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私の携帯。TU-KAのプリケーロングという契約だったのですが、auからの度重なる契約変更勧誘に、ついに折れました。問題は、先日このブログでも書いた通り、免許が無い。免許返納をやっているので、身分証明がうるさそう、ということでした。たぶんアルバイトと思われるauの電話(auの方から電話してきた)のお姉さんに、聞くと、住民票カードとか何とか、そんなカードが本当にあるのか知りませんが、分からんことを言う。そこで、だめもとで、健康保険証のコピーを持って行った。通常、このような場合はコピーではだめです。ところがこの「コピー」、過去にあるクレジット会社のスキャンをパスした優れもの。今回もまんまと通用してしまいました。これが、五千円台で買った家庭用複合プリンタで、二百五十枚が二百十円の紙に、健康保険証の表と裏を印刷して、張り合わせたものだとは、機械も人も見抜けなかったという始末。それにしてもこのプリンター、普通紙に染料(黒のみ顔料)で印刷しているんですが、印刷結果はエプソンの顔料をしのぐものです。写真の出力は熱転写方式のものを使いますが、その他はこれですね。
2007年06月25日
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理解者や、協力者を排斥し、あるいは目先の議論に勝とうと躍起になり、結局、ああ自分たちはなんて孤独な戦いを強いられているのかと嘆くやつ。孤独なんてとんでもない、自分で応援してくれている人たちを次々に遠ざけているのだ。人がせっかくアドバイスをしているのに、耳を貸さず、自分の勝手でことを運んで、気が付きゃ周りは遠巻きに見てるだけ。まあ、見られているだけましなんだよ。
2007年06月23日
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プライバシーとか、セキュリティとか訳の分からん言葉を知ったかぶりで振りかざし、私は人道主義とか、なんて優しい人格者などと言ってもらいたい、変なやつがいる。それは実際にいるのだ。自分のやっていることが外に知られないということのおかげで、日本人がいかにずるく、また弱くなっていることか。普通の善良なる市民が、実は、親兄弟親戚に知られたら困るようなことを、日常の会社の仕事としてやっているのだ。そして、それをネットに流そうものなら、やれ人権だとか言い立てる。おかしいやつになると、「ネットに出せば、妻や子が見るでしょう、妻や子は関係ない」とか自分で言っているのだ。妻子があるのだから、自分のしていることは、公にされないと、この馬鹿は言うのである。その恥知らずさには、呆れるばかりだ。自分が妻子を盾にして自分のやっていることを隠蔽しようという、そのトリック。そういうのを「女の腐ったようなやつ」と、私は言う。(訂正しません)
2007年06月21日
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写真術というものが日本に渡来した当時、写真に撮られると魂を取られると信じた人たちが本当にいた。この平成の世になって、写真とはプライバシーを取るものという迷信を掲げ、われこそは人道主義者、優しさの権化と自負して魔女狩りに精を出しているおめでたい輩がいる。本人の写っている写真を、その当人が持っていて、どこに問題がある。その写真は、誰か他人が撮ったものに違いない。
2007年06月19日
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問題があると「なぜ」それが起こったのかとか、理由とか、原因究明とか、そういうアプローチがされる。それはそれで結構なことだろう。しかし、それがよしんば明らかにされたところで、それを求めるために費やされた時間と労力は取り戻せない。それは新たな負担となって当事者にのしかかる。でも、たいていの人はこれが好きで、さらにその好きな企てに加わらないやつがいるとこれを攻撃して自分たちを慰める。毎年、水の事故は繰り返され、毎日交通事故は起こり、第二次大戦終結後、地球のどこかに戦争があり、宗教家は「戦争が無いからと言って平和とは言えない」なんて言っている。
2007年06月17日
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その最たるものの一つは、ゲーテの色彩論であろう。ゲーテの論は心理学の初級に出てくる。巨人ニュートンに挑んだゲーテは見事に打ち負かされたわけだが、これなどは、物理学の方から出てきてもよさそうなものだったが、誰も巨人にたてつこうとはしなかった。あるいは文学の世界でも、長編を書こうとして短編の羅列になったものとか、経済学としてはその論において無理があるものとか、失敗は数多い。人間自体、実はそういうものなのだと、私は考えている。失敗だからといってそれを捨てる無かれ。ただし、失敗なのに、不具合なのに、それをこじつけの解釈で無理を通すことは許されない。
2007年06月11日
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結果を評価することは、あるいは容易いことだ。しかし、ねずみの這い出る部屋で、物思いにふけり、教会が提供してくれるカレーが食べたくて何キロも歩いて行き、昼食代を何とか節約しようと工夫している者たちのその先を期待することは不可能に近い。我々は、いくら儲かっているかとか、どれほど財産を持っているかとかで人を見るくせに、成功哲学なんぞをありがたがっている。自分の持っている物差しがよほど貧弱なのはいいことに、他人の書いた物語の中に自分の成功をダブらせて、たとえ一時の慰みでも求めている。そして、癒しとか、優しさとか、とんでもない幻想を追っている。今日少し我慢することがほかでもない自分にできるかそれが、己にできるのか。
2007年06月06日
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世界の人と手をつなごう。みんないい子。世の中に悪い人なんかいない。話せば分かる。なんてね。イスラムの世界では、十六歳の少女が数回にわたって、妻子ある男に強姦され、死刑になる。男の方は、鞭打ち80回。(念のため書きますが、死刑になったのは被害者の少女の方で、判決の翌朝クレーンで吊るされたそうです。)知らぬ世界の人々とは、距離を置き、付き合いをたとえば、経済とか、その経済にしても限定的なものに限るとか、制限していくべきである。もし、個人がその枠を超えて付き合おう(私は個人主義)というなら、それこそ自己責任において為されるべきである。人間同士理解しあおうというのは、同国人でも至難の技であり、お互い領分を守って不干渉というのを「理解しあう」と言うなら、私に異論はない。
2007年06月04日
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その言葉が、である。そもそも、ミスをしたのは当局の方ではないのか。本来、支給する側が、それができない(支給ができない)という状態なのであるから、救済してもらうのは当局、つまり政府の方である。この問題で、政府は一年で調査すると言っているが、その費用は全くの無駄金。あまつさえ借金の山を抱えながら、それに追い討ちしようというほどのばかげた話だ。歴代の長官とか、責任者は自己財産を提出すべきである。
2007年06月01日
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