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短歌用語辞典6月1日(土)ほ(42)ほのと仄と(副詞)かすかに。ほのかに。わずかに。ほんのり。透明のグラスにそそぐ桜湯の桜はほのと蘂立てにけり 大西民子黄の色のほのとさしつつ枇杷の果(み)の肌(はだへ)もゆるく汁(つゆ)づきぬらむ 高木一夫ほのぼの仄仄(副詞)ほのか。かすかなさま。ほんのり。人情に暖かみのあるさま。ほのぼのと紅(くれなゐ)ゆらぐばらの垣やうやく暗くわがふたりゆく 五味保義追悼の文といえどもほのぼのと342とうちて三四二と変換(なお)す 永田和宏ほのぼのとうさぎのみみの立ちをればくれなゐさせる耳の穴あはれ 小池 光ほろにがくあまくせつなくほのぼのと桑名の駅で買いし蛤 福島泰樹(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.31
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6月1日(土)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。神の救い自分自身反省することは、自分の中にはなんら善いものが見つけられないと言うことです。こころの中は、汚れ、悪念、邪欲、貪婪(どんらん)などです。このような悪しきものを自分自身で取り払わなければ、神にちかづくことが出来ないのであれば、わたしは到底神に近づくことは出来ないでしょう。しかしながら、神はわたしの罪よりも大きな存在です。神はわたしが罪のある人間であるにもかかわらず、わたしを救って下さるのです。神はわたしのためにわたしの中の罪を殺して、わたしを神の従者にして下さるのです。わたしが救われることの唯一の希望は、ひとえに神の御恵みにかかっておるのです。もし神がわたしに御恵みを下さらないのであれば、わたしの救われる希望はまったくなくなってしまいます。一日一生(内村鑑三)6月1日(土)五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集っていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同すわっていた家がいっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分かれて現われ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(使徒行伝二・一~四)6月の初めにあるいは出て野を耕し、あるいは入りて筆を執る。わがなすところ小にして人に知られず、されども、われにもし謙遜(へりくだ)りたる祈祷の心あらんか、われは神と共に働きつつあるなり。その時、われは宇宙と共に運転し、万物と共に進化す。その時、「もろもろの星はその軌道にありてわが敵を攻め」(士師記五・二〇)、山と岡とは声を放ちてわれに味方す。われはひとり神と共にありて、大軍を指揮して世に勝ちつつあり。(信七・一四三)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6月1日(水) 人生の旅路の半ばで、正しい道を失い、暗い森の中に自分を見出します。 (ダンテ「神曲」地獄篇第1歌) 人生の半ば すでに人生の経験をし、人生の旅路半ばに達し、いろんな事に、家庭問題におい ても学問の問題においても政治の問題においても、出会ってみると、もはや罪という 問題はただ感情的に感傷的にこれをながめたり、あるいはふけったり、味わったり する問題でなくなって、非常に現実的な強さをもった力をもって私たちの首筋(くびす じ)を押さえてしまいます。そこで自分の人生が暗くなり、これではいけない、自分の 生き方についての根本的な反省をしなければならないという事になるのです。 ・・・ 人生の実生活にぶつかってみて初めて罪の自覚が観念的な、あるいは感情的な 問題でなしに、真に死活問題となって自分に迫ってくるのです。この「神曲」の初めの 三行の中に人生のリアリティ(現実)、人間のとしての無限の悲哀(ひあい)がたたえ られています。これを夜静かな時に口ずさんでみると、人類の悲哀が自分を圧倒す ることを感じます。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.05.31
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月31日(金)二十年前のわが歌読みておりみずみずしきぞこれらわが歌靴底のひび割れたるに気づきたり朝露つける草を踏みつつ草の道踏みて歩めば靴下が湿りてきたり清き朝露草原にあまねく朝の光差し葉先の露に光生るる栗の木にあまたの髭が伸びはじむ花を咲かせる準備となして枇杷の実にようやく色がつき始む去年漬けたるびわ酒を飲むか私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.31
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5月31日(金)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ほ(41) ほのか仄か(形容動詞ナリ活用)かすか。ほんのり。うっすら。夕いたり石は抒情すほのかにもくれないおびて池の辺にある 加藤克巳雨傘をはらりひろげて逢はむとす天はほのかに杉にほひたる 岡井 隆夕暮れて路地にかがみぬほのかなる花のにほひはたんぽぽにもあり 宮地伸一ほのかなる山姥となりしわが妻と秋咲く花のたねを蒔くなり 前 登志夫(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.30
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月31日(金)見えないものだから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされてゆきます。なぜなら、このしばらくの軽い艱難が働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。私たちは、見えるものにでなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であって、見えないものは永遠に続くのです。(コリント第二書四の16~18)一日一生(内村鑑三)5月31日(金)あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか、主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることがない。(イザヤ書四〇・二八~三一)キリスト教は霊的宗教である。キリストはわが霊魂の救い主である。わが繁栄の城は地ではない。天である。かく言いて、われらはもちろん好んで短命に終るべきではない。使徒ヨハネはよく百歳の寿を保ちて、最も霊的の生涯を送り、最も霊的の福音を伝えた。要は肉に死して霊に生きるにある。地上におけるわが事業の成功を期せざるにある。人の称賛をしりぞくるにある。常に理想を追うにある。終りまで青年の希望をいだくにある。好んで逆境に立つにある。成功に臨んでは、さらに高き理想を求めて生命の固定を避けるにある。この世とその勢力にたいしては常に戦闘的態度に立つにある。生命は流動する。凝縮しない。生命は抵抗す。征服せられない。願わくは恩恵ゆたかにわれらに加わりて、われらもまた永久に老いず、神の若き子供として存せんことを。(信二〇・二六八)5月の終りに桶職(おけしょく)一、 わたしはただ桶を作る事を知るそのほかの事を知らない政治を知らない、宗教を知らないただ善き桶を作る事を知る二、 われはわが桶を売らんとて外に行かない人はわが桶を買わんとて、わがもとに来るわれは人の、われについて知らんことを求めないわれはただ家にありて、強き善き桶を作る三、 月は満ちて、また欠ける年は去りて、また来たる世は変わり行くも、われは変わらないわらは家にありて、善き桶を作る四、 われは政治のゆえをもって人と争わないわが宗教を人に強(し)いんとしないわれはただ善き強き桶を作りて独り立ちて、はなはだ安泰(やすらか)である (信二二・三五六)「矢内原忠雄の今日の言葉」5月31日(金) 私たちはみんなで七人です。二人は教会の木の下で、墓の中に休んでいます。 (ワーズワース「私たちは七人」) 私たちは七人 ワーズワースの詩に合わせて「私たちは七人」と歌うとすれば、私は学生時代から 四十年にわたる信仰の友情を結び、同じくキリスト福音の使徒として立てられた七人 を思います。その中の三人はすでに召されて天にあり、四人は地に残ります。しかし 主に在って私たちは今も七人です。ああ若き日に結ばれた信仰の友情は、なんとな つかしいのでしょう。四十年後の今日なお信仰を共にし、同じ恩師(おんし)の記念 講演会に講壇(こうだん)を共にして、福音のための戦いを共に戦います。なんとう れしいことでしょう。私たちは七人です。そうです、私たちは今もなお七人です。 一人また一人、天に召される人が加わり、地に残る人が減るでしょう。しかし私た ちは永遠に七人です。復活のあした、七人が主の御もとに顔をそろえる日まで、私 たちは常に七人です。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.30
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月30日(木)紫陽花は未だつぼみのままなるに早や入梅となりてしまえり両の手に掬えるほどの水溜り底知れぬ空映し澄みおりクラス会近づいているあと三日6月2日表参道鶏(とり)の餌探して雨のなか歩く靴底のひび気にかかりつつ株などの投資は今はしていぬが株価の変動気にかかるなり私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.30
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5月30日(木)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ほ(40)ほのお(ほのほ)炎・焔(名詞)赤く燃えたつ火。燃えさかる心。業火。環状に掘られし二十の野の窯にのび上りつつ炎はもゆる 尾崎左永子わが髪膚炎となりて飛ぶきわみ見えかくれせる夜半のたぬしき 上野久雄ろうそくの炎もつつむくら闇は摑んでみたが手ごたえがない 山崎方代(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.29
