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3月1日(金)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ふ(13)ふきあげ吹き上げ・噴水(名詞)公園・庭園などに水を高く吹き上げるようにした装置。ふんすい。燦さんと陽の照るところ失ひし時の復(かへ)りのごとき噴水 河野裕子ふきいずる(ふきいづ)吹き出づ・噴き出づ(自動詞四段活用)吹きはじめる。ほとばしりでる。さし入れし手に噴き出でて力ある泉よ童女わがこころ充つ 山本かね子二三日あたたかければ生きかへる思ひにいのちの噴き出づたのし 米田雄郎花遅き日に噴きいづる火のごとく野の葉鶏頭(かまつか)よ渇きやまなく 太田一郎吹きいづる汗にころぶすさはさはに茉莉(まつり)の花ののこるひるすぎ 土屋文明(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.28
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。3月1日(金)平和を取り戻す困難平和を破るのは簡単です。しかし、復旧するのは難しいのです。愚者であっても簡単に破ることが出来ます。しかし、賢者であっても復旧させるのは、容易ではありません。平和が貴いのは、その回復が難しいところにあります。衆愚の意見に惑わされてこれを破り、怨恨を千載に遺すようなことがないように注意しなくてはなりません。内村鑑三一日一生より三月はじめに(内村鑑三)春は来りつつある雪は降りつつあるしかし春は来りつつある寒さは強くあるしかし春は来りつつある春は来りつつある雪の降るにもかかわらず寒さの強きにもかかわらず春は来りつつある慰めよ、苦しめる友よなんじの艱難(なやみ)多きにもかかわらずなんじの苦痛(いたみ)強きにもかかわらず春はなんじにもまた来たりつつある(『歓喜と希望』より)3月1日(金)ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。(創世記三十二・二十四~二十五)うれしき時は、神にわが罪を指し示された時である。ペニエルにおけるヤコブのごとく、天使に傲慢のもものつがいの巨筋(おおすじ)を絶たれて歩きえぬにいたる時である。またダビデが神より預言者ナタンをつかわされてその罪をただされ、なんじはその人なりといわれし時のごときときである。その時は、われは人と自己とをはなれて神にすがる。その時、十字架はわが眼の前に輝く。その時、われに懐疑は一つもなくなる。自己が罪人のかしらであることを感じた時に、キリスト・イエス罪人(つみびと)を救わんために世にきたれりとは信ずべくまた疑わずして受くべき話である。しかして神にわが傷(罪)を指されずしてこの感は起こらない。われは義人なりと思う時に、われ他人の罪を責めつつある間は、このうれしき美わしき感は起こらない。一言の申しわけなくしてわれが神の前に立つ時に、キリストはその十字架を負いたまいて、わが心の眼の前にあらわれたもう。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。3月1日(金)私が去って行くことはあなたたちの益です。私が去らなければ、助け主はあなたたちの所に来ません。しかし私が去った時には、彼をあなたたちの所につかわします。 (ヨハネ 16: 7) 別れの教え 人が地上で生きている時よりも天に行きました後にどれだけ深い言葉を残っている人に与えるかは私たちの度々経験するところです。キリストを信じる者は、生きている時に人を教えるよりも、天に行ってから人を教える方がずっと大きく、ずっと深いです。その生前に教えた言葉でも、その人が召されて後に読みますと、同じ言葉でもずっと深く、ずっと力強く聞かれます。なぜかと言うと、その人が父の所に行って、そしてその人の霊が聖霊と共に働いているからなんです。 ・・・ 私があなたたちに教えるのは、私が地上においてこうして肉の口を以て教えている時だけのことではありません。それで終わるわけでは決してありません。私が天に召された後において、もっと深い事、もっと広い事を教えることになりましょう。私はもうすでにたくさんの事をあなたたちに教えて来たんです。おしゃべりした口数から言えば、イエスが弟子たちに教えられたよりも何倍私が口数をきいて来たか解りません。その中に詰まらない事、間違った事がたくさんあったでしょう。しかしもし真理に適うものがあるならば、私の霊が聖霊に助けられて、私の言った言葉をあなたたちに思い出させます。そして私の言葉になかったことまでも教えるという事になります。そういうことをお話して置きました。私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.28
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月28日(木)生みたての卵の白さ温かさ亡き子のごとくそっとつかみぬ竹やぶにしばらく耳を澄まさねばうぐいすの声まだまだ聞けぬ蕗の薹目星をつけておりたるがいつのまにやら採られていたり爆風に吹き飛ばされて葉のあらぬ木々の枝間の星の輝き自(みずか)らが蒔きたる種と叱りつつわれの言葉もしぼみてゆけり私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.28
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2月28日(木)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によりますが、一部省略などしています。ふ(12)ふき蕗(名詞)山野に自生し、畑にも栽培する。葉柄が長く、初夏に食す。蕗の葉の円(まろ)きひかりをみるときにみなぎりきたすあすのいのちは 坪野哲久作業終へみかんの山に摘む蕗の手元までくる空の夕やけ 柏木又一火箸ほどに伸びるを待ちて採りて来し蕗の緑に厨たのしむ 高田芳子蕗を煮る昼下がりには母と吾と春の色してそのうすみどり 俵 万智(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.27
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月28日(木)失敗の恩恵教会のキリスト教は、成功した時に神の恩恵を認めます。これに反して、キリストの福音は、失敗した時に神の限りなき愛が示されます。人間にとっての最大の恩恵は、キリストを識(し)ることです。ですから、失敗の苦しい十字架を味わなければ、十字架のキリストを識(し)ることは出来ないのです。一日一生(内村鑑三)2月28日(木)また、救いのかぶとをかぶり、御霊(みたま)の剣(つるぎ)、すなわち、神の言を取りなさい。絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。(エペソ書六・十七~十八)キリストにおける信仰は余を罪より救うものなり。されども信仰もまた神の賜物なり(エペソ書二・八)。余は信じて救わるるのみならず、また信ぜしめられて救わるる者なり。ここにおいてか余はまったく自身を救う力なきものなるを悟れり。さらば余は何をなさんか。余は余の信仰をも神より求むるのみ。キリスト信徒は絶え間なく祈るべきなり。しかり、彼の生命は祈祷なり。彼なほ不完全なれば祈るべきなり。彼なほ信仰たらざれば祈るべきなり。彼よく祈りあたわざれば祈るべきなり。恵まるるも祈るべし。呪わるるも祈るべし。天の高きに上げらるるも、陰府(よみ)の低きにさげらるるもわれは祈らん。力なきわれ、わが能うことは祈ることのみ。2月の終りに金(きん)にもまさり、名誉にもまさり、知識にもまさり、生命(いのち)にもまさる、ああ、なんじ独立よ!ああ王たちよ、ああ公(きみ)たちよ、ああ監督たちよ、なんじらは圧制家である。独(ひと)り真理とともにあり、独り良心とともにあり、独り神とともにあり、独りキリストとともにありて、わらは自由である。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2月28日(木)主よ、私は心をつくしてあなたに感謝します。あなたは私が呼び求める日に私に答え、私の霊(たましい)に力を与えられました。 ・・・ 天高き所に在ます主は低い人を挙げ、高ぶる人を挫(くじ)かれます。たとえ私が苦しみの中にあっても、あなたは私を力づけ、御手を伸ばして私の敵を防ぎ、私を救われます。主は私に対する聖意を成しとげられます。主よ、あなたのいつくしみはとこしえに絶えることがありません。 (詩篇 138: 1, 6-8) 人生の感謝 うまく事が運んだときは神に感謝しなさい。つまずいたときは神によりすがりなさい。 満足なときは、頭を垂れて謙そんになりさい。罪になやむときは、イエスの十字架を仰いで力を与えられなさい。 成功も失敗も、満足も後悔もすべてを神に結びつける機会としなさい。そこに感謝の世界があります。 小さい自分というものにかかわらないでください。自分というものの価値を神の標準に換算(かんさん)して考えなさい。神はたかぶる人を挫(くじ)き、無きがごとき人を挙げられます。どんなに自分を大であると思っても、神の審判の前には無価値にひとしいのです。どんなに自分を小であると思っても、神のあわれみによって神の子とされるのです。自分にかかわらないで、神に執着(しゅうちゃく)しなさい。自分という小さい存在が、救いの恩恵で結びつけられていることを思いなさい。それが信仰の喜びです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.27
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月27日(水)湯煙のごとくに靄を身にまとい横たわりおり天城連山子を託し帰らんとするに荒々しその子の顔を思い出しおり施設にて生きるほかなし子に言いて自分自身に言い聞かせたりある時は怒りのごとく感じたり赤きこぶしのアロエの花よジャガイモを植え終りたり夜よりは予報通りに雨になりたり私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.27
