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<夕日の悪戯と月明かり、そして栄光のゴールへ> さて、ここからゴールまでは約32km。昨年は気持が昂ぶるあまり、この辺りでラストスパートをかけてしまった。さらに昨年は地図の確認を一緒に走った大阪のランナーに頼った挙句残りの距離を10km以上も間違え、幻覚と幻聴に悩まされる大変な体験をしている。 例え疲れから来る判断ミスでも今回は極力避けたい。リュックからナンバー21以降の地図を出しポシェットへ移す。そして該当する1枚だけを半ズボンのポケットにしまい、時々出して集落名を確かめることにした。そうすればゴールまでの正確な距離を認識出来るはずだ。 S潟さんは走っては歩く繰り返しだが、私はゆっくりでもまだ走れる。そのうちに差が開き始め、私は一人になった。17時42分、180km過ぎの赤玉集落を通過。ゴール後に宇都宮のHさんから、ここで産出する赤い石を海岸で拾ったと聞いた。微かな夕日が後から刺し込み、淡い影がどこまでも追いかけて来る不思議な現象を今回も体験。 181.5km地点の鮑(あわび:正確な集落名は虫ヘン)集落で赤色灯を点灯。182.5km地点東強清水の弁天岬辺りからは月光が道案内してくれた。そして遥か彼方の対岸には新潟市の仄かな明かりも。186.8km地点から長く続く大平トンネルを潜る。188km過ぎの片野尾集落で給食のため暫し休憩。ここは昨年完全に意識が飛んで、残りの距離が分からなくなった箇所。そしてゴールまでの正確な距離を地図で確かめ教えてくれたのが秋田のF原さんだった。 190km手前の弁天崎灯台にも要注意。私はここを姫崎灯台だと信じ、今回も危うく間違いかけた。疲れるととかく勘違いしがちなのだ。191km地点の水津を通過。昨年の私はここを両津の入口だとばかり思っていた。だから残りは3km程度と疑わなかったのだが、実際はまだ15kmもある。ふう~っ。今回の水津が暗く感じたのは何故だろう。 水津を過ぎても真っ暗で姫崎灯台は見えず、どこで岬を廻ったのかもさっぱり分からない。コースは良く覚えているのでいつのまにか地図を確認しなくなった。繰り返す厳しいアップダウン。昨年は氷雨が降るのに合羽を着る心の余裕も無く、最後の10数kmを4時間近くかかって歩いてしまった。その途上で初めて幻覚と幻聴を体験したのだった。 196km地点の羽二生辺りで赤色灯が点滅してるのを発見。近づくと「Aさん?にせこです。もう走る元気がなくて」と、「川の道」522kmを走破した勇者とも思えない弱気な言葉。何時の間にか夜風が冷たい。ここはゆっくりとでも走った方が良い。そう思って先行する。昨年幻覚を見た集落も通過。今回も標識が踊る感じがしたが、あえて凝視せず目を逸らす。 それにしてもゴールまでこんなに遠かったか。昨年は何の経験も無いのに、疲れた体で良く最後まで頑張れたものだ。きっと完走すると言う強い意思が私をゴールに導いてくれたのだと思う。何度か自販機で飲み物を買い、残った食料を有効に活用して何とかガス欠を防ぐ。橋を渡って長かった真っ暗な道におさらばし、比較的明るい市街地に入る。ようやくシーサイドホテルまで来ると「頑張ってください」と、既にゴールした人から応援をもらう。「今頃どこへ行くの」と聞くと、答えは「浜辺で星を見に」。実に余裕のあるランナーだった。 22時20分ついに「おんでこドーム」にゴールイン。記念写真を撮り、椅子に座ってビールを飲んだ時にボランティアの女性がゴール時間を22時23分と記入。「ん?どうしてビールを飲んだ時間がゴール時間になるの」と思ったが仕方がない。何と言う後味の悪い幕切れだろう。 ふう~っ。ともかく疲れた。早くホテルへ帰ろうと思ったところへH多夫人が駆けつけて来た。ホテルに向かうバスの車中から私の走る姿を見つけて、急遽運転手さんに頼んで戻って来た由。いつも通りの優しい気持に、冷えた心に再び明かりが灯った。ありがとうH多さん。
2007.09.30
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<だから人生は面白い> 144km地点の小木港で飲食したのは、トマト、稲荷寿司、さつま揚げ、それに豆乳。こんなレースでは極力自分の食べたいものを食べるのが私の流儀。その方が走るためのエネルギーになるし、走後の回復も早いと思うのだ。直江津へのフェリーが出る港に別れを告げ、サングラスをかけ急いでR子さんの後を追う。 そのR子さんが思わぬ場所から出て来た。何と道端のパチンコ店だ。「そこではランナーに冷たい水や食べ物を提供してくれるんです」と名前の通り涼しい顔をして言う。昨日は複数のマスコミがコースで取材しており、きっと島の人達は報道で私達のことを知ったのだろう。先ほどの食べものがようやく効いて来たのか何だか足取りが軽くなり、ついにR子さんの前に出た。 150km地点の大泊集落付近まで来ると遥か彼方の海上に対岸の米山が見え出す。ここでは潜水漁法でもしてるのか、水中の呼吸音みたいなのが聞こえた。12時12分。154km地点の大杉集落で前方に3人のランナー発見。近づくとD口氏、東京のY本さん達だった。驚いたような表情のD口氏。昨年追い着いたのは今思えば確かゴール手前20km付近だったし、今回は私が第2仮眠所で休んでいることを知ってるはずだから驚くのも無理はない。「暑いし眠い」と私が言うと、「もう足が痛いんですよ」とY本さん。「ゆっくり行くね」と言って先行する。 13時8分、159.5km地点の赤泊港に到着。昨年も入ったお店で牛乳とアイス最中を買う。歩きながらアイス最中を食べている後ろから私の名を呼ぶ声がする。わざわざ第3ASへ応援に駆けつけてくれた鼓動のメンバーの方だった。手を振って応える。橋を渡った辺りで前方にランナー発見。近づくと横浜のS潟さんみたい。歩いてはいるが表情も足取りも実にしっかりしている。「お疲れ様」と言ってここでも先行。 164.5km地点が昨年の第4ASで迂回路の山道への分岐点だったところ。確か昨年は祭りの太鼓の音が聞こえた神社の境内で軽い食事を摂っている目の前を、S潟さんが脇目も振らず歩いて行った。食事を済ませ早速彼の後を追う。だがどうもおかしい。道路標識がピョンピョン飛び跳ね出した。幻覚がついに白昼に襲って来たのだ。 無理も無い。昨夜は一睡もしていない上に、今日も気温が高かった。きっと疲労が極限まで達しているのだろう。バス停の小屋で眠ろうと思って行くと中が汚い。次のにしようと諦めたその時、向こうで手を振ってる人が見えた。H多夫人だった。体調が悪く、D口夫人と一緒に第1仮眠所でリタイヤした由。私が眠くて倒れそうだと言ったら肩を貸して案内してくれた。 そこが170km付近の浦川内にある最終ASだった。芝生の椅子に座ると、スタッフのT本さんが黙って缶ビールを差し出した。一瞬、ん?と思ったが構わず飲んだ。美味い。こんな状態でもビールが飲めるのには驚いた。もっと驚いたのはH多夫人の話。これからバスを乗り継ぎ、昨年沿道で応援してくれた方に会いに行くとのこと。どこの集落のどの人か私は知らないけど、そのために彼女は仙台からお土産まで持参した由。日ハムの監督じゃないけど、「信じられな~い!?」 レースに復帰した後も異変は続いた。今度は波の音が人の話し声に聞こえるのだ。幻覚に続いて日中から幻聴を聞くとは。奈良時代に対岸の柏崎との連絡航路が開かれていた171km地点の松ヶ崎集落を通過。ここからは真野にある国府などへ官道も敷かれていたようだ。 16時15分。174km地点の岩首でようやくS潟さんに追い着く。岸壁で休みながら話をすると彼の故郷は愛媛の松山で、何と小学校、中学校は私の24年後輩だったことが分かった。これだから人生は面白い。206kmものレースの最中に偶然出会った遥かな後輩に、稲荷寿司とさつま揚げを勧める。「美味しいですねえ」。思わずほころぶ彼の顔。
2007.09.30
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<お買い物大作戦が完走の決め手になるか?> 国道350号線を小木に向かって進む。やがて下り坂。ここを下り切れば小佐渡の西端である沢崎灯台への分岐点に出る。5時20分西三川のバス停到着。ここで朝食にする。お茶とお握りと相川のコンビニで買ったキュウリの漬物。血圧降下剤も忘れずに服用。目の前を走り行くランナーに分岐点が近いことを教える。22分後レースに復活。ここからは走り始めようと、恐る恐る足を出す。お~っ、スピードは出ないけど、今年も何とか走れそうだ。 海岸への分岐点2箇所に丁寧にも標識が。昨年は迷いに迷ってずいぶん距離と時間を無駄にした。それに砂利道の水溜りが去年よりずっと小さくて助かる。海辺の小さな水田が黄色く色づき、浜辺にはサーファーが数人。そうか今日は日曜だった。素浜キャンプ場付近で猛烈な睡魔が襲い、ついに炊事場の戸板に身を横たえる。ここでようやく眠れそうだと思ったのも束の間、ブ~ンと蚊の飛ぶ音。私は蚊に弱いのだ。眠い目を擦ってヨロヨロ立ち上がる。 去年コースを間違えた井坪集落からアップダウンの連続。大浦集落で腹が空き、パンとキュウリの漬物を食べる。念のため三共胃腸薬を服用。これが良くなかったのか胸が苦しい。疲れが溜まったせいか背中も曲がって来た感じ。田野浦海岸から江積海岸にかけて枕状溶岩が海の中に散在。奇景の烏帽子岩、神子岩を過ぎると沢崎灯台が見え出す。勇んで灯台下のトンネルを抜けると沢崎の橋。昨年はここでも道を間違ったっけ。 137km地点の第3ASへ着いたのは8時46分。第2仮眠所を私より先に出たR子さんがここにいた。既に20名のランナーが通過したとスタッフの方。この方は佐渡市の観光協会の職員みたい。とりあえず飲んだコーラのせいか、はたまた三共胃腸薬が合わなかったのか、胃の具合が最悪の状態。ようやくお握り1個とミカンを食べる。 ベンチの蔭で誰かが眠っている。第2仮眠所でお世話してくれたS木さんだ。一睡もせずに選手の世話をしてくれ、ここで睡魔が襲ったようだ。去年レースに出た地元の方が応援に見える。佐渡の名物である太鼓グループ「鼓動」のメンバーのようだ。年齢を訊ねたR子さんがあまりの若々しさに驚いていた。 少し前に出発したR子さんの後を追って9時10分にスタート。ここでの休憩時間は24分。火山性地形である深浦湾に架かる長者橋から覗くと下は紺碧の海。まさに絶景とはこのこと。道沿いに「犬神平」、「強清水」、「宿根木」と珍しい名前の集落が続く。宿根木新田の土手には満開のコスモス。それを観光客と思しき人がカメラに収めている。空は青く、吹き抜ける爽やかな風。これはまさに秋の風景そのものだ。 坂道の先にR子さんの姿を発見。2日目なのにしっかりしたペースなのは、若いながらウルトラの経験が豊富な証だろう。並走しながら話すと第2仮眠所の2階に上がって来たのは彼女だったことが分かった。部屋が暑くて結局眠るのを諦めた由。そして途中まで一緒に来たD口氏はずいぶん前に走って行ったとか。 小木の手前の道端でR子さんがしゃがみ、ポケットから取り出したお握り食べ出す。私も昆布の入ったお握りで付き合う。「リュックは背負わないの」と訊ねたら、今回はポシェットだけにしたとのこと。栃木のHさんと言い、R子さんと言い、強い人はリュックは不要なんだろうか。それに長袖、長ズボンとは恐れ入る。食べ物もほとんどASで出るもので済ますとか。それでは私は20kmと持たないだろう。 小木ではラーメン店には寄らず、フェリー乗り場近くの「ひまわりスーパー」で買い物をすることにした。それで15分はタイムが縮まるはず。小ぶりの稲荷寿司10個、小さなサツマアゲ10個、トマト2個、豆乳1パック、おからとホウレンソウの煮物1パックを買うと千円近くになり、持つとずっしり重い。買い過ぎたかとも思ったが、ゴールまでの貴重なエネルギー源になると思い直す。10時40分ロータリーの芝生で早めの昼食。目の前を走り去るR子さんに手を振る。