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月30日(木)健康以上の幸福生命と健康とは大きな恩恵です。しかしながら、死に勝つ能力はさらに大きな恩恵です。私たちは、祈って健康を回復することが出来ないかもしれません、しかしながら神は健康回復よりさらに優れた死に打ち勝つ能力を与えて下さるのです。私たちは、いかなる人間であろうと、一度は必ず死ななければなりません。この必ず死ななければならない私たちにとって、死に打ち勝つ能力は神が与えて下さる最大の恩恵と言わなければならないでしょう。幸いなるとは、キリストによって死に打ち勝つことです。内村鑑三一日一生より5月30日(木)よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである、しかし、もし死んだら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。(ヨハネ伝一二・二四~二五)人を助けんとするにあたって、外よりこれを助くるなかれ。内より助けよ。彼自身となりて助けよ。すなわち彼に、人に助けらるるの感を起こさしめずして、彼を助けよ。これ真正の虚心たるなり。キリストがおのれを虚(むな)しゅうしたまえりというは、この事をいうなり。彼は聖霊として人を助けたもう。すなわち彼を愛する者の意志となりて彼らを助けたもう。われらは彼に助けらるる時に、彼のわれらを助けつつありたもうを知らず。われら自身、おのれを助けつつありと思い、後に至り、回顧して、彼のわれらを助けたまいしを悟るなり。かの、援助を口にし、これをもたらして人に臨む者は、真に助くる人にあらず。まず自己を人に与うるにあらざれば、真正に彼を助くるあたわざるなり。(信八・一二六)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5 月 3 0 日(木)イエスはニコデモに言いました、「本当にあなたに言います。だれでも新しく生まれな ければ神の国を見ることは出来ません」。ニコデモはたずねました、「人は年をとっ てからもう一度母の胎に入って生まれることができましょうか」。イエスは答えまし た、「よくよくあなたに言います、だれでも水と霊から生まれるのでなければ神の国に 入ることはできません」。 (ヨハネ 3: 3-5) ニコデモ 信仰に入るのに年令は問いません。年少の日に造り主をおぼえる人は幸いです が、神を信じるのに遅すぎるということはありません。少年の時神を信じて永遠の生 命に入る人、晩年に神を信じて同じく永遠の生命に入るがいます。この世に生きて いる間に信仰に入ることができれば、それで人生の意義は達せられたのです。 老人は青年のように早わかりしません。その地位と教養と習慣とが心をかたくなに して、容易に新たに生まれ変わりません。しかし老人が一度イエスを救い主として心 に迎え入れたあとは、青年の信仰のように世の誘惑と困難にもまれて色あせて行く 心配がなく、「試みを経た石」のように堅く立って動揺しません。そればかりでなく老 年の心も信仰によって若くなり、歌い、賛美して老いを知りません。これが霊によっ て新たに生まれた永遠の生命の生活態度なのです。 イエスがニコデモに対して示めされた愛は、まことに老人の福音というべきでしょ う。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.29
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月29日(水)天と地と君は分けるが分けないで天地と呼ぼうわれは分けずに西洋は天と地と言い分けるなり分けないことがわれらの思想太陽と月を同時に歌うなりひむがしのうた人麿の歌西洋にあこがれたるや啄木の分かち書きする歌を読みおり西洋は狩猟民族こまごまに裂きて食べたる姿を思う私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.29
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5月29日(水)短歌用語辞典飯塚書店発行:(1993年)ほ(46)ほの仄(接頭語)かすか。ほのか。ちょっと。の意を添える。吾が馬鈴薯隣り畑(はた)より出来よくてほの紫の花のゆるるよ 土屋文明水のごとき夜空より差すほの明り妻と眠るも古りつつ浄し 千代国一ほのあおくほのくれないの氷塊のうつつほめきて朝光に映ゆ 加藤克巳まひるまの鏡のぞけばほのぐらくわが背の景がわが前にあり 香川ヒサライラックのうす紫の花群をほの揺がせて風のゆたけさ 山下秀之助(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.28
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月29日(水)神と制度 精神は、制度となることによって死にます。これは歴史の法則です。モ-ゼの精神はユダヤ教となることによって死に、キリストの精神はキリスト教となることによって死に、ル-テルの精神はル-テル教会となって死に、ウエスレ-の精神はメソジスト教会となって死にました。その他すべてこのようなことです。ですから、モ-ゼの敵はエジプト人、アマレク人、カナン人等ではなく、かれの同胞で彼を崇拝したユダヤ人であったことを知るのです。また、キリストを殺したのは、パリサイ人またはロ-マ人ではなくて、かれを主よ主よと呼んでいたキリスト信者自身であることを知ります。制度は精神の屍です。イエスを教会の首長として仰ぐ人間こそ真にかれを十字架に付けた人間なのです。一日一生(内村鑑三)5月29日(木)主の怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがらなきなかしんでも、朝と共に喜びが来る。(詩篇三○・五)苦しみは人生になくてはならぬ必要のあるものであります。苦しみによりて人は神と共になるに至ります。肉において死して霊において生くるに至ります。すなわち永生をおのがものとなすに至ります。そしてこのことを知って、苦しみが人生より絶えないわけがわかります。苦しみのない世界…それは実にたえられない世界であります。神をしるは永生(かぎりなきいのち)であります。そして神がそのひとり子をもって私どもと共に苦難を分かってくださって、私どもは神を知りつつ永生に入るのであります。苦しみはこれを除かれんと願わず、これに堪え、また勝つ道を取るべきであります。そしてその道はキリストの福音においてあると信じます。(注六・九七)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5月29日(水) バルクが筆記したエレミヤの口述の言葉とその巻物を王が焼いた後、主の言葉が エレミヤに臨みました。「別の巻物を取り、ユダの王、エホヤキムが焼いた巻物にあ った言葉をすべて書き記しなさい」。 (エレミヤ 36:27-28) 子としての著書 学者に取って著書は子のようです。これを作るために心血を注ぎ、これを産み出 すのに苦痛を経ました。ゆえに著書の死に会うのは、子の死に会うようなもので す。 昨年(1937)夏以来私の著述の不慮(ふりょ)の死にたびたび会いました。八月に 「国家の理想」、十一月に『通信』第四七号、十二月に『民族と平和』、一月に『民族 と国家』が発禁となり、二月には『帝国主義下の台湾』、『満州問題』の二著の「自発 的絶版」の要求が発行書店にあったと聞きます。 どうして私を憎むのですか。 私は祈ります、私の思想と研究とが天において祝福され、地に在って私を責める 人の救いの基礎となることを。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.28
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月28日(火)高校の何年生か文化祭「有楽町で逢いましょう」唄う遺伝子があるとするなら父の声歌好きなこと臆病なこと民謡も踊り浪曲歌うのもとても父には敵(かな)わないわれ投稿せし俳句載りたる新聞を父の手箱に死後見つけたり商業の高校出(い)でて大学へ行くと決めしを父許したり子のわれの大学合格通知なり父の手箱の底に黄ばめり私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.28
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5月28日(火) 短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるほ(38)ほどろ程ろ(名詞)ほど。ころ。時分。あいだ。うち。下腹ゆ寒けく痛みひろごりて夜のほどろは妻恋ひにけり 岩谷莫哀月の歌誌編集終へて夜のほどろうどんをすする饂飩は旨し 武田弘之ほのかなるものを愛(かな)しみ夜のほどろ遠く帰りてひとり眠りぬ 高安国世ほどろ斑(形容動詞ナリ活用)まだら。まばら。裏山の枯色したし春雨(はるさめ)はゆふべほどろに雪になりつつ 五味保義楤の芽のほどろに春のたけゆけばいまさらさらに都し思ほゆ 長塚 節(つづく)vc_pid=877935733&vc_vcptn=blog%2Fp%2FAysRdpD1D6aphp3dZWi0gs8-&vc_text=%C3%BB%B2%CE%CD%D1%B8%EC%BC%AD%C5%B5&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fcau1books%2F9784752210078.html私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.27
