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先日のBlogに追記で。 なんとなーく思うのですけど、「今、日本のゲーム業界の危機」って言っている人って、総じて「売れてない、あるいは過去のやり方が通用しなくなった人」だよね?意地悪な言い方すると。 だって、絶好調の新市場である携帯電話ゲームのメーカーの人とかは「わが世の春」を歌っている訳で。これからのゲーム業界は俺たちが担う!と・・・ 過去に大ヒット作品を作った人たちが、それのシリーズモノが売れなかったり、かけた莫大な予算とまったく見合わない売り上げしか出せない開発者が自分の危機感を日本のゲーム市場の危機に摩り替えている。そして、海外、海外言い出す。別にゲーム業界はあんたらの売れるゲームが正統派、なんて定義はない。いつの時代もブームを作るのは異端者だ。 あんたら、自称海外向けゲーム作っても携帯電話ゲーム作ってもその考え方じゃ売れないよ、結局。
2012.03.31
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ちょっと思った事。 日本のゲームはダメだ、日本のゲームは世界で通用しない、って言うけどさ・・・逆に言えば、海外のゲームが日本の市場で大爆発人気、って訳じゃないよね?だったらなぜ「海外ゲームはダメだ」にならないの? 例えば、海外の人たちは日本で大量に出ているアダルトノベルゲームをほぼ体験していない。当たり前だ。ほとんど翻訳されてないし。アメリカで知っているのは一部の珍品好きマニアだけだ。 しかし、このノベルゲームにも、それこそ震えるほど面白い作品もある。あるいは、日本で人気のアニメのキャラを使ったゲームだが、ゲームそのものが面白い作品、例えばガンダム系のアーケードゲームとか。それを知らない人間が「日本のゲームはダメだ」と言っている。 そもそも「ダメ」の定義が何か?自分が作ったゲームが売れない市場がダメなの?そんな不遜な物言いはない。 逆に、日本でも海外でも売れているマリオの話になると、なぜかそういう事を言う人は急に「いや、あれは別格だから・・・」と口を濁す。別格?それは何と比べて別格なの? 「開発者が売れない言い訳を日本のゲーム矮小文化論にするんじゃねえ」と。日本でしか売れないなら、オタクに媚びようと、マニアから叩かれようと日本で売れる努力をしろ。日本で売れないから海外だ、なんてのは「勉強が出来ないから俺、ミュージシャンになる!」って語ってるのと同じだ。 FPSやTPSといった人気ジャンルで海外で売れるソフトを作りたかったら、それこそ海外の有名開発メーカーに莫大なお金だけ出して作ってもらった方がいいと思う。あえて不慣れな日本人が作る理由がない。しかし、それだって売れるかどうかは博打。「こんなに予算をかけたのに売れないとはどういうことだ!」が通用しないのがエンターテイメント業界だ。 と、思ってしまうのですよ。
2012.03.30
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ちょっとした質問なのですが。 皆さん、例えばあるゲームが好評で、続編が出るとします。で、その際、オマケとして前作がそのまま続編に付いている、という場合・・・これって前作を買った人は不快に思うのですかね? いや、ちょっと気になったんです。というのは、こういう続編に前作データをつける、という販売方法は海外のソフトでは結構あるのですが。まったく新規で買う人にとってはホクホクだろうけど、旧作を持っている人には「なんだよ!俺らが買い支えたのに!」と思う人もいるのかなあ・・・ かといって、冷静に考えると「損」はしていないんですよね。違うゲームが二本買える訳ですから。どうなんだろうなあ?「旧作を入れる分を安くした方がいい」という考え方もあるでしょうが、一度作って売り上げが落ち着いたデジタルデータは複製を入れるのにまったく予算はかからない。だからこそ出来る事なのでしょう(海外の旧作3本パックなんていうのも) 人間は感情の生き物ですから、数学上は損していないとわかっていても、なんとなく納得しない、という心理もわかります。ヘタしたら「前作ファンを蔑ろにしている」と叩く人も出るかも・・・ 個人的にはゲームソフトは「欲しい時に買うのが一番」と思っているのでどっちでもいいのですが。
2012.03.29
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今、自分がかなりいろいろ仕切らせていただいているゲームを作っているうちにふと思ったのですが「あ・・・これって自分が10年前に作りたかった事やってるんだ」と、思う事がよくあります。 10年前と言いますとゲーム業界がいよいよハイエンド時代に突入しようとした時代。手書きのドット絵とか、ローポリで職人芸的に頂点数を減らす時代から、マシンパワーに物を言わせて実写と見まがうばかりの映像が至高、とされる価値観が始まった時代。 で、その頃に自分がずっと思っていた「そんなリアル方向に突っ走らなくても、もっとこうすれば面白いのに」みたいな。アイデアを盛り込んでいる感じです。 当時は基本コンシューマゲーム=最先端技術で作らなければならないという雰囲気の仕事をしていたので、今、ふと自分がやっている仕事はぐるっと一周回ってきたのかなあと。 以前も書きましたが、自分にとって「ゲームって結局おもちゃだよ」という考え方が根底にある以上、むしろ莫大な費用や期間、人数をかけて作る「映画みたいなもの」は違和感を感じていたし、現にそういうものがゲームの根本において製作のジャマ、足かせになることを経験した分、今、割り切って作れる身の軽さは作っていて楽しいですし、その面白さは周りにも伝わるみたいで。人数が少ない分、一人一人の裁量幅も大きくなるとやりがいがありますし。 ある大形ラインに2年間関わって、ずっと床や地面のテクスチャを延々描いていた、なんて分業化が細分化しすぎた会社もあるそうですが、そうなると自分が何を作っているのかわからない仕事になってしまうからなあ・・・
2012.03.27