2007.09.29
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<闇夜を一人トボトボと> 90.5km地点の第1仮眠所から歩き始めてどれくらい経ったか頃か、後から声を掛けて走って来た人がいた。名前入りの反射材と鈴の音とで私だと分かったようだ。声の主は秋田のF原さん。昨年ほぼ同時にゴールした好青年だ。昨年は第1日に膝を傷め、第2日はほとんど歩いたと話していたが、「今回はどこも傷んでないのでこのまま走り通します」と元気良く暗闇の中へ消え去った。 東北電力相川火力発電所前を通過。ここは去年物凄く淋しく感じたところで、思わず愛犬の名前を呼んだものだ。(笑)沢根の三叉路へ向かう途中、多分98km地点辺りで誰かが前から歩いて来るのに気づいた。時間は11時近いはず。道は真っ暗なのに良く一人で歩けるものだと驚く。ひょっとしたら相手の方がもっと驚いたかも。 沢根の三叉路から旧佐和田町へ入る。ここは細長い街道が続き、あの曽我ひとみさんとジェンキンスさん一家が住んでる町だ。昔の佐渡金山もこの周辺にあったはず。街外れに海沿いの道へ右折の標識があった。その辺からポツリポツリと雨が降り出す。去年はかなり手前から強い雨だったことを思えば至って楽なものだ。 105km地点の第2仮眠所へは0時9分に到着。昨年より1時間ほど早い。S木さん手作りの暖かいスープなどをいただき、2階の仮眠室へ向かう。先客2名が仮眠中。極力音を立てないよう注意し、まず膝などへ湿布薬を張る。今日一日酷使した足に少しでも休養を与えるためだ。だが、毛布に包まって横になったものの緊張が解けず全く眠れない。 そのうち誰かが隣の部屋に来て、再び降りて行った。階下で男女が話している。どうやらD口氏とR子さんみたい。ひとしきり聞こえた声が暫くして止み静寂が戻った。2人とも前後してスタートしたようだ。よ~し、そろそろ私も行くか。出発前にもう一度スープをいただく。時刻は去年より35分早い1時55分で休憩時間は1時間46分だった。 佐和田から真野の町へ入る。ここは奈良時代に佐渡国府や国分寺が置かれた由緒ある地区で順徳上皇陵もある。この町外れでむやみに腹が空き、マンゴージュースを飲みクリームパンを貪る。ようやく落ち着いて国府川に架かる橋を渡る。後は朝になる前にどこまで歩けるかだ。地図は見ない。昨年も歩いたので道を迷うことはない。夜中の風が案外肌寒く感じるのは海岸が近いせいだろう。 小屋作りのバス停で誰かが眠っている。次の小屋は無人。足も痛いしここで寝ても良いのだが多分眠れないだろう。とうとう去年朝食を摂ったバス停まで来た。初めての200km超級だったのに、良くこんなところまで寝ないで歩けたものだと自分のことながら感心する。今年はもう少し先へ、行ける所まで行ってみようか。118km地点の田切須集落付近でついに夜明を迎える。ふう~っ。
2007.09.29
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<第1仮眠所での作戦は?> トンネルを出て直ぐに鹿ノ浦大橋を渡る。去年はたくさんのツバメが空に舞っていたところだ。73km過ぎの戸地集落に17時20分着。ここでパンと牛乳でエネルギー補給。尖閣湾沿いの北えびすを17時50分通過。去年は真っ暗だったが今年は何とか明るい。歌を口ずさみながら走っていると歩道に姫津漁港への矢印が書いてある。 昨年の前半は4万分の1の地図を見ないで走り、標識も無かったために直進した所だ。確か説明会では集落に入ると2km余分に走る計算と話していたはず。この時点ではまだ余裕があった私は迷わず右折し、漁港へ向かったが後ろの2人は直進したのか話し声が聞こえなくなった。 下り坂はまだ良いが漁港を一巡りすると帰路は結構な登り坂になる。レース上ではあまり意味の無いループのようで、元の場所に出るんじゃないかと冷や冷やした。真っ暗な道を疲れた足で歩くしかなくなった。18時10分頃にようやく国道へ脱出。リュックに赤色灯を点す。何でも私が通過したした後で、あの標識は外されたとか。この遠回りですっかり疲れ、走る元気を失った私だった。 85km過ぎの相川のコンビニに着いたのが19時35分。急いで野菜ジュース、キュウリの漬物、チオビタドリンクを購入。外のベンチでお握りを食べ野菜ジュースを飲み、19時45分出発。5.5km先にある第1仮眠所の「ホテルめおと」までほとんど歩き続ける。20時40分ついに到着。歩いた分去年より12分遅かった。 玄関先で食事中のA子さんを発見して驚く。「速いね」と言うと「私は・・」と口ごもる。その口ぶりに、やはり44kmの経験だけでは無理でリタイヤしたのかと判断したのだが、そうではなかったようだ。 まず風呂に入り、裸になってビックリ。両股の付け根が摺れて真っ赤に腫れている。ランパンも靴下も血染め状態。おまけに左肩にはリュックで摺れた深い傷が出来ている。今回は服装の選択を誤ったようだ。年配のランナーが心配し「それでも走るの」と訊ねた。「ええ、痛いのは生きてる証拠ですから」と私。入浴後ランシャツ、ランパンを洗い、靴下は捨てる。 風呂場にはT田さんがいた。既に夕食は済ませたと言う。前半で撮った写真が100枚を越えた由。三脚も持って走るため、夏場はリュックに8kgの荷物を入れて走る訓練をしていたとか。人知れず努力する人だ。A子さんとはほぼ同時にゴールした由。彼女が口ごもった理由はどうやら姫津漁港への道をパスしたことのようだ。説明会でちゃんと指示しない方が悪いと思う。 後半の服装は半袖Tシャツと半ズボンの組み合わせにする。体が温まったところで玄関に向かう。D口氏が既に食事中で、やがてM井さんとY田さんの2人連れが到着。初200km級挑戦のY田さんもどうやら調子は良さそうな感じだ。 S原パパが差し出す缶ビールを断りお茶をもらう。そして味噌汁の中に弁当のご飯を入れて掻き混ぜる。これだと幾分食べ易い。風呂と食事の順番を変えることや「猫マンマ」にしたのは予め考えた作戦だった。次の作戦はここで休まずに第2仮眠所まで辿り着いてから休むことだ。仲間にはそう伝えて21時25分に出発。到着は遅かったが休憩時間は昨年より53分少なくて済んだ。さ~て、これからは気合を入れて夜道を歩くぞ~っ。
2007.09.28
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<雨の外海府海岸を走る> 願集落を通って佐渡島一周道路へ出る。願(ねがい)集落には祝(ほうり)と言う姓しかないと新潟のF川さんが話していたので表札を探したが、どの家にも表札はなかった。ひょっとしたら同じ姓だから表札を掲げる必要がないのかも知れない。 「大野亀」の絶景が目の前に迫る。不思議な形の島。ここは火山性の地形に間違いないはず。11時40分。曲がりくねった坂道を下りながら走っていると雨が降り出した。誰かが早朝の天気予報では雨が降ると話していたので覚悟は出来ていた。それまで気温が高かったので、却って走りやすいだろう。ところが左目が猛烈に痛くなって来た。どうやら目に入り続けた汗が滲みるようだ。 北鵜島の小さなトンネルを幾つか過ぎた頃には本格的な雨になった。後からついて来るランナーは「舘ひろし」に似た兵庫のK茂さんか。Z字形の急な坂道では、道路が小川のようになっている。シューズはたちまちビショビショ。もう逃げ場は無い。一旦海岸を離れ、しばらく山道を走る。一軒の農家で脱穀をしている。ここは去年も脱穀の作業中だったっけ。 坂道を登り切ると目の前に棚田が広がる。黄色く色づいた田圃の畦道に真っ赤な彼岸花が映える。12時30分海府大橋通過。眼下には深い谷が覗く。押出岬の跳坂は去年崖崩れがあったところで、レースまでに復旧するか冷や冷やしたものだ。坂を下る途中に小さな橋が架かり、真上に滝が見えた。滝の傍の山道を誰かが降りて来る。 「何をしてるんですか」と訊ねたら、答えは釣り。こんな絶壁の川に魚がいるのか不思議だったが、どうやらそこから別の渓谷へ入ったようだ。48km地点の岩屋口に13時15分着。東屋で休憩し郵便配達の人と暫し歓談。53km過ぎの大倉には14時到着。Aコーポでバナナ、パン、牛乳を買う。バナナはほとんど醗酵寸前のもの。仕方なく店の前で3本とも一気に食べ牛乳を飲む。下痢をするかそれとも直ぐにエネルギーになるか賭けるような気持だ。 14時35分石名清水寺到着。ここの湧き水は温いのでそのまま通過。59km過ぎの北田野浦でようやく雨が止む。61km地点の入崎海水浴場前にある第2ASには15時17分着。ここまで既に30名が到着したとスタッフのS木氏。お握りやおかずを食べ、予備食にパンをもらう。ASの直ぐ傍に水道があったのだが、痛む左目を洗えば良いことに思いが及ばなかった。そろそろ疲れが出て来たのだろう。12分休憩し、15時29分出発。 64km地点北川内を16時10分通過。長い長い3kmほどもある南片辺トンネルをようやく抜け出たのは16時42分。去年より18分速い。国道の直ぐ傍には安寿と厨子王丸の記念碑があったはずだ。
2007.09.27
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<いよいよスタート!> 9月22日(土)朝6時、いよいよ「佐渡島一周」のウエーブスタートだ。昨年も参加してると言う理由で、同じ走友会のO川さんらと共に第1陣となった。暫くの間O川さんと並んでトップを走る。大通りを左折し、直ぐに右折して国道へ出ると役目は終了。後は道なりに行けば良い。 仲間のS藤さんは迷わず前へ出た。萩往還250kmを39時間台で走った彼は、腕にラップを書き込んだテープを巻いている。さくら道ネーチャーラン250kmを33時間台で走った栃木のH氏はポシェットだけと言う軽装で前へ行った。そんな恰好で206kmもの道のりを走れるのだろうかと疑問に思うのだが、一流選手にとっては十分なのかも知れない。 スタート前に神奈川のW辺さんに遭った。昨夜は10時の最終便で佐渡に着いた由。名簿で知ったのだが69歳の彼は、さくら道270kmを43時間で走破した実績がある。道理で7月の「磐梯高原」では95km辺りであっさり抜かれた訳だ。 初参加のK藤さんに206kmを走る感想を訊ねたら「心臓バクバク」と話していたけど、一旦走り出したらもう仲間の心配はせず、自分の完走だけ考えることにする。宮城UMCのユニフォームに白いランパン。リュックには「立山登山マラニック」でもらった雄山神社の御札と鈴を付け、蛍光テープで書いた名前も付けた。これだと良く目立って無様な走りは出来なくなる。 足を持たせるため、初日は55分の走りと5分の歩きを交える戦法を取る。最初の歩きで仲間のD口氏や「川の道」522kmを走破した「にせこ」さんに抜かれ、昨年のレースでは、残りの距離が18kmだと地図を見ながら教えてくれた秋田のF原氏にもその後抜かれた。海辺には庚申様の小さな祠があり、刈り入れたばかりの稲が干してある。16km地点の浦川集落を7時55分に通過。新潟の男女3人組にも抜かれる。 その後急に気温が上がって来る。海に突き出た黒姫橋を渡ると間もなく20km地点。25km地点の北小浦集落を9時20分に通過。早くも3本目のペットボトルを購入。20歳のトライアスリートが茂みに消える。海岸の岸壁に干された栃の実。第1AS手前の坂道にはトンボの大群も。 約33km地点の第1ASには10時31分到着。O川さん、栃木のH氏が出発するところ。ここでウドン、お握り、おかずなどをいただく。スタッフのS原パパから缶ビールの差し入れ。それを仲間のM井さんと半分ずつ飲む。同じテーブルにR子さん。来週は「甲州夢街道」215kmを走る予定とか。嬉しそうに話す彼女の声は実に爽やかだ。 10時55分AS出発。去年は間違って直進した道を右折して海岸に向かう。道端の赤い実はガマズミか。去年一緒に道を間違ったR子さんが一言。「道が新鮮ですねえ」。やがて前方に「二つ亀」島の姿が見え出す。足元が徐々に悪くなり石ころだらけになると「賽の河原」の奇景が洞窟の中に現れた。おどろおどろしいこの場所は、時々撮影にも使われるとか。この周辺で仲間のD口氏、M井さん、T田さん達を追い抜く。