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月28日(火)生涯の決勝点 生き生きとした生は美しい、しかし死はもっと美しいのです。生のための死ではなく、死のための生です。美しく死んだ人が、生をまっとうしたと言えます。競走におけるように、生涯の勝敗は最後の一分間によって決定されるのです。この一分間に後れをとるとあなたの生涯は失敗に終わるのです。生涯の決勝点において、神より特別の力を賜わり、走るべき道程を走り尽した人は福(さいわい)です。一日一生(内村鑑三)5月28日(火)こうして彼らの足をあらってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。あなたがたはわたしを教師、または主と呼んでいる。そう言うのはただしい。わたしはそのとおりである。しかし、主でありまた教師であるわたしが、あなたがたの足をあらったからには、あなたがたもまた、互いに足を洗い合うべきである。わたしが、あなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本をしめしたのだ」。(ヨハネ伝一二~一五)国に尽くさんと欲せば、必ずしも政治または軍事に携わるの要はない。社会に仕えんと欲せば、必ずしも社会事業に従事するの要はない。われに賦与されし能力(ちから)に応じ、わがなすべき事を忠実になせば、それ以上の愛国的な行為はない。また社会的事業はない。レンブラントは善き絵を描いて、オランダ国の名を世に揚げた。ワーズワースは善き詩を作りて、英民族の風儀を一変した。奉公の道は一にして足りない。美術も音楽も作詩も説教も、忠実にこれをなせば、国を興し民を化するの事業である。必ずしも議会の壇上に登るに及ばず。ひとり書斎にこもり、考え方を万世に垂(た)るることができる。必ずしも慈善事業に従事するに及ばず。教壇に聖書を講じて、慈善以上の大慈善を施すことができる。わがなすべくこの世におくられし事を忠実になして、われは国家を益し、社会を改め、しかり、全宇宙を動かすことができる。願う、静かにして、運動また宣伝の手段を用いずして、小にして大なる愛国者または改革者たらんことを。(信二四・二四六)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5 月 28 日(土) 主はアブラハムを外に連れ出して言いました、「天を仰いで見なさい。星の数はいく つあるか、数えて見なさい」。そして彼に告げました、「あなたの子孫は星の数のよう になるでしょう」。 (創世記 15: 5-6) 星空を仰いで 風のない静かな夜、外に出て空を仰ぐと、高さ、広さ、深さの測り知れない天井 に、無数の星が青く又赤く輝いています。満月の夜には、星の光もうすれて、空一面 に透き通った絹のような光がただよいます。夜明けには太陽はまだ地平線に現れま せんが、星はおおむね消え去って、ただ一つあけぼのの明星がきらめいています。 そして真昼には、何というまぶしい光が春の青空にあふれていることでしょう。 空を 仰いでいると、私たちの心は地を離れて天に飛びます。そしてあの光輝の中にある 神の栄光の御座をしたい、星のまたたきの中に、私たちの間から先に天国へ召され た人のほほえみが見える思いです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.27
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月27日(月)事務的に施設に預け帰るわれうらめしそうに子は見ているかメスオスの区別分らぬひよこたち餌箱に入りはしゃぎ廻れり題詠「ラジオ」縫製を生業(なりわい)とせし祖父にしてラジオ聞きいしミシン踏みつつ孤独なる祖父の姿よ黙々とラジオ聞きいしミシン踏みつつ亡き父の録音したるラジオ寄席父の笑いの声が大きい私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.27
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短歌用語辞典5月27日(月)ほ(37)ほとり辺(名詞)ほど近い所。そば。近辺。ふち。きわ。岸。温めずそのままがよしいぬふぐり咲けるほとりに飲み干すミルクは 安立スハル馥郁と淡黄色の球形のリンゴのほとり透明となる 岡部桂一郎向日葵の面伏せてゐるかたはらを過ぎて文学のほとりにも出づ 築地正子(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.26
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5月27日(月)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。生涯の決勝点 生き生きとした生は美しい、しかし死はもっと美しいのです。生のための死ではなく、死のための生です。美しく死んだ人が、生をまっとうしたと言えます。競走におけるように、生涯の勝敗は最後の一分間によって決定されるのです。この一分間に後れをとるとあなたの生涯は失敗に終わるのです。生涯の決勝点において、神より特別の力を賜わり、走るべき道程を走り尽した人は福(さいわい)です。一日一生(内村鑑三)5月27日(月)神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。(詩篇五一・一〇~一二)人、もしキリストに接して、彼の暗き罪を照らされ、堪えがたきほどまでにその苦痛を感じ、彼は永久に滅ぼされるべきものではあるまいかと、みずから疑う時に、その人は幸いにして滅びの子でないことを悟るべきである。彼が罪の苦痛を感ずるのは、罪が彼を去りつつあるの徴候である。 これに反して、キリストに接して、彼にうたれんとせすして、彼を用いんとし、彼に救われんことを求めずして、彼をもって世を済度せんことを欲し、自己の罪に泣き得ずして、他人の罪をのみ指摘し得るにいたる者は、これ危険なる階級に属する者であって、われらの注意すべき人物である。ひっきょうするに、善人は、自己を悪人と認むる者であって、悪人とは、自己を善人なりと信ずる者である。(信一四・四九)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5月27日(月)私を信じる小さい人の一人をつまずかせる人は、大きなおもしを首にかけられて海に投げ込まれたほうがはるかに益です。 (マルコ 9:42) うたがい たびたび講演し、多く原稿を書いても、これが果たして神の国のためにどれだけ役に立っているでしょうか。 私の愛が足らず、私の指導が誤って、私を師と思う一人の小さい人を不幸におとしいれたのではないでしょうか。 多忙を口実として愛の実践をおこたり、私の助けを求める人の声を聞き過ごしたのではないでしょうか。 このような疑いがおそって来る時、私の首は大きいおもしをかけられたように重くなり、私の心には苦い胆汁(たんじゅう)がわきあふれ、冷たい涙がほほに流れます。 私は何もなくなって、ただ一人荒涼(こうりょう)としたゴルゴダの丘に行き、ただ十字架の柱に身を寄せます。父よ、イエスの十字架のゆえに、この無益のしもべ、この悪しき者、この愛なき者を赦して、あなたのふところに受け入れてください。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.05.26
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月26日(日)レジを待つ妻の後ろにササニシキあきた小町にひとめぼれ米の袋をしばしなでおり生きるとは食べることだと知りおれど買物するをわれは好まぬ物余り買い物出来る幸せを感謝せんとは思いておれど子も妻も満足そうな顔をする買物するを喜んでいる沢山の物あることを人間は喜ぶものよスーパーにいる私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.26
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雑誌「短歌」平成25年6月号 入選 後藤瑞義題詠「雲」を詠う 林田恒浩選入選 日をつつみ黄金となりて浮びおり亡き子に似たるひとひらの雲 歌友 渡辺つぎ様 も入選しました。一度雲にさわってみたいと幼な日に空を見上げしことをわすれず 渡辺つぎ私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.26
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月26日(日)内的生命人には外的生命のほか内的生命があります。肉体の生命のほかに霊魂の生命があります。この世の何ものをもってしても与えることの出来ない生命があります。そして、これがあるために人は特別に貴いのです。財産を奪われ、名誉を剥がされ、よしんば健康を失いても、なお残るものがあります。それが内的生命であす。そうして、それをあたえるものが宗教です。ですから宗教は、この世に在るものであって、この世のものではないのです。直ちに神より人の霊魂に臨むものですので、国も学校も、教会もお寺も、与えることの出来ないものなのです。一日一生(内村鑑三)5月26日(日)それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。(ローマ書八・一二~一四)キリスト教は禁欲主義にあらず。もちろんその反対に放縦主義にあらず。しかり、死せる主義にあらず。生ける生命である。肉の生命に代うるに霊の生命をもってする道である。肉におらず、その支配を受けず、これをして自己の上に王たらしめざる教えである。しかして肉を殺すに律法の戒めをもってせず、霊の権能(ちから)をもってする。ゆえにいう、「もし霊により体の行為を滅ぼさば生くべし」(ロマ書八・一三)と。患難苦行してではない。「霊によりて」である。 この道たる、決して曖昧(あいまい)不徹底なるものではない。最もよく常識にかない、有効的にして永続する道である。常に信仰によりてイエスを仰ぎ見て、その報賞として聖霊を賜り、その指導に従って歩む。かくのごとくにして、肉は適宜に支配せられ、一方には禁欲に至らず、他方には放縦にながれない。(注一七・三八) 「矢内原忠雄の今日の言葉」5月26日(日)神が愛されるように私もあなたたちをねたむほどに愛しています。あたなたちを清き乙女として唯一の夫であるキリストの花嫁として婚約させました。ただ恐れるのはエバがヘビの悪巧みで誘惑されたように、あなたたちの思いが汚され、キリストに対する純愛と貞潔(ていけつ)を失いはしないかとうい事です。 (第二コリント 11: 2-3) 婚約 婚約の本当の相手方は神です。神が結婚の相手方を示されて、この人と結婚する意思がありますか、と問われます。それに対し、受諾(じゅだく)の意思表示を神にさし上げるのが婚約です。ゆえに婚約者は互いに聖別された人として生活すべき義務を神に対して負います。はん祭の犠牲(ぎせい)はこれを祭壇(さいだん)にささげる前に、聖別されて洗い潔められます。そのように、結婚の祭壇にささげられるに先立ち、婚約者も自分を聖別し、洗い潔めなければならないのです。 ・・・ 婚約は神との約束であり、神御自身が当事者ですから、必ず神が責任を取って下さるに違いありません。神は婚約者の中に善き業を始められたのです。ゆえに主イエスの日までにこれを完成されることを確く信ずべきです(ピリピ 1: 6)。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)5月26日(日)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ほ(36) ほとほと殆・幾(副詞)ほとんど。ほんとうに。すっかり。まったく。蕗の薹ひらく息づき見つつをり消(け)のこる雪にほとほと触れて 斎藤茂吉ひとりゐる二階のへやにさす日かげほとほと眩し春のしるけく 窪田空穂一山(いちざん)のさくらほとほと咲き充てり生命(いのち)たもちてわが見るものか 真鍋美恵子喪をめぐりほとほと近代も明けゆかず一日冷たき雨に垂れこむ 吉田 漱(つづく)vc_pid=877935733&vc_vcptn=blog%2Fp%2FAysRdpD1D6aphp3dZWi0gs8-&vc_text=%C3%BB%B2%CE%CD%D1%B8%EC%BC%AD%C5%B5&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fcau1books%2F9784752210078.html私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.25
