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1960年代後半から1970年代にかけての「ギター・ブーム」は、いま思い返してもすさまじいものだった。ある程度生活がゆとりができたころ、自分でも音楽を、何か楽器をやりたいと思った若者の多くが手にしたのはなぜかギターだったのである。映画「禁じられた遊び」の影響は大きかったにちがいない。一本の映画をひとつの楽器で支えきることなど、たとえばピアノやハープにさえできない。それができるギターという楽器の偉大さを一瞬のうちに知らしめたのがあの映画だった。よく知らないが、あれほどのブームは日本だけだったのではと思う。ギターの音色が、わびさびを好む日本人の感性に合ったのかもしれない。あの時代、ギターがひける、というのは女の子にいちばんもてそうな特技だったが、ギター人口の裾野の大きさは、名手をたくさん輩出することになった。いま、世界でいちばんギターの名手が多いのは日本ではないだろうか。「ギターの神様」と呼ばれた近代ギター音楽の父、アンドレス・セゴビアは1980年に一度だけ札幌を訪れている。セゴビアは1893年生まれだから、すでに87歳だったことになる。この年はギターの当たり年で、セゴビアが訪れたのは8月だったが、6月には「禁じられた遊び」で大スターになったナルシソ・イエペスが訪れて札響とロドリーゴの「アランフェス協奏曲」を演奏している。しかしわたしはそのどちらも行かずじまいだった。大学を規定年数で卒業できないことがわかり、そのため実家を追い出されて一人暮らしを始めたばかりの時期で、コンサートの情報そのものが手に入らなかったためである。一人暮らしを始めたばかりのアパートにはもちろんテレビはなく、新聞は学校の図書館で読むだけだった。そのころは主に朝日を読んでいたので、地元の情報が詳しく載っている新聞を読むことが少なく、コンサートなどのイベント情報にアクセスしそこなうことが多かった。その朝日新聞に、セゴビアの東京公演の批評が載り、聴きたかったものだと思っていたら、札幌公演もあったというので愕然とした。セゴビアはそれ以前のギターの奏法を大胆に変えた革新者であり、スペインの民俗楽器でしかなかったギターでバッハやモーツァルトを演奏して、ギターの芸術楽器としての地位を確立した人である。セゴビア以前、ギターはピアノやバイオリンのような楽器からは一段低く見られていた。東京公演の批評は林光が書いていたと記憶する。技術の巧拙を超えて温かな音楽だけが漂ってくるような演奏、というような批評だったと思う。あのころ、映画やコンサートの情報はいくつかあったタウン誌で手に入れたものだった。しかし、雑誌という都合上、締め日の関係があって、予定表に載らないものもあったし、マスコミが主催するコンサートなどは、載ったときには売り切れということもよくあった。「情報格差」は、いまからは想像もできないくらい大きかったのである。それ以来、気をつけるようになったが、今度は情報が多すぎて取捨選択するのが難しくなった。最近では、12月19日に紀尾井シンフォニエッタを指揮したアントン・ナヌートがいい例だ。日本ではほとんど無名といっていいこの指揮者を知ったのは、1990年前後にキャニオンから大量にリリースされたCDのほとんど全部を聴いたとき。その中の一枚(ショスタコーヴィチの交響曲第7番)はこの曲の最高の名演の一つと思って手元に保管してあるが、よもやこの人が来日するようなことがあるとは思ってもいなかったので逃してしまった。ナヌートは「ワゴンセールのカラヤン」などと呼ばれ廉価盤マニアの間では人気があるが、リューブリアナのオーケストラに在籍している日本人奏者の話などによれば、相当の大音楽家らしい。来年はナヌートを本拠地で聴く、というのをテーマしてもいいと思っているくらいだ。
December 28, 2009
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小学5年の家庭科の調理実習のとき、ホウレンソウの油炒めのほかにもう一品、目玉焼きか何かを作った気がする。だがもう記憶はあいまいだ。生まれて初めて料理をしたのは4歳のときだった。作ったのは、目玉焼きか卵焼きかわからないが、とにかくフライパンを使った卵料理だったらしい。らしい、というのは自分では覚えていないからだ。母の帰宅が遅くなり空腹になったので、フライパンで卵を焼いて食べたらしいのだ。冷蔵庫のなかった時代、保存のきく卵は貴重な食材の一つだった。背が届くはずがないのだから、きっとイスを持ってきてその上に立って料理したのだろう。卵はどんな風に割ったのだろうか。母のやり方を見よう見まねしたにちがいないが、4歳くらいになればもうその程度のことはできるものなのだ。だからもう50年近く卵焼きを作っていることになるが、さっぱり上達しない。自己流のクセがついてしまったせいだ。片手で次々と卵を割れるようになるのが料理人の最初の修行だというが、いままで何千個も卵を割ってきたはずなのに、それもできない。だから、手をケガしたときは往生した。昭和30年代の日本人にとっての主な動物性タンパク質の摂取源は、魚貝類を除けば鯨肉と鶏卵だった。なぜか、目玉焼きはほとんど食べなかった記憶がある。たぶん、卵焼きに比べて作るのに時間がかかったせいだろう。一度に家族の人数分の目玉焼きを作るのは不可能な一方、卵焼きならまとめて作ることができる。パン食が普及したのは1960年代なかばだったと思う。朝食がパンのときは卵焼きがスクランブルエッグになった。ペンションの朝食はスクランブルエッグと相場が決まっていた時期があったが、アメリカでB&Bに泊まったときもスクランブルエッグだった。あんな他愛のない料理をオシャレでモダンに感じたこともあったのだから、バブル以前の日本人はナイーブだったものだ。家庭科の調理実習があったころは、ちょうど叔母の家に住まわせてもらっていた時期だった。そこで病気になり入院した叔父、つまり叔母にとっての弟の家族も一緒に暮らしたことがある。この叔母というのが、意地が悪いわけではないのだが、人の気持ちを考えるということのない人だった。いまで言えばADHDかアスペルガーということになるかもしれない。一緒に暮らす人間の数が増えて、とたんに食事が貧弱になった。客観的に見るとまるで叔父の家族へ意地悪をしているようにさえ感じられた。そこで皿数を増やすために少し早起きして料理をすることにした。とはいえ、小学生にできることはしれている。それこそホウレンソウの油炒めと卵焼きを作るくらいが関の山だったが、まだ小学生なのに父親を失ってしまったイトコたちと分担して作ったのは、思い出すのが辛い記憶だ。イトコ一家は叔母の家の向かいの家の二階に間借りをしていた。ひどい話もあるもので、叔父が入院すると、家主は出ていってくれという。それで叔母の家で一緒に生活するようになったのだった。ちょうど渥美清の「泣いてたまるか」というドラマが人気になっていた。毎週欠かさず見たが、イトコ二人のうち姉の方は、この番組を嫌っていた。お嬢さん育ちの彼女は主演の渥美清の風采が嫌いだというだけでドラマ自体を嫌っていたのだった。人間の感じ方というのは色々だと感じ入った初めての体験だったが、この従姉がその後タチのよくない男にばかりひっかかることになったのは、このように人間を表面だけで見ていたからか、早くに父親をなくしたためか。もっとも、マルチ商法にのめり込んだ夫と離婚してからはさすがに学習したようで、その後は独身を通している。ウィーン留学経験のある人に、街についてたずねてみたところ、しばらく考えて「卵がおいしかった」という返事が来て面食らったことがある。なるほど、たしかに外国に行くと卵がおいしく感じられることが多い。ネパールの山奥で食べた、プレーンオムレツという、4歳のわたしが作ったのと同じであろう味付けなしの卵焼きは、濃厚な卵そのものの味がしておいしかった。ときどき高価な卵を試しているが、あの卵よりおいしい卵に出会ったことはない。あの時代、卵かけご飯、というのもよく食べた。最近、なぜかリバイバルしていて、専用のしょう油が売られたりしている。生卵には数万個に一個の割合だが必ずサルモネラ菌が入っている。だから決して学校や病院の給食には出ない。チャーハンには卵が不可欠だ。だが、なかなか上手に作ることができない。あるとき、ご飯に先に卵をかけてかき回し、ちょうどご飯に卵をコーティングしたような状態から作るといいという話を聞いてやってみた。そうしたら、非常にうまく作ることができた。卵焼きはコハダと並んで、鮨職人の技術をはかる代表的な鮨ネタである。いままで食べたもっともおいしい卵焼きは、小樽にあった柏鮨という鮨屋のそれで、中にウニが入っていた。しかしその店は食中毒を出して営業停止期間中にふたたび食中毒を出し、それが元でつぶれてしまった。卵は、昭和30年代を思い出すキーワードのようなノスタルジックな食べ物である一方、貧困の記憶とも結びついている。いわばアンビヴァレントな食べ物であり、それはあの時代を知る多くの人にとって共通の感覚なのではないかと思う。あのころはマヨネーズも手作りしていた。マヨネーズを作るには、卵黄をかき混ぜる役と酢をたらす役の二人が必要だが、祖母と一緒に何かをした唯一の記憶がマヨネーズ作りだったりする。ちなみにマヨネーズは冷蔵庫に入れる必要はなく、冷蔵庫のなかった時代にもいつもあったので、今よりも使用頻度は高かった気がする。卵焼きをふわっと柔らかくするにはマヨネーズを少し入れたりする。登山者や探検家にはよく知られていることだが、マヨネーズは最強の非常食であり保存食である。どんな暑くても数ヶ月は腐敗しない。高カロリーなので、一本あれば一週間は生き延びることができる。卵の殻は、いい肥料になる。その卵の殻をゴミに出すような輩には、いつか仏罰があたるだろう。