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2月27日(水)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるふ(11)ふかめる(ふかむ)深む(他動詞下二段活用)葉は散りてのこる珠実のむらさきの色ふかめゐるむらさきのしのぶ 長沢美津乗鞍はひと目見しかばおごそかに年を深めてますます思ほゆ 長塚 節入つ日が山に入るまで見て立ちぬ影深めつつ光移らふ 松村英一(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.26
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月27日(水)処世の方法わたしにも、世渡りのための方法があります。それは、いたって簡単な方法です。復活して今も活きておられる神を信じ、その指導を仰ぎ、その霊を吾が霊として罪悪の世と闘う事です。この途には十字架が待っているかもしれません、肉親や友人との反逆があるかもしれません。しかし、最後は天の国に間違いなく達します。危険なように見えて最も安全な方法です。たいへん狭い途ですが真っ直ぐな途です。別に多くの知識を必要とせず、盲人も簡単に辿って行くことが出来ます。世の中の多くの人は、わざわざ曲りくねった偽りの途を探って行くのです。何故真っ直ぐな途を選ばないのでしょうか、わたしには不思議でなりません。一日一生(内村鑑三)2月27日(水)すなわち、父が死人を起こして命(いのち)をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。父はだれをもさばかない。さばきのことは、すべて子にゆだねられたからである。(ヨハネ伝五・二十一~二十二)神がキリストをもってわれらを審(さば)きたもうに至って、審判(さばき)はわられがおもいしごとく怖るべくものでなくなったのである。審判と聞けばはなはだ恐ろしく感ずるなれども、キリストが審きたもうと聞いて、恐怖は去り感謝がくるのである。キリストはたれぞ、神と人との間に立つ一位の中保者(ちゅうほしゃ)、人を神に執(と)りなしたもう者、人の罪の軽減と赦免とをねがう者、柔和なる救い主、罪人の友…神はキリストに審判をゆだねたもうて、罪の軽減と赦免とを期したもうたのである。ここにおいてか、われらは多くの罪を犯ししにかかわらず、われらに無罪放免の希望(のぞみ)が提供されたのである。われらは今はわれらを審く者の何人(なんぴと)であるかを知るがゆえに、臆(おく)せずして彼の台前(みまえ)に立つことができるのである。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2 月 27 日(水)あなたたちは、さびつき、変質し、あるいは盗人がうばい取ってしまう地上に自分の財宝をたくわえず、むしろ、さびず、変質せず、又盗人がうばい取ることのない天に宝をたくわえなさい。あなたたちの宝のある所にあなたたちの心もあるからです。 (マタイ 6:19-21) 天に宝 天に積む宝は、その価値が永久に損なわれることはありません。私たちの祈りも愛も信仰もことごとく天に貯えられて、その力と輝きとが永遠に保存されます。小さい人にした隠れた愛の行為も、「日々のかてを今日も与えてください」と涙ながらに祈った密室の祈りも、父なる神はこれをことごとく、み胸に貯えられます。愛は愛を引きだし、信頼は信頼を生みます。こうして私たちの生活力はすべて天から来るのです。霊的の力のみでなく、知的の力も、また衣食の維持さえも天から来るのであり、この神の恩恵に依り頼む信仰にのみ私たちの生活の真の安定があり、心の平安が得られるのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.26
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月26日(火)わが庭のチューリップの芽が伸びているわが子の命日近づいているチューリップを指さし愛でしわが子にて一歳半の命終えたり病院に母を連れ行くことなどもしみじみとわが心を満たす孝行をせずに生ききてようやくに母を病院に連れて行く幸神様に向うごとくに歌作る上から目線を戒めるため私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.26
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短歌用語辞典2月26日(火)ふ(10)ふかむ深む(自動詞四段活用)距離・色・とき、などが深くなる。すすむ。くれなゐの牡丹花深みおのづからこもれる光沢(つや)の見るほどぞ濃き 木下利玄冬深む季せつの移り音もなく深みゆくなりけさの大霜 辰巳泰子 この日頃うるほひ深む吾子の瞳(め)にをとめうごきてあやふきものを 五島美代子(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.25
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2月26日(火)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。生と死キリストのようになろうと思う時、わたしの中には、まだわたし自身の欲望が生きています。自分自身の無能を認めてすべてをキリストに委ねる時、はじめてわたし自身がなくなりキリストがわたしの中で生きるのです。キリストのようになりたいのであれば、キリストのようになりたいというその欲望をなくさなければなりません。道徳的こころよりもキリストにすべて委ねることを優先するのでなければ、キリストと共に生きることは出来ないでしょう。わたしたちが対決する最後の敵は、聖徒になろうクリスチャンになろうと求める道徳的な欲望です。一日一生(内村鑑三)2月26日(火)わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしはどんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧(ひん)に処する道を知っており、富(とみ)におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。(ピリピ書十一~十三)キリストがわが心の中にやどりたもうて、感謝がわが生命となる時に、われのなしえない善とては一つもなくなる。われはその時、いかなる敵のいかなる咎(とが)をも自由にゆるすことができる。その時、我は善の勇者であり、愛の富者であって、けがれたるわが身がいたるところに香気をはなつように感ずる。もしこれが救いでなく、復活でなく、昇天でないならば、われは、救い、復活、昇天の何であるかを知らない。その時、われは詩人の言を借りて歌う、神はわが足を雌鹿(めじか)の足のごとくしわれをわが高きところにたたせたもう(詩篇十八・三十三) 「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2月26日(火)主なる神は教える人の舌を私に与え、悩んでいる人を言葉をもって助けることを知らせ、また主は朝ごとに私を訪れ教えを受けた人のように私の耳を開かれます。 (イザヤ 50: 4) 教育者の資格 教師は先ず自ら絶えず教育されている事が必要です。すなわち常に信仰によって自己の可能性を神に向かって引き伸ばして頂くと共に、悪への可能性から防御して頂かなければなりません。 ・・・ このような教師にして、始めて教育についての新鮮な熱心を持ち続け得るのみでなく、生徒に対する理解と同情、愛と尊敬を持ち得るのです。 教師は又、教育の目的を常に意識していることが必要です。そして教育の最高目的が神を知らせる事にあるならば、教育者は自分の仕事について神より立てられた使命を感じ、生徒の前に立つこと神の使徒のように毅然(きぜん)としたところがなければなりません。「共に教育される者」として生徒に対して持つ愛と謙そんは、神より立てられた教師としての権威と相伴わなければならないのです。 正直な教師は自己の無能力を知ります。しかし無気力では教育は出来ません。教育者にははげしい気迫がなければなりません。それは真理探究者としての誠実で熱心な生活態度に他ならないのです。 ・・・ 生徒に対して与え得る永久的な教育効果は教える内容よりも教える態度にあります。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.02.25
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月25日(月)鉢植えの梅の木あまた植えおりし主(あるじ)いぬ今花咲きそろうジャガイモに畑耕し午後からは短歌の会に出席をする新聞に二週連続載ってたと歌会の席歌友に言われるひそやかに新聞投稿せしことを罪のごとくに恥入りている寒ければ二名欠席したれども今日の歌会無事終りたり私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.25
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平成25年2月25日読売歌壇 小池 光選 入選する手袋をどこに置いたか探しおり霧たちこめるごとく思いて 下田市 後藤瑞義わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.25
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2月25日(月)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ふ(9) ふかぶか深深(副詞)非常に深いさま。ふかぶかと林檎樹林の花あかり夕べの頃はこころもしろし 齋藤 史初湯(うぶゆ)終へふかぶか眠る双頬(もろほほ)に青葉洩れくる朝の日にほふ 山本初枝町なかのおほき御寺の瓦屋根深深と高し梅雨けふも霽れず 土岐善麿 (つづく)短歌用語辞典
2013.02.24