2007.09.26
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<プロローグ> どれくらいの大昔か知らないが、地球がまだとてつもなく熱かった時代に佐渡島は火山島として誕生したそうな。そう言えば島内のあちこちで火山性の地形を見ることが出来る。そしていつの頃からか人間が住み着いた。海岸部の海蝕洞窟には穴居時代の遺跡がある。 そして歴史時代になると古代の佐渡には「佐渡国」として真野近辺に国府が置かれ、島内の主要部に都と連絡するための官道が設けられた。また佐渡は、権力争いに敗れた皇族や名高い宗教家が流された地でもあり、江戸時代には犯罪者などが金山で過酷な労働に従事した歴史も残っている。金が採れるのは火山活動があった証らしい。 暖流が周囲を流れる佐渡は、大坂から北陸を通って陸奥や蝦夷が島(今の北海道)へ向かう北前船(北前は日本海の異称)の寄港地ともなり、時化(暴風)を避けるための良港が多かったようだ。それらの事情から佐渡の文化は昔から高く、意外にも物資が豊富だったのではないだろうか。 豊かな自然と素晴らしい景観の残る佐渡。人情味の篤い島佐渡。その佐渡を舞台に繰り広げられるのが「佐渡島一周エコ・ジャーニーウルトラ遠足206km」。第2回に当たる今年は北海道から九州に至る県から48名のランナーが集った。最高年齢は72歳、そして最も若いランナーが20歳。この52歳と言う年齢差も物凄い。私達宮城UMCの仲間は10人。参加者の中で20%強に相当する人数だった。 前夜の懇親会ではご馳走を食べ、皆大いに飲んだ。206kmもの長い距離に挑戦する緊張感と期待感に溢れるランナー達の挨拶。その中で目を引いたのが2人の男女。1人は若干20歳のトライアスリートでウルトラマラソンの経験は皆無。もう1人はこれまでの最長レースが44kmの33歳の女性。彼らの挑戦は長くウルトラレースに出ている私には、余りにも無謀のように思えた。 ところで7月の「磐梯高原」の宿で同室だった東京のSさんが参加者名簿にあり、彼からお土産まで戴いた。彼は5月の「いわて銀河」のレース中に私が「佐渡島一周」のことを話しているのを走りながら聞いてたようだ。「磐梯高原」で再びその話を聞き、やはり同室だった神奈川のW辺さんと共に、その後出場を決意したとか。そのW辺さんの姿は最後まで見ることが出来なかった。
2007.09.25
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朝の6時が「佐渡島一周」の制限時間。その3分前に3人の選手がゴールして今年のレースは終わりました。午前9時半から選手とスタッフ一同で「打ち上げ」。12時半佐渡発15時新潟着のフェリーと新潟発16時35分発の長距離バスで、何とか仙台へ帰って来ました。 今回一緒に行った仲間10人のうち8人が目出度く完走。うち2人は体調不十分で残念ながら途中リタイヤされました。でもそれぞれが精一杯頑張ったと思います。レースの状況については明日からぼちぼち書き始める予定です。
2007.09.24
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この日は第2仮眠所で約1時間ちょっと休憩。結局睡眠は取れないまま朝の5時過ぎまで歩き、朝食後ランニングを再開。疲れや眠気と戦いながら、ゴールしたのは夜の10時23分でした。前日スタートしてから40時間23分でのゴールになりました。
2007.09.23
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「佐渡島一周」の第1日目はスタートが午前6時。この日は105km地点の第2仮眠所に夜中の0時過ぎに到着しました。
2007.09.22
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いつもの時間に起き、いつものように愛犬と朝の散歩に出かけ、いつものように一人で朝食の準備をし、いつものバスに乗って、今日は「佐渡島」へ出発です。 走るのは明日の朝6時から。帰って来るのは24日(月)の夜遅くです。10人の仲間達との206kmの旅では、どんなことが待ってるのでしょうか。楽しみですねえ。では、行って来ま~す。楽しい完走記が書けますように!
2007.09.21
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今日は急に気温が上がった。予報だと仙台では32度Cになると言ってたけど、実際はどうだったのだろうか。帰宅ランをしようと思ったが、あまりの暑さにバスで帰った。こんな時に無理する必要はないし、焦る必要もない。 さて、先だって第1現場のビルで立哨中のこと、足元にうごめく緑の虫を発見。何とそれは1匹のイナゴだった。大都会の真ん中でイナゴを見るとは不思議なこともあるものだ。イナゴよ、お前はどこから迷い込んだのか。そう言えば前にはアゲハチョウやシオカラトンボを見かけたこともある。まだ昆虫が住めるような自然が、付近には残っているのだろうか。 今日は小さなことだが怒りが治まらないことがあった。第2現場では機密文書の裁断作業に従事しているのだが、ここで使うカッターが連続で無くなったのだ。1度目は刃の広い頑丈なヤツで2度目は新品。どちらもダンボールを切り裂き、ラベルを切り取るためには不可欠な道具だった。今回は古いのが代わりに置いてあった。そんなことをするのは内部の人しかいない。第一、その部屋に入るのには鍵が必要なのだ。 頭に来た私は作業終了後、主任にそのことを話した。すると主任は急に話をはぐらかした。誰かが何食わぬ顔をして新しいのと古いのを取り替えたのだろう。カッターが必要ならちゃんと私に話すべきだし、第一それが無くなると私の仕事が著しく停滞することに気づかないはずはないのだが。 仕方がないので家のを持って行く積りだ。そして「他人の道具を黙って持ち去るヤツには仕事について語る資格はない」と紙に書いておこうと思う。犯人が誰か大体の目星はついている。もし彼に良心が残っているなら、もう3度目の事件は起きないはずなのだが。 帰宅すると、家の壁にこげ茶色の「帯」が入っていた。今度の塗装工事でツートンカラーにしたのは良いのだが、2つの色とも大人し過ぎて境目がはっきりしなかった。工事は終わってはいたが足場はまだ残っている。そこで現場監督にお願いしてみたのだが、意外にも答えは「業者にやらせましょう」とのこと。これできっと遠目にも引き立って見えるようになると思う。 現場監督には衛星放送の画面がおかしいことも話した。それに対しては生返事だったが、その後妻が電話したようだ。2階の私の部屋だけでなく、1階の居間の衛星放送もおかしくなったと。電気屋さんが屋根に登って調整した結果、やはり横方向にずれていたとか。私が足場に上って見ても衛星放送用のアンテナの足が浮いていることが分かったので、今回の塗装工事が原因で動いたのは間違いない。小さなことだが主張すべきことはその時にしっかり主張しないといけないと思った。 妻の方は私よりもしっかりしている。現場監督には「樋の掃除」までついでに依頼したし、足場のあるうちにと言うことで、今日は私にも2階の窓ガラス掃除の命令が下った。ベランダはともかく、2階の窓は身を乗り出すのが難しくて窓ガラスはきれいになりにくいのだ。明日から「佐渡島」へ気持ち良く出掛けるためにも、ここはじっと我慢の子になっておこう。う~む。
2007.09.20
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昨日、今日と雨が降って、気温がぐっと下がった。夜は少し厚めの布団に毛布をかけることにした。そして朝は薄手のセーターを着る。涼しくなったお蔭で、残業も楽になって助かる。庭にはシュウメイギクが咲き出し、ワレモコウとウメモドキの実が赤く色づいている。そろそろムササキシキブも瑠璃色の実をつける頃だろうか。 帰宅するなり、妻が愛犬を風呂場に連れて来てと言う。こちらはまだ昼食前なのだがと思いつつ従う。抱っこすると暴れはしないが25kgほどある中型犬はかなり重い。妻が気になっていたのは前回のシャンプーからかなり日が経って、臭っていたことだった。あまり天気は良くないのだが、辛抱し切れなくなったのだろう。 昼食を済ませ暫く休んだ後、歯医者に行く。3月に抜けたままだった歯は入れたし、病んでいた歯も一応症状は落ち着いたのだが、それで治療を終了すると言う歯医者の言葉に少なからず抵抗があった。忙しいのは分かるけど、最後なら口の中全てを見てから決めるべきではないかと思ったのだ。それでせめて歯石の除去でもと願い出て、今回処置することになったのだ。これで後顧の憂い無く「佐渡島」にも行けそうだ。 さて、台風11号の影響で秋田や岩手ではずいぶん大きな被害があったようだ。秋田では阿仁川の上流で堤防が決壊したとか。あの辺りは「秋田内陸100km」のコース近辺だと思う。今年の「秋田国体」に影響がありそうだし、来年久しぶりに開催予定の「秋田内陸100km」にも影響が残らないことを心から祈っている。 政局も気にる。安倍総理の症状はまだ悪そうだ。自民党総裁選に立候補した福田氏と麻生氏の戦いも、あっという間に福田氏が有利な展開になったことに驚いた。官房長官時代には何だか冷たい口ぶりが嫌だった福田さん。これに対し、いかにも若者や最近の「文化」に理解がありそうな気配の麻生さん。どちらも今一だが、現状では福田さんの安定感に期待が集まりそうだ。 スポーツの世界では谷亮子選手が「ママでも金」を勝ち取った。リオで開催された世界柔道選手権女子48kg級で7度目の優勝は見事の一言。2年間のブランクを全く感じさせない圧倒的な強さだった。男子も棟田が無差別級でようやく金メダル獲得。女子78kg超級の塚田も立派に金を取り、柔道発祥国の面目を何とか保った。 大相撲では優勝が期待されていた横綱の白鵬が2敗目を喫し、新大関の琴光喜に至ってはもう4敗目を喫している。やはり重圧があるのだろうか。これに対して新入幕の豪栄道が、ただ1人1敗を保ったままなのは凄いことだ。急遽今後上位と当たるよう、取組が替えられることになるのではないか。 そして3連敗中の我が東北楽天だが、今日の対日ハム戦での先発は田中。相手はエースのダルビッシュで何の不足もない。今2点のビハインドだがさてこれからどうなるか。う~む!?