December 26, 2009
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毎年、冬のこの時期になると縮みホウレンソウというのが店頭に並ぶ。昔と今ではまったく味の変わってしまった野菜の代表がホウレンソウだが、昔のホウレンソウの味を思い出させてくれるのがこの縮みホウレンソウである。家庭科の男女共修はいつ始まったのだろうか。「男が台所に立つなんて」と考える親が大半だった時代、家庭科の男女共修は小学校止まりだった。中学や高校で家庭科が共修になった世代は幸運だと思うしうらやましくもある。というか、技術という名の男だけの授業は苦痛でしかなかった。家庭科の調理実習は小学5年のときだった。小学生くらいまでは、男の子というのは小食なものである。ご飯をお代わりするのはカレーや炊き込みご飯のときくらいで、もっとたくさん食べろと親に怒られることが多かった。しかし、ご飯とみそ汁とホウレンソウの油炒めを作ったその調理実習のとき、自分たちで作ったそれらはすばらしくおいしく感じられた。少ないおかずにも関わらずご飯をお代わりして食べたものだった。料理は、自分ひとりでもまあ楽しいが、みなで作るともっと楽しい。妻が作ったものをただ食べるだけの男というのは理解を超えるモンスターでしかない。一緒に作ると何倍もおいしく感じるものだからだ。給食は、結局ひとりで食べるだけだ。しかし、この調理実習のときは、向かい合ってグループで食べる。ご飯がうまく炊けたとかみそ汁の味が薄いとか、あれこれ言いながら食べるのは楽しく、クラスメートの意外な一面を見ることができたりして、強く印象に残った。それ以来、ホウレンソウの油炒めは好物の一つになった。イタリアを旅行したとき、隣のテーブルで緑色の野菜をソテーしたものを食べているのを見て同じものを注文してみた。そうしたら、ホウレンソウの油炒めだった。スピナッチというイタリア語を覚えたのはそのときだったが、イタリア料理のそれは、低い温度でじっくり、くたくたになるまで炒めるもののようで、まったく歯ごたえがないほど柔らかくなっていた。どうしても思い出せないのは、ホウレンソウをゆがいてから炒めたのか、そのまま炒めたのかである。昔のホウレンソウはあくがとても強かったので、ゆがいて水にさらしてから炒めたような気がする。また、その方がおいしくなる気がする。調理法もさることながら、同じ食べ物でも、だれとどんな機会に食べるかで、ずいぶん味がちがって感じられることを知ったのはそのときが初めてだったと思う。つまり、楽しく食事することが最高の、仕上げの調味料になるということであり、それこそが食事の最も重要なマナーではないだろうか。その点ではやはりヨーロッパ人、特にイタリア人は抜きんでて優れているような気がする。朝食や昼食はそうでもないが、ひとりの夕食というのは味気ないものだ。そういうときいちばんいいのは、アメリカのコメディ映画を見ながら食事することである。ひとりの夕食は味気ないにしても、食べ物に気取った論評を加えるようなヤツと食べるくらいならひとりの方がましだ。まったく批評精神のないヤツも困るが、出てきた料理のマイナス部分ばかり指摘するようなヤツと食べるとあとで胸やけがしたりして健康に悪い。ストレスがたまって、帰宅してからどか食いするようなことにもなる。ゆでた縮みホウレンソウは何にでも入れる。みそ汁や卵焼きはもちろん、カレーや蕎麦にも入れる。蕎麦に入れるときは特に大量に入れる。丼の面積の3分の1をホウレンソウ、3分の1をネギ、3分の1を揚げ玉というような割合にする。豪華に見えるしヘルシーだが、多すぎるとさすがにあまりおいしくない。おいしくないが、あえて入れている。暑い時期は有機ホウレンソウの冷凍ものをいつも買うようにしている。これは小分けしてあるので便利。素材さえよければ、塩コショウで炒めるだけで立派な一品になるのがホウレンソウの偉大なところで、そんな野菜はほかにない。
December 25, 2009
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平和のために音楽を役立てようとする人はたくさんいたし、今もいる。しかし、音楽をやめることで平和に貢献したのはパウ・カザルスただひとりだ。世界的な指揮者・チェリストとして活躍していたカタロニア出身のカザルスは、ナチスの支援でスペインに生まれた独裁政権に抗議し、その政府を容認する国々での演奏を「良心がゆるさない」と言って拒否してしまう。この「引退」によって独裁政権の正体は暴露され、アナーキスト勢力が強大だったため無惨なまでに圧殺されたカタロニアの自由は国際的な関心を呼んだ。そして、音楽祭や国連、ホワイトハウスなど限られた機会と場所でだけ行われるようになったカザルスの演奏は、「絶対平和主義」の信念と不可分のものとして音楽を超えた感銘を人々に与え、良心を呼び覚ましていったのである。中でも国連総会でのカタロニア民謡「鳥の歌」の演奏、「わたしの故郷カタロニアでは、鳥はピース、ピースと鳴く」というスピーチと共に行われたそれは、全世界を衝撃させる大きな事件となったし、これ以来、この曲をあらゆるチェリストが取り上げるようになった。もっぱらチェリストとして知られるカザルスだが、指揮者や作曲家としても偉大な足跡をしるしている。なかでも指揮活動は自作オラトリオ「かいば桶」の上演と共に、情熱を注ぎ続けた。指揮者カザルスの作る音楽は、素朴そのものだ。念を押すようなごつごつしたアクセントは妥協という言葉を知らない彼の信念が刻まれているように聞こえるし、飾りなく歌われる歌には、彼の熱いヒューマニズムが脈打っている。印象的なのはオーケストラの集中で、何かに取り憑かれたかのようなその演奏にはただならぬ気配さえ漂う。カザルスがなぜ「音楽の神さま」と呼ばれるのか、わかる気がする。1960年からカザルスが講師をつとめたマールボロ音楽祭オーケストラを指揮した録音は最近になってかなり復刻されている。前述したような指揮者カザルスの特長が最もよく出ているのはベートーヴェンの交響曲第7番、第8番などで、背筋を正さずには聴けない鋼鉄のような精神の強さに打たれる。※マールボロ音楽ライブはソニークラシカルから散発的に発売されている。リハーサルもおもしろいので、どうせならリハーサル場面のボーナスCDがついたものを入手するといい。ただの「音の連なり」が「音楽」に生まれ変わる瞬間が、たとえばバッハの管弦楽組曲第一番のリハーサルに見つけることができる。
December 24, 2009
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地球は豊かな資源に恵まれている。ある試算によれば、1960年代後半の日本の生活水準で、全人類が安楽に暮らせるはずという。それなのに、いまこの瞬間にも、飢えや貧困に起因する病気によって、たくさんの人々、特に子どもたちが死んでいく。幼い兄妹が知恵と勇気で魔女に打ち勝つグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」。この物語の背景となっているのも飢餓だ。口減らしのため森へ捨てられる兄妹。道しるべにパンくずを落としていったのに、鳥に食べられてしまい、道を失う。ドイツの作曲家フンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」では、兄妹は森へ捨てられるのではなく、ただ迷い込んだことになっているが、第一幕ではそうした背景がさりげなく描かれる。狭くてみすぼらしい家、足りない食べ物、穴のあいた靴下。しかし子どもたちは貧しさに負けない。空腹を紛らわすために踊ったり、明るく元気だ。このシーンを見ると、いつも被災地などでの子どもたちの笑顔を思い出す。無心に眠るこどもほど愛らしいものはない。第二幕「森の中」で、くたびれた兄妹は眠りに落ちる。14人の天使が現れ、木の根を枕に眠る幼い二人を守る。清らかな音楽が寄り添うように流れていくこの部分は、音楽といい舞台といい、このオペラで最も美しく幻想的なシーンで、単独のオーケストラ曲として演奏されることも多い。第三幕「お菓子の家」は「ホークス、ポークス」と呪文をとなえる魔女との痛快なドタバタ劇。原作とはちがい、焼き殺された魔女がクッキーになってしまうのがユーモラス。ドイツではクリスマスの時期に上演される習慣のあるオペラで、民謡のような素朴さに満ちた音楽が魅力的な、メルヘン・オペラの傑作として親しまれている作品。※映画として作られているショルティ盤が映像つきでも、映像なしでも楽しめる。アンナ・モッフォ、ヘレン・ドナート、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、シャルロッテ・ベルトルド、クリスタ・ルートヴィヒ、ルチア・ポップといった「夢のような」キャスティングのアイヒホルン盤(1971年)は2枚組1000円という「夢のような」値段。
December 23, 2009
