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以前、実家で乗っていた車としてダットサンブルーバードを取り上げましたが、今回はさらにその前に乗っていた三菱コルトのライトバンを紹介します。 この車は私が物心ついたときからダットサンブルーバードに代わるまで乗っていました。写真をご覧のようにどこにでもあるライトバンで、三菱特有のバタ臭いというか田舎くさいというか、なんともいえないデザインでしょ。 1500ccで3速コラムシフトのMT、とにかく非力で和歌山の親戚の家に行く時の峠道では、父親が何度もシフトチェンジしていたのを思い出します。 また、写真をご覧いただくとわかるのですが、ライトバンによくある4枚ドアじゃなかったです。2枚ドアだったので、乗降も不便でした。 ただ、後ろは荷物室でしたので、車に乗っていて退屈になればそこでよく遊んでいました。 こういうライトバンなど商用車は乗換えが早いですから、この車にお目にかかることはめったにありませんが、戦後の高度成長気の底辺を支えた車として、こういう車もあったことを覚えておきたいと思います。
2005年10月31日
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広島へ草野球の遠征に行った帰りに立ち寄ったサービスエリアで写真のスナック菓子を見つけました。よくある「ご当地もの」の企画品ですね。これ以外にもいくつか種類がありましたが、子どものお気に入りはかっぱえびせんなのでこれにしました。 中に入っていたのはいつものかっぱえびせんではなく、一つ一つがパッケージされていて、その大きさもやや大きいものでした。味はさすがに「オタフクソース」の味でした。 ところで、この箱の内側にはオタフクソースとかっぱえびせんはどちらも「広島出身でがんす」と書かれてありました。オタフクソースは広島が発祥というのはわかりますが、かっぱえびせんのカルビーの創業者も広島出身だったとは知りませんでした。 それから、かっぱえびせんが発売されたのは1964年だそうです。私が産まれた1967年には普通に発売されていたんですね。 そう考えると、スナック菓子の中では一番の長寿なんでしょうね。
2005年10月30日
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10月29日(土)に広島県の北広島町にある「どんぐりスタジアム」で開催された職場の野球部の試合が行われました。試合相手は私の職場の広島と高松の事務所で、3チームによる総当たり戦です、このような試合は持ち回りで試合主催を行っています。 ちなみに、私の職場はここ3年ほどこの総当たり戦で1勝もしていません・・・。〔第1回戦 対高松戦〕 試合は幸先よく2点を先制するも、すぐに同点に追いつかれるというおなじみのパターンだったが、その後中押し、ダメ押しと点を重ねて5得点。しかし、終盤にかけて1点差まで詰め寄られましたが、逃げ切って5-4で久々の勝利! 私は7番サードで出場、1打席目はショートライナー、2打席目はレフトフライ、3打席目はショートエラーで出塁と、ヒットは出ませんでした。 でも、守る方で貢献し、堅実に処理していました。〔第2回戦 対広島戦〕 ここで勝てば97年以来の優勝、負けても準優勝というところでしたが、狙いは優勝! やはり幸先よく2点先制したが、その後は押さえ込まれて追加得点できず。逆に1点返されて終盤にフォアボールからランナーを三塁に置いて、私の所に飛んできた打球を私がグローブに当てながらもはじいてしまって同点、その後もタイムリーで逆転される・・・。結局3-2で負け。 私は7番サードで出場、1打席目はファーストファールフライ、2打席目はセンターフライ、3打席目は三振と全然ダメ。 結局準優勝ということになりました・・・ それはそれでうれしいのですが、接戦をものにできなかったし、私のエラーがからんだのがとても残念でした・・・。 さて、今回使用した「どんぐりスタジアム」は写真の球場で、内野は土ですが外野は緑色ではないのがお分かりいただけるかと思います。これは本当に「砂」でした。少し堅くて、とても飛び込みたくない状況(外野手談)でした。 この球場は広島東洋カープのファームが試合で使うそうですが、よく整備は行き届いていて、広島中心部から途中まで高速を使っても1時間かかりました。
2005年10月29日
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明日は職場の野球チームの試合が広島で開催されます。広島といっても、広島市民球場ではなく(抽選に外れた・・・)、北広島町という中国山地の中にあるところだそうです。 そこの球場は、広島東洋カープのファームが試合で使う球場で、外野が天然芝ではなく「砂」のグラウンドだそうです(どんなんだろ?私は内野手だから関係ないけど)。 そんなんで、今夜の更新はありません。 明日はへばってなかったら更新いたします。 それでは・・・
2005年10月28日
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バッティングセンターって行ったことあります? 最近のバッティングセンターって、バーチャルのところが多くて、機械のアームだげが「ウィーン」と動いているのではなく、西武ライオンズの松坂投手が投げていたりするので、なかなか面白いですよ。 料金的にも1回250円から300円くらいで、だいたい20~25球くらいボールがでてくるというのが一般的ではないでしょうか。 動いている球を打つわけですから結構難しいです。でも、バットにあたって飛んでいくのはうれしいものですよ。 私は自宅から車で5分のバッティングセンターへよく行きます。土日の昼間や夕方はよく混んでいますが、平日の夜はすいています。 ただ、よく来ているのは、未来のイチローを目指しているような親子連れとか本当に学校の野球部らしい少年が多いです。私のようなオッサンは少ないですね。 またここのバッティングセンターは23時まで営業しているのがうれしいです。試合前とかでどうしても打っておきたい時なんかは重宝します。 さて、バッターのゲージに入ってボールを打ち返すわけですが、いつもは110キロか120キロを打っています。(でも、球速表示よりも遅い気がするのですが) そして、一応テーマを持ってやっています。今の所は、とりあえずは「右打ち」。すなわち、右バッターの私がライト方向(右方向)へ打つように練習しています。このところ、試合では全然できていないし、バッティングセンターでもできていなかったのですが今日はできました。 ただね、バッティングセンターでいくら打てても、「試合で打てなければ意味がない」のです。よく同じ職場の野球部員に「あけやんはバッティングセンターでは4番バッターやなー」っていわれるようではだめなんです。 今週土曜日は広島へ遠征して試合があります。結構大きな大会なんですが、いつもは守備でがんばっているんですけど、今年は何とか1本はヒットを打ちたいと思っています。(ここ数年、その大きな大会で打っていませんので)
2005年10月27日
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千葉ロッテファンじゃなくても、優勝の瞬間っていいですよね。しかも31年ぶりでしょ、おめでとうございます。 この31年間は長かったですね。 88・10・19のプロ野球史に残る名勝負(最後の最後での抗議は見苦しかったけど)もあり、川崎球場から千葉マリンスタジアムへの移転あり、18連敗あり、やっと2位になったのに監督解任(95年)、といろんなことがありました。 ところで、私の父親が南海ファンで、私が子どもの頃(特に76-79年頃)よく大阪球場へ連れて行ってくれましたが、その対戦チームにロッテもありました。関西ではなじみが薄かったので、出てる選手そのものが「誰?」って感じだったのを覚えています。かろうじてわかるのが有藤選手くらいでした。 当時は阪急ブレーブスが強かったし、近鉄バファローズも強かったしどちらも関西のチームでしたから余計かもしれませんけどね。 千葉ロッテファンの方は、今は優勝の余韻に浸りながらスポーツニュースのはしごをされておられるんじゃないでしょうか。明日は明日で、スポーツ新聞の買占めですね。 私もひいきの横浜ベイスターズが98年に38年ぶりの日本一(60年の時は千葉ロッテの前身、大毎オリオンズを倒しているんですけどね、しかも4連勝で)になったときなんか、一生見ることができないと思っていたわけですから、スポーツニュースのはしごはもちろん、次の日のスポーツ新聞を買い占めましたよ。 今年の日本シリーズの講評はいろんなところで語られているでしょうから細かく書きませんが、千葉ロッテののびのびとしたプレーが目についたのに対して、阪神の方はちょっと金縛りにあっていたというか、堅さが目に付いていたのが最後までとれなかったような感じに思いました。
2005年10月26日
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仕事から帰ってきてTVをつけてびっくり! 10-1で千葉ロッテがリードって、今日千葉ロッテが勝ったら日本一に王手!やんかって、当たり前のことを叫んでいました。 前評判ではどちらも似たもの同士で投手戦になると思っていたのに、ふたをあけてみれば、3試合で千葉ロッテは合計30点もとるなんて、いつから「打力のチーム」になったんだろう? ちょっと古い話しを引っ張り出すと、1960年にパ・リーグを制覇した千葉ロッテの前身、大毎オリオンズはその豪快な打線から「ミサイル打線」と呼ばれていました。今の千葉ロッテは「マリンガン打線」というそうですが、日本一を狙うときにはこのような打線のネーミングが自然とできるものなんでしょうか。 ちなみに、私のひいき(来年も見られますように)の横浜ベイスターズは1998年の日本一の時には「マシンガン打線」とよばれていました。個人的にはあまり好きではないネーミングなんですけどね。 千葉ロッテファンの方にとっては、あと一つで31年ぶりの日本一。 阪神タイガースにはセ・リーグを制覇しているんですから、明日は意地をみせてほしいですね。
2005年10月25日