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月25日(月)友愛の刺激キリストは万人のために死にました。しかしながら、直接的には万人のために死んだというのは誤りでしょう。直接的には、身近の少数の友人のために死に給うたのが真実と思います。愛は普遍的というより個別的、集中的です。私たちは、私たちを憎む世の中の人のために死ぬことは出来ません。しかし、私たちを愛する少数の友人のために死ぬことは厭わないでしょう、それで間接的に私たちを憎む世の中のために死ぬ事になるのです。たとえイエスと言えども少数の友の愛に励まされないなら、十字架の凌辱を忍ぶことが出来ないのではないでしょうか。一日一生(内村鑑三)2月25日(月)だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨(みむね)を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない。」しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。(ヘブル書十・三十五~三十九)信仰とはしんずべからざることを信ずるにあらざるなり。二と二を合すれば五なりとは、宇宙が消えうするともわれは信ずるあたわざるなり。虚言を吐くは善なりとは、水火の責めにあうともわれは信ずるあたわざるなり、しかして信ずるべからざるなり。虚喝(きゃかつ)手段をもって人を善道に導きうべしとは、いかなる証明ありといえども、われは信ぜざるなり。信仰とは、信ずめきことを、恐れず、躊躇せず信ずるをいうなり。「矢内原忠雄の今日の言葉」2月25日(月)だれでも父、母、子、兄弟、姉妹さらには自分の命までも捨てて、私にしたがって来るのでなければ私の弟子となることはできません。また自分の十字架を負って私についてくるのでなければ、私の弟子となることはできません。 (ルカ 14:26-27) 十字架を負う 自分を捨てる人は自分に「さよなら」した人です。生活の目標が自己でなくなって、神のことが目標となった人です。このような歩み方をする人の人生が必然的に十字架を負わされる道であるのは、世間の歩み方がちょうど反対に神のことを思わず、人のことを思うからです。実に悲劇的な食い違いです。しかしその十字架を自分から求めて背負いなさい、と言うのではありません。それではやはり「自分」です。真実な人生を歩んでいれば、十字架は他人から負わされるのです。ただそれを負わされた時、いやと言わないで負ってゆかなければなりません。「もし人が私に従って来るなら、どうしても十字架を負わされますから、各自の十字架を黙って背負ってついて来なさい」とイエスは教えられたのです。 これは全くの親不知子不知(おやしらずこしらず)の関門であります。親は子を知らず、子は親を知らず、各自が自分の十字架を負って一人ずつ越えなければならない狭い道です。ふところに手を入れたり、他人に背負われたりしては絶対に通過ができない、神の国に入るための難所です。 内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.24
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月24日(日)寒風の吹き荒(すさ)ぶなか菜の花はその喜びの色に揺れおりセーターを透り下着をとおりぬけ寒風はただにわが肌襲う晴れわたり日はさんさんと注げども寒気を帯びる風すざまじき啄木の短歌を読みて思うなり歌は「べし」ではあらざることを短歌とは短歌とは何今日もまた短歌を思いひと日(ひ)暮れゆくわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.24
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編集後記の下書き(同人誌「賀茂短歌」) 後藤瑞義 今、啄木の「悲しき玩具」を読み直しております。そして、啄木の短歌の魅力、不思議を思わざるを得ません。啄木は晩年、大逆事件などに刺激を受け社会主義思想に傾倒していったようです。しかし、こと短歌をみるかぎり、社会主義思想をあらわにしたような歌は見当たらないと私は思いました。たしかに「革命」「テロリスト」などの言葉は出てきますが、決して思想を押しつけるような歌、かくあるべきだというような歌ではないのです。「友も妻もかなしと思ふらし――/病みても猶(なほ)、/革命のこと口に絶たねば。」「やや遠きものに思ひし/テロリストの悲しき心も――/近づく日のあり。」「『労働者』『革命』などといふ言葉を/聞きおぼえたる/五歳の子かな。」「ボロオヂンといふ露西亜名(ろしあな)が、/ 何故ともなく、/幾度も思ひ出さるる日なり。」「五歳になる子に、何故ともなく、/ソニヤといふ露西亜名をつけて、/よびてはよろこぶ」(注:上記短歌のスラッシュ(/)は行分けの印(しるし)です。) 詩人谷川俊太郎氏が講演で「詩はメッセージではない」と言いました。詩人で且つ戦後思想界の巨人と呼ばれた吉本隆明氏は芸術言語論で「言葉の機能で、伝達はいわば枝葉のことだ、根や幹ではない」と言っております。啄木もこのお二人の言葉に即座に同意するでしょう。彼の歌集「悲しき玩具」を読みながらつくづく思ったのです。つまり、啄木の短歌を読む限り、たとえば思想を伝えようというような風は微塵も見えないと私は感じたからです。もっとも、啄木短歌は中味はともかく、形式に置いては革命的であることに間違いないと思うのです。それで、出来ましたら、来月あたりから少しつっこんんで啄木の歌について何かをかけたらと思っています。わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.24
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2月24日(日)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ふ(8)ふうもん風紋(名詞)風が砂の上を吹いてできた模様。風紋のかたまりに朝日あつめつつ膨らむ砂のわづかに動く 木村修康風紋の初(うひ)うひしかる砂丘(すなおか)に二百二十日を過ぎし日の射す 遠山光栄風紋をなぞりつつ遊ぶ女童の靴は真夏の一点の紅 池野かずえ(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.23
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月24日(日)神の救済を望む神は必ずわれわれの国を救って下さるでしょう。それは、わが国の政府によってではなく、わがが国の役人によってではなく、わが国の教師または宗教家によってではありません。神がお択びになった人により、神があらかじめお定めになった方法によってお救い下さいます。神はかってこのようにして国を救いました、ですからわが国を同じようにお救いになるでしょう。わが国の現状は、日々腐敗してゆくばかりのようです。わたしは地上の腐敗に目を落とさず、常に天上に望みをかけています。つまり、人を頼りにせず神を仰いでおるのです。内村鑑三一日一生より2月24日(日)「山は移り、丘(おか)は動いても、わがいくつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約はうごくことがない」とあなたをあわれまれる主は言われる。(イザヤ書五十四・十)霊魂の要求するものは愛であります。また宏大無辺の愛であります。霊魂は実に莫大なる要求をなすものであります。彼は到底金殿玉楼ぐらいをもっては満足いたしません。美衣美食ぐらいで彼の飢渇(きかつ)は決していやさるるものではありません。彼に侍(じ)せしむるに三千の宮女をもってしても、いたずらに彼の悲哀は増すばかりであります。幸福なるホームをもってしても、善良なる友人をもってしても、これもまた彼の満腔(まんこう)の欲望を充たすにはたりません。霊魂はじつにその友として、またその父として、その救い主として、宇宙万物の造り主たる独一無二の活(い)ける真の神の愛を要求いたします。これなければ彼は死んだものです。これあれば彼の欲するすべてのものを得たのであります。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2 月 24 日(日)たとえ私は死の影の谷を歩んでも、災いを恐れません。あなたが共におられるからです。あなたのむちと杖は私をなぐさめます。あなたは私の敵の前で、私のために祝いの席を設け、私の頭に油を注がれます。私の杯はあふれます。私の生きている限りは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。私はとこしえに主の宮に住むでしょう。 (詩篇 23: 4-6) 単純な心 苦難の日においてダビデは単純に主を信じ、信仰によって荒野を歩みました。主はまた単純にダビデを守り、みつばさのかげをもって彼をおおいました。神を信じる人の単純と、人を守られる神の単純と、この二つの単純の中に人事と世相の複雑怪奇(かいき)はすべて解消します。世の歩みを複雑難解にしているものは、人間的な思いわずらいと小細工です。これに反して単純に主に依り頼む信仰の心は救いの一筋が見え、単純な心をもってこれを歩む時、主は多くの危険より私たちを守り、私たちの足を安全に導かれるのです。まことに神を力とせず、かえって自分の富の豊かさを頼み、その悪をもって自分をかたくしようとする人は、「風の前のもみがら」のようです。(詩篇 35: 5)。これに反し、神を信じる人には全ての事が相共に働いて益をなします。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.23
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月23日(土)鶯かうぐいすが早や鳴いている確かにうぐいすかたことの声二週間ぶりに帰れる子を待てり昼温かきバス停にいておだやかな風にゆれいる枯草が昼の光をやわらかく反す海中に眠りていたる伊豆半島目覚めていまだ六十万年今月は日数少なき月なるに歌稿がいまだ揃わずにいるわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.23
