全31件 (31件中 1-31件目)
1
先日、職場の野球部のメンバーであるT22君から連絡がありました。 T22君「今度、敦賀へ仕事で行くんですけど、羽二重餅いります?」 T22君は数年前、仕事で敦賀に住んでいたことがあって、今回は仕事でいくとのこと。私、というよりも私の子どもたちが羽二重餅が好きなのを覚えていてくれていて、迷わず買ってきてもらうことにしました。 羽二重餅です。 羽二重餅は、福井県を代表するお菓子だと思っています。そして、たくさんのメーカーで作られています。 パッケージもいろいろあって、中身も二枚に分かれているものとか、これは分厚目のものが一枚入っていました。 子どもたちは、羽二重餅をみると大喜び! 早速食べていましたよ。 私も以前はよく福井方面へ仕事で行っていたのですが、現在の部署では行くことがありません。だから、買いに行けないのですけど、今回このように買ってきてもらえてありがたかったです。 T22君、ありがとう。
2014年01月31日
コメント(2)
先日、今年1回目の献血に行ってきました。冬場は、献血者の数が減少するといわれていますから、寒くてもがんばって行っています。今回は、姫路のみゆき献血ルームへ行ってきました。 今回も成分献血でしたが、この日は気温が低かったせいか腕を温めて、温かいものを飲みながらの献血となりました。この時期、血管が浮きにくい私にとっては、本来はなかなか辛いものです・・・。 さて、結果の方は、年末年始の飲み食いの影響が出たのか、コレステくんは久々の200オーバーということでした。いけませんねぇ~ それ以上に気になっているのが、血圧の上昇。上の方は大丈夫だったのですが、下の方が88と制限いっぱいの状況。90は超えないようにしないといけないからね・・・。この辺も飲み食いの影響がでているのかな、ちょっと心配しています。 あと、職場の周りとか子どもの学校でもそうですが、インフルエンザとか体調不良の人が増えてきています。体調管理をしっかりしておかないと、献血できないですからね。そのへんも心配です・・・。
2014年01月30日
コメント(0)
文部科学省が、中学校と高校の教員向けの学習指導要領解説書を改定し、沖縄県・尖閣諸島と島根県・竹島を「我が国固有の領土」と明記した。至極当然であり、野党も珍しく賛成しているが、案の定、中国と韓国は批判を強めており、日本の一部メディアも「ご注進ジャーナリズム」精神を発揮している。 「自分の国の固有の領土を子供たちに正しく教えることは、国家として当然のこと。明確に記述することにした」 下村博文文科相は28日の会見でこう語った。 教員が授業をする際の指針となるうえ、教科書作成の指針ともなる解説書。今回、尖閣諸島について「我が国が有効に支配しており、解決すべき領有権の問題は存在しない」と政府見解を記述。竹島については「韓国に不法に占拠され、累次にわたり抗議している」と追加した。 普段は政権批判が目立つ野党も、「何ら問題ではない」(民主党の海江田万里代表)、「当たり前の判断だ」(日本維新の会の松野頼久国会議員団幹事長)と賛成しているが、やはり中韓両国はいきり立っている。 中国外務省の華春瑩報道官は「知恵を絞り、手法を変えて誤った主張を宣伝しても、釣魚島(尖閣諸島の中国名)が中国に属する事実を変えることはできない」と批判。韓国外務省の報道官も「嘘の主張を繰り返し、これを後世に教えようとしている」といい、記載の撤回に応じない場合は「相応の措置を取る」と述べた。 歴史を捏造する隣国の完全な内政干渉であり、日本としては断じて許すことはできないが、日本の一部メディアは「中韓反発強める」「領土教育政権圧力」などと報じている。一体、どこの国のメディアなのか。【ZAKZAKから引用】 竹島、尖閣は誰がなんと言おうと日本の固有の領土です。もちろん、北方領土も。 それを日本の学校の授業で学ぶこと、至極普通です。本文にもあった『自分の国の固有の領土を子供たちに正しく教えることは、国家として当然のこと。』というコメントも、『(竹島は)韓国に不法に占拠され、累次にわたり抗議している』、『(尖閣は)我が国が有効に支配しており、解決すべき領有権の問題は存在しない』というのも事実に沿っていると思います。 野党もこれに関しては批判せず、問題視していません。この問題に関しては、とりあえず日本政府としては与野党とも同じベクトルになっています。やはり、我が国領土に関することですからね。普段いがみ合っていても、これに関しては一枚岩というのは、なんだか嬉しい気もします。(竹島を共同管理? とかいう馬鹿げたヤツもいるけどさ・・・) ところが、まぁあの国ともう一つの国が、予想通り反発しているようですが、文句があるなら出るところへでて勝負つけたらどう? 『嘘の主張を繰り返し、これを後世に教えようとしている』とか言っているなら、それが嘘という証拠を出して出るところへ出たら? ところで、本文の最後の方に『歴史を捏造する隣国の完全な内政干渉であり、日本としては断じて許すことはできない』と力強く結んでくれているんだけど、実際にここまで言い切ってくれるところはメディアでは少ないのでは? 実際、本文の一番最後にあった懸念、すなわち『「中韓反発強める」「領土教育政権圧力」』は、今朝のニュースでもそんなコメント、やっていましたからね。ホント、どこの国のメディアなんだろう? スポンサーの意向なのか、メディア上層部の意向なのか・・・。 前にも書きましたが、領土問題では、一歩も引いたらダメですよね。ここまで学校で教育しようとするならば、普段からももっと毅然とした態度で対抗して欲しいです。その方が学校で教育する以上に、効果的であると思っています。
2014年01月29日
コメント(0)
昨日は、私が3年前まで在籍していた部署の有志で飲み会をしました。当時の有志4人で時々飲み会を行っておりまして、通称「神戸串カツ会」。私のお気に入りのお店の一つである三宮の「まこと」で飲み会をやっていたことから、こんな名前をつけています。 今回は、メンバーのひとりであるKさんが出張で参加できませんでしたが、3人で地下鉄南森町駅近くの天神橋筋商店街にある「とっつあん寿司」へ行きました。 この店は、以前通った時に気になっていたのですが、値段的にもそんなに高くないし、新規開拓ということで行ってみました。店は、カウンターとテーブル席が4つほどありまして、明るい雰囲気になっていました。 小さめのシャリとやや小ぶりなネタですが、なかなか美味しかったですよ。他にもいろいろ頼んだのですが、日本酒を結構飲んだので写真を撮るのを忘れていました(笑)。 久しぶりにメンバーに会うことができて、特にメンバーのOさんは職場を辞められて別のところで働いておられるので、その辺の話を聞いたりして、時間はあっという間に過ぎました。 次回は、暖かくなってから集まることができたら、と思っています。
2014年01月28日
コメント(0)
