあっさりしていた。世阿弥は最高の芸術家は10歳までで、次が10代、その次が老年、いちばんダメなのが20代と喝破している。その伝で行くと、クラシックの指揮者は20代が10歳までで、30代が10代に相当すると思う。「火の鳥」を指揮するシャン・ザンからは、若々しい昇り調子の音楽家からしか聴けないしなやかさとみずみずしい歌心、清新な音楽を聴くことができ感動的なストラヴィンスキーだった。先日、FMで韓国のインチョン市立合唱団の演奏を聴いたが、すばらしいものだった。いくつかの例外を除いて、クラシック音楽の演奏は日本人がいちばんいいと思ってきたが、近い将来、クラシックを聴くならアジアの演奏家に限るという時代が来ると思う。
July 18, 2009
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PMFウェルカム・コンサートではPMFメンバーが参加していたが、このコンサートは札響単独。ただしソリストにPMF講師陣を招き、レジデント・コンポーザーの作品をプログラムに入れることで「PMF色」を出していた。指揮は高関健。高関の指揮ならかなり面白く聴けるだろうと思ったバルトークの「管弦楽の協奏曲」が期待はずれだった。PMFオーケストラやPMFアニバーサリーオーケストラを同じホールで直近に聴いた耳には、札響は平板な響きに聞こえるし、ソロのパッセージも華麗とは言いがたい。たとえばピチカートは三味線のようなペン・ペンという乾いた音がして響かない。こうした「響きの平板さ」は日本のオーケストラに共通した弱点だが、これはやはり響きに対する感性の違う外国人メンバーが増えないと解決できない問題だと思う。前半はペーター・シュミードルとマンフレート・プライスのソロでクロンマーの「2つのクラリネットと管弦楽のための協奏曲」と、東京カルテットを迎えてレーラ・アウエルバッハの弦楽四重奏と室内オーケストラのための「Fragli Solitude」。どちらも凡作で、しかも後者は演奏の完成度もいまひとつ。最近の「現代音楽」からは前衛性が失われてしまったような気がするが、アウエルバッハの音楽も同じで、練達な筆致ではあるものの音楽への根源的な問いかけはない。前衛音楽の死はクラシック音楽の死を意味すると思うが、もしかするとクラシック音楽はもう死につつあるのかもしれない。それは思い過ごしと思いたいが、全体に不完全燃焼の印象が残るコンサートだった。
July 17, 2009
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PMFオーケストラの最初の演奏会はマーラーの大曲、交響曲第2番「復活」。エッシェンバッハの指揮でこの曲を聴くのは2回目。以前は、リハーサルまで全部聴いた。指揮者エッシェンバッハを初めて聴いたのは1986年にチューリッヒ・トーンハレでメーンプログラムはブラームスの交響曲第1番だった。PMFでのエッシェンバッハ指揮のプログラムはすべて聴いた。大曲が多く、マーラーの交響曲第5番、第6番、ブルックナーの交響曲第8番など。しかし、どれも印象に残っていない。結局、最初に聴いたブラームスが最も好印象で、そのことだけに注目すれば、エッシェンバッハはこの四半世紀、全く進歩していないということになる。しかし、そうではない。指揮者エッシェンバッハは進歩した。今回の「復活」でもスケール感や迫力は増したし、音楽の掘り下げも深くなった。それなのに、たぶん来年の今ごろにはこのマーラーを聴いたことも忘れてしまっているだろうと思う。それは、エッシェンバッハが、わたしが好ましいと思うのとは逆の方向に「進歩」しているからなのだ。今までに聴いた最低の音楽はエッシェンバッハが指揮した武満徹の「弦楽のためのレクイエム」である。幽玄で静かなテンションの高いこの曲を、エッシェンバッハはまるでベルクのオペラのように指揮した。あの繊細なスコアからどうやったらこういう音楽を読み取ることができるのか。異文化に対する無感覚、自分の音楽への傲慢な自信に、ほとんど敵意を感じるほどだった。マーラーの音楽にも、幽玄な瞬間はたくさんある。素朴な自然の響きもあちこちにこだましている。しかし、エッシェンバッハはそういうものもすべて油絵のように厚く塗り固めてしまう。つまり、水墨画や水彩画のタッチが必要な部分まで油絵の具を使うので全体としての音楽の印象が不格好になってしまう。こうしたエッシェンバッハの感性、音楽性は、あえていえばヨーロッパ中心主義という文化帝国主義から生まれている。ナチスに両親を殺された音楽家が、音楽においてはナチスの役割を果たしているというパラドクスがここにある。ウィーン・フィルのメンバーが首席を固めたPMFオーケストラは、やはりそうでない場合と比べてまとまりがいい。アンサンブルの難所の多いこの曲が、エッシェンバッハの稚拙な棒にも関わらず完璧に演奏されたのは、こうしたメンバーの役割が大きかったと思う。ソリストはカーティン・ブレイズとペトラ・ランゲ。札幌のアマチュア合唱団の選抜メンバーによるPMF合唱団共々、よく健闘していたが、エッシェンバッハがオーケストラを煽りすぎるのでバランスが悪く、クライマックスで埋没してしまっていた。