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同人誌「賀茂短歌」平成25年2月号より作品評 下書き 後藤瑞義二月号歌評 カラカラと風とあそべる空缶(かん)一つ人の貧しき心思へり原 明男 「風とあそべる」に注目しました。「風に転がる」であれば、意味もよく分り下の句への続き具合もすっきりします。ただそれですと私としては、少し物足りないのです。なんとなくメッセージ的、道徳的な感じがするからです。詩としては、やはりそれでは少し物足りなく思います。ただ、「あそべる」と「人の貧しき心」ちょっとアンマッチな感じがしないでもないのです。そこに、この歌の謎的な深まりを感じるのです。わたしは、「人の貧しき心」というのは他人というよりむしろ自分自身へ向けられている言葉と感じたのです。主人公は「空缶」です、それも「風とあそべる空缶」です。空缶、中身のない缶、それも何か象徴している感じがしました。そんな空缶であるのに、風にあそんでいる、それに引きかえ、自分はどうなんだろう。この空き缶のように風にあそぶ余裕があるだろうか、とてもとてもない。なんて自分は心が貧しいのだろうか。深読みかもしれませんが、「あそび」の言葉に触発されて、思いが広がりました。天命の尽きるきわまで詠(うた)いたる師の十三回忌とうにすぎたり渡辺つぎ 「天命の尽きるきわまで詠いたる師」恩師原昇先生の命日は十二月三日、九十二歳でお亡くなりになりました。病院のベットでわれわれの歌稿に目を通されていたと聞いています。辞世の作品「ごろごろとひきづり来たれる人生行路わがものなれば愛しみ生きな」もベットのなかで作られたものでした。百二歳になられる渡辺さんの目標も「天命の尽きるきわまで」作歌することではないでしょうか。実際常に歌のことを思って生活をなさっている渡辺さんをわれわれは承知しています。そんな渡辺さん、恩師に追いつけ追い越せと生きてきて百二歳となり、恩師の十三回忌もつい忘れていたことに気がつかれたのでしょう。もう、十三回忌か時の過ぎる早さを実感しているのではないでしょうか。あれもこれも気持のあせる大晦日猫の手も出る箒を持ちて鈴木菊江 九十五歳の作者です。毎月欠かさず歌会に出席され、大変お元気です。お子さんも多かったと聞いています。あるいは、お孫さんも、曾孫さんも帰られるのでしょうか。大晦日は、猫の手も借りたい忙しさなのでしょう。そうしたなかで、ご自分を「猫の手」と歌っているところに、独特のユーモアがあります。息子さんやお嫁さんに任せておれず、九十五歳の作者はつい箒を握っていたのでしょう。神子元の燈台の灯りクルリクルリめぐりいるなり日の出待ちつつ 黒田幸子下田市の海上にある無人の島神子元島。牧水の友人が燈台守となっていたことから牧水もそこを訪ねた歌が残っています。「君が守る燈台はあはれわだ中の蟹めく岩に白く建ちをり」の歌の刻まれた歌碑はご存知の通り、下田市須崎にあります恵比寿島にあります。恩師原昇先生も渡られ牧水を懐かしむ歌などを作っています。作者は日の出を見に行き、少し間がありいろいろ海上を見渡して神子元島に気がつかれたのでしょう。そして、いろいろ、牧水のこと、あるいは恩師原先生のこと、あるいは歌碑のことを思い浮かべたのではないでしょうか。燈台の灯りが三百六十度回転していることなど初めて知ったのではないでしょうか。そして、あっという間に日が昇ってきたのではないでしょうか。(注)原昇先生の歌秋空をのぞかせ牧水なかしめし石室の窓ゆかす片雲この島に渡りて牧水その友と酒くみあひし部屋昼暗し世の中はさぞかし寒しと思うらん大寒の今日かえりしひよこ 後藤早苗今日は大寒、その名の通り大変寒い日です。そんな日に、よりによってひよこが孵った。「世の中はなんと寒いところなんだろう」そうひよこは思っただろう。ただ、それだけの歌なのですが、「世の中はさぞかし寒しと思うらん」というフレーズがけっこう心に残る気がしました。なにか作者の心にあるものが反映されているのかもしれません。こころ足る日々送りきてこの速さ君の遺影のほほえみにまかせ 藤井美智子 下の句で、ご主人が亡くなられておることが分ります。「ほほえみにまかせ」この結句がこの歌のすべてのようにわたしは感じました。朝夕にご主人の遺影を眺めるのでしょう。いかなるときにもその顔はほほえみ作者を見守っててくれるようです。いつしか作者はご主人の亡くなられたことも忘れるくらいに、こころの満ち足りた一日一日を送ることが出来るようになった。心足りる充実した一日一日はなんと速く過ぎて行くことだろう、そんな感慨にふける作者なのでしょう。 「ふかーい もりのなかを」と佳歩ちゃんは庭の小径を腰かがめ歩む 小池美恵子 子供の空想力に驚くことがあります。お孫さんの佳歩ちゃんもいろいろ空想をして無心に遊んでいたのでしょう。庭にはあるいは椿の木などもあるでしょうか、冬の庭にも常緑樹があってそれを深い森と見立てているのでしょうか。その子供の無邪気さを見つめている作者。どんな心持で眺めておるでしょうか。遠い昔をおもいだしているのでしょうか。貴重なひとときを切り取りました。(注)わたしも孫を歌ってみました。自動車と壁の隙間を抜けて来る幼子は狭き所好みてわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.23
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2月23日(土)短歌用語辞典 飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によりますが、一部省略などしています。ふ(7)ふうか(ふうくわ)風化(名詞)岩石が崩れ、長いあいだ風にさらされて、土になる現象。記憶などが薄れること。遠賀野に炭層ありし悲しみや風化硬山閉鎖坑口 前田義則風化の速度今日は速くて崩れゆく人との距離もわが身構へも 斉藤 史風化せぬ憤りいくつ女ゆゑ耐へ来て永き勤めを終る 山本かね子(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.22
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月23日(土)生と死キリストのようになろうと思う時、わたしの中には、まだわたし自身の欲望が生きています。自分自身の無能を認めてすべてをキリストに委ねる時、はじめてわたし自身がなくなりキリストがわたしの中で生きるのです。キリストのようになりたいのであれば、キリストのようになりたいというその欲望をなくさなければなりません。道徳的こころよりもキリストにすべて委ねることを優先するのでなければ、キリストと共に生きることは出来ないでしょう。わたしたちが対決する最後の敵は、聖徒になろうクリスチャンになろうと求める道徳的な欲望です。一日一生(内村鑑三)2月23日(土)わたしは主なる神のみわざを携(たずさ)えゆき、ただあなたの義のみを、ほめたたえるでしょう。神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。(詩篇七十一・十六~十八)千九百年前の昔にありて、キリスト教のすべては槽中の嬰児に存せり。その時いまだダンテの神曲あるなく、クロンウェルの英国あるあるなし。これを守るにただマリヤの繊手(せんしゅ)とヨセフの堅忍とありしのみ。しかも神の植えたまいし木はそだちて、レバノンの香柏(こうはく)よりも高きに至れり。われらいまの時にあたり、その一枝をこの地に植えんと欲して、何をか恐れん。いまや全宇宙のわれらの業(わざ)を助くるあり、また幾万の聖徒のわれらの言を証(あかし)するあり。われらにしてもしこの小暗塊(しょうあんかい)を酵化(こうか)しえずんば、後世はわれらを評して何といわん。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2月23日(土)「もし出来るなら、と言いますか。信じる人にはどんな事でもできます」。その子の父親は直ちに叫んで言いました、「信じます。信仰のない私を助けて下さい」。 (マルコ 9:23-24) 信仰の深層 彼はすぐに「信じます。信仰のない私を助けて下さい」と叫びました。「私の不信仰を助けて下さい」と言ったのです。イエスに対して全幅の信頼を捧げたと同時に、反射的に自己の不信仰を意識したのです。私たちが本気になって一生けん命にイエス様を信じようとする時に、自分に信仰のないことを知ります。しかしその時が最も信仰に近いのです。それは信仰そのものが私たちから出る力ではなく、神から与えられる恩恵だからです。だからひとかど信じているつもりの時にかえって神に遠く、自分の心の貧しさを意識する時かえって神様に近いのです。イエスの全能を信じえるのは、自己の全くの無力を意識する時です。本当に「幸いです、心の貧しい人、天国はその人のもの」であります。(マタイ 5: 3) 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.22
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月23日(土)朝の日に照らされている水面に鴨の番(つがい)か水脈(みお)引きて行く亡くなりし子の思い出はしっかりと心の中にしまっておかん早世の子はわが内に思い出として生き生きと生きているなりしっかりと日差しを浴びて蕗の薹枯草の中に花開きおり寒風に吹かれておれど蕗の薹はや春来たること告げて咲く私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.22
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2月22日(金)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるふ(6)ふいに不意に(副詞)いきなり。突然。だしぬけ。思ひがけないさま。輪郭は雪積みて不意に顕わるる池にひっそり盛りあがる水 永田和宏落ちてきた雨を見上げてそのままの形でふいに、唇が欲し 俵 万智雄の鶴となりて高きを渡りつつふいに空なき不可思議の夢 与謝野晶子(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.21
