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気がついたときには地面に叩きつけられていた。あちこち痛いが何とか動けそうだ。家までは5キロ、20分もあれば着く。自転車は何でもなかったので、また乗った。しかし翌日、どうも右肩が変。痛いし痛みの収まる気配がない。約20年前に原付で転んだときはもっと痛かったが、翌日には痛みはひいた。近くの病院に行ったところ、鎖骨骨折、全治二ヶ月と診断された。手術するかどうかぎりぎりのところだという。仕事で使ったりしなければ手術しなくて済むという。毎週、レントゲンで確認することになり、とりあえずは鎖骨固定ベルトを装着するだけでいいことになった。右手が補助的にしか使えないと、不便この上ない。靴のヒモを結んだり珈琲豆を挽くのは不可能。歯ミガキも難しい。とんだ災難だが、転んだところにクルマが来てはねられたりしなくてよかった。大難が小難で済んだと思うことにした。残念なのはジム通いが中断すること、筋肉が落ちてしまうこと。最近、糖質制限に関心を持っていたので、この際、段階的に糖質(主食)を減らしていくことにした。
April 30, 2009
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アルコバレーノという声楽研究グループの演奏会があるというので行ってみた(時計台ホール)。このグループに関しての予備知識はまったくなかったが、メゾソプラノの東園己という人を中心にしたグループで、たぶん、この人の門下生たちによる「発表会」的性格の濃いコンサートだったと思われる。最近出かけたコンサートはいずれも「当たり」だったが、このコンサートはハズレだった。数人をのぞいて、人前に出て歌うレベルではなく、ひたすら忍耐を強いられた。プログラムの最後にマスカーニのオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の中の合唱「祈り」がなかったら、途中で退席していたと思う。あえて名前をあげれば、このグループの中では高瀬麻裕海という人に(のみ)才能と将来性を感じた。しかしガマンをした甲斐があった。この「祈り」とその前のヴェルディ「美しい乙女よ」の4重唱で今野博之という素晴らしいバリトンを聴くことができたからだ。客演として招かれた若々しく迫力のあるこのバリトンは、他の出演者ばかりか、主宰者の東氏がかすんでしまうほどの力量を見せた。こんな優れたバリトンがアマチュアに毛のはえたような人たちの発表会コンサートに出ているのだから世の中は面白い、というか暗い。どんなハズレのコンサートでも収穫はある、という例だが、東氏のプロデュース力がこういうところに発揮されていたというだろう。
April 29, 2009
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小泉香織(ピアノ)、陣内麻友美(ソプラノ)、高杉奈梨子(ヴァイオリン)という札幌在住の若手音楽家が半年に一度開いているコンサートシリーズの第9回。会場に着いた時はギリギリだった。席に着くとほぼ同時に、モーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」が始まった。プログラムの予備知識がなく、不意打ちのように始まったこのモーツァルトは、しかしちょっとした驚きだった。端正で清潔で軽やかな、魅力的なモーツァルトで、この3人がいずれもかなりの実力の持ち主であることが明らかな演奏だったと思う。続いてモーツァルトのバイオリン・ソナタ第30番、シューベルトのズライカ1と2。休憩をはさんでシューベルトの「夜のすみれ」と「春に」、3つのピアノ曲。アンコールにモーツァルトのアベ・ベルム・コルプス。いずれも安定した演奏で、3人がみな、ソロ・リサイタルを開ける力量の持ち主であると感じた。が、やはり「主役」というべきソプラノの陣内麻友美という人の演奏にいちばん惹かれるものを感じた。何というか、知的に整えられ、言葉がよく伝わる歌唱なのである。ドイツ・リートやモーツァルトのオペラ・アリアなど、ぜひ彼女の演奏で聴いてみたいと思わせた。この日の演奏の一部はこの人のHPにアップされている。
April 28, 2009