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昨夜、CS361chのファミリー劇場をみていたら、「ザ・ガードマン」がやっていました。ご存じ、宇津井健さんを中心とした東京パトロールという警備会社が舞台で、他のメンバーは藤巻潤さんや川津祐介さん、倉石功さん、神山繁さん、稲葉義雄さん、中条静夫さんといった、今から思えばとても贅沢な方が脇を固めていました。 昨日の話しは、218話「サラリーマンは夜に勝負する」という話しで、金庫破りのプロではなく、電車内などで知り合った素人仲間が協力して金庫を破っていくという「それはちょっとムリあるやろー」という突っ込み度満載だったのですが、なかなかおもしろくて眠い目こすって最後までみてしまいました。 その金庫破りの仲間の中に、若かりし頃の中尾彬さんや露口茂さんがいたのにはびっくり。中尾彬さんはよく刑事ものの犯人役(詐欺師の役がはまっていたと思います)でご出演が多かったのですが、露口茂さんといえば「太陽にほえろ!」のヤマさん役(山村刑事役)の印象が強いから、とっても意外に思いました。 ちなみに、この話は1969年6月の放送だったそうです。今、ベテランで主役級の人たちも、最初はこういった役が多かったという典型のような話しでした。
2005年10月25日
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今日は出張でした。帰りに立ち寄った乗り換え駅で列車の接続待ちで約30分待たされました。都会で味わうことのない時間。ゆったりとした時間が流れます。向かいのホームの屋根には、ねぐらに帰るのか鳥が1、2羽。夕方にいつも流れるのか、「遠き山に日は落ちて」の音楽。「とぉ~き やぁ~まに ひぃ~はおちて・・・♪」と思わず口ずさむそういえば、向かいに見える山にあたっていたお日様、いつもの間にか夕焼け色に染まっている。夕焼けになってくると、早く家に帰りたくなるって聞いたことがあるけど、本当にそう思えるなぁ。相変わらず列車はまだやってこない。ホームに目をやると、大阪と名古屋を結ぶ関西本線らしく、かつては多くの列車や人でにぎわったんであろうと思わせるような長いホームが目立つ。今ではほとんどの利用者が大阪名古屋間は近鉄や新幹線を使われるので、関西本線を走る急行列車は1往復だけ。しかも、奈良と名古屋の間だけ。また、この柘植駅はJR草津線の始発駅でもあって、かつては京都から草津線を経由して名古屋や伊勢志摩方面へ急行列車が運転されていたとのこと。人の流れが変わった中で、長いホームだけがかつての賑わいの面影を残していて、広い構内とあわせて少し哀しい気持ちになる。カン、カン、カン、カン・・・少し離れた踏切の音がなる。やっときてくれたよ。列車は2両編成のディーゼルカー。しかもバスみたいな小さな車体。JR西日本ではキハ120型とよばれている車両で、長いホームにとっても不釣合いだ。列車内は学校帰りの学生を中心に満員。列車の本数が少ないこともあるけれど、多くの利用者がいるのは何かうれしい。列車の発車時刻になっても、発車しない。どうやら、対向列車が遅れているとのこと。単線区間ならではの出来事だけど、困ったものだ。列車が発車した時は、日はすっかり山の向こうに落ちていた・・・30分の待ち時間でしたが、何かとてもゆったりとした気分になれました。直帰できたこともあって時間をとても贅沢に使えたようでした。PS.写真は今日乗ったキハ120型とは違いますが、イメージということで。(この車両は福井県のJR越美北線で使われている同系の車両です)
2005年10月24日
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今日は妻が自宅のカーテンを更新したいということで、カーテン生地を買いに行きました。 「カーテンは手間の嵐だけど、こんなにつくるのに簡単なものはない」と豪語するだけあって、今の家を建てた時に全ての部屋のカーテンをつくってくれました。学校でもっと複雑なものをつくっていたので、カーテンは簡単らしいです。真っ直ぐに裁断して縫うだけらしいですけど。 おかげでカーテンの部分は生地代とカーテンレール、金具類のみでした。 今回買ったのは写真のものです。どんなものになるのかわかりませんが、楽しみです。 ところで、このカーテン生地は大阪の江坂にある「大塚屋」という生地屋さんで、ここへ行くと妻は私と子どもはほったらかしです。おかげで、今日も近くの東急ハンズで2時間以上遊んでいました・・・。 その埋め合わせに、東急インでランチバイキングをいただきましたよ。
2005年10月23日
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今日の奈良は予想以上の雨が降りました。おかげで予定していたおいも掘りができなくなりました。天気には勝てませんが、この雨でぐっと寒くなりそうですね。 さて、今日は久しぶりにCDを借りてきました。とってもベタなんですが、「BEST HITS 70’s-80’s-90’s POP CLASSICS」で、中・高校生の時や勤めはじめたときに聞き覚えのあるものばかりです。最近はこういうCDが増えていいですね。 中でも一番のお気に入りはグレン・メディロスの「変わらぬ想い」(Nothing's Gonna Change My Love For You)なんです。これがさらっと歌えたらかっこいいだろうなって思っていましたが、今に至るまで歌えません・・・。 せっかくだから、買おうかな・・・。
2005年10月22日
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私の家のセカンドカー、1994年式のサンバークラシック。ここでもとりあげましたが、今年3月に中古で購入しました。その時の走行距離がたったの3300キロ。前のユーザがほとんど乗らなかったためですけどね。 3月以降、子どもの送り迎えや私の実家(大阪府堺市)へ行ったりしたために、総走行距離が6700キロ近くとなりました。前のユーザが11年かかって達成した距離を半年あまりで走行しました。 さて、そうなればオイル交換ということになりますが、サンバーはご存じのようにリアエンジンですから、個人で交換しようとするとちょっと難しいかなって思っています。 エンジンをみるだけでも、荷室の内張をはがしてリアバンパー外して・・・と大変手間がかかります。その手間もいいんですけどね。 だから、この車を買ったモータースさんにお願いすると思います。ちょっとお金はかかるでしょうけどね。 ところで、サンバークラシック、もう10年選手となっているにもかかわらずよく見ますね。みなさん丁寧に乗っておられるんですね。飽きの来ないデザインだし、エンジン音は頼りない音だけどよく走るし。 子どもの保育園では、お迎えに行くと、子どものお友達がサンバーをみて、いつも「あっ、○○ちゃん(下の子の名前)、パパ(またはママ)きたよー」って言っているそうです。フロントのデザインが今の車にないから、わかりやすいみたいです。 こんな個性的な車ですから、大切に乗っていきたいです。 もし、同じ車に乗られている方で、「こういうところは注意して」というようなことがあれば、教えて頂ければ幸いです。
2005年10月21日
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今日は上の子どもの小学校が、昨日は下の子どもの保育園が遠足でした。行き先は上の子どもが大阪の千里にある国立民族学博物館へ、下の子どもは同じ奈良県三郷町にある「のどか村」という観光農園でした。 いずれもいい天気だったので、おもしろかったそうです。 私が幼稚園や小中高校生の時の遠足ってどこへ行ったっけって思い出してみました。でも、意外と覚えていないですね。小学5年生くらいからの日記は実家にあるので探せばわかるかもしれませんが、忘れているということはあまり印象に残らなかったのかな。 たぶん、奈良公園とその近辺が多かったように思います。定番中の定番ですからね。幼稚園や小学校の低学年の時は天王寺動物園だったかなー 高校生くらいになると、現地集合現地解散という形式もありました。ちょうど大阪城の築城400年だった時にそのようにしましたし、高校3年生の時はみさき公園でした。お金があまりなくて、自宅の堺市からみさき公園に近い泉南市まで自転車で行って、そこから電車でみさき公園まで行きました。 学校の遠足って、勉強のためのテーマがあったと思うのです。今回の上の子どもの遠足もテーマがあって、「世界各地域の『仮面』を見て絵をかく」ということだったそうです。 でも、テーマがあると、それをこなすことで気を取られてしまって、せっかく行っているのにもったいないなーって思うことがありました。 勉強の一環だから、そこは仕方ないのかな。 ところで、私にとっての遠足の楽しみはお弁当の時間でした。みんなで集まってわいわい言いながら食べるお弁当は格別でした。 そのお弁当にこだわりがあって、必ず鶏のささ身の甘辛煮を入れてもらうことと、そのお弁当の包み紙は「ヒロタのシュークリームの包装紙」を使うことでした。 当時のヒロタのシュークリームは、今みたいに4個が1パックではなく、12個か16個が1つの箱に入っていて、その包装紙がオレンジ色の包装紙でした。当時はなんとなく格好よくみえたんですね。遠足前に必ず親にシュークリームをねだって買ってもらって、遠足のお弁当の包装紙にしてもらっていました。 ささ身はいいとして、シュークリームの包装紙っていうところが、けっこう変わった子どもでしょ。今でも、なんでそこまでこだわっていたのか覚えていないですけどね。 またこういった遠足をやってみたいなーって、ちょっと思ったりしました。
2005年10月20日