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月22日(金)幸福と不幸この世の中で最も幸福な事は、人に知られないで善行を積む事です。その次に幸福な事は、善行を人に知られ名声を得る事です。第三に幸福の事は、悪行をして成功しない事です。最も不幸な事は、悪をして栄える事です。第一の場合の人は、天国の住人となる希望があります。第二の場合の人は、現世を楽しむ事が出来るでしょう。第三の場合の人は、過去の罪を償うことが出来ます。最後の場合の人は、地獄へ落ちる危険が常に付きまといます。何れにしましても、困窮の方が安全で、繁栄は危険なのです。ですから、決して前者を嫌ってはいけないと同時に、後者を羨ましく思ってはいけないのです。一日一生(内村鑑三)2月22日(金)しかし事実、キリストは眠っている者の初穂(はつほ)として、死人の中からよみがえったのである。それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。(コリント第一書十五・二十~二十二)信者が復活するのではない、彼のうちに住(す)みたもうイエスが復活するのである。彼は義によりて生きたもうのである。しかしイエスは信者のうちにありて復活したもうて、信者と共に復活したもうのである。信者はイエスの復活の同伴にあずかるのである。彼と共に挙(あ)げらるるのである。「われ生くればなんじらも生くべし」とかれが言いたまいしはこのことである(ヨハネ伝十四・十九)かくて信者の復活に、あえて不思議なるところはないのである。イエスの復活が当然であり自然であるがごとくに、信者の復活もまた当然であり、自然であるのである。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2月22日(金)神を見た人はまだ一人もいません。ただ父のみ許にいる一人子だけが神を現したのです。 (ヨハネ 1:18) 神を現すもの 神を見たいと思うなら、イエスを見ればよいのです。神は霊ですから、神そのものを肉眼で見ることは出来ません。しかし神の一人子であるイエスは歴史上の人物であり、その言行は聖書に詳しく記されているのですから、イエスを知ることはナポレオンやリンカーンを知ると同じように困難ではないのです。 イエスを知る方法が二つあります。一つは聖書を学ぶことです。聖書はイエスを現すものだからです。もう一つはイエスを信じる人を見ることです。信者はイエスにおり、イエスはその人にいるからです。 イエスを信じる人は聖霊によって新たに生まれた人ですから、信仰に生きるかぎり、イエスの心が信者に現れます。イエスを信じることによって信者の霊(たましい)と生活に起こった変化を見れば、そこに現れたイエスの生命を見ることが出来、それによってまた神を見ることが出来るのです。 ただし信者がイエスを現すのは、その人が真の信仰にあるかぎりです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.21
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月22日(金)歌会に出席をする百二歳の渡辺さんに励まされたりようやくに産み始めたるにわとりも寒さのゆえか今日はゼロなり親離れせぬ障害のある子なり子離れ出来ぬ親のわれなり障害者福祉会より隣町脱退をする老齢化して社会主義思想に溺れし啄木の短歌に思想の押しつけはなし裂けるほど口を開きて歯の治療道路工事のごとくに穿つ私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.21
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短歌用語辞典2月21日(木)ふ(5)ふ腑(名詞)はらわた。臓腑。信玄のかくし湯花を掬い呑む胃の腑も腸も清めてしまう 山崎方代ある日澄むみづとこそ言へ澄むまでのにほひ染みたる内腑をおもふ 辰巳泰子(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.20
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2月21日(木)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。キリストそのものであれ わたしたちは、キリスト信者であることで満足してはいけません。キリストそのものでなくてはならないのです。それは、自分自身が神になろうとすることではなく、キリストと同化することによって成し遂げられるのです。英語のクリスチャンもドイツ語のクリストもキリスト信者と訳するのは誤りです。クリスチャンはキリストの意味です。「われはかれの身の枝なり、かれの肉より出で、かれの骨より出でしなり」(エペソ書五章30節)クリスチャンはキリスト以外の者ではないのです。二者が同体であることを理解できないのであれば、キリスト教のほんとうの教えをさとる事は出来ないでしょう。一日一生(内村鑑三)2月21日(木)というのは、たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、そして、多くの神、多くの主があるようではあるが、わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。(コリント第一書八・五~六)天地は広し、人は多し、されどもそのなかにただ二人あるのみ。神とわれとこれなり。彼、われを愛し、われまた彼を愛し、われは彼の命に聴いてすべてのことをなす。われは彼に誉(ほ)められて喜び、責められて泣く。彼に善とせられんことは、わが終生の目的なり、われ、彼と共に働き、彼と栄光と恥辱とをわかつ。彼、崇(あが)めらるればわれ歓(よろこ)び、彼、?(けが)さるればわれ怒る。われ、彼にわが手をひかれて彼の造りたまいし宇宙を逍遥し、その中のすべての獣と空のすべての鳥とを示され、わが生物に名づけるところはみなその名となる。われはまことに今の世にありて、始(はじめ)のアダムなり。われのほかに人あるなし。ただ神、われとともにあるのみ。神とわれとのみ。ゆえにわれは彼にありて、万人と万物とを愛す。われは神によらずして、何物にもつながらず。また神によりてすべての者につながるなり。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2 月 21 日(木)パリサイ人、律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩く事を好み、街中で敬礼されることを愛し、教会の上席を占め、宴会(えんかい)の上座を好みます。そしてやもめの家をくいものにし、人に見られるため長い祈りをします。彼らは厳しい審判を受けなければなりません。 (マルコ 12:38-40) 宗教家の偽善 純粋な真理と、真理に似て非なるものとの間には、特に鋭利な峻別(しゅんべつ)を立てなければなりません。表面的には、パリサイ人もイエスと同じく宗教改革者であり、道徳を守る者でありますが、彼らは人間主義であり、神より出たイエスの思想とは根本的に立場が異なるのです。思想的立場の差異は、現実の生活態度上に差異となって現れます。イエスに私はありませんが、パリサイ人の学者には私があります。イエスは自分を捨てて人に仕えますが、パリサイ人の学者は自分を立てて人を支配します。イエスは貧しいですが、パリサイ人は富みます。イエスは弟子にも十字架の道を歩ませますが、パリサイ人の学者は弟子のために栄達をはかります。木はその果によって知られ、思想の真偽はその人の生活によって知られます。真理の純粋性を重んじられるイエスが、パリサイ人の偽善をはげしく詰責したのは、当然のことです。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.02.20
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月20日(水)透析の副作用なるか眼の受診するため妻を送りて行けり診察を受けている間(ま)を車にて本読みながら妻を待ちたり駐車料支払いている受診印もらい忘れし妻叱りつつ枯れそうな受粉樹の梅一二輪祈りのごとく花開きたり枯れそうな受粉樹のこと七十になり気に留めしものの一つに私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.20
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2月20日(水)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ふ(4) ふ斑(名詞)地色の中に他の色がまばらに混じっているもの。ぶち。まだら。斑点。冬枯れのこの山里に斑にふれる今朝のはつ雪うつくしきかも 中村憲吉枝打ちし杉檜(すぎひ)の幹にいくとせか消えざりし斑をせみと呼ぶなり 前 登志夫かなしみに溺れきれねば葉桜のかげをきたりて日の斑にまみゐる 米田 登尾羽の斑の白き見せつつよたよたと椋どり四、五羽草小田に飛ぶ 玉城 徹杜鵑草(ほととぎす)のむら斑の花はあはれなり北の翳れる窓べに散りて 小谷心太郎 (つづく)短歌用語辞典
2013.02.19