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月25日(土)恐竜の肋(あばら)のごとく夏草の中に埋もるる廃園ハウス明日葉の根を食い荒らす猪に椿の根方穴ほられいる十三個の卵抱(いだ)いたウコッケイ六羽孵りて後は失敗雌鳥が二羽いて一羽巣につけば抱える卵がどんどん増える鶏(にわとり)は餌をもらえる猪は自分で探し生きているのだ私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.25
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5月25日(土)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ほ(35)ほとばしる迸る(自動詞四段活用)勢いよく飛び散る。たばしる。噴出する。わが内に折りたたまれてある叡智ほとばしり出でよこの深谿(ふかだに)に 国見純生ひとりなる時蘇る羞恥ありみじかきわれの声ほとばしる 尾崎左永子ほとばしる父方(ちちかた)の血を沈め持つ馬は牧舎に睡りて居れり 斎藤 史淡白なるもの踏みにじりほとばしる生愛すべしとただ告ぐるのみ 水野昌雄(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.24
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月25日(土)自己の引き渡しイエスに自分自身を引き渡して、わたしたちの務めは終わるのです。そうです、何かしようにも何も出来ないのです。わたしは自己としては死んだ人間です、「われ」という人間が存在しないのです。しかしながら不思議なことに、わたしが自己として死ぬ時、その時わたしは直ちに生き返るのです。その時、自己と異なる者がわたしの内側より起こって、わたしを活かし、わたしを働かせるのです。その時、わたしの思想は新しくなり、わたしの心の目が開かれ、わたしの霊魂が活気づいて、わたしの疲れた肉体までもが生き返ったように感じるのです。内村鑑三一日一生より5月25日(土)この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。(ヘブル書一三・一四)われは後ろを見ない。前を見る。過去を顧みない。未来を望む。前へ前へと限りなく進む。ただこの一事を努む、すなわち後ろに在(あ)るものを忘れ、前に在るものを望み、神がキリストによりて上へ召して賜るところの褒美(ほうび)を得んとて、目標(めあて)に向かいて進む(ピリピ書三・一四)。われは下を見ない。上を見る。地を見ない。天を仰ぐ。われは星を見る者(スター・ゲーザー)である。わが国は天に在る。われは、わが救い主イエス・キリストの、そこより降(くだ)り臨(きた)るを待つ(同三・二〇)。われは人を見ない。神を見る。われは人の批評に耳を傾けない。われはわが霊魂を、義をもってさばきたもうわが造り主に任せ奉る(ペテロ前書二・二三)。われは自己(おのれ)に省みない。イエスを仰ぎ見る。自己に生きんとしない。われを愛して、わがためにおのれを捨てし者、すなわち神の子イエスを信ずるによりていきんとする(ガラテヤ書二・二〇)。(信一六・一八七)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5 月 25 日(土)キリストが私たちを解放し、私たちは自由となったのです。それだから堅く立って二度と奴隷のくびきにつながれてはいけません。 (ガラテヤ 5: 1) 理想像 すべての徳をもれなくかつ完全に備えた人間とか、知・情・意の円満な発達をとげた人間は、世の中に存在せず、また教育によってこれを存在させることのできない抽象的な人造人間像です。実際の人間は、ある徳においてはすぐれていても、他の徳において弱いところがあります。人間の人間らしさは、円満・具足・完全に求めるべきではなく、芸術のたとえをもって言えば、デフォルメ(特徴化)されたところにかえって人間の本質があります。形を整えた盆栽(ぼんさい)のような人間をつくり上げることが教育の目標ではありません。風雪にたえる強健な自然の高木のような人間こそ、教育の目指す人間像でなければなりません。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.24
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雑感:歌集「悲しき玩具」より(三)下書き(結社誌「賀茂短歌」5月号用) 前号で、啄木短歌を分ち書きで読むのと、分けないでストレートに読むのとの違い を書きました。そして、ブログにも載せていました。そうしましたら、次のようなコメント がありました。 『「ふるさとの訛なつかし……」を分かち書きで読んでみると、随分異なった印象に なったので、驚いております。啄木には、「ふるさとの訛」が、とにかく懐かしかった のです。ですから、わざわざ、その訛を聞くだけのために、今日も上野駅の雑踏 に踏み行っていくのだ、という積極的な行動を伴った印象を憶えます。 小生、今まで「ふるさとの訛なつかし停車場」まで一息に読んで、「ああ、上野駅を 暗示しているんだな」と思っていました。これですと、たまたま上野駅の雑踏でふる さとの訛を聞いて、そこから去りがたく思った程度の、受動的というか、成り行きで そうなったような感触になります。(後略)』 このコメントを読みまして、同感いたしました。 「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」 実際の分かち書きですと次のようになります。 ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく まず、「ふるさとの訛なつかし」です。たとえば、文机に坐って物思いをしている風 景を浮かべます。ふるさとがなつかしい、むしょうになつかしい。いや、正確には「ふ るさとの訛り」がむしょうになつかしく思ったのです。そして、思いついたのです、「そう だ、上野駅へ、あの雑踏の中に行こう。なつかしいふるさとの訛りを聞くために…」ま あ、こういったことでしょうか。 啄木は小説家になりたかったようです。そして、小説家になれず、その望みは挫折 しました。ただ、こうやって分ち書きの短歌を読んでいますと、なにか小説の一齣を 読んでいるような気になります。 繰返しになりますが、「ふるさと」が単になつかしい、ではなく「訛り」がなつかしいの です。啄木は訛っていたのでしょうか、確認しておりません。啄木自身が訛っていた か、いなかった、私には分りませんが、ふるさとの訛りがなつかしかったのでしょう。 標準語のあじけなさ、うそっぽさ、あるいは、都会の人との人間関係、もっとあるかも しれません。そんなことまで分ち書きにしたお蔭で思いがふくらむ気がするのです。 ただ、そのように読みを拡げてゆくことがよいかどうかわたしには分りません。 横道に逸れてしまいました。でもなにか言い尽くした感じもありまが、今ひとつ「悲し き玩具」の中より一首選んで読んでみたいと思います。 「やや遠きものに思ひしテロリストの悲しき心も近づく日のあり」 これも実際の分ち書きは、次のようになっています。 やや遠きものに思ひし テロリストの悲しき心も―― 近づく日のあり。 分ち書きでなく読むと、どうしても「やや遠きものに思ひしテロリスト」と読んでしまい ます。つまり、テロリストのことを遠く思っていた、自分には関係のない、遠い存在と 思っていたテロリスト。というふうに、わたしには読めるのです。それでは、実際はど うでしょうか。「やや遠きものに思っていた」のは、「テロリスト」そのものではなくて、 「テロリストの悲しき心」だということです。ですから、「テロリスト」については、あるい は、常に心の中に思っていたかもしれません。「テロリストの怒りの心」などはあるい は同情するところもあったのかもしれません。「テロリストの悲しき心」がどういう内容 のものかははっきりわかりませんが。「テロリストには血も涙もない」もののように思 うのはその行動などによって、一般的なに感じる気持ではないかと思います。それを 啄木は、テロリストにも悲しい心があるんだと言っているようにも思えます。止むにや めない閉塞感による行動。本当はテロなどしたくないんだ、そんな悲しい気持がテロ リストにもあると、同情をよせているのかもしれません。 「やや遠き」という微妙ないいまわし。ただ「思ひし」ですので、過去に思っていたの でしょう。「テロリストの悲しき心も」の「も」。「怒りの心」「残忍な心」「冷血な心」、いろ んな、「テロリストの心」がありえるでしょう。そのなかのひとつに「悲しき心」があるの でしょう。「――」ダッシュは、余韻をここでもたせているのでしょう。 次の三行目「近づく日のあり。」は、二行目の余韻を十分するようにとでもいうよう に、一字下げて始まっています。あるいは、ちょっと言いずらいことなのかもしれま せん。ほんとの気持として少しいいよどんだ感じの、「近づく日のあり」かもしれま せん。そして、最後に句点「。」が付いています。ここでは、余韻は不要、言いたい ことは言い尽くした、「。」と言っているようにも思えるのです。 「一握の砂」と「悲しき玩具」の違いは色々あろうかと思いますが、ひとつは「悲しき 玩具」のほうがより正直になった。一口にいいますとそんな印象があります。「悲しき 玩具」の中に出てくる沢山の「嘘」についての歌。自分のことを嘘つき、嘘のかたまり というほどに正直な歌となっているのだと思います。それから、句読点、感嘆符、ダ ッシュなどを付け、より散文化しているということでしょうか。啄木が小説家志望であ ったことを考えるとさもありなんと思うのです。分かち書きにしろ句読点などを付ける ことにしろ、啄木が最初に始めたということではないのですが、最後まで徹底したこ とにわたしは注目します。啄木に影響を与えた土岐善麿は後半普通の一行書きに なって、句読点も止めております。 わたしは、啄木の分ち書きに注目し、「分ける」とはどういうことなんだろうか、と考 えてみました。次号でそのことを、わたしなりに考察してみたいと思うのです。 (つづく) 私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.24