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今年もマンガ大賞が決定しまして。予想通りといいますかサンデーで連載中の「銀の匙」が受賞しました。この作品が大好きな私も納得と言いましょうか。とにかく、ライトな絵と軽妙なギャグの中にも深く、鋭く、命を頂く、食べるものを作る農業学生の目を通してしっかり地に足がついた構成になっているのは、さすが鋼の錬金術師の作者さんだと、改めて感心します。 で、他にも受賞ノミネート作品が多々あったのですが、その作品群に関してあるネットサイトで「しらね~マンガばっか。つまんなそう」と・・・ うわ、馬鹿だこいつ! 知らないなら面白いかつまらないかなんてわかるわけがない。。「俺はこんなにアンテナが低いぞ!」と自慢してるようなもの。 正直、ノミネートされた作品はどれも癖があって面白いです!特にプロ野球選手を「お金」の視点で描いた「グラゼニ」とか、刑務所を出所したばかりのちょっとヌケた男と名人と呼ばれる落語家の師弟関係を描いた「昭和元禄 落語心中」、いつも学校の机の上で内職(サボり)をしているだけの話「となりの関くん」などはオススメです。 漫画に限らず、面白いものは世の中にいっぱいある。それを自分のアンテナを錆び付かせた結果「最近の○○はつまらない」と嘆く人間はこのすばらしい世界を味わえない、可愛そうな人だと。わずか数百円で楽しめる娯楽なのにねえ・・・
2012.03.27
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最近、某国産の自称「海外向け」のリアルなタイプのゲームをやったんですが。 ゲームの内容は、まあ、よく出来ているなあ、というものなんです。個性的とは言いがたいですが。 しかし、すごく気になった事。このゲーム、幕間にいわゆるイベントムービーシーンが随所に入るのですが、それが・・・なんでそこだけ日本のアニメみたいな演技しちゃうの? これ、以前から別の日本のリアル系ゲームにも感じていたんですが、ポリゴンキャラの動き(芝居)が、大根役者そのものの動きなんです。というか、いわゆる日本人が想像するアメリカ人の大げさな動き、というんですか?両手を上に上げて肩をすくめて「オーノー」とか。何か驚いた時には一歩前に出て「なんだって!」みたいな・・・ わたしも趣味で海外ドラマシリーズはよく見てますけど、そんな芝居するヤツはコメディーでもない限りいません!もっと自然な、ちょっと首を傾げる程度、片を揺らす程度、そういう自然な演技をしてます! で、何でこんな事になったかを考えたら、結局この動きってアニメとかマンガの動きなんです。いい意味でも悪い意味でも自分も含め日本の作り手ってアニメやマンガの影響を受けている。それが、2Dの絵の世界だとなじむのですが、なまじリアルなポリゴンモデルでそれをやってしまうと・・・いわゆる日本のタレントやアイドルを使った学園祭演劇みたいなドラマになってしまう。その違和感が画像がリアルであればあるほど悲しく強調されてかっこ悪いというか。 また、自分もこの手のモーションキャプチャーの現場に立ち会ったことがあるのですが、とにかく芝居が濃い。わかりやすく大きな動きを役者に演じてもらうため、結局映像にするとそういう画像になってしまう。 日本のその手のゲーム映像を「チープ」だと笑われてしまう理由はそういうところにもあるんじゃないでしょうか?海外向けに作るのなら、そこは海外向けにしようよ・・・
2012.03.26
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自分が作っているゲームのαバージョンが出来まして、社内の偉い人や他部署の人にプレゼン批評会をする機会がありまして。 結果は上々。「これ、いいね!」という評価に胸をなでおろしています。 と、いうのは今回自分がデザイン面でかなりの部分を取り仕切らせてもらったタイトルなのですが、コンセプトが「細かい部分は無視して、売りになる部分以外をざっくり、大雑把に作ろう」という・・・今までHD系で作っていた時と真逆の発想で作ったんです。 なにしろどれぐらいいい加減かと言いますと、めったに表示されないところはテクスチャすら張らない。画面の変化を作りこみパターン数を増やすのでなく、色とか効果演出とか、画面エフェクトの変化で多様性を見せたり、モーションもクイックでキャンセルがガンガン効くタイプのものであったり。 で、心配したんです。これ、手抜きだと突っ込まれたらどうしようと。しかし、逆に「面白い」と。むしろ細部を作りこんで時間をかけない分、レスポンスとか遊び心地に注力したおかげで細部の粗がまったく目立たないようで。また、売りの部分はたっぷり作りこんだので画面上は派手です。 実際のところ、開発人数も期間もそれほど多くなかったので「じゃあ、どこを削るか」ということを最初に考えました。その場合、結局「自分がユーザーとしてゲームやっている時に意識しないところは片っ端から端折る」という・・・結果、今までHDゲームでさんざん路上の瓦礫の質感までこだわっているようなものが、どれだけ開発時間を奪っていたかがよくわかりました。多分、労力で言ったら1/2から1/3だろうな・・・ 別にそういうハイエンドゲームを否定するのではありません。が、しかし、ここまで削っても初見で「面白い!」と感じてもらえるモノが作れる。逆に言えば、このゲームで絵的な細部を作りこんでも時間や予算に見合う評価は望めないと。 もっとも、これはあくまで社内評価なので、実際に売ってみないとユーザーさんのホンネはわかりませんが。少なくとも私は最近のゲーム作りの予算高騰は「臆病になって過剰包装をしたんじゃなのか?」と思ってます。 むしろ、手を抜く場所を間違えないようにすればいいんです。
2012.03.25