人気アニメ「サザエさん」の磯野波平の声で知られた声優の永井一郎(ながい・いちろう)さんが、広島市のホテルで急死したことが27日に分かった。82歳。大阪府出身。 広島中央署によれば永井さんは26日午後、広島市の放送局でナレーションの仕事をした後、市内のホテルに宿泊。27日昼に浴室で倒れているのをホテルの従業員に発見され、病院で死亡が確認された。亡くなったのは27日未明とみられ、死因は虚血性心疾患という。 永井さんは1931年(昭6)、大阪府池田市生まれ。京大文学部卒業後に演劇の道を志して上京。会社員生活を送る傍ら舞台俳優を目指して養成所に通い、卒業後は「劇団三期会」結成に参加した。その後、海外のドラマ、映画の吹き替えで声優としての仕事を開始。1969年の放送開始から現在までフジテレビ系アニメ「サザエさん」で磯野波平役を務めたほか、「ゲゲゲの鬼太郎」の子泣き爺、「宇宙戦艦ヤマト」の佐渡酒造、「YAWARA!」の猪熊滋悟郎、「機動戦士ガンダム」のナレーションなど、低く温かみのある声で数々のアニメで印象的な役柄を演じた。洋画の吹き替えは「スター・ウォーズ」のヨーダ、「ハリー・ポッター」シリーズのアルバス・ダンブルドア校長など。 テレビ番組のナレーションでも活躍し、TBSの情報番組「情報7days ニュースキャスター」などに出演。著書に「朗読のヒント」「バカモン!波平ニッポンを叱る」などがある。【スポニチから引用】 今日は予定していたネタがあったんですが、急遽この話題に差し替えさせていただきます。今日予定していた話題は明日ということで・・・。 さて、いつかはこんな日が来るとは思っていましたけど、ついにこんな日が来てしまいました。日曜の夕方、いつも安定して見ていた「サザエさん」で、『バッカモーン!』と怒鳴ってくれていた波平さんの声の永井一郎さんがお亡くなりになったとのこと。「サザエさん」放送開始当初からずっと続けられていたわけですから、波平さん=永井一郎さんという図式は今更変えられません。2月9日放送分までは、永井一郎さんの声ですが、それ以降は誰が担当されても、「やっぱりちゃうで」という批判のコメントであふれるのでしょうね。それだけ偉大だったんですよ、永井一郎さんは。 本文にも、これまで担当されていた役が紹介されていますが、波平さんを超えるものはないかと個人的には思っています。これは先日亡くなった加藤精三さん=星一徹とか、納屋悟郎さん=銭形警部とかもそうですが、「絶対替えの利かない役柄」なんですよね。文字通りオンリーワン、誰がやっても前出のとおり、「それは違う!」って言われてしまうでしょうから、次の人はかなりやりにくいかと・・・。 そんな大きな課題をかかえているのですが、長年波平さんの声などアニメ等で楽しませてくれた永井一郎さんのご冥福をお祈りします。
2014年01月27日
コメント(9)
今年のNHKの大河ドラマは、姫路が舞台の「軍師官兵衛」。今年は姫路城も改修が終えて、あのきれいなお城が戻ってくる時期に合わせての大河ドラマということで、山陽電鉄もそれを盛り上げようとPR車両を走らせています。 車両全体をラッピングした5030系です。側面には、姫路周辺の見所などが1両ごとに紹介されていました。 これは、車両全体のラッピングでないバージョンでして、山陽電鉄ではお得意のヘッドマークが取り付けられています。 拡大したものです。 キャラクターは「かんべえくん」というそうです。 山陽電鉄では、全ての車両ではないのですが、イベントを盛り上げるためにこのようなヘッドマークをよく作成しています。 ところで、肝心の大河ドラマは、私は見ておりません・・・。どうも戦国モノとかはあまり好きではなくて・・・。前にも書いたかもしれませんが、大河ドラマできちんと見たのは「山河燃ゆ」だけ(これとて、途中からなのですが・・・)ですからね。 視聴率の方も、やや伸び悩んでいると聞いたことがあって、ちょっと大河ドラマでとりあげる人物としては、少し地味なのかなってね。 それでも、姫路周辺を取り上げているものですから、春以降の観光シーズンに姫路城と合わせて大勢の観光客が姫路を訪れてくれたらいいですね。
2014年01月26日
コメント(0)
今月初めに私の実家へ帰った際に、車を走らせていたら廃車になったバスが解体待ちになっているところを見かけました。ここは、以前にも紹介したところなのですが、その当時とは留置されている車両は、そのときとは変わっていました。(まぁ当然といえば当然なのですが・・・) 手前の白と緑のバスは三重交通、その右側は名阪近鉄バスのようです。いずれも三重県のバス会社ですけど、こんなところで解体されるのを待っているようですね。 同じ敷地内には、大阪市営バスと南海バスもありました。 少し拡大してみました。 向かって右側は、南海バスです。日野リエッセという小型のバスで、今でも活躍していますが、導入時期が初期のもので製造後11年が経過したことから強制廃車(排ガスの規制地域では、ディーゼル車はそのような取り扱いになっている)になったものと思われます。 左側は、三菱エアロスターの天然ガス車です。大阪市営バスはクリーム色に黄緑のラインなのですが、水色のラインは低公害車(天然ガス又はハイブリッド)を示しています。天然ガスのバスであっても、11年を経過したら強制廃車になるのでしょうか? ほかのディーゼル車のように、別の地域で使えればいいんですけど、天然ガスバスに関しては、天然ガスが供給されているエリアでなければ走らせることはできませんからね。 ところで、最近導入される低公害バスは、ハイブリッドのものが多くて、一時期導入が多かった天然ガスバスは減っているように思います。これは、ディーゼルを天然ガスに置き換えてもあまり低公害につながらない、と最近では言われているようで・・・。 また、天然ガスバスの場合は、高圧ガス保安法に基づいて天然ガス容器の耐圧試験を受けなければならない、ということもあって、その辺の費用と手間もかかるんでしょうね。 すぐ近くには、中国JRバスの観光バスの廃車体もありました。エンジン部分が取り外されていました。ほかのバスもこのようにエンジン部分が外されるか、車体ごと海外へ輸出されるのかもしれませんね。 こういう廃車体を見ていると、一台欲しいなぁって思ってしまいます・・・。
2014年01月25日
コメント(4)
昨日は仕事で姫路方面へ行きましたが、その帰りに神戸で途中下車、アマチュア無線の先輩のTさんとHさんの三人で飲み会をしました。 今回は、Tさんの職場の近くの「高田屋」へ行きました。ここは、新開地にあっておでんが有名なお店だそうです。TVなどでも紹介されたそうで、神戸市内には他に「高田屋」という類似のお店がありますが、暖簾分けしたお店ではないそうですよ・・・。 あっさりめのおでんで、写真には撮っていませんがおおきなじゃがいものおでんもあって、美味しかったですよ。ビールがキリンというのも、私好みです(笑)。 アマチュア無線の話などをしながら、楽しく飲んでいました。 その後、三宮へ移動して「Bar Prive」へ。雰囲気のあるお店で、前にも連れて行ってもらったことがありますが、ちょうど昨日は、開店1周年とのことでした。おめでとうございます。 昨日は、先日来仕事でいろいろあって、気持ち的にモヤモヤしたことがあり、ガツガツ飲むことはしませんでしたが、アマチュア無線の先輩方とのおもしろい話で楽しい時間を過ごすことができました。
2014年01月24日
コメント(2)