July 11, 2009
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ザ・スーパー・トリオは、ソプラノの足立さつき、クラリネットの赤坂達三、ピアノの斉藤雅広の3人によるユニット。デビューまもないころの足立さつきさんと会って、この人は伸びると思ったことがあった。しかしその後実演に接する機会がないまま20年が過ぎた。ここらで一度生の声を聴いておきたいと思い、江別のえぽあホールまで足をのばしてきた。ちなみに、わたしくらいになると、演奏を聴かなくても才能のあるなし、大成するかどうかは会って数分話をするだけでわかるものである。そんなわけでお目当ては足立さんだったが、どうしてどうして、他の二人もなかなかの「役者」で、また来たいと思わせるパーティのような楽しい二時間だった。プログラムはフランス音楽を集めた1部に続いて「星」にちなんだ愛唱歌をメドレーにした第2部、そしてウィーンにちなんだ音楽を集めた第3部という構成。非常に陽性な斉藤、見かけによらず朴訥な赤坂、そしてコケティッシュな魅力のある足立と、3人がステージに揃うだけで、ちょっとしたオペラや芝居の一場面が始まるのかと思わせるよう。それぞれの放つ「気」が独特のオーラを生むのを興味深く観た。テレビで観る足立さんはふっくらと肉付きよく成熟した女性の魅力を感じさせるが、実物はびっくりするほどスリムで小柄。20年前とほとんど変わっていないと思うほどだった。声はいまが盛りで、ちょうど旬の時期だと思う。リリコ・レッジェーロ、声質はやや線が細めだが、フランスものにはちょうど合う声である。足立さんだけでなく、この3人はいまが旬かもしれない。「楽しさ」だけは保証するので、この2~3年のうちに聴いて(観て)おくといいと思う。中学の音楽教師から歌手になった足立さんは、クラシックの女性声楽家にありがちな嫌みがまったくなく、ユーモアと知性の持ち主でファンは多い。年齢を重ねて、その魅力が損なわれていないどころか、格段と増していることに感銘を受けた。終演後、握手をしたが、手の小ささ、可憐さに驚いた。
July 10, 2009
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PMFアニバーサリー・オーケストラは過去19年のアカデミー修了生2400人の中から選抜して作られたオーケストラ。20周年を記念してメジャー・オーケストラに所属しているメンバーを中心に65名で編成したもの。選ばれたメーンの曲は第一回のPMFでバーンスタインがPMFオーケストラを指揮したシューマンの交響曲第2番で、指揮は過去7回、PMFの音楽監督をつとめたエッシェンバッハ。前半はベートーヴェンのバイオリン協奏曲で、ソリストは今年27才のエリック・シューマン。初めて聴くが、ルーマニア人のバイオリン奏者である父と日本人ピアニストの母を持ち日本語も堪能な人らしい。このベートーヴェン「バイオリン協奏曲」はあっさり演奏しないと退屈してしまう。それをエッシェンバッハはことあるごとに微細な表現にこだわり、フレーズの終わりをもったいぶってふくらませ必要以上に「音楽的」にするため、さらに冗長で退屈な音楽になる。それを救ったのがこのシューマンのソロで、終始引き締まり主情に流れない音楽を聴かせる。特に秀逸だったのがフィナーレのカデンツァで、こちらの耳がついていけないほどのスピードで超絶技巧を披露して圧巻。普通ならやり過ぎと感じるところだが、メタボな上にカロリー過剰なエッシェンバッハのベートーヴェンが、このカデンツァひとつできりっと引き締まった印象になったのだからすごい。約10年ぶりに聴くエッシェンバッハは、進歩したところも散見されたが、基本的なスタイルは変わらない。バイエルの練習曲でも大芸術に聴かせるような「もったいぶった」芸風は相変わらず。冒頭のぶよぶよした響きと鋭すぎるトランペットの音を聴いた瞬間、この演奏を聴く必要はないと判断し退場しようと思ったが、気持ちを切り替えた。