2007.09.19
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<不安との戦い> 206kmもの道のりを走り歩く旅では、正直言って色んな不安があると思います。自分にとって未知の長い距離に対する不安、48時間と言う時間に対する不安、自分の走力や体調に関する不安、天候に関する不安、見知らぬ土地やコースに対する不安、深夜に走り歩くことへの不安などなど。まさか「拉致」に対する不安はないでしょうが。(笑) 206kmを走り、歩くと言うことは、それらの不安との戦いそのものです。でも既にエントリーして後はスタート地点に立つだけですから、今更逃げるわけにも行きませんね。私も昨年が200km超級のレースの初めての経験でしたから、上に挙げたような様々な不安がありました。要はそれらの不安から逃げずに真正面からぶつかる以外に方法はありません。 距離も、コースも、2昼夜走り、歩き続けることも、雨の降る夜道をたった1人でトボトボ歩くことも、全て不安だらけでした。でもその一方で、206kmの旅でどんな出会いがありどんな経験が出来るのか、まだ見ぬ佐渡の景色はどんなものか、40時間以上体を動かすと体調はどう変化するのかなどなど、楽しみでもありました。 夜道を歩く淋しさと不安の中で愛犬の名を呼んで自らを励ましたり、2日目の夕暮れには夕日との不思議な追いかけっこを経験したり、2日目の深夜疲労のあまり幻聴と幻覚を初めて体験したりと、206kmもの旅は、今になって見れば不思議な世界との遭遇だったとも思えます。 そんな不安に揺れ動く気持を抱きながら、最後まで私をゴールに向かわせたのは、「何としてもゴールしたい」と言う強い思いでした。真っ暗なコース上に誰がいてもいなくても、たとえ自分1人でもゴールを目指す気持があれば、必ずゴールは近づいて来ます。「佐渡島一周」は、きっと自分自身の甘えと戦う良い機会になることでしょう。<無上の喜び> そんな苦労の末のゴールは、ランナーに無上の喜びを与えてくれるはずです。不安が強ければ強いほど、ゴール達成後の喜びは大きいものになるでしょう。昨年レースの途中、確か140km付近のASで、スタッフから上等の生ハムをつまみにビールを勧められたことがありました。「ええっ、こんなところでビール?」と怪訝に感じたものですが、超長距離のレースではあまり細かいことに拘る必要はないのでしょうね。 レースでありながらレースではない。「佐渡島一周」はそんな大会です。第1回の昨年は、結果的にコースアウトしたランナー(チェックポイント不通過、あるいはショートカット)もいたようですが、タイムを競わないマラニックと言うことで失格にはならなかったようです。「何でも有り」の精神で佐渡島を大いに満喫していただければ、参加した意義があるようにも思います。あまり参考にはならなかったでしょうが、この4回のシリーズが少しでも不安の解消に役立てれば望外の幸せです。<完>
2007.09.18
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<必要な荷物は自分で運ぶ> 「佐渡島一周」は、スタート地点から島を一周して元の場所に戻って来ます。この間、自分に必要なものは全て自分が運びます。もちろん不要なものは、そのままホテルに置いておくことが出来ます。荷物を運ぶために最適なのは、何と言っても体にフィットしたリュックでしょう。特に普段からリュックを背負い慣れないランナーにとって、この選択を誤ると辛いかも知れません。例えば体のどこかに当たって擦れるとか、バランスが悪くて走りづらいなどです。何しろ共に206kmもの旅をする訳ですから、自分の体にとって相性の良いものを選ぶ必要があるのです。 次のポイントは欲張らないことです。つまりなんでもかんでも積み込めば良いと言うものではありません。リュックの容量には限界があります。初めから一杯だと、極端に言えば途中で買う品物や手渡される弁当が入らなくなる可能性もあります。それに最初は軽く感じる荷物も徐々に重たく感じて来ます。 私の昨年の失敗例ですが、衣類が多過ぎて重たくなりました。幸い、昨年は体調不調のランナーが依頼した伴走車が居て、たまたま積んでもらうことが出来ましたが、それは全くの偶然です。また2日目には途中の公園に濡れタオルとスポーツドリンクを置いて来ました。それすら体が重たく感じられるようになったのです。<天候と服装> 最大48時間もの長い間、島内を駆け巡るうちには天候の変化があります。今のところ佐渡島のレース中の天候は比較的安定していて、天気も良く気温も仙台より1~2度高めとの予報になっています。昨年は台風の余波か、第1日目の夜中から2日目の未明にかけて雨が降りました。また第2日目の深夜にも雨が降り出しました。 疲労した状態で長い間冷たい雨に降られると体温が奪われます。ですから今後の佐渡の天気予報には十分注意して見ておくことが必要です。たとえ予報で雨が降らなくても、穴を開けたビニール袋や簡易なビニール合羽などの準備は必要と思われます。昨年雨具の準備をしてなかったランナーが第2仮眠所でリタイヤさせられたとも聞いています。 あまり参考にはなりませんが、汗かきの私は初日第1仮眠所まではランパン、ランシャツの組み合わせで走りました。まだ体力があったためか、それでもさほど寒さは感じませんでしたが、これはお勧め出来ません。また第1仮眠所で入浴後、半袖Tシャツと半ズボンに着替え、そのままゴールまで同じ服装でした。夜間の寒さを心配して長袖Tシャツや手袋も用意していましたが、私にとっては不要で結果的に無駄に感じました。<濡らさない工夫など> 唯一の手がかりとなる地図をどう保管するかも大事です。いちいちリュックから取り出していたのでは不便です。濡らさず、しかも手軽に地図を確認できる工夫を考えてみてください。 また事務局から携行を義務付けられている赤色灯、懐中電灯などの準備も怠らないようにしてください。電池切れのチェックも大切です。できればリュックは防水加工してあるのが望ましいのですが、そうじゃない場合でも最低ビニール袋の用意は必要でしょうね。<荷物の厳選> 最後にもう一度。本当に必要なもののみリュックに入れるのが肝要です。着替えも最低のもので良く、多少の汗臭さは我慢することです。私は昨年汚れた靴下は途中で捨てました。荷物は徐々に減るのが理想です。最も大切なことは最後までエネルギー補充が可能であることです。また最悪の事態に備えて、健康保険証や携帯電話は必要でしょうね。そんなことをチェックしながら、じっくり準備されてはいかがでしょうか。
2007.09.17
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<佐渡の給食と給水> 普通の100kmマラソンなら、ほぼ2.5km毎に給水所があり、5km毎にASが用意されて、ランナーはそれらのお世話になりながら最後まで走ることが出来ます。でも、「佐渡島一周」ではそんな手厚い給食・給水はありません。 最初に説明会で説明があると思いますが、206kmのコース上で数箇所弁当やお握りを手渡されるポイントがあります。選手はそれをその場で食べたり、まず確保して後で食べたりします。また驚かれると思いますが、コース上で24時間開いているコンビニは、85km地点の相川にある1軒だけです。自分の体調を見極め、ここでどんなものを「仕入れる」かが重要になります。私は野菜サラダ、牛乳、パンを買いました。 その手前にある幾つかの小さな集落には個人商店があります。それを目ざとく見つけて、自分の食べたい(飲みたい)ものを買い、その場で飲み食いしたり、リュックに入れたりします。私はパン、さつま揚げ、ナッツ類を買いました。 2日目に通る小木(おぎ)の町は比較的お店が多いところです。良く探せばスーパー、八百屋、ラーメン店が見つかるはずです。私は八百屋でオレンジを買い、ラーメン店でラーメンを食べ、港近くのスーパーでは稲荷寿司を買いました。ここから先に店はあまりないし、疲れて体調が変化するので何を買うかが重要です。 赤泊の集落には小さな店がありました。私はここでトマトと牛乳とアイスクリームを買いました。ここから先にはもしお店があっても、通り過ぎる時間の関係で開いていないと思った方が賢明です。そうなると残り50kmほどはランナー自身がリュックに入れた食べ物が唯一の栄養源になります。 一方、自動販売機は結構見つかります。でもスポーツドリンクばかりだと味が嫌になったり、舌がおかしくなったりして来ます。私はずいぶんお茶を飲みました。本当はミネラルウォーターが良いのでしょうが、ほとんどの自販機にはありません。 これらの事情は今年もあまり変わらないでしょう。ただし配られる弁当は昨年より良くなると思います。(昨年は全く同じものを3回もらい、さすがにウンザリしましたよ。笑)206kmの道のりを完走するために、また最後まで体調を良く保つために、ランナーがどんな食べ物や飲み物などを事前に用意し、あるいは途中で買うかがとても大切なポイントになります。 また、薬剤、栄養剤、塩、総合ミネラル剤など、自分に必要と思われるものの助けを借りることも大切でしょう。
2007.09.16
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「佐渡島一周」が近まりました。1週間後、来週の土曜日には佐渡島の島内を元気にテクテクと走っていることでしょう。「佐渡島」へ参加される皆さんは、今頃は最後の調整や準備をされているのでしょうか。 我が南仙台走友会のY田さん、宮城UMCの仲間のK藤さん、同じく古川のT田さん。このブログを読んでおられますか~? 今回初めて佐渡島へ参加される方は、いろんな不安があるでしょうね。後1週間に迫ったこの時期に、昨年参加した時の反省なども含めて、「佐渡対策」について書いて見たいと思います。古川のS藤さんも初参加ですが、佐渡以上の距離を経験されているベテランですから何も心配は要らないでしょう。<距離と時間に関する考え方> 「佐渡島一周」は206kmを48時間で走るマラニックです。ですから単純計算で行けば、1時間に4km余りを前進すればゴール出来るわけです。でも人間休んだり、トイレに行ったり、食べかつ飲んだり、眠ったりする時間も必要ですよね。そんな時間を差し引いても、時速6kmの速さで走ったり歩いたりすれば十分ゴール出来ます。<昨年の例から> 距離と自分の走力に自信がなかった私は、初日は次のような考えで臨みました。1時間のうち50分だけ走り、残りの10分間は歩くのを繰り返すのです。勿論食事の時間などは除きます。朝6時にスタートして、95km地点の第1仮眠所のホテルに着いたのが夜の8時20分ごろでした。計算上は休憩時間も含めて1時間に6.5km以上前進したことになります。 夜間は全て歩きました。雨も降ってる闇夜に走る自信がなかったからです。もちろん走力に自信があるランナーは夜間も走っていますが、ここで無理をする必要はありません。