日本海の表記に韓国が「東海(East Sea)」を併記するよう求めている問題で、韓国与党セヌリ党のイ・サンイル議員は19日、東海の英語表記に「Korea」を加え、「East Sea of Korea」と表記することを提案した。複数の韓国メディアが報じた。 韓国国会の東北アジア歴史わい曲対策特別委員会に所属するイ議員は、報道資料を通じ、「『East Sea』と表記する場合、世界の人々はなぜそう呼ぶのか、どの国の東海なのかよく分からない可能性が大きい」とし、表現を明確にする必要があると指摘した。 イ議員は、海域の地名を決定する時は関係国の名前を付けることが多く、国際水路機構(IHO)や国連地名標準化会議(UNCSGN)では2カ国以上の国家が共有する地形物への地名は関係国との合意の上で決定し、合意に至らない場合は併記するように決められていると主張。しかし日本と表記をめぐり合意できる状況にないことから、東海を「East Sea of Korea」とした上で日本海(Sea of Japan)と併記する必要があると論じた。 イ議員は「東海が韓国の海だということをより明確にするためにも、韓国の政府やメディアは東海を英語表記する時は『East Sea of Korea』を使用してほしい」と述べ、表記の変更を要求した。 日本海表記をめぐっては、17日に米バージニア州議会が州内の公立学校の教科書に、日本海と東海を併記することを義務付ける法案を可決している。イ議員は同議会にも、「Korea」を加えることを提案する書簡を送った。【サーチナから引用】 以前このブログでも紹介しましたが、ホント、面倒くさい国がまたしょうもないことを言っています。 日本が嫌いで嫌いで仕方なく、それは大統領からしてそうなんでしたよね。だから、最近ではマスゴミがでっち上げた韓流ブームも去って、韓国を訪れる日本人が激減したとか。まぁ、それでも韓国としてはいいんでしょうけどね。ついでに、出稼ぎのようにやってくる韓タレ、来ないでくれるかな。っていうか、こっち見んなって!! それはさておき、先のブログにもありましたが、日本海の表記に「日本」の文字が入っていることが気いらない韓国は、韓国の東の海を示す「東海」とすることを提案していました。「特定の国名が入るのはおかしい」(インド洋はどうなんだ? というのは放置プレイのままで)といちゃもんをつけていたんでしたよね。 本文にもありましたが、「東海」だとどこの東の海かわからんから、というのは当たり前なんだけど、でも「韓国海とか朝鮮海にしたら、国名が入っている」っていうことになるから、ということだったんでしょ。 ところが、今度は「East Sea of Korea」と『of Korea』を入れるよう提案しているみたいですけど、あれれ? Koreaって国名じゃないの?? 結局は、「日本の名前が入っているんなら、Koreaって入れてもいいじゃん」っていうことなのか? 意味わからん! 「特定の国名が入っているのはけしからん」っていうなら、Koreaって入るのもけしからん! のだけど、いかが? っていうか、分かって言っているのか、このイとかいうヤツは。 アメリカの州議会の一つが、日本海と東海の併記が深く考えずに適当に決められてしまったみたいけど、日本政府もしっかりと抗議してなめられんようにしてほしいね。毅然と対応して欲しいです。
2014年01月22日
コメント(0)
農業協同組合、最近は「JA○○」(○○のところは、地域名)といった方がわかりやすいかもしれません。「○○」には、市町村名が入るところが多いかと思いますが、私の住んでいる奈良県では、「JAならけん○○支店」(○○のところは、地域名)のように都道府県名になっています。かつては、市町村名だったので、例えば「西和農業協同組合」=「JA西和」のようになっていました。 さて、今回紹介する「広陵農業協同組合」もかつては、「JA広陵」だったと思うのですが、その近くにある交差点名はこのようになっていました。 JAの看板は、「JAならけん広陵支店」となっていますが、交差点名は「広陵農協前」となっています。JAならけん広陵支店と名前が変わっても、交差点名は変更されていないんですね。 ところで、JAならけんは1999年に奈良県内にあった42の農協が合併してできたものだそうです。今回紹介した広陵農協もその一つだったんですね。 ちなみに、奈良県と同じように単県で一つの農協になっているのは、沖縄県と香川県だそうです。
2014年01月21日
コメント(0)
「答えろや! 答えてみぃや!」。 会場に松井一郎大阪府知事(日本維新の会幹事長)の怒号が飛んだ。17日に開かれた大阪都構想の特別区設置協議会(法定協)の会合で、松井氏が都構想反対の論客である自民党府議団の花谷(はなや)充愉(みつよし)幹事長と議論を交わす中、激しく迫る一幕があった。 花谷氏は維新側が都移行で府と市の二重行政が解消できるとしている点を疑問視し、「再編しなくても、府市と両議会で政策協議をする会議を作り、連携すれば解決できる」という内容の主張を繰り返した。 橋下徹大阪市長(維新共同代表)が「意思決定を1本化しないといけない。連携では解決されていない問題が山ほどある」と具体例を挙げて反論したが、花谷氏はすかさず「市長と知事と相談すればできる」と応じた。 やりとりをじっと聞いていた松井氏が突然、憤慨した様子で「大阪市長がやりたいことに、(知事として協力せずに)予算もつけません。そしたら、どうするんや」と仮定の話で質問。指をさして「どうするんや。答えろや!」「答えてみぃや!」と迫った。 熱くなる松井氏を苦笑しながら見つめていた橋下氏。フォローに回り、「連携も重要。それはわかります。でも知事がいったように、まとまらないこともある」と補足説明した。【産経新聞から引用】 今日の記事ではないのですが、たまたまネットニュースで別件を探していたときに、見つけたので紹介します。 冒頭の「答えろや! 答えてみぃや!」っていうのは、別に一般市民がヤクザに怒鳴られているわけではないですよ。れっきとしたある都道府県知事が議会で発した言葉、というか怒号なんですよ。ありえんでしょ、どこの都道府県知事かと思えば、やはりね、あの橋下の腰巾着の松井ですわ~ 仮定の質問に答えられなかったからといって、「答えろや! 答えてみぃや!」ってね。まぁ、なんて下品なことなんでしょう。どうせなら、「答えられへんのやったら、指詰めんかい、おんどりゃ!」って、ここまでやったらパーフェクトだったのにね。 それはさておき、イライラもあったんだろうけど、議論でキレて仮定の話持ち出してさらにそれに答えられなかったら恫喝するって、人として最低ですね。こんなのが大阪府の知事ですよ、ホント情けない。 ネットの書き込みにもあったけど、大阪都構想(←このネーミング、なんとかならんか!)ではなく、「『大阪都抗争』にしたらどうや?」って書かれていましたよ(笑) ちなみに、仮定の話に乗っかってみると、大阪市がやりたいことに大阪府がカネを出さない、っていうのなら、大阪市は一生懸命その必要性を大阪府に説明する。逆に、大阪府はなぜ出せないのか、お互いの意見をぶつけて落としどころを探る。それが政治家の仕事じゃないのかな。えっ?こいつらは、政治屋か・・・。 それから、大阪都構想なんて、誰も望んでいないわけで、勝手に橋下が二重行政が解消できるって思い込んでいるだけなんでしょ。だって、国の権限が地方に下りて、さらにその地方でも基礎自治体に権限が下りていって、より地域住民に近いところで行政が行われる。私が思うに、こういうようになるのがいいのかもしれないのですけど、大阪市と大阪府をくっつけてどうなるんですかねぇ、単純にそう思いますよ。 まぁ、私は奈良県民だから大阪都構想がどうなろうと関係ないけど、冷静に議論ができないのが知事とか市長って、なんだかねぇ~ この話は、ほかのマスゴミが取り上げていなかったのですけど、せっかく面白い記事なので紹介しました。
2014年01月20日
コメント(2)