エッシェンバッハの音楽にも長所がないわけではない。それを楽しみながら、彼のどこがなぜダメなのかを子細に観察してやろうと思ったのである。凡庸な指揮者なら情熱一本やりで歌い込み煽るようなところを、この指揮者はむしろテンポを落とし音量ではなく響きの豊かさで盛り上げようとする。これは効果的で、音楽に気品(のよなもの)が生まれる。それもいつもではなく、要所だけにとどめるので、くどくならずに済む。とはいえ、数分も聴いていると大体において手の内がわかってしまうので、ちょうどコバケンと同じで、次の展開が読めてしまう。ただコバケンの音楽にはどこか成長した音楽青年の初々しさがないわけではないのに、エッシェンバッハのそれは何の目的もなく筋肉を鍛え増やし続けているボディビルダーのように、細部がとめどなく肥大していく。シューマンの交響曲第2番のような音楽は前半2楽章には若々しさを、後半には人間の苦悩と傷つき老いながらも完成する、ちょうど傷つきながらどこまでも高く飛翔していく「よだかの星」のよだかのような歌を聴きたい。バーンスタインの演奏はまさにそういうものであった。しかしエッシェンバッハの演奏は響きと歌へのフェティシズムと要約してもいいようなもので、こんなものに感動するのは感性が後期高齢者になってしまった人間だけだろう。音楽に生命と若々しさと驚きと発見を聴きたいわたしのような「音楽青年」には無縁かつ無用の音楽。ブーイングの一つも出るかと思ったが、聴衆の多くが熱心に拍手を送りカーテンコールを繰り返しているところを見ると、札幌の聴衆は歳をとっただけで成熟にはほど遠いということだ。ただアニバーサリーオーケストラの完成度の高さには脱帽した。65人、二管編成の臨時中規模オーケストラとは思えないまとまったサウンドと精緻なアンサンブルの自発的な演奏には、その無私の集中で聴き手を熱狂させる要素があった。
July 6, 2009
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1990年に始まったPMFも20回目。第一回にはあった太平洋作曲家会議がなくなり、レジデント・オーケストラの招聘(しょうへい)や声楽コースもなくなるなど、全体としては縮小傾向にある。一方、室内楽コースが設けられたり、ウィーン・フィルやベルリン・フィルの首席奏者を講師に迎えるなど充実した部分もある。PMFオーケストラと札幌交響楽団のコラボレーションも数年前に始まったが、今回のPMFウェルカム・コンサート(札幌交響楽団演奏会)では、メーン曲のR・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」(えいゆうのしょうがい)でPMFオーケストラのメンバーが20名ほど札響に加わり、大きな成果をあげた。札響は大編成の曲目を演奏するとき、リタイアした元メンバーやフリー奏者をエキストラとして雇うが、そうしたケースと比べても一回り以上大きな音、輝かしい響きを聴くことができたのは、実力ある外国の若手演奏家が要所に加わったためだろう。これは、肌理は細かいが平板な響きの日本のオーケストラが行くべき道、つまり外国の優れた奏者の採用・登用の重要性を示していると思う。この曲は小澤征爾とボストン交響楽団の来日公演(1989年)の演目で、その圧倒的な名演が今も耳に残っている。だからどうしても点が辛くなる。尾高忠明の指揮でこの曲を聴くのはたしか3度目。PMFオーケストラのメンバーの協力を得てオーケストラの響きは格段と充実しているものの、単なる大音量ではなく音楽としての豊麗さ、この世のあらゆる美酒をブレンドしたカクテルをぶちまけるようなゴージャスな味わいはない。小澤征爾の演奏も淡白で清潔ではあったが、オーケストラのサウンドの豪華さとちょうどいいバランスになっていたのに比べると、音楽の流れも響きもやや即物的。6つの楽章が、小澤征爾の指揮では一本のはりつめた糸で綴じられていた感じがあったが、どうしても部分に解体してしまう。緊張感の持続と、エクスタシーの上にエクスタシーを重ねるような濃厚な表現を聴きたかったし、それが可能だったと思うので残念だ。前半はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」とモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」。後者のソリストはフルートのヴォルフガング・シュルツとハープのクサヴィエ・ドゥ・メストレ。シュルツはいつもながら実直だがおもしろみのない演奏。一方、ハープのメストレはやりすぎと思えるくらいテンポを動かし、古典音楽のフォルムを無視したかのような即興性をそこここで発揮するソリスティックな演奏。好悪の別れるところだろうが、こういうケレンはこの曲には合わないと思った。尾高の指揮はテンポ感覚に優れ、決して弛緩することなく溌剌としていて、ソリストよりもオーケストラの方が音楽的という奇妙なコンチェルト演奏。日曜のマチネーにも関わらず客席はやや寂しかったが、PMFオーケストラメンバーが加わっての演奏であることを、たとえば定期会員に事前にアナウンスしていなかったのは不思議。