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CDに限らないが、デジタル音楽プレーヤーにはLPなどアナログにはなかったいろいろな利点がある。一つは収録時間の長さ。よほど長大な曲でない限りディスクなどを入れ替える煩わしさがない。ハードディスクならなおさらだ。もう一つはプレーヤーのさまざまな機能を活用して個性的な音楽の楽しみ方のできる点。曲順を変えたり、好きな曲だけを並べたり。さびの部分だけ繰り返す、なんてこともできる。19世紀オーストリアの作曲家、アントン・ブルックナーは10曲ある。どの曲もスケールの大きい、重厚長大を地でいったような音楽だ。優に1時間を超える間、人間の生活など小さく思える音楽が鳴り響く。しかしそれだけ長い時間、音楽に意識を集中させるのは難しい。だからアメリカではブルックナーの人気がないのだろう。推敲をかさね、劇のように論理的な筋を追って音楽が展開するベートーヴェンなどとはちがい、ひらめいた楽想をひたすら書き連ねたという趣のブルックナーの音楽は、逆にどんな細部にも閃きが宿っているので、ツマミ食いしても差し支えのない、デジタル音楽プレーヤーを活用しがいのある音楽かもしれない。「ロマンティック」のタイトルを持つ「交響曲第4番」はブルックナーの「田園交響曲」ともいえる作品。生命のめざめる春の雰囲気に満ちた第一楽章、やや陰りを帯びた第二楽章、明るく快活な第三楽章に、ラスト3分の高揚が素晴らしいフィナーレが続く。40歳近くなってから本格的に作曲を始め、田舎なまりをウィーン人に笑われ、「なかば神、なかばとんま」などとさげすまされて一生を送ったブルックナーは、小心でお人よしな一方、名誉欲や金銭欲旺盛な「素朴そのものの俗物」だったようだ。統合失調症を思わせる言動も多い。60代だか70代だかで17歳の少女にプロポーズしたというロリコンぶりについては、世間の批判は多いが、わたしはあえて共感を表明しておく。ロリコンの俗物なブ男から、しかしかくもこれほどまでに崇高な音楽が生まれるのだから面白い。ブルックナーの音楽にはどんな細部にも「神」が宿っている。※「ロマンティック」には名演も多い。クルト・マズアがライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団を指揮したデノン盤が虚飾を排した作為のない名演。ラストの崇高な高揚ではこれを超える演奏に出会ったことはない。ギュンター・ヴァント、オイゲン・ヨッフムなど旧世代の指揮者の最晩年の録音もいい。逆に、カラヤンのブルックナーはカラヤンの俗物性、ニセモノ性がよくわかって面白いので絶対に「買い」。カラヤンの逆をやればすばらしいブルックナーになるので、若い指揮者はカラヤンのブルックナーを真剣に研究するべきだ。
December 22, 2009
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「すきとおったほんとうのたべもの」宮澤賢治の童話集「注文の多い料理店」序文にあるこの言葉は、優れた芸術の本質を最も適切に言い当てたものの一つとして知られている。あるCDを聴いて、この言葉を思い出す演奏に遭遇することがまれにある。最近では、長谷川陽子が演奏するドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴いて、この言葉を思い出した。ジャケットの表紙にはチェロをさりげなく抱えた彼女の写真がつかわれている。どこにでもいそうな、いかにも平凡な感じの女の子だ。服装も地味なくらいだ。しかし大きめの帽子、チェロと同じ色合いのシックな服装は彼女によく似合っていて彼女らしさがよく出ているように思う。演出や流行とは無縁の人のようだ。そうした「自然体」は、彼女の奏でる音楽にも共通している。厚化粧や装飾品で飾り立てたうつろな美しさではなく、内面の美しさがにじみ出た結果として生まれる力強い美しさ。健康な感性から生まれる生き生きとした表情。郷愁の色濃いドヴォルザークの「チェロ協奏曲」が、こんなにみずみずしく、悦ばしく、はつらつと演奏された例をほかに知らない。ブルッフの名作「コル・ニドライ」では深い祈りの感情の表出が見事で、この集中力はただごとではない。若いときにはだれもが持っているのに、だれもがいつまでも保てるわけではない大切な何か。それが、20歳(当時)の長谷川陽子の奏でるチェロから聞こえてくる。※ビクター盤。長谷川陽子はカサドの無伴奏ソナタ、バッハの無伴奏ソナタなどでその後も名演を連発している。
December 21, 2009
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このCD(アルファエンタープライズHCD279)の第3トラックからは、音楽らしきものは何も聞こえてこない。再生装置の故障かと錯覚してしまいそうだ。たぶん、ラジカセだとボリュームを最高レベルにしても何も聞こえないだろう。しかし、良質の再生装置で再生しよく耳を澄ませると、鳥や虫の声、鐘の音、交通音などが聞こえてくる。都会にほど近い郊外で、周囲の音を録音したもののようだ。これはジョン・ケージの作品「4分33秒」である。この曲をコンサートで上演する場合、演奏者はまったく音を出さない。4分33秒間、黙って楽譜を読み、時間が来ると退場する。その間、聴衆が聴くのは「環境の音」である。後年、ケージはこの曲の別バージョンを作ったが、この曲では会場のあちこちにおかれたマイクの拾う音が増幅されてスピーカーから流れるようになっている。つまり、ケージはこれらの作品で、環境の音もまた音楽であるということを主張しようとしたのだった。街の風景が醜悪なら、どんなに素晴らしい美術館があっても芸術的に豊かな街とは言えないように、環境の音が醜悪なら、どんなに素晴らしい音楽が行われていても、音楽的に貧しい街でしかない。環境の音もまた音楽であるという主張、東洋人にはなじみ深いケージの考えを具体化したこの作品は、地球規模で音を考え、音の風景を美しく豊かなものにしていこうという野心を隠した壮大なスケールの「音楽」であるといえる。この曲では居合わせた人のすべてが聴衆であると同時に演奏者になる。芸術をつくる主体が、才能に恵まれた少数から一般の人々へ移る可能性、作り手と受け手の境界が取り払われる可能性など、未来の芸術とそのあり方を示唆した作品でもある。
December 20, 2009
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ニューヨークのダコタ・アパートでジョン・レノンの隣人だったジョン・ケージ。その音楽を一言で要約すれば、25世紀の音楽ということができる。24世紀以前の人間に受け入れられにくいのは当然かもしれない。代表作の一つ「プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード」は、インドの哲学者ラマクリシュナの思想と美学に基づく。ヒロイズム、エロティシズム、驚き、喜び、悲しみといった人間の9つの感情を表したものだという。プリペアド・ピアノ(準備されたピアノ)とは、ピアノの弦の間にボルトやゴム、紙などをはさんで音色や音程を変えたものだが、その響きはバリ島のガムラン、インド、中近東、アフリカの民族楽器を思わせるところがある。いわゆるグランド・ピアノの響きとはちがって、自然界の音との親和性の高い音である。自然界のさまざまな音と溶け合うような神秘的な優しさに満ちた音楽が、植物のように生成していくようなこの曲は、しかし非西洋音楽の単なる模写ではなく、最小限の音で豊かな世界を表現しようとした結果生まれたものと言える。ちょうど武者小路実篤の絵のように、タブローの背景を塗りつぶさない、余白の多い、そして余白の生きた音楽である。短いモチーフを無作為にちりばめたような音楽、同じパターンを繰り返しつつ微妙な変化を織り込んだ繊細な音の絨毯が、果てしない空間に静かに広がっていく。中でも魅力的なのは「ソナタ第12番」で、同時に鳴る音は最大でも5つという音の使われ方ながら、何かに専心するような瞑想の音楽にひきこまれる。通俗的な東洋趣味に陥ることなく東洋の美意識をくみつくすことのできた最初の西洋音楽家がジョン・ケージだったことを物語る作品。※高橋悠治のデノン盤が現役でしかも廉価。演奏も柔軟でシャープ。スウェーデンで録音された1960年代のモノラル盤は最近復刻されているようだが、これは伝説的な名盤として知られたものだった。
December 19, 2009
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音楽の世界に革命をもたらしたザ・ビートルズ。その音楽は現実の革命でも大きな役割をはたした。「平和をわれらに」は、中心メンバーのひとりだったジョン・レノンの作。1989年秋に始まる東欧民主化運動で、シンボル・ソングとして歌われた。スターリン主義の独裁~恐怖政治に抑圧されてきた東欧の人々は、底抜けに陽気で力強いこの歌でお互いを鼓舞し立ち上がり政治主体として歴史に登場し、隷従の鎖を断ち切って<共産主義>を崩壊させたのだった。音楽が単なる消費物であることをやめ、生きるための糧、人と人との絆となって輝いた一瞬だった。日本のピアニスト、高橋アキは、世界中の作曲家にビートルズ作品によるアレンジをよびかけた。アメリカの反体制作曲家・ピアニストのフレデリック・ジェフスキーは、高橋アキのよびかけにこたえ、ベルリンの壁崩壊のニュースを聞きながら、「平和をわれらに」のテーマによる小幻想曲を作った。この歌の「ぼくたちが言いたいのは、平和をわれらに、ただそれだけ」の部分によって作られたピアノ曲で、わずか9つの音からなるメロディーがさまざまな声で歌われ、やがて優しい声で語りかけるような静かなラストへと導かれていく。この「ハイパー・ビートルズ・シリーズ」に登場する多彩な作曲家群を見ていると、ビートルズの音楽を愛好する、あるいは彼らの音楽にインスパイアされている現代作曲家の多さに驚く。ザ・ビートルズの音楽の持つ「永遠の新しさ」「精神の若々しさ」が、これら前衛と呼ばれる現代の作曲家たちを鼓舞し続けているのだろう。そんな音楽が、そんなロック・バンドが、これまでも、いまも、これからも、あるだろうか?