今日は、ガゼルスの今年の開幕戦が服部緑地野球場で行われました。昨夜からの雪が心配されたのですが、大きく積もることはありませんでした。でも、今朝、風に乗ってにわか雪が降ったようで、グラウンドはうっすらと雪化粧・・・。とりあえず、レーキで雪をどかしての試合となりましたが、冷蔵庫の中にいるような寒さの中での試合でした。 開幕戦はいきなりのダブルヘッダーで、試合相手はZEEKSさん。若手主体のチームでした。オープニング投手はN11さんで、私はキャッチャーで出場しました。 さて、いつもは四死球で崩れるN11さんでしたが、序盤から適度に落ちる変化球を主体に三振を取るなど上々の立ち上がりでした。中盤に不運なあたりなどで合計4点を失いましたが、それでも四死球で崩れることはありませんでしたので、この先の試合もいいピッチングをみせてくれるのではないかと思います。 試合の方は、中盤に四死球を絡めて2点をあげるも、終盤にリリーフしたY30さんが打たれて、結局7-2で負けて開幕戦を飾ることはできませんでした。 ところで、キャプテンのフルスイングさんが守備の途中で肉離れを発症させ、この先の試合出場が難しくなってしまいました。以前痛めたところの近くということで、ちょっと心配です。 2試合目は、H12さんが先発。私は再びキャッチャーで出場しました。今日は9人ギリギリだったということと、いつもなら1人の人にキャッチャーをさせることはないのですが、今日はとくに寒く、ほかのポジションをするよりも、立ったり座ったりはしんどいものの、動けるポジションであるキャッチャーの方が寒くなくていいかなということで、わがままを聞いていただきました。 H12さんは、変化球のキレは今ひとつでしたが、緩急とコースの出し入れで相手打線に的を絞らせず、終盤まで完封ペースでした。 打線は初回に相手投手の乱調と私のタイムリーなどで幸先良く3点をあげ、中盤にも相手のミスで1点をあげて4-0で最終回を迎えました。 最終回は、不運なあたりもあって1点差に追い上げられましたが、なんとか逃げ切って4-3で勝ちました。【今日の成績】 1試合目 1打席目 三振 2打席目 一飛 2試合目 1打席目 左適時打 2打席目 投失 3打席目 四球 5打数1安打1打点1三振1四死球 打率.200
2014年01月19日
コメント(0)
先日、いすみ鉄道に乗車した話を紹介しました。国鉄の名車だったキハ28とコンビを組んでいたのが、今日紹介するキハ52です。 この塗色から、古い鉄道ファンの方は懐かしさを覚えるのではないでしょうか。オレンジとクリームのツートンカラーは、全国の非電化路線でおなじみでして、古き良き時代のローカル線という味を出していましたね。晩年はオレンジ色一色のいわゆる「首都圏色」になってしまいましたが・・・。 このキハ52も先日紹介したキハ28とともに、JR西日本からで使用されていたものを譲り受けたもので、晩年はJR大糸線の糸魚川~南小谷間という豪雪地帯で活躍していました。現役当時は、私も当該区間で乗車したことがあります。勾配区間でも対応できるように、エンジンを2台積んでおり、パワフルなエンジン音も魅力です。 大糸線当時はワンマン運用されていましたが、その当時の機器がそのまま残されていました。 室内は、大糸線で使用されていた当時のままほとんど手を入れていないようです。ワンマン運用当時の整理券発行機が邪魔ですが・・・。また、ワンマン運用に伴ってロングシートの長さが延長されたままになっています。 窓まわりです。 キハ52の窓まわりには、大きなテーブルが設置されています。先日紹介したキハ28にもテーブルが設置されていますが、もう少し小型のものが設置されています。 さて、このキハ52は1958年から製造された国鉄のキハ20系シリーズの一員で、1エンジン車のキハ20、北海道用のキハ21、それの改良型のキハ22、キハ20の片運転台(運転台が1つだけ)のキハ25などバラエティーに富んでいました。今ではJRの路線からは全て引退していますが、国鉄から私鉄に移籍したものや私鉄で類似のものを製造したものなど、ごくわずかですが残っているものもあります。 このキハ52 125は、昭和40年に新潟鐵工所で製造されておりまして、それを示す銘板が設置されています。 また、室内にも銘板が設置されていました。 今回は、上総中野~大喜多の間の往復で乗車しました。前回紹介したキハ28の場合は、元々急行用なので、いすみ鉄道のような路線には本来不釣り合いなのかもしれませんが、このキハ52の場合には元々がローカル線用の車両であることから、のんびりとした光景の広がるいすみ鉄道にはうってつけかと思われます。今回は乗車のみだったので、走行シーンの写真は撮ることができませんでしたが・・・。 ところで、このキハ52も(いつ?)移籍してきて塗装の傷みが目立つようで、この度前述の首都圏色に塗り替えられてしまうそうです。ツートンカラーって、意外と工程が多いそうで見た目以上に費用がかかるんです。ましてやいすみ鉄道のような小さな鉄道会社では、その負担が大きいかと思われるのである意味やむを得ないかと・・・。 ただ、このキハ52も国鉄当時には首都圏色も経験しているはずだし、あり得ないくらいの変な色に塗られてしまうくらいなら、首都圏色でもいいかなってね。ちょうど国鉄末期のイメージがでていいかもしれませんが、年々利用者が減り続けていた頃の塗色ですからね、個人的にはあまりいいイメージはないけど。 塗色以外にも、経年劣化も進んでいると思います。何とかいい状況をキープして、いつまでも現役で走行してほしいですね。そのためには、私もまた行く機会を作って乗車しに行きたいと思います。
2014年01月18日
コメント(0)
1995年1月17日午前5時46分に発生した未曾有の阪神・淡路大震災。もうあれから19年経ったんですね・・・。今朝も5時半頃起きて、地震のあった時間には、神戸の方を向いて手を合わせていました。 毎年の1・17のブログでも触れておりますが、当時神戸の職場に勤めていた私にとっては、忘れることができない出来事です。また、震災当日にテレビなどで見た倒壊した建物や燃える住宅を見ましたが、今朝改めて当時の映像を見てみると知らないうちにテレビの前で泣いていました・・・。やはり、19年経っても忘れられないんですね・・・。 さて、今回は震災後に仕事で神戸へ行った時の話を紹介します。 震災直後は行けなかったのですが、数日後にJR大阪駅からJR福知山線で三田へ行って、そこから神戸電鉄に乗り換え、谷上で北神急行・神戸市営地下鉄にさらに乗り換えて、三宮へ。かなり遠回りになりましたが、鉄路で向かうにはこの方法しかありませんでした。阪神間のJR神戸線、阪急神戸線、阪神本線は不通か途中までしか運転していなかったですからね。 三宮に降り立って、目に飛び込んできたのは、変わり果てた神戸三宮の街・・・。実は、その4日前に当時付き合っていた彼女(今の妻)と買い物していたわけですが、たった4日後にこんなことになるとは、思いませんでした。 その後、阪神が神戸市東灘区の青木(おおぎ)までつながってからは、青木まで阪神で行って、そこから鉄道代替バスに乗るか、徒歩で神戸三宮にあった職場まで行っていました。歩くと2時間もかかりました・・・。倒壊した建物があったり、道道路がデコボコだったりしてまっすぐ歩けないのでね。 帰りは帰りで、歩いて帰るのは明かりがあまりないので、つまづきそうで怖かったです。 今年の冬も寒いですが、震災当時も寒かったので、被災者のことを思えば時間がかかろうと寒かろうと、大変ではないと思いながら通っていました。 そんなことを思い出しましたが、来年は20年になるんですね・・・。早いものです・・・。
2014年01月17日
コメント(0)