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月20日(水)苦しい境遇に感謝神は、時としてわたしたちを窮地に追い詰め、そしてわたしたちを救って下さいます。それは、わたしたちの無能と神の大能を教えるためです。私たちは、神によって造られたものであるのに思い上がって、運命を変える力があるかのように錯覚し、神に頼らずに事をなそうとします。ですから、神が時にはわたしたちを見捨て給うのは大変良い事です。そうでなければ、常に神が救って下さっているのを忘れて、無神論者となり生涯を送るようになるからです。一日一生(内村鑑三)2月20日(水)見よ、わがしもべは栄える。彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。多くの人が彼に驚いたように…彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異(こと)なっていたからである…彼は多くの国民を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつぐむ。それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。(イザヤ書五十二・十三~十五)復活はまことに大いなる奇跡である。しかしながら、品性の純聖はさらに大いなる奇跡である。しかしてこの奇跡があって、かの奇跡は奇跡ではないのである。イエスの在りしことがすでに奇跡中の最大奇跡である。道徳の法廷において一点の指(さ)すところのなき人のありしこと、そのことが最大の奇跡である。しかして復活はこの人にあったことである。これを自然の結果と見てあやまらないのである。イエスは人であって人でないのである。しかして内が外にあらわれんがために、体(からだ)が霊にかなわんがために、彼の場合においては、生は死に勝ちて、彼は死して、より高き形状(ありさま)において復活したのである。「矢内原忠雄の今日の言葉」2月20日(水)その日は寒さも霜もありません。そこに続く日は昼もなく夜もなく、そして夕暮れに光があります。その日には生ける水がエルサレムから流れ出て、その右のものは東の海にその左のものは西の海に流れ、夏も冬もやむことがありません。 (ゼカリヤ 14: 6-8) 冬日 風のない冬の日は、一年中で私の最も好む季節です。ちりがなく、湿気がなく、うわついていず、閑静(かんせい)で、おちついて、引きしまっています。実は落ち、葉は散り、草木は一年のつとめを終えて、満ち足りています。しかもその裸の枝に新しい生命があたたかく流れています。枝にしっかりとしがみついている小さい芽は、冷たい空気に鍛えられつつ、内側からの生命で守られて、春の日の紅花緑葉(こうかりょくよう)を待ち望んでいます。冬の陽射(ひざ)しをあびている枝を見れば、そこに信仰と愛と希望の虹(にじ)がかかり、ほのぼのとした暖かさが心に感ぜられるのです。 内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.19
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月19日(火)紅梅が細枝にまで花咲かせ真赤になりて小鳥いざなう朝(あした)から冷たい雨が降りている国会中継見つつけだるし幾千の露の付きたる枝垂桜枯れ枝おおうつゆのひかりが吹き込みてなれる雨漏れ該当はせぬと保険の会社は言えり吹き込みでなく屋根自体損傷し雨漏れすれば保険下りるもわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.19
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2月19日(火)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ふ(3)ふ訃(名詞)死去のしらせ。訃音(ふいん)。訃報。訃電。骨太の手の感触を思ひゐつ寒の日を友の訃にうちのめされて 木俣 修訃といふは常に寂かにしかれども木末(こぬれ)さわ立つ風かと思ふ 岡井隆坂の傾斜のふしぎに美しき朝にしてはるばるとくる人の訃報は 真鍋美恵子(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.18
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月19日(火)主義と政略 オ-ソドックス(正統)を唱えるのも良いでしょう、しかしながら政略のために唱えてはいけません。新しい神学を唱えるのも良いでしょう、しかしながら政略のために唱えてはいけません。憎むべきは、主義ではなくて政略です。教会の崩壞を恐れ、教会における地位の失われることを恐れ、また世間から異端視されることを恐れて、オ-ソドックス主義を唱えるのは罪悪であり、新神学を唱えるのも罪悪です。真理は教会より偉大です。ですから、真理を究めるためには、われわれは絶対的に自由でなくてはなりません。しかし、政略を真理を求める道に混合させないように注意しなくてはならない。 内村鑑三一日一生より2月19日(火)その魂は墓に近づき、その命はほろぼす者に近づく。もしそこに彼のためにひとりの天使があり、千のうちのひとりであって、仲保(ちゅうほ)となり、人にその正しい道を示すならば、神は彼をあわれんで言われる、「彼を救って、墓に下ることを免(まぬか)れさせよ、わたしはすでにあがないしろを得た」。(ヨブ記三十三・二十二~二十四)人類は神から堕落したのであります。彼が「天の門」において、神の側(かたわら)において、神と共に持つべき位置から堕落したのであります。彼に臨みしすべての悲痛は、この堕落に原因しているのであります。罪の中の罪とは、神をすてさることであります。したがって救いの何であるかがわかりましょう。救いは先ず第一に人を神に連れかえることであります。そうしてキリストの十字架は、神と人との間に立ちて、この独特の用をなすものであります。キリストは道徳を説いてわずかに人の心の改善をはかりたまいませんでした。彼は罪そのものを滅ぼしたまいました。すなわちキリストによって神と人の間にありし離隔は取りさられました。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2月19日(火)後の日、私がイスラエルの家に立てる契約はこれです。すなわち、私は、私の法を彼らの内に置き、その心に印します。私は彼らの神となり彼らは私の民となります。人はもはやそのとなり人や兄弟姉妹に教えてあなたは主を知りなさい、とは言いません。それは彼らが小さい人から大きな人まですべてが個別に私を知るようになるからです。 (エレミヤ 31:33-34a) 個人の神 神は各個人、一人一人の神であり、一人一人の間に人格的交渉をもたれます。神は各個人を個別的に保護し、個別的に教えなぐさめ、個別的に話しかけられます。したがって人もまた各自個別的に神に対して責任を取り、また個別的に神と口をきかなければなりません。神が人と個人的交渉をもたれるのは、神が単なる概念的・法則的存在でなく、人格的実在だからです。イエスの神は生ける人格神です。 神は個人を復活させます。すなわち地上生涯および復活生涯を通して、永遠に各個人の神であります。人の生命は復活によって各個人ごとに永遠です。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.18
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月18日(月)新聞に入選せんするも平静を装いている妻が知るまで嬉しくも読売歌壇に採られたり岡野弘彦選はことさら短歌にて悩めるわれのしあわせよ隕石落下の記事を見ている久しぶり雨漏りがする強烈な春一番のせいかもしれぬ雨漏りも仕方がなきか建ててより三十五年過ぎしわが家わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.18
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読売歌壇(平成25年2月18日) 岡野弘彦選 3席入選 後藤瑞義 一回は読んでもらえるしあわせよ載る載らざるをわれは思わず(評)投稿の心をこんな風に歌われると思わず粛然として、投稿者と選者の間にかよう思いを考えさせられる。わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.18
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2月18日(月)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によりますが、一部省略などしています。ふ(2)ふ生(名詞)草木などのおい茂っている所。「う」とも。 築堤の高き運河の底伝ふながれ音なし葦生わけつつ 下村百合子山国にきけばこほしも夕早く杉生におこるかなかなのこゑ 武田三千夫川瀬には南の岸に雪あれど竹生あたたかし岩に日てりて 土屋文明夜もすがらの嵐に伏しし麦生田をもんしろ蝶のいくつが越ゆる 秋山千枝(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.17
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月18日(月)キリストそのものであれ わたしたちは、キリスト信者であることで満足してはいけません。キリストそのものでなくてはならないのです。それは、自分自身が神になろうとすることではなく、キリストと同化することによって成し遂げられるのです。英語のクリスチャンもドイツ語のクリストもキリスト信者と訳するのは誤りです。クリスチャンはキリストの意味です。「われはかれの身の枝なり、かれの肉より出で、かれの骨より出でしなり」(エペソ書五章30節)クリスチャンはキリスト以外の者ではないのです。二者が同体であることを理解できないのであれば、キリスト教のほんとうの教えをさとる事は出来ないでしょう。一日一生(内村鑑三)2月18日(月)その怒りはただつかのまで、その恵はいのちのちかぎり長いからである。夜はよもすがらなきかなしんでも、朝と共に喜びが来る。(詩篇三十・五)主は怒りたまわざるにあらず。われらに刑罰の臨まざるにあらず。されどもこれただ暫時のみ。彼の恩恵(めぐみ)は延びて終生にわたるなり、懲罰は例外なり、しかして恩恵は常則なり。涙は時にうかばざるにあらず、されどもこれ単に旅人の一夜をわが家にすごすがごとし。朝来れば彼は去り、しかして歓喜(よろこび)は彼に代わりてとこしえにわれと共にすむなり。苦痛は暫時のみ、歓喜は永久なり。涙は旅人のごとくしに去りて、感謝は家人のごとくにして来り住む。しかり、歓喜は朝とともにきたらん。旭陽、暗黒を拝(はい)して昇る時に、わが唇に賛美の声あがる。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2 月 18 日(金)苦難に会ったことは私に善でした。これによって私はあなたのおきてを学ぶことができました。 (詩篇 119:71) 苦難の恩恵 神は、彼を信じる人に意味なく苦難の日を下されるのではありません。苦難の日は恩恵の日です。神はこれによって彼の愛される人に対し、さらに大きな働きとさらに完き幸福のために必要な準備と訓練を与えられるのです。ダンテに流浪(るろう)の日がなければ『神曲』は成らず、ミルトンに失明がなければ『楽園喪失』は成らなかったように、ダビデがサウルの怒りに追われ、人々の裏切りにおびえつつユダの荒野を逃げまわった日々は、後年彼がユダヤの王として立つために、神が与えられた特別の訓練でした。彼はこの間に人を率いる軍事的能力と、人を治める政治的才能とを学び、とりわけ何よりも真実の祈りと嘆きに耳を傾けられる主のあわれみを深く知ることが出来たのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.17