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先日来、ベイスターズ身売りかという話題があがっていますが、その有力売却先として登場したのが「USEN」ですね。有線放送大手、ということですが、個人的にはどのような会社なのかは詳しく知りませんが。TBS側は売却は考えていない、とのことですが、果たしてどのような結末になるんでしょうね。 一ファンとしては、現在の「横浜ベイスターズ」という名称と横浜スタジアムを引き続き使用してくれるのであれば、いいかなと思っています。(ユニフォームの袖に「USEN」って入るかもしれませんけどね) 一番困るのは名称と球場を白紙にして、去年の楽天イーグルスのように選手・監督・コーチ以外は全て新しくする、つまり「USENベイスターズ」で球場は関東にチームが多いから、北陸とか信州などへ移転させる(四国は独立リーグがあるから)というようなことですね。 これからのファン層拡大といえば聞こえはいいのですが、そうなればそれまでの横浜周辺のファンはどうするの? って思います。 例えば、南海ホークスが福岡ダイエーホークスになったときは、私の周りの南海ファン(少なかったけどね)はがっかりだったのですから。特に、父親は戦後すぐからのファンだったので、身売りの数年前から覚悟はできていたそうですが、かなり落ち込んでいました。 そうはいっても、北海道へ移転した日本ハムにしても今年仙台で誕生した楽天にしても、新しいファンができたのは事実ですから、もし「名称と球場を白紙」にされても、やむを得ないかなって思っています。 一番いいのは、来年も横浜スタジアムで横浜ベイスターズの試合が見られることです。 関西在住の私にとってはそれらに加えて、TVKのベイスタ一色の放送が奈良テレビやKBS京都で見られることですかねー
2005年10月20日
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自動車オーナーの方にとって、車に関するこだわりって何がありますか?先日のデイキャンプにおいてそんな話しがでました。もし、車を買い換えるとすれば、どんなことを望まれますか? 「カーナビはもちろん、室内は高級感あふれるような内装がいい。ミニバンなら自動ドア(っていう表現がいいのかな)と両側スライドドア、サンルーフもあればいい。できれば4WDで、排気量は・・・」ときりがありませんね。 さて、私の場合は乗っている車がデリカSWとサンバークラシックですから、どちらも「箱バンあるいはバスみたい」な車なのですが、私なりのこだわりがあります。 1.MT車 ここでは何度もふれていますが、MTは必須です。 2.箱バン すなわち、「ボンネットがない車」ですね。 衝突安全性は低いのですが、運転しやすいです。 3.ディーゼルエンジン 軽四は仕方ないのですが、ディーゼル車の燃費の良さには惹かれます。 燃料代が安いのも魅力ですが、それ以上に燃費ですね。以上です。 「おいおい」という突っ込み、ありがとうございます。 ホントにこれだけなんです。 カーナビは地図があるし、自動ドアや両側スライドドアはあったらいいけどなくても別に困らない、サンルーフは積極的にいらない。 もっといえば、パワーウィンドーも別に要らないし、内装も飽きの来ないデザインならチャチでもいい。(ものには限度がありますが) だって、私にとっては「運転が楽しいんですから」! 以上を満たしてくれるということで、今のデリカSWやサンバークラシックに乗っていますが、仮に買い換えるとするととっても難しいですね。 でも、ご心配なく。 これらを満たす車といえば商用車です。例えば、ニッサンのキャラバン(私の弟が乗っていますが)には、MTが設定されていますし、オプションでがちがちの商用車っぽくなくすることもできます。もちろん、ディーゼルエンジンもあります。 「商用車かよ」という突っ込みも、ありがとうございます。 そうなんです、もし今買い換えるとすれば、そのような選択になってしまいますね。 メーカーはミニバン系統に力を入れていますが、MTの設定なんてどこもしていませんから。MT好きには悲しい現実です。 まぁ、まだまだデリカSWは元気に動きますし、今すぐどうこうはないんですけど、買い換えるとすれば選択肢が少ないなと思っています。 みなさんはいかがですか?
2005年10月19日
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昨日靖国神社を参拝したコイズミ首相に対して批評の声があがっていて、他の方もたくさん日記に書き込みをされておられます。私が見た感じでは、概ね「評価」の方なのかなというように感じました。 私はというと、どちらかというと「批判」の方ですね。確かに本人の「心の問題」や「内政干渉」、あるいは周辺各国からの批判に関係のない国民まで巻き込まれるから等々ありますが、私は「なぜ公約で8月15日に『必ず』参拝するといいながら、また昨年は羽織袴で神道形式に沿って参拝しているのに、今回はスーツなの? あれだけえらそうに言ったのだから『正々堂々と参拝』しなさいよ」ということで「批判」なわけであります。 確かに、先頃の裁判で違憲との判断がでたりしているので配慮しているのかもしれませんが、私には周辺各国の猛反発を抑えるためにあえて我々が普通の神社を参拝するのと同じようにしたではないかと思います。もしそうなら、姑息なことしますね。 もめることが必至な時期にあえて参拝するというのもどうかと思うし、評価する方の意見に多い「心の問題」というのもわかります。 だからこそ、コイズミ首相自身が自分の言葉できちんと説明をして理解を得るようにしないといけないでしょうね。今の状況では、「心の問題だ、内政干渉だ」って突っぱねているだけのように思えるし。 「その辺は説明し尽くしている」という意見もあろうかと思いますが、その辺はクレーマーと一緒で、懇切丁寧に説明していくしかないと思いますけどね。 以上が「靖国問題に詳しくない」オッサンの戯言です。 ここまでご拝読いただきまして、ありがとうございました。【追記】表題がちょっと過激だったのですが、私は積極的に参拝せよってことじゃないです。参拝したかったらしたらいいけど、その前に国民にどんな影響があるのか「適切に」判断してからやってよね、それから参拝した後にもめた場合には「心の問題だ、内政干渉だ」じゃなくてちゃんと説明してよね、ということです。まぁ、そんなことができる人なら、こんなややこしい時期に参拝なんかしないと思いますけどね。
2005年10月18日
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ロッテファンの皆さん、おめでとうございます。 31年ぶりの優勝ということは、1974年にカネやんが監督の時以来ですね。私自身もそれ以降の弱いロッテしか知らないのですが(実際には稲尾監督、前回のバレンタイン時代にはAクラス入りしています)、1950~60年代の毎日(→大毎)オリオンズ時代には日本一やリーグ優勝にもなっていますし、南海や西鉄と並んで強豪チームの一つだったんですね。 これをみていたら、98年の横浜の優勝を思い出しました。横浜も大洋時代の1960年の日本一以来優勝からは遠ざかっていたわけですが、この前年辺りから世代交代と投手力の整備が進んで、98年に花咲きました。 今日の胴上げや祝勝会をみていたら、98年のリーグ優勝を思い出して、「やっぱり優勝しないといけないなー」って思いました。 それにしても、今のロッテはうまい具合に世代交代が進んでいますね。若い選手と中堅ベテラン勢がうまく噛みあっているし、しかもそれぞれの力が融合されていい方向に進んでいます。投手はきちんと分業ができているし、中継ぎ以降の投手は力がありますし。 さて、22日からは阪神との日本シリーズです。打力は金本選手や今岡選手のような一発長打のある阪神に分がありますが、今回のプレーオフのような接戦や投手戦になれば互角かロッテに分があるかもしれません。 いずれにしても楽しみですね。
2005年10月17日
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私が献血をするきっかけ、それは私の弟の耳にできた「真珠腫」でした。出張先のデトロイトに数ヶ月滞在した時に耳に不調を感じつつも、病院へ行かずに日本に帰ってきて診てもらうと、右側の耳はほとんど聞こえておらず、左側の耳も半分くらいしか聞こえていない状況でした。 手術をしたのですが、残念ながら聴力は元には戻りませんでした。この手術の際に輸血してもらったそうです。 私と弟は血液型が違う(私はB型、弟はAB型)のですが、弟は見ず知らずのAB型の方に助けてもらったと思っています。だから、B型の方で弟と同じような病気の方に私の血を役立ててもらえれば、というのがそのきっかけです。 最初は全血(400cc献血)をしていたのですが、全血以外に成分献血もあるということで、最近は成分献血をしています。成分献血とは、赤血球の中にある血しょうや血しょう板を取り出して、赤血球は元の体内に戻すというものです。血しょうや血しょう板は血友病の患者さんのために欠かすことのできない血液凝固因子製剤などに使われるそうです。 1時間も針が刺さっているのは最初のうちは苦痛だったのですが、最近はなれました。しかし、私の場合には血管が細いらしく、成分献血がうまく行く場合とうまく行かない場合があるのです。うまくいかなかった場合は、針が刺さっていた周辺は内出血しますし痛いです。 そういうこともありますが、本当に身近なボランティアとして今後も続けて行こうと思っています。まだ献血回数としては合計43回ですけど、私のような血でもどこかで役になっていると思えばうれしいです。 献血についてのレポート、またここにも書き込みたいと思います。
2005年10月17日
