全31件 (31件中 1-31件目)
1
<ついに天空のゴールへ> 室堂ASから出発して、雄山頂上を目指す。スタートする際にスタッフの方のチェックを受けた。「頂上へ行くんですか?」との質問に驚く。ここの制限時間はまだ28分ほど残ってる。「もちろん行きます」。答えは決まっている。次のAS一の越までの距離は2.5kmほどで200mほどの登り。 室堂広場の方へ走って行くと誰かが私に声を掛けた。H多夫人だった。「ゼッケンはどうしたの?」。「称名滝ASでリタイヤしたの」。ははあ、それでここに先回りして応援してくれていたのか。でも話は後でゆっくり聞こう。今は前進あるのみだ。 石畳のような登山道を登る。「萩往還道」もこんな感じなのだろうか。その時足を引きずりながら歩いている女性ランナーが「Aさん強いですね」と私を振り返った。「E子ちゃん、どうしたの」。「称名でシューズを替えたら足が摺れて」。声は小さく、手には1本のストック。あれだけ頑張って私の前方を走り続けたE子ちゃんがこんなところで歩いていたとは。 舗装道路では何とか走れても、登山道路に入ればよほど山に強い人じゃないと走れないはず。私の読みは当たった。室堂の関門さえ通過すれば、後は何とかなる。だが、この先は私にとって未知の道だ。「最後まで頑張ってね」。そう言って私は彼女の横を走り抜けた。登山道の一部にはまだ雪が残り、雪渓からは雪解け水も。やはりここは下界とは大違いだ。 喘ぎながら登り詰めたところが一の越のAS。と言っても出されたものは、チューブ入りの梅肉1口分にミカン1かけにグレープフルーツが1かけ。あらら、ずいぶんこじんまりしたASだこと。ここから先のASは雄山の頂上だけだが、登山道を仰いでも頂上は見えない。先ずはバイオ処理のトイレに入り、憂いを亡くす。 まるで崖のような道をランナーに混じって登り下りしている一般の登山客。これは大変だ。覚悟を決めて登り出す。オーバーハングしてると感じるような箇所や上から覆い被さるような岩山もある。全精神力を傾けての登山。もはやこれはマラニックではない。その時上方から私に声を掛ける人がいた。 見上げると雲峰さんが笑っていた。膀胱ガンで手術をされた後なのに、到って元気な姿に内心驚く。やおら雲峰さんはカメラを構え私を写してくれた。急角度の登山道途中の写真は、後日メールに添付され送られて来たが、アングルと言い背景と言い、やはり尋常なものではなかった。「じゃあ夕方また」。そう言って雲峰さんはスタスタと山を降りて行った。「じゃあ後でね」。私も再び「崖」に挑戦。 途中の岩場で小休止し、ポシェットから「草餅」を取り出す。ガス欠を感じたのでエネルギー補給と言う訳だ。やはりここまで持って来て良かった。手に粘る餅に苦戦しながら、全て平らげる。足元の青いイワギキョウに気づく。花が多い白山と違って、岩だらけの禿山のような雄山だが、注意して見ればこんな可愛い花が咲いていたとは。 ようやく頂上の小屋が見え出す。頂上には狭いけど平らなスペースがあり、スタッフの人がゴールテープを持って待っていてくれた。ついに天空のゴールへ到達。時刻は午後3時16分。朝の4時にスタートし、12時間の制限にまだ44分ほど余裕があった。ゴールした証に「日本三霊山立山頂上登拝」の「三社札」と「立山頂上雄山神社」の札が付いた鈴が手渡された。 ここが3003mかと思ったら、どうもそうじゃないようだ。10mほど高い峰の上に神社があり、ランナーが何人か座っている。神職による御祓いがあるのを待っている由。折角ここまで来たのだから私も御祓いを受けよう。ところが私が到着する前に到着していたK合さんはスタスタと山の裏側へ行ってしまった。後で聞いたら隣の大汝山(3015m)まで登って来たらしい。ふ~む、やはり山男はやることが違う。
2007.08.31
コメント(0)
<時よ止まれ!> ようやく迷路のような木道から抜け出し、有料道路へ出る。そこが53km地点の弥陀ヶ原ASで高度は2080mほど。パン、バナナ、梅干を食べ、その間スタッフの人にペットボトルへ水を補給してもらう。この周辺には高山性の沼地が多いはず。だが景色を眺める余裕はない。スタートしながら何気なくASを見ると次の室堂ASまで8kmと書かれている。 その途端に頭の中が真っ白になった。室堂ASは最初の関門で、ここへ午後2時までに到達しないとリタイヤ扱いだ。残りの時間は1時間半弱。時速4kmで歩いていたのでは間に合わない。これはとても無理だ。一瞬リタイヤと言う文字が頭の中に浮かんだ。だがそれで良いのかと自問自答。 私は緩やかに登って行く有料道路を夢中になって走り出した。そして一瞬でもリタイヤを考えたことを恥じた。まだ自分は最善を尽くしていない。ここで頑張れば何とか制限時間に間に合うかも知れない。厳しい書類選考の末に参加を許可された「立山」なのに、これくらいで諦めてどうする。 有料道路には歩いているランナーが点在。彼らはもう諦めたのだろうか。俺はまだ諦めない。スタッフの人には悪いけど道路の左端ではなく、最短距離を突っ走る。少しでも時間を縮めるためだ。頭上の遥か先にオレンジのユニフォームと同色の帽子が見えた。あれは紛れも無く宮城UMCの仲間だ。喘ぎながら後姿を追いかける。15分ほどでついに追いついたのは歩いていたD口さんだった。 「先に行くからね」。そう言って先行する。私は間に合わないと思いつつ走っているのだが、彼はどんな計算をしてるのだろう。空はあくまでも紺碧で、風も少し涼しく感じて来た。だが道は曲がりくねり室堂は見えない。待っているのは絶望か、それとも希望か。厳しい坂道に負けて、ついに歩き出す。やはり歩く方が楽で良い。 大きくカーブを曲がった時、前方に大きな建物が見えた。あれが室堂か。時計を見ると間に合いそうな感じだ。「ひょっとしたら間に合うかもよ」。歩いているランナーに話しかける。だが近づいて見ると、そこはバスターミナルのある室堂ではなく、単なるホテルだった。やはり制限時間のクリヤーは無理か。室堂が駄目なら、もうその先へは進めないのだ。 だが曲がり曲がった丘の向こうに見たことのある建物が立っていた。あれこそ室堂に間違いない。バスターミナルの彼方には、紺碧の空に雄姿を映している立山連峰が。残りの距離は2kmもないだろう。そして時間も間に合いそうだ。これは奇跡だ。思わず嬉しさが込み上げる。「ファイトだ頑張れ~」。足が勝手に前に進む。 ついに室堂ASへ到着。ここは60km地点で高度は約2500m。塩昆布入りのお粥を夢中でいただく。これが疲れた体には実に美味しかった。それにしても弥陀ヶ原ASからここまで、何故間に合ったのか不思議で仕方がない。後日配布資料を確認したら、この間の距離は8kmではなく7kmと書いてあった。
2007.08.30
コメント(0)
<これは熱中症?> 後半戦の山道に備えて、私は称名滝ASに荷物を預けるなどの対策を考えていた。まず不要なものは置いて行く。懐中電灯にサングラス、首に巻いた特殊ペーパーは用済み。そしてランニングシューズからトレイル用のシューズに履き替える。トレイル用は重い上に舗装した道は走りにくいのだが、底が堅くグリップ力が強いから岩が多い山道には有効だろう。 次にランニングシャツの下に半袖Tシャツを着る。本当はTシャツ1枚で十分なのだが、ナンバーカードを付け替える時間を節約するためだ。そして軽めのウインドブレーカーを腰に巻きつけ、手には軍手。これらは寒さと怪我に対する備えだ。ガス欠対策としては草餅をポシェットに入れ、これまで手に持っていたペットボトルも斜めにして小さめのポシェットに無理やりねじ込んだ。 さすがに山道は木が多くて涼しい。だが大きな岩だらけの厳しい登りになり、もう走ることは出来ない。軍手を填めた手で岩を掴み、全身の力で坂を登る。苔が生えた足元が滑りやすく片側は深い谷だ。落ちれば大怪我は間違いない。気を抜かず一心不乱に前に進む。 その気迫に押されたのか、2本のストックを手にしたランナーが道を譲ってくれた。朝、私に山の名を教えてくれた人だ。2人連れの若者も抜かす。どうやら登山の経験はなさそうだ。私は40年ほど前に約2年間ほど集中して山登りをしたことがあった。勿論こんな厳しい山道ではなかったが、その時の経験がまだ生きているようだ。 必死に登るため荒くなる息。それでも若いランナーがへたばって休んでいるのを尻目に先を急ぐ。いやはや長い山道だ。ポシェットからペットボトルを抜いて水を飲むこと2回。最初は下から仰いだ滝が、やがて目の高さになった。スタッフの老人が山道の途中に居た。ここがコースで一番厳しいのか訊ねたら、雄山への登りに次いで2番目に厳しいとのこと。これ以上厳しい道が果たしてあるのかと驚く。 やがて、さしもの滝が眼下に見えるようになった。どうやら間もなく八郎坂を登り切るようだ。称名滝の落差は350mで日本一らしい。そしてその滝を見ながら登る八郎坂の高低差は500m。それだけ登って進む距離はたったの2kmだと知ったのはゴール後のことだった。 どれだけ時間を費やしたか測れなかったが、ようやく立山有料道路に出る。太陽が眩しく、しかも暑い。50km地点の弘法ASに到達。水を飲み、良く冷えたゼリーを貪るようにいただき、直ちにスタート。スタッフの人が道路を横切ると木道になると教えてくれた。確かに有料道路の脇に切り込みが入った木道が待っていた。不思議な足の裏の感触を暫く楽しんでいたのだが、そのうちに頭がフラフラし出す。 木が生い茂っていた八郎坂と異なり、ここは日を遮るものが全く無い。これは熱中症に罹ったかと不安が胸に過ぎった。小さな沼地が厳しい夏の日を浴びて、カラカラに乾いている。お~い、どこまで続くの。この木道は。両手を見るとパンパンに腫れ上がっていた。高度はもう2000m近いはず。
2007.08.29
コメント(4)
