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厳しい言葉ですが、以前にある漫画家さんが言った言葉「絵が未熟な新人ほど、自分にはストーリーの才能があると勘違いする」 これは新人の技術的な「逃げ」に対する警鐘でもあり。そして何より、絵というのはあるラインまでは知識と技術のみで上手くなれる。それをデビュー前から放棄した人間に先は無い、ということなのでしょう。 当たり前の話ですが「マンガは基本、絵で構成されている」
2012.10.30
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私の母は長年、田舎で保母をしていたのですが、その母が以前に話してくれたこと。 保育園でクリスマス会がありまして、「きよしこの夜」などを子供達が合唱したり、プレゼント交換会があるという、まあ、毎年やっている年中行事がありまして。 で、ある年にある子供の親が「公立(市営)の保育園が特定宗教儀式を行うのはおかしい!うちの子にそういうことをさせないでください!」と・・・どうやらその子の親はある宗教の熱心な信仰家庭。保育園側としては「宗教的な意味は無く、あくまでレクリエーションの一環なのだから」と説得したのですが頑として聞き入れず、結局、その子だけクリスマス会当日はお休みをさせるという・・・ この一件で「ああ、親にとっての信心を子供に押し付けただけじゃないか」とかわいそうになったと母は言っていました。 確かに世界にはたくさんの宗教があり、厳しい戒律でそれこそ他宗教を崇めたりすることすら禁ずるものもあります。あるいは、宗教戦争などという形で殺し合いが行われることも。 だから、宗教というのは軽々しく扱っちゃいけない。しかし、少なくともこの国では特定宗教だけを崇めるのではなく、他の年中行事も平気で他宗教の行事を行ったりする八百万の神の国。だからこそ、ゆるやかに、穏やかに、考えられる、幸せな国なのですが。 何しろ、クリスマス(キリスト教)を祝った数日後に年末は除夜の鐘(仏教)を聞き、翌日には神社に初詣(神教)という混沌を普通に受け入れている国ですから。
2012.10.30
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週末、同人ソフトHIJK!のアニメを担当された珠吉さまと打ち合わせも兼ねた食事をしたのですが、昨今のアニメ業界のことをいろいろお聞きしまして。 なんても、TVアニメの作画に求められるクオリィティーが上がりすぎて、最近では原画の枚数がやばいことになっているとか・・・今まで1カット内にそれほど必要じゃなかった原画の枚数が、芝居を細かくするために多くなる。下手をすると動画レベルの枚数を原画の人が書かなければいけないほど。 そうなると原画の人の仕事が圧倒的に多くなる。しかし、カットの料金は1カットで変わらないという・・・(もちろん、大変なカットには色はつけてくれるそうですが) で、思ったのは「最近のアニメはクオリィティーが低い。魂が入っていない。AKIRAやオネアミスの翼のセル画時代を見習え!」なんて意見をネットで見ましたけど、お前ら、ナニを基準にしているんだと?少なくともその2作品は当時でも異常なレベルの作画。というか、アニメの歴史に残るレベルです。しかし、当時のTVアニメの質なんて・・・正直今のものとは比べ物にならないぐらいアレなんですが・・・ というか、単純に絵のレベル、動きの細かさで言えば今の時代って恐らくアニメ史上最高の水準に平均レベルがなっていると思います。 話はちょっと違いますが、任天堂の宮本茂さんが「最近のゲームはダメだ」という話を振られて返した言葉「今はダメだダメだといいつつ、何年も経ってみると、その時代、かならず評価されたものがある」 きっと今の時代のものを10何年後には「あの頃に比べて今のアニメは~」なんて言っている人がいるんだろうな。
2012.10.28
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「ゲームはクリアしなくてはダメだ」と思うようになったのはいつからか これには自分も同意。というか、自分も製作者ですが「なんでこんなに長い時間遊ばせないとクリアできない作り方にするんだろう」という疑問はいつもありまして。 例えば、日本のRPGはクリアまで最低40時間は欲しい、というのが相場らしいです。が、その40時間っていったい何なのかと?逆に言うと40時間もユーザーを拘束しなければ物語が終わらない(ストーリーの結末が見られない)映像作品って、それこそNHKの一年がかりの大河ドラマを見なければいけない事と同じである、ということを作り手が意識しているのか? 人にもよると思いますが、私の場合、ゲームってクリアしなければいけないというのが非常に窮屈な考えで。それより、たとえクリアまでが短くても、何度も思い出したようにたまにやってみるタイプのゲームが好きです。 もっとも、最悪なのはその延びた時間が単なる移動だったり、つまらない動画を見させられたりでゲームとして遊べない部分での水増しである事ですが。
2012.10.27
