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短歌用語辞典7月1日(月)ま(23)まじ(助動詞)…ないつもりだ。否定的意志を示す。…てはいけない。…べきでない。当然・義務の否定を示す。…できそうにない。不可能を示す。…するな。禁止を示す。春雨にぬれてとどけば見すまじき手紙の糊もはげて居にけり 長塚 節杖さきにかかぐりあゆむ我姿見すまじきかも母にも妻にも 明石海人命永かるまじきおもひをわれ秘めて信濃高遠の花に今日在り 吉野秀雄(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.30
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7月1日(月)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。一つの事 人生は短いと言っても、もし一つの事を続けて毎日少しずつするならば、死ぬまでには一大事業を成就することが出来でしょう。驚くべきことは、毎日少しづつする仕事の結果です。急に大事業を思い立ってするのではなく、毎日、降っても照っても、タイミングが良くても悪くても、こつこつとすることです。この方法によって、凡才も大学者となることができるのです。毎日、一つずつの事項を暗記して、一生涯に大歴史家と成ることができるのです。毎日、一章ずつ読んで三年と四ヶ月には聖書全部を通読することができるのです。これを生涯続けて、大聖書学者となることが出来るのです。一日一生(内村鑑三)7月の初めにキリストと共に起き、キリストと共に働き、キリストと共に眠りにつく。今われ肉体にありて生けるは、われを愛して、わがためにおのれを捨てし者、すなわち神の子を信ずるによりて生けるなり(ガラテヤ書二・二〇)。(信八・一六)7月1日(月)それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見だすであろう」(マタイ伝一六・二四~二五)キリスト教は元来十字架の宗教である。これはただにキリストの教えではない。十字架につけられたまいしキリストの教えである。その教うるところは、われらがキリストにならって十字架につけらるることではない。キリストがわれらのために十字架につけられたまいしことである。十字架はただにキリスト教の表号(シンボル)ではない。その中心である。キリスト教全構造が依(よ)って立つところの隅(すみ)の首石(おやいし)である。罪は、十字架の上にゆるされ、また消滅され、恩恵は、十字架の成就(なしとげ)られし功徳(いさおし)を信受する条件の下に、約束せられ、また施与せらるるのである。まことに十字架なくしてキリスト教はない。今やキリスト教ならざる多くのものがキリスト教として通用するこのときに際し、われらはキリスト教を呼ぶに新しきに名をもってするの欲求を感ずる。しかして余はこの欲求に応ぜんがために、十字架教なる名を提供する。(信一五・九九)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。7 月 1 日(月) 私のは証(あかし)を束ね、教えを弟子の中に封じ込めます。主は今、顔を隠しヤコ ブの家を返りみられせんが、私は主を待ち望みます。 (イザヤ 8:16-17) イザヤを思う イザヤ、私の友、私の心の友よ。アハズ王がアラム・エフライム連合軍に備えるた めアッシリアと軍事協定を結んだ時、あなたは立って反対して言いました、アラム・エ フライムを怖れてはいけません、アッシリアを信じてはいけません、静かなる心を以 て主に依り頼む事こそ国の力ですと。 ・・・ 外国に依り頼んではいけません。ただ 主を信じて静かに立ちなさい。文武の政治の腐敗とごうまんを洗い清め、国民とりわ けその指導者階級の信仰と道徳を義しくし、民に平和と休息を与えなさい。そうすれ ば国難は神の手によって解消されるでしょう。このようにイザヤは叫びました。しかし 国民の中でだれが彼の預言に耳を傾けたでしょうか。彼はその教えを束ねて少数 の子の中に封じ、彼の不動の信仰と愛国の熱情を解する人を後世に期したので す。 ・・・ イザヤよ、私はあなたと語ることを好みます。そして私も私の言葉を束ね、私の少 数の弟子の中に封じ置きます。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.06.30
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月30日(日)霜に耐え春過ぎ初夏の庭隅に可憐な花を保つパンジー苗育つ水田に降りて鷺一羽首を伸ばして動くともなし薄紅の花を咲かせるねむの木を揺らし川より風が吹きくる来年のためとは言えど紫陽花の大輪すべて切り落したりなすキュウリトマトも色が付き始むわが菜園を見て回りたり私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.30
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6月30日(日)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ま(22) まさる増さる・益さる(自動詞四段活用)次第に多くなる。自然に増す。ふえる。加わる。つのる。秋ふけしこの花園の葉鶏頭霜夜霜夜に色まさりけり 結城哀草果花冷えのまさりて明くる目覚めには樹氷とまがふ花のまぼろし 上田三四二今日来れば雪解(ゆきげ)まされる山水のしろじろ光り村をつらぬく 五味保義ましまし(助動詞)…だろう。…したい。助動詞「む」とほぼ同じ推量・意志をあらわす。未然形に付く。たたかひに果てし我が子の 目を盲(し)ひて 若し還り来ば、かなしからまし 釈 迢空怒る時/かならずひとつ鉢を割り/九百九十九割りて死なまし 石川啄木(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.30
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月30日(日)行きずまり 神に行きずまりはありません。行きずまりは人のことであって、神のことではありません。神が時々、人を行きずまらせるのは、人が彼(神)によって新たらしく運命を開くようにするためです。「神は全ての人をあわれまんがために、すべての人を不順(反逆)の中に閉じ込め給えり。」と聖書にある通りです。人が自分で自分を助けることが出来ると思う間は、次第次第に窮地へ追いつめられるのです。しかしながら、ひとたび自分に力のないことをを悟って、上を仰いで神の助けを祈り求めるならば、恩恵の道が彼の前に開けて、彼は無限の神の園で無限の自由を楽しむに至るのです。一日一生(内村鑑三)6月30日(日)正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。(箴言四・一八)始めは小なるも可なり。終りの大ならんことを欲す。始めは悲しむも可なり。終りに喜ばんことを欲す。始めに羞恥あるも可なり。終りに名誉あらんことを欲す。始めに家なきも可なり。終りに住みかなきをいとう。しかして神はおのれを愛する者を、始めに苦しめたもうといえども、終りには「笑いをもて彼の口を満たし、喜びを彼のくちびるに置きたまう」(詩篇一二六・二)べし。羞恥に始まって栄光に終り、十字架に始まって復活昇天に終る。「義者の道は旭日のごとし。いよいよ輝きを増して昼の正午(まなか)に至る」。願わくはわれもその恩恵にあずからんことを。(注四・八六)「矢内原忠雄の今日の言葉」6月30日(日)神は私たちに新しい契約に従う力を与えられました。私たちは文字に仕える者でな く、霊に仕える者とされたのです。文字は人を殺し、霊は人を生かします。 (第二コリント 3: 6) 霊と真実 霊によって生きることが、真の真実であり、律法によって生きることは、見せかけ の真実です。それは、律法によっては私たちは真実であることが出来ないからで す。 信仰によって霊に生きる人は、神の前にあって真の自由を得ます。信仰者は霊に よって自然に、巧まず意識せず真実に生きることが出来ます。律法によって照らさ れて自己の不真実を意識するとき、信仰者は泣いて霊の父なる神の御顔を仰ぎま す。そこに信仰者の真実があるのです。自己の不真実を自覚するとき、「自分のよう な不真実な者は神の子と呼ばれるに値しません」と言って、神から遠ざかって行く人 は、謙そんのようで実はごうまんです。神様から見て、素直な態度ではありません。 これに反し、「自分のような不真実な人は、一層神によりすがる外はありません」と 言って、不真実な自分をそのまま神に寄り頼んで行くならば、神の前にあってそれが 人の真実です。 不真実は、自分の人間的判断によって神から離れて行こうとする一切の傾向と態 度の中にあります。これに反し真実は、信仰によって生きようとする霊的な生活態度 の中にあります。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.30
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月29日(土)天に向き白き大輪開きたり泰山木は大木にして丑の日にうな重どうぞと言われたり知り合いなれば天重頼む昨日の旅行の残り缶ビール飲みてすっかり酔い回りくるうとうとと酔い回りきてテレビより流れる曲の「雪国」を聴くテレビより流れる曲は「舟歌」か昨日旅行のバスで歌いし音楽の日なのか今日はただしかし十三時間は付き合えないがコマーシャルまたコマーシャルどうしてこうもコマーシャルまたコマーシャルまた私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.29