<地獄で仏> 次のASは18km先の立山駅。私はかつて妻とバスツアーで通ったことがあるが、バスの車中から見えた感じではさほど勾配はきついとも思えなかった。だが実際に自分の足で走って見ると全く厳しさが違う。常願寺川の谷も次第に深くなって来た。川の右岸は立山町、そして左岸は富山市と橋を渡るたびに住居表示が違うのが印象的。 坂の途中でペットボトルの飲み物が切れ、自販機でスポーツドリンクを買う。そしてその中に塩とヴァーム粉末を混入。アスリートソルトは既に使い果たしている。これは大切に飲まねば。近くの私設ASに寄るとM仙人が居るのにはビックリ。私が自販機で買っている間に抜いたのだとか。だがH多夫人の姿はなかった。 M仙人に先行して出発。暫く走った後、とあるランナーと話す。香川県のM野さん62歳だった。香川のウルトラランナー数人の名前を挙げるが知らないと言う。地元のレースにはほとんど出ないのだとか。逆に私のユニフォームを見てM仙人の名前を出された。どうも知り合いのようだ。ゴール後M仙人に聞いたら、彼はスパルタスロンに何度も出てる人で、最近胃の手術を終えたばかりとか。その体で近々ヒマラヤでの140kmのレースに出る予定らしい。とてもそんな感じはしなかったのだが。 女性ランナーとも出会った。愛知のH川さんだ。初参加だった昨年は歩かずにずっと走ったが、そのペースより今回は遅いと言ってスピードを緩める気配はない。だが、コースを知らない私は関門に引っ掛かる恐れがあると言う実感がないのだ。離されては追い着き、追い着いてはまた離されているうち、いつしか「E子ちゃん」と名前で呼ぶようになった。 坂を登り切ると立山大橋が架かっている。川底まで80mもあるだろうか。眼前には山が迫る。いよいよ立山の入口だ。ほどなく高度400mほどの立山駅ASが見え出す。だがコースは駅の方角ではなく、谷の方に向かうのが不思議。ここでパン、梨、レモンをいただき、喉を潤して直ちに出発。次のASは8km先の称名滝レストハウス前。高度は900mにもなるのだが、この時は全く意識していない。 川沿いの道は勾配がさらにきつくなる。それ以上にきついのは太陽の光。もう30度は遥かに超えているだろう。頭上から容赦なく照りつける太陽に負けないよう、ポシェットからサングラスを取り出す。これで幾分でも涼しく感じるはずだ。山から湧き出す冷たい水にタオルハンカチを濡らし、帽子の下に入れる。首に巻いた特殊ペーパーもビショビショに。これも体温を下げてくれるはず。 E子ちゃんはもうずっと先へ行き、姿は見えなくなった。彼女も気が急いているのだろう。途中の店で仲間がアイスクリームを食べていたようだが私は先を急いだ。坂道で歩き出すランナーが増え出した。ついに私も走るのを諦め、トボトボ歩き出す。と、目の前にトンネル。中はヒンヤリとして涼しい。これは嬉しい。さらに一つトンネルを抜けるとASのあるレストハウスが見え出した。これがまさに「地獄で仏」か。 ソーメン3人前分をお碗に移し、さらにその中にお握りを入れる。食べられる時に食べておかないと体が持たない。「つゆ」のしょっぱさが美味しい。さらにお汁粉を2杯とバナナとレモンの輪切りをいただき、水を2杯飲む。我ながら凄い食欲。だが付近に冷たい湧き水があったことには気づかなかった。それだけ無我夢中だったのだろう。 川に架かる橋を渡って対岸へ。そこが「称名滝」の取っ付きで「八郎坂」の始まりなのだが、その厳しさをやがて思い知ることになる。
2007.08.28
コメント(2)
<ゴールの雄山はどの山?> 日本海の波が浜黒崎の海岸に打ち寄せている。その静かな波に手を触れ、私は走り始めた。午前4時。「立山登山マラニック」のスタートはもう既に切られているのだが、65km先の立山までは12時間の長い旅になる。そう急ぐ必要も無いと自分に言い聞かせて、最後にスタートしたのだ。 常願寺川の堤防上の凸凹道をヘッドライトや懐中電灯を頼りにして走るランナーの群れ。だが所々でスタッフの方が車の照明を当ててくれているのがとても助かる。私も懐中電灯を手にしていたが、やがてポシェットに仕舞った。皆が照らせば十分明るいからだ。次第に群れがばらけても、夜空の星明かりで僅かに足元が明るい。 前日富山駅に着いて直ぐ、ホテルで選手登録を済ませた。スタッフの方にはエントリーした際の文章が印象的だったと言われたのだが、私は体調が悪くて生返事しか出来なかった。何分仙台の自宅から、バスと普通電車を乗り継いで11時間もかかり、冷房が原因で頭痛がしていた。それでも4時間ほど眠ったお蔭で、心配の種だった頭痛はいつしか消えていた。 スタート会場の浜黒崎では10年ぶりに滋賀のOさんにもお会いできた。マラニックの出場選手は237人のようだが、いつも出るレースとは雰囲気が違っている。皆一様に落ち着きがあるのだ。それもそのはず、フルマラソンをサブ4で走るとか、ウルトラマラソンや登山歴とかの条件を全てクリヤーしてる強い人ばかりだ。仙台から参加した仲間は4人。それに東京へ転勤した仲間が1人。皆それぞれの思いを胸に真っ暗な土手の上を走っているはずだ。 小さな橋を幾つか渡るが、これは常願寺川に注ぎ込む支流のようだ。やがて次第に空が明るくなると、遥か彼方に立山連峰が見え出す。地元のランナーらしい人に、どれがゴールの「雄山」かを訊ねると、幾つかの峰の名前と一緒に教えてくれた。よ~し、目標は分かった。目指すのはあの山。何時間か後には、きっとあそこの上に立つ。強くそう自分に言い聞かせる。 「制水」が河川敷の中に見え出す。大雨時の激流や上流から流れ出す岩石の勢いを殺ぐためのものだろうか。右岸の整備された堤防はとても走り易い。目の前のランナーのナンバーカードが目に入る。名前はS藤さん。どちらから来られたのか訊ねると、岡山のランナーで今年の富士登山競走も完走された由。それだけで強いランナーだと分かるのだが、そんな雰囲気は全く無い。この静かな人が大変なランナーだと知ったのはゴール後のことだった。 話しながら走っている後ろからD口さんが追い抜いて行った。暫くして来たK合さんからは東京へ転勤された話などを伺う。だが、私のペースに合わせてもらうのは気の毒なので先行してもらう。約22km地点の岩くら寺雄山神社前が最初のAS。バナナ、パン、梅干をいただく。D口さんは既にスタートして立山駅方面へ向かった。 神社への参拝を考えた末に断念。神頼みじゃなく、もう自分しか頼むものは無い。走り出すとM仙人とH多夫人が仲良く走って来た。言葉を交わしてすれ違う。橋を渡ると富山地鉄立山線の駅舎が見えた。ここからは登り一方のよう。いよいよ長く厳しい戦いの始まりだ。
2007.08.27
コメント(0)
「立山登山マラニック」を走り終えて、今日は立山の室堂を朝の9時に出発し、富山からほくほく線経由で越後湯沢へ、そこから新潟新幹線で新潟へで、バスで仙台まで帰って来ました。約12時間の旅の始末も含めて、明日以降書く予定の完走記をお楽しみに!
2007.08.26
コメント(3)
朝4時、日本海に手を触れてから立山連峰雄山山頂に向けてスタート。距離65kmで高低差3003mを登るコースは苦難の連続でした。制限時間と戦いながら午後3時16分、ついにゴール地点の雄山山頂に立つことが出来ました。 そこからの眺めは最高。とても一言では言い表せません。でもここから室堂へ下山し、さらに当日宿泊する雷鳥荘まで荷物を持って30分の山道を歩くのも大変でしたよ。<レースの詳細は明日から書き始める完走記にて!>
2007.08.25
コメント(0)
昨夜の楽天は残念な形でのサヨナラ負けでした。今朝もいつもと同じ時間の起床。だが、朝方はずいぶん涼しくなりましたね。これから愛犬と散歩し、朝食後富山へ出発します。帰宅するのは日曜日の深夜になるでしょう。私も立山を楽しんで来ますが、皆様も良い週末をお迎えくださいね。では。
2007.08.23
コメント(0)
夏の高校野球は佐賀北が8回裏まさかの逆転満塁ホームランで、広島の広陵高校を破った。佐賀北は15回引き分け再試合などに象徴されるように、甲子園に来てから急に強くなったチームとの印象を受けた。何か「ついてる」と感じた試合が多かったように思う。一方敗れた広陵は40年ぶりの決勝進出だったようだが、今回も優勝は出来なかった。毎日あの暑い甲子園で熱戦を繰り広げてくれた球児達には大きな拍手を送りたいと思う。 さて、明日はいよいよ「立山」へ向けて出発する。今日も真昼の帰宅ランを敢行したが、まあまあ体は動いてくれそうだ。昼食後は昼寝もして、疲れが少しは取れたように感じた。「立山」行きに際して準備したものを参考までに記して置こう。<全般的なもの> 大会要項、宿泊案内、財布、保険証、眼鏡ケース、筆記用具、本、サンダル<薬類> 血圧降下剤、鎮痛剤、ヴァーム粉末、アスリートソルト、塩、摺れ止め防止剤、テーピング用テープ、鋏、湿布薬、塗り薬(消炎剤)<ランニング用品> ウルトラ用シューズ、○トレイルシューズ、帽子、サングラス、特殊ペーパー(首を冷やすためのもの)、ランシャツ、ハーフタイツ、○軍手、○半袖Tシャツ、ポシェット、○ポリ袋(雨合羽の代用品)、ペットボトル、タオルハンカチ、靴下、懐中電灯○は登山道が主になる後半用<山頂宿泊用> 長袖Tシャツ、トレパン、洗面道具、下着、 これに加えるのは洗濯物を入れるポリ袋くらいかな。さて肝心の交通手段だが、仙台から新潟までは長距離バス(昼行便)で、新潟から富山まではもっとも効率的な行き方をJR新潟駅で訊ねようと思っている。多分越後線で柏崎まで行き、そこから不通箇所のある信越線柿崎駅までは代行バス、柿崎から富山まで普通列車になる可能性が高いように思うが、まずは行って見てのお楽しみだろう。
2007.08.23
コメント(0)