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現在、アニメで放送中の「BTOOOM!」無人島に集められたいわく有りのキャラクターたちが爆弾とレーダーを使って殺しあう、サバイバルゲームのお話です。 原作がマンガで、私も読んでいたのですが、その中にこのゲームの首謀者である人物が出ているのですが、その風貌がベースボールキャップに小太りでロン毛にスカジャンと、いかにも元ハドソンの「高橋名人」をイメージしたとしか思えない人物。 で、アニメではなんと!ご本人が声優としてやっていたので思わず吹いたのですが。高橋名人といったら私のようなキャラバン世代の人間にとってまさに永遠のゲーマー。あの爽やかな口調でひどい暴言を吐くのはもう「やられた!」としか。 こういうケースは最近だとアニメ「へうげもの」で原作内でチョッチュネ を連発する加藤清正の声優を元ボクサーの具志堅用高さんだったこともありまして。 正直な話、声優としてはアレです。 でも、実際これって作品の出来としては怖い話ですよ。「本人がやったから仕方ない」という免罪符で、クオリティーがあきらかに低くても許されると思ってしまう。もしかしたら本人も思っているかもしれない。 芸能人が話題作りのためにアニメ声優やって作品をボロボロにする、なんてことはよく叩かれるのに、「本物=正しい」が変な責任逃れにならなければいいけど・・・
2012.10.26
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こちらのツイッターまとめを読んで思ったのですが(前編)上杉隆氏の夕刊フジ記事「郡山市の測定値は水洗いして数値を低くしている」について郡山の順一さんが反証し訂正・謝罪を求める(1日目) どうやらこの人だけではなく、世の中には「根拠のないウソを広めてでも○○が危ない」という状態にしなければいけない人、というのがいるらしくて。 上記の人も、書いたことをことごとく反証、矛盾の指摘をされている。それに対して明確な返答はせず、ただ「雑音」とか「真実を隠したい人が論拠に足らないツイッターを~」など、明確な返答を避けている。 特に夕刊フジに載ったこの人が書いた記事のドブレイユ氏の発言は実は無かったって・・・おいおい、これだけでこの人、自説の補強のためなら平気で捏造をする人だという立証みたいなもので。 怖いのは、こういう人の妄言を反証するためにいわゆる「真面目な人」が実地調査や正規のデータを苦労して集め、相手に突きつけると「それは捏造されたもんだ」と平気で言い出す。 馬鹿のブリ撒いたクソの後始末に賢者が苦労しなければならないという、最悪な状態。 そしてこの手の人間は「世間の役に立っている」と思っているのが哀れというか。
2012.10.25
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以前に伊集院光 さんがラジオで語っていましたが「自分が子供の頃、特撮が大好きで、今(放送時)、現代美術館でやっている「特撮展」を見ているけど、自分は一時期から特撮から離れてしまった、だからその間の記憶とか知識は無い。でもネットの普及とかで知識が集めやすくなって、今の世代のマニアの方が情報量とか持っている知識は圧倒的に多い。そういう場合、自分みたいな古いマニア最後の砦は結局「リアルタイムで見た」っていうことだけなんだよね」 これは確かにそういうところがあって、でも結局、マニアとかオタクに階級とか偉さなんて無いんだよね。「俺はこいつらとは違う知識を持っている」と威張ったところで、原典作品への思いは同じ。その作品が面白いかどうかだけの違い。 むしろ、そういうところで差をつけようと見栄を張っても自己満足でしかなく、作品の内容が変わるわけじゃない。 誇られても「ウザイ」しかないですから・・・
2012.10.24
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これは以前から思っているのですが。 例えば、あるシリーズゲームに初めて触れた初心者に対して、経験者は最初からあまりアドバイスと称して効率的な勝利方法やセオリーなどを教えてはいけないと。結局、初めて触れるゲームの新鮮な驚きや試行錯誤の悩ましくも楽しさというのを、一足飛びに勝率、効率重視の世界に連れて行ってしまう。 たとえばアーケードの初代アイドルマスターは当時、その手のゲームがまだアーケード業界に無かったので、自分も含めユーザーはいろんな試行錯誤をしました。○○すると強いんじゃないだろうか?いや、××をすると勝てる!など・・・ やがて、ネット上に同好の士によってコミュニケーションパートの選択肢のパーフェクトルートが公開されたり、戦い方のセオリーが一般的になったり。確かにそれによって強くはなりますが、その代償で成功、失敗に一喜一憂する楽しさが半減したのも事実でした。 初心者にこのゲームオススメ!ときっかけを持たせる、まではよいですが、初プレイの友達の横に付きっ切りになって「ここはこうして、それをああして、あ、それやったらダメ、だから!ここでこうだろ!」と、おせっかいを焼きすぎると、なんだか「操作させられている感」が強くなってしまいますので。 せいぜいその人が壁に当たった時にちょっとしたアドバイスでいいんじゃないでしょうか。
2012.10.23
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コンシューマゲームでのダウンロードコンテンツ(DLC)に関して、開発に関わっている人間の意見。 以前、ダウンタウンの松本人志さんが任天堂の宮本茂さんと対談した際、彼はピクミンが大好きで「続編に期待しているんですが、そうじゃなくてこのままでマップだけ増やしたものが遊びたい」と宮本さんに熱烈にお願いしている姿がありました。 で、本来、DLCというのはこういう人のために作られるべきだし、現場でも現にそういう形で作っています。あるいは、その追加分を入れると値段が高くなってしまうような場合。 しかし、DLC否定派の人の意見を見ると「最初から入れておけ」って・・・だったら、全てパッケージして1万円を越えるような価格でもいいのか?という話ですが。 ラーメン屋で普通のラーメンに対してチャーシュー追加や麺の大盛りで追加料金を払うことに対しては当然と思っている、にもかかわらず、コンシューマゲームソフトに関してはそれをすると「手を抜いてわざとぼろ儲けするためにやったんだろう」と・・・ ちなみに、ゲーム開発の現場では「予算が確保できない」という理由で仕様をカットすることも多々あります。それを補うことが出来るのがDLCなんですが。 私としては「もっと楽しみたい人のためにコンテンツであって、客に損をさせるためにばら売りしているんじゃない、選択肢を与えている」と内情を知れば思えるのですが。むしろラーメン屋でトッピング全部のっけの価格=標準 と思っているような感じなので。