July 5, 2009
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アンコールの3曲、山田大輔の独奏による「男はつらいよ」とデュオによるセルジオ・アサド「さよなら」「おやすみ」が素晴らしかった。特に、日本映画「夏の庭」の音楽として作られたという「さよなら」のデリケートな美しさには時間が止まったような感銘を受けた。クラシック音楽を聴いて40年にもなると、ほとんど知らない曲というのはなくなる。未知の素晴らしい音楽と出会う、というのはビギナーにのみゆるされている特権で、たとえば同じ映画を何度も見ると感動が薄れるように、よほどの「名演」でなければ感動しなくなる。しかし、それでもこの「さよなら」のような未知の美しい音楽との出会いに恵まれることがあるのだから人生はまだ捨てたものではない。吉住和倫は札幌の、山田大輔は神奈川在住のギタリスト。第35回日本ギターコンクールのオヌール部門(プロを目指す人のための最上級部門)で揃って入選したコンクール仲間らしい。どちらもまだ20代とおぼしき若者で、若手のホープ二人の共演ということになる(北海道立文学館)。ギタリストには優れた演奏家が多い。これは、比較的遅く始めてからでも上達しやすいからで、音楽にかけるパッションが、おけいこごとの延長で終わるバイオリンやピアノ学習者とは格段に異なる。吉住和倫の演奏はまさにそういうパッションを強く感じさせるもので、ドメニコーニの「トッカータ・イン・ブルー」、ヒナステラの「ソナタ」のような表出力の強い音楽を選び、ギターという楽器の枠を超えようとするかのような意志と迫力が印象的だった。とはいえバッハのリュート組曲第2番からの「プレリュード」ではたおやかさも聴かせて大器を感じさせた。山田大輔は吉住に比べると都会的に上品で、最初は線が細く感じられた。しかし、聴いていくとそれも個性のうちという説得力のある演奏で、特にスペインもの、アルベニス「カタルーニャ」などがあまり民族色を感じさせない洗練された演奏で清潔感があった。この人は作曲や編曲の才に恵まれているようで、「テッカメン」という自作曲も面白く聴けた。バッハの「シャコンヌ」は、実はギターによる演奏がいちばんこの曲に適していると思う。無難ではあったものの、この曲ではもう少しドラマを聴きたいと思ってしまう淡白な演奏。最後にデュオで2曲。ボッケリーニ「序奏とファンダンゴ」、セルジオ・アサド「ジョビニアーナ第1番」。フラメンコ音楽を取り入れた前者は、もう少しためを入れたりお互い挑発したりというゆとりや遊びがほしかったが、いずれ劣らぬ優れた技巧の持ち主二人のかけ合いが見事。アサド作品はプログラムの最後にふさわしい抒情性と華麗さが共存した佳曲で演奏も白熱した。それにしても複数のギターが鳴るときの響きの美しさは独特で、ソロとはまたちがった世界が広がるようだった。
July 3, 2009
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こんなにおいしいものがあったなんて!ジンギスカンなるものを生まれて初めて食べたときの、驚きと感動に満ちた瞬間のことはいまもありありと思い出す。1966年初夏の雨の日、わたしは9歳だった。北海道の小学校~高校には炊事遠足という行事がある。夏休み前のこの時期か秋に行われる。1968年(昭和43年)にわたしは小学6年だったが、夏休みに転校したので、この年は炊事遠足に二度参加するという幸運を得た。炊事遠足は、文字通り遠足と炊事を兼ねたものだ。学校の近くに適当な場所がある場合は学校からそこまで鍋や材料をかついで歩く。都会の学校だと、バスを仕立てて河川公園の近くまで行ったりする。遠足より炊事に重点がある。生徒は5~6人で班を作る。何を作るか相談して決め、材料の調達から当日の調理まですべて子ども自身で行う。今風に言えばアウトドア・クッキング。この炊事遠足の二大人気メニューがジンギスカンとカレーで豚汁を作るグループもあった。