December 18, 2009
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ロック・バンドの主役といえばエレキ・ギターである。単純なコードを刺激的なサウンドでかき鳴らすことの多いこの暴れ馬のような楽器が、しかしこれほどまでに若者のナイーブな心を表したことがあっただろうか。ジョージ・ハリソンの名曲「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」である。ボーカルをコードで支えるだけの、いわば伴奏楽器として扱われることの多いエレキ・ギター。しかしこの曲の間奏部分では、ボーカルよりも雄弁かつデリケートにセンチメンタルな感情を語りかけてくる。エリック・クラプトンが演奏しているこの部分は、エレキ・ギターが内省的な表現も可能な、いわば芸術楽器になりうることを示した、音楽史上初めての瞬間ではなかっただろうか。ジャケットの色から「ホワイト・アルバム」の通称で親しまれている2枚組は、ビートルズの4人が、グループから自立し始めていた時期に、それぞれの作品を無造作に並べたような内容。バラバラに4人の個展をやっているような印象で、博覧会のような多彩さがある。旧ソ連を皮肉った「バック・イン・ザ・USSR」で陽気に始まったアルバムは、ハリウッド映画のハッピー・エンディングのような優しいオーケストラ・サウンドの「グッド・ナイト」で閉じられる。洗いたてのシャツのような清潔さに満ちた音楽の数々が、風にたなびくように続いていくこのアルバムは、やはり「ホワイト・アルバム」の通称がふさわしい。
December 17, 2009
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ロシアや中国、メキシコやスペインで革命の口火を切ったのは読み書きのできない農民だったが、音楽の革命をなしとげたのは楽譜の読み書きのできないリバプールの若者たちだった。「サージェント・ペッパー・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、架空のショーを想定して作られたロック音楽史上初のコンセプト・アルバム。シングル曲のよせあつめにすぎなかったそれまでのアルバム概念をくつがえした作品で、このアルバム以降、ロック音楽は芸術として認められ、アルバムはアルバムとしてのまとまりを追求する方向に変わっていった。グループ自体も、一曲のヒットやアイドル的人気より、アルバム全体を構築できる音楽的な実力が問われるようになっていくという、音楽史上、最も大きな革命のきっかけとなったアルバムである。ザ・ビートルズのアルバムは、それぞれに個性的なメンバーの音楽を羅列しただけのものが多いが、このアルバムでは4人の個性が溶け合った別の次元の音楽が生まれている。インド音楽の影響が濃厚なジョージ・ハリスン、ドラッグによるトリップ感覚を思わせるジョン・レノン、メロディ・メーカーとしての才能が発揮されたポール・マッカートニーの作品が、ライブ演奏では絶対に不可能な複雑な録音処理とオーケストラ楽器をはじめとするさまざまな楽器を駆使したアレンジによって、時代の息吹と新しい世代の感性をサウンドさせていく。豊かなパロディー精神も見逃せない。※ステレオ・リマスター・ボックス・セットではより鮮明な音質で復刻されている。
December 16, 2009
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初めて札響定期を聴いたのは1970年3月の第93回定期だから、かれこれ40年、札響を聴いてきたことになる。この40年で札響も、音楽を取り巻く世界も大きく変わった。40年前の楽員はだれ一人として残っていないことからわかるように、また編成も大きくなったこともあって、まったく別のオーケストラといえるくらいに成長した。技術水準は上がって東京のビッグ3に次ぐくらいになり、欧米の一流と比較しても遜色ないレベルになった。技術水準が上がるのと反比例するように、心を打つ演奏が少なくなった。音色も汚くなった。1990年前後と2000年前後だったと記憶するが、もう二度と札響を聴くのはやめよう、そう思う演奏が続いたこともあった。しかし、最も変化、というより悪化したのは聴衆である。40年前はストラヴィンスキーの「火の鳥」の全曲を、たとえ録音でも聴いたことがある人はごく少数だっただろうし、音楽的な経験や知識の蓄積の乏しさは今とは比較にならない。何しろ、この頃のほとんど唯一の音楽ソースだったFMの本放送が開始されたのは1969年だったのだから。しかし、40年前の聴衆は、ある神聖な儀式に立ち会うかのように、真剣に札響のつたない、しかし真摯な演奏を聴いた。身じろぎさえする者はなく、すべての音を聞き逃すまいという気迫がホールに充満していた。オーケストラのチューニングの音さえ、まるで最も高尚な音楽であるかのように聴いた。クラシック音楽というのは、精神的緊張を伴う読書、たとえばドストエフスキーや森鴎外の小説と似ている。自分から積極的に意味を読みとろう、聞き取ろうとする姿勢がなければ、そのよさもすばらしさも理解することはできない。渡辺淳一や高樹のぶ子の小説が「文学」だと思っているような人、ディズニーランドの年間パスポートを持っているような人にはそもそも無縁なのだ。これが、日本だけでなく欧米でもクラシック音楽が少数の愛好家のものにとどまる理由であり、それでいいのだ。それではだめだ、と音楽の大改革をやったのが元ナチス党員ヘルベルト・フォン・カラヤンであり、クラシック音楽を通俗小説・推理小説のようなエンタテイメントに変質させた。カラヤンの音楽とは、死化粧のようなものだ。だがクラシック音楽は死んではいなかった。この日のアンコールに演奏されたグリーグ「過ぎにし春」で、カラヤン的に変質される以前の、つまり厚化粧ではなく地の素顔のみずみずしい美しさをたたえた「ホンモノの音楽」に出会えたのである。こういう、静かでゆっくりとした音楽こそ、ごまかしがきかず、演奏は難しいものである。楽員の中にひとりでも集中を欠いた人間がいたり、聴衆に積極的に聴こうという姿勢がなかったりすると、ただの音の羅列になり、音楽は灰燼と帰すものだが、わずか数分とはいえ、オーケストラと聴衆の両方に完全な集中が持続したのである。広上淳一はサイトウキネンオーケストラや水戸室内管弦楽団に招聘されたことからもわかるように、ポスト小澤征爾の一群の指揮者の、最有望のひとりだが、こういう音楽を引き出せる指揮者だとは思っていなかった。40年前の真摯な札響を思い出させる感動的なアンコールに、ロシア音楽を集めた本プロは印象が薄くなってしまったが、一応、述べておこう。ショスタコーヴィチの交響詩「十月革命」は、1967年のロシア革命50周年に際して作曲されたもの。評論家の青澤唯夫はプログラム・ノートに「典型的な社会主義リアリズムの美学に基づいた作品」と書いているが、どこをどう聴いたらそう聞こえるのか不思議なことだ。たしかに、暗から明というスタイルで書かれているが、絶対に感情移入できないように巧妙に作られている。いちばんわかりやすいのはエンディングで、ほとんど悪ふざけとしか言いようのない打楽器の連打で終わる。十月革命のダイナミズムを賞賛したのは最初の部分で、それがボルシェビキの独裁によって変質し、悲劇が茶番として繰り返された歴史を描写している。この曲は、ショスタコーヴィチのほかの交響曲と同じように、ソ連共産党という茶番を、ロシア十月革命の精神で打倒しようと呼びかけているように聞こえる。そのメッセージをより普遍的な言葉に変換すると「素朴は罪悪」ということである。素朴な人間は、マルチ商法やカルトにはまったり、「党」に入ったりする。できちゃった婚をして不幸になったりする。傷口を消毒したり、うつ病の人間を励ましたりして人を死においやる。素朴でナイーブな人は、はっきり言ってはた迷惑な存在でGDPを低下させている。正義とは何かをつきつめて考えたことのない人間の振りかざす正義に素朴な人間が多数派として同意したとき、ファシズムが生まれる。こうした理性の消滅もしくは没理性的状況に対する抵抗をこの音楽は叫んでいる。一曲目からテンションの高さが横溢し、15分弱のこの曲を弛緩なく演奏した札響は見事だった。とりわけ打楽器セクションのシャープでダイナミックな演奏が圧巻。二曲目はニコライ・ルガンスキーをソリストに迎えてのラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」。この曲は名曲だとは思うし、たまには聴きたいとも思うが、またか、というのが正直なところ。ショパンの2つのピアノ協奏曲、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲などはもう二度とコンサートで聴きたくない、とさえ思う。この曲はロシアのオーケストラの来日公演に任せるか、日曜午後の「ファミリー向け名曲コンサート」に限ってはどうかと思う。ハリウッド映画の三枚目を思わせる風貌のルガンスキーのピアノは流麗で品のよさが長所。一方、優等生的ともいえ、一期一会のスリルはない。ロシア・ピアにズム楽派にありがちの金属的な音色の名人芸一本の猿回し芸人的ピアニストではなく、このあたりがやはり新世代の感性なのかもしれない。メーンのストラヴィンスキー「火の鳥」は、パントマイムかあやつり人形のような広上の指揮にもかかわらず、出てくる音楽は意外と繊細。きれいなところは徹底的にきれいに、ダイナミックなところは徹底的にダイナミックにといった、いわばカラヤンふうの音楽作り。そのため、フランス音楽風のところはフランス的、ロシア音楽風のところはロシア的にサウンドするというありがちな結果に。長いコンサートになったためか、大団円ではスタミナ切れが見られた(特に若い女性の多いセクション)。