2012.10.22
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ゲーム作りの現場でよくあることですが、例えば社外のイラストレーター、あるいはシナリオライターに依頼すると、締め切りを破る事が当然、みたいな人が多いです。 以前にも書きましたが、例えば、あるゲームのシナリオを外部の作家に頼んだところ、当初予定の締め切りを3度延ばしたにもかかわらず、約束の半分程度しか送ってこない。いい加減、こちらの仕事が出来なくなり、相手にここから先は別の人でなんとかします、と作家を変更し、何とか帳尻を合わせた、という事をしたら、後日、その人は自分のBlogに「勝手にシナリオを改変された」と恨み言を書いてたり。当然、自分が締め切りを破った事は何も書かず。 似たようなケースでキャラクターのイラストをそこそこ有名なイラストレーターに頼んだのに、締め切りを守らない。その割にはコミケなんかに普通に新刊出してたり(W. 例えば、私のようなサラリーマンの場合、締め切りを守る、というのはある意味最低条件みたいなものだし、もし、間に合わなそうな時は早めに上司に報告し、対策を練ってもらう。また、会社同士であっても同じで、締め切りを一日超過するごとに○○万円という違約金を支払うなんて契約もざらにあります。 しかし、それが外部の、その手の業種だと締め切りを超過しても「いいモノを作るためには仕方ない」みたいなゆるーい考えが蔓延していて、さんざんこちらが催促してようやく重い腰を持ち上げるような。それがいいものであっても、もう遅くて使えない時期に提出して「義務は果たした」みたいな顔をされたり、もっとひどい例になると、こいつ、やっつけでやりやがったな?みたいな、ラフ画でお茶を濁そうとしたり。 なんだかプロの基準がものすごくズレているひとがいます。それがまるで「その業界通例」みたいな言い訳をする人もいますが、きちんと締め切りもクオリティーも守っている人もいる。 少なくとも「いいものかどうか」は完成品を見せてもらわないと判断できないのですが。
2012.10.20
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アニメ「JoJoの奇妙な冒険」で第一部のある意味クライマックスでしたがなんつうか、このアニメってマンガも含めて「裏オモテ両面から楽しめる作品」ですね。 パロディーのネタとして使われる名セリフや擬音、印象的な構図などの「ナナメに笑う楽しみ」もありますが、やはり本質の熱さ、面白さは抜群で。今週放送された第一部クライマックスはまさに異常なテンションと、その中にある王道少年漫画の力強さ。終始こぶしを握ってました。 こういう「裏オモテ両面から楽しめる作品」は、他にも「ガラスの仮面」とか「グラップラー刃牙」「カイジ」など、とにかく強烈にひきつける力を持っている。 で、そのパロディーから興味を持った人も、最初はネタとして読んだつもりがスッカリ虜にされてしまう、など。 昔から熱心なファンにとって、作品の珍妙なところだけ取り上げられ笑われるのは苦々しい事だと思います。がしかし!すごい作品はそんな表面的に笑っていた人間すらねじ伏せるパワーを持っている! 裏オモテ両面から楽しめる作品のすごさとはこういうことなんでしょうねえ。
2012.10.20
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『漫画家になるには画力が必要』ツイートと漫画家先生方の反響 別冊マガジン編集長の「画力が商用に達していない人が多い」に対する反響と、漫画家さんの「画力は大切」まとめです。 私が以前、あるマンガの編集者さんにお聞きしたのですが「新人が最初に持ち込む原稿の大半は、ストーリーも画力もつまらない。何の魅力もない作品。しかし、本人に「まず基本的なデッサン力を~」の」話をすると「絵だけで中身を見ていない!」とキレる子もいる。アホかと、中身を見たうえでストーリーの魅力を感じないから、まず誰でも訓練で最低限上達できる画力を上げる事を薦めているのに、という・・・ コレは大切で。もし、本当に魅力的な、それこそ稚拙な画力を凌駕する面白いマンガを持ち込む新人がいたら、速攻で囲い込む。それがされないってことはどっちもアレだ、ってことですよね・・・ ちなみに絵の力というのは本当に大切で「こいつ、下手だな」って言われている漫画家さんの絵柄レベル(商業レベル)に到達するのでさえ大変なんです。しかも、連載を持ったら毎回締め切りに追われつつコンスタントに量産しなくてはならない。 上の編集長に「やっぱり講談社は絵だけか!」なんて批判していた新人作家さんがいましたが、その人は画力もストーリーも商業マンガの土俵にまだ上がれるレベルじゃない、ってことを自覚した方が・・・
2012.10.19