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6月29日(土)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ま(21)まさめ正目・正眼(名詞)まのあたり。直目(ただめ)。目先。目の前。自分の眼で直接見ること。まさ目には何も見えねどあらたまの年の祝詞(ことほぎ)言ひをり母は 斎藤 史正目にて仰ぎ見をれば飛び巡り黒々と見ゆ天平紋の鳥 中野菊夫直(ひた)向きにみつむる人の眼の鋭さ画とは思へども正目に向ふ 川端千枝 死に近き眼(まなこ)見ひらく父の顔まさめに見つつなみだ耐へをり 小泉苳三(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.28
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月29日(日)個人の救い一人の霊魂を救うことが出来て、初めて教会を建てることが出来、社会を改めることが出来、国を救うことが出来るのです。個人は教会の根底であり、国の基礎です。神は教会に宿る前にまず個人の霊魂に宿り、国に臨む前にまず個人の霊魂に臨み給うのです。個人なるかな!個人なるかな!個人より始まらない事業で偉大なる事業というのはないのです。一人の少女をその霊魂の奥深いところにおいて動かす力こそ、やがて社会をその根底より改め、国家人類をその本源より聖(きよ)むることが出来る力なのです。内村鑑三一日一生より6月29日(日)わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。(ガラテヤ書六・九~十)働けよ。働けよ。報酬を得るあたわずといえども働けよ。もし報酬を得るあたわずば、働いて報酬を得るの権利を得よ。さらば報酬はついに与えらるべし。また、はばからずして報酬を要求し得るに至るべし。報酬の約束せらるるまで待って、事は成らざるべし。報酬は得られざるべし。報酬は労働に伴うものなり。その、いつ、何びとによりて与えらるるかは、われらの干与するところにあらざるなり。(信八・一二七)6月29日(土) 人は天から与えられるのでなければ、何ものも受けることはできません。 (ヨハネ 3:27) 与える事と受ける事 与える人は幸福ですが、受ける人はさらに幸福です。私たちは神にむかって何も 与えることが出来ません。これに対して善きものはすべて神から恩恵として与えられ ます。私たちは何の代償も払わないで、最善の賜物であるキリストの救いを神から 与えられるのです。これに対して私たちのさし出し得るものは、心からの感謝と賛美 だけです。 与える事はたかぶりと報酬を求める心を伴いやすく、受ける事は柔和と感謝を伴 います。与える事がごうまんを伴わないためには、与える人は先ず神から受けた事 を知ることが必要であり、受ける事がむさぼりを伴わないためには、神から受けたも のは人に与えるためであることを知なければなりません。 神との関係においては、常に受ける事は与える事よりも幸福であり、人との関係に おいても、多くの場合において同様です。それは柔和はごうまんにまさり、もたない 人はもつ人よりも神に依り頼むところが強いからです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.28
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月28日(金)浜松のフラワーパークへバス旅行朝の七時に出発をする障害者福祉会でのバス旅行今日一日の無事を祈れりレパートリー二十曲より歌いたり行きに八曲帰り九曲わが十八番(おはこ)「川の流れのように」をば先に歌われ断念をするディズニーのおとぎの国のごとになり花で作れるフラワーパーク調整を加えて昼に咲かせてるフラワーパークの月下美人は温室は花粉の匂い満ちていてたちまち頭がくらくらとする二千年の眠りを覚めて大賀蓮今が盛りと花咲かせおり私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.28
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6月28日(土)短歌用語辞典飯塚書店発行:(1993年)ま(20)まざまざ(副詞)ありあり。はっきり。紅葉せず枯葉に移る庭木々に大気の汚れまざまざと見つ 石川為義死の灰に落ちゆく無数の燕の群まざまざと眼底にありて目覚めつ 沢 草二(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.27
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月28日(金)自己の引き渡しイエスに自分自身を引き渡して、わたしたちの務めは終わるのです。そうです、何かしようにも何も出来ないのです。わたしは自己としては死んだ人間です、「われ」という人間が存在しないのです。しかしながら不思議なことに、わたしが自己として死ぬ時、その時わたしは直ちに生き返るのです。その時、自己と異なる者がわたしの内側より起こって、わたしを活かし、わたしを働かせるのです。その時、わたしの思想は新しくなり、わたしの心の目が開かれ、わたしの霊魂が活気づいて、わたしの疲れた肉体までもが生き返ったように感じるのです。一日一生(内村鑑三)6月28日(金)それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。だれがわたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、かみの右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。(ローマ書八・三一~三四)キリスト教は情性を過敏ならしむるがゆえに、悲哀を感ぜしむる、また従って強し。されども真理は過敏の情性を練り、無限の苦痛の中より無限の勇気を生むものなり。(信一・一八)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6月28日(金) 「あなたは私を幼少より教えられました。私は今に至るまであなたの救いの御業を のべ伝えてきました。神よ、願わくば、私が老いて髪が白くなっても、あなたの力を次 の世代にのべ伝え、あなたの全能を世に生まれるすべての人にのべ伝えるまで、私 を離れないでください」。 (詩篇 71:17-18) 私の存在 私の存在が人々の喜びならば、私の生まれた日に祝福がありますように。 私の存在が人々のつまづきならば、父よ私の罪をゆるしてください。 私の存在はあなたによるのであり、私の死去もまたあなたによります。 私の世にあるかぎり私を導いて、あなたの道を歩ませてください。あなたの定められ る時が来たならば、私を聖国に受け入れてください。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.27
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月27日(木)カードより不明なものが引かれてるアマゾンなのに何だいこれは明細にアマゾンプライム電話という項目ありて引かれているがアマゾンが大アマゾンが詐欺的なことするはずがないではないか請求のアマゾンプライムって何だもう一度よく調べてみよう知らぬ間に三千九百円なるぞわがカードから引かれているはカードから不明なものが引かれてるわが混乱は頂点となる早速にキャンセルすれば三千円戻ってくるとうメール来りぬ私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.27
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6月27日(木)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるま(19)まさぐる弄る(他動詞四段活用)もてあそぶ。いじる。制服の金のボタンをしみじみといとしさあまりまさぐりにけり 植松寿樹机にたち向かわんとぞ歌反故の古きをしばしまさぐりていつ 岩間正男身のうちにありし腫のあとまさぐるも習性となり寒明けにける 穴沢芳江(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.26
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月27日(木)教会とはもしわたしたちに教会があるとするならば、それはわたしたちの家庭です。わたしたちの学校です。わたしたちの事務所です。わたしたちの田園です。わたしたちの工場です。わたしたちの店舗です。わたしたちはそこで神に仕え、神を賛美し、神の栄光をあらわそうと願います。わたしたちにとって、特別に神聖な場所と言うのはありません。わたしたちが座る所、立つ所、すべて神聖です。神はそのような場所に、わたしたちに現れて言いたまいます、「なんじが立つ所は聖き地なり」と。わたしたちはその時、モ-セと同じように、そこにわたしたちの靴をぬぎ、そこでわたしたちの神を拝して、神の貴き黙示に接します。一日一生(内村鑑三)6月27日(木)よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。(イザヤ書五二・七)人のために伝道せよ。彼に肉情的の快楽を与えんがためならずして、彼の霊魂を救わんがために、なんじが神に恵まれしごとく彼も神に恵まれんがために、彼に神霊の宿るあれば、神にささぐべきものはこれを彼にささげよ。これ迷信ならざる偶像崇拝なり。これ人情的の一神教なり。この伝道に歓喜と情熱とあり。この伝道に迫害と争乱とあるなし。これ余輩の称してもって真正なる伝道の精神となすものなり。(信一・一九七)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6月27日(木)私が苦しんでいるのは、彼らがなぐさめを受け、愛のきずなによって結び合わされ、 父なる神とキリストの奥義を知る十分な理解力を与えられるためです。神とキリスト のうちには知恵と知識の一切の宝が秘められているのです。 (コロサイ 2: 2-3) 愛の花束 私たちの人生には喜びと苦しみ、楽しさと悲しみのさまざまな出来事が起こりま す。その一つ一つを神はもらさず集めて、香り高い花も、打ちひしがれた枝も、時に は私たちの心を刺す有刺(ゆうし)鉄線さえも交え、それらすべてを「神の愛」というリ ボンで一つの花束に結び合わせ、私たちの手にもたせて下さいます。 草月流の花道は材料を選ばないそうですが、神も神の愛を全体として示されるた めに、私たちの人生の経験と出来事を、一つも捨てずに用いられます。「信じる人に はすべての事が相働いて善となる」(ローマ 8:28)とはこの事です。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.26