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の情報発信方法に異変が起きている。これまで顔を出そうとしなかった地域の小規模な催しや、会合に積極的に足を運んで住民との対話を重ねる一方、情報発信のツールとしてフル活用してきた自身のツイッターでは昨年10月以降、ほとんどつぶやかなくなっている。市を特別区に分割し、大阪府とともに再編する「大阪都構想」の是非を問う住民投票が平成26年秋に想定される中、不特定多数のフォロワーより、市民一人ひとりへの説明を重視しているという見方が関係者の間では有力だ。(中略) 橋下氏はかつて、平松邦夫前市長が地元の区民まつりに参加していることを「選挙活動と疑われかねない」「大都市経営者の仕事ではない」などと批判したこともある。しかし、8月ごろからスタンスの変化が顕著になってきた。 「橋下市長が市民から直接意見を聞けるような会合や機会があったら、日程を連絡してほしい」 市関係者によると、同月ごろ、橋下氏の公務日程を管理する秘書課から地域の活動を所管する市民局の担当者にこんな連絡が入った。そして、同月から10月にかけて5区の区民まつりに出席。さらに地域の会合にも2回、顔を出した。 記者会見でスタンスの変化を問われた際にはこうまくしたてた。 「市長が区民まつりに行くのは普通。ダメなんですか。市長だから行き、市民の皆さんと話をします」【産経新聞から引用】 まだ言っとんか、大阪都構想って。公明党に擦り寄ろうと節操のないことしている橋下、公明党も大阪都構想には難色を示しているようだし、自民党も同じということもあって、政党頼りよりも、草の根的に区民まつりのようなものに参加して、地域住民との対話から盛り上げていこうという魂胆のようですな。 でも、本文にもあったけど、前市長が区民まつりに参加しているのを、 「選挙活動と疑いかねない」と批判していたわけです。 ところが、今現在は大阪都構想がヤバくなってきてなりふり構わぬ状況になってきたから、区民まつりでもなんでも出ていこうとしているみたいですな。だから、 「市長が区民まつりに行くのは、普通。ダメなんですか」だってさ。 どの口がそんなこと言っているんだろうね。自分でコメントしたことくらい責任持てよ、コイツ。 「選挙活動と疑いかねない」とえらそうなことを言って批判していたわけでしょ。今現在の行為は、十分に「選挙活動」だと思うけど、いかが? いや、違うっていうなら、前市長と何が違うのか明確に説明して欲しいね。 っていうか、マスゴミもそれくらい突っ込めよ、まくし立てられてビビってんじゃねーよ。 どうせ、言ったもん勝ちやって思っているんだろうけど、よくよく聞いてみたら矛盾してるんじゃん、この話なんかさ。
2014年01月16日
コメント(0)
今日は姫路方面へ仕事に行きまして、帰りに神戸三宮で途中下車して私のお気に入りのお店の一つ、「まこと」へ行ってきました。串カツのお店で、私が神戸勤務の時から馴染みのお店です。(このブログでも何度か紹介していますが・・・) いつもガッツリ食べていたのですが、最近は5、6本程度とビール1本というパターンが多いです。常連さんは、いつもそのように食べておられるし、懐にもやさしいかなってね(笑)。でも、美味しいからついついもっと食べたくなるんだけどな・・・。 ところで、冬の時期のメニューとして、「岩津ねぎ」というのがあります。 これです。長ネギの一種で、兵庫県朝来市の特産品です。鍋物にするとおいしいネギで、あまり出回っていなかったのですが、最近では製法が改良されたのか少しずつ出回るようになってきたとか。たしか、私が車の免許を取ってすぐあたりに、兵庫県北部へ行ったことがあるのですが、その時に通った国道312号線沿いでこのネギを栽培しているところがあって、ネギを販売していたのを見かけた記憶があります。 ちなみに、岩津ねぎは、下仁田ねぎ、博多万能ねぎとともに、日本三大ネギと言われているとか・・・。 深みのある味で、おいしかったですよ。 持ち帰りも可能なので、この岩津ねぎと他のものを家族のお土産にしました。
2014年01月15日
コメント(0)
今日の帰り、妻が買ったばかりのパンを列車の網棚に忘れたとのこと。気がついて降りた駅でその旨を伝えて調べてもらったところ、見つからなかったらしい・・・。せっかく美味しいパンを見つけたのに、とても悔しがっていました。 それを聞いて、鉄道ファンの端くれである私、妻が乗った列車と列車ダイヤを時刻表で調べて、どういった経路で運行されていたかある程度わかりました。JR大和路線では、時間帯によって途中駅で分割されるものがあるんです。すなわち、JR難波から8両編成で出発した快速は、途中の王寺で前4両が奈良行き、後ろ4両が高田行に分割されます。妻は、天王寺から乗車したのは前から3両目だったとのことなので、奈良行に乗っていたことになります。 さて、王寺で4両編成となった奈良行は、終点奈良でそのまま車庫に引き上げます。だから、普通は引き上げる前に忘れ物がないかどうか確認するはずなんですけど、それを怠ったんじゃないかってね・・・。 でもまぁ、網棚に荷物が残っていたら気がつくはずだから、それは考えられないので、あり得るとしたら「どっかのヤツが勝手に持ち去った」というのが有力かと。すなわち、客が次々に降りていくけど、ポツンと残された荷物に当たりをつけて、誰も手をつけないことをいいことに何食わぬ顔で持っていった、中身が何であってもそれはよい、こんなところじゃないでしょうか。 今頃、勝手に持って行ったヤツ、「今日の収穫は、おいしそうなパン」ってほくそ笑んでいたらムカつくんだけど、まぁそんな罰当たりなバカタレは、ろくな死に方しないから別にいいんだけどね。 それにしても、列車やバスに忘れ物したら、ほぼ100%戻ってきませんね。私も以前傘を忘れたことがありましたけど、使い込んでいた傘にもかかわらず戻ってきませんでした。ホント、がっかりですわ~ だから、忘れ物には注意しなければなりませんね・・・。改めてそう思いました。
2014年01月14日
コメント(4)
今年もじゃがいもの植え付けを行うべく、土作りを始めました。昨年植えた畝ではなく別の畝にしました。じゃがいもは、連作障害が起こりやすいと言われており、家庭菜園レベルでは気にする必要はないと思われますが、前回と違う畝があるのでそれを使います。 通称4号畝にじゃがいもを植えることにしました。ここには、昨年秋に冬取りのじゃがいもを植えていましたが、ほとんど大きくなることなく終わってしまいました。まぁ、それでいけば連作になるかもしれませんが、この寒い時期に土を天地返しして寒風にさらすということをしておけば、いいかなってね。長さ620cmの畝ができました。 ところで、通称1号畝及び2号畝に植えた玉ねぎは、こんな感じになっています。 こちらが1号畝、「アトン」という苗を植えています。12月初めに植えましたが、ほとんど変化なしですね。 こちらは通称2号畝。こちらには、「マッハ」という苗を植えています。こちらは、12月中旬くらいに植えましたが、こちらもあまり変化ありません。寒い時期だから、仕方ないんでしょうけどね・・・。 ところで、この2号畝には、一部アトンも植えておりまして、この写真の手前は1/4はアトンになっています。先に収穫できるのは、残り3/4に植えたマッハにあろうかと思います。 それから、通称3号畝には、ブロッコリーと九条ねぎを植えていまして、こちらも順調に育っています。写真はとっていませんが、こちらもあまり変化がありません・・・。
2014年01月13日
コメント(2)