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「奏楽」と書いて「そら」と読ませる。札幌在住の若手演奏家と札響首席オーボエ奏者の岩崎弘昌によって2008年に結成されたアンサンブルグループ。そのグループが企画したモーツァルトの協奏曲全曲を演奏するシリーズの第一回が開かれるというので行ってきた(江別えぽあホール)。演奏されたのはピアノ協奏曲第1番から第4番までとフルート協奏曲第1番。モーツァルトに限らず、大作曲家の作品といえども、実際に演奏されるのはごく一部。特に初期の作品が演奏されることはめったにない。しかし有名曲以外にも大作曲家ならではの閃きが感じられる作品というのは少なくないし、初期の作品を知ることは、より成熟した後期の作品の理解に資することも多い。というわけで、CDを買うときは全集を買うことにしているのだが、今回、モーツァルトの協奏曲全曲を実演で聴けるというので、隣町までわざわざ出かけてきた。出かけた甲斐はあった。20人弱のオーケストラは水準が高く、指揮者なしでもアンサンブルに乱れがなく、ソリストとのかけ合いにも積極的で自発的なアンサンブルが聴かれた。モーツァルトのピアノ協奏曲第1番から第4番までのすべては、モーツァルトの作曲ではなく、他の作曲家の作品を編曲したものだというのは、今回初めて知ったが、音楽そのものはともかく、響きはすでにモーツァルトのものになっているというのが発見だった。四人のソリストの名前を記しておくと、西條暁、前田朋子、中山真梨子、森希美。若手ピアニストというとどんな曲でもショパンやリストを弾くみたいに弾く、というのが一昔前の印象だったが、いずれもきちんとした様式研究の成果が感じられる演奏だった。こちらはよく演奏されるフルート協奏曲第1番の独奏は岡村悠子という人。フレーズ感覚が短く、もう少し歌心があればと思う部分もあったが、外面的な効果を狙った派手さのない誠実な演奏に好感を持った。このシリーズは年に1度のペースを予定しているらしいが、もう少し頻繁にやってくれたらと思う。
April 25, 2009
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ハンガリー留学から帰国して1年ほどになる若手フルート奏者の、事実上のデビューリサイタルを聴いた(ザ・ルーテルホール)。バッハのソナタ変ホ長調に始まり、モーツァルトのロンド、シャミナードのコンチェルティーノ、ゴーベールのロマンス、タファネルの魔弾の射手による幻想曲、ドップラーのハンガリー田園幻想曲、ライネッケのソナタ「水の精」という、フルート音楽の正統派名曲を集めたもの。フルートのためのオリジナル作品だけで一晩のリサイタルを構成するというのは、案外難しい。大作曲家がこぞって作品を書いているピアノやバイオリンとちがって、音楽的に内容の乏しい作品の割合が多くなる。フルート音楽の愛好家以外でも楽しめるギリギリの妥協点を探ったのが、この日のプログラムといえようか。演奏は素直な好ましいものだった。バロック、古典派、ロマン派という3つのスタイルの描き分けが十分とはいえなかった点を除けば、ごまかしなくまっすぐに音楽に向かっている姿勢が感じられて爽やかだった。ただ、彼女だけではなく、今の世代の器楽奏者全般に共通していえることだが、音楽の流れを大きくとらえることがないというか、短いフレーズの積み重ねで音楽を作っているようにきこえることが多い。いい悪いではなく、音楽をそういう風に感じる人が多くなってきたということであり、時代によって美意識もまた変化してきたということだろう。しかし、わたしの好みを言わせてもらえば、細部のニュアンスに富んでいても、大きな流れ、息の長いフレーズの感じられる演奏の方が好ましく、親しく感じる。ピアノは小杉恵。やはりハンガリー留学経験のある人。見事なサポートだった。
April 24, 2009
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母方の叔母が10日ほど前に亡くなったという知らせが、きょう届いた。会ったことがなく、写真ですら見たことがない叔母。7年前、岩手で法事があり親戚一同が全国から集まったときも、岩手に住むこの叔母は来なかった。何でも、性格が偏屈で誰の言うことも聞かないのだという。足が不自由になっても病院をいやがり、這うようにして暮らしていたらしい。亡夫は獣医だったらしい。兼業農家で、田んぼを持っていた。しかし、すぐ国の減反政策が始まり補償金をもらいながら暮らしていた。子どももいなかったので気ままな暮らしだったと思うがどうだったのだろう。子どもがいないので、相続が発生した。2万坪ほどの土地と4000万ほどのお金。このうち5分の一を相続することになった。何十年も野ざらしの休耕田をもらってもしかたがないので、土地の分の権利は放棄することにした。会ったこともなく、顔も知らない人の財産が、一部とはいえ血がつながっているというだけで自分のものになるのは不思議な気がする。叔父からの手紙には「急逝した」とあるが叔母はいくつだったのだろう。85か86だったと思うがはっきりしない。三人姉妹は若い順に世を去り、89歳の長女が残った。