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月26日(水)真夜中に硝子戸叩き飽くなきはカナブン一匹光求むる雨のなか目を病む友は車にて目的地まで乗せてくれたり賀茂郡の文化協会役員が豪雨のなかに今日集れり西伊豆に集りたれば雄三のミュージアムでも見ることにする歌楽器作曲スキーまたヨット絵画もやれば頭が下る一本の木も真直ぐに伸びいるは生きてやるぞの信念ならん踏まれてもふまれてもなお葛の蔓崖這い上り舗道に伸びる私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.26
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短歌用語辞典6月26日(水)ま(18)まさか目前・眼前(名詞)まのあたり。目の前。現在。いま。目前にて春秋の秘酒よみがへり妖しきまでに酔ひ疲れたり 宮 柊二見はるかす湖の波頭のきらめきて目前の空に鳶ひとつゆく 石崎好子とのぐもり坂一筋のごときかなゆめのまさかも花吹雪して 坪野哲久(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.25
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6月26日(水)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。神のみわざイエスが道を通っておられるとき、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った。「先生、この人が生まれつき盲人なのは、誰が罪を犯したためですか。本人ですか、それとも両親ですか。」イエスは答えられた「本人が罪を犯したためでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが彼の上に現れるためである。」(ヨハネ伝9-1~3)一日一生(内村鑑三)6月26日(水)試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。愛する兄弟達よ。思い違いをしてはいけない。(ヤコブ書一・一二~一六)試練は人生の付きものである。試練のない人生とてない。主イエスにもあった。われら各自にもある。試練は意志の選択の試みである。より高きものとより低きもの、肉と霊、来世と現世、神とこの世、キリストとサタン、いずれも明白なる対照物であって、人という人、信者と言う信者は、いつか一度は、しかり、幾度も、二者いずれを選ぶかと試みらるるのである。そして上なるものを選びし時に上り、下なるものを選びし時に下る。人生の成功と失敗はこの選択いかんによりて定まる。かくのごとくに見て、人生は試練の連続である。人生これ試験ある。及第か落第か。試験地獄はこれを人生そのものにおいて見るのである。(注一四・一四三)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6 月 2 6 日(水) 悪しき日にあって、よく抵抗し堅く立って完全に勝利を得るため神の武具を身につけ なさい。腰に真理の帯をしめ、胸に正義のよろいを当て、足に平和の福音をはき、 サタンの火の矢を防ぐ信仰の盾(たて)を取って戦いなさい。また救いのかぶとをか ぶり、霊の剣すなわち神の言葉を取りなさい。 (エペソ 6:13-17) 信仰の戦い パウロがエペソ書を書いたのは、ローマ帝国の威武(いぶ)があがり、ローマの軍 隊が精鋭を以て鳴った時代でした。彼がここにローマ軍隊の武装を引用して、信仰 の戦いの備えを勧めている文章は極めて美しいです。ただしその美は、単に引例の 適切にあるのみでなく、ローマの軍隊とキリストの兵卒との間における戦闘目的の 著しい対照(コントラスト)からも来ています。ローマは帝国征服の野心のために戦 い、私たちは霊的エクレシアの完成のために戦います。戦いなくしては善きものは得 られません。サタンに抵抗する勇気のない軟弱臆病(なんじゃくおくびょう)な人、ある いは自分一人の救いに満足して、キリストの体であるエクレシアを守るために出征 する愛国心を欠く人は、その精神においてこの世の国の兵卒にも劣ります。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.06.25
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月25日(火)題詠「硝子」二首施設より帰りたる子は硝子戸を開け網戸あけ雨を見ているもの言えず心閉ざせる子はまるで硝子細工のように籠れりあまたなる木の葉を愛し訪う風はわれのこころも癒してくれる増水の小川の水が堂々とその存在を示し流るる濁流となりたる波が方舟を早よう造れと言わんばかりぞ私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.25
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6月25日(火)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ま(17) まこと誠・実・真(副詞)本当に。じつに。しんに。げに。いつわりなく。「まことに」とも。ふりかえり見つめていたる野良猫がまこと無念の声に近寄る 武川忠一すずめ色は雀の胸の色ならむまことたそがれのおぼつかなさよ 石川不二子真夜中に/氷をくだく音がする/まことに妻をありがたく思ふ 渡辺順三生涯の曲り角にて幹若木裸木はまことに率直に立つ 石田比呂志(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.24
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月25日(火)一つの事 人生は短いと言っても、もし一つの事を続けて毎日少しずつするならば、死ぬまでには一大事業を成就することが出来でしょう。驚くべきことは、毎日少しづつする仕事の結果です。急に大事業を思い立ってするのではなく、毎日、降っても照っても、タイミングが良くても悪くても、こつこつとすることです。この方法によって、凡才も大学者となることができるのです。毎日、一つずつの事項を暗記して、一生涯に大歴史家と成ることができるのです。毎日、一章ずつ読んで三年と四ヶ月には聖書全部を通読することができるのです。これを生涯続けて、大聖書学者となることが出来るのです。一日一生(内村鑑三)6月25日(火)まことに彼はわれわれの病を負い、われわれのかなしみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(イザヤ書五三・四~五)最も偉大なる事は、人に勝つ事にあらず、人に負けることなり。彼にわが場所を譲る事なり。その下に立つ事なり。喜んでその侮辱を受くる事なり。つばきせられて十字架につけらるる事なり。かくなし、かくなされて、われは初めて神の心を知るを得るなり。まことに高き者は低くせられ、低き者は高くせられる。われら、神に高くせられんと欲すれば、人にひくくせられざるべからざるなり。(信八・一三三)「矢内原忠雄の今日の言葉」6月25日(火)ラケルは死が近づき霊(たましい)が去ろうとする時、子の名をベノニと呼びました。 しかし、父はこれをベニヤミンと名付けました。 (創世記 35:18) 苦痛の子 ヤコブの愛妻ラケルはヘブロンへの途上、エフラタまでまだ距離のあるところで産 気づき、難産の末男の子を生みました。苦痛の中に彼女は、「ベノニ」(私の苦痛の 子)と言いながら息が絶えました。しかし夫ヤコブは生まれた子を信仰によって祝福 し、これを「ベニヤミン」(右手の子)と名付けたという記事が、創世記35:18にありま す(右手は力と勢力をあらわします)。 肉においては私の苦痛の子、霊においては右の手の子です。イエスの十字架上 の苦痛によって救われた者として、私たちはまことにイエスの「ベノニ」、苦痛の子で す。しかしキリストの霊によって新たに生まれた者としては、私たちはキリストの「ベ ニヤミン」、すなわち右の手の子です。私たちはキリストに従い、勝利を得るために 出て行くのです。心身を労して働く伝道者はすべてラケルです。彼は目指す目的地 であるヘブロンに行く道の中途のエフラタにさえまだ距離のある所で、ベノニを生ん で息絶えます。 ・・・ パウロがその一人でした。愛すべきパウロよ。伝道者としての あなたの苦難を思って、私はあなたに感謝します。あなたの苦痛がなければ、私は 新たに生まれなかったのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.24
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月24日(月)裏庭にくちなしの花咲いてるとわれの手を引くもの言えぬ子がくちなしの甘き匂いよ施設へと預けてきたる息子が浮ぶ施設にて暮す息子よくちなしの甘きにおいをかげば浮び来施設へと汝(なれ)を預ける原因はわたしの方にあると気づきぬ雛一羽いじめられおり突っつかれ背の羽あらかた抜け落ちている雄が五羽雌が一羽のその雛がいじめられおり雌鳥たちに私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.24
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平成25年6月24日(月)読売歌壇 栗木京子選 入選する有難うございました。幾筋も茜に染まる雲の帯やさしき人の思い出に似る 下田市 後藤瑞義私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.24