何故なら第2日目もまだ相当の距離が残っているため、夜間は体力を温存し、危険を避けた方が賢明だからです。また道を間違う可能性もあるのです。 仮眠所は90.5km地点のホテルの他に、105km地点の海の家にもあります。まずホテルでは食事も出来ますし、入浴も出来ます。出来れば初日の汗を流し、気分転換の意味からも入浴することお勧めします。(私は入浴後、後半戦に備え着替えをしました)また、例え人の出入りが激しくて眠れない場合でも、少し横になることをお勧めします。それだけでも体の疲れはかなり取れるからです。なお「海の家」にはお風呂はなく、水シャワーだけです。真夜中の冷え切った体に水では冷た過ぎますからね。<夜中の行進> 昨年参加した雲峰師匠は第1仮眠所で6時間眠ったそうです。それでもその後休まずに走り、歩いたお蔭でちゃんと時間内に完走されています。私は2箇所の仮眠所で合計3時間ほど身を横たえました。結局脳が興奮状態で全く眠れませんでしたが、その後眠気で苦しんだことはありません。きっと気が張っていたからでしょうね。で、夜中から朝まではゆっくり歩いていました。多分時速4kmほどのスピードでしょうか。それでも幾らかは距離を稼ぐことが出来ました。<再び走り始める勇気> 朝6時ころ、バス停で朝食を摂っている横をランナーが走り抜けて行きました。私も勇気を出して恐る恐る走って見ました。ところが意に反して、ちゃんとアンヨが動いてくれたのです。2日目は50分(あるいは55分)走って、5~10分間歩く「尺取虫走法」は止めました。自分の体調に応じて、あるいは地形(佐渡島は海岸沿いのコースのため、結構アップダウンがあります)に応じて、走れる所は走るという戦法に切り替えました。<最後までペースを守る大切さ> 私が去年失敗したのは残り30km付近からラストスパートをかけたことです。フルマラソンでも、100kmマラソンでも30kmも距離が残っているのにスパートするランナーはそう多くはないはずですが、睡眠不足と異常な高揚感で判断が狂っていました。(地図を見ながら残りの距離を確認することすらしませんでした)ですから、最後まで自分のペースを守るのが完走の秘訣です。無理、ムラ、無駄を無くせば自ずからゴールは近づきます。<地図を見て判断する必要性> 昨年私が失敗した一つは、何箇所かでコースを間違ったことです。工事中のためコースの変更があったことも含め、11kmほど余分に走ってしまいました。初めのうちはランナーの姿も前後に見られますが、出来れば地図を見、コースを確認しながら走るのが、結局は「近道」になります。「地図を読む」訓練になるし、最後まで正確に判断するためでもあります。現地の説明会で渡される25枚ほどの地図と是非お友達になりましょう。
2007.09.15
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行って来ましたフルスタへ。昨夜の対オリックス戦です。この日のピンバッチは草野大輔選手でした。イーグルスのファンクラブ会員証と当日のチケットをファンクラブのテント前に提出すると、今年は色んな選手のピンバッチをくれるのですよ。今シーズンもらったバッチは20個にもなったでしょうか。 また試合に先立って、「あやや」こと松浦亜弥が応援歌を歌ってくれました。彼女は試合中のイニングの間にも再び歌ったのです。そして5回表の攻撃前には、夜空に大輪の花火が打ち上げられました。私がフルスタで花火を観たのは今シーズン2度目かな。こんなサービスが受けられるイーグルスは最高ですね。 さて、試合は5回まで0対3の重苦しい雰囲気でした。それもそのはず、イーグルスが放ったヒットは1回裏にトップバッターの高須が打った1本だけでしたからねえ。それだけ相手の先発岸田の調子が良かったのです。それが6回裏には4本のヒットで同点に追い着くのですから、まだ前夜のサヨナラ勝ちの「ツキ」が残っていたのでしょう。 残念ながら7回から9回までの好機を物にすることは出来ず、9回を投げ切った田中に白星はつきませんでしたが、10回表のピンチを何とか小山が凌ぎ、後は前夜に続いてのサヨナラ勝ちを待つばかりの雰囲気になっていました。 先ず嶋が珍しく2塁打を放つと、もう「白風船」の準備が始まります。これは楽天が勝利した場合に行う「儀式」なのです。高須がバントを決めて1死3塁。草野が敬遠で1死1、3塁。ここで高波に代わってピンチヒッター礒部の登場。球場内には「ゴーゴーゴー イーグルス 杜の都の牛タンパワー スタミナ満点 止められない ワッショイワッショイ♪」の大合唱。 これで前選手会長の礒部が燃えないわけがありません。このところ自打球による怪我や憲史や高波など若手の守備が上手い選手の出現で出番が少なかった礒部ですが、初球からストレート1本に的を絞っていたようです。そこへ来たのが「低めの真っ直ぐ」。振り切ったバットから放たれたボールは1、2塁間を破ってライト前に抜け、3塁から代走の塩川がバンザイしながらホームイン。またまた前夜に続く「奇跡」(?)のサヨナラ勝ちでした♪ 我が東北楽天、本当に強くなりましたね。点を取った時、そして勝利を物にした時、ファンは狂喜してミニバットをお互いにぶつけ合い、最後に外野まで走って来た選手と一緒にバンザイをします。これが実に良いんです。4時間も応援した疲れが吹っ飛ぶ瞬間なんです。たった1200円でこれだけ熱くなれることって他にありますか~? と言うわけで、昨夜で私は今季13勝7敗の好成績を収めました。今日は10月2日(火)、3日(水)の対日ハム戦のチケットを買いました。3日は今季最終戦で田中が投げることがほぼ決まっていて、これを買うのが大変なんですよね。一般販売に先行して購入出来るため、ファンクラブに入っているんですが、きっと来年も止められないでしょうね。(笑)
2007.09.14
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安倍総理、とうとう入院しちゃったようですね。すっかり闘争心を失ってしまったのでしょう。昨夜は総理辞任のニュースが全国を駆け巡ったようです。一方ではオシム・ジャパンがサウジに辛勝したとか。でも、私は試合があることすらすっかり忘れていました。私にとっては楽天対オリックスの試合の方がもっと気がかりだったのですよ。 セリーグもパリーグもAクラスとBクラスのチームがハッキリして来ましたね。パリーグでは日ハム、ソフトバンク、ロッテが優勝を懸けて戦っています。残念ながら我が東北楽天は優勝を争うまでには到っていません。それどころかビリ争いの渦中にあります。4位タイの西武と楽天から6位のオリックスまで、わずか0.5ゲーム差ってんですから、こっちの方の戦いも物凄いのですよ。 何しろ新生楽天は2年連続のビリ。今年は田中マー君の入団で結構良い勝負が出来ています。今の時期に借金が1桁なんて、昨年まではとても考えられないことなんですからね。優勝争いは無理としても、少しでも上位を目指して頑張って欲しいと言うのが我々ファンの願いです。 昨夜も期待の岩隈が乱れて2対5で負けていたのを終盤同点に追い着き、9回裏1死満塁で山崎の内野ゴロ併殺崩れの間にホームイン。奇跡(?)のサヨナラ勝ちですから堪りません。実は殊勲打の山崎ですが、肩や腰に加え股関節も傷めているとか。そんな状態でも必死に戦っているのですぞ。安倍総理や朝青龍には山崎の傷だらけの姿を見せてやりたいなあ。そして「男は闘争心を失ったらお終いだよ」って言ってやりたいねえ。 一方大リーグで「お役御免」になった桑田ですが、捻挫で傷めた足首を手術するとか聞きました。これまで足が万全で無い状態で大リーグで投げていたんですねえ。で、手術が無事終了したら来年もまた大リーグに挑戦するんですって。知ってました?凄いですねえ。桑田の尽きること無い闘争心は。私達ウルトラランナーだって、絶対ゴールするぞ~っと言う気持が無くなったら、100kmはおろか42.195kmすら走れませんからね。 さて、今夜の楽天の先発は田中。またまたフルスタへ応援に行って来ます。今日も入れてフルスタで今年試合を見られるのは、後8回だけなんですよねえ。田中がフルスタで投げた試合は確か9回だと思うんですが、私はそのうち8回見ています。5勝2敗かな。1試合は抑えの福盛が勝ち投手になりました。 レフトの自由席前売り券1200円也で4時間以上興奮できるんですから安いもんですよね。今日も勝って、選手と一緒に万歳三唱をやりたいなあ。じゃあ今年20回目のフルスタへ行って来ま~す♪
2007.09.13
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安倍総理が辞任の意思を表明した。唐突でもあり、辞任の理由も良く理解できない。開催された国会で所信表明をした直後の辞任表明には、与党の中枢にいる人にも驚きだったようだ。それにしても行動が幼い。誰しも考えるように、もし辞任するなら惨敗を喫した参院選の後が自然だったろう。 「美しい国」発言に見られるように、安倍総理には「精神性」は感じられても生活感は全く感じられなかった。だから支持率が急落すると、忽ち意気消沈したのだろう。辞めるタイミングがあまりにも悪過ぎる。これでは途中で投げ出した感が否めないのは当然だ。エリートの何という脆さ。やはり最後になって経験不足がもろに出てしまった。あれが政党のエースだったのだから、人材不足なのだろう。 総理の行動に比べるのもおこがましいが、私の人生で2度身を引いたことがある。初めは勤労学生だった頃のこと。ノンポリの学生委員会に所属していたのだが、大学紛争に怖気づいた先輩が委員長選挙への立候補を直前になって降り、2年生の私にお鉢が回って来たのだ。全国的な学園紛争の影響で校舎が封鎖されるなどの騒動が続き、結局機動隊導入で反対派の先鋭的な学生は排除された。 夜学の学生には勤務先で組合活動をしてる人も居て演説は上手い。一般学生の代表だった私達はとてもプロの活動家には敵わなかった。それでも何とか学びたい一心で通学している勤労学生の代表として頑張った。体重は1年で6kgほど減り、50kgそこそこまで痩せた。2年目の選挙には心身ともにクタクタで、再び立候補することはしなかった。 これまで大学側の運営に反対を唱えて来た先鋭的な集団は、思わぬ当選に困惑したようだ。攻撃は得意でも、文化を創り出すことは出来なかったのだ。彼らの1年間の行動で、夜学の学生達も何が真実なのかをようやく悟ってくれた。 2度目は前職を定年の1年前に辞めたことだ。組織の大改革を前に上層部は全国の情報を求めて苛立っていた。直属の上司、部下は共に更年期の女性で、的確な指示が出来ず、間に挟まれた私と同僚は戸惑いの連続だった。そのうち窮地に立った同僚が私を攻撃し出した。上司の目を逸らすためだったのだろう。 私は事務方のトップに辞職を申し出た。私の場合、辞職の承認を得るためには6ヶ月前に申し出る必要があった。後任人事で全国に影響するからだ。私の最後の職場はそれまでの管理運営が悪く、施設も雨漏りするなどニッチもサッチも行かないような状態だったし、職員の意識も最低で私はとても管理職とは言えない業務に奔走していた。 私は辞めて清々したが、同僚は後で困ったと思う。もう攻撃する相手がいなくなり、自ら動かざるを得なかったからだ。この2つの事件には実は深い関係がある。同僚は夜学で委員長だった私を攻撃した一人だったのだ。私は良く知らなかったのだが、あの時の反対運動で彼は退学処分になっていたようだ。それで私を恨んでいたのかは不明だが、元々恨まれる筋合いではない。 「人間、引き際が大切だ」と、自分の体験からも強く感じる。全国組織の大改革に関連して何人かの仲間が現職で亡くなったと聞いたのは、辞職から1年後のことだった。