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ある映画を見たときですが。映画内の洋上での戦艦バトルシーンにおいて「ひだりげんより魚雷接近!!」みたいな言葉が。 ん?ひだりげん?と思って、後になって「ああ、左舷(さげん)のことか」と気がついたのですが。 で、これ、もっと調べてみると旧日本海軍では右舷(みぎげん)、左舷(ひだりげん)と呼び習わしたようで。どうやら戦闘中に間違えないように、わざとこういう呼び方をした、だから上の呼び方は間違いじゃなくて、むしろ本格的な言い回し。 しかし、私みたいな素人はその本格的さがかえって「間違えたんじゃないか」と変に感じるという・・・ちなみにこの呼び方は現在、商業船舶の世界でも使われていない、死語に近い言葉です。 コレに似たケースでNHKアニメ「精霊の守人」というドラマ、舞台は架空の、でも中国やアジアの世界の雰囲気を残した古い時代を描いたファンタジーなのですが、アニメ内で主人公が敵に囲まれた際「フォーメーションを変えたね・・・」 と、いきなり英語単語で語るシーンがあります。これ、ミスでもなんでもなく、主人公バルサは長年の放浪の旅で多国語を話せる設定です。その言葉の違和感を出すためにわざと「フォーメーション」なんて古代ファンタジーの世界にはなじまない言葉を使って違和感を出したんだと監督が語っていました(意図的である証拠に、他にも「槍のメンテナンス」なんてさらっと言ったり) ですが、そういう意図があったとしてもやはり裏設定を知らなければ単に間違いなんじゃないか、という「違和感」として残ってしまうというか・・・ 本格的であったり、深い設定があって意図して使っていてもやはり違和感を感じるのは、よい効果があるとは思えないのですが・・・
2012.10.18
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最近、ちょっと衝撃を受けた人の発言記事がコレです。 上祐氏暴露“空中浮揚はヤラセ” ・・・・内容は読んでいただくとして。私が興味を持ったのは、地下鉄サリン事件とその前後にメディアに一番登場し、元教団の広報として必死に弁明、擁護してきた教団をこういう風に振り返れる、しかも、新宿ロフトのトークライブで語れる時間の流れというか・・・ 空中浮遊写真がやらせ、などというのは恐らく誰もが気がついていたことであり、本人も当然知っていた。しかし、それを自分の立場では言えない、他人に「アレは本物だ」と言い続けなければいけなかった頃というのは、いったいどんな気分だったのだろうか? とくに彼は発言内容やメディア露出の際の弁の立ち具合から、頭の良い人であることはわかります。そういう頭の良い人がその頃、馬鹿な擁護をしなければならなかったこと。そして何より、地下鉄サリン事件という前代未聞の大惨事を引き起こした張本人を擁護しなければいけなかったこと、そして今、こういう風に語れること・・・ なんだか気持ち悪いとも、恐ろしいとも、悲しいとも言えない、複雑な気分で記事を読みました。
2012.10.17
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先日、ニュースステーションを見ていましたらソフトバンクの孫 正義さんがゲストに出ていまして。 対談の中で彼が「キチガイ」という言葉を発言し、司会の古館さんがあせって訂正、番組後半でそれに対し「不適切な言葉がありました事をおわびします」と。 この言葉のボーダーラインはゲーム業界にもあります。会社でも資料として「ゲーム内に使用すべきでない用語」をまとめられたテキストがありますが、正直、ちょっと考えられない言葉もあります。 たとえば「床屋」はNG。「理髪店」にしろ、ということらしいです。ナニそれ?他にも「百姓」はNG。「農家」あるいは「農業従事者」だって・・・ ちなみに私の実家の長野の村では、普通に農家の人は自分たちのことを「百姓」と呼んでます。「床屋」なんてのも日常普通に使う言葉ですよね。 で、これは故、中島らも さんもコラムで書いていたのですが「言葉狩り以外のナニモノでもない」と。現在、放送局では「報道の自由」の建前上、放送禁止用語はありません。ただ、過去にトラブルとなった(主に視聴者から抗議があった、注意すべき言葉)放送局独自のガイドラインとして放送自粛用語はあります。この辺がホンネと建前が見え隠れする世界ですが。 よく昔の時代劇映画をTV放送すると最近は事前にテロップで断りが出たり、音が消されたり。古典落語も作品によっては言葉のNGで放送できないものもあります。しかし、同じものをさすのに「乞食」がダメで「ホームレス」はOKって理由は何なのか? 人を傷つけない、無闇に差別的な発言を戒めるためにこの手の言葉を使わないのは、その人の品格を表わすよいことだと思います。しかし、そういう意図が無い事は前後の文脈から明らかなのにキーワードだけ取り出して口封じするのは、何か妙な感じはします。
2012.10.16
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「iPS心筋移植」報道、事実関係を調査します 読売新聞が一面に近い大きな取り上げ方をした記事の内容がウソであったようで(本人も6症例のうち5つがウソである事を認め、残りの一つも怪しい)大きく取り上げたメディアの面目丸つぶれになりますが。 で、思ったのが「肩書きは最大のデマ発生装置になりうる」ということ。 例えば○○大学教授、なんて肩書きがついたら、それだけで私達は「専門家である」という幻想を抱いてしまいます。が、しかし、同等の知識、あるいは同じ研究をしている人たちからは鼻で笑うような間違ったレベルの論文を吹聴し、それがメディア受けがよければいいほど正誤関係なく広がる。 自分の身近な例だと「ゲーム脳」の森昭雄教授。ゲームが子供の脳に悪影響を与える、ということを科学的(?)に証明したとされる「ゲーム脳の恐怖」という本は大変に売れました。