April 21, 2009
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二日ある定期演奏会を両日共聴いた。その二日目、ドボルザークの交響曲第7番のフィナーレの終結部分で、隣席の若い女がわっと泣き出した。このフィナーレはユニークな終わり方をする。全体の一貫した悲劇的な短調の曲調から、ブルックナーの交響曲の終結部を思わせる空虚五度で終わるのかと思わせつつ、一転して長調の和音になって終わる。この劇的な転調と展開は、何度聴いても、どんな拙い演奏でも感動させられるものだが、首席客演指揮者ラドミェル・エリシュカの演出と無縁の素朴で誠実な演奏は、まったく格が違った。ただの劇的な転調ではなく、何か崇高なドラマに立ち会っているような、一秒が永遠の時間に感じられるような感動があった。エリシュカの音楽作りは、長年クラシック音楽を聴いてきた者にとっては懐かしい感じがする。カラヤン以降にファッションになった、耳触りのよい響きで流麗に音楽を作るのではなく、バーンスタインのように音楽に没入して燃焼するのとも違う。どっしりとした響きで全体を構築し、聴き手におもねるような表現をせず、剛直に音楽を進めていく。昔はこういうタイプの指揮者はたくさんいた。札響の常任指揮者だったペーター・シュバルツもおおまかに言えば同じタイプだった。しかし、エリシュカがそうした指揮者と違うのは、剛毅な中にも暖かな温もりがあり、音楽が和む瞬間が多々あることである。第2楽章の牧歌的なアダージョの演奏もすばらしかった。札響の中低音の弦セクションがこれほどまでに豊かに響いたのを聴いたのは初めてだ。テンポはやや速めに感じたし、個人的にはもっとゆったりとしたテンポが好みだが、歌い上げても安っぽくならず格調が高いのは、この「少し速めのテンポ」に秘訣があるのかもしれない。エリシュカはヤナーチェクの孫弟子にあたる人だが、一曲目はそのヤナーチェクのオペラ「利口な女狐の物語」組曲(ターリッヒ編)。オペラというよりバレエ音楽の抜粋のような曲で、キャラクターの強い印象的なフレーズが散りばめられていて、初めて聴いたが退屈せず聴けた。エリシュカが昔気質の指揮者だと痛感させられたのは12型の大編成で演奏されたモーツァルトのバイオリン協奏曲第3番。しかし大編成なのに重くなったり野暮ったくなったりしないのはさすが。ゴツゴツ、ギスギスしたヤナーチェクの音楽とその響きのあとで、こういう室内楽的なモーツァルトを演奏できるのは指揮者にもオーケストラにも脱帽する。ソリスト(木嶋真優)をじゃますることなく、穏やかで和やかなモーツァルトの時間が流れた。二日間では、二日目が断然よかった。一日目は、棒についていけないところがあり、オーケストラがいまひとつ消極的でミスも多かったが、二日目は完全に息が合い、オーケストラも常に確信に満ちた表現をしていた。おもしろいもので、そうなるとミスも激減する。シベリウスを演奏させたら札響の右に出るオーケストラは日本にはないと思っていたが、ドヴォルザークも付け加える必要があるかもしれない。東欧や北欧以外のオーケストラで、札響よりいいシベリウスやドヴォルザークをやるオーケストラがあるなら、誰か教えてくれないか。
April 18, 2009
