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安部総理の辞任を受けて後継総理の選出について議論されている。絶対多数の自民党総裁が総理になるのはほぼ間違いないので、自民党総裁に誰になるかが注目されている。その選出方法を一任された二階自民党幹事長は明日の役員会で党員投票は省略して国会議員と各県3人ずつの県民票で総裁を決める方法を提案するようだ。党規約で定められている国会議員票とそれと同数の党員票を加えての選挙戦になると党員に人気がある候補者が当選する可能性があり、それだけは避けたい党執行部が党員を除外して選挙しようとしていると思われる。党員の支持する人はほぼ一般国民の支持する人と同じである。国民の考えや支持を無視して総裁を決めようとするのは国民不在の総裁決定方法で国民の一人として賛成できない。今朝の新聞では菅官房長官が立候補の意向を固め二階派ほかいくつかの派閥が支持して当選の可能性が高くなっているとのことだった。菅官房長官は安倍政権の番頭として安倍政権を支えてきた人である。安倍首相が辞任したのは健康問題もあるが内閣支持率が30%前後と最低になっていたことも関係があると思われる。菅さんはその支持率が最低になった政権の責任者である。支持率最低の責任を取らなければならない人が次期総理を目指すのは道が外れているように思う。アメリカでは大統領は国民による選挙で選ばれる。日本では議員内閣制なので国会議員の中から総理大臣は選ばれる。どちらがいいかについては一長一短があり、日本ではいまだに議院内閣制を継続している。しかし国民から支持されない人が総理大臣になっても困る。そこで自民党では党員票制度をつくり、国民の声を少しでも反映できるようにした。しかし今回は緊急の場合なので党員票を省略するという。緊急の場合こそ国民の声を聴くべきである。党員票を省略するのは間違っていると思う。
2020.08.31
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入学試験、入社試験の面接、発表会、記録会、各種競技の試合などで上がってしまって普段の実力が出せなかったという話をよく聞く。緊張が高じてしまって硬くなり思うように声が出なかったり体が動かなかったり頭が働いてくれないことを上がるというが、この状態を大なり小なり経験したことがない人はいないと思う。プロ野球選手などはほぼ毎日試合に出ている人もいてかなり慣れて耐性が出ている人もいるかもしれないがそれでも試合に出て打席に立った時とか投手ならマウンドに立った時は緊張すると思う。私には本日リモートのピアノ発表会があった。出場者は全部で6人、年齢は11歳から78歳、アメリカ在住者と日本在住者でいずれも身内ばかりである。それでも随分緊張した。そして上がらない方法はないものかと考えてみた。まず第一は普段の練習であり訓練だと思う。しっかり勉強して訓練していれば自信もつきそれほど上がらないと思うが、自分にはその自信がなかった。不安が募ってきて神仏に手を合わせたがあまり効果はなかった。結局試験前日までにきちんと練習して「これで大丈夫」と思えるところまで行っていれば上がらなくて済むのだと思った。発表会では易しい曲を選択した方がよいと助言してくれた人もいて「荒城の月」と「エーデルワイス」を弾いた。荒城の月はまあまあだったがエーデルワイスでは何か所かつかえてしまった。練習ではもう少し上手に弾けたと思うが本番では緊張して実力が十分出せなかった。本番でそれなりに弾けるには何度も何度も練習して「これなら大丈夫」と言うところまで高めておかなければ駄目だなと思った。十代の少年、少女達はシューベルトやベートーベン、ブラームスなど楽譜を見ただけで卒倒するような難しい曲を実に見事に軽やかに弾いており、感嘆した。態度も落ち着いて堂々としており、緊張はしていたが上がってはいないと思われた。今日までに完全に自信をつけてきたのだと思う。この差は年齢によるものも多少はあると思われるが、自分がその10代の年齢だった時もきっと今くらいにしか出来なかったと思われ才能の違いだと思った。いずれにしても発表会は終わった。あんなに難しい曲を少年少女達は軽々と弾いていたので才能の違いはあれど、少なくともそこまで到達できる人達が身近にいるのだから、努力すれば自分だって近づける可能性があると思われた。今まで「とても自分には無理」と思っていたことにも挑戦していこうと思った。
2020.08.30