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月24日(金)道の辺に蓮を植えたる泥田ありその花咲くを待ちつつ歩む泥の田に今年植えたる蓮なればいまだ小さき葉がまばらなり椎の木の根方にしばし憩うとき初夏の枯れ葉が道を転がる四国沖南海トラフ赤線がうねりつつ伸び伊豆に接する地鳴りする地震5強に遇(あ)いたるは二十年前熱海でのこと私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.24
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5月24日(金)短歌用語辞典飯塚書店発行:(1993年)ほ(41)ほととぎす時鳥・杜鵑(名詞)カッコウに似て、初夏に飛来する候鳥。山地に棲み、鳴き声が「てっぺんかけたか」と聞こえる。卵を鶯などの巣に託す。おしなべて人は知らじな衰ふるわれにせまりて啼くほととぎす 斎藤茂吉ほととぎす鳴きて過ぐれば慌しき旅も終りと思ふたまゆら 吉田正俊ほととぎす遠き声せり深山はいづくの方も人にしづけし 植木正三静止せるもののかたちの凄まじさ浮世の外に鳴くほととぎす 岡部桂一郎(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.23
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月24日(金)善事とは善事とは、神を信じることです。悪事とは、神よりはなれて人と自己に頼ることです。このほかに、善事も悪事もないのです。ですから、病気は必ずしも悪事でありません。もしわれらを神に導いてくれるなら、病気もまた善事です。健康は必ずしも善事ではありません。もし人を自分に頼らせ、自分を素晴らしいとうぬぼれさせるのであれば、健康はかえって悪事となります。貧困も、その逆の富貴も同様です。キリストは言います。「なんじ、なにゆえに善についてわたしに問うのか、善は、ひとつのほかにありません、それは神です。」善は、神と離れて他にあるものではありません。神と、神に向かうこと、これが善です。神より遠ざかる、神に逆らうこと、これが悪です。善悪の区別はこれだけです、またこれが生死の区別にも当てはまります。一日一生(内村鑑三)5月24日(金)だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。(マタイ伝一〇・三二~三三)恩恵に富みたもう神は、われらの信仰を確実にせんがために、ときどき信仰表白の機会をわれらに供したもう。しかしてわれらこの機会を利用し、人の面をおそるることなく、大胆にわれらの信仰を世の人の前に表白して、われらはわれらの眠らんとする信仰を醒まし、わららの死なんとする霊魂を生かすのである。されどもこの機会を供せらるるや、大難のわが身に臨みしがごとくに感じ、おそれおののき、なにかつまらなき理屈に訴え、口をつむいで語らざらんか、その結果はただちにわれらの品性におよび、熱心は冷え、霊魂は萎え、ついに、ありしわずかばかりの信仰までを失うに至る。じつに信仰の危機とはかかる場合である。この時にあたって「キリストを知る」といのと、「知らず」というのとによって、われらの永遠の運命は定まるのである。(注八・二一三)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5月24日(金)心の清い人たちはさいわいです。その人は神を見るでしょう。平和を作る人たちはさいわいです。その人は神の子と呼ばれるでしょう。義のため迫害されている人たちはさいわいです。天国はその人のものです。 (マタイ 5: 8-10) さいわいな人 「心の清い人」とは、道徳的に完全な人という意味ではなく、心の純な人のことです。そして純粋な心とは、悲しみの心です。悲しみには深い湖水のような静けさがあり、神の御姿(みすがた)を明らかにうつします。これに反し、悲しみのない人生はほこりっぽいです。それには神を見得る透明さが無いのです。 「平和を作る人」とは、人々の間に平和を作る人です。どのような性格の人が平和を作るかといえば、それは柔和な人です。殴(なぐ)られて殴り返さない人です。自分の権利・利益・名誉・体面を主張し、これを害されたと怒る人は平和を作りません。自己の権利を放棄(ほうき)する人にして、始めて平和を作るのです。 ・・・ 「義のため迫害されている人」とは、神の義を守り、これを主張し、そのために戦うことによって迫害を被る人です。義に飢えかわく人にして、始めて義のために責められる人となります。そうでない人は妥協(だきょう)迎合(げいごう)して、要領(ようりょう)よく迫害を回避(かいひ)するでしょう。義のために責められるほど神の国を慕い求める人に、神の国が属することは事理の当然です。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.23
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月23日(木)給油するたびに言われる擦れているタイヤ四本今日取り替える車検まで待とうと決めていたタイヤやっぱり四本今日取り替えるひやひやとしながら運転していたがタイヤ四本今日取り替える黒っぽく溝もくっきり彫られたるタイヤ四本今日取り替える陽炎の立つ熱き道走るためタイヤ四本今日取り替える私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.23
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5月23日(木)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるほ(33)ほど程(名詞)時間・空間・数量などの大体の程度を示す。(助詞)…ぐらいの程度。…ぐらいの範囲。…についてますます。遺伝子の進化を言いてスライドの四五枚がほど楽しく渡る 永田和宏愛するとこも然らざる夜も青年の肩にひるがほほどのくぼみ 塚本邦雄常に掬うほどの温もりを平和とし愚かに日常のかぎりもあらず 近藤芳美終の香とならむほどなる蔓たどり暗きあけびの熟れ実あはあは 大滝貞一しゃぼんだま追えば追うほど遠のいて空と溶けあうまでの距離感 俵 万智(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.22
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月23日(木)死の歓迎死は信者にも来ますし、不信者にも来ます。義者にも臨み、悪者にも臨みます。しかしながら、義者に臨んで死は彼を完成させ、悪者に臨んで彼を破滅させます。呪うべきは、死ではなく罪です。罪を除かれた者には、死はなにもなすことが出来ません。かえって、その人を清め、磨き、そして神の前に完全(まった)き人として立たせるのです。神を信じ罪を赦されて、わたしたちは死さえ歓迎することが出来るようになるのです。一日一生(内村鑑三)5月23日(木) エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。(創世記五・二一~二四)人生は短くある。しかも完全である。そのもの自体としては完全でない。されども完全なる生涯に達する準備としては最も完全である。大学校としては完全でない。されどもこれに入るための予備校としては完全である。その歓喜と悲哀、成功と失敗、会合と離別、和親と敵対、熱き涙と耐えがたい苦痛、これみなわれらを完成するために必要である。現世のための現世にあらず、来世のための現世なることを示されて、われらは現世に生れ来たりしことを悔いず、また生涯の短きことを悲しまない。われらは詩人ゲーテにならいて、「この歓喜と悲哀とは何のためなるか」と言いて歎かない。われらに臨みし歓喜と悲哀とはことごとくその目的を達した。われらはこれによりて幾分なりとも神を知り得た。幾分なりともキリストの満ち足れる程度にまで達した(エペソ書・一三)。われらは過去を顧みて悔恨はない。ただ感謝あるのみである。すべての事は働きて益をなした。この短き人生は、限りなきキリストの国にわれらを導き入れるためになくてならぬものである。(信二〇・二五九)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5月23日(木)思うべき限度を越えて思い上がることなく、神が各自に分け与えられた信仰の賜物に従ってつつしみ深く思うべきです。 (ローマ 12: 3) たまものの差異 神が私たち各自に分かち与えた賜物の量と種類とがさまざまなのは、決して神の国における各自の地位に優劣高低の差をつけるためではないでしょう。それは神の国の道徳美を成さんがためであります。各自に分け与えられた賜物に量的及び質的差違があればこそ、エクレシアは美しく建てられるのであり、肢(えだ)として信者お互いの間に謙そんという美しき徳も実り、愛という美しい花も咲くのです。賜物の大きな人も小さな人も、またその種類のいかんを問わず、信者は皆それぞれ百パーセント神の子であり、エクレシアの完き肢です。全体のハーモニーの中にあって、信者各自にそれぞれ適当な、他の人を以てしては代わることの出来ない絶対的な地位と役割とを与えられています。私たちは各自に分かち与えられた賜物の量を越えて、不当に思い上がったり、また反対に思い下ってはいけません。全体の均整の中で私たちに分かち与えられた分を、誠実に、単純に、熱心に、喜んで、心一杯に思い、力一杯につくすべきです。私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.22
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月22日(水)真剣に歌を作ったことあるかどこかに忘れてきたかもしれぬ真剣に歌ったことあり六歳の幼稚園での学芸会で真剣に泣いたことあり十歳の校長室で𠮟られたとき真剣に自己紹介をしたるときすこしどもってそれがよかった真剣に生きてるときはひやひやで冷や汗ばかりかいてる感じ私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.22