December 12, 2009
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投資には二つの基本がある。ひとつはトレンドフォロー。上がっている株に順バリでついていく、最も一般的な投資法だ。もうひとつはバリュー投資。下がっていても割安なら買うというもの。逆バリが基本になる。それぞれ長所と短所がある。トレンドフォロー型の投資では、すでに市場が気づいているので、株価は騰がってしまっている。相場の最終局面で高値づかみをしがちだ。一方、相場が続く限り有効な投資法であり、一粒で何度も楽しめる(笑)逆バリのバリュー投資は、長期間の下落に付き合わされることが多い。底値で買うのは非常に難しい。一方、はまればものすごいパフォーマンスになる。リカバリーストック投資がいい例。ここではトレンドフォローで対処すべき二つの株を取り上げる。どちらも高値圏にある。だからすでに割安ではない。だが、相場が続く限り食いついて儲けることができる。大黒天物産という会社を知ったのは、たしか日経ビジネスだったと思う。日経にも記事が出たことがある。証券会社のレポートでは見たことはないが、こうしたものをすべて否定するのは間違っている。「日経に出たらしまい」とは至言だが、ベア相場が続いているときは決してそうではない。この株は一度売買したことがある。800円で買ったらあれよあれよと下がり、400円台までいった。しかしその後上がってきたので、1500円くらいで売った。その後2800円まで上がった。中四国・近畿を地盤とするディスカウントスーパーで、びっくりするくらい安い。それでは利益はというと、最高益を更新している。ふつう、売り上げが上がるとバランスシートは劣化したり営業利益率が下がったり、総資産回転率が下がったりしがちだが、この会社はそういうことがない。大黒天物産HPむしろ総資産が減って純資産が増え、自己資本比率がアップしている。売上増加率よりも営業利益率の増加率の方が高い。こんなことがあるのだ!という軽い驚きさえ感じる。流動比率も低下している。ここのチラシを見てわかるのは、日清などの大手企業の製品でさえ破格に安いことだ。1800CCで800円台の芋焼酎は、通販で売ってもらいたい(笑)これは、価格交渉力があるということで、現金取引で大量購入でもしていなければこんな値段で売って利益は出ないと思う。9ヶ月移動平均まで下がったら、ある程度のまとまった分量を買うつもりでいるが、13週移動平均(現在で2400円)あたりで買い、10%くらい上がったら利食う、というような「投機」を、かなりローリスクで楽しめると思う。同じような、高値圏の順バリ投資にふさわしいと思われるのが、加藤産業である。加藤産業財務情報ハイライト内食と節約志向が続く限り、スーパーに商品を納入している卸には追い風が吹く。いいスーパーを見つけるより、いい卸を見つける方がやさしい。難しいことよりやさしいことをやった方が成功しやすい。大事なのは取引先の倒産などで焦げ付きが発生することだが、この会社の場合、うまく分散されているようだ。移動平均を見てのチャート売買もいいし、この先、市場全体の大暴落があったら突っ込み買いしてもいい。こういう株は、落ちてくる刀をつかまえても自分の手を切ることはあまりない。
December 9, 2009
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竹中直人が、自分の育った街を写真を撮りながら散策する番組を見たことがあった。その番組が印象的だったので、同じところを歩いてみようと思った。逗子である。横浜からは近い。番組の中で、手作りのピザハウスが出てきたので、そこを目指すことにして駅から歩いた。老人の多い街だ。気候が温暖なためだろうか、リタイアしたあと住んでいると思われるような人たちが目につく。うっかり地図を忘れたので、土地の人に聞きながら歩く。ガイドブックや地図には神社仏閣か、若い女の子が喜びそうな店しか載っていない。そんなものに興味はないから、地図を忘れたのは何とも運のいいことだったと思いながら歩くと、ちょうど開店10分前のピザ屋に着いた。ほかに客がいなかったので話を聞くと、兄弟でやっている。登山などスポーツをする人たちらしい。話したのは兄弟のうちどちらかはわからないが、その人は高校から北海道に渡り、そのまま農業関係の大学を出たあとイタリアでチーズ作りの勉強をしたという。叔父もチーズに興味を持ち、いまは札幌の郊外で牧場を営みチーズを作っているというので驚いた。昼はピザだけだが、夜はパスタ以外のイタリアンも食べられるようだった。鎌倉には親戚がいるので何度も行ったことがある。しかし、祖母が亡くなってからは一度も行っていないので30年ぶり。20歳そこそこのあのころ、神社仏閣にはいまよりもさらに興味がなかったので、同じ街を訪れて自分の感じ方がどう変わったかを知ることはできなかった。ただ、30年前はもっとひっそりとした静かな街だったような気がする。それが、いまや平日でも縁日のように賑わう一大観光地になってしまったようだった。この30年の間に、それだけ豊かになりヒマ人が増えたということだろう。座光寺公明という北海道出身の作曲家がいた。非常に厳しい、緊張度の高い音楽を作る人だった。29歳で夭逝したが、彼がよく行っていたという鎌倉の蕎麦屋に行くつもりが、ヒマ人の大群を見ていたらすっかり疲れてしまい、行くのをやめてしまった。逗子ではアロエの花が咲いていた。アロエ・ムタビリスという種類らしい。屋外で野生のように育つのだからやはり温暖なのだろう。逗子・鎌倉にゆかりの音楽家や文人は多い。たしかに、東京に出るのも便利だし、気候がよく住みやすい。静かな環境で落ち着いて生活できそうだ。このあたりはますます老人が増えるにちがいない。
December 8, 2009
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浜松町に宿をとったので、墨田川クルーズに挑戦してみた。浅草と竹芝の間を40分ほどで結んでいる路線があり、そのフェリーの中でしか飲めない地ビールがあるというのである。これでは乗るなという方が無理というものだ(笑)私鉄を乗り継いで着いた柴又の駅は映画そのままだった。帝釈天も参道もそのままで、もちろん荒川の土手も変わっていないように見える。寅さんだけでなく、「男はつらいよ」の登場人物たち、タコ社長やおいちゃんやおばちゃん、さくらや御前さまがそこらからふっと現れそうで、自分がその世界にさまよいこんだかのような気がして、まるで夢を見ているようだ。この感覚はどこかで経験がある、と思ったら、ローマのスペイン広場に行ったときのことを思いだした。「ローマの休日」の最も印象的なシーンで使われたがゆえに、あの広場はただの広場から、自由の象徴になった。柴又も同じだ。「男はつらいよ」の舞台になったからこそ、昭和の人情を愛する人たちのメッカになった。いまではハトバスのコースにもなっているようだが、映画の力というのはすごいものだ。12月5日にリニューアルオープンしたばかりだという「寅さん記念館」にも行ってみた。あるブースでは映画で使われた茶の間のセットがそのまま展示されていて、その奥のスクリーンにお茶の間シーンの名場面が映し出されるようになっている。もうほとんどが物故してしまった出演者たちが、そこにいるようななかなかうまい作りになっている。映画は36歳の寅が20年ぶりに帰郷するところから始まる。が、この記念館では16歳で家出するまでの寅の人生がわかる。戦争があり空襲があり孤児が路上にあふれた戦後、寅のような少年はたくさんいたはずだ。それを思うと涙が止まらなかった。「男はつらいよ」全48作の半分も観ていないが、柴又と寅さん記念館を訪れて思ったのは、寅さんとチャップリン映画の放浪紳士こそが、映画が作り上げた最もすばらしいヒーローだということだ。この二種の映画を人格形成期に観せることより優れた「情操教育」が、ほかにあるだろうか?次の上京の際には、もっとゆっくり時間をとって柴又および寅さん記念館を訪れようと思う。レンタサイクルもあるので、一日遊んでもいい。夜は横浜に移動し梁山泊元会員の方と会った。「ラピーヌ」をまだ持っているというので恐縮。ブログを読んでくれているので、まわりくどい話をする必要はなく、いきなり核心を話せるので楽しい。ブログのいちばんの効用を感じるのはこういうときである。首都圏を訪れると、どこが不況なのかと思うが、ホテルのダンピングはすごい。超高層ホテルの料金が、最も高いカプセルホテルより安くなってきている。もちろん、その恩恵をたっぷり享受したのは言うまでもない(笑)