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昭和風雲録の著者満田巌氏の未亡人満田道子さんの歌集「わかれ霜」に載っていた歌である。忘れ形見の息子が大学を卒業した時詠まれたのだと思う。巌氏は昭和19年に30歳で北支に出征し1か月後戦病死した。息子は当時1歳半で父親は知らない。その息子が立派に成人し、大学まで卒業できた喜びを亡き夫と分かち合いたかったという悲痛な気持が伝わってきた。「わかれ霜」には7年間一緒に暮らした夫への思いが切々と読まれた歌が多く、感動する。あとがきに「非戦への願いをこめてこの歌集を霊前に捧げることが出来ますことを喜びといたします」とあった。戦争は再びあってはならないがその戦争での尊き犠牲者のことは決して忘れてはならないと思う。戦争で敗れたとはいえ国民の勤勉努力で今日の繁栄を築き上げたがその復興の原動力として人種差別主義の欧米列強に一歩も引かないで果敢に戦った戦死者たちの気迫も忘れてはならないと思う。戦争に敗れて連合国から「日本は悪だ」とレッテルを張られ、懺悔の日々を送るように強いられ教育もそのようになされてきた。戦死者は間違った指導者に扇動されて哀れにも命を落とした可哀そうな犠牲者であるように教育されてきた。しかし満田巌氏の「昭和風雲録」を読むと大戦前までの日本の実情がよくわかる。大正10年のワシントン会議は表向きは「世界の平和」「人類の福祉に貢献」としているが米英の優越維持と他国 中でも日本の抑圧を意味するもので支那の排日運動をもたらすものとなった。昭和の前半はアジア人である日本を蔑視し、嫌がらせの数々を繰り返す欧米列強に対する怒りが渦巻いており、5・15事件や2.26事件はそのような時代背景に関連して起こった事件とも考えられる。戦勝国の教育では戦死者は誤った指導者の下での犬死のように扱われているが、本当は日本のために勇敢に戦った誇るべき戦士たちなのだ。心から感謝し敬うべきだと思う。
2020.08.29
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庭のひまわり兵庫県竜野市の友人の父親が郷土の偉人として市民会館で写真や遺品の展示をして頂いた。偉人の名は満田巌さんで「昭和風雲録」の著者である。執筆は昭和15年26才の時で昭和19年6月に応招され同年7月北支で戦病死した(享年30才)その人の著書「昭和風雲録」を読んでみたいと思いアマゾンで調べてみたら原著判はなかったが昭和46年発行の復刻版があったのでそれを注文したら2日で送られてきた。482ページの大著で昭和の初頭から大東亜戦争前夜までの波乱に満ちた当に風雲急を告げる日本の歴史を詳細に描いたものだった。私は手始めに昭和7年5月15日に起こった犬養首相が撃たれた5・15事件と昭和11年2月26日の雪の朝に勃発した2.26事件の所を読んだ。いずれも膨大な公判記録を詳細に調べた内容で読むのは大変だったが凡その流れはつかむことが出来た。5.15事件は海軍、陸軍、農民の主として20歳前半の若手将校、2.26事件は陸軍を中心とする主として30才前半の中堅青年将校で2.26事件の方が平均年齢で10才位年長であった。5.15事件では死刑判決はなかったが2.26事件では第一次処分で17名が死刑執行された。彼らの動機はほぼ同じで当事日本は政党、財閥、特権階級互いに結託し、私利私欲に没頭し、国防を軽視し国民利益を思わず腐敗堕落しており帝国を滅亡に導く恐れありそれを打破するために立ち上がったとして首相、閣僚、財閥、官僚、政党を襲撃したものである。彼らの国を思う気持ちは純真で2・26事件では結婚して2-3歳の子供のいる将校も多く、彼らの生い立ちからその革命員として決起するまでの心情を読むと涙が出る。殆どが学業成績優秀で陸軍士官学校でもトップグループで当時の政権を倒さなければ日本はあぶないと思い詰めた気持ちは理解できる。しかし私達は今平和な世の中に住んでいるからかもしれないがもっと別な方法を考えなかったものかと思った。首相や閣僚は権力を持ち日本の命運を握っているがその人たちが腐敗しているから命を狙うというのはとんでもないことで極刑も当然だと思う。現在の政権も森友学園への国有地売却問題や桜を観る会などで隠蔽体質が明らかで腐敗堕落した政権に映る。それを正さなければいけないと思っている人も多いと思う。時代は変わったが正義感に燃える若者たちの心情は同じだと思う。5・15事件や2.26事件では若者たちが武器を持って立ち上がったが私たちは言論を持って立ち上がるべきだと思う。処刑された彼らの心情は尊い。命をかけて国のために尽くす心は形は変われど今も私たちの心に燃やしていかなければならないものだと思う。
2020.08.28
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メディカル・トリビューンのインタビューに答えて、国際医療福祉大の高橋 泰教授は新型コロナの7段階モデルを提唱して発症率、死亡率の綿密な検討からそれほど恐れなくてよい疾患と述べ、「医療者が"COVID-19は大変な疾患だ"と騒げば、"COVID-19に関わった病院は危ない"という印象を与え続けてしまい、医療スタッフ不足や病院の経営難にもつながりかねない。だからこそ、"COVID-19はそれほど恐れなくてもよい疾患である"ことを正しく伝えていくべきだ。現状の世論では恐怖や不安が煽られているが、臨床に携わる医師の立場からもCOVID-19は必要以上に恐れなくてもよい疾患だと発信してほしい」と呼びかけた。現在はPCR検査陽性というだけで報道されたり隔離されたりしているが、症状のある人、重症例をその対象にすべきでPCR陽性と発病者を区別すべきだとも述べている。しかし高齢者の重症化率や死亡率は高いので別に対応し、研究を重ねる必要があるとも述べている。医療者の多くは新型コロナがそれほど恐ろしい病気だとは思っていないが、高齢者の高い死亡率には困惑している。子供や青年などPCR陽性でも発病していない人達から家族内感染などで高齢者に感染する可能性があるからである。新型コロナに対する対応については様々な意見があると思うがさらに検討してベストの対応を提言、決定、伝達してもらいたいと思う。