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短歌用語辞典5月22日(水)ほ(32)ほと陰(名詞)女性の陰部。山間など。くぼんだところ。城ヶ島女子(をなご)うららに裸となり見れば陰出しよく寝たるかも 北原白秋新年(にひどし)の岩おこしゐる山人(やまびと)ら掛け声さやに陰処(ほと)頌むる唄 前 登志夫てのひらのくぼみにかこふ草蛍移さむとしてひかりをこぼす 高嶋健一陰の毛のあわく繁るは飾りかとおみなに問えば否と答えつ 岡部桂一郎黒南風(くろはえ)に押され来たりてをとめごの陰にかも似る桃買ひにけり 杜沢光一郎(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.21
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5月22日(水)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。艱難の解釈艱難は、消極的に解釈してはなりません。積極的に解釈すべきです。これを、神の刑罰であるかのように解釈してはならないのです。神の恩恵として解釈すべきなのです。神が怒りを表わしたと解釈するのではなく、神の慈愛が顕われたと解釈すべきです。雲も風も神が与えて下された有りがたいものとして解釈すべきです。艱難はすべて肉体にとっての艱難であって、霊的には幸福のもとです。霊の幸福と解釈すれば、すべての艱難は、艱難でなくなってしまいます。一日一生(内村鑑三)5月22日(水) しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。(ガラテヤ書五・二二~二三)確信欠乏して吾人に気骨なし。寛裕欠乏して吾人に雅量なし。二者は真理の両面なり。反体性のごとくにして、同一物の両性なり。完全な宗教は両面の発達にあり。吾人は、おのれに足りて人を恕(じょ)すべし、真理は宇宙大なり、われ一人のおおうべきにあらず、されども、われも宇宙の一部分なり、われの立つ所はわれの有なり、他人をしてこれを侵さしむべからず。これ實裕の哲理なり。(信二三・六〇)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5月22日(水)もし人が信仰深いと自称しながら、舌を制せず、自分の心をあざむいているなら、その人の信仰は偽りです。父なる神の前に清く混じりない信仰とは困っているみなし子ややもめを助け、自らは世の汚れに染まず、身を聖く保つことではないですか。 (ヤコブ 1:26-27) 信仰と真実 藤井武は信仰と真実を重んじましたが、どちらか一つを取るとすれば真実を取ると言いました。それは真実な人は必ず信仰に至りますが、真実を欠いた信仰は救われようがないからです。 ・・・ 真実とは純なこと、変わらないこと、ごまかしのないことです。信じると言えば、正真正銘(しょうしんしょうめい)、信じるのです。「私の信仰はよい加減なものですが、これでお救い下さい」というような態度は、神をバカにするものであり、砕けた霊(たましい)の叫びとは言えません。自分に真実がないことを感じるなら、それを真実に嘆き悲しまなければなりません。いい加減なごまかしがいけないのです。 藤井がヘビのように嫌ったものは、偽(いつわ)りです。信者なら信者、不信者なら不信者、はっきりした方がよいのです。信者を装った不信者ほどいやなものはありません。藤井は、何はなくとも信仰は真実でなければならないことを要求したのであります。信仰(faith)を守る態度は、真実(faithful)でなければなりません。神に対して真実な態度をとらない人が、神を信頼(信仰)するとは言えないことは明らかです。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.05.21
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月21日(火)幾筋も茜に染まる雲の帯やさしき人の思い出に似る総会がどうやら無事に終りたりミスはあっさり訂正願う行く先の甲府を箱根と刷られるは去年のデータの修正忘れパソコンは便利だけれど楽をする気持で使うとミスにつながる親鳥の羽の下よりむっくりと頭を出せり一羽のひよこ何羽ほど孵るりておるや二羽三羽羽に隠れて鳴く声のする私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.21
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5月21日(火)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ほ(31) ほてり火照り・熱り(名詞)ほてること。熱くなること。ほとぼり。熱気。「熱(ほとほ)り」とも。真夏日のほてりをあぐる砂浜におびただしかも這へる舟虫 久保田不二子かすかなる安らぎのごと煉瓦堀に日の火照りあり夜に歩めば 長沢一作戦ひに父を逝かせて少年の汝れが麦踏む火照り知らざり 辺見じゅん耳うらに先ず知る君の火照りにてその耳かくす髪のウエーブ 岸上大作溶接の火照りを顔に受けゐつつ風邪の悪寒は背すぢを走る 馬場正郎 (つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.20
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月21日(火)友多くの友を得ていても、なお寂寥(せきりょう)を嘆く人がおります。一人の友もいないのに、常に嬉々快々としている人がおります。友には無常なる友と久遠(くおん)なる友とがあります。そうして、久遠の友だけが寂寥の憂いを絶つことができるのです。キリストのみが一人久遠の友です。彼を友とすれば、人は一人の友がなくとも、嬉々快々としていることが出来るのです。一日一生(内村鑑三)5月21日(火)あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが幡祭をささげても、あなたは喜ばれないでしょう。神のうけられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた心をかろしめられません。(詩篇五一・一六~一七)信者は神に何ものをかささげなくてはならない。されども何をささぐべきかは、最大の注意を要する問題である。「神のもとめたもうそなえものは砕けたる霊魂(たましい)なり」である。ゆえにそなえものはこの霊魂を代表するものでなくてはならない。砕けたる霊魂、自己に何の善きことをもみとめずして、「ああ、われなやめる人なるかな。この罪の体よりわれを救わんものは誰ぞや」(ローマ書・七・二四)と叫ぶこころ、この心を代表するものが羊である。焼きつくす正義の前におのが身を投げ出して、そのゆるしを乞うの態度は、もっとも明白に羊の初生の犠牲においてあらわるるのである。アベルにこの心があった。カインにこの心がなかった。カインにあったものは義務の観念、責任の観念、奉仕の観念であった。これももちろん貴き観念であったが、もっとも貴き観念でなかった。神はアベルにおいて自己をむなしゅうするの心、カインにおいておのが義以上に義を求めざるの心を認めたもうた。ゆえにアベルをよろこびてカインをかえりみたまわなかったのである。(注一・七二)私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.20
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月20日(月)歌会に心得述べているなれどわれはいかほど実践するや明日(みょうにち)は総会なるにいまごろになりて資料のミスを見つける謝(あやま)ればすむことなれどその責めはわれのみならず会長に及ぶ明日に迫る総会資料ミスいかに説明したらいいのか金額は完璧なれば摘要のミスを謝るほかあらざらん昨年のまま摘要を打ち出すという失態をわれは起こしぬ懺悔するこころを歌にすることでいくぶん許されようとしている私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.20
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5月20日(月)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ほ(30)ほつほつ(副詞)点々と。ぼつぼつ。ぽつぽつ。間を置いて少しずつ切れ切れにするさま。ぽつりぽつり。春あらしひと日吹きたる夕まぐれ辛夷の花はほつほつ咲けり 馬場正郎秋たけてなほ吊る蚊帳(かや)にほつほつと碧(あを)きうんかの来てとまるなり 西下経一稲穂をばほつほつはみてゐたりけり妻を𠮟りて来しわが身なる 松田常憲(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.19
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月20日(月)霊魂の救い「ああ!神よ、いかにしたらわたしの霊魂を救うことができるのでしょうか!!」このような、こころの叫びを持たない人には、とうていキリスト教は理解出来ないでしょう。キリスト教は、ある人が言うような、仏教のような哲学の一種ではありません。また禅宗のように、胆力を鍛練するものでもありません。キリスト教は、霊魂を救うための、神の大きな力のことです。キリストの降臨と言い、十字架上の罪の贖(あがな)いと言い、すべて霊魂を救おうとする神の行為です。ですから、これらの出来事を霊魂以外のことにあてはめては、その真意を理解することが出来ないのです。内村鑑三一日一生より5月20日(月) そこで王は人をつかわしユダとエルサレムのちょうろうたちをことごとく集めた。そして王はユダのもろもろの人々と、エルサレムのすべての住民および祭司、預言者ならびに大小のすべての民を従えて主の宮にのぼり、主の宮で見つかった契約の書の言葉をことごとく彼らに読みきかせた。次いで王は柱のかたわらに立って、主の前に契約を立て、主に従って歩み、、心をつくし精神をつくして、主の戒めと、あかしと、定めとを守り、この書物にしるされているこの契約の言葉をおこなうことを誓った。民は皆その契約に加わった。(列王紀下二三.一~三)聖書は過去の記録なれども、実は今日の書なり。死せる書のごとくに見ゆれども、実は最も生ける書なり。これは歴史あり。されども、これ過去の出来事を伝えんがためにあらずして、人間の進歩歴史における神の直接の行為をしめさんがためなり。これに科学あり。されどもこれネチュアの配列進化を教えんがためにあらずして、天と地とその中に存するすべてのものに現れたる神の聖旨を伝えんがためになり。その美文は、文のための文にあらずして、神の義と愛とを伝えんがための文なり。ゆえに神のいまさんかぎりは(しかして宇宙は消え失するとも彼のいまさざる時はなきなり)、聖書は、人類の有する最も貴重なる書として存するなり。聖書は神に関する唯一の教科書なり。これを知るは、歴史と天然と文学との泉源に達することなり。(信二〇・一九三)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5月20日(金)あなたの若い日にあなたの造り主を覚えなさい。 (伝道の書 12: 1) 青年に望む 青年の前に未知の大海があります。うかうかとこぎ出しては、一生を誤るおそれがあります。 それが未知の世界であるため、青年は、一方では自分の力で簡単に乗り切れるように空想し、同時に他方ではそれが大海であるため、自己の劣等感をいだいて恐怖します。 安易な空想にあざむかれず、また無用な劣等意識に悩まされず、新鮮な勇気と希望をもって未知の大海に乗り出すために、最も必要なものは信仰です。若い日に自分の造り主である神を知った人は幸いです。信仰だけが、長い人生の航海において、人を難破より救う知恵です。 あなたの若い日にあなたの造り主をおぼえなさい。あなたの若い日に聖書を学び始めなさい。私が青年に望むところは、結局これにつきるのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.19