December 7, 2009
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東京へ行ってきた。小澤征爾が指揮するベートーヴェンとブルックナーをどうしても聴いておきたいと思ったからだ。すみだトリフォニーホールにおける初日を聴いてきた。小澤征爾は世界中どこでもすごい人気だが、案外、「アンチ」派も多い。彼に対する批判の大半には、成功者に対する妬みが基調にあるのを感じる。いまだに、日本人のクラシック音楽演奏に対する偏見もゼロではない。一方、彼に対する賞賛もレベルの低いものが多い。彼の誠実さ、私心のなさといった人柄のよさ、人間性への賞賛を音楽に横滑りさせたものか、日本人大リーガーに端的な、欧米で重要なポストについている日本人へのナショナリスティックな共感を表明したものが多い。これは屈折した欧米崇拝だ。小澤征爾の音楽の価値をほんとうのところで理解している人はいまだに少数であり、特にコンサートではミーハーが多いのを感じる。小澤征爾が札響を指揮した1974年のコンサートが35年たったいまでも忘れられない。あのころ札響に在籍していた楽員はほぼ全員退団したが、彼らに「印象に残ったコンサート」をたずねると、このときのコンサートをあげる人が多い。たった数日の練習で、まったく別のオーケストラになったといえるくらい響きが変わった。札響にはそのころから名指揮者と言われる人たちが来演していたが、小澤征爾に比べれば大したことがないというのが率直な印象だった。同じころ高橋悠治のピアノや細川順三のフルートや潮田益子のバイオリンを聴いて、現存するクラシック音楽演奏家は日本人が世界最高とずっと思っていた。日本人演奏家以外でもすごいのがいる、というのを知ったのは1990年、死の直前、72歳のレナード・バーンスタインを知ったときだが、欧米の演奏家の多くに、わたしには理解も共感もできない独特の癖を感じることが多い。日本人にはクラシック音楽の伝統がないことが、逆に有利に働くのではないかと、彼らの新鮮な音楽を聴きながらいつも思ったものだった。小澤征爾のモーツァルトやベートーヴェンには、たしかに疑問を感じたことがある。モーツァルトは一本調子なことがあったし、ベートーヴェンはテンポが速い、というより走りすぎるような気がした。聴いているときはいいのだが、聴後に残るものが少なかったのも事実だ。その小澤征爾もバーンスタインが死んだ歳を超え、70代なかばに差しかかっている。最近は日本でもヨーロッパでもブルックナーを指揮する機会が増えているような気がするが、並ぶもののない近・現代曲やチャイコフスキーではなく、クラシック音楽のメインストリームであるドイツ=オーストリア音楽でどのような演奏をするようになってきたかを知りたいと思ったのだ。「いい指揮者」から「大指揮者」への一歩はほんのわずかの距離だが、この距離を跳躍できる指揮者というのは少ない。そして、小澤征爾はその困難さをよく知っている。その困難さを知っている彼は、そのために何が必要かを考え研磨を怠っていないはずだ。大化けする兆しを発見できるかもしれない。その期待はほぼ満たされたと思う。一曲目、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番が始まる。最初の音からしてしっかりと芯のつまった「ベートーヴェンの音」になっている。少しくすんだ、暗めの重たい響きだが、リズムは重くない。日本のオーケストラがこんな音を出すのを初めて聴いたが、最初の弾むような4小節のフレーズが音程を変えてすぐ繰り返されるところで、小澤征爾はほんの少しだけ音を大きくした。このほんのちょっとの音量の変化が音楽にどれほどの奥行きを与えるかを言葉で言うのは難しい。音楽に外から何かを付け加えたり、力で音楽をねじふせるのではなく、音楽そのものの持つ力を利用して前に進む。小さめに絞り込んだ編成なのに、響きが豊かなので芳香のような気品が漂い、しかも生命力に満ちている。この曲でこういう演奏ができるなら、モーツァルトもすばらしい演奏になるだろうと思わせた。上原彩子のピアノも第一楽章のカデンツァがやや冗長だったほかは万全のでき。後半、編成を巨大化してのブルックナーの交響曲第3番は、やはり最初の音から「ブルックナーの音」がしたので驚いた。前半のベートーヴェンよりもさらに重心が低く、フレーズの始まりの音が丸く厚く響く。どんなに強烈なフォルティシモで決して濁らず、管楽器の音が弦楽器の音を覆ってしまうことがない。バランスも完璧。100人以上の楽員が同時に音を出し続けていて、一瞬たりともそのバランスが非音楽的にならない、というのは気が遠くなるほど大変なことだが、それを小澤征爾と新日本フィルはやってのけた。木管セクションなどもう少し積極的でも、と思える部分はあったが、初日でこれだけの完成度とはすごい。数日前、FMでメータ指揮ウィーン・フィルのブルックナー(交響曲第9番)を聴いたが、ミスが多い上に生気のない、だらしのない演奏だった。その演奏に比べて、新日本フィルの演奏のレベルの高いこと!整理整頓の行き届いた、清潔な演奏に心を洗われたが、こうした淡白なブルックナーを好まない人も多いだろうことは容易に想像がつく。しかし、見通しのよい、流れのよいブルックナーというだけではない、また人間主義的なドラマに還元するというのでもない、まず音楽として美しく、その上に音楽の行間にあるものに語らせるという小澤征爾の行き方は、間違ってはいないし、こうした誠実な音楽作りをする指揮者というのは、ほとんどいなくなった。小澤征爾は今シーズンでウィーン国立歌劇場音楽監督の地位を去る。オペラの雑務から解放されてどんな活動をしていくのか興味が尽きないが、晩年のバーンスタインやギュンター・ヴァントのような音楽の高みに到達するかどうかは、この演奏を聴く限りでは即断できない。しかし、あと半歩のところまで来た、とはいえる。ウィーンをやめた小澤征爾がどこを活動の拠点にするのかはわからないが、もしそれが東京でもミュンヘンでも、そこへ移住するつもりだ。これほどの大音楽家と同じ時代に生まれ合わせ、その音楽に接する幸運を逃すのは、死と同義ではないかと思うからだ。
December 6, 2009
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徒歩圏内に5つのスーパーがある。二つは上場企業で、あとはJRの子会社、農協、市民生協である。チャリ圏内まで広げれば、イオン、西友、ヨーカドー、東急ストアといった全国規模のスーパーもある。これらを巡回していて気づくのは、大手スーパーはこれから厳しいだろうなということである。プライベートブランドくらいしか買うものがない。安売りしようにも、人件費や家賃・地代・建物の減価償却費といったコストがかかりすぎていると感じる。大手スーパーはだめだ。リストラの話でも出ればともかく、投資対象にはならない。徒歩圏内にある二つの上場スーパーとは、北雄ラッキーとアークス(ビッグハウス)である。ラッキーは有機食品に力を入れているのでよく行く。店の雰囲気もいいし、もしビックハウスと同じ値段ならここで買う。しかし、札幌に住んでいる人なら誰でも、ビッグハウスの圧倒的な安さを知っている。むかしは近所になかったので知らなかった。わたしがこの店の存在を知ったのは、看護婦とおぼしき人たちの会話を立ち聞きしたときである。最近、アークスは東急ストアの買収を発表した。買収価格が妥当かどうかは精査していないが、これでアークスは比較的弱かった都心の中規模店舗を強化することができる。アークスの横山社長は北海道銀行の頭取と親しく、また北海道で2番目に古い不動産会社の社長と親しい。だから物件の出物があれば真っ先に打診がいく。出店コストを低く抑えるのに非常に有利だ。ジャスコのように、30年後には無人の野になるようなところに、しかも借金で出店しているのとは経営の次元が違う。アークスと競合するのは、マックスバリュ、コープさっぽろ、北雄ラッキー、そしてJR生鮮市場であろう。この中での強敵はコープさっぽろである。この生協は、かつて破たんしかけただけに、強い。60年安保闘争時に全学連反主流派(日本共産党宮本派)の幹部だった元理事長がメチャクチャな経営をして破たんする寸前までいった。しかしその後のリストラと好調な宅配部門に助けられて劇的に蘇った。とはいえ、店舗は冴えない。これから出店攻勢に出ることはまずないだろう。ラッキーは財務体質が弱い。わたしはいつも閉店間際にいくのだが、自動ドアの電源を切る係とおぼしき管理職の態度がでかい。店舗運営はともかく、バランスシートを見るとはっきりわかる。ここの経営者は二流だ。そのほか、地場の小さなスーパーはいくつもあるが、徐々に姿を消していっている。ホクレン(農協)系のスーパーについてはよく知らないが、ホクレンは縁故採用で有名な反資本主義的経営体である。ガソリンスタンドなどは次々撤退している。しょせん、上流企業が下流に出てもダメなのだ。格闘技や戦争や闘争で大事なのは、玉砕戦法でいちかばちかと賭けに出ることではない。強い敵に対してはゲリラ戦で消耗させる。基本的には、こちらから積極的に攻勢に出るよりは、相手のミスにつけこむ。脇を固めてさえいれば、相手はたいてい自滅する。外食→中食→内食回帰が強まる中、アークスのような株は全国にあるはずだ。しかしオーバーストアが常態化しているこの業界の分析は楽ではない。株式梁山泊を作ったのも、アークスのような株があちこちにあって情報交換できるはずだと考えたからだった。地元にいないとわからないことは、アークスの例からわかるように、多いものなのだ。こうして、消費者としてのわたしはラッキーや生協で買い物をすることが多いが、投資家としてのわたしはアークスを買う。アークス月足(つきあし)で見ると、マーケットとの連動性がほとんどないことがわかる。1200円を割ることはほとんどなく、2008年秋の大暴落でも1000円弱で踏みとどまった。BPSが1444円、現金もたっぷり持っているので、いまの状態が続く限り、大暴落はないと思う。日足(ひあし)で見ると9月高値1538円から下落が続き、11月30日の1185円を底に反転上昇している。5日移動平均で買ってしばらく様子を見ることにした。アークスよりも明快なディスカウントを打ち出して成功している企業に岡山の大黒天物産がある。また、スーパーに商品を納入している卸は全般にデフレ不況の恩恵を受ける。たとえば加藤産業である。次回はこの二つの企業について書いてみたい。