しかし、その検証方法に素人の自分ですら疑問があるのに、この本はベストセラーとなり、TVがこぞって取り上げました。現在では脳波の測定方法やサンプルの曖昧さを指摘され、特に、その脳科学の専門家(同業者)からも「トンデモ本」認定されるなど。 しかし、上のくだりを読めば、自分も単に人よりゲームに関わっている、というだけで脳科学に関してはまったくわかりません。だから、自分の意見は自分の都合のいい、「ゲームは脳に悪い影響を与えない」という意見を言っている権威を支持しているだけ。この辺はゲーム脳をセンセーショナルに取り上げたマスコミとまったく変わりません。 専門家は素人にわからないことを知っているから、我々はその人の信頼ではなく、肩書きを信頼します。しかし、専門家の中にもとんでもないうそつきもいます。 読売新聞記者も「まさかウソをつかないだろう」という信用の元で記事にしたのでしょう。事件や事故と違い、裏を取る、という作業が専門的であればあるほど、そこに異を唱えられるのは同等の研究者、関係者だけですから。
2012.10.15
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こんな記事を見まして ちなみに開発者の立場から言わせてもらいますと「少なくとも買わない宣言している人に向けてゲームは作らない」ということです。特に、特定ハードにこだわるあまり、他機種への移植、あるいは新作が発表されたら「ユーザーへの裏切りだ!」と言うような我侭な要求には、ネットでどんなに騒ごうとも要求が通る訳がない。 それはより新しいユーザーを増やしたいから他機種に出すわけで、その根本から否定するのは作り手側として何のメリットもない。 そういう人も基本は一人一本しか買わない。他機種に移植しないかわりに、そういう人が二本買ってくれるわけじゃない。今まで遊べなかったユーザーに買ってもらう方が喜んでもらえる。 この手の不買運動の根源に、ゲームの面白さとは別の幼稚な独占欲がある以上、それに作り手が応える必要も、義務もない。 「○○のソフトは××のハードのもの」という歪んだ独占欲の強い人間ほど、他のハードから自分の偏愛するハードへの移植は嬉々として受け入れる。 そんな人間の不買運動など、何の説得力もありません。
2012.10.14
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アニメ「JOJOの奇妙な冒険」が始まりましたが。 とにかく濃い!原作も第一部は特に濃厚なのですが、それをさらに煮詰めたようなスピード展開、しかし、それでも胸焼け起こすほどのJOJO成分の過剰摂取にクラクラします。 改めて原作を読み直したのですが、このマンガって本当に名セリフ、名カットのオンパレードですね。中でも有名なセリフは原典は知らないけどネットで見たことがある人も多いかと。 私はJOJOに入ったのが意外と遅くて第4部連載中で、その後に単行本を読んだ、というか、当時マイコンBasicマガジンというパソコン雑誌の読者の投稿コーナーでやたらにパロディーとして使われていて興味を持ったクチですが、その結果、逆に原典がパロディーの感じるほど。 逆に言えば、ガンダムの命台詞などでもあるのですが、今の世代でJOJOを知った人はあまりに有名すぎて原典がパロディーに見える弊害があるかも・・・ いずれにせよ、改めて面白いマンガに古さは関係ない、と感じさせる作品です。JOJO展にも行こうかな・・・*コメントで表記ミスご指摘感謝。はずかしい・・・
2012.10.13
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元 筋肉少女隊の大槻ケンヂさんが以前に伊集院のラジオ番組にゲストとして出ていた際、この人の「なんか小市民」なところがすごく共感できまして。 彼は音楽ジャンルで言えばいわゆるロッカーに分類されると思います。歌詞の破天荒さや独特のだみ声で荒々しいイメージがあったのですが、ロックシンガーではありえない「親と同居していてしかも仲がいい」という。ライブに行く前に母親に「ケンちゃん、油揚げ焼けたから食べてかない?」「うん」みたいな関係だったとか。 また、本人も周りのロックシンガーが、例えば「ホテルの窓からテレビを投げた」「ライブでアンプをぶっ壊した」というような破天荒伝説に「お、俺も何かやらなきゃいけないのか?」と変な義務感を感じたり、無理にいわゆるファンが曲調から「期待するキャラ」を演じなければいけないんじゃないかと焦ったりと・・・ でも、確かに「常識をぶっ壊す」ことが快感と思う人もいますが、逆にそれがストレスになってしまう人もいる。自分もどちらかというと後者のタイプなので、この大槻ケンヂさんのキャラ立ちは非常に共感できました。 なにしろ父親に「けんじ、そんなロックなんていつまでも続けられるものじゃないから。ある程度儲かったらそのお金でマンション経営しろ。そうすれば一生安泰だ」と言われて「そうだなあ」と生活安定を本気で考えてしまうような人。 また、自分は楽器が弾けないという負い目から、レコーディング現場では極力他人の意見に流されるようにしている、そうするとレコーディングが早く終わるから、と爆弾発言。 でも、彼の音楽はきいている自分にガンガン響くし、「グミチョコパイン」「新興宗教オモイデ教」など小説も非常に面白い(私も年代的に嵌った時期があったので)、実に才能のあるひとであるのはわかりますから。 反社会的なこと、破天荒なことが「ロックである」という常識に囚われてしまうより、よほど「自分に正直に生きる」人だな、と。
2012.10.12