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今朝、子どもと一緒に散歩へ行くときに、思いがけないことを教えてくれました。 「ここにな、蜂の巣あるねんで」 自宅にほど近いある家の植え込みの中に、大きな見慣れた蜂の巣を発見! 「それ! スズメバチの巣やんかー」 そうです、今年はあちこちで騒動を起こしていてけが人もでているというスズメバチの巣です。独特の文様が不気味に植え込みの中にありました。 ちょうど通学路になっている場所なので、子どもには絶対に近づいたり、ましてや植え込みへ「手を入れたり、蹴りをぶっこむ」ようなことはしないように注意しておきました。 ところで、このようなスズメバチの巣は役場に連絡すれば除去してもらえると思うのですが、連絡するのはその植え込みの持ち主なのか、見付けた人なのかどっちなんでしょう? といいますのも、その植え込みの持ち主、集落でもかなりの「変わり者」で近所づきあいの全くない家なんです。集落の廃品回収の時なんか、ものすごい量の新聞雑誌類を出されますが、手伝うことなんて全くなし。 こんな家がとても連絡してくれるとも思えないし、植え込みは向こうの持ち物だし、どうしたらいいんだろうかって考えています。 まぁ、個人的には、「いつ爆発するかわからない爆弾があるんだから、緊急避難的に除去可能!」って思っているんですけどね。 ちなみに、私が小学生の時のことなんですが、自転車で走っているときに眼鏡に蜂(多分ミツバチみたいな小さな蜂と思う)が飛び込んできてびっくり! あわてて自転車を止めて追っ払おうとした瞬間に「ブチッ!」とまぶたの上を刺されました・・・。 ムッチャ腫れました・・・。ムッチャ痛かったです。 また、同じ頃に私の弟も家のすぐ近くでアシナガバチに刺されて、死にかけていました・・・。 兄弟揃って蜂に刺されるとは、ついていなかったです。 今回のスズメバチはちょっとシャレになりませんので、一刻も早く手を打たなければならないなぁと思います。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【追加】 妻の話しでは、その植え込みを持っている家にスズメバチの巣のことを言いに行ったら、「(スズメバチの巣があることは)知ってるよ。でも、どうやったらいいかわからないから」とのことだったので、通学路でもあるし危ないから役場へ連絡するようにいうと、「あっそうなんや、ははは・・・」だって。これが笑い事か、何考えとんねん! スズメバチの巣があることを現認しながら、何ら有効な手立てを打たずに他人を傷つけるようなことがあれば、一大事ですよね。 だから、しばらく待って行動を起こさなかったら、役場へ連絡して強制的に撤去するよう申し入れようと思います。(たまたますぐ近くで工事されている方も不安がっているので、そちらから動くかもしれませんが) 世の中にはこんな非常識な人がいることは知っていますが、こんな身近にいるとは思いませんでしたね。
2005年10月17日
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15日(土)は下の子どもの保育園の運動会でした。天気さえよければお外でする予定だったのですが、あいにくの雨模様ということで町営の体育館での開催となりました。実は昨年に続いて二年連続です。 先日のブログにも書きましたが、観覧の席は抽選ということになったのでまずは7時半にその抽選に行きましたが、準備に時間がかかったのか始まったのが8時という状況でした。抽選だから、いつ行ってもよかったんですけどね。カメラ撮影もある程度場所が決められていましたし。 9時半から開会式で、下の子どもはかけっこ、サーキット(跳び箱や鉄棒、平均台、でんぐり返りを順番に行っていくもの)、ダンス、親子の参加競技(借り物競争)と運動会ならではのプログラムだったのですが、一番最後に2歳以上の園児全員で行う「色別対抗リレー」がありました。 色別対抗リレーとは2歳以上の園児約130人を5つのチームに分けてリレーをするのですが、そのチームには2歳児から5歳児までが含まれていて、どのチームが勝つかは全く予想できないというリレーで、保育園の運動会の恒例行事です。 下の子どもは桃色組でしたが、桃色組はみんなあまり早くなく、最下位や4位で推移していたのですが、下の子どもがバトンを受けると、「スタタタ・・・」と小刻みなストライドで3位の子どもの差を縮めて抜き去りました。ちょうど、リレーの前の親子の参加競技の時に「腕をよく振ることと、足をしっかりあげること」を事前にレクしておいたのがよかったようです。なお、人数の関係で、下の子どもはもう一回走りましたが、そのときは抜きはしませんでしたが、順位キープでバトンタッチしていました。 先ほど、今回の運動会のビデオを見ていましたが、なかなか面白かったです。また、プロのカメラマンがビデオ撮影していましたので、後日有料になりますがDVDで販売されるそうなので楽しみです。 ところで、観覧席の抽選については概ね好評だったようでしたが、体育館の関係もあるのでしょうが、割り当ての区画がみんな狭いのでかなり窮屈な感じでみていました。もう少しゆったりとしたスペースならいいんですけどね。 二年連続しての体育館での運動会でしたが、子どもたちは日ごろの成果を存分に発揮できたようで、夜には疲れて早々と寝ていました。 写真は運動会の開会式の模様です。壁際には脚立に乗って撮影されている方の姿も見られます。私は容量45リットルのクーラーボックスの上に乗ってビデオ撮影していました。
2005年10月16日
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今日は下の子ども(4歳の男の子)の運動会。いつもなら保育園の園庭で行うのですが、奈良は昨夜からの雨。昨日のうちに園庭で行うのは取りやめて、町営の体育館で行うことになりました。 中止&明日に順延なんてことになると、明日は私が仕事なので困るのですが、保育園の場合はちゃんと代替の場所を確保しているので、それがないのがうれしいです。 でも、お空の下でできないのはかわいそうだし、体育館の中でかけっこというのもねー 今、妻がお弁当作りの真っ最中、下の子どもはすでに起きて(早っ)ボーっとしています。緊張して眠れなかったのかな。 どんな運動会になるのかわかりませんが、がんばってほしいです。 PS.今夜の更新はありません。明日夜にがんばって更新しますね。
2005年10月15日
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ベイスターズの親会社のTBSの筆頭株主に楽天がなった、との報道がなされました。大洋時代から見続けていた球団がいったいどうなるのかとても不安ですが、「次に身売りされるのはうちかな・・・」という漠然とした危機感は98年の優勝の前から持っていました。 93年に横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズに球団名が変わったものの親会社は大洋漁業(現・マルハ)のままで、つい最近親会社がTBSに変わりましたが、球団名も本拠地も変わらなかったんですから、いざそのような話しがでてくると、寂しいものですね。 球団身売りといえば、88年のシーズン終了後にいずれも関西の名門球団だった阪急ブレーブスと南海ホークスがそれぞれオリックスとダイエーに譲渡されました。また、昨年には近鉄バファローズがオリックスと楽天に分割されて球団消滅してしまいました。 ベイスターズも阪急のパターン(本拠地変わらず)か、南海のパターン(本拠地変更)、近鉄のパターン(チーム分割して消滅)のいずれかになるのでしょうか。それとも、1リーグ化によって完全消滅? かつては企業のシンボルとして、また野球を愛するファンのために球団を保有してきた時代もありました(今もそうだと思います)が、球団経営にはとってもお金がかかります。とても入場料収入だけでやっていけるわけじゃないのもわかります。どの球団も一部の人気球団を除けば赤字でしょう。 私には昨年来からの球界再編というか、野球界以外でのマネーゲーム(とあえていわせていただきます)が野球界にも飛び火しているように感じています。今回、TBSの筆頭株主になった楽天や阪神電鉄の株を約30%以上も保有したとニュースになった村上ファンドにしても、はっきり言って「どこまで野球が好きなのか」かなり怪しいです。譲り受けた球団を引き受けてくれる企業等が現われれば、さっさと譲渡してその益を得るような感じがします。そこには、ビジネスライクにことを進めて、球団に対する愛情やファンに対する感謝もないんでしょうね。 例えば、かつてパ・リーグの強豪チームで「ミサイル打線」の異名をとった大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のオーナーに永田雅一さんという名物オーナーがおられました。この方、映画会社の大映の社長でもあったのですが、本当に野球が好きでその野球道楽の集大成として東京スタジアムという球場を造ったくらいです。 このような「野球を心から愛してくれる」オーナーがファンに対して、村上氏と同じようなことを言ったとすれば、ファンもついていったかもしれないし、私も胡散臭いとか思わなかったかもしれません。 今回の騒動が端を発して、昨年のような野球界全体を巻き込むようなことにならなかったらいいなぁと思います。そして、来年もまたベイスターズが応援できればいいなぁと思います。 ビジネスライクにことを進めるのも結構ですが、野球は「ファンあってのもの」ということを忘れてほしくないですね。あまりファンの神経を逆なでするようなことをすると、いっぺんに見向きもされなくなりますよ。 身売り騒動の話しから、昨年来続く球界再編の話しに飛んでしまいましたが、ここまでご覧いただきましてありがとうございました。
2005年10月14日
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先月の27日に職場の健康診断を受けたことはここでも書きましたが、その結果が送られてきました。 結論的には「総合判定 A 今回の検査の範囲では異常ありません。」とのことでした。 よかったよかった。 ん?なんだ、「この今回の所見」ってのは? 『やや低血圧傾向』 やはりな・・・ 血圧がこの検査当日には、上が90下が54なら普通そんな結果でるよなー ただ、総合判定が前回と前々回と「総合判定 C 要観察(日常生活注意)」だったので、それがなかったのがよかったです。 ちなみに、前回と前々回のデータも記載されていたのですが、「血色素量」という数値が下限の数値を下回っていたことから、「貧血ぎみ」との判定がなされ、最終的には「要観察」との判定となっていたみたいです。今回は下限の数値を超えていました。 結果が異常なしだったから手放しで喜んでいいかと思うと、そうでもないかもしれません。 肥満度が+19%の肥満傾向は相変わらずですから。理想体重も親切に書いてくれているんですが、62.7キロって12キロ減量しなければならないやんかー 体重は就職して約20年ほとんど変化ありません。一時期77キロまでいったことがありましたが、ずっと73~74キロをウロウロしています。 まぁ、あまりいいことじゃないと思うので、少しずつ減らして活きたいと思います。 とにかく、へこむような内容じゃなかったので、このまま維持して行きたいと思います。