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先日書いた記事でまるで私が「逃げちゃダメだ」のような意見を書いたように読ませてしまった人もいますので補足を・・・ 私が「3年は耐えろ」と言ったのは、表題の通り「1.2年だと根性なしだが3年やれば経験者になれる」という言葉どおりなんです。何か掴む前に辞めてしまうと、次の職場でもまた1からやり直しになってしまう、つまり、延々と最初のキツイ場所の堂々巡りの人生になる可能性が高いと言う事です。 だから、逃げるなら「何かを奪って(つかんで)から逃げた方が、後の人生で圧倒的に有利になる」ということで。 例えば、自分の話になりますと私はゲーム業界にもう20年いますが、転職する度に給与が上がっています。これは自分が優れているから、ではなく、過去に何を作ったか?とか、どんなツールが使えるか?どんな仕事や技術があるか?ということを面談の際に評価していただき、そこから判断してもらった結果でしたので、どちらかというと後期の職探しの方が楽だった気がします。(今後は年齢もあるからきついでしょうが)でも、その何かを掴む前に辞めてしまったら・・・どうなったかわかりません。これは技術職だけでなく、他の業種でも中途採用者を取る理由は最初の「無価値であった時代」を企業側が投資しなくてすむからなので。 もう一つ別のお話を。 古典的名作「まんが道」の中で藤子F先生(才野茂)は高校卒業後、一般の会社勤めをし、僅か3日で辞めます。「自分にはこの仕事は出来ない」と・・・反対に藤子A先生(満賀道雄)は新聞社の図案部(今のデザイン部)に配属になり、それ以降もさまざまな新聞記者として仕事が楽しくて、それでも漫画家になりたくて。辞めるのに躊躇した、と・・・ この2人の差は「運」です。ですが、その運に対しての決断は自らがした。ここが他人に人生の舵取りを任せないことの意味なのですが。 両氏は漫画家として大成功をした人物だからこそ「あの時、辞めてよかった」と思えるのでしょう。しかし、反対に漫画家になれず、路頭に迷う人生であったら(可能性としてはそちらの方が圧倒的に高かったはず)絶対に後悔したはずです。あの時、安定した人生を何故選べなかったのかと・・・ 逃げる決断は必ず自分の中でしなければいけないし、その覚悟をするからには何か掴んでから逃げないと、一生逃げ回らなくてはならないはめになりますので。 逃げるというのは「一歩後退」です。だからこそ、その引いた分の足を引いた以上に前に踏み込める人生でなければ逃げた意味がない。時間という流れは後ろから容赦なく、確実に迫ってくるので。
2012.03.25
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私が最初に就職した際、父に言われた言葉。「最初の3年間は理不尽も歯を食いしばって耐えろ」 と言われました。新卒の社員なんて最初の1.2年は雑用とかつまらない仕事、あるいはキツイ仕事が割り当てられる。でも、3年目になると立場が変わるから、と。 ゲーム業界に長くのたくっていると、この言葉の意味が理解できます。新入社員で半年ぐらいで辞めてしまう人がいるのですが、その人はゲーム作りの面白いところをほとんど味わえず、辛いだけで去っていった、しかも、わずか半年程度の経験では次の仕事場では「前職をどうして辞めたのか」という質問に応えづらく、相手面接官も根性なし、と判断される。 1,2年で辞めれば根性なしだが、3年で辞めれば経験者になれる どうしても耐えられなくて自殺を考えるまでまで精神的に追い詰められるのであれば話は別ですが、ブラックとか、キツイ仕事と言われても、せめて、3年はがんばろうと。 漫画ベルセルクのガッツの言葉 逃げ出した先に楽園なんてありゃしねえのさ。辿り着いた先、そこにあるのはやっぱり戦場だけだ。
2012.03.24
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実家に帰省した際、大人数の料理を作る機会がありまして(我が家では台所に立つのが母と私)その中で卵を10個ほど割ることに。 で、一度やってみたかった「片手割り」というものをしてみました。ほら、料理人なんかが掌の中だけで卵を割り開くアレです。 最初の2個はやはり力加減がわからす黄身を崩したり、殻がボウルに入ってしまったり。でも、3個目以降は普通に出来るようになりました。 で、思ったのですが10年前ほど前に「最近の子供はマッチで火が付けられない、鉛筆をナイフで削れないほど手先が不器用になっている」という類の評論が今の若者批判としてあったのを覚えているのですが、その器用さって上の卵割りと同じで単に機会が無いからできないだけで、マッチも鉛筆も数回、数本経験すれば身につけられる程度の「器用さ」なんじゃないのかと。 むしろ、10個以上あるパッドのボタンをフル活用して操作するゲームとか、携帯の文字入力のすばやさなどは一朝一夕には身に付かない、でも、同様の器用さ、だと思いますが。 逆にあの当時、職場にパソコンやネット環境が急速に進出した時期。マウス操作すら四苦八苦していた中年おじさんに「最近の中年は不器用だ」とは若者は言わなかったはずです。
2012.03.23
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昔から疑問に思うテレビの取材方法があります。それは、いわゆる犯罪に関わっている者に対してインタビューする、という・・・ 例えば、ある報道番組では盗難中古車業者のディーラーと称される男がその実態を画面に顔モザイク、声を音声変換で語っていました。その手口とか、盗難車をどのように売っているかなど。 しかし、この男をその後、メディアは当然警察に告発する訳じゃありませんよね?目の前で悪事を認め、その手口まで語っている男なのに。 これって・・・自分たちの番組のために犯罪者を利用している事にならないのでしょうか?つまり、ドロボウを見て見ぬフリをしているというか。 いわゆる警察の「内偵」とは違う、明らかに変な感じなんです。こういう犯罪の実態を視聴者に見せ、注意喚起を促す、といいつつ、本来なら一件でも、一人でも多くの犯人や関係者を警察に捕まえてもらった方が犯罪件数は減るはずなのですが。 しかも、取材源の秘匿義務があるから絶対に誰が言った、とは警察に聞かれても情報は渡さないでしょうし。 その番組で司会者はさも問題だ、みたいな顔をして評論していましたが、十分な証拠があり告発できる犯罪者をしない、というのは、市民の義務としておかしなものをいつもこの手の報道のやり方に感じてしまう自分がいます。 真実に迫る、といいつつ、一番大切なものを忘れているような。