December 4, 2009
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かれこれ10年ほど前のこと。80年代前半まで7~8年関わったミニコミ喫茶が閉店することになり、最初で最後の同窓会が開かれた。ほとんどの人とは15年ぶり以上の再会で、それはそれで感動的だった。同窓会というのは、基本的に成功者の集まりである。アウトローで同窓会に参加するような鉄面皮の恥知らずはわたしくらいのものだ。市民運動(注・市民によるスポーツイベントではない。無農薬野菜の普及、障がい者のボランティア、冤罪事件被害者の救援のほか、地下鉄に「原発反対」のビラ貼りをしたり、右翼を殴るのが趣味のやつがいたりするなど、いわゆる反日共系で非新左翼党派、つまりいわゆる雑多な無党派「アカ」の集合体)の拠点として機能していたこの喫茶店の関係者は、高学歴者が非常に多かったため、弁護士こそいないものの、議員から大学教授、労働組合の大幹部、NPOの理事長といった錚々たる顔ぶれが並んだ。翌日は中でも特に親しかった人たちだけで集まった。かつては毎日のように集まって、背広を着た上に化粧をして居酒屋に行く、などというハプニング的なおバカをやって遊んだ仲間である。わたし以外はみな出世した連中だ。革マル派をテロったり、三里塚闘争や学園闘争で逮捕歴があっても、旧帝大さえ出ていれば出世できるということをそこで知った。出世していても、そこは弱きを助け強きをくじく市民運動の関係者である。上場企業管理職のようなイヤミな人間はいない。しかし、ひとしきり話したあと、つまり懐かしさという感情が落ち着いてみると、漠然とした違和感がわきおこるのをどうしようもなかった。そのときの違和感をずっと温めていた。その違和感には何かとても大事なことがあるような気がして、折にふれて考えた。あの愉快だった仲間たちが、まあ仕事人間になってしまったのはわかる。元々優秀な人たちだから、職場でも信頼され重要な仕事を任されている。それが生きがいになりプライドになるのもわからなくはない。それでは、何が変わったのか。アメリカ映画を続けて何本か観たとき、はっと気がついた。アメリカ映画は、脚本がよくできているものが多い。悲しい別れのとき、絶体絶命のピンチのとき、激しい口論のとき、物事がうまくいったとき、どんな場合でも、セリフの中にユーモアがまじる。これがアメリカ文化というものなのだろう。言葉でケンカができず、すぐ手が出たり感情的になって泣き崩れたりする日本人とは国民性が根本からちがう。そう、かつては数分おきにジョークを連発していた連中が、中年になり、全くといっていいくらい言わなくなっていたのだ。何が変わったと言って、彼らのユーモア力とでも呼ぶべきものの減少もしくは消滅である。何しろ偏差値の高い人たちだからそのジョークはレベルが高かった。それだけに、よけいに激しい変化を感じたのだった。実際には、歳をとるほどにユーモア力は増すはずだ。ユーモア力とは、一面では文脈力であり連想力である。文脈力や連想力は、人生経験を経て見聞や知識が増えるほどに加速度的に高まる。若いときは瞬間芸的ジョークしか言えなくても、歳をとると意味の含有率の高い、つまり含蓄のある複雑なジョークを言えるようになるものなのだ。笑ってはいけないのに笑ってしまうような、不謹慎なジョーク(注・たとえば「笑える投資サイト」を参照のこと。あるいは綾小路きみまろの著書)を言えるようになるのがおとなというものだ。ローマは一日にしてならない。彼らの「ユーモア力」も、少しずつ減少して、長い年月のうちに消滅しかけてしまったのだろうと思う。そのいつの時点でもいいから、なぜ気がつかなかったのだろうか。体重だってそうだ。倍とか3倍になる前に、なぜ気づいて対処しなかったのか(笑)人間は歳をとる。内面も外見も変化する。しかし、生理的な加齢は避けられないにしても、精神的な加齢(や肥満や乾燥症)はある程度避けられる。自分の「ユーモア力」が減ってきたことに気がついたら、手遅れにならないうちに対処すべきなのだ。ユーモア力の減少に気づかなかったのは、「ユーモア」を大事なものだと思っていなかったからだろう。どんな暴君もユーモアを殺すことができない。わたしは高校生のころショスタコーヴィチの「交響曲第13番」に使われているエフトシェンコの詩で知ったが、それはつまりユーモアこそが生き延びるための知恵であり、人類を破滅から救うただ一つの思想の種子であるということにほかならない。ゴルバチョフがソ連共産党の書記長になったとき、これでソ連は崩壊すると思った。なぜなら、ゴルバチョフはジョークを言う人だったからだ。ナチスと日本軍国主義とスターリンの恐怖政治とポル・ポトの粛清と中国の文化大革命とマッカーシズムと連合赤軍の同士殺しとアルカイダと黒シャツ隊とイスラエル軍と機動隊には共通点がある。ユーモアのほぼ完全な欠落である。ユーモアは精神の余裕から生まれる。自分を振り返ってみても、余裕のないときはジョークが出ない。しかし、死の床にあってもジョークを言える人はいる。そういう人こそ大人物というべきだろう。ユーモア力を身につけるには、ほかのことと同じで、まずマネることだ。ザ・ニュースペーパーや綾小路きみまろや瞬間芸的ではない漫才や落語、コメディー映画などでネタを仕入れて、それを知らないと思われる人に使ってみるのだ。それを繰り返すうち、しだいにオリジナルなジョークを言えるようになる。世の中をナナメに見る柔軟性も身についてくる。ユーモアのおそるべき力を知らずその重要性を理解しない人間をバカと呼ぶことにどんなためらいも必要ではない。そこでユーモア力の減少したみなさまに綾小路きみまろを一発。「体重計、そーっと乗っても、デブはデブ」
December 3, 2009
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11月に横浜に行ったとき、桜木町駅前に王将があったのでのぞいてみた。平日の夜だというのに満席で、周辺の店の閑古鳥状態と対称的だった。そのときは入らなかったが、札幌に帰って、西友で王将の冷凍餃子を買ってみた。まあまあだ。一般大衆というのは、もちろんマズイものは好まないが、おいしいものも好まない。異性の好みと同じで、ほどほどを好む。身の丈に合ったといえば聞こえはいいが、すぐ妥協する。逆の言い方をすると、野心や向上心が驚くほど乏しい。野心や向上心があれば、わたしのように株式投資をしてスポーツクラブに通い、少なくとも一日一冊以上の読書をするはずだ。そんな人は一般大衆の中には一人もいない。わたしの知る限り、読書はともかく、トレーダーの渋谷高雄くらいだ。話はずれたが(笑)、要するに一般大衆とはビンボーも嫌だが金持ちになるつもりもない、そういう人たちである。NHKが想定している視聴者は高卒で50歳の専業主婦だが、回らない鮨や星つきレストランに縁のない、そういう人たちの消費行動を把握しその変化に対応するのが、大衆相手のビジネスを繰り広げている人たちやそういうビジネスに投資しようという投資家の義務である。前置きが長くなったが、自分がいいと思うかどうかではなく、投資にあたっては大衆がどう思っているかどうかを基準に考えるべきなのである。デフレ不況に強い株といえば、外食でいえばこの王将やサイゼリヤだろう。マクドナルドはいわずもがな。去年のクリスマスイブは池袋の日高屋に入ったが、中年カップルがビールと餃子でクリスマスを祝っていたので「さすが東京」と感銘を受けた。わたしはオーナーシェフの店でしか外食をしないという原則を立てているので、このジャンルはよくわからない。上記4社と幸楽苑くらいしか思い浮かばない。しかし王将はすでに高値圏にある。これからの投資は慎重にならなければならない。王将2001年12月の500円割れから、今年の夏には2900円を超えた。いまは調整局面なのか、下落トレンドに転換したのか、判断しづらい。