2005年10月13日
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今日、職場の先輩職員に枝豆をいただきました。これは丹波篠山の黒豆です。丹波篠山といえば、「黒豆」「栗」「松茸」と秋を代表する食材の宝庫で、しかもブランド品です。関西に住みながら、こんな最高級のブランド品を食するには、料亭とかいい店に行かないとお目にかかれないのですが、丹波篠山がご実家の先輩職員の実家からもらってきたものを少し分けていただきました。 家に持って帰って茹でて塩したものが写真です。茹でたてなので、その湯気まで映ってしまっていますね・・・。「種皮にアントシアニン系の色素を含むため、外見が黒色を呈する。」(Wikipediaから引用)とのことですが、中のマメは緑色でした。これを収穫後に天日に干せば、中のマメは黒色となっておなじみの黒豆を見ることができるそうです。 さて、早速熱々を食べて見ました。普通の枝豆は軽い感じで別になんとも思わなかったのですが、この黒豆の枝豆は少し味が濃いように感じました。初めて食べたのですが、おいしかったです。ビールともよくあったし。 ところで、あまりお目にかかれない今回の黒豆をはじめとして、丹波の高級食材についてその先輩職員に言わせれば、「子どものころから食べていたから、別に珍しいとかありがたいってあまり感じなかった」とか・・・。 さすが生産地に近いということもあるんですが、何と贅沢なんだろう! 国内での有名ブランドを前にしてそんなこと、言ってみたいなー それはともかく、子どもも喜んで食べていました。 どうもごちそうさまでした。 次回は「松茸」をお待ちしております。(←コラコラ)
2005年10月12日
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国民を大きく巻き込んだ「郵政民営化法案」が、昨日衆議院にて可決されましたね。しかも、前回とほぼ同様の内容であったにもかかわらず、200票の大差をつけて。前回の時はわずか5票の僅差でしたものね。 あなた方が選挙戦で何を訴えられていたか、「そんな昔のことは忘れた」って思っておられるかもしれません。「郵政民営化法案には欠陥がある」「地方切り捨てだ」「郵便局を無くすな」等々、いろんなことをおっしゃってましたよ。ちゃんと有権者は覚えています。 だからこそ、あなた方に対して選挙区では貴重な一票を投じたわけです。比例区は自民党が「郵政民営化賛成」だったから、他へ投じたかもしれませんが。 その選挙結果は、あなた方は当選されました。でも、あなた方と同じような郵政民営化反対派の方は14名の落選者を出し、民主党は惨敗し、コイズミチルドレンと呼ばれるおおよそ政治に関心があるのかどうかわからない輩まで当選するという事態になり、自民党は地滑り的に勝利しました。 この結果、郵政民営化法案が十二分に可決成立する見込みとなったのはご承知のとおりです。 その選挙後、今国会が始まるまでの間、自民党執行部から郵政民営化反対派に対する様々な攻撃がなされました。武部(BSE親父)幹事長による「党規を乱したという意味では、公認候補を妨害したということが非常に大きな問題だ」という一言にビビッったんでしょうね。 選挙中にえらそうに演説していた姿はどこへやら、何としても自民党の金看板がほしいのか、罰則が怖いのかわかりませんが、有権者の貴重な票を踏みにじってまで、昨日本会議において賛成票を投じて保身に走られましたね。 しかも、「選挙を通じて国民の意思が明確になった」「民意に沿った結果」「いろんな方と相談して賛成した」等々、白々しい言い訳をして・・・。 有権者はあなた方を見損ないました。 あれだけえらそうに演説しておいて、それで当選すればこの仕打ちですか。 次回の選挙では、ちょっと覚悟しておいた方がいいですよ。 有権者はそんなにバカじゃないですよ。PS.有権者はそんなにバカじゃない、と思うんですが、やはり熱しやすくて冷めやすい、しかも、「こんな政治屋ばかりじゃ、だれがやってもいっしょ」なんて思えば、またこれらの連中が耳に心地よいことを言って当選するかもしれません。これを機会に、これらの連中を含めた政治屋集団の動向を注視した方がいいかもしれませんね。コイズミの自分勝手にさせないようにするために。
2005年10月12日
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今日、近畿大学へ仕事で行きました。その帰り、近畿大学の最寄駅、近鉄長瀬駅から私がいつも利用する路線への乗り換え駅まで近鉄電車で移動しました。そのときの列車の通過待ちの多いこと。 まず、長瀬駅で急行と準急の2本を皮切りとして、停車する待避線のある駅ごとに抜かれているようでした。【弥刀(みと)駅】 特急・急行【河内山本駅】特急【高安駅】急行・準急といった具合に、7本の列車に抜かれて行きました・・・。 降りる駅は長瀬駅から7、8個先で普通に行けば15~20分で行くと思うのですが、通過待ちばかりで30分くらいかかりました。 また、降りる駅が普通列車しか停まらない駅だから仕方ないのですけど、これだけ抜かれたら「おいおい、またかよー」ってなります。 近鉄はご存知のように、大阪・京都から奈良、三重、愛知を結んでいる大私鉄ですから列車の種類や行き先もたくさんあって、今日乗ったのも夕方ですから余計に本数が多かったんでしょうね。 それにしても、疲れた・・・
2005年10月11日
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昨日の日記に野田議員の「郵政民営化賛成へ」の内容に関して書きましたが、本日、同じく郵政民営化反対派の一人である平沼議員が「当然反対する」と明言されました。 その理由として、「(民営化の実施時期を)半年だけ先延ばしするだけで、法案の本質は変わっていない。(先の国会で)法案に反対し、選挙でいかにおかしい法案かと訴えてきた。(賛成に)豹変(ひょうへん)しては有権者に申し訳ない。政治家としての筋を通す」(以上共同通信から引用しました)とのこと。 最後の『政治家として筋を通す』がさすがですね。っていうか、郵政民営化反対として有権者の支持を集めて当選したわけですから、国会議員としては当然の行為なんですけどね。 その「当然」のことができない、いわゆる「政治屋」(せいじや)が多いために、平沼議員のような行いが立派に見えてしまいます。 例え自民党に除名されても「無所属で活動」とのことですので、平沼議員にとっては自民党のバックがなくなるであろうことは覚悟の上なんですね。 平沼議員の動向に注目ですね。
2005年10月11日
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今日は朝7時からJR学研都市線の放出駅南東方の諏訪公園内にある左専道運動場で練習と、朝9時から神路(かみじ)運動場で試合がありました。1日で練習と試合があるのは珍しいです。 練習は守備練習とフリーバッティングをしましたが、ここで動いておいたので試合はみんないい当たりを飛ばしていました。 試合は練習の成果で、猛打爆発して打線がつながって久々の二けた得点! 相手チームのクリンナップもよかったのですが、エースのH12さんが要所を締めて1失点で切り抜けました。 なお、私は練習は三塁と遊撃をしたのですが、試合は今日も捕手。打つ方はみんながボカスカ当たっているのに蚊帳の外の3打数0安打1四球。 最終打席はイメージどおり打てたのですが、強烈な三塁ゴロでした。【今日の成績】 1打席目 ライトフライ 2打席目 サードエラー 3打席目 フォアボール 4打席目 サードゴロ 通算打率 .164(また身長を割り込んだ・・・)
2005年10月10日
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えっ、マジっすか? あれだけ反対されていたのに? 「選挙前と後では環境が変わった。現実をわきまえないと」 おいおい、それじゃあなたの政治信念に託した有権者の思いはどうするの? 「現実をわきまえないと」ってかっこいいこと言っている自分に酔っているんじゃないの? 現実をわきまえるのは、あなたのその考えではないの? それじゃ、なんで最初から賛成しないのよ。 無駄なことやって、日にちと金使って、その結果がどうであっても政治信念は貫いてよ。 多分、野田議員にしてみたら、選挙結果が郵政民営化が否決できない状況であれば、たとえ有権者の票を踏みにじっても自分の保身をしようって考えていたんでしょうね。でなければ、そんなに簡単に賛成の方針なんて出しませんよ。 本当に郵政民営化が問題があると思っていて、それを国会の議論の中でぶつけてベストは廃案に、悪くても修正可決できるように努力すべきでしょう。 でも、現実には「郵政民営化の実現を唯一の争点とした自民党候補者が大量当選を果たし、法案の可決は確実。法案が完ぺきなものでなくても、民営化のスピードを上げろという国民の声として理解した」だって。 『完璧なものでなくても』って完璧なものにするのが、あなた方国会議員の仕事でしょう。 ホント、有権者をなめているとしか思えない仕打ちですよね。 まぁ、こんな国会議員が大勢いるっていうことなんでしょうけど、ますます政治離れが起きそうな気がしますね。 この国ってどこへ行くんだろう、いつも思うことだけど。
2005年10月09日