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「世の中一寸先は闇」ということわざがありますが。 休日、図書館でちょっと調べ物をしていたところ、たまたま書棚にある経営者の半生を記した自伝的な本を見かけました。 若い頃の苦労話や自分がサラリーマンというものになじめず、独立した話、アイデアと決断力の速さでみるみる会社が大きくなった話、こういう考え方を持っていれば必ず成功する、という経営哲学など。 わずか三十代前半で100人規模の社員を持ち「業界の風雲児」と呼ばれるようになった、そのサクセスストーリーが描かれていたのですが。 で、何故その本を私が手に取ったかというと「確か最近、この会社倒産したってニュースを聞いたな」ということでして・・・本の奥付から計算して、この本の発売から3年後に会社は消滅していたという。 なんとも切ない話ですが・・・本を読む限り、おそらくこの社長には未来に対して絶対的な希望と、経営哲学に対する自信があったと思います。でもわずか数年で状況が完全に変わってしまう。 だから私は、この社長を「調子に乗っていた」とは思いません。今、どんなに好調でも、あるいは逆に不幸でも、この先どうなるかわからないのは誰もが一緒。かといって気に病んで怯えていても仕方ない。 とりあえず、昔ある落語家さんが言っていた「来月のメシ代に困らない程度の生活が出来りゃ儲けもの」ぐらいの気心でいるしかないのだろうなあ・・・
2012.10.10
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自分が好きなラーメン屋は何件かあるのですが、結局ほとんどチェーン店のラーメンに落ち着いてしまうんですよね。 なんだかチェーン店のラーメンというと「そこそこ、可も不可もない」イメージがありますけど、案外ラーメンに求めるのってそっちなので。むしろ「ラーメンキングが紹介する絶品ラーメン」という店も何軒も行った事があるのですが、やたらに濃かったり、癖が強かったり。一回は行っても2度目は無いな、という感じで。 そもそも何件もチェーン展開するぐらいですから、味は最低限保障されているし万人受けに味付けされている。つまり、自分の舌は一般大衆、ってことで。 でも、店内に人生の心得みたいな色紙を張ったり、店長が客の食べ方を叱るような店に行くよりはよほど美味しいラーメンが食べられると思ってます。
2012.10.10
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自分がメインで関わったゲームが販売されまして、売り上げや評価も落ち着いたので振り返ってみました。 で、今回、自分はかなりいろいろやらせてもらえる立場でしたので、昔から自分の思想だった「見えないところ、ゲームの売りにならないところは徹底的に簡素化して、売りの部分に力を入れる」作り方をしたのですが、これは正解だったようです。 というのは、売り上げは十分ペイラインを超えて、ゲームそのものの評価も買ってくれたユーザーからのアンケートなどでも好評ですが、手を抜いた部分に関する言及はまったくされていない。 つまり、自分が今まで「どれだけユーザーの目に届かない無駄な作業をさせられていたか」が立証されたようなもので。 どのぐらい手を抜いているかといいますと、たとえば遠景になってしまう場所はテクスチャを書いていない、一瞬だけしか画面に出ないものは極力使いまわし、モーションも他キャラの流用など。 これは作業時間節約、というだけではなく、限られたメモリに乗せるための苦肉の策でもあるのですが。で、そこをかなり思い切ったからこの部分をユーザーに突っ込まれるかとビクビクしていたんです。が、問題なし! むしろ、その分ゲーム内での自由度に幅を持たせ、調整をしたので、そっちの高評価につながったのかもしれないと。 ユーザーの目が厳しい、というのは、もしかして自分たち開発者が別の部分ばかり注目して厳しくして、本編の遊びの部分をその余波で疎かにしている現状があるのではないか?と思ったり。
2012.10.09
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携帯アプリで大人気のアイドルマスターシンデレラガールズ、バンダイナムコの発表では登録会員数180万人、一ヶ月に多い時は10億を稼ぐという。 これがどれだけすごいことかといいますと「毎月、50万本ソフトを販売している利益に匹敵する」んです。コレは冗談じゃなく、例えばコンシューマゲーム機で一本6000円のゲームの場合、小売段階で7掛けになりプラットホームハードメーカーへのインセンティブやらで恐らくメーカーには5~6割。さらにそこから開発費を差っぴいて、残る利益は・・・ で、実際バンダイナムコに限らず、大手コンシューマメーカーがこういう事業でかなりの収益を上げている、というより、コンシューマゲーム事業の赤字を補填している、という状況です。 で、私が醜いと思う発想は、そういう状況で自分達が高コストのゲームを開発できているにもかかわらず、相変わらず現場レベルでもソーシャルゲームを馬鹿にしている開発者が多い事。 むしろ低コストや低性能のハードでも楽しめるゲームを作る技術をHDを追い求めて捨てたのは誰か。当たり前ですが、こういうソーシャルのヒット作は本当にごく一部で、他にまったく売れなかったソフトは山のようにあるのはコンシューマも同じです。 ソーシャルゲーブームなんて長続きしないよ、と鼻で笑っているコンシューマの開発者、あんたら、その長続きしないと笑う自分の足元はすでに今までのやり方じゃとても立ち行かなくなっている事に気がついたほうがいい。むしろゲーム業界から先に淘汰されるのは、恐竜のように肥大化した自分たちかもしれないという自覚を持たないと。 *あと、誤解している人もいますが、モバマスに関しては無料でも十分楽しめます。やたらに重課金者のことばかり取り上げられるのですが、そこはちゃんと作ってあるよく出来たシステムです。