今日は久しぶりに走った。「薬莱山マラニック」以来だから実に11日ぶりの帰宅ランだった。今日と明日の仕事は午前中までの予定。金曜日には「立山登山マラニック」に出発するため、疲れを残さないよう残業時間を短めにしたのだ。 走って見ると頭が痛い。きっと睡眠不足のせいだろう。昨夜も熱帯夜だったし、残業の疲れもあって血圧も上がっていた。さらに2kmほど走ったところで左足の脛に痛みが走った。こんなところが痛むのは初めてのこと。これでは「立山」はピンチだ。そう覚悟してヨタヨタ走っているうちに、やがて痛みは薄れて行った。 もう一つ心配だった右足の足底筋の痛みはまったく出ない。「蚊騒動」で起きた時に突然足の裏が痛んだ。これも初めてのことでビックリしたのだが、8km走って痛みが出ないのだからレースでも何とかなるだろう。それにしても「立山」の距離は今日の8倍で、高低差は30倍にもなる。土曜日の富山は最低が25度で最高が34度の予報だ。だがそれもさほど心配はしていない。 帰宅ラン後シャワーを浴び、昼食を摂り、新聞を読んでパソコンを立ち上げる。ある方のブログを読むと、「立山」のウォークの部でなくマラニックの部に申し込んだのを悔やむようなことを書かれていた。以前の書類選考の際は「立山」に対する思いをレポート用紙4枚に書いて送り、その後選考されたかどうか電話で2回確かめたとも書かれていたが、私は一切そんなことはしなかった。申込用紙の記入欄に該当することを書き、選考結果をひたすら待ち続けた。 選考漏れに備えて、エントリー料1万円の「奥武蔵」も申し込んでいた。結果的に無駄にはなったが、すべてはあるがままで良いと私は思っている。後日「奥武蔵」事務局からは参加賞のTシャツが送られて来た。高いTシャツについたが、それもまた愛嬌。 さて、「立山」へは多分今回が最初で最後の挑戦になるだろう。そして現在の私の体力、気力、走力などがそのままレースで試されると思っている。私はありのままの姿であの厳しいコースに挑戦したい。スタート直後はまだ真っ暗のようだが、気温はどんどん上がるだろう。だが、夜が明ければ美しい景色を楽しむことも出来るだろう。立山有料道路や登山道は勾配がきつい代わりに、気温は下がって来るだろう。果たして行き先にはどんなドラマが待ち構えているのか実に楽しみだ。 昨夜M井さんから届いたメールで、9月の「佐渡島一周」には宮城UMCから10名の人が参加することが分かった。彼は既に仙台~新潟間のバス往復チケットの手配を済ませてくれたらしい。まさに感謝そのもの。今回はY田さん、K藤さん、S藤さん、T田さんの4人が新たに初参加の予定とか。今月「立山」を制覇した後も、9月の「佐渡」がいよいよ現実のものとして迫って来た。 今年の猛暑は一入だった。この猛暑に耐えて今日まで頑張って来た成果を、「立山」や「佐渡」で何とか開花させたいものだ。素晴らしい走りは出来なくても、「あるがまま」の自分の走りをしようと、私は密かに闘志を燃やしている。
2007.08.22
コメント(0)
昨夜は久しぶりにNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を見た。落語家の鶴瓶ともう一人のゲストが、全国色んな場所を訪ねて話を聞き出す番組だ。何気無くテレビを観ていて驚いた。そこには懐かしい風景が写っていたからだ。 昨夜の訪問地は徳島県鳴門市。最初の場面は岡崎海岸だった。そこは海水浴場があり、かつては淡路島へ渡る船が出ていた港もあった。桟橋からは太刀魚などが釣れた。ここから小鳴門海峡対岸の土佐泊へは市営の渡し船が出ていて、私も職場まで自転車で通ったことがあった。 トコロテンの原料になるテングサを取る老婆。里浦のサツマイモ畑まで案内しようとする年老いた兄弟。テングサは私も一度拾ってトコロテンを作ってみたが、上手には出来なかった。岡崎から里浦までは海岸沿いに行くのだが、車は通れない。イワシ山の灯台を廻り、1時間近く歩く必要があるのだが、結局畑には誰も居らず、インタビューが出来なかった。 ここのサツマイモ畑は延々8kmは続いているだろうか。種類は「鳴門金時」と言って、焼き芋に最適のものでとても甘い。次男の少年野球仲間がサツマイモ農家だったし、監督はもう一つの特産であるワカメの養殖をやっていた。夜の海岸は12kmほど全く灯かりがなく、真っ暗闇だ。真夜中そんな怖い道を走ったこともあった。 岡崎の保育所や大津のレンコン、大麻(おおあさ)にある四国八十八箇所の1番札所である霊山寺(りょうぜんじ)も出て来た。話は途中で終わったが、来週はその後半が放送されるようだ。私が40歳から45歳まで家族と共にいた鳴門。新しい大学を創ろうと張り切っていたあの頃の私。まさか懐かしい鳴門のあの風景を、テレビで観られるとは。 真夜中、あまりの痒さに目が覚めた。網戸が1cmほど開いていて、そこから蚊は侵入したようだ。仕方なく起きてパソコンを立ち上げ、ある方のブログを読んだ。先日70km走った欽ちゃんの結末は、何と島田紳介が予告していた通りだったとか。つまり番組終了までに欽ちゃんのゴールが間に合わず、臨時的に放送が延長されると言う筋書きは、予め決まっていたと言うのだ。 私は以前から、普段鍛えてない芸能人が24時間で100kmを走り抜くことを疑問に思っていた。テレビは全行程を映さないし、そのコースも明らかにはしない。誰かが疑問を持って付けて行ったら怒られたと言う話や、一部車で移動してるのではと言う疑問も聞いたことがある。折角の美談も、予め決められた筋書きに沿った行動だとしたら、「慈善」が「偽善」になるのではないか。 欽ちゃんが頑張ったのは、あの表情から観ても間違いはないだろう。だが、ウルトラマラソンを金集めの手段として使うことについては抗議したい。いつも芸能人にピッタリと寄り添っている宮本トレーナー(日本スパルタスロン協会会長)も実に胡散臭い人だ。蚊に食われて目が覚め、ウルトラマラソンを美談の道具や金儲けの手段にする話に、すっかり眠気が醒めてしまった私だった。う~む、今日は眠た~い!
2007.08.21
コメント(2)
萩本欽ちゃん頑張りましたね。24時間テレビで70km走ったり歩いたりしたそうです。欽ちゃんは「欽ちゃん走り」のほか、普段ほとんど運動しないとか。66歳の彼が70kmの距離に挑戦するのは勇気が要ったでしょうね。計算上だと時速3km以下でも良い訳ですから、ゆっくり歩いてもゴールできるでしょうが、彼にとってはかなりきつかったようですね。二度とマラソンはしないとか言ってたようですが、その代わり義捐金はずいぶん集まったようです。 我が東北楽天も頑張りました。ソフトバンク相手の3連戦でしたが、田中で緒戦を落とした後、ドミンゴ、永井で連勝でした。ドミンゴは2勝目、永井は3ヶ月ぶりの5勝目。文字通り長かった勝利でしたね。昨夜は選手会長高須の第1号2ランホームラン一発が効きました。試合後、野村監督は手ごたえを感じたようで、報道陣には来年も指揮を執る意欲を示したとか。私達楽天ファンにとっては嬉しいことです。 昨日の夕方、畑からゴーヤを取りました。今年のゴーヤは性質が違うのか、10cmほどになると実が黄ばんでしまうのです。これは熟した証拠で、やがてアケビのように実が割れ、中から真っ赤な種が飛び出して来ます。だから熟す前に食べようと小ぶりのを仕方なく6個取ったのです。妻は早速夕食に出しました。そのまま切ってゴマだれをかけたサラダです。トウモロコシも最後の2本を茹でました。長雨とその後の日照りに耐えて、良く頑張ってくれたと思います。 その夜、妻が高知の長女のところへ電話しました。孫の眞実ちゃんがピアノの発表会だったのです。残念ながら最優秀賞は取れなかったもののAクラスと判定されたとかで、娘は喜んでいたようです。長女がまだ子供だったころはバレーやピアノを習わせていたのですが、最後まで続きませんでした。それが自分が親になると、違って来るんですねえ。疲れたのか眞実ちゃんは電話に出ませんでしたが、良く頑張ったと褒めてあげましょう。 さて、私も少々頑張りました。今週も暑さに耐えながらの残業です。疲れも残ってて、ここ1週間以上走っていません。それどころか、歯の痛みにも耐えていました。だが我慢出来なくなって、ついに今日は歯医者に行って来ました。左の奥歯は完全に腐っているようで、骨に炎症があるようです。これは暫くしてから抜いて義歯にする由。また右上の抜けた箇所には「差し歯」を入れるようです。 7年前右奥の「親知らず」の根っこを抜いて移植手術した上にインプラント加工した左奥の歯。手術当初から痛みがあり、長年我慢して来たのですが、ようやくこの痛みから解放されます。今週末の「立山登山」の前に歯医者に行けて、少しだけほっとしています。自分にも言ってやりましょうか。「今まで良く頑張ったね」と。
2007.08.20
コメント(0)
朝早く義姉のところにお土産を持って行った。昨日の桃狩りで買ったものだ。帰宅すると、妻が桃を食べてみてと言う。固い上に甘さが足らない。妻はガッカリしたようだ。観光果樹園でお土産を選ぶ時、私は実際に食べた「あかつき」を勧めたがお徳用しかなかった。「安い上に甘いのだから、多少見かけなんか悪くても良いじゃないか」。私にはそう思えたのだが、妻は見栄えの良い方を選んだ。 果樹園の店員の勧めもあったのだが、彼らにとっては少しでも高いのが売れた方が良いと言う計算だったのだろう。その時に品種と甘さを確認したら、きっと後で悔やまずに済んだはずだ。長女のところに送るように頼んだ「白桃」は大丈夫か心配な点もあるが、ここはまあ信用するしかない。 朝食後、妻は南三陸へ絵を描きに行った。今日は毎月1回の写生会の日なのだ。いつもなら山の方に行くのだが、海へ出かけるのは初めてのことだ。私は半ズボンからトレパンに穿き替えて庭へ出た。先週の日曜日にした草刈がまだ途中だだったからだ。あれから何度か雨が降り、また雑草がひときわ成長した感じだ。 愛犬マックスを庭に放して自由にさせる。庭仕事の時は大抵彼と遊びながらの作業だ。その方が暑さや蚊に食われた痒さを忘れることが出来る。1時間半ほどで草刈を終了。次は不要になった古い支柱を束ねる。これは次の燃えるゴミに出す予定。その後はトウモロコシとナスの苗を全て引き抜く。 天候のせいで今年はどちらも不調だった。トウモロコシは25本ほどの苗で満足に実ったのは7本ほど。ナスも4本の苗で取れたのは13個ととても少なかった。お天気だけは予め計算することは難しい。トウモロコシは種を蒔く時期が少しずれればもっと収穫が多かったと思うのだが。午前中はそれで終了し高校野球を観戦。さすがはベスト8、熱戦が続き、延長の末佐賀北が帝京を下した。 午後はあまりの暑さに暫し午睡。目覚めてから洗濯物を取り込み、その代わりに布団を干して買い物へ。ところが着いた途端に突然の雨。慌てて家に帰る途中、もう太陽が顔を出した。だがにわか雨が心配で、やはり布団は部屋へ入れた。DIY店へ戻って買ったのは、タマネギ、春菊、京水菜、冬菜など野菜の種ほか。 トウモロコシとナスを抜いた後を耕す。そして石灰を施してから畝を均し、何筋か種を蒔く。タマネギの種は余ったプランターと発泡スチロールの箱に蒔く。仕上げは如雨露での散水。この朝まで茫々だった畑が、忽ちにして涼やかな風景になった。まだ暑い最中だが、冬野菜にとっては今が種の蒔き時なのだ。 作業を終えた時は既に夕方で、今治西は広島の広陵に完敗していた。夏の甲子園は何処が勝つか計算が出来ない。組み合わせの抽選が何度かあるし、甲子園に行ってからさらに強くなるチームがあるからだ。負ければそれで夏が終わる彼らの必死なプレーは、見ていて凄まじいものがある。愛犬との夕方の散歩の途中ににわか雨。慌てての帰宅も今日は2回目になった。
2007.08.19
コメント(0)