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何万円も払ってオペラを観に行くスノッブな趣味はない。オペラは総合芸術などと言われるが、芸術か娯楽かと問われれば娯楽だ。数時間の娯楽に数万円も払うのはクレージーだ。かといって、二期会のオペラばかり観ていては鑑賞眼は育たない。オペラを映像で見る場合は、たいてい実際の公演を録画したものだ。しかし、生の舞台ならともかく、舞台を録画しただけのものは、芝居の舞台を録画したものに似て、間のびして退屈に感じられることが多い。そもそも芝居と映像の生理は異なっているのだ。一方、「オペラ映画」というジャンルがある。オペラの筋や音楽はそのままに映画に仕上げたものだ。実際の舞台では不可能な表現も映画なら自在で、長いオペラも退屈せずに楽しむことができる。ロバート・ドーレンヘルム監督の「ラ・ボエーム」はロシアの美人ソプラノ、アンナ・ネプトレコとテノールのローランド・ビリャソンを主役にすえたオペラ映画。冬のパリを舞台にした悲恋物語が美しい映像で描かれている。特筆すべきは歌手たちの演技のうまさと、舞台では不可能な背景をスタジオ・セットやロケハンでリアルに表現していること。ネプトレコはミミを演じるにはギリギリの年齢、もしくは体型で、青春の夢と挫折をテーマとしたこのオペラに間に合ってよかった、というところ。すばらしい歌手が常にルックスに恵まれるとは限らないので、ネプトレコのような歌手にはどんどんこうしたオペラ映画に出てほしいと思う。日本では、関係者一同の努力にもかかわらず、オペラを日常的な娯楽として楽しめるようになることはないだろう。地方都市ではオペラハウスなど夢のまた夢だ。だから、まずオペラはこうしたオペラ映画で親しめるようになれるといい。オペラ映画にしにくい作品もあるが、モーツァルトやR・シュトラウスの筋の入り組んだオペラも、オペラ映画なら理解しやすくなると思うし、舞台では不可能なきわどい性描写も映画ならお手のものだ。映画の興行収入というのは莫大なものだ。それで歌手たちのギャランティが保証されれば、実際の公演でのギャランティは少なくて済み、「引越公演」に法外な料金を払うようなことも減る。
April 17, 2009
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女性遍歴のネタがとりあえず(笑)尽き、さて次はどうしようと思っていたところ、日経プラス1で「食の履歴」という記事を見つけた。同じような内容をテレビで観た気もするが、坂本龍一が「お茶漬け」と「カレーライス」について父母の思い出をからめながら語っていた。似たような経験をするものだと思って読んだ。人間の最初の記憶というのは3~4歳のころだと思うが、それが5歳の時の記憶なのか、3歳のときの記憶なのか、就学前の記憶というのは漠然としていて前後がわからないものが多い。しかし、はっきりと特定できる記憶は、3歳と6ヶ月のときのものだ。夏休み、母と本州旅行をした帰りに青函連絡船の中で駅弁を食べた。その中に橙色をしたゲル状のものがあり、それを食べたときのことはまるできのうのことにように鮮やかに覚えているのだ。舌の上に海が広がっていくような、磯の味とでもいうのだろうか、それまで食べ慣れたものの味とは決定的に違っていて、不思議にエキゾチックだった。それが塩ウニだったのか、それともあのあたりでよく作られて売られているウニクラゲ、ウニイカだったのかは判然としない。判然としないので、記憶を呼び覚ますために、瓶詰めの塩ウニとウニクラゲを食べ比べてみたことがあった。そうすると、あの時食べたのは間違いなく塩ウニだったと確信した。1960年、安保闘争の年の夏の日に食べた塩ウニが、生まれて初めて「おいしい」と思ってモノを食べた最初の記憶だ。ウニが広く食べられるようになり、高級品扱いされるようになったのはさほど昔ではない。以前は、大事な昆布を食い荒らす害虫として嫌われ駆除されていた。昆布の産地では、今でもそれに近い意識なのではないだろうか。問題なのは、あのとき食べた塩ウニが、ムラサキウニだったのかバフンウニだったのかということである。津軽海峡の北海道寄りでとれるのは、7対3くらいの割合でムラサキウニが多い。しかし地球温暖化もさほどではなかった50年前は、あのあたりでもバフンウニが優勢だったのではないか。ここでバフンウニについて書いておくと、本州で一般的なムラサキウニより大きく、身入りも多い。色も黄色というより赤っぽい橙色をしている。本州などでは「赤ウニ」というと外側の殻が赤いものを指すが、北海道では赤ウニというとバフンウニを指す。どちらかというと薄味で上品なムラサキウニに比べると味は甘く濃厚で、ひとりで百グラム食べると飽きて一生食べたくなくなると言われている、というのはウソだが、最上級のバフンウニを200グラム食べたら、1年間はウニを食べたいと思わなくなるのは確実と思われる。北海道では太平洋側とオホーツク海側ではバフンウニしかとれない。