2007.09.12
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久しぶりに青空が戻り、今日は山道を走って帰った。その道すがら、萩の花が咲いてるのを何箇所かで見かけた。もうこんな季節になったのだ。気のせいか大気も少しひんやりし、暑かった夏の頃に比べれば走りやすくなったようにも感じた。 萩の花で思い出すことがある。まだ図書館に勤めて日が浅かったころのことだ。東京から赴任した課長に、「この辺の萩はどんな種類があるの」と聞かれて、「ミヤギノハギとセンダイハギ」と答えたら即座に笑われた。「センダイハギはお芝居だろ?」と言うのだ。 課長の言うとおり伊達藩のお家騒動をテーマにした「伽羅先代萩」と言う名の歌舞伎はあるが、センダイハギと言う種類の萩も聞いたことがある。だが、まだ駆け出しの図書館員だった私には、自信を持って「ちゃんとあります」と証拠と共に答えるだけの分別はなかった。「センダイハギ」の植生と実態を知ったのはそれから何年も過ぎてからだった。 帰宅して歯医者に行く。今日は病んでいる歯を抜くことになっており、それだけで朝から憂鬱だった。待合室で待つこと2時間近く。これでは何のために時間を予約してるか分からないじゃないかと、変な怒りが込み上げて来た。その割にいざ椅子に座ると、尻の辺りから冷や汗が滲んで来たようだ。 歯科医はレントゲン写真を見ながら奥のインプラント部分の病状について説明する。もう3度ほど同じ説明を聞いた。先週暫く様子を見ましょうと言う話に、これでは何時まで経っても埒があかないと業を煮やし、潔く抜くことをお願いした私だった。ひょっとしてこの先生は自信がないのかとも勘ぐったのだ。インプラント(人工歯根)を行うためには、歯科医と口腔外科の2つの資格が要る。先生はきっと口腔外科の資格が無いんだろうとも思った。 だが、今は炎症が治まっているし、最奥部の歯を抜くとその手前のインプラント部分も弱くなり、噛むことが困難になるとの説明が良く理解出来、今回は抜かないことで合意した。ただ、歯石は除去して欲しいとお願いし、歯間ブラシの使い方を歯科技工士の方から教わって帰った。 最初のインプラントを行ったのは16年前の沖縄でのこと。優秀な女性歯科医の勧めで琉球大学医学部口腔外科の先生が手術してくれた。女性歯科医はその何年か後に沖縄県で初めての女性副知事に推薦されたが、ある政党の反対にあった。余りの自信と豪胆さが裏目に出たようだ。エピソードも幾つか知っているが今回は止めておこう。 2番目のインプラントは山形で7年前に受けた。この先生は学術的な興味が旺盛な方で、この先生のためなら実験台になっても良いと思って協力したのだった。だが、虫歯の親知らず歯の根っこを引き抜き、それを反対側の下顎骨を削って埋め込む手術には、少し無理があったのだと思う。何故なら最初からグラグラしていたからだ。 この先生は自信と言うよりは、学問的な良心から歯の移植を勧めてくれたのだと思っている。歯で苦しむのも段々歳を取って来た証拠だろう。今日は思わぬ「歯無しの話」になった。
2007.09.11
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昨日の夕方の散歩の時、畑に転がっていた「夕顔」を拾って帰った。農家が家庭菜園用に貸し出した畑には、色んな人が色んな作物を育てている。きれいに畝を耕し見事な野菜が生ってる畑もあれば、雑草が伸び放題の畑もある。結構高いお金を出して借りている畑で生った野菜も、毎日のように収穫に来る人もいれば、種を蒔き、苗を植えっ放しの人もいる。 「夕顔」が捨てられていたのは、あまり手入れの良くない畑だった。それでも10個以上の大きな実が棚にぶら下がっていた。折角作ったものの、大きな夕顔の実に辟易したのだろうか。何個かは収穫したようだが、残りは放置した感じだ。 そのまま腐らせるのは勿体無いので有難く頂戴する。ちょうどキュウリが取れなくなったので糠漬けには持って来いだ。今朝「瓶」から出して食べてみたらちょうど良い漬かり具合だった。残りは煮物にしても美味しいかも知れない。(笑) 今日は午後から雨の予報だったが、意を決して自転車で職場に行った。勤務後、病院に行きたいと思ったのだ。歩けばかなり遠いし、診察時間が遅くなる。それに沖縄料理店から借りた本を返すためにも自転車の方が好都合なのだ。幸いにして午後になっても雨は降らず、無事用件を果たした。 沖縄料理店からは2冊の本を借りた。8月の下旬沖縄に帰る際に新しい本を持って来ると聞いてたので期待していたのだが、今回専門書の類はなかった。店の主人のお父さんは沖縄で医者をしてるとか。これまで借りた本の内容からかなりのインテリで愛書家なのが分かっていたが、さすがに蔵書が尽きたか、読書家でない息子に大切な本を貸したくないかのいずれだろう。あるいは重い本を運ぶのが大変だったのかも。 病院での診察の結果は異常なし。女医さんもいつもの通り機嫌が良い。血圧が安定しているのは、規則正しい生活のお蔭だろう。それに歩き、走り、毎日のように体を動かしていることも大きいと思う。全て順調のように見えるが、この秋の健康診断はどうだろう。現役を退いてから胃のレントゲン写真を撮ってなかったが、初めて市の健診を受けることにした。自己負担が500円とのこと。「只」みたいなもんだ。 雨が降りそうな気配に、愛犬との夕方の散歩を早める。やはり勘は的中、散歩の途中に降り出した。雨の中で冬野菜の種を蒔いている農家の人。彼らにとっては多分恵みの雨だろう。帰宅した時には豪雨になった。今日から家の壁を塗り始めた業者も、さすがに作業を終了して帰った。屋根はもう1回本塗りをするとか。こちらも順調に進んでいるのが嬉しい。
2007.09.10
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今日もまた良い天気。昨日は2回洗濯した妻だが、今日も洗濯をしたようだ。明日から天気が崩れるようなので、晴天は貴重なのだろう。今朝はいつもより1時間ほど遅い起床。その分愛犬との散歩も遅い。だが彼は時計をしてないので、今か今かと私が外へ出るのを待ち構えているのだ。 朝食後、妻がお握りと稲荷寿司を作る。今日は高原にコスモスを見に行くことにしていた。それだけ無く温泉にも入り、高原野菜を中心とした土産物センターも覗く予定。行き先は薬莱高原。毎年8月に宮城UMCの仲間と走るマラニックのゴール地点でなかなか素敵なところなのだが、車の無い我が家ではこれまで話だけで妻を連れて行くことが出来なかった。 それが先日バスの中に、「高速バスで行く薬莱リゾート」のちらしが吊るされていたのを発見。バスの料金は片道1200円で、ガーデンと温泉が半額、それにアイスクリームのサービス付きらしい。これは良いぞとばかり、山や花や温泉好きの妻に話したら、早速出かけることになった。秋の山も眺めは良いだろうし、高原に咲くコスモスの風情も楽しみだった。 駅から乗ったバスは観光バスじゃなく、普通の路線バスなのにはビックリ。ただし一部高速道路を使うので1時間半ほどで着くようだ。4枚つづりの回数券だと800円安くて助かった。車窓からは黄色く色づき出した田圃や七つ森などの風景を楽しむ。 大衡まではマラニックのコースと一緒だった。だが、王城寺原へは曲がらずに色麻町役場方向へ直進。さらに旧中新田町を経由してようやく旧小野田町へ辿り着く。あの何も無い田圃の中の道は通らないのは人家が少ないからで、わざわざ色麻町役場、加美町中新田支所、同小野田支所を大回りするのも路線バスの宿命だろう。 さて、終点の薬莱山麓にある「やくらいガーデン」付近では、ちょうど「ベゴッコ祭り」で大賑わい。スキー場のゲレンデを会場に、大バーベキュー大会などが開かれていた。ガーデンでは良く手入れされ広々とした園内に咲き乱れる季節の花々。台風のためにコスモスが少し倒れかけていたのが残念だが、満開になればさらに見事だろう。丘の上には絵のように可愛い教会があり、結婚式も挙げられるとか。 ソバの白い花が咲く丘の展望台に上がって、澄んだ音色の鐘を鳴らす。木陰のベンチで、薬莱山を見上げながらの昼ご飯も美味しかった。油絵のモチーフのため、妻は何枚か写真を撮った。帰りは薬師の湯まで高原の道をハイキングする。 温泉も地元の小母ちゃん達が生産する高原野菜が中心の土産物センターも、妻は気に入ったようだ。温泉は2度入り直したようだし、たくさん買った高原野菜は私のリュックを重たくした。無料サービスのアイスクリームに舌鼓を打ち、お土産まで入れて2人で6千円ほどで済んだプチ旅行に大満足の一日だった。
2007.09.09
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台風が去って青空が戻った今日は、朝からいやに蒸し暑かった。何をしても汗だくで、朝一番の愛犬との散歩から帰ると顔から背中から猛烈に汗が滴り落ちる。昨夜は夏蒲団にしたが、それすら掛けずに朝までパジャマのままで寝ていたのだから、やはり暑かったのだろう。 朝食を終えて、台風で汚れた玄関先やガレージの掃除をしているところへ塗装業者がやって来た。確か今日は休みの予定だったのにと思っていたら、台風で遅れた分を取り戻すためらしい。1人は屋根に登って養生を始め、1人はガレージの壁面に養生を始めた。こうなると私も仕事をせざるを得ない。 まず愛犬を道路に出す。道路と言っても我が家は路地の奥なので、車は入って来ないし邪魔にもならないのだ。犬小屋、梯子なども邪魔にならないところへ移動。ガレージの壁に立てかけていた支柱や植木鉢などは壁から離す。屋根と壁面の塗装が本来の工事なのだが、サービスでガレージの壁面も塗ってもらうことにしたため、積極的に協力した方が良いと思ってのことだ。 それらが終わると台風でビショビショになった玄関マットを干し、生ゴミを入れるコンポスト用の土を運び、キュウリ3本、ゴーヤ5本、パプリカ1個を収穫。100本近く採れたキュウリも葉が大分黄ばんで来たので、間もなく寿命だろう。たった1個実を結んだカボチャもさほど大きくならず成長が止まったようだ。 妻に頼まれた買い物ついでにコンビニに寄って楽天のチケットを購入。コンサートのチケットを買う人が居てかなり待たされたが、今日の分と10月2日(火)の分をゲット。10月3日(水)が今シーズンの最終戦で田中が先発する予定と聞いてるが、発売計画はまだ発表がないのだ。 2時試合開始のフルスタは猛烈に暑く、まるで真夏並み。多分体感温度が35度ほどにはなっていただろう。だが先発の一場はロッテ打線に早々に捕まり、2回3分の2まで投げたところで7安打で3点を失った。この後出て来た永井、川岸、小倉が片っ端から打たれ、大量10点を献上した。打線も良いところ無くリックのポテンヒットで辛うじて2点取っただけの実にお粗末な試合だった。 殆んどの回ロッテの攻撃が長く続くのに対して、楽天の攻撃はたった5分ほどで終わってしまう。相手のピッチャーを助ける以外の何物でもない「早打ち」の連続。期待して観に行った一場だったが、中継ぎ陣も含めてまだまだの状態だ。きっと選手層の薄い楽天では、暑かったこの夏の疲れが出ているに違いない。 そんな中で、わざわざ福岡まで行ってソフトバンク戦を応援して来たと言う熱心なファンもいた。ヤフードームでの楽天ファンは完全なアウェーで、岩隈が投げた日で30人田中が投げた試合が100人ほどしかいなかったとか。そんなところまでわざわざ行って来るファンがいることに正直驚く。 試合後大急ぎで帰って、愛犬と夕方の散歩。ガレージ内は業者の人がすっかり片付けてくれていた。周囲の壁にはペンキが塗られ、明るくかつきれいになって妻も大喜びだった。夕食の前に水シャワー。暑かった日の汗をしっかり流した。我が楽天の力も今が限界か。プレーオフは無理だが、せめて4位か5位には留まりたいなあ。それにしても9月の仙台で水シャワーとは、やはり今年は異常気象かもねえ。