2020.08.24
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ガザニアバイデンさんが民主党大会の最終日8/20に大統領候補としての指名受諾演説を行った。「現在の大統領は米国を黒闇で覆い、多くの怒りと恐怖と分断を生み出した」「私は大統領として分断を修復し全ての攻撃から米国を護ることを約束する。同盟国、友好国と共にあり、独裁者に取り入る日々は終わりにする」と述べた。現在、世論調査での支持率はバイデンさん50%、トランプさん41%とバイデンさんがリードしているが結果は分からない。4年前の大統領選で共和党からの大統領候補に選ばれるとはだれも思っていなかったがあれよあれよという間に並み居る候補者を破って共和党の大統領候補になってしまった。そして本選での民主党候補ヒラリー・クリントンさんとの決戦ではクリントンさんが勝つと殆どの人が思っていたが結果はトランプさんの勝利だった。自国本位で傍若無人、世界中の人が大統領には相応しくないと思っているが、今度の選挙でもトランプさん勝利は揺るがないと自信を持って解説している国際政治評論家もいる。現在の世界情勢ではアメリカ大統領は一国だけでなく世界の大統領とも言っていいくらい世界に対する影響力が大きく、極めて重要なポストである。人格者で世界の隅々まで目が届き、平和と各国国民の健康と幸せを願ってくれる人を希求する。しかるにトランプさんは自国本位で、他国のことは自分に利益があるかどうかでしか考えることが出来ない。発展途上国ならそれも仕方ないかもしれないがアメリカは衰退したとはいえ、まだ世界一の金持ちで世界一の軍備も持っている。世界平和や貧困国家を援助する能力を持ちその責任も託されている国である。そこの大統領が利己主義者で地球温暖化や大気汚染、軍備縮小や、核拡散に積極的に取り組むどころか反対している。アメリカと言う国の位置づけが全く分かっていない。トランプさんは世界の大統領ともいえるアメリカ大統領の資質が決定的に欠けていると思う。しかし前回の大統領選で勝利したし、今度の選挙でも岩盤と言われる白人中産階級を中心とする支持層は盤石である。彼らとトランプさんの利害は一致している。バイデンさんは弱弱しい印象がある。トランプさんとの直接討論会ではトランプさんにさんざんに打ち負かされるかも知れない。しかし私はアメリカの常識を信じたい。ある人達にとってはトランプさんはこの上なく力強く頼りになるリーダーかも知れない。しかし世界のリーダーに相応しいかどうかよく考えて投票してもらいたいと思う。
2020.08.22
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アメリカ在住の娘とその子供達は以前から我が家に近いところに住むピアノの先生にリモートでピアノを習っていた。毎年子供の夏休みには日本に帰国してその期間は直接お家にお伺いしてピアノを習っていた。私もピアノを習っていて夏の1日そのお宅で合同発表会が行われていたが今年はコロナの関係で日本に来れないのでそのリサイタルは中止と思っていたが、昨日娘から連絡がありZoomという会議システムを使って8月30日(日)にリモートリサイタルを行うという。私も参加ということで困ってしまった。あと10日しかない。私は高齢で覚えが悪い。おまけに元々運動や音楽ではすこぶる神経がにぶい。10日で何らかの曲がまともに弾けるだろうか?と思った。でも「後10日しかない」ではなく「後10日あるではないか」と思って練習に専念してその発表会に参加しようと思う。
2020.08.21
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ヒュー・ハドソン監督 キム・ベイシンガー主演の「永遠のアフリカ」を観た。キム・ベイシンガー扮するクーキーは離婚して7歳のエマニエルと実家の母と暮らしていた。ある時仲間たちと飲みに行き2次会に行こうと車に乗っていた時大型トラックと正面衝突しクーキーは足を骨折するも命は助かった。運転していたパウロが責任を感じて何度も見舞いに来てくれる間にお互い愛し合うようになる。クーキーの父親はアフリカで働いたことがあり、パウロの兄もアフリカで事業をしていて亡くなった。クーキーは生き残れたのでこれからの新しい人生について考えていた。パウロは志半ばで倒れた兄の意志をついでアフリカに行きたいと思っていた。クーキーはパウロの気持ちを知って自分も息子エマニエルと一緒にアフリカに行くことにする。実家の母親は猛反対したが3人はケニアに向かって旅立った。パウロはアフリカで井戸を掘る仕事を始めた。アフリカの広大な自然、像やライオン、蛇、水牛など様々な動物を身近に見ながら生活することになった。パウロを愛していたとはいえ、イタリアで何不自由なく裕福な生活をしていたクーキーがよくアフリカに行く決心をしたものだと思った。