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今日の「サザエさん」で井戸端会議から井戸の話しがでていました。それをみて思い出したのが、私の祖父母の家にあった井戸のことです。 祖父母の家は、一度このブログでも紹介しましたが、和歌山県の美里町という高野山の西側にある山深いところにありまして、祖父母が亡くなったあとも親戚のおじさんたちの鮎釣りのベースキャンプとして使われています。 その台所のところに、件の井戸があって井戸のある正確な位置は見たことがない(ここらへんというのはわかりますが、そこには雑多な荷物が置いてありました)のですが、井戸から水をくみ上げる手動のポンプがあってそれを上下に動かすと水がでてくるというのは、今日のサザエさんの話しと同じでした。 子どものころ、祖父母の家に行くと「水道がない」(=蛇口がない)と思っていたことがあったんですが、井戸からポンプで水をくみ上げているということを知ったのは小学生の2,3年生くらいだったんじゃないかなと思います。 小柄な祖母がポンプを上下に動かしているのをみて、どんな仕組みになっているんだろうって思ってやってみると、水が出てくる。もっと勢いをつけてやると、もっと勢いよく出てくる。もっともっと勢いをつけてやると、「こらー、遊んだらあかんよー」って祖母が出てきました・・・。 後年になって、手動ポンプはしんどいので、電動のポンプと蛇口がつけられて魅力は半減しましたが、ここの水は「山の水」ですから都会の水とは全然違っておいしいんです。だから、親戚のおじさんはポリタンクをいくつも持ってきて水をくんで帰っていました。 今ではそのポンプも壊れてしまったので、井戸は使われなくなったそうです。あのおいしい水もその後は一度も呑めていません。 ところで、今日のサザエさんの中で「呼び水」って言葉もあって、水が出なくなった井戸にポンプから水を注いでやると水が出てきました。このようなことから「呼び水」という言葉もきているんだなーって改めて勉強になりました。
2005年10月09日
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心配された天気もよくなって、町民体育大会が開催されました。昨夜遅くまで開催に向けて水を抜いたり、砂を入れ替えたりして開催にこぎつけたようです。 前回のブログにも書きましたが、町内の自治会対抗となっているものの、基本的には「ほのぼの」競技が多くて、私は「夫婦二人三脚リレー」と「キックボールリレー」、「ムカデリレー」の3つに出場しました。 「夫婦二人三脚リレー」は、足に結ぶ手ぬぐいをたすき代わりにリレーして行きます。私のところの自治会は6つの自治会中、最初はブービーだったので気楽なったのですが、そのうち順位をあげてきたのでちょっとマジになりました。たすき代わりの手ぬぐいをもらって、妻に結んでもらって猛然とダッシュ! おかげで1チーム抜いて最終的には3位でした。 「キックボールリレー」は、サッカーボールを蹴って50mほどさきの旗を回って帰ってきて次の人と交代するというものです。これも意外と気楽だったのですが、いざ自分の番になるとマジになってしまいます。 できるだけボールを蹴る回数を少なくして、自分の脚力に合わせてボールを蹴って追いつくようにします。そして、旗に対して斜めに周回するようにボールを蹴れば旗を回ったことになりますから、冷静にそのように回ってまた再びボールを蹴って、次の人と交代。最終的には6チーム中4位でした。 「ムカデリレー」は出場する予定ではなかったのですが、急遽出場しました。1チーム12人が3人1組になってリレーします。私と組んだ他2名のうちの1名の方は町で一番偉い人です。(町で一番偉い人も同じ自治会なんです。また、もう一人の方も町の関係者だそうです、後で知りましたが) しかも並んだ順番の関係で、私たちがアンカーとなりましたし、町で一番偉い人と一緒にリレーするのですから、これもちょっとマジになりました。 リレーは着実に順位をあげてきましたが、私がリレーされたときは2位。ムカデの板へ足を入れて、猛然とダッシュ!コンビネーションよくリズミカルに動いたので、トップをぶっちぎって1位でゴール!!! 町で一番偉い人も大喜びでした。 そんなこんなで町民体育大会は終了しましたが、ほのぼの競技以外の「根性競技?」は他の自治会の気合の入り様はすごかったです。男女混合リレーや4×200mリレーなんか、その自治会の健脚を取り揃えていましたし、綱引きなんか本来はほのぼの競技だと思うのですが、ある自治会は「一人人間山脈」みたいな飛び道具?を動員して、その人一人で他の自治会を撃破しているようでした。 子どもたちも、上のお姉ちゃんがボールリレーに出場、順位を下げずにバトンタッチできたし、下の男の子も短い距離のかけっこに出て、近所の女の子とお手々つないで走っているのはほほえましかったです。 ところで、下の子どもの保育園の子どもたち数名が遊びに来て、なぜか私と妻がそのお相手をするという「簡易託児所」状態だったのは、運動会以上に疲れました・・・。 心地よく疲れましたが、天候に恵まれたこともあって面白かったです。 来週は下の子どもの運動会です。いい天気でありますように・・・。
2005年10月09日
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明日は私の住んでいる町では「町民運動会」があります。町内の自治会が一同に介するイベントとしては最大のイベントで、50年くらいの歴史があるそうです。 自治会は旧の集落とほぼイコール(新興の集落は違いますが)となっているらしく、私のような今の所に住んで5年目の者にとっては、「○○1丁目って、△△という旧集落名だったんだ」というように新しい発見があるんです。それによって、少しずつ覚えていっているんですけどね。 その運動会は自治会対抗なのですが、内容的にはムカデ競争とか綱引きとかほのぼのしたものがほとんどで、中には4×200mリレーのようなハードなものもあります。 子どもからお年寄りまで楽しめるような内容になっているので、自治会対抗とはいえ、基本的には和やかな運動会なのです。 さて、私が引っ越してきた2001年の町民運動会において、私は自治会役員の方から「4×200mリレーにでてほしい」旨の打診を受けました。私はかつては中学・高校の途中まで陸上部でしたし、今も軟式野球をやっていますので、自信はなかったのですが引き受けるとこたえました。 でも、実はとっても不安でした。リレーは陸上部の時に練習は何度もやりましたし、バトンリレーは自信があったんですが、200mも全力で走るのは陸上部やめてからは全くありません。野球でもせいぜい内野の4つの塁を回っても27m×4の108mですからね。 町民運動会の当日、私には異変が起こりました。その数日前から風邪をひいたらしく、その菌がお腹に入ったようでずっと下痢状態。当日になってもよくなっていません。 すぐさま補欠の方に代わってもらうことも考えましたが、当日に変更というのは自分でも許せなかったので強行出場することにしました。(役員の方から「ホンマに大丈夫か」って言われるくらい顔色はよくなかったみたい) リレー順は3番目。同じチームの他のメンバーは私よりも若い人ばかり。しかも、他の自治会のメンバーも同様。30歳後半で出場しているのはうちの自治会くらいという有様でした。(うちの自治会、平均年齢高いんです) リレーが始まるまでは、「抜かれたらごめんな」って同じチームのメンバーへ先に謝っていたのですが、実際に始まると1,2番目の人がいい順位で走っていたものだからがんばらないと思いました。 そう思ってバトンを受けると猛ダッシュ!! 一人に追い上げられましたが、何とかかわしてアンカーへバトンタッチ! 結果は4着でしたので決勝には進めませんでしたが、絶不調の中ではかなりがんばった方だと思います。 でも、その代償はとっても大きかった・・・。 リレー競技が終わって、うちの自治会のテントへ戻るときに、急に視野が狭くなってきました。加えて顔から血の気が引くのがわかるようになりました。 「あかんなー、ちょっとしゃがむかな」 しゃがんだら最後、そのまま倒れて動けなくなりました。 異変に気づいた他の自治会の人が、その自治会のテントへ運んでくれるとともに、うちの自治会の役員へ通報してくれました。 その通報を受けて、うちの自治会の役員の方が来られた時には少しマシになっていたんですが、大事を取って救急車を呼んだということで、救急車で病院へと搬送されました。 診察の結果はひどい脱水症状を起こしていたそうで、点滴を打ってもらってそのまま自宅へ帰りました。 そのようなことがあってからは、翌年以降今に至るまで4×200mリレーの出場に声がかかることはありません。 そりゃそうです、運動会に出て救急車で退場するという見事なぶっ壊れっぷりだったのですから。 だから、ほのぼのとした競技で勘弁してもらっています。 その町民運動会は明日行われる予定です。 今日は朝から雨がたくさん降っていますし、今も降っていますのでこのまま行けば中止かもしれません・・・。
2005年10月08日
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大阪ドームでの草野球、今年第2弾!(個人的には第3弾!!) 今回はガゼルスの構成メンバーの一人であるS18さんとA2さんの職場のチーム(便宜上「S」チーム)と私の職場のチーム(便宜上「K」チーム)との初対戦でした。 Sチームは元高校球児など野球経験者がずらり。私のKチームはそんな者もおらず。かなりうちが不利なんですけどね。 試合展開は味方投手の四死球&バッテリーエラー、内外野でもエラーと全然ダメ。私も高いバウンドを取りに行って照明を目に入れてしまってとれなかったエラーもあったし。 対するSチームもエラーはあったけど、よく練習されていて連鎖しないんですよね。 打つほうもSチームは打線が強力で四死球で塁が埋まったランナーをよく返すのに大して、私のチームはランナーすらでない、でても続かない状況でした。私も全然ダメでピッチャーゴロとサードゴロでは話しになりませんね。 結局10-3で負けました。エラーの多さと練習量の差でしょうね。 ところで、昨日のブログにも触れましたが、大阪ドームの運営会社(大阪市の3セク)が会社更生法を申請するという暗いニュースがありましたが、ドーム球場としてはしばらくは運営されます。 だから、このような「深夜の草野球」もまだ利用することができそうです。 プロ野球が使用する球場で守って打って走る。野球小僧が小さい頃にあこがれていたことが実現できるのはうれしいものです。深夜時間帯なら2時間で10万5千円。1チームで11人以上集めれば一人5千円くらいですから安いものです。(でも、みんなは前回今年5月にここで試合しているので、感動は薄れているみたい。なんて贅沢なんだろう) なお、大阪ドームでの草野球、まず苦労するのが「予約の電話」。先着順で日にちと時間が選べるんですが、この電話がつながらないし、つながっても希望したいところは埋まっていたりするという根気のいる作業を乗り越えなければなりません。 今回の場合は、10月8日(土)0-2時の時間帯において私の前に予約された方がいましたので、私はその補欠候補になっていました。そして、私の前の方がキャンセルされたために、私にその権利が回ってきた、というものであります。 個人的には、甲子園球場のような天然芝の広いグラウンドでやりたいのですが、このようなドーム球場であれば雨天中止の心配がないのはうれしいです。 またやりたいと思いますが、0-2時の時間帯までテンション高めておくことが大変です。終わってからも朝まで呑む人はいいけど、私のように車での参加者は帰る道もしんどかったです。 そして、この時間まで気持ちが高ぶっているのかなかなか眠れません。 やっと少しだけ眠くなってきましたので、これから寝ます。