オホーツク海と日本海の境界あたりでとれる割合が半々になり、日本海を南下するにしたがってムラサキウニの割合が増える。とはいえ、函館の近くの福島では今でもバフンウニが4割を占めているから、あのときの塩ウニはバフンウニだったかしれない。いやしかし、青森から出た船なのだからムラサキウニだったかもしれない。鮨の特上にウニが入るようになったのは、1970年代後半のことではなかっただろうか。しかしその生ウニは妙に苦い味がした。保存のためのミョウバンのせいで、あれを食べるくらいなら塩ウニの方がマシだと思い、しばらくウニからは遠ざかってしまった。バブルの前には1000円だったウニ丼も、1500円、2000円と上がり、今では2500円、バフンウニだと3500円が相場になった。6月下旬になると、札幌からほど近い積丹半島のウニ漁が解禁になる。この時期は高山植物が平地に咲き乱れる時期でもあり、北海道でも数少ない絶景ポイントであるシマムイ海岸、カムイ岬、西の河原などを訪れ、昼食に積丹で赤ウニを食べ、小樽で鮨か魚貝系イタリアンを食べて帰る、というのを年中行事にしていた。フランス語で幸福をボンヌールという。ボン=いい、ヌール=時間という意味である。幸福とは積丹半島を訪れて山盛りのバフンウニを食べることである。こんな簡単なことを理解するのに、青函連絡船での塩ウニとの出会いから数えると50年近くもかかってしまった。
April 15, 2009
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行ったコンサートのチラシやプログラムをとっておくことはない。そんなことをしていたら長い間には部屋が埋まってしまう。メモ代わりにチケットの半券を取っておく人は多いが、そういうこともずいぶん前にやめてしまった。しかし、このコンサートのチラシとプログラムは、いつも目に入る場所に貼っておこう。いつも思い出し、自堕落に流れがちな自分の生活と精神を律するよすがにしよう。目を閉じて聴いていたら、80歳の演奏家の演奏と思う人は誰もいないだろう。たいていの人は壮年期、絶頂期の演奏家の演奏と思うに違いない。約30年ぶりに聴いて、わずかに発音ミスが増えたと感じたが、加齢のせいではなく、ちょっとしたコンディションの問題だろう。ペーター=ルーカス・グラーフこそ、現存する世界最高の音楽家の一人である。彼に比肩しうる演奏家というと、バイオリンの安永徹、チェロのスティーブン・イッサーリスやマリオ・ブルネロやエルッキ・ラウティオやアルト・ノラス、ビオラのユーリ・バシュメット、指揮のハンス=マルティン・シュナイト、あと誰がいるだろうか?23歳の愛娘との共演による「80歳記念リサイタル」は、バッハのフルート・ソナタホ長調で始まった。確実なアタックと柔らかい音色で、楷書なのに流麗で柔和でよく歌う奇跡のようなバッハが紡がれていく。その精神性の高いごまかしのない音楽は、音楽に酔うというより、心地よい音色で聴き手の知性が呼び覚まされていくような、極上の快楽に満ちている。2曲目はライネッケのソナタ「水の精」。この曲はフルーティストにとっての、ブラームスのバイオリンやチェロのためのソナタのような存在。非常に高度が技術が要求され、また体力を必要とする曲だが、一点のあいまいさもない確信に満ちた演奏。きりっと冷えた辛口の白ワインを思わせた。グラーフの年齢を感じさせるとすれば、20分の休憩だろうか。その休憩のあとは、シューマンの3つのロマンス。これはフルートという楽器が姿を消し、ただひたすらにシューマンの音楽だけが浮かび上がってくるような演奏で、極上の無言歌を聴いているようだった。メーンはボヘミアの作曲家マルティヌーのソナタ第1番。これは長大なだけでなく、多彩なキャラクターが散りばめられた作品。彼のレパートリーとしては珍しい方に属すると思うが、そのキャラクターの描き分けが絶妙で、しかも全体としての統一を損なうことがない。全力投球の演奏でも、知的にコントロールされていてどこか余裕があり、洒脱でありながら気品に満ちている。こういう音楽に接すると、自分がいかに演歌的世界、没知性的世界に埋没した日常を送っているかを痛感させられる。アンコールはドビュッシーの「春」、バッハのハ長調のソナタの第一楽章、ゴーベールのマドリガルなど5曲も。何の疲れも見せず、一瞬の弛緩もない正味100分。どれだけの節制や自己研磨が必要かを思うと、気絶しそうになる。翌日、札幌フルート協会主催のマスタークラスでは、4時間にわたる公開レッスンを行った。容姿はたしかに老人のそれだが、レッスンの様子は、演奏と同じで壮年期とまったく変わらない。教育者としては、30年前よりもはるかに進歩したと感じた。つたない中にも芸があるとか、枯淡の境地を想像したりしていたが、その「期待」はまったく裏切られた。80歳の「壮年」フルーティストに何万語を費やしても賛辞は足りない。