2900円とは、PER20倍の水準である。チャート的には、13週、26週、いずれの移動平均も下回っているので、売りサインということになる。しかしわたしが注目するのは月足である。9ヶ月移動平均近辺まで下がることがあれば、PER15倍水準なので買ってもいいのではないか。あるいは高値圏すぎてコワイというのなら、日足での短期トレードに徹することだ。つまり5日移動平均で買い、上がる限りホールド、5日移動平均を下回ったらウリ、という最も常識的なトレードの方法である。ハイデイ日高は、ちょっとチャートが読みづらい。こういうのは避ける方が無難だ。サイゼリヤは週足では売り転換、月足では買いタイミングに来ている。こういう場合、買うかどうかはバリュエーションによる。この企業は、ここから半額に値下げしても利益を出せるほどのコスト管理力がある。デフレ不況が続くほど、子どものいる主婦はパートに出るようになり、忙しくなるので食事は低価格のファミレスで済ませるようになる。気をつけなくてはいけないのは、前期はデリバティブで大損したため、今期は税負担が軽く、利益が倍増したかのように見えることだ。だから、利益ではなくキャッシュフローで見るべきなのである。そのバリュエーションでみて割安かどうか。そしてビジネスは好調かどうか。四季報を読まない投資家はこうして淘汰されていく(笑)デフレ不況が味方になるビジネスにはディスカウントスーパーがある。次はそれを考えてみたい。
December 3, 2009
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日銀が10兆円程度の金融緩和をやるという。相変わらずバカだ。あつものにこりてなますを吹くのたとえがあてはまる。30兆から50兆規模の金融緩和が必要なのに、これでは景気回復が遅れる。というわけで、不況が続くほど潤うビジネスをやっている会社に注目しておく必要がある。以前、ここに書いた株ではトレジャー・ファクトリーがあてはまる。リサイクルショップとか通販とか、小売りではディスカウントスーパーなどがいい。ユビキタス・エナジーという会社があり、上場(公開)のころから注目していた。ユビキタス・エナジーこの会社は「中小製造業等へ電力料金削減を提案、電子式開閉器を販売。個人への給湯器・IH調理器販売」(インフォシークマネー)を手がけている。知人がいま建てているマンションもオール電化。去年の原油高騰がトラウマになっている人は多い。家計だけでなく、企業も経費節減に必死だ。オール電化や太陽光発電は広がっていくだろう。今年、太陽光発電の電気の購入価格が2倍になった。新築アパートでは、入居者が節電するとキャッシュバックをするところが出始めている。この会社のビジネスには追い風が吹いている。株価はじゅうぶんに割安なゾーンに入っている。上場バブルが落ち着く過程の最終局面に来ていると思われる。新規公開株は、上場から1年くらいたって反転上昇することが多い。その点では、まだ日柄が足りない。また、こういう成長株は人材の大量採用などで販管費がふくらみ、売り上げの割に利益が伸びないことも多い。しかしそれにしても無借金企業がPER6~7倍とは安過ぎはしないか。11月17日の900円がこの先数ヶ月の安値になるのではないか。何の根拠もないが、長年の勘でそう思うのである。こうしたことをはやして、PER20倍まで買われるとすると3000円、30倍まで買われるとすると4500円。少しこの会社のことを調べて、問題ないようならポートフォリオに入れようと思う。
December 2, 2009
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この連載では、ほんとうのバカをバカと罵ったりしない。アタマはいいのに、知恵がない、考えることをしない。そういう、いわば「計数としてバカな人」を取り上げてきた。しかしこの人はほんとうのバカかもしれない。いや、計数としてのバカであると信じたい。数ヶ月前のこと。スポーツジムで40代なかばくらいの、わたしにとっては妙齢の女性と知り合った。わたし以外に誰もいないエアロバイクのコーナーで、わざわざわたしの隣に来て、むこうから話しかけてきたのである。すわ、これがうわさの逆ナンかと思った。しかし、そうではなく、機械の使い方がわからないので教えてもらおうとしただけだった。テレビではちょうどトムラウシ山の大量遭難のニュースをやっていた。「わたし、この山に登ったことあるんです」という。登山という共通の趣味の話題で、ひとしきり話が弾んだ。最近は行かないのかとたずねると、太ったので登りがつらい。若い頃の体重に戻ったらまた行きたい、と言う。何でも、若い頃は40キロだったのに、一時は60キロまで増えた。何とか10キロ痩せて50キロになったけど、そこからがなかなか減らない、ということだった。ダイエットという共通の関心事があったので、またまた話が弾んだ。しかし、話しているうちに「あれ?」と思うことが出てきた。10キロ以上減らないので、いろいろなダイエットを試したという。レコーディングダイエット、毎日体重をはかるダイエットもやったが、まったく効果がなかったという。レコーディングダイエットとは、食べたものを記録するダイエットである。記録することで、ちょっと食べ過ぎたかなとか、バランスが悪かったかなとか考えて微調整するようになる。あるいは食べたら記録しなくてはならないので、それが面倒で間食などもしなくなる、そういう効果を狙ったダイエットである。体重をはかるのも同じだ。ちょっと増えたら、気をつける。痩せるとうれしくて、もう少しがんばろうと欲が出る。しかししばらく話していて、この人は記録さえすれば、体重さえはかればダイエットになると信じているのがわかったのである。そのときの驚きを隠すのは容易なことではなかった(笑)ネタではない。かつては登山もし、健康管理にも関心があって、それなりの自己規律を保って10キロのダイエットに成功した女性。しかしその彼女は、ただ記録したり計測したりすれば自動的にダイエットになると思っているのだ。その記録や数字を見て自分の行動を軌道修正することがダイエットになるというシンプルな理屈さえ、わかっていなかったのである!日本人はここまで「考える」ということができなくなっているのか。驚きのあまりため息も出なかった。そういえば「ダイエットコーク」が売り出されたとき、飲めばダイエットになると思ってたくさん飲んで太った女がいたらしいが、そのレベルに近い。まあ彼女に日本人全般を代表させるのも行き過ぎかと思うが、損得や合理性・快適性ばかりを追求してきた日本人が、年代や世代に関係なく論理的思考力そのものを失ってきている危険については注意しなけばならない。オリックスのかんぽの宿譲渡問題で鳩山邦夫が一瞬でも正しいと思ってしまった人。郵政民営化に反対する民主党政権の政策が正しいと思っている人。小泉純一郎と竹中平蔵による構造改革-規制緩和などが不況の原因だと思っている人。こういう人は、くだんの彼女に負けない、立派なバカである。くだんの彼女は永遠にダイエットできないだけで社会的に有害ではないが、これらのバカは害悪だから困る。これらのバカはこれから次第に勢力を増すだろう。その象徴が亀井静香だが、日本のアルゼンチン化はこれらバカの手によってまもなく成就することになる。それはいつか。カウントダウンこの数字が日本の個人金融資産の額を超えたときである。え?そんなこともわからないの?それってバカじゃない?
December 2, 2009
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東京電力について書いたとき、ふと思った。原油の調達コストが下がるなら利益が増大する企業があるはずだ。石油開発企業や商社は、原油価格が下がると利益が減る。一方、石油の下流をやっている企業はコスト減になっていく。しかし、調べてみると、こうした石油の下流企業(新日本石油やコスモ石油など)は、資源株と同じ値動きをしてきた。つまり、原油価格に連動するという、理屈とは反対の値動きをしてきた。しかし、このところ、原油価格の上昇につれ株価が下がるという、理論通りの動きになってきている。たぶん、これまでは市場が間違っていたのだろう。石油と社名につけば何でも買われていたにちがいない。つまり、原油バブルだったということだ。理屈通りに動くとすれば、原油価格が下がるなら、下流企業はコストダウンになって利益が増える。コスモ石油11月27日の182円を底に上昇してきている。出来高も増えている。8円配当の減額の可能性は低いと思うので、200円以下で買っておけば利回りは4%を確保できる。ほかの石油下流企業も見てみたが、償却負担が重かったり、配当利回りはこの株より高いが株価位置が高かったりと、この株が浮上してきた。WTI原油のチャートを見ると、週足で3段の上げをやって、天井波乱状態のように読める。ダブルトップをつけにいく可能性があり、そのときはいったんこの株も下がるだろうが、中長期的に原油価格が下がっていくなら、株価2倍化の可能性は非常に高いと思う。
December 1, 2009
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