2005年10月07日
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運動会シーズン真っ盛りで、週末の天気予報に一喜一憂されているのではないでしょうか。 さて、私のところは上の子どもは先日終わりましたが、下の保育園児の子どもは15日(土)です。雨の場合も近くの多目的ホールで行いますので「雨天中止」がないのは親としては助かります。(先生方は大変ですけどね) 昨年は当日は晴れましたが、前日まで雨だった関係で多目的ホールだったそうです。(実は昨年は私が見に行けなかった・・・。) ところで、みなさんのところでは場所取りはどんなルールになっていますか? 下の子どもが行っている保育園では、朝早くから親が門の前で行列をつくります。少しでもいい場所をとるためですね。そして、門が開くと一斉に入って思い思いの所にシートやござを引くという状況です。よく見られるパターンでしょうか。 ただ、ここの保育園の園庭は「ムッチャ狭い」のです。にもかかわらず、見に来られる方は多いのです。(家族だけでなく、お孫さんを見に来られるお年寄りの方もおられます。) だから、すぐに空きスペースはなくなります。 でも、よくみると、一部の母親軍団(あえてそうよばせていただきます)が少数の人数で「思いっきりでかいスペース」を確保しているんですよ。そして、後から来る構成員(あえてそうよびます)を呼び寄せるという有様です。 これって、どうよ? スペース考えて、譲り合って応援するのが普通やろ。 軍団だけよかったら、ええんかい! だから、今年から保育園児が事前に抽選くじを引いて、予め場所が決められることになりました。よって、今年からは場所取りをすることはなくなりました。 でもねー、そこまでしないといけないのかなー 私が子どもの頃は確かに場所取りもあったけど、こんな母親軍団、おらんかったけどなー。 保育園の先生方も、一部の母親軍団の行いにはいい気持ちがしていなかったそうです。だから、先生方も「仕方ないかなー」と思われているようです。 15日の運動会に向けて、下の子どもはダンスの振り付けを家でもやっています。(全部はみせてくれません、運動会のお楽しみ! だって) ちなみに、今年から保育園の園庭ではなく、隣接しているお寺の敷地で行うことになりました。ここの方が園庭よりも広いためです。 場所取りは子どもがしてくれますが、私にとっては脚立に乗ってビデオ撮影をする関係で事前にロケハンしておかないといけません。 15日までに日にちがあるので、ベストポジションを考えたいと思います。
2005年10月07日
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大阪ドームの運営会社で経営破たんした大阪市の第三セクターの「大阪市ティードーム」について、大阪地方裁判所で特定調停の継続を大阪市側が断念し、会社更生法適用とする方針を固めた、というニュースが載っていました。 ドーム社には金融機関に対して約413億円の債務があるものの、不動産鑑定額(大阪地裁の鑑定)が約99億円。金融機関は約314億円の債権放棄しなければならなくなることから、大阪市へ追加支援を求めていました。今回、会社更生法適用の方針ということになれば、とりあえずは新たな公金投入に待ったはかかるようです。 会社更生法適用ということになれば、経営陣を総とっかえで管財人を中心に事業再建を目指すわけですが、この先の動向が全くわからないですね。 そして毎度のことながら、このような事態を招いたことに対する「お役所批判」「役人批判」が起こっています。 でもいつも思うのは、 ○このような計画が上がったときにその採算性や見通しをなぜきちんと検証していないのか ○検証していてもそれが適正かどうかをなぜよく議論していないのか ○それを行う機関はいったい何をしていたのかということであります。 これらのことを行う機関は「議会」じゃないんですか。お役人の「甘~い」見通しを議会でズバッと指摘して適切にすべきところなのに、その議会を構成する市議会議員も一緒になってバブルで踊ってどうするの? 思うに、議会でも「どうせ市民の税金でつくるんだし、足りなかったら公共性の高いものだから、市債発行すれば何とでもなる。多目的につかってくれれば収入もあるし」というような感じだったんじゃないのかな。 会社更生法適用という選択をする見込みだそうですが、このような事態を招いた役所のお役人はもちろん、そのチェック機能を怠った議会の議員は猛省してもらいたいですね。 ところで、その大阪ドーム、真夜中に草野球を行うことができるように開放しています。料金も2時間105千円と高いが人気も高くて、先着順の申し込みにいつも苦労しています。なかなか希望する日にちや時間帯がとれなくてね。 それでも、今年は過去2回も真夜中に試合をすることができました。プロ野球で使う球場で行う草野球、しかも雨天中止にならないのは幹事としては予定を立てやすいのがうれしいです。 こうゆうところではドーム球場のありがたさは感じるのですけどね。
2005年10月06日
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子どもたちに人気のムシキング、ゲームだけではなく、食品やおもちゃなどで周辺グッズがたくさんでていますね。 その中に入浴剤の「びっくらたまご」のシリーズにもあるのを子どもが見つけました。びっくらたまごはお湯の中に入れるとシュワーと炭酸ガスがでる入浴剤の一つですが、たまごの中に写真のようなおもちゃが入っていて、入浴剤が全て溶けるとおもちゃがプカッと浮かんできます。 その浮かんでくるまでの間も楽しいそうなんです。「何が出るかな、何が出るかな」ってどっかで聞いたことのあるフレーズを歌いながら待っています。 このようなおもちゃがもうすでに10個くらい集まっており、お風呂の中で「闘い」をして遊んでいます。 遊んでもいいけど、風邪ひかないようにちゃんと温もってくれたらいいんですけどね。 ちなみに、写真の右側がおなじみの「カブトムシ」、左側が「マンディブラリスフタマタクワガタ」というそうです。左側のクワガタの名前は初めてみました。こんな名前のものがあるんですね。
2005年10月06日
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私が子どものころの憧れの車といえば、この写真のニッサンセドリックでした。「230」という形式から「にい・さん・まる」とよばれていました。1971年から1975年まで生産され、歴代のセドリックの中で唯一トヨペットのクラウンに販売で勝利したという車です。また、プリンス自動車の名車だったグロリアがセドリックと同じ形になったのがこの230からでした。 230には写真の4ドアセダンと窓枠のないハードトップ、2ドアもラインナップされていましたが、私のお気に入りはこの4ドアセダンでした。(もちろんライトバンもありました) ところで、普通の子どもが憧れる車というと外車であったり、スポーツカーであったりするのですが、私はこんな弁当箱あるいは仏壇みたいな車が好きでした。多分、タクシーやパトカーで多く見かけるし、家の車の次になじみがあったからだと思います。近くの自動車学校の車もこれでした。 だから、タクシーに乗るときには親に無理を言って230のタクシーに乗りたい! ってねだっていました。 パトカーにも乗ったっけかなー、迷子になって帰れなくなってね。 さて、写真の230は、2002年に船で北海道へ行った時に、知り合った人の車です。 実は、舞鶴港で乗船待ちしているときに懐かしい車があることに気がついて声をかけました。すると私よりも一回り近く若い人で、この車の話しで盛り上がり、小樽港に到着してから写真を撮らせてもらいました。 写真を撮らせてもらうだけでなく、運転席にも座らせてもらいました。マニュアルのコラムシフトをガチャガチャすると、気分は子どものころに乗ったタクシーの運転士気分です。 シフトをガチャガチャしているだけでも満足だったんですが、エンジンもかけて見たくなり、断わってからかけて見ました。 スターターの音、エンジン音、排気ガスのにおい。何もかもが懐かしくてうれしくなりました。 うれしさついでに、少しだけ車を動かして見ました。クラッチは硬すぎず柔らかすぎずで、いい状態のまま30年近くが経過していることがわかりました。 お金に余裕があればこの車がほしいところですが、ちょっと無理ですね。でも、あこがれてしまいます。 このような古い車のことを「旧車」というそうですが、いつまでも大切に乗ってほしいと思います。
2005年10月05日