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6月24日(月)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ま(16)まご孫(名詞)子の子。「うまご」の約。上るのか下りてくるのか階段の中途に坐り歌うたふ孫 曽我芳文太枝の折れむほど季実りたり夏休みの孫ら電話して来よ 遠藤哲郎孫泣けば吾れ𠮟られしごと孫笑めばわれ賞められしごと老いの胸うつ 後藤俊子戻り来よどこをさまよっている孫よふるさとは早や花のさかりに 菅 ます美(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.23
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月24日(月)死の歓迎死は信者にも来ますし、不信者にも来ます。義者にも臨み、悪者にも臨みます。しかしながら、義者に臨んで死は彼を完成させ、悪者に臨んで彼を破滅させます。呪うべきは、死ではなく罪です。罪を除かれた者には、死はなにもなすことが出来ません。かえって、その人を清め、磨き、そして神の前に完全(まった)き人として立たせるのです。神を信じ罪を赦されて、わたしたちは死さえ歓迎することが出来るようになるのです。内村鑑三一日一生より6月24日(月)「主は数千の雄羊、万流の油を喜ばれるだろうか。わがとがのためにわが長子をささぐべきか。わが魂の罪のためにわが身の子をささぐべきか」。人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたにもとめられることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。(ミカ書六・七~八)宗教とは寺院ではない。教会でもない。規則でもない。儀式でもない。また経文でもない。聖書でもない。宗教とは永久的生命である。あるいは、この生命を自己に摂(と)ることである。この生命とその摂取がなくして宗教はない。宗教がこれであるとすれば―これでなくてはならい―伝道の何たるかは明白である。伝道は単に道を説くことではない。説教これ伝道なりと思う世間普通の宗教家は、宗教の「いろは」をもしらない者である。伝道とは教勢拡張ではない。社会改良ではない。国家救済ではない。洗礼ではない。晩餐式ではない。伝道とは―その文字がはなはだ人を誤りやすい―霊的生命を他に供することである。その自覚而下的自我を養うことである。宗教とは、政治、経済、医術と同じく、明白なる目的を持ったる明白なる事業である。これは単に歌と弁舌とをもってする老若男女の慰安術ではない。これは曖昧模糊(あいまいもこ)を本領とする夢想家のたわごとではない。これは実物をもって実要に応ずる確実なる事業である。(信一七・一五)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6 月 2 4 日(月)主よ、私は知ります。人の道は自身によらず、歩む人が自分で道を決めることが出 来ないことを。主よ、私を正してください、義しき審きによって、怒らずに罰して下さ い。さもないと私は亡んでしまいます。 (エレミヤ 19:23-24) エレミヤと私 私は自分をあえてエレミヤに比すべき者ではありません。けれども私は学校を出 て、会社の事務員を三年しました。その仕事を私が嫌いで、あるいは無能で辞めた のではありません。けれども会社員の生活をしていることが出来なくなって、学校の 教師になりました。教師の仕事もいやで辞めたのではありません。また無能によって 辞めたのでもありません。けれども若いときから私に神の言葉が背負わされて、そし てその神の言葉のためにどれだけ私の平凡で平和な生活が妨げられたか分かりま せん。もうよそうと何度も思いました。そして自分も他の同僚と同じように、職業だけ に専心して事の無い生活、戦いのない生活をしたいと、どれほど思ったか分かりま せん。そして私が黙ろうと思っても、また神の言葉が燃え上がってくるんです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.23
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月23日(日)施設にて無事を知らせるためなるや子は嚙み傷を隠していたり施設より帰れる息子嚙み傷を隠さんとして風呂を拒みぬわが知識かくもお粗末無知なるか今更ながら師を思い出すもう少し素直に教えに従えばこれほど惨めな気持にならぬも若き日にわが師はすでにこのことに気づいていたか今気づきたり日本も西洋のこともなにもかも深く思わず七十となる私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.23
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雑感:歌集「悲しき玩具」より(四)(結社誌「賀茂短歌」六月号)下書き 後藤瑞義 前月号で、今月号は「分ける」について何か書くことを約束しました。勿論啄木の短 歌の分ち書きから、「分ける」ことが問題となるわけです。 ちょっとその前に、啄木短歌といいますか、啄木で気がついたことがあります。次 の歌は、歌集『悲しき玩具』ではなく、『一握の砂』の中にある歌です。 石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし 「石をもて追はるるごとく」は重い言葉です。啄木には色々な事情でふるさとから追 われた、という気持があったでしょう。しかし、啄木の不思議は、これはわたしだけ不 思議におもうのかもしれませんが、啄木くらい熱くふるさとのことを思った、なつかし んだ、歌にした人はあまりいないのではないでしょうか。ふるさとから石をもて追われ たような啄木なのにです。ここが啄木についてのわたしの不思議さがあるのです。ふ るさとを憎んでもよかったのではなかったか。ふるさとなどと縁を切ってもよかったの ではなかったか。 病のごと思郷(しきょう)のこころ湧く日なり (目にあをぞらの煙かなしも ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく やまひある獣のごときわがこころふるさとのこと聞けばおとなし ふと思ふふるさとにゐて日毎聴きし雀の鳴くを三年 ( みとせ )聴かざり ふるさとのかの路傍 ( みちばた )のすて石よ今年も草に埋もれしらむ かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川 やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに 馬鈴薯のうす紫の花に降る雨を思へり都の雨に 汽車の窓はるかに北にふるさとの山見え来れば襟を正すも ふるさとの停車場路の川ばたの胡桃の下に小石拾へり ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな これらの歌は、すべて歌集『一握の砂』からの歌です、もっともっとありますが、このく らいにしておきましょう。 啄木くん、君は、都会に、東京にあこがれをもって上京しました。そう、君の処女 詩集は『あこがれ』でした。あこがれ、もちろん東京へのあこがれがあるでしょう が、もっと深いところに、明治維新によってもたらされた西洋へのあこがれ、西洋 文明へのあこがれがあったのではなかったですか。飛躍してしまいますが、君の 分ち書きは西洋文明へのあこがれの所産ではなかっただろうか。わたしは、そん な気がするのです。分けることは西洋文明の特徴だからです。 分けることについて、わたしは、少し簡単に考えていたかもしれません。喩がいい かどうか分りませんが、水溜りに青空が写っています、水溜りですから、簡単に踏み 越えようとしたんですが、何故か足がすくんでしまったのです。水溜りと簡単に思って いたのが、あるいは底なし沼、いや底なしの空のように感じたのです。今わたしは、 完全に足がすくんだ状態です。 今月号はこれくらいにして、終りにしたいと思います。「分ける」ということにつきま して、わたしなりの体験がありますので、次号はそのことを少しお話出来るのでは ないかと思っています。 (つづく)私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.23
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6月23日(日)短歌用語辞典飯塚書店発行:(1993年)ま(15)まぐわう(まぐはふ)目合ふ(自動詞四段活用)目を見合って愛情を通わせる。男女・雌雄が交接する。「まぐはひ」は名詞。妹山と背山まぐはふ雨の夜われは葡萄酒(ワイン)の赤をたのしむ 伊藤一彦蟷螂はまぐわうもなか雄食えり暗緑の燐澄む晩夏光 辺見じゅんコーポとはをかし真上に住む人のまぐはひの音も時にきこゆる 岡野直七郎まぐはひははかなきものといはめども七日経ねればわれこひにけり 吉野秀雄(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.22