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月17日(日)枯草に止りているはめじろなりヒヨドリ去るを待ちているらし大島の椿を見んと出掛けたる妻を待ちおり一人の家に妻おらぬ日曜なれば今週は子は帰宅せず施設に過す週二日帰宅する日を待ちわびて子は施設にて過しいるらし親離れ出来ぬ障害持つ子にてわれも子離れ出来ぬ親なりvc_pid=877935733&vc_vcptn=blog%2Fp%2FAysRdpD1D6aphp3dZWi0gs8-&vc_text=%A4%EF%A4%AC%B2%C8%A4%CE%C5%B7%BB%C8%A1%A1%B2%CE%BD%B8&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fcau1books%2F9784434130373.html私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.17
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2月17日(日)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるふ(1)ふ不(接頭語)打ち消しの意をあらわす。否定する意をあらわす。春先の風に吹かれて歩みゆく不信にゆだね居るべきならず 水野昌雄不快なる夢を覚(さ)めんと努力して漸くさめしとき疲れをり 佐藤佐太郎春みじかし何に不滅(めつ)の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ 与謝野晶子建つるなら不忠魂碑を百あまりくれなゐの朴ひらく峠に 塚本邦雄八十八年いま生きている、いつ死んでも不足ない歳(とし)がある筈はない 佐々木妙二(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.16
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月17日(日)想像と実際わたしは、人間はみな善人であると想像しました。しかし、実際には人はみな悪を持っていることを知りました。わたしは、善をもって人に接すれば、人は必ず善をもって報いてくれると想像していました。しかし、実際には善をもって接すればかえってわたしを侮ることを知りました。わたしは、どうしたらよいか迷ってしまいました。そして、わたしは決心しましました、キリストを信じようと。キリストを信じ、キリストのように人に侮られても善をなそうと。人は、自分の力で人を愛することは出来ないと知りました。人は、キリストの愛に励まされて、はじめて本当に人を愛することが出来るのです。一日一生(内村鑑三)2月17日(日)あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過すようにと、あらかじめ備えてくださったのである。(エペソ書二・八~十)われにしてみずから悔い改むるにあらざれば神はわれを救う能(あた)わずとは、偽預言者と偽牧師のしばしばわれらに告げしところなり。しかり、われは悔い改めざれば救わざるべし。されども神は聖霊をもってわれを悔い改めしめたもう。われみずから意志の努力をもって悔い改めしにあらず。これ到底われのなしえざる業(わざ)なり。されども神、われに宿り、わが意志をもって彼の意志となし、しかして彼の意志の能力(ちから)をもってわれが悔い改めしめたもう。われ独力をもって悔い改めしにあらず、しかも神はこれをわが悔い改めとして受けいれたもう。ああ、神秘中の神秘とは神と意志との神秘なり。しかも贖罪(しょくざい)の神秘は、この神秘の中に存す。われらは哲学的にこれを証明しあたわざらん。しかももっとも確実なる事実としてわれらはこのことを知るなり。そはわれらの意志に関する事実は、もっとも確実に知りうればなり。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2月17日(日)主はこの地に住む人と争います。この地には真実がなく、愛がなく、そして神を知ることがないからです。ただ呪(のろ)いと偽りと人殺しと盗みと姦淫(かんいん)することのみで人々は皆荒れ狂い、血に血を流しています。 (ホセア 4: 1-2) 日本の社会 日本の社会について耐え難きものは、第一にマージャン、競馬、競輪、競艇(きょうてい)等、公然の賭事(かけごと)の流行です。これらの賭事は勤労の習慣をそこない、金銭と時間を浪費し、家庭の悲劇を招きます。 ・・・ 第二は、いわゆる「セックス」に関する露出(ろしゅつ)的な記事や映画の氾乱です。これが人のデリケートな感受性をそこない、道徳性を低下させる影響にはおそるべきものがあります。 ・・・ 第三は、持って生まれた黒髪を赤く染め、あるいは脱色して金髪まがいにする女性の風俗です。日本人には日本人として与えられた美があります。それを捨てて、西洋人の模造をもって美であると考えるほどに、日本の婦人は精神の倒錯(とうさく)を来たしたのです。 第四は、新興宗教の流行です。その多くは病気の治療を説く御利益(ごりやく)宗教であって、真の信仰を害うことは無宗教よりもはなはだしいです。 自由、自由、自由、日本は世界一、何でも自由な国です。神を畏れることなくして人間が自由になった国、それが今日の日本です。このような社会を、サタンは最も好んで来て住むのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.16
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月16日(土)紅梅の蜜の吸い季(どき)心得てめじろは群れとなりて飛びくる野良犬の坐りていたる草むらを覗きて見るに今朝は見えざり湧き出(い)ずる泉のほとり蠟梅の花が匂えり水のごとくに百二歳九十五歳歌会の最年少は七十のわれ千余年続いてきたり日本の短歌(うた)に流るる目に見えぬもの私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.16
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短歌用語辞典2月16日(土)ひ(88)ひんがし東(名詞)ひがし。東方。「ひむがし」の音便。出づる日のひんがし方の大き海明けんとしつつ闇を抱ける 大塚布見子海を見ず過ぎてゆく夏 ひんがしの社会政権崩(くえ)てゆく夏 道浦母都子銀の簾ゆらげるさまに東(ひむがし)へわたる日照雨(そばへ)は秋の国原 前 登志夫(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.15
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2月16日(土)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。神につかえる時期神にささげるものは、最善最美が望ましいのです。生涯での最も善い時期をもってすべきでしょう、老衰しきった時期ではなく、失敗を重ね余命いくばくもない時期ではなく。神御自身は、人間がいつでも自分のところへ帰ってくるのを待っておりますが。神御自身は、人間の生気旺盛な時期を必要としておるのです。しかし、人間は青年時代を肉欲放縦に費やし、壮年時代は野心遂行のために濫用し、老い朽ちようとする時になって神のもとに帰って来るのです。これは、本当は神の喜び給わないことなのです。一日一生(内村鑑三)2月16日(土)イエスは彼らに近づいて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにパプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。(マタイ伝二十八・十八~二十)三位一体の教義は道徳的教義であります。これを信ずるによって、人の人生観はまったく一変します。これをこばみます時に、彼の品性の変化ははじまります。キリスト教のすべての教訓はこの教義と大関係をもっています。これを取っても捨ててもよいと思う人は、いまだキリスト教を了解しない人であります。そうして、キリスト教が世を救うための実際的勢力でありまする以上は、三位の神を信ぜずしてこの勢力を維持することはできません。わたくしはわたくしの聖書を照らしてみまして、またわたくしの理性に訴えてみまして、ことにまたわたくしの実験的生涯に応用してみまして、主の神は三位一体の神でなくてはならないことを信じて疑わないのであります。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2月16日(土)「どうして私はこの子たちを得たのでしょう。私は子を失い囚われ、また追い出されていたのに、だれがこの子たちを育てたのでしょう。私がただ一人取り残されていた時この子たちはどこにいたのでしょう」。 (イザヤ 49:21) 子供の死 ヨブはその子を失った時、「主は与え、主は取られます。主の聖名はほむべきです」、と言いました。 主のなされるところはすべて正しく、すべて善いのです。だれもこれに対して抗弁することは出来ません。信じてこれを受ければ、すべての事が感謝になります。ただ私たちの悲哀が全き賛美と転化するためには、私たち自身の信仰の訓練が必要です。私たちの信仰の進歩に伴って、失った子についての思いは限りなき嘆き悲しみから、完き賛美へと移って行きます。それはついに復活のあした、神の御前において完成されるべき信仰生活の過程です。 世に子を失った家庭はあまりにも多いです。財を天に積んだ人のように、子を天国に送った親たちの心が天に向けられるならば幸福です。星が旅人をみちびくように、天にある愛児のほほえみによって地上の旅路を信仰によって歩む人は幸福です。私たち自身の信仰生活の歩みが、すべてを解決する鍵なのです。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.02.15