今日は妻と一緒にバスツアーに行って来ました。タイトルは「ランチバイキングと桃狩り農園乗っ取り大作戦」です。まあ、何と言うネーミングでしょう。農園を乗っ取る桃狩りですって~!?それがね、決してオーバーじゃなかったんですよ。このツアーに出発したバスは全部で29台で、参加者数は1200人だったとか。私達が乗ったのは13号車でしたがね。 最初に向かったのが福島市郊外の農園。フルーツラインと言うのを通って行きましたが、道の両側にはずらっと果物畑が続いていました。もうサクランボは終わってましたが、今の時期だとやはり桃ですかね。でもリンゴ、梨、ブドウなどが生ってる畑もあり、中には赤く色づいたリンゴも見えました。 今が最盛期の桃は「あかつき」だそうです。暁なのか赤月なのかは分かりません。農園の人の話だと木に生ってるのは甘みが少ないとのことで、予め採ってある桃を勧められました。それは柔らかくて一部傷んだ感じでしたが、甘さは確かに強く感じました。試しに皮の色が濃い実を直接もぎ取って皮を剥くと、中身は黄色の桃でした。ネクターとかネクタリンとか言う種類でしょうか。実は少し堅めでしたが、甘さは十分でしたね。 結局、農園の人は直接木からもぎ取って食べられるばかりと、少々傷んだ実が捌けないからあんな風に説明したのではと思えました。私は3個半で十分満腹しました。あまり欲張っても糖分の摂り過ぎになりますからね。高知の長女のところへは後1週間ころに食べ頃になる白桃を送ることにしました。1箱4500円の上等な品で、送料は500円に負けてくれました。 次の行き先は猪苗代の饅頭店。ここは7月に走った「磐梯高原」のコースの近くでした。3番目がホテルでのランチバイキング。ここは1300人も泊まれる大きなホテルで、コテージ風の建物や、釣堀、フィールドアスレチック、スキー場、花畑などもあります。おまけに老後の療養施設まで備わり、馬車で園内を巡ることや熱気球で上空から眺めることも出来るようでびっくりしました。肝心のバイキングの方は今一だったかな? 次に向かったのが桧原湖。そこまでの道は完全に「磐梯高原」の100kmのコースとダブっていたため、妻には「この道を走ったんだよ」と教えることが出来ました。桧原湖はマラソンコースからは見えなかったのですが、道路の直ぐ側だったんですねえ。そこから白布峠を経由して米沢方面へ。県境の急な坂道では大雨に遭いました。 4月末の桜回廊ツアーの際に入った小野川温泉を経由して高畠へ。ここでワイナリー見学。ワインの試飲を続けているうちに、結構酔っ払いました。お土産に安いワインを2本。我が家は高級品でなくても良いんです。帰りは七ヶ宿、白石経由で東北道へ。長時間同じ姿勢だったせいかすっかり疲れ、帰路はかなり眠ってしまったようです。1人4千円もしない「メタボ」の旅でしたが、家庭平和のためにたまには妻に付き合うのも良いかもね。(笑)
2007.08.18
コメント(0)
私は鳴門、沖縄、松山、大阪と13年以上も暑い地方で勤務した。鳴門は海の側で、昔製塩業が盛んだったほど夏は暑い。沖縄のことは昨夜も書いた通りだが、冬の最低気温は13度ほどで暖房設備が備わってなかった。だが昔ながらの沖縄の家は案外涼しかったようだ。「雨はじ」と言って深い軒は厳しい日差を遮っていたし、良く考えられた窓の位置で風通しも良かったようだ。 松山は瀬戸内式気候の典型で、特に風がぴたっと止まる夕方は西日がきつく、とても苦しかった。大阪の暑さも相当のものだった。むしろ32度ほどで治まる沖縄よりも暑いくらいで、33度以上になることに驚いたものだ。 そんな南の地方ではないが山形にも4年間勤務したことがある。ここは盆地のため地形的に暑さが籠もる。だが、勤務先にはクーラーがなく、窓際の座席だった私はじっと暑さに耐えていた。その山形が保持していた国内の最高気温40.8度の記録が昨日破られた。埼玉の熊谷市と岐阜の多治見市で同時に出た40.9度は74年ぶりの新記録だったとか。 35度もあった先週の土曜、墓参りに行った後、兄宅に寄った。その時、埼玉の甥がインドネシアに転勤したことを聞いた。新妻は九州の実家に帰って赤ちゃんを産んだばかりのため、単身赴任になったそうだ。そう言えば甥の専攻はインドネシア語だった。母の死でこの春に式を延す予定だったのだが、外国勤務の話が急に進んだのだろう。 昨日は夕方から妻の実家と妻方のお墓参りに行って来た。夕方ともなれば少しは涼しくて助かった。一緒に行った姪の子供は学校で少年野球をしてるとか。実家の義兄は「良い物を上げよう」と2個のボールと色紙を持って来た。ダルビッシュが高校時代と日ハムに入ってから書いたサインボールと、色紙だった。小学生にその価値が分かるかは疑問だが、彼はすっかり喜んで「大人になったら日ハムに入る」と宣言していた。(笑) その夜の楽天の先発は一場。今季は肘を傷めて2軍暮らしが長かったが、最近ようやく1軍に上がって来た。もう今年勝つのは無理かもと、一場は諦めかけていた時もあったようだ。だが何と8回まで完封ペース。9回表にランナー2人を塁に出したところで交代させられたが、4対0で今年初めての勝利を手にした。まさに真夏の夜の夢かと思えるこの勝利で、楽天球団は早くも昨年の勝利数に並んだようだ。 昨夜も寝苦しくて何度か目が覚めた。スポーツニュースで楽天の勝利を確かめようとしたが、残念ながらどこでも放映してなかった。夜半急に雨が降る音がし、窓を閉めた。ますます室内の暑さが増した感じ。ベガルタは愛媛に0対3で惨敗したとか聞いた。これでは真夏の夜の悪夢ではないか。 今日一日雨が降り続いたせいで、かなり涼しくなった。これでようやく熱帯夜から解放されるだろう。
2007.08.17
コメント(2)
昨日の仙台は最高気温が37.2度になったようだ。気象台始まって以来の記録らしい。夜も暑く、28度ほどの気温が寝苦しさを増した。いわゆる熱帯夜だ。3年間住んだ沖縄でもこれくらいの夜はざらだったが、日中はせいぜい32度か3度ほどしかない。だが最低28度、最高32度の熱帯夜と真夏日の組み合わせが3ヶ月以上続くのだから堪らない。 沖縄で住んだのはアパートの1階だったので、防犯上夜眠る時は網戸にすらせず、わずかに上部の小窓だけ開けていた。無論エアコンもつけなかったので、家族5人が3つの部屋で汗だくになって眠っていたのだ。今にして思えば地獄だが、その時は事故や犯罪に遭うよりは良いと考えていた。それほど当時の沖縄の治安は良くなかった。 だが、人間と植物は違った。本土から持って行ったゴムの植木は、まるで故郷に帰ったかのように気根を伸ばし始めた。これは幹から出る細いヒゲのようなもので、ここから空気を吸う。これが地面につくと支柱根になり、次第に太くなって幹と溶け合って樹木全体を支える。台風で倒れないための自衛策なのだ。ヒゲを垂らした大きなガジュマルは沖縄では普通に見られる。だが、まさか植木鉢のゴムの木がそんな風になるとは夢にも思わなかった。 また、極端に雨が少なかった年に、トイレが詰まったことがあった。業者の人に来てもらったけど原因は不明。2度目にはトイレが逆流するようになった。便器を分解して調べると、何とガジュマルの根が排水管の僅かな隙間から入り込み、まるでタワシのように絡み合っていたのだ。アパートの脇に生えていたガジュマルが、余りにも雨が降らないため苦しくなり、ついには排水管の中にまで根を伸ばしたのだった。 3年目には長女の本土への大学進学と次男の高校進学対策に妻も同行したため、高校3年の長男と私だけが沖縄に残った。男所帯なので夏は網戸にして眠ったのは良かったが、長男の大学受験や毎日の炊事や仕事上のことでストレスが嵩じたのだろう。顎関節症になって口が開かなくなったり、栄養と甘いものの摂り過ぎで血糖値が異常に上がって糖尿病一歩手前になった。 いくら今年の仙台が暑いと言ってもあの時に比べればまだマシ。熱帯夜の期間は短いし、明日以降はぐっと涼しくなるようだ。沖縄を離れて早や15年。仙台では珍しい熱帯夜続きで、久しぶりに暑く寝苦しかった沖縄の夜を思い出した私だった。
2007.08.16
コメント(0)
長男が卒業した沖縄代表の興南高校が2回戦で敗れた。従兄の孫がエースの日大山形が選抜優勝校の常葉菊川に投打で圧倒された。そして今日はエース佐藤が球速155kmの新記録を出しながら、仙台育英は智弁学園に敗れた。だが、たとえ敗れても暑い甲子園で全力を尽くしたその姿は美しかった。 乱調が続いたヤンキースの井川は、一時トレードに出されそうになった。パイレーツの桑田もリリーフの失敗が祟って戦力外通告を受けた。こちらは引退を覚悟してるらしい。大リーグは実力本位。つまり結果が全ての厳しい世界だ。そこで生き残るためには並大抵の実力と努力では済まないのだろう。 さて、今日は終戦記念日。むしろ敗戦記念日と言った方が適切だろうか。韓国ではこの日が光復節。つまり第二次世界大戦で日本が負けたことによって再び光が蘇った記念の祝日だ。安倍総理は参院選で敗北して以来「美しい国日本」を口にしなくなったようだ。そして今日の靖国神社参拝を見合わせたと言う。 北朝鮮の拉致問題に敢然と向かった姿は好感が持てた。だが憲法改正発言や、教科書の改訂問題などで見せる総理の姿は極めて右翼的で、空疎な「美しい国日本」はアナクロニズムそのもののようにも見えた。 つい最近米国議会では旧日本軍による「慰安婦問題」に謝罪を求める決議があった。だが、実態は台湾や朝鮮半島出身の貧しい婦女が、自発的に慰安婦を志願したのが真相とも言う。これに対し戦勝国軍には従軍慰安婦はいないが、戦いに敗れた国の女性を代価を払ったりレイプすると言う「現地調達」によって兵士の性欲を満たした。それでも彼らに日本を責める資格があるのだろうか。 沖縄住民の集団自決、中国における特殊部隊による生体実験や南京大虐殺や化学兵器の開発、アメリカによる広島、長崎に対する原爆投下等々、戦争による悲劇は少なくないし、その真相も全て解明されてはいない。日本が西欧諸国と戦った理由も、またそれによって結果的にアジアの多くの国の独立を助けた面もあるのかも知れないが、だからと言って戦争を正当化は出来ないだろう。 愛国心も国家的な防衛力も必要だと私は思う。憲法も改正する必要があれば、正々堂々と論議すれば良いとも思う。ただし、戦争は勝っても負けても悲劇しかないことを忘れてはいけない。今日も街中では街宣車が大音量で軍歌を流していた。戦後62年。街宣車に乗った右翼のお兄さんも戦争の実態を全く知らない世代だろう。多くの日本人にとって戦争が風化した今こそ、平和についてもっと語り合うべきだと思うのだが。