2012.10.07
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何ヶ月か前、上野動物園のパンダに待望の赤ちゃんが生まれた、と話題になった際、あるワイドショーがパンダの母親というのがどれだけ子供を大事に育てるか、を紹介して、「児童虐待などもある昨今、人間もこのパンダを見習うべきですね」的な締めをして、その数日後に母パンダが育児放棄→赤ちゃんパンダの死 というコンボに微妙な表情が出てしまったのですが。 この手の話はよくあって、母猫が自分の子をかみ殺したり、たくさん生まれた子供のうち、弱いものを見捨てたり。 近代文明社会で培った人間の倫理は当然、人間の間でしか通用しない。野生動物の世界は残酷なのが当然の世界で廻っている。 だから口触りがいい言葉で野生動物に人間の倫理規範を求めちゃいけない。
2012.10.07
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あの震災とその後の原発の状況に関して、一年半たって2つわかったことが。 まず「今の快適な生活がどれだけ安定した電力に依存しているか」ということ。震災直後、しばらくの間、関東では計画停電を行い、これによって「たった数時間電気が使えないだけでこれほど不便になるのか」を、実感した人も多いと思います。 また、節電の影響で夏場のエアコンを控える施設が多くなり、夏の暑さがどれだけ身にしみて辛いものかを感じたり。電力というものが現代社会で水や食料と同じくライフライン、と呼ばれる意味がよくわかりました。 と、同時に反対の意味で「原発の数はここまで多くなくてもよい」という証明もされてしまいました。今年の夏、日本中の原発が一時的に完全停止に追い込まれました。以前、ある専門家は「日本の原発は現状でも一基でも稼動しなくなれば電力が賄えなくなる」と、脅しました。しかし、現実は? これはその足りない原発の電力を関係各位の多大な努力でなんとか賄った、というギリギリの結果であったことに異論はありません。しかし、最も電力を使う夏場に大半の原発を停止しても乗り越えられる、という実証はしてしまった。 と、いうことは「原発って今の数、いらなくない?」というのを実証してしまったようなもので。 私の嫌いな意見は「原発を一基残らず排除せよ!」というやつ。それはライフライン安定や、電気代を安くすませるコスト意識を無視した、いたずらに原発を恐れる思想でしかない。ですが、単純に言っても「国内の原発を半分にすれば少なくともそういう事故のリスクを半分に出来る」とは思います。 現在でもすでに当初の耐用年数は過ぎた老朽化した施設の原発が稼動し続けています。そういうのを順次停止していく、というのは、科学的な意味で正しいリスク回避になると思いますので。 全てのエネルギーを何か一つに頼りきってしまうことも、反対にリスクが大きいとわかった今も以前と同じように使い続けることもおかしな話なので、1か0か、なんて意見にならないようにして欲しいですが。
2012.10.06
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ゲーム開発の途中で、よく宣伝用の素材を広報から依頼されることがあります。ゲーム雑誌の画面写真やネットに上げる動画など。 しかし、コレを作る事がゲーム本編作りの製作の足を引っ張ることもよくありまして。たとえば、まだずいぶん先のマスターアップなのでスケジュール上製作されていない画面を「ファ○通の特集ページ枠が4ページ取れましたからイメージでいいので作ってください」と。おいおい、ゲーム作りってのは手順があって、最終的に画面に出る素材が常に揃っている訳じゃないのに・・・それに開発中のゲームってのはそりゃ素っ気無い画面であったり、ダミーデータが使われていたり。 結局、フォトショップなどで無理やり「完成予想の画面」を作ったりします。当然、それらがゲーム本編製作とは別の作業ですし、完成したデータもゲームには使えない、一回限りのもの。 もっとひどいのになると、あたかも「開発率80%!完成目前」みたいなコメントを広報の人が書いていたり。実際はスケジュール上、半分しか出来ていないのに・・・ ゲームの宣伝はユーザーに興味を持ってもらう、という意味ですごく大切です。が、それを早くから展開したいためにまだ出来てもいない状態の情報を流すのは危険だよな・・・実際のゲーム画面はちゃんとゲームになってから「最新情報」として流してほしいですが。
2012.10.05
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数ヶ月前に前に文部科学省が「誤用の多い、本来の意味とは違う使われ方をされている日本語」というのを公表しまして。 たとえば「失笑する」という意味。これはシニカルな、鼻で笑うような乾いた笑い、という意味だと思ってましたが、実際は「おかしくて我慢していてもつい噴出してしまう笑い」だそうで・・・ 他にも「穿った見方」などの「穿った」とは歪んだ、偏見のある見方、だと私も思っていましたが、水滴が岩を穿って穴を開ける、のように「真っ直ぐな見方」だそうで・・・ で、間違った使い方を8,9割の日本人がしている、というアンケート結果・・・あれ? それって「そっちの用法が現代社会では正しく意味が伝わる」ってことじゃないの?語源がどうあれ、今、古い意味でその言葉を使ったら相手に誤って情報が伝わる。ってことは、本当の日本語の辞書に載せるべきは誤用と呼ばれる側で。例えば外国の人が日本語を翻訳する時には、当然現代使われている意味で翻訳するでしょうし。 言葉は生き物で使う人間や時代に合わせて変化する。「穿った見方って言葉はねえ、実は違うんだよ」っていうのは単なる雑学の領域に入ってしまっているのでしょう。