2007.09.08
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昨夜眠りに就いた頃には、まだ風雨は強くなかった。ただ、ラジオで聞いていた楽天対ソフトバンク戦が、期待の田中が先発だったのに逆転負けしたことだけが心に残っていた。今朝起きると強い雨。それでも日課の愛犬との散歩に行く。風も強くなっていて、忽ち傘が壊れてしまった。雨の日の散歩には欠かせない大切な傘だったのだが残念だ。 早目に切り上げて家に帰ると、庭から一羽の鳥が飛び立った。山鳩だ。つい1ヶ月前ほどから我が家の庭で遊ぶようになったこの若鳥は、台風の日にも遊びに来たようだ。慌てて逃げるような感じもないが、何故遊びに来るのか訊ねても、ただ「デデポポ」と鳴くだけで返事はない。 今日はいつもより早目に出勤。愛用の大きな傘が壊れたため、小さめの傘になり濡れてしまうが仕方がない。その代わり足元は長靴にした。ダイヤ通りに来たバスに乗り込むと案外空いていて座ることが出来た。先日まで読んでいた「うちなぁぐちフィーリング」を読了し、今日から城野宏著「古事記と人間」を読み始める。 亡くなった経済人の著書の復刻だが、歴史学者が気づかなかったり、気づいても取り上げなかった視点から書かれた文章は捉え方が鋭く、なるほどと思うことが多い。これまでの私の歴史観を変えてくれるのではないかとも感じる。これはゴミとして裁断に出されたのを現場で拾ったもの。世の中には勿体無いことをする人がいるものだ。 第1現場ではいつも朝一番で登る塔屋には登らなかった。突風に煽られると危険なためだ。喫煙のために開けた窓も逐一閉めた。そのままだと雨が吹き込んで大変なことになる。玄関先で立哨しながら外の様子を窺うと、強風で傘を壊される人が大勢いる。またこんな荒れ模様の日に傘を差しながら自転車に乗る若者がいることにも驚く。 帰宅してニュースを観たら、台風は福島の会津地方から山形、秋田方面に向かったとか。多摩川の濁流に流されるホームレスの人が何人かいた。家が全壊したり、橋が落ちたり、土砂崩れが起きたりと、各地で被害が出ているが我が家では特段の被害はなかった。工事のため家の周囲に張り巡らしていた「幕」は台風の襲来に備えて予め業者が折り畳んでくれたし、午前中も巡回に来てくれたようだ。 夕方、風がまだ強い中、愛犬と散歩に行く。10時間近く犬小屋の中に閉じ込められていた愛犬も、ようやく自由になり嬉しそう。明日は台風の余波のフェーン現象で最高気温は32度まで上がるとか。その中を走友会の仲間達は山形蔵王坊平高原の合宿先まで60km以上走って行くようだ。先週の「ビールラン」にも今回の合宿にも参加出来なくて残念だが仕方がない。皆さん、頑張ってくださ~い♪ さて、今夜のフルスタでの対ロッテ戦は再び流れてしまった。残り22試合、我が東北楽天には何とか最後まで粘って欲しいものだ。頑張れ~っ楽天!!
2007.09.07
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もう何日か前のこと、高知の長女から電話があった。届いた桃のお礼だった。品質も良く、とても美味しかった由。これは8月の初め福島の果樹園に桃狩りに行った際、発送をお願いしたもの。1個500円ほどだったので美味しいのは当然かも知れない。二人の孫も「美味しかったよ~」と可愛い声で教えてくれた。 今年から小学生になった上の孫は実は果物がきらいなのだ。四国は柑橘類の宝庫だが、この孫は見向きもしないようだ。だが妻が送ったサクランボは珍しかったのか喜んで食べたそうだし、今回の桃も抵抗なく食べたようだ。こんなことでもないと可愛い孫の声はなかなか聞けない。この孫達が嫁に行くまで、果たして私は生きていられるかどうか。 一昨日の夜のこと、宮崎にいる弟から電話があった。時刻は9時半ごろだったが私は既に眠っていた。電話から漏れるテンションの高い弟の声に目が覚める。来月の半ばで定年になる由。宮崎に赴任して2年になる彼の身には妻がガンで亡くなるなど色んなことが起きた。 宮崎では前知事の汚職による逮捕、鳥インフルエンザの発生、東国原知事の誕生などのビッグニュースが続いた。さる通信社の支局長をしている彼にとって、きっと気が休まらない日の連続だったに違いない。そんな中で初めて任地に伴った妻が亡くなったのだから、苦労が絶えなかったと思うのだが、話し声にはそんな雰囲気は少しも感じられなかった。 今、週1回地元のテレビに出てコメンテーターを務めている由。退職後も引き続き出演を請われているので出ようと思うと弟。宮崎は気候も人柄も暖かく、物価が安くて暮しやすい由。退職金をもらったらマンションを買い、そのまま宮崎で暮すのだとか。 また亡き妻の遺灰は、遺言により各地に少しずつ撒いているとのこと。先日は沖縄の本部半島周辺の海に撒いて来たようだ。残りは宮崎の海や、父母が眠る生まれ故郷の北海道のお墓にも入れるとか。これからもし良い人と出会ったら一緒に暮すのも良いかもと、屈託無く話す弟の口ぶりに暗さはなかった。 心配なのは、これまで社会人として忙しく過ごして来たのが、退職して急に暇を持て余し、体調を崩すことだ。週1回ゴルフもし、テレビにも出てるから大丈夫と言う弟に、健康には十分注意するよう話して電話を切った私だった。 高給取りで社会的にも高い地位にある弟。それに対して、第一線を退いてなおパートの肉体労働者として小遣い稼ぎの日を送っている私。だが健康で色んな趣味を楽しめるのが一番。何も他人の暮らしを羨むことはない。さて、風が強く吹き始めた。空はまだ青いが、台風が少しずつ近づいているのだろうか。
2007.09.06
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「立山」の完走記執筆中に、今月走る「佐渡島一周」のナンバー通知などが届いた。参加者名簿を見たら、昨年参加していた新潟のK生さん、I橋さんの名前がない。お二人とは7月の「磐梯高原」でお会いしていたが、不参加とは淋しい限りだ。 宮城UMCからは10名の参加になっていた。このうち6人が我が南仙台走友会のメンバーだ。初参加はY田さんK藤さんに、旧古川市のS藤さん、T田さんの合計4人。206kmもの長い距離に初挑戦する4人の心境はどんなものだろう。昨年もここを走っている私には特に心配な点はないが、天候だけは安定して欲しいと願っている。 12月の予定レース「NAHA」のツアー申し込みをした。妻は仕事の関係で行けないため、私は安い宿を斡旋してもらった。1人ならそれで十分。ついでに来年1月に予定している「宮古島100kmワイドーマラソン」の宿と飛行機の手配もお願いした。こちらはまだレースのエントリーはしておらず、目下大会要項を取り寄せ中だ。 NAHAは今回が10回目の参加で何も心配することはない。一方の宮古島は初めての参加。「宮古島100km遠足」も前日の土曜日に開催されるが、これだと金曜日に休む必要がある。「ワイドー」は日曜日の開催だし、月曜が祭日のため仕事上の迷惑を掛けずに済むのが参加の決め手になった。 ついでながら来年は主にウルトラを走ろうと考えている。目下の予定レースは以下の通りだ。一部変更があるかも知れないが、多分このまま行くことになるのではないだろうか。☆1月13日(日) 宮古島100kmワイドー☆3月23日(日) 伊豆大島ウルトラ100km☆5月18日(日) いわて銀河100km☆7月5日(土) 磐梯高原100km☆8月23日(土) 立山登山マラニック65km☆9月21日(日) 秋田内陸100km☆11月23日(土)屋久島エコジャーニーラン80km
2007.09.05
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9月2日第1日曜日は町内会の草刈の日で7時半から始まる。折角大阪世界陸上の女子マラソンを観ていたのだが、これも近所付き合いなので仕方がない。例によってバス停前の除草に精を出して居た時だ。突然頭に鋭い痛みを感じた。長く伸びた草に長老が気の毒がって、草刈機で刈ってくれていたのだが、その辺りにアシナガ蜂がたむろしていたようだ。 つい1ヶ月前も同じような状況で左腕を刺され、2週間ほど強い痛みと腫れに苦しんだのだが、すっかりそのことを忘れていたのだ。良く見ると小さな巣があった。鎌で叩き落し、長靴で巣を踏みつける。慌てて自分の巣を探しに戻って来た蜂も、帽子で叩き落した。2度目の今度は「抗体」が出来て大変な思いをすると覚悟したのだが、「免疫」が出来ていたのかほとんど痛みも無くて済んだ。 女子マラソンは土佐が良く頑張ったと思う。中国の合宿で膝を強打した影響があるかと思っていたが、彼女は実に苦境に強い選手だ。涙を流しながらの力走で銅メダルを手にし、ついでに北京オリンピックへの出場も一発で決めた。 大阪国際陸上でほかに観たのは、男子100mリレーの決勝と、山崎選手が競技役員の誘導ミスで途中棄権になった50km競歩くらいか。男子のリレーは日本新とアジア新記録を出しての5位。世界との差は小さくない。またあの誘導ミスはお粗末の一語。ほぼ8位入賞と北京への切符を手にしかけていただけに、残念でならない。 女子マラソンを観た後、私は久しぶりにフルスタへ向かった。球場の命名権問題が急遽持ち上がって来たフルスタ。折角馴染んだ名前だが、来年の春には別な名称が付くことになるだろう。それはともかく、6月までに15回も通っていたのに、その後忙しくなり7月に1回、8月に1回行ったきりだった。 