2012.03.22
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例えばネットで 「パチンコは中毒性があって破産する人がいるから禁止しろ」 「ソーシャルゲーム課金は中毒性があって身を滅ぼす危険性があるから中止しろ」 という意見をよく聞きますが、そういう人に「インターネットはヒキコモリの人間を増加させたり、違法な動画や犯罪にかかわりのあるコンテンツが多い上、中毒性が高いから禁止しろ」 と言ったら・・・きっと反対するよなあ・・・「そういう人間ばかりじゃない、一部の人間の馬鹿さのためにその他大多数の問題ない人間を規制するなんてナンセンスだ」 と。 それとまったく同じことを上で自分の知らない、理解のない、興味のない趣味に言っている事に気がつかないんだろうなあ・・・
2012.03.20
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思うのですが、世の中の大ブームになったり、国民的人気になったり、一時代を席巻した作品を作った作者や芸人、歌手に向って「あいつはアレだけの一発屋だったな」ってのはおそろしく失礼な言葉ですよね・・・ そして、世の中の一発屋と呼ばれた人のほとんどは、その一発を当てる打席に立つために長い下積みの苦労をしている。テレビとかメディアで取り上げられる前から。 だからこそ、時の人になった瞬間に知った人が「ぽっと出の運がよかっただけ」に見えるという。 世の中、99.99999パーセントの人がその一発も当てられない。だからこそ、瞬間でも輝いた人には最大の敬意を表したいと思うのです。
2012.03.20
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最近思うのですが、携帯ゲーム機や携帯電話端末のゲームが日本市場の主流になっていることで、ゲームが手ごろなサイズに戻ってきたな、と、喜んでいる自分がいます。 というのは、私はそれこそPC88時代から自作でゲームを作っているような人間ですが、ここ数年、ずっとHDゲームとよばれる、それこそ地面に転がっている瓦礫の質感までこだわるような、こだわらなければいけないようなゲーム作りが多く、ものすごい違和感を感じていたんです。 自分はいい意味で「ゲームって結局おもちゃだよ?」という考え方がいつもあります。これはゲームを馬鹿にしているのではなく、玩具を作るのに全ての玩具が数億円、数十億円かかるような作りをすることはどこかおかしいと思っていましたので。しかも、それがどんどん売れなくなっている。一体自分はなにを作りたがっているのかと。 今の携帯ゲーム機って、性能は昔のものより圧倒的ですが、画面が小さいためやれる事は限られている、つまり、いい意味で「グラフィックに細密さを求められない分、そっちに労力を裂いて足を引っ張られずに済む」というのはすごく作りやすいです。私の好きなゲームの作り方である「強烈な売り以外はざっくり、大雑把に作って完成後に細部の気になるところだけを修正する」というやり方が出来ますので。 それに結局「グラがグラが」と騒いでいるのはマニアだけだ、というのが、昨今の売り上げでもわかってしまいましたし。 私は莫大なお金と期間をかけて海外の市場で大量に売らなければ会社が倒れるようなソフトより、国内で10万本程度でもちゃんと利益が出るゲームが作りたいです。 そっちの方が方針が明確な分、やってて楽しいですし。
2012.03.20
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私はゲーム作りをする際に「他の似たようなゲームとは違うもの」が作りたいと思っています。 これは、単に自己顕示欲が強いのではありません。というか、ゲームに限らず、映画も漫画も小説も、その他エンターテイメント業界において「○○がヒットしたから似たようなものを作る」ことがとてつもなく危険だと思っているからです。 例えば、前例のない奇抜な作品が大ヒットしたとします。すると、他のゲームメーカーが2匹目のどじょうを狙ってだいたい半年後ぐらいに似たような作品が集中する。当然、シェアの食い合いになっている上に、その頃には本家が新しい作品を出そうとする。当然、ユーザーは本家を買う。どんなにうまく作ってもそれは単なるマネで劣化作品としか思われない。ただでさえ少ない余りのパイを残った類似作品が食い合い、ほとんど売れない。 DSの脳トレブームで似たようなことを散々見ましたが、その時に雨後の筍の如く乱発されたソフトのほとんどは、本家脳トレの着眼点のすばらしさとか、入力性能や基本的構成の作りこみ、宣伝の巧みさには目を向けず、単に「安く簡単に作って大もうけできる」という見方でやったからこそ、屍累々の状態になったのは記憶に新しいところです。 これは日本のクリエイターが海外向けにTPSを乱発して軒並み大失敗しているのにもいえるのですが「本家が売れてる場所に類似品を持っていって「こんなにそっくりです」みたいな自慢をして売れるわけがない」と。 やたらに国内メーカーが海外で売れないことを悲観、あるいは閉鎖的だと嘆くクリエイターの言葉をGDCで聞きましたが、あんたら、任天堂が日本のメーカーであることを忘れてないか?海外向けと称して日本で売れない言い訳を探してないか?と思ってしまうのです。
2012.03.18