2007.08.15
コメント(0)
お盆に入っても暑い日が続く。先日の日曜日は汗だくになって墓参りをし、父母と姉の位牌がある兄宅へ行って来た。現場のビルでもお盆休みの人が多いのか、いつもと違ってひっそりしている。第2現場ではリサイクルセンターの人がお盆休みのため、ダンボール紙やシュレッダーを持って行かないので山積みになっている。本当は残業して裁断を急ぐ必要があるのだが。 通勤のためのバス時刻も休日とか土曜日の運行ダイヤになってしまった。これでは勤務に間に合わないので今週は自転車通勤だ。朝から汗のかき通しで洗濯物が凄い。帰省客の大移動も大変だ。三重の長男はお盆休暇に帰省せず、高知の長女宅へ遊びに行ったようだ。暑い高知の狭い家でどう過ごしているのか。2人の孫はプール熱に罹ったとか電話で話していたようだ。 お盆の正式名は盂蘭盆会(うらぼんえ)だが、仏教の発祥地であるインドにはそのような風習はなく、中国の行事が仏教に取り入れられたとか。それが最近ではイランのソグド地方のウルバン(霊魂)と呼ばれる鎮魂祭と収穫祭が結合したお祭りが唐に伝わり、これに仏教や道教の教えなどが加わって盂蘭盆会になったと言う説が唱えられているようだ。 年に1度だけ先祖の魂が故郷の地に帰ると信じられているお盆。先祖の霊を迎えるのが迎え火で沖縄ではうんけー(お迎え)と言う。また再びあの世へ送り返すのが送り火で京都の大文字焼きが有名だ。沖縄ではううくい(お送り)と言っている。沖縄の盆踊りはエーサーと言って太鼓を叩きながら踊る勇壮なものだ。さて仏前の野菜の牛馬だが、霊が早く故郷へ帰られるようにキュウリの馬を、またゆっくりあの世へ帰られるようにナスの牛を供えるのだとか。 近所の広場では先日盆踊りがあった。3つの町内合併での催しで、結構賑わっていた。盆踊りの歌が風に乗って聞こえて来たし、最後には花火も上がった。だが我が町内会では子供が少なく、夏祭りも一昨年から中止している。私達が子供の頃は県庁前広場で盆踊り大会があった。娯楽が少ない昭和20年代は、盆踊りは結構大きな年中行事になっていたのだ。 暑い夏のせいか事故が目立つ。先だっての日曜にはジョギング中のランナーが亡くなった。神奈川県大和市の35歳の方で、体温は42度になっていたとか。初心者には長袖長ズボンで大汗をかくのがジョギングだと勘違いしている人もいる。甲子園でも熱戦が続いているが、暑い時は水分と同時に塩分やミネラル分を補給する必要がある。本来楽しいはずの夏休みが事故で悲しむ結果にだけはなって欲しくない。
2007.08.14
コメント(2)
リュックを担いで温泉に向かう。脱衣所には住吉台のA谷さんがいた。体調不十分で車に乗った由。素っ裸になると股が摺れて赤くなっていた。まずシャンプー、次いで全身を洗い、ゆっくりと水風呂に入る。火照った体に17度ほどの水温が気持ち良い。細かく痙攣していた太股が冷やされ、やがて静かに治まった。温い湯船と露天風呂を梯子した後、再び水風呂に全身を浸す。仙台明走会のN田さんがやって来た。勤務先の埼玉から休暇で帰ったとのこと。 さっぱりした気分で脱衣所に戻るとS木さんがいた。奥様のサポートで無事ゴールされたみたい。それでも少し車に乗ったとか。次に来たのが住吉台の連中。こちらは元気そのもので、疲れた様子は全く無い。彼らのHPの掲示板では6時スタートの人もいたようだが、さすがは速い人ばかりだ。 Tシャツと半ズボンに着替え、玄関ホールで到着を待つ。ほどなくM黒さん到着。暑さに強く、普段は帽子を被らない彼がフラフラ状態で、H多夫人が水の入ったコップを手渡していた。声のトーンがいつもと違うとK藤さん。やはり熱中症に罹ったのだろう。D口さんも汗ビショ状態で到着。次いで一緒にゴールした古川のS藤さん、T田さんと固い握手。T田さんは車の予定と参加者リストにはあったが、奥様が車で迎えに来られる由。お2人とは9月の「佐渡島一周」で一緒に走ることになるだろう。 I藤さんがニコニコしながら到着。彼にはスタート直後にコースの概要を教えていたが、初参加とこの暑さにも関わらず元気なのはさすがだ。Y田さんは疲れた様子でゴール。彼は目下「佐渡」への参加を検討中らしい。落ち着かない様子なのがK野さん。先行したはずの娘さんが到着しないのだ。だが「迷子」になったとの連絡があり、U海さんが迎えに行ってようやく一安心。きっと加美町の五叉路で旧宮崎町方面に直進したのだと思う。 騒動も一段落し、サポートカーから食料を運ぶとのことで、空のリュックに缶ビール20本ほどと果物を詰め込んで2階の部屋へ。N田氏はじめ明走会の若者が頑張って往復してくれた。ゴール後入浴を済ませたランナーが徐々に集まり、テーブルに食料や飲み物を並べる。2名は欠席したものの45名の参加とかで、部屋の中は大賑わいだ。「いわて銀河」女子の部2位に入賞された明走会のT中さん、M井会長、NAHAで一緒だったY木さんにも挨拶。 M会長の到着を待ち切れず、食べたり飲み始める人も出だす。炎天下を走って皆腹が減っているのだろう。私もY田さんと焼酎のジュース割りをチビチビ戴く。これが実に美味い。ようやく会長の挨拶があり、乾杯となった。ずいぶん若いメンバーが増えて賑やかになったのは、仙台明走会のお蔭だろう。空きっ腹で飲んだ私はすっかり酔っ払い、早目に部屋を脱出して1階のロビーでダウンしていた。暑い日のマラニックが全員無事で終了出来たのが何よりだった。 この日に備えて何もかもお膳立てしてくれたU海さん、朝早くからサポート車を出してくれた皆さん、それに熱中症と戦いながら炎天下を走った大勢の仲間達、本当にお疲れ様でした。来年の夏もまたこの厳しいコースを一緒に走りましょうね~!!<完>
2007.08.13
コメント(4)
スタートしてからスポーツドリンク、お茶、ビタミンウォーターとペットボトルを変えた。お茶には塩を入れたし、ビタミンウォーターにはヴァーム粉末とアスリートソルトを入れた。大量の発汗で障害を来たさないための用心だ。色麻町に入ってワンコインドリンクの自販機を発見。100円とは嬉しい。味覚を替えるためミルクティーにする。きっとこのボトルが重要になるだろう。 道は左折して王城寺原演習場の方に向かい、ほどなく右折して加美町方面へと曲がる。真っ青な空に響く空砲は演習場からのものだろう。暑い。既に道路上は30度を越えていると思われる。足も次第に上がらなくなって来た。後は体がどこまで暑さに耐え、辛抱できるかだ。田圃の中の1本道。ここは7kmほどコンビニはおろか自動販売機がない地獄道なのだ。 先日行った蔵王エコーライン練習会が、今月末の「立山登山マラニック」に対する練習ならば、今日の薬莱山遠足マラニックはさしずめ9月の「佐渡島一周」に向けての練習になると思う。「佐渡島」では給水や給食のポイントは少なく、店があれば自分の食べたいものを買い、飲みたいものは自販機で買うのが基本。違うのはリュックを背負って走ることか。それだと念のために予備のペットボトルをリュックにしまうことが出来た。だがここではそうはいかない。 暑さが容赦なく頭部を襲う。濡らしたタオルハンカチを帽子の下に入れて日差を遮ると幾分涼しく感じる。大事に飲んで来たミルクティーも底を尽きかけた。あの角まで、次の交差点までの辛抱と自分に言い聞かせる。ようやくコンビニの看板が見え出したところで走るのを辞めた。頭がフラフラし出した。これは熱中症の兆候だろう。 コンビニのトイレを借りて、タオルハンカチと首に巻いた特殊ペーパーを水に浸す。これが体温を下げる効果をもたらしてくれる秘密兵器なのだ。スポーツドリンクを買い、ヴァーム粉末と塩を入れる。そして再び走り出す。田圃の中の道はきつかったが、すれ違う車がスピードを落としてくれて助かった。ドライバーもこんな炎天下で走っているランナーには驚いたと思う。 右手奥には栗駒山と岩手の山並みが青空にくっきり映えている。左手には泉ヶ岳、北泉、船形山が連なり、その一番左端には七つ森がわずかに頭を出している。そして行く手には「加美冨士」薬莱山の美しい姿が見え出す。船形への登山口を通過。鳴瀬川に架かる橋も渡った。ようやく加美町の五叉路まで来た。角のコンビニに再び飛び込んでトイレを借り、タオルハンカチなどを水で浸す。ここで買ったのはアイスキャンディーと缶ビール。 まずはアイスキャンディーを齧りながら走る。スイカ味のアイスは冷たくて美味しい。次に缶ビール。2口、3口目までは確かに美味い。だがこれが給水の役目を果たしてくれるかは疑問。道路工事中の人夫さんが呆れた顔をして私を見た。炎天下でビールを飲みながら走るランナーを見るのはきっと初めてだろう。(笑) だが、そんな余裕も長くはなかった。まず左足大腿部に微かな痙攣。これは良くない兆候だ。それに走る意欲までが失せている。道路上の気温表示は32度だが路面の温度は35度以上に達しているだろう。ここは無理しないで歩こう。テクテク歩き出すと後から追い着いたM仙人車が停まった。中にはT田さんとK野さんが乗っている。どうやら暑さでリタイヤされた模様。何とか車のお世話にはならず、再び燃え盛る太陽の下を歩き出す。 ついに薬莱山への分岐点到着。道路の右側に渡り、自販機でお茶を購入。これが最後のボトルになるだろう。やはりビールよりはお茶が美味い。最後の橋を渡り終えると道は急坂となる。少しでも涼しい陰のある道路左側へ移動し手を振って歩く。3kmも歩いたせいで元気は回復したようだ。 坂道からM仙人が走って降りて来た。さすがに元気で、富士登山競走の疲れは取れた感じ。私達の荷物は1階のフロアまで運んである由。次に来たのがH多夫人。こちらはまだ荷物が届かず温泉に入れないとか。「もう少しなので頑張って!」と言う声に後押しされて走り出す。薬莱温泉への最後の坂道には、もう萩の花が零れている。10時22分ついに到着。55kmもの長かったマラニックはようやく終了。荷物が置いてあるソファーではK藤さんがにこやかに迎えてくれた。富谷町でクラクションを鳴らして通り過ぎたのは彼女だった。<続く>
2007.08.11
コメント(2)