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月23日(日)霊魂の救い「ああ!神よ、いかにしたらわたしの霊魂を救うことができるのでしょうか!!」このような、こころの叫びを持たない人には、とうていキリスト教は理解出来ないでしょう。キリスト教は、ある人が言うような、仏教のような哲学の一種ではありません。また禅宗のように、胆力を鍛練するものでもありません。キリスト教は、霊魂を救うための、神の大きな力のことです。キリストの降臨と言い、十字架上の罪の贖(あがな)いと言い、すべて霊魂を救おうとする神の行為です。ですから、これらの出来事を霊魂以外のことにあてはめては、その真意を理解することが出来ないのです。一日一生(内村鑑三)6月23日(日)そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起こして、イエスのことを宣べ伝えた。道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがパプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。{これにたいして、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、うけてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。}そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にパプテスマを授けた。ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。(使徒行伝八・三五~三九)信仰の告白の方法は一つにして足りない。もちろん言葉をもってするのみが唯一の告白でない。行為をもってする告白は言葉以上に強くある。しかも告白の意味を明らかに示す行為たるを要す。何びとが見ても「私は、イエスの弟子たるを恥としない」という意味の行為たるを要す。この意味において、パプテスマはもっとも善き信仰の告白である。パプテスマは不信の世に対す信仰告白の方法と見て甚大の価値がある。これは言葉と行為をもってする信仰の告白である。これを受くるに確信と勇気とがいる。わが国のごとき国柄において、ある種の迫害は、判然たる信仰にともなうが普通である。そしてこの意味からしてパプテスマは、多くの信者の信仰の確立ならびに上達を助けたのである。教会に入るための儀式のパプテスマは断然これを拒否するも、信者相互によって授けらるる信仰告白のためのパプテスマは、これを貴きさだめともとめざるを得ない。(注八・二○八)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6月23日(日) 太陽よ、月よ、すべての輝く星よ、いと高き宇宙よ、天をおおう水よ、主を賛美しなさ い。主はこれらをとこしえに作り、その場所を定めました。すべての海の生き物よ、 地球から主を賛美しなさい。炎よ、ひょうよ、雪よ、霜よ、あらしよ、もろもろの山よ、 大地よ、実のなる木よ、森林よ、野のけものよ、すべての家畜よ、地をはうものよ、 飛ぶ鳥よ、諸国の王たちよ、すべての民よ、若者よ、乙女よ、老人よ、幼子よ、主の 御名をほめたたえなさい。 (詩篇 148: 3-13抄) 自然界の創造 たのしき太陽の光、ただよう月の光、神秘的なる宇宙光、波にきらめく夜行虫。輝 くこはく色の春空、白雲わくごうかいな夏空、すみとおる秋の青い空、鉛色の鈍い冬 空。こんこんとわく泉、とうとうとした大河、静かな山湖、みなぎる海。雲にそびえる 山、ヒツジがいこう丘、耕された土、はてなき砂浜、緑の木々、美しの花々、赤らむ 果実、垂れる穂。北斗七星とカシオペア、オリオンとプレアディス。鳥は鳴き、チョウ は舞い、魚は泳ぎ、ワニはひそんでいます。ウシはしんぼう強く働き、イヌは精かん に走り、アリは忙しく往来し、カエルは軽快に飛び、ライオンはほえ、サルは木に下り ます。これらすべてを治める人は、男のすがたに威厳(いげん)あり、女の声は清ら かです。ああ美しいです、神の創造の御業(みわざ)は。これを楽しんで飽きる事を 知らず、これを賛えて、つきる事を知らないのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.22
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月22日(土)小旅行無事子は帰りお土産と鯵のヒラキをわれに手渡す十二個の半分六羽が孵りしも五羽雄鶏の形してくるご主人が亡くなられたる歌友(かゆう)より七月号の原稿届く母上が亡くなられたる歌友より七月号の歌稿が届く両足を骨折したる小池さん松葉杖でのリハビリ便り私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.22
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6月22日(土)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるま(14)まくら枕(名詞)寝る時に頭を支えるもの。ねること。寝ている心持ち。枕もと。「北枕」は北に向けて死者を寝かせること。住みそむる大阪の夜の夜業のおと枕かなしく寝そびれにけり 植松寿樹この奥に鈴虫を飼ふ家ありて雨に更くれば枕にきこゆ 大熊長次郎西むき北まくらも何のその机と本とかたよせて夜々 隅田葉吉(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.21
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月22日(土)破壊者キリストは破壊者ではありません。完成者です。完成者でありますために破壊者のように見えるのです。破壊するための破壊者がおります。完成するための破壊者もおります。前者は真正の破壊者であって、後者は真正の建設者なのです。そしてキリストは後者の建設者なのです。殻は芽をまもるために必要です。しかしながら、幼い芽がすでに根を地中に張るようになると、殻は自然と不必要となります。芽を殻の破壊者と見るのは誤りです。芽は殻の破壊者ではなくて、その完成者なのです。一日一生(内村鑑三)6月22日(土)イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現われた。百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非情に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。(マタイ伝二七・五○~五四)人の死は何びとのそれも厳粛である。これに超自然的なる、神秘的なるところがある。人は死に臨んで、ただの動物でない。また知能的機械でない。いかに冷静なる人といえども、死に面しては霊的である。感情的たらざるを得ない。人は死に臨んで無限の世界に直面する。自己は死して死せざる者なるを直感する。人の死ほど、厳粛なる、おそれ多きものはない。われら、愛する者の死の床にはべりて、霊の世界にありて神の前に立てるがごとくに感ずる。「人のまさに死なんとする、そのいうや善し」にとどまらない。そのさまや聖しである。人の息の絶ゆる所に、神はその天使を率いて臨在したもう。浮薄きわまる人の世も、死が見舞う所だけは厳粛である。神聖である。(注一五・二六九)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6月22日(土)主イエス・キリストを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。 (使徒行伝 16:31) 家族の救い 神の国は霊と真実の交わりであり、肉親の交わりとは全く質を異にします。血肉は 神の国を継ぐことは出来ないのです。私たちが神の恩恵によって信仰に入って後、 私たちの家族もまた同じ信仰に入ることは、私たちの心からの願いとなります。しか し私たちの最大の関心事は神の国の成ることであり、私たちの肉につながる家族生 活の幸福ではありません。ただ私たちの家族の救いもまたその中に準備されて行き ます。 ・・・ 家族伝道は心にかけるべき事柄ですが、しかしあせることはありません。また失望 することもありません。私たち自身の信仰は家族に対して福音の証となり、神の真 理はそれみずからの能力を私たちの家庭においても現されるでしょう。私たちのつ とめるべきことは、家族の無理解にかかわらず自分自身の信仰の立場を堅く保ち、 天のエルサレムに顔を向けて勇ましく歩むことです。その事が結局、家族の救いに 対して私たちとしてなしえる最善の準備なのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.21
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月21日(金)黙々と缶潰ししてわが息子今日千円の月給を得る台風は低気圧にとなりたるか子の小旅行無事帰れるや世渡りの拙きわれぞ子供等もいかに生きるか都会に出でて自己主張せぬわれなりしドクダミの花を厭いて踏みつけにけり心障のわが子と風呂に入りつつ人厭いたる心いやさる暗き歌作るはやめよなにもかも受け入れるんだ自然体にて私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.21