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私の高校時代の歴史の先生が、卒業式前最後の授業でこんな講義を行いました。 先生は学校の資料室から何冊か古い教科書を持ってきました。それは、戦争中に使われ、戦後、その教科書の内容をGHQによって修正(墨塗り)されたもの。 それを生徒に回して見てもらった後「卒業する皆さんに覚えておいて欲しい事があります。3年間、先生が教えた勉強は、現時点での「常識」であり「知識」である、ということです。今、みんなに見せた教科書は戦前には正しい事として私たち教師が教え、戦後、その考え方が間違っている、と教えたという、歴史の記録です。ただ、間違って欲しくないのは「だから学校はあてにならない、先生は信用できない、ということではありません。歴史だけでなく、科学も、数学も、国語も、すべて時代やその時の政治によって変わります。だから、学校を卒業したから、といって勉強が終わりだ、とは思わないでください。真実を求めて一生、己の頭で学び、考え続ける。これが本当の勉強です」 これは当時、すごく衝撃を受けたのですが、まさに先生の言うとおり、あの時代「教科書にない」常識や知識が大人になってたくさん現れ、今の社会の常識として定着しました(ネットなんかが一番の例ですが) 一生かけて勉強し続ける、そうじゃないと誰かに脳を預けたら、訳のわからない方向に誘導され大変なことになる。そういう意識を持っていないと、簡単に洗脳されますので。
2012.03.16
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国歌斉唱「口動いてない」教員、校長がチェックなんか・・・うわあうわあ・・・な感じです。 私は特に君が代が好きでも嫌いでもないです。これによって愛国心が掻き立てられるとも、逆に憎しみを覚えるでもない。正直「まあ、そんなもんかね」というぐらいの。 ただ、この歌を歌わないと処罰される、って時点で何か異常な感じを受けました。 例えば、私の小学校の卒業式で卒業生と在校生が「楽しかった運動会(うんどうかい~!)」というなんか妙な歌(?)を歌わされた経験があるのですが、あれは歌わなかったですよね?先生方は(笑)。それと同じで学校の校歌斉唱で、歌わないと処罰の対象になるか?と言われればNOでしょう。 この辺の差はなんなのでしょうか? また、この国歌斉唱というのも、戦前も別に学校の卒業式に歌った訳でもなかったようで(そもそも卒業式に歌を歌う、という風習が無かった)つまり、一体誰が?何の目的で?どうして今、こんな形で強制的に歌わせようとしてるのか?その辺がはっきりしないのが気持ち悪さに繋がっているんですよね。 また、逆にこれを歌う事に反対する先生方にも聞きたい。あなた方が「信念あって」歌わないのであれば、もし、生徒が朝礼で「起立、礼」をしなくても叱っちゃいけないですよ?だって、自分がやっている事(上からの命令に逆らう事)と、まったく同じ行為をしているだけなんですから。まさか、自分達が生徒の見本になれないような行為をしている訳じゃないですよね? 昔から私の国旗とか、国歌の考え方は「愛国心がある人間は勝手に敬えばいい、別に感じない人間は単なる記号でかまわない。しかし、双方相手に思想を強要するようになったらおしまいだ」 なんですけどね。簡単な話ですが。
2012.03.14
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つくづく思うのですが。 携帯ゲーム機でいわゆる家庭用据え置きハードと同じ迫力を出すのは物理的に無理なんです。モニターの大きさからして。 だとしたら、それが売りであるゲームを売ろうとしても無理がある。特にキャラが小さくなってしまうと画面内で蚤がピョンピョン跳ねているだけに見えるのはせっかく作っても何の意味も無い。なのにもかかわらず携帯ゲーム機の性能が上がったからといって単純に据え置きの考え方でゲームを作るのは長所を削っているようなものじゃないか。 個人的には携帯ゲーム機の最大のメリットは「暇つぶしにどこでもできる」こと。ゲームがより身近に、気軽になる。だからこそ、外でわざわざ小さい画面で遊ぶ必要のないゲームが売れないんだと思いますが。
2012.03.13
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コナミの小島さん率いる小島スタジオで新しいグラフィックエンジンによって作られた室内CGのデモンストレーションです。 いやいやいや・・・これ、意味なくね?特にゲームとしてのエンジンの高性能さを表現する場合、こんな人工的に作られた閉鎖空間で、たいしたオブジェクトもなく「さて、どっちが本物でしょうか」って。 何よりゲームの絵作りって「驚き」を与えるのが重要だと思うのですけど、この2つの絵を見て「すげえ!どっちが本物かわからない!」って驚いた人・・・います?ベンチマークにしてはスカスカな絵ですし、かといってこれをゲーム内で再現したところで「自然すぎて誰も気がつかない背景の一部」としてスルーされると思います。 前にも書きましたが、私はゲーム作りで一番嫌うのは「苦労した割に不自然じゃない、という評価しか受けないこと」です。だったら荒くても驚きのある、予想外の絵作りをしたい、それがマニアじゃない多くのユーザーの驚きや、購買意欲に繋がると思うので。 この室内に馬が出ているCGもありますが、結局「ああ、こういうことも出来るんだ」ぐらいでどうにも・・・ やっぱリアルを突き詰めると画面が見慣れたつまらないものになりやすい、という典型になってしまうなあ。
2012.03.13
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昔、あるゲームデザイナーさんが仕事場で椅子に座り腕組みをしてキャラクターの絵をあれこれ脳内で考えていたところ、上司がそれを見て「サボってるんじゃない。ちゃんと仕事しろ!」 と叱られて唖然とした、というお話を聞いたことがあります。つまり、この上司にとって仕事とは「手を動かす事」だという・・・しかし、漫画家さんがネームを散歩しながら考えるとか、イラストレーターが構図を考えるのに映画やマンガなど外的刺激を受ける方がよい、などというのは「絵描き」の仕事の人は普通にわかってくださるかと思います。 これって仕事の種類でいろいろ違うし、人によっては手を動かし、落書きを重ねる事によってイメージを煮詰める、という描き方の人もいます。だから、一概に言えない。 これが締め切りをとうに過ぎている、というのであれば問題ですが、必ずしも手を動かす事が仕事じゃないんですよね・・・
2012.03.12