昨夜は楽天のサヨナラ勝ちを聞いてラジオを消し、直ぐに眠った。10時過ぎだったろうか。目覚ましは2時にセットしていたが1時半には目が覚め、パソコンを立ち上げてメールの確認をした後トイレを済ませた。自転車で家を出たのは2時過ぎ。愛犬が騒がずに見送ってくれたのが何よりだった。 私達の走友会の待ち合わせ場所である体育館に着いたのは2時20分ごろ。当然まだ誰も来ていない。自転車を置き、近所のコンビニで弁当とトン汁を買い、店の前で座って食べる。家で食べていたのでは遅れるからだ。走る準備は既に出来ている。そして不要な荷物は全てリュックに詰めた。 暗闇の中からY田さんが現れ、コンビニに近づいて来る。そのうち三々五々仲間が集まり出した。今日は暑くなるとの予報だ。仙台で33度、古川は何と34度とか。暑さとの戦いになることは覚悟済みだが、こんな日は涼しいうちに走れるだけ走って距離を稼いでおく戦法を取ろうと考えていた。今日はD口夫人が車を出してくれる由。給水担当のM仙人とO川さんの姿がないが携帯で連絡し、予定通り3時にスタートする。D堂さんは既に自宅からスタートし、S木さんは奥様のサポートを受けられる予定とか。 D口夫人に預けた荷物は遅れて来るM仙人の車に積み替える由。きっと我々が薬莱山に到着するまでには、荷物を届けてくれるはずだ。これでもう安心。宮城UMCの合同練習会としての「薬莱山とお足マラニック」は今回で5回目か。今年はサポートも含め47名の参加とか。ずいぶんメンバーが増えたものだ。 私はY田さん、I藤さん、M井さんと一緒に先頭を走った。やがてM井さんがトイレのため離脱。3人で走ったのは荒町辺りまでで、私はそこから予定通りスピードを上げた。前日の夕方は血圧が異常に高かった。そして昨夜の睡眠時間はたったの3時間半。コンビニで弁当を食べた後で血圧降下剤は服用したが、果たして体調が猛暑に耐えられるかどうか。 北四番丁の信号が赤だったため右側に渡って愛宕上杉通りまで行き、そこから台原へ北上した。5時35分、朝の太陽が山陰から顔を出す。東北道入口下のトンネルを潜るころ、前方にオレンジの帽子とシャツを発見。リュックを背負ったD堂さんだった。自宅を1時35分に出たとのこと。少し話をしてから前に出る。 富谷町を中ほどまで来た時にランナー発見。その時誰かがクラクションを鳴らして通り過ぎた。後で聞いたらK藤さんだったようだ。ランナーはK村さんだった。挨拶を交わして先行するも、K村さんも後を追いかけて来られたようで、コンビニでタオルなどを濯ぎ、お握りを食べているうちに追い着かれた。ほどなくF田車の給水を受ける。どうやら私達の前にはランナーはいないようだ。 大和町が近づくと七つ森が見え出す。F田車に2度目の給水を受けた後、K村さんはスピードを落としたようだ。大和警察署がちょうど距離の半分とかS木氏に聞いたことがあった。もう27kmは来た計算だ。大衡村大柳の分岐点にはサポート車の姿はなかった。日差を避けるために道路の右側に寄る。暫く行ったコンビニでアイス最中を買い、食べながら走る。色麻町の手前でM仙人車から給水を受け、キュウリの漬物をいただく。7時4分。既に道路の気温表示は28度まで上がって来た。<続く>
2007.08.11
コメント(0)
昨日の甲子園で仙台育英は強豪の智弁和歌山を4対2で破った。ピッチャーの佐藤は最高球速154kmを出したようだ。これは甲子園での最速タイ記録らしい。完投した結果三振を17個奪取し、9回でも146kmほど出ていたと思う。こんな凄いピッチャーが楽天への入団を希望してるとか。もちろん高校生ドラフトでは本人の希望が叶うとは限らないが、是非楽天で獲得したい選手ではある。 昨夜ダルビッシュは、その楽天を相手に勝利し10勝目を挙げた。そして勝利インタビューで現在付き合っている彼女と近々結婚することや、彼女が妊娠6週目であることをファンの前で宣言した。21歳の若者の思い切った行動には驚くばかりだが、新しい家族を持つための精一杯の戦いと思えばそれなりに理解出来るし、「頑張れ~!」と応援する気持にもなる。 私は昨日、急遽1時間半ほどの残業をした。業務上の研修を今日受けるに際して、裁断する機密資料を少しでも処理しておきたかったのだ。たまたま2枚のTシャツを持って行ったので、午前と午後にそれぞれ1枚ずつ着替えた。午後、仕事を終了したあと下着も替え、タオルで汗を拭いて病院に行った。来週はお盆で休みになるだろうと思ってのことだった。 久しぶりに会った女医は血圧を測定し心音を聞いた後で、まだ走り続けているのか私に尋ねた。毎月フルマラソンかウルトラマラソンのレースに出てることを話すと、看護婦共々驚愕している。確かに病院を訪れる一般市民にそんな人は居ないだろう。だが今の私にとってそんなのは特別なことではない。女医はきれいな心音だったが、秋以降にある健康診断の結果を念のため持参するよう告げてにっこり笑った。 今朝は第1現場の遅番の人に早番の仕事を教えてから研修へ向かった。今日教わった内容は、遺失物法の改正点、護身術の実技、事故発生時の措置、報告・連絡・相談の実際、人工呼吸、心臓マッサージ、三角巾の使い方、シーツを使った患者運搬の実技だった。実技はともかくとして、講義は眠気との戦いだ。金曜日ともなれば疲れが容赦なく襲って来る。 昼は沖縄料理店へ行った。借りた2冊の本を返し、新たに琉球方言に関する本を借りた。前の本はラジオ局に寄せられた実際に使われている話言葉だが、今度の本はまだパラパラと目次をめくっただけだが、文学専攻の教師が書いただけに、日本語との対比や琉球文学との比較などがなされ、かなり学術的な内容のように感じた。 さて、明日は2時に起床し、3時から55km先の温泉まで仲間達と走る。最高気温は33度になるとか。暑さとの長い戦いになりそうな気配だ。
2007.08.10
コメント(0)
仙台七夕のニュースの中で、廃業に際して自社で出版した郷土資料を全国の図書館に寄贈した書店の話が紹介された。次の朝そのH書店の前を通ったら、笹竹には全国から寄せられた礼状が短冊のように飾られていた。その中にH書店が出版した郷土史のリストがあったが、先頭から8番目くらいまではT先生の著書だった。 T先生の専門は近世史だったが、専門書ではなく誰しもが読める郷土の歴史を先生が書かれていたことに驚いた。私は41年の公務員生活の中で大学病院に3年、博物館に2年勤めた。残りの36年間は大学図書館に勤務していたのだが、実は初めて勤めた大学図書館の初代の図書館長がT先生だったのだ。まだ若い日、図書館の職員でありながら先生の鞄持ちのような形で、学生と一緒に先生から日本史の講義を聞いたり、発掘に参加したり、史跡巡りの旅にもお供した。 リストには県内の郷土史関係の図書が累々と連なり、何人かの歴史家の名前を懐かしく拝見した。仙台を離れて30年以上全国を転勤したが、私は転勤先でも歴史関係の図書をせっせと注文し続けた。忙しくて読む暇は無いがきっとそのうちには読めるだろうと、買い求めた本は300冊にもなったろうか。そのうちの何冊かは未だ読めないまま書架にある。 さて、先日買った「多賀城~焼けた瓦の謎」を読了した。挿絵が多い120ページほどの子供向きの本なのであっけなく読めてしまった。その中で一箇所間違いを発見した。ただし文章ではなく絵だ。多賀城の裏には加瀬沼と言うのがあるが、これが絵に出てる。実はこの沼は江戸時代に灌漑用に掘られたもので、多賀城が機能した奈良時代や平安時代には未だ存在しない。きっと監修者も絵だったために見逃したのだと思う。 この本で認識を新たにしたこともある。その1つは陸奥守として任命された百済王敬福(きょうふく)のこと。王は確か「こにきし」とも読ませたはず。名前が示す通り先祖は古代朝鮮の百済王で新羅との戦いに敗れて日本に逃げて来た。敬福が陸奥守の時に小田郡(一説では旧涌谷町箆岳の黄金山神社と言われている)から黄金が産出し、これで奈良東大寺の大仏に金箔を塗ることが出来たのも有名な事実。 2つ目は多賀城跡から出土した漆紙のこと。漆が入った壷を乾燥させないために要らなくなった紙で覆ったのだが、紙に漆が付着して円形に残ったのがこの漆紙。もちろんそこには文字が書かれていて、当時の事情が解明できる。 一方多賀城を攻めて炎上させた蝦夷の側には「文字」がなかった。幾ら強い兵がいて、高度な文化があっても、文字がなければ「政府」は出来ない。生の言葉だけでは集団全体へ即時には伝わらないし、統一見解も出しにくいし、後世へも明確に政治の在りようを残せないからだ。古代東北にあった「王国」は、やはり大和朝廷の敵とはなり得ず、いずれは敗れる運命だったのだろう。 さて、昨年発掘された青葉区小松島の「与兵衛沼窯跡」だが、この中には高度の技術を要するロストル式平窯2基が含まれていたとか。平安時代の歴史書である「日本三代実録」には、新羅出身の技術者を陸奥国に派遣し、炎上した多賀城の瓦や陸奥国分寺の瓦を焼かせたことが書かれていたのだが、この窯跡発見で歴史書の記述が正しかったことが証明されたようだ。 それにしてもかつて朝鮮半島で戦った新羅人と百済人の末裔同士が、当時の日本の外れだった東北地方の一隅で協力し合ったとは面白い。千数百年後の発掘でそんなことが明らかになるのが「歴史」の不思議さだし面白さでもある。なお、同遺跡は保存されることが決定したようで、さらに国史跡指定を目指すらしい。破壊は簡単だが祖先達の尊い文化を後世に残すのは難しい時代になった。
2007.08.09
コメント(0)
やはり雨が降った。1週間の長期予報では雨マークがなかったのだが、きっと気圧が不安定になったのだろう。仙台七夕には雨がつき物と言うジンクスが今年も当たってしまった。そして今日は七夕の最終日。盛岡の「さんさ踊り」から始まり、青森の「ねぶた」、秋田の「竿灯」、山形の「花笠踊り」、そして仙台の「七夕」と続いた東北の夏祭りの終焉でもある。 その代わり、甲子園では夏の全国高校野球大会が今日から始まった。確か26年ぶりの出場だったと思う興南高校は接戦で緒戦を物にした。長男はそこの卒業で、3年生の時には私と2人だけで暮したのが今となっては懐かしい思い出だ。その長男から「生きしめん」が届いた。先日送った「ホヤ」のお礼の積りだろう。 枯れたユスラウメの隣でクチナシが咲いた。たった1輪だが周囲に馥郁たる香りを放つクチナシ。鬼百合も咲いた。暑苦しそうな色合いの花の香は、まだ嗅いだことがない。長雨の梅雨が明けた後は一転しての猛暑。畑も日照りでカラカラになり水遣りが欠かせないが、夜来の雨は植物にとっても恵みの雨だ。小ぶりだが朝顔も毎朝20個ほどの花を咲かせている。白と紫の「絞り」だ。 西側の塀にはカボチャが1つだけ実をつけている。そして東側の塀にはゴーヤが1個。こちらは今たくさんの花が咲き、蜂が忙しそうに蜜を集めている。きっとそのうちには立派なゴーヤが幾つも実ることだろう。病気になったトマトは12個だけ採れた。通常の10分の1以下の収穫量だ。トウモロコシも小さな実ばかりで期待は出来ない。 唯一元気が良いのはキュウリ。今朝までの収穫は31本になった。全国的にも梅雨の豪雨の影響が残って野菜が高いようだ。せめてキュウリでも大事に食べようか。ナスは9個。これも我が家では貴重なおかずだ。ミョウガは合わせても10個ほどの不作。最後に種を蒔いたインゲンは今後に期待するしかない。 第2現場では今日から30分の残業が始まる。1時間半ほどの重労働では、作業の途中に汗を拭う暇も無い。汗がマスクに滲み込み、翌日になると異臭が凄い。30分の残業でもらえるのはたったの450円。こんな金額でも我が身を削って稼ぐ貴重な対価だ。 妻に手紙が届く。先月行った23年ぶりの「筑波時代の同窓会」の仲間からのようだ。きっと妻達にとっても23年間の空白を埋める感慨深い再会だったのだろう。手紙には写真も同封されていたが、皆昔と変らない面影があった。来週はお盆。墓参りの後で久しぶりに兄宅へ訪れてみよう。