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六月号歌評(結社誌「賀茂短歌」)下書き 後藤瑞義あらがへど妻より先にわれ折れて小康つづく日日のちぐはぐ原 明男 作者は昨年大きな手術をされました。「小康つづく」ということばそれを踏まえているのでしょう。なんとなくまだ自信がないのでしょうか。上の句の「妻より先にわれ折れて」にそんな気がします。ただ、奥さんなどはもうすっかり良くなったと安心しているのかもしれません。そのへんの微妙な感じが「日日のちぐはぐ」という表現になっているのでしょうか。 あれこれの思い出に泣く日もあらんお子様たちに守られつつも渡辺つぎ 歌友のご主人が最近亡くなられました。その友へのなぐさめの歌です。作者は若い頃、五十代だったでしょうか、ご主人を亡くしておられます。そして、現在作者は、百二歳、ご主人が亡くなられて約半世紀経っておられます。重く実感が伝わってまいります。作者も立派な息子さんたちに守られて生活なさっております。その作者にして…。歌友の心にしっかりと作者の思いが届いたことでしょう。病院にゆく坂道は急なれど待つ人のありふみしめてゆくA子さん ご主人がお亡くなりになる前の作品です。祈りのような作品と思って読みました。「ふみしめてゆく」に実感がこもります。ただ、わたしが特に注目をしましたのは、もっとも、ご主人がお亡くなりになられた後で読むと、という注書きが必要かもしれませんが、「待つひとのあり」です。特に、「あり」という言葉です。「待つ人がおり(居り)」ではなく、「あり」です。短歌などを作っておりますと、無意識的に言葉が浮びます。この「あり」もあるいはそのような言葉ではなかったでしょうか。この世に存在するの「あり」です。生きていてほしいという作者の祈りのような気持が、「あり」を導いたのはないでしょうか。 さみどりの蚕豆主役の夕餉なり五月の色が食欲をます 黒田幸子 季節感のある、実感のある歌です。鈴木さんのところでも述べましたが、この作品も注目した言葉使いがありました。「五月の色が食欲をます」というところです。「五月の色に食欲がます」という言い方があります。むしろ、この言い方のほうが普通のようにわたしには思えたのです。このへんが、作者のやはり個性なのではないでしょうか。性別もあるかもしれません、あるいはご年齢、わたくしとは年代が違うためかもしれません。「食欲がます」といったストレートな表現は作者としては多分避けたかったのではないでしょうか。 二晩も庭を荒した犯人はこんな小さな猪だった 後藤早苗 連作で、次の作品は、「我を見て一目散に逃げてゆく小さな猪庭はめちゃめちゃ」です。作者は、猪と対面した、出くわしたのでしょう。庭を目茶苦茶に荒らした犯人が、意外と小さな猪だったのに驚いたのでしょう。小さな猪に出会うまでは、憎しみに燃えていたかもしれません、しかし、「こんな小さな猪」になにか、哀れさのようなものも感じたのはなかったか。猪も生きるために必死になっているのです。子育てをすれば年金ふへるとふフランスの国納得の朝 藤井美智子 フランスでは、子供を保育所などに預けず、自分で育てれば年金をもらえる、年金が増えるということでしょうか。子育てで働けない分政府が資金的補助するということであろうか。私にとっては、初耳の話でした。それにしても、なんとも粋なあつかをするものだと感心しました。作者ならずともわたしも納得します。しかし、あるいは異議を唱える人もいるかもしれません。ただ、分らないのは、「納得の朝」とくに「朝」でした。なんで「朝」なのか。あるいは、テレビの朝のニュースで話していたのだろうか。それとも、主婦の朝の仕事が大変なので、「納得の朝」なのでしょうか。結句にあるだけに、この「朝」が謎の余韻をわたしに与えました。 真夜中の着信音に飛び起きぬ孫の鼾(いびき)に娘は眠れぬとう B子さん 一読、まずほほえましいといいますか、ユーモラスに感じました。結婚した娘さんが、旦那さんの鼾がうるさくて眠れないというのは聞きます。ただ、三歳の自分の子供の鼾で眠れないというのは、たいへん珍しい話だと感じました。それが、真夜中に携帯電話で母親に「三歳の娘の鼾がうるさくて眠れない」と訴えてきたのです。これは、ちょっと異常なことと思えます。真夜中でなく、昼にかけてこなかったのか。鼾は今に始まったことではなかったでしょうから。これは、母親に話す事ではなくお医者さんに、耳鼻科に相談することでしょう。それとも、実際は別の相談ではなかったのか。結局夫婦喧嘩の悩みだったり、あるいは娘さん自身になにか悩み事があって、それを相談したかったのではなかったか。色々、この歌の次の展開が非常に興味深い、そんな感想です。私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.21
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短歌用語辞典6月21日(金)ま(13)まく(連語)…したいこと。…しようとすること。…ようなこと。未然形に付けて体言を作る。「むこと」の意。うつし身の孤心(ひとりごころ)の極まれば歎異(たんい)の鈔(せう)に縋らまくすも 吉野秀雄まがなしきその黒髪にかざさまく待ちし椿は咲きいでしものを 長谷川銀作うつそみのいのち一途(いちづ)になりにけり生(あ)れまく近き吾子思へば 五島美代子薄き日は壁画に匂ふなつかしき慈眼(じげん)にすがり泣くまくほしき 佐佐木信綱(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.20
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6月21日(金)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。文明と福音文明は汽船を提供し、汽車を提供し、電信電話を提供しました。文明は肉体に関する多くの快楽と便利を提供しました。しかし文明は必ずしも平和を提供しませんでした、安心、天国、永世を提供しませんでした。文明は霊魂の安全に関して何の貢献もしていません。文明は確かに善いことです、しかし福音より優って善きことではありません。わたしたちは文明の光輝に眩惑されて福音の真理を軽視すべきではないのです。あなたの重荷を主にゆだねなさい。主はあなたをささえられます。主は正しい人の心が動揺するのを決してゆるさないのです。一日一生(内村鑑三)6月21日(金)御子を持つ者はいのちを持ち、御子をもたない者はいのちをもっていない。(ヨハネ第一書五・一二)イエスを信ずるものは幸福なり。イエスを信ぜざるものは不幸なり。生命(すべての幸福の基なる)はイエスにおいてあれば、彼を離れてまことの幸福はないのである。また彼にありてすべての幸福はあるのである。イエスを信ずるを得て、知識あるも幸福である。知識なきものも幸福である。富めるも幸福である。貧しきも幸福である。ひとりあるも幸福である。多くの人とともにあるも幸福である。家庭の楽しきも幸福である。家庭の楽しからざるも幸福である。幸福のもとなる生命をおのれに持つがゆえに、境遇のいかん、所有の有無にかかわらず、すべての場合において幸福である。(注五・一九九)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6 月 21 日(金) 私があなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい。人が友のため に自分の命を捨てることよりも大きな愛はありません。私の命じる事を行うならば、 あなたたちは私の友です。 (ヨハネ 15:12-14) 愛は純粋 愛ほど清いものはありませんが、また愛ほど繊細(デリケート)なものもありませ ん。少しの私利私欲を混ぜるだけで、愛は純粋性を失って、愛でなくなってしまいま す。私たちの兄弟姉妹への愛が相手によって拒否され又は誤解される時、私たち は忍耐がつきて愛を放棄するのみでなく、前の愛はたちまち一変して冷淡と嫌悪の 感情に変質してしまいます。しかし愛の通じない原因は、ただ相手の心がかたくなだ からだけではなく、多くの場合自己の私心を混ぜ、意識的にか無意識的にか、愛の 報酬を求めているからです。友のために死んでこそ、無私純粋の愛は現れます。イ エスはそのような愛を以て私たちを愛されたのであり、又そのような愛を相互に実行 すべきことを私たちに命じられたのです。そしてこのように命ぜられたことを実行す る人、少なくとも誠心誠意実行しようと願う心をもつ人はイエスの友です、と言って下 さったのです。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.06.20
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月20日(木)東風強きときには雨漏りす盥を置きて眠らんとする荒き風過ぎたる後の穏やかさしみじみとして妻と語れる幾匹の蛙輪禍に会いたなら此処の危険を悟るのだろう奥入瀬の渓谷抜けて十和田湖に行きしは新婚旅行の思い出「雪国」も「酔歌」も「酒よ」もカラオケで歌うも何故か上手くいかない私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.20
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6月20日(木)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ま(12) まく巻く・捲く(他動詞四段活用)丸くくるくると折りたたむ。まとう。からみつける。取りかこむ。まきあげる。ひとすぢの光の縄のわれを巻きまたゆるやかに戻りてゆけり 大西民子風をもて天頂の時計巻き戻す大つごもりの空が明るし 永井陽子この首をいくたび捲きし虹ならむ信濃の国の空わたれるは 前 登志夫立ち向ふ若き命のあぐるこゑ霧きれぎれに岩壁を巻く 松村英一(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.19
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月20日(木)神のわざそこで彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。(ヨハネ伝六の28~29)一日一生(内村鑑三)6月20日(木)そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、十字架からおりてきて自分を救え」。「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコ伝一五・二九~三四)救わるるとは、救われないことである。他人(ひと)を救い得て自分を救い得ないことである。窮迫である。孤独である。社会に排斥せられ、教会に嫌悪(けんお)せらるることである。祭司と監督と、パリサイ人と教会信者とに十字架につけらるることである。イエスと運命を共にすることである。エリ、エリ、レマ、サバクタニの声を発しながら死につくことである。かくて、救わるるとは恐ろしいことである。しかしながら、人たるの栄誉の絶頂である。(信七・二六○)「矢内原忠雄の今日の言葉」6月20日(木)私の祝福を受けようとあなたたちが手を伸べても、私はあなたたちから目を背けま す。たとえ多くの祈りを捧げても私は聞きません。あなたたちの手は血に満ちている からです。あなたたちは自分自身を洗い清めなさい。私の目に悪い行いを悔い改め なさい、罪から離れなさい。善を行い、公義を求め、しいたげられている人を助け、 みなし子を養い、やもめを守りなさい。 (イザヤ 1:15-17) キリスト者と現世 キリスト者はこの世の社会的現実について関心をもたなければなりません。しかし それよりも重要なことは、霊的生命について関心をもつことです。霊的生命が充実 すれば、社会的現実の問題について必然的に関心が高まります。旧約預言者の生 き方がそうでした。 これに反し社会的現実に対する関心が高まっても、それだけでは霊的生命は充実 せず、かえって枯れて、形式的キリスト者となってしまいます。これはイスカリオテの ユダの道です。 信仰がだせい的になれば、社会的現実の苦悩から遊離します。それは自己の主 観的慰めではあっても、世を救う福音ではなくなります。従って自己の真の慰めでも なくなるのです。信仰が霊的に生きている時、私たちの宗教は必然的に預言者的と なります。現在の社会政治問題に関心をもつキリスト者は、旧約聖書の預言者を学 ぶべきです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.19