イタリアの生活とは全く違い現地の黒人と共に粗末な生活を送ることになったが彼女は耐えた。しかしパウロは女の子が生まれた直後に交通事故で亡くなってしまう。実家の母親はイタリアに帰って来なさいと言うが彼女と息子エマニエルそれに生まれたばかりの女の子はアフリカに残った。何が彼女をしてそれほどまでにアフリカに固執させたのかの深層心理は分からない。やがてエマニエルは成人し17歳になった。イギリスの大学に合格したが「お母さんをアフリカに残してイギリスにはいかない」と言い張るが母親の強い勧めで大学に行くことになった。その送別会で恋人の存在も分かった。しかしエマニエルは子供の時から蛇が好きで沢山の蛇を飼っていた。その夜は恋人の事、家を離れることなど喜びと悲しみの複雑な気持ちの中で蛇の扱いに油断があった。毒蛇に噛まれて必死の救命処置も功なく死んでしまった。クーキーの悲しみいかばかりか想像できない。幼い女の子と二人だけになってしまいこの時も母親から帰ってくるように言われたがやはり彼女はアフリカに残った。外からみるとなぜ彼女はそんな危険だらけの粗末な生活のアフリカにこだわったのか分からない。馬鹿ではないかと思われたかもしれない。しかしそれは彼女の心の中に入らなければ分からない。きっとアフリカの大地を心から愛していたのではないかと思った。
2020.08.17
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今の時期、庭に咲いていた一輪の白いバラ昨日の戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉を新聞で拝読して感銘を受けたので本日書く主題(俳句)の前に紹介させていただく。「先の大戦でかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。終戦以来75年、人々のたゆみない努力で我が国の平和と繁栄が築き上げられました。今コロナの苦難に直面していますが共に手を携え、人々の幸せと平和を希求していくことを心から願います。再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを願い、戦陣に倒れた人々に対し、全国民と共に心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」 このお言葉を胸に我々一人一人が努力していかなくてはと思った。毎週木曜日午後7時から「プレバト」という俳句を中心にした番組を楽しみにして観ている。夏井先生が芸能人の俳句を厳しく査定する番組で梅沢冨美男さんら個性の強い役者が遠慮会釈なく査定されて人気のある番組である。芸能人の俳句を夏井先生が添削すると流石に素晴らしい句になり感心する。俳句とはこうものかと思っていたが本日日曜日で午前6時35分からの教育テレビの「俳句」と言う番組をみた。朝早いことだし視聴者はあまりいないと思うが、俳句はプレバトと思っていた私にとって「こちらの方が本格的な俳句ではないのか」と衝撃を受けた。本日は西村和子先生が選者で9つの優秀句が選ばれた。蝉は夏の季語だが蜩(ひぐらし)だけは秋の季語で、9つの句の内に「蜩や 色深くなる 燧灘」が選ばれていた。燧灘(ひうちなだ)と言うのは瀬戸内海中南部の海域で昔火打石が採れた所だという。私はその場所は知らないがこの俳句によって秋口になり海の色と周囲の葉の色など広大な燧灘の情景が浮かんできてそこに蜩が鳴いているという情景が想像できた。芭蕉の句に 「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」 があるがそれをほうふつさせる名句だと思った。その他いずれも中々の名句だなと思ったが、最優秀句に選ばれたのは「供花のなき 墓のひぐらし 惜しみなく」が選ばれた。お供え花のないひっそりとしたお墓にひぐらしが止まってカナカナとかん高い声で鳴いている情景が目に浮かぶ。これらの句はハガキ応募で誰でも投稿できる。名句が浮かんだと思われたら皆さんもご投稿なされたらいかがだろうか?私は俳句とはプレバトと思いプレバトで学んできた人間だがプレバト生徒として一回投稿してみようと思っている。
2020.08.16
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私の身内で75歳女性、パーキンソン病でレビー小体認知症が合併した方がいる。立って歩くことが出来ず背を丸めて坐っているだけ。「玄関に誰かいる」「あそこに大きな蜘蛛がいる」「身内の誰々が死にかけている」「身内の男達が悪いことをしていて警察に追われている」など幻覚や幻想で家族を悩ませている。「そんなことはない。誰々に電話したが元気で死にかけていない。病気のせいでそう思うだけだよ」と説得してもあくまで自分の思い込みを信じて言い張る。時々ご主人が抱えて我が家に遊びに来る。食事も満足に食べられれず歩くことは勿論体の移動もままならず楽しいことはないだろうなと思っていた。そこで夏休みで来甲した工学部デザイン科1年の女子学生と一緒になった。彼女は工学部で看護学を学んだ訳ではないが、「色々おかしなことを言ってもその人の中では真実だと思っているので間違っている、狂っていると決めつけてはいけないと思います。