2012.10.04
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領土問題で日本周辺各地がきな臭くなっていますが。 で、こういうことを解決するために国連に裁定を仰ぐべき、という意見を見たのですが、で、そこで出た裁定に本当に日本も含め当事国が従うか?というのが自分の中にありまして。 というのは、国連の裁定が出たにもかかわらず「これは不当だ」として従わないなんて例はいくらでもあります。わかりやすい例だと日本も1931年(昭和6年)、南満州鉄道が爆破される柳条湖事件が発生した際、国連管轄のリットン調査団による報告内容による裁定で関東軍が占拠した領土から撤退するように命じられた際(その際の各国投票は賛成42、反対1.白票1以外すべての国が日本に撤退を要求。しかしそれを不服として国連を脱退したのが日本でした。 ちょっと話が変わりますが、よく一般の裁判なんかでも自分たちの要求が受け入れられた時は「勝訴」になり、受け入れられないと「不当判決」となる。結局、自分の主張以外は受け入れられない、というのはどこも同じで、そこに第3者による客観性などというのは消し飛んでしまうものかもしれない、と思ったり。 日本人があの領土は古来日本のものだ!と信じているのと同じぐらい、アッチでも信じているんでしょう。 どこの国も自分の都合のいいように歴史は捻じ曲げるし、国境線は引きなおそうとする。
2012.10.03
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以前にあるゲームの開発者インタビューに末席ながら参加しまして。その際、雑誌掲載用の写真など撮られたのですが・・・ 普段からそんなことはめったにない上に、ポーズなどどうしてよいかわからず、修学旅行の写真みたいにぼーっと突っ立って撮ってもらおうと思ったら、カメラマンさんに「腕を組んで、そうそう、それで胸をそらして・・・あごを引いて・・・体をちょっとナナメにかまえて・・・」とポーズを指定される。言われるままにその格好をしてぱちり。 後日、掲載された写真は・・・「うわ!私の格好、偉そう!(あのWeb広告風に)」 また、掲載されたインタビューも、自分では意識して当たり障りのない、やわらかい言葉使いを選んで発言したのですが、文面だと文章の焦点をはっきりさせるためなのでしょう.なぜか断言口調の言葉に・・・ で、思ったのは世の中のこの手のインタビューとか写真が偉そうに見えるのって、取材する側に写真構図や文章のテンプレがあるからなのかもしれないと。雑誌で行列のできるラーメン店の店主は腕を組んで仁王立ち、みたいな。 雑誌を作る側の人は、当然「雑誌での見栄え、読みやすさ」を一番考慮して編集すると思います。となると、上のようなことのなっちゃうんだろうなと。 もっとも、この手のインタビューにうまく答えるのはディレクターやプロデューサー、広報の人だけで十分なのですが。正直、自分の顔を晒して有名になりたいという意思もないし・・・
2012.10.02
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自分の中で思っているので、異論があることも承知で。 以前聞いた話ですが、格闘ゲームの代名詞でもあるセガのバーチャファイターシリーズで、唯一ゲーム内に高低差のあるステージを採用した3なのですが、マニアの間でその部分が評判が悪い。理由は「条件によって繋がる技、繋がらない技が出てしまう」という。確かに、キャラクターの立ち位地によって戦略が安定しない、というのは、特にストイックに突き詰めて遊んでいる人にとって試合中に不確定要素になりやすく、怖い存在であると。同じ事は鉄拳4でも言われたのですが。 しかし・・・自分は逆にそういう不確定要素がゲームの楽しみだと思っているタイプの人間です。例えるなら任天堂スマッシュブラザーズ。あれも突然地形が変化したり、背景が攻撃してきたり。そういうことが視覚的にも、ゲーム性としても楽しい。 で、思ったのが「多くの人に遊んでもらえるゲームというのは、お互いの実力が全ての将棋や囲碁より、運の要素が多分にある麻雀みたいなタイプ」なのではないかと。 それは素人とマニアの差を埋めてくれる。囲碁の初心者がプロに戦いを挑んでもまず勝てない。そうなるとその盤面は一方的な展開か、あるいはハンデをつけた、または指導碁になる。 それに対して麻雀の場合、牌の引きで素人が勝ってしまったり。 以前にこのBlogでも書きましたが、格闘ゲームっていつの間にか膨大な学問になってしまっている。覚える事も多すぎ、練習も必要で、ゲームセンターでちょっと100円入れてやってみよう、なんて雰囲気を持っていたスト2初期時代から完全にかけ離れた、素人お断りの世界。しかし、マニアが求める高度なゲーム性が残したのは、昔はミリオン売れていた人気シリーズが10万程度という惨状です。こうなると「誰がそのゲームを求めているのか」という、作り手としての問題を突きつけられるわけで。 国内最初のプロゲーマーであるウメハラ氏が、ゲームのプロ化に関して熱いコラムを書き、こういう人を応援したい、と思うのと同時に、でも、自分はこういうプロゲーマーと呼ばれる人が技術だけで勝てない、ある意味嫌うゲームが作りたい、と思っているところもあります。 何しろ彼の伝説となったスト3の映像を見て、「すげえ!」とは思いましたが「このゲームが欲しい!」とはならなかったので・・・
2012.10.01
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