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/2月15日(金)紅梅は紅梅として白梅は白梅として咲くばかりなり寒き雨降りしきるなか出かけ行く予約しいる町の歯医者にわが口の小さきことを思い知る歯を治療するときはなおさら裂けるほど口は開けられ苦しかり道路工事のごと歯の治療失敗をしたと言いては麻酔かけまた歯の研磨繰り返したり来週の金曜日また予約して肩の荷おろし歯科医院出ず私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.02.15
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2月15日(金)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ひ(87) ひん貧(名詞・形容動詞ナリ活用)まずしいこと。不十分。足りないこと。「貧寒(ひんかん)」は貧しく寒々としているさま。貧は貧を互(かた)みの口(くち)に貶しめて共に生き来ぬ一つ海の村に 岡部文夫悲しみの幾何(いくばく)が貧にかかはらんきさらぎの夜土に降る雨 長沢一作 花に寄る心はいつの頃よりか貧にして饑(うゑ)を知らぬ少年 土屋文明貧寒の生にはあらずわれの掌(て)に鋏鳴り白玉椿一枝 富小路禎子(つづく)短歌用語辞典
2013.02.14
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月15日(金)青年と老年思想がすべて実現したと言う事は、終末に達したという事です。思い通りに実現した時、その人は最終に達したのです。常に若くあろうと思うのであれば、常に実現できないような事を考える事です。青年は夢想する人の事です。夢想をやめ、利害を考えるようになった時、その人は老年となったと言えます。常に不可能なことを計画する人、常に大変革を望む人、常に詩人のように夢想する人、常に利害の念にうとい人、常に危険を感じない人、このような人は青年であり、意気壮んな人です。すでに可能な計画を立て、すでに温和主義を主張し、すでに散文的、事務的に物事を処理し、利害の念に鋭く、足元に注意を怠らない人は、年齢を問わず、老年の人であり、すでに廃棄物と言えるでしょう。一日一生(内村鑑三)2月15日(金)さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(ヘブル書十一・一)信仰は人によって迷信のごとくに見える。信仰はたしかに一種の冒険である。これにしたがって、あるいは失敗におわるかも知れない。しかしながら、信ずる者は信仰の迷信でないことを知る。信仰は心にひびく神の声に対する信者の応諾(おうだく)である。彼は形体(かたち)を見ない、また証明を持たない。しかしながら彼はたしかに信ずるのである。しかり、信ぜしめられるのである。彼にとりては、信仰そのものが見ざるところの物の証拠となるのである。彼は言うのである。われに信仰起これり、ゆえにこれに応ずるの実物なかるべからずと。実物をもって信仰を証明するのではない、信仰をもって実物を証明するのである。これが信仰の力である。この力なくして、信仰はこれを信仰と称するにたりない。「矢内原忠雄の今日の言葉」2 月 15 日(金)あなたが祈る時は自分の部屋に入りドアを閉めて、隠れた所に在ますあなたの父に祈りなさい。そうすれば隠れたことを見ている父は公開であなたに報いてくださるでしょう。 (マタイ 6: 6) 秘密 祈りは神と自分との秘密の会合です。これは人に知らすべきでなく、また人に知られるべきでありません。 自分と神とだけである時、真の自分の孤独があります。これは何人ものぞき見することを許されない自分の心の秘密です。 自分と彼と神とだけである時、真の友情がそこにあります。そこに自分のかわきをいやす愛の泉があり、自分の心をあたためる愛のストーブがあります。それは他の人々に力とあたたまりを注ぐ源泉でありますが、源泉そのものは人には秘密の世界です。 自分と兄弟姉妹たちと神とだけである時、そこに真のエクレシアがあります。これは世にあってのオアシスであり、ホームです。世を照らす光はそこから放たれますが、世はその中を見ることは出来ず、またこれを世に開放すべきでもありません。私たちは世を知りますが、世は私たちを知らないのです。 神と共なる秘密の場所でなければ、祈りは実を結ばず、愛は育ちません。従って公開の場所における戦闘力も生じないのです。イエスが密室の祈りを教えたのも、この理由によるのです。 内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.14
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2月14日(木)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ひ(86)びわのはな(びはのはな)枇杷の花(名詞)初冬、梢近く白色五弁の目立たない花を円錐状に開く。水雪はしまらく降りてやみにけりひかりこほしき枇杷の木の花 岡部文夫枇杷の花白く凛たり朝に見て夕べ見てわが冬を越えゆく 山本かね子苦しみて生きつつをれば枇杷の花終りて冬の後半となる 佐藤佐太郎怒りたることも虚しく冬の日に永く咲きゐる枇杷の花むら 馬場正郎(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.02.13
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。2月14日(木)春と霊春が来ても、もし神の霊がこころに来ないのであれば少しも嬉しくありません。わたしは、主のうるわしさがないのであれば、花のうるわしさを喜びません。わたしは、花の中に主のうるわしさを見ようと望んでいるのです。もし神が春の山野をうるわしくなさるように、わたしのこころをも神の霊で満たして下さらないのであれば、春の山野を見てもただ悲しくなるだけです。来て下さい、聖霊よ、来てわたしの心の中を春の山野の美しさに劣らない歓喜で満たして下さい。内村鑑三一日一生より2月14日(木)神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召してくださったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのでなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜っていた恵み、そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。(テモテ第ニ書一・九~十)現世はわれらの理想を行うにはあまりに不完全なるところであります。もしこの世が万事をおわるものでありまするならば、人としてここに生まれ来りましたのは最大の不幸であると思います。世に辛いこととて、理想を持って理想を行えないくらい辛いことはありません。しかるにすべての高尚なる人の生涯みなこの「充たされざる理想」の生涯であります。理想にかなう実物の存在するのがこの宇宙の法則でありますのに、現世には吾人の理想にかなうための実物がありません。このことが来世の存在のもっともたしかなる証拠ではありませんか。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2月14日(木)今、私たちはおぼろげにしか見ることができませんが、完きものが来る時には顔と顔を合わせるようにはっきり見るでしょう。私の知るところは今は一部分にすぎませんが、かの時には私が完全に知られているように完全に知るでしょう。 (第一コリント 13:12) 信仰の知識 信仰の知識はだれにでもわかりますが、また同時に、一生かかってもだれにもわからないものです。自己の救いに関することは信じさえすればだれにでもすぐわかります。しかしその他のことは、長い信仰の生涯を送って行くうちに、聖霊の導きにより、自然にわかるともなくわかって行くものです。 それゆえに、今私たちの明らかに知り得ない事柄があるとしても、そのために自ら思いわずらう必要はなく、また軽々しく人に質問すべきではありません。質問しても、それによって、わかるような事柄でないことが多いのです。例えば、キリストを宣べ伝えられないで死んだ私たちの先祖は、私たちと同じ天国に入るかどうか、聖書はこういう事柄については、答えていないのです。従って私たちがわかろうとして努力することは無理であり、それよりは私たち自身が天国に入ることが出来るよう、常に祈るべきです。私たち自身が天国に入って見れば、地上において私たちの解りたくて十分わからなかった知識や、願って十分かなわなかった希望が、満ち足りるまでに示され、与えられていることを見出すでしょう。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.02.13
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