その人の中に入って話をしてやることが大切だと思います」と言う考えをもっていたのでその患者さんと打ち解けて話をしていた。家族が悪者で警察に追われているという思い込みも「テレビで相棒などをみてテレビと現実の区別がつかなくなっているみたいです」と解説してくれた。薬のせいで幻視、幻覚などが起こることもあり医師は病気そのものからくる幻覚と病気本来の幻覚を勘案しながら調剤し、家族には「間違ったことを言っても最初からしかりつけるようなことをしない方がよい」と指導しているが、実際は中々難しく、本人も家族もつらい日々を送っていることが多い。所がこの女子学生は自然に患者さんの中に入っていき友達になれた。天性のものかも知れないが心の中に本当の優しさがあるからだろうなと思った。その患者さんは翌日もその女子学生に会いたくてご主人に抱えらえて我が家を訪問して色々話をした。本当に楽しくて生きがいを感じたのかもしれない。
2020.08.15
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今日95才の女性が入院してきた。今まで病気らしい病気をしたことがなく、薬も飲んでいなかったとのことである。家の軒先の小さなカボチャ畑で倒れているところを発見され救急車で救急病院に運ばれて脳梗塞と診断され片麻痺と言語障害、嚥下障害で急性期病院に3週間入院していた後、リハビリ目的で本日当院に転院してきた。どこまで機能回復できるか分からないが看護師、理学療法士、作業療法士、嚥下訓練士などと協力しながらベストの治療を行っていきたい。今家族と話してきたが、心肺系障害で命がつきそうになったら人工呼吸器など人口蘇生機械は使わず静かに見守ってもらいたいとのことで了解したが95歳まで病気もしないでここまでこれたので立派な人生だったと思った。倒れるまでは普通に畑で働いていたし普通に喋れたとのことである。
2020.08.13
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イソトマ(花は可憐で綺麗だが毒性がある)東京脳神経センターの川口 宏先生が昨日メディカル トリビューン紙のウェブ版に以下の国立感染症研究所の発表を受けて「新型コロナを二類感染症から解除すべき」との提言を行った。 国立感染症研究所の病原体ゲノム解析研究センターが、6月以降に全国に広がっている新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、新しいタイプの遺伝子配列を持つウイルスであることを公表した。 現在、増加している全国のSARS-CoV-2陽性者のほとんどが、第一波とは異なる新タイプに属するウイルス感染ということである。1月28日に国は新型コロナを二類感染症に定めてその後も解除していない。二類感染症と言うのは死亡率が高く極めて危険な感染症で入院、隔離が必要で厳重な患者対応が必要とされるもので現在そのようになされており、東京都をはじめ各都道府県で毎日のPCR陽性者数の発表を行っている。しかし、上記発表によれば現在流布しているコロナは死亡率も低いし重症化率は低いしましてや症状の無い者もいる。それを二類のままにしておくのは間違いではないかと述べている。現在二類なので感染者は隔離されたり入院させられたりして病室が不足する問題が出ている。感染者を犯罪者扱いする社会風潮もある。これらマイナス要因をよく考えて二類感染症から外すべきであるという主張である。一般に病院関係者は患者さんの様態を聞かれたらより重い方を伝える。2か月ぐらいの寿命と思われたら1か月くらいだと思われますと言う。それで半年以上生きてくれたらそれでいいのだ。しかし「半年くらいは大丈夫でしょう」と言って2か月で死なれると家族の苦痛は大きいし「あの医者は半年といったのに2か月で死んでしまった。藪医者ではないか」と思われてしまう。だからコロナでもあまりに軽い病気のように言うとそれより被害が大きかった場合は非難される。それならいっそう「重い病気だ、重い病気だ」と言い続けて実際は軽かった方が非難される度合は少ない。多くの医療者は川口先生のような考えを持っているが勇気を持って強く言うことは出来ない。当分二類感染症は解除されないのではないかと思う。
2020.08.12
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家内が庭から収穫してきたトマト。横から見たらウサギのように見えて珍しかったので写真に撮った。「新型コロナ19氏の意見」の中から本日は歯科医の丸橋 賢先生の意見を紹介させて頂く。コロナで死者が何人も出てパニック状態になっているがパニックは無益で損失大きい。淡々と合理的に対処するのが正道である。免疫力を高める対策を行って過剰反応しないのが良いと述べている。マウスの実験で殆ど死亡するインフルエンザウイルス感染マウスに活性酸素を消去するファイトケミカルなどの抗酸化物質を投与した所95%生き残ったデーターがある。人間でも同じことが考えられファイトケミカルを十分に摂取するとコロナウイルスを打ち負かす可能性がある。ファイトケミカルを十分に摂取するには野菜を沢山入れた具沢山の味噌汁を毎日摂取するのがよい。それと野菜サラダも毎日摂取。具沢山の味噌汁を飲んでいたら生野菜はいらないと思うかもしれないが、野菜に含まれる酵素は熱で壊れてしまうので、生命活動に必要な酵素を摂取するためには生野菜が必要なのだ。従ってファイトケミカルを多量に含む具沢山の味噌汁と酵素を含む野菜サラダの両方を食べれば免疫力アップして細胞も若々しく抵抗力が上がると述べている。丸橋先生は長年歯と健康と食生活の関係を研究してきてコロナへの対処も食生活及び噛み合わせの改善が必須と確信しているとのことである。