今日は草野球チームガゼルスの新年会がありました。地下鉄動物園前駅の南側、飛田にある「鯛よし 百番」です。飛田というと、大阪にお住まいの方なら「あぁ、あの飛田新地のあるところね」とお分かりいただけるかと思います。 そして、飛田新地というと、かつて1958年までは日本最大級の遊郭のあった場所、その面影は今でも残っております。 その一角にあるのが「鯛よし 百番」です。建物は、大正時代に建てられたというもので、2000年に登録有形文化財に指定されています。 こんな感じですね。古い映画にでてくるような建物が、この時代にも残っているわけです。 風格のある看板です。 建物の中にも、歴史を感じる造りになっています。このお店は、職場の忘年会でも10年ほど前に来たことがありますが、予約をしておかないと入れません・・・。 さて、新年会には8人が参加、寄せ鍋を美味しくいただきました。さすがに古いお店なので、食べ放題飲み放題というのはありませんが・・・。 おいしい料理を食べながら、これまでの試合のことや今年の試合のことについて話をしていました。先日のブログにも書いたと思いますが、サードの守備は昨年限りで廃業しまして、今年はO3さんやI26さんにがんばってもらえたらと思っています。それについては、キャプテンのフルスイングさんも同じ意見のようでしたが、その代わりにキャッチャーをお願いしたいとのこと。キャッチャーは嫌いじゃないのですけど、今年47歳になり、伸びしろは全くないわけですから、大きな試合などはI26さんやM23さんにお任せして、私は彼らに続く3番目のキャッチャー、もしくは練習試合用としてがんばっていけたら、と思っています。 ところで、今年は新しいリーグ戦にも参加するとのこと。去年は、年間50試合を超える試合が行われましたが、今年もそれくらいの試合がありそうなので、怪我しないように参加したいと思います。 ちなみに、夜の様子はこんな感じでした。
2014年01月12日
コメント(0)
昨日の続きです・・・。 駅名標も展示されていました。JRになって以降のものですが、「湊町」「嵯峨」ともに今はそれぞれ「JR難波」「嵯峨嵐山」と駅名が変更されています。 この「叡山」は、国鉄当時のものですが、この駅も「比叡山坂本」に改称されています。国鉄当時のものの方が、なんだか好きな私です。シンプルだけどね。 駅つながりで、こんなものも。 今の電光掲示板のご先祖様みたいなものかな。この箱の下のつまみをくるくる回すと、時刻や行き先が表示されるというもの。福知山線の生瀬~道場間が旧線だったころの武田尾駅に設置されているのをみたことがあります。 駅つながりでは、これも駅名標なんですよ。 駅のホームの柱や壁に掲げられていました。紫地に白い文字で書かれておりまして、国鉄当時にはポピュラーなものでしたが、JRになってからは見かけなくなりましたね。ちなみに、「しらはまぐち(白浜口)」は今の白浜です。 また、この写真の左端にある「おごおり(小郡)」は、JRになってからのものですが、今では「新山口」になっています。未だに、新山口って馴染まないのですが・・・。小郡の方がしっくりくるかな・・・。 もう一つ駅つながりで、こんな装置も。 みどりの窓口のある駅で、新幹線、特急や急行の座席指定券などを発券する「マルス」です。これは、写真の左側に写っているページのようなもののところにピンを刺して、行き先や列車名などを表示させるもので、パタパタとページをめくるようにすることから、通称「パタパタ」と呼ばれていたとか・・・。まさかのひねりのないそのままのネーミング! これは、国鉄当時の古い客車などの車体に掲げられていた行き先表示板(サボ)です。これも国鉄当時には普通に見かけまして、客車に限らず電車やディーゼルカーにも取り付けられていましたが、幕式の行き先表示器や最近ではLEDの表示器になって見かけることはなくなりましたね。 その他にもいろんなものがありましたが、こういったものが次に新しくできる博物館で展示されるのを楽しみにしています。
2014年01月11日
コメント(2)
JR大阪環状線の弁天町駅すぐにある交通科学博物館は、1962年に開業していますが、近々京都の梅小路蒸気機関車館近くへ移転することが予定されています。その前に収蔵されているコレクションを公開するために「曝涼展」が、先月15日まで行われていまして、見に行ってきました。 普段見ることができないものがたくさん展示されていました。その中で、私のお気に入りをピックアップして紹介します。 これは、1978年に引退したキハ81という車両のさよなら運転のヘッドマークです。キハ81は、1960年に東北本線の特急「はつかり」として登場した車両で、その後「つばさ」「ひたち」に使われた後、1972年に紀勢本線の「くろしお」として使われていました。 そして、紀勢本線が新宮まで電化されたのを機に引退することとなって、さよなら運転が行われました。当時私は小学五年生でしたが、さよなら運転の時間がわからず、親と一緒に天王寺へ行った時にはすでに出発したあとだったのでした・・・。 1972年つながりで、1972年から1978年10月のダイヤ改正まで運転されていた新快速のヘッドマークです。天王寺から和歌山までの間を運転されていて、途中停車駅は鳳のみ(後に熊取と和泉砂川も停車)で、阪和間を45分で結ばれていました。ちなみに、かつて阪和線が国有化される前、まだ私鉄の阪和電鉄だった頃にも阪和間を45分で結んでいましたが、当時は旧型の車両だったわけで、当時の阪和電鉄の車両の優秀性が伺えます。 阪和線つながりで、こんなものも。「直行」とは、今でも阪和線で運転されている「区間快速」の前身です。すなわち、天王寺~鳳間は快速運転、鳳以南は各駅停車となっている区間快速が1968年以前は直行と呼ばれていたんです。 ちなみに、「東和歌山」は今の和歌山のことで、1968年に改称されています。 私がいつも利用しているJR大和路線の大和路快速の前身とも言える奈良から大阪環状線に乗り入れる快速のヘッドマークです。このヘッドマークは初期のもので、ヘッドマークの真ん中を折りたたむと、快速表示が無表示(車両の車体色にあわせた赤色)になるというもの。その後に、ヘッドマークの形状が変わってしまいましたが・・・。 他にも紹介したいものがあるので、また後日に・・・。
2014年01月10日
コメント(0)
2014年がはじまり、松の内も過ぎたところで正月ボケもようやく収まりましたでしょうか? 私は年の初めから出張で忙しく過ごしているところであります。 さて、年賀状の話は先日紹介しましたが、いただいた年賀状には「謹賀新年」の文字が書き込まれ、新春らしい梅や今年の干支の絵が添えられていました。謹賀新年とは、「つつしんで新年の慶びを申し述べる」という意味だそうで、その言葉の意味と新春らしい絵柄が新しい年の慶びと期待を感じさせるものでした。 ところが、東京のあるテレビ局は、そういった意味も全く分かっていないポスターを正月から掲示していたそうですね。そのテレビ局とは、12月31日から1月1日の夜おそい時間帯の視聴率が0%だったと言われているフジテレビです。詳しくは「謹賀新年 フジテレビ」で検索すると、数多く証拠の写真がアップされているかと思いますが、とても正月や新春に掲出するポスターとしては気分が悪い「地獄絵図」になっています。 これをみて、どう思われますか? 何の意図があってこんな絵を掲出したのか。掲出するのは勝手だけど、こんな絵に「謹賀新年」の文字を書き込むセンスのなさ。なんだろうね。 確かフジテレビって、一時期韓流ごり押しをして(これに関しては、他のテレビ局も似たようなものか。BSなんてひどいみたいだし。CSも同じ。)、いつだったかお台場周辺でデモ行進をされたくらいの局でしたよね。 加えて、「嫌なら見るな」って関係者(タレント?)がコメントしたそうだし、かつては「ドリフ大爆笑」などおもしろい番組があったのに、最近はさっぱりになっているのは自業自得というところでしょうか。 そして、今回のこれですよ。絵の中身も、なんだかよくわからないでしょ。もう何がしたいのか分からなくなっているんじゃないかな。こんな事をして誰が得をするの? まぁ、私は関西在住だし、フジテレビは映らないから関係ないけど、正月早々大手民放がこんなくだらんことするんだなぁと呆れましたね。
2014年01月09日
コメント(2)