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月19日(日)黒船の祭はジャズの生演奏海兵隊の制服まぶし両側に見物人が連なって今パレードが始まらんとすパレードの先頭きるは自衛隊ブラスバンドの軍艦マーチ白昼に女性が肌を露出して踊るまぶしきこれカーニバル昔から土佐との縁がある下田よさこい踊りうねり踊れる制服がまぶしく白き海兵隊奏でる「星条旗よ永遠なれ」を私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.19
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5月19日(日)短歌用語辞典飯塚書店発行:(1993年)ほ(36)ほつえ秀つ枝・上枝(名詞)上のえだ。空高き秀つ枝に萌えし槻嫩葉ひろひて皿の水に浮ぶる 窪田章一郎夕庭の檜(ひ)の上枝よりさらさらにしづるる雪の風巻(しまき)しらじら 橋田東声如月(きさらぎ)はいまぞいちやうの太幹(みき)に上枝下枝(しづえ)の影しづまりぬ 岡井 隆(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.18
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月19日(日)艱難の解釈艱難は、消極的に解釈してはなりません。積極的に解釈すべきです。これを、神の刑罰であるかのように解釈してはならないのです。神の恩恵として解釈すべきなのです。神が怒りを表わしたと解釈するのではなく、神の慈愛が顕われたと解釈すべきです。雲も風も神が与えて下された有りがたいものとして解釈すべきです。艱難はすべて肉体にとっての艱難であって、霊的には幸福のもとです。霊の幸福と解釈すれば、すべての艱難は、艱難でなくなってしまいます。一日一生(内村鑑三)5月19日(日)地の深い所は主のみ手にあり、山々の頂もまた主のものである。海は主のもの、主はこれを造られた。またそのみ手はかわいた地を造られた。さあ、わららは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。(詩篇九五・四~七)真理そのもののために真理を攻究せしむる、これ宗教が科学に供する偉大の勢力なり。真理は聖神なり。心に崇拝的態度なくして真理の深奥を探るは難(かた)し。天然は親しき友のごときものなり。われ恭謙もって彼女に対せば、彼女もよろこびてその宝庫をひらきてわれに示す。驕倣(きょうごう)にして、嫉妬深くして、功名心にかられて、利欲の念に眩惑(げんわく)されて、われの観察力は鈍り、天然の秘蔵を開くの鎖?(さやく)はわが手より奪い去らる。宗教を重んぜざる国民より科学的大発見の来たらざるは全くこれがためなり。あに深く思わざるべけんや。(信二二.二二八)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5 月 19 日(木)いと高く、いと尊き存在、永遠の中に住む方、その名を聖と呼ばれる方が言います、「私は高く聖なる所に住み、また心砕かれた謙そんな人と共に住みます。心の低い人の霊を生かし、悔い改めた人の霊を活かします」。 (イザヤ 57:15) 謙そんの必要 社会的地位の高くなった人に、特別必要なものは謙そんです。高慢と独断とは、高い地位に付着する最大の危険ですから、きびしくこれをいましめ、神と人の前に罪人である自分の正体を常に意識していなければなりません。 自分の罪人であることを知る人は常に神によりたのみ、常に神によりたのむ人は真理のため最も勇敢(ゆうかん)に戦うことが出来ます。あなたが善く戦うためには、神と人との前に謙そんでなければなりません。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.18
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五月号歌評(結社誌「賀茂短歌」より)下書き 後藤瑞義 老い一日事なく過ぎて日の暮れて音つつましき二人の夕餉原 明男 淡々とした詠み口です。内容もなんということもない老夫婦の、むしろ平穏な一日の実像でしょう。ただ、作者の心持は、ここに歌われているような「事なく」「つつましき」思いだけでしょうか。確かに、事なく過ぎる日々、つつましい夫婦二人の夕餉を嫌っているわけではなく、いやそれを満足に思っているかもしれません。初句の「老い一日(ひとひ)」、また「日の暮れ」などに、何となく物足りないような気分があるいは作者にあるのではないか。日々が、あまりにも平穏に過ぎてゆく。若い時の、作者の日々はどうだったのでしょうか。子供たちがまだ小さかったときの夕餉の風景など、どんなだったのでしょうか。 「お迎えがなかなか来なくて」と言えば「こちらでおむかえします」と主治医渡辺つぎ 作者は、満百二歳。そう思って、この作品を読めばはっきりすることがあると思います。「お迎え」の意味の取り違いの可笑しさがあるわけです。さらっとしたユーモアのある作品です。ただ、それだけでない凄さといいますか、を私は感じます。主治医が勘違いしたところが凄いと思ったわけです。主治医は、勘違いするほどに作者が健康体であると思って居るのでしょう。あるいは、主治医がたいへんユーモアのある人だったのでしょうか。 ただ一途帰りたい夫そを思ふ心一重に花びらの舞ふ鈴木菊江 作者の御主人は今病院に入院されております。ただ、容態はあまりよくないのかもしれません。「ただ一途帰りたい夫」というのがそのことを暗示しています。それにしても、「そを思ふ心一重に花びらの舞ふ」とは、なんと切なくも美しいことばでしょうか。(注:この歌評を書いてから、数日経って、作者のご主人が亡くなられたことを知りました。謹んでご冥福をお祈りいたします。) 一家四人汝が肩こそは凝りおるに帰省の吾息が肩揉みくれる 黒田幸子 帰省した息子さんが「お母さん、肩をもんでやるよ」と言って揉んでくれているのでしょう。作者はもんでもらいながら思うのでしょう、「お前こそ一家四人の生活を支えるために、肩が凝っているだろうに…」。子は親を思い、親は子を思う。映画のワンシーンを思わせます。 蜜蜂の羽音も心地良くひびき冬の野菜の花咲きそろう 後藤早苗 上の句、「蜜蜂の羽音も心地良くひびき」は、春の一風景を連想させます。そうめずらしいといったことではないと思います。ただ、下の句はちょっと面白いと思いました。「冬の野菜の花咲きそろう」です。確かに白菜にしても小松菜にしても、冬の野菜をそのままにしておくと薹が立ち菜の花のように花が咲きます。ですから、普通は菜の花に蜜蜂が飛び交っているといった風景の歌となるでしょう。それが、「冬の野菜の花咲きそろう」という表現ですから、ちょっと変わっていて、新鮮だと思うのです。 さくらんぼわたしが一番鳥よりも先に食みをり威嚇ききつつ 藤井美智子 作者は昨年ご主人を亡くされました。まず、「さくらんぼわたしが一番」と始まります。そして「鳥よりも先に食みをり」と続きます。ここまで読んではじめて、初句と二句の意味がはっきりします。それと同時に、初句二句はあたかも鳥に向って言っているようにも感じたのです。鳥に向って、まるで言葉のわかる、人間にでも話して居るように、「わたしが最初に食べるのよ」と言っているようにも思ったのです。「威嚇ききつつ」、これもおやっとおもったのです。「聞きつつ」だから、近くにしばらくいるわけです、飛び去るのではないのです。この辺が鳥とのある種の交流を感じるんです。ご主人が亡くなられても、この調子であれば、孤独に陥ることはないでしょう。花と交流し、鳥と交流して日々を送られる作者の姿が浮かびます。 手を拡げ抱き留めんとする夫の横我を目がけて孫は素通りす 小池美恵子 ちょっと残酷な歌ですね。男性としては、ちょっとかなしい。作者のジェスチャーまでは分りませんが、旦那さんは当然自分のところに駈け寄ってくると両手を広げていたのでしょう。それをすっぽかされるのですから、ほんとうにかなしい、「えっ」といった感じでしょうか。まして作者がなんらポーズをしていないで立っていたとしたら、ちょっとした残酷物語です。ここからは、あくまでもわたしの空想になります。作者は、精神的にあるいは疲れていなかったか?。なにか、心に気にかかることなどを持っていなかったか?。要するに、子供の、それも三歳くらいの幼児の選択を考えるとき、時として理解を越えた選択や行動をすることがあるのではないだろうかということです。その瞬間にもっとも必要とされている行動を本能的に察知してするようなこと。弱い人のもとへ、励ましたい人のもとへ、疲れている人のもとへ、何かをもたらしたいといった行動とでもいいますか、うまく言えませんが。私には二十八歳になる息子がおり、今施設に預けております。精神年齢はたぶん三歳くらいでしょうか、その息子に、時に「ぎょ」とさせられることがあるのです、自分の心を見透かされてでもいるようなことがあるのです。それで、こんな空想をしたのでした。 私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.18
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月18日(土)新聞に載ってましたと法事の席和尚さんとの話がはずむ啄木の話となって盛り上がるそうそう彼の家はお寺だ生きている生活してる自ずから歌もそこから生まれるならん早今日は四十九日ぞ君好きなカラオケ一曲歌いたい気分三橋美智也の「りんご村から」「古城」など君好きな歌心で歌う私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.18