2020.08.11
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新型コロナに対しては皆さん様々な意見を持っていると思う。この度この本の広告を見てアマゾンで注文したら本日もう送られてきた。まだ全部読んでいないが北大ウイルス学教授の高田礼人さんの文と兵庫県立農業高校の今村耕平教諭のコラムが目についたので紹介させて頂く。高田さんの文は「ウイルスとは何かを知れば向き合い方が見えてくる」でウイルスが安定的に共生関係を築いた宿主を自然宿主といい、その生物と共存関係を築いている。今度の新型コロナはコウモリが自然宿主とみられておりコウモリの中では何の害も与えず共存していたが軍事目的などで繰り返し感染実験を繰り返し人に感染することになったものと思われる。コウモリから人のように生物種をまたいだ感染には様々な生物的壁があり、自然界では殆ど起こらない事で、「宿主の壁」と言われている。それを何等かの人工的操作などで宿主の壁を越えて人に感染することがある。その場合次の二つの場合がある。1.人と共生してなんら害を及ぼさない場合と2.人に重い病気を起こし時に死に至らしめることがある。ウイルスがたまたま宿主の壁を越えて人に感染した場合、人の免疫システムと折り合いがつかなかった時、人に重篤な症状を引き起こすのである。ウイルスには意思がなく宿主である人を傷つけようとする悪意が存在するわけもない。ウイルスを悪者とするのは行き過ぎていると書いている。ウイルスをやっつけることばかり考えていた人たちは皆失敗している。免疫システムの折り合いが悪かったのでそのことに注目して治療法を考えれば成功の可能性は高かったと思われた。農業高校の先生のコラムは「イチジクのウイルス病対策のために最先端のPCR検査を学んだ生徒たち」と言う題でイチジクの病気は一見したところウイルスに感染しているか分からない場合がある。それにはPCR検査をする必要があり、イチジクのウイルスも新型コロナと同様にRNAなのでDNAに転換して増幅する必要があるが、今回のコロナ騒動の前から高校生たちはPCR検査でイチジクの病気を診断していたとのことである。「技術の対象が人であれ家畜や果樹であれ、未来に生きる生徒たちに探求的な学びを通じて希望を与え続けることが教育では大切なことである」と結んでいる。まだ二人の意見しか読んでいないが他の人の意見も面白そうだ。これから皆さんの意見を順次読ませてもらおうと思う。
2020.08.10
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新型コロナは空気感染の可能性が高いとする世界の研究者の一員である国立病院機構仙台医療センターの西村秀一先生が日経メディカルオンラインのインタビューに詳しく回答していた。誰が言い出したのか新型コロナは「飛沫感染と接触感染だ」と言われていた。だから飛沫を吸い込んだり飛沫がついたものに触ったりすると感染するのでマスクをしたり手を洗いましょうと指導された。しかしクラスター感染などを見ると手すりとか椅子に触ったから感染したとはとても思えない。空気感染に違いないと思えるのだが新聞やテレビでは飛沫感染と接触感染だという。きっと偉い先生がそう言ったのだろう。WHOもそのように言っているのだから医者である私も疑問を持ちながらも飛沫感染と接触感染と思ってしまった。西村先生のお話では飛沫と接触だという確かな実証は何もなかったとのことだった。風評と言うものは恐ろしいものだと思った。中国での空気感染を示す明確な論文が出てWHOもやっと空気感染を認める声明を出したがそれまで何をしていたのかと思った。飛沫と接触だとの情報を信じて何度も手を洗って手を荒らしてしまった人もいる。いくら手を洗っても空気感染では防ぎようがない。空気感染を防ぐ方法は換気と密集を避けることである。今までも換気をよくして3密を避けようと言っていたので対処法で大きな変化はないが、今まで手洗いに大きな比重がかかっていたがそれより換気、密集を避ける方に比重を移す必要がある(手洗いもある程度は有効とは思われるが)。私を含めて世界の医学者たちの不勉強がこのようなコロナ騒動を巻き起こしたと思われ慙愧に堪えない。感染様式一つをみても空気感染ではなく飛沫、接触であるという情報を流した源は医学者だと思う。恥じ入り申し訳なく思う。
2020.08.09