2007.08.08
コメント(0)
一昨日の日曜日は「奥武蔵ウルトラマラソン」の開催日。私も申し込んではいたが、これは「立山登山マラニック」の選考漏れに備えた滑り止め用で、実際に参加はしなかった。昨年は最高気温36度の猛暑の中を走って熱中症に罹ったが、今年も暑かったようだ。ただし後半は雷雨となり、実際雷が落ちたとか聞いた。 宮城UMCからはH多さんが参加されたことは確か。ネットの走友では雲峰師匠、T本さん、ぼくし~どん、むいむいさん、Pちゃん、K川さん、いたさんなどが参加され、見事完走されたようだ。雲峰師匠は膀胱ガンの摘出手術を終えられたばかりの体調で、良く75kmの山岳コースを走破されたと驚いている。皆さん本当にお疲れ様でした!! さて、昨日から仙台七夕が始まった。毎年8月6日から8日まで3日間の開催で、今年は珍しくすべて平日だった。前日の5日が前夜祭で花火大会がある。勤務先のビルの前でも屋台が朝から開店準備をしていた。カキ氷の店のようだが、奥さんと思しき人が大声で指示している。昔は香具師(やし)と呼ばれた商売で、やくざが地割をしてたのだろうが、今は予め警察署に届けて許可をもらっているのだと思う。 見ていると「地割」のためのテープを剥がし、自分の場所を広げている。まあ逞しいものだ。しかし七夕が終わったら次は何処へ行くのだろう。きっと県内や近県での祭礼の予定表でも持っているのだと思う。カキ氷屋さんの隣では、若夫婦みたいな男女が可愛い風船をたくさん飾りつけしていた。 勤務が終わってから私はアーケード街を通って市役所まで北上した。何年か振りで七夕を見るためだ。昔に比べて飾りは優雅になり美しくもなったが、心から楽しめる風情は無くなった。飾り付けの傾向がどの店も似ていて何ら感慨を催さないのだ。1軒だけ楽天球団の人気者の「仕掛け」を展示していた。マスコットのクラッチと田中マー君は分かったが、後の1人は山崎か、キャッチャーの藤井か顔が判然としない。市役所前のベンチで着替えそこから走って帰ったが、他県から来た観光バスがやたら目立った。 今朝は別のアーケード街を通って七夕を見ながら職場のビルへ行った。立哨時に歩道を見ると、昨日はカキ氷屋だった店が今日は何とたこ焼き屋に変ってる。でも香具師は同じで、相変わらず女房が怒鳴り声を上げながら指揮をしてる。猛暑の昨日はカキ氷を売り、さほど暑くない今日はメニューをたこ焼きに変更したのだろうか。変幻自在の商売上手には恐れ入った。 今でこそ七夕は一部の繁華街が中心だが、私が高校生の頃までは市内でも七夕飾りをしている町内が結構あった。今のような派手さはなかったが、人間らしい温かみと優雅さがあって心が和んだものだ。それに街角には機械や人力で動かす「仕掛け物」がたくさん出て、本当に楽しかった。それだけ庶民の娯楽が乏しかったのかも知れないが。 参考までに伝統的な仙台七夕の「七つ飾り」の謂れを書き留めておこう。飾り付けに秘められた私達の祖先の精神構造が良く理解できるように思う。☆短冊(たんざく)学問や手習いの上達を願った。☆紙衣(かみごろも)病気や災害の身代わりに捧げた衣で、裁縫の腕が上がるように願って縫い上げた。☆折鶴(おりづる)家の長寿の歳の数だけ折り、延命長寿を願った。また折り紙を通じて、人に教える心と教わる心を学んだ。☆巾着(きんちゃく)富貴を願いながら、節約と貯蓄の心を養った。☆投網(とあみ)仙台近海の豊漁を祈願した。☆屑籠(くずかご)物を粗末にせずに役立て、清潔と倹約の心を養った。☆吹流し(ふきながし)飾り付けの主役で織姫の織り糸を象徴する。
2007.08.07
コメント(0)
昨夜は何だか腕が痛くて時計を外して眠った。てっきりベルトの穴を1つ分間違えてきつくしたのだとばかり思っていたのだ。だが、朝目が覚めると、左腕の手首周辺が腫れ上がっている。アシナガ蜂に刺された後遺症が残っていたようだ。向かいのKさんにマムシを漬けた焼酎液で消毒してもらい、何事も無かったためガーゼを早めに取ってしまったのが良くなかったのだろう。 現場に着き痛む箇所を揉んでから巡回に出たまではまだ良かった。だが、管理室に戻って腕を見ると、パンパンに赤く腫れ上がり痛みが増していた。腕を揉んだ時に溜まっていた毒が周辺に散り、さらに炎症が悪化したのだろう。たった1匹のアシナガ蜂の毒が、こんなにも害を与えることを初めて知った。 前後するがこの朝、管理室に入った時にいつもと状況が違っていた。室内の空気が異常に冷たいのだ。これは先週の金曜日の夜に空調機を切らないで帰ったせいだと直感した。そして若い責任者の机には、設備の異常で入室した旨の警備会社のメモが残されていた。やはり空調機の故障が原因か。それにしても何故管理室に空調が入っていたのだろうか。 巡回から戻ると、4階と5階のフロアからクレームが入った。いずれも空調が効かず蒸し風呂状態なので至急対処して欲しいとの内容だ。でも設備を担当する管理会社の若者が出勤しないのではどうしようもない。室内を調べると、空調機のコントローラーが故障中なので、管理室内のクーラーを点けっ放しにしている旨の私宛のメモが見つかった。 20分遅れて責任者がようやく出勤。空調機のコントローラー故障のため、手動でスイッチを入れる必要があるとのこと。先週も暑かったし前夜も熱帯夜だった。ビル内の設備は全てコンピュータによる自動制御なのだが、アイスジェネレーターと言う屋上の空調設備の不調に加え、コントローラーそのものが蓄熱でダウンしたみたいとのこと。それで管理室内を先週末から冷やしていたのは理解できたが、そんな重大な故障時に遅刻して来るその神経が私には分からない。 私の部屋では起きている時は扇風機のお世話になり、寝た後は網戸から吹く風に頼っている。また暑さに弱い愛犬は川で遊ばせて涼を取っている。近代的なビルでは何もかもコンピュータによる自動制御なのだが、一旦故障すると案外もろい。 第2現場のビルで今日はランパン、ランシャツのままで裁断作業を行った。室内はものすごい騒音の中で裁断による粉塵が舞っている。それに加えての炎熱地獄。今日は朝から30度を越える気温だったとか。きっと私が働いている室内は35度以上にはなっているだろう。汗をダラダラ流しながらの肉体労働はとても人様に見せられたものではない。それでも勤務後は山越えでの帰宅ランを強行。ずいぶんと汗をかいた一日だった。
2007.08.06
コメント(0)
暑い。ここ数日33度前後の日が続き、うだるような暑さだ。台風5号が熱い空気を遥か南の海から運んで来てくれたのだろうか。夏が涼しい仙台には珍しいことだ。昨日、今朝と妻は朝早くから起きて、愛犬マックスと山道を散歩に行ったようだ。 そして昨日の日中、私はマックスを川へ連れて行った。泳がせるためだ。こんな暑い日は犬も苦しい。汗腺がない犬はひたすら口を開いてハーハー喘ぐばかり。それで体内の熱を逃しているのだろう。暑い道を2km歩く辛抱の後に小川に到着。ここは彼が泳ぐにはちょうど良い深さのところだ。それに私も水際まで降りることができる。 20分ほど彼は夢中になって泳いだ。川の中で体を揺すり、水を飲み、そして泳ぐ。ラブラドルレトリバー種は元々水と泳ぐのが大好き。散歩の時は時々川の側で立ち止る時があるくらいだ。座り込むのは自分がそこで泳ぎたいという彼の意思表示なのだ。20分の水泳で、彼は満足したようで、名前を呼ぶと一目散に岸に上がって来た。 さて、今朝は町内会の草刈だった。我が班はバス停前の雑草を刈るのがいつもの仕事。ところが30分経っても終わらない。役員が草刈機を持って来て刈り始めたのだが、そこにアシナガ蜂が集まっていたようだ。側に居た私は突然鋭い痛みを感じた。蜂に刺されたのだ。蜂に刺されるなんて小学生以来の出来事。前に刺された際の抗体が残っていると危険とも聞いたがどうなのか。 向かいのKさんが大至急家に戻って私の腕に液体を塗ってくれた。独特の臭い匂いで、マムシを焼酎に漬け込んだ液らしい。飲むのかと思ったら、蜂の解毒にも効くと言う。確かに暫くして痛みと腫れは消え去った。 我が家の向かいに住むKさんとは同じ路地の中でも一番仲良く付き合っている。どちらが旅行に行ってもお土産を買って来る仲だ。家の塗装工事のことを最初に断ったのもKさんのところ。2番目に断ったOさんは直ぐ裏の人。我が家の塀に布団を干したり、植木が我が家まで入り込んだり、私達が全国を異動しているうちに土地の境界の杭を抜いたりとトンデモナイ人なのだが、一応工事の断りだけはしておいた。 この両家の中間で斜め後のSさん宅と接触している土地は僅か。庭仕事で顔を会わせる時に奥さんへ挨拶する程度だが、今朝の草刈で塗装工事の断りはしておいた。後刻妻宛に電話があって、垣根越しに桃を分けてくれたようだ。お返しに妻はハウス栽培のミカンを上げたとか。家を建ててから10年。きっとここが終の住処になると思うが、これからも「ほどほど」の近所付き合いをしたいと願っている。
2007.08.05
コメント(0)