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月19日(水)題詠の「解」の短歌を作らんと三日経ちたり未だうかばず色々な団体における会計を引き受けているプロではないが高校は商業大学商学部会社はなぜか経理で通す会計をまとめて処理すこんなにもずぼらにわれはなってしまった短歌など作っていてはいけないぞ金が合わない金が足りない私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.19
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6月19日(水)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ま(11)まぎれる(まぎる)紛る(自動詞下二段活用)見違える。入りまじる。しのび隠れる。「まぎれもあらず」は紛れなく。明白に。夕靄にまぎれんとしてほのぼのと物言ふごとき山茶花は冷ゆ 尾崎左永子おのづから生いて今年の紅葉する唐楓あり草にまぎれず 近藤芳美地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり 寺山修司風の記憶水のあわれのくさぐさに紛れ入りつつ母は笑まうや 馬場あき子ぜに葵はやも咲き立つ総(ふさ)の野のまぎれもあらず夏は来てをり 大塚布見子 (つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.18
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月19日(水)神の救い自分自身反省することは、自分の中にはなんら善いものが見つけられないと言うことです。こころの中は、汚れ、悪念、邪欲、貪婪(どんらん)などです。このような悪しきものを自分自身で取り払わなければ、神にちかづくことが出来ないのであれば、わたしは到底神に近づくことは出来ないでしょう。しかしながら、神はわたしの罪よりも大きな存在です。神はわたしが罪のある人間であるにもかかわらず、わたしを救って下さるのです。神はわたしのためにわたしの中の罪を殺して、わたしを神の従者にして下さるのです。わたしが救われることの唯一の希望は、ひとえに神の御恵みにかかっておるのです。もし神がわたしに御恵みを下さらないのであれば、わたしの救われる希望はまったくなくなってしまいます。内村鑑三一日一生より6月19日(水)主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。直く歩み、義を行い、心から真実を語る者。(詩篇一五・一~二)誤解せられざることは不可能である。この世はもとより誤解の世である。ゆえに、いかなる真理、いかなる人たりといえども誤解せらるるが当然である。主イエス・キリストが誤解せられた。パウロが誤解せられた。ルーテルが誤解せられた。しかして今なお誤解せられつつある。彼らは世人によってのみならず、彼らの弟子と称する者らによって誤解せられた。また今なお誤解せられつつある。われら、よし完全の人たるを得、完全の真理を宣(の)べ伝うるを得るとも、世の誤解をまぬかれないのである。されば誤解を恐れずして進むべきである。時をえるも時を得ざるも、真理と信ずる事を大胆に唱えて進むべきである。社会の誤解、教会の誤解、信者の誤解、不信者の誤解…彼らは人である。ゆえに正当に人を解することができない。「われをさばく者は主なり」(コリント前書四・四)である。世に愚人多しといえども、世の誤解を恐るる者のごときは愚人ではない。しかもかかる愚人ははなはだ多いのである。われ自身がややもすればかかる愚人となるのである。警(いまし)むべきである。(信一八・一六八)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6 月 19 日(水)だれでも私について来たいと思う人は、自分を捨て自分の十字架を負って、私に従 いなさい。 (マルコ 8:34) 十字架の道 私たちは主に忠なるしもべとして、自分の十字架を負います。なぜなら主御自身が 十字架の道を歩まれたからです。 私たちは福音の証者として、自分の十字架を負います。なぜなら世の悪に対して 「ノー」を言明しなければならないからです。 私たちはエクレシアを愛する者として、自分の十字架を負います。なぜなら兄弟姉 妹のために生命を棄てる事に勝る愛はないからです。 私たちは天国の栄光に迎え入れられるために、自分の十字架を負います。なぜな ら主のため自分の生命を失う人はこれを救うからです。 私たちは自ら意気込んで自分の十字架を負い得るものではありません。ただ主の 道を忠実に歩み、主の言葉を心より尊び敬い、神と国とを真実に愛する人は、世に 対して「はい」と「いいえ」を言明しなければならない時があります。その時世は私た ちに十字架を負わせます。しかしこの道を回避しては福音を国に植えることは難い のです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.18
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月18日(火)今週は妻もわたしも新聞に短歌が載らずしょぼくれている知事選は大差で敗れてしまったがやはり現職が強かったのか「解」という題詠なるが解答も解決も未だ出来ないでいる「雪国」と「酔歌」と「酒よ」カラオケをユーチューブにて練習をするなぜだろう選挙になると気狂いしもののごとくだ君もわたしも私のおすすめの本わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.18
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6月18日(火)短歌用語辞典飯塚書店発行:(1993年)ま(10)まぎらわしい(まぎらはし)紛らはし(形容詞シク活用)見分けんいくい。まちがいやすい。雷鳥は色まぎらはし指さして教ふる方(かた)にさ霧のうごく 植松寿樹まぎれない(まぎれなし)紛れ無し(形容詞シク活用)まちがいようがない。明白である。紛れも無い。まぎれなく陽は堕ちゆけるビルの陰 春近き樹のなおも眠れる 山本 司飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ 岡井 隆(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.17
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月18日(火)健康以上の幸福生命と健康とは大きな恩恵です。しかしながら、死に勝つ能力はさらに大きな恩恵です。私たちは、祈って健康を回復することが出来ないかもしれません、しかしながら神は健康回復よりさらに優れた死に打ち勝つ能力を与えて下さるのです。私たちは、いかなる人間であろうと、一度は必ず死ななければなりません。この必ず死ななければならない私たちにとって、死に打ち勝つ能力は神が与えて下さる最大の恩恵と言わなければならないでしょう。幸いなるとは、キリストによって死に打ち勝つことです。一日一生(内村鑑三)6月18日(火)あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。(詩篇五五・二二)われらの身に付随して難問題がたくさんあります。そうして、われら自らこれを解釈せんと欲して、ときには非情に苦しみます。しかし、これ神を離れて解釈さるべきものではありません。これ神の知恵と能力(ちから)とを意識せんためにわれらに供えられた問題でありまするゆえに、私どもは、その私どもに供えられし目的にかない、神にいたり、神の知恵と能力を借りて、その解釈を試みるべきであります。そうすれば、いかなる難問題でも、やさしく解けまして、私どもは困難よりまぬかるると同時に、神を知ることますます深きに至ります。人生の問題は、私どもの信仰を増すために与えられるものであります。それゆえにわたしどもはひとりでこれを解釈しようとしてはなりません。「なんじら、われを離るる時は何事をもなすあたわず」(ヨハネ伝一五・五)とキリストは教えられました。(信八・二三)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6月18日(火) 信仰は希望のみなもとで、まだ見ていない事実の確かな証です。 (ヘブル 11: 1) 理想と信仰 理想とは神においてすでに実現している聖意(みこころ)で、地上におけるその完 き実現がまだおおわれているものです。神においてすでに成立いている経綸(けいり ん)の終極(しゅうきょく)で、地上におけるその成就がなお進行中のものです。 理想は事物の本質です。従ってそれは現象の彼方に存在します。しかしながらそ れは現象より遊離して空虚に存在する幻想(げんそう)ではなく、かえって現象の基 底に横たわり、現象の中に象徴化(しょうちょうか)されている本質です。 理想は歴史の将来です。従ってそれは現在の彼方に存在します。しかしながらそ れは現在より切り離されて無関係に存在する空想ではなく、むしろ現在の底に流 れ、現在を歴史の終極に向かって推進させる力です。 このように理想を認識する人間の力が信仰です。信仰は歴史の終極を現在とし、 事物の本体を現実とする力であり、この洞察力によって人は理想、言いかえれば神 の聖意における既定の計画と経綸(けいりん)を知り得るのです。すなわち信仰によ って神を知るのです。この意味において信仰は知識です。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.17