April 11, 2009
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去年観た映画だが、書いてあった感想をアップするのを忘れていた。原題は「ITALIANETZ」、イタリア人という意味。ロシアの孤児が裕福なイタリア人夫婦の養子に選ばれる、というところから映画はスタートする。しかしこの6歳の男の子は、すでに養子に引き取られていった子の母親が突然現れたことで、会ったことのない母親に会う決心をし、孤児院を脱走し追っ手やチビギャングと熾烈なバトルを繰り広げながら、ついに母親の家をつきとめていく。日本名のタイトルから想像されるようなセンチメンタルな話ではない。6歳の男の子の、知恵と勇気と根性の物語である。母に会いたい一心で独学で文字を覚え、資料室で住所を調べ、孤児院の女子を使って売春業を営む年長の孤児の上前をはねて資金にし、脱走してからは追っ手と血みどろの戦いをする。6歳の男の子がここまでやるか、という執念に圧倒され、すがすがしい感動を呼ぶが、しかし「号泣」させられるのは、わたしにとっては、ついに母親の家をつきとめるシーンではなく、たどり着いた別の孤児院の院長に会おうと、ドアの前に椅子を置き、懸命に背伸びをして室内に入ろうとするシーンだった。身長1メートルにも足らない子どもの一途な執念、ひたむきな健気さが感じられるそのシーンは、ほとんど崇高といえるものだったし、そうした崇高さをドキュメンタリー映画のような緊張感ある映像で描き出した表現はまったく見事だった。また、この映画は巧まずして「ロシア人論」になっている。ひとりだとテロリストで、ふたりだとチェスをやり、三人集まると革命党を作り、四人だと弦楽四重奏をやるといわれるロシア人。この映画ではロシア人は概して、悪賢く、拝金主義で、暴力的に描かれているが、ぎりぎりのところでは人が好いというか、かろうじて人間性が残っている、そういう民族として描かれている。悪賢く暴力的で無法な「ロシア」を、しかしぎりぎりのところで救出した映画といえようか。実話に基づくというこの映画の成功には、実際の孤児院で撮影し、孤児達を多く出演させたことでリアリティを獲得したのも大きかったと思うが、この映画は、間違いなく「名作」として永遠の価値を得る映画だと思う。アンドレイ・クラフチュークという監督の名はこの一作だけで不朽のものとなるだろう。
April 7, 2009
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いい教師に恵まれなかったせいもあって、歴史にはあまり興味を持ったことはなかった。というか、有史以前の文明や19世紀以降の近代史には興味を持っても、その間の千年以上の歴史についてはぼんやりとしたイメージしかない。だから、イギリスがカソリックでない理由は知らなかった。この映画を観るまでは。好色漢ヘンリー8世は、ブーリン家の姉妹のうち、まず純朴な妹の方を愛人にする。しかし、美しく変貌した姉に魅了され、正妻の王妃を退け、この姉を2番目の王妃にする。この結婚の際、ローマ教皇と訣別したことがイギリスの宗教改革を成功させる契機になったのだからおもしろい。妹のように愛人で終わらず、何が何でも王妃にという姉の野望と、その女の魅力に惑わされ言いなりになる国王がいなかったら、イギリスでは宗教改革は起こらなかったわけだ。もしそうだったら世界の歴史は大きく変わっていた。この処刑された王妃、アン・ブーリンが産んだのがエリザベス1世だが、エリザベス誕生までの逸話というか、「女」や「後継問題」を利用して権力や富を得ようとした田舎貴族たちの生々しい宮廷話であり壮大な失敗譚ともいえる。時代考証をかなり精確に行ったと思われる衣装や調度品なども見ごたえがあり、アン・ブーリン役のナタリー・ポートマンも美人で、楽しみながら歴史の勉強ができる、こういう映画は大歓迎だ。
April 2, 2009
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