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自転車つながりでもう一つ。 高校生の時は自転車通学でした。自宅から学校まで片道7キロ。学校は泉北ニュータウンの中でしたので道は広いものの坂道が多い。しかも、自宅からは上り坂ばかりとあって、そりゃもう毎日大変でした。 高校入学当初は電車とバスを乗り継いで行っていたのですが、定期代がかかるし、学校へ申請すれば自転車で行けるということがわかり、そこから卒業まで自転車での激闘が始まりました。 上り坂の連続ですから、学校へ行く前から戦いが始まっているわけです。最初はなだらかな坂なのですが、学校の手前2キロくらいから強烈な坂道が数百メートル続きます。ここが一番の難所で、立ちこぎでないと登りません。それまでの間に体力を使っているのでこの坂はこたえます。 やっと登り切ってしばらくは平坦な道なんですが、最後の最後に先ほどの坂よりも距離は短いんですが、「絶対立ちこぎでないと登らない」くらい強烈な坂があって、だいたいここで力尽きます。 苦労の連続の往路ですが、復路はほとんどが下り坂。往路は30分くらいかかりましたが、復路は17分で帰ったことがあります。 なお、自転車は変速機無しの「ママチャリ」。新車ではなく、母が乗っていなかった古い自転車を通学用に使い、卒業までそのままでした。かろうじて26インチのタイヤでしたが、変速機がないので毎日が「己の体力の限界に挑戦」しているような感じでした。 高校2年生の途中からは、往路のみその上り道ではなく、少し遠回りになりますが比較的坂が緩くて楽な道を友だちと2ケツ(←よい子はまねしないでね)して通っていました。 それでも通学に往復約14キロは走っていたわけですから、「若いってすごいな」と今38歳のオッサンは思うわけです。 それと同じこと今でもできないことはないと思いますが、「毎日」する元気はないですね。 ちなみに、女の子と2ケツ(←よい子はまねしないでね)することはなかったのが残念でした・・・。
2005年10月05日
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先日、実家へ帰ったときに久しぶり自転車に乗りました。駅前に買い物へ行こうにも、駅前はだんじり祭りで自動車の乗り入れが禁止されていたので。 自転車に乗ると、自動車が入らない路地や路地裏のようなところを走ることができますし、ましてや私が育った町。時代は流れて建物は変わったりしていましたが、道路は意外に覚えているものですね。 子どものころは、幼稚園にあがる直前に補助輪(コマってよんでいましたが)がとれたので、幼稚園にあがると同じクラスの友だちのところへ遊びに行っていました。(今でもちょっと遠いなぁと思う距離です) 今の子どものようにTVゲームなんかない時でしたので、遊ぶといえば自転車で走り回っていました。村中だけでなく、田んぼのあぜ道とかもね。 今住んでいるところは坂道だらけで、しかも急なところが多いので自転車が役立ちません。一応あることはあるのですが、全く乗っていないのです。 結婚して2年ほど住んでいた甲子園は坂道がなくて、自転車で走るには気持ちよかったんですけどね。 さて、自転車で駅前へ行って買い物して戻ってきましたが、やはり汗かきましたが、気持ちいいものです。これから時期的にもいいので、どこかへ遊びにいったらレンタサイクルでも借りてみようかな。
2005年10月04日
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先日から唇に口内炎ができてしまいました。これができると、ムッチャ憂鬱なんです。舌(ベロ)があたったりすると痛くて「うっ」となりますし、うがいして水をはき出そうとすると「うっ」、食事の時に誤って噛んでしまって「うっ」、そんなときに辛子醤油のきいた春巻きなんか食べた日には激痛ですよ。 なんでこんなもんできるんだろうな、体質かなって思ったりします。できないときは数ヶ月はできないんですが、一度できるとなかなか治ってくれない。一応、口内炎用の薬は塗ってはいるんですけどね。原因はなんなんでしょうね。 そういえば、10年くらい前だったか、扁桃腺が腫れたことがあって抗生物質等で抑えていたのですが、それでもなかなか治癒しないのでお医者さんにきいたところ、「ありゃ、こんなところに口内炎できてるよ」 なんと喉の奥の方に口内炎ができていて、扁桃腺の腫れの一原因だったようです。そんなところまで出張しなくてもいいのにね。 昨日と比べたら薬のせいか、少しマシにはなっていますが、もうしばらくは我慢です。 もし、「これ食べていたら口内炎にならないよ」とか「口内炎の原因はこれだ!」という情報がありましたら、教えて頂ければ幸いです。
2005年10月04日
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私の父親は何台か車を乗り継いでおりますが、その中で最も印象深い車を紹介します。同じ車に乗られていた方もおられるかもしれませんが。 1973年頃から1977年6月まで乗っていた車が、中古の1968年式ダットサンブルーバード(写真と全く同じ車。色も同じ)でした。いわゆる「510」という形式でよばれていて、歴代のブルーバードの中でも人気車の一つです。 グレードはSSSというスポティなグレードではなく、DXという下位グレードでした。クーラー(エアコンではない)もなく、色もガンメタだったのでビニールシートとのダブル攻撃で夏場は灼熱地獄でした。 もちろんマニュアル車でしかもコラムシフト。インパネも横長のスピードメータがよく目だっていて、それだけみたら高級車っぽくみえたものでした。 それから、この当時の車ってウィンカーランプが橙色ではなく、ブレーキランプと同じ赤色で、ウィンカーを出すと赤いランプが文字通り「ウィンクする」状態でした。 ただこれだと認識が低いので、リアウィンドの内側に「流れるウィンカー」がついていました。ちょうど観光バスやトラックなんかで見られるリレー式のウィンカーと似てますね。これが意外と格好よかったんです。 この車で和歌山の祖父母の家や親戚の家へよく遊びに行きましたが、クーラーがないので特に夏はホントきつかったです。一度、夏に串本へ行った時にエンジンが故障して救援の車が来るまでの間、炎天下のもとで待っていたのを覚えています。 まぁ、この当時の車にはクーラーのついている車って意外と少なかったように思います。 クーラーはなくても、歴代の実家の車の中では一番のお気に入りでした。
2005年10月03日
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今日は朝7時から大阪城野球場で前回と同じ相手と試合がありました。朝7時というととても早いような気がしますが、試合が終わっても9時ですからその後の予定を立てやすいから意外と好きなんです。その分、4時半に起きて5時には家をでないと間に合わないのです。今の時期なら5時くらいはまだ薄暗いですが、これから冬にかけては真っ暗なうちに家をでないといけないことになります。 さて、今日の守備位置は久しぶりの三塁。ガゼルスでは正捕手のT20さんが欠席の時はほとんど私が捕手を勤めるのですが、今日はT20さんが欠席だったにもかかわらず、エースのH12さんが捕手でした。 今日の先発投手はチーム最年長のK14さん。変化球を多用する老練なピッチング。私の守る三塁への打球もいくつかありましたが、これを無難にこなしました。 5回からはK14さんに代わって私が今年2回目の登板となりました。1回目は今年のチームの開幕戦で先発投手でしたが、なんと1回表に5球で3失点という強烈なぶっ壊れ方でしたので、なんとか雪辱をと思ってやっと出番が回ってきました。 先頭打者を空振りの三振にとりましたが、それで調子に乗りすぎてそこから3連続四球。しっかりと左足に体重が乗っていないのですが、修正がききません。得意の低めの球もボールとの判定で苦しかったのですが、満塁のピンチに投ゴロ2つで切り抜けました。 投手はその5回だけで代わってもらいました。もっと投げたかったのですが、3四球も出してしまったので・・・。 打つ方は1打席目がレフトオーバーのタイムリー2塁打だったのですが、あとは内野ゴロ3つ。打つ方は相変わらずあかんなー【今日の成績】 1打席目 レフトオーバーのタイムリー 2打席目 セカンドゴロ 3打席目 サードゴロエラー 4打席目 サードゴロ 通算打率 .173(身長をちょっと超えました)
2005年10月02日
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今日は上の子どもの運動会がありました。ダンスや大玉ころがしなどにがんばっていましたが、運動会といえば「かけっこ」。私が子どものころは子ども同士では「はしり」って行ってました。この「はしり」、幼稚園や小学校低学年の時はとにかく遅くて、とても苦手でした。 当時は少し太っていたこともあって(今もそうですが)走ることが一番いやで、フライングしてでもスタートして少しでも有利に走ろうと考えたり、リレーでは自分のチームよりも相手チームを応援したり(自分の順番で順位を下げるのがいやだったから)と、運動会の「はしり」に関してはいい思い出はありません。 でも、小学5年生か6年生の時に、まぐれで3位になったことがあってこのときに少しだけ「はしり」って面白いと思うようになりました。 中学に入って陸上部に入部して短距離の選手(といっても正選手じゃありませんが。この辺の話しはまたいずれ改めて紹介します)として、スタートダッシュや中間走などの練習を繰り返すうちに自信がついてきました。 そして、迎えた中学2年生の運動会。希望した種目は100m走。運動会でここまですると、もう「はしり」や「かけっこ」じゃないですよね。 そして、実際に走ってみました。幸い他の陸上部のメンバーや他の部の有力選手がいなかったこともあって、当該組においてなんと生涯初めての1位! 1位でゴールテープを切るなんて一生ないと思っていたので夢のようでした。 翌3年生の時も100m走に出場。当該組には前年の時に隣のコースだったテニス部のM君がいて「今年は負けへんよ」と言っていましたが、こっちも陸上部でつらい練習をしていましたので負けるわけには行かない。 スタートダッシュは勝ったものの、中間に離されて「ヤバッ」と思った時に「こらー! 行かんかい!!」陸上部の顧問にどなられて奮起、結局はゴール寸前で抜き返して何とか1位でした。 高校に入っても運動会はありましたが、中学の時と比べて体重が10キロも増えては早く走ることはできず、100m走にでても1位になることはありませんでした。 時は流れて、自分の子どもが「かけっこ」に出るようになると、「もっとひざあげて」「腕をもっと振る」「腕は開いたらだめ」と当時の顧問に言われたことを教えたくなります。 ちなみに、うちの子どもは「かけっこ」ではなくリレーでした。事前にレクチャーしましたが、その結果が出ませんでした。 でも、とりあえず順位を下げずに次の子どもにリレーできたから良しとしましょう。
2005年10月01日
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