人気メニューは時代によって変わったらしいが、アタマの悪い子どもばかり集まった班ではレトルトカレーやインスタントラーメンを作ることもある一方(ホント)、料理上手な女の子が複数いる班ではフランス料理のフルコースが作られることもあった(ウソ)。札幌の小学校に転入して、クラスメートともさほどまだ親しくなっていない時期に体験するはずだった初めての炊事遠足は雨で中止になった。しかし、わたしたちのグループは宍戸くんという人の家でジンギスカンをやることになった。今なら室内でジンギスカンなんて考えられない。だいいち、炭を燃やすので危険だ。脂と煙もすごい。しかし、「宍戸くん」の家には全く家具がなく玄関から続く土間のある広い居間玄関があるというので、そこでやることになったのだ。今とちがい、木造の、隙間だらけの家だからできたことだった。それまで、羊の肉など食べたことがなかった。小学も6年生くらいになるとタレも自分たちで作ったりするのだが、4年生にはまだそんな知恵はない。タレは既製のものを使った。ベル食品が昭和31年に発売した「ジンギスカンのタレ」である。ちなみにジンギスカンのタレには二大勢力がある。もうひとつが「ソラチ」であり、ベルと人気を二分している。どちらかというとベルのタレを好む人が多いような気がする。ニンニクの風味がベルの方がわずかだが強いのである。それが北海道人の好みに合うのだろうと思う。類似のタレには青森の「スタミナ源たれ」がある。ベルのタレにかなり似ているが、スタミナ源たれがあくまで和風の範囲でぎりぎりエキゾチックなのに対し、ベルのたれは和風の枠を踏み越えてしまっている。元寇のときチンギス・ハーンの軍隊の沈んだ船から漂着したタレが元祖だ、と言われても信じてしまいそうなくらい独特の強い風味がある。何がおいしく感じたといって、このタレである。野菜や肉を炭火で焼く、豪快な野外料理が初めてだったことがあるが、しょうゆにリンゴ果汁やショウガ、ニンニクを溶かし込んだタレのおいしさには絶句した。切り込みの入った独特の形状の、いわゆるジンギスカン鍋で焼いたラム肉と野菜をタレにつけて口に放り込んだ瞬間、大げさに言えば人生が変わった。眠っていた野性の血が目覚めたというか、自分のルーツに気がついたのである。そもそも北海道はアメリカと同じで移民もしくは難民のようになって住みついた人が多い。物の考え方も合理的で因習は少ない。いわゆる結婚式はないし、葬式の香典には領収書を出す、そういう文化である。伝統だとかしきたりだとかそういう面倒なものとはなるべく関わりたくないし、関わらないようにしている人も多い。価値観や感性に、焼け跡・闇市の中から育った世代の人たちと共通のものが多いと思う。日本人なのだからこうでなくてはならない、こうしなくてはならない、というものの一切が虚構だということに気がついたのが、炊事遠足転じた室内ジンギスカンパーティの場だったのである。何をどう食べようと自由だし、どう生きようと自由だ。しょせん、移民・難民の末裔がわれわれであり、帰るところのある車寅次郎とちがい、われわれには帰るところもない。自分の居場所は自分で作らなければならない。買って住んだ土地が値上がりしたらさっさと売って次の開拓地をめざし、衰退産業の土地は捨てて成長産業の土地へ移り住む、これが行動規範なのだ。渋茶を飲みながら和菓子を爪楊枝で上品にちまちま食べるのは京都人にまかせておけばよい。ところで、室内ジンギスカンパーティの会場となった家の宍戸くんは、ずんぐりした体型で背が低く、無口な上にまったく笑うことのない、しかし気のいい子どもだったように記憶している。しかし、お母さんは若くてきれいな人だった。あのお母さんからあの子どもが産まれたとはにわかに信じがたかったが、「室内バーベキュー」の結果汚れた部屋を黙々と掃除してくれた後ろ姿が40年以上たった今も忘れられない。母が亡くなる1年くらい前、ジンギスカンのタレを使った肉野菜炒めを作って食べさせたことがあった。「こんなにおいしいものは初めて食べた」と驚いていた。ジンギスカンは何度も食べたことがあるはずだから、不思議なことだ。本州育ちの母は羊肉には抵抗がありあまり食べたことがなかったのかもしれない。ふだんはジンギスカンなどめったに食べない。本州から知人・友人が来たときにほぼ限られる。それでも1年くらい食べないでいると、禁断症状が出る。肉は何でもいい。ベルのタレの味をどうしても味わいたくなり、そうなるともう何も手につかなくなる。
July 1, 2009
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