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月17日(月)山焼きのごとくに霧の流れいて今日も朝から暑くなりそう父の日に送りくれたる万歩計早速バンドに挟んで歩く父の日に送りくれたる小銭入れ黒皮チャックもがっちりしてる白浜の短歌会にはカラオケの機器持ち行きて歌唄いたり欠席者多い歌会カラオケで「故郷」歌うふるさとはいい私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.17
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6月17日(月)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるま(9)まかげ目蔭(名詞)遠方を見るとき、光線をさえぎるため、手を額にかざすこと。中空の一羽目蔭に追ひ及(し)けば鳥さびしさびしひたぶるに翔(と)ぶ 加藤知多雄かく明るくまかげしつづく若き歩み彼ら知らざる八月の日に 近藤芳美手の白き少女が眼蔭して見をり山の手駅の空渡る雁 隅田葉吉(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.16
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。6月17日(水)希望的動物人は希望的動物です。彼にとっては前を望むことは自然であって、後ろを顧みることは不自然なのです。希望は健全であって、回顧は不健全です。「後ろにあるものを忘れ、前にあるものを望み」(ピリピ書三の十三)と。罪を忘れ、病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と、生命と、成功と、愛とに向かって進むだけです。一日一生(内村鑑三)6月17日(月)わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅びゆくまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなれれば、決して天国にはいることはできない。(マタイ伝五・一七~二十)キリストは破壊者にあらず。完成者なり。完成者なるがゆえに破壊者のごとく見ゆるなり。破壊するための破壊者あり。完成するための破壊者あり。前者は真正の破壊者にして、後者は真正の建設者なり。しかしてキリストはかかる建設者たりしなり。よくものの精神を発揮するものは、そのものを不要ならしむ。これそのものを廃してにあらず。その目的を達せしめてなり。殻は芽をまもるに要あり。されども幼芽すでに根を地中に張って、殻はおのずから不要に帰す。殻は殻として貴まざるべからず。されども殻は永久にそんすべきものにあらず。芽を殻の破壊者と見るは否なり。芽は殻の破壊者にあらず、その完成者なり。(註八・八七)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6月17日(月) 『人はパンだけで生きず、神の口から出る一つ一つの言葉で生きます』。 (マタイ 4: 4) 人の生きる道 口から出る言葉は、心の思いの現れです。「神の口より出る言葉」は、「神の御心」 の表現です。「一つ一つの」ですから、すべて神の御心に服従して生きることが、人 の生きる道であるとのことです。 ・・・ 「私は神の子として世に使わされ、神の国を 地上に建てる使命をもつ者です。その自分がここで餓死すれば、自分の使命が果 たされないだけでなく、だれが神の国を地上に建てる仕事を果たすのでしょうか。何 としても、ここでパンを手に入れなくてはなりません」。こういう論理を、サタンはイエ スの心にささやいたでしょう。 それに対してイエスは、神の御心に従うことがどのような場合にも人の生きる道で す、と答えられたのです。もしここで餓死することが神の御心であるなら、それに従 いましょう。神の国の建設については、神御自身が道を立てられるでしょう。 アブラハムが約束の子イサクをはん祭のだんにささげることを神から命ぜられたと き、後はどうなるかを心配することなく、神の御心に服従する態度を完うしましたよう に、イエスは神の御心に対する絶対服従によって、彼が真に神の子であることの証 拠を示されたのです。 ・・・ イエスでさえ信仰の試みを受けられたのは、私たちに模範を示すためでしょう。私 たちはイエスによって示された知恵と信仰に従い、出処進退を誤ることないように心 を用いなければなりません。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.06.16
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/6月16日(日)作り過ぎ妻の批評はわが歌の欠点を突く心して聴け会津藩西郷頼母維新後は伊豆に流れて住んだことあり選挙カー一台も来ぬ過疎の里県知事選の投票をする雨のため山の下刈り中止なりまず知事選の投票へ行く心病む子も父の日が分るのか好物の寿司を食えと差し出す私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.06.16
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短歌用語辞典6月16日(日)ま(8)まがき籬(名詞)柴や竹などで目をあらく編んだ垣。ませ。ませがき。垣根。からたちの花さしちがひ咲く籬すぎて歓びしづかなりけり 小中英之さみどりのまがきつづける坂道をうしろに風をうけてくだりぬ 関根文之助赤蜻蛉(あきつ)風に吹かれて十あまりまがきの中に渦巻きを描く 与謝野晶子(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.06.15
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6月16日(日)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。神と制度 精神は、制度となることによって死にます。これは歴史の法則です。モ-ゼの精神はユダヤ教となることによって死に、キリストの精神はキリスト教となることによって死に、ル-テルの精神はル-テル教会となって死に、ウエスレ-の精神はメソジスト教会となって死にました。その他すべてこのようなことです。ですから、モ-ゼの敵はエジプト人、アマレク人、カナン人等ではなく、かれの同胞で彼を崇拝したユダヤ人であったことを知るのです。また、キリストを殺したのは、パリサイ人またはロ-マ人ではなくて、かれを主よ主よと呼んでいたキリスト信者自身であることを知ります。制度は精神の屍です。イエスを教会の首長として仰ぐ人間こそ真にかれを十字架に付けた人間なのです。一日一生(内村鑑三)6月16日(日)あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉れとを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。(詩篇八四・一〇~一一)神の恩寵を、この世の幸福または成功において見るほど、間違(まちが)いたる見方はない。そう見るがゆえに、われらはたびたび神を疑い、彼を見失わんとうるのである。神が人に賜う最大の賜物(たまもの)は、幸福ではなくして聖霊である。聖霊によって起こる善心である。神と人とを愛し得る心である。いかなる境遇に在(あ)るも満足する心である。人のすべて思うところに過ぐる平安である。そしてこれらは、神が聖霊をもって直ちに人に賜う恩恵の賜物であって、身の幸福または事業の成功を離れて、しかり、多くの場合においてはこれに反して、賜う賜物である。幸福は、有りてもよく、無くてもよきものである。無くてはならぬものは善心である。これさえあれば、他は何が無くともよいのである。人生の目的は善心獲得にありと言うて可なりである。(信一六・一九七)「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。6 月 16 日(日) 「人を殺してはいけまいけません。殺す人は裁きを受けなければなりません」とは、 あなたたちの聞いているところです。しかし私は言います、兄弟姉妹に腹を立てる人 は裁きを受けなければなりません。兄弟姉妹にむかっておろか者と言う人は審判に 引き渡されなければなりません。また、バカ者と言う人は地獄の火に投げ込まれな ければなりません。 (マタイ 5:21-22) 罪は人格的 罪は道徳的であり、人格的です。それは被害者の人格をはずかしめるのみでな く、罪を犯した当人の人格をもはずかしめます。すなわち『人』としての人格の尊厳に 対する裏切りです。この人格の尊厳は神から出ています。罪の恐しさは、それが単 なる対人関係に止まらず、人の神に対する根本的関係をみだす所にあります。この 意味において罪は絶対的です。人間同士が「お互いさま」と言って罪の責任を軽減 し、相殺(そうさい)し、妥協すべき筋合いのものではありません。自分の罪も他人の 罪も総じて『人』に対する罪でありますが、それは同時に人が神に対して負う絶対的 責任なのです。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.06.15
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