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自分の癖なのですが。 自分が関わったゲームで、エンディングのスタッフロールの人数を見て「関わった人数がこのぐらい、かかった期間がこのぐらいだから、何万本売れて採算ラインだな」みたいな計算をついしてしまいます。 例えばメインスタッフ30人で一年かかったとしたら、一人一年で平均500万の人件費がかかったとして1億5000万円。実際にはこれ以外に外部の人(音楽外注であったり、声優さんであったり)、あるいは広告費、会社の運営費、その他モロモロでわかりやすく2億とします。(実際にはもっとかかりますけど) で、定価が7000円台、ソフト一本あたりの会社側に入るお金を4000円と想定した場合、5万本以上売って初めて黒字になるな、と、ざっくりした計算ですが。 ですが、このバランスが著しく崩れているゲームに携わることもありました。なにしろメインスタッフだけで50人、それが開発難航で3年かかり、しかも売り上げが10万本に満たないような・・・ 開発難航の理由は様々ありますが、結局は「採算を無視したグラフィックのクオリィティーアップ」だったことに要約される訳で。本来、グラフィックのクオリィティーアップというのは「他社との差別化、それによって売れること」が根本のはず。しかし、上記のラインだとその関係が逆転してしまっているという・・・ 私はプロである以上、採算度外視はそれ以上の利益がない限りダメだと考えてます。というか、限られた予算、期間の中でいいモノを作るのがプロだと思ってますので。「ユーザーのために」という言葉が、いつの間にか単なる免罪符になっている作り手が多いですし、実際売れなくて赤字であっても「まあ、がんばったけどしょうがないよね」で済ませてしまうような。それが嫌いなので。 私は本業と別に同人ソフトも作っていますが、こっちは採算度外視でやってます。完全な趣味ですから。ですが、これを本業に持ち込むのは、社員に給料を払わないで仕事をさせるのと同じ行為と思ってますので。 プロとしてモノ作りに就業している以上、最悪1円でも黒字が出ている仕事がしたいと。そうじゃないと会社が持ちませんので。
2012.03.11
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通称「海外病」と呼ばれるやつですが。 一時期、国内大手ゲームメーカーが「海外向け」なるゲームを大金かけて作り、そのほとんどが大失敗という悲惨な状況になっていましたが。 これ、おそらく「外国人の握る値段も味もネタも普通の寿司屋に、わざわざ選んで日本人が行くか?」ということじゃないかなあ? しかも、なぜか海外向け作品といいつつ、海外で生活した訳でもない、普段海外ゲームばかりを作っている日本人が作っている訳でもないスタッフが、海外のTPSとかFPSを「見よう見まねで」作ったモノがほとんど。あんたら、日本のゲームが海外で絶好調だった時代にそんな風に作っていたのか?と逆に問いただしたい。 私はむしろ海外から取り入れるべきすばらしさは、スケジューリングの適切さとか製作工程の曖昧さの排除した部分だと思ってます。未だに企画者のちゃぶ台返し、後つけ仕様変更が常習化している日本の開発現場はもう少し考えて作ることを学べと。 あと、海外海外言っている人の大半は「日本で売れないから」というのも注目したほうがいい。日本にもいまだ300万、400万売れる市場がある。にもかかわらず日本ではゲームが売れないって・・・ 丸太を荒縄で縛ったイカダで外洋に乗り出すようなことは勇気と言わない。 あと、面白い例を・・・海外で成功した日本のゲームメーカーの一つにユークスという開発会社があります。ここはWWEというプロレス団体のゲームを通年して独占契約で開発、販売し、毎回200万本以上の売り上げを出しています。また、最近では総合格闘技UFCのゲームと契約開発、こちらも大ヒットしました。が、日本では有名ではありません。この開発会社が優秀だと思う理由は「海外で人気のあるスポーツや格闘技という団体のゲームを作れる契約を取り付けたこと」これは、いきなり「俺様ゲーム」を作って相手にされないメーカーの逆をいく形です。 日本でうまくいかないものが海外で上手くいく可能性などより低いよ
2012.03.10
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私は現在、コンシューマゲーム開発をしていますが、そんな私がいわゆるソーシャルゲームとか携帯課金ゲームを否定しない理由はたった一つ。 「過去にこの業界、新しいゲームが出る度に必ず「こんなのゲームじゃない」と否定されてきた」歴史があるからです。 わかりやすい例だとDSで出た「脳トレ」とか。アレも出た当時「こんなのゲームじゃない、こういう物が売れるのはけしからん!」と。しかし、アレを遊んでみるとわかりますが実にしっかりしたゲームです。というか、今までにない面白さが確かにあります。 他にもチュンソフトのサウンドノベル。あれも当初は「テレビで文字を読ませて選択肢を選ぶだけなんて手抜きなもの、こんなのゲームじゃない」と、本当にそういう意見があったんです。でも、今やちゃんとしたジャンルになってますね? この他にもこれまでにない、新しいゲームのジャンルが出る度に「こんなのゲームじゃない!」という歴史は過去いくらでもある。 それを翻れば携帯のコンテンツが「こんなのゲームじゃない、こんなものが流行ると業界が堕落する」と否定される理由は無い。むしろ、昔とは考えられない予算と時間をかけたゲームとか、有名ブランドの続編しか売れない、生き残れない市場の方がエンターテイメント業界の硬化を招いていると思ってますので。 別の例を出しましょう。例えば今盛り上がっているモバイルゲームのアイドルマスター。様々な意見が旧来のファンからもありますが、元々アイドルマスターの世界って出発からずっと予想外、掟破りのジャンルじゃありませんでしたか?そもそも、ゲーセンで育成ギャルゲーって出発点からどうかしているジャンルだったはず。その後の展開を見ても、何があってもおかしくありません。 だから個人の好き嫌いはあっても「ゲームはこうあるべし!」という考え方は持たないようにしたい。その方が開発者として、ユーザーとしても楽しいですから。