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5月18日(土)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるほ(28)ほたん牡丹(名詞)五月頃、豊かな感じの紅・淡紅・白・黄・紫などの華麗な花を開く。「ぼうたん」とも。地に移るひとひらゆゑに内(なか)揺れてみなくづれたる白(はく)牡丹の花 北原白秋くれなゐの燃ゆる大輪二つ咲く牡丹の鉢を庭中に据う 植松寿樹百八間(ひやくはちけん)の登り廊下に汗あえて佳(よ)きひとと見し左右(さう)の牡丹花(くわ) 前川佐美雄牡丹(ぼうたん)の崩れ切らむとするときに春雷はためき空をわたりぬ 宮 柊二(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.17
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。5月18日(土)神の救い自分自身反省することは、自分の中にはなんら善いものが見つけられないと言うことです。こころの中は、汚れ、悪念、邪欲、貪婪(どんらん)などです。このような悪しきものを自分自身で取り払わなければ、神にちかづくことが出来ないのであれば、わたしは到底神に近づくことは出来ないでしょう。しかしながら、神はわたしの罪よりも大きな存在です。神はわたしが罪のある人間であるにもかかわらず、わたしを救って下さるのです。神はわたしのためにわたしの中の罪を殺して、わたしを神の従者にして下さるのです。わたしが救われることの唯一の希望は、ひとえに神の御恵みにかかっておるのです。もし神がわたしに御恵みを下さらないのであれば、わたしの救われる希望はまったくなくなってしまいます。一日一生(内村鑑三)キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみをともにしてほしい。兵役に服している者は、日常生活のことに煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官をよろこばせようと努める。また、競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠はえられない。労苦する農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである。(テモテ第二書二・三~六)神に導かれる生涯はもっとも安全なる生涯である。何びとも、神によるその成功を妨げることはできない。また何びとも、われらの競争者として起(た)つことはできない。永久的成功はわれらに保証せらる。神にたよるがゆえに、完全に独立である。かれが命じたもう事をさえ、なせばよいのである。ゆえに、人に頼む必要なく、媚(こ)び諂(へつら)うの必要は絶対にない。また生活の心配は絶対にない。神に徴発せられし兵卒である。彼が、わが生活を保証したもうはもちろんである。自分の目的を遂げんと欲するがゆえに生活の心配があるのである。神の御用に服役して、神が生存の責任をにないたもうは当然である。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5月18日(土)私は雲の中に虹を置きます。これは私とあなたたち及び生き物の間に、世々限りなく私が立てる契約のしるしです。 (創世記 9:12-13) 虹 大洋の上、あるいは広野の上にかかる虹がいかに雄大であるかを思えば、洪水の引いた後バビロンの平野に現れた虹は、ノアの目にいかに美しく、いかに壮大だったでしょうか。 虹は黒雲の中に現れず、また白日の下においても現れません。虹は雨が上がって青空が広がろうとする、その直前に現れます。古きは過ぎ去って、見なさい、新しい生命が出ようとする時の希望の色であり、復活の預言です。 神の革袋(かわぶくろ)に貯えられた私たちの涙の水滴が水蒸気のように立ち昇り、それを通して神の愛と栄光が分解される時、それは七色の虹となります。ヨハネが幻影(げんえい)に見た神の御座の周囲に虹があり(黙示録 4: 3)、またエゼキエルの見たエホバの栄光の輝きは「雨の日に雲にあらわれる虹のようです」(エゼキエル 1:28)とあるのも、単に神の威厳(いげん)を示すための形容ではなく、悲しんでいる人をなぐさめ、死んだ人を復活させ、荒廃(こうはい)の地に救いと希望を与えられる神の愛の輝きを象徴(しょうちょう)するものと解すべきです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.05.17
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月17日(金)障害者福祉会その総会に向け決算書おさらいをする富士山が見えればやはりいっせいに声を上げたりマイクロバスに研修の旅行といえど富士山を見ればおのずとなごやかになる雪かぶる富士の高嶺の雄々しさにただうっとりと見惚れていたり雲抱き富士の高嶺は聳えたり真正面に真向いている曇りたる空の下にはうす黒き海原つづく光もとめて出来たての新東名をひた走り一路浜松に向かうマイクロ山浦氏創設したる知的障害児施設の小羊学園障害をもち生きている子供らよ栄光は今君たちのもの私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.17
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短歌用語辞典5月17日(金)ほ(27)ほたる蛍(名詞)水辺のくさむらにすみ、初夏の闇夜に光を放ちながら飛び交う。草むらに蛍のしづむ宵やみを時のま吾は歩みとどめつ 斎藤茂吉暗道(くらみち)のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か 前 登志夫てのひらのくぼみにかこふ草蛍移さむとしてひかりをこぼす 高嶋健一初めてを逢ひにし闇とおもふまでひとつ蛍火のまたたくあはれ 清原令子人生はあるいは大き蛍籠夕げののちをつつましきかな 岡井 隆(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.05.16
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5月17日(金)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。神は愛なり 神は愛です、ですから神のわたしたちへの最大の恩寵は愛です。神は必ずしも私たちに権能(ちから)を賜いません。神はイエスにこれを賜いませんでした。神は愛する子が敵にあざけられ、ののしられる時にあたっても、天から万軍を呼んでほろぼす権能を賜いませんでした。イエスは苦しめられましたが、屠場にひかれる小羊のように、毛を切る者の前にもだする羊のように、口を開きませんでした。しかし、神はその時著しい愛をお与えになりました。彼は、十字架の上で「父よ、彼らをゆるしてください、そのなすところを知らないのです」と叫けばしたのでした。十字架上のイエスには、己を救う能力(ちから)はありませんでした。しかし、神の子でした。愛のほかなにも持たざりし、弱い、助けのない者した。一日一生(内村鑑三)5月17日(金) あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである。(出エジプト記二〇・一二)近代人、ことに青年は、礼儀であると言えば虚礼であると思い、礼儀を省みざることが誠実であり真摯(しんし)であると思う。礼儀と称せらるるものの内に虚礼のあることは、余輩といえども疑わない。しかしながら、礼儀すべて虚礼であって、無礼がかえって誠実であると思うは大いなるまちがいである。真の礼儀は、人に対する尊敬である。人はすべて神のかたちにかたどられて造られたる者、その資格において、すべての人が吾人の尊敬に値する。ことに吾人の長者に対して、彼らがある意味において神を代表して吾人に対する者であるがゆえに、吾人は神に対する尊敬をもって彼らに対しなければならない。そして実際のところ、礼儀の無いところには誠実はない。適当の礼儀を欠いて、子弟の関係なり、友人の関係なり、そのほか人と人とのすべての正しき関係が永久に持続せられたためしはない。たとえ夫婦の関係といえども、礼なくして、これを正当にすることはできない。礼儀は耐久的関係の必要条件である。(信二二・六一)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。5月17日(金)私はすべての人に対して自由ですが、自ら進んですべての人に仕える人となりました。律法のない人には律法のない人のように、弱い人には弱い人のように、すべての人に対してすべての人のようになりました。どうにかして何人かでも救いたいのです。福音のためなら私はどんな事でもします。それによって私も共に福音にあずかるからです。 (第一コリント 9:19-23) 信仰の活用 信仰を活かせて働かせる機会は、常に私たちの身辺に横たわっています。福音を人に伝えることがその一つです。しかし特に伝道として語らなくても、人が自分を悪の道に誘う時信仰によってこれを拒絶し、人が捨てて顧みない弱者をひそかに救援し、逆境におちいった時、信仰によって耐える等は、いづれも信仰の活用です。その小さい「ノー」、小さい愛、小さい忍耐が、私たちに信仰の富を得させます。 信仰の活用はとりわけ伝道にあります。信仰の押し売りはいけませんが、自分の周囲にいる人のためにキリストの福音を語る機会を作ることは、だれよりも自分自身のために恩恵の富を得させます。私たち各自が家庭において、あるいは職場において、自発的に聖書研究のグループを作ることは、神の喜ばれる伝道の方法であると共に、私たち各自の「富の道」です。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.05.16
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/5月16日(木)明日(みょうにち)は施設見学するために浜松に行く五時起きをして障害者施設の遅れハードではなくてソフトを重視して見ん分るとは分けることだというように世はどんどんと細分化する障害者福祉会での総会のために書類のおさらいをする栃飛龍前へまえへと突き進み今日は我慢の勝利を得たり私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.05.16
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