8月31日(金)はあの雨の中で対西武戦を強行した。西武は前日延長戦が長引き、試合当日早朝の移動だったので疲れ果てていたはずだ。一方の楽天は前日は試合がなく休養十分なのに加え、この日も朝から室内練習場でみっちり練習をしていた。先発の田中は10勝目を目指し、敵を待ち構えていた。これに対し西武は、雨で試合はないと思っていたのではないか。そうなると勝敗の行方は初めから決まっていたようなものだ。大勝で田中は悠々と10勝目ゲットした。 翌日の2戦目、先発はドミンゴ。日本新記録のボーク4つを出した上に、審判に悪態をついて退場処分になった。だがこの日はフェルナンデスが前日に続いて大当たり。2日で11打点の大活躍だった。ドミンゴの後を受けた永井が好投し、棚ボタの6勝目を挙げた。 私が行った3戦目の先発は朝井。3連勝すれば4位の西武と順位が入れ替わる大事な一戦だった。初回山崎のピッチャーゴロを相手がFC。暴走とも思えた3塁からの帰塁が、何と好走塁になるのだから楽天はついていた。その後2点追加して3対0。これは楽勝かと思ったら和田の2ランホームランでたちまち1点差。だが前日中村の頭部に死球を投げて退場させられた小山が良く踏ん張って勝利を手にした。 この日レフト自由席には2人の珍しい客人が応援に来ていた。1人目がローリー。長い金髪にピンクのトップタンクとパンタロン。頭にはこれもピンクのカーボーイハットと超ど派手なイデタチにはビックリ。いつもはロッテや楽天のファームを応援してるらしい。この人、実は男で、顔を良く見るとヒゲの剃り跡が青々としてるのが分かる。勤め先は「国分町」(仙台の夜の繁華街)らしいが本当はどうなのか。 もう一人の珍客は銀次。背番号67、ファームのキャッチャー銀次のユニフォームが決まってるが顔が本人とは違う。この人はどうも歌手のようだ。良く見るとCDが入った袋にサインをして配っている。銀次と言う売れない歌手が仙台にいる話は聞いていたが、その本人のようだ。楽天が強くなるとこんな人までが応援に来るようになるのか。残りは後24試合。どこまで勝てるのか、我が東北楽天! さて本日の話題は極めてローカル色が強いものになりましたが、お許しを。(笑)
2007.09.04
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この一週間、疲れと戦いながら「立山」の完走記を書いていた。走後の痛みは全く無かったが、残業も続いていて疲れはなかなか取れなかった。参加条件が厳しくかつ人気が高い「立山」では、ずいぶん多くの人が選考に漏れたようだ。折角参加することを許されたのだから、簡単にリタイヤするのは選考漏れのランナーに申し訳ないと言う思いが今回は強かった。 10年ぶりにお会いした滋賀のOさん。スタート前は緊張されていたように感じたが、無事ゴールされた夜の懇親会場では、表情が一変して喜びに満ちていた。今回称名滝ASでリタイヤされたH多夫人だが、一緒に走っていたM仙人の体を終始心配されていたようだ。自分の体調不調に時計の電池切れのアクシデントが加わり、ついに諦められたとか。 O氏もH多夫人も過去にこのコースを完走されている。コースの厳しさを知るだけに、体調が悪い時など、完走できるかどうかより不安が高まるのかも知れない。そう言えばレースの翌日、誰かが「初めての参加者は大抵完走するものだ」と話しているのを耳にした。前途の厳しさを知らないだけに、夢中になって走り、歩き、登るため、知らず知らずのうちにゴールしてしまうのだろうか。 レースから帰って、O氏のブログや雲峰さんのBBSに掲載された「立山」の写真を何枚か見た。それらの写真を見ると、レースの状況やコースの途中で見た風景が、まざまざと思い出された。なるほど写真はあの時の雰囲気を捉えている。私の完走記は殺風景にも文章だけだが、その代わり私が受けたレースの感動が何とか伝わるよう苦心した積りだ。 さて、完走記を書いてる途中に、約1ヶ月かかる我が家の塗装工事が始まった。今我が家の周囲は足場と幕に囲まれて薄暗く、風通しも悪いためか洗濯物も乾きにくい。それに家の周囲を歩くのは困難。不便なので畑の一部を潰してコンポストを据え付けた。何とか持ち応えたトマトやミニトマトを工事前に処理したのは残念だったが、その後に大根の種を蒔いた。虫の音が聞こえる。どうやら我が家にも「秋」の気配が少しずつ忍び寄って来たようだ。
2007.09.03
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<フィナーレの時> 懇親会は8時から食堂で始まり、私達のテーブルには雲峰さんやクニさんも集まった。今回クニさんは不調で伴走はせず、途中リタイヤされた由。それにしてもあんな厳しい登山道を、盲人ランナーも伴走の方も良く登られ完走されたのは奇跡に近いと思う。H多夫人はコースの途中でフラフラし出し、リタイヤされたとか。それにM仙人共々、腕時計の電池が切れたそうだ。レース当日に仲間の2人が同時に電池が切れるとは、何という偶然の確率だろう。 私はE子ちゃんを探して食堂の中をほっつき歩いた。だが何度見回しても見つからない。走ってる姿は知ってるが、しっかり顔が確認できた訳ではなかった。さて、トップ到着で紹介された選手はまだ若いランナーだった。第10回記念大会の副賞として、カリマンタン(ボルネオ)島キナバル登山マラソンへ2名の招待が決まった。確か東南アジア最高峰で4千mクラスの山だったと思う。 疲れと酔いで雷鳥荘の1階をフラフラ歩いていた時E子ちゃん発見。仲間の男女8名と同室とのこと。私がゴール出来たのは、彼女のペースが参考になったのに加え、最後まで走ろうとした姿を目にしたからだ。お礼の積りで握手しようとしたら、彼女の両手は生憎懇親会の余った「つまみ」で塞がっていた。仕方なく彼女の手に軽く触れたのだが、果たして私の気持が正しく伝わったかどうか。(笑) 深夜2時、K合さんが静かに部屋から出て行った。そのまま何時まで経っても帰って来ない。てっきり雄山からのご来光を観に行ったのかと思い、すっかり眠気が醒めてしまった。彼が戻ったのは2時間後。照明を消し、温泉の中から夜空の星を眺めていた由。とても星がきれいで流星が4つも見えたと嬉々として語る彼。それを聞いてM仙人とD口さんも未明の温泉に入りに行った。 その間私はK合さんと様々な話をした。山の話、古い道の話、宗教の話、アイヌや沖縄の話、歴史の話など話題は尽きなかった。K合さんと話すのは今回が初めてだったが、とてもユニークな視点を持った人だと言うことが直ぐに分かった。 夜が明け、私は建物の外へ出た。雲峰さんは既に散歩をされていた。リンドウ池から血の池方面まで歩く。眼前には雄山の雄姿。昨日レースで登った時はずいぶん急峻に感じたのだが、正面から見ると稜線が緩く見えるのは何故だろう。初めて妻とここへ来た時、ミクリが池越しに望む山々にはとても感激したものだ。あの素晴らしい光景を、今回はランナーとして眺めることの不思議さを思う。 バスで室堂を立つ時、車窓からスタッフの人が掲げるボードが見えた。そこには「第10回記念大会の感激をありがとう」と書かれていた。「ありがとう」と言うのは私達ランナーの方だ。私は急にウルウルし、危うく涙が流れるところだった。厳しくもかつ素晴らしい体験をした今回のレース。63歳の私には一抹の不安もあったが、やはり挑戦して良かったと思う。 驚いたことにM仙人は金沢に1泊し、翌日は白山登山に挑戦される由。腰を痛めながらの登山行には頭が下がる。D口さんは金沢へ、K合さんは富山空港へ向かい、私とH多夫人は富山からほくほく線経由で越後湯沢へ向かった。2時間の旅の途中に、私達は夢中で色んなことを話した。65kmで3003mを駆け登る「立山登山マラニック」は、どうやら私の脳裏に強いインパクトを与えたようだ。<完>
2007.09.02
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<餓鬼と化す> 御祓いの順番を待つ間、お世話役の人に雄山神社の祭神を訊ねた。スリッパを履いたラフな人だったが、その時だけは「イザナギノミコトとアメノタヂカラオノミコト」ときっぱりと答えた。イザナミと夫婦神でこの国を生んだイザナギが祭神なのは分かるとして、天照大神が籠もる天の岩戸を曳いた手力男も祭神の一人とは、一体どんな意味があるのだろう。 10分ほど待って私達のグループは本当の頂上に登ることを許された。まず神主が祈祷し、私達を御祓いしてくれた後、この峰の一部が本来の頂上で3003mであることや、信者の方が下界から運んだ石をコンクリートで固めて神社の基礎にしたことなどを話してくれた。そして最後に戴いたお神酒の味はまさに甘露そのものだった。 晴れ晴れとして絶壁の上の神社から降りると、そこには順番待ちのM仙人がいた。私の後はD口さんで、M仙人はずっと後を走っていたはず。その彼が頂上まで来ていたことに、正直驚いた。室堂到着は関門閉鎖の僅か30秒前だったと、淡々と話す彼。この夏、利尻岳登山で傷めた腰の不調が彼を苦しめたようだ。 一の越まではかなり急な下りだが、どこが比較的安全なルートかは直感で分かった。やはり40年前の登山で得た経験を体がまだ覚えていたようだ。一の越からは石畳道を走って見た。たまたま一緒だった今回の参加者名簿1番のAさんが走っていたからだ。一の越の山小屋で買ったウーロン茶を飲み、途中の雪解け水に手を浸したりしながら、とうとう室堂ASまで走って帰る。 室堂で荷物を受け取り、今晩泊まる雷鳥荘まで歩く。そのアップダウンの激しさ、距離の長さに驚く。重たい荷物を肩に掛けながらの歩みは、まるで修行そのものだった。雷鳥荘の前で岡山のS藤さんが立っていた。確か今朝は18km地点で置き去りにしたはずなのに、彼は9時間台で頂上に到着した由。翌朝話を聞いたら若い頃は岳連に所属する登山家で、この周囲の山々にはずいぶん登ったのだとか。今でも富士登山競走のために大山でトレーニングを続けている由。66歳の彼は、まるで仙人のように軽やかに山道を駆け抜けたのだろう。 山荘で受付を済ませ、部屋に荷物を置いて早速風呂へ行く途中H多夫人に逢う。皆と一緒に夕食するので少し待つと言う。天然の温泉には和んだ。大きな窓が開かれ、眼下には異臭を放つ地獄谷の風景が。風呂から上がってから部屋へ戻らず、迷いながらも食堂へ向かった。腹が異常に空いていたのと、一般客を待たせているので食事を早目に済ませるよう案内されていたからだ。 雲峰さんとE子ちゃんが話しながら食事している姿は見えたが、まず自分の飢えと喉の渇きを満たすのが先。ご飯は2杯、味噌汁は3杯、お茶も2杯いただき、ようやく落ち着く。雲峰さんのところに挨拶に行くと、E子ちゃんの姿は既に無く、ビールを1杯勧められた。冷たいビールが喉に心地良い。 ようやく仲間が食堂に集まり、H多夫人と共に夕食を摂っていた。先に食事を済ませたことを詫びる。私はつい先ほどまで餓鬼と化していたのだった。
2007.09.01
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