2012.03.08
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一読して「どんな妄想だ」と思った記事をこの中で-------------昨今のトレンディードラマにも、デートに車が登場するシーンは滅多に見られない。これでは、若者が車に乗りたくなる訳がない。私はこれが、若者の車離れの最大の原因だと思っている。-----------------・・・ないない!これが最大の原因なんて! 若者の車離れの最大の原因は単純に「収入が少ない」こと。確か以前にラジオで聞いたのですが、現在の25~30才の男性の平均年収は、バブルの頃に比べて100万円近く低い、という統計結果があります。これは正規雇用社員が減って派遣とかフリーターといった人数が多くなり、しかも給料のベースアップが崩れた結果なのですが。 同年代で100万円も年収が違えば当たり前ですが財布の口も閉まります。と、同時にリストラとか年金問題など先行き真っ暗な状態で育った若者にとっては年間維持費だけで10万円を越える車を買う勇気など出るはずがありません。 どんな魅力的なデザインを作ろうと、ドラマの中でかっこいい主人公が乗り回そうと、自分の自動車会社で働く人の大半が派遣社員だったり、下請けにダンピングを図って利益を上げようとしているうちは、バブルみたいに車など売れませんよ・・・
2012.03.07
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エロマンガ家として古くから有名な山本直樹さんが イブニング連載の日本赤軍のドキュメントマンガ「レッド」で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞したことに対する記事です。官能漫画家 自分の漫画を子供に「見せるわけない、バカ!」 これは笑いましたが確かにその通りで。これ以外にも「魔法少女まどか☆マギカ」の作者さんはニトロプラスというアダルトゲームメーカーで長年シナリオを書いていた方ですし、私の大好きなジュブナイルポルノの第一人者 雑破業 先生は最近アニメの脚本なども手がけたり。ここ最近だけの話ではなく、昔の日活ロマンポルノの監督や関係者がカンヌ映画祭のような世界的な賞を取ったり、現在商業雑誌で活躍している漫画家さんが18禁同人出身者が多かったりと、出身がアダルト方面、というのは非常に多いです。 ですが、これを「不浄なもの」として規制しようとする動きを、賞を与える行政とか、お偉い方に多いのは、創作に潔癖感を求める、いかにも自分では何も作っていない人の考えそうな事だと。 山本先生のおっしゃるように-------------------------------昔、「自分の描いた漫画を子供に見せられるのか?」って聞かれて「見せるわけないだろ、バカ!」って答えたことがあるけど、なくすのではなく隠すのが大人の役割でしょ。もちろん子供は見つけちゃうんだけどね(笑)。------------------------------- というのが正しいと思います。だから私はゾーニング支持者であり、そこは売り手側がきっちりしろよと。これはエロを子供に見せちゃいけない、というのではなく、見えないように隠す努力というか。大人でも見たくない人がいる、だからタバコの煙と同じで住み分けしないと立場的に弱いこちら側がどんどん追い詰められるよ、という話で。対立ではなく共存を模索するのが一番現実的なのですが。 エロマンガを規制しようとする大人には「じゃあ、あなたは自分の夜の夫婦生活を子供に見せられるか」と聞きたい。あなただって隠してやっているだろう、それと同じです。 あ、受賞作のレッドは非常に面白い作品なので、ぜひ皆さんも読んでください。ちなみに同作者の「ぼくらはみんな生きている」が個人的に一番好きです。
2012.03.07
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昨日のBlogの続きですが・・・ コメント欄に寄せられた意見を見てちょっと驚いたのが、いつの間にかサービスを「権利」だと言い始める人が結構いるんだな、ということ。 タダかもしれないが、客は時間を費やしてやった、とありましたが、あれ?本来お金が掛かるサービスがタダであることをすっかり忘れてませんか?当たり前ですけど、この手のゲームを作るのも、サーバーや管理者を維持するのもお金(人件費)がかかります。その運営費を得るのが課金システムで、その課金をしてもらうために、面白さを知ってもらうために、まず無料でゲームを遊んでもらう、というやり方なのですが。 これがまずい事なんですか? それに、無料ユーザーの不満のほとんどは課金ユーザーになる事で解決できる。というか、そうじゃなければ有料である意味がない。デパート食品コーナーの試食に例えた理由はまさにこれで。そりゃ、買ってもらうために物足りない量しか食べさせませんよ。満足されたら試食の意味がありませんので。 「無料ゲームなのに○○時間も費やしてやった」のではなく「○○時間もタダで遊んだ」ということは、すでにあなたはそのゲームを気に入っている、価値を見出している証拠では?と思うのですが。 タダじゃなければこんなゲームはやらない、という人は無料期間、各種制限で十分なはずですが。 「試食品のソーセージをもっとよこせ。こっちはそのためにわざわざ自宅からタッパーまで用意してきたんだぞ!」 そう言っている人にしか見えないんです。
2012.03.06