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トマト畑に侵入した朝顔昨日クローズアップ現代の再放送「CWニコルの遺言」を観た。ニコルさんは長野県の奥地黒姫山で自然と共生して暮らしているイギリス生まれで日本に帰化した人である。その人が本年4月79歳で直腸がんで亡くなる6日前にコロナウイルスに対して遺書ともいえるコラムを発表した。生命体はあまねく すばらしい競争のなかにあります カモシカと草 カモシカとライオン アリとアリクイ 食べる側 食べられる側の間にある競争は ウイルスも同じです ウイルスから私たちが身を守るには まずは免疫を付けることです その上で感染者を隔離する努力は当面は必要でしょう しかし強制を伴う隔離は 長く続けることはできません そうしたなかで私たちに今 求められているのは「バランス」なのですニコルさんが言いたかったのはカモシカにとってライオンは天敵ですがそれを無き者にはできません。ウイルスも人間にとって敵ですがそれを無き者にはできません。共存が自然界の掟です。免疫をつけて共存していくことを説いています。いまPCR検査で陽性者が何人出たと不安にかられ大騒ぎしていますがそれだけ免疫をつけた人が増えているとも考えられます。ニコルさんも言っているように当面の予防措置は必要だと思います。マスクや手洗い、移動制限、深夜接客業の休止など予防措置は必要ですがそれでも感染者数が増えていることを悪いこととばかり考えないでそれだけ免疫を持った人が増えたとも考えるべきだと思います。感染者が増えると高齢者など重症化しやすい者への感染が心配だとの見方がありますが発症後6日以後には他人には感染させないというデーターがあります。しかし発病しなくて症状がない段階の人が他人に移すことがあります。これを防ぐにはマスクや手洗い他人への接近遠慮だと思います。自分は感染していないと思わないで万一他人に移してはいけないと常に気をくばることが最も重要なことのように思います。そのうえで感染者数の増加には上記免疫の観点から一喜一憂しないのが賢明と思います。
2020.08.08
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今オバマ元アメリカ大統領が若い頃書いた「私の父の夢」を読んでいる。結構厚い本なので中々読み切れなくて今でも少しずつ読んでいる。ハワイで生まれた自分の生い立ちから書きはじめ大学卒業してシカゴで仕事のない人達に教育や職を与えるセツルメント活動などをしていたが、もっと勉強したくてハーバード大の大学院に入ることになって入学前の休暇中に亡き父親の故郷ケニアのナイロビに旅してケニアの文化や生活を体験しているが、今読んでいる所はケニア人である異母姉アウマとケニアのサハリパークに行って様々な経験をしている所である。他のお客数人と一緒に一台の車で広大な動物園内の動物の生態などを観察している。一晩テントを張ってそこに泊まるがマサイ族の男二人が警護に来てくれた。そのうちの一人ウイルソンが身の上話などをしてくれた。警護以外の時は牛を飼うなどの仕事をしているが、ある時ライオンに襲われて自分の牛が殺されてしまった。法律上は仇打ちは許されていなかったが槍を持った5人でライオンを取り囲んだ。その時ライオンは一人をめがけてとびかかってきた。その男は盾でかろうじて身を護り他の4人で仕留めたとのことである。流石にライオンは追い詰められても王者としてのプライドがあり必ず誰かにとびかかってくるもので命を落とすこともあるとのことだった。アウマが「その死んだ人はどうなるのですか?」と聞いたらウイルソンはいとも簡単に「地に帰るだけさ、それ以外にどこに行くのさ」と答えた。その時運転手のフランシスは聖書を読んでいたのでウィルソンの同僚のマウロが「あんたなら人が死んだらどこに行くと思う」と尋ねた。フランシスは直接その問いには答えず両親が自分が生まれる前にキリスト教に入った。キリスト教(宣教師)にもいい所と悪い所があるというような話をしたが結局死後何処に行くかは答えず「マサイ族は勇敢だな」と言った。マサイ族は死んだら全てが終わりだと考えており、勇敢に戦い、勇敢に死んでいるのだなと思った。死については様々な宗教が教示している。一つの宗教内でも宗派によってその教えは異なることがあるが大まかにはキリスト教やイスラムでは死は神の門の入口に立つことで最後の審判を受けて天国に行くか地獄に行くか決められるみたいだ。だから死んだらどこに行くか聞かれたフランシスは何処と答えられなかったのだと思う。仏教では輪廻転生の教えがあり、死は一つの転換点で死んでいなくなる訳ではなく再度何らかの生命あるものに生まれ変わると説いている。ここでも前世でよいことをした人は良い人間に生まれ変わり悪行の人は虫けらなどに生まれ変わると教えている。いずれにしても宗教が関わってくると死は難しくなるなと思った。マサイ族のように「地に帰るのさ」と思っていた方が分かりやすくてすっきりしていると思われた。
2020.08.05