歌手でタレントのやしきたかじん(本名・家鋪隆仁)さんが3日未明、都内の病院で亡くなっていた。64歳。告別式は近親者で済ませ、大阪市西成区に住む母親もショックを見せているという。 大阪市生まれで大学時代から歌手活動を始め、「あんた」「やっぱ好きやねん」のヒット曲をリリース。一方で、歯に衣着せぬしゃべりで人気者となり、数多くの冠番組を抱え、「関西の視聴率男」と呼ばれた。 12年1月に食道がんを公表し休養を宣言。4月に手術をして、翌年の3月に一度は仕事復帰したものの、5月から再び長期療養していた。初期のがんと説明されていたが、実際は予断を許さない症状だった。【日刊ゲンダイから引用】 昨日の深夜、このニュースがテロップで流れたときは、びっくりしました。体調が悪いのは、テレビなどで知っていましたし、一時復帰した時もテレビでみましたが、とても痩せていて声の張りがなく、かなりしんどそうに見えました。そして、ついに力尽きたようですね・・・。酒とたばこをこよなく愛したたかじんさん、どちらかをやめるか量を減らしたらもう少し長生きできたかもしれないけど、そうしたら牙を抜かれたようになって持ち味はでなかったかなぁ・・・。 さて、ネットニュースでも新聞でも数多く取り上げられているのですが、歯に衣着せぬ物言いで、ズバズバと切って捨てるのは痛快でした。その毒舌が特に関西では好評で、冠番組がいくつもあり、「なにわの視聴率男」とも言われていました。また、関東特に東京を毛嫌いしていたために、東京では放送されない番組もあったとか・・・。 番組を仕切り、毒を吐くたかじんさん、それだけしかみていない人にとっては、「この人はコメンテーター?」って思われるかもしれませんが、れっきとした歌手なんです。私にとってもカラオケの定番曲の一つである「東京」をはじめ、「やっぱ好きやねん」など多くの曲をリリースしているだけでなく、「ガンダム」の主題歌(映画だそうですが、私は聞いたことがないんです・・・)までも歌ったとか・・・。 その歌声は、普段の毒を吐くときの声はどこへやらの繊細なもので、とても同一人物とは思えないような感じでした。また、コンサートも一時期やめていたことがあったようで、そこにも歌に対する繊細な一面があったのかもしれません。 ところで、そのコンサートは普段の番組の延長のような「トーク」を中心としたものだったそうで、トークからなんの脈略もなくいきなり曲に入ったり、いつまでもトークばかり続けたりと、お客さんを楽しませていたようで、そのお客さんも「曲はええからトークをしてほしい」と言ったリクエストがあったとか・・・。 どこまで本当なのかわかりませんが、たかじんさんのコンサートだったら、そういうのもありだっただろうなぁってね。 そんなたかじんさんを慕う芸能関係者も数多く、特に関西の芸能に大きな影響を与えていたんですね。(その強すぎる個性ゆえに、合わないこともあったと思いますが) たかじんさんのご冥福をお祈りします。
2014年01月08日
コメント(2)
昨年末に、2013年締めくくりの献血に行ってきました。場所は、JR森ノ宮駅近くにある大阪府赤十字血液センターで、ここは朝9時からオープンしています。 この日は、季節風が吹いて気温が低くて寒い日でしたので、腕を温めながらの献血となりました。 さて、結果の方は、コレステくんが204と久しぶりに200を超えてしまいました・・・。年末年始の状況を考えると、次回の献血がちょっと怖いです・・・。とんでもない数値が並びそうだなぁ・・・。 ところで、この日の看護師さんから『移植が必要な多くの患者さんを救いたいという主旨から、京都大学iPS細胞研究所が企画する「医療用iPS細胞ストック構築に関する研究」に協力することと致しました』という説明を受けました。詳しくは、大阪府赤十字血液センターのHPにあるのですが、以下に抜粋いたします。 iPS細胞を用いて治療する場合、拒絶反応を防止する必要があります。拒絶反応を防止するためには、人体のほぼ全ての細胞に分布しているHLA(Human Leukocyte Antigen、ヒト白血球抗原)型が適合しているiPS細胞が必要となります。 HLA型の組み合わせは、数万種類以上存在しますが拒絶反応が起きにくいHLA型の組み合わせがあり、その組み合わせを持つ人の頻度は約2~4%とされています。「医療用iPS細胞ストックを構築」するためには、拒絶反応が起きにくいHLA型の組み合わせの献血者の方々にご協力いただく必要があります。 つきましては、下記2施設( 大阪府赤十字血液センター(森之宮) 献血ルーム四条(京都府)において、血小板成分献血にご協力いただいた方々の中から、拒絶反応が起きにくいHLA型の組み合わせの献血者ご本人に、「医療用iPS細胞ストック構築に関する研究」への協力について、書面にて「ご案内」を差し上げる予定にしております。 拒絶反応が起きにくいHLA形の組み合わせの献血者が私であるのかどうかわかりませんが、もし私だったら喜んで協力したいと思います。確率は低そうですけどね・・・。
2014年01月07日
コメント(0)
私は今日から仕事でしたが、子どもたちもあすから三学期。もう少し休みたいって言っているけど、大概休んでいるでしょうが・・・。 さて、今年子どもたちのところへ来た年賀状をみると、小学六年生の下の子どもの年賀状には、校区の関係で別の中学校へ行くお友だちからは「学校は離れるけど、また遊ぼう」などと書かれていましたし、ジュニアバンドのお友だちからは「4月の最後のコンサートまでがんばろう」などと書かれていました。 また、高校一年生の上の子どものところには、高校が別々になったお友達から「元気にしている?」というようなものであったり、高校で初めて一緒になったお友だちから「初めて会った時から優しくしてくれてありがとう」などと書かれていて、こちらも嬉しくなりました。 保育所当時からのお友だちからは、昨年夏に久しぶりに行ったBBQが楽しかったのか「また今年もやろう!」って書かれていました。よっぽど楽しかったんですね、そう言われたら、また企画してみようと思っています。 それにしても、二人ともお友だちと仲良くしているようです。この調子で三学期もがんばってほしいです。
2014年01月06日
コメント(0)
長かった正月休みも今日で終了。9日間も休みだったので、あすからの仕事が大変だなぁってね。 さて、そんな正月休みの最終日、妻の親戚がやってきました。子どもたちにとっては、お年玉がもらえる日ですから、子どもたちは大喜びでやってきました。 妻は、こんな感じでおやつをつくっていました。スイートポテトです。これが意外とよくできているんですよ。売っているような感じで作られていました。 同じ材料で、こんな大きな大きなものも作っていました。 こちらの方は、ちょっと味が薄かったかな・・・。 さぁ、明日は2014年の初仕事、正月気分が抜けないかもしれませんが、頑張ってきたいと思います。
2014年01月05日
コメント(0)