暑い。台風がもたらしたこの蒸し暑さ。眠い。前日の睡眠不足が祟っている。疲れた。一週間働くと金曜日は特に疲労感が増す。そんな中でもフルキャスト球場へ出掛ける。田中の先発は朝刊で知った。それで出勤時に最寄のコンビニで当日券を買ったのだ。いつもなら当然前売り券だ。だが前夜チェックしても先発が誰か分からなかった。 西武球団のように今楽天でも命名権の問題で揺れている。球場の名前になっている親企業のフルキャストが本来の業務である人材派遣業で不正を行い、業務停止を受けたのだ。こんな問題が起きるのが一番ファンにとっては迷惑な話だ。折角馴染んだ名前を、社会的な不正で汚すんじゃない。そう大声で叫びたい気分だ。 田中はいつものように立ち上がりが今一。2ランホームランで早くも1回表に2点を失う。その後も再び2ランホームランなどで4回までに合計5点を失ってしまった。普通ならここで降板だろう。一場なら監督が怒ってとっくに交代させられている。ところが田中は不思議な男で、5点を取られてから急にスイッチが入ったらしい。 4回裏楽天の攻撃。2アウトランナーなしから5連続安打と相手のエラーでまず4点。5回裏にもフェルナンデスの2ランホームランなどで3点を取り逆転に成功。もう負けたと諦めた試合が大逆転するのだからファンにとってこれほど愉快なことはない。あのボヤキの野村監督もすっかり喜んでいたらしい。 礒部は怪我でベンチ。頼みの山崎はこの日3三振で良いとこ無し。ショートの草野も大事なところでタイムリーエラーと、一頃は負けゲームの典型みたいな試合運びだった楽天。それがリックの2塁打をきっかけに5連打だからたまらない。ふっふっふ。 調子の良くない田中は6回までで、7回から有銘、山村、小山が1回ずつ投げ、それぞれホールドとセーブポイントを挙げる完璧な出来だった。辛抱を絵に描いたような投手リレーでの勝利。田中は球団投手タイ記録に並ぶ9勝目を挙げ、2桁勝利に王手を掛けると同時に新人王の有力候補にも躍り出た感がある。 これでソフトバンクはフルスタで6戦全敗で田中にも5連敗中。すっかり田中のお得意さんになってしまった。だが当の田中はヒーローインタビューでも謙虚だった。まさか4回までに5点も取られてお立ち台に立つとは思っても見なかったそうだ。そして今日は野手の皆さんと先輩のピッチャーにお世話になっての勝利だと、照れながら話していた。大画面に映ったその表情を見、話を聞きながら、ファンは再び田中への声援を送った。 これで私が今季フルキャストスタジアムで応援した試合は11勝6敗。うち田中先発の試合が10回目で5勝2敗。3試合は勝ち負けつかずとなっている。つまり田中がフルスタで先発した全試合を観戦したことになる。荒削りで未完成だが、底知れぬ不思議な魅力を秘めた田中。この夜も疲労困憊ながらも満足して家路を急いだのだった。
2007.08.04
コメント(0)
先日12月にあるNAHAマラソンの案内が届いた。昨年参加した県外のランナーに送付してくれたようだ。ここは元々予定していたので早速エントリーした。ただ、昨年行けなかった妻に今年は沖縄へ一緒に行くか訊ねたら、行かないとの返事だった。妻が行けば私の旅費も家計から出してもらえるなどと甘い考えをしていたが、仕方ないか。 NAHAの会場である奥武山運動公園内が今年は工事中とかで、コースが少し変った。スタート地点が少し手前になり、中間地点の摩文仁が丘公園内が少し長くなるだけのようだ。NAHAは10回目の参加だけに、特段心配することもない。奥武山陸上競技場へ行けば、いつもどおり沖縄の走友が歓迎してくれるだろう。 11月の「飯坂・ふくしまマラソン」は今回が第1回で、それだけに主催者側にとっても参加するランナーにとっても記念すべき大会になるだろう。コースは飯坂温泉の奥地にあるダム周辺のようだが、私が持ってる古い地図にはそのダムが載ってない。これは想像だが、きっと紅葉の美しい渓谷沿いを走るのではないか。新幹線で福島へ、そこから福島交通で飯坂へ。歩いて10分のところで受付すると、スタート地点までバスで送ってくれるとか。まるで温泉つきの小旅行をするようで楽しみだ。 10月の「いわて北上」は初めての参加。新幹線で北上駅へ行けば、そこから会場までバスがあると思う。会場の北上総合運動公園は「いわて銀河」のスタート地点でもあり、少々だが土地勘はある。多少アップダウンはあっても秋の岩手を楽しんで走れるのではないかと思う。 9月の「佐渡島一周」206kmは、昨年一度走っているので何の心配もしていない。昨年道を間違えた箇所も頭に入っているので、今年は迷わないはず。初日は50分か55分走って、5分か10分歩くのを繰り返そうと思う。第1日目の夜は今回も歩く予定。2日目は体の疲労具合を見ながらゆっくり走るのが良いだろう。最後まで体力を温存して、今回は「幻聴・幻覚」を聞いたり見たりしないようにしたいものだ。(笑) さて今月の「立山登山マラニック」だが、高低差は3003mだが温度差も15度ほどあるとのこと。山頂付近で雨が降ればかなり体温を奪われたり、2、3m先も見えなくなったりすると言う。称名滝の休憩所には半袖Tシャツ、軽めのウインドブレーカー、トレイル用のシューズ、軍手を送っておこうか。富山への交通も新潟県内の地震で一部遮断されているので、景色を楽しみつつ遠回りしながら訪ねて行こうと思っている。
2007.08.03
コメント(0)
いや~暑い。昨日東北地方でも梅雨明け宣言が出されたばかりだが、今日も30度を越えているのではないか。その暑さの中を走って帰った。今日は気分転換の意味で街中を走った。暑く感じたのはきっとそのせいだろう。街中は木陰が少なく、道路は太陽の照り返しでフライパン状態だった。今年の仙台で梅雨に降った雨は、例年の倍近かったとか。やはり我が家のトマトが腐るはずだ。 さて今朝出勤前のニュースによれば、横綱朝青龍に対する異例の罰則適用は引退勧告にも取れるとした新聞が多かったようだ。それほどの意味を持った今回の処分だが、さすがの朝青龍も2場所出場停止、給料の減額、4ヶ月間の謹慎の厳罰に驚き、親方共々反省の姿勢を示したとか。 この報道を伝え聞いたモンゴル人の女性は「朝青龍はモンゴルと日本の親善に一役買った人なので、このような処分は適当ではない」と語っていたが、日本との国情の違いや若い女性の発言はそんなものかと思う。一方「間違ったことをすれば処分は仕方がない」と言うお爺さんがいて、モンゴルでも老人は常識的だと感じたものだ。 大相撲の親方衆の中には、朝青龍が日本に帰化しなかったのが問題の原因になったと考えている人が多いらしい。モンゴル人は日本に帰化しなかった朝青龍や旭鷲山を英雄視する一方で、日本人と結婚した白鵬への評価は低いとも聞いた。確かに大相撲は日本の国技だし、それなりの格式も精神性も必要だとは思う。だが「帰化するかどうか」は人間として誰にも侵すことの出来ない重要なことで、私には別の次元のもののように思える。 話は変って、我が東北楽天は一昨日は岩隈が6回3失点の後は6人ものピッチャーでつなぎ、11対7の大味な試合になったが88日ぶりに2勝目を手にした。ここまでの道のりはずいぶん長かったが、ようやく復帰と見て良いのだろう。そして昨夜は朝井が1対0の完封勝ち。2晩ともラジオやテレビでハラハラさせられたが、野村監督も珍しく喜んでいたようだ。 大リーグでは井口がホワイトソックスからフィリーズへ突然トレードされたのには驚いた。そんな急な「人事異動」にもめげず、井口は連日のように活躍しているのが嬉しい。またヤンキースの松井が地元石川から来た野球少年達に、約束どおりホームラン2本を打ったとの話も微笑ましかった。イチローのようにキビキビはしておらず、鈍牛のような松井だが私はとても好きな選手だ。政治の世界は常にドロドロしたところがあるが、スポーツ界だけはいつも熱くて爽やかな風が吹いていて欲しいと願っている。
2007.08.02
コメント(0)
朝青龍が30%の減俸4ヶ月間と本場所2場所の出場停止の処分を受けた。また親方の元大関朝潮も監督不行き届きで減俸4ヶ月となった。原因は先日承諾を得ないで帰国し、全治6週間の診断書を出しておきながらサッカーに興じていたことが判明したことによるもの。旭天鵬が追突事故で1場所の出場停止処分を受けたのに、横綱が「仮病」で夏巡業をサボったことに対して旭天鵬の親方で巡業部長でもある元大関旭国らが猛反発し、厳しい処分になったとか。きっとここ数年一人横綱が続き、横綱に対してきちんと指導できなかったツケが今頃になって出て来たのだろう。 参院選で惨敗した安倍総理がその「火種」になった赤木農相を事実上罷免した。マスコミや党内での批判をかわし切れなくなったのだろう。それにしても何故今頃辞任させたのか。辞めさせるならもっと相応しいタイミングがあったろうに。安倍総理には人を見る目がないのだろうか。もしあるなら次々に問題を起こす人を大臣に指名するはずがない。それとも自民党には人材がいないのだろうか。苦労知らずのお坊ちゃんは政局を乗り切る力も、人を見る目もなかったのが真相だと思う。 赤木大臣の祖父赤木宗徳氏も農林大臣だった。確か片方の足が不自由だったように記憶している。その体で単身当時のソ連に乗り込み、交渉を成立させたことがあったように思う。あれは本物の政治家で人間的にも重厚な方であった。今の政治家には「国を背負」って判断できる人が少ないように思う。世間知らずなのは、きっと政治家の2世や3世が多いせいだろう。 現場のビルで水漏れ事故があった。若い責任者はモップなどの掃除用具が当たってネジが緩んだせいだと清掃会社の責任者を呼んで叱責した。ところが昨日も同じような水漏れ事故が起きた。別の若い職員が天井裏に登って漏水場所を拭いていた。その時天井裏がどうなっているのかを初めて知った。その若い衆の考えではパッキングが古くなったのが原因だろうとのこと。なるほどそれなら理屈に合う。水漏れした箇所はモップが頻繁に当たるような場所ではないからだ。若い責任者は日頃から清掃担当者を信用してなかったのだ。その心が判断を狂わせたのかも知れない。 さて、詰まらない話で恐縮だが、先日私は冷蔵庫の「カボチャの煮物」を捨てた。食べたら傷んでいたからだ。ところが妻はカボチャを捨てたのは自分だと言い張る。そしてカボチャの切り方がどうだったか私に訊ねた。私が説明するとようやく納得したようだった。何しろ彼女は水っぽいカボチャが大嫌いなのだ。そのために長い間冷蔵庫に放置していたのが腐った原因なのだが、何か勘違いしているようだ。 これは判断力と言うよりも記憶力の減退の方が問題だろう。これから歳を取れば、ますますこの手の詰まらない言い争いが増えそうで怖い。下らないことに無駄な労力を使わないのが賢明な判断だろうか。
2007.08.01
コメント(2)
全31件 (31件中 1-31件目)
1

![]()
![]()