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8月4日発売の週刊誌「FLASH」に安倍首相が7月6日に吐血したと報じられた。その真偽のほどとその程度は分からないが、大阪の国有地売却問題やコロナ対策で連日神経をすり減らしておいでだっただけにその可能性は十分考えられる。第一次安倍内閣は潰瘍性大腸炎の悪化で退陣を余儀なくされたが健康に不安があっては一国の総理大臣を務めていくのは大変だと思う。「何があっても憲法改正を自分の手で」とご決意をなさってこられたと聞いているが、憲法改正は時間をかけて多くの人が議論して決めていくことで一人の総理大臣の念願だったから改正するという問題ではないと思う。今まで長い間総理大臣として経済、外交、内政など諸問題でご尽力頂き日本をここまでにしていただいた。近年は森友問題やコロナ対策などで批判されることが多くなりご心労いくばかりかとご推察申し上げる。もう十分お仕事をなされたのだからこれを機にご静養なさるのがよいと思う。
2020.08.04
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今はコロナで入試の方法も不確かで受験生も不安だと思うが、いずれにしても実力をつけておかなければ合格できない。学校が休みになったりして家にいることが多いと思うが、自宅学習を積み重ねて貰いたい。勉強する時誰にも何も分からなくて少しも前に進めない時があると思う。その時諦めてしまうか何とかして前に進むかで差がでて合否が分かれることになる。私は農業高校生だったが東大を目指していた。英語も数学もさっぱり分からない。普通はそこで「農業高校生には無理なのだ」と諦めるのだと思う。所が私の場合農林高校始まって以来東大に合格した先輩がいたのだ。担任の先生がその先輩に合わせてくれた。その先輩は「分からなくてもいいのです。分からないのが当たり前です。分からなくてもいいから繰り返し同じところを勉強してください。そうすればいつか分かるようになり、壁を超えることが出来るのです」と教えてくれた。私はもともと覚えが悪く知能指数も低い人間だったがその教えを信じて分からないことばかりだったが繰り返し挑戦して結果的に東大は無理だったが最終的に北海道大学医学部に合格して医師になった。その「分からなくてもいいいから繰り返し挑戦しなさい」は今でも私の生きる指針になっている。私はピアノを習っておリ、今「アベマリア」に挑戦している。私には実に難しい。1行(4小節)弾けるようになるのに何日もかかる。難しすぎて直ぐ眠くなってしまう。寝ておきて挑戦しても又眠くなる。馬鹿々々しくなる。他にもやらなければならないことは山ほどあるのに何のプラスにもならないこんなことに関わって時間をつぶし精神を疲弊させていいのだろうかと思う。それでも先輩の「出来なくてもいいからただ繰り返しなさい」の言葉を思い出し、他の人なら一日で出来ることを泣きながら何日も繰り返した。こんな他の人にとっては易しいことができない自分を本当に駄目な人間だと思った。所がである「駄目だ、駄目だ」と思っていたのに今日やっと一行弾けたのである。そうなると2行、3行と挑戦する気持ちが湧いてくる。もし壁にぶちあったって悩んでおられる方がいたら参考にしていただけたら幸甚である。
2020.08.03
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古関裕而さん今,朝ドラ「エール」がコロナのため中断されており、それを埋め合わせるため既に放送分が再放送されているが2度観ても結構面白い。作曲家古関裕而をモデルにした物語とのことだが彼は歌謡曲、軍歌、応援歌、校歌など5000曲以上作曲した著明な音楽家である。有名な曲は数々あるが応援歌では早稲田や慶応、東京農大など多数ある。軍歌では「勝ってくるぞと勇ましく、勇んで国を出たからは・・」の露営の歌が有名である。多くの若者がこの曲に鼓舞されて戦地に赴き勇敢に戦い命を落としていった。古関はその責任を痛切に感じ悩んだが鎮魂歌「長崎の鐘」は多くの人の心を癒した。音楽は不思議な力をもっており、魔物にもなるし心を癒してもくれる。そのような音楽をいとも簡単に数多く作曲した古関は天才だったと思う。私はピアノを習っているが他人が作曲した曲を楽器に乗せるだけでも大変なことなのにオリジナル曲を次から次に発表しており凄い人だったのだなと思う。所がドラマを見る限り名古屋在住の文通相手の女性から手紙が来なくなったら曲が全然浮かばなくなってしまう。彼女なしでは曲も作れないし前にも進めなくなって打ちひしがれるが福島の古山(古関)が名古屋の音(金子)さん宅を訪ねて手紙をくれなくなった理由などを話し合って理解しあうが、古山の留学の道が閉ざされた時にはまたどん底に突き落とされ音楽の道を諦めようとする。この時に音さんの懸命な努力でコロンブスレコード(コロンビアレコード)で働くことになり再度音楽の道に戻ってきた。哀切、喜び、平安の様々な歌曲の中には自分が味わってきた人生の数々が反映されているのだと思う。音さんの援助がなかったら大作曲家の道はたどれなかったかもしれない。人生は持って生まれた才能と並々ならぬ努力だけでは物事は成就できない事の好例だと思う。小学校の時の恩師 藤堂先生、友人の鉄男、ペンフレンドの音さん、音楽に対して並々ならない理解者だった父親等がいたから大作曲家古関裕而が生まれたのだと思う。早く続きが始まってくれと願っている。
2020.08.02
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