先日、京都へ行った際に梅小路蒸気機関車館へ行ってきました。ここには、17両の蒸気機関車が保存され、一部は動態保存がされており、体験乗車に運行されています。 この日の体験運転は、国鉄最後の旅客用蒸気機関車のC62でした。1948年から製造されたこの車両、ボイラーなどは貨物用として製造されたD52を転用して作られているのは有名な話です。 主なスペックは、全長(石炭を積んでいる炭水車までの長さ)が約22mで、現在JR貨物で運行されているEF210が約18mですから少し長くて新幹線とほぼ同じ。重さ(炭水車込み)が約145tで、EF210が約100tですからかなりの重量です。見た目も真っ黒い巨体ですから、間近で見るとその大きさに圧倒されます。 このC62は、登場以降は国鉄の特急・急行列車を牽引し、戦後の旅客大量輸送に大きく貢献したわけですが、その巨体ゆえに地方路線では使うことができず、最終的には北海道の函館本線で運行終了となりました。 そして、このC62の2号機の除煙板(デフロスター。煙を上方に上げるための板。)には、当時日本を代表する特急といっても過言ではない「つばめ」を牽引していたことを示す「ツバメ」マーク、いわゆる「スワローエンゼル」がついています。 さて、体験運転には乗車しませんでしたが、多くの子どもたちが乗っていましたし、年配の方は懐かしそうにしていました。 体験運転終了後は、水と石炭を積むために転車台(ターンテーブル)で方向を変えました。この写真は、その回っている途中に撮影したものですが、正面から見ても格好いいですよね。 ところで、私は1989年夏に北海道で当時運行されていた「C62ニセコ号」に乗車したことがあります。北海道の北海道鉄道記念館(今の小樽市総合博物館)で保存されていた同じC62の3号機が現役復帰、小樽~倶知安間を運行されていましたが、1995年を最後に運行終了となりました。ホント、タイミングよく乗車することができたものです。 正月休みも残すはあすのみ、6日から再び通常の仕事となります。この蒸気機関車のように、がっしりと地に足をつけて粘り強く頑張っていきたいと思います。
2014年01月04日
コメント(2)
今日は、昼から下の子どもを連れて桜井市の「與喜天満神社」へ行きました。ここは、音楽の上達の神様が祀られているということで、ジュニアバンドでがんばっている下の子どもを連れて行きました。下の子どもも、あと3ヶ月はジュニアバンドのメンバーとして頑張らなければなりませんからね。 與喜天満神社へは、近鉄大阪線の長谷寺駅が最寄駅です。長谷寺といえば、西国三十三箇所の第8番札所の有名なお寺です。長谷寺は過去に行ったことがありますが、それは今から30年以上前のこと、この行ったことがありませんでした。 駅から歩いて15分くらいで、與喜天満神社の入口につきました。ここからは、写真にありますように石段を歩いていきます。この石段が結構辛かったのです。なんといっても、私は、今朝、明神山に登っていますからね・・・。 ようやく本殿が見える位置にやってきましたが、またしても石段です・・・。大したことはないのですが、なかなかの拷問です・・・。 お参りをしまして、下の子どももさらなる上達をお祈りしていました。 そして、おみくじをひくと、私は大吉でした。おみくじではあまりひいたことがない大吉、今年はいいことがあるかもってね。 ところで、長谷寺への参道に連なるお店で気になったのが、「長谷名物 くさもち」の文字。どんなものだろうと思って買い求めて、帰りの列車を待つ間に食べてみました。 こしあんの入った草餅で、ほのかに草の香りがしてなかなかおいしかったですよ。下の子どもは餡が苦手なのですが、それでも食べていました。 長谷寺へは、道が良くなったので車で行ったほうが早いと思うのですが、駐車場が少ないのと長谷寺周辺は道幅が狭いところもありますから、列車の方が便利かと思います。 ただ、最寄りの長谷寺駅は普通、準急(区間準急を含む)しか停まらない駅ですし、通過待ちがあったりして、私の家からは1時間くらいかかりました・・・。
2014年01月03日
コメント(2)
今日は二本立てでお送りします。 さて、昨日のブログにも書きましたが、今日の21時まで行われていたアマチュア無線のQSOパーティーですが、移動運用として同じ王寺町にある明神山の山頂へ登ってサービスすることにしました。明神山は、麓から約30分弱で登ることができるし、山頂には神社もあるので初詣も兼ねて登りました。 麓には大きな鳥居がありまして、そこから登っていきますが、こんな小さな案内もあります。 明神山は、何度か登ったことがありますが、そんなに険しいものではありません。地元の方も神社目指して登っていくくらいなので、手軽な山です。とは言っても、久しぶりに登りましたので疲れました・・・。 山頂にある神社にお参りをして、早速交信しました。今日は、430MHzにて交信を行いましたが、朝早いこともあって天気はいいもののキーンと冷えていて寒かったです。霜もびっしり降りていましたし。 430MHz帯といえば、私が開局した1991年当時は初心者バンドで、たくさんの方がおられたのですが、最近は平日は不法局(ダンプやトラックの無免許局)ばかりで、休日は交信しているのをほとんど聞かない、なんていう有様です。 QSOパーティーでは少しマシなようで、関東から旅行でやってきた方や、1994年以来2回目の交信となった徳島県の方と交信することができて、うれしかったです。 ちなみに、今回のQSOパーティーでは64局と交信することができました。いつも交信する方とも交信することができたし、初めてつながった方もおられたし、数十年ぶりに復活された方とも交信することができたし、交信した局数は少ないものの、楽しめました。
2014年01月03日
コメント(0)
年始のアマチュア無線のお祭り、「QSOパーティー」。私は今年も参加しました。もう何度目か忘れてしまいましたけど、たしか1991年から毎年参加しているので24回目の参加になろうかと思います。 20のアマチュア無線局と交信することが最低条件で、簡単と思いきや今年はなかなか難しかったです。というのも、これまでは信貴生駒スカイラインの方へ行くなどロケーションのよいところへ移動運用に行っていたのですが、今回はそれができないため、車で移動しながらの交信となりました。 それでも、何とか最低条件をクリアして、あとはおなじみの方との交信を楽しみにしていました。初めて交信する方もおられたし、久しぶりの交信の方、毎年このQSOパーティーでのみ交信する方など、なかなか楽しかったですよ。 QSOパーティーは、明日の21時まで行われていますので、まだ交信していないおなじみさんとの交信ができればと思います。
2014年01月02日
コメント(0)
あけましておめでとうございます。 今年も「あけやんの徒然日記」をよろしくお願いします。 今年も、大晦日から私の実家のある堺市の実家へ行っておりまして、昨夜は焼肉パーティーをしていました。年末に焼肉?って思うかもしれませんが、私の実家では、年末もしくは年始に焼肉パーティーすることはよくあります。今年は、宿泊するのは1泊だけだったので、大晦日にしました。がっつり食べて飲んで・・・、といいたいところですが、がっつりは飲んだものの、焼肉の方は少し足りなかったかな・・・。子どもたちがガッツリ食べていたので、私はそこまで食べられませんでした・・・。 さて、今日はゆっくりと寝させてもらって、食事は昼前になりました。 私の実家の雑煮です。 このブログでは、何度か紹介していますが、我が家の雑煮は関西風の白味噌仕立て+豆腐、油揚げ+小芋、人参、大根といった野菜+餅は焼かないタイプですが、トッピングに鰹節と青のりが乗っかっています。 今年の餅は、先日親戚の家でついてきた餅ですが、少し大きさが大きかったようで、今までの感じで食べるとかなりお腹がいっぱいになりました・・・。 ちなみに、白味噌の加減は、私が行いました。かつては、亡き父が出汁からとっていたのですが、今後は私がすることになるみたいで・・・。今年は出しとかは母親が段取りしてくれましたが・・・。 その後は、墓参りしましたが、まだ初詣には行っていません。近々行ってこようと思います。 ところで、こんな感じに餅を焼いてしょうゆで食べましたよ。ご覧のように、結構持ちの大きさが大きいんです。今までは、もう一回り小さかったんですけどね。食べごたえありますわ~ 個数も80個近くあるので、まだしばらくは餅を楽しめそうです・・・。ただ、太りそうだなぁ・・・。
2014年01月01日
コメント(4)
全31件 (31件中 1-31件目)
1