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神社の前で津波が止まる」って報道特集が3年前の大津波での経験から捉えた番組があったことを知り大いにおどろきました。 古代から伝わる先祖のメッセージが、神社に祈りとして残されていたようです。 津波の浸水線の多くが神社の手前で止まっているという事実が多かったのがきっかけで調べられたようです。仙台の浪分神社が顕著だったようです。 青森から茨城までこの神社の存在が確認されてるとは、驚きです。 この津波のメッセージ以外にも、地滑り地帯にもあり、大きな木が育ってるか切り株が神社にあるとか。ということは、ここは大丈夫と教えていることです。 村の鎮守の神様は、という唱歌がありましたが、杜があり、清水が湧き、祭の場所であり、災害の避難の場所でもあったわけで、又災害の歴史を伝承しようとした場所でもあったようです。 1000年も前におこった津波の伝承は、忘れ、60年位の記録が、基準に安全評価する様ななったりしていました。 災害は忘れたころに来る」という伝承はあっても、忘却は忘れる事なりで、不幸な記憶は、早く忘れたいのも人情なのですっかり記憶からすり抜けるのでしょう。 想定外なる言の葉の乱用は、身の程知らずの現代人の恥言のようです。
2014年03月16日
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東日本大震災で多くの人の命をなくしてから3年めがやってきます。 まだ悲しみはきえていません。 自然の不意打ちの驚異は、不可抗力的なものがあります。 しかし、無差別殺傷や、バスの衝突など、人為的な命の喪失が 多くありますのは、かなしいことです。 楽しい我が家でのだんらんを前に、お仕事からかえりに、しかも同じマンションの 人間に、不意に殺傷されるとは無念だったでしょう。 しかも、得意げに警察に状況説明してたとは、割り切れない感情が籠ります。 3年前の震災で職場を移し、ようやく目途がたち、家族一緒に住む予定までこぎつけていて、、 残した子供の卒業式に参列しての帰りに、バス運転手のいねむりにきつき、その運転手に「おきろ」と注意してた先生、衝突で運転手と共になくなりました。 前列に席をおいてたので、気づき席を立ち叱咤してたのでしょう。 無防備で即衝突の犠牲でしたでしょう。 やりきれない気持ちになります。 運転手の病気の都合をもっと会社も考えないといけないことです。特に人命を扱う仕事は、当然のことです。 不意に元気なものが、人為で命を落とすことは、絶対に止めねばなりません。
2014年03月05日
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