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例えば・・・うちの会社で運営している携帯電話のゲームコンテンツ。全体の約9割がいわゆる無料で楽しんでいるユーザーで、1割が課金アイテムなどを購入している。で、さらに全体の1~2%の人間が一ヶ月に1万円以上のアイテム購入をする重課金ユーザーと呼ばれる人。 これで運営を賄っている。これは他の携帯モバイルゲームもほぼ似たようなもので、たくさんの無料会員を少数の人間の課金で支えている構図です。 で、なぜかそのお金を払っていない9割の中から不満が出るんです。もっと無料でいいアイテムを出せ、とか、アイテムはぼったくり、金儲け主義、金さえ出せば強くなれるバランスは間違っている、これでいいのか、と・・・ 忘れがちな人もいますが、無料で遊べるのってデパートの食品売り場での試食と同じなんですが。あくまで「味見」であるんです。こんなゲームですよ、ぜひ一度遊んでみてください、という。しかし、その試食の量が少ない、とか、この試食品をパックに詰めてタダでよこせ、とか、毎日試食しに来てやっているお客の事を考えろ!とか・・・ そもそも9割の無料ユーザーを支えるために1割の課金ユーザーが運営を支えているとしたら、その1割の人間が圧倒的にゲーム内で恩恵を受ける権利があるのは当然じゃないか?なにしろ、そうじゃなければお金を払う意味がないのだから。それがデジタルデータとなると「原価がかからない」というトンチンカンな考え方でタダで大もうけしているイメージが出来上がる。 世の中、金を払わない人間が得られる恩恵などそんなものです。
2012.03.05
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ダメなの?13歳投書に反響 漫画VS本 大人が「本を読め!」という人間には2種類存在する。まずは本の内容が大好きで、「この本、面白いからぜひ読め!」という読書家の人。もう一つは「本を読む」という行為を何か偉いもの、特別なもの、頭の良いもの、と勘違いしてその行為を薦める者。 で、問題なのは後者。こういう人は単に本の内容などどうでもいい。子供が自分の知っている「知的な行為」をしていることを見たいだけ、という、中身がまったく抜け落ちた人で。 本当に読書家の人は読書を薦めるのではありません。面白い本を薦めるんです。だから、そこに活字本も漫画も区別ありません。むしろ漫画のほうが読みやすさとか、わかりやすさという意味で他人と話題を共有しやすい。だから薦めやすい。 ちなみに私も漫画と同じぐらい司馬遼太郎先生の歴史小説や中島らも先生のエッセー集、雑破業先生のジュブナイルポルノ小説も好きです。が、これはどれも「活字本だから」好きなわけじゃありません。単純に面白いから好きなだけです。マンガを好きな理由とまったく変わりません。 だから、変な大人の「本を読め」には耳を貸さず、今、読みたいもの、興味のあるものをジャンル気にせず読めばよろしい。「野球はすばらしいけどサッカーはダメだ」みたいな訳のわからない理由でしかない。漫画は絵があるから想像力を奪う?そんな簡単なものじゃないよ!漫画表現だからこそ、大切なものを教えられた、考えさせられた人はたくさんいるし。 だいたい、昔は小説本を読むことを「愚かな行為」としていた時代もあったんだし。
2012.03.04
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前にゲーム作りで格闘ゲームのモーションを作った際、参考にと自衛隊の徒手格闘(武器を持たない戦場格闘術)のビデオを見たのですが。 これが・・・参考にならない。というのは、戦場格闘技ですから相手をいかにすばやく無力化するか、に主眼が置かれている。だから・・・地味なんです。しかも早い。 一瞬で組み伏せたり、首を絞めたり、引き倒したり。プロレス的な魅せる要素がまったくないので、ゲーム栄えしないなあと。 で、その時に思ったのですが「リアルってのは案外つまらんものだよ」という。これはポリゴンモデルでもそうですが、実写に近づければ近いほど「見慣れた光景」になってしまう。ということは面白味がない。そりゃそうだ。普通はゲームに非日常体験を求めているんだし。 私のゲーム作りのポリシーは「びっくり箱を作る事」です。箱の中身が必ずばね仕掛けの玩具である必要はない。1000万円の札束でも、生きた猫でも相手を驚かせ、楽しませれば効果は同じ。だから、そのバネの玩具のリアルさにばかりこだわるのはおかしいと思いますので。
2012.03.03
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会社であるソフトの新しいバージョンを入れたのですが、これがまた・・・ 正直、以前の操作が出来ない!というか、レイアウトが変わっているので今まで場所で思えていた項目がどこだかわからない! しかも、今回はより細かい設定がユーザーに出来るようにしたらしいのですが、そのおかげでやたらに不必要な設定をしなきゃいけないという・・・で、その割にコッチが使いたいのは前作同様の機能だけ。だったら前作のツールでいいじゃん!ってことになるのですが、過去のツールは間もなくサポートが切れるから、全社一斉に更新という・・・ これ、PCのOS変化にも言えてますが、大半の人間は昔のままでいいのに!っていうか、過去のソフトが使えなくなったり不具合が出たりと、かえって混乱しか生まない。 いつも思うのですけど、あまりに機能が増えると使いにくくなると思うのです。きっとそのソフトを開発している人は頭のいい、多機能ばんざい、これを使うと効率がよくなるよ!と。 しかし、これはゲーム作りも同じで、操作が複雑になるほど客が引いていく。格闘ゲームのコマンドとか、TPSのパッドのボタン全部使った操作とか。 世の中、機能限定した方が使いやすいものもあるんです。こっちはその限られた機能の中でやりくりする方法を考えますので。 マンガ「ナっちゃん」という町工場漫画の中で、お茶を炒る機械を2社コンペでどちらの会社のものを採用するか、というお話があり、片方はコンピューターを使ったフルオートの機械、もう片方は単に職人が一番手間がかかる部分だけ機械化したシンプルな機械をプレゼンし、結局後者が採用される、というお話があります。その採用された理由は「俺ら職人はその日の天候や茶葉の状態で毎日変えている。そのコンピューターのプログラムは職人にも毎日操作できるのか?」という・・・ 難しい問題ですが。
2012.03.02
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